八幡税務署事件
控訴審判決

相続税更正処分取消、所得税更正処分等取消請求控訴事件
福岡高等裁判所 昭和56年(行コ)第16号、第17号
昭和60年3月29日 判決

第16号事件控訴人・第17号事件被控訴人(原告) A
         第17号事件被控訴人(原告) B ほか4名

第16号事件被控訴人・第17号事件控訴人(被告) 八幡税務署長
                   代理人 西修一郎 上田政之 ほか3名

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 原判決主文第二項を取り消す。
 一審原告らの原判決別表(二)の(1)の(ロ)(同(二)の(1)の(ハ)の範囲内の部分)、同(三)の(1)の(ロ)の各処分についての請求を棄却する。
 一審被告のその余の部分についての控訴及び一審原告Aの控訴を棄却する。
 訴訟費用は、第一、二審を通じて、一審原告Aと一審被告との間に生じた分は、これを4分し、その3を一審原告Aの負担とし、その余を一審被告の負担とし、その余の一審原告らと一審被告との間に生じた分は、その余の一審原告らの負担とする。


 一審原告A(以下「一審原告A」という。)は、
「原判決中一審原告Aの敗訴部分(ただし、訴え却下の部分を除く。)を取り消す。
 一審被告が一審原告Aに対し昭和50年1月14日付で行つた被相続人Gの死亡に伴う相続開始にかかる一審原告Aの相続税についての原判決別表(一)の(2)の「(ロ)更正額」欄記載の相続税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分のうち、相続税の総額308万9800円を超える部分及び過少申告加算税の賦課決定処分を取り消す。
 一審被告の控訴を棄却する。
 訴訟費用は、第一、二審とも一審被告の負担とする。」
との判決を求め、一審被告は、
「原判決中一審被告の敗訴部分を取り消す。
 一審原告らの請求を棄却する。
 一審原告Aの控訴を棄却する。
 訴訟費用は、第一、二審とも一審原告らの負担とする。」
との判決を求め、一審原告Aを除く一審原告らは、
「一審被告の控訴を棄却する。
 控訴費用は、一審被告の負担とする。」
との判決を求めた。

 当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示(ただし、原判決において訴を却下された部分に関する分を除く。)のとおりであるから、これを引用する。

 原判決6枚目表7行目の「(二)」の次に(1)を加え、同6枚目裏11行目の次に次のとおり加え、同12行目の冒頭に(4)を加える。
(2) 仮に、一審原告Aにおいて昭和29年11月28日GからH商店の営業を譲受けたことが認められないとしても、一審原告Aは同年11月の親族会議の席上、GからH商店の営業を譲受けたものと信じ、以後これを自己の営業として平穏・公然に支配運営してきたものであり、親族会議開催に至つた経緯、同会議における協議の内容及びGの隠退等その後の経過に徴して一審原告Aが右当時GからH商店の営業を譲受けたものと信じたことについて過失はなかつた。
 したがつて、一審原告Aは、昭和39年11月の経過とともにH商店の営業用資産(ただし、不動産を除く。)一切を時効取得したものであるから、Gの営業用資産はその遺産から除外すべきである。
(3) 仮に、右主張が認められないとしても、一審原告Aは、昭和44年末頃H商店の営業用資産から資金を支出して自己名義の店舗・倉庫・居宅の建築を開始し、昭和45年中には銀行取引をGから自己名義に変更する等、H商店を自己の営業として支配運営している事実を一段と鮮明にした。
 したがつて、おそくとも昭和46年1月1日以降のH商店経営による利益については、一審原告Aがその実質的所得者であり、その後G死亡時までの間に増殖された営業用資産はGの遺産には属さず、一審原告Aの固有の資産である。
 したがつて、Gの遺産中の営業(事業)用財産及び債務は昭和45年12月31日現在におけるそれに限定して相続税及び過少申告加算税の額を算定すべきであり、これによると、別紙計算表記載のとおり一審原告Aに対する相続税額は金662万4900円、過少申告加算税は金23万3100円となる。」
 同12枚目表2行目の「はずである。」の次に
「現に昭和51年3月12日昭和48、49年分の所得税についての前記更正処分を受けるや、翌13日一審被告に対し青色申告の承認を申請して昭和51年分以降についてその承認を受け同年分以降青色申告により所得税の確定申告、納付をしている(なお、昭和50年分の所得税についても更正処分を受けたが、不服申立はしたものの、訴訟等はしていない。)。」
を加える。

 同15枚目表5行目の「されるべきこと」の次に
「昭和44年末頃、店舗、倉庫、居宅の建築が開始されたこと、その建築資金がH商店の営業用資産から支出されていること、右建物の登記名義が一審原告A名義となつていること、昭和45年中に銀行取引中株式会社福岡銀行八幡支店のGの普通預金口座が解約され、同支店に一審原告Aの普通預金口座が開設されたこと」
を加える。

 同16枚目表3行目の「なかつたこと」の次に
「一審原告Aが昭和51年3月13日青色申告の承認を申請して昭和51年分以降についてその承認を受け同年分以降青色申告により所得税の確定申告、納付をしていること」
を加える。
[1] 次の事実は、当事者間に争いがない。

[2](一) 一審原告らの被相続人であるGが戦前から酒類販売業の免許を得て一審原告らの肩書住所所在の店舗で右営業を営んでいたこと、Gが昭和47年9月21日に死亡し、同人の相続人である一審原告らがその遺産を相続したこと。

[3](二) 一審原告Aが昭和48年3月22日Gの死亡による相続の相続税について原判決別表(一)の(2)の(イ)(以下単に(一)の(2)の(イ)という。原判決別表は以下同様に略称。)の申告をしたところ、一審被告が昭和50年1月14日(一)の(2)の(ロ)の処分をしたこと、一審被告が右処分において一審原告Aがその申告でGの営んでいた酒類販売業の営業用資産を一部を除外していたとしていること。

[4](三) 一審被告が一審原告らに対し(1)Gの昭和46年分の所得の所得税について昭和50年3月11日(二)の(1)の(ロ)の処分をし、(2)右処分について昭和51年3月12日(二)の(1)の(ハ)の減額更正処分をし、(3)Gの昭和47年分(死亡時の9月21日まで)の所得の所得税について同日(三)の(1)の(ロ)の処分をしたこと、一審被告が右各処分においてGを酒類販売業の経営者であると認定し、その理由の一部が右営業の免許人がGであり、銀行その他の取引がG名義又は同人の従前使用していた「H商店」の商号で行われていた点にあること。

[5] (一)一審原告Aは、昭和29年11月28日Gから酒類販売業の営業上の一切の権利義務の譲渡を受けたものであり仮に、そうでないとしても、取得時効によつて、昭和47年9月21日G死亡時に存した営業用資産は一審原告Aの財産であつてGの遺産ではなく、仮に、そうでないとしても、昭和46年1月1日以降は一審原告Aにおいて右営業の経営者として営業一切を支配して来たものであるから、その後G死亡時までに増加した営業用資産は一審原告Aの財産であつてGの遺産ではないので、前記一審被告の相続税についての(一)の(2)の(ロ)の処分は違法であり、(二)一審原告らは、右昭和29年のGから一審原告Aへの営業譲渡、そうでないとしても、右昭和46年1月1日以降の一審原告Aの経営者としての営業支配によれば、所得税法上の実質所得者課税の原則上、同日以降の右営業による実質的所得者は一審原告Aであるから、前記一審被告のAの昭和46年の所得税についての(二)の(1)の(ロ)の処分のうち(二)の(1)の(ハ)の金額の範囲内の部分、昭和47年の所得税についての(三)の(1)の(ロ)の処分は違法であると主張するので、判断する。

[6](一) まず、一審原告ら主張の昭和29年11月28日のGから一審原告Aへの営業譲渡は認められないものと認定判断するが、その理由は、原判決右理由説示(原判決32枚目表12行目から34枚目表7行目まで。但し、33枚目表1行目の「尋問の結果」の次に「当審証人白石行男の証言、当審における一審原告A本人尋問の結果」を加え、33枚目裏3行目の「尋問の結果」の次に「当審における一審原告A本人尋問の結果」を加える。)のとおりであるから、これを引用する。
[7] 次に、一審原告らの営業用資産の時効取得の主張についてみるに、営業用資産すなわち、営業財産とは、特定の営業のために存する組織的財産で、積極財産(商品・金銭・店舗・債権・商標権・得意先関係・営業上の秘密等)及び消極的財産(債務)から構成され、日々の取引により得喪変更される流動的なものであり、これを構成する個々の財産について別個に時効取得の対象となり得る場合があるとしても、営業用資産一切を時効取得することはありえないばかりか、前記認定のとおり昭和29年の営業譲渡が認められず、一審原告AがH商店を自己の営業としてその営業用資産を支配運営したことが認められない以上、一審原告Aに右営業用資産の所有の意思があり、自己の所有と信ずるについて過失がなかつたとはいえないので、右時効取得の主張は失当である。

[8](二) そこで、一審原告らのその余の前記主張について検討するに、〈証拠略〉によれば、次の事実を認めることができる。
[9](1) Gは一審原告Aの兄で、昭和13年一審原告Bと結婚したが、子がなく、一審原告Aは、昭和18年9月29日G夫妻と養子縁組をし、両者の母Iと共に、Gと同居していたが、昭和22年結婚した。
[10] Gは、戦前から酒類販売業を営んでいたが、一審原告Aは、昭和25年4月勤務していた門司税務署を退職して右酒類販売業に専念するようになつた。
[11] Gは、戦前からかなりの酒好きであり、昭和32年8月から10月までアルコール精神病(渇酒症及びアルコール幻覚症)により病院に入院したこともあり、酒に酔うと家族や従業員にしばしば暴力を振う状態であつた。
[12] このようなことから、昭和29年11月ころから一審原告Aが中心となつて右酒類販売業を運営するようになつた。
[13](2) 一審原告Aは、昭和44年12月鉄筋コンクリート鉄骨造2階建1階441.31平方米、2階159.18平方米の店舗兼居宅兼倉庫を建築し、その資金約2,200万円の大半を右営業用資産から出し、同人名義に保存登記した。
[14](3) 右営業について、昭和45年12月福岡銀行八幡支店に一審原告Aの普通預金及び当座預金各口座が開設され、Gの普通預金口座は解約されたが、従前からのGの当座預金口座はそのままで同人の死亡まで利用された。
[15](4) 昭和45年分までの右酒類販売営業による所得の所得税の確定申告はG名義でなされたが、一審原告Aは、酒類販売免許がなくてもその営業の所得者と認められることを知り、昭和47年3月に昭和46年分の酒類販売営業による所得の所得税の確定申告をし、同年以降も同人名義の所得税の確定申告を継続してし、被告はこれらの申告を受理した。
[16](5) 一方、右酒類販売業における酒類販売免許はGの死亡まで同人名義であり、右名義を変更することは困難であつたとはいえ可能であつたが、一審原告Aへの変更手続がなされようとしたこともなく、Gは、死亡まで右名義を変更することは拒否していた。
[17](6) Gは、昭和34年から36年にかけて民生児童委員、町内会長、保護司を委嘱され、保護司については死亡時までその地位にあり、その健康状態は、昭和45年前記(2)の新築祝の席上で挨拶をする等右酒類販売業の営業に全く堪えないものではなかつた。
[18](7) そして、Gは昭和46年9月糖尿病等のため入院し、昭和47年9月21日死亡したが、その直前の同月10日G、一審原告B夫妻と一審原告Aの妻である一審原告C及びその子であるその余の一審原告らとは養子縁組をした。

[19](三) 所得税法は実質所得者課税の原則をとつているが、このことは所得税法上所得が何人の所得に属するかは、何人の勤労によるかではなく、法律上何人の収支計算の下に行われるかによつて決定すべきものであるとするものと解するのが相当であり、これによつて所得がその所得者の遺産となるかどうかも決すべきものである。そこで、これによつて右認定事実に基づいて、昭和47年9月21日G死亡時の右酒類販売業の営業用資産がすべてGの遺産であつたか及び昭和46、47年分の右営業による所得者がG又は一審原告Aのいずれであつたかについてみるに、一審原告Aが昭和25年右酒類販売業に専念するようになつて以後、Gが右営業についてどの程度の勤労をしたか具体的に判然としない点があるが、Gがアルコール中毒症その他の疾病のため、主として一審原告Aがその勤労によつて右営業を運営して来たものの、Gがその営業に全く従事できない状態でもなかつたものであり、ことに右営業のための酒類販売免許はその死亡までG名義であり、同人はこの名義を一審原告Aに変更することを拒否していたものであるから、右営業による所得及び営業用資産は法律上その死亡までGに属したものと認めるのが相当である。前記(二)の(2)の認定のように営業用資産から一審原告A名義の建物の資金が出されたのは、Gから一審原告Aへの贈与ないし報酬の支払というべきであり、(二)の(3)認定の右営業に一部一審原告Aの銀行口座が利用されたこと及び(二)の(4)認定の昭和46、47年分の所得税の一審原告Aの所得税の確定申告及びその一審被告の受理がなされたことも、右認定判断を左右しえない。
[20] したがつて、G死亡時に存した営業用資産が同人の遺産であるとした一審被告の(一)の(1)の(ロ)の処分及び昭和46、47年分の所得がGに属するとした一審被告の(二)の(1)の(ロ)の処分のうち(二)の(1)の(ハ)の金額の範囲内の部分、(三)の(1)の(ロ)の処分は違法ということはできない。
[21] 当裁判所も、(四)の(1)の(ロ)(但し同(ハ)の金額の範囲内)、(五)の(1)の(ロ)(但し同(ハ)の金額の範囲内)の各処分が違法であつて、取り消すべきものであると認定判断するが、その理由は、次に付加訂正するほかは、原判決理由説示(原判決38枚目表12行目から40枚目裏7行目まで。)のとおりであるから、これを引用する。

[22] 原判決39枚目裏12行目の「なかつたこと」の次に
「、一審原告Aは昭和51年3月12日前記(四)の(1)の(ロ)及び(五)の(1)の(ロ)の各更正処分を受けるや、翌13日一審被告に対し青色申告承認を申請して、昭和51年分以降についてその承認を受け同年分以降青色申告により所得税の確定申告、納付をしていること」
を加え、

[23] 原判決40枚目表9行目の「考えられないから」を「考えられず」と改め、同10行目の「受理した以上」を「受理し、当審証人塩崎勇太郎の証言によつて認められるように、一審被告は青色申告書による確定申告にその承認があるかどうかの確認を怠り」と改め、同12行目の「否認するのは」の次に「前記のように昭和46、47年分の所得税の一審原告Aの確定申告が相当でなく、Gによつてなさるべきものであつたとしても」を加える。

[24] 原判決40枚目末行の次に行をかえて次のとおり加える。
「なお、付言するに、一般に税法における信義則の適用が問題とされる事案にあつては、信義則が適用され処分が違法とされた結果、納税者に与えられる非課税等の利益は、如何なる処理をしても適法となる余地のない違法なものが多い。しかるに、本件においては、一審原告Aは、青色申告の承認申請を怠りその承認がなかつたものの、前記のとおり、実質所得者の点については相当ではなかつたものの、昭和46、47年分については青色申告による確定申告を受理されて納税し、昭和50年分以降は一審被告に右更正処分によつて青色申告の承認申請のなかつたことを指摘されるや直ちにその申請をして昭和51年分以降についてその承認を受け同年分以降青色申告による確定申告、納税をしていることからも明らかなように、青色申告の申請、承認のなかつたことを除いては、昭和48、49年分の青色申告による確定申告は相当であつて一審原告Aが不当に課税上の利益を得るというものではない。したがつて、本件について前記の諸事情があることによつて信義則を適用して、前記各更正処分を違法として差支えないものと解するのが相当である。」
[25] そこで、右と異る原判決主文第二項を取消し、その部分の一審原告らの請求を棄却し、一審被告のその余の部分についての控訴及び一審原告Aの控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法96条、92条、93条、89条を適用して、主文のとおり判決する。

  裁判官 矢頭直哉 諸江田鶴雄 日高千之

別表計算表〈略〉

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