天皇と民事裁判権
控訴審判決

住民訴訟による損害賠償請求事件
東京高等裁判所 平成元年(行コ)第60号
平成元年7月19日 第17民事部 判決

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。


 控訴人が提出した控訴状には、「原判決を取り消す。本件を千葉地方裁判所に差し戻す。」との判決を求める旨の記載があり、また、主張として次のような記載がある。

 原判決には手続上の違法がある。
 即ち、控訴人が提起した訴えの訴訟係属は、訴状が被告に送達されて始めて生じるのである。そして、訴状が送達される前には、訴えを却下する判決はすることができないのである。しかるに、原判決には、右の点を看過して違法がある。

 天皇に対しても、民事裁判権が及んでいる。本件のような行為は国事行為ではないから、内閣が責任を負うものではない。


 本件記録によれば、次の事実を認めることができる。
 本件訴状に記載されているところによると、控訴人の本件訴えの要旨は、控訴人は千葉県の住民であるが、千葉県知事沼田武は昭和63年9月23日から昭和64年1月6日まで、昭和天皇の御病気の御快癒を願う県民記帳所を違法に設置し、これに千葉県の公費を違法に支出して千葉県に損害を与えたものであり、一方、昭和天皇は右記帳所の設置に要した費用相当額を不当に利得したものであるところ,同天皇は同月7日崩じ、被控訴人が相続したとして、地方自治法242条の2第1項4号に基づき、千葉県に代位のうえ、沼田武に対し損害賠償請求を、また被控訴人に対し不当利得返還請求をする、というものである。これに対し、原裁判所は、被控訴人に関する本件訴えを分離したうえ、天皇は民事裁判権に服しないから、本件訴えは不適法であるとして、これを却下した。

 ところで、日本国の民事裁判権は、国際慣例や国際法上の原則により例外が認められている、外国国家及び治外法権者を除き、本来わが国にいるすべての人に及ぶべきものである。しかしながら、天皇は、日本国憲法において、主権者である日本国民の総意に基づく、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴という地位にあるとされているから、主権者である一般の国民とは異なる法的地位にあると解せられる。もとより、天皇といえども日本国籍を有する自然人の一人であって、日常生活において、私法上の行為をなすことがあり、その効力は民法その他の実体私法の定めるところに従うことになるが、このことから直ちに、天皇も民事裁判権に服すると解することはできない。仮に、天皇に対しても民事裁判権が及ぶとするなら、民事及び行政の訴訟において、天皇といえども、被告適格を有し、また証人となる義務を負担することになるが、このようなことは、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるという、天皇の憲法上の地位とは全くそぐわないものである。そして、このように解することが、天皇は刑事訴訟において訴追されることはないし、また、公職選挙法上選挙権及び被選挙権を有しないと、一般に理解されていることと、整合するものというべきである。

 なお、本件記録によれば、本件訴状は未だ被控訴人に送達されていないから、本件につき訴訟係属が生じているとはいえないが、本件訴えそのものは裁判所に提起されているから、原裁判所は、本件訴えを不適法な訴えであると解すれば、判決によりこれを却下する権限を有するものである。

 以上の次第で、天皇である被控訴人に対しては民事裁判権が及ばないから、本件訴えは不適法としてこれを却下すべきであり、右と同旨の原判決は相当である。

 よって、民訴法202条の趣旨に従い、本件控訴を失当として棄却することとし、控訴費用の負担について行訴法7条、民訴法95条本文、89条を適用して、主文のとおり判決する。

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