帆足計事件
控訴審判決

損害賠償並びに慰藉料請求控訴事件
東京高等裁判所 昭和28年(ネ)第1419号
昭和29年9月15日 判決

控訴人 (原告) 帆足計 外1名
被控訴人(被告) 国

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。
 控訴費用は控訴人らの負担とする。


 控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人両名に対しそれぞれ金50万円及びこれに対する昭和27年5月22日から完済まで年5分の割合の金員を支払え。訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

 当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、「控訴人らは、それぞれ被控訴人に対し、損害賠償として金25万円、慰藉料として金25万円、合計50万円づつの支払を求める。」と述べた外、原判決事実摘示記載のとおりであるからここにこれを引用する。

(立証省略)


[1] 控訴人両名が昭和27年2月25日東京都知事を経て外務大臣に対しモスコーで開催される国際経済会議参加のため旅券の発給を申請したところ、外務大臣は、控訴人らに対し、昭和27年3月15日附通知書を以て「旅券法第19条第1項第4号の趣旨に鑑み旅券の発給を行わないことに決定した」旨通知し、更に同月19日附書面を以て「右3月15日附通知書は事務上の手違によりその内容に脱字があつた」として「旅券法第19条第1項第4号及び同法第13条第1項第5号の趣旨に鑑み、旅券の発給を行わないことに決定した」旨通知し、旅券の発給を拒否したことは、当事者間に争のないところである。

[2] 控訴人らは、外務大臣のなした右旅券発給拒否処分は違法の処分であると主張するので、以下この点について判断する。

[3] 被控訴人は、右旅券発給拒否処分の理由として、本件は旅券法第13条第1項第5号、第19条第1項第4号に該当すると主張するので、まず本件が旅券法第13条第1項第5号に該当するか否かにつき考えるに、成立に争のない乙第1号証及び原審証人松尾隆男(第1回)、佐藤達夫の各証言を綜合すれば、当時外務大臣は、本件渡航の目的であるモスコーで開催せられる国際経済会議は、朝鮮動乱における国際共産主義の武力行使を抑制するために国際連合側が採つている措置が東西の物資交流の円滑を欠くに至つた大きな要素であるにもかかわらず、この事情を無視して、物資交流の不円滑が単に経済関係のみに基くものの如く装い自由主義国家間の不和と分裂とをもたらそうとするにあり、従つて個人の資格とはいえ右のような会議に参加することを許容することは、当時既に締結せられ、国会の批准を経ていた平和条約並びに米国との間の安全保障条約において自由主義国家群と友好関係を促進し、国の安全については主として米国の軍事力に頼ることとした日本国の方針に背くものであり、一方ソ連は日本国との平和条約に調印せず、終戦当時よりの抑留者30万の外、終戦後時々拿捕した多数の漁船及び漁夫を引きつづき抑留し、連合国総司令官を通ずる我が方の問合ないしは釈放方懇請に対して何らの回答をなさないのにもかかわらず、今これらの重大問題を放置して、モスコー国際経済会議に日本人が参加することを認めることは、我が国にとつて最も重大な懸案をこの際放置するかの感を与え、今後の交渉に多大の支障を与えるものと考えて、本件旅券交付申請は旅券法第13条第1項第5号にあたるものと決定したことが認められる。しかして右判断の前提となつた我が国の外交殊に日ソ間の国交に関する事実関係は、公知の事実であり、モスコー国際経済会議の性格についてアメリカ労働総同盟(A・F・L)が右判断と同様なきびしい批判をなし、これが右判断に反映していることは前記乙第1号証によつて認められるところである。しかのみならず、原審証人村田省蔵の証言によれば、当時は平和条約の発効前であつて、我が国はなお占領治下にあり、事国際問題に関しては連合国総司令部ないしは米国の意向を尊重するの已むなき状況にあり、しかも当時総司令部は本件旅券発給に関し反対の意向を有しているものと思われたので、外務大臣は、この関係においても本件につき旅券を発給することをちゆうちよせざるを得ない状況にあつたことが認められる。もつとも原審における原告(控訴人)両名各尋問の結果によれば、控訴人らは、当時国会の渉外局を通じ連合国総司令部外交局に対しモスコー国際経済会議に出席することにつき意見を求めたところ、「占領治下ではあるが、旅券関係については昭和26年6月から日本政府に権限が移してあるから、右会議については行けとも行くなとも言えない。全く日本政府の自主的決定に任せる」旨の回答のあつた事実を認めることができるけれども、それだからといつて外務大臣が総司令部の意向を無視して自主的に決定できる状況にあつたと認定するのはいささか無理であろう。
[4] 海外渡航の自由が憲法第22条によつて保障された基本的人権の一であることは、控訴人ら主張のとおりである。しかし右保障は公共の福祉に反しないことを要件としていることもまた同条の明言しているところである。しかして海外渡航後において著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うことは公共の福祉に反することが明瞭であるからかかる行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者に対しその渡航を制限するため一般旅券の発給または渡航先の追加をしないことを規定した旅券法第13条第1項第5号の規定は、これを違憲立法と目すべきでない。しかしながら、これが適用に当つては慎重に判断することを要すべく、渡航者個人に対する好悪やその所属政党のいかんによつて適用を二三にしたり、単に渡航先が好ましくないとの理由だけを以て旅券の発給を拒否するが如きは許されないところであり、又厳にいましむべきところであろう。
[5] そこで本件において前示外務大臣の判断は果して正当であつたのであろうか、又そのなした旅券発給拒否処分は適法として許されるのであろうか。固より旅券法第13条第1項第5号にいわゆる「者」とは渡航者をさすのであり、従つて著しく且つ直接に日本国の利益または公益を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由の有無は渡航者その者について判定すべきであることはいうまでもない。そして控訴人らがモスコー国際経済会議に参加することは国益増進に寄与するところが多いという考から本件旅券申請に及んだことは、原審における原告(控訴人)ら本人尋問の結果により明らかであり、固より疑うべきふしはないであろう。しかるに外務大臣は控訴人らの右主観的意図いかんにかかわらず、右会議の性格と我が国の当面せる国際情勢から控訴人らが右会議に参加すること自体が著しく且つ直接に日本国の利益または公益を害するおそれがあると認定したのであるが、それは結局渡航者その者について認定したことになるので、この点について渡航者その者について認定していないと批難することは当らないであろう。要は矢張右外務大臣の判断の当否いかんに帰着する訳である。そして右判断に基く処分の当否いかんは結局裁判所の判定すべき事項ではあるが、裁判所の判断の対象は右処分の適法なりや違法なりやにあるのであつて、妥当なりや不当なりやにあるのではない。モスコー国際経済会議に参加することが我が国にとつて利益であるか不利益であるかは人によつてその所見を異にすることもあるべく、我が国著名の財界人において右会議に参加することは我が国にとつて利益であるとの見解をとつていた者のあつたことは、原審証人村田省蔵の証言、その他成立に争ない甲第3号証の2ないし4によつてもうかがわれるところである。仮に裁判所が右見解に同調したとしても、それは当不当の問題であつて、それがため直ちに外務大臣の本件旅券発給拒否処分を違法となすべきでなく、外務大臣が恣意に基いて旅券発給を拒否した場合は格別、自己の識見信念に基いてなした場合は、その判断の前提たるべき事実の認識についてさしたる誤りなく、又その結論にいたる推理の過程において著しい不合理のない限り、裁判所としてもその判断を尊重すべく、裁判所の判断の限界はここに一線を劃すべきである。裁判所は、当不当の故を以て外務大臣のその責任においてなした権限行使に無用な干渉を加うべきでない。しかして本件において旅券発給拒否処分が外務大臣の恣意に基いてなされたと認むべき証拠は一もなく、前段認定にかかる拒否の理由とその基礎となつた外務大臣の判断並びに右判断に供せられた事実の認識と推理の過程を仔細に検討するときは、当時我が国の当面した国際情勢の認識についてさしたる誤りなく、占領下かかる情勢の下において控訴人らがとかくの批判あるモスコー国際経済会議に参加することは著しく且つ直接に日本国の利益または公益を害する虞があるものと判断したことは、まことに無理からぬところであつて、すなわちかく判断するにつき相当の理由があるものというべく、外務大臣が本件を旅券法第13条第1項第5号に該当するものとなしたことについては、何ら違法の点はない。

[6] 次に被控訴人が右旅券発給拒否処分の理由として主張するところは、旅券法第19条第1項第4号の規定であり、右規定は旅券の返納を命ずることを得る場合を規定したものではあるけれども、未だ旅券交付に先き立ち「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」は、旅券発給拒否処分をなすことを得るものと解すべきは、前記法条の精神に合する解釈と言うべきである。しかしながら、本件の場合は、ソ連邦はその出先機関である対日理事会ソ連邦代表部を通じ控訴人らの生命並びに安全を保証したことは、成立に争のない乙第2号証の1、2及び当裁判所の真正に成立したと認める甲第5号証の1、2によつて認められ、かつ原審証人松尾隆男の証言(第1回)によれば、右書面は外務省渡航課長に示され、外務大臣において了知していたものと認められるから、旅券法第19条第1項第4号に基いて控訴人らの本件旅券申請を拒否することは相当でない。

[7] このように、外務大臣が本件旅券発給拒否処分の理由としたところは一部理由があり一部理由がないのであるが、一部にしても理由がある以上結局拒否処分は正当であつたというのほかなく、右処分の違法であることを前提とする控訴人らの本訴請求は既にこの点において失当といわなければならぬ。しかのみならず外務大臣は、前示のとおり自己の恣意に基いて本件拒否処分をなしたのでなく、その識見信念に基き自己の責任において拒否するのが正当と判断して拒否処分をなしたものと認められる以上、右判断の結果がかりに誤つていたとしても、国家賠償法第1条第1項にいわゆる故意過失あるものということができず、右法条に基く控訴人らの本訴請求は、この点よりするも失当といわなければならぬ。

[8] よつて、控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものである。よつて控訴費用の負担につき民事訴訟法第819条、第93条、第95条を適用し、主文のとおり判決する。

  (裁判官 大江保直 岡咲恕一 猪俣幸一)

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