天皇と民事裁判権
上告審判決

住民訴訟による損害賠償請求事件
最高裁判所 平成元年(行ツ)第126号
平成元年11月20日 第二小法廷 判決

■ 主 文
■ 理 由

■ 上告人の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

 天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決を維持した原判決は、これを違法として破棄するまでもない。記録によれば、本件訴訟手続に所論の違法はなく、また、所論違憲の主張はその実質において法令違背を主張するものにすぎず、論旨は採用することができない。

 よって、行政事件訴訟法7条、民訴法401条、95条,89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一  裁判官 牧圭次  裁判官 島谷六郎  裁判官 藤島昭  裁判官 奥野久之)
第一、訴訟手続きの法令違反がある。
 訴状及び判決は相手方当事者に送達することを要する。しかるに本件では送達がなされていない。よって、これは被告、被控訴人、天皇家明仁について応訴するか否かの機会を与えていないこととなる。
 これらは訴訟手続きの法令違反となる。民事訴訟法第229条同第193条に違反している。
 分離決定及び判決は訴訟係属を前提とする。しかるに本件では訴訟係属が発生していない。よって本件は違法な分離決定、判決である。
 以上のとおりであるから、本件判決は憲法第32条で保障されている裁判を受ける権利を侵害したものである。天皇家明仁を特別扱いしたことは憲法第14条の法の下の平等の保障を侵害したものである。本件については裁判所は国会の立法権を無視して勝手に天皇家明仁のために民事訴訟法を立法したことになる。
 以上によって原判決は無効な判決である。本件の判決の結果は、天皇家明仁についての公私の責任追求については暴力革命の道しかないことを裁判所は証明したことになる。

第二、天皇の象徴性について
 象徴とは物体についての物理的存在についての規定である。人間性、人格性とは関係がない規定である。その証拠に、どんなに無能な天皇であっても象徴であることにかわりはない。
 よって、象徴であることによっては民事裁判権をなくすることはできない。明文の立法を必要とする。
 原判決は憲法第1条の解釈を誤っている。よって破棄すべきものである。

第三、天皇家明仁について
 本件は私人としての天皇家明仁を相手方としたものであり公職である天皇を相手方としたものではない。
 天皇家明仁について民事裁判権を否定した法令は存在していない。かりに同人が責任をとらないとしたら、だれが責任をとるのか。本件は国事行為ではないから内閣は責任をとらないものである。天皇家明仁にかわって責任をとるべきものとして指定された人格は存在しない。そのような法令も存在していない。
 天皇家明仁には民事裁判権が認められないとして、国民に対して泣きねいりを強要するものである。これでは国民のためにならない存在としての規定をうけることとなる。
 原判決は公私混同の判決である。このために「法の支配」が否定されて、治外法権が実現した。

第四、判例の趣旨に違反している。
 東京高裁昭和51・9・28 東高民特報27巻9号217頁参照
第一点 原判決の訴訟手続には法令違反がある。
第二点 原判決には法令の解釈適用の誤りがある。

一、民事訴訟法第202条は口頭弁論を不要としたもので訴状、判決の送達は必要的である。原判決はこの点について違法である。理由は送達は形式的な行為であり何らの利益を侵害するものではない。相手方に応訴の機会その他の処置をとる機会を与えるためである。

二、天皇家明仁には応訴権がないか。
 応訴権は国事行為ではないから内閣の助言承認を必要としない。禁止する立法がない以上は自由に権利行使ができる。

三、学説は天皇について民事裁判権ありとしている。
 原判決では上告人に立証の機会を与えずに一方的に判決を出している。裁判所は学説よりも優秀ということか。
 裁判官の個人的感情を優先させた公私混同の判決である。「法の手続き」を無視した違法判決である。

四、「象徴」という規定は万能ではない。逆に内容のない規定である。立法事実を調査すればわかることである。「象徴」という規定から「民事裁判権がない」という効果を発生させることはできない。

五、日本国の国家そのものであっても民事裁判権の対象となっている。国家の下部機関である天皇(国家公務員の一人である)については当然に民事裁判権が及ぶ。これを否定して天皇を国家の上におくことは許されない。
 原判決は旧憲法を適用した違法性がある。

六、天皇の地位は昭和20年の敗戦により憲法の制定により変更され格さげとなった。天皇主権は否定されて国民主権の国家となった。天皇は意思決定機関ではなく形式的な意思伝達機関となった。これは無用な存在として天皇制を廃止できることを明らかにしている。天皇は特権的存在ではなくして公務員の一種となった。
 天皇個人は完全無欠の人格者ではありえない。「神」ではなくタダの人間である(人間宣言)。ただ公的な場面では国旗のようにふるまえということである(象徴性)。その物理的存在が国旗などと同じく代用品となるということである(代用品性)。私的生活までも「象徴である」ということではない。私的生活は当然に存在しているし私的責任は当然に負担する。「民事裁判権がない」とすれば悪事(違法行為)のやり放題という結果となる。これは公的行為ではないので内閣その他は責任をとらないものである。私的行為についても公的行為についても当然に民事裁判権が及ぶ。民事事件については何らの支障も発生しない。
 原判決は「象徴」ということから直接的に――何らの理由を示さないで――結論を出している。理由不備の違法性がある。「民事裁判権がない」ことの合理性と必要性を判示することを要する。そのためには立証を必要とする。

七、以上のとおりであるから原判決は憲法第1条の解釈を誤っている。よって民事訴訟法を適用しなかった違法性がある。
 本件判決によって天皇制廃止運動がさらに発展することになる。裁判官の思考までも混乱させる天皇制の魔術的性格、迷信的性格は地上から永遠に除去される必要がある。

八、日本国憲法での天皇は、第1条の規定がなければ象徴でありえない存在であり、ただの公務員である。かつ意思決定権の規定を持たないため象徴でしかない存在である。これは憲法によってまったく新たに創設されたものであり、象徴であることだけに限定され、その行為も第4条で厳格に制限され、「象徴」の背後に別の地位や実体を求めえない。ここでの「象徴」の語は、いわば唯名論的な概念であり法的には単純・明りょうで、それは統治権者でも元首でもなく、象徴としても二重に限定を受けている。これが世界でただ一つの象徴天皇にのみ見いだされる象徴性である。

■第一審判決 ■控訴審判決 ■上告審判決   ■判決一覧