神戸税関事件
第一審判決

行政処分無効確認等請求事件
神戸地方裁判所 昭和37年(行)第17号
昭和44年9月24日 第4民事部 判決

原告 甲野一郎(仮名) 外2名
被告 神戸税関長

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由

■ 参照条文


 原告らの第一次請求を棄却する。
 被告が原告らに対してなした昭和36年12月15日付の各懲戒免職処分はいずれも取消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。

一、原告ら
(一) 第一次請求
 被告が原告らに対してなした昭和36年12月15日付の各懲戒免職処分はいずれも無効であることを確認する。
 訴訟費用は被告の負担とする。
(二) 第二次請求
 主文第二、三項同旨。

二、被告
(一) 本案前
 原告らの第一次請求をいずれも却下する。
(二) 本案
 原告らの請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は原告らの負担とする。
[1]第一、原告らはいずれも神戸税関職員で、原告甲野は副関税鑑査官(大蔵技官)、同乙山、同丙田はいずれも大蔵事務官であつたところ、被告は原告らに対し昭和36年12月15日付で別紙処分の理由記載の理由により懲戒免職処分(以下本件処分という。)をなした。(原告らは期間内の同月28日人事院に審査請求をなし、目下係属中だが、審査手続は事実上停止している。)

[2]第二、右処分は次のとおり違法かつ無効である。仮りに無効でないとしても、取消すべき瑕疵がある。

[3]一、国家公務員法(昭和37年法律第77号による改正前のもの、以下国公法という。)89条が、職員に対する懲戒等の不利益処分を行う場合に、任命権者に処分説明書の交付を義務づけた趣旨は、恣意による違法不当な処分を抑制するとともに、処分を受けた職員が容易に法律上の救済を求め得るようその基礎を提供し、もつて職員の身分を厚く保護しようとするものである。このような趣旨からすれば、処分説明書には同法82条各号に該当する具体的事実ないし情状に関する事実が特定される程度に記載されなければならない。本件処分説明書の処分理由は別紙のとおりであるが、処分事実の特定に欠けており、情状に関する事実の説明がなく、また、いかなる法律上の理由により処分されたのか不明である。従つて、右説明書は同法89条の要求する適法な処分説明書とはいえず、結局本件処分はその手続において重大かつ明白な瑕疵がある。

[4]二、原告らの行為は、いずれも正当な組合活動であり、国公法82条各号に該当しない。その理由は次のとおりである。
(一) 昭和36年8月19日の件
[5](1) 被告主張の処分理由の内、神戸税関長官房主事森弘が同主事室で大塚宏圀に懲戒処分書及び処分説明書を交付しようとしたこと、全国税関労働組合神戸支部(以下組合という)の組合員多数が同室におもむき、処分理由の不明確な点につき釈明を求め、かつ処分の不当性につき抗議したことは認める。組合員多数が官房主事を取り囲んでその退出を阻止し、官房主事及び総務課長横田忠良に威圧的言動を弄したこと、原告丙田が官房主事に悪口雑言をあびせ、総務課長にも暴言を吐き,官房主事の退出阻止に加わつたことは否認する。
[6](2) 大塚に対する処分は、1年10カ月前の密輸事件(大塚の友人が上陸の際外国製たばこを隠し持つていたこと)にかこつけて戒告処分にしようとしたものである。税関当局は、事件後大塚を関税法違反容疑で取調べ、黒と断定して罰金の通告処分にする旨や懲戒免職処分にする旨の新聞発表をしていた。これは組合役員が密輸の片棒をかついだと宣伝することによつて組合攻撃をし、かつ大塚を処分することで組合の弱体化を狙つたものである。ところが当局は何らの処分をしなかつた。容疑事実がなかつたからである。従つて、当局は、強く精神的打撃を受けた大塚及び組合に弁明すべきであるのに、1年10カ月後(新聞発表からでも1年2カ月後)に突然国公法違反で処分しようとした。この当局の不正な態度に対し、組合が処分理由につき釈明を求め、かつ処分に抗議したのは当然である。更に、処分の伝達は従来処分権者たる税関長が自ら行なつていたのに、この時に限つて官房主事が行ない、しかも官房主事は処分の理由及び税関長が自ら処分書を交付しない理由につき納得のいく説明をしなかつた。従つて、大塚や組合員が大声を出したり、ややきつい態度をとつたとしてもやむを得ないことである。また、抗議は大塚とその場にいた組合員によつて行なわれたのであり、原告丙田もその一員として行動したにすぎず、原告丙田だけが終始積極的に行動したのではない。
[7] 仮りに抗議活動に多少の行き過ぎがあつたとしても、それは当局が、大塚に対してはかり知れない精神的苦痛を加え、社会的名誉を害し、人権を無視し、1年10カ月も前のことを再び持ち出して懲戒処分をしたことに対する仲間としての神聖な怒りであり、組合の団結権に基づく正当な組合活動である。
[8] 従つて、原告丙田の行動は国公法82条3号に該当しない。
(二) 昭和36年10月5日、同月26日の件
[9](1) 被告主張の処分理由のうち、10月5日午前8時40分頃から神戸税関本庁舎前(以下本庁舎前という)で職場集会が開かれたこと(但し午前9時7分までである)、税関職員の勤務時間は午前8時30分から午後5時(土曜日は午後0時30分)までとの定めがあること、午前9時5分頃本庁舎総務課文書係事務室及び別館図書室の各窓から被告主張のような懸垂幕の掲出とともに職場に入るようにとの携帯マイクによる放送がなされたこと、集会後多数組合員が職場に帰るべく正面玄関入口から2階に上り税関長室前廊下を通行したこと、原告らが集会開催に先立つて本庁舎前でその準備をしたこと、原告甲野、同乙山はそれぞれ支部長、書記長として挨拶、報告をしたことは認める。前日4日に総務課長補佐森下閤太郎らが組合支部長である原告甲野に税関長の警告を伝達したこと、集会に続いてデモ行進をしたこと、原告らが労働歌の合唱を指導したこと、原告らが集会の運営を推進し積極的に指導したこと、原告乙山が本庁舎廊下1周のデモ行進を提案し、シユプレヒコールを指導したこと、原告甲野、同丙田が列外または隊列の最後部から行進する組合員を誘導したことは否認する。その余の被告主張事実は不知である。
[10](2) 10月26日本庁舎前及び東部出張所2階ベランダで午前8時40分頃からそれぞれ職場集会が開かれたこと(但し、いずれも午前9時15分までである)、本庁舎では午前9時5分頃被告主張のような懸垂幕の掲出とマイク放送があつたこと、東部出張所では同時刻頃所長小山一敬より職場に入るようにとの口頭連絡があつたこと、原告甲野、同乙山が集会開催に先立つて本庁舎前でその準備をしたこと、原告甲野が組合代表として弾圧強化反対、政治的暴力行為防止法(以下政暴法という)反対等の発言をし、解散宣言を行なつたこと、原告乙山が組合活動に対する官側の介入、弾圧について抗議団の派遺を提案したこと、原告丙田が東部出張所の集会で政暴法について発言したことは認める。原告甲野がシユプレヒコール、労働歌の合唱を指導したこと、原告らが集会の運営を推進し積極的に指導したことは否認する。その余の被告主張事実は不知である。
[11](3) 本件各集会は、公務員共斗会議の主催により、国家公務員の労働組合が参加して行なわれた団体行動ではあるが、未だ争議行為に至らない形態の行為というべきである。
[12] 当時、神戸税関における勤務開始時間は午前8時30分との建前であつたが、午前9時5分までを出勤猶予時間とする取扱いが制度化されていた。更に出勤簿は9時5分に引上げられるが、9時20分頃出勤して来ても遅刻扱いにされず、事実上はその頃まで出勤猶予がなされていた。10月5日の集会は9時7分まで行われたのであるから(仮りに被告主張のとおり集会が9時12分まであり、デモ行進と称する行動が9時18分頃解散したとしても)、勤務時間へのくいこみは僅かであり、右のような出勤時間の実状に照せば、実質的なくいこみはなかつたというべきである。従つて、集会が9時5分以後に及んだことによつて業務に支障があつたとはいえず、本件集会は正常な業務の運営を阻害していないと解するのが相当である。
[13] 仮りに、右集会が争議行為であつたとしても、国公法98条5項の禁ずる争議行為ではない。国公法98条5項は国家公務員の争議行為を禁止している。しかし公務員であるが故に労働基本権の保障を否定すべきいわれはない。もし右法条が全面かつ一律に争議行為を禁止したものと解する外ないのなら、同条項は憲法28条に違反する。最高裁判所昭和41年10月26日の判決(いわゆる全逓中郵事件判決)の判示するごとく、国家公務員も原則として憲法28条の適用を受けるのであるから、労働基本権の制限は合理性の認められる必要最少限度にとどめるべきであり、その職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、ひいては国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合に考慮されるべきである。右法条を憲法の趣旨にそつて解釈するならば、同条項の禁止した争議行為は厳重にしぼりをかけるべきであり、業務の性質と行為の態様から国民の生命、身体、財産に対して明白かつ直接的な侵害をもたらすおそれのある争議行為のみを禁止したものと解する外はない。本件集会は、業務停止自体とるに足らず、国民生活への障害など全然なく、また5,000円賃上げ、勤務評定反対など低劣な労働条件の改善と不当な差別・介入の反対を要求するとともに、政暴法に反対する国民的な抗議運動として行なわれたもので、その目的も正当である。従つて本件集会は国公法98条5項に禁止する争議行為にあたらない。なお、本件集会は右のとおり正当な団結権の行使であるから、違法争議行為を理由とする執務命令は無効であり、前日の警告はなかつたが、仮りにあつたとしても同じく無効である。
[14](4) 右集会後、原告乙山の呼びかけにより、本庁舎内の組合員は職場への帰途2階税関長室前廊下附近まで来て、賃上げ、人事の民主化、不当配転反対などを要求し、原告乙山はマイクを使用して訴え、組合員らはそれに従い口をそろえて訴えた。そしてすぐ職場に戻つたから所要時間は僅か2、3分であつた。乙山の呼びかけは、職場に帰る際一人一人が要求を税関長に直接訴えようというもので、本庁舎内をデモ行進することを内容としておらず、組合員も隊列を組んで行進したのではないし、集団的示威を行なつたともみられない。また、乙山がこのような呼びかけをするに至つたのは、税関当局が組合の要求に耳をかたむけず一切無視する態度をとつており、一人一人が要求を真剣にぶつける以外方法がなかつたからである。従つて正当な行為というべきである。また仮りにデモ行進と評価されても、違法な争議行為に該当しないことは、集会につき述べたところと同様である。
[15](5) 10月26日の本庁舎前及び東部出張所ベランダにおける集会は、いずれも午前9時15分まで行われたが、勤務時間への実質的なくいこみでないこと、正当な行為であることは、右同様である。なお、当時東部出張所では、職員は通常午前9時30分過ぎから勤務していた。
(三) 昭和36年10月31日より11月2日の件
[16](1) 被告主張の処分理由のうち、当時組合が輸出関係職員(輸出関係の業務を担当している業務部輸出第1課、第2課、同為替課輸出為替第1係、第2係、第3係、鑑査部第1部門の職員をいう。)の増員を要求していたこと、月末月始の各々3、4日の輸出事務繁忙期に月間事務量の30ないし40%が集中すること、10月31日に輸出為替係の職員15名の参加した職場集会が開かれ、原告乙山が参加したことは認める。原告乙山が輸出事務繁忙期における通関業務の処理を妨げようと企てたこと、集会の司会をし、1人1日の為替確認件数を100件程度にとどめようと提案し、可決されたことは否認する。
[17](2) 11月2日午後6時頃鑑査部第1部門の事務室で原告甲野、同乙山が鑑査部長宮崎健一郎に大量事務の処理方針や統計品目番号の記入などについて質問したことは認める。11月1日、2日の両日にわたり、原告乙山、同丙田が輸出為替係職員に対して、超過勤務命令に服さないよう勧しようしたり、重点審査の指示を拒否するように、更に審査済書類を回付しないようにとそれぞれ勧しようしたこと、11月2日鑑査部第1部門事務室の平穏静ひつを害して、同室における業務の運営を妨げたことは否認する。その余の事実は不知である。
[18](3) 神戸税関の本庁だけで全国の輸出高の約25%(中埠頭、兵庫埠頭、東部の各出張所を合わせると約40%)を取扱つており、輸出業務は多忙である。とりわけ月末月始の繁忙期には業務量が多く、人員は不足し、職員は休日もなく連日午後9時、10時まで残業させられ、心身ともに極度に疲労していた。そこでは正常な業務の処理は不可能であり、業務処理は形式的に拙速化せざるを得ない状態であつた。このような実状から、職場内では、人員を増加せよ、代休をよこせ、午後5時以後の臨時開庁をやめろ、強制労働反対などの要求が高まり、組合はその要求をくみとり、人員増加の要求をかかげて被告と交渉していたが、被告は誠意を示さなかつた。
[19] 10月31日の職場集会は、道本裕信、高橋章ら輸出分会結成準備会の者によつて企画されたものであり、少ない人員で繁忙期をどのようにしていくかを討議するのが目的であつた。司会は道本が担当し、原告甲野は組合執行部として参加したものである。そして「体に無理をしないように仕事をやろう、残つたら皆で最後までやろう」という申し合わせはしたが、処理件数につき具体的な提案をしたこともなく、従つてその可決もなかつた。
[20] 11月1日、職員は前日の確認された線にそつて業務を行ない、残件が多くあつたが、為替課長柴原邦雄は午後5時15分頃になつて午後5時から7時までの超過勤務の指示をし、それ以後の命令を出さなかつた。従つて、5時頃職員に対し超勤拒否を勧しようしたり、7時頃疲れている者は帰れなどと勧しようすることはあり得ない。原告らは組合役員として課長に、「用のある者、疲れている者は帰したらどうか」と交渉しただけで、職員に対して言つたのではない。また、前日の集会では決定はされていないのであるから、決定を実施するためということは前提を欠きあり得ない。
[21] 11月2日午前9時30分頃、為替課で柴原課長から、品目、数量、価格の3点について審査するようにとの指示があつたので、職員は基本通達との関係、責任の所在につき質問したが、課長が明確な返答をしなかつたため、職員は重点審査を行なつていなかつた。文書の問題が起きたのは午前11時頃であり、9時30分頃にはまだ問題になつていなかつた。午前10時30分及び午後2時頃のことは、いずれも原告乙山及び前記道本ら組合及び分会の役員と課長との交渉であつて、これを被告は職員への勧しようと主張しているものである。また、午後6時頃のことは、鑑査第1部門で重点審査の指示があつたが具体的でなかつたため、その内容を質問しかつ文書にするようにとの職員の要求により、組合及び分会役員が宮崎鑑査部長と交渉しただけである。指示が不明確であつたこと、部長が文書にすることを渋つたことが仕事の停滞した原因である。更に、この部室は普段でも騒然としているのであつて、特にこの時だけ騒然となつたというのではない。結局のところ、仕事も11月1日午後7時に残つていたものにつき最大限1日遅れただけで、船積みができなかつたものではなく、業者に特別迷惑をかけたことはない。
[22] これら原告らの行為は、その目的、方法からみて正当な組合活動というべきである。
(四) 昭和36年12月2日の件
[23](1) 被告主張の処分理由のうち、午前中に原告乙山が輸出関係職員に対し、午後0時30分に3階講堂へ集合するようにとの伝達をしたこと、正午頃輸出関係職員に、午後1時30分より4時30分(一部は3時30分)まで超過勤務につくべき旨の業務部長名の書面が交付されたこと、午後0時30分頃組合員約45名が3階講堂に集つたこと、同1時15分頃から2時頃まで原告乙山、同丙田が他の組合役員とともに業務部長室に行き、沢田業務部長、宮崎鑑査部長に対して、取りまとめた45名の超過勤務命令撤回願を提出し、その個々的審査を求めたこと、午後2時頃3階講堂に集合待機していた組合員は解散し、業務部長室で交渉していた組合役員も引きあげたこと、原告丙田が来関中の業者の応対にあたり、協力を要請したことは認める。午前11時30分頃及び同40分頃、岩田輸出第1課長、沢田業務部長から原告乙山ら組合役員に対し、超過勤務拒否について警告があつたこと、原告らが輸出関係職員に超過勤務命令撤回願を一済に提出するよう勧しようしてこれを実行させたこと、通関業務の処理を妨げたこと、3階講堂で原告甲野が業務命令に従う必要はない旨、また原告丙田が超勤命令は排除すべきである旨それぞれ演説したことは否認する。その余の被告主張事実は不知である。
[24](2) 撤回願の提出は輸出分会で決められたものであつて、組合は分会の行動を支持し協力しただけである。前述のとおり、輸出の職場では事務量の増大で人員が不足し、11人もの欠員があつて職員の負担は著しく重く、特に月末月始はひどかつた。そのため職員の間には何とか考えて欲しいとの意見、不満が拡がつていた。そこで、輸出分会では討議を重ねた結果、超過勤務の強制に対してこれを拒否すれば弾圧は必至であるから、1人1人が撤回願を出して、健康状態や一身上の都合など個人個人の事情を考慮してもらい、超過勤務命令を撤回してもらおうということになつたのである。その主眼は、過酷な勤務の実情を十分認識してもらうということであつた。
[25](3) 超過勤務命令の撤回願の提出は、それが認められない場合に命令を拒否する態度をとつたり、書面上拒否と認められるような記載のある場合はともかく、そうでない限り、一斉に行なわれても超勤拒否と解することはできない。従つて撤回願の提出は何ら業務の運営を阻止せず、争議行為または怠業行為に該当しないものというべきである。
 超過勤務命令を受けた職員は、午後1時30分から2時頃まで3階講堂にいたが、これは交渉の結果が出るまで待機していたのである。午後1時15分頃、道本分会長、原告乙山らが撤回願を沢田業務部長らに提出し、引続いて交渉に入つたが、1時30分になつても何らの注意、警告もなく交渉が続けられていたのであるから、その結果が出るまで超過勤務につかないことが容認されていたと解するのが相当である。

[26]三、本件処分は、原告らの組合活動に対する不利益取扱い(不当労働行為)である。
[27] 組合の活動は、昭和34年から35年にかけて、警察官職務執行法の改悪反対、日米安保条約の改悪反対斗争、税関内部の問題として年末年始の休暇要求、月末月始を除く日曜の休暇要求、一律3,000円賃上げ、鑑視当直者の休憩休息要求、強制残業反対などの斗争で盛り上りをみせ、そのうちいくつかの要求を実現させた。これらの斗いの発展に応じて、当局は組合を嫌悪し、組合に対する支配介入を強め、前述のごとく、昭和34年10月に発生した友人の密輸事件の共犯者と歪曲して大塚宏圀を取調べ(取調べは事件直後ではなく、右当直者の休憩休息の要求が実現した直後から連日行なわれた)、新聞発表をした。また庁舎管理規則の制定、考査官規定の改悪などにより、組合の活動を規制し監視しようとした。更に、当局は労働強化をともなう合理化を強行し、組合のこれに反対する斗争が発展しようとした矢先の昭和36年9月19日、前述のごとく、1年10カ月前のことを持ち出して右大塚を戒告処分にし、同年9月25日には右斗争の先頭に立つて斗つていた婦人労働者株谷を不当に配転した。
[28] その後も、前述の組合の執行部をかなめとする、或いはその支援協力による、昭和36年10月5日、同月26日の集会に象徴される賃上げ、勤務評定反対、政暴法反対などの斗い、引続く11月初め、12月初めの人員増加要求、業務正常化の斗いが展開された。人員増加要求、業務正常化の斗争は苛酷な労働状態の中から出た職場の要求であり、組合員の生活と権利を守るために、それらを吸い上げ組織化して斗うのは組合の当然の任務である。これらは前述の如く正当な組合活動であるのに、当局は集会を違法視する執務命令をマイク放送して妨害するなどの介入、攻撃を加えた。また、当局は団体交渉を申入れても応ぜず、或いは形式的には応じても問題解決への誠意を見せず、露骨な反組合的態度に終始し、組合の切崩しに奔走した。そしてそれが奏功しないとみるや、ついに原告ら3名を懲戒免職処分にした。それは支部長(甲野)、書記長(乙山)、執行委員(丙田)として組合の中核で活発に活動する原告らを追放して団結のかなめを絶やすとともに、組合員に不信と動揺を起こさせ、組織の分裂破壊をはかつたものである。
[29] このことは以上の経過に照らしても明らかであるが、本件処分の時警察官を待機させて処分を断行したこと、処分後は原告らが執行部にあることを理由として断固団体交渉を拒否したこと、組合員を昇給昇格などで差別し、集会はもとより、組合員が3人集つても解散命令を発するという暴挙を繰り返したこと、職制の手によつて強要や懐柔による組合からの脱退勧告がなされ、第二組合が結成されたことなどからも十分うかがえる。

[30]四、本件処分は懲戒権の濫用である。
[31](一) 本件処分の中心的理由は、原告らの行為が争議行為にあたるというところにある。これが争議行為にあたらないことは前述したが、仮りに争議行為だとしても、これに懲戒処分を科することは著しく失当である。
[32] 懲戒権は企業の経営秩序維持のために認められるものであり、その経営秩序とは使用者の指揮命令のもとに労働者が労務を提供する過程における秩序である。従つて懲戒権は労務提供義務の存在を前提とするものと言わなければならず、労働力を組合が掌握してこれを組織的集団的に離脱する争議行為の場合には懲戒権が及ばないと解される。このことは公務員関係であつても同一であるから、国公法82条1号は懲戒処分の理由として同法違反の場合を規定しているけれども、争議行為の場合を除外したものと解すべきである。
[33](二) 処分理由とされた原告らの行為はいずれも正当な組合活動であるが、仮りに何らかの点で処分理由にあたるにしても、前述のとおり、各行動の目的及び動機が正当かつ相当であつたこと、当局側に団結権侵害の行為があつたこと、各行為には格別逸脱がなく、これによつて業務上現実の支障またはその他の実害も生じていないことを考えれば、懲戒免職処分は過重かつ失当である。特に、8月19日の抗議はもとより、10月5日、26日の集会にしても現実の業務に何らの障害を及ぼしていないこと、11月1日、2日、12月2日の行動も同様であつて、業務の処理がごく短時間遅れたにすぎず、これによつて船積みに間に合わなかつた事実もないことを十分勘案すべきである。
[34](三) 制度上は、処分説明書の交付という手続的規制があるにとどまるが、懲戒免職という重大な処分を行なうには、厳に公正な扱いを確保するために配慮すべきである。本件処分の対象は実質上労使の紛争であるから、紛争の経過と実状を正確に把握する必要があり、そのためには管理者のみでなく原告らや管理者以外の者からも事情を聴取すべきである。それにも拘わらず、処分者自身の手足にすぎない管理者などから報告書を徴するのみで組合側から何らの事情聴取をしなかつたのは、著しく片手落ちで公正を欠き、手続上において相当性を欠いている。
[35](四) 本件処分が組合の団結破壊を狙つて敢行されたことは前述のとおりであつて、原告ら3名だけが特に被処分者として選び出される合理的理由は存在しない。本件処分の恣意性、差別性は明らかであり、平等取扱い(国公法27条)公正の原則(同法74条)に違反している。
[36] 行政事件訴訟法36条によれば、行政処分の無効確認の訴は、処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴によつて目的を達することができないものに限り提起し得ることになつている。従つて原告らが本件処分を無効と主張するのであれば、神戸税関の職員たる地位の確認の訴によるべきであつて、本件処分の無効確認の訴は不適法であるから、原告らの第一次請求については却下を求める。
[37]一、請求原因第一項の事実は認める。

[38]二、本件処分の事由及び該当法条は次のとおりである。
(一) 8月19日の抗議活動
[39](1) 昭和36年8月19日午前11時45分、神戸税関長官房主事森弘が、同官房主事室において、同関神戸外郵出張所勤務大蔵事務官大塚宏圀に対して、戒告処分に関する懲戒処分書及び処分説明書を交付したところ、右処分は不当であると称してその撤回又は保留を要求する組合員多数が、同日午前11時50分頃から午後5時40分頃まで、同官房主事室に押しかけ、同官房主事を取り囲んでその退室を阻止し、また同官房主事及び同人を補佐するため同席していた総務課長横田忠良に対して威圧的言動を弄した。
[40](2) 即ち、当日右多数の組合員(当初は8、9名であつたが刻々その数を増し、午後0時45分頃から午後1時頃までは最も多く約50名に達し、午後4時50分頃以後も約25名程度であつた。なお、午後0時45分前後には外部の労組員と思われる者も数名参加していた。)は、午後2時30分頃から同2時45分頃まで、右官房主事が同室内で他の官側職員と協議することを許した場合と、同3時15分頃から同4時50分頃まで、官房主事をして税関長に事態を報告させその指示を受けさせるために税関長官舎へおもむかせた場合を除き、盛夏酷暑の候にもかかわらず長時間にわたり、わずか8.75坪の同室内に多勢でつめかけて同官房主事の椅子をとりあげて坐らせないままこれを取り囲み、同室内外の壁には「メツセンジヤーボーイもできぬ官房主事はヤメロ」「チンピラ弾圧屋の森、税関から出て行け」などと記載したビラを多数貼つた上、机上のガラス板を激しく強叩したり、机上に坐り込んだり、携帯マイクまでも使用して同官房主事や同席していた総務課長に罵詈雑言を浴びせるなどの威圧的な言動を加えた。特にこの間、午後1時30分頃から同2時過ぎまで、同2時45分頃から同3時15分頃まで及び同5時頃から同5時40分頃までには、同官房主事が、繰り返し、「出て下さい。」などと退去を要求したにもかかわらずこれを無視し、再三にわたつて「出して下さい。」「帰ります。」などと室外に出ようとする意思を表わして退出を試みる毎に、同官房主事の左右及び後を取り囲んでいる組合員は、体に力を入れて同官房主事の身動きを制し、他の大部分の組合員は、同官房主事の前面に人垣をつくつて立ちはだかつたりスクラムを組んだりして、その退出を阻止したのである。
[41](3) この際、原告丙田は、終始大声で処分の撒回を強く要求し、同官房主事の耳の穴に,或は口を、或は携帯マイクを近づけて、鼓膜も破れんばかりに、「馬鹿野郎。」「チンピラ。」などと悪口雑言を浴びせかけ、更に、同席していた総務課長の顔面にも携帯マイクをつきつけて、「横田の馬鹿野郎。」などと暴言を吐き、また組合員が同官房主事の退室を阻止した時には、常にその一員としてこれに加つていたのである。
[42](4) 原告田代の右行為は、国公法82条3号に該当する。
(二) 10月5日の勤務時間内職場集会並びに庁内デモ
[43](1) 昭和36年10月4日、神戸税関当局は、組合が発行した同日付ビラに、「明日(10月5日)8時30分から9時10分まで早朝屋外職場大会が開かれる。」旨の記載があつたので、翌5日組合が勤務時間内にくいこむ職場集会を開くことを知つた。ちなみに、勤務時間は、午前8時30分から午後5時まで(土曜日は午後0時30分まで)と定められていた。なお、当時当局では、午前9時5分までに出勤簿に捺印すれば、午前8時30分までに出勤したものとして取り扱つていたが、勤務時間の始期を午前8時30分より遅らせ、その間は勤務を要しないものとして取り扱うような措置はとつていなかつた。
[44](2) そこで、同日午後5時22分、総務課長補佐森下閤太郎及び総務係長林和巳が、組合書記局におもむき、組合支部長である原告甲野に対し、口頭で、「明日9時10分まで職大をやるそうですが、9時5分から執務時間ですから執務時間内にくい込まぬようにして下さい。」との税関長の警告を伝達した。
[45](3) ところが、翌5日午前8時40分頃から本庁舎前で開かれた職場集会は、右の警告を無視して午前9時5分後まで続行される模様であつたので、当局は、午前9時5分、同集会に参加中の約200名の職員に対して、次のような方法によつて執務命令を発した。即ち、本庁舎総務課文書係事務室及び別館図書室のいずれも道路に面した窓から、「職場集会に参加中の職員各位に通知します。勤務時間内の職場集会は業務に支障を来たし、かつ、国家公務員法違反になりますから、直ちに職場において執務して下さい。昭和36年10月5日午前9時5分神戸税関長遠藤胖」と記載した懸垂幕を掲出すると同時に、右各窓ぎわに設置した携帯マイクを使用して、文書係事務室から林総務係長が午前9時10分頃まで繰り返えし、また図書室から人事係長藤田鈴夫が数回に亘り、それぞれ右懸垂幕の記載事項を放送したのである。
[46](4) 然るに、右集会はそのまま継続され、更に、これに引き続いて午前9時12分頃から右集会に参加していた約300名ないし400名が、本庁舎内のデモ行進に移り、正面玄関入口から2階に上り、税関長室前廊下を経て南階段附近に到り、同9時18分頃流れ解散した。
[47](5) 当局の国公法98条1項に基づく右警告及び執務命令を無視して行なわれたこの職場集会に際して、原告らは、集会に先立つて本庁舎前にプラカード、マイク、組合旗などを持ち出してその準備をし、午前8時30分頃一般組合員の前に立つて労働歌の合唱をし、原告甲野は、9時5分頃組合員の奮起と団結を要望する旨の演説を行ない、原告乙山は、8時40分頃開会の挨拶を行ない、続いて組合が当面する諸問題についての演説を行ない、9時10分頃勤務評定反対などの抗議のため本庁舎廊下を1周するデモ行進をしようとの緊急動議を提案し、もつて右集会の運営を推進し、これを積極的に指導した。
[48](6) 右集会に引続いて行なわれた庁内デモに際して、森官房主事、高松人事課長、森下総務課長補佐らの制止にもかかわらず、原告乙山は、人事課秘書係入口附近で、列外から携帯マイクを使用して、政暴法反対、勤評反対、5千円賃上げ、合理化反対、遠藤ヤメロ、森ヤメロなどのシユプレヒコールを指導し、原告甲野は、右同所附近で、列外から行進する組合員を誘導し、原告丙田は、右同所附近で、隊列の最後部において行進を誘導した。
[49](7) 原告らが、警告及び執務命令を無視して職場集会を強行したことは国公法98条1項、組合役員として集会を積極的に指導したことは国公法98条5項前後段、101条1項、人事院規則14-1第3項前後段、デモ行進に参加しシユプレヒコールを指導し或いは誘導したことは国公法98条5項前段(原告乙山がデモ行進を提案したことは同項後段)、101条1項、人事院規則14-1第3項前段に違反し、国公法82条1、3号に該当する。
(三) 10月26日の勤務時間内職場集会
[50](1) 昭和36年10月25日、当局は、組合が発行した同日付ビラに、「明26日早朝職大は、午前9時15分まで全員参加しよう。」という趣旨の記載があつたので、翌26日、組合が勤務時間内にくいこむ職場集会を開くことを知つた。
[51](2) そこで、同日午後5時25分、森官房主事が、原告乙山、同丙田その他組合役員の同席する総務課事務室において、組合支部長である原告甲野に対して、勤務時間内の組合活動は業務に支障を来たすばかりでなく、国公法にも違反するから、このような行為のないようにとの趣旨を記載した税関長名の組合支部長宛警告書を手交した。
[52](3) ところが、翌26日、本庁舎前で午前8時40分頃から同9時16分頃まで、また東部出張所2階ベランダで午前8時40分頃から同9時15分頃まで、それぞれ勤務時間内に職場集会が行なわれたので、当局は、次のような方法によつて執務命令を発した。即ち、本庁舎では、午前9時5分、同集会に参加中の約200名の職員に対して、前記(二)(3)に記載したと同様の場所に同様の懸垂幕を掲出すると同時に、図書室窓ぎわに設置した携帯マイクを使用して、藤田人事係長が右集会の終るまで数回に亘り、右懸垂幕の記載事項を放送し、東部出張所では午前9時5分、同集会に参加中の約25名の職員に対して、同出張所長小山一敬が、口頭で、勤務時間内の職場集会は業務に支障を来たし、かつ国公法違反になるから、直ちに職場において執務せよとの趣旨の税関長の命令を伝達した。
[53](4) 当局の国公法98条1項に基づく警告及び執務命令を無視して行なわれた右本庁舎前の職場集会に際して、原告甲野、同乙山は、本庁舎前にプラカード、マイク、組合旗などを持ち出してその準備をし、原告甲野は、午前9時5分過ぎ当局が出した執務命令に対する抗議のシュプレヒコール及び労働歌の合唱を指導し、9時15分頃解散の宣言を行ない、原告乙山は、9時13分頃組合の活動に対する官側の措置について抗議団を派遣しようという緊急動議を提案し、もつて右集会の運営を推進し、これを積極的に指導した。
[54](5) 右東部出張所での職場集会に際し、原告丙田は、自己の勤務場所でない同出張所にわざわざおもむき、終始政暴法反対などの演説を行ない、もつて右集会の運営を推進し、これを積極的に指導した。
[55](6) 集会を強行したこと、積極的に指導したことの適用法条は10月5日の件と同一である。
(四) 10月31日から11月2日の間の人員増加要求活動
[56](1) 当時組合では、輸出関係職員の増員を強く要求しており、原告らは、この要求を貫徹するため、次の如き行為を行なつた。
[57](2) 先ず、昭和36年10月31日、原告乙山は、輸出事務繁忙期(月間の事務量の通常30パーセントないし40パーセントが集中する月末月始の各々3日ないし4日をいう。)における通関業務の処理を妨げようと企て、午後5時30分頃から同7時30分頃まで、業務部為替課輸出為替係の係員18名中15名が参加した職場集会に出席してこれを司会し、右要求を貫徹するために、1人1日の為替確認件数を100件程度にとどめようと提案した。その結果、この提案が可決され、翌11月1日から実施されることとなつた。
[58](3) 原告らは、前記の職場集会における決定を実施するに当つて、
[59]イ 11月1日午後5時頃、超過勤務を命ぜられていた輸出為替係職員約14名に対して、原告丙田が、増員問題について課長の確約がない限り、超過勤務命令に服さないようにと勧しようし、午後7時頃、引き続き超過勤務を命ぜられていた右職員約14名に対して、原告乙山が、疲労が大きいから帰宅せよと各人に個別的に勧しようし、また原告丙田も、用のある者、疲れている者は帰宅せよと超過勤務命令に服さないよう勧しようし、
[60]ロ 同月2日午前9時30分頃、為替課長柴原邦雄から事務の能率的な処理をはかるため重点的審査を行なうよう指示されて執務中の輸出為替係職員約17名に対して、原告乙山が、この指示を拒否するように、また原告丙田が、課長がこの指示を文書をもつてするまでは、業務部輸出第1課、同第2課へ回付すべき審査済書類を回付しないようにと、それぞれ勧しようし、午前10時30分頃、右職員約17名に対して、原告乙山が、再び右同様の勧しようを行ない、午後2時頃、柴原為替課長が、やむなく前記の指示を文書をもつて行なつたところ、原告乙山は同課長に、この指示はお願いか指示か命令かとつめよつた上、右職員約17名に対して、お願いであれば従う必要はないといつて前記審査済書類の回付をしないよう勧しようし、
[61]ハ 更に、同日午後6時頃から同6時30分頃まで、窓口に多数の通関業者がつめかけている約19坪の鑑査部第1部門の事務室において、原告甲野、同乙山を含む約10名の組合員が、鑑査部長宮崎健一郎を取り囲み、同部長に対して、こもごも大声で、「大量事務の処理方針を示せ。」「統計品目番号の記入省略についての指示を文書で書け。」などとどなり立てた。このため、同室は喧噪を極め、超過勤務に服すべく同室に在室していた約21名の職員は、その騒音と上司が多数の組合員に取り囲まれどなられている状態によつて蒙つた心理的圧迫のため、この間執務することができなかつた。なお、この間同室での検査指定事務が行なわれなかつたため、その事務に続いて他の事務室で行なうべき検査鑑定事務まで停止したのである。
[62](4) 原告乙山の職場集会における行為は国公法98条5項後段、原告乙山、同丙田の11月1日の行為は国公法98条5項後段、人事院規則14-1第3項後段、原告乙山、同丙田の11月2日の為替係の職場での行為は国公法98条5項後段、101条1項、人事院規則14-1第3項前段、原告甲野、同乙山の鑑査第1部門での行為は国公法98条5項前段、人事院規則14-1第3項後段に違反し、国公法82条1、3号に該当する。
(五) 12月2日の人員増加要求活動
[63](1) 更に、原告ら3名は、前記人員増加要求などを貫徹するため、昭和36年12月2日、共謀の上、他の組合役員とともに、輸出関係職員に対して、超過勤務命令撤回願を一斉に提出するよう勧しようしてこれを実行させ、同日午後1時30分から同2時5分頃まで、超過勤務に服すべき右職員約45名を3階講堂に集結させて、この間右職員らによつて行なわるべき通関業務の処理を妨げた。
[64](2) 当日の事態の経過並びに原告ら各人の分担行為は次のごとくである。即ち、
[65]イ 先ず、午前9時30分頃、予め用意されていた謄写版刷りの超過勤務命令撤回御願と題する用紙を、原告乙山が、輸出関係職員に配付し、超過勤務命令が発令された時にはこの用紙に署名捺印して提出するように、また午後0時30分になれば全員3階講堂に集合するようにと勧しようした。
[66]ロ これに対して当局は、午前11時30分頃輸出第1課長岩田博が、原告乙山に対して、統一して超過勤務命令撤回願を提出することは怠業とみなされるから十分注意するようにと警告し、更に、同11時40分頃には業務部長沢田俊政が、原告ら以外の組合役員2名を同部長室に招致して、超過勤務命令撤回願を一括して提出することは超過勤務命令拒否となり業務妨害行為となるから厳重に注意すると重ねて警告したのである。そして正午頃、臨時開庁に関する業務を処理するため、輸出関係職員に対して、各人の上司に当る課長若しくは関税鑑査官または係長若しくは副関税鑑査官が、同日午後1時30分から同4時30分まで(一部の職員については午後3時30分まで)超過勤務につくべき旨の業務部長又は鑑査部長名の命令書を交付した。
[67]ハ ところが午後0時20分頃、原告乙山が、超過勤務を命ぜられた右職員に対して、再度前記イに記載したと同様の勧しようを行ない、午後0時30分頃には、原告甲野が、原告乙山の右勧しように従つて3階講堂に集まつた約45名の職員に対して、当日の超過勤務命令撤回願について説明し、午後0時50分頃には、原告丙田が、原告乙山の前記勧しようにもかかわらず3階講堂に集合していない職員がいるかどうかを確めるため、輸出関係業務の事務室を一巡した。
[68]ニ 午後1時15分頃から同2時頃まで、原告乙山、同丙田が、他の組合役員とともに、業務部長室において、沢田業務部長及び宮崎鑑査部長の両名に対して、45名の輸出関係職員が署名捺印した前記超過勤務命令撤回願を一括して提出し、しつように超過勤務命令の撤回を求めた。これに対して両部長は、終始撤回の意思のないことを言明し、右の職員を執務させるよう命じた。
[69]ホ この間、3階講堂においては、午後1時30分頃、原告乙山の勧しように従つて集合した前記職員に対して、原告甲野が「業務命令には必ずしも従う必要はない。」「現在、原告乙山が、前記両部長に対して、超過勤務命令の撤回について交渉中であるからこのまま待機するように。」と演説し、原告丙田も一方的な超過勤務命令は排除すべきであるとの演説を行ない、また午後1時50分頃には、原告甲野が、集合している前記職員に対して執務するよう命じた横田総務課長に対して、「部長交渉中だから待機している。」とどなりかえし、居わせた組合役員に原告乙山を呼んで来るよう指示したところ、間もなく業務部長室で交渉に当つていた原告乙山は3階講堂に赴いた。
[70]ヘ 右のごとき状態のまま午後2時頃に至つて、3階講堂に集合していた前記職員は、原告甲野の指示によつて解散し、また業務部長室で交渉に当つていた組合役員も、講堂から業務部長室に入つて来た原告甲野の指示によつて引きあげたのである。一方、同時刻頃、原告丙田は、輸出第2課カウンター附近において、組合の当日の前記行動に対して抗議する来関中の業者の応対に当り、専ら弁明と協力方の要請に努めていた。
[71](3) 原告らが撤回願の提出を勧しようしたことは国公法98条5項後段、101条1項、人事院規則14-1第3項前段、輸出関係職員を超過勤務命令の出ていた午後1時30分から2時5分頃まで3階講堂に集結させた行為は国公法98条5項後段、人事院規則14-1第3項後段に違反し、国公法82条1、3号に該当する。

[72]三、原告らには右のとおり違法行為があつたもので、本件処分は適法である。
[73](一) 最高裁判所昭和44年4月2日判決(いわゆる仙台高裁事件)は、公務員の争議行為につき、政治目的のための争議行為は許されず、かつ裁判所職員の場合には、争議行為が短時間で暴力をともなわなくても、裁判事務の停廃を来たし国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるから違法性が強い、第三者と共謀したあおり行為は通常争議に随伴するものでないから違法性が強い、と判示した。
[74] (1)税関の業務は、密輸の取締り、輸出入の通関業務などで、いずれも国民生活に密着し、短時間といえども停廃すると国民生活に重大な影響を与えるものであり、(2)10月5日、26日の各集会は政暴法反対という政治目的のためであり、(3)10月31日ないし11月2日の行為は全乙連(乙仲業者の従業員組合)との共斗体制のもとに行われたもので違法性が強く、(4)10月31日ないし11月2日、12月2日の各行為が原告主張のごとく輸出分会の企画決定によるものとすれば、原告らは第三者たる分会の斗争に参加して、そそのかし或いはあおつたことになり、それは分会の行為に通常随伴するものでないから違法性が強い。以上のとおり、原告らの争議行為はいずれも違法なものである。
[75](二) 原告らの本件処分は違法であるとの主張は争う。
[76](1) 出勤簿整理時間は、交通事情などへの配慮から、本来の出勤時間までに押印し終らなくても、整理時間内に押印すれば遅刻扱いにしないとの趣旨であつて、この時間までの職務専念義務を免除したものではない。従つて、現実に出勤しながら故意に職務専念義務に違反する時間内職場集会は許されず、また整理時間後の超過時間が短かいからといつて責任を免れんとする原告らの主張は理由がない。
[77](2) 神戸税関における人員は昭和34年以来増加し、昭和36年度は前年度までに比べて格段に多数の人員増加がみられ、1人当り事務量は緩和した年であつた。また輸出為替関係における昭和36年10月の1人当り1日の事務量は、横浜税関の86件に対し神戸税関は58.2件であつて、神戸税関のみが特に加重だつたわけではなく、また休暇をとれない程過大であつたわけではない。
[78](3) 基本通達は通常の場合の処理方針を示したものであるが、実際には、各職員はそれぞれの能力に応じて重点的審査を行なつていた。従つて、上司が問題が生じたら責任をとると言明した場合に、これを拒否すべきいわれはない。
[79](4) 船積み期間内に輸出許可ができない場合には、輸出者に不測の損害を与えるのはもちろんであるが、仮りに許可できても遅くなつた場合には、そのしわよせは通関業者に波及し、遅くまで船積手続に忙殺されたり、待船料などの経費が増加するなど損害を与えることもある。従つて、船積期間に間に合えば業務を阻害したことにならないとは言えない。
[1] 行政処分の無効確認の訴は、その処分の無効を前提または理由として、現在の法律関係の存否を争う訴によつてもその目的を達することができるものが多い。そこで、行政事件訴訟法36条は、現在の法律関係の訴で救済できるものを除外した。その趣旨は、現在の法律関係に関する訴の方が、個別的救済を本旨とする訴訟の目的に合致する適切な救済手段といえるから、重ねて無効確認の訴を認める必要はないし、重ねて認めると、同一の行政処分の効力をめぐり、判決が実質上矛盾することがあるというところにあると解される。ところで、国に対する農地買収処分の無効確認請求と被売渡人に対する登記抹消請求のような場合と異なり、懲戒処分の無効確認請求は、それを前提または理由とする地位確認請求と同一趣旨であり、当事者の意思からみても無効確認請求は実質的には地位確認請求に外ならず、また、本件第一次請求をそう解することもできないわけではなく、そう解してもあながち行政訴訟法の趣旨に反するものとはいえない。従つて、本件のような場合に、これだけで不適法として却下するのは適当ではないから、被告のこの点に関する抗弁は採用できない。
[2] 原告らがいずれも神戸税関職員で、原告甲野は副関税鑑査官(大蔵技官)、同乙山、同丙田はいずれも大蔵事務官であつたこと、被告が原告らを昭和36年12月15日別紙処分の理由記載の理由により懲戒免職処分にしたことの各事実は当事者間に争いがない。
[3] 国公法89条1項が、懲戒処分に際し、処分説明書の交付を要するとしているのは、処分の公正を確保するとともに、処分を受けた職員に処分理由を熟知させ、不服がある場合には人事院に対する審査請求などの法的救済の資料と機会を与え、よつて職員の身分を保障するためであると解される。この目的からみれば、処分説明書の処分事由たる具体的事実は、事実関係の同一性を識別できる程度に記載されることが必要であり、かつその程度で足り、情状に関する事実は必ずしも記載を要しないものと解される。
[4] そこで、本件処分説明書の処分理由について検討するに、免職処分という被処分者にとつては身分上重大な結果をもたらす処分の説明書としては、その事実の記載は概括的で具体性に欠け、やや不明確な点もないではないが(特に適用法条についてそうである)、この程度の記載でも、一応日時、場所等によつて原告らの行為が特定されており、従つて、本件処分を違法とする程の手続的瑕疵があるものとは認められない。
(一) 組合活動について
[5] まず、本件処分に至る背景の一つとして、組合活動について判断する。
[6] 成立に争いのない甲第18号証の1、2、証人服部正治、同滝野輝雄、同森下閤太郎、同柴原邦雄、同金沢史典、同高橋章、同間處康成の各証言及び原告甲野、同乙山の各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
[7] 組合は、昭和33年頃から活発に活動を始め、公務員共斗会議、兵庫県総評に加入し、34、35年頃には、他官庁なみの年末年始休暇要求、一律3000円賃上げ、職場の民主化、監視部の休憩休息問題、警察官職務執行法改正反対、日米安全保障条約反対などの諸要求をかかげ、また輸出業務の増加に人員増加が追いつかないので、処理業務を減らす業務正常化斗争などを行なつた。日米安保条約反対斗争においては、昭和35年6月中3度にわたり、午前9時30分頃までの勤務時間にくいこむ職場集会を行ない、組合役員多数が減給、戒告の懲戒処分を受けた。昭和36年には、一律5000円賃上げ、勤務評定反対、合理化・計算センター設置反対、人事の民主化、不当配転反対、昇給昇格の完全実施、政暴法反対などをかかげていた。計算センターの設置は、人員を増加せずに業務処理をしようとするもので、結局労働強化につながるものとして、合理化反対の一つとしてその設置に反対し、また輸出の増加により増加する業務を処理するため、欠員の補充、人員増加、強制残業反対をとなえていた。なお、同年6月には東部出張所が開設されて管轄区域が一部移り、それに伴つて職員も移つたが、組合側は、業務の増加で本館での業務は減少せず、実質的には減員であると主張していた。合理化反対斗争が行なわれていた同年8月に、執行委員の大塚宏圀に対する懲戒戒告処分があり、9月には女子職員株谷某が尼崎支所へ配転となり、これに対して組合は、いずれも反対斗争に対する仕返しだとして抗議していた。そして昭和36年10月の職場集会、11、12月の輸出関係での人員増加要求へと進んで行つた((二)以下参照)。当時の団体交渉は、午前11時或いは午後4時から開かれ、午前12時或いは午後5時になると打切るということがあり、同年11月28日頃から12月4日頃まで、組合員が、不当配転反対、昇給昇格の完全実施などを要求して税関長室前廊下に坐りこみを続けたところ、当局は、坐りこみをやめない限り交渉に応じないとして、団体交渉がもたれなかつた時期もあつた。
[8] 以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(二) 8月19日の件
[9] 昭和36年8月19日、神戸税関長官房主事森弘が、同主事室で大塚宏圀に対し、懲戒処分書及び処分説明書を交付しようとしたこと、組合員多数が同室におもむき、処分が不当であるとして抗議したことは当事者間に争いがない。
[10] 成立に争いのない甲第1号証の1、2、甲第7号証の1、2、乙第40号証、証人森下閤太郎、同横江威の各証言及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第30ないし39号証、証人服部正治、同森下閤太郎、同高松一、同大塚宏圀、同横江威、同岩本武司、同横田忠良の各証言、原告丙田の本人尋問の結果(但しいずれも後記措信しない部分を除く)によれば、次の事実が認められる。
[11] 大塚宏圀に対してなされようとした懲戒処分の処分理由の要旨は、昭和34年10月27日、大塚が外国貿易船天栄丸の高島一志を同船に訪ねて一緒に下船した際、高島が米国製たばこ2カートン、米国製キスチヨコレート2函の密輸入を企てて携帯しているのを知り得べき立場にありながら、これを確知することなく、税関職員として適切な助言、指導を怠り、かつ陸務課の検査に協力しなかつたのは、身分上密輸の意図に利用されることのないようにすべき税関職員たるにふさわしくない行為にあたる(国公法82条3項)ということである。当局は右高島の密輸事件に関連して,同34年11月19日から右大塚を取調べ、以後断続的に同35年7月始め頃まで続けられたが、その間神戸新聞紙上に、同34年11月30日号には「税関職員が密輸の片棒?」との見出しの記事、同35年6月28日号には「7ケ月ぶりクロと断定」との見出しの記事及び懲戒免職処分もやむを得ないとの江口監視部長の談話がそれぞれ掲載された。これに対し組合は独自の立場で調査をして、大塚に違反行為はなく組合への弾圧であると抗議していた。
[12] その後何もなかつたが、同36年8月19日、当局は大塚を関長公用で呼び出し、税関長に代つて森官房主事が午前11時50分頃処分書及び処分説明書を交付しようとした。大塚は組合書記局に寄り、関長公用で呼ばれた旨を伝えて主事室に行つたのであるが、横江副支部長ら組合執行委員及びその他の組合員は、大塚の処分を知るや12時前から12時30分頃にかけて続々主事室につめかけ、大塚とともに森官房主事に不当処分だとして抗議した。その主な内容は、処分理由の知り得べき立場にありながらとはどういうことか、関税法違反でクロと断定、懲戒免職処分もやむを得ないと新聞発表したが、それはどうなつたのか、1年10カ月も前のことを何故今頃もち出したのか、処分権者である税関長が何故交付しないのか、ということであつた(1年10ケ月も前の事件で処分されたこと、税関長以外の者が処分書を交付したことは、神戸税関では例のないことであつた)。これに対し官房主事は、処分理由は説明書のとおり、間税法違反の点はわからない、税関長は午前10時頃用事で出かけそのまま官舎に帰つたと思う、私は処分書を渡しておくように言われただけだと答え、それ以上の説明をしなかつた。
[13] 組合員は12時30分から1時頃にかけて40ないし50名になり、室内は身体が触れ合うほどになつていたが、官房主事の説明を、理由にならない、不誠実だとして抗議を続け、口々に、理由を説明せよ、できないのなら税関長を呼べ、でつちあげだ、処分を撤回せよ、バカヤロー、チンピラ、などと大声をあげたので室内は騒然となり、当局側も同じ返答をくりかえし、1時30分頃まで押し問答が続いた。このように押し問答が続く中で、1時30分から2時頃にかけて、森官房主事、高松人事課長らは組合員に対し、「帰ります」、「退去して下さい」と要求したが、多数の組合員は進路を開けることなく立ちはだかつて抗議を続け、その間室内や入口ドアには、「不当弾圧撤回!」、「首切りを仕事にする奴、森!」、「オマエはバカなチンピラだ」、「チンピラ弾圧屋の森税関から出て行け」、「メツセンジヤーボーイもできぬ官房主事はヤメロ」などと書かれたビラが貼られ、同趣旨の発言がなされていた。
[14] 原告丙田は、組合員の一員として、官房主事、総務課長らの附近に位置して激しく抗議していたが、同人らの耳もとで、バカヤロー、チンピラなどと怒声、罵声を発し、また携帯マイクを使用して同様の行為をした。
[15] 当日は8月中旬の酷暑の頃であり、約28平方米の狭い部屋に多勢の者が集つたうえ喧噪な状態が続き、官房主事は疲労の色を見せていたが、横田総務課長が休憩をかねて相談したいと申入れ、組合員らもこれを認めて2時30分頃から約15分間中断した外は同様の状態が続き、主事や課長らの退室要求は無視された。3時15分頃、森主事、横田課長らは、休憩したい、税関長官舎に行つて税関長に組合の意見を伝えたいと申し入れ、3時30分頃森主事、横田課長、高松課長の3人が出かけた。4時50分頃森主事らは帰つて来て「勤務時間外だから話があるなら月曜日に会う。」との税関長の返事を伝えたところ、残つていた組合員20数名は「すぐ呼んで来い」などと怒号し、室内は再び喧噪状態となり、森主事や高松課長の「帰して下さい」、「退去して下さい」との要請を無視して退室させず、抗議を続けた。そうしている内5時30分過ぎ頃パトカーのサイレンが聞えたので、大谷監視部長が警察へ行つたとの連絡を受けていた組合員らは退室し、そこへ警察官約30人が来て森主事らは警察官に守られて室外に出た。
[16] 右認定に反する証人服部正治、同大塚宏圀、同横江威、同岩本武司の各証言、原告丙田の本人尋問の結果の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(三) 10月5日、26日の件
[17] 昭和36年10月5日午前8時40分頃から本庁舎玄関前で職場集会が行なわれたこと、税関職員の勤務時間は午前8時30分から午後5時(土曜日は午後0時30分)までとの定めがあること、午前9時5分頃本庁舎総務課文書係事務室及び別館図書室の各窓から、勤務時間内集会は業務に支障を来たすし違法だから勤務につくようにとの趣旨の懸垂幕の掲出とともに、携帯マイクにより同旨の放送がなされたこと、集会終了後多数組合員が職場に帰る際税関長室前を通行したこと、原告らが集会前に本庁舎前でその準備をしたこと、原告甲野、同乙山が組合支部長、書記長として挨拶や報告をしたこと、同年10月26日本庁舎前及び東部出張所2階ベランダで午前8時30分頃からそれぞれ職場集会が開かれたこと、9時5分頃本庁舎前では前記同様懸垂幕の掲出とマイク放送があり、東部出張所では出張所長より職場に入るようにとの口頭連絡があつたこと、原告甲野、同乙山が集会前に本庁舎前で準備したこと、原告甲野が組合代表として弾圧強化反対、政暴法反対などの発言をし、また解散宣言をしたこと、原告乙山が組合活動に対する官側の介入弾圧について抗議団の派遣を提案したこと、原告丙田が東部出張所で政暴法について発言したことの各事実は当事者間に争いがない。
[18] 成立に争いのない乙第1、第10号証、証人森下閤太郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第2ないし第9号証、第11ないし第23号証、証人西川三朗之亮、同森下閤太郎、同岡本良国、同金沢史典、同鶴田文秀、同高松一、同杉原光三郎、同島津惣市、同大屋広隆、同栗山彦七郎の各証言、原告乙山の本人尋問の結果(いずれも後記措信しない部分を除く)によれば次の事実が認められる。
[19](1) 組合は、総評および公務員共斗会議の統一行動の一環として、全税関労働組合本部から、10月5日午前8時30分から午前9時10分まで職場集会を行なうよう指令を受け、組合執行部及び職場の代表者から成る支部委員会は、神戸税関の勤務開始時間は午前9時5分であることを認識しながら(勤務時間の定めは午前8時30分からであるが、9時5分までを出勤簿整理時間或いは出勤猶予時間として、それまでに出勤すればよいことになつており、9時5分から執務態勢にあつた)、指令どおり勤務時間にくいこむ午前9時10分までの集会を開くことを決定した。そのスローガンは、全体としては政暴法反対、公務員としては5,000円賃上げであり、神戸税関としては、当時の組合の斗争目標である計算センター設置反対、勤務評定反対、人事の民主化などの要求をかかげた。
[20] その前日の10月4日、組合のビラによつて勤務時間にくいこむ集会の開催を知つた当局は、午後5時過ぎ頃森下総務課長補佐が組合書記局に赴き、組合支部長である原告甲野に、9時10分まで集会をするそうだが9時5分からの勤務時間にくいこまないようにとの税関長の警告を伝えた。
[21] 翌10月5日、原告らは午前7時30分頃から組合役員約20名とともに、本庁舎玄関庇に、「政暴法・勤評粉砕、一律5千円をかちとろう、計算センター反対」と書かれたプラカードをかけ、玄関前にマイク、机、組合旗を出すなど集会の準備をし、その後組合員は逐次正面玄関前に集り、他組合の組合員もまじる中で、原告らはその前面に立つて労働歌を合唱した。午前8時40分頃原告乙山が開会の挨拶をし、続いて当時の情勢を説明し、原告甲野は組合員の団結をうながす演説をした。
[22] 午前9時5分に集会は終らなかつたので、その頃当局は、本庁舎総務課文書係事務室及び別館図書室の窓から、集会中の組合員に対し、「勤務時間内の集会は業務に支障を来たし、かつ、国公法違反になるから直ちに職場で執務して下さい」旨の税関長命令を記載した懸垂幕を掲出し、携帯マイクで同旨の放送をくりかえした。原告らはこれを無視して集会を続け、午前9時10分頃集会は終了した。
[23] その終了直前、原告中田は、職場に帰る時税関長室前を通り、我々の要求を直接訴えようと提案し(このことは組合の執行委員会で話し合われていた)、可決された。これに基づき、組合員約300人は4列縦隊のような形で労働歌を合唱しながら正面玄関から2階へ上り、先頭が税関長室前を過ぎて総務課秘書係入口附近に達したとき、原告乙山は列外に出て携帯マイクを使用し、「5,000円賃上げ」、「勤評反対」、「合理化反対」、「遠藤(税関長)やめろ」、「森(官房主事)やめろ」などと音頭をとり、組合員はそれに従つてシュプレヒコールをくりかえした。原告甲野は列外に出て原告乙山に合わせて音頭をとり、原告丙田は列外に出て隊列の後部を指導した。これに対し森官房主事、高松人事課長、森下総務課長補佐らは、勤務時間中だからやめなさいと各々原告らに数回注意したが、原告らは無視して右行為を続けた。そして右隊列は午前9時18分頃2階監視部長室横の階段附近で流れ解散した。
[24](2) 組合は、前回同様総評などの統一行動の一環として、全税関労働組合本部から、10月26日午前8時30分から同9時15分まで職場集会を行なうよう指令を受け、組合執行部及び支部委員会で検討した結果、政暴法が廃案になるかどうかの瀬戸際であり、政暴法粉砕のためにも必要であるとの考えもあつて、指令どおり10月5日のときより5分長い9時15分まで集会を行なうことを決めた。スローガンは10月5日のときと同じである。
[25] その前日の10月25日組合のビラによつて勤務時間内にくいこむ集会の開かれることを知つた当局は、同日午後5時30分頃総務課において森官房主事から原告甲野に対し、「明日午前9時15分まで集会をするそうだが、勤務時間内の集会は業務に支障を来たすばかりでなく、国公法違反でもあるから、そのようなことのないように」との趣旨の税関長の警告書を交付した。
[26] 翌10月26日午前7時30分頃、本庁舎前では原告甲野、同乙山らがプラカード、マイクなどを準備し、同8時40分頃全農林労働組合の藤原書記長の司会で集会は開始され、原告甲野は組合代表として弾圧強化反対、政暴法反対の演説をした。
[27] 午前9時5分に集会は終らなかつたので、その頃当局は、10月5日のときと同じ方法で、直ちに執務するようにとの税関長の命令を伝達した。しかし組合側はこれを無視し、むしろ集会への妨害であると非難して集会を続けた。午前9時10分過ぎ頃、原告甲野は、官側の組合への介入と弾圧につき抗議団の派遣を提案して可決され、同9時15分頃集会は終了した。
[28] 同日、東部出張所においても、2階ベランダで午前8時40分頃から大屋広隆の司会で職場集会が開かれ、組合執行委員として参加した原告丙田は、統一行動の意義を話し、政暴法反対の演説をした。9時5分に集会が終らなかつたので、その頃小山出張所長は、本庁舎におけるのと同旨の税関長の命令を集会中の組合員に伝達したが、原告田代はそれを無視して演説を続け、集会は9時15分頃終了した。
[29] 右認定に反する証人西川三郎之亮、証人森下閤太郎、同金沢史典、同杉原光三郎、同大屋広隆の各証言、原告乙山本人尋問の結果の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(四) 10月31日ないし11月2日の件
[30] 当時組合が輸出関係職員の増員を要求していたこと、月末月始の各々3、4日の輸出事務繁忙期に、月間事務量の30ないし40%が集中すること、昭和36年10月31日、輸出為替係の職員15名の参加した職場集会が開かれ、それに原告乙山が参加したこと、同年11月2日午後6時頃、鑑査部第1部門の事務室で、原告甲野、同乙山が宮崎鑑査部長に対し、大量事務の処理方針や統計品目番号の記入などについて質問したことの各事実は当事者間に争いがない。
[31] 成立に争いのない甲第9号証の2の3、甲第10号証の2の3、同号証の2の5、甲第13号証の2、甲第24号証、甲第26号証の2、甲第29号証、証人滝野輝雄、同柴原邦雄、同宮崎健一郎、同金田幹雄、同日野巌雄、同秦朗、同外山廣、同小島久、同道本裕信、同高橋章、同安福弘、同長谷川紀彦、同栗山彦七郎、同横田忠良の各証言、原告ら各本人尋問の結果(但しいずれも後記措信しない部分を除く)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
[32](1) 輸出業務が集中する月末月始各2、3日のいわゆる繁忙期には、輸出担当職員は2時間くらいの超過勤務や日曜休日も出勤することが多く、同僚への配慮へもあつて休暇をとることも事実上難しい状態であつた。また大量の業務を処理するために、各職員がその能力に応じ、また各人の責任において審査を簡略化することも行なわれており、1人が1日に約200件を処理することもあつた。税関当局は、船積の直前に輸出の申告が集中してなされると処理できない場合もあり得るので、業者に対し、船積の48時間前に申告するように、また、月末月始には臨時開庁申請をなるべく少なくするようにと行政指導をしており、従つて、それに従つて申告されたものについては期限内に処理せざるを得ず、超過勤務、休日出勤を繰り返していた。それでも、昭和32、3年頃より良くなつていたのであるが、その他の職場に比べて忙しく、職員の間には不満がつのつていた(但し繁忙期以外の時期は、繁忙期だけで1カ月の約3分の1を処理することでもあり、休暇もとれない程ではなかつた)。
[33] 組合は、輸出の増加により業務は増加しているのに職員はふえないとして、従来より人員増加要求を続けていた。これに対し大蔵省関税局は、昭和37年度に1,900名の増員を要求して(全税関労働組合は3,000名を要求)、400名の増員を獲得しており、これは他の官庁に比べてかなり多くの増員であり、また昭和36年度にも同数程度の増員を獲得しており、その内、両年度とも神戸税関にもかなり多数(100名以上)の配分があつた。従つて、神戸税関当局も人員増加の必要性を認め、これを要求していたものと推測される。また処理件数、人員の関係からみて、東京税関よりは繁忙ではあつたが、横浜税関に比べて、繁忙期はともかく、1カ月を平均すれば、神戸税関だけが特に繁忙であつたとはいえない状態であつた。
[34](2) 10月31日午後5時過ぎ頃から、輸出為替の職場で15人の職員が参加して輸出為替の職場集会が開かれた。これは組合の輸出分会結成準備会と組合とが協同して、繁忙期の業務処理、人員問題を検討するためであつた。その席に組合の代表者として参加した原告乙山(輸出為替の職員ではない)は、官側は組合が人員要求しても何もしてくれず、労働強化を強いている、職員は無理のない件数をしよう、そうすれば仕事が残るので超過勤務命令を出すだろう、それを拒否すれば困つて人員不足を認識するだろうとの提案をし、1人1日の処理件数はどのくらいが適当かと職員に意見を求めた。100件くらいとの意見も出たが、結局これまでのように大量の事務を処理するため無茶苦茶に仕事をするようなことをやめ、無理のない件数(大体100件程度をさす)をやつて人員不足を認識させようということになつた(輸出申告の書類はまず為替課輸出係で審査され、輸出課、鑑査第1部門、そして再び輸出課へと流れるから、為替課での処理が遅れたら全部が遅れることになる)。
[35](3) 翌11月1日、輸出為替の職員は、右集会の決定に従つて通常の繁忙期のような迅速な事務処理をしなかつたため処理は遅れ、午後4時頃には、5時以降臨時開庁をして超過勤務をしなければならないことが明らかな状態になつていた。午後3時40分頃、組合執行部は輸出第1、第2、為替の各課長に輸出第2課長の席に集るよう要請し、そこで課長らに、増員要求に協力して欲しい、税関長の所へ要求に行くから一緒に行つて欲しい、そうでないと労働過重だから超過勤務はできないとの申入及び交渉がなされた。柴原為替課長は遅れて行つて約10分程話を聞いただけで4時30分頃黙つて自席に戻つたので、間もなく原告ら及び輸出分会結成準備会の道本、高橋らが柴原課長の席に押しかけ、黙つて退席したことを責め、人員不足をどう思うか、増員要求への協力を確約してくれないと超過勤務はできないなどとつめより、その状態が5時20分頃まで続いた。この間の4時40分頃、係長から職場で超過勤務があるのかどうかと言つていることを聞いた金田課長補佐は、組合員に囲まれている柴原課長の所に行き、課長の指示を受けたうえ、係長を通じて、一部の者を除き職員に1時間の超過勤務命令を伝えた。午後5時頃原告丙田は仕事を始めようとした職員に対し、人員要求の協力を確約しないと仕事をしないと課長と交渉しているから待てと言い、そのため職員は仕事をしなかつた。
[36] 通常臨時開庁をする場合には、4時過ぎ頃から申請を受けて準備し、5時からすぐ審査に入るのであるが、この日は右のような事情で準備が遅れ、5時20分頃から審査する分を選択したので、結局6時頃から臨時開庁され、職員は超過勤務についた。午後7時になつても残件が多くあつたので、柴原課長は更に1時間の超過勤務を命じたところ、原告らは輸出為替の職場に来て(甲野、丙田とも輸出為替の職員でない)、課長に対し、職員は疲れているからやめたらどうかと言い、職員に向つては、用のある者疲れている者は帰れと言つた。このような状態の中で席を立つ者もあり、職場は混乱したので、これ以上仕事を続けることはできないと判断した課長は、7時過ぎ頃一般職員を帰宅させた。課長は残つた仕事は係長でしようとしたが、業者の方から、やるのかやらんのか、3、4人でできるのかとつめよる一幕もあつた。午後8時30分頃税関長からの連絡で出て来た横田総務課長が、残つた分は翌日優先的に処理することで業者の納得を得て、その日の業務を打ち切つた。
[37] その後横田、柴原課長らは税関長官舎に行き、翌日の処理について協議した結果、従来も特に忙しい時には重点的審査をしているとの柴原課長の説明に基づき、残件及び翌日の申告分を翌日中に処理するために、重点的審査を行なうことにした。
[38](4) 翌11月2日午前9時15分頃、柴原課長は金田課長補佐や係長を呼び、昨日の残件を含めて大量の事務を今日中に処理するため、輸出許可証の有無、有効期限、品目、数量のみを審査するようにと指示し、それは係長を通じて約17名の職員に伝えられた。従来繁忙期には各人が審査を簡略化してはいたが、上司が一律に簡略化を指示したのは初めてであつた。
[39] 9時30分頃原告中田、同田代らが輸出為替の職場に来て、柴原課長に対し、重点審査は基本通達違反ではないかと質問し、職員に対し、通達違反だから仕事をするな、このまましていたら責任問題が起きる、課長に一札入れてもらつてから仕事をしようなどと言つた(神戸税関で、昭和36年に梅干の輸出に関して農林省の検査合格証がないのに輸出許可をしたことで、担当職員及び係長が収賄の疑いで警察の取調べを受けたことがあり、職場では審査をゆるがせにしてはいけないという空気があつた。職員はこれを梅干事件と称している。この件は合格証がないのを知つていたのでもなく、業者から金品をもらつて故意にしたのでもなかつたので、刑事処分、行政処分ともなかつた)。柴原課長は、繁忙期には各人がやつていることであり、今日はやむを得ない、責任は私が持つと答え、かつ、原告乙山らの要求に応じて職員に対し、改めて重点審査を指示するとともに責任は私が持つから心配いらない旨の説明をした。しかし原告乙山らは納得せず、なおも執拗に文書にすることを要求し、職員に対して、文書にするまで輸出課へ書類を回すなと言つたので、結局課長は、仕事を停滞させないために書いたらどうかとの金田課長補佐の意見もあつて、10時30分頃文書にすることを約束し、職員に文書にするから仕事をするようにと言つた。この間書類の流れはとまり、為替課から輸出課へ回つた書類を為替課へ引上げたりした。
[40] その後課長が文書を書かなかつたところ、午後2時頃原告乙山、同丙田らが来て、早く書かないと書類を回さないと言い、課長が文書にして読み上げたとき、原告乙山は、それは命令かお願いかと尋ね、課長が、命令であるが仕事を早く処理するためやわらげた方がよいとの考えで、お願いであると答えたところ、職員に向つて、お願いなら従う必要はないと言つた。
[41](5) 同じ11月2日、宮崎鑑査部長は前日の輸出為替での業務の停滞からみて、鑑査第1部門(輸出担当)へ大量の書類の来ることが予想されたので、書類は疑問が生じた場合のほか必要な限度で審査し、検査証明の有無と統計品目番号(コードナンバー)の記入に重点をおいて処理するようにと指示した。午後5時には通常の繁忙期なみの残件があつたので、宮崎部長は30分休憩して5時30分から臨時開庁をすることとし、超過勤務命令を出した。
[42] ところが超過勤務はスムーズに行なわれず、第1部門の吉井鑑査官の所へ原告甲野、同乙山ら組合執行部約10人が押しかけて大声を出しており、6時頃同所に来た宮崎部長を取り囲み、こんなに大量の仕事をやらせてできるものか、お前の指示を受けてやると殺されてしまう、などと大声を出した。その頃窓口にいた多くの業者から、早くやつてくれ、船の出航に支障を来たすとの申入れがなされた。そこで宮崎部長は、超過勤務がスムーズに行なわれていないし、とにかく早く処理するため、6時30分頃、コードナンバーの記入は省略してもよいとの新たな指示をした。これに対し原告甲野ら組合執行部は、そのような命令は文書にせよと大声で迫り、宮崎部長が総務部へ行くとそこまでつきまとつて要求した。このように室内は騒然としたため、部長が右指示を文書にした7時頃まで職員の仕事はとまつていた。それ以後仕事は順調に進み、午後8時過ぎに超過勤務は終つた。
[43] 右認定に反する証人滝野輝雄、同柴原邦雄、同金田幹雄、同日野巌雄、同道本裕信、同高橋章、同安福弘、同長谷川紀彦の各証言、原告ら各本人尋問の結果の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(五) 12月2日の件
[44] 昭和36年12月2日午前中に、原告乙山が輸出関係職員に、午後0時30分に3階講堂へ集合するようにとの伝達をしたこと、正午頃輸出関係職員に、午後1時30分より4時30分(一部は3時30分)まで超過勤務につくべき旨の業務部長名の書面が交付されたこと、午後0時30分頃組合員約45名が3階講堂に集つたこと、午後1時15分頃から2時頃まで、原告乙山、同丙田が他の組合役員とともに業務部長室において、沢田業務部長、宮崎鑑査部長に対して、先に取りまとめた45名の超過勤務命令撤回願を提出し、その個々的審査を求めたこと、午後2時頃3階講堂に集合待機していた組合員は解散し、業務部長室で交渉していた組合役員も引きあげたこと、原告丙田が来関中の業者の応待にあたり、協力を要請したことの各事実は当事者間に争いがない。
[45] 成立に争いのない乙第24号証、証人金田幹雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第26ないし29号証、証人森下閤太郎、同岡本良国、同金田幹雄、同秦朗、同沢田俊政、同山本昭、同外山廣、同道本裕信、同安福弘、同長谷川紀彦、同津山久市、同横田忠良の各証言、原告ら各本人尋問の結果(但しいずれも後記措信しない部分は除く)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
[46](1) 11月2日に結成された組合の輸出分会は、組合とともに、職場の要求として人員要求をしていたが、繁忙期には職員が労働過重になつていること、つまり人員が不足していることを税関当局に認識してもらうとの趣旨で、分会の役員は超過勤務命令撤回願を全員で出すことを決め,組合執行部も同調した。それは全員の超過勤務命令を撤回してもらうというより、個人個人の事情を調べて、疲れている人や用事のある人の命令を撤回してもらいたいというのが主眼であつた。それで前もつて組合書記局で、氏名及び理由を書き込めばよい形式の超過勤務命令撤回御願の用紙をガリ版刷りにした。
[47] 12月2日(土曜日)、超過勤務命令の出ることが予想されたので、午前10時頃組合執行部及び分会役員が手分けして、各職場で撤回願の用紙を配付すると同時にその趣旨を説明し、全員で出した方がよいから命令が出たら書いてもらいたいと要請した。12時頃超過勤務命令が出た後、役員らは再び職場でまとめて出すのだからと書くことを要請して回収し(書かない人もあり全部ではなかつた)、12時30分に3階講堂に集まるようにと職員に要請した。なお輸出1課では、用紙の配付及び回収、集合の勧誘などを課員である原告乙山が行なつた。そして12時30分に午前中の勤務時間が終了するや、組合執行部や分会役員は各職場を回り、3階講堂へ集まるようにと告げた。なお、通常土曜日の臨時開庁は30分休憩して午後1時から始まるのであるが、午前11時頃、原告乙山、道本輸出分会長らは1時間の休憩を要求したので、沢田業務部長、宮崎鑑査部長らはそれを認め、午後1時30分から臨時開庁されることになつた。
[48](2) 午前10時頃、組合が撤回願を一括して提出し職員を講堂に集めることを知つた沢田部長は、輸出分会の道本、野村に対し、怠業行為になるから許可にならないと注意し、岩田輸出第1課長は秦課長補佐とともに、原告乙山に対して右同様の注意をした。12時過ぎ頃、森総務部長、沢田業務部長、宮崎鑑査部長、横田総務課長は、総務部長室において撤回願の取扱いについて協議した結果、健康状態はいつも調べて超過勤務命令を出すように課長に言つてあるから改めて調べる必要はない、全員が疲れているはずはないし、組合が一括して提出するのはお願いの形式をとつても怠業行為にあたるとの考えで、撤回願は認めないことにした。
[49](3) 12時40分頃、原告乙山、道本分会長、杉原執行委員らは、撤回願を提出するため総務部長室の沢田、宮崎両部長に面会を申入れたが、食事中とのことで業務部長室で待ち、午後1時15分頃、帰つて来た沢田部長らに約45人の撤回願を提出し、職員は疲れている、個人個人の健康状態や都合を調べて命令を出して欲しいと超過勤務命令の撤回を求めた。これに対し沢田、宮崎両部長は、不断から健康状態は注意している、組合がまとめて出すのは怠業行為で認めるわけにはいかないと拒否して勤務につくように言い、拒否する理由を文書にせよと主張する組合側と押し問答が続いた。
[50](4) 原告丙田、中野ら組合執行委員は、昼休みに職場を見て回り、残つている職員に講堂へ行くようにすすめ、1時30分になつて超過勤務につくべき職場に帰つて来た職員にも同様のことをした。講堂では、集まつた約50名の職員に対し、原告甲野が、撤回願について交渉している、官は一方的に命令を出しているが必ずしも聞く必要はないと説明し、神戸税関を訪れていた全税関労働組合本部の栗山委員長が、賃上げ斗争など全国の組合活動の状勢を話した。
[51] 1時45分頃、職場に職員がいないとの報告を受けた総務課では、横田総務課長を先頭に係長以上約10人が、1時50分頃講堂に行き、集まつていた職員に対し、超過勤務は猶予されていない、直ちに職場に帰つて執務するように、との業務命令を改めて伝え、森下課長補佐が業務命令の書かれたプラカードを掲げ、林係長がマイクで放送した。これに対し原告甲野は、部長交渉中だから待機しているのだと大声で答え、組合員も命令に応じて職場に帰る者はなく、課長らに対し、帰れ帰れと叫んだりした。
[52](5) 輸出の職場では、1時30分を過ぎても職員は殆どおらず、仕事をしなかつたため、業者から抗議が出ていたが、1時45分頃原告田代が業務部長室から来て、人員要求の斗争をしている、一時的には迷惑をかけるが了承して欲しいと弁解し、協力方を要請していた。2時少し前頃、そこへ横田総務課長らが講堂から降りて来たところ、業者らは横田課長にも、どうしてくれるんだと苦情を申し立て、横田課長は、組合が職員を講堂に集めているが、直ちに執務するように言つてあるから待つて欲しいと了承を求めた。
[53](6) 午後2時過ぎ頃原告乙山が講堂に来て、交渉は決裂した旨伝え、原告甲野が、弾圧の危険があるので職場に帰つて仕事をするようにと命じたので、午後2時5分頃職員は職場に帰つた。その後2時15分頃、原告ら組合執行部は、沢田、宮崎両部長に対し、超勤は何時まであるんだ、早くやめさせろなどと抗議していた。なお、2時5分以後仕事は順調に進み、遅い職場でも午後7時頃には終了した。
[54] 右認定に反する証人道本裕信、同高橋章、同安福弘、同津山久市の各証言、原告ら各本人尋問の結果の各一部はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

五、原告らの行為が懲戒事由にあたるかどうかを検討する。

(一) 8月19日の件
[55] 昭和34年10月27日の密輸事件後の大塚宏圀に対する関税法違反での取調べなど、前判示の経過、事情を考慮すれば、1年10カ月後に国公法違反で懲戒処分がなされたことにつき、組合が大塚に対する処分を組合への弾圧であるととらえたことの当否はともかく、処分理由及び関税法違反はどうなつたかなどに疑問をいだいて説明を求めたのは、むしろ当然であつたといえる。そして、税関長がおらず、代りの官房主事の返答があいまいかつ不十分であつたことが、組合員の抗議をより激しくしたと推測される。
[56] しかし、そのような事情があつたにせよ、取り囲んだ上、耳もとで或いはマイクを使用して、バカヤロー、チンピラ、ヤメロなど侮辱的威圧的暴言を吐き、同旨の貼り紙をし、かつ酷暑時に退出阻止によつて狭い部屋に閉じこめることは、抗議活動として明らかに行き過ぎであるといわなければならない。従つて右抗議活動に加わり、官房主事或いは総務課長の耳もとで、或いはマイクを使用して、侮辱的威圧的暴言を吐き、組合員とともに退出阻止をした原告丙田の行動は、正当な組合活動の範囲を逸脱した行為であり、国公法82条3号に該当する。

(二) 10月5日、26日の件
[57] 両日の集会は、前判示のとおり、全税関労働組合の本部からの指令に基づき、総評、公務員共斗会議などの統一行動の一環として行なわれたもので、他組合の組合員も参加したが、組合執行委員会及び支部委員会は指令どおり行なうことを決定したのであるから、組合の職場集会の実体をもつものであり、原告らは委員長、書記長、執行委員としてその決定に関与し、かつ運営にあたり、更に庁内行進を提案し、指導したものと認められる。
[58] ところで神戸税関では、午前9時5分が出勤簿整理時間とされ、それ以後は出勤簿は引上げられ執務態勢にあつたと認められるから、勤務時間にくいこんだ職場集会は、短時間であつても職場離脱による争議行為といわなければならない。
[59] 憲法28条は労働基本権の保障を規定し、それは原則として公務員労働者にも適用されるが、公務員の場合は、職務の公共性からみて、争議行為が公務の停廃を来たし、ひいては国民全体の利益を害し、国民生活に支障をもたらすおそれがある。従つて、公務員の労働基本権は、職務の公共性に対応する内在的制約を包含しているものと解さなければならない。しかし、職務の公共性といつても強弱さまざまであり、また争議行為にも、規模の大小、時間の長短等種々の態様があるから、一律にすべての争議行為を禁止するのは問題である。国公法98条5項は公務員の争議行為を禁止しているが、労働基本権を保障した憲法の趣旨にそつて考えるとき、争議行為による公務の停廃が国民生活に相当程度の支障をもたらすおそれがある場合、争議行為が職員団体の本来の目的を逸脱している場合、暴力その他それに類する不当な圧力を伴なう場合など、違法性のある程度強いものだけを禁止したものと解するのが相当である(なお、ここにいう違法性のある程度強いものとは、刑事罰をもつて臨むほど違法性の強いものであることは要しないものと解する)。換言すれば、争議行為であつても、右例示にあたらないような違法性の弱いものについては、国公法98条5項で禁止する争議行為にはあたらないものというべきである(以下違法とは、国公法で禁止される場合をいう)。
[60] そこで、税関職員の争議行為の制限について考えてみるに、税関は輸出入の通関業務、密輸出入の取締などを主たる職務としているが、密輸の取締りはもとより、通関業務の正常な運営は、業者のみならず国民の経済生活や輸出入による我が国の経済の発展にも影響があり、国際信用の面からも是非必要であるから、その職務の停廃は国民生活に大きな影響を与えるものであり、その公共性はかなり強いといえる。
[61] そこで更に、10月5日の集会の違法性の有無について検討するに、勤務時間へのくいこみは僅か5分ではあるが、前判示のとおり、税関の職務は公共性がかなり強く、また集会による職場離脱が一部の職場ではなく全体で行なわれたこと、そして僅か5分であつても多数の者が同時に行うことの結果は軽視すべきでないことなどを考えれば、右集会による公務の停廃は国民生活に相当程度の支障を及ぼすおそれがあると解されるから、右集会は違法というべきである。従つて、前日の警告及び当日の執務命令を無視したこともまた違法である。なお、当時労働組合その他諸種の団体によつて政暴法に対する反対運動が広く行なわれており、その線にそつた統一行動の一環である本件集会においても、政暴法反対はかなり重点的な目標の一つであつたことがうかがわれるが、その他の目標からみて、職員団体の本来の目的を逸脱する程政治目的が強いとは必ずしもいえない。しかし政治目的が含まれていたことは、若干違法の程度を強めるものと解せられる(政治目的は経済的地位の維持改善に直接関係がないから、そのための争議行為は職員団体の本来の目的を逸脱するものとして許されない)。しかし前述のとおり、勤務時間に5分間くいこんだ集会に引き続いて、約400人の多数がわざわざ税関長室前を通り、組合員の要求を直接訴えると称して、労働歌を合唱しながら隊列を組んで本庁舎2階廊下へ入り、総務課職員らの制止も聞かず、原告乙山がマイクで音頭をとり、組合員がそれに従つてシユプレヒコールをくりかえして、午前9時18分頃解散するまで職場を喧噪状態にしたことは明らかに違法な争議行為といわなければならない。
[62] 次に、10月26日の集会について検討するに、勤務時間へのくいこみが10分間であること以外は、10月5日の件とほぼ同様である。しかしながら組合執行部は、10月5日より5分長い集会を行なうことを決めた際、前判示のとおり、政暴法が廃案になるかどうかの瀬戸際であり、政暴法粉砕のために強く斗かう必要があるとの判断に立つていた。従つてこの集会は政暴法反対という政治目的が強く出ていることが認められ、その点10月5日の集会と同一に論ずることはできず、この点からも違法な争議行為といわざるを得ない。
[63] 原告らが、10月5日及び26日、警告及び執務命令を無視して職場集会を行なつたことは国公法98条1項、集会を積極的に指導したことは同法98条5項前後段、101条1項、人事院規則14-1第3項前後段、10月5日デモ行進に参加しシユプレヒコールを指導し或いは誘導したことは国公法98条5項前後段(原告乙山がデモ行進を提案したことは同項後段)、101条1項、人事院規則14-1第3項前段に違反し、国公法82条1号に該当する。

(三) 10月31日ないし11月2日の件
[64] 人員増加要求は、単に輸出分会(或いはその結成準備会)だけの問題ではなく、組合としても取り組んでいた問題であり、また当初の企画は分会がしたとしても、組合も事前に相談を受けて替同していたものであるから、組合と分会の関係からみて、これらの行為は単に分会だけのものでなく、分会と組合が共同して行なつたものとみられる。(この点は12月2日の件も同様である。)
[65] 繁忙期の労働状態から人員増加要求が正当であり、当局の対処が組合からみて不十分であつたとしても(但し大蔵省関税局も神戸税関当局も人員不足を認め努力していたと推測されることは前判示のとおり)、処理件数をわざと低下させ、業務を妨害するという形で人員不足を認識させようとすることは、正当な方法とはいい難い。しかも業務の集中する繁忙期であるから、業務が停廃すれば船積みに遅れる危険性もあり、国民生活に大きな影響を与えるおそれがある(もつとも、仕事があるからといつて能力体力の限界を越えた執務を要求することはできないが、早目に申告するよう行政指導をしても、そして繁忙期にはできるだけ申告を少なくするよう、なおかつ一時期に集中する以上、現人員でできる限りのことをすべきである)。同様に、超過勤務命令及び上司の指示を拒否すること、それに関連して喧噪にわたるような方法で部長、課長に要求を続けることも、怠業の勧しよう、業務妨害であつて違法である。
[66] 審査は、基本通達に基づいて行なわれるべきものであり、そのとおり行なわれることが望ましいが、常にどのような場合にもそのとおりしなければならないものとは解すべきではない。運用面における裁量は、事情によつては許されるべきであり、部長課長などの責任者が重点審査にせよと指示することも、そうせざるを得ない特別の事情があれば許されるものといえる。11月2日の重点審査の指示は、前日からの残件もあり、船積の関係上なるべく早急に処理する必要があつた以上、特別の事情がある場合として許されるものというべきである。原告らは、いわゆる梅干事件があり、職員に不安があつて文書にすることを要求したと主張するが、上司の指図があつたのであり、梅干事件の取調べが収賄の疑いであつたことからみて、同一には論ぜられない。また、従来も各人がそれぞれの責任で重点的審査をしていたのであるから、上司の指示のあつたこのときに限つて、文書にしなければ不安であつたとは認められない。もちろん、指示の内容を明確にするため、これを文書にすることを要求すること自体は許されることであるが、怠業の手段にしたり、喧噪にわたるような方法でくりかえし要求するのは正当な方法でない。処理件数を少なくして残件を多くしたうえ超過勤務を妨害し、やむを得ず重点審査を指示するとそれに文句をつけるという一連の行為を考えれば、その不当なことは明らかである。
[67] 原告乙山の職場集会における行為は国公法98条5項後段、原告乙山、同丙田の11月1日の各行為は同法98条5項後段、人事院規則14-1第3項後段、11月2日の為替係での各行為は同法98条5項後段、101条1項、同規則14-1第3項前段、原告甲野、同乙山の鑑査第1部門での行為は同法98条5項前段、同規則14-1第3項後段に違反し、同法82条1号に該当する。

(四) 12月2日の件
[68] 撤回願は、人員増加要求のため、人員不足で過重労働になつていることを認識してもらうというのが主眼であり、超過勤務命令が出される前に用紙を配付し、命令の出た人全員が撤回願を出す態勢であつた。従つて、健康状態の悪い人、やむを得ない用事のある人など、超過勤務をできない人がその撤回を願い出る通常の場合と異り、一括して提出して個々的審査を要求し、その間職員を3階講堂に集めて待機させるのは、実質的には、審査に名を借りた職場離脱であり、繁忙期の業務を妨害する違法な行為である。原告らは部長との交渉中超過勤務は猶予されていたと主張するが、業務部長らは初めから撤回願を認めない態度で、そのことは午前中の警告によつて原告ら組合執行部にも分つていたのであり、これに対し、拒否の理由を文書にせよなどの組合の抗議、要求が続いていただけで、超過勤務が猶予されているというような状況ではなかつた。
[69] 原告らが一斉に超過勤務撤回願を提出するように勧しようした行為は国公法98条5項後段、101条1項、人事院規則14-1第3項前段、超過勤務につくべき職員を3階講堂に集結させ午後1時30分から2時5分頃まで同人らによる通関業務を妨げた行為は同法98条5項後段、同規則14-1第3項後段に違反し、同法82条1号に該当する。
[70] 原告甲野本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第32号証、証人滝野輝雄、同間處康成の各証言、原告甲野、同乙山の各本人尋問の結果によれば、被告は、昭和36年11月28日頃から組合員が坐りこみをしたところ、やめるまで応じないとして一時団体交渉を拒否したこと、本件処分後原告らが役員となつていることを理由に団体交渉を拒否したこと、本件処分後、37年6月の組合大会で原告らが役員に選ばれるや、課長係長らが組合を脱退し、組合員に対する脱退勧誘が強く行なわれたこと(これが38年初め頃のいわゆる第二組合の結成につながつた)、組合員の昇給昇格が遅れていることなど被告に反組合的意思のあることをうかがわせる事情が認められる。しかし、前判示のとおり、処分事由たる原告らの行為は違法であり、その違法行為を理由として本件処分は行なわれたものと解されるから、右のような事情があつても、それだけで直ちに不利益取扱いに該当するものとは認められない。
[71](一) 公務員の懲戒処分は、処分権者の裁量に任されてはいるが、処分事実の性質、程度など諸般の事情を考慮し、社会通念上著しく妥当を欠いている場合には、裁量の範囲を超えたものとして違法というべきである。

[72](二) そこで、処分事実につき、右の観点から検討する。
[73](1) 8月19日の抗議活動は、正当な組合活動の範囲を越えたものであり、その程度、方法からみて情状は必ずしも軽いとはいえない。しかし、税関長自身が処分書を交付せず、代りの官房主事が十分な説明をしなかつたことなど税関側の態度が、執拗かつ激しい抗議活動を誘発した原因の一つでもあるから、組合側だけを非難することはできない。
[74](2) 10月5日の集会、庁内行進は、午前9時18分頃に終了しているから、9時20分頃には職員は職場に帰り執務態勢にあつたと推測される。結局職場離脱は約15分間である。10月26日の集会は9時15分に終了しているから、右同様に、職場離脱は約12、3分である。両日とも、集会の実施を決定したのは組合であるが、全税関労働組合本部からの指令どおりの時間であることも考慮すべきであり、またそのために業務処理が遅れ、具体的に問題が生じたこともなかつた。従つてその情状は軽いといえる。
[75](3) 10月31日から11月2日の行為は、繁忙期における輸出関係業務の処理件数を低下させ、残件がふえたところで超過勤務を妨害し、やむなく重点審査を指示するやそれも妨害するという一連の業務妨害である。重点審査という窮余の策により、11月1日の残件を2日に持ち越しただけで、船積みできないという最悪の事態は避けられたが、職場を混乱させ、遅れたことで業者にしわよせがあつたと推測される。従つてその情状はかなり重いが、結果的に最悪の事態が避けられたこと、繁忙期は多忙を極めており、人員増加要求は職場からの強い要求であることが考慮されるべきである。
[76](4) 12月2日の行為は、繁忙期における約35分間の職場離脱による超過勤務拒否であり、その後普通に処理されて特に問題は起らなかつたが、輸出関係全体に及んだだけにその情状は軽くない。しかし、右同様、最悪の事態は発生せず、また繁忙期の執務状態が遠因であることが考慮されるべきである。

[77](三) 懲戒処分には免職、停職、減給、戒告の4種がある(国公法82条)。原告らの行為については、右に検討したとおりかなり違法性の強いものもあるが、その行為を考慮しても、また昭和35年7月、日米安保条約反対斗争で、同年6月3度にわたり午前9時30分頃までの勤務時間内職場集会をしたことにより、原告甲野が減給10分の1を2カ月間、同乙山が減給10分の1を3カ月間、同丙田が戒告の各懲戒処分を受けた前歴があること(証人森下閤太郎の証言、原告乙山、同丙田の各本人尋問の結果により認める)を考え合わせても、懲戒免職処分をもつて臨むのは、本人の現在及び将来に重大な苦痛を与え、その結果は余りにも過酷であり、社会観念上著しく妥当を欠くと認められるから、本件処分は裁量の範囲を越えたものとして違法というべきである。

[78]八、右のとおり、本件処分は懲戒権の裁量の範囲を越えた瑕疵あるものであり、その瑕疵は重大ではあるが、裁量の範囲を越えたかどうかは難しい法的評価の問題であり、本件処分の場合も明白とまでは認められないから、本件処分は当然無効とはいえず、取消し得べきものと解される。

[79] よつて、原告らの無効確認を求める第一次請求は理由がないからこれを棄却し、本件処分の取消を求める第二次請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、92条但書を各適用して主文のとおり判決する。

  (裁判官 森本正 日野原昌 谷岡武教)
(処分の理由)
 甲野一郎

 上記の者は、
一、昭和36年10月5日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導し、更に引続いて当関本庁舎内をデモ行進した。
二、同年10月26日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して,当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行われた職場集会を積極的に指導した。
三、人員増加要求を貫徹するため、同年11月2日当関鑑査部第1部門事務室において、多数の全国税関労働組合神戸支部(以下「組合」という。)組合員とともに鑑査部長を取り囲み、大声で業務上の指示は文書をもつてこれをなすよう要求するなど同事務室の平穏静ひつを害し、同事務室における通関業務の処理を妨げた。
四、人員増加要求などを貫徹するため、同年12月2日乙山二郎、丙田三郎ら組合執行部役員とともに、当関輸出関係業務担当職員に、一斉に超過勤務命令撤回願を提出するよう勧しようし、その結果作成された同撤回願を一括して当関業務及び鑑査両部長にそれぞれ提出し、かつ同日午後1時30分から超過勤務に服すべき上記職員約45名を3階講堂に集結させて、同2時5分頃まで同人らによる通関業務の処理を妨げた。
 上記の行為は国家公務員法第98条第1項、第5項及び同法第101条第1項並びに人事院規則14-1第3項の規定に違反し、国家公務員法第82条に該当するので同条の規定により懲戒処分として免職する。
(処分の理由)
 乙山二郎

 上記の者は、
一、昭和36年10月5日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導し、更に引き続いて当関本庁舎内デモ行進を提案し、これを行なつた。
二、同年10月26日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導した。
三、人員増加要求を貫徹するため、同年10月31日から11月2日に至る間、当関輸出為替業務担当職員に対し処理件数を低下させるよう提案するなど、輸出事務繁忙期における通関業務の処理を妨げようと企て、これをしようようし、その結果上記業務を妨げた。
四、人員増加要求などを貫徹するため、同年12月2日甲野一郎、丙田三郎ら全国税関労働組合神戸支部執行部役員とともに、当関輸出関係業務担当職員に、一斉に超過勤務命令徹回願を提出するよう勧しようし、その結果作成された同徹回願を一括して、当関業務及び鑑査両部長にそれぞれ提出し、かつ同日午後1時30分から超過勤務に服すべき上記職員約45名を3階講堂に集結させて、同2時5分頃まで同人らによる通関業務の処理を妨げた。
 上記の行為は国家公務員法第98条第1項、第5項及び同法第101条第1項並びに人事院規則14-1第3項の規定に違反し、国家公務員法第82条に該当するので同条の規定により懲戒処分として免職する。
(処分の理由)
 丙田三郎

 上記の者は、
一、昭和36年8月19日神戸税関長官房主事室において、同日午前11時50分頃から午後5時40分頃まで行なわれた当関神戸外郵出張所勤務の大蔵事務官大塚宏圀にかかる戒告処分に対する抗議活動に際し、多数の全国税関労働組合神戸支部(以下「組合」という。)組合員とともに官房主事を取り囲みその退室を阻止し、また官房主事らに対し威圧的言動を弄した。
二、同年10月5日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視して、当関本庁舎正面玄関前で勤務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導し、更に引き続いて当関本庁舎内をデモ行進した。
三、同年10月26日当局の発した前日の警告及び当日の執務命令を無視し、当関東部出張所ベランダで執務時間内にわたつて行なわれた職場集会を積極的に指導した。
四、人員増加要求を貫徹するため、同年11月1日及び2日、当関輸出為替業務担当職員に対して超過勤務命令に応じないよう勧しようするなど、輸出事務繁忙期における通関業務の処理を妨げるようしようようし、その結果上記業務を妨げた。
五、人員増加要求などを貫徹するため、同年12月2日甲野一郎、乙山二郎ら組合執行部役員とともに、当関輸出関係業務担当職員に、一斉に超過勤務命令徹回願を提出するよう勧しようし、その結果作成された同徹回願を一括して当関業務及び鑑査両部長にそれぞれ提出し、かつ同日午後1時30分から超過勤務に服すべき上記職員約45名を3階講堂に集結させて、同2時5分頃まで同人らによる通関業務の処理を妨げた。
 上記の行為は国家公務員法第98条第1項、第5項及び同法第101条第1項並びに人事院規則14-1第3項の規定に違反し、国家公務員法第82条に該当するので同条の規定により懲戒処分として免職する。
人事院規則14-1 職員団体に関する職員の行為
(昭和24年5月9日制定・施行、昭和41年7月9日人事院規則1-4により廃止)

 職員は、法第101条に基き、規則15-3〔職員団体の業務にもつぱら従事するための職員の休暇〕に定める条件の下で、もつぱら職員団体の業務に従事することができる。

 職員は、法第101条に基き、勤務を要しない時間又は前項の規定による場合の外、あらかじめ承認を得た休暇期間中においても、次に掲げる行為を行うことができる。
一 職員団体に加入すること
二 職員団体の結成に参加すること
三 職員団体の役員選挙その他の投票に参加すること
四 職員団体の会合に参加すること
五 法第98条に規定する当局との交渉の準備その他の目的で職員団体の代表者と会合すること
六 その他職員団体の業務に参加すること

 職員は、第5項に規定する行為を除き、前項に規定する行為その他国の業務以外のこれらに準ずる行為をその勤務時間中にしてはならない。職員は、手段のいかんを問わず、これらの行為によつて、勤務時間中における他の職員の勤務を妨げてはならない。

 第2項に規定する行為はすべて、国の業務の正常な運営を阻害することのないように行わなければならない。

 この規則のいかなる規定も、職員が個人的に又は登録された職員団体の代表者を通じ、人事院の定める手続又は条件に従い、団体協約を含まない適法な交渉を勤務時間中に行うことを妨げるものではない。
 各省及び各庁の長は、この規則に違反するすべての行為及びそれに対してとつた行政処分について、人事院に報告しなければならない。

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