レペタ法廷メモ訴訟
第一審判決

損害賠償請求事件
東京地方裁判所 昭和60年(ワ)3081号
昭和62年2月12日 民事第5部 判決

原告 ローレンス・レペタ
右訴訟代理人弁護士 秋山幹男 鈴木五十三 喜田村洋一 三宅弘 山岸和彦

被告 国
 右代表者法務大臣 遠藤要
   右指定代理人 芝田俊文 外1名

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。

一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金130万円及びこれに対する昭和60年4月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁
 主文同旨
1 原告の地位
[1](一) 原告は、米国ワシントン州弁護士資格を有するものであるところ、昭和54年秋に来日し、経済法特に日本及び米国の国際間の経済問題に対する法制度を研究し、同分野における名種論文を発表してきたが、昭和58年6月1日から昭和59年7月までの間は、財団法人国際交流基金より奨学金を受けた特別研究員として在日し、日本における証券市場及びこれに関する法的規制を課題として研究に従事してきた。
[2](二) 原告は、右研究の一環として、昭和57年10月以来今日に至るまで、東京地方裁判所における被告人甲野一郎に対する所得税法違反被告事件(以下「本件事件」という。)を研究し、その公判を傍聴している。

2 原告に対するメモ採取不許可
[3](一) 原告は、本件事件の公判傍聴に際して、傍聴席においてメモを取ることを希望し、別紙許可申請一覧表記載のとおり、名公判期日に先立ち、本件事件の審理を担当する東京地方裁判所刑事第20部に対し、メモを取ることの許可申請をしたが、同部の裁判長小瀬保郎からいずれも拒否の決定(以下「本件各決定」という。)を受けた。
[4](二) 原告は、別紙許可申請一覧表記載の各公判期日及びその後判決に至るまでの全公判期日(ただし、昭和59年8月31日を除く。)に出頭し、その公判を傍聴したが、いずれの公判期日においても、右(一)記載の本件各決定のゆえに、メモを取ることが許されなかった。

3 本件各決定の違憲、違法性
[5] 本件各決定は、以下の各理由により違憲、違法であり条約にも違反する。
(一) 憲法21条及び市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権規約B規約」という。)19条違反
[6](1) 法廷を傍聴する権利は、憲法21条によって保障される知る権利に含まれる。
[7] すなわち、人は他人との相互の自由なコミュニケーションの中で生きる存在であり、受け手を想定してこそ自己表現があり、また、外界からの情報の伝達、他人の意見や思想の伝達を受けることによって、はじめて事実の認識、自己表現があり得るのであるから、表現の自由は、情報を受ける権利(知る権利)を内包する基本的人権であり、憲法21条は、すべての人に対し、右のような知る権利を保障していると解すべきである。そして、何人にも知る権利が保障されている以上は、そのための取材の自由、情報収集権もまた何人にも保障されていると解すべきであり、世界人権宣言19条や国際人権規約B規約19条2項が、すべての者に対し情報を求め、又はこれを受ける自由を保障しているのもこの趣旨に基づくものである。
[8] 特に人々の知る権利を保障し、民主主義を実現するためには、国家機関の有する情報のうち、国会の公開、行政当局の情報の公開とともに、裁判の公開がきわめて重要であり、人々の知る権利を保障するためには、情報公開の対象から裁判の公開を除くことはできない。したがって、裁判の公開による法廷を傍聴する権利は、憲法21条の知る権利に含まれる。
[9](2) 法廷を傍聴する権利は、法廷において公判手続につきメモを取る権利(以下「メモ権」という。)を含む。
[10] すなわち、知る権利は、すべての人があらゆる手段により、とりわけ手書きその他自ら選択する方法により情報を受ける権利であり、実際上もメモを取らない限り裁判を十分に知り、伝達することはできないのであるから、メモ権は法廷を傍聴する権利に当然含まれる。また、「統治機構の業務に対する議論」は、情報に基づくものでなければならない以上、表現の自由は単なる法廷公開にとどまらず、刑事裁判へのアクセス権をも保障するものであり、その中には当然メモ権も含まれるものである。
[11](3) 国際人権規約B規約によって保障される表現の自由はメモ権を含む。
[12] 昭和54年9月21日、日本国について発効した前記国際人権規約B規約は、その19条2項において「すべての者は、表現の自由についての権利を有する」と規定した後に、さらに「この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。」と規定して右権利の内容を具体化しており、してみれば右国際人権規約B規約19条2項によって保障される表現の自由の中に、法廷を傍聴する権利はもちろんメモ権もまた含まれるものである。
[13] なお、同規約19条3項は、「同条2項の権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。(a)他の者の権利又は信用の尊重 (b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」と規定しているが、本件各決定の根拠規定は、裁判所法71条2項以外には存在しないところ、本件で問題とされているメモは、それ自体としては、特別の事情がない限り裁判所の審理を妨げ、または法廷の威信を傷つけるとは考えられないものであり、しかも本件においては特別の事情も存在せず、かつ、これについて被告から何らの主張、立証もないのであるから、このような場合においてすら、裁判所法71条2項を根拠として本件各決定を適法とすることは、表現の自由という優越的地位を占める権利を、何らの要件も要求せずに制限することと同義であり、このことが、権利の制限には法律の規定がなければならないとした国際人権規約B規約19条(この条文は、権利を制限する要件・程度が法律で定められるべきことを当然の前提としている。)に反するものであることは明白である。
(4)メモ権の制限基準
[14] 原告は、表現の自由の一態様としてのメモの自由、特に法廷内におけるメモの自由について、あらゆる場合にあらゆる人に対して認められるべきであると主張しているのではなく、本件の事実関係の下で本件原告にメモを禁止した本件処分が違憲・違法であると主張しているのである。
[15] すなわち、法廷内におけるメモは表現の自由の保障を受けるものではあるが、表現の自由も、その行使が憲法に規定する他の人権と牴解するおそれがある場合には、制限される場合がありえないわけではなく、その場合の目的、要件、制限の程度がいかにあるべきかが問題となる。
[16] 表現の自由の制限の程度については、障害の防止のために必要かつ合理的な範囲でなければならないのであり、必要最小限でなければならないのであるから、本件メモ禁止処分の適法性を判断するにあたっても同様の基準が設けられなければならない。
[17] また、裁判長に、一定の範囲での裁量権が存することは認められるにしても、その判断は個々の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断でなければならず、障害発生の相当の蓋然性があるとした裁判長の認定に合理的な根拠があり、その防止のために当該措置が必要であるとした判断に合理性が認められるか否かを判断する際も具体的な事実関係の下において検討されなければならないものである。
[18] そこで、右要件のもとに、本件メモ禁止処分について具体的に検討すると、以下のような問題が存在し、結局、本件メモ禁止処分は、違憲、違法性を有する。
(a) 目的の欠如
[19] 被告は、本件メモ禁止処分がいかなる目的でなされたかについて何ら明らかにするところがない。したがって、表現の自由の一形態であり、本来自由になされるべきメモを制限する正当な目的を認定することができないのであるから、既にこの点において本件メモ禁止処分を合憲とすることはできない。
(b) 要件の不存在
[20] 仮に、本件メモ禁止処分が、公正な裁判を受ける被告人の権利を保障するためになされたものだと解するとしても単に一般的、抽象的に傍聴人がメモをとることによって公正な裁判を受ける権利が侵害されるおそれがあるとして本件処分を合憲とすることはできず、本件メモ禁止処分が合憲とされるためには、対象となっている本件各公判ごとに、本件原告がメモを取ることによって、メモを放置することのできない障害が生ずる相当の蓋然性がある旨の認定がなされることが必要であるところ、原告は純粋に学問的な関心から本件所得税法違反被告事件を研究の対象として選択し、その傍聴を行ったものであるから、原告のメモによって本件公判に何らの悪影響が生じることは考えられず、また、本件公判のうち少なくともある場合には、新聞記者が傍聴席においてメモを取り、その内容を報じていたのであるから、これに加えて原告がメモを取ることによって証人の証言態度等に悪影響が生じることも考えられない。さらに原告がメモを許されたとして、当該メモを不当に利用するということもまた考えられないところである。
[21] このように、本件メモ禁止処分は、メモを放置することができない障害が発生する相当の蓋然性が何ら存しないところで行われたものであるから、表現の自由を制限する要件を欠くものとして違憲である。
(c) 制限の程度の逸脱
[22] 右に述べたとおり、本件においてはそもそもメモを禁止すべき要件が存在しなかったものであるが、仮にその要件が存する場合があったとしても、本件処分のように、そのような要件が存在しないことが明らかな場合(たとえば、論告・弁論・判決期日)にまで一律にメモを禁止する処分は、表現の自由の制限が必要最小限でなければならないという大前提に反するものであり、違憲である。
(二) 憲法82条違反
[23](1) 法廷を傍聴する権利は、憲法82条によって保障される。
[24] すなわち、憲法82条は、裁判の対審及び判決を公開の法廷で行うことにより密室裁判を防止しようとする単なる制度的保障にとどまらず、法廷を傍聴する権利を国民の権利として規定したものと解すべきである。裁判、特に刑事裁判は国家権力の発動の一つの典型であって、裁判所の活動について主権者たる国民は、不断の監視を行う権利を有するものと考えられ、したがって、裁判の公開が民主主義の根幹にかかわるものであるから、憲法は、82条において特に1箇条を設けて、国民の裁判傍聴権を、別途、規定したものである。
[25](2) 法廷を傍聴する権利は、メモ権を含む。
[26] 前記(一)(2)と同旨
(三) 刑事訴訟規則違反
[27] 被告人の公正な裁判を受ける権利を保障するため、刑事訴訟規則(昭和24年1月1日施行)215条は、「写真撮影、録音、放送」を掲げ、これを行うためには裁判所の許可を要求した。ここに掲げられた事項は、これを自由に認めるならば被告人の権利を害するおそれが定型的に大きいとして、裁判所の事前許可を要求したものと考えられる。しかし、一読して明らかなとおり、前記制限の対象の中にはメモは含まれておらず、最高裁規則は、原則どおりメモを自由としているものと解される。このことは、刑事訴訟規則の後に制定された民事訴訟規則(昭和31年6月1日施行)と比較すれば、より明瞭である。民事訴訟規則11条は、「写真撮影、速記、録音、放送」を裁判長の許可にかからしめているが、ここで追加されているのは「速記」のみであるから、発言の内容を逐語的に記録しないメモは意図的に制限の対象から外されていると解するほかはない。したがって、本件が対象としている刑事事件の公判廷においては速記すら許されているのであり、メモが禁止されるべき根拠は、実定法上も存在しない。
[28] よって、本件各決定は、刑事訴訟規則に違反し、違法である。
(四) 憲法14条違反
[29] 本件事件の公判傍聴において、裁判所は、東京地方裁判所司法記者クラブ所属の報道機関には無条件でメモを取ることを許しながら、原告に対しては、本件各処分を行い、メモを取ることを禁止したものであり、右取扱いは、何らの合理的根拠を有し得ず、法の下の平等を定める憲法14条に違反する。
[30] 刑事裁判に対するアクセク権については、現に傍聴している者のメモにつき、公衆と報道機関を区別し、後者を優遇する根拠は存在せず、報道機関にのみ特権を与えることは、必然的に報道機関の定義等の問題を生み出すとともに、報道機関にとっても国家から特権を与えられることによって腐敗が生じる可能性があり、好ましいことではない。
[31] したがって、メモを制限すべき何らの合理的理由がないのに、本件各処分により原告がメモを取ることを禁止した行為は、原告のメモ権を侵害し、憲法21条、82条等に違反するとともに、司法記者クラブ所属の報道機関には、無条件でメモを取ることを許しながら、原告に対しては、右のとおり、本件各処分によりメモを取ることを禁止した右取扱いは同法14条に違反するものであり、いずれも違法性を有する。

4 被告の賠償責任
[32] 本件各決定は、いずれも、本件事件を担当する東京地方裁判所刑事第20部の裁判長小瀬保郎が訴訟指揮として行ったものであるが、同裁判長は国の公権力の行使に当たる公務員であり、本件各決定は右裁判長の職務を行うについて行われたものであるから、被告は、国家賠償法1条1項により、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

5 損害
(一) 慰謝料
[33] 原告は、前記の違憲違法な本件各決定により、本件事件の公判期日におけるメモ採取の憲法上の権利が侵害され、これとともにこれら公判期日における公判内容を充分に記録することができないことから、所期した研究をも阻害されることになり、多大の精神的損害を被った。その程度は到底金銭では評価し得ないものであるが、敢えてこれを評価すれば、少なくとも金100万円は下らない。
(二) 弁護士費用
[34] 本件においては、本人訴訟が事実上不可能であり、弁護士に委任せざるを得ないこと、重大な憲法問題を含む極めて難しい事件であることなどの諸般の事情を考慮すれば、原告が代理人らに支払う弁護士費用のうち少なくとも金30万円は、本件各決定と相当因果関係に立つ損害とみるのが相当である。
[35] よって、原告は、被告に対し、損害賠償金として金130万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和60年4月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
[36] 請求原因1(原告の地位)(一)、(二)の各事実はいずれも不知。

[37]2(一) 同2(原告に対するメモ採取不許可)(一)の事実は認める。ただし、原告提出の各許可申請に対して、受訴裁判所の裁判長は、原告が当該法廷でメモを取ることを許さない旨の各措置(以下「本件各措置」という。)をとったが、これは決定という裁判が行われたものではない。
[38](二) 同2(二)の事実は不知。

[39] 同3(本件各決定の違憲、違法性)は争う。ただし、同3(四)中、本件事件について、受訴裁判所の裁判長が司法記者クラブ所属の記者に対して法廷においてメモを取ることを許可したことは認める。
(一) 憲法21条、国際人権規約B規約19条及び憲法82条違反の主張について
[40] 裁判の公開とは、不特定かつ相当数の者が自由に裁判を傍聴し得る状態におくことをいうから、裁判の傍聴を希望する者は、法廷の物理的設備の許す限度において、自由に法廷に出入りして自ら直接法廷で行われている手続を見聞することを許されるが、裁判の公開とは、まさに右の内容を意味するにすぎないのであって、それ以上の権利を付与するものではない。
[41] また、同様に法廷を傍聴する権利とは、裁判の傍聴を希望する者は、法廷の物理的設備の許す限度において、自由に法廷に出入りして自ら直接法廷で行われている手続を見聞することができることをその内容とするものであって、それ以上に原告主張のメモ権までをも含むものではない。
[42] したがって、いずれにしても、憲法21条、国際人権規約B規約19条及び憲法82条を、メモ権が保障されていることの根拠とすることは認められず、原告の主張はその前提を欠く。
[43] なお、右のとおり、傍聴人にはメモをとる権利は認められていないのであり、これを許すか否かについては本来裁判長の自由な裁量に委ねられているのであるから、一般傍聴人である原告に対してメモを許さなかった行為は、一般裁判官の職務行為を基準としてみても、何ら違法となるものではない。
[44] よって、本件各措置は、憲法21条、国際人権規約B規約19条及び憲法82条に違反するものではなく、何らの違法性も有しない。
(二) 刑事訴訟規則違反について
[45] 刑事訴訟規則215条及び民事訴訟規則11条は、法廷における写真撮影、録音、放送又は速記について、裁判所又は裁判長の許可を得なければできない旨規定しているが、法廷におけるメモ行為は、これらのもの、特に録音や速記と性質を同じくする面が大きいので、同様に解すべきである。
[46] なお、メモを取ることについての裁判長の許可は、法廷警察権(裁判所法71条、刑事事件の場合は更に刑事訴訟法288条2項)に基づく措置であるが、これは、本来傍聴人に許可されず、一般的に禁止されている行為について、特別に禁止を解除し、許可を与えるものであり、したがって、許否の判断は裁判長の自由な裁量に委ねられているものであって、一般傍聴人のメモ制限について、いちいちその理由を明らかにする必要もないのである。
[47] また、東京地方裁判所刑事第20部では、傍聴人がメモを取ることを許可事項とする旨を織り込んだ傍聴心得を法廷の出入口付近に掲示し、かつ、その旨を裏面に印刷した公判傍聴券を交付するなどして、許可を受けなければ、傍聴人においてメモを取ることができない旨を明らかにしている。
(三) 憲法14条違反の主張について
[48] 東京地方裁判所刑事第20部において、司法記者クラブ所属の記者に対してメモを許可した点については、報道の自由あるいは報道の公共性を尊重するという観点からこれを許したものであって、右(一)記載の裁量による措置である。
[49] これに対して、一般傍聴人の傍聴目的は不特定であって、右報道機関に認められるような積極的理由を認めることはできないから、法廷におけるメモに関して結果的に一般傍聴人に比して右報道機関を優遇することになるとしても、右取扱いは合理的なものである。
[50] したがって、右取扱いが憲法14条に違反する旨の原告の主張は理由がない。

[51] 同4(被告の賠償責任)は争う。ただし、本件各措置はいずれも東京地方裁判所刑事第20部の裁判長小瀬保郎が職務行為として行ったものであることは認める。
[52] 裁判官の職務行為について、国の損害賠償責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを要するものと解すべきである。裁判官の職務行為については、裁判官の司法権行使という職務の特殊性に伴って憲法上「裁判官の独立」が認められ、直接的、間接的に裁判官の司法権の行使に影響を与えることのあるような一切の可能性をも排除し、もって裁判官の独立を実質的に確保しなければならないのであり、右職務行為が典型的な争訟事件に属する場合はもちろんのこと、非訟的性格を有する場合においても、また、これらに必然的に随伴する手続行為、さらには秩序維持に関する行為についても、裁判官の権限に属せしめられている限り、裁判官の独立の見地から、国家賠償について、一定の免責を肯定し、その責任の追求を制限する必要がある。
[53] 本件各措置は、前述のとおり、裁判官の法廷警察権に基づく措置であり、秩序維持行為に該当するものであるが、裁判を主宰する裁判官が審理の基礎となる法廷の秩序を維持する権限は、何人においてもこれを妨害することを許さないものであって、裁判官の独立の一発現であり、裁判官の独立から流出した固有権である。よって、裁判官の法廷警察権については、いかなる方法、態様においてこれを行使するか、あるいは規制の範囲と対象をどのようにするかということは、もっぱら法廷を主宰する裁判官の自由な裁量によるものであり、裁判官に付与された権限の行使として違法の問題は原則として生じないというべきであり、前述のような特別の事情がない限りは、国家賠償法1条1項を適用する余地はないと解すべきである。また、事実問題として、右特別の事情は、全く存在しない。

[54] 同5(損害)は否認ないし争う。
[1] 請求原因1(原告の地位)及び同2(原告に対するメモ採取不許可)のうち(二)の各事実については、原告本人尋問の結果によりこれを認めることができる。同2(一)の事実のうち、原告からのメモ採取許可申請に対し、受訴裁判所の裁判長が本件各措置をとったこと及び請求原因4(被告の賠償責任)のうち、本件各措置は公務員である東京地方裁判所刑事第20部の裁判長小瀬保郎が職務行為として行ったものであることはそれぞれ当事者間に争いがない。
[2] 原告は、本件各措置が違憲、違法であり、条約にも違反すると主張するので、以下この点について判断する。
1 憲法21条及び国際人権規約B規約19条違反について
[3] 原告は、法廷を傍聴する権利は憲法21条によって保障される知る権利に含まれ、また、右法定傍聴権はメモ権を含むので、結局、法廷においてメモを取ることを禁止した本件各措置は、憲法21条に違反して違憲、違法性を有する旨、及び国際人権規約B規約19条2項によって保障される表現の自由の中にメモ権は含まれるので、本件各措置は同規約19条2項に違反して違法性を有する旨主張する。
[4] 確かに、表現行為とは本質的にその受け手の存在を予定したものである上、十分な表現行為を行うとともに、公衆が国政に関与するにつき重要な意思決定を行うためには、その前提として様々な情報、判断資料を入手する必要があることは否定できないというべきであるから、情報を受ける自由、及び情報を収集する自由もまた憲法21条の精神に照らし、その派生原理として、一定限度の保障を受ける場合があると解すべきであろう。
[5] このことは、裁判の公開についても例外ではなく、一般公衆に対して、裁判の内容につき認識する機会を与えることは、裁判の適正を図るためのみならず、表現の自由を実質的に保障するものと考えられる。
[6] しかしながら、現行の法体制においては、憲法82条が裁判の公開を制度として義務付けていることの結果として、裁判を傍聴することによって、裁判の内容を実際に見聞するという最も直接的な形で裁判の内容を認識する機会が保障されていると言うべきである。本件においても、原告は、本件事件の公判を傍聴することによって、その裁判の内容を認識することが許されており、かつ、原告が本件事件のほとんどすべての公判を現に傍聴していることは原告の自認するところであるから、原告は、憲法21条の趣旨に基づく裁判の内容を認識する自由を最も直接的な形で享受していたものと言うべきである。
[7] これに対し、原告は、裁判を傍聴する権利はメモ権をも当然に含む旨主張するが、憲法21条の趣旨に基づく裁判の内容を認識する自由は、憲法上は、五官の作用により右内容を認識するための機会を付与することにより、必要かつ十分に充足されるものと解すべきである。
[8] 他方、法廷におけるメモ行為は、右のような五官の作用による裁判内容の認識行為自体とはやや性格を異にし、認識した内容の一部をその場でノート等に記録することにより、右認識内容を記憶し、のちにこれを表現する際の精度を高めるための補充行為と言うべきものであり、かつ、右行為自体が公正な裁判の運営に影響を及ぼす可能性を内在していることは後述のとおりであるから、右のような裁判内容を認識する際の補充行為まで当然に憲法上保障されていると認めることはできない。
[9] 以上の立論は、国際人権規約B規約19条違反の主張に対しても同様に当てはまるものであり、同条項が、右のとおり表現行為の補充行為にすぎず、また、それ自体、公正な裁判の運営に影響を及ぼす可能性を内在している法廷におけるメモ行為までをも、直ちに、個別的に保障しているものと解することはできない。
[10] よって、メモ権が憲法21条及び国際人権規約B規約19条によって保障されていると認めることはできず、法廷においてメモを取ることを禁止した本件各措置は、何ら憲法21条及び国際人権規約B規約19条に違反するものではない。
[11] なお、原告は、本件の具体的事案において、法廷におけるメモを禁止した本件各措置は、メモを禁止すべき目的の欠如、禁止のための要件の不存在及び制限の程度の逸脱等により違憲、違法であると主張するが、右立論は、そもそも原告主張のメモ権は憲法上の表現の自由に含まれるのであるから、これを禁止、制限するためには一定の目的、要件等が必要であるとの主張を前提とするものであって、原告主張のメモ権が憲法上の表現の自由に含まれないと解すべきであることは前述したとおりであるから、原告の右主張はその前提を欠き、理由がない。
[12] また、本件各措置が裁判長の法廷警察権に基づく合理的な裁量により行われたものであって、当該裁判長において右裁量権を逸脱、濫用した事実が認められないことは後述のとおりである。

2 憲法82条違反について
[13] 原告は、法廷を傍聴する権利は憲法82条によって保障され、右法廷傍聴権はメモ権を含むので、結局、法廷においてメモを取ることを禁止した本件各措置は、憲法82条に違反して違憲、違法性を有する旨主張する。
[14] しかし、憲法82条に規定された裁判の公開とは、その立法趣旨や条文の位置、文言に照らしても、裁判の対審及び判決については、不特定かつ相当数の者が自由に裁判を傍聴し得る状態において行わなければならない旨をその内容とする制度的保障にすぎず、その結果、裁判の傍聴を希望する者が法廷の物理的設備の許す限度において、自由に法廷に出入りして自ら直接法廷で行われている手続を見聞することが許されるのは、少くとも憲法82条との関係では、制度的保障の効果に基づく反射的な利益を享受しているにすぎないものと言わざるを得ないから、結局、右憲法82条を個々具体的な私権の発生原因とすることはできないものと解すべきである。
[15] したがって、その余の点について判断するまでもなく、憲法82条によって法廷を傍聴する権利及びメモ権が保障されていることを前提とする原告の主張は失当である。

3 刑事訴訟規則違反について
[16] 原告は、刑事訴訟規則215条では、「写真撮影、録音、放送」のみを裁判所の許可にかからしめていることから、メモは右制限に服さず、自由にこれをなしうると解すべきであり、したがってこれを禁止した本件措置は刑事訴訟規則に違反すると主張するので、この点について判断する。
[17] 右規定の趣旨は、同条に掲げる写真撮影等の行為については、一般に、これを無制限に許容するときは、被告人の権利を害するおそれがあるばかりでなく、法廷の静穏を乱すおそれや被告人、証人等の訴訟関係人の心理に微妙な影響を及ぼすおそれがあり、ひいては、公正かつ円滑な審理に支障を来たすおそれがあることから、これらの行為については特に裁判所の許可を必要とする旨を定めたものと解すべきである。
[18] 他方、裁判所法71条は、法廷の秩序維持のため、裁判長又は開廷をした1人の裁判官(以下「裁判長」という。)にいわゆる法廷警察権を与え、裁判長は、法廷における裁判所の職務の執行を妨げ、又は不当な行状をする者に対し、退廷を命じ、その他法廷における秩序を維持するのに必要な事項を命じ、又は処置を執ることができることとしている。さらに、刑事訴訟法288条2項は、裁判長は、被告人を在廷させるため、又は法廷の秩序を維持するため相当な処分をすることができると規定しており、これらの規定を受けて、裁判所傍聴規則により、法廷の秩序を維持するために傍聴券の発行等の予防的な措置を執る権限が裁判長に与えられている。
[19] してみれば、刑事訴訟規則215条に定められた写真撮影等の行為以外の行為は一切自由にこれをなし得ると解すべきではなく、右行為のうち、裁判所の審理を妨げ若しくは審理に支障を生じ、又は法廷の威信若しくは静穏を害するおそれのある行為については、裁判長の法廷警察権による制限に服するものと解すべきである。法廷におけるメモ行為は、前述のとおり、法廷で見聞した内容を正確に記憶し、表現するための補充行為であり、これによって直ちに、裁判所の審理を妨げ又は法廷の威信を害するものとはいえないが、しかし、当該事件の内容、被告人、証人の心理状態、法廷の構造(例えば、証人席等から傍聴人席のメモ行為が目撃できる位置関係にあるかなど。)等により、傍聴人のメモ行為が訴訟関係人に対し心理的動揺を与えるおそれがあることは否定できず、その結果、公正かつ円滑な審理が妨げられるおそれがないとはいえない。したがって、右のように法廷における審理に好ましくない影響を及ぼす可能性を内在しているメモの採取については、訴訟指揮の主宰者であり、法廷における公正かつ円滑な審理を行うにつき最終的な責任を有する裁判長が、当該事件の内容、訴訟関係人の状況、メモ採取の目的、メモを許可した場合の審理への影響等を勘案した上でその許否を決定する権限を有すると解することが実質的にも妥当であるから、法廷におけるメモ採取の許否については、裁判長の法廷警察権に服するものと解すべきである。
[20] 以上説示したところによれば、刑事訴訟規則215条は、同条に掲げる写真撮影等の行為については法廷の秩序維持の見地から特に裁判所の許可を必要とする旨を注意的に定めたにすぎず、したがって、同条が前述の法廷警察権による制約を否定する趣旨でないことは明らかである。
[21] よって、本件各措置が刑事訴訟規則に違反するとの主張は理由がない。
[22] 原告は、本件事件の公判傍聴において、東京地方裁判所司法記者クラブ所属の報道機関にはメモを取ることを許しながら、原告に対しては、本件各措置をとって、メモを取ることを禁止した取扱いは、何ら合理的理由を有せず、法の下の平等を定めた憲法14条に違反する旨主張しており、本件において、右の報道機関がメモの採取を許可されたことは当事者間に争いがない。
[23] ところで、原告主張のメモ権は現行法規上は権利性を持たず、傍聴人によるメモ採取の許否の判断については、法廷警察権を有する裁判長の合理的な裁量にゆだねられていると解すべきことは前述したとおりである。
[24] そこで検討するに、一般に、報道機関による裁判に関する報道については、国民一般の裁判の内容を認識する自由に奉仕するものとして一定の尊重を受ける必要があることから、本件においても、右のような意味での報道の自由及び報道の公共性を優先させて、司法記者クラブ所属の報道機関には、法廷を傍聴するに際してメモを取ることを許したものと考えられる。
[25] してみれば、結果的には、原告に対してはメモを取ることを禁止しながら、報道機関に対してはメモを取ることを許可する取扱いをしたとしても右取扱いは、合理的な理由に基づくものというべきであって、何ら違法ではなく、その他、右取扱について、当該裁判長が違法または不当な目的をもって恣意的な判断をするなど、裁量権を逸脱、濫用したことを窺わせる証拠は何ら存在しない。
[26] よって、右取扱いが憲法14条に違反する旨の原告の主張は、到底これを採用することができない。
[27] したがって、本件各措置に何ら違憲、違法性を認めることができない以上、右各措置をとった裁判官の職務行為について国家賠償責任を問う余地がないことは当然であるから、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
[28] よって、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

  東京地方裁判所民事第5部
    裁判長裁判官 奥山興悦  裁判官 福田剛久  裁判官 菅野雅之

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