ノンフィクション『逆転』事件
控訴審判決

慰藉料請求事件
東京高等裁判所 昭和62年(ネ)第3435号
平成元年9月5日 第8民事部 判決

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。

〈控訴人〉
「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求める。

〈被控訴人〉
 主文第1項と同旨の判決を求める。
[1] 次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりである。

[2] 原判決3枚目表1行目の「同僚」を「友人」と改め、10行目の「者である」を削り、同裏5行目の「3ケ月」を「3か月」に改める。

[3] 同4枚目表9行目の「ノン・フィクション作品」の次に「(以下『逆転』又は「本件著作」という。)」を、同5枚目裏9行目の「以上のような」の前に「被控訴人が」を、同行の「巻き込まれたのも」の次に「、」を、同6枚目裏6行目の「テレビドラマ」の次に「を」をそれぞれ加え、同4枚目裏3行目の「公然と」を削り、同5枚目表2行目から3行目にかけての「放映されることにでもなって」を「放映されたりすることにより」と、10行目から末行にかけての「出版に当って原告の実名が使用されないようにするため」を「右著作の出版における被控訴人の実名の使用を防止するため」と、同裏6行目の「当って」を「あたって」と、同6行目表5行目の「相当とすべきである」を「相当とする」と、7行目の「以降の」を「よりのちの」と、同裏末行の「当って」を「あたって」とそれぞれ改める。

[4] 同7枚目裏10行目から末行にかけての「図らんと企図した」を「図った」と、同8枚目表末行の「申し出」を「申出」と、同裏6行目及び同9枚目表3行目の各「裁判」を「本件裁判」と、末行の「(一)」を「(二)」と、同裏2行目の「昭和53年8月」を「同月」と、同10枚目表4行目の「(二)」を「(一)」と、「当って」を「あたって」とそれぞれ改め、同行から同裏5行目までを同9枚目表10行目の次に移し、同8枚目裏8行目の「あり、」の次に「被控訴人はこれによって『著名人』あるいは『公的人物』となったのであるから、本件事件あるいは本件裁判の報道又は論評において実名を使用されることを受忍しなければならない。」を、末行の「はプライバシーとして」の前に「の秘匿に関する利益」を、同10枚目裏末行の「あるときは」の次に「、」をそれぞれ加える。

[5] 同10枚目裏5行目の次に、行を改めて次のとおり加え、6行目の「」を「3 公共の利益の法理による免責」と、末行の「目的であるときは」を「にあるときは、」とそれぞれ改め、6行目の「仮に」以下を改行する。
2 プライバシー侵害の不存在
 『逆転』は、後述のとおり、被控訴人が本件裁判の公訴事実のウィリアムスを死に至らしめたとの部分及びオズボーンに対する傷害部分についてのみならず、ウィリアムスに対する傷害部分についても、正当防衛により無実であることを明らかにし、被控訴人の名誉を回復することを目的とした著作であって、なんら被控訴人にとって不利益な事実を暴露したものではなく、かつ、右目的を達成するためには被控訴人の実名を使用することが不可欠であったのであるから、右著作に実名を使用することは、なんら被控訴人のプライバシーを侵害するものではない。」

[6] 同11枚目表7行目の「第二」を「第二に」と、同裏3行目の「裁判」を「本件裁判」と、「自体は」を「自体が」と、末行から同12枚目表1行目にかけての「立場は採用されていない」を「ことはできない」と、同行の「また、」から2行目の「次に述べるように」までを「次に述べるように、『逆転』を執筆する上で被控訴人の実名を使用することが」と、3行目の「裁判」を「本件裁判」とそれぞれ改め、6行目から7行目にかけての「著作し、事実を記録しようとしたものであり、そのためには」を「著作することにより、本件裁判を批判し、被控訴人の無実を明らかにしようとしたものである。もっとも、右著作中で、被控訴人が米兵と渡り合い、下駄で殴ったのは証拠上動かし難い事実である旨記述されているが、右喧嘩は米兵が挑発したものであり、しかも米兵は空手の心得があり、被控訴人よりはるかに大柄だったから、下駄による応戦も正当防衛の範囲内であったことも詳細に記述して明らかにしている。また、致死の点については、なるほど本件裁判の判決を報ずる当時の沖縄の新聞記事中には致死の点については有罪とされなかったことが報道されてはいるが、右部分の報道の文言は簡単であるうえ、同じ記事の見出しには「米兵殺害事件」、「米兵殺し」などの字句が使われ、同じ記事の中で事件の内容を説明するにあたっては被控訴人らの暴行により米兵が死亡したと述べているものさえあるのであり、このことと事件直後の新聞報道において被控訴人らが米兵を殴って死亡させたことを自供した旨が連日報道されたこととからすると、一般の新聞読者は被控訴人らが致死の点についても有罪とされたとの印象を抱いたことは明らかである。したがって、右致死の点についても被控訴人の無実を明らかにする必要があった。そして、以上のような目的を達するためには」と改め、末行の「かえって」を削る。

[7] 同12枚目裏3行目から8行目までを削り、9行目の「」を「4 公正な論評」と改め、「被告が」以下を改行し、同13枚目表1行目の次に、行を改めて次のとおり加える。
5 違法性の認識ないしその可能性の欠如
 一般人にとって、行為の違法を認識しえない事情が存する場合には、行為者は不法行為責任を免れるところ、控訴人が『逆転』を著作するにあたって実名使用が許されると考えたことには、次のような諸事実からいって相当な理由があるというべきであるから、控訴人の行為は違法性又は有責性を欠くものである。
(一) 『逆転』は、既に述べたとおり、被控訴人らの無実を明らかにしようとするものである。
(二) 本件事件の被告人4名のうち、1名は既に死亡しており、2名については、面会のうえ実名使用について快諾を得た。
(三) 被控訴人についても、控訴人は実名使用の承諾を得るため手を尽くしたが、所在が判明しなかった。
(四) 相被告人2名が、被控訴人についても実名使用に問題はないはずだと言明した。
(五) 控訴人は、『逆転』のゲラを法律家2名、出版関係者を含む人々に読んで貰っているが、実名使用に問題があると考えた人はいなかった。
(六) 本件事件の被告人らは、無実でありながら、アメリカの支配のもとでアメリカ人裁判官の特別説示及び量刑により懲役3年の実刑という不当な刑を受けたものであり、控訴人は、同胞として止むに止まれぬ気持で『逆転』を執筆したものである。」

[8] 同13枚目裏1行目の「2ないし4」を「2ないし6」と改め、同行の末尾に「本件著作の内容は被控訴人の無実を訴えるものではなく、その主眼は、陪審制度の長所と控訴人の陪審員としての活躍ぶりとを描写することにある。」を加える。
[1] 請求原因1の事実(被控訴人が、昭和39年8月16日アメリカ合衆国の統治下にあった沖縄県宜野湾市で起こった本件事件(米兵2名に対する殺傷事件)のため、傷害致死及び傷害の罪名により起訴され、同年11月6日琉球列島民政府高等裁判所から懲役3年の実刑判決の言渡しを受けたこと、控訴人が右裁判に陪審員として関与した者で、著述業を営んでいること)、控訴人が、本件事件における陪審員としての体験に基づき、本件事件及び本件裁判(特に陪審評議の経過)についてノン・フィクション作品である「逆転」を著作し、昭和52年8月20日、これを新潮社から刊行したこと、右著作の中で控訴人が被控訴人の実名を使用し、被控訴人の前科を公表したことは、当事者間に争いがない。
[2] 《証拠略》によれば、「逆転」の記述の内容はおおよそ次のようなものであることが認められる(ただし、本件事件ないし本件裁判の背景であるアメリカ統治下の沖縄の政治・社会状況を描写する手段として挿入されたと思われる記述、本件における争点と直接関係のない周辺的事実についての記述、控訴人の法律論を展開した部分など、その具体的内容のいかんが以下の判断に関係しない記述は一切省略する。)。

[3] まず、「はじめに」と題して、「本書に現れる人物には架空のキャラクターはいない。不明の米兵ひとりと陪審員を除けば、他の固有名詞を含めてみな実名である。」と記載されている。全体は、「第一部 被害者と加害者たち」、「第二部 裁判」、「第三部 陪審評議」、「第四部 判決」から成り、控訴人は伊礼仁という仮名で陪審員の一人として登場する。

[4] 「第一部 被害者と加害者たち」では、まず本件事件の発生と被控訴人が乙山春夫(以下「乙山」という。)、丁原秋夫(以下「丁原」という。)、丙川夏夫(以下「丙川」という。)と共に本件事件の被疑者として逮捕されたこと、被害者の米兵2名と被疑者である被控訴人ら4名の事件発生直前の行動について記述している。

[5] 「第二部 裁判」は、昭和39年9月24日から同年10月6日までにわたった本件裁判の審理の模様を述べるもので、控訴人が陪審員に選任された経緯、裁判官の陪審員に対する説示、裁判手続が開始された前後の状況等に続いて、証人ジーン・コリンズ(憲兵隊の陸軍伍長)の証言(事件発生直後―8月16日午前4時前―に現場に駆け付けた時の状況に関するもの)、同ハリー・タケット(陸軍軍曹)の証言(被害者ウィリアムスが病院に運ばれた時の状況に関するもの)、同トーマス・デンプシー(海兵隊曹長)の証言(ウィリアムスの死体の確認等に関するもの)、同ジョン・フランクリン(軍医・陸軍大尉)の証言(被害者の米兵2人の傷害の状況に関するもの)、同ユージン・オズボーン伍長の証言(被害者の一人で、飲酒のため事件発生当時の状況については何も記憶していないと述べるもの)、同丁原菊子の証言(事件発生直前に被告人らが証人の経営する宜野湾市18番通りのバー「クイーン」に来ており、午前3時ころ店から帰ろうとした丁原及び被控訴人と被害者らとの喧嘩が始まり、乙山、丙川も現場に向かったこと等)、同戊田竹子の証言(丁原と被控訴人が米兵に絡まれているのを目撃して乙山、丙川を呼びに行ったこと等)、同甲山梅子の証言(被控訴人が18番通りで下駄を手にして米兵と喧嘩しているのを目撃したこと、現場にはもう1人の沖縄人ともう1人の米兵がおり、更に2人の沖縄人がやって来たこと、沖縄人らの中で、乙山は「やみれー」と叫んでいたが、喧嘩の最中沖縄人らは「やなアメリカや、ちらちけー」とか「くるせー、くるせー」とか騒いでいたこと、米兵2人はやがて逃げ出し、18番通りから左折したが、その先でまた「カム・ヒヤ、カム・ヒヤ」などと言って被控訴人らを挑発し、沖縄人らがゆっくりその跡を追って行ったこと、アメリカ人の1人がこん棒を持っていたこと、警察に通報したこと)、同戊田松夫の証言(事件直後に乙山と被控訴人が証人の自宅に来たこと、2人が米兵と喧嘩をしたと言っていたこと、外人の1人が死んだとの噂に対し、被控訴人らは「死ぬわけがない」と言っていたこと、被控訴人に頼まれて喧嘩の現場に遺留したシャツを取りに行って来たこと)、同又吉久栄(普天間派出所巡査)の証言(甲山梅子からの通報により午前3時35分ころ現場へ行ったところ、白いコートの男が逃げて行ったこと、その男を追跡する途中、ウィリアムスが倒れて冷たくなりかかっているのを発見したこと、現場付近で丙川を発見して逮捕したこと、同人の着衣には血痕が付着しており、同人は2人の白人を追って来たと言っていたこと)、同金城重夫(普天間派出所巡査)の証言(午前3時40分ころ、顔などに血痕のついた丁原を現行犯逮捕したこと、同人はその時氏名不詳の二人の沖縄人青年が逃げて行ったと訴えていたこと)、同仲村教永(普天間警察署巡査部長)の証言(被控訴人を逮捕し、その際ズボンを押収したこと、被控訴人の供述に基づき被控訴人の履いていた下駄を発見したところ、下駄の裏側に数か所の血痕及び赤い毛髪が付着していたこと、被控訴人の供述調書が任意の供述に基づくものであること)、同砂川健二(同署巡査部長)の証言(丙川の供述調書が任意の供述に基づくものであること、同人は米兵との喧嘩でこん棒を使用したと供述していたこと、同証人を含め、琉球警察側にはオズボーン伍長の供述書を読む機会がなかったこと)、同宮里蔵正(同署巡査部長)の証言(乙山は被控訴人と米兵との喧嘩を仲裁しようとして間に入ったところ、米兵の1人に蹴られ、そこで防御のために古い角材を拾って相手の腕を打った、消防署の裏手付近で外人を追い掛け、更に殴りつけるつもりで鉄棒を拾ったが、殴らないうちにサイレンの音が聞こえたので付近に投げ捨てた、被控訴人と丙川とが倒れていたウィリアムスを交互に殴り、丁原も鉄棒で2度殴ったのを目撃したと供述していたこと(ただし、右証言中、乙山以外の被告人らの行動に関する部分は、裁判長の指示により証拠から排除された。)、押収した鉄棒には血痕のようなものは付着していなかったこと)、同ロークス軍医少佐の証言(ウィリアムスの遺体の解剖に当たったが、死因は脳髄裂傷に伴うくも膜下出血、頭蓋骨骨折であること、傷害を生じさせた凶器は不明であり、こん棒も鉄棒も凶器となりうるが、鉄棒の方の可能性は薄いこと、下駄によって致命傷が生ずる可能性は少ないこと)、同大城盛昌(警察本部科学捜査研究所長)の証言(各証拠について付着している血液の有無等を検査したが、被控訴人については、シャツにO型(被告人ら及び被害者らのうち、O型は丙川とオズボーン)の人血が付着しており、ズボンには人血の付着は認められたが、血液型は不明であり、下駄にはB型(被告人ら及び被害者らのうち、B型はウィリアムスのみ)の人血の付着が認められ、下駄に付いていた毛髪とウィリアムスの毛髪とは著しく類似していたこと、鑑識を依頼された物の中には証拠物として提出されていないコンクリートの塊と板切れの束とがあり、これらにはルミノール反応が認められたこと)、同金城国昭(警察医)の証言(被告人のうち被控訴人、丁原、丙川の3人が受傷しており、右はいずれも鈍体の作用によるものと推測されたこと)など、法廷に提出された主立った証拠の内容がかなり詳細に紹介されている。
[6] そのほか、前記甲山梅子の証言にある「ちらちけー」は「顔を突け」の意味であるが、「くるせー」という言葉は、沖縄の方言では「懲らせ」、「ぶん殴れ」という意味であるのに、同証人は通訳に「日本語で言ってくれませんか」と求められて「ころせー」と言い換え、通訳はこれを「キル・ゼム」(kill them)と訳したこと、被控訴人ら被告人4名が証人として尋問されたのち、その供述調書(いずれも自白を内容とするもののようであるが、その具体的内容はごく断片的にしか紹介されていない。)がすべて採用されたこと、弁護側は、前記の大城盛昌の証言にあったコンクリートの塊(かつて付着していた血痕を削り取ってあるもの)及び板切れの束を証拠物として提出して、検察側が何故これを隠していたかについて疑問を提起したこと、控訴人が警察の被疑者に対する取調方法や供述調書作成方法の公正さに対して疑念を抱いていたこと、琉球警察の捜査及びオットー検事の公訴の追行に米軍などから種々の圧力が加わったであろうと推測されること、検察側のセイリエント・ポイント(わが国の論告に当たるもの)の要点の一つとしてクルー・アクション論(共謀共同正犯論)が主張されたこと、弁護側の反論は、共謀の不成立と自白の任意性との点についてされたが、迫力に欠けていたことが記述されている。

[7] 「第三部 陪審評議」は、10月6日から同月8日の深夜に及んだ陪審員の評議の進行状況を詳細に記述しているが、そのおおよその状況は次のとおりである。
[8](1) 途中陪審員の1人が病気になったため、実質的には10月7日から本格化した評議では、冒頭から全被告人が公訴事実一(ウィリアムスに対する傷害致死)、同二(オズボーンに対する傷害)のいずれについても有罪とする意見が支配的であったが、陪審長が採用された証拠を一つ一つ取り上げて再評価するよう提案し、これに基づいて陪審員らは順次証拠の評価を行いながら事実の認定をしていった(ただし、控訴人はこの段階では自己の意見を言うのを控えていた。)。このようにして評議により認定された被告人らの行動は、おおよそ次のようなものである。
[9]1 4人の被告人は、バーで飲酒し、やがて丁原と被控訴人とが前後して店を出たが、先になった丁原は、18番通りでウィリアムスとオズボーンとに出会い、ウィリアムスが恐らくふざけ半分に空手の構えをしたのを見て、後から来る被控訴人の所へ戻って助けを求めた。空手にも柔道にも心得のあった被控訴人は、米兵たちをやっつけてやろうと考え、米兵たちに立ち向かって行き、脱いだ下駄で相手の肩や腕を打ち、道に落ちていたざるを米兵に投げ付け、更に2人と取っ組み合いをした。一方、バーに残っていた乙山と丙川も喧嘩のことを知り、乙山は現場におもむき、同人の供述によれば喧嘩を止めようとしたが、路上にあったステッキを取って被控訴人とウィリアムスとの中に入り、ウィリアムスの右腕を殴りつけたところを米兵の1人に蹴られたので、少なくともこの時からは仲裁する考えを捨てた。一足遅れて来た丙川は、乙山と丁原との姿が見えず、被控訴人と米兵らとが18番通りを左に曲がるのが見えたので、被控訴人1人ではやられると思ってその後を追い、長堂材木店裏で被控訴人に加勢して米兵らと殴り合った。
[10]2 その後、米兵らは消防署裏まで逃げ延びたが、被告人らもこれを追跡し、まず被控訴人がウィリアムスを発見して暴行を加え、次いで丙川がこん棒で、丁原が鉄棒及びベルトでウィリアムスを殴った。その後乙山もそこへ姿を現した。これより先、乙山と丁原とは18番通りから右折したが、それは米兵らを挟み打ちにするためであった。
[11]3 以上の事実は、ウィリアムスの血液型と同じB型の血液が丙川のシャツ、ズボン、被控訴人の下駄から検出されたこと、同人の毛髪のサンプルが右下駄に付着していた毛髪とマッチすること、オズボーンの血液型と同じO型の血液が被控訴人及び丁原のシャツにも付着していたこと等によっても裏付けられる。
[12](2) 以上のような評議の結果に基づいて陪審長が評決を取ろうとしたところ、控訴人がこれに対して異議を述べ、被告人らの無罪を主張した。控訴人の主張の要点は、丁原の供述調書では本件事件の発生には被控訴人が主導的な役割を果たしたように述べられているが、これは捜査官が勝手に創作したものであり、むしろ被控訴人らを挑発したのは米兵の側であること、最初に米兵らと出会った後、被控訴人と丙川とは米兵らの後から18番通りを左折したが、その態様は“追跡”といえるような緊迫したものではなく、むしろ米兵らが長堂材木店裏で被控訴人らを待伏せしたのであり、また、怪我をした丁原と乙山とは18番通りから米兵らが行ったのとは逆の方向に曲がって行ったのであるから、検察側が主張するように4人の間に意思の連絡(共謀)があったとは認められないこと、被告人らの供述調書の内容は、強引な取調の結果で、必ずしも信頼できないこと、ウィリアムスに致命傷を与えたであろう凶器に関し、ロークス少佐は、被控訴人の下駄についても丁原の鉄棒についても否定的であること、丙川のこん棒については凶器である可能性があるとされたが、それにしては少量の血液しか付着していなかったこと、血液の付着したコンクリート・ブロックを検察側が隠していたことに疑問が残ることなどであった。
[13] このような控訴人1人の反対のため、評議は紛糾し、ハング・ジューリー(陪審員全員の意見の一致が得られないことによる答申不能。この場合には新しい構成員による陪審の下での審理のやり直しが必要になる。)が宣告されるおそれが生じ、陪審長は裁判官に対し、「陪審員の意見は絶望的に不一致であります。」との報告をした。そこで、裁判官は、陪審員に対し、一層の熟慮と再考とを求める旨の説示をして再度の評議を命じ、深夜まで評議が行われたが、評決には至らなかった。
[14](3) 翌8日にも評議が続行されたが、被告人らを共謀共同正犯と認めるかどうかをめぐって再び控訴人と他の陪審員の意見が対立し、陪審長は、公訴事実一(ウィリアムスに対する傷害致死罪)については意見が平行線のままなので、公訴事実二(オズボーンに対する傷害罪)についてまず評決を採ることにした。そこで控訴人は、オズボーンに関しては証拠が不十分であり、また、オズボーンが負った程度の軽い傷は被告人らも負っているのだから、喧嘩両成敗とすべきであり、被告人らの責任だけ追及するのは片手落ちだと強く主張し、これが受け入れられて、公訴事実二については無罪の評決・答申がされた。その際、裁判官から、公訴事実一については、それに包含されているより軽い罪(レサー・インクルーデッド・オフェンス)である傷害罪についても検討するように注意が喚起された。
[15](4) この後も、評議は公訴事実一に関する共謀の成否をめぐって紛糾していたが、陪審長は、傷害致死(刑法205条)については意見が一致しそうもないので、まず、レサー・インクルーデッド・オフェンスである傷害罪(同法204条)について評決を採ろうとした。控訴人はこれに反対したが、他の10名の陪審員たちは、これに賛成し、被控訴人、丁原、丙川の三人がウィリアムスを殴打して傷害を負わせたことは明らかであり、乙山も、手こそ出していないが共謀の事実が認められる以上有罪であると主張した。控訴人は、ここで有罪を認めてしまうと、傷害致死罪についても同様の結論になってしまうおそれがあると考えて抵抗したが、結局同意した。しかし、控訴人は、その際ある考えがあって、「205条の評決がまとまらぬとき、204条につき乙山を有罪とする自分の決定を撤回する権利を留保しておきたいのです。」と述べた。
[16](5) 次いで行われた傷害致死罪についての最終評議において、控訴人は、乙山を傷害致死について有罪とすることに難色を示す者をできるだけ味方につけることによって、被告人全員を傷害致死について無罪にするように運ぶという作戦を採り、これが効を奏して、控訴人の熱弁によって乙山に同情する者は次第に増えて行き、陪審長から、乙山は無罪、他の被告人らは有罪とする評決をしたいとの提案がされるまでに至った。
[17] そこで控訴人は、「乙山ひとりだけが無罪だというのは…全く矛盾した話です。先ほど204条の討論の際、私は乙山が無罪だとずっと主張してきました。しかしみなさんは事件がどうしても共謀共同正犯であるとして、たとえ乙山が犯行に手を下していなくても、彼は有罪なのだと我を通されました。私は長い間考えたすえ、ついにみなさんに譲歩したのです…」「今度はみなさんが私に譲歩してくださってよいのではありませんか。他の3被告人が有罪だから、乙山も有罪だとするさっきの論法を使えば、乙山が無罪なら他の三人も無罪だという屁理屈が成り立ちはしませんか…」「(傷害致死罪についての全員無罪の提案を)どうしても受け容れていただけない場合には、まことに遺憾ながら私は先ほどの乙山にかかる204条の決定―彼を有罪とする評決―を直ちに撤回させていただきます。」などと述べた。その場の状況は控訴人に有利であった。すなわち、(以下原文による。)「恐らくこれが朝のフレッシュな評議であったなら、論議はもっと尽くされただろうし、紛糾を重ねたに違いない。しかし今は陪審員は連日連夜の論争に疲れていた。口を開くのも大儀であり、一方、時間の切迫に評決をこのあたりでまとめるのが妥当と考えたのも無理はなかった。そして、とうとう伊礼(控訴人)の執拗なねばりに根負けしてしまったのである。」このようにして、公訴事実一のうち、傷害致死罪については無罪、傷害罪については有罪の評決及び答申がされた。

[18] 「第四部 判決」においては、判決の言渡しを中心とした記述がされている。判決の内容は、被控訴人、丁原、丙川がそれぞれ懲役3年の実刑、乙山が懲役2年、2年間の執行猶予であった。控訴人は、これについて、予想外に重い、みせしめの刑であるという感じをもった。控訴人の判決に対する感想は、伊礼の「民政府の裁判官に(政治的)圧力をかける必要はありませんよ。…もともと彼らは、理非曲直を正し、正邪を判決する法の番人ではなく、民政官と同じように、高等弁務官の意に従う、いわばポリシー・メーカーに過ぎないのですから」という言葉に要約されている。

[19] 「あとがき」において控訴人は、「事件後13年も経て、被告人たちの古傷にふれるようなことはしたくなかったし、本名を出すことにも少なからぬ躊躇を覚えたのだが、乙山、丙川の両氏とも相談の上、許可を得た。陪審評決が無罪であったにもかかわらず、3年という実刑から、一般は被告人たちが傷害致死に有罪―彼らが真犯人であったかのように錯覚を起こしてしまったのである。…誤ったその印象を本書が少しでも払拭することに役立てば、幸いである。」と述べている。
[20] 被控訴人が東急に就職していることは当事者間に争いがなく、右事実と《証拠略》とによれば、被控訴人は、前記のとおり懲役3年の実刑に処せられてそのまま服役したが、昭和41年10月ころには出所(仮出獄)したこと、その後2か月ほどは事件前に勤務していたタクシー会社で働いたが、やがて本土に渡り、昭和43年10月から東急にバス運転手として勤務するようになったこと、被控訴人は、右就職に際しても、その後の婚姻に際しても、本件事件及び本件裁判のことは秘匿しており、被控訴人の周囲にこのことを知っている者はいなかったことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

[21] 本件事件及び本件裁判に関する報道の状況については、原判決32枚目表2行目から同36枚目裏1行目までの判示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決32枚目表6行目の「2名」を「2人」と、7行目の「午前2時」を「午前3時」と、8行目、同33枚目裏1行目及び同34枚目裏5行目の各「消防署」を「消防隊」と、同32枚目裏1行目の「捜索」を「捜査」と、7行目の「夏夫」を「一夫」と、同33枚目裏10行目の「姿」を「行くえ」と、同34枚目表9行目の「秋夫」を「秋男」と、末行の「けんかをした」を「けんかした」と、同裏1行目の「乱闘に」を「乱闘と」と、2行目の「六〇」を「六十」と、4行目の「百二〇」を「百二十」と、同35枚目表8行目の「懲役2年執行猶予」を「懲役2年、執行猶予」と、同36枚目表3行目の「傷害」を「傷」とそれぞれ改め、同32枚目裏2行目の「丁原秋男」の次に「(原文のまま。以下においても同じ)」を、同33枚目表5行目の「対する」の次に「犯罪につき」を、7行目の「4人とも」の次に「犯行」をそれぞれ加え、同35枚目表1行目の「米兵…」及び同裏9行目の「いずれも懲役3年」の前後のかぎ括弧をそれぞれ削る。)。

[22] 右1及び2の事実を前提として、被控訴人につき本件事件及び本件裁判の被疑者ないし被告人であったこと及び前記のような刑に処せられたことを知られないよう保護されるべき法的利益が存するかどうかを検討する。
[23] 個人の尊重と人格の尊厳とを基調とするわが国の法秩序の下においては、私法上も、個性の自由な発展を確保し、人格の尊厳を保障するために必要不可欠な人格的利益は広く保護の対象となり、これに対する不当な侵害は不法行為を構成するものというべきである。個人に関する一定領域の事柄について、社会的評価が及ばないものとし、他人の干渉を許さず、それによって人格の自律性や私生活の平穏を保持するという利益(以下「プライバシー」という。)も、このような人格的法益の一環として私法的保護の対象となるものと考えられるところ、右のような領域に属する事柄についての情報を他人がみだりに公表することは、右利益の侵害に当たるものというべきである。
[24] 具体的には、性癖、履歴等の個人の諸属性、私生活上の言動及び家庭その他の私的な生活関係を構成する事実で、一般に知られておらず、かつ、一般人の感受性を基準として公開を欲しないような事柄は、これを公開することに特に公共的な意義が認められるような場合、又は当該個人の社会的地位や活動状況からいって、その公開を受忍させるのが相当であると認められる場合を除き、社会的評価を及ぼすべきでない領域に属し、その公開を免れることのできる利益がプライバシーとして保護されるべきである。
[25] ところで、本件著作において控訴人により公表された事実は、被控訴人が米兵に対する傷害罪で懲役3年の実刑判決を受け、服役したというものであって、一般人の感受性を基準として公開を欲しない履歴であるということができる。控訴人の主張する本件著作の意図等を考慮に入れても、右事実の公表が一般人の感受性を基準として受忍すべき範囲内の事柄であるということはできない。
[26] もっとも、前記2で認定したところによれば、右事実は少なくとも沖縄に居住する人々には本件事件及び本件裁判当時公表されていた事実であり、また、一般的には、犯罪及び刑事裁判はこれを公開して社会的評価に委ねることに公共的な意義が認められ、後者は制度上も公開が保障されている事柄である。しかし、このようにいったん公表された犯罪及び刑事裁判に関する事実も、その後常にプライバシーとしての保護の対象外に置かれ、これを公然と指摘して論議の対象とすることが許されるとは限らず、事柄の性質によっては、時間の経過等によって、その秘匿が法的保護の対象となりうるものと解される。すなわち、本件におけるような犯罪ないし前科の報道と時間の経過等との関係について検討するに、犯罪ないし刑事裁判に対する社会的関心は、時の経過と犯罪者に対し処罰が行われることとによって次第に希薄になるものと考えられるところ、一般的には、このように事実上社会の関心が失われることが常にプライバシー保護の要件としての未公開性の復活や公開することの公共的意義の喪失を意味するとは必ずしもいえないとしても、前科については、それが人格の尊厳の基本に関わる情報であり、他方、犯罪によって喚起された社会的関心はこれに対する刑罰の確定と執行によって大幅に鎮静するのが通常であることからいって、犯罪者が刑の執行を受けることにより罪責を償ったのちは、その社会復帰、更生のために前科の秘匿について特に保護が与えられるべきであり、犯罪に対する社会の関心がある程度希薄になってきていると見られるような状況のもとでは、それは単に、刑事政策上の要請であるにとどまらず、犯罪者自身にとってその享受を権利として求めることのできる固有の法益としてプライバシーの一部を構成するものと考えられる(最高裁判所昭和56年4月14日判決・民集35巻3号620頁)。このような前科に関する情報の性質からすると、犯罪の具体的な性質内容等にもよるが、一般に、犯行当時新聞等で報道された犯罪に係る前科であっても、犯行後相当の年月が経過し、犯人に対する刑の執行も終わったときは、その前科に関する情報は、原則として、未公開の情報と同様に、かつ、正当な社会的関心の対象外のものとして取り扱われるべきであり、実名をもってその者が犯罪を犯したことを改めて指摘、公表することは、特段の事由がない限りプライバシーの不当な侵害として許されないものというべきである。そして、本件事件そのものは、前記の諸要件に照らしてみると、12年余の歳月の経過にもかかわらず具体的な犯罪そのものに対する社会の正当な関心が失われておらず、これについて犯人の実名を改めて公表することが許されると考えられるような性質の事件ではない。
[27] また、控訴人は、被控訴人が本件裁判を通じて「著名人」又は「公的人物」になったのであるから、自己のプライバシーを主張することはできない旨主張するところ、人はそのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度のいかんによっては、私生活上の行状についても、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として公然たる論評の対象とされることを受忍しなければならない場合があるが(最高裁判所昭和56年4月16日判決・刑集35巻3号84頁参照)、本件事件の内容に照らせば、本件裁判の被告人となったことが直ちに右のようにプライバシーの保護について特別の取扱いをされるべき特別な社会的地位にあり、あるいは特別な活動をしていることを意味するとはいい難い。ましてや本件事件から12年余を経過した昭和52年当時において、被控訴人が右のような特別な取扱いを受ける人物であったとは到底考えられない。
[28] 右に検討したところによれば、「逆転」が出版された昭和52年ころにおいては、被控訴人の、その前科を他人に知られないことについて有する人格的利益は、法的な保護に値する状況にあったものというべきであり、したがって、控訴人が「逆転」を著作、出版することによって被控訴人の前科を公表したことは、他にこれを正当ならしめる事由がないかぎり、被控訴人の人格的利益を不当に侵害したものというべきである。
[29] 控訴人は、昭和53年8月8日ころあるいは同月23日ころ、被控訴人が控訴人に対し、本件著作における実名の使用につき事後承諾を与えた旨主張し、《証拠略》には被控訴人が同月8日ころ電話で右のように述べた旨の供述部分がある。しかし、《証拠略》によれば、被控訴人は同月8日ことさら他の用事にかこつけてNHK職員の鈴木肇からNHKに来るように求められて出掛けたところ、いきなり控訴人と対面させられ、テレビ録画のための撮影が開始されて本件事件についての取材と判ったため、これに強く抗議して撮影を中止させたこと、同日、被控訴人は本件著作の一部のコピーを渡されてその存在及びその中で被控訴人の実名が使用されていることを知ったこと(この点は当事者間に争いがない。)、その日のうちに被控訴人は控訴人に電話して実名の使用に抗議し、NHKが計画している本件著作に基づくテレビドラマの放映に実名を使用させないよう要求したこと、同月21日控訴人は本件著作を出版した新潮社の南政範と共に被控訴人と会ったが、その際被控訴人は、自分の前科のことが勤務先の甲田に知られ解雇されるのではないかとひどく心配していたので、南は新潮社の社長から甲田に話してもいいと言ったこと、翌22日にも被控訴人はNHKの鈴木肇、玉井勇夫と会って実名使用の問題について話し合ったこと、翌々23日、被控訴人は勤務先の上司らと共に控訴人を訪ねたが不在で会えなかったこと、同日右玉井が甲田本社の乗合課長に会った結果、甲田に対する関係での問題は解消したが、被控訴人はなお実名使用を納得しなかったこと、被控訴人は同年9月初めころ東京法務局人権擁護部に救済を求め、更に同月13日にはNHKを相手取って実名使用禁止の仮処分を申請し、結局前記テレビドラマには仮名を用いる旨の和解が成立したこと(この点は当事者間に争いがない。)が認められるのであって、このような事実の経過に照らすと、被控訴人が8月中に控訴人に対し本件著作の実名使用に対して承諾を与えたとは考えられず、控訴人の前記供述はたやすく措信し難い。《証拠略》中には、被控訴人が8月22日に実名使用を承諾した旨の供述及び記載があるが、前記のような事実の経過に照らすと、仮に被控訴人の態度に若干あいまいな点はあったとしても、被控訴人が本件著作又はNHKのドラマにおける実名使用を当時確定的に承諾したとは到底考えられないので、右供述及び記載部分はにわかに措信することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
[30] 控訴人は、本件著作は被控訴人の無実を明らかにすることを目的とするものであり、右目的を達するためには実名の使用が不可欠であるから、右実名使用はプライバシーの侵害に当たらない旨主張する。
[31] 前記のような本件著作の内容に照らせば、本件著作の主要な目的の一つは、被控訴人が本件の傷害致死の公訴事実の致死の点について無実であること、被控訴人らに対する量刑が不当に重いことを明らかにすることであったと認められる。しかし、本件著作が被控訴人のプライバシーの侵害として問題とされるのは、その点ではなく、本件事件について被控訴人が被疑者及び被告人とされ、傷害罪について実刑判決を受け、服役したという事実を公表したという点に存するのであるから、著作の目的が右の点に存したということは、プライバシー侵害を否定する理由にはならない。なお、控訴人は、本件著作はウィリアムスに対する傷害の点についても正当防衛が成立し、被控訴人は完全に無罪であることを論証したものであると主張するが、後記のとおり右著作の内容は右主張のようなものでないのみならず、仮に著作の内容がそのようなものであるとしても、それによってプライバシー侵害の事実が否定されるものでないことは、前述したところから明らかである。
[32] 控訴人は、本件著作は公共の利害に関する事実を公益を図る目的で公表したものであり、現実的悪意を欠く公正な論評であるから、違法性がない旨主張する。
[33] 一般的には社会的評価が及ばないとされるような性質の事実についても、当該事実が公共の利害に関わり、これに対する社会一般の関心が正当なものと認められるような特別の事情がある場合に、公益を図る目的で当該事実を公表することは適法であると解される。そして、事実の公表が著作によってされた場合には、目的の公益性の有無は、当該著作全体の目的のみによって決せられるのではなく、当該事実自体の公表が公益を図るため必要であったかどうかによるものというべきである。
[34] 本件で被控訴人が秘匿していた事実は、被控訴人が米兵に傷害を負わせたとの罪により懲役3年の実刑判決を受け服役したことであり、右事実それ自体についていえば、事件発生から12年余も経過し、刑の執行も終わった昭和52年当時においては既に正当な社会的関心の対象ではなくなっていることは前記のとおりであるから、原則として公共の利害に関する事実であったとはいえない。しかし、右事実を含めた当該著作の内容が他の点において公共の利害に関わり、かつ、公益を図る目的に基づくものであって、その中で本件事件ないし本件裁判の記述に関して被控訴人の実名を掲げることが右目的の達成に不可欠であるといえる場合には、被控訴人の実名を公表したことも違法性を欠くものということができる。そこで、以下では「逆転」の内容及び著作目的について検討し、更に、右内容が公共の利害に関わり、右目的が公益に向けられたものであるとすれば、これを実現するために被控訴人の実名を公表することが必要不可欠であったかどうかを検討することとする。なお、ここで実名使用の必要性だけを問題とするのは、事情によっては、実名を使用しなくても読者にとって被控訴人と登場人物との同一性を認識することが可能な場合もありうるが、本件事件は前記三2で認定したとおり沖縄でしか報道されなかったもので、それほど大きな社会的関心を呼んだ事件ではなかったと認められ、事件後本件著作の刊行までに12年余の年月が経過していることにも鑑みると、被控訴人の実名を公表しない限り、本件事件及び本件裁判を題材として著作がされたとしても、被控訴人の前科等が公表されたという効果をもたらさないことが明らかであり、被控訴人が問題としているのも実名使用の点だからである。
[35] 前記二で認定した本件著作の内容、《証拠略》によれば、控訴人が「逆転」を執筆した主たる目的は、第一に、陪審制度の長所、民主主義的な意義を訴えること、第二に、本件裁判で被控訴人らに懲役3年の実刑判決が言い渡されたことから、本来の公訴事実であるウィリアムスに対する傷害致死罪、オズボーンに対する傷害罪についてはいずれも無罪とされたにもかかわらず、当時の沖縄の人々は全面的に有罪とする判決があったかのような誤った印象を持ったので、これを是正すること、第三に、アメリカ合衆国による沖縄統治の実態、殊に沖縄人が種々の不当な制約を受けていたことを本件裁判のあり方等を通じて明らかにすることにあったこと、右著作の内容も右目的にほぼ即したものであることが認められる。右第二の目的に関して、控訴人は、「逆転」はウィリアムスに対する傷害の点についても被控訴人の行為は正当防衛であり無実であることを明らかにしようとしたものである旨主張するが、前認定の本件著作の内容によれば、本件事件においては、米兵側が挑発した点は認められるものの、これに応戦して被控訴人らの側が終始攻勢に出ているのであり、正当防衛を窺わせるような事実関係は記述されていないから、右主張は失当である。
[36] まず、右第一及び第三の各目的については、これらの目的それ自体は、公共の利害に関する事項について公益の実現を図るものと評価することができるものである。しかし、本件事件ないし本件裁判に関して被控訴人の実名を公表することがそのプライバシーを侵害するものである以上、たとい著作の目的そのものが公益を図ることにあっても、右目的達成のため実名を公表することが必要でない場合にこれを公表することは許されないものと解されるから、右目的を遂げるために被控訴人の実名を公表することが必要であったかどうかを以下に検討すると、陪審制度の長所を知らせるためには被控訴人の名が仮名であっても何の差し支えもないはずであり、また、アメリカ合衆国統治下の沖縄人が不当な制約を受けていたこと、あるいは本件裁判がそのような状況下で適正を欠くものであったことを訴えるためにも、被控訴人の実名を使用する必要があったとは認められない。控訴人は、実名使用の必要性について、仮名を使用すると虚構が自由になり、真実性が失われること、本件著作は記録という性格をもつものであることなどを挙げるが、前者は著作者たる控訴人が自らの良心と節度によって解決することの可能な問題であり、後者については、本件事件及び本件裁判自体はその当時公表されたものであり、かつ、本件著作は歴史的事実の厳密な考究を目的としたものとはいい難い(周辺的事情について創作を混えていること―その一部については控訴人自身前記「はじめに」の部分で認めているし、《証拠略》によれば、被控訴人に関する記述の一部(本件著作225頁から229頁まで)も、事実に基づかないものであることが認められる―、証拠として採用された被告人らの供述調書について、その全体的な内容が明らかにされていないことは、その例証である。)のであるから、被告人の氏名を仮名にしたからといって、記録性の保持の見地から重大な支障が生ずるとは到底考えられず、少なくとも承諾が得られていた乙山と丙川とについて実名を使用するだけで十分である。
[37] 次に、控訴人と前記執筆目的のうち第二のもの、すなわち、被控訴人に懲役3年の実刑判決が言い渡されたため、本来の公訴事実であるウィリアムスに対する傷害致死罪、オズボーンに対する傷害罪については陪審の評決はいずれも無罪であったのに、一般の人々には全面的に有罪であるかのような誤った印象を与えたので、被控訴人らのためにもこれを是正しようとしたとの点については、一般に刑事事件における罪責の有無についての正確な情報を社会に提供することは、公共の利害に関する事項を対象として公益を図る目的をもってされる行為であるということができる。もっとも、本件においては、前記三2で引用した原判決の判示の(八)、(九)において認定されているとおり、事故当時の沖縄の新聞は、見出しはともかく、その本文においては被控訴人らが有罪とされたのはウィリアムスに対する傷害の部分についてだけであることをほぼ正確に報道しており、したがって、その限りではことさら誤った印象を正す必要があったといえるかどうか疑いがあるが、被控訴人に対する量刑が比較的重かったことをも考慮すれば、少なくとも被控訴人らの罪責が右量刑から一般に想像されるような重大なものではなかったことを明らかにする目的をもって著作すること自体に公共的な意味を見出すことができなくはない。そこで、右公益を図るにあたって被控訴人の実名を掲げることが不可欠であったかどうかについて考えると、社会現象としての特定の犯罪につきその真相を明らかにするという意味では必ずしも被控訴人の実名を公表することを必要とするものではなく、特に被控訴人自身についてその(部分的な)無実を明らかにするという観点からのみその実名の使用が必要となる。特定人の刑事責任あるいは具体的な刑事司法の適正が社会全体の関心事であるという意味では、これも公益と無関係ではないが、この点の公益は、その性質上、被控訴人自身の名誉、私生活の平穏等の私的な利益と密接不可分の関係に立ち、両者はその存立の基盤を共通にするものであるところ、本件のように犯行又は裁判後長年月が経過し、犯罪の内容が特に社会的影響の大きいものでもないために、犯罪自体に対する社会の関心が既に低下している状態のもとでは、右公益は、実名の公表が他面において被控訴人に不利益を及ぼす場合に、右不利益をあえて受忍することを被控訴人に強いうるほどに顕著なものとはいい難い。たとい実名の使用が被控訴人の無実ないしその罪責が実質的に軽小であることを明らかにするためにされたものであっても、それは他面において、被控訴人が有罪判決を受け服役したこと、被控訴人が少なくともウィリアムスを殴打したこと(それが正当防衛に当たらないことは前記のとおりである。)等の被控訴人として秘匿したい事実を明らかにすることにならざるを得ないのであるから、目的が被控訴人の無実を明らかにするにあることは、実名使用を適法ならしめる十分な理由とはなりえない。
[38] 以上によれば、公共の利害に関する事実につき公益を図るためにした行為であることを理由とする控訴人の抗弁は理由がない。なお、控訴人は、本件著作が現実的悪意によらない公正な論評であることを免責の事由として主張するが、アメリカ法において発展をみた、いわゆる公正な論評についての違法性阻却の法理は、公共的な問題についての名誉侵害的な論評について一定の要件をもとに免責を認めるものであって、本件のようにそもそも社会的評価の対象外に置かれるべき事実を公表したことの違法性が問題となっている場合に適用されるものではないし、いわゆる現実的悪意の問題は、名誉侵害にあたって摘示された事実が真実でない場合の免責要件の問題であるから、本件ではこれを論ずる必要がない。その上、本件著作において被控訴人の実名を公表することが公共的な問題としての本件事件又は本件裁判を論評する上で不可欠のものとはいえないことは前記のとおりである以上、この点において既に右法理はその適用の前提を欠くものであり、これによって控訴人の実名使用を正当化することはできない。
[39] 違法に他人の権利・法益を侵害する行為であっても、行為者が当該行為の違法性を認識せず、かつそれについて相当な理由がある場合には、右行為は有責性を欠き、これについて不法行為責任を生じないものというべきである。そこで、本件著作によるプライバシーの侵害につき右のような免責事由が存するかどうかを検討するに、控訴人は、本件につき右免責事由が存する根拠として、本件著作が被控訴人らの無実を明らかにすることを目的としていること、被告人らのうち2人が実名使用を快諾したこと、控訴人が被控訴人の承諾を得るため手を尽くしたが、被控訴人の所在が判明しなかったこと、相被告人である丙川及び乙山が、被控訴人の実名使用に問題はないはずだと言明したこと、控訴人の依頼で本件著作のゲラを読んだ法律家や出版関係者らの中に実名使用に問題があると考えた者がいなかったこと、本件著作が、本件裁判の不正義を明らかにし被控訴人らの名誉を回復したいという止むに止まれぬ心情から生まれたものであることを挙げている。しかし、本件著作において被控訴人の実名を使用することが被控訴人のプライバシーを不当に侵害するおそれのある行為であることは、その性質からいって控訴人にとって格別判断の困難な事柄ではなく(前記本件著作の「あとがき」はこのことを裏書している。)、前記1ないし6のような事情が仮にあったとしても、これらをもって、控訴人において右実名使用が違法性を帯びないと信ずべき相当な理由に当たるものということはできない。したがって、この点の抗弁も理由がない。
[40] NHKが昭和53年9月上旬ころ放映の予定で、本件著作に基づくテレビドラマを制作しようとしたこと、その過程で被控訴人が本件著作の存在及びこれに被控訴人の実名が使用されており、NHKも右実名を使用して放映しようとしていることを知ったこと、被控訴人が、右放映及び今後の出版にあたって被控訴人の実名が使用されないようにするため、東京法務局人権擁護部に相談してNHK、控訴人及び新潮社に対し働き掛けてもらったこと、被控訴人が同月13日にNHKを相手どって東京地方裁判所にテレビ放映の際の実名使用禁止の仮処分を申請したこと、翌14日、被控訴人とNHKとは同裁判所の審尋期日において右テレビドラマでは被控訴人の仮名を使用することを内容とする和解をしたことは、前記四に示したとおりである。
[41] 右事実に《証拠略》を併せると、被控訴人の前科は、右問題の発生まで被控訴人の妻をはじめ勤務先や近隣の人々にも知られていなかったものが、これによって知られるおそれが生じたこと、このため被控訴人は、勤務先から解雇されるのではないかとの不安にさいなまれたり、妻に離婚されるのではないかと思い悩んだりしたこと、しかし、NHKの玉井勇夫らの助力もあって解雇されるようなことはなく、妻も右事実を知って困惑はしたが理解してくれ、結局、被控訴人に具体的な不利益は余り生じなかったことが認められる。以上に加えて、前認定のとおり控訴人は被控訴人の利益になると判断して実名を使用したものであることをも考慮すると、本件著作の出版による被控訴人の精神的苦痛に対する慰謝料の額は50万円をもって相当というべきである。
[42] 以上によれば、被控訴人の本訴請求を、金50万円とこれに対する不法行為ののちである昭和53年8月20日から支払済みまで民事法定利率年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容した原判決は相当である。よって、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法95条、89条に従い、主文のとおり判決する。

  東京高等裁判所第8民事部
      裁判長裁判官 丹野達  裁判官 加茂紀久男  裁判官 新城雅夫

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