光陰矢のごとし。わたしがカンボジアを訪ねてから早10年以上の歳月が流れ,
1993年の出来事は過去の歴史になろうとしている。
この写真を撮影した背景についてひとこと説明しておきたいと思います。
当時のカンボジアは,内戦に終止符を打つべく国連が介入している時代でした。
明石康氏を代表とする国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC) が,全土に展開して,
治安の維持と政治の民主化プロセスのお膳立てをしていた頃です。
私がかかわっていた日本キリスト教海外医療協力会 (JOCS) というNGOは,当時
すでに,カンボジア南部のバティ郡に柳沢理子ワーカーを派遣して,地域住民の
保健衛生活動に従事していました。彼女の活動とカンボジアの人々の日常の姿を
記録にとどめるべく,私はフォトグラファーとして派遣されました。
ちなみに日本の自衛隊が展開したのが同じバティ郡です。彼らの出立を見送る情
景がテレビで報道されていましたが,隊員の家族はあたかも今生の別れであるか
のごとく涙を流していました。ですがバティ郡は治安のよいところで,隊員の多
くはカンボジアの人々の素朴なふるまいと豊かな食文化,平和な農村風景に感銘
を受けて帰国したことでしょう。
わたしはJOCSの現地スタッフの薦めもあって,アンコールワットに足を伸ばし
ましたが,ここの治安は不安定かつ流動的でした。奥地の神殿ではプノンペン政
府軍の兵士が自動小銃をもって警備にあたっていました。同政府に対立するポル
ポト派は,国際的に孤立し,影響力を弱めていましたが,それなりの勢力を依然
保っており,私が訪ねてから数週間後にシエム・レアップへの総攻撃を仕掛けま
した。
ここに紹介する写真は,主としてアンコールワットの風景とシエム・リアップの
市場を撮したものです。戦火の絶えない中,笑顔の人たちと出会いました。
(2006年11月19日記す)