性別変更訴訟(生殖腺除去要件違憲判決)
特別抗告審決定

性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件
最高裁判所 令和2年(ク)第993号
令和5年10月25日 大法廷 決定

抗告人(抗告人 申立人) X
         代理人 吉田昌史 ほか

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官岡正晶の補足意見
■ 裁判官三浦守の反対意見
■ 裁判官草野耕一の反対意見
■ 裁判官宇賀克也の反対意見

■ 抗告代理人吉田昌史、同南和行の抗告理由


 原決定を破棄する。
 本件を広島高等裁判所に差し戻す。

[1] 本件は、生物学的な性別は男性であるが心理的な性別は女性である抗告人が、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下「特例法」という。)3条1項の規定に基づき、性別の取扱いの変更の審判を申し立てた事案である。

[2] 特例法は、2条において、性同一性障害者について、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものと定義し(以下、「性同一性障害者」というときは、この定義によるものをいう。)、3条1項において、家庭裁判所は、性同一性障害者であって同項各号のいずれにも該当するものについて、性別の取扱いの変更の審判(以下「性別変更審判」という。)をすることができる旨を規定している。
[3] そして、特例法3条1項4号(以下「本件規定」という。)は、「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。」と規定するところ、本件規定に該当するためには、抗がん剤の投与等によって生殖腺の機能全般が永続的に失われているなどの事情のない限り生殖腺除去手術(内性器である精巣又は卵巣の摘出術)を受ける必要があると解される。原審の確定した事実によれば、抗告人は、生殖腺除去手術を受けておらず、抗告人について上記事情があることもうかがわれない。

[4] 原審は、抗告人について、性同一性障害者であって、特例法3条1項1号から3号までにはいずれも該当するものの、本件規定に該当するものではないとした上で、本件規定は、性別変更審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、社会に混乱を生じさせかねないなどの配慮に基づくものと解されるところ、その制約の態様等には相当性があり、憲法13条及び14条1項に違反するものとはいえないとして、本件申立てを却下すべきものとした。
[5] なお、原審は、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」と規定する特例法3条1項5号(以下「5号規定」という。)に関する抗告人の主張、すなわち、抗告人は5号規定に該当するものであり、仮に該当するものではないとしても5号規定は憲法13条、14条1項に違反する旨の主張については、判断していない。

[6] 論旨は、本件規定は、憲法13条、14条1項に違反し、無効であるというものである。
[7] 本件に関連する事実等の概要は、次のとおりである。

(1) 性同一性障害について
[8] 性同一性障害とは、生物学的な性別と心理的な性別が不一致である状態をいい、医学的な観点からの治療を要するものである。今日では、心理的な性別は自己の意思によって左右することができないとの理解の下に、心理的な性別を生物学的な性別に合わせることを目的とする治療は行われておらず、性同一性障害を有する者の社会適応度を高めて生活の質を向上させることを目的として精神科領域の治療や身体的治療が行われている。
[9] 性同一性障害を有する者については、治療を受けるなどして、性自認に従って社会生活を送るようになっても、法令の規定の適用の前提となる戸籍上の性別(以下「法的性別」という。)が生物学的な性別によっているために、就職等の場面で性同一性障害を有することを明らかにせざるを得ない状況が生じたり、性自認に従った社会生活上の取扱いを受けられなかったりするなどの社会的な不利益を受けているとされている。

(2) 特例法の制定の背景等
[10] 性同一性障害については、上記のとおり、性同一性障害を有する者の生活の質の向上を目的とした治療が行われているところ、特例法が制定された平成15年7月当時は、日本精神神経学会の定めた「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」(以下、単に「ガイドライン」という。)第2版に沿って、いわゆる段階的治療という考え方に基づく治療が行われていた。段階的治療とは、原則として、第1段階では精神的サポート等の精神科領域の治療を行い、次に身体的治療として、第2段階ではホルモン療法ないし乳房切除術を、第3段階では性別適合手術(生殖腺除去手術、外性器の除去術又は外性器の形成術等)を行うという3段階の手順を踏んで治療を進める考え方であり、性別適合手術は、第2段階を経てもなお自己の生物学的な性別による身体的特徴に対する強い不快感又は嫌悪感が持続し、社会生活上の不都合を感じている者に対する最終段階の治療とされていた。なお、第1段階及び第2段階の各治療は必ずしも次の段階に移行することにより終了するものではなく、精神科領域の治療やホルモン療法は第3段階を経た後も継続するものとして予定されていた。
[11] また、ガイドライン第2版においては、第3段階を経た性同一性障害を有する者について、法的性別の変更がされなければ、社会生活上大きな障害になるものとされていた。
[12] 国会での審議における法案の提出理由等からすると、特例法は、性同一性障害が世界保健機関の策定に係るICD(国際疾病分類)第10回改訂版等にも掲載された医学的疾患であるとの理解を前提として、性同一性障害を有する者が、段階的治療の第3段階を経ることにより医学的に必要な治療を受けた上で、自己の性自認に従って社会生活を営んでいるにもかかわらず、法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の様々な問題を抱えている状況にあることに鑑み、一定の要件を満たすことで性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることを可能にし、治療の効果を高め、社会的な不利益を解消するために制定されたものと解される。
[13] 特例法には、その立案段階における議論を踏まえ、附則において、性別変更審判を受けることができる性同一性障害者の範囲等については、特例法の施行の状況、性同一性障害者等を取り巻く社会的環境の変化等を勘案して検討が加えられ、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置が講ぜられるものとする旨の規定が置かれた。
[14] そして、特例法3条1項3号は、特例法の制定時には「現に子がいないこと。」と規定されていたが、平成20年法律第70号による改正(以下「平成20年改正」という。)によって、「現に未成年の子がいないこと。」に改められた。

(3) 性同一性障害に関する医学的知見の進展
[15] 性同一性障害の治療は、特例法の制定当時は段階的治療という考え方に基づいていたところ、その後、臨床経験を踏まえた専門的な検討等を経てガイドラインの見直しがされ、平成18年1月に提示された第3版では、性同一性障害を有する者の示す症状は多様であり、どのような身体的治療が必要であるかは患者によって異なるとして、段階的治療という考え方は採られなくなった。具体的には、性同一性障害を有する者について、まず精神科領域の治療を行うことは異ならないものの、身体的治療を要する場合には、ホルモン療法、乳房切除術、生殖腺除去手術、外性器の除去術又は外性器の形成術等のいずれか、あるいは、その全てをどのような順序でも選択できるものと改められた。
[16] ICD第10回改訂版において、性同一性障害は「精神および行動の障害」の一つに分類されていた。その後、「障害」との位置付けは不適切であるとの指摘がされたため、2019年(令和元年)5月に承認された第11回改訂版において、性同一性障害は「性の健康に関する状態」に分類されるようになり、それに伴い名称が「性同一性障害」から「性別不合」に変更された。

(4) 性同一性障害を有する者を取り巻く社会状況等
[17] 平成16年7月の特例法の施行から現在までに、1万人を超える者が性別変更審判を受けるに至っている。
[18] この間、国においては、法務省が、平成16年以降、性同一性障害を理由とする偏見等の解消を掲げて人権啓発活動を行い、文部科学省は、平成22年以降、学校教育の現場において性同一性障害を有する児童生徒の心情等に十分配慮した対応がされるよう、各教育委員会等にその旨を要請する通知を発出したり、教職員向けのマニュアルの作成、配布を行ったりしており、厚生労働省も、平成28年、労働者を募集する際の採用選考の基準において性的マイノリティを排除しないよう事業主に求めるなどの取組をしてきた。令和5年6月には、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資することを目的として、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」が制定された。また、地方公共団体においては、平成25年に、東京都文京区で性自認等を理由とする差別的な取扱いその他の性別に起因する人権侵害を行ってはならない旨の条項を含む条例が制定されて以降、相当数の地方公共団体の条例において同趣旨の条項が設けられている。さらに、一般社団法人日本経済団体連合会は、平成29年、企業において、性同一性障害を有する者を含むいわゆるLGBTへの適切な理解を促し、その存在を受容することに向けた取組を行っていくことが急務である旨の提言をしたほか、令和2年以降、一部の女子大学において法的性別は男性であるが心理的な性別は女性である学生が受け入れられるなどしている。
[19] また、特例法の制定当時、法令上の性別の取扱いを変更するための手続を設けている国の大多数は、生殖能力の喪失を上記の変更のための要件としていたが、その後、生殖能力の喪失を要件とすることについて、2014年(平成26年)に世界保健機関等が反対する旨の共同声明を発し、また、2017年(平成29年)に欧州人権裁判所が欧州人権条約に違反する旨の判決をしたことなどから、現在では、欧米諸国を中心に、生殖能力の喪失を要件としない国が増加し,相当数に及んでいる。

[20] 以上を踏まえ、本件規定の憲法13条適合性について検討する。

[21](1) 憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由(以下、単に「身体への侵襲を受けない自由」という。)が、人格的生存に関わる重要な権利として、同条によって保障されていることは明らかである。
[22] 生殖腺除去手術は、精巣又は卵巣を摘出する手術であり、生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果をもたらす身体への強度な侵襲であるから、このような生殖腺除去手術を受けることが強制される場合には、身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たるというべきである。
[23] ところで、本件規定は、性同一性障害を有する者のうち自らの選択により性別変更審判を求める者について、原則として生殖腺除去手術を受けることを前提とする要件を課すにとどまるものであり、性同一性障害を有する者一般に対して同手術を受けることを直接的に強制するものではない。しかしながら、本件規定は、性同一性障害の治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として同手術を受けることを要求するものということができる。
[24] 他方で、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況が既にみたとおりのものであることに鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。このことは、性同一性障害者が治療として生殖腺除去手術を受けることを要するか否かにより異なるものではない。
[25] そうすると、本件規定は、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対して、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を実現するために、同手術を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができ、このような制約は、性同一性障害を有する者一般に対して生殖腺除去手術を受けることを直接的に強制するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないというべきである。
[26] そして、本件規定が必要かつ合理的な制約を課すものとして憲法13条に適合するか否かについては、本件規定の目的のために制約が必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度等を較量して判断されるべきものと解するのが相当である。

[27](2) そこで、本件規定の目的についてみると、本件規定は、性別変更審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば、親子関係等に関わる問題が生じ、社会に混乱を生じさせかねないこと、長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける必要があること等の配慮に基づくものと解される。
[28] しかしながら、性同一性障害を有する者は社会全体からみれば少数である上、性別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による身体的特徴に対する不快感等を解消するために治療として生殖腺除去手術を受ける者も相当数存在することに加え、生来の生殖機能により子をもうけること自体に抵抗感を有する者も少なくないと思われることからすると、本件規定がなかったとしても、生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。また、上記の親子関係等に関わる問題のうち、法律上の親子関係の成否や戸籍への記載方法等の問題は、法令の解釈、立法措置等により解決を図ることが可能なものである。性別変更審判を受けた者が変更前の性別の生殖機能により子をもうけると、「女である父」や「男である母」が存在するという事態が生じ得るところ、そもそも平成20年改正により、成年の子がいる性同一性障害者が性別変更審判を受けた場合には、「女である父」や「男である母」の存在が肯認されることとなったが、現在までの間に、このことにより親子関係等に関わる混乱が社会に生じたとはうかがわれない。これに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けるに至っている中で、性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり、その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われていることからすると、上記の事態が生じ得ることが社会全体にとって予期せぬ急激な変化に当たるとまではいい難い。
[29] 以上検討したところによれば、特例法の制定当時に考慮されていた本件規定による制約の必要性は、その前提となる諸事情の変化により低減しているというべきである。

[30](3) 次に、特例法の制定以降の医学的知見の進展を踏まえつつ、本件規定による具体的な制約の態様及び程度等をみることとする。
[31] 特例法の制定趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしてもなお法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解されるところ、その制定当時、生殖腺除去手術を含む性別適合手術は段階的治療における最終段階の治療として位置付けられていたことからすれば、性別変更審判を求める者について生殖腺除去手術を受けたことを前提とする要件を課すことは、性同一性障害についての必要な治療を受けた者を対象とする点で医学的にも合理的関連性を有するものであったということができる。しかしながら、特例法の制定後、性同一性障害に対する医学的知見が進展し、性同一性障害を有する者の示す症状及びこれに対する治療の在り方の多様性に関する認識が一般化して段階的治療という考え方が採られなくなり、性同一性障害に対する治療として、どのような身体的治療を必要とするかは患者によって異なるものとされたことにより、必要な治療を受けたか否かは性別適合手術を受けたか否かによって決まるものではなくなり、上記要件を課すことは、医学的にみて合理的関連性を欠くに至っているといわざるを得ない。
[32] そして、本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。また、前記の本件規定の目的を達成するために、このような医学的にみて合理的関連性を欠く制約を課すことは、生殖能力の喪失を法令上の性別の取扱いを変更するための要件としない国が増加していることをも考慮すると、制約として過剰になっているというべきである。
[33] そうすると、本件規定は、上記のような二者択一を迫るという態様により過剰な制約を課すものであるから、本件規定による制約の程度は重大なものというべきである。

[34](4) 以上を踏まえると、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が低減しており、その程度が重大なものとなっていることなどを総合的に較量すれば、必要かつ合理的なものということはできない。
[35] よって、本件規定は憲法13条に違反するものというべきである。
[36] これと異なる結論を採る最高裁平成30年(ク)第269号同31年1月23日第二小法廷決定・裁判集民事261号1頁は変更することとする。
[37] 以上によれば、本件規定は憲法13条に違反し無効であるところ、これと異なる見解の下に本件申立てを却下した原審の判断は、同条の解釈を誤ったものである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、その余の抗告理由について判断するまでもなく、原決定は破棄を免れない。そして、原審の判断していない5号規定に関する抗告人の主張について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

[38] よって、裁判官三浦守、同草野耕一、同宇賀克也の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。なお、裁判官岡正晶の補足意見がある。


 裁判官岡正晶の補足意見は、次のとおりである。

[1] 私は、本件規定による制約が、現時点においては過剰なものとなっており、本件規定は憲法13条に違反し無効であるとの多数意見に賛同するものであるが、本決定後の立法府の対応について、補足的に意見を述べる。
[2] 本決定により本件規定が違憲無効となることを受け、立法府において本件規定を削除することになるものと思料されるが、その上で、本件規定の目的を達成するためにより制限的でない新たな要件を設けることや、本件規定が削除されることにより生じ得る影響を勘案し、性別の取扱いの変更を求める性同一性障害者に対する社会一般の受止め方との調整を図りつつ、特例法のその他の要件も含めた法改正を行うことは、その内容が憲法に適合するものである限り、当然に可能である。
[3] 本決定を受けてなされる法改正に当たって、本件規定の削除にとどめるか、上記のように本件規定に代わる要件を設けるなどすることは、立法府に与えられた立法政策上の裁量権に全面的に委ねられているところ、立法府においてはかかる裁量権を合理的に行使することが期待される。


 裁判官三浦守の反対意見は、次のとおりである。

[1] 私は、本件規定が現時点において憲法13条に違反して無効であることについて、多数意見に賛同するが、さらに、5号規定も、同条に違反して無効であるから、原決定を破棄し、原々審判を取消して、抗告人の性別の取扱いを男から女に変更する旨の決定をすべきものと考える。以下理由を述べる。
[2](1) 私は、多数意見が引用する前掲最高裁平成31年1月23日第二小法廷決定(以下「平成31年決定」という。)において、本件規定がその当時の時点では憲法13条等に違反しないという法廷意見に賛成したが、鬼丸かおる裁判官との共同補足意見において述べたとおり、本件規定は、その当時、既に違憲の疑いが生じていた。
[3] そして、平成31年決定の法廷意見が述べたとおり、本件規定の合理性については、性自認に従った性別の取扱いや家族制度の理解に関する社会的状況の変化等に応じて変わり得るものであって、その憲法適合性については不断の検討を要するものであり、現時点においては、その後の事情も踏まえて検討する必要がある。

[4](2) 特例法2条は、性同一性障害者の定義に係る要件について、一般に認められている医学的知見に基づく診断によるものとした上で、その要件の一つとして「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」を定めているが、「身体的に」といっても、どのような範囲や程度で他の性別に適合させようとする意思を意味するかについては具体的に定めておらず、この点は、時代とともに進展する上記医学的知見を前提として、解釈に委ねるものと解される。
[5] 我が国における疾病の分類は、一般に、統計基準(統計法2条9項、28条)である疾病、傷害及び死因の統計分類(現在は、平成27年2月13日総務省告示第35号)によって行われており、これは、世界保健機関のICDに準拠している。
[6] 特例法制定当時のICD第10回改訂版においては、性同一性障害は、精神疾患に分類され、性同一性障害の下位分類のうち、性転換症は、「異性の一員として生活し受け入れられたいという願望。通常は、自身の解剖学的な性に対する不快感又は不適切感を伴い、自分の身体をできるだけ自分の好む性に合わせるために外科的治療やホルモン療法を望む。」とされていた。
[7] ICD第10回改訂版を改訂した第11回改訂版は、2019年(令和元年)5月に承認され、2022年(令和4年)1月に発効した。第11回改訂版においては、性同一性障害や性転換症という名称に代えて、性別不合という名称が採用され、性の健康に関連する状態として、精神疾患とは異なるものに分類された。そして、その下位分類のうち、青年期又は成人期の性別不合については、「自ら実感する性と指定された性との明白かつ持続的な不一致によって特徴付けられる。しばしば、その実感する性の人間として生活し受け入れられるために、「移行」を願望するが、それは、自分の身体を、望む範囲で、できる限り、その実感する性に合わせるため、ホルモン療法、外科的治療又は他の保健医療サービスによって行われる。」旨の説明がされている。
[8] ICD第11回改訂版における性別不合の示す症状及びこれに対する治療の在り方の多様性に関する認識は、アメリカ精神医学会のDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)第5版(2013年(平成25年))の性別違和に関する診断基準や、日本精神神経学会のガイドライン第4版改(第4版は平成23年、第4版改は平成30年)の性同一性障害に関する診断及び治療の指針等に示された医学的知見に沿うものと理解される。
[9] このような現在の一般的な医学的知見の下において、自己の生物学的な性別による身体的な特徴に対する不快感等の症状は多様かつ個別的なものであり、特例法2条の「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」には多様な意思が含まれるものと解される。性同一性障害を有する者の中には、必ずしも内外性器に関し他の性別に適合させることを望まないとしても、胸のふくらみ、髭、声等の第二次性徴に関し身体的に他の性別に適合させようとする意思を有する者がいることは、DSM第5版の診断基準等からも明らかであり、ICD第11回改訂版もこれを前提にするものと理解される。このような意思は、一般に認められている医学的知見を前提として、同条の上記意思に当たるものと解されるが、このような者にとっては、治療として生殖腺除去手術を含む性別適合手術を受けることを要しない。
[10] 多数意見が第2の2(3)に述べるように、本件規定に係る要件を課すことは、医学的にみて合理的関連性を欠くに至っているが、この点は、ICD第10回改訂版の下で進展し一般化してきた医学的知見に加えて、国際的に合意されたICD第11回改訂版によって裏付けられるとともに、それらを前提とする性同一性障害者の定義の解釈に照らしても、医学的な合理的関連性が認められないものとなっている。

[11](3) 地方公共団体においては、近年、いわゆるパートナーシップ制度が飛躍的に拡大している。この制度は、地方公共団体によって違いはあるものの、一般に、婚姻していない2人が生活上のパートナーである旨の宣誓の届出を受理して証明すること等を内容とする制度であり、性的指向や性自認等の点で性的少数者とされる者について、社会生活上の不利益を軽減し、人格や個性を尊重する社会の形成に資すること等を目的とする。平成27年、東京都渋谷区及び世田谷区がこれを始めた後、他の地方公共団体にも広がり、平成31年決定当時は、10程度の市区町であったが、東京都渋谷区等の調査によれば、令和5年6月28日時点において、東京都、大阪府等の14都府県を含め320を超える地方公共団体がこれを設け、これらがカバーする人口は、我が国の総人口の70%を超えているとされる。
[12] 当初は、同性の2人を対象とする制度であったが、現在は、異性の2人をも対象とする制度が一般的であり、性別変更審判等に関わらず性同一性障害を有する者の利用が広く考慮されている。さらに、最近では、パートナーシップ制度と併せて、子や親を含め、ファミリーシップ制度を設ける地方公共団体も増加している。
[13] 身近な地域社会において、このような制度が拡大し、特に大きな問題もなく運用されているとうかがわれることは、性同一性障害を有する者を含む性的少数者が、家族を形成して子育てをし、充実した社会生活を営むという、多様な家族の在り方に関する社会的状況の変化を示しているというべきである。
[14] 多数意見が第2の2(2)に述べるように、特例法の施行から約19年が経過する中で、性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり、その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われているが、パートナーシップ制度は、公的な制度という点でも、全国的な広がりという点でも、重要な意義を有するということができる。

[15](4) 平成31年決定の共同補足意見で述べた事情に加え、以上のような事情等を併せ考慮して、総合的に較量すると、現時点において、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約は、必要かつ合理的なものとはいえず、本件規定は憲法13条に違反するというべきである。
[16] そして、特例法の趣旨や、2条及び3条1項各号の規定の趣旨並びにそれらの関係等に鑑み、本件規定が違憲と判断される場合、特例法全体が無効となるものではなく、本件規定だけが無効になるものと解される。多数意見も同様に解していることは明らかである。
[17](1) 抗告人の論旨は、本件規定及び5号規定の憲法違反を内容とするものであるが、抗告人は、原審においても、両規定の違憲を主張していたところ、原決定は、本件規定を合憲と判断し、5号規定に関する抗告人の主張については判断していない。そこで、事案に鑑み、5号規定の憲法適合性についても検討することとする。

[18](2) 5号規定は、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」と規定するところ、これに該当するためには、原則として、外性器の除去術及び形成術又は上記外観を備えるに至るホルモン療法(以下、これらの治療を「外性器除去術等」という。)を受ける必要があると解される。
[19] このうち、外性器の除去術及び形成術は、生物学的な男性の場合は陰茎切除術及び外陰部形成術、生物学的な女性の場合は尿道延長術及び陰茎形成術であるが、これらの外科的治療は、生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果等をもたらす身体への強度の侵襲である。
[20] ホルモン療法は、ホルモンに関する薬剤を投与することにより、身体的に他の性別に適合させる一定の効果が生ずるものであり、他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えるという点で、相応の効果が得られる場合がある。これも、上記外科的治療より強度は低いものの、身体への侵襲である。そして、ホルモン療法は、生涯又は長期にわたって継続するものであり、精巣の萎縮や造精機能の喪失など不可逆的な変化があり得るだけでなく、血栓症等の致死的な副作用のほか、狭心症、肝機能障害、胆石、肝腫瘍、下垂体腫瘍等の副作用を伴う可能性が指摘され、さらに、原則として、糖尿病、高血圧、血液凝固異常、内分泌疾患、悪性腫瘍など、副作用のリスクを増大させる疾患等を伴わない場合に行うべきものとされること等からすると、生命又は身体に対する相当な危険又は負担を伴う身体への侵襲ということができる。
[21] したがって、このような外性器除去術等を受けることが強制される場合には、身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たるというべきである。
[22] ところで、5号規定は、性同一性障害を有する者のうち自らの選択により性別変更審判を求める者について、原則として外性器除去術等を受けることを前提とする要件を課すにとどまるものであり、性同一性障害を有する者一般に対して外性器除去術等を受けることを直接的に強制するものではない。しかしながら、外性器の除去術及び形成術を望まない場合において、ホルモン療法によって他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えるに至らないときや、現に副作用や疾患による困難があるためにホルモン療法を続けることを望まないときなど、性同一性障害の治療としては外性器除去術等を要しない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として外性器除去術等を受けることを要求するものということができる。
[23] 他方で、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況に鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。このことは、性同一性障害者が治療として外性器除去術等を受けることを要するか否かにより異なるものではない。
[24] そうすると、5号規定は、治療としては外性器除去術等を要しない性同一性障害者に対して、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を実現するために、外性器除去術等を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができ、このような制約は、性同一性障害を有する者一般に対して外性器除去術等を受けることを直接的に強制するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないというべきである。
[25] そして、5号規定が必要かつ合理的な制約を課すものとして憲法13条に適合するか否かについては、5号規定の目的のために制約が必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度等を較量して判断されるべきものと解される。

[26](3)ア そこで、5号規定の目的についてみると、5号規定は、他の性別に係る外性器に近似するものがあるなどの外観がなければ、例えば公衆浴場で問題を生ずるなど、社会生活上混乱を生ずる可能性があることなどが考慮されたものと解される。
[27] 外性器に係る部分の外観は、通常、他人がこれを認識する機会が少なく、公衆浴場等の限られた場面の問題であるが、公衆浴場等については、一般に、法律に基づく事業者の措置により、男女別に浴室の区分が行われている。このうち、公衆浴場については、浴場業を営む者は、入浴者の衛生及び風紀に必要な措置を講じなければならないものとされ、上記措置の基準については都道府県等が条例で定める(公衆浴場法3条1項、2項、2条3項)。この条例の基準は、厚生労働大臣の技術的な助言(「公衆浴場における衛生等管理要領」平成12年12月15日付け生衛発第1811号厚生省生活衛生局長通知)を受け、一般に、一定年齢以上の男女を混浴させないことや、浴室は男女を区別すること等を定めており、これらを踏まえ、浴場業を営む者の措置により、浴室が男女別に分けられている。旅館業についても同様の規制があるところ(旅館業法4条1項、2項、3条1項)、旅館業における共同浴室については、条例の基準として上記の定めがない場合も多いが、一般に、旅館業を営む者の措置により、男女別に分けられている(「旅館業における衛生等管理要領」上記厚生省生活衛生局長通知参照)。
[28] このような浴室の区分は、風紀を維持し、利用者が羞恥を感じることなく安心して利用できる環境を確保するものと解されるが、これは、各事業者の措置によって具体的に規律されるものであり、それ自体は、法令の規定の適用による性別の取扱い(特例法4条1項参照)ではない。実際の利用においては、通常、各利用者について証明文書等により法的性別が確認されることはなく、利用者が互いに他の利用者の外性器に係る部分を含む身体的な外観を認識できることを前提にして、性別に係る身体的な外観の特徴に基づいて男女の区分がされているということができる。事業者が営む施設について不特定多数人が裸になって利用するという公衆浴場等の性質に照らし,このような身体的な外観に基づく男女の区分には相当な理由がある。厚生労働大臣の技術的助言やこれを踏まえた条例の基準も同様の意味に解され(令和5年6月23日付け薬生衛発第0623号厚生労働省医薬・生活衛生局生活衛生課長通知参照)、上記男女の区分は、法律に基づく事業者の措置という形で社会生活上の規範を構成しているとみることができる。5号規定は、この規範を前提として性別変更審判の要件を規定するものであり、5号規定がその規範を定めているわけではない。
[29] これらを踏まえて検討すると、性同一性障害を有する者は社会全体からみれば少数である上、性別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による身体的な特徴に対する不快感等を解消するために治療として外性器除去術等を受け、他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えている者も相当数存在する。また、上記のような身体的な外観に基づく規範の性質等に照らし、5号規定がなかったとしても、この規範が当然に変更されるものではなく、これに代わる規範が直ちに形成されるとも考え難い。さらに、性同一性障害者は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づき、身体的及び社会的に他の性別に適合しようとする意思を有すると認められる者であり(特例法2条)、そのような者が、他の性別の人間として受入れられたいと望みながら、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせると想定すること自体、現実的ではない。これらのことからすると、5号規定がなかったとしても、性同一性障害者の公衆浴場等の利用に関して社会生活上の混乱が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。
[30] その一方で、5号規定がない場合には、性別変更審判により、身体的な外観に基づく規範と法的性別との間にずれが生じ得ることについて、利用者が不安を感じる可能性があることは否定できない。しかし、その場合でも、上記規範の性質等に照らし、性別変更審判を受けた者を含め、上記規範が社会的になお維持されると考えられることからすると、これを前提とする事業者の措置がより明確になるよう、必要に応じ、例えば、浴室の区分や利用に関し、厚生労働大臣の技術的な助言を踏まえた条例の基準や事業者の措置を適切に定めるなど、相当な方策を採ることができる。また、特例法は、性別変更審判を受けた者に関し、法令の規定の適用については、その性別につき他の性別に変わったものとみなす旨を規定するが、法律に別段の定めがある場合を除外して、その例外を予定しており(4条1項)、公衆浴場等の利用という限られた場面の問題として、法律に別段の定めを設けることも考えられる。上記混乱の可能性が極めて低いことを考え併せれば、現在と同様に利用者が安心して利用できる状況を維持することは十分に可能と考えられる。
[31] この点に関連して、5号規定がなければ、男性の外性器の外観を備えた者が、心の性別が女性であると主張して、女性用の公衆浴場等に入ってくるという指摘がある。しかし、5号規定は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づいて認定される性同一性障害者を対象として、性別変更審判の要件を定める規定であり、5号規定がなかったとしても、単に上記のように自称すれば女性用の公衆浴場等を利用することが許されるわけではない。その規範に全く変わりがない中で、不正な行為があるとすれば、これまでと同様に、全ての利用者にとって重要な問題として適切に対処すべきであるが、そのことが性同一性障害者の権利の制約と合理的関連性を有しないことは明らかである。
[32] これに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けるに至っている中で、性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり、その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われていることからすると、5号規定がなかったとしても社会的な混乱が生ずる可能性が低いことや、現在と同様に利用者が安心して利用できる状況を維持できること等については、社会全体にとってその理解が困難なものとはいい難い。
[33] 以上検討したところによれば、5号規定による制約の必要性は、現時点において、相当に低いものとなっているというべきである。
[34] なお、トイレや更衣室の利用についても、男性の外性器の外観を備えた者が、心の性別が女性であると主張して、女性用のトイレ等に入ってくるという指摘がある。しかし、トイレ等においては、通常、他人の外性器に係る部分の外観を認識する機会が少なく、その外観に基づく区分がされているものではないから、5号規定がトイレ等における混乱の回避を目的とするものとは解されない。利用者が安心して安全にトイレ等を利用できることは、全ての利用者にとって重要な問題であるが、各施設の性格(学校内、企業内、会員用、公衆用等)や利用の状況等は様々であり、個別の実情に応じ適切な対応が必要である。また、性同一性障害を有する者にとって生活上欠くことのできないトイレの利用は、性別変更審判の有無に関わらず、切実かつ困難な問題であり、多様な人々が共生する社会生活の在り方として、個別の実情に応じ適切な対応が求められる。このように、トイレ等の利用の関係で、5号規定による制約を必要とする合理的な理由がないことは明らかである。

[35](4) 次に、特例法の制定以降の医学的知見の進展を踏まえつつ、5号規定による具体的な制約の態様及び程度等をみることとする。
[36] 特例法の制定趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしてもなお法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解されるところ、その制定当時、外性器の除去術及び形成術を含む性別適合手術は段階的治療における最終段階の治療として位置付けられ、ホルモン療法はその前段階の治療として位置付けられていたことからすれば、性別変更審判を求める者について外性器除去術等を受けたことを前提とする要件を課すことは、性同一性障害についての必要な治療を受けた者を対象とする点で医学的にも合理的関連性を有するものであったということができる。しかしながら、特例法の制定後、性同一性障害に対する医学的知見が進展し、性同一性障害を有する者の示す症状及びこれに対する治療の在り方の多様性に関する認識が一般化して段階的治療という考え方が採られなくなり、性同一性障害に対する治療として、どのような身体的治療を必要とするかは患者によって異なるものとされたことにより、必要な治療を受けたか否かは外性器除去術等を受けたか否かによって決まるものではなくなり、上記要件を課すことは、医学的にみて合理的関連性を欠くに至っているといわざるを得ない。
[37] また、1(2)に述べたとおり、現在の一般的な医学的知見の下において、性同一性障害を有する者の示す症状の多様性を前提にすると、特例法2条の性同一性障害者の定義における「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」には多様な意思が含まれるものと解され、治療としては外性器除去術等を要しない場合があり、このような定義の解釈に照らしても、上記要件を課すことは、医学的な合理的関連性が認められないものとなっている。
[38] そして、5号規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、治療としては外性器除去術等を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度の若しくは相当な危険や負担を伴う身体的侵襲である外性器除去術等を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。また、前記の5号規定の目的を達成するために、このような医学的にみて合理的関連性を欠く制約を課すことは、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づいて認定される性同一性障害者を対象とすること等をも考慮すると、制約として過剰なものになっているというべきである。
[39] そうすると、5号規定は、上記のような二者択一を迫るという態様により過剰な制約を課すものであるから、5号規定による制約の程度は重大なものというべきである。

[40](5) 以上を踏まえると、5号規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が相当に低いものとなり、その程度が重大なものとなっていることなどを総合的に較量すれば、必要かつ合理的なものということはできない。
[41] よって、5号規定は憲法13条に違反するものというべきである。

[42](6) 5号規定が違憲と判断される場合、本件規定の場合と同様に、5号規定だけが無効になると解されるところであるが、本件規定及び5号規定が無効になるとすると、特例法3条1項1号から3号までに係る要件のほか、特例法2条の性同一性障害者の定義に係る要件だけが残ることになるから、特例法の趣旨等に照らし、特例法全体が無効となるのか、本件規定及び5号規定だけが無効となるのかについて更に検討する。残余の要件により性別変更審判がされるとすると、特例法の趣旨等に反することになり、司法の判断により新たな立法をするに等しく、立法権を侵害することにならないかという問題でもある。
[43] 特例法の制定趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしてもなお法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解される。そして、特例法3条1項は、性別変更審判を請求できる者の要件として、性同一性障害者であって同項各号のいずれにも該当するものと定めているが、このうち、2条に規定する性同一性障害者の定義に係る要件が全体の基本となる要件であるのに対し、3条1項各号に係る要件は、形式的にも内容的にも、それぞれ独立した個別的な要件である。
[44] このような特例法の趣旨及び規定の在り方からみて、特例法は、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有するという、その心理的及び意思的な状態を基本的な要件とし、一般的な医学的知見に基づく医師の診断によりこれらが認められる者について、法令上の性別の取扱いの特例を認めることを基本的内容とするものと解される。
[45] そして、1(2)に述べたとおり、現在の一般的な医学的知見の下において、特例法2条の「身体的に他の性別に適合させようとする意思」には多様な意思が含まれ、治療としては生殖腺除去手術や外性器除去術等を要しない場合がある上、本件規定及び5号規定は、それぞれ社会的な混乱を回避することを主な目的とし、両規定に係る身体的な状態はその原因を問わないものであることからすると、その身体的な状態が上記意思と不可分の関係にあるものとは解されない。また、特例法制定時の法律案の提案理由説明やその立法に関与した者の説明(南野知惠子参議院議員(当時)監修「解説性同一性障害者性別取扱特例法」日本加除出版(平成16年)等参照)においても、法令上の性別の取扱いの特例を認める趣旨について上記身体的な状態を不可欠の要素としたことはうかがわれない。
[46] そうすると、本件規定及び5号規定に係る要件は、特例法の趣旨及び基本的内容と不可分の関係にあるということはできず、両規定に係る身体的な状態にない者であっても、治療を踏まえた医師の具体的な診断により、特例法2条に係る心理的及び意思的な状態が認められる場合に、これを上記特例の対象とすることが特例法の趣旨に合致することは明らかである。性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることが、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益であることからすると、むしろ、両規定の違憲を理由として特例法全体を無効にすることは、立法の目的に反するというほかない。
[47] 以上に鑑みると、本件規定及び5号規定が違憲と判断される場合、両規定だけが無効となり、残余の規定に基づいて審判を行うべきものと解されるが、それは、特例法の趣旨及び基本的内容を何ら変更するものではなく、立法権の侵害というべきものでないことは明らかである。
[48] よって、本件規定及び5号規定だけが無効になるというべきである。

[49](7) なお、本件規定及び5号規定が違憲無効となる場合も、特例法2条に係る心理的及び意思的な状態について、一般的な医学的知見に基づき、治療を踏まえた医師の診断により、適正な判断が行われる必要があることはいうまでもない。
[50] この点に関し、特例法は、その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する2人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致していることを要件とし(2条)、性別変更審判の請求をするには、上記診断の結果並びに治療の経過及び結果等が記載された医師の診断書を提出しなければならないものとしている(3条2項)。この診断書の記載事項については、同項のほか、平成16年5月18日厚生労働省令第99号により定められ、さらに、同日付け障精発第0518001号厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神保健福祉課長通知により、診断書の参考様式とともに、記載要領が詳細に定められている。これらにより、診断書には、心理的に他の性別であるとの持続的な確信の有無及び自己を他の性別に適合させようとする意思の有無とそれらの根拠とともに、治療の経過及び結果について、精神的サポート、ホルモン療法、乳房切除術及び性別適合手術に区分して、それぞれ治療の期間、内容及び結果等を具体的に記載し、また、他の性別としての身体的及び社会的適合状況についても、具体的に記載することとされている。
[51] 本件規定及び5号規定が違憲無効となる場合、記載を要しないこととなる部分があるにしても、裁判所は、これまでと同様に、単に本人の主張や医師の抽象的な診断結果によるのではなく、治療の実績を踏まえた医師の具体的な診断であって、しかも、それが「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する2人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているもの」と認められる場合に限り、特例法2条の要件に該当するとの判断をする。
[52] そして、日本精神神経学会は、これまで、性同一性障害に関する医学的知見や臨床経験を踏まえた専門的な検討等を経て、医療者に対する診断及び治療の指針として、詳細なガイドラインを定め、必要に応じこれを改訂している。また、性同一性障害に関する研究の推進、知識の向上等を目的とするGID学会(性同一性障害学会)は、一定の知識と能力を備え、専門家研修会での研鑽を積んだ臨床医を認定するGID学会認定医制度を設けるなどしている。これらは、上記要件に係る医師の診断に関し、その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する医師か否か、一般に認められている医学的知見に基づき行う診断か否かについて判断する上で考慮すべき重要な事情ということができる。
[53] 以上を踏まえると、裁判所は、特例法が規定する要件について、適切な根拠に基づいて判断を行うものであり、その適正が担保されているということができる。
[54] 以上のとおり、本件規定及び5号規定は違憲無効であり、5号規定の要件該当性について判断するまでもなく、特例法の残余の要件に照らし、抗告人の申立てには理由があるから、原決定を破棄し、原々審判を取消して、抗告人の性別の取扱いを男から女に変更する旨の決定をすべきである。

[55] 私は、1に述べたとおり、本件規定の合憲性について、現時点における判断として、平成31年決定の結論を改めるものであるが、この4年余の間にも、本件規定により重大な影響を受けた者は少なくないと考えられることに鑑み、特に付言する。
[56] 特例法の一部を改正する平成20年法律第70号は、附則3項において、性同一性障害者の性別変更審判の制度については、この法律による改正後の特例法の施行の状況を踏まえ、性同一性障害者及びその関係者の状況その他の事情を勘案し、必要に応じ、検討が加えられるものとする旨を定めていた。そして、世界保健機関等による共同声明をはじめ、本件規定等の問題に関わる国の内外の見解や、諸外国の裁判例及び立法例が見られる中で、平成31年決定は、本件規定の憲法適合性については不断の検討を要する旨を指摘した。しかし、その後を含め、上記改正以来15年以上にわたり、本件規定等に関し必要な検討が行われた上でこれらが改められることはなかった。
[57] 全ての国民は、個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とするものであり、状況に応じて適切な措置を講ずることは、国の責務である。取り分け、今日、性自認や性的指向等に関係なく、あらゆる分野において平等な参加が確保されるよう、社会的な障壁を取り除き、不適切な規範や慣習に対処して、あらゆる人々が生き生きとした人生を享受することができる社会の実現が求められている(令和5年(2023年)5月20日G7広島サミットの首脳コミュニケ、2022年(令和4年)6月28日G7エルマウ(ドイツ)サミットの首脳コミュニケ等参照)。
[58] 指定された性と性自認が一致しない者の苦痛や不利益は、その尊厳と生存に関わる広範な問題を含んでいる。民主主義的なプロセスにおいて、このような少数者の権利利益が軽んじられてはならない。


 裁判官草野耕一の反対意見は、次のとおりである。

[1] 私は、本件規定を違憲無効であるとすることについては異存ないものの、本件事案に鑑みれば、5号規定についても違憲無効であるとした上で、抗告人に対して性別の取扱いの変更を認める旨の決定をすることが相当であると考えるものである。以下、そう考える理由を述べる。

[2] 5号規定が有効に存続する限り、特例法3条1項に基づき性別変更審判の申立てをする者(以下「申請者」という。)が性別の取扱いの変更を受けるためには、同人の身体が5号規定の要件を充たしていなければならない。しかるに、男性から女性への性別の取扱いの変更を求める者が5号規定の要件を確実に充たすためには、陰茎の切除と外陰部形成のための性別適合手術を受けなければならず、女性から男性への性別の取扱いの変更を求める者が5号規定の要件を確実に充たすためには、尿道延長と陰茎形成のための性別適合手術を受けなければならない(「確実に」といったのは、後記3で述べるように、これらの手術を受けなくても5号規定の要件を充足し得る場合があるとする見解があるためである。)。しかるに、これらの手術はそれ自体が申請者に恐怖や苦痛を与えるものであり、加えて、これらの手術を受ける者は感染症の併発その他の生命及び身体に対する危険を甘受しなければならない。

[3] 「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益」は、多数意見が指摘するとおり、重要な法的利益である。そうである以上、既に特例法が存在するにもかかわらず申請者がこの利益を享受するためには上記の如き手術を受けなければならないとすることは憲法13条が保障している「身体への侵襲を受けない自由」の制約に当たるといえる。したがって、5号規定が合憲であるというためには、5号規定が上記の自由を制約していることの目的(以下、単に「制約目的」という。)に正当性があり、かつ、その目的を達成するために5号規定が選択した手段が制約目的に照らして相当なものといえることが必要である。そこで、以下、これらの点について順次検討を加える。

[4](1) 5号規定の制約目的としては、一般に、公衆浴場等で社会生活上の混乱が生じることを回避するためなどと説明されることが多いが、5号規定が申請者にもたらす不利益との比較を行うためにはこれをできる限り自然人の享受し得る具体的利益に還元した表現を用いるべきである。この点から考えると、5号規定の制約目的は「自己の意思に反して異性の性器を見せられて羞恥心や恐怖心あるいは嫌悪感を抱かされることのない利益」(以下、この利益を(読みやすさを考慮して常にかぎ括弧を付けたままで)「意思に反して異性の性器を見せられない利益」という。)を保護することにあると捉えることが適切であろう。しかるに、性器を公然と露出する行為が刑法174条の罪(公然わいせつ罪)に当たることは確立された判例となっており、一定の区域内において性器を露出することが例外的に許容されている施設の代表である公衆浴場においても公衆浴場法の委任を受けた各地方公共団体の条例が、浴室等を性別によって区別すべきことを定めてきた。これらの事実に鑑みれば、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」は尊重に値する利益であり、これを保護せんとする5号規定の制約目的には正当性が認められる。

[5](2) そこで、問題は、上記の制約目的を達成するために選択した手段(5号規定)が、上記の制約目的に照らして、相当であるといえるか否かということになる(以下、いわゆる目的手段審査のうち、手段の相当性に関する問題を「相当性問題」という。)。
[6] 相当性問題についての判断を下すに当たりいかなる判断枠組みを用いるべきかについては講学上様々な見解がある。しかしながら、相当性問題の実質は、共通の指標によって大小を計ることができない関係者間の利益を比較衡量することであるところ、かかる比較衡量を普遍的ないしは類型的に行い得るような判断枠組みがアプリオリに存在するとは考え難く、相当性問題を考えるに当たって採り得る最善の思考方法は、結局のところ、判断の相当性を最も明確に示し得る視点を試行錯誤的に模索し、その結果として発見された「最善の視点」に立って問題を論じ判断を下すことであるように思える。そして、本事件において用い得る「最善の視点」は、5号規定が合憲とされる場合に現出されるであろう社会(以下「5号規定が合憲とされる社会」という。)と5号規定を違憲としてこれを排除した場合に現出されるであろう社会(以下「5号規定が違憲とされる社会」という。)を比較し、いずれの社会の方が、憲法が体現している諸理念に照らして、より善い社会であるといえるかを検討することであろう。

[7] 最初に、5号規定が合憲とされる社会について考える。この社会においては、特例法上の性別の取扱いの変更を受けるための要件のうち5号規定の要件以外は全て充たしているが5号規定の要件は充たしていない申請者(以下「5号要件非該当者」という。)は、性別変更審判を受けることができない。したがって、5号要件非該当者は、公衆浴場等の施設において、性別によって区別されていて、自己の生物学的な性別と異なる性別の者については性器を露出したままで行動することが許容されている区域(以下「許容区域」という。)に入場することが許されず、その結果、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が5号要件非該当者によって損なわれる事態は起こり得ない。他方、5号要件非該当者が性別の取扱いの変更を確実に受けるためには性別適合手術を受けなければならないのであるから、5号要件非該当者は、身体への侵襲を受けない自由の侵害を甘受するか、あるいは、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益の享受を断念するかしかない。これを要するに、5号規定が合憲とされる社会は、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が5号要件非該当者によって損なわれることがおよそ起こり得ないという点において、たしかに静謐な社会であるといえるが、その静謐さは5号要件非該当者の自由ないし利益の恒常的な抑圧によって購(あがな)われたものにほかならない。
[8] なお,性同一性障害者はホルモン療法を相当の期間にわたって受けるなどすることによって自己の性器についても外形上顕著な変化が生ずる可能性があるところ、性別適合手術を受けずとも、このような顕著な変化をもって5号規定の要件を充足し得る場合もあるとする見解があるが、そのような変化が生ずる者がいるとしても、そうではない5号要件非該当者の自由ないし利益に対する恒常的抑圧が続くことに変わりはない。

[9] 次に、5号規定が違憲とされる社会について考える。この社会については、性別の取扱いの変更を受けた5号要件非該当者(以下、文脈上明らかである場合には、このような限定的意味で「5号要件非該当者」という言葉を用いることとする。)が許容区域に入場することによって当該許容区域の他の利用者が有している「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる事態が発生するのではないかとの懸念を抱く者がいるであろうことは理解し得るところである。しかしながら、ここにおいては二つの点に留意が払われなければならない。
[10] 第一に留意すべきことは、公表されている調査結果等によると、我が国の全人口に占める性同一性障害者の割合は非常に低く、その中でも(身体的特徴を他の性別のものと適合させたいとの気持ちから進んで性別適合手術を受ける性同一性障害者も少なくないであろうから)5号要件非該当者に当たる者はさらに少ない上に、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が尊重されてきた我が国社会の伝統的秩序を知りながらあえて許容区域に入場し、そこで自らの性器を他の利用者に見えるように行動しようとする者はもっと少なく、存在するとしても、ごく少数にすぎないであろうという点である。この点に鑑みるならば、以下に述べる点を措いて考えたとしても、5号要件非該当者によって許容区域利用者の「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる事態が発生する可能性はそもそも極めて低い。
[11] 第二に留意すべきことは、全ての許容区域は、これを公衆の用に供することを業として行う者の管理下にあるという点である。したがって、5号規定が違憲とされる社会に直面した許容区域の管理者は、①厚生労働大臣が各地方公共団体にする技術的助言及びこれを踏まえた許容区域の性別区分を定める諸条例においていうところの「男女」の解釈(なお、現行の上記技術的助言(令和5年6月23日付薬生衛発0623第1号)は「男女」の区分は専ら身体的な特徴によってなされるべきであるとしている。)や、②当該許容区域の利用者の意見等を勘案した上で、5号要件非該当者の当該許容区域への入場を禁止するか、許容するか(日時や曜日を限って入場を許容することなども考えられる。)、あるいは、その中間的な措置を講ずるか(無償又は有償で貸与する水着を着用することを条件として入場を許容することなども考えられる。)、いずれにせよ何らかのルールを利用規則として定める必要に迫られることになるであろう。しかるに、利用者間のトラブルの発生を未然に防止しつつより多くの利用者が満足し得るサービスを提供することは、許容区域の円滑な経営や適切な運営管理という観点からも許容区域の管理者が満たすべき喫緊の要請であるはずであるから、あらゆる許容区域の管理者は、5号要件非該当者の利用に関する当該許容区域の利用規則を定めるに当たっては、利用者が有している「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれることのないよう細心の注意を払うとともに、定められた利用規則の内容を当該許容区域の利用者に周知徹底させるよう努めることが期待できる。この結果、許容区域の利用者の「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる可能性はさらに低くなるであろう。
[12] 以上を要するに、5号規定が違憲とされる社会であっても、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる可能性は極めて低く、一方、この社会においては5号要件非該当者に性別適合手術を受けることなく性別の取扱いの変更を受ける利益が与えられるのであるから、同人らの自由ないし利益に対する抑圧は(許容区域への入場が無制限に認められるわけではない以上「完全に」とはいえないまでも)大幅に減少する。
[13] なお、5号規定が違憲とされる社会においては、5号要件非該当者による許容区域の利用規則の有り様(よう)についての諸見解が、様々な公共空間において議論の対象となることが予想されるところ、そのような議論の結果によっては、追加的な立法措置や新たな司法判断により、5号要件非該当者とそれ以外の国民のいずれか又は双方の自由と利益に関して、上記に述べたものとは(もとより憲法上許容される限度においてではあるが)若干異なる事態が現出する可能性がないとはいえない。そして、この可能性がある点において、5号規定が違憲とされる社会は、5号規定が合憲とされる社会と比べるといささか喧(かまびす)しい社会であるといえるかもしれない。しかしながら、この喧(かまびす)しさは、5号要件非該当者とそれ以外の国民双方の自由と利益を十分尊重した上で、国民が享受し得る福利を最大化しようとする努力とその成果と捉え得るものである。

[14] 以上によれば、5号規定が違憲とされる社会は、憲法が体現している諸理念に照らして、5号規定が合憲とされる社会に比べてより善い社会であるといえる。よって、5号規定の制約手段は5号規定の制約目的に照らして相当なものであるとはいえず、5号規定は本件規定と同様に違憲であると解するのが相当である。そして、抗告人が本件規定と5号規定を除く特例法上の要件を充たしていることは一件記録上明らかであるから、原決定を破棄した上で本件申立てを認める旨の決定を下すことが相当であると思料する次第である。


 裁判官宇賀克也の反対意見は、次のとおりである。

[1] 私は、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約は必要かつ合理的なものということはできず、本件規定が違憲であるとする点については、多数意見に全面的に同調する。多数意見が述べるように、現在では、生殖腺除去手術は、治療の最終段階ではなく、基本的に本人の意思に委ねられる治療の選択肢の一つにすぎなくなっているのであるから、生殖腺除去手術は、医学的観点から必要性が肯定されることに加えて、本人の真の同意がある場合に限り認められるべきといえよう。したがって、医学的必要性の有無にかかわらず、また、本人が生殖腺除去手術を受けることを望んでいるかを問わず、生殖腺除去手術を受けなければ法的性別の変更を認めない制度は、自認する性別と法的性別の不一致により多大な不利益を受けている者に、法的性別を自認する性別と一致させるために生命・身体への危険を伴う生殖腺除去手術を受けることを選択するか、危険を伴う生殖腺除去手術を回避するために自認する性別と法的性別の不一致に伴う社会生活における様々な不利益を甘受するかという過酷な二者択一を迫ることになる。そして、本件規定は、生殖腺除去手術を受けない者は真正の性同一性障害者ではないという、医学的根拠のない不合理な認識を醸成してしまうおそれがあると思われる。
[2] 本件規定が設けられた主たる理由は、生殖能力を残存させたまま法的性別の変更を認めた場合、女である父、男である母が生じ得ることとなって、社会的混乱が生ずることであるが、多数意見が指摘するように、平成20年改正により、既に成人の子がいる場合には、女である父、男である母の存在が法的に認められており、同改正から15年以上を経過した今日において、そのことによって社会的混乱が生じているとは認められない。また、法的な観点とは別に、外見上は男性である者が子を出産する事態はあったとしても極めてまれであるのみならず、それは法的性別の変更如何と関わりなく生じ得る事態であり、本件規定には、かかる事態を防止する意義が認められない。さらに、性同一性障害者がホルモン療法や生殖腺除去手術の前に精子や卵子を凍結保存し、性別変更後にそれを利用して子をもうけることが医学的に可能になっているが、そのような事態は生ずるとしても極めてまれであるのみならず、本件規定によってかかる事態を防止することはできないから、その点においても、本件規定の存在意義は認められない。
[3] そもそも、性同一性障害者は、法的性別の変更によって、突然、自認する性別による生活を開始するわけではなく、ホルモン療法等によって外見上の性別が変化し、さらに家庭裁判所の許可を得て名の変更を行い、外見も名も自認する性別に合致した生活をしているのが一般的であると考えられる。したがって、外見や名からうかがわれる性別と法的性別が不一致であることの方が、社会的混乱を招くことが少なくないように思われる。

[4] 本件規定は、生殖に関する自己決定権であるリプロダクティブ・ライツの侵害という面においても重大な問題を抱える。この点については、前掲最高裁平成31年1月23日第二小法廷決定の共同補足意見においても、性別適合手術による卵巣又は精巣の摘出が、生命ないし身体に対する危険を伴うとともに、生殖機能の喪失という重大かつ不可逆的な結果をもたらすと指摘されていたところである。リプロダクティブ・ライツも、憲法13条により保障される基本的人権と解してよいと思われるところ、自認する性別と法的性別を一致させるために、自己の生殖能力を喪失させる生殖腺除去手術を不本意ながら甘受しなければならないことは、過酷な二者択一を迫るものであり、リプロダクティブ・ライツに対する過剰な制約であると考える。
[5] リプロダクティブ・ライツについては、身体への侵襲を受けない自由とは別に保障されていると解することもできるが、身体への侵襲を受けない自由に包摂されるという理解もあり得ると思われる。すなわち、2011年(平成23年)、ドイツの連邦憲法裁判所は、性別取扱いの変更について生殖能力喪失を要件とする規定を違憲であると判示したが、そこでは、人間の生殖能力は、基本法2条2項によって保護されている身体不可侵の権利の要素であると述べられている。

[6] 私見によれば、身体への侵襲を受けない自由のみならず、本件のように、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、幸福追求にとって不可欠であり、憲法13条で保障される基本的人権といえると思われる。身体への侵襲を受けない自由との関連で問題になるのは本件規定及び5号規定に限られるが、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利が憲法13条により保障された基本的人権であるとすれば、特例法3条1項の他の規定に関しても、基本的人権への制約が許されるかが問われることになる。
[7] 性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利が憲法上の権利として認められるという見解は、我が国の学説において有力であるのみならず、海外においても、国際人権法上又は憲法上、かかる権利が保障されるという考え方は、相当に有力であるといってよいと思われる。すなわち、2011年(平成23年)に、ドイツの連邦憲法裁判所は、性別適合手術を性同一性障害者による法的性別の変更のための要件とすることは違憲であると判示したが、その理由として、(i)基本法2条2項によって保障される個人の身体的不可侵性に対する過剰な制約、及び(ii)人間の尊厳を定める基本法1条1項及び人格の自由を定める基本法2条1項によって保障される基本的人権の過剰な制約、の2点を挙げている。後者の(ii)について、ドイツ連邦憲法裁判所は、人間の尊厳は、人格の保護を求める基本的人権と結合し、自己の性自認の法的な承認を要求すると判示している。また、2017年(平成29年)に、欧州人権裁判所は、法的性別の変更に生殖不能要件を課すことは、欧州人権条約に違反するとしたが、そこにおいては、性同一性障害者の性自認に従った法的性別への変更に生殖不能要件を課すことは、身体的完全性の権利の侵害のみならず性的アイデンティティの権利の侵害についても、欧州人権条約に違反すると判示している。
[8] 性自認は多様であるので、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益といっても、その外延が明確性を欠くという議論はあり得るが、特例法2条が定義する性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益に限れば、その外延は必ずしも不明確とはいえないと思われる。また、いささかでも外延が不明確であれば、憲法13条後段に基づく新しい基本的人権として認めないという考えをとれば、憲法に列挙されていない新しい基本的人権はおよそ考え難いことになる。当審がこれまで憲法13条後段に基づく新しい基本的人権として明確に認めた「みだりにその容ぼう・姿態(…)を撮影されない自由」(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決・刑集23巻12号1625頁)、「みだりに指紋の押なつを強制されない自由」(最高裁平成2年(あ)第848号同7年12月15日第三小法廷判決・刑集49巻10号842頁)、「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」(最高裁平成19年(オ)第403号、同年(受)第454号同20年3月6日第一小法廷判決・民集62巻3号665頁)にしても、いずれも「みだりに」という不確定概念が用いられており、何が「みだりに」に当たるかは決して一義的に明確ではなく、その外延をめぐり学界で多様な議論があり、また、訴訟で争われることがあることは周知のとおりである。さらにいえば、憲法13条以外で規定された基本的人権も、表現の自由や信教の自由を考えれば明らかなとおり、決してその外延は明確ではなく、憲法学者の研究の大部分は、憲法上基本的人権として明記された権利の外延についての様々な解釈の優劣に関するものといってよいと思われる。検索エンジンやSNSの登場によって、表現の自由の外延について新たな議論が必要になったように、技術の進展等を含む社会情勢の変化に伴い、基本的人権の外延は変動の可能性を伴うのであり、変動する外延を確定していく努力は、判例や学説に委ねざるを得ないであろう。また、性自認が多様であり得ることは、日本に固有の事情ではないにもかかわらず、ドイツの連邦憲法裁判所や欧州人権裁判所が、前述のように、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利を基本的人権として承認したことも、外延を完全に明確にできないからといって基本的人権としての承認を拒むのではなく、コアの部分を基本的人権として認めた上で、その外延をより明確化する作業は、その後の判例や学説に委ねるという立場をとったものと思われる。
[9] そして、自認する性別と生物学的な性別が一致する者が誤って自認する性別と異なる性別を戸籍に記載され、その訂正が許されず、生涯、自認する性別と異なる法的性別を甘受しなければならない状況を想像すれば、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益が人格的生存にとって不可欠であることについて、大方の賛同を得られると思われる。さらに、性別変更審判が認められた例は、累計で1万件を超えているが、それによって社会的な混乱が生じていることはうかがわれず、また、特例法に基づく法的性別の変更が記載される戸籍は、一般に公開されないものであり、通常は既に変更されている外見や名に合致した法的性別に変更するものである以上,他者の権利侵害が、性同一性障害者の法的性別の変更に伴って生ずるとは考え難い。したがって、性同一性障害者が性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益は、憲法13条によって保障されると考えてよいと思われる。

[10] 抗がん剤の投与等によって生殖腺の機能が永続的に失われているような特別の事情がある場合には生殖腺除去手術なしに生殖能力が失われることによって本件規定の要件を充足する場合があり得る。5号規定についてもホルモン療法等によって手術をすることなくその要件を満たすことはあり得る。女性から男性への性別変更審判を受けた者については、そのような例が多いという調査結果も存在する。もっとも、5号規定についても、男性から女性への性別変更審判を求める者の場合には通常は手術が必要になるところ、その手術も、身体への侵襲の程度が大きく、生命・身体への危険を伴い得るものである。また、5号規定の要件を充足するための手術は不要な場合であっても、当該要件を満たすために行われるホルモン療法も、重篤な副作用が発生する危険を伴うものである。したがって、5号規定も、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける権利と身体への侵襲を受けない自由との過酷な二者択一を迫るものであることは、本件規定の場合と異ならないといえる。他方において、5号規定を廃止した場合に社会に生じ得る問題は、もとより慎重に考慮すべきであるが、三浦裁判官、草野裁判官の各反対意見に示されているとおり、上記のような過酷な選択を正当化するほどのものとまではいえないように思われる。したがって、私は、5号規定も、本件規定と同様に違憲であるとする点で、三浦裁判官、草野裁判官の各反対意見に同調する。
[11] そして、抗告人が本件規定及び5号規定以外の特例法の要件を充たしていることは明らかであるから、原決定を破棄し、本件申立てを認める旨の自判をすべきものと考える。

(裁判長裁判官 戸倉三郎  裁判官 山口厚  裁判官 深山卓也  裁判官 三浦守  裁判官 草野耕一  裁判官 宇賀克也  裁判官 林道晴  裁判官 岡村和美  裁判官 長嶺安政  裁判官 安浪亮介  裁判官 渡邉惠理子  裁判官 岡正晶  裁判官 堺徹  裁判官 今崎幸彦  裁判官 尾島明)
[1] 特別抗告人は,女性であるにも関わらず,法律上の性別取扱いが女性とされず,そのために社会生活上の人格的自律が脅かされている。
[2] 特別抗告人が,女性としての社会生活上の人格的自律を実現するためには,性別取扱いの一致が人権であるとして,最高裁判所がこれを救済してくれることを頼むよりほかない。
[3] 特別抗告人は,身体の状況や医療や健康についての悩みがあるなら,医療機関や医師への救済を求める。しかし,特別抗告人の悩みは,女性であるにも関わらず,法律に基づく社会制度が,特別抗告人を女性として扱わないという,法的な問題である。
[4] 特別抗告人にとって,本件特別抗告申立は,社会のためでもなく,他人のためでもない,自分自身の社会的存在としての人格の尊厳を維持するためのものである。
[5] 特別抗告人は確定的に,特別抗告人は自身を「女性である」という自覚と認識を持っている。そして特別抗告人は,他人からどのように見られるかという容貌や服装も含めて女性としての社会生活を送っている。すなわち特別抗告人は,内面においても日常生活においても常に女性である。
[6] 特別抗告人は「女性になりたい男性」でもなく,ましてや「女性のような男性」でもない。特別抗告人は人格として女性なのである。特別抗告人への「あなたの性別は?」という問いに対する答えは,「私は女性です」という答えしかないのである。
[7] だから特別抗告人は,「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず,心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち,かつ,自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって,そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているもの」として性同一性障害の診断を受けている(甲1号証)。
[8] 特別抗告人は人格として女性である。しかし特別抗告人は,出生時の身体的特徴に表徴される生物学的な性別に基づく出生届の結果,法律上の性別取扱いが「男性」とされている。そのため,特別抗告人は女性であるにも関わらず,女性として法律上の性別取扱いがされない状況にある。
[9] 特別抗告人は女性であるにも関わらず,戸籍の続柄欄には「長男」と記載され,そして恋人たる男性と結婚を誓い合っても,婚姻届を提出し法律上の夫婦となることができなかった(甲3号証)。
[10] さらに特別抗告人は,公的書類の性別記載が「男性」となっていることから,職場や学校などの私的関係においても,「女性なのになぜ書類上は男性となっているのか?」ということを問い質されるほか,場合によっては人格と不一致な性別である「男性」として取り扱われるという不利益を受けている。
(1) 自分の性別で扱われないことについて
[11] 特別抗告人は,人格として女性であるにも関わらず,女性として取り扱われない。女性として取り扱われないということは,その裏返しに特別抗告人は「男性」としてしか取扱われないということである。
[12] 特別抗告人に限らず,自分自身の性別での取扱いが拒否され,そして自分自身の性別と異なる性別でしか取扱いわれない社会生活は,人格的自律が脅かされることである。

(2) 性別の自覚はどのように形成されるか
[13] 例えばこの特別抗告理由書を読む裁判官が男性だとする。その裁判官は,なぜ今,自分を男性だと自覚しているのか。
[14] それは,出生届に親が「男性」と記載したから「男性」と自覚するとか,出生時に生物学的男性を表徴する外性器を有していたから「男性」と自覚するというものではない。
[15] それら出生時の出来事は端緒に過ぎない。新生児期,乳児期,幼児期,少年期,青年期と成長に伴う人格形成の過程で,自分と他者(家族)と関わりを中心に,人にはそれぞれ「性別」があることを知り(お母さんは女,お父さんは男,お姉ちゃんは女,お祖父ちゃんは男など・・・),そこから社会における「性別」という概念を覚知する中で,自分自身の性別の自覚が形成される。
[16] だからこそ自分自身の性別というのは,人格としての性別なのである。少なくとも自分の性別というのは,何かあるとき「よし!私は戸籍の続柄で長男と書いてあるから男と認識するぞ!」と思って,自覚するものではない。
[17] それは,裁判官も特別抗告人も全く同じである。特別抗告人も,同じような人格形成の過程で,「自分は女性である」という自覚を形成してきたのである(甲1号証,甲3号証)。

(3) 自覚する性別と異なる取扱いをされることの切実な状況
[18] ところが,もしその男性裁判官が,社会生活で何かにつけ「あなたは男性ではない。むしろあなたは女性である」と他人から言われ,制度から強制されたら,どうであろうか。
[19] その裁判官において形成された人格としての性別は男性である。にも関わらず,男性としての権利が保障されず,男性としての法律上の性別取扱いもされず,さらには公的関係でも私的関係でも,「男性ではない(すなわち女性である)」という扱いがされる。
[20] 男性として,男性用の便所や浴場を使用することを拒否され,男性としての服装や髪型を選択し決定することが批難され,さらには「男性の裁判官たる甲野一郎」として職務を遂行することに疑問が呈せられ,「男性の甲野一郎」として巡り会った最愛の女性と婚姻届を出して法律上の夫婦となることも禁止される。
[21] 確定的に女性としての自覚が確立しているということから性同一性障害と専門の医師から診断されているにも関わらず,法律上の性別取扱いとして「男性」として取り扱われる特別抗告人の社会生活状況というのは,まさにこれと同じである。
[22] 自分自身の性別での取扱いが否定されることは,社会生活における人格的自律の否定である。
[23] 特別抗告人は,いち人格として女性であるにも関わらず,法律上は女性として取扱われず,その結果,女性として安定した社会生活を送ることに支障が生じ,最愛の男性と婚姻届を出して夫婦になるという,女性として保障された婚姻する権利(憲法第24条)の実現すら拒否されている(甲3号証)。
[24] 特別抗告人に隕らず,自分自身の人格としての性別のとおりの,法律上の性別取扱いがされないこと,性別取扱いに不一致があることは,常に社会生活上の人格的自律を脅かされていることである。
[25] 自分自身の人格としての性別と,法律上の性別取扱いを一致させることは,社会生活における人格的自律に不可欠な基本的人権として憲法第13条で保障される(以下「性別取扱いを一致させる権利」という)。
[26] 性同一性障害特例法は,性同一性障害と診断される者について,基本的人権としての性別取扱いを一致させる権利を実現し保障する立法である。
[27] 性同一性障害という診断を受けていない者には,もとより性別取扱いを一致させる権利は,欠けることなく保障されている。しかしそれは,生まれたときの身体的特徴に表徴される生物学的性別から,それに基づく出生届や戸籍の記載,さらには家族や周囲から接せられる性別と,自分自身の人格形成の中で自覚に至った性別が,偶々一致していたからというに過ぎない。
[28] 参考事例として,京都地方裁判所平成29年5月16日の和解勧告(平成27年(ワ)第4092号)を提出する(附属書類1)。
[29] この事案は,本件特別抗告人と同じく性同一性障害と診断される女性(法律上の性別取扱いは男性とされている)が,民間のスポーツクラブで男性としての取扱いを強制されたというものである。
[30] この和解勧告において裁判所は「自らの性自認を他者から受容されることは,人の生存に関わる重要な利益である。性自認に従った取扱いを求めることは尊重されるべきであり,契約上のサービスを受ける場においても,性自認に従った取扱いを求めたことのみを理由として,冷遇されたり排除されたりすることがあってはならない」と教示する。
[31] 一見するとこの和解勧告の教示は,性同一性障害と診断される者について,本人が自覚する性別を尊重されることが,重要な人格的利益であると確認するように読める。しかし,よく考えれば,この和解勧告が教示する「自らの性自認を他者から受容されること」という重要な人格的利益は,性同一性障害と診断されていない性別の不一致がない者については,そもそも何の配慮をせずとも,24時間365日ずっと尊重され確保し保障されているのである。
[32] 自覚する性別が尊重されること,ひいては性別の不一致が解消され,性別取扱いを一致させる権利が保障されることは,性同一性障害と診断される者に対する特別な恩典なのではない。それは,もとより他の者には,当たり前に欠けることなく保障されている人権なのである。
[33] 性同一性障害特例法は,性同一性障害と診断される者について,基本的人権である性別取扱いを一致させる権利を回復させる立法なのである。
[34] 性同一性障害特例法による性別取扱変更の審判は,基本的人権である性別取扱いを一致させる権利を回復するためのものである。重要な人権を回復するための審判の負担,つまり審判の要件は,必要最低限のものでなければならない。
[35] 性別取扱いを一致させる権利により確保される人格的利益との均衡を欠くような過大な負担となる要件は,憲法第13条に違反する。
[36] また性同一性障害と診断されない者には,およそ課せられない過大な負担を要件とすることも,憲法第14条1項の法の下の平等に反する。
[37] 性同一性障害特例法に基づく審判が確定すると,審判に基づき戸籍の続柄欄の記載が変更される。戸籍は個人単位ではなく,夫婦や親子の「家族」単位で編綴されているから,戸籍の記載の変更は,特別抗告人のみならず,兄弟姉妹そのほか親族の戸籍の続柄欄の記載の変更にも及ぶ。
[38] そのような戸籍制度の枠組みに照らせば,行政手続のみで戸籍の続柄欄の変更が容易にされると,戸籍における親族関係の公証機能や,実体法としての身分関係の把握も困難となる。
[39] しかし一方で,性同一性障害と診断される者は,まさにその戸籍の続柄の記載のために,社会生活上の人格的自律が脅かされる状況にある。
[40] そうすると,裁判所は,戸籍の記載の変更に伴う戸籍制度の安定や公証機能への社会や身分法上の影響が,当事者の性同一性障害による性別取扱いの不一致による不利益の解消による利益よりも大きいと判断される場合以外は,法律上の性別取扱いを認める審判をするべきである。
[41] この点,現行の性同一性障害特例法第3条1項4号及び5号は,もっぱら当事者の身体に関することであり,戸籍制度とは直接に関係のない事項である。しかも,後述するとおり,これら要件は,そもそも法律上無意味といわざるを得ず,しかも外科手術という多大な負担を本人に強いるものであるところ,性別取扱いを一致させる権利の回復という審判の目的との均衡を欠く。
(1) 性同一性障害特例法第3条1項4号について従来されてきた説明
[42] 性同一性障害特例法第3条1項4号は,生殖腺を永続的に欠くことあるいは,永続的に欠くと言える状態にあることを求める。この要件を必要とする理由は,生殖腺を維持した状態で,性別取扱いの変更後に生殖が起こった場合,生まれた子どもの法律上の地位が不安定になり,身分法秩序や社会に混乱を生じさせる懸念があるからなどと説明される。

(2) 生殖腺を維持した場合でも法律上の問題は生じないこと
[43] しかし,すでに抗告理由書でも指摘したとおり,仮に性別取扱い変更後に,生まれながらの生殖腺に基づく生殖が生じたとしても,法律上の問題は生じない。
[44] 例えば,本件特別抗告人が生殖腺たる精巣を維持したまま,法律上の性別取扱いが女性となったとする。そうすると法律上は女性として取り扱われる特別抗告人の精子に基づいて,生殖(人為的なものも含めて)が,将来どこかで起こり,それにより特別抗告人との間で,遺伝的血縁ある子が生まれる可能性はある。
[45] そのとき特別抗告人が,子を出産した女性と法律上の婚姻関係にあれば民法第772条の父子関係の推定により,出生した子の法律上の「父」となるが,特別抗告人の法律上の性別取扱いが女性である以上,特別抗告人が女性と婚姻関係を結んでいる可能性はゼロである。
[46] そうすると,特別抗告人が民法第779条の認知により法律上の「父」となることができるかどうかという問題を検討するだけである。この点,法律上の性別取扱いが女性となった者が,認知により「父」となることは,すでに現行の法制度においても許容されている。
[47] 例えば,今,特別抗告人が自身の精子に基づく人為的生殖をし,婚姻関係にない女性が遺伝的な意味での特別抗告人の「子」を出産するとする。しかし特別抗告人が認知をすることなく,その後に生殖腺の切除等の手術を受け,現行の性同一性障害特例法に基づく性別取扱いの変更の審判を受けたとする。そして,先に生まれた子が,DNA鑑定等に基づく遺伝的血縁関係の裏付けをもって,法律上の性別取扱いが女性となった特別抗告人に対して,認知を求めるとする。
[48] そのような場面では,遺伝的血縁関係が認められるから,特別抗告人が「女性」であっても,審判により特別抗告人と子の間の父子関係が創出される。これにより子の法律上の身分は安定する。
[49] このように,すでに現行の性同一性障害特例法によっても,想定内の問題が生じるだけに過ぎないのであるから,性別取扱いの変更後に生殖が起こった場合,生まれた子どもの法律上の地位が不安定になり,身分法秩序に混乱を生じさせるという懸念はまったくあたらない。

(3) 性別取扱変更の社会への影響は生殖腺の有無とは関係がないこと
[50] また,性別取扱変更による社会への影響は,生殖腺の有無とは関係はなく,社会を混乱させるものではない。
[51] 現行の性同一性障害特例法により性別取扱変更の審判を受けた男性が,女性と婚姻関係を形成し,第三者の精子提供により妻が産んだ子の法律上の父となっている事例は多くある。
[52] このような事例はいってみれば「生殖腺を永続的に欠く」ことが裁判所により確認されているにも関わらず,法律上は「生殖が生じた」ことと同じ状況が生じているのである。
[53] しかし最高裁判所は,生物学的には「生殖が生じない」場合でも,法律上の「生殖が生じる」ことについては,積極的にこれを肯定している(最高裁平成25年12月10日第三小法廷決定)。最高裁判所自身が,生物学的な自然血縁関係や生殖能力と,法律上の親子関係の不一致を認めており,それを「社会の混乱」などとは評していないのである。
[54] これは最高裁判所自身が,当人の生殖腺の有無が,性同一性障害特例法による法律上の性別取扱変更の社会への影響と無関係と認識しているからである。
(1) 性同一性障害特例法第3条1項5号について従来されてきた説明
[55] さらに性同一性障害特例法第3条1項5号は「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」として,生来の生物学的性別と異なる性別を表徴する外性器様の部位を,造形する形成外科手術を審判の要件としている。
[56] この要件は,「外性器の外観の異動による社会的混乱を避けるため」というような説明がされいる,いわば社会的要件である。すなわちもとより法律的な意味が乏しい要件である。

(2) 第3条1項5号を厳格な要件としない家庭裁判所の審判実務
[57] 原審判から説明してきたとおり,性同一性障害の医療支援について実績がある医師が平成19年の時点ですでに,性同一性障害特例法第3条1項5号の要件を満たさないまま,性別取扱い審判がされていることを報告している(甲10号証)。
[58] このような家庭裁判所の実務運用は,男性としての性別取扱いを求める審判において顕著であるようだが,現行の性同一性障害特例法は,もとの生殖腺や外性器が生物学的な男性型か女性型かは区別していない。
[59] 性同一性障害特例法第3条1項5号の要件を厳格なものとしない家庭裁判所の実務運用は,特別抗告人のように,女性としての性別取扱いを求める者についても,同じように適用されるべきである。
[60] 男性としての性別取扱いを求める審判についてのみ,性同一性障害特例法第3条1項5号の要件を緩和するという運用は,憲法第14条1項の列挙事由に反する不平等な法適用を,家庭裁判所がしているとことにもなる。
[61] この実務運用に照らせば,性同一性障害特例法第3条1項5号の要件は,もはや無意味な要件である。

(3) 外性器の形状による社会の混乱は現実には生じていないこと
[62] いずれにせよ前記(2)のとおり,すでに何年にもわたり,家庭裁判所の実務運用として,性同一性障害特例法第3条1項5号の要件を満たさない者に対する,性別取扱変更の審判がされている。
[63] その結果,「性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていない」状態,つまり「陰茎(おちんちん)や陰嚢及び睾丸(きんたま)がない」状態で「男性」としての法律上の性別取扱いがされる者が,現実に多く社会生活を送っているということである。
[64] しかし社会的混乱は生じていない。人は何も外性器の形状だけをたよりに,性別についての人格を形成し,特定の性別に基づいて他者と関わっているわけではないのだから,混乱がないのは当然である。
[65] もちろん,入浴や排泄など,外性器を外に露出する場面,あるいは性行為においては,外性器の形状と外性器が表徴する性別が問題となることもある。しかし,それについて他者がそのときどのように感じるか,あるいは周囲がそれをどのように捉えるかという社会的な問題である。そもそも戸籍の記載等,主として書類上の文字情報等の問題である法律上の性別取扱いを,外性器の形状と結びつける問題とすることが不合理である。
[66] 現に特別抗告人は,女性としての浴場や便所の利用において問題がまったく生じておらず(むしろ男性用の浴場や便所を利用するほうが社会的混乱が生じると考えられる),その事実に照らしても,外性器の形状による社会の混乱が現実に生じていないことは認められる(甲3号証)。

(4) 性分化疾患における戸籍訂正審判では外性器の形状は問題とならないこと
[67] なお,法律上の性別取扱いの起点となる出生届の性別記載が誤りであったことを理由とする戸籍訂正が,性分化疾患の者については認められている(附属書類2,附属書類3)。附属書類2および3は,性分化疾患を理由とする戸籍訂正を認める審判である。
[68] これら審判の特別抗告人は,性染色体においてXXのいわゆる女性型であるが,副腎過形成という生来の疾患により,出生時には陰核(クリトリス)が肥大化し,陰茎様となっていた。そして同時に膣口もあった。
[69] いずれの特別抗告人も,出生届の性別は性染色体に基づき「女性」としてされ,幼児期に手術により陰茎様の陰核(クリトリス)が切除されたが,けっきょく男性としての人格が形成され,その後に出生時の戸籍を訂正する審判がされた。その結果,現在の法律上の性別取扱いはいずれも男性である。
[70] このように性分化疾患における戸籍訂正の審判では,すでに出生時の外性器の形状にのみ紐付ける法律上の性別取扱いはされていない。多くの裁判例が教示する「長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた」事実は,今は認められないのである。
[71] このような実情に照らせば,「社会の混乱を避けるための配慮」と説明される性同一性障害特例法第3条1項5号の要件はもは無意味といえる。
(1) 性同一性障害にある者だけに課せられる負担であること
[72] 性同一性障害特例法第3条1項4号も5号も,性別取扱いを一致させる権利を回復させたい者に対して,審判の条件として,生殖腺の除去や外性器様部位の人工造形という外科手術という重い負担を課す。
[73] 特に性同一性障害特例法第3条1項4号の生殖腺の除去は,自身の遺伝や血縁の維持をどのようにするかという,人間の生命倫理の根幹に関わる問題であり,すぐれて自己決定に委ねられるべき事項である。
[74] いっぽうで性別取扱いの不一致は,他人や制度により,社会生活上の人格的自律が脅かされるという,人と交わる社会の一員としての生活をいかに安全に送るかという社会的事項である。
[75] 生殖機能の自己決定と,社会生活上の人格的自律は,全く違う次元の事項であるだけでなく,そもそもほとんどの人間において,生殖機能の維持と,性別についての社会生活上の人格的自律は,両立しているのである。性同一性障害ではない者は,そもそも「生殖機能か性別のー致か,どちらか一方の権利だけを選べ」というような二者択一に迫られることもない。
[76] 性同一性障害ではない者は,もとより性別取扱いを一致させる権利を,何の負担もなく享受している。生殖腺の除去をすることもなく,また何らの形成手術を経ることもなく,そもそも特別な審判等の手続すらなく,性別取扱いを一致させる権利の保障を受けているのである。

(2) 先例最高裁決定も違憲の可能性を指摘していること
[77] 性同一性障害特例法が,身体への侵襲という外科手術を審判との要件としている問題は,すでに先例となる最高裁決定も言及している(平成31年1月23日最高裁判所第二小法廷決定,以下「先例最高裁決定」,附属資料3)。
[78] 先例最高裁決定は,性同一性障害特例法の第3条1項4号および5号の規定について「性同一性障害者一般に対して上記手術を受けること自体を強制するものではないが,性同一性障害者によっては,上記手術まで望まないのに当該審判を受けるためやむなく上記手術を受けることもあり得るところであって,その意思に反して身体への侵襲を受けない自由を制約する面もあることは否定できない」と教示し,審判の要件とすることの不均衡を否定しない。
[79] さらに先例最高裁決定には鬼丸かおる裁判官および三浦守裁判官が補足意見があり,同補足意見は「性別適合手術による卵巣又は精巣の摘出は,それ自体身体への強度の侵襲である上,外科手術一般に共通することとして生命ないし身体に対する危険を伴うとともに,生殖機能の喪失という重大かつ不可逆的な結果をもたらす。このような手術を受けるか否かは,本来,その者の自由な意思に委ねられるものであり,この自由は,その意思に反して身体への侵襲を受けない自由として,憲法第13条により保障されるものと解される。上記1でみたところに照らすと,本件規定は,この自由を制約する面があるというべきである」と付言し,「現時点では,憲法13条に違反するとまではいえないものの,その疑いが生じていることは否定できない」とまで述べる。
[80] このように,性同一性障害特例法第3条1項4号も5号の手術要件に違憲の疑義があることはすでに,最高裁判所が先例最高裁決定において指摘していることである。

(3) 無意味な要件であり審判を制限する過大な負担でしかないこと
[81] それでも先例最高裁決定は,性同一性障害特例法第3条1項4号および5号の要件について「もっとも,本件規定は,当該審判を受けた者について変更前の性別の生殖機能により子が生まれることがあれば,親子関係等に関わる問題が生じ,社会に混乱を生じさせかねないことや,長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける等の配慮に基づくものと解される」として,それには必要性が未だ認められ,合憲であるとする。
[82] しかし「長きにわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がされてきた中で急激な形での変化を避ける等の配慮」も挙げるが,そのような前提事実の存在が今や疑わしい。
[83] そして法律上の性別取扱変更の審判がされたとしても,身分法秩序には問題は生じず,社会の混乱も生じないことは,本件特別抗告人が原審,抗告審そして本特別抗告理由書で一貫して主張してきたとおりである。
[84] また,異なる性別の外性器様部位を造形する形成外科手術を経ない審判はすでに家庭裁判所の実務運用として認められている。そもそも個人の人格としての性別は,外性器の形状だけで存立するのではないから,性別取扱変更の審判を受ける者の外性器の形状が社会を混乱させることはない。
[85] つまり性同一性障害特例法第3条1項4号および5号の要件は今や無意味である。この規定は,現行の身分法秩序にも問題を生じさせず,社会的混乱も生じさせないにも関わらず,審判を受ける者についてのみ身体への強度の侵襲という重い負担を課す要件でしかない。

(4) 性同一性障害特例法第3条1項4号および5号が違憲であること
[86] 先例最高裁決定は,性同一性障害特例法第3条1項4号および5号について「このような規定の憲法適合性については不断の検討を要するものというべきである」という。
[87] あらためて検討すると,性同一性障害特例法第3条1項4号および5号は,性別取扱いを一致させる権利の回復という審判の目的に照らして均衡を欠くような過大な負担であり,また,それが性同一性障害と診断されない者についてのみ課せられる負担であることから,憲法第13条および憲法第14条1項に違反し無効である。
[88] 本件特別抗告人は,陳述書で述べるとおり,手術を受けられるものなら受けたいと思っているが,経済的な問題,生活上の負担,さらに身体への大きなダメージとなることからそれができない。これは決してわがままではない。
[89] 特別抗告人は,女性としての日常生活を送っており,周囲からも家族からも女性としてしか扱われておらず,特別抗告人の女性としての生活はけっして社会を混乱させていない(甲3号証)。にも関わらず,法律上の性別取扱いは,特別抗告人の人格としての性別と異なるものであり,その結果,特別抗告人は社会生活上の人格的自律を脅かされている。
[90] 特別抗告人は,性同一性障害と診断を受け,長年にわたるホルモン治療により,単なる自覚だけではなく,永続的に続く社会的人格として「女性」である。ただ,生来の生殖腺や泌尿器といった外性器がそのままの形であるというだけである。
[91] 特別抗告人も,直面する課題が,身体の健康や医療の問題であるなら,その課題の解決は,医療機関や医師に求めていく。しかし,特別抗告人は健康や医療の不利益や不都合や不便にあるのではない。
[92] 特別抗告人が「男性」として取り扱われる不利益は,戸籍の続柄の記載ほか,法律上の性別取扱いによる問題である。特別抗告人は,文字通りの法律的課題に直面しているから,裁判所の戸を叩き,裁判所による課題解決と,ほかの人と同じような社会生活での人格的自律の回復を願い出ているのである。
[93] 性同一性障害特例法の重たい要件のもと,社会生活上の人格的自律が脅かされている特別抗告人を救済できるのは,最高裁判所裁判所だけである。特別抗告人は,最高裁判所に対する最大の敬意をもって,最高裁判所が自身に手をさしのべてくれることを求める次第である。
[94] よろしくお願いします。

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