京都府学連事件
第一審判決

公務執行妨害、傷害被告事件
京都地方裁判所 昭和37年(わ)966号
昭和39年7月4日 判決

被告人 長谷川俊英

■ 主 文
■ 理 由

■ 主  文

被告人を懲役1月に処する。
但し、この裁判確定の日より1年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。

■ 理  由
[1] 被告人は、立命館大学法学部の学生で、同大学1部学友会書記長であつたものであるが、昭和37年6月21日京都府学生自治会連合主催の大学管理制度改悪反対、憲法改悪反対を標榜する集団行進集団示威運動に参加し、同先頭集団である立命館大学学生集団先頭列外に位置し、京都市上京区所在立命館大学正門前から同市東山区円山公園に向う途中、同日午後5時26分頃、同市中京区木屋町通御池下る約30米の地点に差蒐つた際、折柄前記集団行進集団示威運動の過程における許可条件違反等の違法状況の視察採証の職務に従事していた京都府山科警察署勤務巡査秋月潔が、京都府公安委員会が附した許可条件に違反するとして前記集団先頭の行進状況を写真撮影するや、「どこのカメラマンか」と難詰抗議し、同巡査が殊更にこれを無視する挙動に出たところから憤慨し、所携の旗竿を以て同巡査の下顎部を一突きし、よつて同人をして治療約1週間を要する下顎部挫創の傷害を蒙らしめ、以て同巡査の職務の執行を妨害したものである。
[2] 弁護人の主張中、主要な点について当裁判所の判断を左に示す。
[3] 公務執行妨害罪の本質は、個人の権利、自由を不当に侵害しない限度において公務を保護する点にある。すなわち、公務の円滑な遂行を保護するという国家的利益と不当に権利自由を侵害されないという個人的利益とを具体的状況下に客観的に比較考慮して、規範的評価において、国家的利益が個人的利益にたいし、その譲歩を主張するのが相当であると認められる場合その公務は刑法95条1項によつて保護するに値する職務行為であると考うべきであるから、弁護人の主張も右の問題にひきなおして考慮すれば足りる。そこで当時の状況を観察するに、前掲証拠によれば、前示認定事実の外更に次のような事実が認められる。
[4] 「本件当時(正確に言えばその直前頃)、先頭集団である立命館大学の学生集団の先頭より4列乃至5列目位までは7名乃至8名位の縦隊で、道路のほぼ中央辺りを割合整然と行進していた。右の状況は、責任の問題、違反の程度は別として、京都府公安委員会が附した『行進隊列は4列縦隊とする』という許可条件及び京都府中立売警察署長が道路交通法77条に基いて附した『車道の東側端を通行する』という許可条件に外形的に違反する状況であることは間違いない。右違反状況を現認した秋月巡査は、東側歩道上から前示認定のごとく写真撮影をした。そこで学生等は口々になんで撮つたんやと難詰し、被告人は「どこのカメラマンか」と釈明要求的難詰抗議をしたところ、秋月巡査はそのまま南行しながら殊更にこれを無視するような表情で「何言うてんのや」とこれをつきはなし、被告人は、被告人の前を行進していた男より旗竿を取り、1、2回構えを整えて秋月巡査の下顎部を一突きして前示認定のごとき傷害を与えた」。
[5] ところで被告人は、当公判廷及び検察官にたいする供述調書中において、秋月巡査は「何言うてんのや」と答えた後更に被告人の方にカメラを向け写真撮影をしようとしたと述べ、証人平沢徹も右に副う証言をしているけれども、前掲各証人の証言によるそのような状況は窺われず、弁護人等又右の証人等にたいしその点について敢えて追求を試みておらず、秋月巡査はその時点においては、すでに一応写真撮影の目的を達した直後で学生等より集中抗議を一身にあびていた最中にあつたという点等を考慮すると、その点についての被告人の供述及び証人平沢の証言は直ちにそのまま措信するには些か躊躇を感じる。尤も、証人秋月潔の証言中には、恰かも被告人等の供述に副うがごとき言葉の一片があるけれども、これは弁護の唐突な誘導尋問に遭遇し、質問の意味をよく理解せずして発した不用意な言葉だと当裁判所は理解する。以上のとおりで、秋月巡査が更にカメラを向け写真撮影をしようとしたという事実は積極に認定しない。右に検討したごとく、秋月巡査は、許可条件違反等の違法状況の視察採証の職務に従事して学生デモ隊の許可条件違反の違法状況を写真撮影したにすぎないのである。勿論、人はその承認がなければ、みだりに写真を撮影されない自由を有する。然しその自由も公共の福祉という観点から正当な理由がある場合には制限を受けることはやむを得ない。扨て、警察法2条1項は「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」と定め刑事訴訟法189条2項には、司法警察職員は、犯罪があると思料するときは犯人及び証拠を捜査する権限と義務とを有することを定めている。そして、同法197条1項には「捜査については、その目的を達するため必要な取調べをすることができる。但し、強制の処分は、この法律に特別の定めのある場合でなければ、これをすることができない。」と規定し、個人の権利に直接的、物理的侵害を加え、又は国民に法的義務を負わせる場合については特別の規定を設けているが、その程度に達しない捜査方法は、何らかの意味において、人に不利益を及ぼすことがあつても、捜査の有効、迅速という公益上の理由がありかつ、その方法が社会的に見て相当であると認められるときはいわゆる任意捜査として許容される。かような場合は個人の利益は国家の利益の前に譲歩を余儀なくされるのである。人の身体の自由に拘束を加えるような方法による写真撮影は、いわゆる強制処分として、刑事訴訟法218条2項に定める身体拘束中の被疑者撮影の場合を除き、原則として同条1項の身体検査令状等の令状を必要とするであろう。しかしながら、右の条項は強制処分としての写真撮影の場合に関する規定で、強制処分に該当しない方法による写真撮影について令状を要する趣旨に理解すべきではない。人にたいする写真撮影が前記の意味における強制処分にわたらず、捜査のために必要であり、かつ、公共の福祉の要請する限度を超えないものとして一般的に容認される方法による捜査行為であるときは、被写体たる個人の意思いかんにかかわりなく、これをなし得るものといわねばならない。
[6] これを本件について言えば、前示認定のごとく、秋月巡査は、被告人等が現出している許可条件違反の違法状況を証拠保全のため写真撮影したもので、右行為は、たとえ右許可条件違反の程度が割合軽微であるとしても、捜査のため不必要とは言えない行為であり、その方法においても妥当と認められる任意捜査の範囲をこえていないものというべきであるから、被告人等の意思いかんにかかわりなくなし得るもので、たとえ被告人等が何らかの意味において不利益をうけることあるも、被告人等の個人的利益は捜査の遂行という国家的利益のために譲歩しなければならないのである。以上のとおりで、秋月巡査の行為は刑法95条1項によつて保護するに値する職務行為といわねばならない。(なお付言すれば、被告人の言うごとく、秋月巡査が更に被告人にカメラを向けたという事実を前提に据えて事を論じても、それは容疑者特定のための証拠保全行為と解し得るから、議論の実質は変らない。)
[7] 被告人が旗竿を出した時点においては、被告人は秋月巡査が警察官であるということは全然知らず、旗竿を出した直後に秋月巡査の周囲からバラバラと飛び出して来る連中がいたので、さては私服警官であつたかと気づき、しまつた挑発にのつてしまつたと思つたものであると、被告人が秋月巡査が警察官であると思つた時点は本件直後である旨弁護人らは主張するが、証人津田孝彦の証言によると、被告人が旗竿を手にする直前頃デモ隊先頭左側から「ポリ公いよる」という大きな声がした状況が窺われ、被告人は本件以前にもデモの過程で私服警官と思われる者がデモの写真をとるのを目撃した経験があつたこと(被告人の昭和37年7月10日付検察官にたいする供述調書)などから推すと、被告人が右の調書中で供述しているごとく、反射的に警察官だと思つたというが真実本音と思われる。すなわち、当時被告人は、少なくとも秋月巡査が警察官であるとの未必的認識はあつたものと考えるのが相当である。「どこのカメラマンか」という被告人の言葉は、相手の素性が皆目わからないのでその確認のために発した質問の言葉ではなく右の疑念が発した難詰と抗議の言葉であると当裁判所は理解する。
[8] 次に、被告人には暴行或いは傷害の意思はなかつたという主張については、事実認定の経緯のなかで(弁護人の主張にたいする判断(一)の項)詳述したとおりでそれを以て替える。
[9] 右については前記(一)で論じたごとく、そもそも急迫不正の侵害なるものは存しないのであるから議論の余地がない。
[10] 本件の許可条件違反の状況は、その違反の程度は全く軽微で、なお、河原町御池において警察の機動隊により京都ホテル南側歩道上に押し上げられて乱れたデモ隊の列をようやく整え終つた直後で、一度乱れた隊列の整理誘導の技術的困難さを考慮すると、その指揮者的立場にあつた被告人の、「これ位のことで何故写真撮影をしなければならないのだ」という忿懣の気持も充分理解できるうえ、一方、秋月巡査にしても殊更私服で、公然と採証行為をなしたのであるから、「どこのカメラマンか」という釈明要求にたいしては警察官であることを明確にするのが警察官としての執るべき態度であつたにも拘らず、一言の釈明もしなかつたのみか、却つて、殊更にこれを無視してつき放すというがごとき警察官としての公正を疑われるような挙にでたのであり、これが益々被告人を刺激して被告人の本件犯行を誘因する一因となつたという事情を当裁判所は、本件事案の情状として留意する。
公務執行妨害の点
   刑法95条1項
傷害の点
   刑法204条 罰金等臨時措置法3条
想像的競合の点
   刑法54条1項前段 10条(重き傷害罪所定の懲役刑で処断)
刑の執行を猶予する点
   刑法25条1項
訴訟費用を負担させる点
   刑事訴訟法181条1項本文

■第一審判決 ■控訴審判決 ■上告審判決   ■トップページに戻る