議員定数不均衡訴訟 参議院合憲判決(平成16年)
上告審判決

選挙無効請求事件
最高裁判所 平成15年(行ツ)第24号
平成16年1月14日 大法廷 判決

上告人 (原告) 越山康 ほか12名
     代理人 山口邦明 ほか
  同補助参加人 佐藤鶴次郎 ほか28名
     代理人 山口邦明 ほか

被上告人(被告) 東京都選挙管理委員会
     代理人 都築弘 ほか

■ 主 文
■ 理 由
1 多数意見(裁判官町田顯,同金谷利廣,同北川弘治,同亀山継夫,同横尾和子,同上田豊三,同藤田宙靖,同甲斐中辰夫,同島田仁郎)
2 補足意見1(裁判官町田顯,同金谷利廣,同北川弘治,同上田豊三,同島田仁郎)
3 補足意見1の追加補足意見(裁判官島田仁郎)
4 補足意見2(裁判官亀山継夫,同横尾和子,同藤田宙靖,同甲斐中辰夫)
5 補足意見2の追加補足意見(裁判官亀山継夫)
6 補足意見2の追加補足意見(裁判官横尾和子)
7 反対意見(裁判官福田博,同梶谷玄,同深澤武久,同濱田邦夫,同滝井繁男,同泉徳治)
8 追加反対意見(裁判官福田博)
9 追加反対意見(裁判官梶谷玄)
10 追加反対意見(裁判官深澤武久)
11 追加反対意見(裁判官濱田邦夫)
12 追加反対意見(裁判官滝井繁男)
13 追加反対意見(裁判官泉徳治)


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 本件は,平成13年7月29日施行の参議院議員選挙(以下「本件選挙」という。)について,東京都選挙区の選挙人である上告人らが,公職選挙法の一部を改正する法律(平成12年法律第118号)による改正(以下「本件改正」という。)後の公職選挙法14条,別表第3の参議院(選挙区選出)議員の議員定数配分規定(以下「本件定数配分規定」という。)は憲法14条1項等に違反し無効であるから,これに基づき施行された本件選挙の上記選挙区における選挙も無効であると主張して提起した選挙無効訴訟である。
[2] 原審の適法に確定した事実関係等によれば,本件改正に至る経緯は,次のとおりである。

[3] 参議院議員選挙法(昭和22年法律第11号)は,憲法の二院制採用の趣旨を受け,参議院議員の選挙について,参議院議員250人を全国選出議員100人と地方選出議員150人とに区分し,全国選出議員については,全都道府県の区域を通じて選出されるものとする一方,地方選出議員については,その選挙区及び各選挙区における議員定数を別表で定め,都道府県を単位とする選挙区において選出されるものとした。そして,各選挙区ごとの議員定数については,憲法46条が参議院議員は3年ごとにその半数を改選すべきものとしていることに応じて,各選挙区を通じその選出議員の半数が改選されることになるように配慮し,定数を偶数としてその最小限を2人とする方針の下に,昭和21年当時の人口に基づき,各選挙区の人口に比例する形で,2人ないし8人の偶数の議員数を配分した。昭和25年に制定された公職選挙法の参議院議員定数配分規定は,参議院議員選挙法の議員定数配分規定をそのまま引き継ぎ,その後,沖縄返還に伴って沖縄県選挙区の議員定数2人が付加された外は,平成6年法律第47号による議員定数配分規定の改正(以下「平成6年改正」という。)まで上記定数配分規定に変更はなかった。なお,昭和57年法律第81号による公職選挙法の改正により,参議院議員選挙についていわゆる拘束名簿式比例代表制が導入され,各政党等の得票に比例して選出される比例代表選出議員100人と都道府県を単位とする選挙区ごとに選出される選挙区選出議員152人とに区分されることになったが,比例代表選出議員は全都道府県を通じて選出されるものであって,各選挙人の投票価値に差異がない点においては,従来の全国選出議員と同様であり,選挙区選出議員は従来の地方選出議員の名称が変更されたものにすぎない。

[4] 選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は,参議院議員選挙法制定当時は1対2.62(以下,較差に関する数値は,すべて概数である。)であったが,その後,次第に拡大した。平成6年改正は,平成4年7月26日施行の参議院議員選挙当時には1対6.59にまで拡大していた選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差を是正する目的で行われたものであり,前記のような参議院議員の選挙制度の仕組みに変更を加えることなく,直近の平成2年の国勢調査結果に基づき,できる限り増減の対象となる選挙区を少なくし,かつ,いわゆる逆転現象を解消することとして,参議院議員の総定数(252人)及び選挙区選出議員の定数(152人)を増減しないまま,7選挙区で改選議員定数を4増4減した。上記改正の結果,上記国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員1人当たりの人口の較差は,最大1対6.48から最大1対4.81に縮小し,いわゆる逆転現象は消滅することとなった。その後,上記改正後の定数配分規定の下において,人口を基準とする上記較差は,平成7年10月実施の国勢調査結果によれば最大1対4.79に縮小し,選挙人数を基準とする上記較差も,上記改正当時における最大1対4.99から同年7月23日施行の参議院議員選挙当時における最大1対4.97に縮小した。

[5] 本件改正は,昭和57年に導入された拘束名簿式比例代表制には幾つかの批判があり,また,中央省庁の改革,国家公務員の定員削減等が行われている状況において,行政を監視すべき地位にある立法機関である参議院においても定数を削減して事務の効率化等を図る必要があるとの声が高まったのを受けて,比例代表選出議員の選挙制度をいわゆる非拘束名簿式比例代表制に改め,参議院議員の総定数を10人削減して242人としたものである。定数削減に当たっては,改正前の選挙区選出議員と比例代表選出議員の定数比をできる限り維持する方針の下に,選挙区選出議員の定数を6人削減して146人とし,比例代表選出議員の定数を4人削減して96人とした上,選挙区選出議員の定数削減については,直近の平成7年10月実施の国勢調査結果に基づき,平成6年改正の後に生じたいわゆる逆転現象を解消するとともに,選挙区間における議員1人当たりの選挙人数又は人口の較差の拡大を防止するために,定数4人の選挙区の中で人口の少ない3選挙区の定数を2人ずつ削減した。本件改正の結果,いわゆる逆転現象は消滅したが,上記国政調査結果による人口に基づく選挙区間の議員1人当たりの人口の最大較差は1対4.79であって,本件改正前と変わらなかった。また,本件選挙当時における選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差は,1対5.06であった。
[1] 本件改正は,憲法が選挙制度の具体的な仕組みの決定につき国会にゆだねた立法裁量権の限界を超えるものではなく,本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。したがって,本件定数配分規定が本件選挙当時憲法に違反するに至っていたということはできないとした原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。
[1] 私たちは,次の理由により,本件定数配分規定は憲法に違反するものではないと考える。

[2](1) 憲法は,国会の両議院の議員を選挙する国民固有の権利につき,選挙人の資格における人種,信条,性別,社会的身分,門地,教育,財産又は収入による差別を禁止するにとどまらず,選挙権の内容の平等,換言すれば,議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等,すなわち投票価値の平等をも要求していると解するのが相当である。しかしながら,憲法は,国会の両議院の議員の選挙について,議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で,議員の定数,選挙区,投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(43条,47条),どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の広い裁量にゆだねているのであるから,投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一,絶対の基準としているものではなく,投票価値の平等は,原則として,国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものとしていると解さなければならない。それゆえ,国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り,それによって投票価値の平等が損なわれることになっても,やむを得ないものと解すべきである。

[3](2) 前記第2の1において指摘するような参議院議員の選挙制度の仕組みは,憲法が二院制を採用した趣旨から,参議院議員の選出方法を衆議院議員のそれとは異ならせることによって参議院の実質的内容ないし機能に独特の要素を持たせようとする意図の下に,参議院議員を全国選出議員ないし比例代表選出議員と地方選出議員ないし選挙区選出議員とに分け,後者については,都道府県が歴史的にも政治的,経済的,社会的にも独自の意義と実体を有し,政治的に一つのまとまりを有する単位としてとらえ得ることに照らし、都道府県を構成する住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものであると解することができる。したがって,公職選挙法が定めた参議院議員の選挙制度の仕組みは,国民各自,各層の利害や意見を公正かつ効果的に国会に代表させるための方法として合理性を欠くものとはいえず,国会の有する立法裁量権の合理的な行使の範囲を逸脱するものであるということはできない。
[4] このように公職選挙法が採用した参議院議員についての選挙制度の仕組みが国会にゆだねられた裁量権の合理的行使として是認し得るものである以上,その結果として各選挙区に配分された議員定数とそれぞれの選挙区の選挙人数又は人口との比率に較差が生じ,そのために選挙区間における選挙人の投票価値の平等がそれだけ損なわれることとなったとしても,これをもって直ちに上記の議員定数の定めが憲法14条1項等の規定に違反して選挙権の平等を侵害したものとすることはできない。すなわち,上記のような選挙制度の仕組みの下では,投票価値の平等の要求は,人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して,一定の譲歩を免れないといわざるを得ない。また,社会的,経済的変化の激しい時代にあって不断に生ずる人口の変動につき,それをどのような形で選挙制度の仕組みに反映させるかなどの問題は,複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要するものであって,その決定は,種々の社会情勢の変動に対応して適切な選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量にゆだねられている。したがって,議員定数配分規定の制定又は改正の結果,上記のような選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせたこと,あるいは,その後の人口の変動が上記のような不平等状態を生じさせ,かつ,それが相当期間継続しているにもかかわらずこれを是正する何らの措置も講じないことが,複雑かつ高度に政策的な考慮と判断の上に立って行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮しても,その許される限界を超えると判断される場合に,初めて議員定数配分規定が憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。
[5] 以上は,最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁(以下「昭和58年大法廷判決」という。),最高裁平成6年(行ツ)第59号同8年9月11日大法廷判決・民集50巻8号2283頁(以下「平成8年大法廷判決」という。),最高裁平成9年(行ツ)第104号同10年9月2日大法廷判決・民集52巻6号1373頁(以下「平成10年大法廷判決」という。),最高裁平成11年(行ツ)第241号同12年9月6日大法廷判決・民集54巻7号1997頁(以下「平成12年大法廷判決」という。)の趣旨とするところである。

[6](3) 上記の見地に立って,以下,本件選挙当時の本件定数配分規定の合憲性について検討する。
[7] 平成6年改正前の参議院議員定数配分規定の下で,昭和58年大法廷判決は,昭和52年7月10日施行の参議院議員選挙当時における選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差1対5.26について,また,最高裁昭和62年(行ツ)第127号同63年10月21日第二小法廷判決・裁判集民事155号65頁は,昭和61年7月6日施行の参議院議員選挙当時の最大較差1対5.85について,いまだ違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨それぞれ判示していたが,平成8年大法廷判決は,平成4年7月26日施行の参議院議員選挙当時の最大較差1対6.59について,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていた旨判示するに至った。平成6年改正は,上記のような選挙区間における較差を是正する目的で行われたものであり,その結果,平成2年10月実施の国勢調査結果による人口に基づく選挙区間の議員1人当たりの人口の較差は,最大1対6.48から最大1対4.81に縮小し,その後,平成6年改正後の定数配分規定の下において,平成7年10月実施の国勢調査結果による人口を基準とする上記較差は最大1対4.79にまで縮小していたところ,平成10年大法廷判決は,平成6年改正の結果においても残ることとなった上記較差については,違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには足りない旨判示し,平成12年大法廷判決も,平成10年7月12日施行の参議院議員選挙当時における選挙人数を基準とする最大較差1対4.98について,これと同旨の判示をした。本件改正による議員定数配分規定の改正は,前述のとおり,参議院議員の定数削減に伴って行われたものであり,従来の参議院議員の選挙制度の仕組みを維持した上で,いわゆる逆転現象を解消し,選挙区間における議員1人当たりの選挙人数又は人口の較差の拡大を防止することを目的として,定数4人の選挙区の中で人口の少ない3選挙区の定数を2人ずつ削減したものである。その結果,いわゆる逆転現象は消滅したが,上記国政調査結果による人口に基づく選挙区間の議員1人当たりの人口の最大較差は1対4.79であって,本件改正前と変わらず,本件選挙当時における選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差は,1対5.06であった。
[8] 前記のとおり,参議院議員の選挙制度の仕組みの下においては,投票価値の平等の要求は一定の譲歩を免れないところであり,また,較差の是正のため不断の努力が望ましいとしても,これをどのような形で実現するかについては種々の政策的又は技術的な考慮要素が存在する。参議院議員選挙法制定当時,既に選挙区間における議員1人当たりの人口には最大1対2.62の較差が生じていた上,上告人ら自身の試案によっても,参議院(選挙区選出)議員の選挙について公職選挙法が採用した2人を最小限として偶数の定数配分を基本とする前記のような選挙制度の仕組みに従い,本件改正後の定数を前提として,平成7年の国勢調査結果による人口に基づき本件改正当時の各選挙区の人口に比例した議員定数の再配分を試みた場合には,選挙区間における議員1人当たりの人口の最大較差は1対4.81となり,本件定数配分規定の下における本件改正当時の前記最大較差よりもかえって拡大する結果となるというのであるから,前記のような選挙制度の仕組みの下では,選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差の是正を図ることが容易でないことは明らかである。
[9] 論旨は,各選挙区の定数を偶数とする配分方法又は都道府県単位の選挙区割りを改めることにより上記較差を是正することが可能であると主張するが,原審の確定した事実関係等に徴すると,偶数配分を前提とせずに上記国勢調査結果による人口に基づき本件改正当時の各選挙区の人口に比例した議員定数の再配分を試みた場合には,47選挙区のうち15選挙区が定数1人の選挙区となり,これらの選挙区では,6年に1度しか参議院(選挙区選出)議員の選挙が行われないことになるから,このような議員定数配分規定の下では,定数2人以上の選挙区と定数1人の選挙区との間において投票機会の著しい不平等が生ずることになり,憲法上の疑義が生じかねない。また,前記のとおり,都道府県単位の選挙区割りには相応の合理性があるのに対し,選挙区間の議員1人当たりの選挙人数が均等になるように従来の都道府県単位の選挙区を合区又は分区して新たな選挙区とした場合には,地域社会の歴史的成り立ちや政治的,経済的,社会的な結び付き,地域住民の住民感情等からかけ離れた選挙区割りとなり,政治的にまとまりのある単位を構成する住民の意思を集約的に反映させることにより地方自治の本旨にかなうようにしていこうとする従来の都道府県単位の選挙区が果たしてきた意義ないし機能が果たされなくなるおそれがある。また,憲法の定める半数改選の要請にこたえて偶数配分を行うためには,人口の変動に合わせて合区又は分区を繰り返さなければならなくなり,従来のように参議院が国民の利害や意見を安定的に国会に反映させる機能を担うことにより二院制の実効性を高めることが困難になることも考えられるのであって,上記のような選挙区割りが従来の選挙区割りに比して憲法の趣旨により適合する合理的なものであることが明らかであるとまでいうことはできない。
[10] 以上のような事情に加え,本件改正は,定数削減に当たり,当審の前記各判決を考慮しつつ,いわゆる逆転現象の解消と較差拡大の防止を図るために行われたものであり,これにより逆転現象が消滅したことをも勘案すると,本件改正の結果においても前記のような較差が残ることになったとしても,上記較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は,当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度に達しているとはいえず,本件改正をもって立法裁量権の限界を超えるものということはできない。そして,本件選挙が本件改正の約9か月後に施行されたものであり,本件選挙当時における議員1人当たりの選挙人数の較差が前記のようなものであったことにかんがみると,本件選挙当時において本件定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。
[11] したがって,以上と同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。
[1] 私は,現在の参議院選挙区選挙制度の基本的な仕組み,すなわち選挙区を都道府県単位とした上,各選挙区の定数を偶数にして選挙の都度半数改選とするという仕組みを維持しつつ,さらに,定員を増やさないことを前提とする限り,各人の投票価値の平等を図るには技術的な限界があり,人口の大都市集中化の著しい現在の人口分布の在り方からは,およそこの程度の較差が生じるのはやむを得ないということから,今回,合憲と判断したものであることを強調しておきたい。
[2] この基本的な仕組みを採る限り,投票価値の平等の要請はある程度譲歩させざるを得ないことは,既に参議院議員選挙法が制定された当初において,上記要請にできる限りの考慮を払いつつも,なお議員1人当たりの最大較差1対2.62の存在を認めざるを得なかったことに如実に示されているところである。そして,この基本的な仕組みは,地域代表的な要素など衆議院とは異なる参議院の独自性を発揮させるものとしてその機能をそれなりに果たしつつ,半世紀を超える期間そのまま維持され,今や国民各層の間においても,多くの者からいわば当然のものとして受け止められ定着しているものとさえいえよう。
[3] もとより投票価値の平等は憲法上の要請であり,できる限り尊重すべきものであるから,上記の限界からくる制約以外に特段の合理的な理由がない以上,できるだけ投票価値の較差を縮小させる措置を講ずべきであるし,較差があまりにも大きくなった場合には,もはや上記の前提に起因する技術的限界がそれを正当化する理由とはなり得なくなることもある。したがって,立法府としては,人口分布の変動とともに変わりゆく較差の在り方を注視し,それが大きくなりすぎないように常時配意する必要がある。最大較差があまりにも大きくなったり,各選挙区間の較差が不当にバランスを欠くものとなったことにより,著しい不平等状態が生じている場合には,合理的な期間内にその是正を図る必要があり,もし制度の基本的な仕組みを維持したままではその是正をするための良い方策が見当たらない場合には,その仕組みを変更してでも是正を図る必要があるのであって,それをしないで相当期間放置したときは,その立法不作為を理由に違憲とされねばならない。
[4] まず,最大較差についていえば,大都市集中による人口の過疎過密化が進むなかで変動する地域代表的要素の重要性の度合,衆議院に対する参議院の独自性,とりわけ選挙区選出の参議院議員の存在意義,衆議院をも含めた国会議員全体の選挙において投票価値の平等がどの程度図られているか等々,そのときどきの諸々の社会的,政治的な情勢を総合的に考慮した上で判断する必要があり,一概に具体的な数字をもって示すことができる性質のものではない。最大較差が1対6.59に及んだとき,これを違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態であると判示した平成8年大法廷判決は,今後最大較差がその程度に至ればおよそ違憲の判断を免れないであろうという一つの目安とはなっても,逆にその範囲内であれば合憲であるとの保証をしたものではないことを銘記しなければならない。したがって,今いえることは,本件程度の最大較差であれば,いまだ制度の基本的な仕組みを変更してまでこれを是正しなければ憲法上看過し得ないほど著しい不平等状態を示すものとはいえないということに尽きる。今後も続くであろう人口の大都市集中化により,最大較差が拡大していくのは避けられない傾向にあることを思えば,立法府としては,投票価値の平等の重要性にかんがみ,制度の枠組み自体の改正をも視野に入れた抜本的な検討をしておく必要がある。
[5] また,基本的な枠組みを維持しつつ較差の是正を図る方策についていえば,例えば,人口分布の変動によりいくつかの選挙区間にいわゆる逆転現象が生じてバランスを欠くものとなった場合には,基本的な枠組みを変更しなくても,それぞれの定数を入れ替えることにより較差の是正を図ることが可能である。もっとも,2人区と4人区,4人区と6人区といった定数の端境に位置して人口数が近接している選挙区同士では,人口の多少の増減によって逆転現象が起きやすいことを考えると,上記のような措置を講じなかったからといって,直ちに違憲となるとはいい難い。しかしながら,逆転現象が顕著であり,しかもそれが持続又は増大する傾向が明らかであるのに,それを放置したまま相当期間が徒過したような場合には,たとえ最大較差は本件と同じく1対5程度にとどまっていたとしても,較差の在り方を全体的に見れば看過し難いほど著しく不平等な状態になったものとして,違憲といわねばならないであろう。
[6] したがって,単に数字の上で,最大較差がどの位までなら合憲であるなどというように一概にいえるものではなく,立法府が複雑かつ高度に政策的な判断の下に与えられた立法裁量権の行使として国会議員の選挙制度を規定していくに当たり,憲法の要請する投票価値の平等を不当に軽視したものであるか否かという点も,その合憲性について重要な判断要素となるのである。
[7] 今回の法改正は,参議院議員の定数を10人削減するに当たり,比例代表選出議員との員数比を考えて選挙区選出議員からは6人を削減することとし,較差をなるべく広げないように配慮しながら4人区のうち人口の少ない順に鹿児島,熊本,岡山の3県から2人ずつ減らし,それによって鹿児島と三重の間に存した逆転現象を解消したものであるから,立法府としては,定員の削減という政治的な要請を果たすに当たり,最高裁判所が累次にわたる裁判により示してきた判断を踏まえて投票価値の平等にも相応の配慮をしたことがうかがわれるのであり,投票価値の平等を不当に軽視したものではないということができよう。
[1] 私たちは,本件においてその合憲性が問われている本件定数配分規定について,これを違憲と判断するについては,なお消極的な立場に立つものであるが,その理由には,当審の先例における多数意見(以下「従来の多数意見」と略称する。)のそれとは異なるものがあるので,以下にこれを明らかにしておくこととしたい。

[2](1) 私たちもまた,従来の多数意見と同様,立法府が法律によって両議院の選挙に関する事項を定めるについては(憲法47条),裁量権が与えられており,とりわけ参議院選挙の制度設計に当たっては,日本国憲法の定める二院制から来る当然の制約として,選挙人の投票権の価値について絶対的な平等を厳格に貫くことが,衆議院選挙の場合以上に困難であることを認めざるを得ないものと考える。しかし,他方で,従来の多数意見が,立法府に要請される複雑高度な政策的考慮と判断を理由に,とりわけその単なる不作為についても,結果的に極めて広範な立法裁量の余地を是認してきたことについては,賛成することができず,そのような思考枠組みに従うことはできない。これを敷衍すると,以下のとおりである。

[3](2) 一般に,何らかの国家機関がその権限を行使するに当たって裁量権が与えられるということは,いうまでもなく,その権限をほしいままに行使してよいということを意味するわけではなく,法が,そのような裁量権を与えた趣旨に沿った権限行使がなされるのでなければならない。そして,本件で問題となる立法府の裁量についていえば,何よりもまず,立法府は,選挙制度の在り方について法律によって定めることを憲法上義務付けられているのであり(憲法47条),ここでの裁量権は,専らこの義務を果たすための手段として与えられているものであることを明確に認識する必要がある。すなわち,立法府に裁量権があるといっても,そこには,「何もしない」という選択をする道はない。言葉を換えていうならば,ここでの立法裁量権の行使については,憲法の趣旨に反して行使してはならないという消極的制約が課せられているのみならず,憲法が裁量権を与えた趣旨に沿って適切に行使されなければならないという義務もまた付随しているものというべきである。

[4](3) 立法府には,複雑高度な政策的考慮に基づく判断がゆだねられなければならないからこそ,こういった考慮を適切に行い,与えられた裁量権を十二分に行使して,正に立法府でなければ行えない判断をする責務がある。こうして導かれた判断につき,その内容自体が政策上最適のものであったか否かは,違法問題ではなく,司法権の判断の及ぶ限りではないことは,いうまでもない。しかしながら,結論に至るまでの裁量権行使の態様が,果たして適正なものであったかどうか,例えば,様々の要素を考慮に入れて時宜に適した判断をしなければならないのに,いたずらに旧弊に従った判断を機械的に繰り返しているといったことはないか,当然考慮に入れるべき事項を考慮に入れず,又は考慮すべきでない事項を考慮し,又はさほど重要視すべきではない事項に過大の比重を置いた判断がなされてはいないか,といった問題は,立法府が憲法によって課せられた裁量権行使の義務を適切に果たしているか否かを問うものとして,法的問題の領域に属し,司法的判断になじむ事項として,違憲審査の対象となり得るし,また,なされるべきものである。

[5](4) 参議院選挙制度の在り方に関してより具体的にいうならば,なるほど,例えば,二院制の在り方に関して立法府が裁量権を行使するに当たり,投票価値の平等と並び地域ごとの固有の利益ないし事情に配慮するということ自体は,許されないことではあるまい。また,半数改選制(憲法46条)を前提として,各選挙区にまず2名の定員を配分しようということも,それ自体がおよそ不合理であるとはいえず,あるべき政策的選択肢の一つであるといってよいものと思われる。そして,現行法制の下での参議院選挙制度が創設された出発点における政策判断,すなわち,都道府県ごとの固有の利益ないし事情及び半数改選制に配慮して各選挙区にまず2名を配分し,残余の定員を各選挙区の人口に比例して偶数配分する,という考え方は,それなりに合理的な事項についてそれなりに合理的な配慮をした結果として評価することができようし,また,そのように評価されて来たものということができよう。しかし,その後当初の人口分布が大きく変わり,上記の3要素(地域的利益,半数改選制,人口比例)間における均衡が著しく崩れたにもかかわらず,このことに全く配慮することなく,ただ無為の裡に放置されて来た,といった状況が認められるとしたならば,そこに立法府にゆだねられた裁量権の適正な行使があったとはいえないものといわなければなるまい。例えば,最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁における裁判官団藤重光の反対意見は,正にこのことを問題にするものであったということができよう。

[6](5) また,様々の要考慮事項の中で,特に重きを置くべきものとそうでないもの,とりわけ,それぞれの事項の憲法上の位置付けの相違等を十分に考慮に入れた政策判断がなされて来たかどうか,ということも,違憲審査の対象となり得よう。例えば,投票価値の平等のように,憲法上直接に保障されていると考えられる事項と,立法政策上考慮されることは可能であるが憲法上の直接の保障があるとまではいえない事項,例えば,地域代表的要素あるいは都道府県単位の選挙区制等が対等な重要性を持った考慮要素として位置付けられ得るか,という問題があるが,従来の多数意見が,この点どのような理論的前提に立つものであるのかは,必ずしも明確でない。私たちは,この問題は単なる立法政策上の問題ではなく法問題であって,司法権が判断し得るし,また,判断しなければならない問題であると考えており,その判断に当たっては,当然,憲法上直接の保障がある事項,とりわけ国民の基本的人権の一つである投票価値の平等を重視しなければならないものと考えている。

[7](6) 加えて,上記のように,裁量判断に際して重視されるべきと考えられる投票価値の平等が大きく損なわれている状況の下で,偶数配分制を維持し,また,地域の固有性を反映させることを前提としつつその改善を図ろうとするならば,現行制度の在り方,すなわち選挙区として都道府県を唯一の単位とする制度の在り方自体を変更しなければならなくなることは自明のことであるが,それにもかかわらず,立法府が一向にそういった作業に着手しないのは,何をどのように考慮してのことであるのか,また,そこには合理的な理由が認められるか否かが問題となろう。

[8](7) 上記のような前提に立って考えるとき,我が国の立法府は,これまで,上記の諸問題に十分な対処をしてきたものとは到底いえず,これらの問題について立法府自らが基本的にどう考え,将来に向けてどのような構想を抱くのかについて,明確にされることのないままに,単に目先の必要に応じた小幅な修正を施して来たにとどまるものといわざるを得ない。これでは,立法府が,憲法によって与えられたその裁量権限を法の趣旨に適って十分適正に行使して来たものとは評価し得ず,その結果,立法当初の選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差からはあまりにもかけ離れた較差を生じている現行の定数配分は,合憲とはいえないのではないかとの疑いが強い。

[9](8) もっとも,本件についてより詳細に検討するならば,今回の改正の目的(考慮要素)の一つが「いわゆる逆転現象を解消し,定数較差の拡大を防止すること」にあり,そのための方法が「定数4人の選挙区の中で人口の少ない県から順次2人ずつ定数削減を実施」するものであったという事実が,明らかにされており,これが,不平等是正に向けての一歩であることは疑いがない。もとより,今回の改正の直接の動機そのものは,必ずしも較差の減少それ自体にあったわけではなく,上記の作業は,全体としての定数削減の必要を契機としての最小限の作業であったにすぎないが,しかし,参議院の定数削減それ自体,国民の要望に基づき立法府が果たすべき課題の一つであったこと,都道府県単位の選挙区制を前提とした現行制度の下で,全体としての定数が減少すれば,最大較差の是正の余地はそれだけ窮屈なものとなること等にかんがみるならば,今回の改正作業にそれなりの合理性が認められることを否定することはできない。その意味において,私たちは,今回の改正の結果をもって違憲と判断することには,なお,躊躇を感じざるを得ないのである。

[10](9) しかし,改めて繰り返すまでもなく,今回の改正もまた,定数配分をめぐる立法裁量に際し諸考慮要素の中でも重きを与えられるべき投票価値の平等を十分に尊重した上で、それが損なわれる程度を可能な限り小さくするよう,問題の根本的解決を目指した作業の中でのぎりぎりの判断に基づくものであったとは,到底評価することができない。したがって,例えば,仮に次回選挙においてもなお,無為の裡に漫然と現在の状況が維持されたままであったとしたならば,立法府の義務に適った裁量権の行使がなされなかったものとして,違憲判断がなさるべき余地は,十分に存在するものといわなければならない。
[1] 私の意見は,前記補足意見2に要約されているとおりであるが,私は,従前,従来の多数意見に加わってきたところであるので,それとの関係において若干付言しておきたいと考える。
[2] 従来の多数意見は,選挙制度の策定について立法府に広い裁量権が認められているとしてきた。このこと自体はもとより正当であるが,その裁量は,無限定なものと解されるべきではなく,どのような要因についてどの程度に配慮すべきかについて,自ずからなる軽重があるものといわなければならない。これを参議院選挙についてみれば,憲法上最も直接的な要請は,いうまでもなく,選挙権の平等であり,これに並ぶ程度のものは,3年ごとの半数改選制度から導かれる総定員の偶数制,ひいては選挙区ごとの偶数定員制ぐらいである。都道府県等の地域的特性への配慮とか総定員数の抑制といった要請等は,それ自体十分に政策上の配慮がなされるべき要因ではあるが,上記の憲法上の要請に著しい譲歩を強いるほどのものとはいい難い。このような観点から,従来の立法府のこの問題に対する対応には問題があるといわざるを得ないことは,私たちの意見が指摘したとおりである。
[3] ただ,本件に関しては,従来の当審の判例にも責任の一端があったという側面がないではない。すなわち,従来の多数意見は,立法府に広い裁量権を認めつつ,選挙権平等の要請の充足の有無を結果としての選挙区間の最大較差の数値によってのみ判定していると受け取られるような判断過程を示してきたため,立法府としては,最高裁判例からそのような趣旨で許容限度を読み取って,その数値以下に最大較差を収めれば足りるとしてきたものといえないでもないのであって,そうであるとすれば,最近の改正による現状について直ちにこれを違憲とすることには,この点からもちゅうちょを感じざるを得ない。しかしながら,いうまでもなく,従来の多数意見といえども,無限定に広い裁量権を認めたものでもなければ,一定の数値以下であれば無条件に合憲であるとしてきたものでもない。私は,従前従来の多数意見に加わってきた者として,特にこの点を明確にしておきたい。
[4] 現在の状況は,私たちの意見で指摘したように,選挙権平等の観点から憲法上既に看過し難い危機的な段階に立ち至っている。人口の都市集中傾向は,現行制度の制定以来一貫して継続しているのであり,地域的特性に対する配慮は,制定当初よりはるかに手厚いものとなってしまっている。このような事態の合理性を説明できる新たな,かつ,顕著な社会事象(例えば,いわゆるUターン現象の拡大,道州制の採用等)が生ぜず,従来通りの都市集中傾向が継続する限り,今後において,現在の制度による国政選挙は,違憲の疑いを免れないものといわなければならない。
[1] 私は,参議院の選挙制度の仕組みと投票価値の平等についての従来の判例法理が,憲法は投票価値の平等を要求していると解するのが相当であるとした上で,しかし,憲法は,どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の裁量にゆだねているのであるから,投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一,絶対の基準としているものではなく,投票価値の平等は,原則として,国会が考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものと解され,それゆえ,国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り,それによって投票価値の平等が損なわれることになってもやむを得ないとしていることに賛成するものである。そして,この法理の指摘する選挙制度の仕組みについての国会の具体的な定めについては,投票価値の平等とそれ以外の政策目的ないし理由がどのように考慮されたかが明らかにされるべきものであると解する。
[2] したがって,それらが明らかにされないままに投票価値の平等が著しく損なわれている状態をも立法府の裁量の範囲とする立場には賛成できないことについては前記4の補足意見2で述べたとおりである。
[3] ところで,私が本件請求を棄却すべきものとした理由は,本件定数配分規定は,立法府の不作為を問うまでもなく,以下に述べるとおり合憲であると解したためである。
[4] すなわち,憲法47条の規定を受けて参議院議員選挙法及びそれを受け継いだ公職選挙法が定める参議院の選挙制度の仕組みである都道府県を単位とする選挙区の設定,各選挙区への偶数の定数配分,配当基数(各選挙区の人口を基準人口(総人口を選挙区選出議員の総定数で除したもの)で除したもの)が2未満の選挙区へも定数2を配分し配当基数が2以上の選挙区への定数配分は人口比例を考慮することは,憲法の定める二院制の趣旨及び参議院の性格並びに都道府県の意義に照らして立法府にゆだねられた立法裁量権の合理的行使として是認できるものと解する。
[5] そうすると,人口のいかんを問わずに定数2を配分された配当基数2未満の選挙区相互の間及びそれらの選挙区と配当基数2以上の選挙区との間については,議員1人当たりの人口に不均衡があっても違憲の問題は生じない。
[6] 他方,配当基数2以上の選挙区については,参議院議員選挙法が制定された昭和22年当時,偶数配分及び選挙区選出議員の総定数を前提としつつ,人口比例を考慮して配当基数2以上3未満の選挙区は定数2,配当基数3以上5未満の選挙区は定数4,配当基数5以上7未満の選挙区は定数6,配当基数7.15の北海道及び8.58の東京都選挙区は定数8がそれぞれ配分されたこと,また,その結果として配当基数2以上の選挙区間の議員1人当たりの人口の最大較差は,栃木県と宮城県の間の1対1.94であったことが明らかである。
[7] 私は,人口比例を考慮して定数配分がされた配当基数2以上の各選挙区間の議員1人当たりの人口の較差については,偶数配分とすることから生ずる制約を考慮すると,較差が1対2以上となれば直ちに違憲となるものではなく,1対3未満までは許容されると解する。
[8] これを本件についてみると,その最大較差は栃木県と東京都の間の1対2.97であることが明らかであるから,本件定数配分規定は憲法14条1項に違反しない。
[1] 本件選挙当時における選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差は1対5.06にまで達していたのであるから,本件定数配分規定は,憲法上の選挙権平等の原則に大きく違背し,憲法に違反するものであることが明らかである。したがって,本件選挙は違法であり,これと異なる原審の判断は是認することができない。この点に関する論旨は理由がある。
[1](1)ア 憲法は,国会を国権の最高機関と規定し(41条),それを構成する衆参両院の間に権能等について一定の違いを定めるものの,院の構成員たる議員の選出については,両院議員ともに,有権者による選挙によりこれを選出することとしており,有権者による平等な選挙が行われることを前提としている。この平等には,投票価値(1票の価値)の平等が含まれ,選挙区割り,定数その他選挙方法の決定に当たっては,純粋に技術的に修正不可能な要素によるものを除いては,投票価値を限りなく1対1に近づけたものにすることが求められる。理由の詳細については,私が従来述べてきた諸反対意見(平成8年大法廷判決における裁判官大野正男外5名の反対意見及び裁判官福田博の追加反対意見,平成10年大法廷判決における裁判官尾崎行信外4名の反対意見及び裁判官尾崎行信,同福田博の追加反対意見,最高裁平成11年(行ツ)第7号同11年11月10日大法廷判決・民集53巻8号1441頁における裁判官福田博の反対意見,平成12年大法廷判決における裁判官河合伸一外4名の反対意見及び裁判官福田博の追加反対意見)を引用する。
[2] しかるところ,現実に国会が制定し改正を重ねてきた公職選挙法は,衆参両院双方について,選挙区選挙と比例代表選挙を併用して,両院議員の選挙制度を類似化させるとともに,双方の選挙区選挙において地域的要素を加味ないし維持することにより,投票価値の平等の要請から離れた形の選挙制度を維持し続けており,投票権の平等を実現しようとはしない。最高裁判所も,累次の大法廷判決において,衆議院議員の選挙区選挙については最大3倍,参議院議員の選挙区選挙においては最大6倍までの較差の存在を合憲とする判断を重ねてきており,今回もその基本的な傾向は変わらない。
[3] このような較差の存在を合憲とする多数意見が理由とするところは,立法裁量の範囲内とするもの,地方自治の重要性を強調するもの,選挙訴訟の性質を理由とするものなど様々であるが,いずれも憲法が定める投票権の平等の本質的重要性を理解しないものであり,特に,国会が国権の最高機関で(41条),議員は全国民を代表するもの(43条)である等の憲法の規定に照らせば,全く認めることはできない。
[4] 現在の衆参両院の議員選挙について等しくいえることは,国会は,民主主義の統治システムの要であり,国の将来を定めていく上で最も重要な役割を担っているにもかかわらず,選挙区選挙に関する限り,長年にわたる投票価値の不平等の問題を解決することなく放置し,せいぜい不十分な修正を行うのみで,歪んだ形での選挙制度を温存することにより,基本的に現職に有利な体制を維持し続けているということである。
[5] これは憲法14条1項に定める法の下の平等に反するのみならず(14条1項を前後段に分け,後段に「住所」が特記されていないので,住所により投票価値に差が出ても,違憲の問題とはならないというような議論は,法の下の平等の本質を理解しないものである。もしそのような解釈で良ければ,例えば所属する「政党」(14条1項には特記されていない。)によって投票価値に差を設けても,憲法上の問題とはならないはずであるが,そのような説が受入れられないことは現代の民主政治体制の下ではもとより当然のことである。なお,全く念のために一言すると,「政党」が14条1項に特記する「信条」によって形成されるものに限らないことは,我が国の現状を見ても疑う余地がない。),下記オ及びカからも明らかなように,憲法15条1項,3項の定める国民の選挙権そのものを否定しているといえる。
[6] 現在の参議院は,平成10年及び13年の選挙で当選した議員により構成されているが,他方で,平成10年の参議院議員選挙区選挙においては62名,同13年選挙では51名の立候補者が,ある選挙区における最小有効投票数で当選した立候補者よりも多くの票を得ているにもかかわらず,他の選挙区で立候補したが故に,定数の規定により,当選者として扱われなかった(注:各選挙区における当選者の得票数を見ると,平成10年にあっては鳥取県選挙区の,また,平成13年にあっては高知県選挙区の当選者の得票数がそれぞれ最も少ない。)。これは,行政区画である都道府県を選挙区単位とし,3年ごとの選挙を各選挙区で実施することに固執する一方で,定数を人口に比例させて定めないことを最大の原因として生じているものである。いいかえると,平成10年及び13年の選挙において,定数内で当選して議員となった候補者が計147名(平成10年選挙74名,平成13年選挙73名)いるのに対し,当選に値する十分な票数を獲得しながら,定数の関係で議員となれなかった候補者が計113名もいるのである(注:選挙区ごとに投票率が異なることによる個別の事情等は,定数較差の問題に比し小さいのが現実であるので,ここでは捨象する。)。
[7] 要するに,現在の参議院は,選挙区選挙に関する限り,全国的にみて,候補者の得票数に必ずしも重きを置かない選挙制度の下で選ばれた議員により構成されているといえる。
[8] その意味するところは,誠に重大であって,参議院議員選挙(選挙区選挙)における投票価値の較差の存在は,衆議院議員選挙(選挙区選挙)におけるそれとあいまって,統治システムの中で,要の役割を果たすはずの国会が,憲法の規定にかかわらず,全国民を等しく代表する機関として,国権の最高機関であることの意義を大きく減殺した存在になっていることを示している。
[9] なお,一言付言すると,反対意見の中には現在の公職選挙法で認められている1票の較差を違憲とするものの,最大較差2倍までを合憲として許容する立場のものも多い。この考えは,長年にわたり大きな較差が存続している情況の中で,較差の是正に向けて,やや現実との妥協を図って提案されているものであり,それなりに好意的な受け取めをされることがある。私も,平成8年大法廷判決における反対意見で,この考えに同調したことがある。しかし,この提案は,やはり正しくないというのがその後の私の考えである。すなわち,現代民主主義政治における投票価値の平等とはあくまでも1対1を基本とするもので,1対2は1対1ではない(別の言い方をすると,1対2が認められるのであれば,どうして1対3や1対4が認められないのかは,理論的に説明できない。)。
[10] 就中,最も問題であるのは,仮にある程度の較差は認めることができるという司法判断があると,国会は,それを奇貨として,更にその例外を温存することに邁進するのが現実であることである。例えば,衆議院議員の選挙区選挙でもそのようなことが現実化している(それぞれの県につき定数1をあらかじめ配分するといういわゆる1人別枠方式を採用しているため,現実問題として最大2倍内に較差を収めることはできない。)のが何よりの証明である。
[11] 現代の民主主義体制は,立法,行政,司法の三権が互いにチェックを行うことにより,できるだけ誤りなく維持され機能していくよう,長い期間を経て考案されたものである。
[12] また,下記(2)においてやや詳細に論ずるが,憲法において,三権の中で司法のみが違憲審査権を与えられているのは,一定の分野の問題については,多数の有権者の意見から直接影響を受けることが最も少ない司法部門こそが,民主主義体制の維持に最も有効に対応し得るという各国の経験から生み出されたものであることを忘れてはならない。
[13] 国会が投票価値の平等の実現に熱心ではない現実の前では,司法はその義務を厳格に果たさなければならない。これまでの司法の対応は,時の権力に奉仕,追従し続けるものにほかならないとの批判には理由がある。現状を見る限り,選挙制度について,最高裁判所は違憲審査権を適切に行使する責任を果たしておらず,憲法に定める我が国の民主主義体制を維持するための所定の役割を果たしていない。
[14] さらに,付言すると,統治システムとして,議院内閣制を採用している我が国などにあっては,国会のみならず,行政府も投票価値の不平等による歪みに支配されることになることも忘れてはならない。この点は,国民の選挙により選出される大統領制を持つ国と基本的に異なる。

[15](2)ア 現代の民主主義体制は,第一に,多数の人々の選択(いわゆる「多数決」)を実現する方法及び手続と,第二に,自由,平等等の基本的人権の尊重を中心として成り立っている。
[16] そして,この2つの側面を確保するために,憲法を制定するのが通例であり,第二次大戦後制定された日本国憲法,ドイツ基本法,イタリア憲法等は,いずれもこの範疇に属する。冷戦終了後,旧東欧等において,新たに誕生した民主主義国の多くにも同様の傾向が見られる。
[17] 具体的には,統治システムに三権分立制を導入し,有権者すべてが等しく参加できる自由・公正な選挙によって,定期的に立法府の構成員(議員)を選出し,行政府の長についても,大統領選挙又は議院内閣制を採用して,多数を占める選挙民の意向が反映されることを確保するとともに,司法には高度の独立性を認め,法の支配を確立し,基本的人権を保障することを憲法に規定する。
[18] さらに,憲法の改正には,特別の手続を要するとするとともに,司法(独立の憲法裁判所を持つ国にあっては,憲法裁判所を含む。以下同じ。)に対し,違憲審査権を付与して,憲法の遵守を確保する規定を置くのが,現代民主主義国の多数における通例となっている。
[19] 民主主義と憲法の制定は,歴史的に常に両立してきたわけではない(歴史的には,共産主義が抬頭するまでの間は,多くの国にあって,それぞれ別の互いに対立する概念であると思われてきた。)。
[20] 民主主義による統治システムとは,要するに,その統治システムに属する構成員(国にあっては国民ないし有権者をいう。)の「多数決」を基本として成り立つものであるから,極論すれば,ある選挙において多数の国民が選択するのであれば,独裁制に移行することすらも可能である(ドイツにおけるナチズムの抬頭の歴史はその例の一つ。)。その場合,民主的統治は終了する。しかし,民主制を定めた憲法が存在し,かつ遵守されるのであれば,定期的に行われる自由公正平等な選挙を通じて有権者の意思を徴することにより,選ばれる人及び政策についての選挙人の意見が改めて示されることとなる。これによって,一時的に多数を得た選択の結果が,長期にわたり固定化することは防止され,立法及び行政の内容が,時とともに変化する,多数の有権者の新たな意向を反映したものになることが期待されかつ確保されることとなる。
[21] また,近代民主主義は,人間の自由,平等等の尊重をその中心にしたものであるところ,そのような「基本的人権」が,ときには正当な理由もなく,その時々の多数の意向により抑圧されることがあり得るから,これを防止するため,憲法は,司法の独立を認めるとともに,一定の基本的人権について,必ず保護されるべき法益が存在するとの規定を設け,その保護を図っている。
[22] これら2つの目的のため,前記イで述べたとおり,わが国を含む多くの国における現代憲法は,三権のうち,「多数」の有権者の意向の影響が及ぶことの最も少ない司法部門に違憲審査権を与え,これにより,「多数決」による民主政治体制の長所(変化への柔軟性)を確保するとともに,あわせて基本的人権を保障する仕組みを採用している(counter majoritarian rule)。
[23] 以上から明らかなように,民主主義体制をとる国にあっては,まず,有権者すべてが,定期的な選挙を通じ,平等の立場(注:特権的な立場の擁護などを含むあらゆる硬直性を防止するためには,人々が常に平等の立場で選択権(すなわち選挙権)を行使することが基本である。)で,多数決による選択を行える仕組みを維持確保することが不可欠となる。
[24] いいかえると,立憲民主主義体制は,多数の有権者の考えが変化するときには,その変化が,選挙を通じて正しく立法,行政に反映される仕組みを確保することこそが,長期的に見て,国の柔軟かつ正しい選択につながるという確信に基づく制度であり,その仕組みの維持と遵守に係る最終的な責任は,違憲審査権を持つ司法部門に託されている。
[25] 違憲審査に当たる司法部門は,このような民主主義に基づく統治システムが,立法府又は行政府によって歪められることのないよう,憲法の規定に基づき,特に厳格なチェック機能を果たすことが常に求められる。この中には,投票価値の平等を含む選挙権の平等の確保が当然に含まれる。なぜならば,現代民主主義体制の基本である「多数決」は,すべての有権者が平等の立場で行うことを,当然の前提としているからである。
[26] もちろん,選挙権の平等化が実現されたのは,必ずしも古いことではない。近世において,民主主義に基づく統治システムが最初に導入された米国にあっても,当初は,自由人であってかつ一定の条件を満たす成人男性のみに選挙権が与えられていた(例えば,米国において女性にも投票権があるとされたのは,1920年になってからのことである。)。すべての国民が,政治的価値において平等とされ,最も基本的な政治的権利である選挙権について,種々の制限や差別が撤廃され,今日における平等化の実現を見るには,長年月を要したのである。国民の選挙権に関する我が憲法の規定もまた,このような歴史的発展の成果を反映したものにほかならない。
[27] 選挙権平等化の一環として,投票価値の較差は,憲法にそれを許容する明文の規定(例えば,連邦制国家であることから,各州について,選出される上院議員数を均一にし,少なくとも1名の下院議員の選出を認めるもの(米国),上院については,選挙で選ばれた議員に加え,ごく若干名の終身議員を任命するもの(イタリア)等)があるものを除き,是正が技術的に不可能でない限りにおいて(注:例えば,定数の是正を,10年ごとの国勢調査に基づいて行う国が多いが,その間に生ずる較差は現実問題として是正されない。),存在してはならず,これを解消しなければならないとの認識が深まり,それが多くの国で認められたのは,第二次大戦後になってからのことである。
[28] 若干の例をあげると,米国では,1960年代の最高裁判所判決(1962年の判決を嚆矢とする。)で,この点を明確に認めたものが相次いだ(連邦議会(下院)議員について,最も厳しい判決は,基準人口を中心として1選挙区当たり僅か上下各0.7%の乖離(我が国の最大較差に換算すると1.01倍にあたる。)の存在をも違憲とした(1983年判決)が,さすがに厳格すぎるという反対意見が出た。)。現在では,連邦議会については,10年ごとの国勢調査で,議員1人当たりの平均有権者数から2%以上の乖離(我が国の最大較差換算では1.04倍に相当。)があれば,当然に是正が行われることになっている。
[29] ドイツにおいても,連邦議会議員下院選出小選挙区については,当初は,33.3%の乖離(我が国の最大較差換算では1.99倍に相当。)が認められていたが,その後25%の乖離が限度とされ(我が国の1.67倍に相当。),2002年からは15%の乖離(我が国の1.35倍に相当。)が限度となっている。なお,制度は我が国と大きく異なるが,ドイツ連邦議会議員選挙では,小選挙区における乖離が多い州について,比例票の配分を通じて結果的に定数を超えた超過議席(これにより当選する議員の権能等は,定数内で当選した議員と同一である。)が発生し得る仕組みとなっていることから,この仕組みが投票価値の較差是正への動機として役立っている。
[30] また,イタリアにおいては,従来から選挙制度において投票価値の較差が生じないよう厳格な運用が行われ,司法上の問題となったことはない。しかし,1993年に,上下両院の選挙制度について抜本的な改正が行われ,それまでの完全比例代表制に代わり,上下両院ともに75%を小選挙区選挙,25%を比例代表による選出とすることとなった。その結果,一定の理由により,小選挙区については,下院につき10%の乖離(我が国の最大較差1.22倍に相当。)が,上院につき20%の乖離(我が国の最大較差1.5倍に相当。)が一部で生じた。ただし,乖離の大きい小選挙区の有権者に対しては,比例代表制の議員選挙権を与えない等の補正措置が併せて採られた。
[31] これに対して,我が国の参議院議員の選挙区選挙では,それが単なる行政区画を選挙区とするものであるにかかわらず,最大較差6倍(議員1人当たりの有権者数平均からの乖離という欧米の計算方式によれば、これは71%の乖離に相当する。)までは合憲であるとの司法判断が示され続け,その下で,現実にも最大5倍を超える較差が存在し,かつ,何らの補正措置も講ぜられていないという,欧米諸国からは大きく遅れかつ隔絶した体制となっている。
[32] 他国に比して,我が国の国会と司法は,民主制統治の基本を歪めてでも,現職議員の既得の地位の保全に資する選挙制度を維持し続けることに著しく寛容である。

[33](3)ア 一言付言すると,客観的ないし歴史的にいえば,民主主義体制(具体的には,代表民主制を中核とする。)は,常に最善の人材を選出し,最善の政策を選択してきたとは限らない。つまり,多数の有権者の選択は,常にベストとは限らない。
[34] しかし,有権者が,定期的に行われる選挙を通じて,その時々の自分の意思を自由に表明することができれば,多数決による選択は,長期的にはより間違いの少ない人材及び政策の選択につながるのであり,この民主主義体制の長所は,システムが歪まずに柔軟性をもって機能するときにのみ,十分に発揮される。我が国憲法の選挙に係る諸規定は,正にそのことを具体的に規定しているのであって,様々な理由を考案して,投票価値の不平等の存在を是認し選択の仕組みを歪め続けることは,この長所を大きく損ない続けることにほかならない。
[35] この問題について,わが国の司法が長期にわたって違憲判断を回避し続ければ,それは別の機構,すなわち独立した「憲法裁判所」創設の動きに直結し,現在の司法制度から違憲審査権を奪う結果につながる(注:独立の憲法裁判所は,欧州大陸及び中南米諸国並びにいくつかのアジア諸国(韓国(1988年以降,違憲審査権は,憲法裁判所にゆだねられることとなった。),タイ等)に多く見られる。)。その理由は,現在の司法制度に与えられた違憲審査権が機能しなければ,健全な民主的統治システムの維持を確実にするための最後の手段が失われるという事実を,多くの国民が認識するに至るからである。
[36] 長きにわたった冷戦も終了し,民主主義体制を採る国の数は,大幅に増加した(一説によれば,民主主義国の数は,1975年当時46箇国であったが,冷戦後の1995年には121箇国になったといわれる(出典:猪口孝ほか編著「現代民主主義の変容」による。))。
[37] 憲法の規定を離れて,歪められ硬直化した選挙制度によってしか,国民の選択が表明され得ないような民主主義国の将来は,同じ民主主義国の中でも,明るいものとはいえない。我が国の統治システムが,多くの民主主義国の中でも,どちらかといえば,より閉塞感の強い,真の改革や進歩の実現からは縁遠いシステムとなっていることを,もはや否定することはできない。

[38](4)ア 以上のとおり,定数配分規定は,本件選挙当時において明らかに違憲であったものであるが,本判決は,選挙後すでに2年半を経過してようやく行われるものであって,今さら無効と宣言することは無用の混乱を招きかねないことから,いわゆる事情判決の法理により,主文において本件選挙の違法を宣言するにとどめるのが適当と考える。
[39] ただし,次回平成16年に行われる参議院議員選挙以降,現行の選挙制度が基本的に維持された形で選挙が行われるのであれば,選挙区選挙については,今後は定数配分規定の違憲を理由に,選挙の無効を宣言すべきものと考える。このことは,仮に,行政区画にすぎない都道府県を選挙区として各選挙区において3年ごとに選挙を行うという,現行の仕組みを温存するのであれば,選挙が無効とされないためには,多くの選挙区について大幅な定員増を行うことが必然的に必要となることに帰着する。それはとりもなおさず,参議院の選挙区選出議員数の大幅増大を招来する。そのような結果は,国会が,現代民主主義体制にあって,最も基本である選挙権の平等を軽視した制度に固執し続けることから生ずるのであって,これから生ずるすべての問題解決の最終責任は,あげて国会自身にあることは言を俟たない。
[1](1) 憲法14条等に定める平等の原則により,民主主義の根幹を成す投票価値の平等は,厳格に解釈されるべきであり,選挙区間における議員1人当たりの選挙人数又は人口の較差は,できるだけ1対1に近づけるべきであるが,1対2を超える較差が生じたときは投票価値の不平等が到底看過することができない程度に達しており,立法裁量権の限界を超えたものとして違憲である。本件選挙当時,本件定数配分規定による選挙区選出議員の選挙区間の議員1人当たりの人口の最大較差は1対4.79,選挙人数を基準とする最大較差は1対5.06であったから,本件定数配分規定は憲法に定める投票価値の平等条項に違反するものであって違法であると考える。理由の詳細については,私が従来述べてきた諸反対意見(最高裁平成11年(行ツ)第7号同11年11月10日大法廷判決・民集53巻8号1441頁における裁判官河合伸一外3名の反対意見,平成12年大法廷判決における裁判官河合伸一外4名の反対意見及び裁判官梶谷玄の追加反対意見)のとおりである。

[2](2) 理由を敷衍して述べると次のとおりである。
ア 憲法における代表制民主主義の原理
[3] 憲法は,その前文において,「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,」及び「そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであって,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。」と規定し,憲法43条1項において,「両議院は,全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定し,衆議院,参議院共に代表制民主主義を採用することを明確にしている。この代表制民主主義が正当に機能するためには憲法14条に定める投票価値の平等原則が厳格に貫かれなければならない。もしそうでなく,国民の居住地域等によって各国民の1票の持つ価値が相違するときには,選出された議員が国民を正当に代表しているとはいえず,その結果構成される議会も国民の代表としての正当性を欠くことになるからである。したがって,国会議員選挙において選挙民が投票権の平等を保障されないことは,代表制民主主義においてその根幹を成し,かつ生命線である最も重要な原則を侵害するというべきである。選挙人の資格につき,人種,信条,性別,社会的身分,門地,教育,財産又は収入によって差別してはならない旨定める憲法44条ただし書は,異なる選挙区に居住する選挙人間の投票権の平等をも要求しているものである。
[4] 欧米主要民主主義国においては第2次大戦後,選挙における厳格な投票価値の平等原則が確立してきたが,アメリカ合衆国連邦最高裁判所では,1963年以降連邦下院議員選挙及び州の二院制の議会の上下両院の議員選挙など公的選挙について1人1票(one person one vote)の原則が適用されるべきことが判示され,爾後も投票価値の平等原則は厳格に適用されている(平成10年大法廷判決における裁判官尾崎行信,同福田博の追加反対意見及び本判決における裁判官福田博の追加反対意見参照)。この1人1票の原則は我が国の選挙権についても同様に適合すべきものである。すなわち,投票権が平等であるべきことは,国民の基本的人権としての法の下の平等の当然の帰結として,また,国会を国権の最高機関である全国民の代表として構成するための基本原理として,憲法の定めるところであり,選挙制度に当たって考慮されるべき最も重要な基準である。したがって,最大較差はできるだけ1対1に近づけるべきであるが,従前の多数意見の述べる,国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連で若干の譲歩が許されるときでも,1対2を超える最大較差が生じたときは,実質的に1人に2票を与える結果となり,投票価値の不平等が看過できない程度に達したものとして違憲というべきである。
イ 投票価値の平等原則の参議院議員選挙における適用
[5] この投票価値の平等原則が衆議院議員の選挙のみならず,参議院議員の選挙についても同様に適用されるべきことは,上記のように憲法43条1項の規定に明記されているところであるが,参議院の国政における役割からも明らかである。確かに衆議院は,予算の議決(憲法60条),条約の承認(同法61条),内閣総理大臣の指名の議決(同法67条)等において参議院に優越した立場にあり,参議院は衆議院の補完的な役割を担うとされてはいる。しかし,国会の最も重要な権能の一つである法律案の議決については,参議院が衆議院で議決された法律案を否決するときには,衆議院でその決議を覆すためには出席議員の3分の2以上の多数決を必要とすることとされており(同法59条2項),内閣が安定的に法律を成立させるためには,両院で過半数の賛成を得るか,衆議院で3分の2以上の多数の議決を確保しておくことが必要となる。参議院は,この拒否権があることによって衆議院とほぼ同等の権能を与えられているといえる。それゆえ,参議院と衆議院の議員構成に一定の差を認める憲法の趣旨の下においても,公正かつ効果的な代表制民主主義の実現のためには,参議院議員の選挙についても,衆議院議員の選挙の場合と同様,1人1票の投票価値の平等原則が厳格に遵守されなければならない(なお,平成12年大法廷判決における私の追加反対意見でこの原則に例外を認めることがあるとした点は変更する。)。
ウ 国会の裁量権に関する問題点について
[6] 従来の多数意見及び本判決における裁判官町田顯外4名の補足意見1が参議院議員選挙において投票価値の平等原則を修正することができる合理的な理由として挙げているのは,都道府県が一つのまとまりを有する単位と把握し得ることからその住民の意思を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味するいわゆる都道府県代表的要素と,3年ごとに議員の半数を改選すると定める憲法46条をもって各選挙区に偶数の議員定数を配分することも立法者の裁量の範囲内にあるといういわゆる各選挙区偶数配分制の2つであるが,いずれも憲法上にその根拠を有せず,投票価値の平等原則を修正することが国会の裁量の範囲内にあるとはいえないことは,既に前記平成12年大法廷判決における追加反対意見等で述べたとおりである。すなわち,都道府県制における地域的な事情を国政に反映する目的は選挙区制を定める上においての一つの考慮要素として認められるが,この目的は当該都道府県と同様の状況にある他の都道府県選出の議員によっても代表され得るし,また,通信,交通,報道により各地域の実情や住民世論の動向を知ることは容易になっており,投票価値の平等原則に譲歩を求めてまで参議院議員選出の仕組みに都道府県代表的要素を加味することの必要性ないし合理性は著しく減少している。他方,各選挙区偶数配分制については,憲法46条は,単に3年ごとに議員の総数について半数の議員を改選することを定めたものであって,投票権の平等原則に反してまで各選挙区において3年ごとに必ず議員1人を選出することを保障したものとは解されない。したがって,参議院議員について,投票価値の平等原則上必要があれば,3年の改選期ごとに同一選挙区における議員の改選数を変え,あるいは議員を選任しないこととしても憲法上何らの問題も生じない。なぜなら各選挙区の人口に比例した数の議員が参議院において活動することによって憲法に定める投票価値の平等原則は確保され得るからである。さらに,都道府県を単一の選挙区とすることによって投票価値の平等原則に反する結果が生ずる場合には,ある選挙区の全部又は一部を他の選挙区と合区すること等,区割りの変更の方法を採ることも選択の一つとして考慮されるべきである。
[7] 我が国は,国際化の中で,行政,経済,社会その他あらゆる面における全国規模での規制の撤廃,緩和を含む構造改革の推進が要請されており,また県境による障害の撤廃も進み,健全な国民経済の再建や地方自治の推進を効果的に行うための広域的な施策が必要とされている。これらの改革の実現は,投票価値の平等原則による代表制民主主義の下での国会の討議によって行われるべきであり,人口の都市集中化と地方の過疎化の傾向がますます顕著になっている現在,都道府県代表的要素と各選挙区偶数配分制の論理の下に,一部の地方選挙区の選挙民に都市部など他の選挙区の選挙民の数倍の投票権を与える本件定数配分規定は,公正かつ効果的な代表制民主主義を実現しているとはいえない。
エ むすび
[8] 以上のとおり,本件定数配分規定は,国会の立法裁量の範囲内にあるとは到底いい難く,憲法に定める投票価値の平等条項に反して違憲であり,このような代表制民主主義の根幹を揺るがす不平等を裁判所が合憲として容認することは,司法が,司法権の謙抑的な行使の名目の下に,憲法に定める違憲立法審査権の適切な行使を怠っているというべきである。
[9] よって,本件定数配分規定は違憲であるが,国会による真摯かつ速やかな是正を期待し,今回は事情判決の法理に従い本件選挙を違法と宣言するにとどめ,無効とはしないものとするのが相当である。ただし,本件のような違憲状態が将来も継続するときには,選挙の無効を宣言すべきであると考える。
[1](1) 投票価値が平等であるべきことは憲法14条の定める法の下の平等の当然の帰結であって,平成12年大法廷判決も「憲法は,選挙権の内容の平等,換言すれば,議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等,すなわち投票価値の平等を要求していると解するのが相当である。」と判示するところである。

[2](2) 憲法上,国会が国権の最高機関(同法41条)とされる根拠は,国会が国民から選挙された国民を代表する議員によって構成され,選挙を通じて国民の意思が国会の構成に反映していることによるのであるが,それを実質的に保障するためには,議員が平等な投票権のもとに選挙されることが必要である。

[3](3) 参議院は,議員の任期を6年とし,3年ごとに半数改選と定められる(同法46条)ほか,法律案・予算の議決・条約の承認・内閣総理大臣の指名の議決等について衆議院と異なる点があるので,国会が選挙制度を定めるについてその仕組みの具体的内容は衆議院と異なるものになる。しかし,投票価値の平等は,法の下の平等に基礎を有し,国権の最高機関である国会の正統性の根拠となるものであるから,選挙制度を定めるについて,それが唯一絶対の基準ではないとしても,最大限に尊重されなければならない。そして,選挙権について不平等取扱いをする場合には,その立法目的,政策目的が合理的であり,不平等の程度が立法目的達成の手段として相当であって,かつ,憲法14条の許容する範囲内にあることを要する。国会は,選挙制度の策定について裁量権を有するが,それは当然憲法の諸規定の許容する枠内に限定されるのである。
[4] 司法は,投票価値の不平等が,国会の裁量の範囲内であるかを検討するのではなく,国会によって定められた選挙制度のもとで生じる投票価値の不平等が憲法の解釈として許容されるかどうかを判断しなければならず,かつ,それをもって足りるのである(この点について,最高裁判所平成11年(オ)第1767号同14年9月11日大法廷判決・民集56巻7号1439頁の裁判官福田博,同深澤武久の意見で述べたところである。)。

[5](4) 投票価値の平等と参議院の独自性の調和を立法目的とした参議院発足時における参議院議員選挙法における議員1人当たりの人口の最大較差は1対2.62であったが,その後の人口移動等によって不均衡問題は深刻化し,憲法上の問題として論ぜられるに至り,国民の投票価値の平等についての意識が高くなった現在においては,人口較差が1対2を超えるときは憲法の許容する枠を超えて違憲となるものと考える。
[6] ところで,本件改正は,非拘束名簿式比例代表制の採用と定数削減,逆転区の解消,人口較差の拡大防止を立法目的とし,人口較差の減少は立法目的とされることはなく,人口の最大較差は平成6年改正により1対4.81であったものが,同7年10月実施の国政調査によれば1対4.79に微減少したにとどまり,その後もその差を解消する動きをみることはできない。

[7](5) 本件改正の際の国会審議において,参議院議員選挙が都道府県単位の選挙区と3年ごとの半数改選のため各選挙区に偶数配分をするという現在の仕組みのもとでは5倍程度の較差はやむを得ないという考え方が示された。これは選挙区選出議員の地域代表的性格を認め,現在の都道府県単位の選挙を前提として,人口比例配分の技術的困難性を理由にするものである。しかし,上記仕組みの中で憲法が定めるのは3年ごとの半数改選のみであって,その他は憲法上の要請によるものではないのである。現在の仕組みの中では憲法の定める法の下の平等の許容する最大較差を超えることが技術的に避けられないとするならば,民主政治の根幹をなす選挙権の平等を保持するために,現在の選挙の仕組みにこだわらず,その変更も含む抜本的な検討がされるべきである。都道府県単位の選挙区と偶数配分は,憲法上の要請ではなく,投票価値の平等を損なってまで維持されるべき制度ではないのである。

[8](8) 最高裁判所は,衆議院議員選挙について,選挙制度が憲法に違反する議員定数の定めに基づいて行われたことにより違法な場合,これに基づく選挙を当然に無効であると解すると,この選挙によって選出された議員がすべて当初から議員としての資格を有しなかったことになる結果,今後における衆議院の活動が不可能になり,上記規定を憲法に適合するように改正することもできなくなることなどを理由に選挙を無効とする判決を求める請求を棄却し,選挙の違法宣言をする,いわゆる事情判決(最高裁判所昭和49年(行ツ)第75号同51年4月14日大法廷判決・民集30巻3号223頁)をしたが,これは国権の最高機関としての国会が,投票価値の不平等の解消について,真摯に取組み,多くの国民が納得できる相当な期間内に合理的な解決をすることを期待して,司法権を謙抑的に行使したものと考えられる。選挙によって選出された議員によって構成される国会が行う選挙制度の改革は,各議員の利害にかかわるため様々な問題が生じることは避けられないとしても,憲法は,各議員が全体の奉仕者であるとの立場にたって,個々の利害を超えて議会制民主主義の根幹を成す選挙制度の改革がなされることを期待しているのである。しかるに,本件改正においては,較差の減少を立法目的とした積極的な検討をしたとは認められない。投票価値の不平等が,かくも広く長期にわたって改善されない現状は,事情判決を契機として,国会によって較差の解消のための作業が行われるであろうという期待は,百年河清を待つに等しいといえる。したがって,本件において選挙無効の判決をすることが違憲立法審査権の適正な行使であるといわざるを得ないのである。私は衆議院議員選挙についても選挙無効の判決ができる場合があると考えるが,特に参議院議員選挙においては,選挙無効の判決をしても,その対象は改選された議員だけであり,半数の非改選議員及び比例代表選出議員の地位には影響を及ぼさないのであるから,衆議院議員選挙について無効の判決をした場合とは異なり,変則的であるとしても,公職選挙法の改正を含む参議院の活動は可能であり,選挙無効の判決をするについて上記判決の指摘するような不都合が生ずるとは考えられない。本件選挙当時の議員定数配分規定は,憲法14条1項,44条ただし書の規定に反し,同法98条1項によって無効であって,それに基づいて行われた本件選挙は無効であるから,原判決を破棄して本件選挙の無効の判決をすべきものである。
[1] 私は,本件定数配分規定は憲法に違反するものであって,本件選挙は違法であると考える。その理由は,裁判官泉徳治の追加反対意見が詳細に述べているところとおおむね同旨であるから,ここではこれを簡潔に述べるにとどめたい。

[2](1) 私は,民主主義の定義として「流血を見ることなく,投票を通じて政権を交代させる可能性のある政治制度」とする見解に賛同するものであるが,その民主主義の重大な基礎をなすものは選挙制度である。選挙制度として,国民の代表を選出するに当たり,いわゆる多数決原理に徹する多数代表制(小選挙区制)を選択するか選挙民の意見の違いを比例的に反映する比例代表制を選択するかは,歴史的・社会的状況により民主主義政治体制を持つ各国の事情によっている。いずれの制度によるとしても,代表民主制の主要諸外国では,有権者間の投票価値の平等は当然の前提とされているのは公知である。
[3] 第二次大戦終了後に新しい憲法の下で発足し,特に近年大幅な改革を経ている我が国の選挙制度は,世界でもユニークな存在であり,衆議院議員の選挙においては小選挙区制と比例代表制を併用し,参議院議員の選挙においては比例代表制(定数96人)と大選挙区制の選挙区選出(定数146人)が併用されている。この我が国の選挙制度は,この間の人口の都市集中化などの我が国の社会・経済的変動に必ずしも的確に対応できておらず,特に憲法上の要請である有権者間の投票価値の平等への配慮が不充分であったことは明らかである。不平等な投票価値を是認する選挙制度は,多くの選挙民の政治への幻滅を招き,ひいては民主主義への信頼を損なうものである。激しく変動する世界情勢の中で社会・経済システムの再生・再構築を試みている我が国にとって,民主的な国政の運営への国民の信頼がなにものにもまして重要な事は多言を要しない。
[4] 当審は,最高裁昭和49年(行ツ)第75号同51年4月14日大法廷判決・民集30巻3号223頁で国会両議院の議員の選挙における選挙権の内容,すなわち各選挙人の投票価値が平等であることの憲法上の要請を確認して
「投票価値の平等は,常にその絶対的な形における実現を必要とするものではないけれども,国会がその裁量によって決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等の結果が生じている場合には,それは国会が正当に考慮することのできる重要な政策的目的ないしは理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならない」
として,昭和47年12月10日施行の衆議院議員選挙につき違憲状態を宣言した。また,当審は,参議院議員選挙の定数配分については,最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁で,
「その制定の当初においては憲法に適合するものと認められた本件参議院議員定数配分規定による議員定数の各選挙区への配分も,その後の・・・人口の異動が生じた結果,それだけ選挙区間における議員1人当たりの選挙人数の較差が拡大するなどして,・・・その人口の異動が当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせ,かつ,それが相当期間継続して,このような不平等状態を是正するなんらの措置を講じないことが・・・その許される限界を超えると判断される場合に,初めて議員定数の配分の定めが憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。」
と判示した。
[5] これらの警告にも関わらず,立法府は我が国の選挙制度における投票価値の不平等状態につき適切な対応を長期間放置してきている。私は,以下に述べる理由により,本事案については,憲法上の要請である投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないような投票価値の著しい不平等状態が生じ,かつ,それが相当期間継続して,その是正措置を講じないことがその許される限界を超えた状態に達していると判断すべきであると考える。
[6] 憲法上違憲立法審査権を与えられている当審がその権限の適正な行使に当たりあまりにも謙抑的であることは,民主主義社会と憲法の擁護の任にある司法に対する国民の期待と付託に背くことになる、と私は考える。

[7](2) 代表民主制を採る我が憲法の下においては,選挙を通じて代表者を選出する国民各自の権利が,形式的にのみならず,実質的にも平等に保たれるべきことは,憲法の要請するところと解されるのであり,とりわけ憲法により国権の最高機関であり国の唯一の立法機関であるとされる国会において,衆議院に一部劣後するとはいえほぼ同等の地位を与えられている参議院の選挙制度についても,このことが強く求められているものといわなければならない。したがって,同院の選挙区選挙制度においては,選挙区間における選挙人数又は人口の較差は,可能な限り1対1に近接させるのが望ましいことは,いうまでもないところである。もっとも,投票価値の平等は選挙制度の仕組みを決定する唯一,絶対の基準となるものではないと解されるのであり,国会がその裁量権の範囲内において考慮することが許される他の要素を考慮したために,上記の較差がそれより拡大することとなっても,やむを得ない場合があると考えられる。しかしながら,上記の較差が1対2以上に及ぶ場合には,実質的に1人が2票ないしそれ以上の投票権を有するのと異ならないことになるといわざるを得ないから,いかなる場合にもこのような較差を生ずる定数配分を是認することはできないものというべきである。

[8](3) 本件定数配分規定により生ずる選挙区間の上記較差は,本選挙区制度の前身である地方区選挙制度が創設された当初から1対2を超えており,本件選挙当時は選挙区間の議員1人当たりの人口較差1対4.79,また,選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の最大較差は1対5.06にも達していたというのである。これは,公職選挙法14条に基づく同法別表3が選挙区選出議員の定数配分に当たり,従前どおり都道府県を各選挙区とし,3年ごとの半数改選を考慮し各選挙区に最小限の2人ないしその倍数の偶数の議員定数を人口を基準とした各選挙区の大小に応じ,これに比例する形で配分したところに主たる原因があるものであるところ,私は,裁判官町田顕,同金谷利廣,同北川弘治,同上田豊三,同島田仁郎の補足意見1とは異なり,各都道府県を単位とする選挙区に最小限の2人ないしその倍数の偶数の議員定数を,現実には各選挙区の人口とは比例していない形で配分することに,合理的目的ないし理由を見いだすことはできない。上記意見のいうように都道府県を選挙区とし,各選挙区を通じてその選出議員の半数が憲法の要請に従い3年ごとに改選されることになるように配慮したことが定数配分をする際の基礎的要素であるとしても,そのことが憲法上の投票価値の平等性を大きく損なって各選挙区に最小限2人の議員定数を偶数配分することの理由になるとは考え難い。そもそもすべて国会議員は国民全体の代表であって,その選出に当たって地域性等を考慮した選挙制度を国会に憲法上認められた裁量権の範囲で構築する場合であっても,当該地域性等への配慮は,投票価値の平等を損なってまで定数配分においてされるべきものではなく,投票価値の平等の下で選挙された全国民の代表者により国政の具体的運営においてされるべきものである。したがって,同別表に合理性があるということはできず,本件定数配分規定は,憲法に違反するものというべきである。
[9] もっとも,諸般の事情に照らし,いわゆる事情判決の法理に従い,本件選挙を違法と宣言するにとどめ,これを無効としないのが相当であるが,私は,今後も上記の違憲状態が是正されないまま参議院議員選挙が繰り返されることを防ぐために,当審としては,諸外国の一部の憲法裁判所制度で採用されているように,違憲状態にある議員定数配分を一定期間内に憲法に適合するように是正することを立法府に求め,そのように是正されない定数配分に基づく将来の選挙を無効とする旨の条件付宣言的判決の可能性も検討すべきものと考える。
[1](1) 我が国憲法は,主権が国民にあることを宣言するとともに,正当に選挙された国会における代表者を通じて主権者として行動する,代表民主制の原理に立つことを明らかにしている。
[2] この制度の下では,唯一の立法機関であり(憲法41条),全国民を代表する議員で組織するものとされた国会(同法43条)は,選挙を通じて国民の意思が忠実に反映したものでなければならず,そのことは代表民主制の根幹を成すものといわなければならない。
[3] このことと,国民は,すべて法の下に平等であって,その固有の権利として公務員の選定権を持つことを定めた憲法の規定(同法14条1項,15条1項)に照らせば,国民は,憲法上国会議員の選挙に関し,平等かつ等質の価値の権利を持っているものといわなければならない。そして,国民が選挙について平等かつ等質の権利を持つということは,国民が,単に選挙人としての資格において差別を受けないというだけではなく,その投票が政治的価値においても平等であることを求め得ることを意味するのである。

[4](2) 国民が主権者として,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動するという代表民主制の下では,国民が選挙について平等な権利を持ち国政への参加の機会を厳格に保障されていることがその制度の前提であり,国会はそのことによってその最高機関としての権威を保持し得るのである。国政への平等な参加が保障されたとはいえない選挙によって選ばれた議員から成る国会は,主権者たる国民の意思を正しく反映したものとはいえず,したがって,その権威は正当性を保ち得ないことになるのであって,その意味において国民が選挙の平等について持つ権利は極めて重要なものであり,最大限に尊重されなければならないものである。
[5] ここで,投票の価値が平等であるということは,具体的にいえば,すべての選挙人の投票の効果が定められた選挙区間において実質的差異を生じないことを意味するから,各選挙人の投じた1票がある者を議員として当選させるために寄与する効果に差異を生じないように選挙区を定めておかなければならないこと,すなわち,議員1人当たりの人口は各選挙区間で等しくなければならないことを意味するのである。
[6] このような意味を持つ,投票価値の平等は,形式化されたものとして解されなければならず,その実質的な意味を探ろうとすることは許されない。したがって,ある選挙区における選挙人の数と議員の数が比率の上で平等を欠くとき,そのことを他の理由を持ち出して正当化することは許されないのである。例えば,過疎地の住民に代表権の配分を厚くすることによって実質的平等を図ろうとする,などという配慮をすることは許されないのである。このような個別政策問題の実現は,正当に選ばれた全国民を代表する議員(憲法43条1項参照)から成る国会における論議のなかで図られるべきことであって,選挙制度を定める場合に,国民が等しく持っている選挙権の価値にどの地域に居住するかによって軽重をつけることによってなすべきではないからである。
[7] もし,ある政策目的を実現するために,選挙権の価値の平等にこのような実質論を持ち込み,そこに立法機関の裁量の余地を認めるならば,平等論議のなかに限りなく多くのことを立法機関の裁量の名において持ち込むことを許すことになりかねず,そうなれば投票の価値の平等の重要性をどのように強調しても,その姿は主権者たる国民の目には見えないものになってしまうのである。投票がその価値において平等であるという以上,それはあくまでも形式的に理解されるべきものであり,そこに政策的目的ないし理由を持ち出してそれとの調和を図る余地はなく,具体的数値で国民に分かるように示されていなければならないのである。

[8](3) 確かに憲法は,投票の方法その他両議院の選挙に関する事項は法律でこれを定めるものと規定しており,国会は公正かつ効果的な代表選出という目標を実現するために選挙制度を制定することとなっているのである(同法47条)。
[9] しかしながら,立法機関が裁量権を持つのは,憲法上の権利として国民の持つ平等な選挙権の行使が先に述べた形式的な意味において尊重されたうえでのことであり,国民の意思が公正かつ効果的に反映し得るように制度を作るということの中においてのことである。
[10] したがって,形式的意味における平等を超えて制度設計をすることは,そのことだけでもはや制度として公正さを持ち得ず,どのような理由を付しても立法機関の裁量の名において許容することができることではないのである。

[11](4) もっとも,投票価値の平等は,形式的に各選挙区の選挙人数と議員定数との比率によって判断すべきであるとはいうものの,整数の議員定数を配分するための端数処理の必要や不断の人口移動など,選挙制度が本来的に持つ技術的理由によって,その比率の完全な平等を維持し得るとは限らない。
[12] また,我が国憲法は二院制を採用し,衆参両院を通じて公正かつ効果的な代表を選出することを要請されていると解し得ることから,衆議院と参議院とで異なる選挙形態をとることも合理性を持つものといわなければならない。
[13] さらに,我が国憲法は参議院議員は3年ごとに半数の改選をすると規定している(同法46条)ために,1回の選挙で選ばれる議員の数は衆議院に比べ少なくなることから,選挙区の定め方によっては,参議院における選挙権の形式的平等の貫徹は衆議院に比べて困難になることも否定できない。また,我が国の参議院議員選挙では,都道府県ごとに議員を選出するという制度がある程度国民の中に定着していることを考慮して選挙制度を定めることにも,一定の合理性を認めることができる。
[14] しかしながら,これら参議院の独自性といわれるもののうち,憲法的基礎を持つといえるものは3年ごとの半数改選を予定していることだけである。しかも,この規定も,選挙権の価値の平等を犠牲にして,3年ごとに議員の半数を改選するということ以上に,すべての国民に一律に改選の機会を保障しているとまでの意味を持つものではない。
[15] また,国民の中に定着している都道府県ごとの議員の選出も,現在行われている仕組みを固定的に考える必要はない。憲法制定時に必要性ないし合理性があるとされた選出方法は,本来,憲法に由来するものではないだけでなく,制定当初に比べ,そのことの持つ意味は著しく減少してきているとみるべきこと,平成12年大法廷判決における河合伸一外4裁判官の反対意見記載のとおりであって,我が国憲法が両議院の役割を,基本的には異なるものとは位置付けていないことに照らして,投票権の価値の平等を論ずる限りにおいては,参議院の独自性を過度に強調すべきものではないと考える。
[16] したがって,選挙制度を定めるうえで避けられない技術的要請や公正かつ効果的に代表を選ぶという必要性から非人口要素を考慮した結果,選挙間の完全な形式的平等を貫徹することができなくなる場合のあることは承認せざるを得ないとしても,平等という以上,そして,それを形式的に理解する以上,数値の上で超えることのできない限界があるのであって,それを超えれば,もはや平等とはいい得ず,制度を定める上でのいかなる配慮もその限界の中においてのみ許されるにすぎないのである。
[17] 私は,選挙制度を定める上で,常に,1人の投票の価値の形式的な平等が貫かれるべきではあって,それができない場合であっても,それが他の人の2倍を超えるようなことは,いかなる理由によっても正当化することはできないと考える。それはあたかもある人に複数の投票権を与えるに似た効果を生じさせるのであるからである。投票という国民が主権者として行う,憲法上重要な意味を持っている意思の表明にどこに居住しているかによって2倍を超える較差がつくということは,そのことだけで絶対的な不平等をもたらすものであり,そのようなことを許容する価値はどこにも見いだし得ないのである。
[18] したがって,選挙制度を定めるうえで,仮に,参議院の独自性を考慮するとしても,その結果,選挙区によって投票の価値が2倍を超えることのないよう,その範囲の中でその仕組みは考えられるべきであって,それは,定員や比例代表選出議員,選挙区選出議員の比率など,現在の仕組みを固定的に考えなければ十分に可能なことである。

[19](5) ところで,本件改正で,参議院議員の定数は,それまでの252人から10人減員された。そして,その減員は,選挙区選出議員に6人割り振られた結果,選挙区選出議員の定数は152人から146人になり,それは,岡山県,熊本県,鹿児島県の各選挙区の定員をそれぞれ4人から2人にすることによって行われた。この改正によって,いわゆる選挙区間の議員1人当たりの人口の最大較差は,鳥取県と東京都との間にみられる1対4.79であって,本件改正前と変わらない不平等を残すものとなった。
[20] 本来,代表民主制の下における投票価値の平等の重要性に照らせば,投票価値に不平等が生じたとき,それが技術的要請や公正かつ効果的に代表を選出するという制度を作る上で避けられないものであって,正当な裁量の結果であるというのであれば,そのことが信託者たる国民の前に明確な形で呈示されるべきものである。
[21] しかしながら,今回の改正に際して,選挙権の価値の平等が憲法の要求する重大なものとして尊重されるべきものであるとの考えに立って,どのような論議がなされたのか,残された不平等が正当な裁量権の行使として許容し得るものであるかについてどのような論議がなされたのか,そのあとが国民の前に明確に呈示されたようには思えない。
[22] 一般的にいって,選挙制度の改正は,ときには議員にとって死活にかかわる問題となり,特に,減員の対象となる選挙区で選出される議員を中心に強い反対が起こることは,避けられない面がある。そのため,選挙区や選挙方法,定員などのような立法作業には,本来的に適正な裁量権の行使に期待し得ない面があることは否定できないところである。それだけに,このような問題については,裁量権の限界があると考えられるときは,そのことを明示しておくことの必要性は格段に高いものがあるといわなければならない。
[23] 当裁判所は,憲法が選挙に関しては国民がすべて平等であるべきであるとする徹底した投票の価値の平等を要求していることを宣明してきた。
[24] にもかかわらず両議院の議員の選挙制度の具体的決定が立法機関の裁量にゆだねられていることを理由に,選挙区間の議員1人当たりの選挙人数の平等が最も重要かつ基本的なものであることを認めながら,国会において考慮し得る他の要素と総合的に考慮すべきものであるとして,立法機関のこの点における裁量の限界について明示してこなかったのである。
[25] しかしながら,選挙について国民の持つ権利がその価値において平等であり,そのことを保障することが代表民主制の根幹であるという認識に立つならば,立法機関の裁量の範囲に制約のあることは自明である。そして,憲法が選挙制度の策定の具体的作業を立法機関にゆだねているが,それは,その定め方が選挙の結果に重大な影響を持つことから,政治的な弊害を避けるために政令や省令によって定めることはできないことを定めた趣旨であることを考えれば,そのことから導かれる平等についての準則はおのずから明らかであって,投票価値の平等についてまで立法機関に広い裁量を与えているわけではないことも明らかである。

[26](6) 私は,司法機関は,そのことを明示し,立法における指針を明らかにすべきであって,これを示してこなかったことが立法機関のこのような重要な国民の憲法上の権利にかかわる問題についての緩慢で弥縫的とも解さざるを得ないこれまでの対応を助長する結果になったことは,否定し得ないと考える。
[27] 私は,この際,選挙権の平等についての憲法的な要請は,投票の価値の算術的平等を志向しており,それを厳密に貫徹し得ないことがあるにしても,その較差が1対2を超えるようなことは,いかなる理由があっても正当化し得るものではなく,立法機関の選挙制度制定に当たっての裁量は許容し得るこの範囲内で行使すべきものであることを明らかにすることが必要であり,今日そのことを明らかにすることは司法としての責務でもあると考える。
[28] 本件において投票価値の較差は,議員1人当たりの人口最大選挙区と最小選挙区の間で1対2をはるかに超えており,憲法上,これを正当化することはできないので違憲といわざるを得ない。したがって,原判決を変更し,事情判決の法理によって上告人らの請求を棄却するとともに,主文において本件選挙が違憲である旨の宣言をするのが相当である。
[1] 日本国憲法の前文は,「日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」との宣言に始まる。選挙権は,議会制民主主義を採る国民主権国家において,国民が自己の意思を表明して国政に参加することを保障するためのものであり,多数決民主主義の根幹をなす国民の基本的権利である。そして,民主主義の下では,主権者たる国民はすべて平等であることが基盤となっており,選挙権は国民に平等に保障されなければならない。政治参加における国民の平等が阻害されることがあれば,議会は民主的政治機構としての正統性を失うことにもなりかねないのである。憲法は,このことを明らかにするため,すべて国民は法の下に平等であることを宣明し(14条1項),公務員を選定し及びこれを罷免することは国民固有の権利であるとして,成年者による普通選挙を保障し(15条1項,3項),両議院は全国民を代表する選挙された議員で組織するとし(43条1項),選挙人の資格は人種,信条,性別,社会的身分,門地,教育,財産又は収入によって差別してはならない(44条)としている。憲法で宣明された選挙権の平等は,「投票は,各選挙につき,1人1票に限る。」(公職選挙法36条)という形式的な1人1票を意味するにとどまらず,選挙権の内容における平等,換言すれば各選挙人の投票の価値,各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等に1人1票であることを要求するものである。具体的には,各選挙区における議員1人当たりの人口(ないし選挙人数)が,各選挙区において基本的に均等であることを要求しているのである。
[2] 憲法の1人1票の平等理念からすれば,具体的選挙制度の構築に当たっては,議員1人当たりの人口が各選挙区間で可及的に1対1に近接するようにすべきであろう。ただ,1対1の選挙制度を設計することは,全議員につき全国区制を採用するのでない限り,実際上不可能であること,憲法は二院制を採用しており,衆参両院を通じての公正かつ効果的な代表の選出が要請されること,憲法は参議院議員の3年ごとの半数改選を要求していること,我が国の選挙制度は伝統的に地方公共団体や郡の区域を基準に選挙区を画定してきており,そのことは選挙人間の緊密性・隣接性を尊重するものとして十分に合理性を有すること等に照らすと,これらの諸要素を考慮に入れながら具体的選挙制度を構築する上において,結果的に投票の影響力に何ほどかの差異が生じることはやむを得ないものというべきである。
[3] しかしながら,少なくとも,議員1人当たりの人口の選挙区間における較差(以下「人口較差」という。)が2倍(1対2)以上になると,実質的に1人に2票以上の複数投票を許すことになり,平等選挙の根幹に触れることとなるから,憲法に違反するものといわざるを得ない。衆議院議員選挙区画定審議会設置法3条1項は,衆議院小選挙区選出議員の選挙区に関し,「各選挙区の人口のうち,その最も多いものを最も少ないもので除して得た数が2以上とならないようにすることを基本とし」と規定し,また,公職選挙法15条1項及び2項は,都道府県の議会の議員の選挙区は郡市の区域によるとした上,郡市の「区域の人口が当該都道府県の人口を当該都道府県の議会の議員の定数をもって除して得た数の半数に達しないときは,条例で隣接する他の郡市の区域と合せて1選挙区を設けなければならない。」と規定し,同条8項本文は,「各選挙区において選挙すべき地方公共団体の議会の議員の数は,人口に比例して,条例で定めなければならない。」と規定している。これらの規定は,1人の選挙人に実質2票以上を与える結果となることを避けようとしたものであって,その趣旨は参議院選挙区選出議員の選挙についても当てはまるものである。
[4] 本件選挙についてこれをみると,本件定数配分規定の下における人口較差は最大1対4.79(選挙人数の較差は最大1対5.06)となっていた(これは鳥取県選挙区と上告人らの居住する東京都選挙区との間の較差である。)。このことは,議員1人当たりの人口が最少の選挙区の1票は,同人口が最多の選挙区の1票の約5倍の投票価値を有することを意味する。この2つの選挙区間の比較でいえば,前者の選挙区の選挙人は,1人で実質5票を与えられたことになるのである。しかも,このような不均衡は,ごく一部の選挙区間に限られるというのではなく,程度の差はあれかなりの範囲に及んでおり,本件定数配分規定の下では,総人口の約35%に当たる4427万人余で,選挙区選出議員の過半数の74人を選出することが可能になっている。そして,東京都選挙区を基準としてみても,投票価値が東京都選挙区の2倍以上の選挙区が28に及び,その合計人口は4107万人余で,総人口の約33%に当たる。これだけの人口が,東京都選挙区との比較でいえば,1人で実質2票以上を与えられていることになるのである。したがって,本件定数配分規定は,憲法の要求である平等選挙の原則に大きく違背し、憲法に違反するものといわざるを得ない。
[5] 本件定数配分規定における上記の人口較差は,選挙区選出議員の定数146人につき,各都道府県の区域を1選挙区とした上で各選挙区にまず2人の定数を配分したことに主として起因し,残りの定数52人の配分も必ずしも人口比例になっていないことが加わったことによるものである。
[6] 各都道府県の区域を1選挙区とした上で各選挙区に最低2人の定数を配分した立法目的は,参議院議員は3年ごとに議員の半数を改選するという憲法46条の規定を背景として,改選ごとに各都道府県から必ず議員が選出されるようにすることにあり,一応の正当性を肯定することができる。しかしながら,改選ごとに各都道府県から必ず議員が選出されるようにするということは,憲法上の要請ではない。一方,1人1票の平等選挙の原則は,民主主義の根幹をなすものであって,憲法上の要請である。上記立法目的を達成するために,憲法上の要請である平等選挙の原則を大きく犠牲にして,特定の地域に居住する者に実質2票以上の複数投票を認めることが許されるものではない。上記のような立法目的は,少なくとも人口較差が1対2以上に広がらない限度の中での実現が許容されるにとどまるというべきである。本件定数配分規定は,最大較差がほぼ1対5にも達しており,これを合理的なものとは到底いうことができない。
[7] この点について,衆議院議員の定数配分は人口比例によるべきであるとしつつ,参議院の場合は,衆議院とは性格を異にするから,人口比例の原則を相当程度後退させることになっても,議員に各都道府県代表の性格を持たせ,そのために各都道府県に最低2人の定数を配分することが許されるという議論がある。確かに,両院議員の選挙が同じ仕組みである必要はない。両院議員選挙にそれぞれの特色を持たせ,2つの選挙を通じて公正かつ効果的な代表の選出を実現することは望ましいことであって,参議院議員選挙制度の適否も,衆議院議員のそれとの相関関係において決まる面があるということはできよう。しかし,参議院議員も「全国民を代表する選挙された議員」(憲法43条1項)であり,平等選挙の原則は参議院議員の選挙にも貫かれるべきものである。特定の選挙区に居住する選挙人に対し実質的に複数投票を認めるに等しいまでに平等原則を後退させて,参議院議員に各都道府県代表の性格を持たせることは許されないのである。その上,衆議院議員選挙区画定審議会設置法3条2項は,衆議院小選挙区選出議員の選挙区の画定について,各都道府県の区域内の選挙区の数は,各都道府県にまず1を配分した上,これに,同議員の定数から都道府県の数を控除した数を人口に比例して各都道府県に配当した数を加えた数とするとしている。すなわち,法は,衆議院小選挙区選出議員の選挙についても人口比例の原則をある程度後退させ,同議員に各都道府県代表的な性格を与えているのである。そうすると,衆議院議員について人口比例の原則で定数配分が定められているから,参議院議員の場合は人口比例の原則を相当程度後退させることも許されるという議論は,前提を欠くことになるのである。
[8] また,参議院の特殊性を強調し,両院の中で衆議院に権限の優越性が認められ,衆議院が議案の最終的な決定権を持っているから,その衆議院の議員定数配分が人口に比例して行われている限り,参議院については人口比例の原則を相当程度緩和しても,国民の意思に従った政治が行われ,民主主義のシステムとして許されるという議論がある。確かに,憲法は,予算の議決,条約の承認,内閣総理大臣の指名について,衆議院の参議院に対する絶対的な優越を定め,内閣不信任の決議も衆議院にのみ認めている。しかし,国会の最も日常的な活動である法律案の議決に関しては,「衆議院で可決し,参議院でこれと異なった議決をした法律案は,衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは,法律となる。」(59条2項)と規定するにとどまるのである。参議院で否決した法律案を衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で可決するということは,実際問題として容易なことではないから,法律案の議決に関しては,参議院は衆議院とほぼ等しい権限を有しているということができるのである。このことは,内閣総理大臣の指名にも事実上大きな影響を与える。我が国憲法の採用する議院内閣制の下では,内閣総理大臣の指名は,国会の有する最も重要な権限の一つである。内閣総理大臣の指名について衆議院が絶対的な優越権を有するとはいえ,法律案の議決を考慮し,参議院でも過半数を制する安定基盤の形成を目指した内閣総理大臣の指名が行われるのである。予算についても,その相当部分は法律案の議決を伴わなければ執行することができない。こう見てくると,参議院は,衆議院にほぼ等しい権限を与えられているといっても,過言ではないのである。そうすると,国民は,参議院議員の選出についても,基本的に平等な選挙権を与えられなければならず,参議院議員は,全国民を代表する存在でなければならないのである。仮に,法律案の議決についても,衆議院に絶対的な優越権を認めた上で,参議院を衆議院の行過ぎや偏りを抑止するための慎重審議の場,修正案提議の場にとどめるのであれば,参議院議員の選出について人口比例の原則をある程度後退させ,各都道府県代表の性格を強く持たせるということも考えられないではないが,現在の参議院の有する権限を考慮すると,それは許されないと考える。
[9] なお,各選挙区に2人ずつを配分した残りの52人の定数配分は,参議院発足当初は人口に比例していたが,その後の選挙区間の人口移動に伴って人口に比例しなくなったものにすぎず,人口比との乖離に特段の立法目的があるわけではないから,その合理性を検討する余地はない。ちなみに,この52人を当初のとおりに人口に比例して配分するよう是正するだけでも,選挙区選出議員の過半数74人を選出することが可能な人口が総人口の約46%に当たる5756万人余(本件定数配分規定の下では前記のとおり約35%に当たる4427万人余)となり,この場合に議員1人当たりの人口が最多となる茨城県選挙区を基準としてみても,投票価値が茨城県選挙区の2倍以上の選挙区が19,その合計人口が2032万人余,総人口の約16%(本件定数配分規定の下では前記のとおり28選挙区,その合計人口が4107万人余,総人口の約33%)となり,較差・不均衡が相当程度改善されるのである。
[10] ところで,憲法14条1項の平等原則の解釈について,人種,信条,性別など同項後段所定の事由による差別的取扱いの合憲性の判断には厳格な審査基準が適用されるべきであるが,住所地を異にすることによる投票価値の較差は,同項後段所定の事由に基づくものではないから,当該立法に対しては合憲性の推定が働き,国会の裁量権の範囲が広く認められるので,当該立法が合理性を欠く恣意的な差別をする場合に初めて違憲となるとの見解がある。しかし,差別の対象となる国民の権利・利益が民主主義社会における基本的な権利・利益である場合は,差別が憲法14条1項後段所定の事由によるものであるか否かにかかわらず,その合理性の判断について厳格な基準を適用すべきであって,立法の目的の重要性を厳格に解し,その手段が実質的相当性を有するか否かを厳格に問う必要があり,国会に広範な裁量を認めるべきではない。選挙権は,表現の自由等と並んで民主主義社会を支える基本的な権利である。その差別的な取扱いに国会の広範な裁量を認めては,民主主義の基盤が揺るぐことになるのである。また,憲法47条は,「選挙区,投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は,法律でこれを定める。」と規定しているが,議員定数の配分を含む選挙に関する事項につき,それがすべて憲法上の要請に沿うべきものであることを当然の前提として,その具体化は政令・省令等でなく法律によるべきであるという,選挙事項法律主義の原則を示したものにすぎず,この規定を根拠に国会の広範な裁量権を導くことは許されない。
[11] そして,本件においては,本件選挙を規制した公職選挙法の本件定数配分規定自体の合憲性を審査すべきであり,本件定数配分規定の内容が憲法の前掲各規定に違反し,現に国民の権利を制限するものである以上,裁判所はこれを違憲と判断すべきものであり,過去の改正経過等に照らしてこれを合憲とし,あるいは違憲とすべき理由はない。公職選挙法の一部を改正する法律(平成12年法律第118号)は,鹿児島県選挙区等の定数を減員していわゆる逆転現象の解消を図ったが,先に述べたような投票価値の不平等については,これを放置していたものであり,この改正において逆転現象の解消に向けた国会の努力の一端がうかがわれるからといって,そのことから本件定数配分規定を合憲とすべき理由を見いだすことは困難である。
[12] 民主主義国家にあっては,司法は,国民の代表たる議会の行った立法の相当性に立ち入って審査すべきではなく,また,違憲判断も慎重であるべきである。立法が賢明であるか否かは,国民が投票所における投票によって審査すべきことであり,不賢明な立法の是正は,投票と民主政の過程にゆだねるべきである。しかし,それは,選挙制度を中心とする民主主義のシステムが正常に機能し,全国民が投票所で正当に意思を表明することができ,その意思が議会に正当に反映される仕組みになっているということが前提となっている。選挙制度が国民の声を議会に届けるシステムとして正当に構築され,議会が国民代表機関として正当に構成されているということが大前提となって,議会には広範な立法裁量権が与えられ,その裁量権行使の是非の審査は投票と民主政の過程にゆだねるということができるのである。選挙制度の構築,特に投票価値についてまで議会が広範な裁量権を有することになっては,議会に対する立法裁量付与の大前提が崩れることになるのである。本件の東京都選挙区の選挙人の立場に即していえば,立法裁量論に依拠する場合,他の地域の選挙人に比して低い投票価値しか与えられていないことの是正を,低い投票価値の故にその声が一部しか反映されることのない国会の広範な裁量にゆだねなければならないことになるが,それが不合理であることは明らかというべきであろう。民主主義のシステムが正常に機能しているかどうか,国民の意思を正確に議会に届ける流れの中に障害物がないかどうかを審査し,システムの中の障害物を取り除くことは,司法の役割である。議員定数配分の問題は,司法が憲法理念に照らして厳格に審査することが必要であると考える。
[13] 私は,本件においては,原判決を変更し,事情判決の法理により上告人らの請求を棄却するとともに,主文において本件選挙が違法である旨の宣言をするのが相当であると考える。
[1] 以上の次第で,当裁判所の判断は第3の1のとおりである。
[2] よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 町田顯  裁判官 福田博  裁判官 金谷利廣  裁判官 北川弘治  裁判官 亀山継夫  裁判官 梶谷玄  裁判官 深澤武久  裁判官 濱田邦夫  裁判官 横尾和子  裁判官 上田豊三  裁判官 滝井繁男  裁判官 藤田宙靖  裁判官 甲斐中辰夫  裁判官 泉徳治  裁判官 島田仁郎)

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