八幡税務署事件
上告審判決(営業用財産と営業所得の帰属)

相続税更正処分等取消請求上告事件
最高裁判所 昭和60年(行ツ)第126号
昭和62年10月30日 第三小法廷 判決

上告人 (控訴人・被控訴人 原告) A
上告人 (被控訴人     原告) B ほか4名
        右訴訟代理人弁護士 阿川琢磨

被上告人(被控訴人・控訴人 被告) 八幡税務署長 北嶋喜一
           右指定代理人 高村一之

■ 主 文
■ 理 由

■ 上告代理人阿川琢磨の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

 本件酒類販売業の営業による所得は亡Gの死亡時まで同人に帰属し、また本件営業用資産は同人の遺産に属するものとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

 よって、行政事件訴訟法7条、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂上壽夫  裁判官 伊藤正己  裁判官 安岡満彦  裁判官 長島敦)
[1] 本件に関しては、左記(一)ないし(八)に掲記した証拠があり、経験則上、このような証拠がある場合には同(一)ないし(八)に記載した各事実の存在が認められる。
〔中略〕
(一) 昭和29年秋頃には、Gの酒乱に耐えられず、従業員2名が退職を申し出、AもGの経営下における勤労に意欲を失い、H商店及びH家の家庭生活は破局的な状態に立ち至っていたこと。
(証拠) 江見五城 龍神旭 B C A
(二) その解決のために、Aが昭和29年11月18日頃、主だった親族を集めて、その席上でGと協議し、その結果、Gが隠居することとなったこと。
(証拠) 内田守 内田ヨシエ B C A
(三) 右親族会議の頃を境として、H商店はAが中心となって運営し、Gは店のことに口出しをしなくなったこと。
(証拠) 龍神旭 B C A
(四) 同時に、H家の家計はA夫妻が切り盛りし、実母Iも同夫妻が扶養するようになったこと。
(証拠) B C A
(五) またそれと同時に、Gはその時点における事業用の預金千数百万円を別の個人用銀行口座に移して専ら自己の個人生活の資とし、昭和33年頃には隠居所を新築して、以後こゝに別居したこと。
(証拠) 龍神旭 白石行男 B C A
(六) それ以後、Gは専ら持ち出した預金の利子等で生計を立て、H商店の営業収益からは何も取得しなかったこと。
(証拠) B A
(七) 他方、H商店の昭和38年のビール卸販売業開始に伴い、仕入先に差し入れる保証金はAがこれを調達し、且つ銀行取引については同人が自己の定期預金を担保に差入れたこと。
(証拠) A 乙第1号証
(八) またAは昭和44年から同45年にかけて、同人名義の倉庫・店舗・居宅を新築したが、その資金はH商店の勘定から支出していること。
(証拠) A 甲第6号証ないし甲第8号証の3

[2] 以上のような一連の事実が存在する場合には、経験則上、GからAへ営業譲渡が行われたことが認められる。然るに原判決がその事実を認定しなかったのは経験則の適用を誤ったものであり、これは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

 右営業譲渡の事実が認められないことについて、
[3](一) 原判決は7枚目表12行目から同裏7行目において、第一審判決32枚目表12行目から34枚目表7行目までを引用して、その理由を次のように説明している。
「Gが戦前からかなりの酒好きであり、昭和32年福間病院に入院したころにはアルコール精神病(渇酒症及びアルコール幻覚症)に罹患していたこと、酒に酔うと家族や従業員らに暴力を振うこともしばしばあったこと、そのため原告邦良が昭和29年11月28日ころ親族間で話し合いを持ったこと、またそのころを境として右営業は事実上原告Aが中心となって運営するようになったことはそれぞれ認めるものの、それ以上に、右同日、Gが、右営業に一切干渉しないことに同意したうえ、右営業用資産を原告Aにすべて譲渡する旨の意思表示をした事実は、本件全証拠によるもこれを認めることができない。」
[4] 然し乍ら、右営業譲渡については、これを推認させるに充分な前掲の各証拠が存在し、原判決も「右営業譲渡のなされたことを裏づけるかのような供述がある」ことを認めているのであるから、その証拠価値を否定するにはそれ相当の理由を示すことが必要であるところ、原判決が前述のとおり引用する第一審判決はこの点について、
1「昭和29年11月当時には営業譲渡に伴って当然予想される酒類販売免許の名義変更問題が何等話題となっていないこと」、
2「銀行その他の取引がその後昭和45年ころまで従前どおりG名義もしくは同人の使用していた「H商店」の商号のままで行われていること」、
3「Gがその後店を取られたといって乱暴することがあったこと」、
などの事実に照らすと必ずしも措信できないとして、前掲各証拠の信憑性を否定している。
[5] また原判決はその11枚目表3行目から同9行目において、
4「Gがその営業に全く従事できない状態でもなかった」こと、
5「右営業のための酒類販売免許はその死亡までG名義であり、同人はこの名義を一審原告Aに変更することを拒否していた」こと、
を理由として、H商店の営業による所得及び営業用資産が法律上その死亡までGに属していたものと認定している。
[6](二) 然し乍ら、指摘された理由のうち、
1の免許名義の点については、昭和34年の酒税法改正以前においては、当時の間税当局の行政指導下では、死亡以外の理由に基づく免許名義の変更は事実上不可能であること酒販業界の一致した認識であり、従って昭和29年11月28日当時には、免許名義の変更は話題になり得ない状況にあった(A)のであるし、
2の銀行その他の取引名義の点については、酒類販売免許がGの名義であったため、間税当局に対する遠慮から、対外取引の名義を免許の名義に合わせざるを得なかったにすぎず(A)、
3の「店を取られたといって乱暴する」点については、Gのそのような言動は、同人が飲酒により正常な精神状態を失った際に出るものであり、仮にそれが同人の本音であったとしても、それは店の経営権ないし支配がAの手に移っていたことを如実に物語るものであり、却って営業譲渡の事実を推認させるに充分な事情と言うべきである(C、A)。
4のGの営業従事能力の点については、証拠として存在するのは保護司などの肩書があったことだけであって、これらの地位は職業上の第一線を引退した人が就任することが多いことは公知の事実であるうえ、Gの場合には、その地位に伴う実務は殆ど妻BやAの代行、加勢によって遂行されていたにすぎず(江見五城、B、A)、 5の免許名義の変更拒否の点については、前述1で明らかなとおり、昭和29年の親族会議当時のことではなく、その後のGの言動に関する問題であり、Gはその後も飲酒癖は改まらず、遂に昭和32年にはアルコール精神病で入院したほどであり、退院後も飲酒を続け、同人のアルコール精神病は根治するに至らなかったことからみて、免許名義の変更についての拒否的態度は、アルコール精神病患者の病的精神状態にその原因があり、これをもって営業譲渡の有無の判断根拠とすることはできない(江見五城、B、A)。
[7](三) 従って原判決が挙げるような事実や理由によって一の(一)ないし(八)の証拠の信憑性及び営業譲渡の事実を否定することは著しく不当であって、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな採証法則の違背があり、または理由不備の違法がある。
[8] 所得税法第12条は、「収益」をその「享受」者に帰属するものとして同法を適用する旨の実質所得者課税の原則を定めている。税法体系の合理的、統一的な解釈からすれば、相続税法第1条及び第2条が対象とする相続財産に関しても、当該財産が事業収益として蓄積されたものである場合には、それが法律上、被相続人に帰属していたか否かではなく、被相続人が生前自己に属するものとして享受する事業収益であったか否かによって決定されるべきものである。
[9] 所得税法第12条の実質所得者課税の原則についてみると,原判決はこれにつき
「所得税法上所得が何人に属するかは、何人の勤労によるかではなく、法律上何人の収支計算の下に行われるかによって決定すべきものであると解するのが相当である」
としている。

[10] 然し、所得の帰属問題を、勤労ではなく、収支計算の主体という観点から規定することができるとしても、その場合でも法律上の収支計算の主体が単なる名義人にすぎず、収支計算の実質上の支配者が別に存在する場合には、後者を所得者とすべきであり、従って収支計算の主体を「法律上」のものに限定すべきではない。このことは、国税徴収法第36条1号が「所得税法第12条……の規定により課された国税」の第二次納税義務者を「その国税の賦課の基因となった収益が法律上帰属するとみられる者」と規定していることからも明らかなことである。
[11] 最高裁判所は昭和32年(オ)第616号事件に関し昭和33年7月29日に言渡した判決において
「何人の所得に帰するかは、何人が主としてそのために勤労したかの問題ではなく、何人の収支計算の下において行われたかの問題である」
と述べて収支計算の主体を必ずしも「法律上」のものに限定してはいないし、また、昭和35年(オ)第727号事件に関し、昭和37年3月16日に言渡した判決においても、
「収入が何人の所得に属するかは、何人の勤労によるかではなく、何人の収入に帰したかで判断される問題である」
として、同様に収入の帰属を「法律上」のものに限定してはいない。従って原判決は所得税法第12条の解釈、従ってまた相続税法第1条及び第2条の相続財産の解釈を誤っているものというべきである。

[12] このように考えると、必ずしも営業譲渡という明確な法律行為が介在しなくても第一点の一の(一)ないし(八)の事例のように、ある時点を境として事業の運営が事実上甲から乙に移り、甲は以後その事業上の収益を管理せず、またこれを自己の私的な支出にあてたこともなく、乙がこれを管理し、その収益からの支出により乙名義の財産を取得したりするような場合には、乙をその事業上の収益の帰属者と認めるべきであり、その事業活動によって蓄積された財産は甲の遺産に属さないものとすべきである。従って原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。

■第一審判決 ■控訴審判決   ■上告審判決(青色申告) ■上告審判決(遺産帰属)
  ■差戻後控訴審判決     ■行政法判決一覧