『夕刊和歌山時事』事件
控訴審判決

名誉毀損被告事件
大阪高等裁判所
昭和41年10月7日 第4刑事部 判決

被告人 河内勝芳

■ 主 文
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。


[1] 本件控訴の趣意は、弁護人橋本敦、同細見茂連名作成の控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用する。
[2] 論旨は、原裁判所が、証人吉村貞康の証言中検察官指摘の部分全部を伝聞証拠であるとして証拠排除決定をした点の訴訟手続に法令の違反がある、というのである。
[3] まず、所論によれば、名誉毀損罪における真実であることの証明は、被告人の側に誉証責任が転換されているばあいであつて、そこにも厳格に伝聞法則を適用していくのは、証拠の収集上検察官に比べて不利な立場にある被告人の立証活動を著しく困難にし、必要以上に被告人の立場を不利にするものであり、被告人にとつて直接証拠を法廷に顕出することが困難であるような事情があるばあい、伝聞法則の適用を緩和し、伝聞証拠も許されると解さなければならない、と主張する。
[4] もとより、被告人側が証拠の収集上検察官に比べて不利な立場にあることは所論のとおりであるけれども、刑事訴訟法320条以下の伝聞証拠の制限に関する規定の適用においては、検察官側の提出する証拠と被告人側のそれとにおいて区別はないから、名誉毀損罪のばあいに刑法230条の2の規定する摘示事実の真実であることを立証するための証拠について、特に被告人側に伝聞法則の適用を緩和し伝聞証拠を許すと解すべき理由はない。何となれば、犯罪の構成要件又はこれに準ずる要件に当る事実については、証拠能力があり、かつ適法に取り調べられた証拠による厳格な証明を必要とするのであつて、このことは、証拠を提出する当事者のいずれであるか、また、攻撃、防禦いずれのためにするかを問わないからである。ただ、被告人は、有罪の判決があるまでは無罪の推定を受け、犯罪事実についての挙証責任は検察官がこれを負担するのが原則であるため、その結果被告人側において積極的に犯罪事実の不存在、不成立を立証する必要がないというに過ぎない。しかし、被告人側としても犯罪事実の不存在等を立証するための証拠を提出するに当つては、同一の証拠法則に服さなければならないことにかわりがないのである。名誉毀損罪においては、刑法230条の2の規定により、人の名誉を毀損する事実を公然摘示しても、それが公共の利害に関する事実にかかり、かつ、もつぱら公益を図る目的に出たものと認められ、しかも、その事実の真実であることが積極的に立証されたばあいに、初めて被告人に対し無罪の言渡がされるのであつて、取調の結果その事実が虚偽であることが明らかとなつたばあいはもちろん、真否不明のばあいにも、真実の証明がなかつたものとして、被告人は不利益な判断を受けることになつている、この意味において、被告人は、例外的に事実の真実性に関する挙証責任を負担しなければならないが、右規定の立法趣旨は、個人の名誉と表現の自由という両法益間の矛盾衝突を調整しようとするにあるから、右挙証責任の負担が被告人にあるからといつて、このばあいに限り厳格な証明を要しないとするわけにはいかない。また、所論指摘のように、新聞記事において取材源秘匿の倫理があり、取材源を秘匿する必要が大きく、被告人にとつて事実の証明につき直接証拠を提出することが困難な事情にあるとしても、言論、報道の業にたづさわる者に限つて、特に真実の証明が不十分であつても差しつかえないということもできない(昭和30年12月9日第2小法廷判決、刑集9巻13号2633頁参照)。記録を調査するに、本件公訴事実第二の要旨は、被告人が、その発行する昭和38年2月18日付「夕刊和歌山時事」に、得一郎こと坂口徳一郎本人または同人の指示のもとに同人経営の和歌山特だね新聞の記者が和歌山市役所土木部の某課長に向つて「出すものを出せば目をつむつてやるんだが、チビリくさるのでやつたるんや」と聞こえよがしの捨てせりふを吐いたうえ、今度は上層の某主幹に向つて「しかし魚心あれば水心ということもある、どうだお前にも汚職の疑いがあるが、一つ席を変えて一杯やりながら話をつけるか」とすごんだ旨の記事を掲載、頒布し、公然事実を摘示して右坂口の名誉を毀損したというのであつて、これに対し、被告人は、原審第1回公判において、公訴事実記載の記事を掲載した事実は認めるが無罪であると陳述し、原審弁護人は、同第2回公判の冒頭陳述において、被告人側が証明すべき事実は、被告人の行為が公益をはかる目的に出たものであつて、その摘示した事実が真実に符合する点にあることを明らかにし(記録33丁裏以下)、同第4回公判における公判手続の更新に際しても、前同様の事由により無罪であると主張し(記録114丁以下)、同第5回公判において、証人5名のほか、公訴事実第二の証拠として、証人吉村貞康、同広田義一の両名を申請し(記録120丁)、原裁判所は、右申請の証人全部を採用して、これを取り調べたことが明らかである。右の経過に照らせば、原審弁護人としては、証人吉村貞康、同広田義一の両名によつて、冒頭陳述で明らかにした事項、とりわけ公訴事実第二記載の被告人の摘示した事実が真実であることを立証しようとしたものと解される。そして、ある証拠が伝聞法則によつて証拠能力を失うか否かは、その証拠と要証事実との関係において判定されるべきものであつて、それが伝聞内容たる原供述を、その供述に添う事実の真実であることを証明する方法として用いることが禁じられるのであるが、原審証人吉村貞康の供述を検討すると、その供述中原裁判所が証拠の排除決定をした部分は、いずれも同証人が和歌山市役所の職員から聞いた前記坂口徳一郎又は同人の編集発行する特だね新聞の記者の言動を内容とするもので、前記立証趣旨との関係で刑事訴訟法324条第2項の伝聞証拠になることは明白であるから、同法321条1項3号の事由のない本件において、原裁判所が右の部分につき証拠の排除決定をしたのは正当である。所論によれば、被告人が本件記事を作成するにつき有していた資料根拠を明らかにするという関係では、右排除部分も伝聞証拠とはならない、というのであるが、同証人についての立証趣旨が前記のように解され、その立証趣旨に所論指摘の事項が付加されていたものとは記録上認めることができないから、この点の主張も採用できない。それ故に、原審訴訟手続には所論のような法令違反は認められないから、論旨は理由がない。
[5] まず所論は、原判決認定のように被告人が坂口徳一郎の名誉を毀損したとする2個の摘示事実、すなわち、右坂口または特だね新聞の記者が、和歌山市役所土木部の某課長に向つて「出すものを出せば目をつむつてやるんだが、チビリくさるのでやつたるんや」と聞こえよがしの捨てせりふを吐いた事実及び上層の某主幹に向つて「しかし魚心あれば水心ということもある、どうだお前にも汚職の疑いがあるが、一つ席を変えて一杯やりながら話をつけるか」とすごんだ事実については、いずれもその事実の重要な骨子について真実であることの証明がある、というのである。
[6] よつて、記録を調査するに、右2個の事実の証拠として所論の引用する原審証人吉村貞康の供述中原裁判所が適法に排除した部分は、もはや証拠に供することができないものであり、前者の摘示事実についての証拠として所論の引用するメモBには「1月20日ごろ、特だねの吉野が市監理課を訪れ、山本課長に『山本進重郎の件』を問い合わせに行き、山本課長から正式な書類が出されたので認可したと答えたところ、吉野は『あいつしぶいからなあ』といつて帰つたという。」旨の記載があるのに過ぎず、これによつては前者の摘示事実の真実であることが証明されたものとはとうていいうことができない。また、後者の摘示事実についての証拠として所論の引用するメモAには「市役所の某幹部が一昨年既に解決した土地売買問題を掲載された際、同氏を訪れた特だねの吉野に『既に解決ずみで君達に文句を云われる筋合いはない』と抗議したところ、吉野は『席を変えて話をしよう』と持ちかけてきたが、同氏は『ここか(課内)警察で話し合おう、場合によつては名誉毀損で訴える』と答えたので、吉野は何もいわずに逃げるようにして帰り、その後はその記事は1行も掲載されていない。」旨の記載があり原審証人広田義一は、同人の妻とその兄が相続した土地の売買を仲介した件に関し、「詐欺漢まかり通る広田公園課長」という見出しで掲載した特だね新聞の記事が不当であるとして、昭和35年8月ごろ右公園課長を訪れた特だね新聞の記者に抗議し、同記者との間に右メモ記載のような応答があつた事実が認められ、右メモにいう市役所の某幹部とは、証人吉村貞康の供述するとおり(記録224丁裏)、広田公園課長を指すものと考えられるが、広田証人は、自分の抗議に対し、特だね新聞の記者から「ここでは詳しい話ができないから席を変えよう」と言われただけであり、本件記事のような脅し文句を言われたことはないと供述し(記録208丁、214丁、218丁)、これらの証拠によつて認められる事実が、被告人の摘示した後者の事実とその骨子はおろか、ほとんど同一性を有しないことは明白である。その他原審において取り調べたすべての証拠を詳細に検討しても、本件摘示事実のいずれについても真実の証明があつたとは認められないから、この点の論旨は理由がない。
[7] 次に所論は、仮に事実の証明が十分ではなかつたとしても、被告人は証明可能な程度の資料、根拠をもつて事実を真実と確信したから、被告人には名誉毀損の故意が阻却され、犯罪は成立しない、と主張する。
[8] しかし、前記のように、被告人の摘示した事実につき真実であることの証明がない以上、被告人において真実であると誤信していたとしても、故意を阻却せず、名誉毀損罪の刑責を免れることができないことは、すでに最高裁判所の判例(昭和34年5月7日第1小法廷判決、刑集13巻5号641頁)の趣旨とするところであつて、これと見解を異にする論旨は採用できない。
[9] 更に所論によれば、本件記事は、特だね新聞記者の捨てぜりふ、放言の事実をいうに過ぎず、それが坂口本人の行為であるのか、同人の指示に基づく特だね新聞記者の行為であるのか、あるいは特だね新聞の名誉に関するものであるのか記事自体から明白ではなく、具体的に坂口個人の名誉を毀損したものとはとうてい言い難いから、原判決が坂口個人の名誉を毀損したものと認定したのは、事実を誤認したものである、と主張する。
[10] よつて案ずるに、本件記事が行為者を「特だね」と表示するのみで、坂口の行為である旨明示していないことは所論指摘のとおりであるが、その前後の記事や原判決が証拠として挙示する夕刊和歌山時事7部(証第2号、第3号)により明らかであるように、本件記事は、被告人が昭和38年2月11日から同月18日までの間に7回にわたり「街のダニ坂口得一郎の罪状」または「吸血鬼坂口得一郎の罪業」という表題の下に坂口を攻撃した連載記事の一部であることに徴すると、本件記事は坂口本人または同人の指示の下に同人経営の特だね新聞の記者がした行為である旨を摘示したものと解し得られるから、この点の論旨も理由がない。
[11] 更に所論は、本件記事はたとえその一部の記載に多少の不正確、錯誤があつたとしても、その公益性の強さ、重要性、新聞の社会的使命と言論報道という正当な業務からみて、刑法35条の規定あるいは実質的違法性阻却の法理により正当行為として容認さるべきものである、と主張する。
[12] 原審において取り調べた証拠によれば、被告人は、坂口徳一郎の編集発行する特だね新聞が、原判決の認定する事例からうかがえるように、市民の私生活の平穏をみだし、あるいはその名誉と信用とを毀損してはばからない悪徳新聞であると考え、これに対し、社会の公器である新聞の使命感から、社会公共のため特だね新聞の編集発行人である坂口徳一郎を徹底的に指弾攻撃する真しな意図をもつて本件記事を掲載するにいたつたことを認めることができ、その動機目的は諒とすることができるけれども、その手段として、相当な根拠もない事実を摘示して人の名誉を毀損する行為に出ることは、報道機関としても決して正当なものとはいえない。本件記事が相当な根拠に基づくものといえないことは、原判決が正当に指摘するとおりであるから、被告人の行為が新聞報道として許容される正当行為の範囲を逸脱したものといわざるを得ないのであつて、所論のように違法性を阻却するものということはできない。この点の論旨も理由がない。
[13] よつて、刑事訴訟法396条を適用して、主文のとおり判決する。

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