個人タクシー事件
控訴審判決

行政処分取消請求控訴事件
東京高等裁判所 昭和38年(ネ)第2341号
昭和40年9月16日 判決

控訴人 (被告) 東京陸運局長
被控訴人(原告) 川上忠弘

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人の負担とする。


 控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。
 当事者双方の事実上の主張は、すべて原判決事実摘示と同一であるからこれをこゝに引用する。

(証拠省略)


[1]一、控訴人がその管轄区域内のタクシー営業免許について運輸大臣から権限の委任をうけていること、被控訴人が昭和34年8月6日東京都知事を経て控訴人に対し、道路運送法第3条第2項第3号の一般乗用旅客自動車運送事業(1人1車制の個人タクシー事業)の免許の申請をしたところ、控訴人は同月8日これを受理し、同月27日申請事案を公示し、昭和35年2月12日被控訴人の聴聞を実施した上、同年7月2日付で前同法第6条第1項第3号の「当該事業の遂行上適切な計画を有するものであること」、第4号の「当該事業を自ら適格に遂行するに足る能力を有するものであること」および第5号の「その他当該事業の開始が公益上必要であり、且つ適切なものであること」の各条項に適合しないことを理由として、被控訴人の申請を却下したこと、被控訴人は同年8月29日運輸大臣に訴願したが、3ケ月以上を経過した現在なおその裁決がないこと、はいずれも当事者間に争いがない。

[2]二、先ず被控訴人は、個人タクシー事業の免許の審査手続にあつては、公正の原則と事実認定における独断の排除ということが重視されるべきであり、そのためには所轄官庁である控訴人としては、予め法の趣旨を具体化した具体的審査基準を確立した上、その内容を申請人に告知すると共にこれを一般に公表することによつて手続の公明を担保すべきものでなければならないところ、控訴人の本件審査にあつては、その開始前に右のような基準が確立されておらず、手続の全過程を通じていかなる審査基準によつて判定をうけるかを被控訴人に知らされたことはなく、基準が公開された事実もないから、控訴人の審査手続は既にこの点において違法というべきであると主張する。
[3] 道路運送法は、自動車運送事業の免許申請の許否を決定する手続については、特定の場合に聴聞を実施すべきことを要求している(第122条の2)外は何等の定めをしていないので、右聴聞・審査・判定の手続・方法等については一応行政庁の裁量に任せているものと解するの外はないが、このことは行政庁の裁量権に何等の限界ないし制限がないことを意味するものではなく、行政庁が不公正な、事実の認定につきその独断を疑うことが客観的にもつともであると認められるような手続をとる自由を有しないことは云うまでもないところである。しかして個人タクシー事業の免許の許否は、憲法の保障する基本的人権の一である職業選択の自由の規制に関するものであるから、多数の申請人の中から少数特定の者を選択してその許否を決定すべき衝にあたる行政庁としては、手続の公正を期し、事実認定の面における独断を排除せんとするためには、その許否を決定する前提となる聴聞、審査を実施するにあたつて、最少限予め前同法第6条第1項各号の趣旨を具体化した審査基準をもうけ、聴聞を担当する係官が右基準の内容並びに右基準を適用する上で必要とされる事項を十分理解した上で聴聞を行い、事実を認定することを要請されるものというべきである。蓋し聴聞担当官としては、一定の調査事項について聴聞を実施するわけであるが、こゝにいう調査事項は必然的に審査基準と関連をもつものであるから、担当官において右審査基準の内容並びに右基準の適用上必要とされる事項を十分理解しているのでなければ、被聴問者に対し意見を述べ及び証拠を提出する機会が与えられなければならない(前同法第122条の2第3項)とする法の趣旨に沿つた聴問を期待することはできないのであり、かかる聴問を前提とする審査手続は全体として不公正な、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことが客観的にもつともであると認められるような手続であると解せられるからである。なお右審査基準を申請人に告知し、且つこれを一般に公表することの要否については(本件で控訴人が申請人にこれを告知し、一般に公表しなかつたことは控訴人の認めて争わないところである)成程行政庁が審査基準の内容を告知し、一般にこれを公表することが、行政庁の審査手続の公正を期するために望ましいことは否定し難いけれども、そもそも右基準の内容を申請人に告知するということは、申請人をして審査のための必要事項について主張と立証を促すためのものであるから、かりに申請人が基準の内容そのものを知らなかつたとしても、行政庁において基準を適用するについて必要とされる事項を申請人に告知し、それについての主張と立証の機会を付与することによつて十分その目的を達することができるから、基準の内容そのものを申請人に告知すべき必要ないし実益はないものというべきであり、また基準の内容を公表することについては、これを一般に公開することが申請人や利害関係人の権利の保護に直接役立つとは考えられないし、その必要性も認められないので、結局行政庁が予め具体的な審査基準をもうけている限り、基準の内容そのものを申請人に告知し、且つこれを一般に公表することを要求するのは当らないというべきである。
[4] そこで本件にあつては控訴人が個人タクシー事業の免許の許否を決定するについて、予め具体的審査基準というものが設定されていたかどうか、また聴聞は如何にして実施され、審査、判定はどのようにして行われたかを検討する。
[5] 成立に争いのない乙第2号証、第5、第6号証、原審証人荻原治、小泉政美の各証言と弁論の全趣旨を総合すると、
[6](一) 控訴人は昭和34年8月11日自動車運送協議会の答申を経て、当面の輸送需要を充たすために一般乗用自動車2,800輌の増車を決定してその旨を公示し、このうちで個人タクシーのための割当数を983輌と定め、この割当数に対応するものとして同年9月10日までに6,630件の個人タクシー事業の免許申請を受理したこと。
[7](二) 控訴人は右申請を受理した後、自動車部旅客課第2課において申請人の聴聞を実施するに先立ち、課長はじめ約10名の係長が協議して、聴聞による調査結果に基き免許の許否を決定するための審査基準として、原判決添付別表の審査基準欄記載のような基準事項を設定し(昭和34年11月末頃までは未だ別表のような文書としては完成されていなかつた)、これによつて免許の許否を決定することゝし、右基準事項に基いて聴聞概要書調査書と題する書面(乙第2号証、以下聴聞書という。この書面の「項目」および「聴聞内容」欄の記載は、前記別表中調査事項の「項目」および「内容」欄に掲げた事項とほゞ同一であつて、聴聞書には別表の17項目以外に「申請事由」と「事業種別」の2項目が加わつていたことおよび別表中6の「内容」欄に記載してある「他業関係」というのが掲げられていなかつたことが異なるだけである)を作成し、聴聞を担当する係官約20名は各申請人について聴聞書の各項目毎に聴聞を行い、その結果を記入することゝしたこと。
[8](三) 控訴人は、旅客課第2課々員において昭和34年9月中旬頃以降同35年3月までの間各申請人について聴聞を実施したが、右聴聞手続と並行して差し迫つた年末の輸送事情を緩和するために、昭和34年12月2日第1次分として、個人タクシー事業の免許申請中、「優マーク」、「経験年数10年以上」、「年令40才以上」の基準に該当するものゝうち免許をすることに全く問題がないと思われる者173名について免許をしたこと。
[9](四) 被控訴人は昭和35年2月12日係官荻原治から聴聞をうけたのであるが、控訴人の旅客課第2課では前記基準事項の協議に参画した約10名の者が聴聞の結果につき右基準を適用して審査(第1次審査基準によつて篩にかけたものを更に第2次審査基準によつて篩にかけるという方法)した末、同年7月2日第2次分として611名につき免許をしたが、被控訴人については前記別表の第1次審査基準のうち6の「本人が他業を自営している場合には転業が困難なものでないこと」および7の「運転歴7年以上のもの」に該当しないとして、そのことから道路運送法第6条第1項第3ないし第5号の要件を充たさないものと認められ、同日付で被控訴人の申請が却下されたこと。
[10](五) ところで前記聴聞を担当した係官は、前記基準事項の協議に関与した7、8名の係長を除いては、基準事項の存在すら知らず、聴聞開始前に上司である所属課長から聴聞書の「項目」および「聴聞内容」について説明をうけたゞけで、右基準事項については何等これを知らされることなく、被控訴人の聴聞を担当した荻原治にあつても例外たり得ず、被控訴人の申請却下の理由となつた他業関係(転業の難易)および運転歴(原審証人小泉政美の証言によれば、こゝに運転歴という中には、軍隊における運転経験をも含むものと解せられていたことが認められる)に関しても格別の指示はなされず、従つて右荻原としては、被控訴人が洋品店を廃業してタクシー事業に専念する意思であるかどうか、被控訴人は軍隊において運転経験を有するかどうか等の点について思い至らず、これらの点を判断するについて必要な事実については何等聴聞が行われなかつたこと。
[11] 以上の事実を認めることができる。原審証人小泉政美の証言中には一部右認定に反する部分があるけれども措信し難く、他にこの認定を左右するに足る資料はない。
[12] 右認定事実によると、控訴人は本件個人タクシー事業の免許を審査するにあたり、聴聞担当官が申請人の聴聞を行うに先立ち、旅客課第2課において内部的に具体的審査基準を設け(未だ前記別表のような文書としての体裁をとゝのえていなかつたが)、右基準に則つて作成された前記聴聞書の各項目毎に担当官が聴聞を行つたことは明らかであり、被控訴人が主張するように控訴人の審査開始前に審査基準が確立していなかつたとの非難は当らないというべく、また右基準の内容を被控訴人に告知し、或いはこれを一般に公表すべきであるとする被控訴人の主張の当らないことはさきに説明したところにより明らかであろう。しかしながら、さきにも述べた通り、本件審査手続が公正なものであるというためには控訴人が予め審査基準を設けていたということの外に、聴聞担当官がその聴問を実施するに当り右審査基準の内容並びにその基準を適用するについて必要とされる事項がどのようなものであるかを十分に理解していることを要すると解せられるところ、前記認定事実によれば、被控訴人に対する聴問を実施した荻原治をはじめ聴聞担当官の半数以上の者が右基準の存在すら知らず、聴聞に先立つて所属課長から聴聞に関する一通りの指示説明がなされたにとゞまり、聴聞書の聴聞内容にある運転経験という中に軍隊における運転経験が含まれるか否かについても何らの説明がなく、また申請人が他業を自営している場合には転業の意思の有無および転業が困難でないかどうか等の点についてしらべるようにとの指示もしなかつたゝめ、右荻原としてもかような点について殊更に意を用いることがなく、従つて前記基準を適用するために当然必要とされる事項についての聴聞が行われなかつたのであつて、結局控訴人が被控訴人の免許申請の許否を決定するについて行つた本件審査手続は、公正な、事実の認定につき行政庁の独断を疑うことはいわれがないと認められるような手続には当らないというべきである。そして、被控訴人の運転歴が軍隊におけるそれを斟酌すると7年以上となることは後記の通りであり、また転業の難易についても被控訴人の意思その他の客観的事情を斟酌するならば、控訴人がさきになした判断と異る判断に到達する可能性もあつたことは原審における被控訴人等間の結果からもこれを窺い得ないわけではないのに、右のような不公正な手続に基づき前記の如き理由の下に被控訴人の本件申請を却下した処分は、公正な手続によつて判定をうけるべき被控訴人の法的利益を侵害したことに帰着し、この点において右処分は違法として取消を免れないものといわなければならない。

[13]三、なお被控訴人は控訴人の本件審査に関し、控訴人が被控訴人の運転歴および転業の難易について事実を誤認したと主張し、控訴人はこれを争うので、この点について検討する。先ず運転歴の点について、こゝに運転歴という中には軍隊における運転経験が含まれると解せられていたにも拘らず、聴聞担当官にそのことが周知徹底していなかつたゝめに、被控訴人の軍隊における運転経験についての聴聞が行われなかつたことはさきに認定したとおりである。この点について、原審における被控訴人本人の供述によると、被控訴人は昭和13年4月から昭和20年8月までの間3回にわたつて応召して、軍隊生活6年に及んだが、その間自動車部隊で約5年間の運転経験を有していたものと認められるところ、被控訴人は右供述中において、聴聞のとき担当官に対し軍服姿の写真(甲第5号証)を示してその運転経験について縷々説明したというのであるが、一方原審証人荻原治の証言では、聴聞担当官としてかゝる事実については記憶がないという。たゞ成立に争いのない乙第9号証の1ないし3および原審における被控訴人本人の供述によれば、被控訴人に対する聴聞の約半月前である昭和35年1月26日付の主要新聞紙上に、個人タクシーの営業は原則として40才以上で10年以上の運転経験を有するものを優先的に取扱う旨の記事が掲載され、聴聞前に被控訴人がそのことを了知していたことが認められるところ、前記荻原が記入した聴聞書(乙第2号証)および被控訴人自身の記入にかゝる職歴記入書(乙第3号証、自動車関係の職歴を詳しく書くようになつている)には、いずれも被控訴人の軍隊における運転経験については何等の記載がないことからすれば、かりに右職歴記入書に関し原審で被控訴人本人が供述しているように、被控訴人としては軍隊における運転経験は職歴の中に入らないと判断したがために記入しなかつたというのが真実であつたにせよ、被控訴人が聴問担当官であつた荻原に対し軍隊における運転経歴を説明した旨の前掲供述部分は必ずしも措信し難いというべきである。してみると右荻原が被控訴人の軍隊における運転経歴につき、被控訴人の説明にも拘らず殊更にこれを無視したとは認め難いけれども、そのことは、控訴人がさきに述べた通り、審査基準の適用上運転歴の中には軍隊における運転経歴も含まれる旨を聴聞担当官である荻原に周知徹底せしめなかつた為に同人はその点についての聴問を全く行なかなかつた点において本件審査手続が不公正なものであるとする前記の判断を左右するものではない。
[14] 次に被控訴人の昭和34年度における洋品店経営による収益の点について、成立に争いのない甲第3、4号証および原審における被控訴人本人の供述によれば、被控訴人の品川税務署長に対する申告では、年間の売買差益金は金82万1445円であり、これから必要諸経費を控除した純益は金37万6069円(税務署の査定では金39万9514円となつている)であつたにもかゝわらず、前記聴聞書(乙第2号証)には年間純益として金82万1445円と記入されたことが明らかであり(甲第1号証によれば、被控訴人の個人タクシー事業経営による年間の予想純益は金73万3674円であるから、現在の洋品店経営による年間純益が金82万1445円であるとすれば、個人タクシー事業を経営する必要度はむしろ低いものと判断されるであろうことは容易に推察されるところである)、しかしてこの点に関して原審における被控訴人本人の供述によれば、被控訴人は前記聴聞の際担当係官である荻原に対して青色申告決算書(甲第4号証)を示したところ、荻原は被控訴人に何等の質疑を発することなく、右決算書に基き、聴聞書に年間益金として金82万1445円と記入したというのであるが、原審証人荻原治の証言はその点を否定し、右は被控訴人の述べるところを記入したものであるという。しかしながら、申請人の現在の職業による収益の点について、税務専門家でない本件聴聞担当官が、本人の言分を全然きかず、前記決算書のみに基づいて聴聞書に記入するということは通常考えられないところであるばかりでなく、他方原審における被控訴人本人の供述によれば、被控訴人が聴聞をうけるに際し、納税証明書(甲第3号証)および前記青色申告決算書を持参したのは、個人タクシー事業の免許をうけるについて、自動車購入等の資力が十分であることを示すためであつたというのであつて、そのことからすると、前記年間益金が金82万1445円として聴聞書に記入されたのは、むしろ被控訴人自身の口述によるものではないかと考えられるふしもあつて、前記荻原が被控訴人の洋品店経営による収益の点についてなんらの発問をしなかつたとの被控訴人本人の前記供述部分はそのまゝこれを措信することができず、そうすると被控訴人の転業の必要性に関連をもつ洋品店経営による収益の点につき、聴問書に右の如く記入した荻原の措置自体を非難するのは相当ではない。しかしながら被控訴人の転業の難易を判断するためには、右洋品店経営による利益の外被控訴人の転業の意思その他転業を困難ならしめるような事情の有無を斟酌すべきことは当然であると考えられるのに、控訴人は、さきに述べた通り、聴聞担当官の荻原に対し特段の指示をすることなく、ために荻原としてもこれらの事実の調査に格別の意を用うることがなかつた点において本件審査手続は不公正な手続であることを免れないのであつて、右荻原の聴問書の記入自体が非難に値しないとしても、そのことは本件審査手続を不公正であるとする右の判断を妨げるものではない。

[15]四、以上の次第で、控訴人が被控訴人の本件申請を却下した処分は、公正な手続によつて判定をうけるべき被控訴人の法的利益を侵害したという点において違法として取消を免れないものというべく、これと同旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。
[16] よつて民事訴訟法第384条、第95条、第89条を適用して主文のとおり判決する。

  裁判官 岸上康夫 室伏壮一郎 斎藤次郎

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