旭川学力テスト事件
上告審判決

建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
最高裁判所 昭和43年(あ)第1614号
昭和51年5月21日 大法廷 判決

上告申立人 被告人ら・検察官

被告人 佐藤彰 外3名
弁護人 尾山宏 外410名

検察官 長島敦 外4名

■ 主 文
■ 理 由

■ 検察官の上告趣意
■ 弁護人森川金寿、同南山富吉、同尾山宏、同彦坂敏尚、同上条貞夫、同手塚八郎、同新井章、同高橋清一、同川島基道の上告趣意
■ 検察官の弁論要旨
■ 弁護人弁論要旨(昭和43年(あ)第1614号事件、昭和44年(あ)第1275号事件共通)
■ 弁護人弁論要旨


 原判決及び第一審判決中被告人松橋武男、同浜埜登及び同外崎清三に関する部分を破棄する。
 被告人松橋武男を懲役3月に、被告人浜埜登を懲役1月に、被告人外崎清三を懲役2月に、処する。
 被告人松橋武男、同浜埜登及び同外崎清三に対し、この裁判確定の日から1年間、その刑の執行を猶予する。
 第一審及び原審における訴訟費用の負担を別紙のとおり定める。
 被告人佐藤彰の本件上告を棄却する。

[1] 本件公訴事実の要旨は、
 被告人らは、いずれも、昭和36年10月26日旭川市立永山中学校において実施予定の全国中学校一せい学力調査を阻止する目的をもつて、当日、他の数十名の説得隊員とともに、同校に赴いた者であるところ、
第一 被告人佐藤彰、同松橋武男、同浜埜登は、前記説得隊員と共謀のうえ、同校校長斎藤吉春の制止にもかかわらず、強いて同校校舎内に侵入し、その後、同校長より更に強く退去の要求を受けたにもかかわらず、同校舎内から退去せず、
第二 同校長が同校第2学年教室において右学力調査を開始するや、
(一) 被告人佐藤は、約10名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査立会人として旭川市教育委員会から派遣された同委員会事務局職員藤川重人が右学力調査の立会に赴くため同校長室を出ようとしたのに対し、共同して同人に暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害し、
(二) 被告人浜埜は、右学力調査補助者横倉勝雄に対し暴行を加え、
(三) 被告人松橋、同浜埜、同外崎清三は、外3、40名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査を実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、共同して暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害し
たものである。
というものであつて、第一の事実につき建造物侵入罪、第二の(一)及び(三)の事実につき公務執行妨害罪、第二の(二)の事実につき暴行罪に該当するとして、起訴されたものである。
[2] 第一審判決は、右公訴事実第一の建造物侵入の事実については、ほぼ公訴事実に沿う事実を認定して被告人佐藤、同松橋、同浜埜につき建造物侵入罪の成立を認め、第二の(一)、(二)の各事実については、いずれも被告人佐藤、同浜埜が藤川重人及び横倉勝雄に暴行、脅迫を加えた事実を認めるべき証拠がないとして、公務執行妨害罪及び暴行罪の成立を否定し、第二の(三)の事実については、ほぼ公訴事実に沿う外形的事実の存在を認めたが、斎藤校長の実施しようとした前記学力調査(以下「本件学力調査」という。)は違法であり、しかもその違法がはなはだ重大であるとして、公務執行妨害罪の成立を否定し、共同暴行罪(昭和39年法律第114号による改正前の暴力行為等処罰に関する法律1条1項)の成立のみを認め、被告人佐藤を建造物侵入罪で有罪とし、被告人松橋、同浜埜を建造物侵入罪と共同暴行罪とで有罪とし、両者を牽連犯として共同暴行罪の刑で処断し、被告人外崎を共同暴行罪で有罪とした。
[3] 第一審判決に対し、検察官、被告人らの双方から控訴があつたが、原判決は、第一審判決の判断を是認して、検察官及び被告人らの各控訴を棄却した。
[4] これに対し、検察官は、被告人松橋、同浜埜、同外崎に対する関係で上告を申し立て、また、被告人らも上告を申し立てた。
[5] 第一点は、判例違反をいうが、所謂引用の判例はいずれも事案を異にして本件に適切でなく、第二点及び第三点は、単なる法令違反の主張であり、第四点は、事実誤認の主張であり、第五点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にして本件に適切でなく、いずれも適法な上告理由にあたらない。
[6] 論旨は、要するに、第一審判決及び原判決において、本件学力調査が違法であるとし、したがつて、これを実施しようとした斎藤校長に対する暴行は公務執行妨害罪とならないとしているのは、本件学力調査の適法性に関する法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。よつて、所論にかんがみ、職権により、本件学力調査の適法性について判断する。
1 本件学力調査の概要
[7] 文部省は、昭和35年秋ころ、全国中学校第2、3学年の全生徒を対象とする一せい学力調査を企画し、これを雑誌等を通じて明らかにした後、昭和36年3月8日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一せい学力調査の実施期日について(通知)」と題する書面を、次いで、同年4月27日付同連名による「昭和36年度全国中学校一せい学力調査実施について」と題する書面に調査実施要綱を添付したものを、各都道府県教育委員会教育長等にあて送付し、各都道府県教育委員会に対し、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)54条2項に基づき、右調査実施要綱による調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求めた。右調査実施要綱は、
(1) 本件学力調査の目的は、(イ)文部省及び教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導に役立たせる資料とすること、(ロ)中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習指導とその向上に役立たせる資料とすること、(ハ)文部省及び教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)文部省及び教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等であり、
(2) 調査の対象は、全国中学校第2、3学年の全生徒とし、
(3) 調査する教科は、国語、社会、数学、理科、英語の5教科とし、
(4) 調査の実施期日は、昭和36年10月26日午前9時から午後3時までの間に、1教科50分として行い、
(5) 調査問題は、文部省において問題作成委員会を設けて数科別に作成し、
(6) 調査の系統は、都道府県教育委員会(以下「都道府県教委」という。)は当該都道府県内の学力調査の全般的な管理運営にあたり、また、市町村教育委員会(以下「市町村教委」という。)は当該市町村の公立中学校の学力調査を実施するが、右実施のため、原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、同教員を同補助員に命じ、更に教育委員会事務局職員などをテスト立会人として各中学校に派遣し、
(7) 調査結果の整理集計は、原則として、市町村立学校については市町村教委が行い、都道府県教委において都道府県単位の集計を文部省に提出するものとし、
(8) なお、調査結果の利用については、生徒指導要録の標準検査の記録欄に調査結果の換算点を記録する、
等の内容を含むものである。
[8] そこで、北海道教育委員会(以下「北海道教委」という。)は、同年6月20日付教育長名の通達により、道内各市町村教委に対して同旨の調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求め、これを受けた旭川市教育委員会(以下「旭川市教委」という。)においては、同年10月23日、同市立の各中学校長に対し、学校長をテスト責任者としして各中学校における本件学力調査の実施を命じるに至つた。
[9] なお、北海道教委及び旭川市教委の権限行使の根拠規定としては、それぞれ地教行法54条2項、23条17号が挙げられていた。
[10] 以上の事実は、原判決が適法に確定するところである。

2 第一審判決及び原判決の見解
[11] 第一審判決及び原判決は、前記の過程を経て行われた本件学力調査は、文部省が独自に発案し、その具体的内容及び方法の一切を立案、決定し、各都道府県教委を経て各市町村教委にそのとおり実施させたものであつて、文部省を実質上の主体とする調査と認めるべきものであり、その適法性もまた、この前提に立つて判断すべきものであるとしたうえ、右調査は、(1) その性質、内容及び影響からみて教育基本法(以下「教基法」という。)10条1項にいう教育に対する不当な支配にあたり、同法を初めとする現行教育法秩序に違反する実質的違法をもち、また、(2) 手続上の根拠となりえない地教行法54条2項に基づいてこれを実施した点において、手続上も違法である、と判断している。そこで、以下において右の2点につき検討を加える。
[12](一) 原判決は、本件学力調査は、教育的価値判断にかかわり、教育活動としての実質を有し、行政機関による調査(行政調査)のわくを超えるものであるから、地教行法54条2項を根拠としてこれを実施することはできない、と判示している。
[13] 行政調査は、通常、行政機関がその権限を行使する前提として、必要な基礎資料ないしは情報を収集、獲得する作用であつて、文部省設置法5条1項12号、13号、28号、29号は、特定事項に関する調査を文部省の権限事項として掲げ、地教行法23条17号は、地方公共団体の教育にかかる調査を当該地方公共団体の教育委員会(以下「地教委」という。)の職務権限としているほか、同法53条は、特に文部大臣による他の教育行政機関の所掌事項についての調査権限を規定し、同法54条にも調査に関する規定がある。本件学力調査がこのような行政調査として行われたものであることは.前記実施要綱に徴して明らかであるところ、原判決は、右調査が試験問題によつて生徒を試験するという方法をとつている点をとらえて、それは調査活動のわくを超えた固有の教育活動であるとしている。しかしながら、本件学力調査においてとられた右の方法が、教師の行う教育活動〔ママ〕一部としての試験とその形態を同じくするものであることは確かであるとしても、学力調査としての試験は、あくまでも全国中学校の生従の学力の程度が一般的にどのようなものであるかを調査するためにされるものであつて、教育活動としての試験の場合のように、個々の生徒に対する教育の一環としての成績評価のためにされるものではなく、両者の間には、その趣旨と性格において明らかに区別があるのである。それ故、本件学力調査が生徒に対する試験という方法で行われたことの故をもつて、これを行政調査というよりはむしろ、固有の教育活動としての性格をもつものと解し、したがつて地教行法54条2項にいう調査には含まれないとすることは、相当でない。もつとも、行政調査といえども、無制限に許されるものではなく、許された目的のために必要とされる範囲において、その方法につき法的な制約が存する場合にはその制約の下で、行われなければならず、これに違反するときは、違法となることを免れない。原判決の指摘する上記の点は、むしろ本件学力調査の右の意味における適法性の問題に帰し、このような問題として論ずれば足りるのであつて、これについては、後に四で詳論する。
[14](二) 次に、原判決は、地教行法54条2項は、文部大臣において地教委が自主的に実施した調査につきその結果の提出を要求することができることを規定したにとどまり、その前提としての調査そのものの実施を要求する権限を認めたものでないから、文部省が同条項の規定を根拠として本件学力調査の実施を要求することはできず、この点においても右調査の実施は手続上違法である、と判示している。
[15] 地教行法54条2項が、同法53条との対比上、文部大臣において本件学力調査のような調査の実施を要求する権限までをも認めたものと解し難いことは、原判決の説くとおりである。しかしながら、このことは、地教行法54条2項によつて求めることができない文部大臣の調査要求に対しては、地教委においてこれに従う法的義務がないということを意味するだけであつて、右要求に応じて地教委が行つた調査行為がそのために当然に手続上違法となるわけのものではない。地教委は、前述のように、地教行法23条17号により当該地方公共団体の教育にかかる調査をする権限を有しており、各市町村教委による本件学力調査の実施も、当該市町村教委が文部大臣の要求に応じその所掌する中学校の教育にかかる調査として、右法条に基づいて行つたものであつて、文部大臣の要求によつてはじめて法律上根拠づけられる調査権限を行使したというのではないのである。その意味において、文部大臣の要求は、法手続上は、市町村教委による調査実施の動機をなすものであるにすぎず、その法的要件をなすものではない。それ故、本件において旭川教委が旭川市立の各中学校につき実施した調査行為は、たとえそれが地教行法54条2項の規定上文部大臣又は北海道教委の要求に従う義務がないにもかかわらずその義務があるものと信じてされたものであつても、少なくとも手続法上は権限なくしてされた行為として違法であるということはできない。そして、市町村教委は、市町村立の学校を所管する行政機関として、その管理権に基づき、学校の教育課程の編成について基準を設定し、一般的な指示を与え、指導、助言を行うとともに、特に必要な場合には具体的な命令を発することもできると解するのが相当であるから、旭川市教委が、各中学校長に対し、授業計画を変更し、学校長をテスト責任者としてテストの実施を命じたことも、手続的には適法な権限に基づくものというべく、要するに、本件学力調査の実施には手続上の違法性はないというべきである。
[16] もつとも、右のように、旭川市教委による調査実施行為に手続上の違法性はないとしても、それが地教行法54条2項による文部大臣の要求に応じてされたという事実がその実質上の適法性の問題との関連においてどのように評価、判断されるべきかは、おのずから別個の観点から論定されるべき問題であり、この点については、四で検討する。
[17] 原判決は、本件学力調査は、その目的及び経緯に照らし、全体として文部大臣を実質上の主体とする調査であり、市町村教委の実施行為はその一環をなすものにすぎず、したがつてその実質上の適否は、右の全体としての調査との関連において判断されなければならないとし、文部大臣の右調査は、教基法10条を初めとする現行教育秩序に違反する実質的違法性をもち、ひいては旭川市教委による調査実施行為も違法であることを免れない、と断じている。本件学力調査は文部大臣において企画、立案し、その要求に応じて実施されたものであり、したがつて、当裁判所も、右調査実施行為の実質上の適法性、特に教基法10条との関係におけるそれは、右の全体としての調査との関連において検討、判断されるべきものとする原判決の見解は、これを支持すべきものと考える。そこで、以下においては、このような立場から本件学力調査が原判決のいうように教基法10条を含む現行の教育法制及びそれから導かれる法理に違反するかどうかを検討することとする。

1 子どもの教育と教育権能の帰属の問題
[18](一) 子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員としてその中で生活し、自己の人格を完成、実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。この子どもの教育は、その最も始源的かつ基本的な形態としては、親が子との自然関係に基づいて子に対して行う教育、監護の作用の一環としてあらわれるのであるが、しかしこのような私事としての親の教育及びその延長としての私的施設による教育をもつてしては、近代社会における経済的、技術的、文化的発展と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応しきれなくなるに及んで、子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、子どもの教育をいわば社会の公的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、子どもの教育は、主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中心として営まれるという状態になつている。
[19] ところで、右のような公教育制度の発展に伴つて、教育全般に対する国家の関心が高まり、教育に対する国家の支配ないし介入が増大するに至つた一方、教育の本質ないしはそのあり方に対する反省も深化し、その結果、子どもの教育は誰が支配し、決定すべきかという問題との関連において、上記のような子どもの教育に対する国家の支配ないし介入の当否及びその限界が極めて重要な問題として浮かびあがるようになつた。このことは、世界的な現象であり、これに対する解決も、国によつてそれぞれ異なるが、わが国においても戦後の教育改革における基本的問題の一つとしてとりあげられたところである。本件における教基法10条の解釈に関する前記の問題の背景には右のような事情があり、したがつて、この問題を考察するにあたつては、広く、わが国において憲法以下の教育関係法制が右の基本的問題に対していかなる態度をとつているかという全体的な観察の下で、これを行わなければならない。
[20](二) ところで、わが国の法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するとされているかについては、2つの極端に対立する見解があり、そのそれぞれが検察官及び弁護人の主張の基底をなしているようにみうけられる。すなわち、1の見解は、子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであつて、そこにおいて支配し、実現されるべきものは国民全体の教育意思であるが、この国民全体の教育意思は、憲法の採用する議会民主主義の下においては、国民全体の意思の決定の唯一のルートである国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるから、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する、と主張する。これに対し、他の見解は、子どもの教育は、憲法26条の保障する子どもの教育を受ける権利に対する責務として行われるべきもので、このような責務をになう者は、親を中心とする国民全体であり、公教育としての子どもの教育は、いわば親の教育義務の共同化ともいうべき性格をもつのであつて、それ故にまた、教基法10条1項も、教育は、国民全体の信託の下に、これに対して直接に責任を負うように行わなければならないとしている、したがつて、権力主体としての国の子どもの教育に対するかかわり合いは、右のような国民の教育義務の遂行を側面から助成するための諸条件の整備に限られ、子どもの教育の内容及び方法については、国は原則として介入権能をもたず、教育は、その実施にあたる教師が、その教育専門家としての立場から、国民全体に対して教育的、文化的責任を負うような形で、その内容及び方法を決定、遂行すべきものであり、このことはまた、憲法23条における学問の自由の保障が、学問研究の自由ばかりでなく、教授の自由をも含み、教授の自由は、教育の本質上、高等教育のみならず、普通教育におけるそれにも及ぶと解すべきことによつても裏付けられる、と主張するのである。
[21] 当裁判所は、右の2つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える。以下に、その理由と当裁判所の見解を述べる。

2 憲法と子どもに対する教育権能
[22](一) 憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法26条であるが、同条は、1項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、2項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めている。この規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。
[23] しかしながら、このように、子どもの教育が、専ら子どもの利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきものであるということからは、このような教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない。すなわち、同条が、子どもに与えるべき教育の内容は、国の一般的な政治的意思決定手続によつて決定されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかを、直接一義的に決定していると解すべき根拠は、どこにもみあたらないのである。
[24](二) 次に、学問の自由を保障した憲法23条により、学校において現実に子どもの教育の任にあたる教師は、教授の自由を有し、公権力による支配、介入を受けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるとする見解も、採用することができない。確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探究と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば、教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行わなければならないという本質的な要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない。もとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである。
[25](三) 思うに、子どもはその成長の過程において他からの影響によつて大きく左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すかは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。それ故、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということができる。子どもの教育は、前述のように、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきものであるけれども、何が子どもの利益であり、また、そのために何が必要であるかについては、意見の対立が当然に生じうるのであつて、そのために教育内容の決定につき矛盾、対立する主張の衝突が起こるのを免れることができない。憲法がこのような矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準を明示的に示していないことは、上に述べたとおりである。そうであるとすれば、憲法の次元におけるこの問題の解釈としては、右の関係者らのそれぞれの主張によつて立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈というべきである。
[26] そして、この観点に立つて考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。もとより、政党政治の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によつて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されないと解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない。

3 教基法10条の解釈
[27] 次に、憲法における教育に対する国の権能及び親、教師等の教育の自由についての上記のような理解を背景として、教基法10条の規定をいかに解釈すべきかを検討する。
[28](一) 教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、わが国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的として制定されたものであつて、戦後のわが国の政治、社会、文化の各方面における諸改革中最も重要な問題の一つとされていた教育の根本的改革を目途として制定された諸立法の中で中心的地位を占める法律であり、このことは、同法の前文の文言及び各規定の内容に徴しても、明らかである。それ故、同法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力をもつものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別段の規定がない限り、できるだけ教基法の規定及び法の趣旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきである。
[29] ところで、教基法は、その前文の示すように、憲法の精神にのつとり、民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献するためには、教育が根本的重要性を有するとの認識の下に、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的で、しかも個性豊かな文化の創造をめざす教育が今後におけるわが国の教育の基本理念であるとしている。これは、戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省によるものであり、右の理念は、これを更に具体化した同法の各規定を解釈するにあたつても、強く念頭に置かれるべきものであることは、いうまでもない。
[30](二) 本件で問題とされている教基法10条は、教育と教育行政との関係についての基本原理を明らかにした極めて重要な規定であり、1項において、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と定め、2項において、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めている。この規定の解釈については、検察官の主張と原判決が大筋において採用したと考えられる弁護人の主張との間に顕著な対立があるが、その要点は、(1) 第一に、教育行政機関が法令に基づいて行政を行う場合は右教基法10条1項にいう「不当な支配」に含まれないと解すべきかどうかであり、(2) 第二に、同条2項にいう教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立とは、主として教育施設の設置管理、教員配置等のいわゆる教育の外的事項に関するものを指し、教育課程、教育方法等のいわゆる内的事項については、教育行政機関の権限は原則としてごく大綱的な基準の設定に限られ、その余は指導、助言的作用にとどめられるべきものかどうかである、と考えられれ。
[31](三) まず、(1)の問題について考えるのに、前記教基法10条1項は、その文言からも明らかなように、教育が国民から信託されたものであり、したがつて教育は、右の信託にこたえて国民全体に対して直接責任を負うように行われるべく、その間において不当な支配によつてゆがめられることがあつてはならないとして、教育が専ら教育本来の目的に従つて行われるべきことを示したものと考えられる。これによつてみれば、同条項が排斥しているのは、教育が国民の信託にこたえて右の意味において自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であつて、そのような支配と認められない限り、その主体のいかんは問うところでないと解しなければならない。それ故、論理的には、教育行社機関が行う行政でも、右にいう「不当な支配」にあたる場合がありうることを否定できず、問題は、教育行政機関が法令に基づいてする行為が「不当な支配」にあたる場合がありうるかということに帰着する。思うに、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかであるが、上に述べたように、他の教育関係法律は教基法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、教基法10条1項にいう「不当な支配」とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教基法10条1項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない。
[32](四) そこで、次に、上記(2)の問題について考えるのに、原判決は、教基法10条の趣旨は、教育が「国民全体のものとして自主的に行われるべきものとするとともに」、「教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果をあげうることにかんがみ、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明」したところにあるとし、このことから、「教育内容及び教育方法等への(教育行政機関の)関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。」と判示している。
[33] 思うに、子どもの教育が、教師と子どもとの直接の人格的接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的に行われなければならず、そこに教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることは原判決の説くとおりであるし、また、教基法が前述のように戦前における教育に対する過度の国家的介入、統制に対する反省から生まれたものであることに照らせば、同法10条が教育に対する権力的介入、特に行政権力によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することは、それなりの合理性を有するけれども、このことから、教育内容に対する行政の権力的介入が一切排除されているものであるとの結論を導き出すことは、早計である。さきにも述べたように、憲法上、国は、適切な教育政策を樹立、実施する権能を有し、国会は、国の立法機関として、教育の内容及び方法についても、法律により、直接に又は行政機関に授権して必要かつ合理的な規制を施す権限を有するのみならず、子どもの利益のため又は子どもの成長に対する社会公共の利益のためにそのような規制を施すことが要請される場合もありうるのであり、国会が教基法においてこのような権限の行使を自己限定したものと解すべき根拠はない。むしろ教基法10条は、国の教育統制権能を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き、その整備確立のための措置を講ずるにあたつては、教育の自主性尊重の見地から、これに対する「不当な支配」となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがつて、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために心要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであつても、必ずしも同条の禁止するところではないと解するのが相当である。
[34] もつとも、原判決も、教育の内容及び方法に対する教育行政機関の介入が一切排除されていると解しているわけではなく、前述のように、権力的介入としては教育機関の種類等に応じた大綱的基準の設定を超えることができないとするにとどまつている。原判決が右にいう大綱的基準としてどのようなものを考えているかは必ずしも明らかでないが、これを国の教育行政機関についていえば、原判決において、前述のような教師の自由な教育活動の要請と現行教育法体制における教育の地方自治の原則に照らして設定されるべき基準は全国的観点からする大綱的なものに限定されるべきことを指摘し、かつ、後述する文部大臣の定めた中学校学習指導要領を右の大綱的基準の限度を超えたものと断じているところからみれば、原判決のいう大綱的基準とは、弁護人の主張するように、教育過程の構成要素、教科名、授業時数等のほか、教科内容、教育方法については、性質上全国的画一性を要する度合が強く、指導助言行政その他国家立法以外の手段ではまかないきれない、ごく大綱的な事項を指しているもののように考えられる。
[35] 思うに、国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には、教師の創意工夫の尊重等教基法10条に関してさきに述べたところのほか、後述する教育に関する地方自治の原則をも考慮し、右教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべきものと解しなければならないけれども、右の大綱的基準の範囲に関する原判決の見解は、狭きに失し、これを採用することはできないと考える。これを前記学習指導要領についていえば、文部大臣は、学校教育法38条、106条による中学校の教科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内容及び方法につき、上述のような教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準を設定することができるものと解すべきところ、本件当時の中学校学習指導要領の内容を通覧するのに、おおむね、中学校において地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準として考えても必ずしも不合理とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められるのであり、その中には、ある程度細目にわたり、かつ、詳細に過ぎ、また、必ずしも法的拘束力をもつて地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、はたしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうかの疑わしいものが幾分含まれているとしても、右指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつものと認められるし、また、その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていないのである。それ故、上記指導要領は、全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認することができるものと解するのが、相当である。

4 本件学力調査と教基法10条
[36] そこで、以上の解釈に基づき、本件学力調査が教基法10条1項にいう教育に対する「不当な支配」として右規定に違反するかどうかを検討する。
[37] 本件本件学力調査が教育行政機関である文部大臣において企画、立案し、その要求に応じて実施された行政調査たる性格をもつものであることはさきに述べたとおりであるところ、それが行政調査として教基法10条との関係において適法とされうるかどうかを判断するについては、さきに述べたとおり、その調査目的において文部大臣の所掌とされている事項と合理的関連性を有するか、右の目的のために本件のような調査を行う必要性を肯定することができるか、本件の調査方法に教育に対する不当な支配とみられる要素はないか等の問題を検討しなければならない。
[38](一) まず、本件学力調査の目的についてみるのに、右調査の実施要綱には、前記二の1の(1)で述べたように、調査目的として4つの項目が挙げられている。このうち、文部大臣及び教育委員会において、調査の結果を、(イ)の教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ハ)の学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)の育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等は、文部大臣についていえば、文部大臣が学校教育等の振興及び普及を図ることを任務とし、これらの事項に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関(文部省設置法4条)として、全国中学校における教育の機会均等の確保、教育水準の維持、向上に努め、教育施設の整備、充実をはかる責務と権限を有することに照らし、これらの権限と合理的関連性を有するものと認めることができるし、右目的に附随して、地教委をしてそれぞれの所掌する事項に調査結果を利用させようとすることも、文部大臣の地教委に対する指導、助言的性格のものとして不当ということはできない。また、右4項目中(ロ)の、中学校において、本件学力調査の結果により、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とするという項目は、それが文部大臣固有の行政権限に直接関係せず、中学校における教育実施上の目的に資するためのものである点において、調査目的として正当性を有するかどうか問題であるけれども、右は、本件学力調査の趣旨、目的からいえば、単に副次的な意義をもつものでしかないと認めるのが相当であるのみならず、調査結果を教育活動上利用すべきことを強制するものではなく、指導、助言的性格のものにすぎず、これをいかに利用するかは教師の良識ある判断にまかされるべきものと考えられるから、右の(ロ)が調査目的の一つに掲げられているからといつて、調査全体の目的を違法不当のものとすることはできないというべきである。
[39](二) 次に、本件学力調査は、原判決の認定するところによれば、文部省が当時の中学校学習指導要領によつて試験問題を作成し、二の1で述べたように、全国の中学校の全部において一せいに右問題による試験を行い、各地教委にその結果を集計、報告させる等の方法によつて行われたものであつて、このような方法による調査が前記の調査目的のためと認めることができるかどうか、及び教育に対する不当な支配の要素をもつものでないかどうかは、慎重な検討を要する問題である。
[40] まず、必要性の有無について考えるのに、全国の中学校における生徒の学力の程度がどの程度のものであり、そこにどのような不足ないしは欠陥があるかを知ることは、上記の(イ)、(ハ)、(ニ)に掲げる諸施策のための資料として必要かつ有用であることは明らかであり、また、このような学力調査の方法としては、結局試験によつてその結果をみるよりほかにはないのであるから、文部大臣が全国の中学校の生徒の学力をできるだけ正確かつ客観的に把握するためには、全国の中学校の生徒に対し同一試験問題によつて同一調査日に同一時間割で一せいに試験を行うことが必要であると考えたとしても、決して不合理とはいえない。それ故、本件学力調査は、その必要性の点において欠けるところはないというべきである。
[41](三) 問題となるのは、上記のような方法による調査が、その一面において文部大臣が直接教育そのものに介入するという要素を含み、また、右に述べたような調査の必要性によつては正当化することができないほどに教育に対して大きな影響力を及ぼし、これらの点において文部大臣の教育に対する「不当な支配」となるものではないか、ということである。
[42] これにつき原判決は、右のような方法による本件学力調査は教基法10条にいう教育に対する「不当な支配」にあたるとし、その理由として、(1) 右調査の実施のためには、中学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上各学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつものであること、また、(2) 右調査は、生徒を対象としてその学習の到達度と学校の教育効果を知るという性質のものである点において、教師が生徒に対する学習指導の結果を試験によつて把握するのと異なるところがなく、教育的価値判断にかかわる教育活動としての実質をもつていること、更に、(3) 前記の方法による調査を全国の中学校のすべての生徒を対象として実施することは、これらの学校における日常の教育活動を試験問題作成者である文部省の定めた学習指導要領に盛られている方針ないしは意向に沿つて行わせる傾向をもたらし、教師の自由な創意と工夫による教育活動を妨げる一般的危険性をもつものであり、現に一部においてそれが現実化しているという現象がみられること、を挙げている。
[43] そこでまず、右(1)及び(2)の点について考えるのに、本件学力調査における生徒に対する試験という方法が、あくまでも生徒の一般的な学力の程度を把握するためのものであつて、個々の生徒の成績評価を目的とするものではなく、教育活動そのものとは性格を異にするものであることは、さきに述べたとおりである。もつとも、試験という形態をとる以上、前者の目的でされたものが後者の目的に利用される可能性はあり、現に本件学力調査においても、試験の結果を生徒指導要録に記録させることとしている点からみれば、両者の間における一定の結びつきの存在を否定することはできないけれども、この点は、せつかく実施した試験の結果を生徒に対する学習指導にも利用させようとする指導、助言的性格のものにすぎないとみるべきであるから、以上の点をもつて、文部省自身が教育活動を行つたものであるとすることができないのはもちろん、教師に対して一定の成績評価を強制し、教育に対する実質的な介入をしたものとすることも、相当ではない。また、試験実施のために試験当日限り各中学校における授業計画の変更を余儀なくされることになるとしても、右変更が年間の授業計画全体に与える影響についてみるとき、それは、実質上各学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつほどのものではなく、前記のような本件学力調査の必要性によつて正当化することができないものではないのである。
[44] 次に、(3)の点について考えるのに、原判決は、本件学力調査の結果として、全国の中学校及びその教師の間に、学習指導要領の指示するところに従つた教育を行う風潮を生じさせ、教師の教育の自由が阻害される危険性があることをいうが、もともと右学習指導要額自体が全体としてみて中学校の教育課程に関する基準の設定として適法なものであり、これによつて必ずしも教師の教育の自由を不当に拘束するものとは認められないことはさきに述べたとおりであるのみならず、本件学力調査は、生徒の一般的な学力の実態調査のために行われたもので、学校及び教師による右指導要領の遵守状況を調査し、その結果を教師の勤務評定にも反映させる等して、間接にその遵守を強制ないしは促進するために行われたものではなく、右指導要領は、単に調査のための試験問題作成上の基準として用いられたにとどまつているのである。もつとも、右調査の実施によつて、原判決の指摘するように、中学校内の各クラス間、各中学校間、更には市町村又は都道府県間における試験成績の比較が行われ、それがはねかえつてこれらのものの間の成績競争の風潮を生み、教育上必ずしも好ましくない状況をもたらし、また、教師の真に自由で創造的な教育活動を畏縮させるおそれが絶無であるとはいえず、教育政策上はたして適当な措置であるかどうかについては問題がありうべく、更に、前記のように、試験の結果を生徒指導要録の標準検査の欄に記録させることとしている点については、特にその妥当性に批判の余地があるとしても、本件学力調査実施要綱によれば、同調査においては、試験問題の程度は全体として平易なものとし、特別の準備を要しないものとすることとされ、また、個々の学校、生徒、市町村、都道府県についての調査結果は公表しないこととされる等一応の配慮が加えられていたことや、原判決の指摘する危険性も、教師自身を含めた教育関係者、父母、その他社会一般の良識を前提とする限り、それが全国的に現実化し、教育の自由が阻害されることとなる可能性がそれほど強いとは考えられないこと(原判決の挙げている一部の県における事例は、むしろ例外的現象とみるべきである。)等を考慮するときは、法的見地からは、本件学力調査を目して、前記目的のための必要性をもつてしては正当化することができないほどの教育に対する強い影響力、支配力をもち、教基法10条にいう教育に対する「不当な支配」にあたるものとすることは、相当ではなく、結局、本件学力調査は、その調査の方法において違法であるということはできない。
[45](四) 以上説示のとおりであつて、本件学力調査には、教育そのものに対する「不当な支配」として教基法10条に違反する違法があるとすることはできない。

5 本件学力調査と教育の地方自治
[46] なお、原判決は、文部大臣が地教委をして本件のような調査を実施させたことは、現行教育法制における教育の地方自治の原則に反するものを含むとして、この点からも本件学力調査の適法性を問題としているので、最後にこの点について判断を加える。
[47](一) 思うに、現行法制上、学校等の教育に関する施設の設置、管理及びその他教育に関する事務は、普通地方公共団体の事務とされ(地方自治法2条3項5号)、公立学校における教育に関する権限は、当該地方公共団体の教育委員会に属するとされる(地教行法23条、32条、43条等)等、教育に関する地方自治の原則が採用されているが、これは、戦前におけるような国の強い統制の下における全国的な画一的教育を排して、それぞれ地方の住民に直結した形で、各地方の実情に適応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づくものであつて、このような地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の一つをなすものであることは、疑いをいれない。そして、右の教育に関する地方自治の原則からすれば、地教委の有する教育に関する固有の権限に対する国の行政機関である文部大臣の介入、監督の権限に一定の制約が存することも、原判決の説くとおりである。このような制限は、さまざまの関係において問題となりうべく、前記中学校学習指導要領の法的効力に関する問題もその一つであるが、この点についてはすでに触れたので、以下においては、本件学力調査において、文部大臣が地教行法54条2項によつては地教委にその調査の実施を要求することができないにもかかわらずこれを要求し、地教委をしてその実施に至らせたことが、教育に関する地方自治の原則に反するものとして実質的違法性を生じさせるものであるかどうかを、検討する。
[48](二) 文部大臣は、地教行法54条2項によつては地教委に対し本件学力調査の実施をその義務として要求することができないことは、さきに三において述べたとおりであり、このような要求をすることが教育に関する地方自治の原則に反することは、これを否定するとができない。しかしながら、文部大臣の右要求行為が法律の根拠に基づかないものであるとしても、そのために右要求に応じて地教委がした実施行為が地方自治の原則に反する行為として違法となるかどうかは、おのずから別個の問題である。思うに、文部大臣が地教行法54条2項によつて地教委に対し本件学力調査の実施を要求することができるとの見解を示して、地教委にその義務の履行を求めたとしても、地教委は必ずしも文部大臣の右見解に拘束されるものではなく、文部大臣の右要求に対し、これに従うべき法律上の義務があるかどうか、また、法律上の義務はないとしても、右要求を一種の協力要請と解し、これに応ずるのを妥当とするかどうかを、独自の立場で判断し、決定する自由を有するのである。それ故、地教委が文部大臣の要求に応じてその要求にかかる事項を実施した場合には、それは、地教委がその独自の判断に基づきこれに応ずべきものと決定して実行に踏み切つたことに帰着し、したがつて、たとえ右要求が法律上の根拠をもたず、当該地教委においてこれに従う義務がない場合であつたとしても、地教委が当該地方公共団体の内部において批判を受けることは格別、窮極的にはみずからの判断と意見に基づき、その有する権限の行使としてした実施行為がそのために実質上違法となるべき理はないというべきである。それ故、本件学力調査における調査の実施には、教育における地方自治の原則に反する違法があるとするとはできない。
[49] 以上の次第であつて、本件学力調査には、手続上も実質上も違法はない。
[50] そうすると、斎藤校長の本件学力調査の実施は適法な公務の執行であつて、同校長がこのような職務を執行するにあたりこれに対して暴行を加えた本件行為は公務執行妨害罪を構成すると解するのが、相当である。これと異なる見地に立ち、被告人松橋、同浜埜、同外崎の斎藤校長に対する暴行につき公務執行妨害罪の成立を認めず、共同暴行罪の成立のみを認めた第一審判決及びこれを維持した原判決は、地教行法54条2項、23条17号、教基法10条の解釈を誤り、ひいては刑法95条1項の適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼし、かつ、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。
[51] よつて、検察官の上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法414条、396条により被告人佐藤の本件上告を棄却し、同法411条1号により原判決及び第一審判決中被告人松橋、同浜埜、同外崎に関する部分を破棄し、なお、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法413条但書により被告人松橋、同浜埜、同外崎に対する各被告事件について更に判決する。
[52] 第一審判決の証拠の標目掲記の各証拠によると、被告人松橋、同浜埜、同外崎は、いずれも、昭和36年10月26日旭川市永山町所在の旭川市立永山中学校において実施予定の全国中学校一せい学力調査を阻止するための説得活動をする目的をもつて、当日、同校に赴いた者であるところ、(1) 被告人松橋は、右説得活動をするために集まつた約70名の者と互いにその意思を通じて共謀のうえ、同日午前8時過ぎころ、右の者らとともに、同校正面玄関から同校校長斎藤吉春の制止にもかかわらず、同校長が管理する永山中学校校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、浜埜は、同日午前9時ころ、前記のとおりすでに故なく校舎内に侵入していた者らと意思を通じて、同校正面玄関から右校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、また、(2) 同校長が同日午前11時40分ころから同校2階の2年A、B、C、D各組の教室において学力調査を実施し始めたところ、(イ)被告人外崎は、同日午後零時過ぎころ、2年各組の教室前の廊下において、職務として学力調査実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、同校長が教室への出入りを妨げられたためやむなく2年D組数室の外側窓から同C組教室の外側窓に足をかけて渡つた事実をとらえて、「最高責任者である校長が窓渡りをするとはあまりに非常識じやないか。」等と激しく非難抗議をするに際し、手拳をもつて同校長の胸部付近を突いて暴行を加え、もつてその公務の執行を妨害し、更に、(ロ)被告人松橋、同浜埜、同外崎は、そのころ、同校2階において、職務として学力調査実施中の各教室を見回りつつあつた同校長を階下校長室に連れて行こうとして、同校長の周辺に集まつていた約14、5名の者と互いに意思を通じて共謀のうえ、被告人松橋においては同校長の右腕をかかえて2、3歩引つぱり、被告人浜埜、同外崎においては右の者らとともに同校長の身近かにほぼ馬てい形にこれをとり囲み、これらの者は口々に「テストを中止したらどうか。」とか「下へ行つて話をしよう。」などと抗議し、あるいは促し、また、同校長の体に手をかけたり、同校長が教室内にはいろうとするのを出入口に立つて妨げる等して、同校長をとり囲んだままの状態で、同校長をして、その意思に反して正面玄関側階段方向へ2年A組教室付近まで移動するのをやむなきに至らせて同校長の行動の自由を束縛する等の暴行を加え、もつてその公務執行を妨害したものであることが、認められる。
[53] 右事実に法令を適用すると、被告人松橋、同浜埜の所為中建造物侵入の点は、行為時においては刑法60条、130条前段、昭和47年法律第61号による改正前の罰金等臨時措置法3条1項1号に、裁判時においては刑法60条、130条前段、昭和47年法律第61号による改正後の罰金等臨時措置法3条1項1号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法6条、10条により軽い行為時法の刑によることとし、斎藤校長の職務の執行に対し暴行を加えた点は、同法60条、95条1項に該当し、被告人外崎の同校長の職務の執行に対し暴行を加えた所為は、包括して同法60条、95条1項に該当するところ、被告人松橋、同浜埜の建造物侵入と公務執行妨害との間には手段結果の関係があるので、同法54条1項後段、10条により1罪として重い後者の罪につき定めた懲役刑で処断し、被告人外崎の罪につき所定刑中懲役刑を選択することとし、各刑期の範囲内において、被告人松橋を懲役3月に、被告人浜埜を懲役1月に、被告人外崎を懲役2月に処し、同法25条1項を適用して、被告人松橋、同浜埜、同外崎に対し、この裁判確定の日から1年間その刑の執行を猶予し、また、公訴事実第二の(二)の被告人浜埜の横倉勝雄に対する暴行については、その証明がないとする第一審判決の判断はこれを維持すべきであるが、同被告人に対する判示建造物侵入の罪と牽連犯の関係にあるとして起訴されたものであるから、主文において特に無罪の言渡をしないこととし、なお、第一審及び原審における訴訟費用の負担については、刑訴法181条1項本文、182条により、主文第四項記載のとおり定めることとし、主文のとおり判決する。

[54] この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。

(裁判長裁判官 村上朝一  裁判官 藤林益三  裁判官 岡原昌男  裁判官 下田武三  裁判官 岸盛一  裁判官 天野武一  裁判官 坂本吉勝  裁判官 岸上康夫  裁判官 江里口清雄  裁判官 大塚喜一郎  裁判官 高辻正己  裁判官 吉田豊  裁判官 団藤重光  裁判官 本林譲  裁判官 服部高顕)

(別紙)
一 被告人松橋武男及び同浜埜登に連帯負担させるもの
第一審証人斎藤吉春(永山第10回、第13回公判の分を除く。)、同大門功、同松崎信吉、同目黒厚子、同由川匡寿、同池野幸次郎、同中川弘、同北岸洋子、同有賀登志男、同上野要治、同柴田貞夫、同安川長吉、同坂下博、同八重樫好、同氏本利光(永山第63回公判の分を除く。)に支給した分の2分の1及び第一審証人松田宏(永山第35回公判の分を除く。)、原審証人白畠沢子、同菅野久光、同氏本利光に支給した分
二 被告人松橋武男、同浜埜登及び同外崎清三に連帯貞担させるもの
第一審証人斎藤吉春(永山第10回、第13回公判の分を除く。)、同大門功、同松崎信吉、同目黒厚子、同由川匡寿、同池野幸次郎、同中川弘、同北岸洋子、同安川長吉、同坂下博、同八重樫好に支給した分の2分の1及び第一審証人佐藤和子(永山第48回公判の分を除く。)、原審証人江津繁に支給した分
   目 次
序説
第一点 判例違反
一、原判決が本件学力調査の実施を違法とした判断は、次に掲げる高等威判所の判例と相反する判断をしたものである。
1 福岡高等裁判所第1部昭和42年4月28日判決
2 仙台高等裁判所秋田支部昭和41年9月1日判決
二、原判決の地教行法第54条2項は本件学力調査の手続上の根拠とはならないとの判断は、次に掲げる高等裁判所の判例の趣旨と相反する判断をしたものである。
  仙台高等裁判所秋田支部昭和41年9月1日判決
三、原判決は刑法第95条の解釈を誤り次に掲げる大審院および高等裁判所の諸判例と相反する判断をしたものである。
1 福岡高等裁判所第1刑事部昭和39年5月13日判決
2 福岡高等裁判所第1刑事部昭和42年4月28日判決
3 大審院第1刑事部昭和7年3月24日判決
4 福岡高等裁判所第3刑事部昭和27年10月2日判決
第二点 法令違反
 原判決は、教育基本法第10条1項、学校教育法第38条、地教行法第54条1項、2項等法令の解釈を誤つたもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと信ずる。
結論
[1]一、旭川地方裁判所は、昭和41年5月25日、被告人松橋武男、同浜埜登に対する建造物侵入、公務執行妨害、被告人外崎清三に対する公務執行妨害被告事件につき、昭和36年10月26日旭川市永山町旭川市立永山中学校において実施された一斉学力調査を違法であるとし、被告人らが多数の者と共に該学力調査を阻止する目的をもつて同校校舎内に侵入したうえ、被告人らにおいて学力調査実施中の数室の見廻りをしていた同校校長に対し共同して暴行脅迫を加えた事案に対し建造物侵入の罪と暴力行為等処罰に関する法律違反の罪との成立を認めたに止まり公務執行妨害罪の成立を否定した。

[2]二、右判決に対し検察官より同判決は、教育基本法第10条1項、2項、学校教育法第38条、同法附則第106条、同法施行法第54条の2、地方教育行政組織及び運営に関する法律(以下地教行法と略称する。)第54条2項の解釈適用を誤つて本件学力調査の適法性を否定し、かつまた刑法95条1項の解釈適用をも誤つた結果、公務執行妨害罪の成立を認めなかつたものであり、右の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとして控訴した。

[3]三、札幌高等裁判所第3部は、審理の結果、昭和43年6月26日右一審判決と同じく本件学力調査を違法であると判断したうえ、被告人らの前記所為につき公務執行妨害罪の成立を否定し、検察官の控訴を棄却した。原判決の説示するところを要約すると、
1 本件学力調査の実施は、実質的にみて教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして違法と断ぜざるを得ない。
2 地教行法54条2項を手続上の根拠として本件学力調査を実施することはできないといわなければならない。
3 公務執行妨害罪の成立するには当該公務の執行が適法であることを要すると解すべきところ、本件において、上級機関である文部省が本件学力調査が適法であるとしてこれを実施しようとしたことが相当であつたと認められないから、直接本件学力調査実施の任に当つた学校長等の立場からすれば、自己の行為を適法と信ずるについて相当な理由があつたと思われることを考慮しても、なお、本件学力調査の実施が適法性の要件を備えていたものと解することはできない。
というにある。
[4] しかしながら、原判決の判断は、以下詳論するとおり、高等裁判所ならびに、大審院の例判と相反するばかりでなく、法令の解釈適用を誤つたものであつて、右はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法第405条、第410条1項、第411条により当然破棄せらるべきものと信ずる。
[5]一、原判決が本件学力調査の実施を違法とした判断は、次に掲げる高等裁判所の判例と相反する判断をしたものである。
1 福岡高等裁判所第1刑事部昭和42年4月28日判決(下級裁判所刑事裁判例集9巻4号398頁以下)(昭和43年10月28日上告取下による確定)
[6] その要旨
「文部大臣の定めた小学校学習指導要領の実効性はその専門的見地からの権威によつて確保すべきものであるから、右小学校学習指導要領を専門的に権威あらしめるためには、それが学術的に優れていることはもちろん、必要的確な調査に基づいて定められなければならず、地教行法第54条1項も教育行政機関は的確な調査等に基づいて事務の処理に努めなければならないとしている。そして、右小学校学習指導要領は教育の内容および方法の大綱的基準であるから、教育行政機関が行なう右調査が若干教育の内容および方法にわたることは避けられず、若干教育の内容および方法にわたつているとしても、教育の自由と独立を本質的に侵害するものでない限り、右調査が教育基本法第10条に違反して違法であるとはいえない。」
2 仙台高等裁判所秋田支部昭和41年9月1日判決(労働関係刑事事件判決集第9輯100頁以下)(昭和41年9月17日自然確定)
[7] その要旨
「本件学力調査は、所論のごとくこれを教員の行なうべき教育とみるべきではなく、調査から結果の利用までの過程を有機的全体的に考察して教育行政機関の権限に属する教育調査と認めるのを相当とする。果してしからば、本件のごとき学力調査の学力測定方法としての正確性の批判ないしは現実の教育事情の下における教育政策上の長短得失の論はしばらく措き、大山町教育委員会がその地教行法第23条第17号所定の権限により前記のごとく本件学力調査の実施をしたのは、その実質についてみるも、教員の行なうべき教育を不当に支配し、教育基本法第10条第1項に違反する事項を内容とした違法な措置ということはできない。」
[8] 以上の判例に徴してみれば、学力調査が教育基本法第10条1項に定める教育の不当支配に当らないことは明らかである。そして以上の判例に示された判断はいずれも合理性があり、当然維持せらるべきものであると信ずる。
[9] 然るに原判決は、本件学力調査の実施をもつて実質的に適法性を欠くものと断じ
「一審判決が本件学力調査実施の実質上の主体を文部省と認定したのは相当である。本件学力調査の実施のためには各学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上、文部省が各学校の教育内容の一部を強制的に変更させることを意味する。そしてこの調査は全国中学校生徒を対象としてその学習の到達度及び学校の教育育効果を知るという性質を持ち、かつ正規の授業時間内に教員等の監督の下に行なわれるうえ、その結果は生徒指導要録に記載すべきものとされているので、教員の特定の教科についての学習指導の結果をテストによつて把握するのと何ら異ならず教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有するものといわなければならない。さらに無視できないのは、本件学力調査の日常の学校教育活動に及ぼす影響である。すなわち、このような調査が全国中学校の全生徒を対象として実施される結果、教育の場においてその調査の結果が各学校又は各教員の教育効果を測定する指標として受け取られる結果各教員を含む学校関係者も調査の結果に捉われ、これを向上させるため日常の教育活動を調査の実質的主体であり問題作成者である文部省の学習指導要領に盛られた方針ないし方向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ない。このように本件学力調査の持つ諸特性、すなわち、その対象者、教科の限定、問題の作成方法、調査の実施方法、結果の利用方法等からみて客観的にも――程度の差こそあれ――右のような現象にいたるおそれを内包していると認めざるを得ない。このようにみてくると本件学力調査は生徒に対する教育活動としての性格を帯びるとともに文部省の学校教育に対する介入の面をも有し、ひいては現場の教育内容が文部省の方針ないし意向に沿つて行なわれるおそれをもはらむといわなければならない。この点において、まず問題となるのは、教育基本法第10条の規定である。同条は、まずその1項において、教育は不当な支配に属してはならないとするとともに、2項において、教育行政は右の教育の目的達成に必要な諸条件の整備確立を目標としなければならないと定めている。右規定の趣旨は、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは、教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣言したものと解すべきである。もとより、教育条件の整備が教育施設の設置管理、教育財政および教職員の人事等の教育の外的条件の整備に限られ、教育行政機関の教育内容および教育方法等への関与が一切排せられていると解するのは相当でない。しかし、右の教育内容および教育方法等への関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。もし教育行政機関にして、右の限界を超え教育内容等に介入することがあるならば、それは教育基本法第10条1項の不当の支配になるといわざるを得ない。以上述べたところからすれば、前述した性質、内容および影響を有する本件学力調査の実施が許容されないことは多く言わずして明らかなところであろう。すなわち、本件学力調査は実質的にみて数育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして違法と断ぜざるを得ない。」
と説示し、あたかも本件学力調査の実施が数育基本法第10条1項の不当支配に当るものとの見解を示しているのである。
[10] しかしながら、学校教育法は、第35条において中学校の目的を、第36条において中学校教育の目標を定め、第38条、第106条により、中学校の教科に関する事項は、第35条及び第36条の規定に従い、監督庁である文部大臣が定めるものとし、この委任に基づき文部大臣は中学校学習指導要領を定めることができ、第40条により準用する第21条により中学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書を使用しなければならないこととしているのである。このことに徴すれば、文部大臣に教育内容に立入る権限を全く与えていないとはいえなく、寧ろこの程度において積極的にこれに関与し得ることを認めているものと解すべきである。従つて、学校現場の教育内容は文部大臣がその権限により定めた方針ないし意向に沿つて行なわれることは同法の趣旨に適合するところであるといわざるを得ない。而して文部大臣は、右のとおり中学校学習指導要領を定め、教科用図書を著作し、又は、これを検定する事務を処理するにあたつては、的確な調査、統計その他の資料に基づいて適切かつ合理的な処理に努めなければならないのであつて(地教行法第54条1項)、そ調査のためには、ことの性質上教育の内容にわたることがあるのは避け難いことに属し、本件学力調査のごとく、調査の企画を文部省が設定して、都道府県教育委員会に対し調査報告を求め、さらに、都道府県教育委員会から調査報告を求められた市町求教育委員会が、これに応じ、その権限に基づき、文部省の定めた調査企画によつて、所管学校の学力調査を実施したからといつて、直ちに教育の自由と独立を侵害したものとみることはできない。これは、法律に根拠を有する正当な権限に基づく法により許された範囲の調査であり、これをもつて数育基本法第10条1項の不当な支配に当るとすることは謬論というべきである。
[11] これを要するに、原判決は、本件学力調査の実施が数育基本法第10条1項の不当の事配に当るものとして違法であると判断した点において前掲判例に示された判断と相反する判断をしたものといわざるを得ない。

[12]二、原判決の地教行法第54条2項は本件学力調査の手続上の根拠とはならないとの判断は、次に掲げる高等裁判所の判例の趣旨と相反する判断をしたものである。
仙台高等裁判所秋田支部昭和41年9月1日判決(労働関係刑事事件判決集第9輯97頁以下)
[13] その要旨
「都道府県教育委員会が文部大臣より、また市町求教育委員会が都道府県教育委員会よりそれぞれ地教行法第54条第2項を根拠として、都道府県または市町村の区域の教育に関する事務に関し、一定の調査その他の資料の提出を求められた際、同条項は調査の実施を請求する権限を直接文部大臣ないし都道府県教育委員会に付与したものではないから、請求を受けた当該教育委員会としては、既存の調査資料中に要求の趣旨に添うものが存しないときは、新たな調査を義務づけられないまでも、教育行政機関として互に協力関係に立ち、ひとしく数育基本法第10条第第2項所定の教育諸条件の整備確立という共通の目標に奉仕すべき立場から、調査結果の資料が当該教育委員会の行なうべき教育行政の目的にも利用しうるものと認められる限りは、その地教行法第23条第17号所定の地方公共団体の処理する教育に係る調査に関する事務の管理執行権の範囲内で、団体事務として新たに調査を実施したうえ、要求に添う調査資料を作成して提出することも、自由裁量行為として当然許されているばかりでなく、具体的にいかなる様式により右調査を行なうかも、かかる調査の様式について特に規定したものがない限りは、教育に対する不当な支配とならない限り、当該教育委員会の自由な裁量により妥当な様式として選択し決定するところに任されているものと解するのを相当とする。」
[14] 右判例は、学力調査の実施をもつて文部省の調査権とは別に、教育委員会の独自の調査権に属することを認めたものであつて、まことに条理に合した解釈というべく該判例は正当なものとして維持せらるべきものと信ずる。そして学力調査の手続上の根拠が地教行法第54条2項にあることも右判例の趣旨によつておのずから明らかである。
[15] 然るに、原判決は、地教行法第54条2項は本件学力調査の手続上の根拠規定とはならないと断じ
「右規定は教育行政機関の調査(いわゆる行政調査)を予定しているものと解せられるが、その調査の範囲、内容等は現行教育法体系全体との関連において決せられなければならないのであつて、教育基本法において教育と教育行政との分離が基本とされていることからすれば、右規定にいう調査は教育活動としての実質を有しない客観的な資料の把握にとどまるべきものと考える。したがつて本件学力調査が教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有する以上それは右規定の調査のわくを超えるものと言わざるを得ない。のみならず地教行法第53条2項の規定と対比して考えると、右第54条2項は、地方教委が自主的に実施した調査等の結果を文部省において必要に応じ有効に利用し得るたまその提出要求権(地方教委からみればこれに応ずる義務)につき規定したものと解するのが相当であり、本件学力調査のように文部省の資料提出等の要求に基づき地方教委が新たに、しかも文部省の企画どおりに実施し、その結果の報告を義務づけるようなことは、同条の予想しないところである。かつ地方教委において全く裁量の余地がない調査の実施を右規定によつて地方教委が義務づけられると解することは到底できないというほかない。」
と説示し、地教行法54条2項を手続上の根拠として本件学力調査を実施することはできないものと判示している。
[16] しかしながら、本件学力調査は生徒の学力の実体を捉え、学習指導、教育課程及び教育条件の整備改善に役立つ基礎資料を得ることを目的とするものであつてその調査結果は、文部大臣の教育行政に関する方針、政策決定の基礎資料となるものである。その目的を達成するためには、同一問題、同一日時において行なわれる必要があり、その問題が学習指導要領に準拠して作成されるのも当然のことである。本件学力調査はそのように国の行政目的のためのものであるとともに、他面、各教育委員会、各学校の教育行政目的、教育目的にも資することとなりこれをも目的としているものである。すなわち各教育委員会においてはその地域の、各学校においてはその学校の生徒の学力について、それぞれ全国的水準との比較において実態を捉えることが可能となり、その目的のため各委員会等自体の目的にも適うものといわねばならない。
[17] さればこそ本件学力調査は、文部大臣が地教行法第54条2項に基づき都道府県教育委員会に対し、調査結果を提出すべき旨を要求し、それを承けて都道府県教育委員会は市町村教育委員会に対し、同様の要求をなし、それを承けた市町村教育委員会は、地教行法第23条17号の所掌事務として調査を実施することを決定したものである。原判決は地教行法第53条2項と対比し同法第54条2項は新たに調査をしてその結果を提出することまで義務づけたものではないというが原判決の言わんとするところは、文部省が自らの発案と企画に基づき教育に関する新たな調査を行なう場合は、地教行法第53条により文部省が直接その調査を行なうことができ、また教育委員会に対し、国の機関委託事務として調査を行なわしめることができるのであるから、そのような場合には同法第53条によらしめるのが同法の趣旨であり、同法第54条2項は同法第53条1項、2項によつて調査しうる場合以外の場合を規定したものと解すべきであるとしているもののごとくである。
[18] そもそも同法第53条の調査なるものは、いわゆる国の助長行政(第48条、第51条の場合)または、監督行政(第52条の場合)上の必要よりする個別的な国自体の調査権を定めたものであり、同条2項により都道府県教育委員会をして調査を行なわしめる場合も国費によつて賄われる筋合のものである。これに反し同法第54条2項の調査は国の一般的教育行政と各委員会のその区域内における固有の教育行政上の施設等の間の調整を図るために必要な一般的資料を国において得さしめるため文部大臣に調査結果の要求権を与え、各委員会等にはこれに協力する義務を規定したものであつて、本件のごとき調査結果の提出要求はまさにこの規定の発動によつて行なわれるべき筋合のものである。前掲判例の趣旨に徴してもこの点は疑いなきところである。 [19] これを要するに、本件学力調査は、地方教育委員会が地教行法第54条2項に基づいて実施したものであつて、何ら違法な点はなく、これと異なる見解に出た原判決は、前掲判例の趣旨と相反する判断をしたものというほかはない。

三、原判決は刑法第95条の解釈を誤り、左に掲げる大審院および高等裁判所の諸判例と相反する判断をしたものである。
1 福岡高等裁判所第1刑事部昭和39年5月13日判決(下級裁判所刑事裁判例集6巻5、6号574頁以下)
[20] その要旨
「刑法第95条第1項の保護法益は公務員によつて執行される公務であるから、その公務は同法条により保護されるに値いするものでなければならず、その為には公務員の職務の執行は適法でなければならないことは勿論であるけれども、いやしくも公務員がその与えられた抽象的職務権限に属する事項に関し、法令に準拠してその職務を執行したものである限り、たとえその法令の解釈適用において誤りがあつたとしても、真実その法令に基づく職務の執行と信じてこれをなしたものであり、且つ一般の見解上もこれを公務員の職務の執行行為と見られるものであれば、なお一応適法な職務の執行行為として刑法による保護の対象たり得べきものと解する。」
2 福岡高等裁判所第1刑事部昭和42年4月28日判決(下級裁判所刑事裁判例集9巻4号403頁以下)
[21] その要旨
「公務執行妨害罪により保護される公務員の職務の執行は適法なものでなければならないことはもちろんであるが、職務の執行が、その公務員の抽象的権限に属し、法令の形式を具備し、一般社会通念に照しても職務の執行とみられるものであれば、その法令の解釈適用に誤りがあつたとしても、なお適法な職務の執行として、公務執行妨害罪の保護の対象となるものと解するのが相当である。」
3 大審院第1刑事部昭和7年3月24日判決(大審院刑事判例集11巻301頁以下)
[22] その要旨
「公務執行妨害罪ノ成立スルニハ其ノ妨害カ公務員ノ適法ナル職務ノ執行ニ当リ為サレタルコトヲ要シ而シテ特定ノ行為カ職務ノ執行タル為ニハ該行為カ其ノ公務員ノ抽象的職務権限ニ属スル事項ニ該ルコトヲ要スルヤ勿論ナリト雖公務員ハ苟モ其ノ抽象的職務権限ニ属スル事項ナル限リ箇々ノ場合ニ於テ其ノ職務抑行ニ必要ナル条件タル具体的事実ノ存否並法規ノ解釈適用ヲ決定スル権限ヲ有スルカ故ニ偶々其ノ職務ヲ行フニ当リ職務執行ノ原因タルヘキ具体的事実ヲ誤認シ又ハ当該事実ニ対スル法規ノ解釈ヲ誤リ適用スヘカラサル法規ヲ適用シタルトスルモ該行為カ其ノ公務員ノ抽象的権限ニ属スル事項ニ該リ該公務員トシテ真実其ノ職務ノ執行ト信シテ之ヲ為シタルニ於テハ其ノ行為ハ一応其ノ公務員ノ適法ナル職務執行行為ト認メラルヘキモノニシテ従テ其ノ執行ニ当リ為サレタル妨害行為ハ仍ホ公務執行妨害罪タルコトヲ失ハサルモノトス」
4 福岡高等裁判所第3刑事部昭和27年10月2日判決(最高裁判所刑事判例集9巻2号154頁以下)
[23] その要旨
「警察職員が抽象的職務権限に属する事項に関し、法令の方式に遵拠してこれを行なうものである限り、その職務執行の原因たるべき具体的事実を誤認し又は当該事実に対する法規の解釈適用を誤つたものとしても、真実その職務の執行と信じてこれをなしたものであれば、それが著しく常規を逸したものでない限り、一応適法な職務執行行為と解すべきである。」
[24] 以上の判例は、いずれもその公務の執行について客観的に違法である場合があつても、いやしくも当該公務員においてその公務の執行につき抽象的取務権限を有し、かつその公務の執行を適法であると信じた場合には、一応適法な職務執行行為として保護に値いするものであつて、これを妨害した場合には公務執行妨害罪が成立するものとしているのであり、とくに右1、2の判例は、本件と同様文部省の企画により、全国的に行なわれた学力調査に関するものがあるが、その公務の適法性の判断については、当該公務員の職務権限とその職務執行に際しての認識によつてその公務の適法性の有無を判断しているのである。そしてこれらの判例はまことに正当であつて、なお維持せらるべきものであると思料する。
[25] 然るに、原判決は
「公務執行妨害罪の成立するためには、当該公務の執行が適法であることを要すると解すべきであり、かつこの適法性が備わつているかどうかの判断はあくまでも客観的になさるべきであり、単に公務員において適法要件が備わつていると信じただけで、それが適法性を備えるものでないことはもちろんであるけれども、事後において純客観的にみるならば、公務員がその権限を適法に行使し得るとした判断ないし認定に誤りがある場合でも、その行為当時の具体的な情況に照らし公務員がそのように解したことが相当であつたと認められるときは、当該公務の執行はなお客観的にも適法なものとして公務執行妨害罪の保護の対象となると解すべきである。そして、右の相当であつたかどうかの考察は、公務の執行が特定の公務員の独自の判断によつて行なわれた場合は当該公務員についてのみこれをなせば足りるが、本件学力調査のように、それが上級機関の決定および指示命令に基づき行なわれ、現実に公務を執行した公務員に裁量の余地がないような場合は当該公務員についてのみでなく上級機関をも含めて全体的にこれをなすことを要すると解するのが相当である。しかるところ、本件において、上級機関である文部省が本件学力調査が適法であるとしてこれを実施しようとしたことは相当であつたとは認められないこと原判決の説示するとおりと認められるから、原判決が認めるように、直接本件学力調査実施の任に当つた学校長の立場からすれば、自己の行為を適法と信ずるについて相当な理由があつたと思われることを考慮しても、なお本件学力調査が前述した観点からの適法性の要件を備えていたと解することはできない。」
旨判示して、本件公務執行妨害罪の成立を否定するのである。
[26] しかしながら、公務執行妨害罪の成立するためには、当該公務の執行が適法であることを要することはもちろんであるが、その適法性については、その公務が当該公務員の抽象的権限に属するものである以上、当該公務員は、その職務執行に必要な条件たる具体的事実の存否並びに、法規の解釈適用を決定する権限を有するものであつて、その法規の解釈に若干の誤りがあつたとしても、当該公務員において適法な公務の執行と信じ、かつ、そのように信じたことが著しく不相当なものでない限り、なお、刑法第95条の保護の対象となる公務の執行であると解すべきことは叙上の判例を照らしても明らかである。而して本件公務執行妨害罪の対象となつた公務は、旭川市教育委員会の命を受けた学校長の学力調査行為であつて、国の機関の作用でないことは明らかである。国の機関の作用とみられるのは文部省が都道府県教育委員会に対し学力調査結果の提出を求める行為であつて、都道府県教育委員会が市町村教育委員会に対し学力の調査結果の提出を求める行為、ないし市町村教育委員会が学力調査をする行為は各地方公共団体の機関の作用であることも明らかである。従つて、本件学校長の学力調査の適法性を判断するに当つて、文部省の学力調査結果の提出を求めることの適法性まで含めて考えるべきではなく、学校長の職務権限とその認識に基づいて、これを決すべきものである。また、原判決は、本件学力調査のように、それが上級機関の決定および指示命令に基づき行なわれ、現実に公務を執行した公務員に裁量の余地がないような場合は、当該公務員についてのみでなく、上級機関をも含めて全体につき適法性が備わつているかどうかの判断をすることを要すると解するのが相当である旨判示しているが、前掲、昭和39年5月13日ならびに昭和42年4月28日の各福岡高等裁判所判決は、いずれも、学力調査の任に当つた校長自体の職務権限とその職務執行に際しての認識によつてその公務の適法性を判断しており、これに反するのみならず、学校長は調査が明白に、不適法であると思料したときは、上司の職務命令であつても法令の方を重視し、これが実施を拒否することができる(地方公務員法第32条)のであるから、文部省の調査提出要求と調査の実施とを一体視してその適否を決する理はないといわねばならない。旭川市立永山中学校長において本件学力調査の実施につきその職務権限を有することは上来説明したところで明らかであるばかりでなく、いやしくも学校長においてこれを適法のものとして信じてなした本件学力調査の実施は、保護の対象たる公務の執行と断じて差支えなく、これを妨害した被告人らの所為が公務執行妨害罪に当ることは極めて明白であつて、これと異る見解に出でた原判決の判断は、畢竟叙上の判例に相反する判断をしたものというほかはない。
[27] 原判決は、数育基本法第10条1項、学校教育法第38条、地教行法第54条1項、2項等法令の解釈を誤つたもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと信ずる。すなわち、

[28]一、原判決は、
「本件学力調査は形式的には各市町村教委がその主体であるといい得るであろう。しかし、実質的にも市町村教委がその主体であると解することは、実態にそぐわない見方といわざるを得ない。」
旨判示して本件学力調査実施の実質上の主体を文部省であるとする一審判決を支持し、文部省が実質上の主体となつた本件学力調査の実施は、数育基本法第10条1項の不当な支配に当るものであるから本件学校長の実施した学力調査を適法な公務の執行とは認められないとしている。
[29] なるほど、原判決認定のとおり、本件学力調査の対象者、調査教科、実施期日および時間割、問題作成の手続、調査実施機関の系統および各機関の役割、調査結果の整理集計および利用等について文部省が定めて指示していることは認められるけれども、右は教育行政上の正確な資料をうるため、調査事項の性質上画一的な調査方法を定めてその調査結果の提出方を求めたものであつて(地方教委の結果利用については指導的意味をもつにとどまる)、調査の対象者たる生徒に対する調査行為まで文部省がその主体であるとは到底解されない。すなわち、文部省は都道府県教委に対し調査結果の提出を求め、都道府県教委はその権限に基づき市町村数委に対し調査結果の提出を求め、市町村教委はその権限に基づき調査すべき旨決定し、所管中学校の該当生徒につき調査実施したのであるから、中学校生徒に対する調査行為の主体は法律的にみて市町村教委であるといわざるを得ない。しかして、本件公務執行妨害の対象となつた公務は旭川市教委の命を受けた学校長の調査行為であるから、その公務の適否は、旭川市教委にその権限があるか否か、その命を受けた校長にその権限があるか否か、執行方法に適法性があるか否かによつて決すべきであることは当然である。旭川市教委が同市設置にかかる永山中学校について、管理運営権を有し、かつ、教育に関する調査をする権限を有することは地教行法第23条1号、17号に明定されたところである。而して、同中学校校長は同校の校務を掌る職務権限を有するものであることは学校教育法第40条、第第28条によつて明らかである。従つて同校長が、同教委の命により同校の校務に属する学力調査を実施するについて、何ら違法とすべき理由はない。
[30] 原判決は
「このような調査が全国中学校の全生徒を対象として実施される結果、教育の現場において、その調査の結果が各学校又は各教員の教育効果を測定する指標として受け取られ、したがつて各教員を含む学校関係者とししても右の調査の結果に関心を持たざるを得ず、これを向上させるため、日常の教育活動を調査の実質的な主体であり問題作成者である文部省の学習指導要領等に盛られた方針ないし意向あるいは従前の調査問題の傾向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ない。数育基本法10条は、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明したものと解すべきである。もとより、教育行政機関の教育内容および教育方法等への関与が一切排せられていると解するのは相当でない。しかし、教育内容および教育方法等への関与の程度は、教育機関の種類に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。学校教育法第38条が文部大臣に、学習指導要領にみられるような教育内容や教育方融についての詳細な定めをなす権限を与えたものとは到底解されず、むしろ、同条は中等教育が義務教育であることを考慮し、その教育課程の編成について、文部大臣が義務教育であることから最少限度要請される全国的画一性を維持するに足る大綱的な基準を設定すべきものとした趣旨に解するのが相当である。したがつて、学習指導要領のうち、右のような大綱的な基準の限度を超える事項については、法的拘束力がなく単に指導的な意味を有するとしなければならない。そうすると文部省が本件学力調査におけるような具体的な問題を作成し、これを実施したうえその結果の報告を求めるというようなことは、明らかに文部省の権限を踰越するものというほかはない。したがつて本件学力調査の問題が学習指導要領に準拠して作成されたということは、本件学力調査が実質的に違法であることの評価に彰響を及ぼすものではない」
旨判示して、本件学力調査を数育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反する違法なものであると断定しといる。
[31] しかし原判決の右のごとき判断は、数育基本法第10条1項、学校教育法第38条の解釈を誤つた結果であつて決して正しい見解ではない。すなわち、数育基本法第10条にいう不当な支配は、国ならびに地方公共団体の教育行政機関もこれを行なうことが許されないことは勿論である。しかし他方教育は、国家社会の最も重大な関心事であり、その誤りは将来の国家社会の運命をも危くするものであるから、正しい教育の振興は、国や地方公共団体の果さなければならない重大な使命の一つである。ことに義務教育である初等中学の普通教育は基礎的な教育である関係上重要であるとともに、全国的に差異のない水準において行なわれる必要がある。その故に、文部大臣は、文部省設置法第4条、第5条、地教行法第48条、第52条等により、一般的な権限を与えられ助長行政ならびに監督行政を全国的に行なうことができ、さらに個々の具体的権限として以下述べる諸規定が存在するのであある。すなわち、学校教育法は、第35条において中学校の目的を、第36条において中学校教育の目標を規定し、第38条、第106条において中学校の教科に関する事項は、第35条、第36条の規定に従い監督庁である文部大臣がこれを定める旨規定している。而して学校教育法施行規則第54条の2において中学校の教育課程については、教育課程の基準として文部大臣が公示する中学校学習指導要領によるものとすると規定し、別に、文部大臣が中学校学習指導要領を制定告示しているのである。かくの如く、中学校学習指導要領は学校教育法第38条の委任による立法であつて、法規たるの性格を有し、法的拘束力があり、中学校の教育課程を編成するにあたつては、中学校学習指導要領の定める基準に従わなければならないものであることは明らかである。文部大臣の教科基準の設定権は大綱的なものに限られ、現行の中学校学習指導要領の程度に詳細にわたることができるか否かについて勘案するに、文部省が教育課程の基準として中学校学習指導要領を策定した理由は(一)教育の全国的共通の水準確保(二)社会の発展に伴う教育水準の向上(三)国際的教育水準の維持を計るにあつて、その必要性は何人も否定することができないところのものであり、現に作成された中学校の学習指導要領も専らこの目的に添うものである。その量は全部で282頁(総則7頁、国語14頁、社会28頁、数学15頁、理科38頁、音楽22頁、美術19頁、保健体育39頁、技術家庭25頁、外国語30頁、農業・水産・家庭各5頁、工業・商業各4頁、道徳8頁、特別教育活動3頁、学校行事等2頁)でその実物を一見すれば明らかなごとく、その質はいわば教育活動の骨組みとなるものや教師に対する技術的な援助と考えられれものだけであつて、何等教育活動を統制し、教育内容に不当な干渉をなすものでない。この内容は質量とも正に学校教育法第35条、第36条の趣旨に合致するもので、わが国の教育水準の確保と向上を目指す必要にして妥当なものであり、同法第38条の委任の限界を越えたものとは到底考えられないところである。したがつて、本件の中学校学習指導要領の設定については、何ら違法不当の点はないものといわねばならない。しかるに原判決は、地教行法第33条等を根拠として、地教委が具体的な教育過程を定める権限を有するから、教育の地方自治の立前から、文部大臣の学習指導要領設定権限も制約を受け、文部大臣は、全国的視野における大綱的基準の定立ができるのみであるとしているが、右地教行法第33条の規定は「教育委員会は、法令又は条例に違反しない限度において、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編成、教育過程、教材その他の教育機関の管理運営の基本的事項について必要な教育委員会規則を定めるものとする」とあつて、原判決のいうところとは、逆に、法令が優先し、地教委の具体的教育過程はそれに違反しない範囲内で認められているに過ぎない。すなわち、文部大臣が法律の委任に基づいて発した命令である中学校学習指導要領こそ、地教委の教育過程設定権を制約するものであつて、地教委の権限が、文部大臣の権限を制約する根拠とはなり得ないところである。また、学校教育法第40条により中学校に準用される同法第21条によれば、中学校においては文部大臣の検定を経た教科書図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書を使用しなければならないとして、文部大臣に教科の具体的内容となる教科用図書の検定又は著作にまで関与する権限を与えていることに対比すれば、原判決のいうが如き大綱に止まることを要する必要は全くないのである。したがつて、教育過程の全国的基準として公示した中学校学習指導要領の程度の内容は、同法第38条の定める教科基準設定権の限界を超えるものとは到底考えられない。
[32] 而して、本件学力調査は原判決も認定するとおり、文部省が教育過程に関する諸施策の樹立および学習指導の改善に役立たせる資料とすること、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行なうための資料とすること等を目的としてその結果の提出要求をしたのに応じ、地教委がその地方の教育行政にも役立つものとして実施したものであつて、その目的において何ら不当と認むべき理由はない。
[33] また、原判決は、各教員を含む学校関係者が文部省の学習指導要領に盛られた方針ないし意向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ないとして、学力調査の違法性を判断する重要な理由としているが、日常の教育活動が文部省の学習指導要領に盛られた方針ないし意向に沿つて行なわれることは、学校教育法の趣旨に沿うものであり、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動も学習指導要領に盛られた内容に沿つて行なわれるべきものであるから、これを妨げられるべき理由はなく、若し、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が学習指導要領の内容に反するものであるとするならば、その教育活動こそ学校教育法の趣旨に反するものといわなければならない。
[34] また、本件学力調査において、文部省の求めているのは中学校生徒の学力の調査結果の提出を求めたのみであつて、教育内容の変更を求めたものではなく、本件調査のため通常の授業の変更をしなければならないというけれども、それは単に1日の授業日程の変更だけであつて、授業内容の変更を要するものではなく、これを以て教育行政機関の不当な支配介入ということはできない。
[35] しかるに、原判決が本件学力調査は教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして、違法であると判断したのは、教育基本法第10条1項、学校教育法第38条等の解釈を誤つた結果であつて、明らかに誤りというべきである。

[36]二、次に原判決は
「地教行法第54条2項にいう調査は教育活動としての実質を有しない客観的な資料の把握にとどまるべきものである。したがつて、本件学力調査が、すでにみたように教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有する以上、それは右規定にいう調査のわくを超えるものと言わざるを得ない。本件学力調査のように、文部省の資料提出等の要求に基づき地方教委が新たな調査を、しかも文部省の企画どおりに実施し、その結果の報告を義務づけられるというようなことは同条の本来予想しないところといわなければならない。また、右第54条2項の規定が地方教委に対し既存資料の提出義務を負わせたにとどまらず、文部省の提出要求に見合う資料がない場合は新たな調査を実施しその結果を報告する義務を負わせたものと理解できるとしても、調査の主体が地方教委とされる以上、右義務には自ら調査の規模、内容それに要する予算等の面で限界が存するというべきであり、本件学力調査のように対象が広範囲にわたるとともに大規模な予算を伴ない、かつ地方教委において全く裁量の余地がない調査の実施を右規定によつて地方教委が義務づけられると解することは到底できないものというほかはない。」
旨説示して、地教行法第54条2項を手続上の根拠として本件学力調査を実施することはできないものと判断している。
[37] しかし、原判決の右判断は、地教行法第54条2項の解釈を誤つたものである。すなわち、文部大臣が教育課程の基準として学習指導要領を定める権限等を有することは既述のとおりであつて、そほ所掌事務を適切かつ合理的に処理するためには的確な調査、統計その他の資料に基づいて行なう必要があり(地教行法第54条1項)、そのため、地教行法54条2項において、文部大臣は地方公共団体の長又は教育委員会に対し、それぞれの区域内の教育に関する事務に関し、必要な調査、統計その他の資料又は報告の提出を求めることができる旨定めているのであつて、原判決のいうような教育活動としての実質を有しない客観的な資料の把握にとどまるものと解するのは、文部大臣の教科に関する事項の制定権および調査、統計その他の資料または報告の提出要求権を不当に狭く解した結果であるというほかはない。すなわち文部大臣が行なつた学力調査結果の提出要求は、すでに論じたとおり、その正当な権限に属する教科に関する事務を適切かつ合理的に処理するための資料を得るためのものである。また、地教行法第54条2項が、文部大臣に右提出要求権を与えているのは、これに対応し、地教委等が、調査結果を提出する義務を負うことを意味する。したがつて、本件において旭川市教委が、文部大臣の正当な要求に応えるため、学力調査を実施したことは義務の履行として当然というべきである。原判決は、右第54条2項は、教育委員会が新たな調査をし、その結果を報告する義務を課したものとはいえないと判示し、その根拠として、同法第53条2項の規定との差をあげている。しかし、第53条2項が「調査を行なわせることができる」と明記しているのは、同条が文部大臣自体の国の調査権を教育委員会に機関委任して、これを実施せしめたるための規定であるからであつて、第54条2項に右の「調査を行なわせることができる」という文言がないのは、同条のように調査結果の提出要求権のみを有し、調査の実施そのものは、教育委員会等がその固有事務として行なう場合には、右のような文言は不必要かつ不適切であるからである。右文言がないからといつて、何も、同条が教育委員会に固有事務としての新たな調査を禁止したり、不必要として認めなかつたりしているのではない。教育委員会等が、文部大臣から調査結果の提出要求を受け、その提出義務を果たすため、新たな調査を実施する必要が生ずるのは、一般に報告の提出義務を規定した多数の行政法規において、報告義務者が報告するための調査作業を行なう必要がありその権限があるのと異ならない。第54条2項において報告の提出とならんで、特に、調査結果の提出を規定しているのは、教育に関しては他の行政事務に比し特に調査の必要性が高いからにほかならない。
[38] また、原判決は、本件学力調査のように対象が広範囲にわたるとともに大規模な予算を伴い、かつ、地方教委において全く裁量の余地がない調査の実施を右規定によつて地方教委が義務づけられると解することはできないという。
[39] しかし、これを全国的にみれば広範囲であり大規模な予算を伴うように考えられないでもないが、実際これを実施する市町村教委についてみれば、当該公共団体の地域内の中学校について調査を実施すればよいのであり、また、市町村もその地域内の中学校について調査をするために要する費用を支弁すれば足りるのであつて、大規模な予算を要するものと解するのは誤りである。のみならず予算措置が伴わないため実施の困難な場合があるとしても、それは、その調査を強制することができないというにとどまり、そのことによつて市町村教委に調査結果を提出する義務までも生じないと解するのは誤りである。また、地方教委において全く裁量の余地がない調査というけれども、それは調査事項の性質上全国同一の調査方法により調査し、これを統計的に集計しようというにあるのであつて、事柄の性質上裁量の余地がないことは寧ろ当然である。
[40] してみれば、原判決が地教行法第54条2項は教育委員会に対し新たな調査をすることまでも義務づけたものでないとして、これを根拠として本件学力検査を実施することはできないものと判断し、本件学力調査の適法性を否定したことは明らかに同法第54条1項、2項の解釈を誤つたものというべきである。
[41] 以上のごとく、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例違反と法令違反があるから、原判決は破棄を免れないものと思科する。
目次
序論      本件の憲法的・教育的重要性
上告理由第一点 建造物侵入に関する原判決の判示の判例違反
上告理由第二点 建造物侵入に関する原判決の判示の法令違背(その一)
          構成要件の解釈適用の誤り
上告理由第三点 建造物侵入に関する原判決の判示の法令違背(その二)
          違法性阻却事由の解釈適用の誤り
上告理由第四点 暴力行為等処罰に関する法律違反に関する原判決の判示の事実誤認
上告理由第五点 暴力行為等処罰に関する法律違反に関する原判決の判示の判例違反
[1] 昭和36年10月文部省によつて突然強行された全国中学校一せい学力調査は、戦前戦中にすら例をみない、国家権力による学校現場の教育実践に対する強権的介入、干渉であつた。本件学力調査は原判決が指摘するように文部大臣とその指揮下の中央政府の官僚によつて、一切が企画決定指導された。すなわち「その対象者、調査教科、実施期日および時間割、問題作成の手続、調査実施機関の系統および各機関の役割、調査結果の整理集計および利用等の一切を文部省が定め、各地教委においては、この点についての裁量の余地がなく、文部省の企画指導どおりに本件学力調査を実施しその結果を報告すべきものとされている実態」(原判決)にあつた。
[2] このこのとは、地方自治の侵害の面を含むとともに、とくに教育面においては、学問の自由(憲23条)教育を受ける権利(憲26条)を侵害し、ことに教育基本法によつて確立せられている教育の目的(1条)方針(2条)教育行政の目標と限界(10条)等、教育に関する基本原則を蹂りんするものであることを意味した。
[3] これらの点に関して原判決(第一審判決も同様)も適切に次の諸点を指摘している。
(一) 本件学力調査実施のための各学校の授業計画の変更は、「実質上文部省が各学校の教育内部の一部を強制的に変更させることを意味する」
(二) 生徒の学習の到達度および学校の教育効果を測るということは、「教員が特定の教科について自己の学習指導の結果をテストによつて把握するのと何ら異ならず、教育的な価値判断にかかり、教育活動としての実質を有する」
(三) この調査の結果は、各教員を含む学校関係者をして、日常の教育活動を調査の実質的な主体であり、問題作成権者である文部省の学習指導要領等に盛られた方針ないし意向あるいは従前の調査問題の傾向に沿つて行なうという空気を生じ、「教員の自由な創意と工夫による教育活動が妨げられる危険がある」
(四) これらのことは「文部省の学校教育に対する介入の面を有し」、ひいては「現場の教育内容が文部省の方針ないし意向に沿つて行なわれるおそれをもはらむ」
(五) このこのとは、「教育と教育行政を分離し、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫に委ねて教育行政の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明した」教育基本法10条の趣旨に反し、同条1項の「不当な支配」を形成し、「教育基本法をはじめとする現行教育秩序に反するものとして違法とせざるを得ない」と。
[4] このような見解は原判決だけではない。
[5] 本件第一審判決や大阪地方裁判所41・4・13判決、福岡地方裁判所小倉支部39・3・16判決、福岡高等裁判所42・4・28判決等も、教育のあり方に関する基本的な考え方においては大体において同一基調に立つものである。例えば右の福岡高裁判決は、教育基本法10条について、次のように、教育における教育者の自由と独立が保障されるべきことを強調している。
「……そもそも教育の目的は、教育基本法第1条に規定するように、人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期することにある。ところで、このような目的をもつ教育は、教育者と被教育者との内面的人格的関係によつて始めて達成されるという本質をもつものであるから、教育の内容および方法については、その自由と独立とが保障されなければならない。……教育基本法10条は、教育行政は、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標とし、教育施設の設置管理、教職員の人事、教育財政等の外的条件の整備をするほか、教育の内容および方法については、行政上の命令監督をすることは許されず、指導助言をすることができるに止まるとするものというべきである。」
[6] これらの一連の判決のうち、一斉学力調査を違法と断じたものは、福岡地裁小倉支部判決、本件第一審判決、大阪地裁判決、原判等多数に上つている。「失当」とした福岡高裁判決は抽出テストに関するものである。また労働基本権に関する考え方において後の最高裁中郵判決のそれに真正面から反する見解をとつた保守的な判決である盛岡地裁41・7・22判決ですら、本件学力調査について数々の疑問を呈し、法的にも特殊の立法的限度があつた方が穏当としている。
[7] このように本件学力調査は、わが国の教育のあり方の基本を定めた教育基本法上、きわめて重大な問題を提示しているものである。
[8] 而して、教育基本法の定める基本原則に反するということは、とりもなおさず憲法に違反するものといわなければならない。教育基本法前文は、民主的文化的国家建設という日本国憲法の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものであるとし、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するためこの法律を制定する旨を明記する。そして、「教育の方針」のなかでは「学問の自由」の尊重を明記しているほか、立法全体として、国民が憲法に即応する民主的な教育をうける権利が保障されるように定めている。したがつて、教育が本件のように国家権力による「不当な支配」を受ける場合は、それはまた憲法上の学問の自由、教育を受ける権利に対する侵害を構成するものといわなければならない。
[9] 教育基本法の精神は、教育のあり方に関する国際的な水準であるILO・ユネスコの「教師の地位に関する勧告」とその基調を一にするものであり、教育基本法に違反することは、同時にまたこのような教育のあり方に関する国際的な基準にも反するものである。
[10] 最近中央教育審議会の第22特別委は「学校制度の発展と教育理念の変遷」についての中間報告を発表したが(43・11・4)、そのなかで
「教育内容に対する国の関与のあり方については、学校教育の水準向上とその正常な発展について行政が果す役割を正当に評価するとともに、教師の創意と判断がより効果的に生かされる方向に発展するためにはどのような方策をとるべきかについて、綜合的に検討する必要がある」
と述べているのは、わが国の従来の教育行政のあり方に対する以上のような国内的・国際的な批判により多少の反省の上にたつたものとも思われる。この点について例えば毎日新聞43・11・6社説(「中教審中間報告の問題点」)のなかでも、「注目をひく点」として
「たとえば『教育内容に対する国の関与のあり方』について、いちおう政府の果たす役割を評価しつつも、同時に、教師の創意と判断を、より効果的に生かす第6条の検討が必要だ、としている点などがそれであろう。現在の教師が、学習指導要領というワクのなかで、金しばりの形にされて、その独創性発揮の余地がまるでない、といつた批判は、従来から強い」
と述べている。
[11] 本件学力調査は、教育委員会制度の根本的改訂(地方教育行政法)、勤務評定の強行、教科書検定の検閲化、日教組に対する攻撃と分裂促進という一連の文教政策のなかの一かんとして行われたものであり、政治的な政策のにおいがきわめて濃厚なものであるが、それらを抽象して、それじたいとしてみたばあいも、上のような憲法と教育基本法に対する重大な違反を包含するものである。
[12] 今日では、本件学力調査が憲法や教育基本法の趣旨に違反する不当な支配であるとともに、したがつてまたその現実の弊害もきわめて深刻重大であることが国民の前に明らかになつてきつつあるのであるが、教師たちはその教育者としての体験から、当初から学内調査の本質と違憲、違法性、弊害の必至を見抜いて、国家権力による学校、教室への侵入を防ごうとしたのである。被告たちの本件諸行為も、公権力によるこの最も重大な教育上の違法行為を防止するために行われた、真にやむをえない行為であつつたことを銘記しなければならない。被告人らの本件行為が建造物侵入ないし暴行の構成要件に該当するか否か、あるいは実質的違法性の有無を検討するにあたつては、以上の点を念頭におくべきである。
[13](一) 原判決がその判決理由中で
「建造物侵入罪に該当するかどうかという構成要件該当性の問題として論ずる限り、前述したように管理権者の意思に反するか否かを問題にすれば足りりるというべきである。しかるところ、本件においては、原判決が遂一証拠をあげて説明するように、被告人佐藤らの永山中学校校舎内への立入りが、管理権者たる斉藤校長の意に反するものであることは疑いのないところであるから、被告人佐藤らの右行為を目して建造物侵入罪の構成要件に該当すると判断した原判決は相当」
と述べている点は、可罰的違法性の理論を認めた最判昭31年12月11日等の判例と相反する判断であり、しかも判決に影響を及ぼすことが明白なので、到底破棄を免れない。

(二) 可罰的違法性の理論について
1 可罰的違法性の理論
[14] 可罰的違法性の理論は、後に具体的に明らかにするように、最高裁判所下のわが国の判例の中に流れている。
[15] ここでは、先づ、個々の判例について具体的に可罰的違法性理論の展開を跡づけ、それらの判例に原判決の判例が相反している所以を明らかにするに先立つて、それらの判例によつて形成されている可罰的違法性の理論そのものを概観しておくことにする(以下は、主として、藤木英雄「可罰的違法性の理論」有信堂によつた)。
[16] 可罰的違法性の理論は、ある行為について、実質的な違法性が、可罰的程度に至らぬほど微弱であるということを理由として、違法性の阻却ではなく、行為の構成要件該当性そのものが否定されるというものである。
2 構成要件と違法性
[17] もともと伝統的な犯罪論は、構成要件を出発点として、犯罪の成立を論ずるものである。そこでは、構成要件―違法性―有責性という体系が存在する。したがつて、可罰的違法性の理論を考究するにあたつても、構成要件該当性と違法性との関係を明らかにしておく必要がある。
[18] この点については、構成要件理論が登場していらい、その展開の課程において種々異なる見解が唱えられた。構成要件理論の創設者であるドイツの学者ベーリングは、刑法の保障機能の具体化の役割を構成要件理論に期待し、犯罪の定型性を説き、刑法は、犯罪のカタログを提示するものであつて、犯罪を定型的にとらえるために指導形象としての役割を担うものが構成要件であるとし、その結果、構成要件は違法性、責任とは独立した純粋の記述的な概念により定立されなければならないとした。ここにおいては、構成要件は、純粋な行為類型とされたわけである。これに対して、犯罪の類型化ということは、純粋な記述的概念のみによつてはなし遂げることができず、価値的概念、ことに違法性の概念の混入を排除することができないことが、M・E・マイヤーによつて主張され、やがてメッガーに至つて、構成要件は違法性の存在根拠であり、可罰的な違法行為の類型化であるとされるに至り、ここに、構成要件と違法性とは一体的のものと考えられるに至つた。わが国でも、構成要件理論を導入された小野、滝川両博士によつて、構成要件理論にいちじるしい展開が見られたが、小野博士は違法行為類型としての構成要件概念にさらに歩をすすめて、違法、有責行為の類型としての構成要件を主張されている。他方、滝川博士は、むしろベーリング的な、行為類型としての構成要件概念が正当であるとされる。近年、ドイツにおける指導的学者ヴエルツエルが、違法類型としての構成要件理論を捨て、ベーリングに復して、純粋な記述的な行為類型としての構成要件を主張するに至つたが、わが国にも、多大の影響を及ぼしているように思われる。ともあれ、今日においては、構成要件と違法性の関係については、これを違法性とは切りはなされた純粋の記述的、客観的行為類型として定立すべきものとする見解と、違法な行為の類型とする見解とに、二分されているということができる。
[19] ところで、構成要件なる概念を構想することの実質的意義は、構成要件該当性の判断を通じて、刑法上重要な行為と然らざる行為とを一応選別し、しかも、構成要件該当性ありとされた行為については、とくにその不存在を疑わしめる例外的事情の存在が認められないかぎり、違法性ありとして処理することができるということである。構成要件が違法性徴表機能を果すという点においては、記述的行為類型論による場合も違法行為類型論による場合も、おなじことである。かような違法性徴表機能の存在によつて、構成要件該当性―違法性―有責性、という犯罪論の体系が、現実的、実際的な方面においても、その効用を発揮できるのである。
3 構成要件の違法性推定機能と社会的相当性
[20] ところが、構成要件のもつ違法性推定機能は、必らずしも当然自明なことではなく、その機能の存在が疑われる種類の行為態様の存在することが、意識されるに至つた。この問題を提起した学説中、もつとも著明なものは、ドイツの学者ヴエルツエルが1930年代において提唱した、社会的相当性の理論であつた。
[21] ヴルツエルは、目的行為論の理論体系をはじめて詳細に展開した1938年の論文(Studien zum System des Strafrechts, Z.Stw. Bd.58, 1938)において、当時の支配的な違法性の理論であつた利益説、法益侵害説に対し自然主義的であるとして批判を試み、その際、利益侵害、法益侵害に対する刑法的保護は、その侵害が、社会的通念によつて容認しがたい限度、すなわち、社会的相当性の限度を超えるときにのみはじめて与えられるべきものであつて、単に法益の侵害があつたという結果発生の一事のみにより違法なりと断すべきではなく、この際、侵害の結果(被害の事実)ばかりでなく、侵害惹起の態様いかんをあわせて考慮すべき旨を説いたのであるが、その際、社会的相当性の限界内にある法益侵害は、その法益侵害を類型型化した構成要件との関係においては、構成要件該当性を欠くものとしたのである。
[22] 社会的相当性のある行為は、単にそれが違法性を欠くという趣旨に止まらず、社会生活の常態において行なわれたときにも、その正当性が、社会通念上あやしまれるところがないという種類の行為を指称しているのである。その典型例としては、相撲、柔剣道、ボクシング、レスリングなどの運動競技があり、これらは、形式的な解釈によれば、通常の態様においては暴行罪、結果が発生した場合には(故意の)傷害罪、傷害致死罪等に該当する行為であるといえるわけであるが、それがすくなくとも故意犯としての違法性を有しないことについては、まず疑を容れないものといつてよかろう。しかもそれが違法性でない根拠としては、一応は暴行罪や傷害罪の構成要件に該当するけれども刑法35条により違法性が阻却されることによる、と説明することも決して間違いだというべきものではないが、社会通念上正常なスポーツ競技として容認され、類型化された行為についは、競技のルールが尊重されているかぎりにおいては、当然に正当であり、いちいち違法阻却事由をもち出してその正当性を論証する必要はなく、この種の正当性が類型化された行為に関するかぎり、暴行罪、傷害罪などの構成要件該当性の判断は、具体的な行為についての違法性を徴表する機能を失なつているということである。
[23] しかし、構成要件の機能が、それだけで、刑法上意味のある行為と無意味な行為とを一応の判断としてふるい分ける点に存することからすれば、違法性徴表機能を欠く構成要件などは、その本来の機能を欠き、まつたく無意味と言わざるを得ない。一見類型性はそなえていても実質的違法性を欠くような行為は、端的に構成要件該当性を欠くとすること、そのような行為の処罰は、本来予定されていないところと解することのほうが、理論としてむしろすぐれていると思われる。
[24] スポーツ、医療という、いわば社会的相当性のある行為として類型化されたものばかりでなく、実質的な違法性の判断が構成要件的類型性の判断に先行すると認められる場合は、その例にこと欠かない。社会生活の過程においては、行為の外観だけでは合法とも違法とも判定のつけがたい行為が、常態として頻繁に展開されているからである。
[25] 例えば、他人の住宅に立入ることは、およそ犯罪、違法とは無関係な正常の人間の生活活動であることもあれば、違法な犯罪行為であることもある。他人の住宅に立入つたという事実だけから、その行為の違法性は徴表されない。刑法130条が、住居侵入罪の構成要件を「故ナク人ノ住居ニ侵入」することと定めているのは、とくに不法な立入(侵入という表現自体、違法行為を予想するもので、正常な態様における立入を包含しないものと解せられる)のみを犯罪類型とする趣旨を示したもので、正当な立入行為は、はじめから――構成要件に該当するが違法性を阻却されるというのではなくして――刑法の関心の対象、すなわち構成要件に該当する行為のうちから除外されているのである。「不法ニ」「故ナク」等の、違法性を示す修飾語が附せられていない構成要件についても、例えば暴行、脅迫、威力など、その概念規定上、実質的違法性のある不法な暴行、脅迫、威力のみが構成要件該当性ありと解せざるを得ないものがすくなくない。詐欺、横領、背任などの財産犯についてもそうである。不真正不作為犯についても、その成立要件として、不作為が、単に法的義務に違反したというに止まらず、不作為に当該構成要件に該当する作為に予想されるだけの実質的違法性があることを要する、ということが認められており、そのほか、過失犯についても、近時、注意義務違反(客観的な具体的結果回避措置懈怠)の事実が過失行為を類型化する要素として重視されるに至つているが、この場合注意義務の内容をなす具体的結果回避措置を定めるにあたり、実質的違法性の判断を経ることが先決となる関係上、おなじことが言い得るのである。
[26] 要するに、構成要件―違法―有責という犯罪論体系の基本構造を維持するとしても、例外として、実質的違法性の判断が構成要件該当性の判断に先行し、実質的違法性(構成要件の予想する程度の可罰性を帯びた違法性)―構成要件該当性―違法性(違法性阻却事由の存否)―有責性という思惟過程を経るべき場合が稀ではないのである。伝統的構成要件理論が、おもに、工業化都市化のすすんでいない社会いらいの存在である殺人、放火、強窃盗などの何人もその違法を疑わない原始的犯罪を念頭に形成されたものであることからすれば、そのような結果となるのも、当然といえよう。
4 可罰的違法性の理論と社会的相当性の理論
[27] 社会的相当性の理論と可罰的違法性の理論とは、その基磯を共通にし、かつ表裏一体の関係に立つものである。ただ、社会的相当性に関する理論は、一応、その行為が実質的な違法性を欠くということを根拠に、構成要件該当性そのものを否定しようとするのに対して、可罰的違法性の理論は、法秩序全体の観点から、実質的には微弱ながらも違法性を有する行為について、別個の法規に対する関係においては違法にともなう不利益的な法的効果が生ずること、例えば、民事責任、行政上の懲戒的責任などが生ずることは別として、問題とされている法益の保護を志向する特定の構成要件との関係においては、可罰的程度の違法性なしとして当該条規に基づく法的効果――刑事責任――を否定すべきだとの主張をも含むものであつて、右のような社会的相当性に関する理論に、いま一つ、違法性のもつ法的効果に関し、違法性の相対性、段階性を肯定する理論が附加されたことにより一段とその妥当性領域を拡大したものということができる。
[28] 違法の相対性については、全逓中郵事件最高裁大法廷判決における松田二郎裁判官の補足意見が詳細に明らかにしている。
「前記第2小法廷判決(弁護人註、いわゆる3・15判決をさす。)の見解は、ある行為がいずれかの法令により違法とされる以上、刑法上も当然違法であり、従つてそのような行為につき刑法上違法性の阻却されることはありえないという考えを前提とするものである。なるほど、行為が違法であるか否かは、法秩序全体の観点からする判断であるから、ある行為が一つの法規によつて禁ぜられ違法とされた場合には、それは他の法域においても一応違法なものと考えられよう。しかし、同じ法域、たとえば、同じ民事法の範囲内においてすら、法規違反の行為とされるものの中にも、その効力が否定されて無効となるものとしからざるものとがあり、また、行為を無効ならしめる場合の違法性と不法行為の要件としての行為の違法性とはその反社会性の程度において必ずしも同一ではありえない。いわや法域を異にする場合、それぞれの法域において問題となる違法性の程度は当該法規の趣旨・目的に照らして決定されるところであり、従つて刑法において違法とされるか否かは、他の法域における違法性とは無関係ではないが、しかし、別個独立に考察されるべき問題なのである。この理は、刑法と労働法との間においても全く同様であり、労働法規が争議行為を禁止してこれを違法として解雇などの不利益な効果を与えているからといつて、そのことから直ちにその争議行為が刑罰法規における違法性、すなわちいわゆる可罰的違法性までをも帯びているということはできない。ことに、刑罰がこれを科せられる者に対し強烈な苦痛すら伴う最も不利益な法的効果をもたらす性質上、刑罰法規の要求する違法性は他の法域におけるそれよりも一般に高度の反社会性を帯びたものであるべきである。しかしこの見地に立つて前記第2小法廷の判決を見るとき、それは、行為の違法性を一義的に解して法域によるその反社会性の段階または程度の差を認めず、公労法上違法とされた争議行為は、当然に刑法上においても違法だとした前提において、既に誤つているものというべきである。」
[29] 社会的相当性の理論と、この意味においての違法性の相対性理論とを結びつけるときは、社会的相当性の有無は、必ずしも全法秩序との関係において判断すべきものではなく、現にその適用の可否が問題とされている具体的刑罰法規における法益保護の目的にてらして、当該の行為の法益侵害性が当該罰条の対象として予想するだけの実質的違法性を帯びるか、当該罰条の予想する刑罰という法的な不利益効果を帰属せしめるに足りるだけの社会的常規からの逸脱を示すものであるか、という点のみを論ずれば足ることになる。この場合、積極的にその正当性が論証されることは必要ではなく、可罰的程度に至るまでに社会的相当性を逸脱していなければ、当該法規の関係では違法性ありとはいえず、当該罰条の刑罰は科せられないとすることで足るわけである。そこに、可罰的違法性の理論が社会的相当性の理論による刑事免責よりも、一段とひろく、その適用範囲を拡大することとなるのである。
5 可罰的違法性の理論の要件
[30] 可罰的違法性の理論の要件としては、次の3つが考えられる。
(1) 被害の軽微性
[31] 可罰的違法性の欠如を根拠づける要素としてまず重視されるべきは、法益侵害性の軽微、すなわち、実害ないし脅威の軽微ということ、要するに微罪性ということである。例えば、暴行、傷害などの概念については、実害の程度に応じて違法性を段階づけるに適しており、あまりに軽微な人体に対する物理力の行使は暴力かやら除外され、また、あまりに軽微な外傷ごときは、独立した傷害の結果とみるよりは、むしろ、暴行の当然の結果として暴行の概念に吸収されるとみるのが適当だと解せられる。
(2) 行為の相当性
[32] 行為の相当性とは、目的並びに手段において相当であるということである。とくにその手段において、残虐、苛酷、粗暴、悪らつなものと然らざるものとでは、違法評価が著しく異なるからである。
[33] この点を、暴行を例にとつて考えると、撲る、蹴る、突きとばす、投石するなどの行動は、可罰的違法性論を用いて構成要件該当性を否定することはできないが、押す、腕を押える、引つ張る、肩を叩くなど、同種の行為が、行為のなされる具体的情況のいかんによつて、違法な暴力行為とも、日常反覆される違法性のないことを何人もあやしまない行為ともみられるような、いわば非典型的な暴力的行為については、可罰的違法性の理論を活用する余地がひろいということになる。
(3) 補充の原則は不要である
[34] 可罰的違法性の理論の適用上は、補充の原則の充足、すなわち当該行為が法益の保全のための唯一の方法と認められることは、必ずしも要請されないものと考えられる。というのは、可罰的違法性の理論は、緊急行為的性格の行為の正当化を目的として構想されたものというよりは、むしろ、通常の社会生活関係の常態において反覆累行され、且つそれが、積極的に正当とまでは認められないにしても、社会一般の処罰感情を強く喚起するには至らない程度の、すなわち処罰価値を欠く程度のものとして看過される軽微な違法行為を構成要件該当性のらち外に放遂しようとするものであつて、法益に及ぼす加害の程度がごく軽微であり、且つ加害の手段が、とくに社会一般の処罰感情を刺激するほどの顕著な悪らつ性、粗暴性、破廉恥性を示すには至らぬことが要件とされているのであるから、手段が社会的相当性をいちじるしく逸脱しないという要請は、おのずからみたされており、それ以上に補充の原則を要求する実質的根拠に乏しいからである。

(三) 可罰的違法性の理論を採用した最高裁、高裁判例
[35] すでに述べたようないわゆる可罰的違法性の理論は、裁判所がその各称を用いているか否かは別として、下級審においてはもちろん、最高裁判所においても夙に採用され、後に挙げるいくつかの判例を経てすでに確立されたものといつてよい。
[36] 可罰的違法性の理論の萌芽は、すでに戦前の大審院判決のなかにあらわれている。かの有名な一厘事件(大審院判決明治43・10・11・録16-1620)の判決がそれである。事案の内容は、煙草耕作者がが、その作つた葉煙草を政府に納める際に、僅か7分程のものを怠納したことが煙草専売法違反として起訴されたというものである。大審院は、その判決のなかで
「抑モ刑罰法ハ共同生活ノ条件ヲ規定シタル法規ニシテ国家ノ秩序ヲ維持スルヲ以テ唯一ノ目的トス果シテ然ラハ之ヲ解釈スルニ当リテモ亦主トシテ其国ニ於テ発現セル共同生活上ノ観念ヲ標準トスヘク単ニ物理学上ノ観念ニノミ依ルコトヲ得ス」
「而シテ雰細ナル反法行為ハ犯人ニ危険性アリト認ムヘキ特殊ノ情況ノ下ニ決行セラレタルモノニアラサル限リ共同生活上ノ観念ニ於テ刑罰ノ制裁ノ下ニ法律ノ保護ヲ要求スヘキ法益ノ侵害ト認メサル以上ハ之ニ臨ムニ刑罰法ヲ以テシ刑罰ノ制裁ヲ加フルノ必要ナク立法ノ趣旨モ亦点ニ存スルモノト謂ハサルヲ得ス故ニ共同生活ニ危害ヲ及ホササル雰細ナル不法行為ヲ不問ニ付スルハ犯罪ノ検挙ニ関スル問題ニアラスシテ刑罰法ノ解釈ニ関スル問題ニ属シ之ヲ問ハサルヲ以テ立法ノ精神ニ適シ解釈法ノ原理ニ合スルモノトス」
と述べている。これは、行為が犯罪の構成要件に該当するようにみえる場合であつても、その違法性がきわめて軽微(すなわち「雰細ナル反法行為」)で法の予定している程度に達しないときは、犯罪は成立しないとするものであつて、「可罰的違法性の宣言」(佐伯千仭立命館大学教授)といつてもよい。
[37] この判例によつて示された可罰的違法性の理論は、戦後の最高裁判所に踏襲されている。
[38](1) 最判昭和31・12・11(三友炭坑事件、刑集10-12-1605)がある。事件の内容は、組合の婦人部長が、争議中、闘争から離脱して操業を開始した一部組合員の行動に慎慨し、すでに多数の婦人組合員および、2、3名の男子組合員による線路上のすわり込みによつて炭車を連結したガソリン車阻止が行なわれているところに参加して、他の組合員とともに、「ここを通るなら自分たちを轢き殺して通れ」と怒号して、ガソリン車の運転士らをして運転を断念させたというもので、威力業務妨害罪として起訴された。第一審は、当該行為を労組法1条2項、刑法35条により無罪、第二審は、当該行為は威力業務妨害罪を構成しかつその違法性は阻却されないとしながら、被告人の行為は期待可能性を欠くものであると認めて無罪とし、これに対し検察官から、期待可能性の欠如を理由とする責任の阻却を認めたことを不当として上告がなされたものである。
[39] 判決は、
「このような就業を中止させる行為が違法と認められるかどうかは正当な同盟罷業その他の争議行為が実施されるに際しては特に諸般の事情を考慮して慎重に判断されなければならないことはいうまでもない。」
とし、本件については、労働組合は劣悪な労働条件のもとに待遇改善を要求して組合大会を開いた結果罷業に入つたものであること、被告人は、経営者側に緑故のある者が就業を開始したことについて不純な動機から同志を裏切り罷業を妨害するものと考えて極度に慎慨していたこと、被告人はすでに他の組合員らがガソリン車の前方に立ち塞がりあるいは横臥しもしくは坐り込んで進行を阻止していたところへ参加したものであること等の事情を考慮したうえで、
「このような経過から考えてみると被告人らの判示所為はいわば同組合内部の出来事であり、しかもすでに多数組合員が判示川上久光らの炭車運転行為を阻止している際、あとからこれに参加して炭車の前方線路上に赴き判示のように怒号し炭車の運転を妨害したというに止まるのであるから、かかる情況のもとに行われた被告人の判示所為は、いまだ違法に刑法234条にいう威力を用いて人の業務を妨害したものというに足りず、……」
として原審の無罪判決を結論的に維持したものである。
[40] この判決が可罰的違法性の理論を採用したかどうかは、判示自体からは必ずしも明確ではない。しかし、この判決は「威力という概念の形式的定義にあてはまるような客観的事実があつたかどうかということではなく、当該行為が処罰に値するだけの実質的違法性をそなえているかどうかを考慮した上、『違法な』威力行使のみが威力妨害罪の構成要件該当性を有するという見解にたつて、本件行為には構成要件該当性を認めるだけの実質的違法性を欠くというところから、その結論を導き出している」のであつて「実質的違法性の判断を基礎としつつ構成要件該当性を否定したものと解するのが正当」(藤木英雄「可罰的違法性の理解」9頁)と解される。このことは、垂水裁判官の補足意見にさらに端的に示されている。右補足意見は
「炭鉱の労働者の労働組合が同盟罷業を実施中、組合員の一部がその組合に所属しながらほしいまゝにその業務たるガソリン車の運転に従事しこれを進行させたので、罷業組合員がこれを中止させるため、ガソリン車の進路前方軌道上に坐り込みかつ右運転者たる組合員に向つて「ここを通るなら自分達を轢き殺して通れ」と怒号する所為は……原判示のような情況のもとに行われた場合においては、いまだ違法に刑法234条にいう威力を用いて人の業務を妨害したものということができないと考えられる。
 その主な理由は、右所為は同盟罷業中の組合員が同じ事業場の仲間組合員に対してしたものであり、かつ、被告人の軌道上に赴いてからの右所為は極めて短時分の間に行われたという原判決の認定と解することができ、結局軽微のものとみられるからである。」
としている。
[41] このように、当該行為の目的、態様、結果の軽微性から、刑法234条の予想する違法性の程度に達しないとして構成要件不該当の結論を導いている点で、明らかに可罰的違法性の理論を採用した判例といつてよい。
(2) 最判昭和32・3・28(たばこ専売法違反事件、刑集11-3-1275)
[42] 事件の内容は、山間僻地の温泉旅館の主人が客の需要に応ずるためにたばこを買置き交付したことがたばこ専売法29条2項にいわゆる販売又は同法71条5号後段にいわゆる販売の準備にあたるものとして起訴されたものである。第一、二審とも有罪で被告人から上告がなされた。
[43] 判決は、煙草の買置きが、山間僻地の温泉旅館のため客の依頼に容易に応じ得ないという不便を避ける目的でなされたこと、買置きの態様も、客の依頼を予想して比較的需要の多い煙草のみを定価で買入れ陳列することなく帳場の押入内の硝子壜に入れて保管しておいたこと、販売の方法は客の依頼の都度定価に相当する金額で交付していたこと、買置いたのは小量の煙草にすぎないこと等を明らかにしたうえで、
「右のごとき交付又は所持は、たばこ専売法制定の趣旨、目的に反するものではなく、社会共同生活の上において許容さるべき行為であると考える。従つて、同法29条2項にいわゆる販売又は同法71条5号後段にいわゆる販売の準備に当るものとは解することができない。」
と判示し、原判決を破棄した。
[44] 本件の事案の内容は、同じたばこ専売法違反事件であつた一厘事件を想起させるものがあるが、無罪とした理由も違法性の微弱な点に着目して構成要件該当性を否定した点で全く同一といつてよい。すなわち、可罰的違法性の理論がここでもとられているのである。
(2) 最判昭和33・9・19(いわゆる納金スト事件、刑集2-13-3047)
[45] 事件の内容は、労働組合が闘争の戦術として従来から採用されてきた集金業務拒否(いわゆる集金スト)にかえて納金業務拒否(いわゆる納金スト)の戦術を採ることになり、集金されてきた電気料金を組合の分会執行委員長名義で銀行に預金したことが業務上横領として起訴されたものである。
[46] 第一、二審とも無罪で、検察官より上告がなされた。
[47] 判決は
「原判決が、本件につき、被告人らに不法領得の意思がないものと判断したのは相当であり、本件で労働争議の手段としてなされたとの一事をもつて、直ちに、被告人らに不法領得の意志があつたものと推断することはできない。」
と判示し、その判断の前提として、本件電気料金の預金は、専ら、会社側のためにする保管の趣旨の下になされたものと認められ、その保管の安全を期す点に主たる目的があつたこと、組合側は銀行に対し納金スト実施の経緯を説明し、争議解決後は直ちに預金を会社に返遷することおよび争議中は預金の引出しは一切行わないことの条件で預金したこと、会社が業務命令を発したので組合側は納金スト中止指令を出し預金全学が会社口座に返遷されたこと等の事実を挙げている。この判決も、労働争議行為として行なわれたという実質的違法性に関する判断を基礎に、結局は構成要件不該当の結論を導いている点において、可罰的違法性の理論に沿つたものといつてよい。
(4) 最判昭和39・3・10(長崎相互銀行事件、労働法律旬報別冊525-26)
[48] 事件の内容は、争議中の組合において、組合支部副支部長らの争議批判派組合員の活動が活発になつたため、批判活動をやめるよう説得するため、組合幹部が副支部長を組合側の拠点たる旅館まで同行を求めるにあたり、現場をはなれようとする副支部長の両腕をスクラムを組む形でとらえ、肩を押えるなどして数分間その自由を拘束し、逃走を断念させたうえ自動車に乗車させて連行したもので、逮捕罪として起訴された。
[49] これについて、第一審は、本件行為の目的、態様など「諸般の事情を考慮すれば本件所為は社会観念上公序良俗に反したものというを得ず、実質的違法性を欠くべきものと解するのが相当」とした。さらに、第二審たる福岡高等裁判所の判決(昭和37・4・11、労働法律旬報別冊466-2)は、被告人らの行為が争議中の組合内部における出来事であること、被害者は組合の重責ある地位にありながら分派活動の中心となつていたこと、事件は被害者の分派活動についての事情聴取と説得のためなされた召喚決定の伝達に関連して惹起されたものであること、被告人らは計画的に強制力を行使する意図は全くなく、被害者が不必要に騒いだため前記のような行為に出たこと、その後被害者も同行を承諾し平穏に話合いが行なわれていること等の事情を考慮して「かかる情況の下に行われた被告人等の本件所為は、いまだ以つて違法に人を逮捕したものというに足りず」と判示した。これは明らかに可罰的違法性の理論に沿つたものである。検察官の上告を受けた最高裁判所は、上告を棄却することによつてこの福岡高裁の判決を維持し、結果的に可罰的違法性の理論を認めたのである。
(5) 最判昭和33・7・10(東芝川岸工場失業保険料不納付事件(刑集12-11-2471)
[50] 本判決は、失業保険料不納付につき、期待可能性なしとの理由により無罪を言渡した原審東京高裁判決を結論的には維持しつつ、構成要件該当性なしとしたものであるが、構成要件該当性の有無の判断にあたつて、被告人会社の経理状況が悪化していたこと、被告人の自由裁量を許される手許資金もなかつたこと等の事実が考慮されている点で、これまで述べてきた判例の系列に属するものといつていいであろう。
3 高裁判例について
[51] 可罰的違法性の理論は、これまでみてきたようにいくつかの最高裁判所の採用するところとなつているが、同様のことは高裁判例についてもいえる。
[52] 大阪高判昭和39・5・30(下刑集6-5・6-581)は、労働組合組合員が警察官を取り囲み約130メーメル同行させた行為が逮捕罪として起訴された事案について、被害者たる警察官にも非があつたこと、連行の目的も首肯できるものであること、強い自由の拘束はなかつたこと、拘束したとしてもごく軽微なこと等を認めたうえで、本件行為は「可罰的違法性を欠く程度の軽微なもので逮捕行為としての定型性を具えていないと認められるばかりでなく前記の諸事情を考慮すると被告人ら組合員に居谷巡査を逮捕する犯意もなかつたものといわなければならない。」としている。
[53] 同じ大阪高判昭和41・5・19(大阪学芸大学事件、判例時報457-14)は、原審判決の超法規的違法阻却事由を認めた判断は妥当を欠くとしながら、続けて
「然しながら小川巡査の本件行為、即ち警備情報活動と称されるものは、行為の性質上その手段方法は隠微且不明朗であり、その対象とされる学生の側から云えば、学生集会及び学生個人の思想動向をも調査されるもの、従て学問の自由、個人の尊厳をも侵されるものと感ずるこのとは無理からぬことであり、その反感、慎慨を容易に誘発し易い活動であることは否定できないところであつて、学生達が本件暴力行為に及んだのも前記のような本件当日の機運情況から言えばいわば自然の勢であると云わねばならない。又本件において学生達が小川巡査を学大内へ強制的に連行するために施用した有形力の行使は、きわめて短時間かつ短距離の範囲であり、殴る蹴る等の悪質苛酷な暴力は全く行使せず連行に必要な最少限度の腕をかかえ引張り、或は後ろから押す等の程度に止まつていて法益侵害の程度はきわめて軽微である。ただ本件が何等かの犯罪の手段として行われたものならば、その犯罪の重要性に比例して本件行為も違法性が増大するであろうが、小川巡査が学大内に入つてから後の事実は起訴されていないから原審において審理も尽されておらず、学大内で果して犯罪を構成する様な行為が行われたか否かは明らかでない。従つて本件暴力行為はそれだけの行為として評価せざるを得ず、この見地からすれば(目撃者中には、学生達が先輩を学内に連れていくところか思つたと証言している者もある)極めて軽微な事件と謂わざるを得ない。これらの諸点を綜合すると、本件暴力行為は可罰的違法性に値するほどのものとは認められず、これを不問に附し犯罪として処罰の対象としないことがむしろわが国の全法律秩序の観点からして合理的であると考えられ、原判決の結論である超法規的違法阻却の是認も結局これと同趣旨に帰するものと解される。」
と判示している。
[54] 福岡高裁昭和42・3・6(判例時報487-66)は、労働組合組合員が不穏当な発言あるいは行動をした信用金庫支店長に対し団交を申入れたところ、支店長はこれに応じないで帰宅しようとしたためこれを引きとめようとした際、支店長の腕をつかみ、あるいはおさえて引きとめ、さらに両手掌で支店長の胸部を2度にわたつて押したという事案について、
「かく原判決は外形的に刑法所定の暴行罪の構成要件に該当する事実を認定しながら、(一)同支店長が被告人らの正当な団交渉の申入れを拒否したのは義務違反であり、(二)被告人らは同支店長に対し団体交渉に応じて貰うために帰宅を阻止しようとして偶発的瞬間的に手を下したもので被告人らの社会的危険性は非常に軽い、(三)被告人らの同支店長に対する法益侵害の程度性質は同支店長が侵害した労働者の団体交渉権の侵害に対比すれば極く軽いものであつたとの3点を挙げ『被告人らの所為は反社会性が極めて軽微で違法性を欠くに等しく遂に違法性を阻却する結果となり、犯罪を構成しないものと解すべきである』として無罪の云渡をしたこと所論のとおりである。
 原判決が被告人らの各所為を無罪にした理論的根拠を考えるのに、原判決は被告人らの所為が外形的には刑法所定の暴行罪の構成要件に該当することを認めたのであるからたとえそれが労働組合法1条1項に掲げる目的を達成するためにした行為であつても直ちに違法性を阻却されないとすべきところ、被告人らの各所為は前記(一)(二)(三)の理由により反社会性が極めて軽微であり、刑法所定の暴行罪が予定する程度の違法性を欠くのでその構成要件に該当しないというにあたり、講学上いわゆる可罰的違法性の理論に従つたものと解すべきである。」「以上の諸事情を綜合して考察するに、原判決が被告人らの所為を微罪性のゆえに暴行罪として処罰を予想する程度の違法性を欠き暴行罪の構成要件に該当しないとして無罪を云渡したのは相当」
と判示して可罰的違法性の理論を採るべきことを明らかにしている。
[55] 仙台高裁昭和43・7・30は、労働組合組合員が監察官の右肩を両手で1回突いたことおよび貯金課長のネクタイを掴んで引張つたことをもつて有罪とした原審判決に対して、「他人に対する不法な有形力の行使にあたるものとして、処罰に値いする暴行を犯したことを認める確証は存しない。」としてこれを破棄した。この判決も明らかに可罰的違法性の理論に沿つたものである。
[56] なお、地裁判例においても可罰的違法性の理論に沿つたいくつかの例を見出すことができるので指摘しておこう。たとえば、東京地判昭和37・1・12(第1次国会乱闘事件、判例時報297-7)、大阪地判昭和40・3・30(全逓大阪中郵事件、判例時報418-22)等がそれである。

(四) 判例における可罰的違法性の判断の基準
[57] すでに述べたように、可罰的違法性の判断基準は、被害の軽微性及び行為の相当性であり、後者はさらに行為の目的の正当性と手段の相当性に分かたれるとされている。消極的には、補充性が不要とされている(藤木「可罰的違法性の理論」38頁)。
[58] この基準は、そのまま判例の示す可罰的違法性の判断の基準となつている。前掲福岡高判昭和42・3・6はこのことを次のように明言している。
「原判決が根拠としたと思われる可罰的違法性の理論はある行為につき実質的違法性が可罰的な程度に至らぬ程微弱であるということを理由として行為の構成要件該当性そのものを否定するものであり、その判断の基準として(一)法益の侵害即ち実害ないし脅威の程度が軽微であり構成要件が予定する程度に達しないこと、(二)行為の態様が目的、手段、行為者の意思等諸般の事情に照し社会通念上容認される相当性があることが考えられるが、かかる場合は刑法の根本原則に則り、これを構成要件に該当しないと解して差支えないと解する」
[59] さきに挙げたいくつかの最高裁判例も、このような基準のもとに可罰的違法性の有無を判断していることは、判文自体から明らかである。

(五) 本件立入行為は可罰的違法性を欠いている。
[60] 被告人らの本件立入行為は、教育の自主性の原理(教育基本法10条1項)、教育の地方自治の原理(憲法92条、地方自治法、地教行法)を侵害し、教育に対し不当な支配を加えようとする学力調査が学校において強行実施されようとしている状況下において、教育について深い関心と重大な利害を有する教員ないし父母住民たる被告人ら説得隊員が、テスト実施の責任者に学部長その他テスト関係者に対し、言論による説得によつてその実施を思いとどまらせるためなされたものであること、立入つた人数は約70名であつたが、それ自体、常規を逸した数とはいえず、且つ右の如き事態の重大性からみて、校長に対し多数の人びとが学力調査の実施に対して真剣に反対している事実を表現することが必要と考えられたことによるものであること、校舎内に立入るに先立つて、説得隊全員に対し責任者である松橋被告等から校舎内での説得隊の行動が暴力や喧騒にわたることのないように厳重な指示注意がなされており説得隊の側にも慎重な配慮が払われていたこと、校舎内への立入り自体はきわめて静粛になされていること、校長に対する説得行為も決して長時間にわたるものではなく、説得よりも待機している時間の方が長かつたこと、また説得はなんら暴力を伴うことなく終始平穏に行なわれていること、仮に原判決が述べるように説得が多少喧騒にわたることがあつたとしても、さらに説得隊員が校舎内の要所に配置され校長を監視する体制が作られ、あるいは職員室へ比較的自由に出入りしていたとしても、それは決して生徒の授業や教員の職務活動に実質上の支障を与えるものではなかつたこと、したがつて学校運営に与えた実質的な支障は殆んどとるに足りないものであつたこと等の諸事情を考慮するならば、原判決は、前述の諸判例に従い本件立入行為は、可罰的違法性を欠くものとして、未だ不法に建造物を侵入したとは解しえないと判示すべきであつた。
[61] 原判決は、その判決理由中で
「建造物侵入罪の保護法益は『建造物の平穏』にあると解すべきであるが、管理権者の意思に反して建造物内に立入ることは、そのこと自体『建造物の平穏』を害するもので、建造物侵入罪の構成要件を充足すると解すべきである。」
と判示したが、これは最高裁判所の判例と相反する判断をなしたものである。すなわち、最判昭和42年2月7日(全逓安西郵便局事件、刑集21-1-19、労働法律旬報別冊624-2)は、いわゆる点検活動を目的として、労働組合組合員らが郵便局事務室へ立入つた行為が住居侵入罪にあたるとして起訴された事案について、その判決理由中で
「つぎに、住居侵入罪の成否について判断をする。おもうに、点検活動を目的とするからといつて、どのような事情のもとでも、常に立入行為が許されるわけではないとともに、また管理者が拒否するからといつて、一切の立入行為が許されないものとなるわけでもない。点検活動を目的とする者が郵便局長の拒否にかかわらず局舎事務室へ立入つた行為が、住居侵入罪を構成するか否かの判断をするためには、立入る側とそれを拒否する側との双方について、それぞれの具体的動機とその行為の態様とを相関的に考量する必要がある。」
との判断を示している。
[62] 原判決は、管理権者の意思に反する立入は直ちに建造物侵入罪の構成要件を充足するとして、「立入る側とそれを拒否する側との双方について、それぞれの具体的動機とその行為の態様とを相関的に考量」しなかつた点において、右最高裁判例と相反する判断をしている。
[63] しかも、本件について、「それぞれの具体的動機とその行為の態様を相関的に考量」した場合には、すでに可罰的違法理論に関する判例違反の項で述べたように建造物侵入罪を構成しないことは明白である。したがつて、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例違反を犯している点において破棄を免れない。
[64] 建造物侵入罪の保護法益は、建造物の平穏にある。このことは原判決も認めるところである。しかしながら、原判決は「管理者の意思」に反する立入りであれば即ちに建造物の平穏を害するものとして建造物侵入罪の構成要件を充足すると判断した。この判断には重大な矛盾があり、法令違背の責を免れない。その理由を刑法130条の構成要件に即して、以下に述べる。
[65] 刑法130条の「故ナク」とは、たんなる違法性の原則の表現以上の実質的な意味をもつている。現実の社会生活においては住居侵入に類する行為が正常に行われることがしばしばあるのであつて、その実情をふまえた犯罪定型としての刑法130条は、正当な理由のない立入りに限つてこれを処罰の対象とするものである。すなわち、同条の「故ナク」とは「正当の事由なく」と解すべく、正当の事由がある場合には住居侵入罪の構成要件該当性が阻却されるのである。しかるに原判決は、この点についての解釈適用を誤り、もつぱら「管理者の意思に反する立入り」即「平穏を害する立入り」即「刑法130条の構成要件の充足」という判断を示すのみであつて、「故ナク」の構成要件を素通りしているのである。これが原判決の第一の誤りである。
[66] つぎに問題なのは、同条の「侵入」の解釈である。
[67] 本来、建造物侵入罪の保護法益を「建造物の平穏」と解する以上は、刑法130条の「侵入」は「建造物の平穏を害する立入り」と解釈することが、論理からいつて当然の帰結である。もし建造物侵入罪の保護法益を、いわゆる「管理権」であると解する立場に立つならば、同条にいう「侵入」は「管理者の意思に反する立入り」ということになる。
[68] 而して建造物侵入の保護法益を「管理権」と解する立場は、周知のように、犯罪の成否を「権利侵害」の有無によつて論ずる19世紀の刑法思想の名残りであつて、近時の判例学説の採るところではない。最高裁判所の判例においても、いわゆる「住居権」の理論の破綻が示されているのである(最決昭28・5・14)。そして原判決も、刑法130条の保護法益を論ずる限りにおいては、一応、「建造物の平穏」を保護法益と解している。
[69] しかるに原判決は、「建造物の平穏」を害したか否かを、もつぱら「管理者の意思」に反したか否かの基準によつて、しかもそれを唯一絶対の基準として、判断したのである。この判断は二重の意味で間違つている。なぜなら、建造物侵入罪の保護法益を「建造物の平穏」と解する以上、その平穏を害したか否かは客観的な判断であつて、それを「管理者の意思」如何という、管理者の主観によつて左右することは、本来、許されない。そして、たとえ管理者の意思が建造物の平穏の有無を判断するための一つの手がかりになるとしても、それはあくまでも一つの手がかりであつて、これを唯一絶対の判断基準として建造物の平穏の有無を判断することは到底許されない。そうでなければ、管理者の意思の強弱の度合いやその意味内容の如何によつて結論が左右されることになり、結局は「管理権」を保護法益とする立論に帰着するからである。この点、原判決は、議論の前提として「建造物の平穏」を保護法益としながら、その平穏の有無を判断するのに「管理者の意思」を唯一絶対の基準として持ち込み、その結果、結局は「管理権」を保護法益とする立場に逆戻りしているのである。明らかに原判決は、その論理自体が破綻している。ここに原判決の第二の、そして最も基本的な誤りがある。
[70] 従来、刑法130条の「侵入」を「住居権者」ないし「管理権者」の意思に反する立入りと解する理論構成は、判例上しばしば見受けられたところであるが、しかし、判例にあらわれた事案は、いずれも住居ないし建造物の平穏が害された場合であつた。そして、最高裁判所の判例は、「居住者又は看守者が法律上正当の権限を以て居住し看守するか否かは犯罪の成否を左右するものではない」とするに至り(前掲最決・昭28・5・14)、もはや旧来の「住居権者ないし管理権者の意思」の理論が通用しなくなつたことは判例法上も明らかなのである。原判決は、この最高裁判例にも違反するものである。
[71] 而してまた、「侵入」の成否は、建物の種類の如何によつて、また立入目的と態様の如何によつて差違を生ずる。公共的な建物の場合は、その管理者だけで目的にかなう利用はできない。外部の、多数の一般人が立入り利用することによつて始めて公共物としての役割が果せるのである。この点において、公共的な建物は個人の私宅とは、本質的に異なる。
[72] 個人の私宅であれば、いわゆる住居権者の意思に反した立入は同時に住居の平穏を害する場合が多いけれども、しかし公共的建物の場合は、管理者の意思に反した立入りが必ずしも建物の平穏を害するとは限らない。「意思に反した」ということの意味内容は、建物の種類性質の如何によつてその「平穏」の態様が自ら異る以上、決して一様ではない。げんに近時の判例も、公共的建物については一定の目的をもつてする立入りに「管理者の包括的承諾」が与えられている。といい(東高判・昭27・4・24)、或は「立入の目的が正当であり態様の手段が社会通念上容認される限度を超えない限り、管理者は正当な理由がなければ拒否できない」と判示しているのである(大阪地判・昭40・4・30)。この論旨は、まさに自明の理であつて、原判決が、すべての住居、すべての建造物について、その平穏に関する差違を全く見落し、それによつて刑法130条の解釈適用を誤つたことは、全く明らかである。
[73] 前述のとおり、「故ナク」の構成要件該当の有無は、立入目的が正当な理由によるものか否かによつて決まる。本件について原判決は、学力調査の違法であることを明確に判示しながら、その違法を阻止すべく説得のために校舎内に立入るという行為を、その目的(まさに正当な目的)から切りはなし、さらに現実の校舎の平穏の有無という問題を、偶々居合わせた斉藤吉春なる一校長の主観(違法な学力調査を強行実施しようと構えていた、その意思)に委ね、もつぱら、その違法な職常執行の意思を唯一の依りどころにして、校舎の平穏が害されたと判断しているのである。
[74] 根本の問題は、学力調査の違法と裏はらの関係にある立入目的の正当性を、かゝる関連において正しく把えることである。原判決の判断はこの関連を、ことさら切りはなし、片方では学力調査の違法を指摘しながら、その半面立入目的の正当性には眼をつむつたのであつて、この論理は、一方の手で与えたものを他方の手で奪うに等しい。
[75] 学校における建造物の平穏とは、いうまでもなく「授業の妨げにならず教育活動に支障をきたさないこと」である。この点を基礎に、本件については具体的に検討しなければならない。
[76] 第一に、立入目的は、組合員たる校長に対して学力調査を実施しないよう口頭で説得するためであつた。実力をもつてテスト実施を阻止したり暴力を振つたりする目的は全くなかつたし、また予想もしなかつた。その説得は、北教組の組合員を中心に編成された説得員が、同じく学力テスト反対闘争に結集した旭労会議参加の各労組の組合員とともに、父兄や地域住民の学力調査反対の意思を反映させて行つたものである。とくに事件当日は、すでに学力調査実施を文部省が決め、道教委、旭川市教委も実施にかかつた段階であり、この違法な学力調査を阻止するには、どうしても当日の朝、学力調査開始前に、学校に赴いて校長などの関係者に説得する以外に方法がなかつた。被告人らの本件校舎立入は、以上のとおり、その目的において全く正当な理由があつたのである。
[77] 第二に、校舎の現実の平穏であるが、被告人らの立入りは、何ら平穏を害していない。
[78] 被告人らが立入つた正面玄関のすぐそばの校長室にいてテスト立合人も、また同じ校舎で授業中であつた教員も、被告人らが、いつ校舎に入つたのか判らぬほどであつたし、また立入つた後の気配も、当時同じ校舎内で行つていた授業には何ら差支えがなかつた。げんに立入りのとき、永山中学校の或る教員は被告人らにスリツパを提供し、或は職員室でストーブにあたるよう被告人らに話してもいるのである。すなわち、校長を除く全職員は、本件の被告人らの校舎立入を快よく迎えた。原審までにあらわれた、いかなる証拠も、被告人らの立入りが客観的に校舎の「平穏」を害したというものはない。
[79] 第三に、斉藤校長の退去要求は、何ら法律上保護に値しないことである。被告人らの本件校舎立入りは、北教組の一組合員である校長に対して、北教組の組合員を中心に組織された説得員が、旭労会議傘下の各労組員とともに、北教組・旭労会議の民主的に討議決定した方針を訴え協力を求めるためであつて、それは職場を越え企業を越えた労働者の団結権にもとづく正当な団体行動であり、集団的表現の自由の行使でもあつた(憲法28条、同21条)。まして当日実施されようとした学力調査が違憲・違法である以上、これを実施しないように、組合決定に従うことを校長に求めることは、団結権の最も基本的な行動であり、所謂団結強制の機能によるものであつた。しかも、その説得は、校長の私宅ではなく、北教組の組合員達にとつて日常の職場活動の場であり校長との日常的な交渉の場である学校において行われた。とくに、公立中学校の通例として、永山中学校は、旭川市内の他の中学校と同じく、従来から、地域住民や父兄が校舎見学や授業参観、あるいは陳情などのために自由に立入つたり、また他校の組合員が組合用務のため立入りすることも通例であつた。
[80] このように、本件立入りは、北教組・旭労会議が、差迫つた重要な要求にもとづいて必要最少限の権利行使のために、その目的達成に必要な範囲内において校舎内に立入つたのである。しかも立入りは、平穏かつ整然と行われた。したがつて、校長としては、正当な理由のない限り、この立入りを拒否することは許されないのである。また実際、被告人らの立入りと説得が道理にかない節度を有し、学校の平穏を乱さなかつたからこそ、斉藤校長の退去要求なるものも決して一貫せず動揺していたのである(2度にわたる校舎案内は、この意味で、校長の意思なるものが決して一貫した立入拒否ではなかつつたことを銘記すべきである)。
[81] 第四に、とくに浜埜被告人の場合、他の被告人が既に校舎に入つてから1時間も後に、1人で校舎に入つたのであり、立入りに際して何ら校長の立入拒否に会つたこともないのであるから、これを「建造物侵入」に問擬することは到底許されない。
[82] 以上によつて、被告人ら全員の建造物侵入の構成要件不該当は、一見明白である。
[83] 原判決は、実質的違法阻却事由が存在するとの弁護人の主張に対し、被告人らの本件立入行為は、その目的において正当性を欠き、手段、方法の点においても相当性を欠いており、法益の権衡の有無を論ずるまでもなく、本件立入行為は正当性を有しないものとして、右の弁護人の主張を却け、且つ超法規的違法性阻却理由の要件として緊急性、補充性の要件が必要であると述べているが、これは以下に述べる如く違法阻却事由についての解釈適用を誤つたものであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない。
[84] 原判決はいわゆる超法規的違法阻却事由の要件として、弁護人主張の目的の正当性、手段・方法の相当性並びに法益権衡のほか、
「具体的状況の下において当該行為が緊急にしてやむを得ないものであり、他にこれに代る方法を見出すことが不可能であるか又は著しく困難であることを要すると解すべきである」(補充性、緊急性の要件)
と判示する。
[85] しかし、いわゆる超法規的に違法性が阻却される場合は、刑法35条により実質的違法性を阻却される場合の一事例にほかならない。刑法は、実質的違法性を阻却する具体的事由として、同法36条及び37条において、正当防衛と緊急避難とを定めているが、これは実質的違法性が阻却される典型的な場合を例示的に類型化したものにほかならず、右以外に違法性が阻却されるすべての場合を同法35条において統括的に定めているのである。いわゆる超法規的違法性阻却事由もまた、右に含まれるものである。そして刑法35条の定める違法性阻却の要件は「正当な行為」というものであつて、この要件の具体的内容は、必らずしも一様なものでなく、具体的状況に応じて区別して考えられなければならない。
[86] たとえば、国民に保障された権利・自由の行使については、当該行為がその権利・自由の行使として許容される限界を超えるものでない限り、違法性を欠くものと考えられている。正当な労働組合活動がその典型であろう。この場合には緊急性、補充性の要件は必要とはされないといわねばならない。また権利・自由の行使でない場合においても、当該行為の目的が、法的擁護、憲法秩序の擁護のごとく、法秩序全体の精神からみて正当性を是認しうるものであり、その手段・方法も相当であり、相互の法益が均衡を失するものでないときは、実質的違法を欠くものと考えられている。その場合に原判決が指摘する如き緊急性・補充性の要件を必要とするかは、場合をわけて考えるべきである。
[87] すなわち、一口に超法規的に違法性が阻却される場合といつても、そのなかにはその性質上正当防衛に準ずる場合と緊急避難に準ずる場合とが存するのであり、後者については、緊急避難の要件に準じて補充性の要件が要求されるが、前者についてはこれを要求されないものと解するのが相当である(吉川経夫「ポポロ事件判決」批判、法学ゼミナー115号所収48頁同旨)。
[88] しかるに、本件の場合は、後に述べる如く権利・自由の行使とみられる場合であり、あるいは正当防衛に準ずべき法益擁護の行為とみられる場合であるから、いずれにしても、補充性・緊急性の要件を必要としないものというべきであり、原判決は、この点ですでに法令違背を犯しているといわなければならない。
[89] 以下に、被告人らの本件立入行為が、国民の権利・自由の行使として社会的に許容される限度の行為であること、及びその目的が正当であり、手段・方法が相当であり、法益の均衡を失するものでなく、本件立入行為は、いずれにしろ正当な行為であることを明らかにしたい。

(一) 目的の正当性ないし権利・自由の適正な行使
1 原判決の判示
[90] 原判決は、被告人らの本件立入りは
「本件学力調査阻止を窮極の目的とするにせよ、当面の目的は斉藤校長を説得するにあり、しかも原判決が説示するように、右説得の結果喧騒にわたる事態の到来も十分予測され、同被告人らとしてもこれを容認していたと理解されることからすれば、同被告人らの校舎立入りの目的が正当であるとは言い難い。」
と判示した。
[91] しかし、右の如く、本件立入りの目的を斉藤校長の説得とのみとらえ、且つその説得が喧騒にわたるものであるか否かということのみを唯一の基準として目的の正当性の有無を判断することは、実質的違法性の有無を検討し判断する仕方としては、適切なものとはいい難い。現行法秩序のもとにおける実質的違法性の有無が問題とされている以上、これに関連を有する以下の如き諸事情を広く考慮に入れるべきである。
2 本件立入行為の目的とその正当性
(1) 本件立入行為の目的
[92] 被告人らの本件立入行為の目的は、本件学力調査を阻止するために、テスト実施責任者たる学校長その他のテスト関係者に対し、テスト実施反対の意思を表明し、テスト実施を思いとどまらせようとすることにある。
[93] したがつて、右の目的の正当性の有無を判断するためには、もつとも基本的なものとして、本件学力調査の違法性の有及びその程度の如何がまず吟味されなければならない。
(2) 本件学力調査の重大な違法性
[94] 原判決及び一審判決が判示している如く、本件学力調査は、教育基本法10条1項によつて定立されている教育の自主性の原理及び憲法92条、地方自治法、地教行法によつて確立されている教育の地方自治の原理等わが国教育法制の基本原理を侵害し、教育に対し「不当な支配」(教育基本法10条1項)を加えようとするものである。しかも、教育基本法10条1項の趣旨は、原判決も述べている如く、
「かつて我国においてみられた教育の国家統制に対する反省の上に立ち、教育が政治等による不当な支配を受けることなく、国民全体のものとして自主的に行なわれるべきものとするとともに、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果をあげ得ることにかんがみ、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫に委ねて教育行政機関の支配介入を排し」
た点にある。
[95] すなわち、右の規定は、教育の国家統制を排し、その民主的な展開、自由にして創造的な発展を保障しようとするものであつて、わが国教育法制がよつて立つべき民主的教育法原理の基礎を据えたものといわねばならない。したがつて、本件学力調査の強行実施は、わが国教育の民主的展開にとつてまことに憂慮すべき事態であり、その違法性の程度はきわめて大であるといわねばならない。
[96] このことは原判決自体も認めるところである。
(3) 表現の自由ないし団結権の行使
[97] 本件学力調査は、以上の如き内容をもつものとして、直接渦中に投じられた教員はもとよりのこと、子弟の父母ないし地域住民の利害にも重要なかかわりをもつ事項といわねばならない。
[98] かかる場合に父母ないし地域住民が、教育委員会や学校当局に対し、当該施策についての不満、要求、意見を表明することは、一般に憲法21条の保障する表現の自由の行使として当然に是認されるべき行為である(一審判決もそのことを承認している。一審判決理由第一章、第三節、第二参照)。とくに、憲法26条が教育を受けることを国民の権利として保障し、教育の権利性が理念として確立されている今日の法制のもとにおいては、国民の右の如き意見表明の自由はとりわけ尊重されなければならないというのも、このような国民の教育上の意見、要求・不満の表明、その集団的、組織的、系統的な表明としての教育運動は、わが国においても、また諸外国においても、国や地方公共団体の教育政策、教育立法、教育行政の発展を促がし、教育を受ける権利の内容を具体化し、その水準を高め、あるいは教育政策、教育行政の内容を民主主義の理念に適合せしめ、その誤りを是正せしめる上で、きわめて重要な役割りを果たしてきているのである。もとより、相対立する意見や多様な意見が表明される場合も存するであろうが、かかる多様な意見の表明自体、国民の活発な討論を発展させ、そのことを通じて、国民の意見のより高い次元でのまとまりを生みだすという意味で、教育政策、教育行政の発展にとつて、きわめて有益な事態であるといわねばならない。
[99] したがつて、とりわけ教育を国民の権利として宣言している日本国憲法のもとにおいては、国民の教育上の意見の表明ないし教育運動は積極的な価値を有するものとして憲法上高く評価されているものといわねばならず、学力テスト反対運動は、まさに右の如き国民の教育運動の一場合であることに注目すべきであろう。
[100] また、佐藤被告らの教員組合員についていえば、当日に至るまでの旭川市教委、北教組旭川支部間の交渉の延長として、学校におけるテスト実施の責任の衡に立たされている学校長に対し、説得を通じてテストの中止を要求するという組合活動の性格をも有していたということができる。
[101] かかる権利・自由の行使についても、自ら一定の限界の存することはいうまでもないが、権利・自由の行使としてどのような程度・範囲の手段・方法をとることが許容されるかは、一律に決することはできず、具体的状況の如何によつて異つてくるのであるから、具体的状況を考慮することはなく、当該行動が多少喧騒にわたる危険性を内包していたからといつて、直ちに正当性を容認する余地がないと断定するのは早計である。
[102] すなわち、校舎内に立入つて右の表現の自由等を行使した点については、一般に父母地域住民が学校当局の措置について不満ないし要求をもつ場合、学校に赴き校長等にしてこれを表明することは右に述べた如くもともと父母国民の権利として是認されているのであり、実際にも日常しばしば行なわれているところであること、教員組合員にとつては、学校は同時に組合活動上の必要にもとずき学校内に立入ることは、これ亦一般に是認されていること等からみて、校舎内に立入つたことをもつて、表現の自由等の権利・自由の行使として行きすぎたものということはできない。
[103] また多人数(約70名)で立入つたことについても、すでに述べたように約70名という人数自体決して常規を逸した数とはいえず、且つ事態の重大性からみて、多人数を背景とする説得の方法が必要と考えられたことによるものであり、他面説得隊の校舎内における言動が暴力や喧騒にわたることのないようにするため、校舎立入りに先立つて責任者である松橋被告らが、全員に対して、指示注意を与える等の配慮を示しており、実際にも校舎内における説得隊員らの言動は生徒の授業や教員の職務活動に実質的な支障を与えるものではなかつたのである。したがつて仮に原判決指摘のごとく斉藤校長に対する説得が執拗かつ喧騒にわたることがあつたとしても、本件学力調査の違法性が前述の如くきわめて重大なものであることを考慮に入れるならば、右の如き程度の障害が生じ、あるいは事前に予測されたからといつて、本件立入の目的の正当性を否定することは、明らかに当を失したものといわなければならない。

(二) 手段方法の相当性
[104] 原判決は手段方法の相当性について、説得の対象者はわずか数名にすぎないのに、70余名が、代表者による事前の交渉もなく、校長の制止を意に介せず、一時に立入り、校舎内の要所を占め、職員室にも自由に出入していた等の状況から手段方法として相当ではないという。
[105] しかし右の判示は、到底正当なものとはいいがたい。
[106] すなわち、手段方法の相当性の有無を検討するに当つても、当該行為のなされた具体的状況ないし当該行為の目的と当該手段方法との関連を考慮すべきである。行為の目的や具体的状況と切離して、手段方法の相当性を抽象的に判断することは許されない。したがつて原判決は、重大な違法性を帯有し、わが国教育の民主的展開にとつて看過することのできない本件学力調査が、学校においてまさに強行実施されようとしている状況のもとで、これに効果的に反対するための行動の一環として本件行動が行われたことに、まず考慮を及ぼすべきであつた。右の如き事態の重大性に照らしてみれば、また目的達成のために効果のある手段を選ぶことが是認されなければならないわけであるから、校長に対する多数による集団的説得の方法を選んだこと、別言すれば「代表者による事前の交渉等もなく、70余名の者が校長の制止を意に介せず一時に校舎内に立入り、校舎内の要所を占め」たことが、直ちに手段方法の相当性を欠くものと断定することは許されない。また、すでに述べた如く、説得隊の側で、説得行為その他校舎内における説得隊員の言動が暴力にわたらないことはもとより、生徒の授業や教員の職務活動に対し障害を与えることのないよう充分の配慮が払われていたこと、校舎内における説得隊の実際の行動も右のとおりであつて、強いて「支障」といえるものをとり出してみても、原判決の判示するところによつても、わずかに職員室の出入が比較的自由であつたこと、校舎内の「要所」に分散して配置されていたというにとどまるのであつて、これらの事情を綜合的に考慮するならば、被告人らの本件立入り行為は、手段・方法として相当性を具有しているものといわなければならない。
[107] 以下に右の点についてさらに詳述したい。
[108] 以下においては、事前交渉がなされなかつた真因は何か、校舎の制止を真に意に介さなかつたか或いは意に介したからこそ、これに対して妥当な処置をとつていたのではないか、70数名の多数が一時に立入るについて特段の混乱を生ずるような状況は存在しなかつたではないか、数名の説得対象者に対して立入者が多数であるということから言論による説得以外にことさらに物理的な外形を伴う手段方法が現実に用いられたか、立入後の説得員の立ち居振舞は、実際上、法秩序を侵害するような態度であつたか、等を、具体的に吟味してみたい。これらの吟味なしに原判決のように認定することは、結局、被告人らが、多数のものと共に校舎内に立入つた外形的事実を捉えて、即ち違法な外形的事実であるというに帰するのであり、それ以上に何故このような外形的事実が伴えば違法となるかの問題には答えていないことになるのである。
[109] そこで、本件説得隊員らが永山中学校の校舎に立入つた態様をつぶさに検討してみよう。
[110] 旭川市に於ては、文部省が旭川地教委に強行させようとした違法な一斉学力テストについて、旭川地教委自ら、旭川においては、旭川自独の学力テストによつてもよいこと、テストの結果は旭川独自に教組側に処分をまかせてもよいこと等を表明して文部省の行う学力テストが瑕疵のある行政行為であることを旭川市教育関係者に率直に表明しているような状況であつた。にも拘らず、旭川地教委は、文部省の指示に従つて、その実施要領に則り、文部省の作成した答案を教室に持込み、旭川市が、文部省の企図する学力テストを実施する意図があつたことを示そうとした。現実にテストを受ける生徒はモルモツトではない。
[111] 教育内容そのものの冒涜もはなはだしい。旭川地教委は、テスト実施の意図はもつていたが、これを完全に強行しようとする意図までは始めからなかつたことが十分に伺えるのである。しかし旭川市民が、この地教委の方針に反対しテストを思いとどまるよう何らかの行動をとらなければ、結局テストは形式的に行われることも明らかである。その意味では旭川地教委は自ら独自に違法な学力テストを自己の責任のみに於て中止する勇気はなかつたが、市民の民主的な要求に沿つて結局テスト強行を断念した形をとりこれによつて、旭川地教委が、文部省の中央集権的文教政策に末端から反抗したような外形だけはさけたいと考えていたと考えられよう。我国が、民主的現憲法を制定して15年、住民の民主主義の力は旭川市に於てもそれだけの力をもつに至つていたのである。
[112] そこで、旭川市民は、旭労、北教組旭川支部が中心となつて、旭労会議による学力テスト拒否闘争を決定した。これに沿つて、その代表と地教委とが、長期間テスト中止に関する団体交渉を行つたが、旭川地教委の態度は、右に述べたようであつたのである。
[113] そこで10月26日の当日は市内各中学校にそれぞれ多数の説得員が、動員された。永山中学校以外は、いずれも学力テストは中止され、強行されたところはない。その真因は多数の説得員が、説得を行なつたからに外ならない。しかし、これらの説得員はいずれも校舎に立入つてテスト責任者に説得しているが、住居侵入として、問題にされたものは一つもなかつた。
[114] この旭川の状況は、永山中学校の斉藤校長は前夜まで地教委構内にあつて、徹宵事態の推移を見守つていたのであり、十分に了解すべき地位にあつた。説得員と校長との対話の中にある「文部省と日教組とが話し合つても解決しない(文部省が中止を終局的に決定しない)のにここで話しても無駄だ」という発言は、このような背景の中で始めて理解し得るのである。
[115] 代表者による事前の交渉などするまでもなく、説得員らの来校の目的は斉藤校長にはよく理解出来たし、又多数の市民が、来校する理由も、以上のような経過の中で、それが、物理的な抗議運動を行うためでなく、学力テストを中止するよう説得するために人々が多数であることを示すために来ていることは当時組合員であつた校長が十分に理解し得たのである。従つて校長は、多数が静粛であつたにしろ一時に玄関から立入つたことに対し、制止はしたが、そのあと説得員からテスト中止の説得を諄々と行われるや、長時間これと応待し、更には説得員等に対する敵対的態度も片隣も見せず、自ら説得員らを校舎案内する態度さえ見せたのである。
[116] 説得員らは校長の制止を意に介せず校舎に立入つたのではなく、これを十分に考慮し、校長と十分の対話を行う中で、両者間に十分の了解が成立し、少くとも校舎立入りという外形的事実のみについては、校長の制止を思いとどまらせるだけの説得は成功したということができる。更に70余名が一時に立入つたことも、当日屋外は極端に低温であり、説得員らは一時に校舎内に立ち入つたが、玄関に表れた校長に対して多数の威力を背景にこれに詰め寄るというような空気は全くなく、その中の代表が、一人一人校長と対話をつづけ、他のものは野次も飛ばさず、これを聞いていたのであり、校長も自らは何らの自由の拘束も受けずにこれと最後まで、対話しており、結局これらのものを校舎案内するに至つているのである。その間、校長が代表による話し合いを提案したことも一度もない。このことは多数のものが立ち入つたこと自体は、校長と説得員らの対話に何らの障害にもならなかつた。即ち、説得員が少数であつても、多数であつても、説得を行うに当つては、同じであつたことを示している。してみれば、多数で入つた態様も何らの違法性もないのである。次に説得員らが校舎の要所を占めたというのも、たしかに説得員らは各人を分散配置したが、このことはむしろ手段方法がかえつて相当であつたことを示すといえる。即ち多数のものが、長時間1箇所に物々しく待機するよりも数ケ所に分散待機し、無用な刺戟を生徒に与えることを防ぎ且つ、各場所で、小人数で、待機して静粛にひかえ目に行動していたのであり、説得員らの立入りはかえつて、秩序のある統制のとれたものであつたことを示しているのである。
[117] 永山中学校の広い構内で70余名が、数ケ所に分散すれば1ケ所10名弱であり、始んど目立たないのが実状である。更に原判決は職員室えの出入を云々するが、誤解もはなはだしい。職員室の職員は全員テストに反対し、平常授業を行つていたのであり、説得員らとは父兄と教師の間柄で極めて親密な間柄にあつたのである。職員室へ説得員らが、自由に出入していたことはむしろ、説得員らが、校舎に立入りながら、当校の教師達から勧迎され、しかも教育そのものには何等の影響も与えない程に秩序正しく妥当な態様で校舎内に留つていたことを示す証拠である。弁護人らはその趣旨で第一審及び原審に於て立証を尽している。
[118] 本件に於ける校舎立ち入りの具体的態様は以上の如くである。
[119] 本件立ち入りが、前述のように、数育そのものを国家が自ら法を踏みにじつて破壊しようとするときこれを防ぐために、整然と、秩序正しく、多数のものが、自己の意思を表明するためになした行為であることは、更に多数であつたことによつて何等の実害も生ぜず、かえつて違法なテストを強行しようとする者に対して深刻な反省を与えていることを考えれば、誠に相当なものであつたといわなければならない。

(三) 法益の均衡
[120] 原判決は、目的、手段方法に於て相当でないことを理由に法益の均衡についての判断をしていない。
[121] 本件立入りより擁護しようとする法益は、学力テスト中止の説得を手段とした教育権及びその独立の確保であり、これにより侵された法益は、公共建物である校舎の一時的平穏である。前者の侵害の重大さに比すれば、後者は遥かに軽い。しかも当日の校舎の平穏というものは、管理権者たる校長自らが、教育法規に違背して、不法な授業計画の変更を図り、教師はこれに従うわけにはゆかず正常授業を行つていた。このような文部省の不法な介入に基因する教育方針内部の対立によつて生徒は間接的にしろ重大な心理的被害を蒙つていたのであり、教師も又まつたく正常な事態ではあり得なかつたのであり、校舎の平穏そのものが不安定な無秩序の中におかれていたものであり、教育の場として、既に破壊されていたものであることを考えれば、その中で形式的平穏は、殆んど比較するに値しないといい得よう。
[122] しかも当日実施されようとした学力テストは憲法的秩序を破壊しようとする違法行為である。かかる不法な重大法益の攻撃に対しては、国民は、これを阻止するために、適切な行動をとり得ることは、憲法第99条、刑法第36条の法理からしても明らかである。
[123] 本件校舎立入りの行為は、構成要件に該当するものとしても、実質的違法性を有せず、無罪が言い渡されるべきである。正当な行為をなした被告人らに対して、これを不法と断じた原判決は、即ち本判決自らが、憲法第99条に反して国民の憲法擁護の行動を禁圧することともなり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するといわなければならない。
[124]一、原判決には、つぎにのべるような判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

(一) はじめに
[125] 原判決は、被告人らに対する暴力行為等処罰に関する法律違反事件について、一審判決の、有罪認定を支持して、「控訴棄却」を言渡した。
[126] すでに、本件記録で明らかなように、一審判決の認定そのものが、検察官の主張(公訴事実)と大きく相違している事実であるが、その一審判決自体、本体記録に編綴されている一審弁論要旨、控訴趣意書、控訴審弁論要旨において詳細のべているような根本的な誤りをもつ極めて無理な事実認定をしているものである。したがつてこの一審判決を安易に支持した原判決は明らかに重大な事実の誤認を重ねたことになる。
[127] その理由は後に詳細にのべるが、先づ最初に、原判決が重大な事実誤認を犯した基本的な問題点を指摘しなければならない。
[128] いうまでもなく刑事裁判における事実の認定、とくに「有罪の認定」は、「何人も疑いをさしはさむ余地の許さない程」の「合理的確信」が必要である。換言すると、「合理的な疑いをさしはさむ余地のある証拠ないしは状況」は適確に且つ容赦なく排除しなければならない。それだけ有罪の認定は最も厳密に行わなければならないのである。そこ迄に至らないものは「証明不十分」として無罪を言渡す他はない。「疑わしき被告人に有利」という法格言は万に一つの危険を防止し、無辜に泣く刑事被告人の一人でもいないようにしようとする現代の刑事裁判の鉄則であることは今更いうまでもないことである。
[129] わざわざこの様な刑事裁判の原理をあらためて強調しなければならないのは、本件における原判決(一審判決)が、このような立場を忘れ、大きな誤ちを犯しているからである。具体的には後にのべるところであるが、まず
[130] 第一に、原判決(一審判決)は証拠の採否、分析、証価にあたり大きな誤りを犯している。裁判所が自ら信用性が乏しいとした証言を全体として斥けることをせず、無理その一部、あるいは片言隻句をとり出して信用できるとして有罪認定の根拠としたこと。
[131] 第二に、検察官の主張(公訴事実)どおりの認定はしないが、被告人側の主張もいれられないとし、裁判所の誤つた予断にもとづいて、事実を不当に推測していること。しかもその認定は極めて曖昧で確定的でなくむしろ恣意的であり、その根拠は前記のような自ら信用性に欠如していると認めた証言の一部に基いているという二重の誤りを犯している。事実認定は証拠により過去の真姿をそのままに、認識する作用であり、真姿は一あつて二なく、白は白、黒は黒と認めることでなければならない。事実認定は裁判官の認識の作用であるべきで、本件の場合のように検察官の訴事実を否定しながら裁判所の意欲の作用によつて認定することは到底看過できないのである。
[132] 第三に、原判決は又、いわゆる間接事実(情況証拠)にもとづく直接事実を推測する過程にも不合理な飛躍があつて経験則、論理則に適合しない、きわめて無理がなされていることである。
[133] 以上のことだけはどうしても指摘しておかなければならない。これらの点からもすでに重大な事実誤認の原因が存在していることは否定できない。

(二) 外崎被告人に対する暴力認定の重大な事実誤認
[134] 原判決は、証人斉藤吉春、同中川弘、同大門功の各供述を総合すると暴行の事実は認め得るとして第一審と同じ判断をしている。しかし右証人中、大門功の供述では「誰かわからない人が、校長と話し合おうということで、右手で軽く校長の肩を叩いているのを見た」ということで誰の行為か特定できない。目撃したという行為自体斉藤供述とも異るし、被告人側の証人坂下、安川、由川各供述とも食違い、反対尋問によるとむしろ被告人側の主張する行為に酪似しており、到底暴行認定の根拠になりえない。
[135] 中川弘の証言も時期や場所がきわめて不明確であるばかりか、「校長に話しかけたのは国策パルプ労組の人と思う(被告人と別な組合員)、紺の背広のようで(服装も違う)右手で肩をうながすようにしていた」というもので行為の主体はむしろ被告人以外にとられ、動作も他の証言とも異なり(原判決の認定事実とも違う)曖昧でやはり有罪の根拠になり得ないことはいうまでもない。
[136] 結局斉藤証言のみということになるが、証言も「被告人とは特定していないばかりか、状況についても、時期が他の証言と異なり場所も違つている。抗議をした様相も曖昧であるし、抗議の内容は全く記憶しておらず、前後の状況は不明確で断片的である」。
[137] 又、校長の証言するような行為、動作は校長以外誰も言つていないなど重要な点について致命的な欠陥と疑惑をもつものである。校長自ら述べているように当時は非常に興奮し、完全にさく乱状態にあつたものであり、この様な認識下になされた証言が厳格な証明の資料になりうる信用性を保持しないことはいう迄もない(しかも他にこれを裏付ける証拠がないのである)。
[138] 第一審判決も斉藤証言についてはその信用性に疑惑をもち、被告人の行為だと証言する部分については「表現上問題もあり、又その異様さの故に疑いがあり、そのまま認定できない」として、斉藤証言どおりの行為の存在は認定できなかつた。原判決も(82頁以下)斉藤証言について「他の証拠とくい違う点が少からずあり、被告人らの行為についての表現が誇大にわたつていることは否定できない」として大きな疑惑をもつていたにもかわらずこれを排斥しきれずにあえて有罪認定の根拠に採り入れてしまつたことに重大な事実誤認の原因がある。
[139] そもそも証言は、証人の人格、認識表現が一体となつて示されるもので、その信用性も全体として不可分のものとして判断されるべきものであるということはいう迄もない。斉藤証言のような証言内容が他の証拠や客観的状沢、事実と食違い、又表現も誇大にわたり、又認識した当時きわめて興奮しさく乱状態にあつたと自ら認めているような証言はどう考えても信用性が無いことは多言を要しまい。とくにこれを「合理的な疑惑を超える」程度の確信を必要とする有罪の根拠に可分して採用すべきでないことは当然のことである。それなのにその一部をとりあげて有罪の根拠にいれることは証拠法則に反するばかりか、誤判をおかす原因でもある。本件の一審および原判決はこの事を無視あるいは軽視して、あえて信用性のないか、極めて乏しい証言のうちの一部(それは公訴事実存否に関係する重要な部分である)のみ摘出して被告人に無理に罪責を負わせる結果を招いたものであり、著しく正義に反するものという他はない。
[140] さらに、一審および原判決は被告人の行為についてさきにのべたように斉藤証言に信用性なしとしてその証言どおりの認定をできなかつた為に、一審判決の判示するような「手拳をもつて胸部付近を突いた」というだけであつて、その際の被告人自身の動作、姿勢はもちろん、回数、どちらの手でどの場所(右か左か、手のこぶしか、胸部かそれ以外か)などについて全く説明できないのである。それはそのような認定に符号するような証拠が無いからである。全く莫然とした曖昧なもので認定と称する創作しかできなかつたものも当然であり、事実誤認は到底否定できない。
[141] 原判決はこの一審認定を安易に支持しているものであつて破棄は免れないところである。
[142] 一審判決、これを支持した原判決がこのような誰にも明らかな無理な認定をしたのは、信用性のない斉藤証言をあえて排斥しなかつたことと関連して次の大きな誤りがあることも無視できない。
[143] それは原判決も指摘しているように被告人の行為に関連して「名前を言え」といつたことと、付近の説得員のなかから、「暴力はよせ、もしくは暴力とみられるからよせ」といつたという状況の存在から被告人に「暴力行為」が存在したとかたくなに推測したことにある。
[144] しかし、証人安川、坂下、由川の各供述、被告人の供述から十分に窺われるように、斉藤校長の「名前をいえ」といつたのは当時興奮していた同人が、被告人の抗議に必要以上の応答の姿勢と態度、いわば虚勢を示したとみられ、又説得員の「暴力云々」も全く差出口から出た言葉であるものとみられるのである。かりに本当に暴力があつたとするならば「名前をいえ」よりは直接的に「暴力するのか」とか「何をするか」とか「乱暴はやめろ」という言葉が出るのは当然であり、「名前をいえ」ということだけでは何ら暴力のあつたことを推認するわけにはいかない。説得員の発言も激しい抗議を傍でみていて注意を促したとみるに最もふさわしい表現であつてもし、真実暴行があつたなら、制止を行為で示すか、より直接的な発言になる筈である。
[145] しかもこのような状況の後に斉藤校長は教員の見廻りを継続し、NHKのインタビューに応じていることなど考へ併せると、右のような言葉のやりとりの存在という情況証拠のみをもつてむりやりに被告人の暴行を推測し処断することは全くの誤りであるという他はない。
[146] このように、本件については証拠の採用およびその証価を誤り、又情況証拠による推認を誤つているものであり「疑わしきは被告に有利に」ではなく「被告人にことさら不利に」認定したものであり、これを破棄しなければ著しく正義に反すること明らかな事案であると確信するものである。

(三) 被告人松橋、同浜埜、同外崎らに対する共同暴行認定の重大な事実誤認
[147] 原判決ものべているように、本件では被告人松橋の行為の態様およびその法的証価が、共同暴行の成否につき、決定的な重要性をもつものである(78頁)。松橋以外の説得員らの行為は格別これをりあげて単独の暴行というに値しない程度のものである(一審判決130頁)から、問題は松橋被告人の行為の態様、程度の認定にある。
[148] 原判決は一審判決同様、斉藤、目黒厚子、北岸らの供述にもとづいて、被告人松橋が斉藤校長の腕をかかえたにとどまらず、その意に反して引張つたと認定し、その他の被告人、説得員が意思を共通して共同の力を形成し校長をその意思に反して2A教室前付近まで移動させたとしている。そこで先づ被告人の松橋の行為について検討してみる。
[149] 一審判決、原判決が挙示する目黒、北岩の各供述中の「腕をくみ云々」の部分は、目撃した際証人の位置、その際の校長と被告人の位置関係、距離など、証言を検討すると明白なように、具体的にはどういう体形、姿勢であつたか殆んど明らかでなく、無理に腕をつかんだと認めうるものではなくて、せいぜい「腕の辺をかかえた」という程度にすぎないもので、被告人の供述する、同行を促すため手をそえたというのと殆んど食違いはない。
[150] しかも重要なことは、右証言によつても、それ以上の校長の意思に反して引ぱつたという事実は全く出てこない。むしろ校長も一緒に歩き出したことが証明されているのである。
[151] 結局この事案でも、ただ1人の斉藤証言があるだけであるが、その斉藤自身「除々に移動させられた」という趣旨のもので、さきにのべたように信憑性に乏しく、又具体性がないもので、後にのべる客観的状況に照らし到底被告人が引つぱつたと認められる根拠にならない。
[152] かえつて、被告人松橋、証人安川長吉の証言で明確に示されているように校長に同行を促すべく、同人の右手首の下あたりに被告人の左手をそえたところ、校長もA教室の方向に2、3歩自ら歩き出したので、被告人はすぐ手をはなしたというのが実態であり、被告人の行為の態様、程度はこれ以上のものとは認められない。この事実は、斉藤校長の2A教室附近迄の移動がその意思に反したものかどうか、換言すると校長は被告人松橋から同行を促された当時、2A教室附近まで自らも歩こうという気持があつたかどうかとの関連で検討しなければならない。
[153] この点で斉藤校長自身、窓渡り後はB、A教室の状況は見ていないので、これを見たいという気持から、2A附近迄は自らの意思で赴いたことを証言している。原判決はこの証言部分は被告人松橋が2階に出現する以前のものとみるのが相当といつているが、これは全くの誤認である。証言の際の位置関係、前後の状況からみて、窓渡り以後、被告人松橋との階下校長室えの同行を求められた当時の証言であることは否定できない。
[154] 校長はたしかに階下校長室まで行く意思はなかつたかも知れないが、2A教室附近迄行くという気持、態度はあつたと認められるのである。だから同行を求められた際、腕をふり払うとか、足を踏んばつたりなどして1歩でも動かぬという態度は全く示さずに、かえつて一緒に歩いた後、手が離れているのである。この状況は証人坂下、安川、松崎の各証言によつて十分に認められるのである。不承不承にしろ歩こうという意思、被告人らの同行に応じるという態度を表面的に示すものでなくとも、自らも2B、2A教室の状況を見たいということから、結果的には一緒になつて2A教室附近迄移動して行つた移動それ自体迄拒むという意思はなかつたとみるのが相当であり、校長の外面に表われた態度、行動も十分に裏付けるものである。
[155] しかるに、原判決は一審判決同様に校長には当時階下校長室迄行く意思もなかつたから、従つて歩こうと求められてもそれに応ずる筈がなかつたに違いない。それが移動したのだから意思に反した行為で、暴行になるのだときめてかかつているもので、現実の客観的状況、証拠により窺われる被告人らと校長の行為などを一切無視した一種の偏見、予断にもとづく誤つた推論によるものという他はない。
[156] 原判決も判示しているように、被告人松橋、同浜埜、同外崎の各供述や、証人酒本敬、坂下博、尾村七五三子の各供述により、校長は窓渡り後、2C教室北側出入口から廊下に出た後、自由に廊下を移動し、2D教室に入り机間巡視をし、再び廊下に出てNHK記者によるインタビューを受け、被告人松橋の申入れをうけて、ともに(73頁)2A教室の方向に歩き出してからも、自由に2D教室の方向に戻つたりしているものであつて一審判決のような、2C教室から2B、2Aの方向に直線的に、しかも連行されたというものではない。校長の動きとともにその背後を組合員がついていつたというにすぎないことは前記各証言の他、証人松崎の供述および当日2階廊下にいて目撃したものの一致するところである。
[157] このように、被告人松橋の行為はどう考えても刑法上到底違法と証価されるものではなく、したがつてその他の被告人浜埜、外崎らの行為も不法な有形力の行使とは認められず「共同暴行」は成立しないというべきである。しかるに、原判決は一審判決を支持して「共同暴行」と認定したことは、重大な事実誤認をなし、著しく正義に反する結果になつたものであつて到底破棄を免れないところである。
[158]一、原判決は、最高裁である最判昭和31・12・11(刑集10-12-1605)、同32・3・28(刑集11-2-1275)、同33・7・10(刑集12-11-2471)、同33・9・19(刑集12-13-3047)、同39・3・10(労働法律旬報別冊525-26)等、あるいは高裁判例たる大阪高判昭和41・5・19(判例時報457-14)、福岡高判昭和42・3・6(判例時報487-66)等と相反する判断をしている(これらの判例は、いずれも上告理由第一点一において具体的に引用されている)。しかも、それは判決に影響を及ぼすことが明らかである。以下にこれを具体的に述べる。
[159] まず、前記諸判例はいずれも、いわゆる可罰的違法性の理論に沿つたものである。可罰的違法性の理論は、いうまでもなく、ある行為についてその実質的違法性が可罰的程度に至らぬほど微弱であるということを理由として行為の構成要件該当性そのものを否定するものである(藤本英雄「可罰的違法性の理論」、佐伯千仭「可罰的違法性序説」末川還歴・権利の濫用(上))。これを本件についてみるに、つぎのとおりである。

[160]二、本件被告人らの行為は、かりに原判決(一審判決)の認定を肯認するとしても、それは、殴る、蹴るというような典型的な暴行の概念に入る態様程度のものではない。
[161] 腕を引つぱつたとか、若干押したという程度の行為にすぎない。これは一般的には有形力の行使といつていえないことはないが、社会生活の一般の人間行動としてきわめて当り前のこととして行われる場合もあれば、それが不法な暴行といわれる場合も出てくる。そこで押すとか腕を引つぱるという行為が暴行という構成要件に該当するかどうかは、その行為がどういう状況のもとに、どのような意図で、どのような背景で行われたか、さらに、相手方の態度、言動との関連に於て判断されなければならず、その判断次第で暴行になつたり、ならなかつたりすることが多いのは多言を要しない。そこで、本件についてみるに、当日斉藤校長は、違法な学力テスト(一審、原判決も同旨)に反対して中止を説得にきた多くの父兄大衆の目を盗んで、卑劣な方法を用いて学力テストを抜打ち的に強行したこと、また教育者でありながら生徒の目前で「窓渡り」というあまりに異様な方法をとつてまでテスト実施を図ろうとしたことなど、説得員に抗議を受けて当然の所為を重ねたものであり、被告人らを含む説得員が、真剣に学力テストの中止を訴え、校長の非行に抗議したのは当然であり、又立会人の立会、了解なしに強行したテストの合法性をめぐつての疑惑を解明すべく立会人と話し合うため同行を促した際に、前記のような一見有形力の行使と目される行為があつたというものであり、短時間かつ短距離の範囲であり、殴るけるの悪質なものでもなく最少限度に止つたきわめて軽微なものにすぎない。
[162] そうだとすると、本件は一応構成要件に該当するように見える行為であつたとしても、いまだ、「暴行罪」として刑罰を用いて抑制しなければならない程度には至つていない。換言すれば、暴行の構成要件が予想するような可罰的違法性のないものといわざるを得ないのである。
[163] このことは、前記諸判例に示された可罰的違法性に関する判断から明らかである。
[164] したがつて、本件行為は「暴行」の構成要件に該当しないとすべきであつたにも拘らず、構成要件に該当するとした原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例違背を犯している。
目次
検事長島敦の弁論要旨(その一)序論……(昭和43年(あ)第1614号事件、昭和44年(あ)第1275号事件共通)
検事蒲原大輔、同伊藤栄樹の弁論要旨(その二)……(昭和43年(あ)第1614号事件、昭和44年(あ)第1275号事件共通)
検事安田道夫の弁論要旨(その三)
検事安田道夫の弁論要旨(その五)
検事蒲原大輔の弁論要旨(弁護人の弁論に対する反論)……(昭和43年(あ)第1614号事件、昭和44年(あ)第1275号事件共通)
[1] 本日弁論の行われる2件のうち、いわゆる永山中学校事件は検察官、被告人双方の上告に係るものであり、いわゆる岩教組事件は検察官上告事件である。両事件については既に検察官名義の上告趣意書が提出されているので、ここに上告趣意書どおり陳述し、それを前提として若干の補足的陳述をすることとしたい。
[2] 両事件に共通又は固有の具体的な諸問題については、同僚検察官が順次陳述するので、まず、その要点を申し述べる。

[3] 両事件に共通の法律問題は、いうまでもなく、各事件における被告人らの各犯行による攻撃の対象ないしその動機・原因となつている本件学力調査の合憲性、適法性の問題である。
[4] この問題につき、永山中学校事件の原判決は、本件学力調査を実質上も手続上も違法であると断じたのに対し、岩教組事件の原判決は、その論理過程においてはともかく、結論的には本件学力調査を適法と解しているので、両者はすこぶる対照的である。もつとも、後者も、右の結論を導く過程において、本件学力調査の手続的適法性にいくつかの疑問を投げかけ、特に本件学力調査を地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)54条2項を根拠として実施することについては手続上疑問の余地があるとした。
[5] そこで、岩教組事件の原判決が提起した疑問に対する解答をも含め、本件学力調査には実質上も手続上もなんら違憲、違法とすべき理由はなく、憲法23条及び26条に違反しないことはもちろん、教育基本法10条等の教育関係法令の条規にも抵触するものでないことを明らかにしたい。なお、申すまでもないことながら、当公判廷は、教育や教育行政のあり方そのものを論議するにふさわしい場所ではない。したがつて、検察官としては、不毛の教育論争に陥ることを避けるため、本件学力調査が合憲、適法であるゆえんを論証するに必要な限度で、教育や教育行政の問題に論及するにとどめることとする。

[6] 次に、永山中学校事件に固有のものとして、公務執行妨害罪の成否という問題がある。
[7] この事件の原判決は、本件学力調査が実質・手続両面とも違法であるとの前提に立脚し、ひいて学力調査の実施に関する同校校長の職務行為それ自体にも適法性がないとして公務執行妨害罪の成立を否定した。しかし、本件学力調査は、実質・手続いずれの面からみても適法であるから、原判決の判断は、既にその前提において誤りがある。
[8] しかし、仮に百歩を譲り、純粋に事後的な客観的判断により、教育行政法的見地からみて学力調査の適法性に問題があるとされ、消極の判断に到達したとしても、その事から直ちに校長の学力調査実施に関する職務行為につき刑法的評価の面からの適法性が欠如するとの結論が導き出されるものではない。原判決は、評価の規範としての刑法95条の解釈を誤つたほか、評価の対象のとらえ方、評価の仕方において重大な誤謬をおかしたがために消極の判断を下したのである。永山中学校事件についての「公務執行妨害罪論」の部分では、右のような原判決の誤りを浮彫りにするつもりであるが、右に述べたような意味で、この部分の陳述は、あくまで仮定的ないし予備的な主張にとどまる。

[9] 一方、岩教組事件に固有の問題としては、地方公務員法(以下「地公法」という。)61条4号所定の違法な争議行為の「そそのかし」及び「あおり」の罪並びに道路交通法(以下「道交法」という。)76条4項3号、120条1項9号違反の罪の成否という問題がある。
[10] 原判決は、「そそのかし」及び「あおり」の罪の構成要件を限定的に解釈しなければ憲法28条、18条、31条等との関係における合憲性を確保しえないとし、いわゆる「あおり行為制限説」の立場をとつたうえ、被告人らの行為はこれに該当しないとして無罪を言い渡した。最高裁判所大法廷は、原判決後に一旦は、4・2都教組事件判決及び4・2全司法事件判決においていわゆる「二重のしぼり論」を採用し、この種の限定解釈に与したが、4・25全農林事件判決においてその誤りを是正した。そして、この判決において示された、刑法上の違法性の有無の問題と違法性の強弱の問題とをしゆん別する点においてまさに正当な見解は、猿払事件判決、統計局事件判決等によつて発展的に継承され、今や確立された判例理論となつている。
[11] そこで、「そそのかし・あおり論」の部分では、これら一連の判例と同様の基本的立場に立ちつつ、地方公務員の争議行為等を禁止し、争議行為等の原動力となる「そそのかし」及び「あおり」行為に対し刑罰をもつて臨んでいる地公法の諸規定は合憲であるばかりでなく、原判決のごとく同法の罰則につき限定解釈をとることは誤りであるゆえんを論証することとする。なお、一部被告人の道交法違反の事実については、いわゆる「久留米駅事件方式」にのつとり検討を加えたうえ、なんらの違法性阻却事由も存在しないことを明らかにしたい。

[12] 最後に、永山中学校事件における有罪部分(建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反)に対する各弁護人の各上告趣意は、いずれも適法な上告理由に該当しないばかりでなく、なんらの職権破棄事由も存しないと認められるので、この点に関する各上告は棄却せられるべきものであることを論述することにする。
目次
第一 全国一斉学力調査の必要性
第二 本件学力調査の実施手続
第三 本件学力調査の主体
第四 本件学力調査の合憲性、適法性
 一 憲法23条について
 二 憲法26条について
 三 教育基本法10条について
 四 その他
第五 結語
[13] およそ教育は、次代の国家、社会を担う者を育成するため、常に振興を図ることが必要であり、特に、学校教育については、機会均等の確保、教育水準の向上、適正な教育内容の樹立に努めて、時代の進展に応じた教育の整備、充実を図らなければならないことはいうまでもない。
[14] 戦後、我が国においては、右の観点から、学校教育の一層の発展充実を期して諸種の改革が実施されてきた。そして、義務教育年限の伸長に伴い、義務教育対象者及び教員は増加し(昭和23年において前者約15,567,000人、後者約499,900人であつたのに対し、本件学力調査実施当時において前者約18,736,000人、後者約593,200人)、加えて、教育行政制度の改革に伴う教育における地方分権化の導入、国定制度から検定制度に改められたことに伴う教科書の複数化、新学制の実施による社会科、家庭科等の新学科の登場等の新しい事態が発生するとともに、人口の都市集中に伴い過疎地が増加して、学力に格差の生ずることも憂えられるに至つた。更に、技術及び産業経済の発展、国際的な教育水準の高度化の現象もあり、この間にあつて、これらの多様な事態、現象に対処し、我が国において全国的に差異のない水準を保ちつつ適正な教育を実施し、その充実・向上を図るためには、まずもつて、児童生徒一人一人の学力の実態を正確には握し、教育効果の測定を行うことが必要不可欠となつた。
[15] このような学力調査の必要性は、つとに教育関係者の認めていたところであり、例えば、戦後における基礎学力の低下が憂えられたのに対し、昭和25年から3年間日本教育学会が、昭和27年から3年間国立教育研究所が、また昭和28年には日本教職員組合(以下「日教組」という。)が、それぞれ学力調査を実施して教育の改善を訴えたほか、地方の教育委員会、教育研究所においても、それぞれの地域を対象にして学力調査を実施している。また、本件学力調査に反対の立場をとつた日教組すら、前述のように、昭和28年には自ら実施したのみならず、昭和50年度運動方針において学力の実態調査を実施する旨うたつているところであつて、学力調査が、適正な教育施策の樹立上有益なことは疑いをいれる余地はなく、今後ともその必要性を失わない。

[16] 本件のような全国学力調査は、昭和31年から、学習指導・教育課程の改善、教育条件の整備等のため、小学校、中学校を対象として別表のとおり実施されており、その効果は高く評価されているところであつて、その調査結果を基礎として、昭和33年に学習指導要領の全面的改訂が行われた。
[17] 中学校の生徒に対しては、昭和35年までの学力調査は、毎年2教科につき第3学年生徒を対象として5パーセントの抽出調査として実施されてきたが、昭和36年に行われた本件学力調査においては、5教科につき第2学年及び第3学年の生徒を対象とする悉皆調査とされた。昭和31年に全国学力調査が開始されたのは、昭和22年の新学制発足後約10年を経過し、平和条約締結後5年に近く、占領中における教育制度を反省し、その教育成果を検討して学校教育内容の一層の刷新改善を図る必要に迫られ、そのため、全国的に生徒の学力の実態をは握する必要があつたからである。昭和36年には、当時までに5回の調査が実施されたものの、国語、数学、社会、理科については3年の間隔を有する2回、英語については1回にすぎず、しかも、わずか5パーセントの抽出調査にとどまつていたので、調査実施の希望校が増加し、同年には全中学校の60パーセントを越えるに至っていたこともあつて、5教科につき、調査の精度を高め、調査の目的を一層達成するため悉皆調査とされたものである。
[18] この種学力調査が、ある時点における生徒の学力の実態をは握するものである以上、主体がだれであれ、一斉に、すなわち、同一時間に同一問題によつて実施される必要のあること、及び調査の的確を期するためには、悉皆調査が望ましいことは、だれしも異論のないところといわなければならない。

[19] 学力調査の結果は、学習指導の向上、教育諸施策の改善に極めて大きな寄与をしている。
[20] 本件学力調査は、中学校第2学年生徒約251万人、第3学年生徒約196万人、その実施率91パーセントに及ぶ調査であつて、悉皆調査の目的を達したことから、生徒の学力の実態について、あらゆる角度(地域、男女、学校規模、設備、教員数、教育費、家庭の経済的条件、心身障害度等)から分析検討ができたうえ、各教科について、正解、誤答の分析から学習指導上の留意点が明らかにされる等、中学校における教育活動に関してはもとより、各教育委員会において教育条件整備に資しうる資料となつた。文部省にとつても、極めて有益な教育実態のは握が可能となつたのであるが、これにより、例えば、
1 中学校学習指導要領改訂の検討
2 学習指導上の問題点とこれに対する指導方法を指摘した指導書の刊行
3 学級編成の基準の改訂(学級規模と学力との相関関係の分析の結果、中学校の学級編成の標準を改訂)
4 右に伴う教職員定数基準の改訂
5 理科設備の充実(理科の学力と設備との相関関係の分析の結果、理科設備補助金の増額)
6 へき地教育の振興(へき地における学級編成生徒数の減員、関係予算の増額)
7 特殊教育施設の拡充(精薄特殊学級の増設、養護学校の増設)
8 育英、奨学の拡充(中学校第3学年生徒で経済的理由により全日制高校進学困難な者の多かつたことから、日本育英会奨学生の高校特別貸与人員の増員)
等の行政施策の改善を図るなど、学力調査の結果を教育行政に反映させている。
[21] なお、学力調査の実施にあたり、一部の地域において、その成績をあげるため、準備教育又は模擬テストを行い、学校間の競争を激化させて正常な教育活動を阻害し、あるいは、教員の教育成績を問おうとするなどの弊害があると指摘する向きもあつたが、これは、学力調査の真の目的と必要性を理解しないための誤解であつて、学力調査自体の弊害とはいえない。いたずらに弊害のみを誇張して学力調査の必要性を否定することは、角を矯めて牛を殺すのそしりを免れないであろう。

(別表)昭和31年以来の全国学力調査実施教科等一覧《略》
[22] 本件学力調査は、昭和36年3月8日付文調調第25号文部省初等中等局長・調査局長名義の各都道府県教育委員会教育長等宛の「中学校生徒全国一斉学力調査の実施期日について(通知)」と題する通知文書及び同年4月27日付右同号右両局長名義の各都道府県教育委員長宛の「昭和36年度全国中学校一せい学力調査実施について」と題する通知文書により、同年10月26日に実施された。
[23] 右の4月27日付通知文書により示された「昭和36年度全国中学校一せい学力調査実施要綱」によれば、調査の趣旨について、中学校の第2学年及び第3学年の全生徒に対し5教科の一斉学力調査を実施して学力の実態をとらえ、次の目的に役立たせるとして、
1 文部省及び教育委員会においては、
(一) 教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善のための資料とすること
(二) 学習の到達度と教育諸条件の相関関係を明らかにし、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること
(三) 能力がありながら経済的な理由などから進学が妨げられ、あるいは心身の発達が遅れ、平常の学習に不都合を感じている生徒の数をは握し、育英・特殊教育施設などの拡充・強化に役立たせる等今後の教育施策を行うための資料とすることにあるとされ、
2 中学校においては、自校の学習の到達度を、全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習指導とその向上のための資料とすることにあるとされ、
市町村立中学校の学力調査は、市町村教育委員会(以下「市町村教委」という。)において実施するものとしている。

[24] 市町村立中学校における本件学力調査は、
1 文部大臣が都道府県教育委員会(以下「都道府県教委」という。永山中学校については北海道教委、岩手県については岩手県教委)に報告の提出を求め
2 都道府県教委は、更に市町村教委に同様報告の提出を求め
3 市町村教委は、学力調査を実施することを決定したうえ、管下中学校長に学力調査の実施に関し職務命令を発し
4 校長は、教員に対して学力調査の実施に関し職務命令を発して実施されたもので、その法律上の根拠等は次のとおりである。

[25] 文部大臣が都道府県教委に報告の提出を求めたのは、地教行法54条2項に基づいたものである。
[26] 本項は、文部大臣又は都道府県教委に対し、都道府県教委又は市町村教委から、当該都道府県又は市町村の区域内における教育に関する事務に関し、必要な調査、統計等に関する資料又は報告の提出を求める権限を与えたものであつて、前述文部省両局長発通知文書が、本項に基づいて都道府県教委に対して報告を求めたものであることは、右通知文書の記載自体に照らしても明らかである。
[27] ところで、本項は、文部大臣又は都道府県教委に対し、都道府県教委又は市町村教委がその意思に反しても特定の調査を行うよう要求する権限までも認めたものと解し得ないことはいうまでもないが、さりとて、本項に基づく文部大臣又は都道府県教委の権限が、都道府県教委又は市町村教委に対して既存の資料又は既存の資料による報告の提出を求めることのみに限定されると解すべきでないことは、文理上も、また、本項が教育行政機関は的確な資料に基づいて所掌事務を適切かつ合理的に処理すべき旨を定めた1項の規定を承けて設けられていることに照らしても、明らかであつて、資料又は報告の提出を求められた都道府県教委又は市町村教委がこれに応ずるため、自主的判断に基づいて所要の調査を行い、これによつて資料又は報告を取りまとめて提出することのあるのは、本項が当然予定しているところと解すべきである。現に、本件学力調査に先立ち昭和31年から昭和35年まで毎年行われた学力調査も、本項に基づいて行われて来たのであり、本項の右のような解釈は、文部省、各級教育委員会、関係学校の関係者間において当然のこととして受け入れられていたのであつて、これを要するに右の解釈は、本件学力調査当時、すでに行政慣行として確立されていたものである。

[28] 都道府県教委が市町村教委に報告の提出を求めたのも、地教行法54条2項に基づいたものである。
[29] 本項により文部大臣から報告の提出を求められた都道府県教委は、これに応ずるのを相当と認め、報告義務を履行するため、市町村立中学校を直接管理する市町村教委に対し、更に報告の提出を求めたものである。

[30] 市町村教委は、都道府県教委から報告の提出を求められて、これに応ずるのを相当と認め、その義務を果たすため、まず本件学力調査の実施を決定した。これは、市町村教委は、地教行法23条1号により管下の公立中学校を管理し(32条参照)、5号により教育課程及び学習指導等に関する事項、17号により教育に係る調査等に関する事項を管理、執行する権限を有することに基づくものである。また、市町村教委は、本件学力調査により、その実施要綱にもあるように、当該市町村教委自体においても、教育課程施策の樹立、学習指導の改善、教育条件の整備、育英・特殊教育施設の拡充等に役立つ資料が得られ、また、管下中学校に関しても、学習到達度についての全国的比較により、今後の学習指導向上のため有益な資料が得られることから、本件学力調査の目的、趣旨を十分に理解し、その結果を活用する積極的意欲をもつて主体的・自主的判断により、その実施を決定したものである。
[31] ちなみに、旭川市教委においては、昭和34年まで、毎年、教育課程や日常の学習指導の充実改善等のために独自で学力調査を実施したこともあつて、その必要性、有益性を十分知悉したうえ、その実施を決定したものと認められ、岩手県において本件学力調査が各教育委員会の自主的判断によつて実施されたものであることは、岩教組事件についての原判決も認めるところである。
[32] 次に、市町村教委は、管下中学校の校長に対し、地方公務員法32条、地教行法43条2項に基づき職務命令を発して、本件学力調査の具体的実施を命じた。中学校長は、学校教育法40条、28条3項により校務を掌るが、校務とは、学校教育の内容に関する事務、教職員の人事管理に関する事務、児童生徒の管理に関する事務等、学校運営上必要な一切の事務をいうものと解せられる。中学校における本件学力調査が教育に係る調査であることはいうまでもなく、また、本件学力調査の目的は、既述(第二、一)のように全国的比較において自校における学習指導の向上に資する資料をうるため、自校の生徒の学力の実態を調査することであり、中学校においてこのような目的をもつた学力調査を実施することは、教育活動の一環としてとらえられ、学校運営上必要な事務に含まれることは当然であつて、校務に属することは明らかである。したがつて、本件学力調査の実施が、校長の職務に関するものであり、また、上司としてこれを命じた市町村教委の権限の範囲に属することは前述のとおりであるから、市町村教委の校長に対する職務命令は、適法というべきである。なお、校長の職務は、裁判官、公正取引委員会の委員長及び委員等の職務に類似する独立性を有するものでないことはいうまでもなく、校長に対し本件のような職務命令を発しうることは明らかである。
[33] また、地公法32条及び地教行法43条2項により、校長が、上司である市町村教委の職務上の命令に忠実に従わなければならないことは当然である。

[34] 校長は、市町村教委の職務命令に従つて本件学力調査を実施する義務を負い、自校の教員に職務命令を発して、その補助をさせた。教員を学力調査の補助員とする職務命令は、校長が市町村教委の職務命令により、又は自ら発したが、これらは、地公法32条、地教行法43条2項及び学校教育法40条、28条3項に基づくものである。
[35] 中学校の教員は、学校教育法40条、28条4項により、生徒の「教育を掌る」とされているが、この規定は、教員の主たる職務を規定したものであつて、その目的遂行のため必要にして相当な範囲内の事項は、いずれも教員の職務の範囲に含まれると解される。中学校における本件学力調査の実施は、前述したように、学習指導の向上改善のため生徒の学力の実態を調査するもので、教育活動の一環であるから、教員の職務の範囲に属し、一方、本件学力調査の実施が、上司としてこれを命じた市町村教委又は校長の職務の範囲に属することは前述のとおりであつて、教員に対する職務命令が適法であることは明らかである。なお、教員の職務も、前述の裁判官等の職務に類似する独立性を有するものでないことは疑いをいれる余地なく、教員に対し本件のような職務命令を発しうることは明らかであり、職務上の命令を受けた教員がこれに忠実に従わなければならないことも校長の場合と同様である。
[36] また、本件学力調査の実施にあたり、各中学校で授業計画の変更がなされている。授業計画の樹立、変更は、教育課程の一環であつて、地教行法33条1項に基づく教育委員会規則の定めにより教育課程は校長が定めることとしているのが通例であるが、校長の教育課程を編成する権限は、教育委員会が地教行法23条1号、5号により本来有する管理権を全面的に排除するものとは解せられないので、特に必要な場合、教育委員会が校長に対し、上司として具体的な命令を発しうることは当然である。したがつて、市町村教委の校長に対する本件学力調査の実施に関する職務命令を受けて、校長が授業計画を変更したことをもつて違法ということはできない。
[37] 本件学力調査は、前述(第二)したように、市町村教委が、主体的・自主的な判断に基づき、自ら主体となつて実施したものである。これに反して、文部省は都道府県教委に対し、都道府県教委は市町村教委に対し、それぞれ報告の提出を求めたにすぎない。
[38] 本件学力調査の実施にあたり、文部省において調査の対象、教科、調査期日及び時間割、問題作成の方針、調査手続等を定めたのは、前述(第一)のように、学力の実態を的確には握するため、同一時間に同一問題により全国一斉に学力調査を実施する場合には、1つの機関において企画立案するほかはなく、この場合、学校教育の振興を図ることを任務とし、これに関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う文部省(文部省設置法4条)が、教育行政の中央機関として企画立案することが最も適していたからであつて、この企画立案をもつて、文部大臣が実質的な調査の主体であつたというのは、全国一斉学力調査の性格を理解しない言といわざるをえない。
[39] また、文部省は、固有の権限として、教育委員会、都道府県知事その他の地方公共団体の機関等に対し、報告書、資料等の提出を求める権限を有する(文部省設置法5条1項31号)から、事前に報告書提出を求める相手方と協議する必要はないのであつて、文部省が事前に教育委員会の意見を求めなかつたことを根拠として、文部大臣が本件学力調査の実質上の主体であるとするのは誤りである。
[40] もつとも、地教行法53条は、文部大臣が主体となつて調査を行いうる権限について規定している。しかしながら、同条による調査においては、その目的において同法48条1項(指導、助言、援助)、51条(相互連絡)、52条(措置要求)による権限を行う場合に限定されるほか、同法53条1項による場合は、直接文部大臣が指導監督することとなり、同条2項による場合は、都道府県教委に対する機関委任となるので、国の事務を執行することとなつて、地方の教育委員会等の独自性が失われる。
[41] すなわち、ひろく国の教育施策について調査を行おうとする場合、同法53条によつてはまかないきれない場合が生ずるのみならず、同条による場合には、文部大臣が当該調査の細部にわたつて指揮監督できる反面、市町村の学校の教育活動に直接関与する形となり、また、調査を実施する地方の教育委員会等においては、地方の実情に即した調査を行い難い。これに対して、同法54条2項によるときは、教育に関する事務であるかぎり、ひろく必要な資料又は報告が得られるのみならず、資料又は報告の提出を求められた教育委員会においては、これらを提出するために自らの事務として必要な調査を行うので、地方の実情に応じた調査の実施を図ることが可能であるうえ、調査結果については、単に資料や報告を提出するにとどまらず、これを積極的に活用しうる点に大きな利点がある。
[42] 本件学力調査は、単に同法48条により文部大臣が教育事務の適正処理を図るため指導助言をするにとどまることなく、国の教育上の施策の樹立のため、教育における地方的特殊性を尊重して、教育委員会における学習指導の改善向上、教育条件の整備拡充等教育施策の樹立にも資しうるようにとの考慮のもとに、同法54条2項によつたものである。したがつて、本件学力調査が大規模であることを理由に同法53条によるべきものとするのは同法53条及び54条2項につき正当な理解を欠く誤つた解釈といわなければならない。
[43] 本件学力調査が手続上適法であることは前述(第二及び第三)したとおりであるが、実質的に考慮しても、本件学力調査は、憲法その他の法令に違反するものではない。

一 憲法23条について
[44] 憲法23条は、基本的権利の一として「学問の自由」を保障している。学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含み、憲法23条が学問の自由を保障するというのは、一面において、広くすべての国民に対しそれらの自由を保障するとともに、他面において、大学が学術の中心として深く真理を探求することを本質とすることにかんがみ、特に大学におけるそれらの自由を保障することを趣旨とする。教育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な関係を有するが、必ずしもこれに含まれるものではない。しかし、大学については、憲法の右趣旨と、これに沿つて学校教育法が「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究」することを目的とするとしていることに基づいて、大学において教授その他の研究者による教授の自由が保障されるのである。このことは、昭和38年5月22日最高裁判所大法廷判決(刑集17巻4号370頁)が明示しているところである。右判決からも明らかなように、憲法23条は、学問的研究の自由及び研究発表の自由はすべての国民に保障しているが、教授の自由については、大学におけるそれを保障しているにすぎない。したがつて、憲法の保障する学問の自由には、義務教育諸学校におけるいわゆる教育の自由を含まないことはいうまでもない。
[45] むしろ、義務教育諸学校においては、心身ともに未発達で判断力も十分でない児童、生徒を教育の対象として、大学の目的とするところ(学校教育法52条)とは異なり、国民として共通に必要とされる基礎的・基本的な普通教育を実施する(同法17条、35条)のであるから、このような教育の本質上、教育内容、教授方法、教材等について、格差が生ずることのないよう配慮しなければならないのである。
[46] そうであつてみれば、義務教育諸学校におけるいわゆる教育の自由を絶対視して、本件学力調査の違憲を主張することは、既に前提において誤つた暴論というほかはない。

二 憲法26条について
[47] 憲法26条は、国民がその能力に応じて等しく教育を受ける権利と子女に普通教育を受けさせる義務について規定している。本条の趣旨とするところは、憲法25条1項が、国民の基本権の一として健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障するのに対応し、その文化的な側面として、国民に等しく教育を受ける権利を保障し、更に、その実現のための手段として、国民に対しその子女に普通教育を受けさせる義務を負わせる反面、国は、国民教育に関する権利、義務が十分に実現、履行されうるよう、教育の機会均等を確保し、義務教育制度を維持するため、積極的に法律を定め、必要な措置を講ずべき権限と責務を有することを明らかにしたものである。すなわち、本条1項は、国民の教育を受ける「権利」というが、これは、国の教育の機会均等を確保すべき責務を国民の側から権利としてとらえたにすぎず、2項は、国民が「義務」を負うと規定しているが、国が必要な措置をとらなければ、国民がかような義務を十分に履行しえないことは自明なことであり、また、1、2項とも、法律によるべき旨規定していることにかんがみれば、同条は、教育に対する国の権限と責務を明確にしたにすぎないと解すべきである。
[48] 教育に対する国家の積極的な関与を許さないとするいわゆる「教育の自由」を主張する見解のごときは、本条の趣旨及びいわゆる公教育発展の経緯にかんがみ、独自の見解というべく、到底容認できない。
[49] 本件学力調査は、義務教育対象者の能力、学力の実態を的確には握し、教育効果を正確に測定することにより、教育水準の向上を図ることを一つの目的として実施されたものであるから、教育の機会均等を実質的に充実し、国民の等しく教育を受ける権利の保障を強化する点において、本条の趣旨によく適合するものでこそあれ、決してこれに背反するものではない。

三 教育基本法10条について
[50] 教育基本法10条1項にいう「不当な支配」とは、同項後段が、教育は、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものと定めていることから、政党その他の政治団体、職員組合、宗教団体その他の団体等、国民全体でない一部の勢力による支配を指すものと解せられる。教育行政機関も国民全体の意思とかかわりないような一党一派に偏した支配を行い、また、教育界内部の団体であつても、特定の政治的主義のもとに教育内容、教育方針、教育制度の改革を推進するときは、不当な支配の主体となる場合があろう。
[51] しかし、本項は、義務教育諸学校における教育が完全な自主性、自律性を保障され、いかなるものからも一切支配を受けないことを意味するものではない。国は、憲法26条により、各種の教育関係法律を制定し、教育の機会均等、義務教育制度の維持を図りつつ、教育水準の向上に務めて、国民の教育に関する権利、義務の実現、履行を保障する責務を有する。その責務を果たすため国民を代表する国会において適法に制定された法律に基づき、その法律を誠実に執行する責務を負う国の教育行政機関が行う正当な権利の行使は、もとより「不当な支配」にはあたらないというべきである。
[52] また、教育について国民全体に対する直接の責任を規定する本項後段は、教育における民主主義の原理をうたつたものである。すなわち国の教育行政も、国民の意思に基づいて、国民のために行われるべきものであるが、議会制民主主義の下では、国民の総意を反映しうる場は国会であつて、そこで制定された法律に国民の教育に関する意思が表明されているものとみられるのであるから、教育行政機関は、法律に準拠して教育行政を運営する責務を有する。
[53] この点については、旧憲法下における教育制度とは根本的な差異がある。かつては、主な教育関係法令は、帝国議会の関与を一切許さない勅令(大日本帝国憲法9条)によつて定められ、教育施策の決定はあげて行政府にゆだねられていたため、官僚的な画一主義の弊も一部に認められたのである。しかし、いまや教育行政は、前述のとおり、国民の意思に基づく法律を基本として運用され、しかも、教育委員会制度による教育行政における地方的特殊性の尊重も実現され、民主的基盤に立つて運営されているのである。それにもかかわらず、現行法制下において、教育は全く自主独立であつて、教育行政機関による法律に基づく規制をも一切受けるものでないと主張するがごときは、国民の意思に反する教育がなされた場合、国民がその責任を問うことを不能ならしめるのみならず、議会制民主主議の原理を無視した謬論といわざるをえない。このことは、教育基本法制定に至る過程での本条項をめぐる論議の経過に照らしても明らかである。
[54] 教育基本法10条2項にいう「諸条件」とは、教育の目的を達成するに必要な条件であるかぎり、いわゆる外的事項に関するものであれ、いわゆる内的事項に関するものであれ、そのすべてを含むものと解せられる。このことは、本項の規定上、いわゆる外的事項、内的事項に区分するなんらの文言を含まないのみならず、教育の目的を遂行するためには、すべての諸条件の整備確立を図る必要があることから、当然のことである。したがつて、本項にいう条件整備には、学校施設、教育財政等の物的管理に関する事項のみならず、教職員人事等の人的管理のほか、教育課程の基準設定、教科書その他教材の取扱い等、教育内容についての管理に関する事項を含むものとすべきである。この解釈は、現行の教育法制にも合致するものであつて、教科に関する事項は監督庁(文部大臣)が定め、(学校教育法20条、28条、106条1項)、文部大臣はその権限に基づき、教育課程の基準となる学習指導要領を定めて公示し(学校教育法施行規則54条の2)、また、地教行法は、教育委員会の権限のなかに、学校、職員人事等の人的、物的管理のほか、教育課程、学習指導、教材等教育内容にわたる事項等の管理を含め(同法23条)、更に、教育機関の管理運営の基本的事項につき教育委員会規則を定める権限を認め(同法33条1項)、学校教育法は、中学校長は校務を掌り、所属職員を監督する(同法40条、28条3項)旨定めているところである。
[55] 教育基本法10条2項にいう条件整備に関し、いわゆる外的事項、内的事項に区別して論ずる向きもあるが、元来、この区別は、中央教育行政機関と地方教育行政機関との教育事務の分担範囲の問題として唱えられたものであつて、教育行政が関与しえない領域を定めるための基準としてではないとの沿革に照らして正当ではなく、また、両者は、相互に関連していて(例えば、外的事項である理科の実験設備は、内的事項たる教える内容が明確になつてはじめて決定されるし、いわゆる外的事項である教員の定数も、いわゆる内的事項たる教育内容、教育方法等を度外視しては考えられない。)、その区分は不分明であり、教育行政の関与する範囲をこの区別により確定することには、なんらの合理性も存しない。
[56] したがつて、あたかも司法行政と裁判との関係のごとく、教育行政機関が教育内容及び教育方法等に関与することは許されないとか、大綱的な基準の設定や指導、助言、援助を与えるにとどまると限定して解釈することは、全く不当であると断ぜざるをえない。
[57] 本件学力調査における、文部大臣による報告提出要求から中学校における学力調査の具体的実施に至るまでの一連の手続は、前述(第二)のとおり、文部大臣、都道府県教委、市町村教委、中学校長の各段階において、いずれも法律に基づいて行われたものであるから、教育基本法10条1項にいう「不当な支配」にあたらないことはいうまでもない。また、本件学力調査が教育内容に関係し、特に中学校段階においては教育内容にわたつたとしても、同条2項にいう「条件の整備」の範囲をこえるものではないことは前述したところから明らかである。したがつて、本件学力調査をもつて同条に違反するとは、到底結論しえないのである。

四 その他
[58] 文部大臣は、学校教育法38条、106条1項の規定により、中学校の教科に関する事項を定める権限を有するが、ここにいう「教科」とは、地教行法等にいう「教育課程」と同義であり、文部大臣は、この権限に基づき、教育における地方的特殊性、教育現場における教員の創意工夫の必要性に留意しつつ、「教育課程の基準」を定めている。中学校学習指導要領は、学校教育法の前記規定に基づく学校教育法施行規則54条の2の委任を受けて作成された教育課程の基準である。学習指導要領は、教育の機会均等と教育水準の維持・発展向上のため作成されたものであつて、もとより教育内容にかかわるものであるが、文部大臣が教育課程に関する権限を行使することは、教育基本法10条に違反しないこと前述のとおりであるうえ、本件学力調査当時における中学校学習指導要領は、記載内容、記載方法等に徴すれば、大綱的な基準ということができるのであつて、教員による自主的教育活動が阻害されるほど詳細かつ規制的なものとは認められない。
[59] 本件学力調査にあたり、文部省において問題を作成したことを問題視する向きもある。本件学力調査は、前述(第二)のように、文部省及び教育委員会において、教育課程に関する諸施策の樹立、学習指導の改善に関する資料を収集するための行政調査であつて、そのための一方法としての全国一斉学力調査である関係上同一問題によることが必要不可欠であつたため、本件学力調査を企画立案した中央教育行政機関たる文部省において問題を作成したものである。そして、その問題は、本件学力調査に関する実施要綱によれば、調査対象学年の前学年までの指導に係る平易なものであるから、いわゆる成績評価のための試験問題の作成とは、性質を異にする。しかも、学習の到達度を測定することは、文部省においては、これによひ学習指導要領の改善を図る等の措置を講じ、学校教育法38条、106条1項により文部大臣に認められた教育課程に関する権限を適正に行使するための基礎資料を得るためのものである。したがつて、本件学力調査のための問題作成は、文部大臣の有する教育課程に関する権限に基づいてなされたものではない。
[60] 本件学力調査を実施するため、調査対象校においては授業計画を変更した。本件学力調査が全国一斉調査である以上、同一時間における調査が要請されるのであるが、市町村教委は、前述(第二、五、六)のとおり、都道府県教委による報告提出の求めにつき、右の点をも含めて、その必要性につき主体的、自主的に判断し、本件学力調査を実施する旨決定し、管下中学校長に職務命令を発したものであつて、文部大臣において強制的に教育内容の一部を変更したということはできない。
[61] 「昭和36年度全国中学校一せい学力調査実施要綱」によれば、調査結果の換算点を「生徒指導要録」の標準検査の記録欄に記録する旨記載されているが、この部分は、調査対象校における利用上の留意事項にとどまるうえ、標準検査の記録欄は、各教科の評定とは関係なく、知能検査、適性検査等の結果を記入するものであり、また、いわゆる通信簿への成績の記入とは異なつて、本人、父兄に知らせるものではなく、右実施要綱により、高校進学の際の内申書に記入することもない。したがつて、生徒指導要録への記録をもつて、本件学力調査をいわゆる成績評価と同視すべきテストと非難することはあたらない。
[62] これを要するに、本件学力調査は、その手続においても、その実質においても、適法かつ正当であることは明らかであつて、これを違憲ないし違法とし、あるいはその疑いがあるとするのは、特異の見解に基づき憲法及び関係法令の解釈を誤つたものというべきである。
[63] 最後に、義務教育諸学校において教育効果を挙げるうえには、教員による主体的、自主的な活動にまつところが大きく、教育の実際の場における教育実施について創意と工夫が期待され、その意味において不当な支配からの独立が必要であるが、その独立は、法律に基づく国の教育行政を排除するものでないことをこの際特に強調しておきたい。
目次
第一 はじめに
第二 適法性の判断の対象及び方法について
第三 適法性の判断基準について
第四 適法性の錯誤について
第五 結語
[64] 原判決は、被告人らが、学力調査事務を執行中の校長に対して暴行を加えた事実を認定しながら、本件学力調査が実質、手続両面ともに違法であるとの前提のもとに、校長の右行為が公務として刑法上保護の対象となるか否かは、本件学力調査が文部省を主体として上級機関の決定及び指示命令に基づき裁量の余地なく行われたものであるから、それが国家機関の公的作用として保護に値するかどうかの観点から、同省を含めた上命下服の関係にある全機関を一体として観察すべきものであるところ、同省がこれを適法として実施しようとしたことは相当でないとして、被告人らの行為につき、単に暴力行為等処罰に関する法律違反を認めたにとどまり、公務執行妨害罪の成立を否定した。
[65] しかし、本件学力調査が実質的にも手続的にも適法であることは、既に詳述した(弁論要旨(その二))とおりであつて、原判決の判断はその前提において誤つており、被告人らの行為が公務執行妨害罪に該当することは明らかである。そこで、ここでは、仮に本件学力調査が根拠法令上違法であるとしても、校長の右行為は刑法上の違法性を具備しているものであり、原判決がこれを否定したのは、刑法上の適法性の有無に関する判断の対象、方法及び基準についての重大な誤解に基因するものであることを明らかにし、ひいては被告人らの行為につき同罪の成立を認むべきことを論証したいと考える。
[66] 公務執行妨害罪における保護対象、すなわち適法性の要件を具備するか否かを判断すべき対象たる「公務員の職務行為」と、同罪における保護法益、すなわち「公務員によつて執行される公務そのもの」(昭和28年10月2日最高裁判所第2小法廷判決・刑集7巻10号1883頁)とが区別さるべきことは多言を要しない。また、その保護対象たる職務行為が当該公務員によつて執行される具体的な職務行為にほかならないことは、刑法95条1項の明文上から明白であり、判例も、同罪の「保護の対象となる職務の執行というのは、漫然と抽象的、包括的に捉えられるべきものではなく、具体的、個別的に特定されていることを要するものと解すべきである。」と明示している。(昭和45年12月22日最高裁判所第3小法廷判決・刑集24巻13号1812頁)。

[67] ところで原判決は、校長の行為が「公務として刑法上保護の対象となるか否か」の判断は、それが「国家機関の公的作用として保護に値するかどうかの観点から」、文部省を含めた「上命下服の関係にあるすべての機関を一体として観察しなければ…………適切になしえない」としたうえ、結局「本件学力調査が………適法性の要件を備えていたと解することはできない」旨判示している。しかし、その判文自体からは、原判決が本件における保護対象を、本件学力調査という公的作用(公務)と解しているのか、本件学力調査に関係した文部省を含む全機関の職務行為を包括したものと解しているのか、それとも本件学力調査の実施に従事した校長の具体的職務行為と解さているのか、いずれとも判別しかねるものがある。
[68] もし原判決が、その適法性を否定した「本件学力調査」という文言を、文部省から校長に至る一連の公的作用(公務)と解し、その故に右のごとく判示したものであるとするならば、それは公務執行妨害罪における保護法益としての公務(公的作用)と保護対象としての公務(職務行為)とを混同したという過誤を犯したことになり、原判決の判断は誤りであるといわざるをえない。
[69] また、もし原判決が右「本件学力調査」という文言を、文部省を含む全機関の職務行為を包括したものと解したとするならば、前述(第二の一)したとおり、本件における保護対象たる職務行為は、校長の執行した具体的、個別的なそれに特定されるべきであるのにかかわらず、これを包括的に捉えたという誤りを犯したことになり、原判決の判断を肯認することはできない。
[70] これに対し、もし原判決が、「本件学力調査」という文言を校長が職務として執行した学力調査の実施という具体的な行為の意味で用いたものであるとするならば、その表現の適否はともかく、少なくとも、本件における保護対象を校長の具体的な職務行為に特定したことに関する限りでは誤りはない。しかし、この場合においても、その職務行為につき、適法性の有無を判断する方法として、それが「国家機関の公的な作用として保護に値するかどうかの観点から」文部省を含めた「上命下服の関係にあるすべての機関を一体として観察しなければ…………適切になしえない。」とする原判決の判断は、次に指摘するとおり、到底承服しえない。

[71] すなわち、原判決は、本件学力調査が文部省を実施主体とし、上命下服の関係で現実にその実施にあたつた公務員に裁量の余地なく行われたものであるとの前提のもとに右のごとき判断方法を採ろうとしたものである。なるほどその実施方法については、全国一斉悉皆調査たる性質上、問題、実施の時期及び時間等において全国一斉でなければならなかつたので、その意味で裁量の余地がないことは当然である。
[72] しかし、そもそも本件学力調査は、北海道教委や旭川市教委の自主的判断を排除して実施されたものではなく、文部省・北海道教委・旭川市教委など各教育行政機関相互の間には、原判決のいうごとき上命下服の関係はないのである。しかも、当該公務員においては、本件学力調査が一見明白に違法であつた場合には、これに関する上級機関の指示命令を拒否しえたのであるから、同調査を実施するか否かについては裁量の余地があつたのである。従つて、原判決の判断は、その前提において誤つている。また、本件における保護法益たる公務は、旭川市教委の職務命令により校長が具体的に実施した地方公共団体の機関の公的作用であるから、校長の職務行為の適法性の有無を判断するにあたつて、それが文部省を含めた「国家機関の公的な作用として保護に値するかどうかの観点からなされるべき」であるとする原判決の判断は失当といわざるをえない。
[73] 更に、およそ公務員はその所属する官公庁の組織の中で、服務その他の関係法令により上下相互に複雑な関係を保ちつつ職務を執行するものであるが、公務執行妨害罪の保護対象は、前述(第二の一)のとおり、当該公務員による具体的職務行為であるから、仮に右職務行為が瑕疵ある上級機関の順次の決定及び命令指示によるものであつても、それが右職務行為の適法性を失わせるか否かは、右命令等が絶対的拘束力をもたない本件のごとき場合にあつては、専ら当該公務員を中心に判断すべきであり、原判決が「当該公務員についてのみでなく上級機関をも含めて全体的に」判断することを要すると解しているのは誤りである。その意味で、本件と同様に学力調査の実施事務を執行していた公務員に対する暴力行為について、昭和39年5月13日及び昭和42年4月28日の各福岡高等裁判所判決(検察官の上告趣意書26、27頁掲記)が、いずれも学力調査を根拠法令上違法であるとしながらも、当該公務員を中心にその職務行為の違法性の有無を判断し、公務執行妨害罪の成立を認めていることは、学力調査を違法とした点は別として、正当というべきである。
[74] なお、仮に本件において、校長の職務行為が上級機関の命令に絶対的に拘束されるものであつたとしても、その上級機関の命令とは旭川市教委の職務命令にほかならず、同市教委がその自主的判断において右命令を発したものであること前述のとおりであるから、右校長の職務行為の適法性の有無を判断するにあたつては、本件学力調査に関する文部省等の措置の適法性のいかんにかかわらず、同市教委の職務命令のそれを併せ判断すれば足りることである。従つて、文部省を含めた全機関を一体として観察すべきであるとし、同省の措置が相当でなかつたとして校長の職務行為の適法性を否定した原判決の判断は誤つていると断ぜざるをえない。
[75] 公務執行妨害罪が成立するには、当該公務員の職務行為が適法性を備えていなければならないこと(検察官の上告趣意書26頁ないし30頁掲記の各判例、昭和48年5月25日最高裁判所第2小法廷判決・刑集27巻5号1115頁参照)、及びその適法性とは刑法上保護に値することであつて、当該職務行為が行政法等の根拠法令上のすべての要件を充足して適法・有効であることとは観念を異にするものであること(昭和25年12月19日東京高等裁判所判決・高刑判決特報15号51頁、昭和32年7月22日大阪高等裁判所判決・刑集10巻6号521頁、昭和42年5月24日最高裁判所大法廷判決・刑集21巻4号505頁参照)については、判例学説とも異論がない。
[76] また、その適法性の要件としては、その行為が当該公務員の抽象的権限に属し、法令上の重要な方式を履践することをもつて足りるとするのが大多数の判例等にみられる共通の見解であるが、その適法性の判断基準については、なお見解が分かれている。すなわち、それは一般に、
(イ) 当該公務員が適法と信じたか否かによつて判断すべきであるとする、いわゆる主観説(昭和7年3月24日大審院判決・大審院刑集11巻301頁参照)
(ロ) 一般人の見解ないし社会通念によつて判断すべきであるとする、いわゆる折衷説(昭和27年1月19日福岡高等裁判所判決・刑集5巻1号12頁、昭和28年10月1日大阪高等裁判所判決・刑集6巻11号1497頁、昭和30年6月9日福岡高等裁判所判決・刑集8巻5号643頁、昭和31年3月5日大阪高等裁判所判決・高刑裁判特報3巻6号248頁、昭和39年5月13日福岡高等裁判所判決・下級刑集6巻5=6号572頁、昭和42年4月28日福岡高等裁判所判決・下級刑集9巻4号393頁、昭和43年1月26日東京高等裁判所判決・刑集21巻1号23頁参照)
(ハ) 裁判所が法令を解釈して客観的に判断すべきであるとする、いわゆる客観説(昭和40年9月9日大阪高等裁判所判決・判例時報449号64頁参照)
に大別しうるが、戦後の判例の大勢は右のうちの、いわゆる折衷説を採つているものと解される。

[77] ところで、およそ刑法95条1項の解釈として、公務員の職務行為について、明文にはないのにかかわらずその適法性が要件とされるのは、近代的法治国家の理念に照らし、一面、公務員の職務の円滑な遂行を保障して社会公共の利益を確保するとともに、他面、個人の基本的人権を尊重し、それが公権力の不当な行使により侵害されないようにすべきであるとの考え方によるものである。従つて、適法性の判断基準も右の両面のいずれにも偏しないように設定さるべきものと思料する。
[78] 右の見地からみるとき、いわゆる主観説は個人の利益に比して公共の利益を重視しすぎるきらいがあり、逆に、いわゆる客観説では、刑法上の適法性の有無の判断を職務行為の根拠法令上の適法性の有無に依存しすぎるため、公共の利益に比して個人の利益の保護に傾きすぎ、ひいて、一般社会の良識によつては当然保護に値すると考えられる公務の能率的遂行が阻害されるおそれを生ずるのである。そこで結局、いわゆる折衷説の見解こそ、まさに具体的事案に応じて、前記両面の要請を比較衡量しつつ、調和をえた妥当な判断を実現しうるものとして全面的に支持せられるべきものと考える。なお、この折衷説に対しては、なにをもつて「一般の見解」又は「社会通念」と解すべきか不明確であるとの批判があるが、それらは裁判所が当該職務行為当時の諸般の事情を総合的に勘案して合理的に判断すべきものであるから、右の批判はあたらないと思料する。
[79] しかるところ、原判決の用いた適法性の判断基準に関する見解は、その判示内容に徴すると、いわゆる客観説又はこれに極めて近いものと解され、かくては、公務執行妨害罪の保護法益たる公務の円滑な遂行は容易に望みえないことに帰するので、それが相当でないことは明白である。

[80] 飜つて本件についてみると、校長が執行した学力調査に関する職務行為は、既述(弁論要旨(その二))のとおり校長の抽象的権限のみならず具体的権限にも属し、かつ、法令上の根拠に基づき行われたものであることは明らかである。
[81] 確かに、本件学力調査実施当時において、日教組関係者その他一部の教育関係者等による反対闘争が展開されていたことは事実であるが、本件学力調査は、教育関係法規について行政解釈権を有する文部省が適法である旨の行政解釈をくだし、更に各級関係機関が、関係法規等を慎重に検討し、それぞれの権限に基づき、その必要性や適法性を確認のうえ全国ほとんど全部の中学校において実施されたものであつて、生徒の父兄を含む一般社会人からもこれを違法ないし不当として反対する声を聞かず、要するに、特定の政治的、思想的立場にない世間一般においては、本件学力調査の実施に関して、なんらの疑念をさしはさまない状況にあつた。
[82] 右のような状況のもとで、旭川市教委関係者から本件学力調査の根拠法令等の説明を受けた校長が、同教委の職務命令による学力調査の実施を適法と信じたことは相当な理由があるというべきであり、また校長が実施した学力調査に関する行為が、一般の見解ないし社会通念上はもとより、客観的合理的に判断しても適法な職務行為と認むべきものであることは多言を要しない。
[83] すなわち、校長の右職務行為は仮に本件学力調査が原判決の判示するとおり根拠法令上違法であつて、事後において純客観的にみるならば、適法性を認めえないとしても、行為当時の具体的な状況に照らして判断するならば、刑法上の適法性の判断基準としていわゆる主観説または折衷説による場合はもとより、いわゆる客観説の立場からみても、なお適法性を有するものというべきである。
[84] なお、右に述べたことに関連して、次のことを強調しておきたい。すなわち、およそ、ある事項について行政解釈権を有する主務官庁の行政解釈は、後に裁判所の法解釈により誤りとされる場合があるとしても、その誤りが一見明白である場合はともかく、それ以前の段階において、所部の公務員が独自の見解により、後日裁判所の判断に従い行政解釈が是正変更さるべきものと即断し、主務官庁の行政解釈に反する行為にでることは、行政の統一的能率的運営をみだし、到底容認すべき限りでない。換言すれば、主務官庁の行政解釈に則つて公務に従事する公務員の職務の執行は、たとえ後日裁判所の法解釈により右行政解釈が誤りであるとされることがあつても、それはそれとして刑法上保護せらるべきは当然であると信ずる。

[85] ところで原判決は、「校長が自己の行為を適法と信ずるについて相当な理由があつたと思われることを考慮しても」、「文部省が本件学力調査が適法であるとしてこれを実施しようとしたことが相当であつたとは認められない。」として、校長の行為(原判決のいわゆる「本件学力調査」)の適法性を否定している。校長の行為の適法性の有無を判断するにあたつて、文部省の措置が相当であつたか否かを併せ判断すべきでないことについては前に(第二の三)述べたところであるが、仮に百歩を譲つて、これを併せ判断するとしても、前述(第三の三)のとおりの状況のもとで、教育関係法規の行政解釈に関する権限を有する文部省においては、十分な注意義務を尽してこれら関係法規等を検討し、適法妥当と信じて所要の措置をとつたものであり、特に、その当時において、一部に本件学力調査の根拠法令の解釈適用をめぐつてこれを違法とする見解はあつたものの、それは法律専門家の一般的見解ではなかつたこと、現にこれに関する下級審裁判所の判断においてもこれを適法とするものが多数存することなどにかんがみると、文部省がこれを適法であると解してとつた所要の措置は全く相当である。従つて適法性の判断基準として、いわゆる主観説又は折衷説をとる場合はもとより、客観説の立場でみても、なお、文部省のとつた所要の措置はそれ自体刑法上の適法性の要件を具備していたと解しうるのであつて、これと異なる見解にでた原判決の判断には到底承服することができない。
[86] 公務員が職務を執行する際に、これに対して暴行・脅迫を加えた者が、公務員の適法な職務行為を違法であると誤信していた場合、すなわちその適法性に関して錯誤があつた場合に、これを事実の錯誤として故意の成立を阻却すると解する説もあるが、その適法性の有無に関する判断は、一種の違法性要素としての刑法上の要保護性の存在に関する法律的判断であり、また、故意の成立には事実の認識で足り、適法の認識を要しない(昭和23年7月14日最高裁判所大法廷判決・刑集2巻8号889頁、昭和35年9月9日最高裁判所第2小法廷判決・刑集14巻11号1477頁参照)ので、故意の成立を阻却しないと解すべきである(昭和6年10月28日大審院判決・法律評論21巻70頁、昭和7年3月24日大審院判決・刑集11巻301頁、昭和32年10月3日最高裁判所第1小法廷判決・刑集11巻10号2413頁参照)。もとよりその適法性に関する錯誤の態様は具体的事態に応じて多様であり、場合によつては事実の錯誤に属せしめるのが相当であることがあるとしても、少なくとも本件のように学力調査の法的根拠や法令解釈の争いに基因する場合については、法律の錯誤と解すべきこと当然である。

[87] 従つて、被告人らにおいて本件学力調査が教育関係法令上違法であり、校長の職務行為も適法性を欠くと誤信していたとしても、それ以外の公務執行妨害罪の構成要件に該当する事実についての表象、認容に欠けるところがないから、同人らの行為は刑法95条1項の構成要件を充足し、かつ、一件記録を精査しても、違法性又は責任性を阻却すべきなんらの事由を見いだしえず、公務執行妨害罪が成立することは極めて明白である。
[88] 以上のごとく、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例違反、及び、これを破棄しなければ著しく正義に反する法令違反があると認められるので、原判決は当然破棄を免れないものと思料する。
目次
序  言
第一 上告理由第一点について
第二 上告理由第二点について
第三 上告理由第三点について
第四 上告理由第四点について
第五 上告理由第五点について
結  語
[89] 被告人らの上告趣意は、要するに、(一)原判決が被告人佐藤、同松橋、同浜埜に対し各建造物侵入罪の成立を認めたのは、最高裁判所等の判例に違反し、同罪の構成要件の解釈適用を誤つたほか、違法性阻却事由に関する法令の解釈適用を誤つたものであり、(二)被告人松橋、同浜埜、同外崎に対し暴力行為等処罰に関する法律違反の成立を認めたのは、最高裁判所等の判例に違反し同罪の構成要件の解釈適用を誤つたほか、重大な事実誤認があり、原判決は破棄を免れないというのである。
[90] 検察官は、所論引用の判例はいずれも事実を異にして本件に適切でなく、その他の論旨は単なる法令違反か事実誤認を主張するもので、適法な上告理由に該当しないのみならず、なんらの職権破棄事由も認められないので、本件上告は棄却せらるべきものと思料するので、以下所論に対する見解を述べる。
[91] 所論は要するに、原判決が被告人佐藤らの行為を建造物侵入罪の構成要件に該当すると判断したことは、可罰的違法性の理論を認めた最高裁判所等の判例、及び、同罪を構成するか否かについて、「立入る側とそれを拒否する側との双方について、それぞれの具体的動機とその行為の態様とを相関的に考量」して判断すべきであるとする最高裁判所判例に違反するというにある。しかし、以下に述べるとおり、可罰的違法性の理論にはそれ自体欠陥があるばかりでなく、この理論を肯定した最高裁判所判例はなく、更に所論引用の各判例はいずれも本件と事案を異にするものであり、論旨は理由がない。

二 可罰的違法性論の誤りについて
[92] 講学上のいわゆる可罰的違法性論は、学説も多岐にわかれ、いまだ刑事司法の実務に導入するほど定着した理論とは考えられない。所論にいわゆる可罰的違法性の理論とは、構成要件に該当する形式外観をそなえる行為について、その「実質的な違法性が可罰的程度にいたらぬほど微弱である場合には、当該行為の構成要件該当性そのものが否定される」とするところの、いわゆる構成要件該当性阻却説とよばれるものを主張するものであるが、この説には、次のとおりの理論的欠陥があるので、到底これを是認できない。
[93] 刑法の構成要件は、立法機関が刑罰を科するに値するとした行為、換言すれば、実質的違法性を有する行為の類型化である。従つて、いやしくも行為が外形的に構成要件に該当することを認めながらその可罰的違法性を否定することは、それ自体論理的に矛盾しているのみならず、構成要件の違法性推定機能を無視するという犯罪論体系上の誤りを犯すものである。このことは、本件建造物侵入罪のような、いわゆる「開かれた構成要件」といわれるものや、不真正不作為犯について、違法性の存否をあわせ考えなければ構成要件該当性を判断しえないとしても異なるところはない(国労久留米駅事件についての昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決・刑集27巻3号418頁参照)。
[94] 構成要件該当性の判断は、本来抽象的・定型的な基準によるべきであるのに、その判断の中に、実質的違法性の程度というような具体的・非定型的な基準をもち込むことは、構成要件の保障的機能を無力化するものであり、換言すれば、法益侵害の軽重や手段方法の逸脱性の大小というような、不明確な評価概念で構成要件を限定解釈することとなり、憲法31条の要請する罪刑法定主義に反することとなる(東京全農林事件についての昭和48年4月25日最高裁判所大法廷判決・刑集27巻4号547頁参照)。
[95] 実質的違法性の程度ないし強弱というものは、犯情に影響するにとどまり、犯罪の成立を左右すべきものではない(総理府統計局事件についての昭和49年11月6日最高裁判所大法廷判決・刑集28巻9号743頁参照)。もし、これによる構成要件の恣意的な限定解釈を許すならば、それは、司法による恣意的な立法を許すと同然で、立法機関の裁量権を侵犯する(前掲の東京全農林事件判決における岸・天野両裁判官の追加補足意見、猿払事件についての昭和49年11月6日最高裁判所大法廷判決・刑集28巻9号393頁参照)のみならず、刑罰法規の運用が、これを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずることとなる(徳島市公安条例事件についての昭和50年9月10日最高裁判所大法廷判決・判例時報787号24頁参照)。
[96] もとより、法益侵害が極めて零細微弱で、社会共同生活に危害を及ぼさず、日常生活において処罰感情を換起することなく看過されるほどのもので、これを犯罪と観念することが社会通念上むしろ非常識とさえ考えられるような行為については、実質的違法性に欠けるものとして、例外的に犯罪の成立を否定する余地がある(例えば一厘事件についての明治43年10月11日大審院判決・刑録16輯1620頁、たばこ買置き事件についての昭和32年3月28日最高裁判所第1小法廷判決・刑集11巻3号1275頁)。しかし、いやしくも実質的違法があるのに被害の軽微性や行為の相当性を理由に構成要件該当性を否定することは、実定法の解釈として是認しえないところであり、例えば、「一塊の石」「消印済の収入印紙」など被害の僅少軽微なものであつても犯罪の成立を認めるのが判例の一貫とした態度であることは周知のとおりである(大正元年11月25日大審院判決・刑録18輯1026頁、明治44年8月15日大審院判決・刑録17巻1488頁参照)。
[97] いわゆる所論のような可罰的違法性の理論がドイツの社会的相当性の理論と同根であることは所説のとおりであるが、ドイツにおける論者が社会的相当行為として例外するものは、些細な新年の贈物が贈賄にならないとするなど、まさに社会生活の常識において行われてもその正当性が社会通念上あやしまれない種類の行為である。また同国においてこの理論が唱えられた背景として、同国にはわが刑法35条に相当する規定がなく、緊急避難の要件も厳格で、かつ起訴法定主義がとられているなど、わが国と異つた法制事情にあることも見逃してはならない。しかるに、いわゆる可罰的違法性の理論を唱える論者は、所論も指摘するように、社会的相当性の理論が実質的違法性を欠くことを根拠に構成要件該当性を否定するのに対して、実質的違法性を有する行為についてまで、法益侵害の軽微性等を根拠にその妥当領域を拡大しようとするのであつて、もしこの理論を採用するならば、刑法の解釈は主観化し、その規制的機能も秩序維持機能も無力化し、種々の弊害を招来することは明らかである。

三 可罰的違法性の判例に違反するとの主張について
[98] 可罰的違法性の理論は、以上のような欠陥があるので到底採用しえないところであり、下級審においてはこの理論によつた裁判例がまま散見されるが、いまだかつて最高裁判所においてこの理論を是認したとみられるものはない。所論引用の最高裁判所判例は、いずれもこの理論によつて犯罪の成立を否定したものでないのみならず、事案を異にした本件に適切ではない。すなわち、所論引用の(イ)一厘事件や(ロ)たばこ買置き事件についての各判例は、いずれも前述のとおりの特殊例外的な理由により犯罪の成立を否定したものであり、(ハ)三友炭坑事件や(ニ)長崎相互銀行事件の各判例は、いずれも労働組合内部の統制違反者に対してなされた行為に関するものであつて、(ハ)については労組法1条2項の正当行為と認めたものであり、(ニ)については犯意もなく被害者の承諾も得られた行為につき違法性を否定した第二審判決の結論を支持したものである、また、(ホ)納金スト事件の判例は、争議解決まで集金した電気料金を専ら会社のために形式上自己名義の預金として一時保管した行為につき、不法領得の意思ありと速断したのは違法であるとして第二審判決を破棄したものであり、(ヘ)東芝保険料不納付事件の判例は、保険料を現実に納付しうる状態になかつたという特殊な理由で犯罪の成立を否定したものであり、(ト)大阪学芸大学事件についての大阪高等裁判所判決の判断内容は最高裁判所により肯認されたものとは到底解しえない。なお、(チ)昭和43年7月30日仙台高等裁判所判決は事実認定の問題にかかるものであり、(リ)昭和39年5月30日大阪高等裁判所判決や(ヌ)昭和42年3月6日福岡高等裁判所判決については、諸般の事情を考慮して、あえて検察官の上告はしなかつたものであつて、いずれも本件とは全く事案を異にするものである。
[99] 従つて、可罰的違法性に関する判例違反を主張する所論は、その前提を欠き理由がなく、仮にその理論によるとしても、被告人らの行為は、後述(第三の四の(1)、(2))のとおり、目的、手段方法、法益侵害の程度など、いかなる観点からみても、法秩序全体の精神に照らし実質的違法性なしとすることはできず、所論は全く理由がない。

四 建造物侵入罪の判例違反の主張について
[100] 所論は要するに、原判決が、管理者の意思に反して建造物内に立入ること自体で建造物侵入罪の構成要件を充足すると判示していることは、安西郵便局事件についての昭和42年2月7日最高裁判所判決が、住居侵入罪を構成するか否かの判断をするには、立入る側と拒否する側の双方について、それぞれ具体的動機とその行為の態様を相関的に考量する必要があるとした判示に相反する判断をしたものであるというにある。しかし、所論引用の右判例は、被告人らの立入りが、憲法28条の労働基本権の範囲にある組合の正当な点検活動を目的とした場合に関するものであつて、そもそも職員組合の正当な行為とは認められない本件とは事案を全く異にするものである。
[101] 所論引用の右判例は、立入行為の違法性阻却事由の有無を判断するにあたつていわゆる利益衡量の見地に立つべきことを判示したものであつて、建造物侵入罪の構成要件該当性の判断について判示したものではない。
[102] 所論引用の右判例の判示するところに従い、本件につきその立入と拒否の動機、態様等を検討してみても、違法性阻却事由なしと判断した原判決の判断は後述のとおり相当であり、右判例と原判決の判断には実質的に相反するところはなんらない。
[103] 従つて、所論は全く理由がないというべきである。
[104] 所論は要するに、被告人らは正当な目的をもつて平穏に校舎内に立入つたのにかかわらず、原判決が、管理者たる校長の意思に反した立入りであるから建造物侵入罪の構成要件を充足するとしたのは、建造物の平穏を保護法益とする同罪の構成要件の解釈適用を誤つたものであるというにある。しかし、所論は単なる事実誤認及び法令違反を主張するもので、適法な上告理由にあたらないのみならず、以下に述べるとおり、その論旨は理由がない。

二 「故ナク」の解釈適用について
[105] 所論はまず、被告人らの立入りは、北教組の組合員たる校長に対して北教組・旭労会議の方針に従い、違法な学力調査を実施しないよう説得することを目的とした正当な理由のあるものであり、労働者の団結権に基づく集団的表現の自由の行使であるから「故ナク」立入つたものではなく、建造物侵入罪の構成要件該当性が阻却されるから、同罪の成立を認めた原判決は誤つている旨主張する。しかし、刑法130条の「故ナク」を違法性の存在という、いわば当然のことを明記したものと解するか否かについては学説の分れるところであるが、仮にこれを構成要件該当性の有無を論定する要素と解しても、本件学力調査は適法であり(昭和43年11月22日付上告趣意書及び本日付弁論要旨(その二)参照)、憲法28条の保障する団結権は、生存権保障の基本理念に基づいて、経済上劣位にある勤労者をして使用者との間に実質的な自由と平等を確保するために認められたもの(昭和41年10月26日最高裁判所大法廷判決・刑集20巻8号901頁参照)であつて本件立入目的を正当化する根拠とはなりえず、また、憲法21条は表現の自由を保障するものであるが、表現が集団行動を伴うときは、その態様を無視して正当性を論じえないところ(前掲の徳島市公安条例事件判決における岸・団藤両裁判官の各補足意見参照)、本件立入りの当面の目的は校長に対する説得で、それがかなり執ようかつ喧騒にわたるであろうことは十分に予測され、被告人らもこれを容認していたと認められるので、いかなる観点からみても同人らの本件立入りを正当な理由によるものとすることはできない。なお、仮に被告人らが本件学力調査を違法であると信じていたとしても、その故をもつて本件立入りの目的を正当化できないことは当然である(舞鶴事件についての昭和35年12月7日東京高等裁判所判決・下級刑集2巻11・12号1375頁参照)。
[106] ところで、判例・通説に従えば、「故ナク」か否か、換言すれば正当な事由があつたか否かは、違法性阻却に関する問題であつて構成要件の解釈の問題ではなく、また目的が不法でないからといつて侵入行為の違法性が阻却されるものでないことも多言を要しないところである(昭和25年9月27日最高裁判所大法廷判決・刑集4巻9号1783頁、安西郵便局事件及び国労久留米駅事件についての前掲の各最高裁判所判決参照)から、論旨は理由がない。

三 「侵入」の解釈適用について
[107] 所論はつぎに、本条の「侵入」とは、建物の平穏を害する態様で立入ることであるのに、原判決が、管理者の意思に反して立入ること自体を侵入とするのは、その解釈適用を誤つたものであり、特に公共的建物の場合は管理者の意思に反した立入りが必ずしも建物の平穏を害するとは限らず、本件においては、立入りは平穏かつ整然と行われ、校内での授業の妨げにもならず平穏を害していない旨主張する。しかし、管理者の明示的又は推定的な意思に反する態様で建造物に立入ることが、それ自体建造物の平穏を害する態様での侵入行為であることは、判例において確立された見解であり、目的の正当・不当にかかわらず、また立入りが平穏公然と行われたか暴力的に行われたか、当該建物が個人の住居であるか公共的建物であるかは問うところでない(昭和25年9月27日最高裁判所大法廷判決・刑集4巻9号1783頁、昭和32年9月6日最高裁判所第2小法廷判決・刑集11巻9号2155頁、昭和27年4月24日東京高等裁判所判決・刑集5巻5号666頁、昭和38年2月14日同判決・刑集16巻1号36頁、昭和48年3月27日同判決・東京高判決時報刑事24巻3号41頁、昭和28年11月26日札幌高等裁判所判決・刑集6巻12号1737頁、昭和30年8月23日同判決・刑集8巻6号845頁参照)。すなわち、建造物の平穏という概念は、単に静粛であるとか、学校内の授業活動が妨害されないということではなく、また本罪は侵入したときに成立し、現実に校内の平穏が害されたか否かは本罪の成否に関係ないことであり(昭和31年8月22日最高裁判所第2小法廷決定・刑集10巻8号1237頁)、本件においては、校長の明示の意思表示による制止に反して立入つたものであることが明らかであるから、論旨は理由がない。
[108] また所論は、校長の立入拒否は正当な理由がなく、しかも校長が説得員を校舎案内したことから、その立入拒否の意思は一貫していなかつたと主張する。しかし、校長は旭川市教育委員会の職務命令に従い、学力調査を実施するため、その妨害を排除する目的で立入拒否をしたものであり、またその拒否が憲法28条はもとより、憲法21条にも反しないことは前述のとおりであつて、これが正当な理由に基づくものであることは明らかである。更に、いわゆる校舎案内は説得員からの学校参観に藉口した立入りの申出に応じたものであるが、あえてそのような不自然な学校参観に藉口してまで校舎に立入ろうとしたこと自体が、被告人らにおいて立入りの違法性を自認していたことを物語るものにほかならない。また、校長がこれに応じたのは、同人が身体の自由を確保して学力調査実施の機会を見出すためと、異状な事態のもとにある学校管理の見地からやむなく受忍したものであつて(斉藤吉春の証言・記録1183丁、1199丁ないし1204丁、1256丁)、被告人らの学力調査阻止の説得のための校内立入りについての真意に出た承諾とはいえず、校舎案内の後も再三にわたつて被告人らに退去を要求していることに徴しても、校長の立入拒否の意思が終始一貫して変らなかつたことは明白であり、論旨は理由がない。
[109] なお、被告人浜埜については、同人が校舎立入りに際して校長の拒否に会つていないことは所論のとおりであるが、一審判決が判示(78頁、79頁)しているとおりの理由により、他の説得員らと共謀による建造物侵入罪が成立するので、その構成要件該当性を否定しようとする論旨は理由がない。
[110] 所論は要するに、本件侵入行為は、国民に保障された権利・自由の行使として許容される限界内の行為であり、違法な学力調査という侵害を阻止するためにとられた正当防衛に準ずべき行為であるから、刑法35条の正当行為として緊急性・補充性の要件を満たさなくても違法性が阻却されるべきであるのに、原判決がこれを必要であるとし、更に被告人らの行為が目的の正当性、手段方法の相当性を欠くから、法益の権衡を論ずるまでもなく違法であると判示しているのは、違法性阻却についての解釈適用を誤つたものであるというにある。しかし、所論は単なる事実誤認と法令違反を主張するもので適法な上告理由にあたらないのみならず、その論旨は以下に述べるとおり理由がない。

[111] 所論が、いわゆる超法規的に違法性が阻却される場合は、刑法35条による場合の一事例にほかならないとして、表現上の矛盾を犯していることはさておき、刑法35条を文字どおり「法令による行為」及び「正当な業務による行為」のみに限定して解釈したうえで、刑法35条ないし37条に明文で規定された事由にあたらない場合でも違法性が阻却される場合のあることは否定できない。しかし、一方において刑罰法規の構成要件が違法性推定機能を有し、他方において刑法35条ないし37条が違法性阻却事由を厳格に定めていることにかんがみるとき、いわゆる超法規的違法性阻却事由を認めるとしても、それはきわめて特殊例外の場合に限られるべきであつて、もし安易にこれを認めるならば、刑法の恣意化、主観化を招き、その保障的機能や法秩序維持機能を無力化し、著しい弊害をもたらすであろうことは多言を要しない。従つて、これを認める場合の要件も、刑法所定の違法性阻却事由と同等もしくはそれ以上に厳格なものであることを要するとともに、その運用は慎重の上にも慎重を期し、恣意的な判断に流れないようにすべきである。

[112] ところで、刑法上違法性が阻却される事由は、刑法36条・37条のように、いわゆる「緊急行為」として例外的に実質的違法性を解除するものと、同35条のように、いわゆる「社会的相当行為」として原則的に正当性を付与するものとに大別しうるが、本件が後者の範ちゆうに属しえないことは明らかで、いわゆる緊急行為と認めうるかどうかが問題となるのみである。この場合に、前段で指摘したような考え方にたつて、目的の正当性、手段の相当性、法益の均衡性のほかに、緊急性、補充性の要件を満たしてはじめて緊急行為として超法規的に違法性を阻却しうるとするのが、これまでの判例の主流を占める見解としてほぼ定着しているところであり(昭和39年12月3日最高裁判所第2小法廷決定・刑集18巻10号698頁で支持された、舞鶴事件についての前掲の東京高等裁判所判決、昭和47年5月4日最高裁判所第1小法廷決定・刑集不登載昭和45年(あ)第698号で維持された沼田女子高校事件についての昭和45年1月29日東京高等裁判所判決・判集23巻1号72頁、都条例違反事件についての昭和48年10月3日東京高等裁判所判決・判例時報722号43頁参照)、これに合致する原判決の判断こそ正当であつて、所論の主張は誤つている。

[113] また所論が、本件侵入行為は正当防衛に準ずべきものであると主張する点については、そもそも本件学力調査は適法であるのみならず、約1年前からその実施を明らかにし、所要の手続をふみ、これに反対する組織との間でも、数次にわたる折衝を重ねたうえで行われたものであつて、なんら急迫不正の侵害に類すべき事情が存在しなかつたのであるから理由がない。更に、所論が、本件侵入行為は国民の、権利自由の行使としてなされたもので、目的の正当性、手段方法の相当性、法益の均衡性の要件も具備しているから違法性を阻却すると主張する点については、緊急性、補充性の要件をも含めた当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを判断すべきであるところ(国労久留米駅事件についての前掲の最高裁判所大法廷判決参照)、以下に述べるとおり、到底許容されるものとはいい難く、論旨は理由がない。
[114] まず、本件侵入行為が目的において正当性を欠くことについては前述(第二の二の1)のとおりである。仮にそれが正当であるとしても、その故をもつてただちにその行為の手段・方法が正当化されるものでもなく(昭和25年10月11日最高裁判所大法廷判決・刑集4巻10号2012頁、昭和28年6月17日同大法廷判決・刑集7巻6号1289頁参照)、現にその態様が相当でないことは原判決の認定するとおりである。なお、この点に関して弁護人は、「校舎立入りの事前交渉は、校長が従来の経過から説得員の来校目的を知つていたはずであるからその必要はない。校長の制止を意に介せず立入つたのではなく、説得により了解を得て入つたものである。70余名が一時に入つたのは屋外が低温であつたからである。説得員が多数でも少数でも校長との対話に支障がなかつたから同じことである。説得員が校内に分散配置されたのは生徒に無用の刺戟を与えず静粛にひかえ目に待機するためであつた。職員室への自由な立入りについては教師から歓迎された」等等るる主張している。しかし、例えば校長は説得目的の立入りを了解しておらず、分散配置は学力調査を阻止するための組織的な監視体制として計画的になされたものであるなどその主張は事実に反し、いわば詭弁にも類するもので、現に、再三にわたる校長の退去要求にかかわらず長期間にわたり滞留し、いわゆる説得も集団的に執ようかつ喧騒に、しかも生徒の面前においてすらなされ、結果的にも校内の平穏は著しく害されていることなどもあわせ考えると、本件侵入の手段方法等その態様は悪質で、社会通念上許容される範囲を逸脱すること大であるといわざるをえず、原判決の判断はまことに妥当である。
[115] また法益の均衡について所論は、「校舎の一時的平穏」という具体的・個別的な利益と、「教育権とその独立の確保」という抽象的・一般的な税益とを比較衡量して後者の方が重要であると主張するが、前者に対比さるべき利益は、本件侵入行為により現実に教育権等につき具体的に得られた利益でなければならず(昭和42年12月26日札幌高等裁判所判決・下級刑集9巻12号1530頁、昭和50年6月12日最高裁判所第1小法廷判決で維持された昭和49年11月11日東京高等裁判所判決・刑集未登載昭和47年(う)3292号参照)、方法論的な誤りを犯している。それのみならず、本件侵入行為による被害が、単なる校舎の一時的平穏にとどまらず、これにより同校の学力調査は妨害され、ひいては旭川市教育委員会はもとより、北海道教育委員会、更には文部省にまで及ぶ一連の教育行政上の調査あるいはその結果報告請求権の具体的実現が侵害され、生徒に教育上好ましからぬ心理的影響を与えるなどきわめて甚大であることを考えると、法益均衡を論ずる余地がないといつてはばからない。
[116] 更に、緊急性・補充性について考えるに、本件においては、正当防衛における「急迫不正の侵害」や緊急避難における「現在の危難」に匹敵するような切迫した事情がなく、被告人らの侵入行為も校舎立入りが拒否されることをあらかじめ予想したうえで、事前の戦術会議の決定に基づいて計画的になされたものであるから、およそ緊急性の要件に欠けることは明らかである。また、校長に対する説得を目的とする手段としては、本件のように校長の意に反して校内に集団的に侵入することなく、校長に校舎外への外出を求めるなど、尽すべき手段は他にもあつたのであるから補充性の要件も満たさない。
[117] 以上のとおりで、被告人らの本件侵入行為については、その目的、具体的状況その他諸般の事情に検討を加えてみても、法秩序全体の精神に照らし、違法性を阻却すべき事由はなんらなく、論旨は全く理由がない。
[118] 所論は、要するに、原判決は採証の法則を誤つた結果、被告人外崎に対する暴行の認定及び被告人松橋らに対する共同暴行の認定において、いずれも判決に影響を及ぼす重大な事実誤認を犯しているというものであるが、右はひつきよう、事実審裁判所の裁量の範囲に属する証拠の証明力の評価に関する非難にすぎず、適法な上告理由にあたらないのみならず、所論がその論拠として主張するところにつき、一件記録によりし細に検討を加えたが、その結果は次のとおりであつて、原判決には所論のような事実誤認はない。

二 被告人外崎の暴行について
[119] 所論は、まず、信用性に疑惑のある斉藤証言の一部を分割して有罪の証拠に採用したことは採証の法則に反し、他に被告人外崎の暴行を認定する証拠がないと主張する。しかし、およそ証言の証明力については、供述者の人格、社会的地位、被告人との関係、供述の態度・経過・内容その他諸般の事情を総合的に判断して、裁判官の自由心証によつて決すべきであり、たとえ証言内容の一部に措信しえない部分があつても、その故にその証言全体を不可分的に排斥する必要はなんらなく、その証言内容を可分的に取捨し、その一部だけを事実認定の証拠とすることは、経験則、論理則に反しない限り当然許されるところである。斉藤証言には、一般の証言と同様に、記憶違いと認められる部分や表現が適切を欠くのではないかと疑われる部分があることは否定しえないが、それは一審判決及び原審判決も認めるとおり、同人が当時予期しない事態に遭遇してかなり興奮していたことによるとみるべきで、同人が責任感の強い教育者であることや、その供述内容、他の証拠との関係等に徴し、同人の証言は全般的に信用性が高いというべきである。しかも裁判所は、同証言中、他の証拠と総合的に検討して措信しえない部分、例えば「窓渡り後2C教室を出た瞬間に暴行を受けた」旨の供述部分(記録――以下同じ――1048丁、1238丁)や、「その後はどの教室へも入れなかつた」旨の供述部分(1228丁、1249丁)、その他経験則上不自然と認められる部分、例えば暴行の状況につき「ボクシングのように両手を前にかまえて交互につきだしてきた」旨の供述部分(1048丁)、或いは、いささかなりとも疑問の残る部分、例えば被告人松崎らに取り囲まれて無理に2A教室の方向へ移動させられた際に説得員らから「背中をつつかれたりした」旨の供述部分(1052丁)や、「2A教室の前の柱に押つけられた」とする供述部分(1053丁)などについては、すべてこれらを慎重に排除しており、これらを排除することは、同人が「胸をつかれた」との暴行の事実を認定するうえで矛盾その他支障を生ぜず、また、被告人外崎の暴行を認定する証拠は、証人大門功の証言など他にもあるから、原判決には証拠の採用及びその評価について誤りはなく、所論は理由がない。
[120] 更に所論は、校長が「名前を言え」と誰何し、付近の説得員から「暴力云々」の制止の発言があつたという間接事実から被告人外崎の暴力行為の存在を推認したことは、それ自体が不合理であるばかりでなく、そのような事実の後に、校長が教室を見廻つたりNHKのインタビユーに応じていることを考え併せると、原判決の認定は全く誤りであると主張する。しかし、なんらの暴行がないのにそのような誰何・制止の発言があるとは考えられないこと、誰何・制止の対象となつた行為が後に一部の説得員の話題になつた(大門功の証言・2028丁、由川匡寿の証言・2334丁・2343丁)ほどその場にいた者の注意をひくものであつたこと、誰何・制止を受けた者が被告人外崎であること(大門功の証言・2028丁、由川匡寿の証言・2333丁、中川弘の証言・2469丁、安川長吉の証言・5134丁から5135丁裏、坂下博の証言・5078丁から5083丁、被告人外崎の供述・8920丁)、被害者たる校長が当時いかに興奮状態にあつたからといつて、少なくとも「胸をつかれた」という事実それ自体を錯覚したり記憶違いするとは考えられないこと、校長が被告人外崎に対しことさらに不利なことを証言する理由がないから、誰何・制止の発言のあつたのは胸をつかれた時であるとの校長の証言(1048丁)は措信しうること、証人大門、由川、中川らの被告人外崎とともに説得に赴いた旭労関係者であり、特に証人安川、坂下らは被告人外崎と職場を同じくする同僚であるから、同人らの「被告人外崎は校長の身体にさわつていない」旨の証言部分はにわかに措信し難いことなどから、原判決の事実認定は経験則、論理則に照らし極めて自然である。またその後における教室の見廻りは、学力調査実施の責任者たる校長としては万難を排して行おうとしたことであり(斉藤吉春の証言・1050丁から1052丁)、NHKのインタビユーは混乱状態のもとでマイクを押しつけられたものであつて普通のインタビユーに応ずる状況と著しく異つていたものであり(右斉藤の証言・1217丁、1218丁)、更に、校長の受けた暴行の程度はこれらの事実を不可能にするほどのものがなかつたと考えられるから、これらの事実の存在は被告人外崎の暴行の事実の認定になんら支障になるものではなく、従つて、原判決には所論のような、間接証拠による推認の誤りは認められなく、論旨は理由がない。

三 被告人松橋・同浜埜・同外崎らの共同暴行について
[121] 所論は、(イ)原判決が、本件共同暴行の成否について決定的な重要性をもつ被告人松橋の行為につき、同人が校長の腕をかかえ、その意に反して引張つたと認定したのは誤りで、(ロ)事実は、同人が校長に同行を促すべく校長の手に自分の手をそえたところ、校長が2A教室の方向に自ら歩き出したのですぐ手を離したにすぎず、また(ハ)原判決が、校長が自らの意思で2A教室付近まで赴いたのは、被告人松橋が2階に出現する以前のものとみるのが相当であるとしているのは誤りで、(ニ)事実は、原判決73頁も認定しているとおり、校長は右(ロ)の事実後も自由に2D教室の方向に戻つたりしていたのであり、一審判決が認定するような2C教室から2A教室の方向へ直線的に連行されたものではない旨、いずれも原審における弁護人の主張と同様の主張を繰り返すにとどまるものである。
[122] しかし、被告人松橋の行為については、同人に「腕をとられて無理やり2A教室に引張られた」旨の校長の証言(1052丁)があるのみならず、その状況を目撃した2人の証人が、同人を面前にした公判廷で、右校長の証言を明確かつ具体的に、裏付けた証言(目黒厚子の証言・2551丁ないし2553丁及び北岸洋子の証言・2797丁・2810丁・2923丁)をしており、同人も検察官に対する昭和36年11月24日付供述調書において同旨の供述(8639丁裏)をしている。もつとも同人は公判廷においては右(ロ)のように供述を変え(8801丁)、証人安川もこれに付合する証言をしており(5139丁ないし5140丁)、相被告人浜埜登にいたつては、松橋が校長の身体にふれるのを見ていない旨供述している(8870丁)が、窓渡りや学力調査実施を激しく非難抗議する緊迫した状況下で、被告人らの要求するとおり階下へ降りることを肯じない校長を促すのに、単に手に手をそえたにすぎないとするのは経験則上も極めて不自然であるから、これらの供述部分は措信しえず、従つて、原判決が原審における右(ロ)のような弁護人の主張を容れることなく、(イ)のとおり認定したことになんら誤りはない。
[123] また、校長が2A教室の状況をも見たいという気持をもつて2D教室から2A教室付近までの間を動いたことは、校長自らも認めるところである(1244丁)が、このように校長が比較的自由に教室前の廊下を行き来したのが、2C教室北側出入口を出てから後で、被告人松橋らの本件共同暴行以前の間におけるものであることは、証人中川の証言(2460丁ないし2468丁)や同安川の証言(5136丁)などから明らかであり、更に証人大門の証言(2020丁)や同北岸の証言(2799丁)などによれば、被告人松橋らに取り囲まれた校長は、立止まり、或いは僅かに2D教室の方向へ戻つたりしながら、不法な有形力の行使を受けて除々にではあるが2A教室の方に移動させられたことが認められる。なお、原判決73頁以下は決して所論主張のようには認定しておらず、逆に原審における右(ニ)のような弁護人の主張が誤つていることを判示しているのであり、被告人松橋が2階に出現した後校長が同人らに2A教室方向へ移動させられた状況については、原判決80頁以下に詳細に判示されていることを指摘しておきたい。以上要するに、原判決が右(ハ)のとおり事実を認定したことに誤りはない。
[124] 所論は、要するに、被告人らの暴行に関する原判決の判断が、いわゆる可罰的違法性に関する判例に相反するというものである。しかし既に第一において論じたとおり、可罰的違法性の理論はそれ自体が問題であるのみならず、これを肯定した最高裁判所判例はなく、また所論引用の判例はいずれも事案を異にし本件に適切でないから論旨は理由がない。

[125] 特に、所論は、被告人らの行為は、原判決(一審判決)の認定を肯認するとしても、極めて軽微な有形力の行使にすぎないから、暴行罪が予想するほどの可罰的違法性はない旨主張するが、心身ともに疲労困ぱいの極にある高齢の校長に対し、その胸を手挙で突き、或いは多数で取り囲み、その腕をとるなどして強制的に移動せしめ、同人が倒れるまでその行動の自由を束縛するがごとき悪質な有形力の行使を、日常の社会生活において一般に看過しうる限度内の極めて軽微な有形力の行使にすぎないとすることは到底できない。そもそも、被害の軽微性のような事情は犯情に影響するにとどまり、犯罪の成立を左右するものではなく(前掲の総理府統計局事件についての最高裁判所大法廷判決参照)、所論のごとき考え方は、刑事司法における法的安定性を害する危険性を内蔵するばかりでなく、目的のためには手段を選ばずとの観念を助長し、法を無視して実力行使に及ぶ弊風をびまんせしめる懸念があるので、これを容認することはできない。
[126] 以上のとおり、被告人らの上告理由は、いずれも適法な上告理由に該当しないのみならず職権破棄事由もないから、本件上告は棄却さるべきものと考える。
[127] 検察官は、本弁論の最初にあたり、不毛の教育論争に陥ることを避ける旨申し述べたのでありますが、弁護人の弁論を拝聴しておりますと、その内容は、独自の教育理念を強調することに最も重点が置かれていたようであります。そこで、不本意ながらその点に関する反論をも含めて、若干の点につき、補充弁論を展開したいと思います。
[128] なお、弁護人の中には陳述にかえて後日書面を提出すると述べられたむきもありましたが、さような部分については、当法廷はお取上げにならないものと存じますので、あえてふれないことといたします。

[129] さて、各弁護人の弁論を聞いておりますと、あたかも超憲法的な独自の教育法的秩序が存在するような感を受けます。そのよつて立つ基調は、教員ないし教員団体による教育のみが善であり、国の介入はすべて悪であるとの前提から出発しているかのようであります。これは、一種の「聖域論」であります。そして、その実定法上の根拠としては、いうところの「教育憲法」、すなわち教育基本法にもつぱら依拠するもののごとくであります。この考え方から、他の教育関係法は、すべてその下位にあるものとし、教育関係法令に基づき適法に実施された本件学力調査を、教育基本法に違反するから――この点も誤りでありますが――違法であるとする誤つた論理が導き出されているのであります。われわれも、教育基本法1条の宣明する教育の目的、同法2条のうたう教育の方針等はこれを十分尊重するものであります。しかし、同法も憲法の下位にある法律であることはいうまでもなく、いわゆる「教育権」や「教育の自由」も、最高法規である憲法秩序によく整合し、かつ、憲法上の諸原理、諸価値との調和を得たものでなければならないのであります。所論は、この当然の事理を見誤つたおよそ平衡感覚を失したものというほかありません。

[130] 次に、弁護人は、教育は、学術、芸術等と同様に精神的価値の世界のことがらであり、国はこれに一切介入すべきではないと主張されました。教育が教育者と被教育者との内的交渉であり、自由な創造性が要請されることは当然でありますが、他面、教育、ことに学校教育は、国にとつての大事であり、憲法26条、教育基本法6条、文部省設置法4条等において、国は、学校教育について重大な責任を負つているのであります。大学以外の諸学校における教育が全部教員の自由に委ねられているものでないことは、伊藤検事の弁論で詳述したとおりであります。完全な職務の独立が憲法上保障されている裁判官ですら、その職務の執行にあたつては、厳格に法の定めるところによらなければならないのであり、裁判は、原則として上級審の審査に服し、最高裁判所裁判官は、国民審査を受ける等、近代国家にふさわしいチエツクを受けているのであります。これに反し、およそ教員たるものは、教育活動全般につき何人の指導監督をも受けず、勤務の評定をも拒否するというに至つては、近代社会にあるまじき全能かつ無答責の聖者にも比すべく、国民全体に対して、どのようにして責任を負いうるというのでありましようか。

[131] 以下、弁護人の指摘にかかる個々の点について反論したいと思います。
[132] まず、弁護人は、地教行法54条2項の解釈につき、岩教組事件に関する検察官の上告趣意書と今回の弁論との間に重要な変更があると指摘されました。
[133] この点に関し、まずもつて同趣意書においても、本件学力調査の実施主体は、地教委である旨明記していることに御留意願いたいと思います。そして、文部省と地教委とは、上命下服の関係にないとはいえ、地裁行法の関係法条により、地教委は、文部大臣の報告提出要求が一見明白に違法と判断されない以上、これに応じて報告を提出する義務があることは当然であります。そうでなければ、同法条は、空文化するでありましよう。問題は、報告の提出の前提となる資料が手許に存在しない場合における右義務の履行の方法であります。この点に関し、本件学力調査実施当時、ほとんどの地教委や60%をこえる全国中学校において積極的に学力調査の実施を望んでいたとの具体的事情を踏まえて立論を展開した上告趣意書は、文部大臣の報告提出要求に対し、地教委がこれに応じて報告を提出すべき義務が生ずることを強調しようとするあまり、その措辞に誤解を招く部分があつたことは遺憾でありますが、地教行法54条2項の解釈に関する検察官の見解は、今回の弁論において述べたとおりであります。この見解は、本件学力調査実施当時文部省が採つていた見解でもあります。このたび、この解釈が弁護人にも受け容れられましたことは、喜びとするところであります。
[134] なお、弁護人は、検察官が弁論において、文部大臣から報告の提出を求められた都道府県教委の意思決定手続について地教行法23条17号を引用しなかつたのは、同教委に主体性のなかつたことを現わすものである旨主張されましたが、弁論要旨(その二)の当該部分、すなわち、「都道府県教委は、これに応ずるのを相当と認め、報告義務を履行するため」との記述を一読すれば、同教委が当該法条に基づいて意思決定をしたものであることは明らかで、この部分の記述は、論点を明快にするため、ことさら簡略にしたものであることは、ただちに理解できるはずであります。

[135] 次に、弁護人は、学校教育法38条にいう「監督庁」は、当初地教委が予定されていたのであるから、暫定的にこれに代わる文部大臣が中学校の教科に関する事項を定めるにあたつては、きわめて大綱的なものにとどめるべきであると主張されました。
[136] たしかに、教科に関する事項の定めが、あまりにも細部にわたり、真に創造的な教育活動を束縛するものであつてはならないことは当然であります。ところで、それを定める監督庁が誰であるかは、現行教育法体系に則して考えなければならないことは、いうまでもありません。学校教育法制定以来、地教行法その他幾多の教育行政法が整備されてまいつたのでありますが、学校教育法106条1項の規定は、今日なお維持されているのであります。他の法規に別段の定めがあれば格別、この文部大臣の権限をみだりに制限的に解しなければならない理由はありません。弁護人の所論は、実定法の解釈論ではないの一語に尽きるものといわなければなりません。
[137] ことに義務教育におきましては、国民として共通に必要とされる基礎的、基本的な普通教育を実施するのでありますから、高等普通教育や専門教育を施す高等学校の場合に比し、全国的な水準を示す必要は、はるかに大きいと思うのであります。

[138] さらに、弁護人は、本件学力調査は、経済成長のための人材開発計画ないし労働対策としての教育活動であつて、行政調査ではないと主張されました。
[139] しかし、本件学力調査は、その実施通知にも明らかなように、「教育上の諸施策の基礎資料をうることを目的」としたもので、これを実施する中学校においては教育活動としての側面を有しますが、本来的に行政調査であります。
[140] そして、教育は、国の最も重要な責務の一つでありますから、教育行政が一定の政策目的をもつて行われるのは当然であり、政策が時代の要請に即応すべきものであることも、いうまでもありません。文部省が昭和36年度の調査統計の一つとして計画した本件学力調査が「人材開発計画立案のための調査」という側面を有していたことは事実でありますが、人材開発計画とは、要するに、才能ある青少年を積極的に進学させるための科学的教育施策でありまして、まさに現代的要請に即応するものであります。
[141] また、本件学力調査後の昭和37年度教育白書が、教育の展開を経済の発達との関連において注目し、その側面から検討しようと試みたことは事実でありますが、このようなことは、1961年国連総会決議「国連開発の10年」及び1971年国連総会決議「第2次国連開発の10年」の各宣言によつて国際的にも認められていたすう勢に沿うものでありまして、これをもつて日本の文教政策が経済政策に従属していると速断する弁護人の主張は、不当というほかありません。

[142] さて、検察官が、本件学力調査の結果とられたとして列挙した各種行政施策の改善(弁論要旨(その二)7、8頁)に関し、弁護人は、
公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律
理科教育振興法
へき地教育振興法
等を挙げ、これらの法律は、本件学力調査実施前にすでに制定されていたのであるから、本件学力調査の結果は、各法律関連の行政施策の改善に資せられたはずがないと主張されました。しかし、これは重大な誤解であります。
[143] まず、学級編成及び教職員定数の標準に関する法律は、本件学力調査の結果に基づき、昭和38年に改正され、翌39年4月から中学校の学級編成の標準を1学級50人から45人に改め、これをもとにして教職員定教が算定されることになつたのであります。
[144] その余の2法律は、いずれも当該教育の振興のため補助金を交付するための根拠法でありますが、その補助金の予算額は、本件学力調査の結果に基づいて大幅に増額されているのであります(理科設備に関する補助金は、昭和35年の5億5千万円から同40年の11億3千万円余へ、へき地教育関係予算額は、同35年の8億2千万円弱から同40年の25億4千万円へ増額)。検察官が本件学力調査の結果に基づく行政施策の改善として挙げましたところは、すべて、これらと同様に、客観点な事実関係に基づくものであることを、とくに申し述べておきたいと存じます。
[145] この点に関しましては、検察官の弁論要旨(その三)に十分意を尽くしているところでありまして、弁護人の所論に対してとくに反論を試みる要はないと考えております。
[146] ただ1点、弁護人は、当該職務行為の適法性の判断基準に関する諸説のうち、事後的純客観説をとるのが相当である旨主張されました。この説のとるべからざるゆえんは、安田検事の弁論において詳述したところでありますが、およそ一部に当該公務の遂行について違法の声があれば、国がいかに適法と解釈し、かつ国民多数がこれを疑わない場合であつても、その公務にかかる公務員の行為の刑罰法規上の保護の有無が、裁判の結果を待たなければ判然としないというようなことで、果たして公務員が国民全体の奉仕者としての負託に応えることができるのでありましようか。この1点を指摘しておきたいと思います。

[147]第三 なお、ILO87号条約及び98号条約に関連して種々御議論がありましたが、両条約の解釈については、臼井検事からすでに申し述べたとおりであります。
[148] 105号条約やILO・ユネスコの教員の地位に関する勧告等は法的効力を持ちませんので、特に触れる必要を認めません。

[149]第四 最後に、両事件における被告人、弁護人の第一審以来の主張を拝聴し、目的が正当であるならば、しかも、それが当該目的を客観的に評価して正当であるかどうかを問わず、行為者の確信ないし主観において正当と信ずるところに従つて行動した場合には、それがいかに法の禁止に触れようとも正当化されるとの考え方の存在を危惧せざるを得ません。法治主義を根本原理の一つとし、一切の暴力及び恣意による支配の排除を基本理念としている現行憲法のもとにおいて、もしも「目的のために手段を選ばず」という風潮がびまんするようなことになれば、わが国及びわが国民の前途は、まことに憂うべきでありましよう。検察官は、このような危惧が杞憂に終わることを切望してやみません。

[150]第五 終わりに臨み、われわれの拙ない弁論に対し、終始熱心に耳を傾けられた当法廷に深厚なる敬意を表し、弁論を終わります。
目次
本弁論の意義と課題            弁護人 森川金寿
本件学力テストの本質と教育の国家統制   弁護人 南山富吉
本件学テとその弊害            弁護人 雪入益見
――学テは教育に何をもたらしたか――
検察官最終弁論への反論(その一)     弁護人 尾山宏
検察官最終弁論への反論(その二)     弁護人 高橋清一
検察官最終弁論への反論(その三)     弁護人 上条貞夫
検察官の主張に対する反論(その四)    弁護人 南山富吉
検察官弁論への反論(その五)       弁護人 彦坂敏尚
目次
はじめに――本弁論の課題と弁論の構成
一、憲法と教育をまもる日本教職員組合の役割
 (一) 憲法と教育との関連
 (二) 教員組合の役割
 (三) 日教組の役割
二、教育の自律性――教師の教育の自由と独立
三、本件文部省学テの問題点
 (一) 経済成長偏向の偏向政策
 (二) 教育の国家統制
 (三) 本件学テとその他の学力調査との相違
四、官公労働法体制と労働者のたたかいの前進
 (一) 経済成長と労働者の犠性
 (二) 内外の批判と最高裁の変転
 (三) 最高裁4・25判決と日教組への刑事弾圧の再開
五、世論の前進と教育、労働運動の発展
[1]一、今回弁論が行われている両事件のうち、北海道学力テ事件の中心的な争点は、文部省の昭和36年の全国中学校一斉学力調査(以下本件学テないし学テと略称する)の違法性の有無及び公務執行妨害罪の成否の問題であり、岩手学テ事件の基本的争点は、地公法37条1項、61条4号の憲法適否及び学テ反対闘争の正当性の有無である。
[2] 前者は、教育の本質からみて国家権力の教育への介入の是非、その限界の如何という、公教育のあり方の根幹にかかわる重要な問題を含んでいる。また、後者は、公立学校教職員のみならず地方公務員全体の労働基本権、生存権にかかわる問題であり、四半世紀余にわたつて存続してきた現行公務員法制の憲法適否が問われているケースである。以上いずれも今日の国民的関心事であつて、教育基本法10条ないし憲法28条の趣旨に含致し、時代の趨勢にそう正しい判決が下されることを、多くの国民が切望している。

[3]二、以下各弁護人が両事件の各論点について弁論を行うが、そのうち学テの政策的背景やそのねらい、及び学テのしくみやその非教育的な本質や弊害に関する弁論(本弁護人、南山弁護人及び雪入弁護人の各弁論)は、両事件に共通の弁論である。これらの点は、北海道学テ事件においては、学テ違法論の重要な前提ないしその一部をなすものであり、岩手学テ事件では本件学テ反対闘争の動機・目的ないし手段・方法の正当性判断に密接な関連を有する事項である。
[4] この点に関し、検察官は、弁論要旨(その一)において「両事件に共通の法律問題は………本件学力調査の合憲性、違法性の問題である」と述べているが、学テの適法違法が争点となつているのは北海道学テ事件のみである。岩手事件についていえば、本件で上告を行つたのは検察官側であり、その検察側が上告審で主張しているのは、上告趣意書や弁論要旨で明らかなように、地公法37条・61条4号の合憲性及び本件学テ反対闘争の正当性の範囲の逸脱という点である。したがつて岩手学テ事件において学テ問題が関連性をもつのは、さきに述べたように学テ反対闘争の正当性判断という側面においてなのである。検察官自らも、「被告人らの各犯行による攻撃の対象ないしその動機、原因となつている本件学力調査の合憲性、適法性の問題」と述べているが、この後段の点は、岩手学テ事件における右の正当性問題を念頭においた論述であると思われる。しかし、右の正当性の問題であるならば、学テが適法であるか否かは関係のない事項である。後に他の弁護人が詳論するように、学テの適法違法の如何にかかわりなく、学テは教員の勤務条件に重大な関連を有する事項である点において、学テ反対闘争の目的の正当性は肯定されるのである。
[5] そして、学テの適法違法が争点となつている北海道事件においては、学テの適法性は主張されていない。したがつて検察官側、その弁論要旨(その二)において本件学テと憲法23条・26条との関係に言及しているが、これは本裁判の争点外の事項であるから、弁護人側はこの点について立入つた言及をしない。

[6]三、次に弁護人側の弁論の構成について一言しておきたい。岩手学テ事件の弁論の構成については、とくに言及の必要はないであろう。北海道学テ事件についていえば、学テ違法論は、手続的違法(地教行法54条2項の逸脱)及び実質的違法(教育基本法10条、学校教育法38条等の違反ないし逸脱)の2つに大別される。しかしそのいずれについても、法的吟味の対象である学テのねらい、その本質やしくみ、実際に生じた弊害等を的確におさえておくことが、法的吟味の大前提をになうものとして必要である。「本件学力テストの本質と教育の国家統制」、「学力テストの弊害」の各項目は、この点に関する弁論である。
[7] 「学テの違法性(その一)」ないし(その三)は、右の学テの実質をふまえて諸側面からその違法を論じたものであるが、ここで重要なことは、教育基本法10条、学校教育法38条等の解釈は、単なる文理的、形式的解釈にとどまつてはならなず、その立法趣旨と教育の本質・特性に適合する、教育条理に即した合理性、実質的解釈であることが必要とされているということである。教育がその本質上顕著な特性を有するものである上、これを無視しては教育性の適切妥当な解釈を導びきえないことは明白である。そこでこれらの教育法規の立法趣旨やその根底にすえられている教育の本質・特性への深い省察を解明することが、本裁判の重要な課題〔1行欠?〕とその限界(その一)ないし(その四)の各弁論は、これらの点を論じたものである。
[8] 検察官は、弁論要旨(その一)のなかで「当公判廷は、教育や教育行政のあり方そのものを論議するにふさわしい場所ではない。したがつて、検察官としては、不毛の教育論争に陥ることを避けるため………」と述べているが、これは、教育法の正しい解釈のあり方と本裁判の重要な課題とを忘れた謬論であるといわねばならない。検察官がわざわざこのようなことわりを述べているのは、弁論要旨(その二)に述べられている検察官側の教育法解釈が、立法趣旨と教育条理を無視した解釈であることのなによりの証左である。
[9] 以下本弁護人は、本弁論の基調を、数点にわたつて明らかにしたい。
(一) 憲法と教育との関連
[10] 本件文部省学テに対する闘争は、日教組と傘下各組合によつて行われたものであるから、まず最初に、戦後30年の今日までの日教組の果してきた、憲法と国民教育に対する役割について一言する。
[11] いまさらいうまでもなく、憲法をうけて制定された「教育基本法」は、その前文で、日本国憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである。」と、新しい平和、民主国家再建のための教育の重要性を強調し、憲法の精神に則り、教育の目的を明示して新しい日本の教育を確立するためこの法律を制定する旨を明記するという異例な方法をとつた(註)。
註 この教育基本法案の審議にあたり、高橋誠一郎文相は「この法案は教育の理念を宣言する意味で教育宣言であることも見られようし、また今後制定せられるべき各種の教育上の諸法令を規定するという意味において、実質的には教育に関する根本法たる性格をもつものである」と述べている(昭22・3・13第92回衆院、「教育基本法委員会議録第1回)。
(二) 教員組合の役割
[12] いうまでもなく教育の重要性は、この教育に従事する教師――教育労働者――の重要性を意味する。しかし一人ひとりの教育労働者の力は弱く、それは当然教育労働者の団結組織である労働組合――教職員組合の重要性の確認、尊重でなければならない。この点で当時公表された文部省の「新教育指針」の次のくだりは当然のこととはいえ正当な教育労働者観を示すものであつた。
「教員組合は教師の生活を経済的に安定させ、さらに教師としての教養を向上させ、それによつて安心して、しかも熱意をもつて教育の道に全力をつくすことができるように、――そのように教師がたがいに助け合い、また当局に対して正当の要求をつらぬくことを目的とする」
「もし政党から不当な圧迫があつて、教育がゆがめられたり、教師の身分が不安定になつたりするおそれがあつたときには、教員組合は、その団結の力を以つて、教育の正しいあり方と、教師の身分の安定とを保障しなければならない。」
[13] 当時は教育労働者にも争議権等労働基本権が完全に保障されていた。
[14] これらの教師ないし教員組合尊重に関する考え方が、たんに戦前わが国教師のおかれた不遇な地位に対する反省、反動としての一時的なものではなく、第2次世界大戦後の平和と人権尊重の大潮流に合致し、かつ30年を経た今日でも不変の理想であることは、ユネスコ憲章(1946年)や世界人権宣言(1948年)、近くは1966年のILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」(ことにその「指導原則」および争議権の保障を勧告した84項等)等が明示している。

(三) 日教組の役割
[15] 日教組はその結成(1947・6・8)以来一貫して上記の憲法・教育基本法その他国際的な教育の諸原則に忠実にしたがい、平和と民主主義、人権尊重の教育活動の推進に邁進してきた。組合規約、綱領には教育の民主化とともに、平和と自由を愛する民主国家の建設のために団結することが明記されている。この間戦後数年を経ない頃から保守党政府の教育政策は急速に反動化の度合を強めてゆき、その過程で、一貫して憲法教育を施こそうとする日教組に対する激しい弾圧が繰り返され、ことに勤務評定の強行、学習指導要領の改訂、官製伝達講習会、そして本件昭和36年の全国一せい学力テストの強行等で日教組は激しい抵抗を余儀なくされた。歴代保守党政府の憲法に対する姿勢は、昭和30年前後の保守党の改憲案の続出によつて明らかであるが、久しい間政府による憲法記念の行事は行われず、最近では教員志望大学生の必修科目であつた「憲法」(教育職員免許法施行規則)が、昭和48年施行規則の改訂で必修科目から外され、大きな問題となつたこともある。憲法、教育基本法の精神を忠実に実践してきた日教組に対する政府の弾圧は保守政党の改憲の声の高まりとともに激化し、またいわゆる「経済成長の高度化」とともに、熾烈さを加えた。しかしこの間日教組が、激しい勤評、学テ等のたたかいを重ねながら、分裂、弱化せず、今日でも依然として日本の教師の圧倒的大多数に当る組合員60万を擁していることは、平和と民主主義、人権尊重の教育の重要性を教師一人一人が自覚し、かつ、広はんな日本国民の憲法感覚と、憲法、教育基本法にそつた教育の重要性の認識によつて支えられているからにほかならない。このような日本国民一般の理解と支持なしには、日教組は今日まで存続することは不可能であつたであろう。
[16] そして、このような日教組に属する多数の教育労働者のたゆみない努力が、今日までの、世界的に高い水準の知的、文化的教育の維持増進に大きく貢献したことはいうまでもないが、ことにその憲法と教育基本法の精神に忠実であるように努力してきた教師たちの教育が日本の経済や外交の極端な行きすぎを少なからず抑制してきたことも争えない事実である。そして今日これまでの経済第一主義、利潤追及主義の行き方が“エコノミツク・アニマル”“公害日本”の汚名を世界に高からしめ、アジア諸民族その他世界的に激しい非難にさらされ(アジア諸国を歴訪した田中前首相がしまいにはヘリコプターで脱出せざるをえなかつた)、また日本の「軍事大国」化への警戒心も高まつているなかで、「個人の尊重を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」を期する憲法、教育基本法の精神にそつて忠実な民主教育を終始一貫して実践してきた日教組の役割は、ますます重要さを加えてきている。四面海に囲まれ、“資源小国”(昭和49・12・27「毎日」社説「資源小国が生き残るには」)の日本が諸国に互して国民生活を維持し発展してゆくために、今日ほど平和、民主主義の憲法の重要性、必要性が痛感される時はないであろう。
[17] かつてアメリカ連邦最高裁判所ウオーレン長官も昭和42年9月わが最高裁判所20周年に際し来日したときの講演のなかで、日本の憲法について「日本はこの戦争放棄の原則を基本法にとり入れ、同時にそこにこの原則からの逸脱をそそのかすことにもなりかねない軍備の保持の禁止をあわせて規定し、この原則の貫徹をはかつている点において、世界で最初の国家となりました」(「法曹時報」19巻10号)と賛辞を述べた。憲法の真価の発揮されるのは戦後30年を経て、ようやく壮年期を迎えつつあるこれからである。
[18] 戦後間もなく文部省学校教育局長に就任し、後文相となつた田中耕太郎氏は、教育基本法について、それは「教育憲法」といつてもよい根本原則を規定しており、将来憲法のなかに司法と同様に1章として教育に関する規定をおくようになれば、教育基本法のこれらの原則はおおむね憲法の中に移されることが適当であると述べた(「司法権と教育権の独立」)うえ、そのなかでも特別に教育権の独立の観点から重要な意義をもつものとして第10条を指摘し、次のように戦前の教育行政の官僚的統制の実状を回顧している。
「とくにわが初等および中等教育は中央と地方の官僚によつて支配され、戦時非常状態の下では軍人が中央官庁である文部省を動かして教育を左右し……た。地方においては年齢30にも達しない、教育には全くの素人の、1・2年で他に転勤する内務官僚が地方庁で教育行政の実権を握り、20年30年勤続の老教育者がその鼻息をうかがい、卑屈に流れるような事件は決して稀れではなかつた」と。そして「教育権の独立は総司令部側の意向をまつまでもなく日本側として考慮していたところである」
と述べている(同上)。
[19] このことはそのニユアンスの違いはあつても、これまで少なからぬ高裁、地裁の下級審判決でも認められてきたところである。国際的にもILO・ユネスコ「教師の地位に関する勧告」は前文で、
「教育の進歩における教育の基本的な役割、ならびに人間の開発および現代社会の発展への彼らの貢献の重要性を認識し」、「教員がこの役割にふさわしい地位を享受することを保障することに関心を持ち」
と述べ、
「教職者は職業上の任務の遂行にあたつて、学問上の自由(アカデミツク・フリーダム)を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するため格別に資格を与えられるものであるから、承認された課程の大綱の範囲で、教育当局の援助の下で、教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて、重要な役割を与えられるべきである」(61項)
「一切の視学、あるいは監督制度は、教員がその職業上の任務を果すのを励まし、援助するものでなければならず、教員の固有な自由、創造性、責任感をそこなうようなものであつてはならない」(63項)
等と勧告しており、教員の教育の自由と独立は国際的にもひろく承認せられたところである。
[20] 前掲北海道学テ事件の原判決が「教育基本法をはじめとする現行の教育法秩序」とするものは、まさにこのような教育基本法の正しい解釈にたつているものである。
[21] これに対し検察官は、教育基本法の施行法であるはずの学校教育法の各規定やそれに基く省令、あるいは国会では第9条までしか逐条審議をせず不当に押しきつて強行可決せられた地教行法の規定の解釈から、逆に教育基本法を解釈するという本末顛倒の非理をおかしている。
[22] 本件学テは、
(一) 教育基本法に基く教育法秩序を破壊し、国民教育を経済偏重の偏向政策から著しく歪曲奇型化させ、
(二) 教育の自律性、教師たちの教育の自由、独立を侵害し、教育の国家権力による統制を強化するとともに、
(三) 教育公務員労働者である教師たちの勤務条件を著しく悪化せしめるものであつた。

(一) 経済偏重の偏向政策
[23] 本件学テが高度経済成長政策、所得倍増計画の推進という、経済界の強い要求を動機とし、これを利用して保守党政府による教育の国家統制の具に供せられたものであることは今日ではきわめて明らかである。昭和35年11月1日答申の「国民所得倍増計画に関する経済審議会答申」のうち、「教育訓練小委員会」報告は、「十、経済成長のための教育訓練を中心とする社会計画の策定と調査の必要性」の項で、
「人間能力の開発活用は、各種各段階および各種態様の労働力が対象となるだけでなく、今後産業構造の高度化に伴つて地域、産業、職種間の労働力の移動が必要となるので、これに対応する人間能力活用政策が問題となる」とし、「少くとも2年程度の期間にわたつて調査を行い、それに基づいて人間能力の開発活用を含む社会計画を策定することが望まれる」
とする。この報告書の随所に「教育投資の必要と効果」とか「英才の開発と育英制度の拡充」などの文章がみえる。
[24] これに呼応して文部省調査局は「教育計画樹立のための調査統計」(「文部時報」60年11月号)のなかで、明年度の調査統計の中で、基本的教育計画の樹立に大いに寄与しうると思われるものとして「人材開発計画立案のための調査」をあげ、初等中等教育局で明年度中学校、2・3学年の生徒に対し全国一斉学力テストを行うことを計画中である。と記している(註)。
註 本件学テの翌年の昭和37年11月学制公布90年を迎え、その「教育文化週間」にあたり刊行された(荒木文相序による)文部省刊行の「日本の成長と教育」と題する白書は、「教育の展開と経済の発達」という副題がついていることでもわかるように一貫して経済一辺倒の観点からする教育白書であつた。その「まえがき」には、
「……この人間能力をひろく開発することが、将来の経済成長を促す重要な要因であり、その開発は教育の普及と高度化に依存しているという認識が、今日の教育を投資の面からとらえようとする考え方の背景となつている。この報告書では、このような考え方に立つて、教育を投資の面から、ことばをかえていえば、教育の展開を経済の発達との関連に注目して検討しようと試みたものである」
[25] 本件学テが、その主要な目的のなかに「経済成長政策」「所得倍増計画」「教育投資的観点」「経済界にとつて必要な人材開発、英才教育」等の、専ら経済偏重の偏向した意図を背景にもつていたことは、文部省通達(「昭和36年度全国中学校一斉学力調査の実施について」)をみても、ほぼ看取できることである(とくにそのうちの各生徒の生徒指導要録への記入強制や、育英施策条項など)。それは国民徴用のための国民登録ないしは壮年登録の匂いすらするものであつた。
[26] このような経済偏重政策の一かんとしての、甚だ非教育的な本件学テに対し、日教組はもとより、多くの教育学者その他の識者から激しい批判と反対が表明された。例えば大田堯東大教授は、人格の完成をめざした憲法、教育基本法は人間能力の全面的開発という近代思想をあらわしたもので、それは戦前の教育を支配した画一性と選別性という考え方ときびしく対立するとし、木件学テの目的と効果を疑問視する。このような批判は教育学者には共通のものであり、前掲昭和35年の「経済審議会答申」のなかですら、この点にふれ、
「教育には、個人の完成という教育本来の目的がある。しかし、ここでは経済的側面からみても、もし青少年が十分な教育訓練を受けていたならば、その後の生活において高い生産性をあげ、また社会に貢献したであろうという観点から、人間の潜在能力を十分に開発することを検討の主要点としている」
と述べているが、小中学校の過程で人間能力の経済的側面からの潜在能力を開発しようとすることじたいが人格の完成を目的とする教育本来の大目的を歪曲、偏向してしまい、かえつていびつな人間をつくつてしまうことになることはわかりきつたことである(註)。
[27] その愛する子どもたちの健全な発育成長をねがう教師や父母たちが、このような偏向した目的をもち、しかもただ1回のペーパーテストの結果を生徒指導要録に記入し、その子どもたちの生涯を左右しかねない結果となる本件文部省学テに反対したのは、教育者として、また国民としてきわめて当然のことであつた。
註 昭和45年1月訪日した「OECD(経済協力開発機構)教育調査団」の元仏首相エドガ・フオール氏は「われわれは経済成長は目的そのものではなく、社会の一つの現実であることを学生に認識させなければならない。われわれは学生を道具として経済成長を求めるのではない。教育のシステムを確立し、それを通じて経済成長に対応することが大切なのだ。教育の目的は人格形成なのです」と述べ(昭和45・1・15「朝日夕刑」坂田文相らとの討論)、経済偏重の日本の教育政策を鋭く批判している。
(二) 教育の国家統制
[28] 本件文部省学テは、右のような経済偏重、人間の人格軽視のイデオロギーに基く政策目的とともに、これを達成するための必然的手段として、国家権力による教育の統制を企図していた。本件学テ実施のためには、文部省の企図、命令の下に、
(1) 一定の期日に全国各中学校の授業計画を変更させる。
(2) 校長、教職員をテスト責任者あるいは補助員、採点員に任命または委嘱し、 (3) テストの実施とテスト結果の採点、集計その他付随業務について教師たちに尨大な勤務を負担させる。
(4) その採点は生徒個々人の生徒指導要録に記入せしめる。
等の強権的措置がとられる。
[29] これを教師の側からみると、教師たちは、
(1) 自らが教育の専門職として作成し、学校として予定した授業計画を強権的に変更、中止させられ、
(2) 職務命令によつて、自らが教育者としてまつたく関与も参加させられない文部省作成のテストを担当させられ
(3) 他校生徒の答案を採点、集計、整理し、調査結果の換算点を生徒個々人の指導要録に記入させられる。
(4) またテストの必然の結果として、学校間、地域間の激しい競争にまきこまれる。
等の非教育的効果を伴つているものであつた。
[30] この点について原判決(北海道学テ事件)も、本件学力調査実施の実質上の主体を文部省とする一審判決を支持したうえ、
「本件学力調査の実施のためには、各学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上文部省が各学校の教育内容の一部を強制的に変更させることを意味する」
とし、またこの調査の及ぼす結果として、
「各教員を含む学校関係者も調査の結果に捉われ、これを向上させるため日常の教育活動を調査の実質的主体であり、問題作成者である文部省の学習指導要領等に盛られた方針ないし方向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ない」
と、その教育の国家統制化の本質をよく見抜いている。
[31] ことに岩手では教師たちが学テ反対の態度を示したのに対し、各地教委は教師を排除して、教員免許状をもたない市町村役場の吏員を使つてテストを強行実施しようとした。
[32] この当時、岩手の教師たちが、長年の教育経験をつんだ多数の老校長を含めて、異口同音に強調したことは、専ら教育を使命とする教師が強権によつて教壇から排除され、第三者によつてテストが行われるということに対するいきどおりであつた。このことは、例えば裁判官を排除して、国家権力が第三者を以て裁判にあたらしめる、というような事態を想像すれば実感が出よう。
[33] すなわち、本件学力テストは、一政党内閣の文部大臣の企図、指揮の下に、日本全国の各学校のすみずみまで、また教師の一人一人までその威令を徹底させるという、戦前戦中ですら殆ど例をみないといわれる、教育に対する行政権力の不法不当な干渉であつた。教育の国家統制の傾向はその後ますます強化せられ、教頭の法制化、管理職化(昭和49年9月)、最近問題化している主任制設置の動きなどもこの流れにほかならない。憲法と教育基本法の原則に忠実な教育を念願として努力してきた日数組に結集する教師たちが、この憲法と教育基本法をじゆうりんする教育の国家統制という危険をいち早く察知して、これが是正のために立上つたことは、良心ある教育者として余りにも当然の行動であつた。
[34] なお、検察官は弁論要旨(その二)のなかで教育基本法10条の解釈について、同条2項の「諸条件」とは、「教育の目的を達成するに必要な条件であるかぎり、いわゆる外的事項に関するものであれ、いわゆる内的事項に関するものであれ、そのすべてを含むものと解せられる」と述べ、「教育の自由」に関しては同要旨の末尾に、「教育効果をあげるうえには、教育の主体的・自主的活動にまつところが大きく……」云々といわば便宜的にみているにすぎない。しかし、この検察官の教育基本法10条の解釈は、戦争10数年にわたつて文部省等もあからさまにはとらなかつたところであつて、新解釈である(註)。もしこの検察側の解釈にしたがつて教育行政が行われるならば、教育の国家統制は著しく強化せられ、明治憲法下と大差ないことになるであろう。
註 今村武俊「教育行政の基礎知識と法律問題」(昭和39年5月第一法規刊)には、「教育基本法10条の新しい解釈」の題目の下に、同旨の説を論述している(79頁)。
(三) 本件学テとその他の学力調査との相違
[35] 検察官は「弁論要旨」(その二)のなかで、昭和20年代の国立教育研究所や民間教育団体による学力調査および昭和50年度日教組運動方針中の「学力の実態調査」の例をあげて、本件学テを合理化しようとしている。
[36] しかし、われわれは、決していかなる趣旨・目的あるいは内容、手続の学力調査であれ、およそ担当教師以外の者が企画立案する学力調査をすべて違法としているわけではない。また学力調査の必要性それ自体を、頭から否定しているわけでもない。しかしその必要性が一般的に肯定されるからといつて、その故に直ちにすべての学力調査の違法性を肯定しえないことも、きわめて明白である。それが違法と評価されるか否かは、もつぱらその具体的態様の如何による。弁護人側は、後で各弁論で詳論するところで明らかなように、本件学テの趣旨・目的、規模、内容、手続等の諸特徴をみ、これに即してその法的評価を論じているのである。
[37] ところが、本件学テと検察官引例の他の学力調査との間には、その実施の趣旨・目的、規模、内容、手続等の諸点で顕著な相異があり、法的評価の面で両者を同列に論ずることは到底できないのである。両者の差異の具体的詳細は、参考までに書面に記載するが、要するに、日本教育学会や日教組は純然たる民間団体であつて、文部省や教育委員会の如く公権力の機関ではなく、教員ないし学校教育に対する行政上の権限は一切有していないから、文部省の行う学力調査とは、教員ないしその教育活動に与える影響は全く異つている。それだけに公権力の行う調査は、現場教育に混乱や不当な影響を与えることのないよう慎重な配慮が必要とされるのである。また他の事例はいずれもごく小規模のサンプリング調査であり、「調査」の実質を有していたが、本件学テはすべての生徒に対して実施されたものであり、且つその成績は各生徒の指導要録に記入されるというもので、各生徒の成績評価の実質を有していた。われわれが本件学テを「調査」といわずに「学力テスト」というのもこのためである。それは「学力調査」というよりも国家試験の性格に近いものであつた。さらに他の事例では、調査は、学校が教員の自発的協力として行われ、本件学テのような教育への強権的介入の要素は全くなかつた。
[38] 以上のように、学力調査の法的評価は、それぞれの場合の態様に即して具体的になされるべきものであるから、検察官引用の他の事例についてこれ以上言及する必要はない。
(1) 経済成長と労働者の犠牲
[39] 戦前日本の低賃金、劣悪労働条件による製品輸出の、いわゆるソーシヤルダンピングは国際的に強く非難されたが、戦後の日本経済が急速に進出してゆくにつれて、再び日本の非近代的労働関係に対し、鋭い国際的な関心が向けられはじめた。
[40] 日本の戦後の急速な経済成長は、一面において、日本の勤労者大衆に対する苛酷な賃金抑制政策や、近江絹糸の人権争議にみられたような劣悪な労働条件のおしつけ、その他強権支配による抑圧政策によつて、つまり勤労大衆の犠牲の上に遂行せられてきたといつても過言ではない。
[41] ドライヤー報告書(224項)は、
「近代における日本の産業経済は、著しく多数のきわめて小さい企業と、ごく少数の比較的大きな企業とが相並んで共存している。という基礎の上に成り立つている」
と、日本経済の上層部を構成する近代的大企業と、下層部を構成する多数の中小零細企業の併存という「二重構造」を指摘した。
[42] 日本の勤労者のうち、組織労働者は約1,200万人で、推定組織率らは34.4%(1972年)つまり、10人中6人以上は労働組合もなく、使用者のいいなりの労働条件で働いている労働者である。それらの労働者の低劣な賃金や労働条件が、日本の全労働者の低賃金や劣悪条件の一般的な背景ないし基礎となつてきた。
[43] これまで歴代保守党政府は、このような日本の大部分の労働者の劣悪な労働条件という基礎の上に立つて、組織労働者を含む全労働者に低賃金、劣悪労働条件をおしつけるために、組織労働者の中に大きな部分を占める官公労働者に対する争議権剥奪、政治活動の制限等の非近代的な法制を固持し、一方では人事院勧告制度を利用してきた。
[44] ところでこの人事院勧告は、前述の中小零細企業労働者の低賃金を含む、民間賃金を基準にして決定されるので(国公法64条参照)、一般的に相当低位に抑えられる。昭和29年から34年にかけては基準賃金引上げは全く勧告されなかつた。検察官は弁論要旨(その四)のなかで、地方公務員の労働基本権に対する制限に見合う「代償措置」が重要である、と述べ人事委員会の給料表に対する勧告制度の保障などをあげているが、法で定められた人事院勧告すら1948年の第1回勧告以来ごく最近まで、政府は完全実施をしたことは1度もなく、これまで長年の公務員の賃金閣争は、この人事院勧告をめぐつて行われた。
[45] ところが、当局側はこのような当然の権利行使に対しても容しやなく刑事罰、徴戒処分を加え、その後昭和44年4月2日の最高裁大法廷判決後は刑事訴追は見合せたものの、その代りにこの数年来公務員労働史上未曾有の、大量行政処分、全員懲戒処分方式を以つてのぞみ、組合を人的、物的に壊滅しようとつとめてきた。しかも昭和49年4月から6月にかけては、最も時代逆行的な最高裁4・25判決(昭48年)に勢いをえて、久しく手控えていた日教組への大規模な刑事弾圧にふみきつた。
[46] しかし、これにたいし官公労働者の争議権奪還のたたかいは、あらゆる弾圧をはねかえしてたえず前進してきた。ことに日本経済が石油危機などで根底からゆさぶられ、企業による不当な買占めや売りおしみ等が加わつて、物価騰貴は「狂乱」といわれるまでにとめどもなく、国民生活は極度に困難となつてきたこの2、3年来、労働者の生存権をまもるためのたたかいはますます激しくなり、74春闘では官公労働者をふくむ81単産600万人参加という未曾有の盛上がりをみせた。しかし官公労働者の労働基本権について何ら尊重の態度を示さず、依然として旧来の抑圧体制を維持しようとする頑くなな保守党政府に対し、昭和50年11月から12月にかけ、未曾有の規模の公労協ストが長期間続けられたことは、もはや官公労働者の怒り(註)の前に、この争議権剥奪の旧体制が崩壊寸前にあることを示している。
註 吉田茂元首相「回想十年」第2巻は「一度与えられた争議権を、後に至つて奪われたわけであるから、そこに釈然たり難いもののあることは察せられる」(237頁)
  「ただ私の思うには、公務員の労働組合の罷業禁止は最初に与えたものを後に剥奪したものであるから、そこに一種の無理があつたことは争われない」(272頁)と繰返し述べている。
(2) 内外の批判と最高裁の変転
[47] このような官公労働者の争議権奪還のたたかいの前進のほか、日本の官公労働者に対する非近代的な争議権剥奪体制に対する国際的な批判は、日本経済の国際社会への急速な進出とともにしだいに激しくなり、ILOへの官公労働組合のあいつぐ提訴とあいまつてILOから日本政府に対する再三の強い勧告が出された。1965年日本の官公労働者の実情を調査したILOドライヤー委員会の調査報告書(2250項)は、この点について次のように述べた。
「日本はいまや先進工業社会である。日本が科学と技術の工業への適用に成功したことは世界の賞賛にみちた尊敬を集めている。本委員会は、先進工業社会にふさわしい公共部門の労働関係制度の開発について、日本における政策に責任を負う人々を援助するよう要請されてきた」
[48] このようにして、年ごとに激しくなつた内外の圧力の前に、ついに保守党政府もILO87号条約をしぶしぶ批准したり、ILO・ユネスコの「教育の地位に関する勧告」を一応尊重すると言明せざるをえない立場に追いこまれた。一方、最高裁もこれに呼応し、またそれまですでに少なからず積重ねられた下級審判決を無視しえなくなり、昭和41年ILO87号条約批准後、中郵判決、4・2判決等により、従来の頑くなな態度を大きく転換して国内外の、官公労働者の労働基本権尊重の潮流に順応する姿勢を示しはじめた。
[49] 中郵判決は、労働基本権の保障が「憲法25条の生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものととする見地に立つ」という、最高裁としてはかつてみられない新鮮な人権感覚から出発し、公務員もまた憲法28条の保障をうけるもので、公務員は「全体の奉仕者」であることを根拠として、その労働基本権をすべて否定することは許されない、とした。そして労働基本権の制限について、「合理性の認められる必要最少限度」等、いわゆる「4条件」の基準をうちたてた。この画期的な判決に対しては、「ズバリ違憲をうちだして貰いたかつた」という批判も当然出されたが、一般的には、たとえば「近代的な労働感覚を最高裁の判例にやつと採り入れた」(昭和41・10・28「朝日」)等の評論にみられるように、概ねこれを高く評価し、支持する態度がみられた。多くの下級審判決もこの最高裁の憲法適否の判断基準にしたがつて判決を出すようになつた。続いて4・2判決は、右の中郵判決の趣旨を公務員について具体的に適用し、地公法37条1項、61条4号を「文字どおり」解釈適用して処罰すべきものとすれば、「違憲の疑い」を免れないとまで言明するに至つた。

(3) 4・25判決の日教組への刑事弾圧の再開
[50] しかし、あくまでも官公労働者の争議権を剥奪し、非近代的な抑圧法制を維持しようとする権力側の圧力による、まきかえし政策によつて、かつての最高裁に流れはじめた進歩的な潮流は強引に阻止せられてしまつた。そして昭和48年4月25日の大法廷判決にみられる前近代的、強圧的態度に逆もどりしてしまつたのであるが、この判決に対しては新聞社説でも、裁判史上かつてなかつたほどの激しい批判が集中されたことは周知の事実である(「異例の“判例逆もどり”」「大きく後退した大法廷判決」「納得しかねる最高裁の判決」「問われる最高裁の権威」等々)。その後の公務員の政治活動制限に関する猿払事件判決(昭49・11・6)に対しても「時代の要請に十分耳をかたむけていない判決」(昭和49・11・7「朝日」社説)等という批判がなされている。この4・25判決後も多数の下級審判決が依然として中郵判決や4・2判決の基本線にそつた判決を下していることは下級審の多くがこの4・25判決に承服していないことを示している。
[51] 最近では電々、専売公社両当局が、労使関係を改善、発展させるためにも「条件付スト権」を認めるべきだとの見解を出し(昭50・10・16各紙)、さらに国鉄当局まで、「条件付スト権」付与の見解を打出した。これらは「条件付」とはいえ、政府に対する“造反”(昭50・10・21「朝日」)といわれるように、相当思いきつた見解の表明であり、各当局が時代のすう勢をもはや無視しえなくなつたことを示している。
[52] ことに本件岩教組学テ事件のように、刑罰を以て争議権を禁止するという旧体制は、まずまつ先に葬り去らねばならない。
[53] 本件、岩教組学テ反対闘争事件は、この点において、最高裁判所が下級審や世論の信頼にこたえるか否かきわめて注目されつつあるケースである。
[54] 近年における一般国民の国政への批判の進歩、強化は、内外を問わずめざましいものがある。さきに不毛のベトナム戦争の失敗や、「ウオーターゲート事件」の不名誉な謀略政治のばくろにより、ニクソン米大統領は世論と議会から追及をうけ、アメリカ史上でも珍しい弾劾の訴追をうけ、ついに辞任にまで追いこまれた。一方、わが国では、これまでいわゆる「高度経済成長」型経済が音をたてて崩壊し、これとともに戦後長く経済、社会、政治を支配してきた経済第一主義、もうけ本位その他諸々の既成の価値概念や旧秩序がくずれ去つてゆきつつある時期に当面している。史上空前の“企業ぐるみ”の金権選挙といわれた参議院議員選挙が露骨に行われ、企業の献金と利権政治のしゆう悪な実態がつぎつぎと国民の前に明らかにされ、“金脈”追及されるさなか金権政治の典型であつた田中首班内閣がついに国をあげての非難攻撃の前に退陣を余儀なくされた。そしてこれに代つて自民党の近代化を唱え、「清潔で誠実な政治」を標傍する三木内閣が誕生した。これとともに田中前政権の、選挙めあての一時的な思いつきにすぎなかつた「5つの大切」「10の反省」という浅薄な徳育論も水のあわのように消えうせて、新内閣唯一の新鮮な「目玉人事」といわれる民間文相までが登場するようになつた。その後の経過をみると新文相の登場が必ずしも「目玉人事」という名に値しないとも思われるが、少なくとも民間先相の登場というこのことは国民の教育に対する関心の深さを無視できないことを反映するものといつてもよいであろう。
[55] 一方司法の分野についてみると、前述のように4・25判決等に対する世論の批判は激しく、また、4・25判決以後の短日月の間に下された少なからぬ下級審判決のなかで、依然として中郵判決や4・2判決の判断基準をとつて「限定解釈」をとり、なかには真正面から地公法等の違憲を宣言するものまで出ていることは、この4・25判決のとる古めかしい権威主義的考え方が、もはや多くの下級審裁判官の良心を心服させることができず、まさに最高裁の権威が根底から動揺し、その信頼が失われつつあることを物語るものである。
[56] 本件裁判は、このような最近の状勢のなかで、国民注視の下に進行しつつある。本件裁判においては、以下に各弁護人が詳述するように、わが国国民教育の基本的あり方、教育の自律性、教師の教育の自由と独立という国民的重大問題について判断が下されるとともに、官公労働者の争議権剥奪体制という権威主義的な現行公務員法制の違憲性がきびしく問われている。なお本件学テのように違法の明白な学テの強行に対する正当な抵抗が公務執行妨害罪や、道交法違反の罪に問われる理由のないことはあえていうまでもない。
[57] 本件裁判の帰すうは、一面においては広く日本国民、とくに次代を荷う青少年の福祉と密接に関連し、また他面においては教育公務員を含む全官公労働者の労働基本権に重大な影響をもつている。これらはいずれもまた、日本の将来の平和的、民主的発展と重大な関係をもつている。
[58] 裁判所が広く日本及びこれをとりまく国際社会の発展と進歩的潮流を洞察し、鋭い憲法感覚を以て、国民教育についての教育基本法の原則に忠実な見解を示されるとともに、国際的に殆ど例をみない旧体制である地公法37条1項、ことに違反に対して刑罰をもつてのぞんでいる同法61条4号の違憲を明確に宣言して、国民世論の期待にこたえられるよう強く要望するものである。
目次
第一、本件学テの実態とその本質
 一、学テ実施の意図とその性格
  (一) 「人材開発」のための政策的テスト
  (二) 教育内容統制の確保
  (三) 学テの企図、実施の主体
 二、木件学テの本質
  (一) 教育課程行政との一体性
  (二) 教科教育活動の実質
  (三) 成績評価と同質性
  (四) 本件学テの本質
第二、学テの機能とへい害
[59] 本件裁判において法的検討、吟味の対象となる、本件学力調査(以下、本件学力テストないし本件学テという)の実体とその本質をどのように確認、理解し、的確に把握するか、ということは、本件裁判の争点に対する判断に深く影響し、判決の結果を左右するものといつていいすぎではない。
[60] われわれは本件において一審以来「学テの本質」につき具体的にしかも詳細に主張、立証してきたが、今回の弁論にあたり再度問題の本質を整理して以下陳述するのも前記のような趣旨によるものである。
(一) 「人材開発」のための政策的テスト
[61] 本件学テ実態の意図を文部省が明らかにしたのは、昭和35年11月号の「文部時報」の「当面する文教政策の重要課題」の中であつた。それによると
「目下政府立案中の国民所得倍増計画において広く人材を開発することを必要としているが、何よりも優秀なる人材を早期に発見し、その者に対する適切な教育を施すことが大切で、義務教育の終了期において生徒の能力、適性を見出し、その進路を指導していくことが必要である。」
とし、さらに、「高校入学選抜制度の改善という課題」などを解決する一つの方法として、全国一斉学テを実施しようとしたことを明らかにし、また、本件学テは「人材開発計画立案のための調査」であることを示していた。そしてこれらの文部省の意図は、同年12月に決定された、時の池田内閣のいわゆる経済高度成長政策の中の「人的能力の向上」「科学技術者および技能者の確保」などの経済政策と、産業界の要請に従い、それに対応した「労働力対策としての教育計画の展開の一つの有力な方法」として本件学テが企画、実施されたことは否定できない。本件学テはこの意味において、まさしく「政策的テスト」であり、教育外の要求にもとづくテストであつた。
[62] ところで、文部省の意図は決して一般的ないわゆる「広く人材を開発する」という教育的発想ではなく、その方針が自ら示しているように「何よりも優れた特定の人材を早期に発見し、その特定の者に対し適切な教育を実施する」ということで、教育における「選別」を求め、しかもその選別は「義務教育の終了段階における能力、適性によつて決定」するというものであつた。より具体的にはハイタレント、マンパワーの養成、確保を第一義的なものとし、それは同年令人口の3%程度、これに準ハイタレントの層も入れ5ないし6%程度の人材の早期確保(昭和38年経済審議会養成分科会答申)という提言に呼応するものであつた。そして、それ以外は中間職制、単純労働者といつた階層的構造の人的能力養成を求め、これをいかに効率的に育成(選別を的確に徹底して行う)するかということにあつたから対象たるハイタレント以外は必然的に「差別」された教育が行われていくことを意味していた。それは、
「このような人的能力の養成の計画は、いつも上ずみの部分を必要に応じどうするかということに力点がおかれている以上、それ以外の下ずみの部分に不経済な加工をほどこすことは全体のコストを高くすることにしかならないという思想が裏打ちされている」
からである。(勝田守一、未来にかかわる時点で、教育、昭和37年1月号)
[63] しかも本件学テは前にのべたように「高校入試」ないし「就職試験」にも使用されることを企図したもので、義務教育終了時の「学力」をもつて早期に選別し、生徒の生涯をも決定づけようとした「国家試験的性格」をもつものであつた(昭和35年8月24日朝日新聞)。そもそもこのような考え方は「先天的素質」と「知能テスト」への過信であり、その背後にさきにのべた「差別」と「選別」を核心とする能力主義的教育の性格を示していたといえる。
[64] このような本件学テは、その構想・意図において共通する「高校教育の多様化、高等専門学校、臨時工業教員養成所の設置」などの労働力配分計画にそつた(くわしくは答弁書275頁以下)経済政策追随の施策であり、そればかりか、教育の現場に対する過程の経済的合理性――教育投資の効率化――貫徹を意味するものである。
[65] それはすべての児童、生徒の全面的発達、特に小・中学校における普通教育(義務教育)が、「人たる者に共通し、先天的に備えている精神的・肉体的諸機能を十分に、かつ調和的に発達させることを目的とし、民主国家の国民として、専門的又は職業的教養に先だち、これらの基礎となるべき一般的教養を養う」(文部省法令研究会著、教育基本法の解説)という趣旨からいつても教育の自主性、自律性を著しく阻害するおそれをもつものであつた。このことを見抜いて本件学テに、教師はもちろん、父母大衆が反対したのも当然である。
[66] 次のような指摘も本件学テの「根底にあるもの」を的確に説明している。
「戦後の教育改革の原則は平和と民主主義であり、この原則にしたがつて教育の構造、内容、方法も一変した。(中略)ところが、目標は経済成長に移つた。政府、与党の判断では、この政策のためには、戦後教育の原則よりも、明治教育のそれがより、適切とされたと思われる。(中略)明治教育の目標は富国強兵であつた。強兵をのぞくと国家の繁栄が目標であり、それは戦後の経済復興、成長の政策とも体質的に適合している。一言でいえば国家の繁栄のために教育を手段とみなし、国民を国家目的達成のために総動員しようとするものである。そういう教育は中央集権的な行政のもとにおかれる。(中略)国家または社会が学習について基準を設け、国民は、これに到達するようにつとめる。明治政府はこういう教育制度をつくることに成功し、国家の繁栄をもたらした。多くの国民は犠牲となつたが日本は短期間に産業革命を実現して軍事大国となりえたのであつた。戦後の教育委員会の任命制への転換、指導要領の基準化、勤評の実施などは、この型の教育制度の復活をはかつたものとみてよい。」(朝日新聞、昭和46年6月12日、社説、真の教育改革とは何か)
[67]また、
「文部省の全国一せい学力調査は、明治以来のわが国の教育政策の体質の持続をもつともよく露呈したものであつたとわたくしは思う。(中略)それは国の政治と経済の必要に教育を利用するという、(中略)戦後の教育改革の精神をまつたく無視して強引に貫徹しようとしたのであつた。憲法の示す国民の教育を受ける権利の条項や教育基本法の教育目的を示す精神は、すべての国民の子弟を、独立した人格として育てる(教基法1条)ことを大前提としており、そのことを通じて平和な国家及び社会の形成者たらしめることをめざしているのであつて、戦前のように国家の政治的経済的な必要に従属する国民を形成するのではないはずである。目的ばかりでなく、その手段としての学力テストそのものが学力のなかの到達度だけを測定して、その学力の質、つまりその原因や可能性をほとんどまつたく無視してしまうという不合理なものであつた。国民を政策の手段として扱うものにとつては、それで十分だつたのである」(教育、昭和50年11月号、大田、最高裁学テ裁判と学力観)
[68] 文部省は本件学テ実施段階では「人材開発」という表現を一応表面から引込めたが、しかし実施の第一の趣旨が「全国の児童、生徒の学力水準を高める」ことにあるとしており、しかもあく迄も「全国一斉」に実施したところに前述のような「必要な質の労働力確保」の意図を保持していたことを示すもので、その後のいわゆる能力主義的教育政策の遂行が何よりもこのことを証明しているのである。

(二) 教育内容統制の確保
[69] 文部省が本件学テを実施した直後その最大の意図は、「教育課程の実施状況の点検」であり「学習指導要領に対する到達度」をみることにあつたことはすでに答弁書(271頁以下)においてくわしくのべたところである。
[70] 本件学テで適用された学習指導要領は、文部省が昭和33年に全面改変し、同37年から実施されることになつており、移行措置の時期にあつた。この指導要領は「道徳教育の徹底、基礎学力の充実、科学技術教育の向上、地理、歴史教育の改善充実、中学校生徒の進路、特性に応ずる教育の強化」などを基本方針とし、前述の「人材開発政策」の青写真の意味をもつもので、内容においてきわめて問題を含むものであつたことは、原審弁論要旨、その二および答弁書212頁以下においてくわしくのべたとおりである。
[71] しかも、文部省は昭和33年の改定時において、それまで教師の研究手引書、参考書として「試案」と銘うたれていた学習指導要領を、官報告示することにより、「法的拘束力」をもつものであると唱えはじめていた。だからその全面実施に先がけて「指導要領に対する到達度」を調査、点検するということは、いうまでもなく教育内容全般に対する国の関与、統制の意図があつたことはとうてい否定できない。
[72] このことは、旭川事件一審判決も明確に判示している。すなわち、
「教育の現場において、その調査(本件学テ)の結果が各学校または各教員の教育効果を測定する指標として受け取られ、これを向上させるため、日常の教育活動が、調査の実質的な主体である文部省の方針ないし意向に沿つて行われる傾向を生じ、教員の自由な創意ある活動が妨げられる危険がある。とくに、学力調査の問題は学習指導要領に基いて作成されるといわれ、その学習指導要領には法的拘束力があるという行政解釈が行われていること等の事情から、学校関係者の間に、個々の教員が好むと好まざるとにかかわらず、調査の結果に関心をもたざるをえないような空気がかもし出される危険があることに注意すべきである。これは、文部省による教育内容に対する統制を意味するだけに、重要である。」
ということである。
[73] そもそも本件学テは、それ以前の任命制教育委員会への切替(昭和31年)による教育長の承認制、措置要求権などによる教育行政の中央集権化、学校管理規則の制定、教材の屈出、承認制、勤務評定実施、指導主事の事実上の監督官化などによる日常的な教育への支配管理体制の強化という側面に、教科書検定の強化、道徳の時間特設などの教育内容面の国の介入強調という経緯のもとでいよいよ教育内容の全面的な統制確保、直接児童、生徒に対する管理を企図して実施されたものといつて決して過言ではない。そしてその根底に前述の「選別により差別」による「人的能力の確保」があつたことも否定できないであろう。
[74] このような「国の教育内容統制」の実質をもつ本件学テは、憲法、教育基本法に示された民主的な教育を否定し、児童生徒の人間的な成長と全面発達を抑圧するものとして、たんに教師、父母のみでなく、生徒からさえ批判されるに至つたのである。(日本教育学会、私たちはこう考える。西滋勝、学テ反対闘争と国民教育運動、思想、昭和37年4月号)
[75] このような国・公権力の「教育内容統制」の許されないことはのちにくわしくのべるところである。

(三) 学テの企図、実施の主体
[76] 本件学テは前述のような政策的な意図のもとに、教育内容の統制確保(指導要領の貫徹支配)の手段としてなされたものであることから当然実施の主体は文部省であることはいうまでもない。文部省の実施要綱の説明によると形式的には市町村教委が実施することになつていたが、すでにのべたとおり(答弁書292頁以下)、本件学テは文部省が試験問題を作成し、科目、日時、時間割、実施機関の系統、役割から、結果処理迄、一切を画一的に規制し、そのとおり実施させ、市町村教委は全くこれに拘束され、義務づけられたことは明らかである。(「文部省学力調査問答集」文部時報昭和36年8月号もこのことを認めている)市町村教委は手足の働きをしたにすぎない。
[77] 文部省自身、その発行した「学制90年史」に、「学力調査は文部省が計画実施した」と書いているところである。
[78] 本件学テの本質的な目的が「指導要領への到達度」「国学基準への忠誠度」を全国一斉に点検、調査にあつたことからみてこの文部省の発言は当然でありこれを「地教委に裁量の余地があり、その権限の調査として行われた」というような主張は本件学テの実施を正しく捉えていないばかりか、建前と実体を混同する誤りをおかしているものである。
(一) 教育課程行政との一体性
[79] 本件学テの目的の一つとして「学習指導要領に対する到達度」をみることをあげていることはすでにのべた。さきの全国一斉学力調査問答集の中でも「国が教育課程に関する施策を樹立するのに役立せるため、学習指導要領改善の資料としたい」とのべ「教育課程実施状況の実態を把握する」ことを意図したと明言している。本件学テはいわゆるアチーブメンテスト(学習の成果をみるテスト)の性格をもつことを自認し、問題は該当学年前年度までの学習指導要領に準拠して出題され、それに対する、すなわち指導要領に対する到達度を測定するものであるから本件学テが「行政調査」とは全く異質の後にのべる教科教育活動と同じテストであることはいうまでもない。
[80] そして、そきにのべたように、昭和33年の学習指導要領の改変時から、文部省は指導要領が「法的拘束性」をもつものであることを主張し、そうした教育課程行政を展開していく施策の一環として本件学テが実施されたことは前述の文部省の態度によつて証明される。教育課程に関する行政作用としてまさに「教育課程行政と一体性」をもち、教育現場において学習指導要領が実効をもつて確保されているかどうかを、文部省の教育課程行政権行使としてなされたものなのである。ところで文部省が教育課程行政において「いかなる範囲で、いかなる程度、いかなる方法の権限をもつか」ということについてはすでに答弁書(187頁以下)および答弁補充書(その三)においてくわしくのべたところであり、「教師の教育課程編成権を不当に支配しない、しかも地方の固有事務として教育委員会の権限をおかさない、最少限度全国的同一性を維持しうるに足るごとく大綱的基準の設定にとどめ、それ以外はいわゆる指導助言によるべきである」というのが、教育基本法制のもとにおける文部省の権限であり、限界である筈である。
[81] すでにのべた(答弁補充書その二)ように戦後の教育課程行政は昭和33年に至るまでそのような行政を一貫して行つてきたのである。それを同年の指導要領の改変時に於て学校教育法施行規則を改正し、戦後教育改革で強く否定された、中央集権、官僚統制に逆戻りし、前述のように教育課程の基準である指導要領の基準性強化、法的拘束化を主張するに至つたが、それが誤りであることはすでにふれたように教育法学界の通説であり、旭川事件の原審をはじめとする多くの裁判例によつても確認されているところである。ごく最近(昭和50年10月)教育課程再検討を迎え、文部省自身「法的拘束性」の主張が結局教育における創意性、自発性を失わしめるに至つたことを反省するような態度を示しているが、これも全く当然の理というべきであろう。

(二) 教科教育活動の実質
[82] 本件学テは、さきにのべた「学習の成果を調べるテスト」という性質をもつており、後にのべるようにそれは当然個々の生徒に対する「成績評価」の側面を有している。
[83] この実質から、旭川事件原審判決も判示しているように「教員が特定の教科につき、自己の学習指導の結果をテストによつて把握するものと何ら異らない、教育的な価値判断にかかわり、教育活動の実質を有する」ことは明らかでまさに教育課程中の「各教科活動」に属するものといえる。
[84] 文部省自体「全国一斉学力テスト」と呼称していた(文部時報、35年11月)し、実施要綱通達でも学校段階における調査の実施は「テスト」と称されていたことからもこのことは裏づけされよう。
[85] このように、本件学テが教科教育活動の実質をもつものであることから、本件学テは「通常行政的事実の調査の域をはるかに超える」ものである。しかもさきにのべたようにまたおそらく争いのないところと思はれるが、文部省(大臣)に認められているのは教育課程の「基準設定」であり、具体的な教育課程編成と実施の権限は学校、教員にあることは明らかであるところ、学校、教育が教育課程実施の一環としての教科活動の中で、学習指導の結果などを把握するために行うテストと実質において同じものを、たんに「基準設定」の権限を有する文部省が、学校現場に介入し行政作用として行わしめたということになり、学校、教員の教育権限をおかすものというべきである。この意味に於て本件学テは文部省がもつ「行政調査」の権限をこえたものであるばかりか、学校、教員のもつ教育活動の専権にも介入した違法のものというべきである。

(三) 成績評価と同質性
[86] 本件学テがあくまでも「学力」の調査であり、学習の成果を調べるテスト、試験であつたことから、必然的に対象生徒全般の「成績評価」であつたことは免れえない。そして、本件学テの結果が指導要領の中の標準検査記録欄に記入されることになつていた(実施要綱)ことからも各個生徒の成績評価であることは明らかで、学校、教育の行う成績評価作用と同質性をもつものである。さきにのべたとおり本件学テの実施の意図が「労働力確保」という政策的なものであり、義務教育終了段階において早期に適性、能力を選別するということが企図されていたものであるから、対象生徒の「成績評価」であることも当然の性格といえる。
[87] ところで、すでにのべたように「教育評価」は学校の教育活動の重要な一環である(答弁書272頁以下)。教育評価はそれぞれの学校が教育目標を定め、教育課程を編成し、その実施課程における学校教育の長所、欠陥を明らかにするために行われるものであり、「学校がいかによくその任務を果しているかを判定するために、校長と教師と生徒とで行う学校内部の一活動である」(文部省、新制中学校、高等学校望ましい運営の指針)し、とりわけ教育評価は教師の行う教育権限(責任)の重要な柱であることはいうまでもない。
[88] また、本件学テについて教育的見地からみても、テスト対象の5教科とそれ以外の教科を差別するもので、人間能力の全面発達の目標とかけはなれ、また、学力テストの結果が指導要録に記入され、進学、就職に使用されることになり、たつた年1回のテストによつて生徒の将来に影響する選別の資料として用いられるおそれが生じていた。
[89] 具体的には、「高等進学の資料に使う、育英資金貸与決定の参考にする、就職の資料にする指導要録に記入し学校に永年保管し、将来お嫁さんの聞き合せにも使うという」(法律時報、臨時増刊「憲法と教育」昭和48年6月号、50頁)というものでさえあつた。このようなことは、文部省自身かつて「過去の評価があまりにも試験と点数について考えられすぎていた。(中略)観察、面接、事例研究、自己評価、行動要録、その他多くの評価の方法がともなわなければならない」(前記運営の指針)とのべていたことにも著しく反するものである。
[90] このように本件学テは本来学校、教員のみがもつ「成績評価」の権限に介入するものであるばかりか、「学習指導要領」にもとづく一定の枠内の「学力」をもつて対象生徒の成績を評価し、これによつて直ちに進学などの重要資料とすることとしたものであり、きわめて問題をふくむものであつたことはいうまでもなく、従来の学テに関する裁判例においてもこれらの点については、これを適法ないし妥当とした判示は見当らないのも当然であろう。

(四) 本件学テの本質
[91] 以上のべてきたように本件学テは文部省の弁解するような「行政調査」の範ちゆうに入るものではないことは明確である。いうまでもなく本来行政調査である「教育調査」は、教育事務に関し、行政対象を認識するために行われる事実調査をさすもので、調査というからには教育行政上の他の実体的権限と競合てい触することはありえないし、それらの実体的権限行使の前提をなすもの(兼子仁、全国学力テストをめぐる法律問題、教育法学と教育裁判)であることはいうまでもない。ところが本件学テはさきにのべたように「文部大臣の教育課程行政権の行使と同じ実質をもつもの」(しかもその行政権の権限をこえてなされた)であり、いかなる点からみても「行政調査」とは認められないのである。
[92] そして、本件学テはまさに教育内容に対する国の統制、支配を内実とするものであつた。法的拘束力ある学習指導要領に対する到達度をみるということを介して文部省の行政的、画一的教育を学校現場のすみずみまで徹底させることを目的としたもので多くの教師、学者、父母の反対を押切つて強行されたものである。日本教育学会が「画一的国家基準に基づく能力選別的学力観に立つており、教育基本法下の民主教育における全面発達的学力観に反する」(教育学研究29巻5号)と指摘しているが、これは教育界のほとんど一致した見解であつた。
[93] 以上のべたように文部省の教育課程行政権と一体性をもち、教科教育活動の実質を有し、成績評価と同質の本件学テは、学校、教師の教育権限を侵害し、児童、生徒の学習権をもおかすものであつたといつて決していいすぎではないのである。行政権力によつて教育の自主性、自律性は無視されるに至り、のちにのべるような「教育の荒廃」をまねく結果になつたのである。
[94] この本件学テの重大な実体認識と本質理解なくして本件裁判の正しい法的評価、判断はありえない。
[95] たんなる形式論理や行政機関の表面的な説明、あるいは政策を合理化する立場をとることは司法府のあり方として根本的な誤りをおかすことになるのである。
[96] 最高裁判所としても以上のべてきた本件学テの実体とその本質を直視し、何よりも教育の自主性を最大限に尊重確保するという立場にたつて国民の納得できる判断を示すべき責務があるというべきである。
[97]一、すでに指摘したように本件学テはそもそもの発想が「政策的」テストであり、しかも学習指導要領の強制を通じての教育内容の統制確保にあつたことから、学テを強行実施すれば、学校の中に、「テスト主義・成績主義の成長と全面的能力開発教育を軽視した形式主義教育への堕落をもたらし、ペーパーテストによる測定可能な学力のみが重視されて教科間の差別を生み、テスト準備体制に走り、差別対抗意識が横行すること」が十分に予測され、ゆう慮されていた。
[98] そしてそれは現実の姿になつて教育現場に「荒廃」現象をもたらしたことはすでにくわしくのべたところである(答弁書300頁以下)。学校教育は文部省の不完全で歪んだ学力観にもとづく学力テスト体制にくみこまれ、教育的に有害なテスト結果の競争を激化させ、「テストはあれど教育はなし」という状況に至つたのである。そしてこのような学テ体制は学テそのものに内包する「差別・選別」の原理と「支配・統制」の方策により不可避のものであつた。テスト成績の向上を第一義とする教委は教師の勤務評定の尺度に本件学テの結果を重視し、そのため教師は自由であるべき教育活動が文部省の方針、意向に強力にくりこまれ管理される結果になり、教育内容が非常に形式化、画一化し、つめ込み主義・暗記主義が支配するようになつて本当に児童生徒の身について教育、真の意味の学力、自主性、創造性ある人間教育は行い難い状況に追いこまれたものである。
[99] かくして本件学テのために、「教員の自由な創意と工夫とによる教育活動」が妨げられる結果となり、児童生徒の「全面的成長」は阻害されることになつた。

[100]二、その実態については、答弁書にも摘示した香川、愛媛、文部省学力調査問題学術調査団報告書「学テ教育体制の実態と問題」においてくわしくふれられているとおりである。また、「学テ日本一の香川は、同時に少年非行日本一も記録した。近視は中学の全国平均22.5%にたいし香川34.11%。高校は同じく36.5%にたいし、香川50.3%(昭和40年度調)ということで、学テがいかに心身をむしばんだかの例といえよう」(朝日新聞、昭和43年2月9日付世界に立つ日本第2部ゆがんだ教育)という大変な指摘を何人も、無視できまい。そのために、遂に一斉テストは昭和39年をもつて廃止され、その後の抽出テストも同41年度が最後となつた。
[101] このようなことになつたのも、前記のような学テのへい害は香川、愛媛にとどまらず全国都道府県にわたり、顕著に現われてきたことから、昭和39年7月24日、札幌市で開催された全団教育長協議会臨時総会、同年9月4日開催の全国連合小学校長会で再検討ないし、中止要請、全日本中学校長会のアンケート結果のテスト変更要請など教育界をあげての反対の動き、また、文部省学テに関する、昭和39年3月16日、福岡地裁小倉支部、同年5月13日、福岡高裁の学テ違法不当の判決などまさに「教育界、ひいては一般の世論によるものであつたといえよう」(毎日新聞、昭和39年10月15日記事)、当然の結果でもある。

[102]三、しかし、文部省学テそのものは廃止されたとはいえ、その意図の根底にある「能力主義教育」の強調と、「指導要領の基準性の強化、法的拘束力の主張」はその後も依然として続けられ、いわゆる「学テ体制」といわれるものは現存しているのである。学テ政策の本質は教育の現場からいまだに消失していない。
[103] さきにもふれたように、後期中等教育の多様化の名のもとにおける職業高校の拡大と職業科の細分化、高等専門学校の設置など一連の「労働力確保対策教育」の政策が強行された。しかしこの政策もついに破たんするに至り、文部省自身「より広い視野をもつ人間」「幅広い基礎的な能力の育成」を強調せざるを得なくなり職業科の再検討に入らざるをえなくなつた(昭和48年6月3日朝日新聞、破たんした多様化政策)

[104]四、また答弁補充書その二で、くわしくのべたように本件学テ以後の昭和43年の教育課程改変において文部省は教育内容の一層の詰めこみをはかり、非科学的、非系統的、非教育的な問題の多い内容を「法的拘束力」あるものとして教育現場に強要した。その結果どうであつたか、小・中学校において「半数の子どもしか授業についてこない」という大変な事態を招くことになつたのである。経済の高度成長政策に追随し、戦後教育改革で否定された中央集権化、官僚統制を前面に教育行政が教育内容に介入した結果は右のとおりなのである。まさに本件学テの本質であつた「能力主義教育政策と教育内容統制のへい害」はまさに今日的な問題でもある。
[105] こういつた禍根を除去し、次代の主権者としての児童・生徒・青年の学習する権利、発達する権利を保障し、父母を含む国民の要求にこたえる教育を確立することこそ緊急の国家的課題である筈である。そのためには何よりも教育に対する権力的統制、介入を排し教師に自主性を保障することが不可欠である。その意味において本件学テについて原審判決の正当な判断を最高裁判所においても当然承認されなければならない。それが教育の本来のあり方にもどす第一歩にもなるのである。
目次
一、学テと教育支配――へい害発生の必然性
二、愛媛、香川における学テの実態
三、学テのへい害は、愛媛、香川だけのものか
四、学テ反対と教育の擁護
五、おわりに
[106](一) 本件学テの政策的ねらいについては、南山弁護人が詳細に論証した。
[107] 文部省は、昭和33年の学習指導要領の改訂を契機にして、学習指導要領を「告示」化し、その法的拘束性を主張するようになつた。初中局長内藤誉三郎は指導要領について、「これを国の基準として告示で公布するものであります。その面におきましては従来どおり法的拘束力をもつてくるわけであります。」(33・8・1、お茶の水女子大における改訂指導要領説明会での質疑応答)とのべている。
[108] 右発言のうち、指導要領の法的拘束力の問題について「従来どおり」とのべている部分は明白な誤りである。従来の学習指導要領は「試案」であり、この時点にいたり、はじめて「告示」することにより法的拘束力を与えたのである。この改訂を契機にして、日本の小・中・高教師を対象とする大規模な伝達講習会を3年がかりで実施したことはよく知られているところである。
[109] 学テはすでにのべられた政府の人材開発政策と合わせて、教育の内容を、学習指導要領に沿つた線で統一し、教育現場に徹底させる意図のもとに行なわれたものであつた。教育の内容統制には2つの側面からのコントロールが必要である。第一は、教育の内容そのものであり、第二は教師がその政策に順応する体制を作ることである。第一の側面は、学習指導要領の内容的改悪と同時にこれに法的拘束性を与えその徹底をはかることにより可能である。教科書検定の強化、教科書無償措置、広域選択制、本件学テなどは重要な意味をもつてくる。第二の教師に対する支配の強化であるが、教師に対する勤評は、この面で絶大な役割を果たすことになる。

[110](二) 勤評は昭和31年から愛媛県を皮切りにして全国的に実施された。学テは、教師が指導要領に副つて、それを忠実に学校教育の場で実施しているかどうかをテストする実質をもつている。すなわち、教師に対する勤評体制の確立によつて、教師の支配を確立したのち、教育内容を学テを通じて支配することをねらつたのである。学テ政策は、このような実体をもつていたのである。
[111] 教師や教員組合が教師の勤評に反対し、学テに反対したのは、教育は本来行政権力からニウトラルでなければならないのに、それを行政権力に従属させる結果をもたらすことをうれいたからであつた。教育の国家統制に反対する力が教育現場で失われたとき、教育現場にストレートに統制がいきわたるだけでなく、教師の自主的、創造的教育活動は失われ形式化し人間性が喪失され、併せて権力に迎合する教師の大量出現などにより教育の荒廃が発生するのは自然のなりゆきである。愛媛、香川ではこうした体制が勤評制度を通じて確立され、教育の荒廃が学テ制下において極端に進行したのである。
[112] われわれは、以下において、学テ体制下において教育の荒廃が最早取り返しのつかないところまで進んでしまつた実情をあきらかにするが、この実態をみることにより、学テ反対闘争が、いかに日本の教育、子どもたちの教育の権利を守るうえで重要なものであつたかを知るのである。
[113] 愛媛、或は香川県における学テの実態は、第一審判決(岩手学テ)の指摘するように、例外的現象ではない。その発現は、きわめて極端であるけれども、このような極端な例の萠芽は岩手においても北海道においても多数存在していたのである。
[114] 強力な現場からの反対運動が存在せず、体制に押しながされていたならば、そのへい害、すなわち教育の荒廃は全国的規模で進行していたのであろう。愛媛、香川の例は、その意味で特殊な例外的事象ではなかつたのである。

[115](三) 愛媛においては昭和31年勤評が実施され、これを契機に、組合員に対する徹底した差別人事が強行された。原審における井上武夫、印南文子証言にあるように徹底した差別の結果、当初1万人であつた組合員が数年のうちに数百名に激減した。このような状態になつてしまうと行政がどのような不公正を人事行政、教育行政のうえでやろうと或は又は教師にたいしてどのような強圧的態度に出ようとこれに対する反抗は不可能になつてくる。勤評実施は、行政の言い分をすなおに聞く、もの言わぬ教師を作ることにあり、そのために最大のガンである組合をつぶすことにあつた。「勤評を実施して昇給できる教師と落ちる教員をつくれば、教組は必ず割れる。実施の責任者である校長は組合の圧力に耐えかねて必ず教組を離脱する。教組が弱体化するのは火をみるよりあきらかだ」(「教育の森」④47頁、愛媛県県教委と自民党県連の対教員に対する勤評方針)という自民党とゆ着した教育行政側の態度はこれを物語つている。そしてこれが教師への勤評の全国実施となるのだが、その結果は、「愛媛では教師はもはや人間扱いされていない。イキをしているロボット」(「教育の森」前掲45頁)という情況となつた。勤評の結果、香川でも同様の結果が生じた。学テはこのような教育現場の土台を基礎にして実施されたものである。それはまさに原審札幌高裁判決がいうように、学力テストは勤務評定されている教師がどれだけ学習指導要領に忠実に子供を教えているかを文部省が作成した学力テストによつて試すためのテストであつたのである。
[116] こうした教育状況の下においては、前述したように、現場の教師は教育行政当局にあおられ或は自己の勤評の成績を上げるために、テストに狂ほんせざるをえないことは目に見えている。そこには子どもの自由活達な思考力形成や子どもの個性を発見し、これを引き出し、創造力豊かな子どもを育てるという教育本来の姿は消され、競走と、さい疑、迎合と抑圧に甘んじた子どもと、教師しか生まれない。学テは、教育現場にそのような結果しかもたらさなかつた。学テがストレートに実施された愛媛、香川において教育現場は文字どおりのサバクと化したのである。
[117] さいわい学テは、昭和39年にはこうしたへい害のため批判が出され、ついに政策変更を余儀なくされ一斉悉皆調査は中止されるに到つた。この中止の理由は香川、愛媛における学テの実態とそのへい害にある。香川、愛媛の学テの実体は、本件学テがどのような実態を教育にもたらすものであるかを如実に示しいる。
[118] 学テ或は、学テを中心に据えられた学テ教育体制の下で何が行われていたかは、原審における何人かの証言や、おびただしい証拠が存在している。以下は全くその一例にすぎない。

[119](一) 昭和36年以降実施された学テは、愛媛、香川の両県で勤評と結びつき全く抵抗力を失つた教育現場において、文字どおり「完全」な形で実施された。その結果、愛媛は、昭和36年全国32位、37年12~14位だつたが、38年は2位、39年は1位となつた。香川も同様に、37、38年とも1位となつた。しかしこの「学力」の実態は、真の学力ではない。昭和39年度テストが実施される直前宗像誠也らを団長とする「香川・愛媛『文部省学力調査問題』学術調査団」が調査結果をまとめた。その調査結果は、現場の教師や職員組合の懸念を如実に示している。
「調査の結果明らかになつたことの第一は、両県における大多数の小・中学校において、文部省学力調査のための『準備教育』が明らかな行政指導の下に行なわれており、しばしばそれが常識の域を越える程度に及んでいるということである。文部省の学力調査の『準備教育』が行われたのでは、文部省のかかげる調査目的も達せられるものではあるまい。
 第二に、入学試験の準備と全国一斉学力調査いわゆる学力テストとがからみ合つて、学校全体がいわば『テスト教育体制』になつている傾向である。○×テストにより成績をあげることが教育の目的のようになり、子どもの創造力や責任感や協力の態度など人間として重要な資質の形成がないがしろにされているおそれがある。
 第三に、このような学校教育のあり方が教育行政当局の意図的な『指導』によつてうみ出されていることである。教師や校長はそれにいくたの疑いや批判をいだいても、どうすることもできない状態に追いこまれている。
 第四は、学力テストが教師の勤務評定と結びついて、教育を『荒廃』させる原因となつているとみられることである。勤務評定をよくするには学力調査の成績を上げなければならぬとされ、そのために不正な手段すら取られているとみられる事例が多く語られた。ひとことでいつて、教師の人権剥奪が、教師の権威の喪失、子どもの正義感の破壊に連つているとみられることを深く憂えざるをえない」(同報告「コミユニケ」)
[120] 日教組は本件学テの行われる直前の36・10・7第56回中央委員会で国民に対して次のような訴えをしたが、その訴えが如何に正しかつたかを右の報告は雄弁に物語つている。
「このテストは、子どもたちの学力を真に向上させるために行なわれるものでないことは、早くから多くの教育学者が指摘しているところです。テストによつて、子どもたちの世界に差別を持ちこみ、進学組と就職組に区分けし、就職組の子どもたちは不平不満をいわない『労働力』としてのみ育てようという、産業界を牛耳る一部の人びとの意向がこのテストのなかに反映しています。
 日常子どもと直接学び合つている教師にとつて、たつた1日の機械的、強圧的なテストによつて子どもの将来の生活を差別決定しようとするこの政策に対して、これを黙視することはできません。
 明るい未来を自らの力できりひらくたくましい知恵と力を子どもたち一人ひとりのものにしたいと願い、そのための努力をつづけている教師たちは正しい教育を一部の支配者のためにねじまげようとする、政治的なテストをあくまでも拒否しようとしてたちあがつています。(中略)しかし、文部省は、一部の教育委員は法をねじまげ、教師や教育委員の正しい任務をおさえつけて町や村の有力者や警察の力をかりて、力づくでもこのテストを強制的にやろうとしてはじめからかまえてきているのです。」
(二) 「学習指導改善」の実態と学テ
[121] 「学習指導改善」(文部省学テの目的の一つ)は愛媛、香川においてはただひたすらに学テの点数を上げるための教師の努力とものすごい督励におかれた。
[122] 愛媛の場合は隣接する「香川に追いつき追いこせ」のスローガンの下になされ、また香川においては昭和39年1月7日の高松市民会館で開かれた「3年連続学テ日本一報告感謝大会」にみられるように3年連続日本一をほこり、「教育は」ひたすらに学テの「点数」を上げることにのみ重点がおかれた。「教育」全体が文部省学テの点数向上に移つてしまつたのである。そこでは子どもの個性や能力をじつくり見つめ、その開発をめざす教育本来の任務や目的は完全に放棄されてしまつている。愛媛・香川の学テの点数は上つたがしかし、教育条件は改善されていない。例えば児童1人当りの教育費は
昭和35年度 東京27,715円、平均20,056円、愛媛17,814円、香川19,039円
昭和46年  東京44,105円、平均31,082円、愛媛25,425円、
でいずれも全国最下位クラスである。加えて愛媛の小中学校の36%はへき地校である。こうした客観的事実にかかわらず行政当局は教育諸条件の改善などについて何の考慮も払わず、教育及び教育行政のすべての努力を異常なまでに学力テストに向けていたのである。たとえば、昭和38年の愛媛県教委の某指導主事は次のような「学力向上具体案」を各学校長宛に指示している。
一、時間数の確保
○ 農繁休業その他授業を削減する行事、少くする
○ 部落懇談会の廃止
○ 遠足は年1回とする。
○ 冬休みに2週間の繰替授業をする。
  冬期を除き、5、6年は毎日7時間授業……
二、学習指導
○ 1学期は前学年の復習に力を入れる(カリキユラムに組む)
○ 教材を早く繰りあげて終了し、まとめ復習を年度内に行う。
○ 基本教材の復習徹底
○ 週2回、社会、理科について前学年の学習内容を復習……
  (註、前学年の学習内容復習が必要なのは文部省学テが前学年の学習内容から出題されるため)
[123] 教育委員会の学校に対するこうした異常なまでの督励は、今度は校長を通じて教師に伝達される。
「文部省学力テストが近づくと、校長室へ4・5年担任が呼ばれ、校長から『今年は一大飛躍を目論んでいる。平均点を必ずあげてもらいたい。そのためには多少の犠牲も止むをえない。手段はいわないから、各人できる限りの努力をしてもらいたい』と激しい口調でいわれ、全員しんとして聞いた。その日から各クラスで猛烈な準備」
がはじまるとある現場教師は訴えており、またそのために年休はおろか産前産後の休暇もとれないため子どもも作れない教師がでたり、妊娠中絶をする女教師さえ出てきている。
[124] このように学テは、教師の人権問題をも惹起するにいたつているのである。テスト体制において学習指導の改善とは、文字どおり、学テの点数をいかにあげるかにおかれている。異常というべきである。

(三) テスト準備と不正
[125]1、こうして、学テのへい害はまず文部省学テの点数を上げるための準備「教育」に現われている。
「先生は2年生の復習をして、3年生の勉強がよくわかるようにするのだというが、ほんとは6月23、24の一斉テストのための準備をしているんだ。そのテストのために朝早くから夜おそくまで勉強させられて、おれ達の生活はなくなつている。ありがた迷惑だ」
昭和38年テストで、ある愛媛県の中学生が調査団に語つたことが、前掲報告書にのべられているが、原審における証拠調からも同様の結果が出ている。例えば、印南文子証人は、新浜市の教育委員会管内の40年度のテストにつき、6月のテストの終る時点まで中学3年生は社会は1ページも、英語も2~3ページ程度しかやらず、それまでは前年度のくり返し復習、テストの練習にあけくれている事実や、また、愛媛県東宇和郡では学級通信で
「内容がシヨツキングで忘れられないんですが、学テ1ケ月程前から、ずつと続けているんですが、学テが近づいたので校長先生は1時間早くきてみんなに教えている。だからおかあさん達は、校長先生に会つたらお礼を言つて下さい。ということからはじまつて、郡内一を目ざしているからがんばらしてくれ、と子ども達を力士にたとえまして、今度の一番出世力士はだれでしようと、横綱はだれだと氏名をあげていつて、何番出世をする者はだれそれということを言つたり、今度の横綱はだれそれ、学テ前になりますと、皆さんのひいきの力士の千秋楽がいよいよ迫つてきました。栄養とすいみんに気をつけてがんばつて下さい。――千秋楽間近ですと成績の悪い子は書いていませんが、あまり勉強しないとか、忘れ物をした。宿題忘れの10番内というような子供は競馬の馬みたいなものだというふうに考えてそらおそろしい感じがしました」
と証言している。こうした状況は愛媛、香川に共通しており、香川の場合では生徒が購入するワークブツク(テスト問題集)は3年生で年間30冊、1、2年生で20冊に達していた事実が報告されている(前掲報告書)。
[126]2、香川の準備教育の具体的事例、香川のB中学――2年と3年は7時から7時15分までの清掃又は自習7時15分から8時5分まで「早朝課外」。早朝課外では、全員が5教科(学力調査の対象になる国・数・社・理・英)のプリント(試験問題)をやつて答をあわせる。150番以下は7時限の授業終了後、「補習課外」をうけなくてはならない。帰宅は6時近くなる。6月2日からは、正規の授業も教科書をやらないで、前の学年の復習に重点がおかれる。おくれた分は夏休みにとりもどす。日曜日は1週間の「早朝課外」のテストとして、「課外テスト」がやられ、生徒の採点係が点をつけ全部に順位をつけ、翌朝月曜日にはそれがはり出される。この学校には1年「A組」と称する「特殊学級」がもうけられた。この学級には組合員はいない。
[127] 香川C中学――昨年(38年)は5月から学テまで「朝の課外」。7時から7時45分まで5教科に限つてワーク類を1日2枚ずつ、担当教科の教師の指導で行つた。今年は放課後の課外になる。そのため、7時30分より、午前中に5時限の授業をする。午後の1時間のあと課外。5教科のワーク類をやる。やりきれない分が宿題となる。さらに新しい方法として「5教科プラス1時間」というやり方の「準備教育」――それは、学テの2週間前から、5教科の時間と課外の1時間とを正規の授業時間にあて、教科の進度を進めておいて、2週間のすべてを「準備教育」の時間にあてるというもの。この学校にも組合員はいない(前掲調査団報告)。
[128] 行政当局と一体となつた異常なテスト準備教育は、いうまでもなく学テ日本一を目指すものでありそれは同時に政府の教育政策の目的に「結果的」に合致するものであろう。しかし、テスト成績の向上が勤評と直結する情況の下で、教師は自己の受け持ち学級、生徒の点数を上げるため狂ほんせざるをえない。しかし、生徒の能力には限りがあり、画一的に点数が上がるものではない。
[129] 教育行政と生徒の能力との間に板ばさみになつた教師は不正を行つて点数を上げるに到る。われわれの想像を絶するような不正が愛媛において行われた事実がいくつかあかるみにでている(証拠となつている「えひめの教育」復刊18号は、教育現場からこの問題を告発したものである)。
3、不正事実・その一
[130] 昭和37年7月15日付愛媛新聞は次の投書をのせている。
「私の子供は新居浜K中学校の2年生です。先日行われた学力テストに私のこどもも参加しました。テストのあつた日、こどもが家へかえり『理科の1番の問題の答えは先生が考えてくれた』といいます。よくきいてみますと『先生はテストをやつているあいだ、答を書いた紙片をみんなにみえるようにヒラヒラさせながら教室を歩きまわつていた。答がまる見えだつた。あんな風にしてみんなに答を見せるのは学校の点をよくするためだろう』といいます。『まさか……』と思つていましたが、お友だちが2、3人きて話し合つているのを聞きますと、これは事実のようです。
 私は思わずぞつとしました。こんな小ざいくをしてまで学校の成績をあげなければならないのでしょうか。校長先生や先生方が、日ごろどんなにりつぱなことを言われてもこんな不正なことをみずからやつて見せたのでは、そこそこ『百日の説法へ一つ』です。K中学校はつねに他校との競争意識をあおりたて、テストごとに生徒の氏名を成績順に公表しています。これも生徒間の競走意識をあおる一つの手段のようです。ですから、こどもも、先生がこんな小ざいくをしてもそれがべつに不正なことだとは感じていなようです。このような教育のしかたで、こどもがどのように育つているのか、私は不安でたまりません。そして、文部省の学力テストがどのような結果をもたらすものかを考えますとどうしても納得できないのです。教育関係者にも、よく考えていただきたいと思います。」(新居浜市泉池町・K子・主婦)
4、不正事実―その二
[131] 昭和38年の学テの不正事実について、これを公表し、学テの結果如何に教育の荒廃がもたらされているか、そして学テは即時中止されるべきことを訴えた愛媛県教組の組合機関紙「えひめの教育」復刊18号は、多数の事例を報告しているが、行政当局は、これを、発刊した組合の責任者等懲戒処分をした。この処分自体学テ体制がもたらした異常事態であるというべきであるがその処分取消訴訟のなかでいくつかの事実が証拠にもとづいて認定されている。そのうちのいくつかをとりあげてみよう。
a「証人高須賀一好……の証言及び同証言によつて真正に成立したと認められる甲第71号を綜合すると、新居浜市立中萩中学校においては、教員の定員を確保するため、2年生の学級について、それぞれ1、2名の架空の生徒を学籍簿に記入して、教育行政上、これらの架空の生徒を実在するものとして取扱い教職員の間においてこれらの架空の生徒を『ユーレイ』と称していたことを認めることができるところ、同証人の証言によると、学力テストの事前に、同中学校の2年生担任の教師間において、右架空生徒について、その答案を教師が作成し、劣等生の答案とすりかえ、実際にテストを受けた劣等生は事故者として取扱い、その答案を採点の対象から除外するよう措置することを協議し、学力テスト当日、右協議のとおり、実施したことの事実を認めることができる。」
b また「新居浜市立泉川小学校において、学力テストに際し、6年梅組担任教師窪田義は、成績劣等児を優秀児の左側の席に配置換えし、児童に対しいわゆるカンニングを示唆したこと、及び社会のテストの際、監督教師らが(生徒)のテストの誤答を指で示して訂正を示唆したことの事実を認めることができ……」さらに
c「……東宇和郡明浜町立明浜西中学校においては、昭和38年4月から特殊学級編成の計画があり、その準備が進められているのであるが、学力テストを控えて、教室の準備もできていないのに、取急いで父兄の承諾を取りつけるなどして、形式的に特殊学級を発足させ、学力テストの当日、同学級の生徒9名をテストの対象から除外した事実を認めることができる――」
[132] このほかにもいわゆる田植えの事実や劣等生を当日自宅に帰したり或は成績不振児を当日テストを受けさせず、学校の裏山につれ出しテストを受けさせなかつた事実等々多数の事例が報告されている。裁判において、自己の不正を、告白した教師の心情を、われわれは察するに余りある。
[133] 不正は行政当局も半ば公認しているとみられるのであり恐るべきことである。こうした極端な、行政当局と学校とが一体となつたテストのためのつめ込み、テストの不正の結果、たとえば愛媛の昭和44年の学テでは、およそ教育学の常識では考えられない結果を現出した。社会科の学テの学年平均点が97点という小学校がでてきたのであつた。これについて、県教育長は、
「学力調査は、当然教えるべき学習指導要領にある重要事項から出題されるわけであり……ベテランの教師が急所を押えて練習して、練習問題を出しますれば、適中するのが当然であるかと思うのです。およそ知識にいたしましても技能にいたしましても、教師が徹底して練習練磨がその極に達しますと、常識では考えられないようなよい成績をあげることは当然のことであります」
と県議会で答弁している(田川精三編著「不屈の教師たち」93頁以下)。前記事件判決も平均点が極度に高い学校の存在を認定しているし、井上武夫証人も同様の事実をいくつか証言している。同証言によると愛媛の場合、成績の地域差等によつて生ずる高底を示すグラフの曲線が学問的に検証されたものと全く異つためちやくちやなカーブをえがいている事実を図面によつてあきらかにしている(原審における同証人の証言添付図面参照)
[134] このような実態のなかでは最早冷静な判断による教育などありうる筈はなく、本来教育の権利主体であるべき生徒が最大の被害者とならざるをえない。

(四) 子どもにたいする影響と学テ
[135] 教育行政の至上命令による学テ体制が子どもに対してどんな影響を与えているかは火をみるよりあきらかであろう。ある女教師はこう嘆いている。
「……学テ偏重の教科経営は、校長をはじめ地教委の認めるところで、むしろしなかつた方が悪い教師のようにいわれるから困つたものです。学テの終る日まで面白くもない問題ばかりやらされる児童こそいい迷惑でしよう。学校を嫌つて逃げ出す子供もありました。校外で、自由に空気をすい、自然の中で遊びたくなつた子も多いでしよう。まじめな子どもも、わからないのに答だけ教えられ、テストの練習ばかりだから心も暗く、ゆううつな表情をたたえていました。本当の勉強は、テストのすんだときから始まるのです。でも新学期もつとも希望に満ちた時に、テストの風にもみくちやにされた教師と児童も、テストが終つた後は、卓然として力が抜けたような状態です」
生徒達は、テスト準備に追いまくられ、休む間もない「つめ込み主義」テスト教育について、こんな感想を作文に書いている。その一、二のみを引用する。
「「先生や両親の顔がテスト用紙にみえてくる。どうしてテストなんかするんだろう。テストのない学校にかわりたい。そうなれば、この学校も、他の学校も生徒がいなくて困るかも知れない。そうしたら、だんだんテストのない学校がふえて私達はテストから解放される」
「私にはテストがあつた方がいいのか、ないほうがいいのかわからない。でもやはりテストはないほうがいい」」
さらにまた
「香川県は学力テスト日本一というが、そのためになんでもかんでもつめこむ主義でされたのではかなわない。
 日本一にこしたことはないが、それは学力方面だけではないであろうか。それは観光地などにいくとよくわかる。とくに屋島などはひどい。すてたただこや紙くずがいつぱいちらかつている。学力方面だけに力をいれないでこんなことにももつと力をいれなければいけないと思う。」
[136] 教育の最も重要な教師と生徒との間の人間的触れ合いは失なわれ、できの悪い生徒も又普通の生徒も教師に対するにくしみをいだいている。また教師の側も、成績をあげるためには、できの悪い生徒を負担に感ずるようになり、「成績の悪い子どもはいなくなつてくれればよい」という気持になる。こうして見捨てられた子は次第に非行少年に落ちてゆく。原審(岩手)において、井上武夫(愛媛)証人は、教育不振の政策が子どもたちに与える影響について、警察の資料をあげながら
「ちよ明なのは青少年の非行が全国的にもふえておりますけれども、愛媛県は、……青少年の非行率……が昭和30年ぐらいからちよつと下がり程度だつたのですが、36~37年から上がりかけて38年には全国第2位、39年には非行率が全国1位になつてきたという事象が現われてきておりますし、その後、愛媛県では、青少年非行は大きな教育上の問題として今なお解決されずにおるわけです」
とのべている。因みに学テの成績が全国第1位の香川でも非行増加率は全国1位となつている。
[137] まさに、学テは教育を子どもたちの心をサバクと化したのである。

(五) 小括
[138] さて、以上学テが、教育の現場に何をもたらしたかを、いくつかの教育現場に残された実態をあきらかにしながら概観してきた。これはほんの氷山の一角にすぎない。事実をのべたならば、それ自体膨大な資料集ができる。私はこの小括をするについて、一つだけ見逃すことのない事実を附加したい。
[139] このテストが南山弁護人が指摘されたように、真に子どもの学習指導の改善を目ざしたのでなく教育を権力に従属させ、資本のための人材開発に露骨に向けられていた事実である。愛媛の学テの不正が明るみに出た際、自民党県連は昭和39年直接学校長宛にアンケートを出して、個々の教師に不正を行つた事実があるかどうかを集計している。教育行政当局でなく、自民党が直接介入したこと自体きわめて異常であるが、それは措くとしてこの調査は井上証言によれば直接教師自身が自分の担当する教科や担任の学級について不正をしたかどうかを記入する仕組みで行われたが(したがつて、その事実を書けば教師自身が公に自白することになる)その調査の結果不正を認める教師が何人か出たことである。9700人中102名が不正を認めたことについて、自民党県連幹事長の白石春樹(現県知事)は、不正をしたことに○印をつけたものにつき
「○印をつけているのはほんの一部であり、本県の学力を向上させようと努力をしている教師の中でちよつと勇み足をした人たちであろう。愛媛県が学力テストで2位になつた事実は全く響かない」(39・7・7朝日愛媛版)
とのべただけでなく全国2位という「四国の豊富で良質な新規学卒者」は地域開発にとつてきわめて有意義であるとして、
「久松県知事が松下幸之助に『愛媛の教育は正常化し、学テの成績は2番になつた』と語つたら、松下氏は大変感心し、『そんないい青年がいるところなら進出したい』といつて、子会社の誘致が内定した。工場誘致には学テが一番きくんだ。愛媛の日本二がインチキだということになれば、工場の話はつぶれるかもしれん」(朝日ジヤーナル64年7月19日号)
と公言している。
[140] これらに集約されている事実は、学テの本質が何であつたかを、説明の要なく明確にしているといわなければならない。一生に一度しかない子どもたちの教育を受ける機会(人権としての教育)をじゆうりんしてしまつたのである。学テは子どもたちの一生にたえ切れない十字架を背負わせたのである。
[141] さきにのべたように、このようなへい害をもたらした愛媛・香川の学テは極端なものであり、勤評により教員組合がつぶされ、反抗がなくなり権力の教育支配がストレートに支配を及ぼすことができた特殊地域の事象としての性格であるとして片づけることはできない。その可能性はどこにもあつたのである。昭和36年学テは岩手では実質的に行われなかつたけれども、岩手第一審における細越昭三証言にあるように昭和39年学テの際遠野市教委の教育課長が、教室でジエスチヤーで問題を教えて騒がれたことがあつたし、また同佐々木浩証言によれば、36年以前の抽出テストの時期に、教頭が、校長試験を受ける際に役立てるため、5、6年のテスト成績を上げるよう担任に要求していた事件或は同鈴木俊証言にもあるように、やはり抽出テストの時期に、
「ある学校では校長先生が結果が思わしくないということを叱られて自殺したという記事も新聞に出ていました。ある学校では、学習不振児を故意に欠席させたという事態も抽出調査時代にありました」
と証言している。さらに公表されるべきでないテスト結果が公表され、問題となつた件(第一審外館理平証言)などいくつかの事実が出されている。こうした事実は福島県や東京にも存在していたことも認められる。
[142] これらの事実は、へい害が、極端な一部一地域に限られたものではなく、学テに潜在的に伏在していたものであることを物語つている。現場校長佐々木寿雄は次のように証言している。
「テストムードというものはどんどん助長してくるということ、一つは手つとり早い教育が始まる。手取り早く沢山の事をダイジエスト式に覚えさせる教育がはじまる。」「それからもう一つは見せるための教育つまりテストの成績をあげて、他県よりいい成績をとること、ヒントを与えるとかあるいは成績の悪い子を休ませるとか、そういうことが一杯でてくると思うんです」(岩教組第一審)
[143] 本件学テ反対闘争は決して一部の組合指導者や、一にぎりの教師のせん動や行動によつて行われたものではない。教師達が、戦後長い間かかつてつみ上げてきた教育実践とそれに支えられた民主教育の理念から生まれたものである。学テが、子どもの発展を阻害する以外に何の教育的価値を生むものではなかつたが故に、真の教育を愛するが故に教師達は学テに反対したのであつた。
「学力テストというものが、今先生が取り組んでいる本当に子どもの将来のしあわせになり、正しい教育であると考えている道にはなはだしく遠い問題であると、やつとここまでうちたててきた民主教育を根底からくつ返そうというものではないかという風な怒り、これが学力テストというものを阻害し得たものと思つています。」)(横田忠司証言――第一審)。
「私は事実、第三者がおききになると事大主義とお感じになるかもしれませんが、家内にはやめるといいますか、もし私のとつた行動が間違いだとしてやめなきやならないことも考えられるのだし、その場合には覚悟しておけというようなことまで話しましたし、私自身の個人のことになつて恐縮ですが、私の父が市の教育委員長をやめたばかりだつたので、10月前後、約40日位だつたと思いますが、おやじのところに誤解を生じたらいかんと思つて、出入もしないで、私は真剣に考えたつもりなのです」(鈴木俊証言、第一審87回)。
[144] 地教委からテスト当日派遣されたテスト立会人は次のようにのべている。
「八重樫先生が涙を流しながら宿直室で正座したまま良心が許さないので協力できないとがん張つたのでテスト実施ができなかつたのです」(八重樫六郎の検察官調書)。
[145] これこそ学テを阻止した教師たちの心情である。この心情が組合という団結の場で支えられて岩手においてまた北海道において本件学テが阻止されたのである。本件学テ反対闘争の評価はまずここから始まらなければならない。教師たちの教育に対する信念と情熱は正義にかなつたものである。これを処罰することこそ正義にもとつたものである。
[146] 一審以来の証拠調べのなかで、何人かの教師は、戦争中、国家権力によつて、子どもたちへの教化を強いられ天皇の名において、戦争に協力し、教え子を犠牲にさせた体験をのべている。教育が教育を受ける主体である子どものためではなく、政治勢力や権力に従属するとき、再び戦前、戦争中のように、教育が国民の思想統制、思想動員としての役割を果さないと誰が保証しえようか。しばしば指摘されたように、本件学テが、戦後の一連の教育政策でもつ意義は教育の国家的統制、国家的支配にあつた。戦前の苦い体験をした教師の一人である佐々木寿雄校長は第一審の証言で戦争中の体験をふまえこの学テが教育の国家統制の強化、軍国主義化への傾斜したものであること、そしてそれを懸念しながら
「もう戦争のにおいのするのは絶対駄目だ、教育者の良心にかけてもそういうものは絶対にやつていかんという気持になつた」
とのべている。また小川被告も第一審の意見陳述のなかで本件学テ反対の動機を戦争中教え子を戦場に送り戦死させたことにかぎりない悔恨をこめ、
「多くの教え子のなかで只一人戦死した高橋君を今私の生活の指針として心の奥深くしまつています。敗戦後の私は貴重な経験の中から強く生きることを知りました。もう変ることのない私を確立しました。笑つて私はこの法廷に立つことができます」
とのべている。用心深すぎるのかも知れない、これらの発言のなかに私達は、学テに反対した真の教育者の良心をみる、学テ反対を闘つた教師達の心情はかつてある現場教師がつづつた次の詩に象徴されるであろう。
前世の教え子よ/逝いて帰らぬ教え子よ/私の手は血まみれだ/君をくくつたその綱の端を私も持つていた/しかも人の子の師において/ああ、お互に騙されていたの云いわけが何でできよう/慙愧、悔恨、懴悔を重ねてもそれが何の償になろう/逝つた君はもう帰らない/今ぞ私は汚濁の手を濯ぎ/涙を払つて墓標に誓/繰り返さんぞ絶対に/
[147]一、検察官は、自ら“不毛の教育論”と呼んでいた教育論に立入つた最終弁論を行つたので、一言反論を加えておきたい。

[148](1) 検察官は、われわれの教育本質論を指して、あたかも超憲法的な教育秩序が存するごとき主張であると非難するが、われわれが述べていることは、そのような大仰なことではない。今日、法は、政治、経済・社会その他のさまざまな領域にかかわりをもつている。そしてそれぞれの領域には、程度の差こそあれ、その個有の内在的論理があり、これを無視しては、法は社会的妥当性をもちえないであろうし、却つて害悪をもたらすことさえありうるのである。したがつて法は、その対象領域の内在的論理に即するように立法されなければならず、また解釈運用されなければならない。法をその対象の事物の事柄の性質に応じて解釈しなければならないということ(一般的ないい方をすれば条理解釈)は、法解釈のあり方として誰しもが認めているところであり(註1)、いわば法解釈のイロハにすぎない。
[149] われわれが主張している“教育の本質特性をふまえた教育法の解釈”ということも、このことにほかならない。ことに教育は、すでにみたごとく創造性・専門性・自主性といつた顕著な特性を有している。したがつて、たとえば教育行政が、仮に主観的には教育のためを思つてなされたとしても、教育の右の特性を無視して行われるならば、教育行政の熱意と善意にもかかわらず、それは真に教育にとつて有用有益なものたりえないであろう。それは、教育にとつて百害あることはあつても、一利もないのである。このことは、戦前教育や今日の教育行政の幣害など、多くの経験が教えているところである。教育法の解釈も同様である。(註2)検察官は、教育論争は不毛であるというけれども、教育の本質特性を顧慮しない教育法解釈こそ不毛なのである。

[150](2) 検察官は、弁護人側の主張は教育への国の関与を全面的に排斥し、教育を聖域化する非常識な主張であるという。
[151] しかしこれは、本件における設問を正しく描き出したものではない。検察官は、本件における設問を、教育に対する国の関与を全面的に排除する考え方をとるべきか否かの二者択一として描き出そうとしているが、これは御庁の判断を誤導するための誤つた土俵の設定である。われわれ弁護人は、国の教育――教育内容面についても――への関与の全面的排除を主張しているわけではない。そのことは、われわれの弁論で明らかなところである。われわれが主張していることはそのことではなく、教育行政機関――とりわけ国家官庁である文部大臣――の教育内容への権力的方法による介入は無制約・無限界であつてよいのか、戦前教育の経験や戦後の教育改革の精神(教育基本法10条の立法趣旨)、さらには教育の本質特性を考慮するならば、同条や学校教育法38条は文部大臣(ないし教育行政)の教育内容への権力的介入に法的な限界を設け、あるいはそのことを前提に文部大臣の権限を定めたものと解するのが正しいのではないかということである。(註3)検察官の解釈論(弁論要旨(その二)34頁以下)は、右の限界については何等明確にしていない。検察官の法解釈によれば、結局、教育行政機関ないし文部大臣の教育内容への権力的介入は無制的、無限界ということになるのであり(註4)、このような解釈が不相当なものであることは、前述の諸点に照らしきわめて明白である。
(註1) たとえば、田中二郎「新版行政法上」(54頁)は、「一般社会の正義心においてかくあるべきものと認められる条理又は筋合は、法の解釈の基本原理として、且つまた法に欠陥のある場合の補充的法源として重要な意義をもつ。……裁判は、窮極においてこの条理に従つたものであることを必要とする」と説いている。
(註2) 兼子仁「教育法」(17頁)も、教育条理解釈の重要性について「近代における教育それ自体は元来前法規的存在であり、独自な本質および原理(教育学ではこれを『近代教育原則』とよぶ)を有している。したがつて教育に対する立法的規律には限界が存するとともに、ゆるされる立法的規律も、かような教育独自の本質や原理を重視しそれを確認ないし助長するものでなければならない。……
 そこで、かような教育と教育制度に関する条理(教育条理)は、他の法源が欠けている場合に補充的法源(条理法)として教育法の法源をなすと同時に、既存の成文法の解釈の基準(解釈原理)としても働らくものと解される。とりわけ教育自体に関する法令は、教育条理を確認した立法として教育条理に適合するように解釈運用すべきであろう」と説いている。教育条理解釈の重要性については、さらに兼子「教育法学と教育裁判」197~205頁、兼子「戦後教育判例の概観――教育法学の見地から」(ジユリスト教育判例百選8頁)を参照されたい。
(註3) 重要なことは、このような教育法解釈論争が、どのような社会的基盤の上でなされているかということである。すなわち今日の教育法解釈論争は、教師に対し教育権の独立ないし教育の自由が過剰に保障されているために、教育上大きな障害を生じていることが社会問題化し、教師の教育権の独立ないし教育の自由に一定の歯止めを加えることが、教育法解釈論の課題とされているという状況にあるのではない。今日の教育行政のなかでは、教育権の独立は、保障されてもいないし、尊重されてもいない。逆に、教育行政の中央集権化が促進され、文部大臣の権限がとめどもなく肥大化し、その教育内容への権力的介入が拡大強化の一途を辿り、その教育上にもたらす弊害がますます顕著となつているために、文部大臣の権限の法的限界を明確にすることが、教育法解釈論の焦眉の課題とされているのが現状である。そうだとすると、教師の教育権の独立の限界を強調するに急で、文部大臣の権限の限界に眼を向けない解釈は、教育の現状が要請している法解釈論の課題を見忘れた不当な解釈というほかはない。
 文部大臣の教育内容介入の弊害としては、本件学テ政策のもたらした弊害のほか、たとえば今日の“授業についていけない子ども”の増大をあげることができる。今日教師たちが訴えているところによると、授業についていけない子どもは、小学校1年で全体の1割、2年生で2割、3年生で3割、かようにして6年生では実に6割にものぼるという。義務制教育のきわめて早い段階から、このような学力較差が生じていることは、まことに憂慮にたえない。こうした状況が、非行少年の増大、その低年令化、小・中学生の自殺の増加の有力な要因の一となつている。それでは、こうした弊害がどうして生ずるかというば、その根本の原因は文部省の学習指導要領が著しく高度化且つ過密化していることにある。そのことは当の文部省をも含めて、今日では異論のないところである。右のような学習指導要領は、学習指導要領の内容を高め、過密化し、法的拘束力をもつて教師にその画一的実施を迫れば、子どもが高度の学力を身につけるという、きわめて安直な考え方にもとづいている。しかしこれは、教育が子どもの発達段階に即して実施されるのでなければ、子どもの学力の向上に結ぶつくものではないという単純な教育法則(教育条理)を無視したもので、教育上の弊害を惹起するのはその当然の帰結である。すなわち、学校では、指導要領の過密な内容を消化するために、授業はかけ足で進められる。このためについて行けない子どもがあつても、先を急がなければならない教師は積み残し、見切発車をせざるをえないのである。しかもこの学習指導要領が法的拘束をもつとして教師たちに強制されているために、教師たちの自主的判断によつて、その誤りを是正する機会が奪われている。したがつてかかる弊害を改めるためには、学習指導要領の内容を簡素化するとともに、より根本的に学習指導要領の法的拘束力を徹発することが必要不可欠である。このような認識が、今日では世論ともなつている。たとえば、すでに昭和47年10月30日の読売新聞社説(「詰め込み教育の是正のために」)は、詰め込み教育是正のための施策として、「第一は学習指導要領の法的拘束性をゆるめることである。昭和33年までの学習指導要領は『試案』として示され、教師の指導上の手引としての性格をもつていた。法的拘束性をゆるめることは、教師に創意や自主性を与えることにつながる。そうなれば、教育界は活力にあふれることになろう」と指摘している(同日の毎日新聞社説「指導要領のいつそうの改正を」も同趣旨)。
(註4) この点についての検察官の解釈は、「国会において適法に制定された法律に基づきその法律を誠実に執行する責務を負う国の教育行政機関が行う正当な権限の行使は、もとより『不当な支配』にはあたらないというべきである」(弁論要旨(その二)35~6頁)というのであるが、この見解も本件における設問を正しく描き出したものとはいえない。
 すなわち、検察官は法律によつて教育行政機関に賦与された権限の行使は、「不当な支配」に当らないというのであるが、問題は、法律が与えた権限が、どの範囲(限界)のものと解すべきかの点にあるのである。たとえば検察官の右の見解によると、学校教育法38条の定めがあるから、同条による文部大臣の教育内容に対する介入は「不当な支配」に当らないということになるのであるが、このような解釈では、同条が文部大臣に授権した権限の範囲、限界がどこにあるかは明らかにならない。そしてその点が明らかにされなければ、そもそも文部大臣が教育内容に関しどれ程の、あるいはどのような権限をもつかも明らかにならない。
 そして同条は、中学校の「教科に関する事項」は監督官庁(同法106条により文部大臣)が定めると規定するのみで、同条による授権の範囲、限界の如何は、同条の文言自体では明らかでなく、解釈論にまたれている。そこで同条の実質的な合理的解釈が必要とされるわけであるが、その実質的解釈は、現行教育法の基本原理を定めている教育基本法(10条)ないし教育条理に照らしてなされるのが相当である。
 教育基本法10条を如何に解釈するかが本件の重要問題とされるに至るのは、こうした経緯によるのであるが、同条の解釈の客観的な手がかりが、なによりも同条の立法趣旨に求められなければならないことは論をまたないところである。
 そして、同条の立法趣旨に照らすと、同条は教育行政(公権力)による教育内容の権力的規制を必要最少限にとどめて、教育の自律性を回復ないし確保することを内容としたものであることが明らかである(同条1項は、その文言からして、国ないし教育行政機関のみを「不当な支配」の主体として予定しているとはいえないであろうが、同条の立法経緯、立法趣旨からして、公権力の権力的介入を抑制することを主眼としていたことは否定の余地がない。このことは、原判決《北海道事件》が判示している通りである)。もともと、戦後の教育法制全体が、教育内容の立法的規制を最少限にひかえて、教育の自主性を回復伸張せしめることを基本方針としていたのであつて、そのことは戦後教育改革や教育課程行政の改革に関する諸弁論で明らかにしたとおりである。
 (とくに田中耕太郎「教育基本法第1条の性格――法と教育との関係の一考察」(鈴木英一編「戦後教育立法に関する重要資料」329頁以下)参照)。したがつて、学校教育法38条も、右の趣旨に沿つて解釈されるのが当然である。
 以上のような解釈方法によつて、同条の授権(文部大臣の権限)の範囲・限界は始めて具体的に明らかにされるのであり、検察官の如く学校教育法38条の存在を根拠に、教育基本法10条の法意を制限的に解することは、教育基本法の基本法たる実質を無視した、本末顛倒の解釈論であるといわなければならない。
[152]二、検察官はまた、学テは教育委員会が自主的主体的判断によつて実施した旨を強調するが、この点については、次の点を指摘しておきたい。

[153](1) 検察官は、弁護人側から、今回の弁論要旨(その二)の地教行法54条2項解釈と、この点に関連する岩手学テ事件の上告趣意書の見解との矛盾(註1)を指摘され、右の矛盾を取り繕うことに懸命になつている。しかし、同条によつては「調査」の実施までを義務づけることはできない(教育委員会の自主性・主体性の肯定)とする前者の見解と、「調査の義務を負う」とする――すなわち「調査」の実施不実施につき教育委員会の裁量の余地(自主的主体的判断)を否定する――後者の見解が矛盾していることは否定できない。この矛盾は、重大であり、決定的なものであつて、取繕うことのできないものである。
[154] 検察官は、なぜこのような矛盾を犯したのか。それは、岩手学テ事件では、岩教組の反対闘争が正当性を逸脱したものと論ずる上で、後者の見解をとることが都合がよかつたからであり、他方北海道学テ事件では、学テを法理的に救うためには、学テが教育委員会によつて自主的に実施されたとする以外にないとの判断のもとに、これに合致するような前者の解釈をとつたためである。このことは、検察官の法解釈がその場限りのきわめて御都合主義的な解釈であることを、如実に示している。

[155](2) 検察官は、右のように今回の弁論では、地教行法54条2項によつては、「調査」の実施までを一方的に義務づけることはできないとの解釈をとらざるをえなかつた。同条項の解釈として、「調査」の実施までを義務づけうると解することは、どうみても無理だからである。
[156] そこで検察官は、学テを適法とするために、実際に行なわれた学テを、右の法解釈に適合するように歪めて描き出すという方法をとつている。検察官は、学テは教育委員会の自主的、主体的判断で実施されたというのであるが、この点で重要なことは、文部省が本件学テの実施に際して、都道府県教委、市町村教委に対し、実施不実施の自由な裁量を承認していたか、承認していたとする証拠を検察官が提示しえているのかということである。一審以来の記録をみても、検察官はこのような証拠を提示していないし、逆に文部省の実施要綱その他多くの資料によれば、文部省が実施要綱通りの実施が教育委員会に義務づけられるものとして、その実施を教育委員会に迫つていたことが明らかである。各地の教育委員会もまた、実施不実施の裁量の余地はないとの前提で、学テの実施に当つている。
[157] 検察官の学テ適法論は、事実――学テの実体――を歪めた立論なのである。
(註1) この両者の矛盾は、「学テの違法性その二――地教行法54条2項の解釈」の弁論のなかで、具体的に指摘した如くである。
[158]一、私は、検察官の最終弁論に対する反論として、すでに尾山弁護人が述べられた点をすべて援用した上で、さらに若干の点について述べておきたいと思う。

[159]二、検察官は、「教育権の独立」「教育の自由」について、それがまつたくの教師の自由に委ねられてしまうものであると主張するが、このような問題設定そのものが正確でないことは、すでにわれわれの弁論でくり返し明らかにしたところである。すなわち、教師相互間の研究・批判、教師・学者・研究者との交流・研究、父母・国民による批判、そして教育行政当局による「優秀なものへの尊敬」の原理に裏打ちされた指導・助言、大綱的基準の設定等によつて、教育の向上、進歩を期しうるのである。これに対し、教育行政当局による教育内容に対する権力的介入こそが、戦前のわが国におけるように、教育を誤まらせた根因をなしていたのであつて、これに対する反省の中から、戦後の教育基本法制は生まれたのである。
[160] 検察官は、裁判官について、職務の執行は法に従つてなされ、また裁判は上級審の審査に服し、また最高裁判所裁判官には国民審査があることに論及している。しかし、裁判が法にしたがつてなされるのは司法の本質に基くものであり、上級審の審査に服するのは上訴制度をとつていることから当然に導き出されるものである。しかし、そのいずれにあたつても、職務の遂行、裁判内容そのものについて、上訴裁判所や司法行政の干渉・介入・命令等のないのはいうまでもない。また最高裁判官の国民審査も三権分立主義のもとでの国民主権に基く制度的要請なのである。
[161] 教師についても、教育行政当局による任免権・服務監督権・人事権の行使が存するのは、いうまでもない。しかし、教育内容についての、教育行政当局による大綱的基準の設定、指導助言以外の、直接の指揮命令監督は避けられなければならないというこをわれわれは主張しているのである(註)。
(註) このことを、もつともはつきり示している一例として、旧国民学校令と学校教育法の校長・訓導(教論)の規定とを対比してみるとつぎのとおりである。
 旧国民学校令(昭和16・3・1勅令148)によれば、つぎのとおりである。
「学校長ハ地方長官ノ命ヲ承ケ校務ヲ掌理シ所属職員ヲ監督ス」(16条2項)
「訓導ハ学校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌ル」(17条2項)
 ところが、学校教育法(昭22・3・31法26)では、つぎのようになつている。
「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」(28条3項)
「教論は、児童の教育をつかさどる」(28条6項)
 すなわち、旧国民学校令における「地方長官ノ命ヲ承ケ」「学校長ノ命ヲ承ケ」がいずれも削除されているのである。
[162]三、検察官は、学力テストの法的根拠のうち、都道府県教育委員会について、地教行法23条17号を引用しなかつたものではなく、単に、記述を簡略にしたにすぎないと述べているが、検察官の弁論要旨の該当部分全体が、そのようなものでないことは明らかであると思う。すなわち、右部分では、都道府県教委について、検察官は、自主的主体的決定を述べていないのである。

[163]四、検察官は、ILO87号条約・98号条約の解釈については、弁論要旨で述べたとおりであり、105号条約やILO・ユネスコ教員の地位勧告は法的効力をもたないので、特に触れる必要はないと述べておられる。
[164] しかし、ILO87、98号条約についての検察官の解釈が、文言のみを追つた平板なものであり、ILOの各種機関自体による見解にも反することを指摘されながら、従前の自己の解釈のみを固持しようという態度には大いに疑問を感ずるものである。
[165] のみならず、105号条約やILO・ユネスコ勧告にふれない態度は、世界の趨勢に目をつぶるものであり、一種の鎖国的態度といわなければならない。これは、憲法訴訟たる本件にのぞむにふさわしいものではない。最高裁4・25判決も、その憲法解釈を裏付けるものとして、ILOの見解や先進諸国の立法を援用していたのである。その援用の不適切・不正確性を弁護人によつて指摘された以上、検察官としても、これに答えるべきなのであつて、答えられないのであれば、自らの憲法解釈を世界の潮流にふさわしいように変更すべきであつて、だまつて口を閉すべきことではないといわなければならない。
[166] 弁護人は、本件のように、非権力的公務であつてかつ重大な違法を帯び、しかも上下一体として拘束されていた、この本件公務の特殊性に着目してその適法性の判断を下すべきであると主張するものである。
[167] それならば、本件においては、公務執行当時の情況の如何を考慮するという余地はなく、かくも重大な違法の公務を刑法上特別に重く保護することは許されないという立論を、端的に構成することができるし、またそれ以外に本件で正しい法解釈はありえない。
[168] このことを弁護人は詳述した。検察官のように、「諸説のうち何々の説」という類別をただ本件にあてはめて議論するという論法だけでは、決して正しい本件の該心に迫ることはできない。本件について、本件公務の特殊性に焦点をあわせてこそ、正しい解釈が成り立つのであつて、弁護人の弁論は、あくまでも本件の具体的な公務を直視して構成されている。
[169] これに対する検察官の反論は、「およそ一部に当該公務の逐行について違法の声があれば………」云々というが、それは弁護人主張を全くすりかえて、検察官独自の観念論を勝手気ままに説いているにすぎない。
[170] 客観的な法律判断によらず社会一般の見解なるものを基準にして公務執行の適否を判断すべしという検察官の所論は、結局、「疑わしきは罰する」、しかも特別に重く罰するというものである。そこには、国民の基本的人権を具体的に尊重する姿勢は、ひとかけらも存在しない。
[171] このように、弁護人の弁論に対する検察官の反論は、検察官主張の理由のなさを改めて確認させるものでしかなかつた。
[172](一) 検察官の弁論要旨その二、3頁以下において、一般的な学力調査の必要性をのべ、日本教育学会、国立教育研究所、日教組の行つた学力調査を指摘しておりあたかも本件学力テストもそれらと全く同一の調査であつて教育的にも有益であり、教育条件整備の資料となつた旨主張している。しかし検察官引用の各種学力調査と本件学テとの間には、森川弁護人がすでに指摘したようにその実施の趣旨、目的、規模、内容、手続、結果利用などの点において顕著な相違があり、質的に界なり、法的評価の面で全く同列に論ずることはできない。すでにのべた本件学テの内容本質と引例の学力調査との差異を明らかにするため、以下簡単に概要を指摘するものである。

[173](二) 日本教職員組合(日教組)が昭和27年(中間)、昭和28年(10月20日より11月5日迄の間に実施)にわたつて行つた学力調査の概要は次のとおりである。(註1)すなわち、日教組の全国教育研究大会に於て「基礎学力の低下」の問題が提言されたことから、教育に直接責任を負う教師、教師集団として純然たる教育研究の立場から学力の実態を把握し、「基礎学力の問題に正しい理解とその解決策の見透しをうる」ことを意図して行われたものである。教科は「国語」と「算数、数学」について行われたが、「国話」の学力調査の眼目は「義務教育の間に達している国語の能力はどの程度であるかの現状を一人前の国民として社会生活を営む上での必要という面から調べる」、というもので対象は中学3年であつた。テスト問題は城戸幡太郎(北海道大学教育学部長)を長とする学力調査委員会(国語、数学各部会に分かれ、それぞれ学者、研究者、現場教師によつて構成、さらに調査の精度を確保するため標本抽出部会(統計学者2名を含む)も加えていた)が現場教師の意見などを十分取り入れて作成された。たとえば「国語」では、文章の読解力、語の理解力、漢字を書く力、実用文の表現、の4つの面から出題されている。「算数、数学」の調査の眼目は、「現在ならびに将来の発展のために、その生活に必要な、数、量関係における基礎的なものがいかに達成されているかを調べること」にあり教育上のいわゆる診断的テストの傾向をもち、学習上の困難点、指導上の盲点を発見し、数学教育の問題提起を意図していた。テスト対象は小学6年と中学3年であつた。そしてこの学力調査はたんに対象たる児童、生徒のテストを行つたのみではなく、裏づけ調査として学校調査、生徒の生活調査を行つていることである。「国語」の場合でみると、学校調査では「テスト問題に応じた指導の有無、内容」を調べ、生活調査では「新聞を読んでいるか、どのような記事をよく読むか、手紙を書いたことがあるか」などを調べ、たんにテストの結果のみを検討するのみでなく、学習指導、生活の実際との関連まで詳細に注意深く調べたものであつた。「算数、数学」についても附帯調査として、学校に対し「数学教育についての意見、分数、小数の四則の一応の完了時期に対する意見、数学の体系についての意見」をも反映させる方策をともなうものであつた。
[174] そして、この調査で用いた統計的推定法は全国を地域別に選定し、該当学校数を100とし、テスト結果報告は1校10名宛、テスト後抽出)、合計1,000名の結果を分析した。この1,000名の標本の決定は近代統計理論にもとづいて摘出され、1,000名の標本の成績から全国の平均を合理的に推定しうるものとしてなされた。
[175] テストの結果とその分析内容は第3回全国教育研究集会に報告され、さらに公刊されて教育現場の参考に供された。結果分析内容のくわしくは省略するが、テスト問題毎の指導上、学習上の問題点や綜合的な見解を表明され、今後の学習指導のために大いに役立つと同時に学習指導要領の内容に対する疑問も卒直に示されている。
(註1) 日本教職員組合学力調査委員会編「国語の学力調査」、同「算数、数学の学力調査」いづれも大日本図書刊参照
[176](三) 次に日本教育学会が昭和25年から3年間実施した学力調査をごく簡単にのべると(註1)中学3年卒業時の学力の実態を教育科学の見地から調べ、それを決定している背景(学科課程の立て方、学習指導の方法、教材の整備の状況、学習意欲の向上策)を分析し、これをいかに改めていくかの問題点を提起しようとするものであつた。全国の教育学・心理学・社会学・統計学などの学者をもつて組織した学力調査委員会が調査を担当したが、その規模は悉皆調査は不必要であるとし、統計学理論に基いた抽出標本によつて行われた。そして調査の「学力の基準」は学習指導要領の内容を検討しそのうち不必要と認められるものを省き、調査委が必要と認めたものを附加して決定した。テスト科目は「国語、社会、数学、理科」に「社会的態度、知的操作力」というものであり、標本学校数は128校、生徒数5,700であつた。そして調査結果は学会に報告され、さらに報告内容は公刊されて、「学力問題」についての論議の発展に貢献しようとする当初の目的を果した。
(註1) 城戸他編集、中学校生徒の基礎学力、東大出版会刊、
[177](四) なお、旭川市で行われていた学力調査につきその概要をのべる(註1)。該調査は旭川市教育委員会が実施者になり、小学3、6年の国語、算数、中学2年の国語、数学について行われたが、そのテストの性格は、合理的な学習逐行のための学力の実態把握を目的とし、「テスト結果を診断し、治療の資とする」という、さきに教師の学習指導の問題点を把握するいわゆる「診断テスト」であつた。学力調査実施委員会には市内小、中校の校長の他、現場教師が各校2名必ず参加し、他に市教委職員が加わつて構成され、テスト問題も前記目的にそつた、すなわち、児童らの理解過程におけるつまづきや誤答の実際をよく把握できるようなものを選択し問題決定には現場の意向が反映された。テスト結果については、問題毎に指導上の問題点が指摘され、学習指導の参考になるよう現場に提供され、各学校毎に誤答解釈の研究もされる仕組になつていたものである。
(註1) 旭川市教委、学力調査報告書、1954年版
[178] 以上により本件学力テストとの差異は明確にされたと思料する。
[179] すなわち、本件学テは教育論的にみて、高度経済成長政策のための人材開発の一環として行われ、進学、就職との結びつきがあり、教育の国家統制の内実があり目的からみて不当であるばかりか、態様、方法からみても、成績評価のあるべき姿からかけはなれ、○×式テストであり、他校採点のため、教師の学習指導改善には役立たず、しかも悉皆調査のため競争のみ激化させ、へい害を生じさせた。法的にみても、文部省が強権的、画一的に強制し、授業計画を変更させ、教育課程行政との一体性をもつもので、しかも文部大臣の基準設定の権限をこえてなされたものである。これに対し前記各調査は学習指導改善の目的に役立ち、学校、教師の自発的協力のもと、サンプリングによつて行ない、個々の生徒の成績評価にはならず、問題作成、結果分析に現場教師が参加し、調査結果は現場の指導方法改善に利用されている。もちろん学校に対する行政上の権限はなく、自主的、任意的になされたから学校現場に与える影響は本件学テとも全く異ることはいうまでもない。

[180](五) 検察官は弁論において(弁論要旨その二、三以下)本件学力テストは教育条件整備の資料となつたとか、有益であつた旨主張しているが、もともと昭和36年の学テにおいて4つの目的とされたものの1つであつた教育条件整備の資料とするということが、翌昭和37年に至るとこれは全く副次的なものとなつた。これは東京はじめ各地方教委が学テを条件整備の資料に使うことは困難との態度が示されたからだといわれる。現に昭和36年学テについても文部省の結果報告(文部時報昭和38年1月)においては、教育条件と学力の関連は数量的、客観的に把握しうるものはせいぜい50%である旨報告されており、本件学テが条件整備に有益であつた旨の主張は大変に誇張したものという他はない。そもそも検察官の主張するような条件整備のための資料をうるためならば問題ある本件学テを強行しなくても、それ迄に実施されている学校基本調査、学校設備調査などの行政調査によつて十分にまかなえることである。(註1)また、「学級編成の基準の改訂とか教職員定数の基準の改訂」などは、昭和33年制定の「公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律」により同年から3次にわたる5ケ年計画によつて順次改訂されてきており、日教組も独自に5年計画を提示して改善をせまつてきたもので、右のことがらは本件学テ実施とは関連はない。
[181] (現在標準では1学級45人であるが、アメリカ21~30人、イギリス30人、西ドイツ24人~30人、フランス35人に比べて数を改善しなくてはならないものである)。昭和38年に1学級の編成を改訂したが、これについて文部省自身昭和38年が急減期に向つたことから行つたと自認している(文部時報、昭和38年7月号)、さらに「理科設備の充実」とか「へき地教育の振興」については、本件学テの以前から、理科教育振興法(昭和28年)、産業教育振興法(昭和26年)、へき地教育振興法(昭和29年)などの教育振興法制が設けられ教育条件整備を、国、公共団体に義務づけられていたものであり、本件学テの結果によるものではない筈である。もし検察官主張のように「テスト結果によつて条件整備に当つた」というならばまさに行政の怠慢を示すことになりのであり、主張は何とか本件学テを合理化するための作為的なものにすぎないといつて誤りはない。
[182] 又、「特殊教育施設の拡充」の資料になつたというような主張は主張自体が措信できない。精薄のような知能の低い子供の学力が低いことはすでに多くの研究で判つている。特殊教育が必要かどうかは知能検査を医師の診断による精密な検査によらなければ判定しえないのであつて、本件学テなどによつては正確な把握はできるものではない。(註2)
[183] また、本件学テの結果などを学習指導要領改訂検討や指導書改訂の資料などにしたと主張しているが、さきにのべたように本件学テは昭和33年改訂された指導要領が昭和37年の全面実施に移る、いわゆる移行措置の時期にあつたのであるから、全面実施させる以前に改訂の検討の資料にするという意味自体が到底理解できない。そしてその後の指導要領の改訂においても、公刊された資料などでは本件学テの結果を改訂に生かしたという明確なものは見出し難い。いづれにせよ検察官の主張は確たる根拠も論評もなく、(註3)今迄の審理においても殆んど立証もしていないものであることを念のため申し添えるものである。
[184] また、本件学力テストは学校教師の指導法の改善に資することができたというが、本件テストの誤答の分析は全国的に標本抽出したものに基づいて行われたため「どんな指導法がどんな誤答傾向を生じるのか」判らないし、個々の生徒の誤答傾向をつかまえねば学習指導に活用しにくいのであつて実際にも問題作成に関与しない教師にとつては殆んど活用できないものであつた。といつて過言ではない。
[185] なお検察官は本件学テが悉皆調査となつたのは調査結果の「精度」を高めるためのものであつた旨主張しているが、これも全くの素人論議であつて、もし「教育的テスト」であるならばむしろ「標本調査」の方が統計推定上精度が高いことが統計学上承認されている。悉皆調査はかえつて分析、推計を困難にするばかりか、コンクール化し、そのためテスト準備などが行われ易く(本件でも行われたことは雪入弁護人の弁論で明らかである)テスト結果の信用性を阻害するものといわれていることについて一言だけのべておくものである。(さきに指摘した、日教組、日本教育学会の調査はもちろん、国立教育研究所のもいずれも抽出標本調査によつた)本件学テはすでにのべたような指導要領の徹底度をみるという教育統制の意図から悉皆調査の方途によつたものとみる他はない。
(註1) 本山政雄、教育条件整備というけれど、現代教育科学83号
(註2、3) 肥田野直、全国学力調査処理の問題点、教育、62年1月号
[186](六) 検察官は、本件学テは市町村教委の自主的判断によつてなされたものであるから文部省が実施の「実質的主体」とする見方は誤りである旨主張しているが、この主張自体がさきにのべた当時の文部省自身の方針とも異るばかりか、岩手事件上告趣意第三、一、以下の「文部大臣の調査要求権は法律による命令的行為であつて、地方教委はこれにより調査の義務を負う」旨の記載の主張とも全く矛盾しており、前記弁論における主張は認められないばかりか、このような全く相反する弁論は許されないものというべきである。

[187](七) 最後に、検察官も引用している(弁論、その二、12頁以下)本件学テ実施の4目的については、すでに答弁書においても批判したが、この際若干補充する。目的の1つである「教育課程に関する諸施策の樹立、学習指導の改善」ということであるが、これは換言すると学習指導要領の改善と指導方法に対する指導の資料をうるということになるが、本件学テの結果とこれらのことがどう結びつくのか不明である。旧指導要領のもとでも実施された学力調査(抽出)でも生徒の学力が期待する程度に達していないと指摘された。にもかかわらず、指導要領の改訂ではその要求する程度はさらに高くなつた。どこに一体調査結果がとり入れられるか疑問を否定できない。まして本件学テは新指導要領実施の移行期であつたことからみても全く理解しがたいことはさきにのべたとおりである。
[188] 実際にも学テ結果を具体的に指導要領改訂の資料としたことを明白にする資料が存しないことさきに指摘したところである。また学テの結果から指導法の改善ができるような「結果処理」はされない誤答の分析は全国的に標本抽出したものに基いて行われるからどんな指導法がどんな誤答傾向を生じるか判明しないから指導性の改善に役立たないと指摘される。
[189] 目的の2、の「中学校において学習到達度を全国水準と比較する」ということだが、学力テストは本来分析的、診断的テストでないかぎりは学習指導への利用価値は乏しいといわれており本件学テの本質からみて、むしろ学校、生徒個人の「格づけ」に利用され、コンクール化されてしまうへい害が生ずる特性をもつものといえよう。
[190] 目的の3、の「学習の到達度と教育条件の相違関係につて明らかにする」ということだがこれについてはさきに検察官の主張に対して具体的に反論しているので省略する。
[191] 目的の4、「育英、特殊教育施設などの拡充・強化」のための資料にするということだが、特殊教育の問題についてはすでに指摘したので再述しないが、養護学校については、昭和31年制定の公立養護学校整備特別措置法によつて遂次拡充されているのであつて本件学テとの関連をみつけることは無理である。また育英についてみると検察官の指摘する日本育英会の「高等学校特別貸与しよう学制度」は本件学テ実施以前の昭和33年にもうけられたものであり貸与人員の増加についても学テの結果によると明確に認めうるものはない。日本育英会20年史を検討しても根拠は見出し難いのである。
[192] 以上、極めて簡単に本件学テの実施4目的について検討したがいずれも学テ実施を正当化しうる理由としては肯定できるものではないのである。このことは本件学テの真実の目的は「人材開発」政策に対応し、指導要領への到達度をみるという、「教育内容統制」にあるにもかかわらず、いかにも教育上、有益であるかのように主張するという根本的な致命的な矛盾から生ずるものでむしろ当然といわなければならない。
[193] 弁論を終えるに当つて検察官反論を評し、最高裁判所裁判官に呈す
[194] 検察官はその最終弁論において、弁護人の弁論に対し極めて注目すべき発言を行なつた。弁護人が本法廷で発言した弁論を評し、目的が正当であると信ずるならば法の禁止に触れてもかまわないという主張にひとしいと称し、それが法無視の傾向を助長し、ひいては法秩序の破壊を招来するおそれなしとしないという如きを意味する論旨を展開したのである。検察官はこの弁論において他にも、検察官が当初「不毛の論争」になるとしてその主張を回避した、本件における主要な論点である教育問題について、敢て立ち入つた論争をいどんだが、その趣旨の誤りであることは他の弁護人によつて直ちに反論しつくされているので、本弁護人は、右の検察官のいわれなき非難に対し、抗議の意を含めて若干の反論を試みておきたい。
[195] 検察官の右の主張を、一言をもつて評すれば明らかにそれは弁護人の弁論、しいては弁護人に対する中傷ないしは誹謗以外の何ものでもないということができよう。われわれは断固としてそのような主張を拒否する。
[196] 本件において問題とされている被告人等の行動、これを正当なものと主張する弁護人の弁論の根幹は、敢ていうならば真の意味における法秩序の維持、及びその形成確立を願うからこそ為されたものであつて、現行法秩序の破壊を意図して行なわれたものであるということでは決してない。
[197] ところで、いうところの法秩序とはいかなることをいうのか。その言葉はいかなることを意味するのか。問われなければならないのはこの点である。
[198] われわれが強く主張してやまない真の法秩序は、いうまでもなく、わが国の最高法規である日本国憲法を頂点に据えた法の秩序、いうところの憲法的秩序を指すものである。憲法に合致しないような法体系は、法秩序の名に値しないものであることは敢て多言を要しない。そうして憲法はこれ又、いうまでもなく、民主主義を基調とし、基本的人権を尊重し正義が実現することを社会存立の基本として指向し、これを法秩序の基礎として据えることを要請している。この要請に沿わないような法律・命令等は憲法違反のものとして価値を有せず、何等尊重に値しないものであることは理の当然であるといわなければならない。憲法は右のような法律・命令等は「その効力を有しない」ことを明文をもつて明らかにしているのである。(第98条1項)
[199] このことについては、検察官といえども異を唱えるものではあるまい。
[200] ところで問題はさらに次の点にある。
[201] すなわち、今日のわが国の現実において、前述の憲法的秩序に合致しない法律・命令ないしは政府の行為としての処分が存在し得べくもないのに拘わらず、実は存在しているという事実である。本件に即していえば、地公法第37条1項、第61条4号であり、又文部省の行なつた一斉学力テストそのものである。それらが憲法的法秩序に違反するものであることの詳細は、既に3日間の弁論で弁護人に論じつくされているところである。
[202] われわれは、従つてあくまでも次のように主張する。
[203] 被告人は訴追されている行為自身によつて、憲法的法秩序を擁護した。弁護人は、被告人等のその行為を事実においても、論理においても分析しつくした上で、それが法秩序を破壊したものではないどころか、真にわが国に正義を基調とした憲法的法秩序を確立するために為された真摯なものである、ということを。すなわち、正義は検察官の手中にあるのではなく、被告人等の頭上にあるということを。
[204] くり返すが、本弁護人は前述の検察官の主張を断固拒否するものである。
[205] 次に本件を、本法廷において裁こうとされている15人の尊敬する裁判官諸公に申し上げたい。
[206] 今日、最高裁判所は世間においてたいへん評判がよろしくない。
[207] 何故評判がよろしくないか。
[208] 私は今ここで、最高裁判所の行う司法行政上の諸措置について論評を行なおうとは考えていない。司法行政上の諸措置について何らかの批判的意見を有しているとしても、それは別の場で行なわれるべきであつて、真剣な争訟の場である本法廷の場において行なわれるべきでないことは、私としてもわきまえている。
[209] 最高裁判所が近時、世間の評判がよろしくないのはその行なつてきた裁判についてである。その評判の悪い裁判はいくつか上げられるが、その最たるものが、世にいう4・25全農林警職法判決であるということについては、腎明なる裁判官において夙に御承知のことであろう。
[210] 4・25判決は、それより僅か4年前に出された4・2都教組大法廷判決をあつさりと履したものであつた。10・26中郵判決とひき続く4・2判決で、官公労働者の労働者としての基本権に一定の理解を示した最高裁について、労働者のみならず、一般国民の世論を形成するジヤーナリズムから歓迎され、それは歴史の進歩に灯をともすものと評価された。
[211] それ故に僅か4年の中に、これを前進させるどころか、法の解釈の厳正さを唱えながら結局において国民の基本権抑圧法体系の合憲性に承認を与えた最高裁大法廷が、歴史を逆行させるものとして世の指弾を蒙つたのはむしろ当然であつた。その判決が8・7という僅か1名というきわどい多数によつて為されたこと。4・2判決以来最高裁を非難し続けた与党である自民党、その独裁の下にある政府による裁判官の交替によつて為されたことから、世に石田和外長官による「クーデター」とさえ言われた記憶は今も生々しい。
[212] 研究者を含む有識者によつても、判例変更の基礎と必然性を欠いているとする非難が集中したのである。
[213] 又、この判決によつて、直接基本権を奪われたと信じた労働者にとつて、この判決の評判が悪いことはいうまでもない。
[214] 結局この判決を歓迎したのは、政府・自民党のみであつたというのは過言ではないのである。
[215] このような悪評さくさくたる判決が、結局において権威を欠くものとなるのは心然であつたという外はない。果せるかな、この判決が言渡された翌々日、公労協労働者は大規模なストライキに突入し、更に以後ストライキの大波は低まるどころか高まるばかりである。それはむしろこの判決によつて強い刺戟を受けたといつてよいのである。春秋の筆法をもつてすれば、この判決を出した最高裁8裁判官こそ、その後の大規模ストライキの続発に大いなる責任を有するものの、とさえ言われるのである。
[216] ストライキについて一言すれば、資本主義社会にあつては、それが必要悪であるか否かは別として、一種の生理(人によつては病理といおう)現象ともいえる社会現象であつて、それを頭から否認したからといつてとまりようのないものなのである。労働者の団結を否認しない以上、(否認したところで、資本主義社会において社会的劣位に置かれている労働者が団結するのは、これまた必然であるが)ストライキは必らず起きる。問題はストライキが起る条件を除去し、それが発生したとき、いかに都合良くこれを収拾するかであつて、それ以外にはストライキによる社会的損失を防止する方法はない。その智恵こそ今日求められているのである。ストライキを自らの人権として把握している労働者に、法の名によつてこれを全面剥奪するなどというのは、愚策も甚だしいのである。近代社会といわれる今日、ことにわが国の如き、極めて高度に発達している資本主義社会にあつて、ストライキ全面禁止法が存在すること自体、国際社会に対して恥づべきであるのに、日本国憲法の下にあつて、その擁護者たる責任を課されている最高裁が、いかなる法理を採るにせよ、その法制を追認するとはいかなることか。
[217] その非なることを知るからこそ、4・2判決多数意見は、法の解釈のぎりぎりの節度を保つて苦心の挙句一現行法に限定を加えたのではなかつたか。もちろん、今日においてこのような結果となるならば、法の限定解釈という姑息な手段によらず、正面からその法制の非をとり上げて違憲判断を為すべきであつたともいえよう。しかし、人権否認の為法解釈の一貫性を主張したとする多数派裁判官と、人権尊重のため限定解釈をほどのそうとした裁判官のどちらに、社会的正義があるかはおのずから明らかというべきである。4・25判決多数派裁判官に、4・2多数派裁判官を非難する資格は存しない。
[218] そうであるからこそ、さらに又、4・25判決が出て後も、下級審において4・2判決流の法解釈をとる裁判が続出し、そればかりか4・25判決を真向から批判して、ストライキ禁止法制を違憲とする判決が多出するに至つているのである。
[219] 要するに4・25判決は、ストライキ禁止法制を歓迎する政府・当局者によつてのみ支持されるのみで、労働者からも、世論からも有識者からも下級審裁判官からも非難が集中しているのである。かように社会的基礎を欠く判決が、判決にふさわしい権威をもつて社会に定着する訳がない。この状況をもつて、最高裁判所がそれにふさわしい権威を有していると、誰がいうことができようか。
[220] 私は司法の一翼に伍する者の一人として、このような最高裁大法廷判決の在り方を心から嘆き憂うるものである。
[221] 私は、心から最高裁判所が、人権尊重というその在るべき姿を回復し、世からあげて尊敬をかちとり、その権威を確立することを願つてやまない。
[222] その為には、先ず最高裁判所裁判官たる者、現実の在る秩序を維持することにのみ思いを至すことなく、立法府、行政府に対して厳然たる態度を維持し、人権尊重、ことに多数支配の現れである法によつて為される少数者の人権を保障すること。それによつて正義を基調とする真の憲法秩序を確立することに専念されることを望むものである。
[223] くり返していうが、われわれは、検察官の非難する如く、法秩序の混乱を意図して、あるいは現憲法体制の変革を企図して日常も、ひいては本件弁論を行なつているのでは決してない。それどころか、わが国に真の日本国憲法的法体制を確立することを念願するのあまり、あえて立つて駄弁の非難を甘受しているのである。その願うところは、わが国において人権は尊重されるべし、正義は実現されるべし、以外の何ものもない。
[224] 弁論を終える今ここに至つては、私には本件の勝敗は心にかけるところではない。
[225] 日本国憲法が施行されて28年余、わが国が近代社会に変つて100年余、人間が理性によつて社会を律しようとするようになつて僅か数百年、この歴史の過程の中で、人権を尊重し、正義を基調とする社会の確立を意図する日本国憲法の下、その擁護を唯一の使命とする最高裁判所裁判官諸公が、いかなる判決をされようとしているのか。
[226] 国民とともにわれわれは、刮目して待つていよう。
目次
公教育に対する国の関与のあり方とその限界(その一)     弁護人 新井章
  ――国家の価値的中立性の原理と公教育――
公教育に対する国の関与のあり方とその限界(その二)     弁護人 尾山宏
  ――戦後の教育改革と教育権の独立――
公教育に対する国の関与のあり方とその限界(その三)     弁護人 佐伯静治
  ――戦後の教育改革と教育行政の地方自治――
公教育に対する国の関与のあり方とその限界(その四)     弁護人 立木豊地
  ――教育の自由及び教育課程行政に関する国際的動向――
学力テストの法的しくみとその違法性(その一)        弁護人 高橋清一
学力テストの違法性(その二)                弁護人 吉川基道
  ――学校教育法38条等の解釈――
学テの違法性(その三)                   弁護人 手塚八郎
  ――地教行政54条2項の解釈――
公務執行妨害罪の不成立等                  弁護人 上条貞夫
目次
一、はじめに――問題の所在
 (一) 原判決の判示
 (二) 検察官の主張
 (三) 問題の所在
二、国家の価値的中立性の原理と公教育
 (一) 近代国家の価値的中立性
 (二) 国家の価値的中立性と公教育
三、わが国戦前教育の体験と今日の問題
 (一) わが国戦前教育の体験とその歴史的教訓
 (二) 戦後教育の歩みと今日の問題
 (三) 結び
[1] 本件の中心的な争点である、学力テストが教育基本法10条に違反するか否かの命題にアプローチしていくうえで、そもそも公教育の営みに国家がいかにして、またいかなる限度において関与しうるかという根本命題に触れることが避けられないことは、もはや贅言を重ねることを要しないほどに明白なところである。
[2] されば、われわれは第一審以来、この点についてくりかえしわれわれの主張を展開してきたし、とくに上告審では再度にわたり詳細な見解を呈示してきた(第弁書第二章第二節ほか、答弁補充書(その二)第二章参照)。また反対当事者である検察官側も相応の主張を展開され、裁判所もまた、第一、二審とも、この点に正面から触れた見解を明示してこられたのである。
[3] そこでわれわれはこの際、重ねてわれわれの所信を申述べるとともに、原判決の判示の相当なる所以を明らかにしようと考えるが、それに先立つて、この点にかかわる問題点を整理し、問題の所在を明らかにしておこうと思う。

(一) 原判決の判示
[4] 原判決は、この点について、
「まず問題となるのは、教育基本法10条の規定である。同条は、まずその1項において、教育は不当な支配をしてはならないとするとともに、2項において、教育行政は右の教育の目的達成に必要な諸条件の整備確立を目標としなければならないと定めている。右規定の趣旨は、広く指摘されているように、かつて、わが国においてみられた教育の国家統制に対する反省の上に立ち、教育が政治等による不当な支配を受けることなく、国民全体のものとして自主的に行われるべきものとするとともに、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果をあげ得ることにかんがみ、教育の場にあつて、被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明したものと解すべきである。もとより、所論の指摘するように、教育は近代国家にとつて最も重大な関心事であり、教育の振興は国や地方公共団体に課せられた重大な使命であつて、このことからすれば、ここにいう教育条件の整備確立が教育施設の設置管理、教育財政および教職員の人事等の教育の外的条件の整備に限られ、教育行政機関の教育内容および教育方法等への関与が一切排せられていると解するのは相当でない。しかし、前述した同条の沿革、趣旨等からすれば、右の教育内容および教育方法等への関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。」
と述べ、さらに原審検察官が、初等、中等普通教育の内容に対する国の行政作用の関与の必要性をるる説くのに対して、その説示をふえんし、
「しかし、初等、中等普通教育の内容に対する国の行政作用の関与の必要性ということから、直ちに前述した性質、内容および影響を有する本件学力調査が許容されると解することは論理の飛躍があろう。」
とし、また、
「既に述べたところからすれば、学校教育法38条が文部大臣に、学習指導要領にみられるような教育内容や教育方法についての詳細な定めをなす権限を与えたものとは到底解されず………、むしろ、原判決が説示するように、同条は、中等教育が義務教育であることを考慮し、その教育課程の編成について、文部大臣が義務教育であることから最少限度要請される全国的画一性を維持するに足る大綱的な基準を設定すべきものとした趣旨に解するのが相当である。」
と説いている(以上、判決理由「控訴趣意第一点について」3項参照)。
[5] 右の説示に明らかなように、原判決は、教育基本法10条等の解釈を展開するなかで、[1]公教育は国家の重大関心事であり、その振興は国や地方公共団体の責務でもあること、[2]したがつて国や地方公共団体の教育行政が教育内容・方法への関与を一切排されていると解するのは相当でないこと、[3]しかしさればといつて、教育行政機関が条件整備の域を超えて、教育内容・方法に過度の介入をすることは、教育の自律的本性・教育作用の内面的、人格的性格、わが国戦前教育の歴史的体験等からして許容されえないこと、[4]さような見地からみて、本件学力テストの実施や学習指導要領に法的拘束力ありとすることは、教育行政機関に認められた大綱的基準設定の限界を踰越すると判断されること、等の見解を宣明しているのである。

(二) 検察官の主張(上告趣意)
[6] これに対して、検察官は、原判決の右判示を批判する上告趣意の中で、次のような見解を開陳している。
(1)「教育は、国家社会の量も重大な関心事であり、その誤りは国家社会の運命をも危くするものであるから、正しい教育の振興は、国や地方公共団体の果さなければならない重大な使命の一つである。ことに義務教育である初等中等の普通教育は基礎的な教育である関係上重要であるとともに全国的に差異のない水準において行われる必要がある。」
(2)「その故に、文部大臣は、文部省設置法第4条、第5条、地教行法第48条、第52条等により、一般的な権限を与えられ助長行政ならびに監督行政を全国的に行なうことができ、さらに個々の具体的権限として以下述べる諸規定(学校教育法第35条、第36条、第38条、第106条等)が存在するのである。」
「このことに徴すれば、文部大臣に教育内容に立入る権限を全く与えないといえなく、寧ろこの程度において積極的にこれに関与し得ることを認めているものと解すべきである。従つて、学校現場の教育内容は、文部大臣がその権限により定めた方針ないし意向に沿つて行われることは同法の趣旨に適合するところであるといわざるを得ない。」
(3)かえつて、「学校教育法第40条により中学校に準用される同法第21条によれば、……文部大臣に教科の具体的内容となる教科用図書の検定又は著作にまで関与する権限を与えていることに対比すれば、(文部大臣の教科基準設定権が)原判決のいうが如き大綱に止まることを要する必要は全くないのである。」
(4)「したがつて、教育課程の全国的基準として公示した中学校学習指導要領の程度の内容は、同法第38条の定める教科基準設定権の限界を超えるものとは到底考えられない」し、また本件学力テストは、「法律に根拠を有する正当な権限に基づく法により許された範囲の調査であり、これをもつて教育基本法第10条1項の不当な支配に当るとすることは謬論というべきである。」
(三) 問題の所在
[7] 以上によつて明らかなごとく、原判決と検察官との間、さらにわれわれ弁護側と検察側との間には、公教育の振興が国家社会の重大関心事であり、国や地方公共団体にもその発展について小さからざる責任が存すること、およびそれゆえ教育行政機関が教育内容・方法について全く関与しえない立場にあるとはいえないことの2点において、(少くとも言葉の上では)見解の差異はない。したがつてここでの問題は、およそ国や地方公共団体が教育内容・方法の領域に関与をなしうるや否やの点にではなく、国や地方公共団体もまた公教育の教育内容・方法の領域に関与しうるとして、いかなる態様において、またいかなる限度において関与しうるかの点にあるのである。
[8] そしてまさに問題の核心ともいうべきこの点について、われわれは、人間の精神的、内面的営みである教育という事物の本質からして、教育の自律性、私事性は最大限に尊重されるべきであり、したがつて国や地方公共団体は公教育の内容・方法の領域への介入については最大限の謙抑的態度を持して、現にイギリスその他の近代諸国家がそうであるように、「援助はすれど、介入せず(support, but not control)」という立場を堅持すべきであると主張し、原判決もほぼ同じ見地から、前引のごとき判断をしたのに対して、ひとり検察官側のみが、叙上のように、文部大臣は学校教育法38条等に依拠して「積極的に教育内容に関与し得る」ものであつて、その教科基準設定権は決して「大綱に止まることを要」せず、かくして設定せられた学習指導要領は同条の委任による立法であるから、「法規たるの性質を有し、法的拘束力があり、(中学校)の教育課程を編成するにあたつては、(中学校)学習指導要領の定める基準に従わなければならない」ばかりか、この学習指導要領は、また「地方教育委員会の教育課程設定権を制約するものであつて、」さらには、「日常の教育活動が文部省の学習指導要領に盛られた方針ないし意向に沿つて行われることは、学校教育法の趣旨に沿うものであり……若し、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が学習指導要領の内容に反するものであるとするならば、その教育活動こそ学校教育法の趣旨に反するものといわなければなら」ず、要するに、「学校現場の教育内容は文部大臣がその権限により定めた方針ないし意向に沿つて行なわれることは同法の趣旨に適合する」と主張しているわけである。
[9] このような検察官流の考え方がいかに誤りであるかは、これまで弁護人らがさまざまな角度から究明してきたが、ここでは、その最も根本的な視点、すなわち近代国家における価値的中立性の原理に照らして、さような主張がいかに事理に反し、庭史の教訓に背き、ひいてはわが国の将来を誤らしめるおそれがある謬見であるかを明らかにしたいと考える。
(一) 近代国家の価値的中立性
[10] あえてルツソーやホツブス、ロツクなどには遡るまでもなく、われわれは、国家に多くのサービスや庇護を期待し、またこれに見合う出捐や義務を負うてはいるものの、われわれの精神生活の自由までを国家に譲り渡し、内面的、文化的営みへの干渉を認めてきたことはない。それはたんに「消極国家」以来の伝統的な国家観からの論理的帰結というよりは、教会の絶対的支配から信仰の自由をかちとるために闘われた、ヨーロツパの人民の、16世紀以降200年余にわたる自由獲得の闘いの歴史的成果であり、アメリカの権利宣言(1776年)やフランスの人権宣言(1789年)をへて、今日世界的に定着をみつつある国家原理であることは、周く知られるところである。(註1)
[11] 近代立憲国家における憲法は、このような近代国家の本質的契機であり特色でもある「中性国家(Ein neutraler Staat)」性を承認するところに発している。すなわち、
「それは真理とか道徳とかの内容的価値に関して中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもつぱら他の社会的集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置く(註2)」
という原則の承認であり、思想・信仰・道徳などの問題は「私事」としてその内面的主観的性質を保障し、公権力は技術的性格をもつた法体系の中にしりぞくという思想の公定であつて、信仰の自由をはじめとする諸々の精神的自由の保障は、この原則の端的な表現に外ならない。アメリカ合衆国憲法修正1条や日本国憲法19条以下の諸規定は、かような原理・思想のもとで理解されるべき性格のものである。
[12] 実際、このアメリカ合衆国憲法修正1条に関しては、連邦最高裁判所が1943年、初級学校の生徒に国旗への敬礼を強制することを定めたヴアージニア州法を違憲と判決した際に、ジヤクソン判事が多数意見のなかで、
「もしわが国憲法を星座にたとえるならば、その恒星に相当するものは、官史は、その官の上下を問わず、政治・民族・主義・宗教その他の意見の問題について、なにが正しいかを定めることができず、また、市民にその信ずるところを言葉や行為によつて表明することを強制することができない、ということなのである。」
と述べ、また1945年にも連邦最高裁が、労働組合の支持を求める公開演説をする組合役員に州庁への登録を要求したテキサス州法を違憲無効としたとき、同じジヤクソン判事が、賛成意見の中で、
「公衆を誤つた説に対してまもることは州の権利ではないから、その義務でもありえない。官庁が出版、言論および宗教の規制を通じて公衆の精神の守護者をもつて任じないようにすることこそ、憲法修正第1条の目的である。この領域においては、人は、おのおの自分で真理の番人にならねばならない。なんとなれば(憲法を制定した)祖先はいかなる統治機関にも、真と偽とをわれわれのためにわけてくれる任務を託しはしなかつたからである。」
と説示して、同条の背後にある国家の価値的中立性の原理を鮮かに摘記している。(註3)
[13] またわが日本の憲法においても、かの明治憲法の下でさえ、美濃部達吉博士が、
「国家の文化的任務にも必ず一定の限界が無ければならぬ。……学問、芸術、宗教等の精神文化に関しては、唯各人の自由なる討究に依つてのみ発達し得べきもので、此等の点に関する国家の作用は唯消極的には其の自由の討究を妨ぐべき外部的の障害を除去し、積極的には其の発達を保護奨励することにのみ止まらねばならぬ。国家の権力を以て此等精神的文化の向うべき方向をも定めようとするのは、国家の任務を超越するものと言わねばならぬ。」
と説いておられたことは既に紹介したところであるし(註4)、現行日本国憲法に関しても、有力な学説が、信教の自由についてながら、
「そもそも信教の自由は、……近代的な各国の憲法においては、経済生活における基本原則としての私有財産制の保障と並び、精神生活における基本原則としての信教の自由を宣言するのが通例となつているほど、近代国家にとつて本質的な契機である。その目的とするところは、各人がその精神的、宗教的欲求をいかなる外的権威に妨害されることもなく、自由に追求しうる社会状態を確保するにあるが、このような社会状態こそまさしく中世と近世を分つ一つのモメントなのである。そして当初は中世の教会の権威に対抗する必要から、『信教』の自由の主張という形をとつたのであるが、その根拠にある理念は、人間精神の自由の自覚であり、思想の自由、学問の自由、言論の自由の如き精神生活の自由の原型であり、母胎であるということができる。」(註5)
と述べ、あるいはまた、
「信教の自由の保障を完全にするためには、さらにすすんで、国家があらゆる宗教から絶縁し、すべての宗教に対して中立的な立場に立つこと、すなわち、宗教を純然たる『わたくしごと』にすることが要請される。これが国家の非宗教性(laïcité)の原則……である。」(註6)
として、いずれも国家の価値的中立の原則ないし精神生活の自由の原理を確認しているのである。

(二) 国家の価値的中立性と公教育
[14] ところで、以上に述べたような国家の価値的中立性の原理は、教育の領域にも妥当するものであろうか。この点について、長い間国家が公教育を主宰し、支配するシステムの下に馴らされたわれわれの眼からすると、芸術や宗教について国家が中立の立場を持することは理解できても、こと教育に関するかぎりその発展を国民の手に委ねて、国家は何らその内容に介入できないとする考え方は採りえないと思われがちである。芸術や宗教はその自由なる展開の結果いかなる盛衰の途を辿ろうと構わぬが、教育は民族の将来にもかかわる重大事で、到底その自由なる展開に委ねたままにおくことはできぬ、といつたように。
[15] しかしながら、問題はまさにそこに存するのであつて、公教育の営みが民族の将来にもかかわる重要な社会的意義を有することと、国家がそれゆえに公教育の内容・方法の領域に介入しうることとは、必然的な関係に立つものではない。否むしろ、後述するように、公教育の営みが社会的に重要であればあるだけ、国家はその内容領域への干渉を慎しむことが要請されるのである。
[16] それは、第一に、教育という事物の性質に照らしてみたときに、明らかである。すでに弁護人がくりかえし述べてきたように、教育はひとりひとりの子どもの「能力」を全面的に開花させ「発達」させるための意図的な営みであり.子どもの「学習」の指導を通じてこれを達成しようとする作用である。「教育が発達に干渉しうるのは、学習を媒介にして」はじめて可能であり、「学習のないところに教育はない」(註7)とまでいわれるように、教育の営みにおいて、子ども自身「学習」は不可欠の要素をなすが、この学習、ひいては学習の指導(すなわち教育)が最も効果的に行われるためには、「学習」の条件がととのえられていることが必要である。そして、この学習の条件のなかで、子どもの自発的な意欲と姿勢こそが、決定的に重要とされるが、子どもに対する外からの認識の押し付けやドグマの注入(indoctrination)は、この自発性をそこなうものとして、厳に慎まれねばならないのである。
[17] また、「……教育の内容は、科学性(真実性)に貫かれ、芸術性(人間性)にとんだものでなければなら」ないし、また、「教育方法は、教材を媒介としての教師と子どもの人間的接触の過程で駆使される科学的方法によつてのみその有効性が保障される」のだが、この場合、「(教育)内容の科学性や芸術性は、教科や教材の自由な研究の深まりを措いてなく、(教育)方法の科学性は、子どもの発達についての科学的認識を基礎とする以外にはありえない」(註8)わけであるから、かかるみちすじからしても、国家や公権力の援助はありえても、介入は絶対に許されない道理である。
[18] そして、何よりも、教育は、教育者と被教育者との間で行われる、すぐれて人格的、内面的な営みであるから、この点では、芸術や宗教、道徳などのそれと同じく、国家や公権力の価値的干渉になじまない本性をもつている。この点について、田中耕太郎博士は、かつて次のように説かれている。
「本来教育は芸術的技術的活動と同じく、その性質において文化的のものである。それは自然的存在に対して人間が理念を吹き込み、新な第三の価値的存在を創造する活動である。その限りにおいて教育は教育者とその対象との間の内的個人的関係であつて、国家社会の関与の外にあるところのものである。………
 教育が本来教育者とその対象たる被教育者との間の純然たる内的関係であり、その結果としてそれは国家社会の干渉の外にあることは、最も本源的で普遍的な教育現象である、家庭教育においてこれを認めることができる。………
 勿論国家は両親の教育の理念や内容について多大な利害関係を有する。もしそれが反道徳的なもの反国家的反社会的なものなるにおいては、……それに対する干渉を欲することが山々であろうが、しかしこの場合と雖も、それは純然たる家庭内部の事柄であり、国家のこれに対する干渉は許されないところである。それは個人について思想の自由、良心の自由及び宗教の自由が保障されているのと(憲法19条、20条)同様である。家庭内においては教育の自由が存在し、国家はこれを尊重しなければならない。それは憲法が明文を以て保障するこれ等の自由にも属するし、又基本的人権及び自由に関する一般原則からしても認め得られるのである。
 教育のかような性質即ち教育者が被教育者に創造的に働きかけるところの2人格者の内的影響関係は家庭における両親と子女との関係においてのみならず、家庭外における個人的な師弟関係及び学校教育においても均しく存在するところのものであり、そうしてこの種の関係が本来国家の干渉の外にあるべきものであることも家庭内の教育関係と異なるところがないのである。」(註9)
[19] また、同博士は、教育権と司法権との独立に関する論文のなかでも、この点に触れて、
「元来国家の活動の範囲は、経済、外交、財政、衛生、社会生活の最少限度の条件である秩序と道徳の維持に限られており、それは直接に真、善、美の問題に及ぶものではない。国家は如何なる学説が正しいか、如何なる絵画が芸術的にすぐれているかを判断する権限をもつていない。それらは政治と異る次元の世界に属する。これらの世界に関する事項は個人の良心と創意とにまかせられなければならない。そうすることが国家の精神的文化的水準を向上させることになるのである。国家の任務とするところは、真、善、美の諸価値が実現されるに適当な有形無形の条件を整備することに限局されるのである。」(註10)
と述べておられる。
[20] 公教育の領域にも、芸術や道徳やのそれと同じく、国家の価値的中立性の原理が妥当すべき所以は、右の田中博士の論述によつて間然する余地のないほど明確に説き明かされているが、実にこれとほぼ同じ指摘が、早くも18世紀末フランス革命の時期に、コンドルセによつてなされていたのである。
「教育の独立性というものは、いわば人権の一部をなすものである。人間は完全なものとなる可能性――その限界はまだ知られておらず、たとえその限界が存在するとしても、それはわれわれが考えることのできないほどはるかかなたにあるのである――を自然から授つているのであるから、また新しい真理の認識は、人間にとつては、幸福や栄光の源泉であるこの悦ばしい能力を発達させる唯一の手段であるのであるから、一体どのような権力が、人間に、諸君が知らねばならないのはこれである、諸君が停止すべき限界はここだ、という権利を保有することができるのだろうか。真理のみが有益であるのだから、そしていつさいの誤謬は害悪であるのだから、権力は、たとえそれがどのようなものであれ、いかなる権利によつて、真理がどこに存し、誤謬がどこにあるかを、あえて決定することができるのだろうか。」(註11)
[21] 第二に、それは先進教育諸国の歴史に徴して、明らかである。たとえば、イギリスでは、教育課程について法的拘束力ある国家基準もなければ、教科書発行・採択に関する制約もなく、教育の内容・方法についてはあげて教師の自由に委されている。「世界のどの国も教師もこの国の教師ほど自由ではない。」(註12)といわれるほどで、この国で教育の内容領域への国家の不介入の原則が確立していることは疑う余地がない。
[22] またフランスでは、前引のコンドルセの言からも窺えるように、フランス革命期においてすでに国家が価値的中立性の原則が公教育の領域に及ぶことが当然とされ、教育の自由は精神的自由の重要な一環をなすものとして把えられてきた。たとえば、コンドルセ(ジロンド派)と対立するジヤコバン派に属したロンムのごときも、1792年12月、議会に対する「公教育に関する報告」のなかで、「行政官庁に知識の普及を委任することは、人間精神の最も立派な権利、自然の限界以外には人間精神の完成についての限界は認めないという権利を侵害することになるであろう。」と述べていた(註13)。このような事情を背景として、1793年のフランス憲法は、「教育はすべての者の需要である。社会は、その全力をあげて、一般の理性の進歩を助長し、教育をすべての者の手の届くところに置かなければならない。」(23条)と謳いあげ、これにひきつづく1795年憲法、1830年憲法、および1848年憲法は、いづれも「教育の自由」を明文で保障してきたのである。(註14)第3共和制以後の憲法では明文は掲げられなくなつたが、それは教育の自由がもはや明文を要しないほどに定着したゆえと解されている。(註15)
[23] ドイツの1848年の三月革命とそれに続く時期は、国民の「教育を受ける権利」の憲法上の保障をはじめて生み出した点で、世界の教育史上注目すべき一時期を画した。同年のプロイセン憲法では、教育を受ける権利の保障のほか、親義務の規定(義務教育制)、無償制、学校の教会権力からの分離(世俗性)など、今日の実定憲法上の公教育原理のほとんどがうち出されていたのである。(註16)そして、今日においても、子どもを教育することは親の自然権に属するという思想は、公教育法制を貫く基本原理とされており、ボン基本法6条2項の「子供の育成および教育は、両親の自然の権利であり、かつ、何よりもまず両親に課せられている義務である。」という規定を(註17)はじめ、各ラントの憲法条項に実定化されている。
[24] 最後に、アメリカ合衆国については、上述したように1776年のヴアージニア権利宣言を経て、今日修正1条が定立されていること、そして国家の価値的中立の原理に導かれて、教育の自由が同条の保障に当然含まれると判例上も理解されてきたことは、もはや明らかである。ごく最近(1968年)にも連邦最高裁は、「聖書の教えにある、人は神が造りたまうとの物語を否定する学説を教えたり、そのかわりに人が下級動物から進化したと教えること」を禁止したアーカンソー州法を全員一致で違憲無効とし、その判決の中で、
「修正1条は、教授や学習がいかなる宗派や教義の原則や禁止にも適合しなければならないと州が要求することを容認するものでないことは、疑いがなく、かつ疑う余地はあり得ない。……アーカンソー州は、公立学校や大学のカリキユラムから、人の起源に関するすべての論争を削除しようとはしなかつた。同法の目的は、文字通り読んだ聖書の説明と牴触すると思われる特定の学説を抹殺することに限定されていた。(したがつて)、明白に、同法は、連邦憲法修正1条の要求に反し、かつ14条に違反するものである。」
と述べている。(註18)
[25] このように、国民の精神的、文化的生活の領域に国家権力が踏みこむことを許さないという不介入=中立の原理が公教育の場にもおし及ぶことは、教育の営みという事物の性質に照らしての論理的帰結としても、また先進教育諸国における法思想の発展の沿革が示す歴史的事実としても疑う余地のないところである。
[26] もとより、国家が公教育の内容・方法に介入してはならぬということは、国家が公教育のすべての領域に不介入であるべきことを意味しないし、教育内容や方法の領域についてさえいかなる関与も許さないことを意味するものではない。
[27] それどころか、今日の公教育、就中学校教育は、子どもの全面的な発達をねがう父母の願いや負託に応えるためには、尨大な人的、物的設備を必要とし、この面で国や地方公共団体の援助と協力を不可欠とする実情にある。教育の自由が保障されただけで公教育が豊かな発展を遂げえないことは、芸術や文化が十分な経済的、社会的基盤なしに花開くことがありえないのと同断であり、見易い道理といわなければならない。このような、自由で豊かな教育活動を可能にするための環境と条件づくり、すなわち、学校を建て、教員を配置し、教員研修の施設と機会を保障し、教師と父母との交流に場を与えるなどの教育条件整備の任務は、一見地味で高い意義に乏しいように見えるかも知れないが、実は、これなくしては一日も公教育が立ちゆかぬほどに、公教育の発展にとつて決定的な重要性を担う、文字どおり基礎づくりなのである。事実、イギリスでは、わが国の文部省に当る教育・科学省は、ほとんどもつぱら学校施設等の建築のための地方教育当局への補助金の交付――それも直接にでなく環境省を通じて――を職責として、教育内容には一切容喙しないし、(註19)またアメリカでもほぼ同様で、教育行政は教育の内的事項(interna)には干渉せず、「財政を整え、建築し、教員を配置し、学校の開校日を定め」るなど、外的事項(externa)にのみ専念するといつた考え方が、伝統的にとられてきたといわれている。(註20)
[28] 美濃部博士が「(精神文化に関する)国家の作用は唯消極的には其の自由の討究を妨ぐべき外部的の障害を除去し、積極的には其の発達を保護奨励することにのみ止まらねばならぬ。」と喝破され、また田中博士が、「国家の任務とするところは、真、善、美の諸価値が実現されるに適当な有形無形の条件を整備することに限局される」と説かれるのも、まさにそれを言われるものであり、さらには教育基本法10条2項が、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。」と定めるのも、その謂に外ならないのである。(註21)
[29] もちろんひと口に教育条件の整備といつても、教育の内容・方法に関わりの薄いものもあれば、密なるものもありうるし、学校現場における教師の教育活動の参考ないし援助の趣旨であれば、国や地方教育当局が、教育内容・方法の領域に手をさしのべることもありえよう。が、しかし、この際肝腎なことは、これら教育行政当局が、指導・援助という埓をこえて、現場の教育内容・方法の領域に権力的な手法――法的拘束や指揮監督など――で踏みこんではならないことであり、この限界をこえた瞬間に、国や地方教育当局は価値的中立という近代国家の原理をおかすことになるのである。
[30] なおこの点に関して検察官は、議会制民主主義のもとでは、国民の教育意思は国会に反映されるから、国会の議決、すなわち法律にもとづいてなされるかぎり、教育行政機関の教育内容への介入は無制限に許され、「不当な支配」にならない、などと主張される。
[31] これに対する弁護人らの反論は、答弁補充書(その二)第二章第二節第三(65頁以下)に詳述されているが、一見もつともらしくみえる検察官の右主張は、次の点において、スジ違いの謬論であり、根本的に誤りであるといわなければならない。それは第一に、なによりも検察官がいう議会制民主主義とは、国家意思の形成のあり方を規定する一つのシステムであるところ、弁護人がこれまで述べてきた国家の価値的中立性の原理とは、まさにその国家自身が、たとえいかなる権威、権能をもつてしても、介入すべからざる精神・文化生活の“聖域”があることを謂うものであるから、議会制民主主義、あるいは議会の立法にもとづく措置であるとの事由をもつてしても、国家の価値的中立性の原理をやぶりえぬことは、余りにも当然な事理に属するからである。
[32] 第二に、議会制民主主義とは、多数決原理の支配のもとに国民の総意、すなわち国家意思を決するシステムを意味するところ、真理や芸術の美や倫理道徳のあり方が多数決に本来的になじまぬ性質のものであることは明白であり、教育の目標や内容もまたこれに属すること叙上のとおりだからである。まことに前引したコンドルセの言のごとくに、いかなる権力をもつてしても、「人間に、諸君が知らねばならないのはこれである。諸君が停止すべき限界はここだ、という権利を保有することができ」ない、のである。にもかかわらず検察官が、このような口実をかまえ、教育内容・方法への介入を正当づけようとする態度のなかに、われわれは、わが国支配層が依然として、教育内容の国家統制へのやみがたい誘惑と衝動から免れえていないという、憂うべき傾向をみてとらざるをえないが、それがたんなる杞憂でないことは後に述べることとする。
[33] また検察官は、教育の内容事項と外的事項とは截然とわかちがたく、事柄によつては外的条件整備の仕事であつても、教育内容・方法の如何と密接な関連をもつものがあるから、教育行政がいわゆる外的事項に限局されるべしとする原判決流の見解は相当でないと主張される。
[34] なるほど、教育の内的事項、外的事項の区分が物理的明確さを以て画しえないことは事柄の性質上避けられぬところであり、事柄によつては両者のいづれとも単純に規定しがたいボーダーライン・ケースがありえよう。しかしながら、相接する2つの概念の境界がしかく明確に画しがたいからといつて、さような概念区分自体が無意味に帰するわけでないことは、われわれが日常しばしば経験するところであり、この場合でも、教育の内容・方法に属する事項を内的事項、その実施のための諸条件の整備に属するそれを外的事項と把える概念区分は、それ自体社会通念に照して優に把握が可能であるから、かかる区分をもつて公教育の営みにおける教育と教育行政との相互関保を大綱的に規定し、教育行政の権限行使のあり方と限界を基本特に面定しようとすることの有意味性と重要性は、右の点の指摘にもかかわらず、いささかも傷つけられることがないといわねばならない。
[35] また、他方、両者はそれぞれ教育の内的事項であり、外的事項なのであり、条件整備はまさに教育の目的を遂げるための事項なのであるから、この点で両者が、その異別性と同時に、相互に密接な関連をもつことも検察官の指摘をまつまでもなく、当然の事理である。
[36] しかしながら、両者のかかる関連性は、それゆえに教育行政権の内外両事項に対する全面的な介入の承認を導くものではなく、教育の外的事項の取扱といえども、さような関連が存するがゆえに、慎重のうえにも慎重になされなければならぬという要請をこそみちびくものである。教育から区分された教育行政をさらに一般行政との間でも区別し、教育行政を政党政治(のもとにおかれる一般行政)の影響外におき、教育の専門家や地域住民による運営のもとに置こうとしてきた制度的現実は、まさに右の消息を裏書きするものに外ならない。
(註1) たとえば、高柳信一「近代国家における基本的人権」(東大社研編「基本的人権1総論」所収)74頁以下および135頁以下、関之「思想・言論の自由とその限界」など。
(註2) 丸山真男「超国家主義の論理と心理」(「現代政治の思想と行動」上巻所収)9頁。
(註3) ウオルター・ゲルホン著、早川・山田訳「基本的人権」(有斐閣刊)90頁および161頁。なお宮沢俊義「憲法2」(法律学全集4巻)335頁にも同じ紹介あり。
(註4) 答弁補充書(その二)58頁――美濃郎達吉「日本憲法」1巻173頁。
(註5) 法学協会「註解日本国憲法」上巻(2)405頁~406頁。
(註6) 宮沢「日本国憲法」コンメンタール240頁。
(註7) 勝田守一「能力と発達と学習」(国土社刊)141頁。
(註8) 堀尾輝久「現代における教育と法」(岩波講座「現代法」8巻所収)192頁。
(註9) 田中「教育基本法第1条の性格」(ジユリスト1952年1月1日号)3頁。
(註10) 田中「司法権と教育権の独立」(ジユリスト1957年1月1日号)兼子仁編「法と教育」所収215頁)。
(註11) 松島釣訳「公教育の原理」175頁~176頁。
(註12) レスター・スミス「教育入門」(岩波新書)191頁。
(註13) 渡辺誠「フランス革命の教育」248頁~249頁。
(註14) 高木八尺ほか「人権宣言集」145頁および284頁。
(註15) 野田良之「フランスにおける教育の自由」(雑誌「教育」国土社刊1971年1月号所収)9頁。
(註16) 梅根悟「近代国家と民衆教育――プロイセン民衆教育政史」(誠文堂新光社刊)185頁以下ほか。
(註17) 宮沢編「世界憲法集」(岩波文庫)139頁。
(註18) 浪本勝年「教育政策と教育の自由」(成文堂刊)60頁以下。
(註19) T・バージエス著、菅野ら訳「イギリスの学校」(明治図書「世界の教育改革シリーズ」1)29頁以下。
(註20) 宗像誠也「教育行政学序説(増補版)」4頁以下。
(註21) この点では、文部当局自身もまた、戦後初期にはこの理を承認して、「『教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立』というのは、先に述べた教育行政の特殊性からして、それは教育内容に介入すべきものではなく、教育の外にあつて、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を置くべきだというのである。」と述べていたのである(辻田・田中二郎監修・教育法令研究会著「教育基本法の解説」(昭和22年国立書院刊)。131頁)。
(一) わが国戦前教育の体験とその歴史的教訓
[37] 国家権力(とそれを直接担う支配者たち)がひとたびこの価値的中立の原則をおかして教育や宗教やの精神的価値の世界にまで踏みこんだときに、どのようなすさまじくも、愚しい結果をもたらさずにおかぬかは、わずか30年前までのわれわれの戦前の体験を想い起こすだけで十分であろう。
[38] 丸山真男氏によれば、
「日本は明治以後の近代国家の形成過程に於て嘗てこのような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかつた。その結果、日本の国家主義は内容的価値の実体たることにどこまでも自己の支配根拠を置こうとした。幕末に日本に来た外国人は殆ど一様にこの国が精神的スピリチユアル君主たるミカドと政治的実権者たる大君(将軍)との二重統治の下に立つていることを指摘しているが、維持以後の主権国家は後者及びその他の封建的権力の多元的支配を前者に向つて一元化し集中化する事に於て成立した。『政令の帰一』とか『政刑一途』とか呼ばれるこの過程に於て権威は権力と一体化した。」
そして、これに対して、内面的、精神的世界における権威と支配を主張する教会勢力はわが国の場合存在しなかつたし、その後興つた自由民権運動も、真理や正義の内容的価値を国家権力との間で争つたのではなく、もつぱら個人ないし国民の外部的活動の範囲と境界をめぐつて支配層と争うという以上のものではなかつた。
「そうして第1回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であつたといつていい。果して間もなく、あの明治思想界を貫流する基督教と国家教育との衝突問題がまさにこの教育勅語をめぐつてごうごうの論争を惹起したのである。『国家主義』という言葉がこの頃から頻繁に登場し出したということは意味深い。」そして戦後間もなく発された「詔勅で天皇の神性が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の基盤がなかつたのである。信仰のみの問題ではない。国家が『国体』に於て真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立しえないことは当然である。しかもその依存は決して外部的依存ではなく、むしろ内面的なそれなのだ。国家のための芸術、国家のための学問という主張の意味は単に芸術なり学問なりの国家的実用性の要請ばかりではない。何が国家のためかという内容的な決定をば『天皇陛下及天皇陛下ノ政府ニ対シ』(官史服務規律)忠勤義務を持つところの官吏が下すという点にその核心があ」つた
というのである。(註1)
[39] このように、精神的権威と政治的権力とが国家権力によつて一元的に占有され、国家がみずから真善美を体現するとされるところでは、国家は国民の前に道徳や真理の「教師」として立ちあらわれ、国民はひたすらその教えに導かれ、育まれるものとして、いいかえれば「教化」の対象としてのみ把えられるに至ることは蓋し当然の成りゆきであつた。国の「道徳の教師」としての役割を、日本ほど独特の仕方において、長期にわたり遂行した国はなかつたし、その実際上の遂行を担つた天皇の官僚たちは、行政担当者であると同時に、「公教育の教師の教師」として自ら任じ、政治支配と教化とを見事に合一させる役割を果した、といわれる。(註2)
[40] また同じ理由から、精神的権威の象徴であり道徳の源泉である天皇の「勅語」という形をとつて宣明された教育勅語が、戦前教育の唯一かつ決定的な指針とされたことも、必然のなりゆきであつたといえよう。教育勅語はそれ自体として一つの道徳訓でありながら、わが国においてはそれが教育法令の中にとり入れられることによつて、公教育に関する法的内容の一部を形成し、法規としての性格を与えられ、教師や教育関係者を拘束する効果をもつようになつていた。教師たちは教育勅語に反することを教授することができなかつたのはもちろん、これを批判することも認められなかつたのである。(註3)
[41] そして、このような国家みずからによる道徳的教化を推進するために、徹底した中央集権と官僚統制のシステムが採られたことは、周知のとおりである。教科書は明治36年(1903年)以来国定化され、授業内容は「小学校施行規則」等により、学校長は「教則」(省令)や「教授要目」(訓令)に則つて、「教育細目」を定むべきものとされ、教員はさらにこれに基いて「教案」をつくり、校長の事前の検閲をうけねばならぬものとされ、そしてこれらが忠実に実践されているか否かを各級の視学が監督・取締りする、という仕組になつていた。こうして戦前のわが国公教育は学校現場のすみずみまで統制され、教育勅語を中心とする天皇制価値体系の注入、教化の場として画一教育がおしつけられ、教師の創造的な教育活動も子どもの自発的でのびやかな学習も逼塞せしめられたのである。(註4)
[42] もちろん明治5年(1872年)の学制発布以来の中央集権的な国家教育が、一面において、「富国強兵」という強い国家的要請に促され、徹底した公教育の全面的な組織化をおし進めるなかで、驚異的な教育の普及率を達成し、国民意識の向上と近代化(ただし外面上の)をもたらしたことは事実であるが、(註5)他面公教育の最も重要な目的である国民の内面的精神活動の自由にして潤達な発展という面では、そのスタートからそれを阻害する要因を内在し、終始これにわずらわされ、ついてはその命脈を絶たれることになるのである。
[43] すなわち、再び丸山氏の言に藉りれば、
「国家主権が精神的権威と政治的権力を一元的に占有する結果は、国家活動はその内容的正当性の基準を自らのうちに(団体として)持つており、従つて国家の対内及び対外活動はなんら国家を超えた一つの道義的規準には服しないということになる。……国家活動が国家を超えた道義的規準に服しないのは、主権者が『無』よりの決断者だからではなく、主権者自らのうちに絶対的価値が体現しているのであるから、それが『古今東西を通じて常に真善美の極致』とされるからである(荒木貞夫「皇国の軍人精神」8頁)。……それ自体『真善美の極致』たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、いかなる背信的行動も許容されるのである!」。(註6)
もとより、それは行動の上での暴虐や背徳に限られるものではない。国家はそれ自身、善の体現者であると同時に、真理や美の体現者でもあるから国家が「真理」と命名するものは、たとえ非科学的な真実ならざるものもたちまち真理となり、国家が「美」なりとするものは、たとえ醜悪な存在であつても、美とみなされることになり、その背理と墜落をおし止めるものは他に存しないのである。国家権力が価値的中立性の限界をひとたびふみこえたときに、最も恐れられ、また恐れられねばならぬのは、実はこの点である。この恐るべき禁断の木の実に手を染めたものを、待ちうけているのは、狂気と破滅しかない。その最も端的で、最も悲惨な実例として、私たちはかのナチス・ドイツが辿つた運命を直ちに想起するが、わが国の戦前の場合ももとよりその一例たるを免れるものではない。公教育は、子どもや国民の人格能力の自由で豊かな発達のためどころか、国家(といつても実はその権力執行を担う一部支配層)の自ら掲げる「八紘一字」の実現や「聖戦」の遂行に子どもや国民をかり立てるための教化・注入の具として総動員されるとともに、他方これらの理念や政策に疑念をはさみ、これに批判・抵抗する者には治安立法等を発動して徹底的に糾弾、排除し、さらには学問、芸術、宗教、文化その他あらゆる精神生活の部面において、国民の自由な精神活動を封圧・統制して、ひたすら国民を無謀な侵略戦争にかりたてていつたのである。(註7)日本歴史の教科書のなかに、天孫降臨の神話を歴史的事実として盛りこみ、これを何10万人もの教師や何百万という児童生徒にそのまま信じこませようとしたり、公法学説としての美濃部博士の天皇機関説を「国体の本義」にもとるとして指弾し、「国体明徴」の国会決議をあえてしたり、多年正統学説として学界、思想界に君臨してきた京大教授滝川幸辰著「刑法読本」や文学博士津田左右吉著「神代史の研究」「古事記及日本書紀の研究」などを禁書とし、矢内原忠雄、河合栄治郎、大内兵衛、横田喜三郎、田中耕太郎らを学園から追放もしくは執筆活動禁止においこんだり、(註7)あるいは、「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル」とか、さらには「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル」などといつた抽象漠然たる概念を操作して、社会主義者やその団体のみならず、政治的啓蒙活動や文化活動、文芸サークル、出版活動などまで弾圧の網にかけ、弁護士が治安維持法違反の被告人を弁護することも、医者が共産党員の病気を治療することも、さらには同法違反で検挙された者の家族を救済するために金品を出捐することも、それが「『コミンテルン』並日本共産党ノ目的達成ニ寄与スル」ことを究極において認識してなされるならば、すべて同法にいう「目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル」に該当するとし、甚しくは右の認識は行為者の潜在意識を以ても足るとし、ついには、「聖戦裏寡婦は飢えてぞ妊りぬ」とか「戦死母となる日が淋しまる」などの俳句を雑誌に掲載した行為までをとらえて、「一般大衆ニ階級的、反軍的意識ヲ浸透セシメ、其ノ左翼化ニ努メ、以テコミンテルン並日本共産党ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタルモノ」として刑事訴追し、有罪として処断した、(註8)などの行動は、今日これを狂気の行為として解するほかに途はあるまい。客観的に、冷徹にみるかぎり、これらの諸行動は、明らかに背理、背徳であり、科学的精神の堕落であり、良心の自己放棄である。そして、これらのおぞましい結果を招来した根源が、国家による価値的中立の原則の侵犯、真、善、美の独占にあつたことは、もはや明らかであろう。

(二) 戦後教育の歩みと今日の問題
[44] 戦後の教育改革が、このような歴史的教訓をふまえて、国家(権力)をして、再び価値的中立の原理に立ちかえらせることを目標として行われ、教育勅語の廃止、天皇の人間宣言、国定教科書の廃止、教育基本法の制定、公選制地方教育委員会制度の発足など、この目標を実現するための具体的措置が矢次ぎばやにとられたことは、いまだ記憶に新しいところである。
[45] しかしながら、明治以来数十年にわたつて国民生活のすみずみまでに浸透した国家主義的な教育の意識や教育行政の本質が、敗戦というドラステイツクな体験を媒介にしたとはいえ、短時日のうちに変りとげるものではない。ましてその実際の担い手であつた文部官僚をはじめ有能なる官僚群は、内務省など一部を除き、ほとんどそのまま戦後の行政システムの中に残つたのである。かれらが、戦後の民主改革にどれほど執ように反発し抵抗したかは、多くの文献資料が明らかにするところであるが、たとえば、教科書発行に検定制度を残し、しかも用紙事情の窮迫に藉口して文部大臣に検定権限を留保したことにも、その消息が窺えるのである。(それも、当初の学校教育法21条では「監督庁」が検定権者とされ、「用紙割当制の廃止されるまで」「当分の間」文部大臣とする(同法106条)と定められていたのを、昭和28年に、右21条を改正して、当初から地方教委を予想した「監督庁」を「文部大臣」と改めてしまつたのである)。
[46] その後占領政策の転換、講和発効などの政治事情の重大な変化に伴つて、占領政策の「行き過ぎ是正」の名のもとに戦後改革の手直しが公然と提唱されるようになり、わが国の政治がいわゆる逆コースを歩み出したことは、周知のところである。昭和26年には政令諮問委員会が早くも文部省による標準教科書の作成を勧告、同30年には民主党はその政策要綱中に「教科書の国定制度化」を掲げるとともに、「うれうべき教科書の問題」なるパンフレツトを発行して、国家による教科書内容の“偏向”是正を唱道し、翌31年には教科書の編集・発令・採択の国による統制強化を盛りこんだ教科書法案を国会に提出、その成立が失敗に帰するや、文部省令の改正という形で、脱法的に同法案が予定した教科書調査官制度を実施、といつた教科書検定制度の強化をめざす一連の措置があいついでとられるとともに、他方では、昭和28年に池田、ロバートソン会談において日本における国防教育の必要性が合意され、同30年の学習指導要領からは「試案」の文字が削られ、同33年ではついに文部省「告示」の形式で官報に掲載され、法的拘束力ありとの行政解釈がうち出され、また同年にはかつての修身に代る「道徳」時間(「教科」にあらずと説明され、文部「省令の改正」によつて強引に実施された)の特設、翌34年には右学習指導要領等を現場教師に伝達する官製講習会の全国各地における開催強行、そして同36年には右による学習指導要領の子どもへの到達度をみるために、本件全国中学校学力テストの実施、といつた一連の学習指導要領による統制強化の措置が講じられてきたが、これらが国家による教育内容介入を目ざしたものであることは言うまでもあるまい。加えて昭和41年には、中央教育審議会は「後期中等教育の拡充整備についての答申、別記期待される人間像」を答申し、あたかもかつての教育勅語に代るものとしてかのように、国家による教育理念や教育目標の公定を図ろうとさえするに至つている。(他方で中央集権化が進められてきたことはもちろんである。)
[47] このように戦後のわが国政府が、学習指導要領による拘束の強化と教科書検定による統制管理の強化との2つの手段で、教育内容・方法の領域に対する国家の介入の度を強めようとしてきた事実は、たんにわれわれの眼にとつてだけでなく、今日先進教育諸国の評価でもあり、批判を受けるところとなつている。昭和45年1月わが国を訪れたOECDの教育調査団が、2週間に及ぶ精力的な調査ののちにまとめ、翌46年同本部から出した報告書によれば、次のことが指摘されている。
「しかしながら、文部省は日本の教育の内容に対して、非常に強力な公的支配力をもつている。その点では、世界においてもつとも中央集権化された官庁の一つかもしれない。文部省は、次のような権限をもつている。
(一) 各教科における学習指導要領を決める権限をもつている。また、その権限は詳細な点まで指示するようになつており、教育課程に変化をあたえようとする教師の自由は制限されている。
(二) 使用されるすべての教科書に対して、検定認可の権限をもつている。この権限は、歴史のように教科にかかわる場合に、画一的な政治的価値を押しつけるという危険をはらんでいる。また近代社会の必要にこたえようとするなら、教育の内容や方法を改善するためにいろいろな工夫や実験を行わなねばならないが、中央集権とその画一主義はこうしたことの大きな妨げとなつている。このようにして教育内容のなかの価値に関するものを支配しようという考え方は、純粋に教育的な立場からみると、大へん大きなマイナスをもたらすことになる。」(註9)
[48] そしてこの報告書は、さらに問題の核心について、次のように述べている。
「価値を育てる教育と、教育による政治的教化とははつきり区別することができる。教育でこの2つの用法を混同するならば、教育における画一性をとる多様性との均衡を保つという困難な仕事はいつそうむずかしくなる。たとえば、学校には、一定の活動の自由を保障しながら、しかも社会的結合を保つていく、といつた程度の画一性は必要とされる。しかし半面、この画一性が中央政府の手で行われる場合、(とりわけ一つの政党が長期にわたつて政権を独占している国では)政権の座にある政府が、その支配の永続化をはかるために服従を強いる恐れがある。このような場合には、政府も野党とともに教育を政治的教化の手段とみなし、多様な価値を受容する能力をもつた人間を育てるという共通の目標は、そこなわれることになろう。最近は、学習指導要領と教科書検定制度をめぐつて議論がたたかわされている。この背後にあるのは以上のような問題にほかならないが、そのさい日本政府の立場は多様性を犠牲にして、画一性を強調しているように思われる。」(註10)
(三) 結び
[49] このようにみてくると、われわれは明らかな危険な道――国家の価値的中立の原則をおかし、国家が教育的価値(精神的価値)の決定者となり、究極的には狂気と破滅に至る、かつて歩んだ道――を、再び歩み出しているように思われる。
[50] 最高裁が、本件の審判を通じて、歴史の教訓を明認し、今後のわが国が価値的中立の原則を守つて、自由で豊かな教育をもたらす途を歩みうるみち筋を示すために、叡智を発揮されんことを切望してやまない。
(註1) 丸山前掲論文9頁~11頁。
(註2) 堀尾「国民における『中立性』の問題」(岩波書店刊「現代教育の思想と構造」所収)408頁。
(註3) 田中耕太郎「教育基本法第1条の性格」5頁。このなかで、「この傾向は昭和16年勅令148号国民学校令、昭和18年勅令36号中学校令その他の学校令及び附属の規程(省令)において極致に達した。『教育ニ関スル勅語ノ旨趣ヲ奉体』することは教育の最も根本的な目的となつていた。」と指摘されている。
(註4) たとえば、大正13年(1924年)長野県の松本女子師範附属小学校の川井清一郎訓導は、修身の時間に教科書を離れ森鴎外の小説「護持院ケ原の敵討」を副読本に使つて授業したというかどで、県視学の攻撃をうけ、ついには休職を余儀なくされた(2・4事件記録刊行委員会編「抵抗の歴史――戦時下長野県における教育労働者の闘い」(労働旬報社刊)26頁)し、また生徒でも、神話を歴史的事実として教えこもうとする授業に素直な疑問を投げかけて教師から弾圧されたという事例が少なからずあった(唐沢富太郎「現代教育の課題」(勁草書房刊)96頁以下)。一、二の例をあげると、昭和18年5月茨城県東茨城郡河和田村立国民学校(農村地帯)で、国史の時間に、「天孫降臨」の掛図をみて疑問を感じたTという生徒が、「先生そんなのうそだつぺ」と問うたところ、教師は激怒して、「貴様は足利尊氏か、とんでもない奴だ」とどなりつけ、教員室で木刀をもつて頭をなぐつたという。また同じ昭和18年頃、富山県下のある小学校で修身の授業があり、教師から“国生み”の話をきかされた成績のよい生徒が、「先生それ本当ですか、でもそんなことつてあるんですか」と質問したところ、教師は顔をしかめて、「もちろん本当にあつたことだからお話するんです。」と答え、あとでその生徒の母親に、おたくの子が必要以上の質問をしたので、授業の効果があがらなかつたと苦情を述べ、修身の成績を優から良上に下げた由である。
(註5) 唐沢・前掲書196頁以下。
(註6) 丸山・前掲論文13頁~14頁。
(註7) 家永三郎「太平洋戦争」(岩波書店刊、日本歴史叢書)。
(註8) 青木英五郎「裁判官の戦争責任」(日本評論社刊)。
(註9) OECD教育調査団、深代訳「日本の教育政策」(朝日新聞社刊)44頁。
 なお、この調査団は、フオール元仏首相やラインシヤワー教授ら6名の各国専門家によつて構成されていた。
(註10) 同右書15~16頁。
目次
(第一) 戦後の教育改革に言及する理由
(第二) 戦後改革の出発点――戦前教育への反省
(第三) 戦後改革の眼目
  一、民主教育の制度的保障の必要
  二、正しい教育観の確立
  三、教権の独立と教育行政改革
  四、教育基本法10条の立法趣旨
   (一) 田中耕太郎「教育改革私見」等
   (二) 文部省「画一教育改革要網(案)」等
   (三) アメリカ教育使節団報告書
   (四) 文部省「新教育指針」(昭和21年5月)
   (五) 制憲議会での論議
  五、教権の独立の論拠
  六、教育行政の任務とその意義
(第四) 戦後改革の性格と意義
[51] 本弁論では、終戦直後に行われた教育改革(以下戦後改革と略称する)について詳論するが、われわれがこれを重視するのは、この時期の教育改革が戦後教育法制の原点をなすものであり、教育法制のよるべき基本原理が、この時期の教育改革によつて形成・確立されているからである。事実、教育基本法、学校教育法、文部省設置法、教育委員会法、教育公務員特例法など戦後の主要な教育立法の多くが、この時期になされている。したがつてこれらの教育諸立法の際の論議をみれば、教育基本法及びそれを中心とする戦後教育法制が、どのような考え方(基本原理)の上に成り立つているかを知ることができる。本件審理の基本テーマである国家と教育との関係ないしは教育行政のあり方如何という問題についても、そこで明快な回答が与えられている。したがつてこうした戦後改革期の論議・考え方を参照することが、教育法の正しい解釈を追求する上で、有益であり、不可欠であることは、多言を要しまい。
[52] また戦後改革を顧みることは、本件で重要なかかわりをもつ教育基本法10条の立法趣旨をみることに通ずるのであるが、法解釈がその立法趣旨をふまえて客観的、実質的になされなければならないこともまた多言を要しないところである。
[53] 上告趣旨や弁論要旨(その二)で述べられている検察官側の同条の解釈は、右のような戦後教育法制の基礎にすえられている考え方(教育法制のよるべき基本原則)や同条の立法趣旨を考慮に入れず、これとはかかわりなしになされたきわめて主観的、恣意的な解釈であつて、この点に検察官側の同条解釈の致命的な欠陥がある。
[54] 以下においては、国家と教育との関係を考える上で重要な意義を担つていた教育権の独立ないし教権の独立(当時としては「教権の独立」の用語の方が多用されていたので、以下においても当時の用語例に忠実に主としてこの語を用いることとした)の原理を中心に、戦後改革の基本精神を紹介してみたい。
[55]一、戦後改革は、戦前教育への反省にもとづくものであつたことは、周知のごとくである。戦前教育への批判・反省は、改革の衡にあつた人びとを含めて当時の世論になつていた(今日においても、戦前教育が重大な誤りを含んでいたことを、正面から否定する人はいない)。戦後改革は、このような世論を背景に、戦前においては批判することの許されなかつた戦前の教育と教育制度に批判のメスを加え、過誤をもたらした根本の原因を明らかにし、その抜本的改善に努めたものであつた。戦後改革のもつとも重要な意義は、この点にあつた。

[56]二、それではどのような反省であつたかというと、第一に、わが国を戦争や敗戦の惨禍に導びく上で、戦前の誤つた教育が重要な役割を果したという反省があつた。
[57] たとえば当時の田中耕太郎文相は、
「我が国が開始すべからざる戦争を開始し、継続すべからざる戦争を破滅の直前まで継続した大きな罪悪と過誤とが、そのもとを辿れば、結局のところ、明治以来の、特に既往20年間の国家主義的、軍国主義的教育に胚胎していることは、今日識者の例外はなく承認するところであります。」(註1)
と述べている。
[58] 第二に、教育が右のような役割を果たすに至つた根本の原因は、教育が国家の手段とされていたこと、このため教育行政は著しく中央集権化されるとともに、このような集権的行政機構に、教師の教育内容への監督と介入の権限が与えられていたという、教育制度のしくみそのものにあることが明らかにされた。このような教育制度のしくみによつて、文部省は教育内容を統制し、国民思想の画一化を図ることが可能とされたのである(このために戦前の「神話」に始まる国史教育に典型的にみられた如く、真理の教育までが妨げられた)。アメリカ教育使節団報告書がいみじくも指摘しているように、「文部省は、日本の精神界を支配した人人の、権力の中心であつた。」(註2)
[59] この点での批判としては、たとえば田中文相の次のような指摘がある。
「我が国の教育が国家主義的、軍国主義的に堕した原因は何処にあるかと申しますと、畢竟するに我が社会が教育を十分尊重しなかつたという一事に帰着するのであります。……教育内容は常に国家の政策の遂行の手段と考えられ、国家の興隆や繁栄が教育の第一義的と認められ、教育は自主性を喪失し国家の奴隷になつてしまつてゐたのであります。」(註3)
[60] また国家が教育内容に強権的に介入しうる権限をもつことの危険性を、文部省の教育法令研究会の「教育基本法の解説」(辻田力、田中二部監修)は、次のように指摘している。
「この制度の精神及びこの制度は、教育行政が教育内容の面にまで立入つた干渉をなすことを可能にし、遂には時代の政治力に服して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であつた。」(註4)
[61] そしてアメリカ教育使節団報告書の次の一節を引用している。
「集権式の学校制度にあつては、権威はひとりの人、または一個の機関から出る。集権式制度は、制度の内外の権力者にごまかされたり、利己的に利用される危険が比較的に多いことは、経験の示すところである。」(註5)
[62] 第三に、右のような教育制度は、教育内容、教育方法の画一化、形式主義化をもたらし、教師の創意工夫の余地をなくし、教育の生気を失わせたことへの反省があつた。それは多数の教師の自発的エネルギーと創意を抑えることによつて、教育の発展の可能性は自ら封じていたのである。
[63] この点の批判・反省としては、後に述べる文部省総務室の「画一教育改革要網(案)」、「画一教育ノ打破ニ関スル検討並ニ措置(案)」、アメリカ教育使節団報告書、文部省の「新教育指針」、教育刷新委員会の建議など多くの資料があるが、ここではアメリカ教育使節団報告書の左の一節をあげておこう。
「日本の教育制度は、その組織とカリキユラムと規定とにおいて、たとえ過激な国家主義、軍国主義がこの中に注入されなかつたとしても、近代の教育理論に従つて、当然改正されるべきであつたらう。……その制度は、規定、教科書、試験、視察等によつて、教師が職業上の自由を活用する機会を少くした。どの程度に標準化並びに画一が確保されるかということが、能率の尺度であつた。日本の教育を理解するためには、諸規定、規定された学科程度並びに文部省並び地方庁によつて出版された教科書及び教師用参考書を調査するだけでほとんど足りるであろう。文部省並びに地方庁教育課の職員は、如何に学識には富んでゐようとも、教育及び教授に関して、専門的な訓練若しくは経験をほとんど全然持つていない。その結果は、社会の各層にひそんでゐる、多くの才幹と能力の一大貯蔵所を、ギセイに供してしまつたのである」(註6)
(註1) 田中文相「地方長官会議(説示)」(昭和21年6月14日)鈴木英一編「戦後教育立法に関する重要資料」(以下「重要資料」と略称する)78頁。このような批判・反省は、当時、多くの人びとが表明していた。たとえば、森戸辰男氏(「教育刷新の全貌」)は、「戦争と敗北の惨禍を惹起した根本原因の一つが、わが国の誤つた教育にあつたことは、かくれもない事実であるから。してみれば、古い日本の教育がこのさい根本的に改革されねばならないのは、当然のことである。」と述べ、また田中二郎「教育改革立法の動向」(「重要資料」270~1頁)も同旨。
(註2) 「重要資料」49頁。
(註3) 右同78~9頁。
(註4)(註5) 右同252頁。
(註6) 右同29頁。
一、民主教育の制度的保障の必要
[64] 以上の戦前教育の誤りをみるならば、わが国教育を民主化するためには、教育内容面に関する平和的で民主的な理念をかかげること(教育基本法前文、1条、2条)が必要であつたと同時に、より以上に重要なことは、教育の国家統制、国民の思想統制を可能にするような、あるいは教育の創造的展開を妨げるような教育制度のしくみを排除すること、別言すれば、民主的な教育が可能となるような民主的な教育制度の枠組み(民主教育の制度的保障)を確立することであつた。戦後改革において、教育制度のしくみ――ことに教育行政の機構と権限(任務)――の改革に大きな努力が注がれたのは、この故である。

二、正しい教育観の確立
[65](一) 右の制度的改革のためには、まずその前提として国家と教育との関係についての戦前の誤つた認識を、根本的に改めておく必要があつた。
[66] 戦前においては、前述のように、教育は国家の国策遂行の手段とされ、そのことが教育を歪める根本の原因になつていた。そこで戦後改革では、このような教育観が批判、排斥され、かわつて、教育が子どもの人間的成長それ自体を目的とすべきであることが明らかにされた。すなわち、子どもを国策のための人的資源とみるのではなく、子どもにも人間の尊厳を認め、子どもが自ら成長発達を追求することが子どもの人権であることを承認して、教育は、なによりもまずこの子どもの人権を応えるのでなければならないとされたのである。教育基本法前文の「個人の尊厳を重んじ……」との文言あるいは同法1条の「教育は、人格の完成をめざし……」、「……個人の価値をたつとび……」との文言は、この趣旨を表わしたものである。
[67] 文部省が教育基本法案の国会審議に際して作成した法案説明参考資料も、同法1条の趣旨を次のように明らかにしている。
「従来の学校令等にかかげる教育の目的は、『皇国ノ道ニ則ニ』とか『国家ニ須要ナル』とかいうように、教育はあたかも国家のためにのみ存するかのような誤解を招き、個人が国家の無用なる犠牲に供せられたのである。今やかかる弊を排せんがための教育が何よりも先ず『人格の完成をめざす』ものであるとの大方針を明らかにしたものであり、これが第1条の眼目であるとともに、この基本法の一番重要な点である。」(註1)
[68](二) こうした考え方の基礎にあつたのは、前掲の教育基本本法前文や1条の文言で明らかなように、個人の尊厳と価値の承認(憲法13条参照)という民主的な価値観であつた。アメリカ教育使節団報告書も、「民主政治下の生活のための教育制度は、個人の価値と尊厳を認めることが基になるであろう。」(註2)と述べている。しかし、右の考え方は、決して教育を完全に個人の問題に解消してしまうというものではなかつた。そこでも学校教育のもつ社会性――学校教育が社会的存在であり、社会の要請に応えなければならないという側面をもつことは充分に配慮されていた。むしろそこでは、個人の成長発達と教育の社会的使命の両者が、もつと深い観点から統一的に把握されていたということができる。すなわち、そこには教育が国家社会において果たすべきもつとも本質的な使命についての深い洞察があつた。前掲の「教育基本法の解説」は、教育と政治との相互関係について、次のように述べている。
「民主主義の政治も民主主義の教育も、個人の尊厳を重んじ、国家及び社会の維持発展は、かかる個人の自発的協力と責任によつて可能であるという世界観の上に立ち、政治はそれをいわば外形的現実的に、教育はそれをいわば内面的理想的に可能にするものである。しかし、政治と教育との間には一つ重大な相異点が認められなければならない。即ち、政治は現実生活ことに経済生活をいかにするかを問題とするのであるが、教育は現在より一歩先の未来に関係する。教育はあくまで未来を準備するのである。社会の未来に備えることが教育の現在なのである。」(註3)
[69] 「教育基本法の解説」は、このような広い視野から、個人の成長発達と教育の社会的使命との関係についてこう述べている。
「しかし、人格の完成は、単に個人のために個人を完成するというにとどまるものではなく、かかる人間が同時に国家及び社会を形成するよい人間となるように教育が行われなければならないことを示すのが後段(同法1条後段を指す。弁護人註)の趣旨である。さればといつて人格の完成は国家及び社会の形成者の育成ということにおおわれ、それにつきるというのではない。人格の完成ということは、国家及び社会の形成者の育成ということの根本にあり、それより広い領域をもつている。この広い立場で育成された人間が、はじめて国家及び社会のよい形成者となることができるのである。」(註4)
[70] すなわち、教育をその時々の社会的要請に近視眼的に直結させるのではなく、広い視野に立つて子ども達のもつ可能性を全面的に開花させることが、民主的な国家社会の形成者の育成、文化の継承発展の担い手の育成に真に役立つというのであり、これが改革を進めた人達の確信であつた。
(註1) 鈴木英一「教育行政」323頁。
(註2) 「重要資料」31頁。
(註3) 右同254頁。
(註4) 教育法令研究会「教育基本法の解説」63頁(この部分は「重要資料」に収められていない)。
三、教権の独立と教育行政改革
[71] 以上のように、教育を国家の手段たらしめないということは、教育を政治的、行政的支配から解放し、教育をその外において独立せしめること(すなわち教権の独立を図るということ)にほかならなかつた。別言すればそれは、教育固有の論理による教育の自律的展開を尊重するということを意味していた。この趣旨は、田中耕太郎氏の次の言説によく示されている。
「教育の独立、其の権威の維持即ち教育を政治の手段とせず其れ自体価値あるものとする思想に立つこと、教育の尊重」(註1)
[72] そして右の要請を実現するためには、教権独立の精神を法的に闡明するとともに、これに強固な制度的保障を与えるための教育行政改革が必要であつた。教育基本法10条1、2項は、かかる趣旨から教権独立の趣旨を明示するとともに、それをふまえて教育行政のあり方の基本を明らかにしたものであつた。爾余の教育諸立法は、この教育基本法10条の趣旨を指導理念とし(いま一つ重要な原理として教育の地方自治の原則があつた)これを教育行政制度のなかに具体化することを、主要な眼目の一としていた。そのことは、教育委員会法、文部省設置法等の当時の教育諸法の提案理由をみれば明白である。
[73] いま教育行政改革を概観しその主要な点をあげれば、次の如くである。(註2)
[74] すなわち、第一に中央集権的な教育行政機構を解体し、教育行政の地方分権化が図られた。これは、文部省改革(文部省設置法)や地方の教育委員会制度の創設(教育委員会法)で具体化されている。この教育行政の地方分権化は教育及び教育行政を地方住民の身近なところにおいて、地方住民の手による民主化の促進を期待するという趣旨とともに、教権の独立への重大な脅威をとり除くという趣旨を有していた。
[75] 第二に、教育行政の一般行政からの分離独立が図られた。(註3)また教育行政自体も専門性を備えるよう配慮されていた。(註4)これはいうまでもなく教育の専門性を考慮しての配慮があつた。
[76] 第三に――これが教権独立にもつとも直接的につながらるわけであるが――教育内容、方法を規制する戦前のさまざまな制度的しくみが廃止されるとともに、教育行政の教育内容面での権限が限界づけられ、この面での権限が、援助・助言を中心に構成されることとなつた。この点は、後に吉川弁護人が詳述するように、教育課程行政の改革に具体化されている。
(註1) 「重要資料」12頁。
(註2) 以下に述べるところについては、兼子仁『教育法』第4章第2節「教育行政改革の法原理」を参照されたい。
(註3) その制度的保障の一として、教育委員会法は、教育委員の公選制を打出した。しかし昭和31年の地教行法は、右の公選制を廃したばかりか、教育長の選任について都道府県にあつては文部大臣、市町村にあつては都道府県教育委員会の承認を得て行うものとし(同法16条2、3項)教育行政機構の中央集権化を図つたことは、甚だ遺憾であつた。
(註4) 教育委員会法は、「教育長は、教育職員免許法の定める教育職員の免許状を有する者のうちから、教育委員会が任命する」(同法41条2項)と定め、また「校長及び教員に助言と指導を与へる」(同法52条の4)指導主事の制度を設け、指導主事の専門的資格を定めていた(教育職員免許法旧3条)。しかしこうした点も、後の法改正によつて改められた(後者については地教行法19条4項参照)。これは教育の専門性の尊重という点からみて、重要な後退であつた。
四、教育基本法10条の立法趣旨
[77] 教育基本法10条が右のように教権の独立及びその趣旨をふまえて教育行政の任務と限界の明示を立法趣旨としていたことは、戦後改革の多くの資料をみれば、疑う余地がない。いま、経過を逐つてこれに関連する主要な資料をあげてみると、以下の如くである(但しすでに引用したものは除く)。
(一) 田中耕太郎「教育改革私見」等
[78] 教権独立の考え方は、終戦後きわめて早い時期から現われている。
[79] 昭和20年10月東京帝国大学教授兼任のまま文部省学校教育局長に就任した後文部大臣となつた田中耕太郎氏は、同年9月前田文相との会談資料として作成した「教育改革私見」のなかで、次のような改革の基本構想を示していた。
「二、制度的方面
(1) 文部省問題
(イ) 教育を政治より分離し、教育制度を政党政派の対立及び勢力関係の影響外に置くこと――此の為めに教育に憲法上司法権に与へられたる独立の地位を保障する取扱を為すこと……
(ロ) 更に文部省の存在理由及び機能を再検討し、これを存置するとせば、其の活動を原則として教育の内容に干与せざる純粋なる事務的方面に限局すること(例へば図書館、国宝等の管理、校舎の建設、其の他学校施設、教科書の編纂印刷頒布、学校衛生、体育、其の他助成的方面)………」(註1)
[80] また、田中氏は、同年11月、「ポツダム宣言履行の為めの緊急勅令事後承諾に関する貴族院委員会」に出席する際に起草したメモのなかでも、「文教に関する根本的方針」として「真理、真実をそれ自身目的として探求、尊重すること、国家万能思想、すべてを権力国家の手段と看做す従来の傾向の根本的易正」を説き、「教育に於ける民主主義」の原則の第一に、さきに述べたように、「教育の独立」をあげ、その具体的施策の一として「教育の画一的主義打破」などをあげている。(註2)
[81] ここには、すでに後に行われる教育改革の基本方向が示されている。
(二) 文部省「画一教育改革要網(案)」等
[82] 昭和20年11月、文部省総務室は、戦前の教育の「高度ナル国家的統一化ト画一化」を改革するため、「画一教育改革要網(案)」を作成した。そこでは、
「教員ノ広汎自由ナル教育活動ヲ推進スルト共ニ教育ノ停滞、化石化ヲ防止スル為教授方法及教育制度ニ改革ヲ行フ」、
「教授要綱、要目ハ極度ニ簡素化ス」、
「学生ノ個性ノ啓発指導ヲ重視ス」
べきことが明らかにされており、また「画一的ナラザル教育実施ノ必須的基盤」として
「教育ノ自主性ヲ確信シ教権ノ独立ヲ明示ス」、
「学問研究ノ自由ヲ明示ス」、
「教育行政機構ヲ一般行政機構ト切断シ且ツ教育行政ト教育ノ実際トノ乖離ヲ調整ス」
などがあげられている。(註3)
[83] また同じく総務室が作成した「画一教育打破ニ関スル検討並ニ措置(案)」は、「画一教育打破ハ現下教育刷新上ノ喫緊要務」と述べ、改革のために必要な措置として、
「教育ニオケル国家的統一ノ限界ヲ明確ニスルコト」
「教育ノ自主性ヲ確保シ」、
「教育ノ自主的活動ヲ妨ゲルガ如キ諸規定ヲ撤廃シ特ニ教授要綱、教授要目ニ関スル規定ノ如キハ之ヲ最少限度ニトドメ」
ることをあげている。(註4)
[84] この段階では、なお初等教育では国定教科書を存続する見解を示すなどちぐはぐな点が見うけられるが、全体的にみれば教権独立への志向が明瞭に示されており、その後の教育改革の萌芽を示したものとして注目される。
(三) アメリカ教育使節団報告書
[85] 翌41年1月、連合国最高司法令官は、米本国に日本教育についての助言と協議のため、教育専門家の一団を派遣するように要請し、その結果、イリノイ大学総長ストダートを団長とするアメリカ教育使節団が来日した。日本側でも、この使節団に協力すべく、日本側教育家委員会(委員長南原繁東大総長)が設けられ、使節団報告書の作成に実質的に関与した。(註5)同年3月にまとめられた報告書のうち、関連のある点をあげてみると、次のとおりである。
1. 「教師たると行政官たるとを問わず、教育者というものの職務について、ここに教訓とすべきことがあるのである。教師の最善の能力は、自由の空気の中においてのみ十分に現はされる。この空気をつくり出すことが行政官の仕事なのであつて、その反対の空気をつくることではない。子供の持つ測り知れない資源は、自由主義という日光の下においてのみ豊かな実を結ぶものである。この自由主義の光を与へることが教師の仕事なのであつて、その反対のものを与へることではない。」(註6)
2. 「民主政治下の生活のための教育制度は、個人の価値と尊厳を認めることが基になるであろう。それは各人の能力と適性に従つて、教育の機会を与へるやうに組織されるであらう。教授の内容と方法によつて、それは研究の自由と、批判的に分析する能力の訓練とを助成するであらう。学校の仕事が、規定された学科課程と、各科目毎に認定されたただ1冊の教科書とに制限されてゐたのでは、これらの目的はとげられやうがない。民主政治における教育の成功は、画一と標準化を以てしては測られないのである。」(註7)
3. 「結局中央官庁は教授の内容や方法、または教科書を規定すべきではなく、この領域におけるその活動を概要書、参考書、教授指導書等の出版に限定すべきであるといふことになる。教師がその専門の仕事に対して適当に準備ができさへすれば、教授の内容と方法を、種々な環境にある彼等の生徒の必要と能力並びに彼等が将来参加すべき社会に適応せしめることは、教師の自由に委せられるべきである。」(註8)
4. 「良い課程は単に知識を伝へる目的を以て工夫されるはずがない。それは先づ生徒の興味から出発して、生徒にその意味がわかる内容によつて、その興味を拡大充実するものでなければならない。目的に関して述べたことは、カリキユラム並びに学科課程の構成についても同様である。
 即ちある特定の環境にある生徒が出発点でなければならない。中央官庁が生徒の環境や能力を顧みることなくあらゆる事情の下に有効であることを保証された、いはば教育の手形のやうなものを発行するならば、前述の原理はふみにじられることになる。」
 それならば、カリキユラム並びに学科課程を形成する際の、中央官庁即ち文部省の役割はどのやうなものであるべきか。先づ第一に、それは教育の過程が最もよく実施されるやうな状態を、作り出さなくてはならぬと考へる。それは指導と刺戟と激励の機能を行ふべきである。必要なのは教育官吏の増員ではなく、熟練教師、実施教示者、研究者が必要なのである。教師用参考書を発行することは、それらが指導と参考の性質を持つものであるならば、続けられるべきである。カリキユラムと学科課程はかくして中央官庁と教師の協力行動の結果として生ずるものである。」(註9)
5. 「文部省は、日本の精神界を支配した人人の、権力の中心であつた。従来さうなつてゐたやうに、この官庁の権力は悪用されないとも限らないから、これを防くために、我々はその行政的管理権の削減を提案する。このことはカリキユラム、教授法、教材及び人事に関する多くの現存の管理権を、都道府県及び地方的学校行政単位に、移管せらるべきことを意味する。従来は、視学官制度によつて学校の統制が強制されてゐた。この制度は廃止すべきである。」(註10)
(四) 文部省「新教育指針」(昭和21年5月)
[86]「民主主義は当然政党政治の発達をうながすであらうが、政党の争ひがはげしくなつて教師がそのため道具につかはれるやうになると、国民全体を公平に取り扱ふべき教育の仕事がゆがめられ、また教師がつねに政党の勢力によつて動かされるおそれがある。むしろこのやうな弊害を防ぐためにこそ、教員組合は必要なのである。すなわち、もし政党からの不当のあつぱくがあつて、教育の方向がゆがめられたり、教師の身分が不安定になつたりするおそれがあつたときには、教員組合はその団結の力をもつて、教育の正しいありかたと、教師の身分の安定とを保障しなければならない。」(註11)
(五) 制憲議会での論議
[87] こうした教権独立の考えは、当時の世論でもあつたから、憲法制定議会でも、この趣旨を憲法上明示すべきであるとの意見が多数出されている。これに対し当時の田中文相は、「憲法全体のふりあい」から憲法中にこれを設けることは適切でないが、別に教育根本法とでもいうべき法律を作り、この法律のなかに教権の独立をもり込む意向のあることを明らかにした。(註12)
[88] 議会審議の際の応答の一例として、帝国憲法改正委員会における杉本勝次委員と田中文相の応答を左に掲げておこう。
「ソレハ民主主義的ナ新シイ教育ノ理念・或ハ教育ノ指標、或ハ文教ノ根本精神ト云フモノノ闡明ヲ此ノ憲法ノ一箇条トシテ設ケテ戴キタイト云フ私ノ切望デアリマス、申スマデモナク民主主義的ナル平和国家ノ建設ト云フコトニ付テ教育ガ其ノ根本ノ動力デナケレバナラヌト云フコトヲ私共ハ信ズルカラデアリマス、教育ガ其ノ時々ノ政治ノ動向ニ依ツテ影響ヲ受ケルコトヲ拒否シテ、之ヲ国家ノ政治的機能カラ独立サセル必要ガアルト云フ趣旨カラデアリマス」
「杉本サンノ御質問ニナリマシタ我ガ国ノ今後ノ教育ガ民主主義的日本、平和主義的日本ノ建設ノ基礎トナラナケレバナラナイト云フ御意見、全ク御同感デゴザイマシテ政府ト致シマシテモ教育ヲ極メテ重要視シ、其ノ民主主義的、平和主義的ノ精神ニ則ツテ、今後ノ教育ヲ律シテ行カナケレバナラナイト云フ方向ニ向イテ居ル訳デゴザイマス、此ノ為ニハ所謂教権ノ独立――教権ノ独立ト云フ意味ハ色々解釈出来マスデセウガ、併シナガラ此ノ教権ノ独立ノ必要デアルコトニ付キマシテモ、一般世間ノ有識者ハ勿論ノコト、又此当議会ニ於キマシテモ色々ノ御意見ヲ伺ヒマシテ、当局ト致シマシテ甚ダ鞭撻シテ戴イタコトニナリマシタケレドモ、其ノ方向ニ従ツテ今後ノ方針ヲ益々強力ニ推進シテ行キタイト存ジテ居ル次第デアリマス、……文部当局ト致シテ考ヘテ居リマス所ハ、何カノ形ニ於テ此ノコトハ実質的ニ法令ノ上ニ出ス必要ガアルト云フ風ニ存ジテ居リマス、本会議デモ申シマシタ如ク、文部省ニ於テハ教育ニ関スル大方針及ビ学校系統ノ主ナル制度ニ付キマシテ教育根本法トデモ云フベキモノヲ早急ニ立案致シマシテ、教育ノ根本方針ナリ学校ノ系統ヲ議会ノ協賛ニ付シテ決メルト云フコトガ、此ノ重要性ニ鑑ミマシテ妥当デアルト存ジマシテ、サウ云フ風ニ準備ヲ致シテ居リマス次第デゴザイマス」(註13)
[89] ここにいう教育根本法が、後の教育基本法であることは明瞭である。
(六) 教育刷新委員会の審議
[90] その後教育基本法の構想は、教育刷新委員会(初代委員長は安倍能成氏、後に南原繁氏)や田中耕太郎文相及び田中二郎氏(東大教授兼務のまま文部省大臣官房審議室事務取扱となる)を中心とする文部省官房審議室の手によつて具体化され、法案作成の作業が進められた。
[91] 教育刷新委員会の第1回建議事項(昭和21年12月27日建議)では、教育基本法の骨子が示されているが、「教育の方針」の項では「教育の自律性と学問の自由とを尊重し」があげられるとともに、「教育行政に関すること」の項では、「従来の官僚主義と形式主義との是正」、「教育における公正な民意の尊重」と並んで「教育の自主性の確保」があげられていた。(註14)
[92] また同年11月に教育刷新委員会第1特別委員会より第13回総会に提示された参考案では、「十 教育行政」の項で、「教育行政は、学問の自由と教育の自律性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行なわなければならない」が掲げられていた。これが教育基本法10条の原型である。
(七) 文部省の立案過程
[93] この点の詳細は、高橋清一弁護人の弁論(「学テの違法性(その一)――教育基本法10条の解釈」)に譲る。
(八) 教育基本法の提案理由等
[94] 当時の高橋誠一郎文相も、同法案の提案理由のなかで、同条の趣旨を「教育行政の任務の本質とその限異を明らかにいたしました次第」(註15)と説明し、辻田政府委員も、戦前において「教育の内容が随分ゆがめられたことのある」沿革を指摘しつつ、教育基本法10条において「教育権の独立と申しますか、教権の独立ということについて、その精神を表わしたのであります」と説明している(註16)。
[95] また同条2項の趣旨について、文部省調査局が同法等の国会審議に際して作成した「教育基本法案説明参考資料」は、教育行政は「国民の意思と教育者を尊重し、教育内容に干渉することなく、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行はれなければならないと語つている」と説明し、立案の中心者である田中二郎氏も、
「教育行政の担当者としての文部行政というのは、とにかく予算を確保して、施設を充実するという点に根本の仕事がある。教育内容はこれから独立させてゆく、教育行政として残る仕事は、結局、予算を確保して、施設を充実し、教育の積極的な振興を図るというサービス面がある」
と述べている(註17)。
(九) 他の教育立法の提案理由
[96] このような教育基本法10条の趣旨は、他の教育立法の次のような提案理由からも充分に窺いうる。
1. 教育委員会法の提案理由(森戸辰男文相)
「教育の目的は、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希望する人間の育成を期するにあることが、教育基本法で宣言されておりますが、この教育の目的を達成するために、行政が民主主義一般の原理の下に立つ在り方としては、権限の地方分権を行い、その行政は公正な民意に即するものとし、同時に制度的にも、機能的にも、教育の自主性を確保するものでなければならないのであります。」(註18)。
2. 文部省設置法提案理由(森田孝政政委員)
「文部省改組の重点が簡素能率化と、教育の民主化の方向に従う中央政機関といたしましての任務を達成するということ、その2つの点が重点になつておるのであります。」
「学校に関する教育行政につきましては、文部省がこれを行なつておりました従来の中央集権的な色彩が払拭せられて来るのでありますので、文部省の教育に関する行政の任務というものは非常に限定的になつて来るのであります。只今の提案理由の説明の中にもありましたように、指導助言と援助助成ということが文部行政の中心になりますので、その任務を具体的に書く必要があります。従いまして設置法第4条に書いてあります文部省の任務は、各省の設置法が非常に包括的な表現を用いて書いてありますのに反しまして、文部省は具体的にこれを掲げておるのであります。尚第5条の文部省の権限につきましても同様のことが申上げられるのでありますが、特に第2項を設けまして、『文部省は、その権限の行使に当つて、法律に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わない』ということがはつきり明示せられておるのであります。」
「この指導助言は飽くまで従来の中央集権的な時代と違いまして、文部省が指揮命令をするという色彩を払拭しなければならん関係上、権力的なもの、或いは権力を附随せしむる虞れのあるような行政事務は、この初等中等教育局、大学学術局並びに社会教育局には持たせないという方針であります。」(註19)
3. 教育公務員特例法の立法趣旨(田中耕太郎参院文部委員長)
「かような特別法が規定せられまする必要は、一に教育公務員の職務が一般行政事務とは違つておりまして、直接に倫理的、学問的、文化的方面に関係しておりまして、殊に人間を育成するという宗教家、学者、芸術家などに要求せられまするような、個性を帯びた創造的な活動であることに起因しておるのでございます。そもそも一般公務員に関しましては、上から下への命令系統が確立していなければならないのでありますが、教育公務員に関係しましては、採用その他の方面におきまして国家権力によるところの統制を制限いたしまして、教育界に広汎な自治を認めまして、即ちいわゆる教育権の独立を確保し、特に大学に関しましては、長年行われて参りましたところの大学自治の習慣を尊重いたしまして、以つて教育及び研究に伸び伸びした発達を可能ならしめる必要があるからでございます。」
「第三に、教育公務員の任務は、学問的・文化的性質のものでございますから、不断に研究と修養に努力する必要があるのであります。そのために所轄庁は研修に必要な施設を整え、研修奨励の方途を講じなければならないことに規定されております。尚、教育公務員は研修を受けるために教育の職務から離れております場合におきましても、現職のままでその地位に留まつて、その待遇を受けることができるようになつております。」(註20)
(註1) 「重要資料」5頁。
(註2) 右同11~13頁。
(註3) 右同14~6頁。
(註4) 右同17~9頁。
(註5) 報告団の来日、報告書作成の経緯につき鈴木英一「教育行政」152頁参照。
(註6) 「重要資料」26頁。
(註7) 右同31頁。
(註8) 右同32頁。
(註9) 右同34頁。
(註10) 右同49頁。
(註11) 右同70頁。
(註12) 鈴木英一「教育行政」329頁参照。
(註13) 「重要資料」75~6頁。同旨の質疑応答につき右同72~4頁、77頁参照。
(註14) 右同100頁、104頁。
(註15) 右同109頁。
(註16) 鈴木英一「教育行政」278頁参照。
(註17) 鈴木前掲326~7頁。
(註18) 「重要資料」138頁。
(註19) 右同128~9頁。
(註20) 右同167~9頁。
五、教権の独立の論拠
[97] 以上をみれば、教権独立の論拠は、すでに明らかであろう。
[98] ここでは、確認の意味でとくに次の2点を強調しておきたい。
[99] その第一は、それは、国民の精神的自由(思想言論、学問などの精神諸自由)を確保するために必要不可欠であるという点である。このことは、学校教育が、国民の成長過程における、その内面形成、思想形成に密接重要なかかわりをもつものである以上、当然のことであろう。戦前の経験も、そのことをわれわれに教えている。この意味で教権独立の原理は、国民の思想、言論、学問などの精神的自由を保障する憲法秩序の、当然の論理的帰結であるといつてよい。
[100] すなわち、民主国家にあつては、国家は教育への権力的介入に謙抑的でなければならず、国家の介入には自ら限界が存することが承認されなければならない。
[101] 教育刷新委員会第10特別委員会の「今後の文部省の在り方」(入江俊郎委員の執筆)は、この趣旨をよく示している。
「文部省は学芸及び教育の向上と普及とについて、必要且つ適切な諸般のサービスを国民に提供し、教育の地方分権に伴い、地方において行われる教育に対しては充分な援助を与ふると共に、あくまで基本的人権を尊重して精神活動の自由を保障することをその任務とし、いやしくも、国家権力をもつて、学芸及び教育の実体に干渉を加うるごときのないようにせねばならね」(註1)
[102] 第二は、教権の独立は、戦前の過誤(教育内容の軍国主義化、国家主義化)の再発を防止するという、いわば消極的な意味ばかりでなく、子どもの豊かな可能性の開花をめざすという新しい教育――とりわけ教育基本法が要請している如き地方の実情に即し且つ子どもの個性を伸張する教育、子どもの自主的精神を育てる教育、真理の教育――の実現は、教師たちの自発的な、創意に富む教育活動にまつのでなければ、期待できないという点である。(註2)
[103] すなわち、このような教育を実現するためには、専門職である教師を尊重し、これに教育研究と教育活動の自由を与え、教師が、自発的にたえず研究修養を行い(教育公務員特例法19条1項参照)、教育内容、教育方法の改善向上につとめることが必要不可欠である。
[104] かように教師が自発的な努力につとめるならば、教育内容・方法が画一化される筈がなく、それらは自ら多様化する筈である。もともと教育においては、こうでなければならないという唯一絶対の、あるいは不変の原則があるわけではない。多様な考え方の間の相互批判や自由な論議を通じて、教育理論は始めて発展するものである。教育は、そのようなしかたでしか、進歩しようのないものである。この意味で、多様性の存在こそは、教育(内容・方法)の進歩発展の源泉であるといつてよい。このように、戦後改革は、教育の自主性を尊重することこそが、教育の進歩につながるという確信に立つていたのである。
(註1) 鈴木英一「教育行政」575頁。
(註2) このような考え方は、たとえば昭和22年の文部省・学習指導要領一般編のなかでも、次のように述べられている。「これまでの教育では、その内容を中央できめると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。……これからの教育が、ほんとうに民主的な国民を育てあげて行こうとするならば、まずこのような点から改められなくてはなるまい。このために、直接に児童に接してその育成の任に当たる教師は、よくそれぞれの地域の社会の特性を見てとり、児童を知つて、たえず教育の内容についても、方法についても工夫をこらして、これを適切なものにして、教育の目的を達するように努めなくてはなるまい。」(「重要資料」172~3頁)
六、教育行政の任務とその意義
[105] 以上のように、教育行政は、援助、助成や条件整備を任務とすべきこととされたが、そのことは教育行政の意義を低からしめるものでは決してなかつた。
[106] 教育は、個人のみならず国家社会にとつても重要事なものであるから、国ないし教育行政が教育の普及向上のために積極的に関与すべきは当然である。しかし戦前の国家の教育に対する“熱意”と“努力”は、誤つた方向に向けられていた。戦前においては、国は教育内容の監視・統制や上からの強権的方法による学校教育の普及には異常な熱意を示したが、その反面教育の普及向上に必要な援助、助成や条件整備には甚だ不熱心であつた。教育者の地位も尊重されておらず、教育行政官僚の下風に立たされていた(註1)。こうした教育行政のあり方が、真に教育を尊重し、教育の進歩発展を図るゆえんでないことは明らかである。
[107] そこで戦後改革のなかでは、教権の独立、教育行政の教育内容への不介入の原則が強調されるとともに、それと併わせて、教育行政が条件整備や援助、激励、助言の面で積極的な役割を演ずべきことが、たえず強調されてきた。またとりわけ教育者の地位の尊重、その向上の必要が説かれてきた(この精神は、教育基本法6条2項後段に明示された)。
[108] たとえば前掲の文部省の「画一教育打破ニ関スル検討並ニ措置(案)」は、「教育ノ自主性」確保、「教育ニオケル国家的統一ノ限界」を強調すると同時に「充分ナル教育費ヲ獲得シテコレヲ教育界ニ均霑セシメ」ること、「教職員ニ人材ヲ吸収シソノ自主的ニシテ重厚ナル教育活動ヲ振励スルコト」、このためには「教職員ノ待遇ヲ飛躍的ニ増大シ教職員ノ研究時間ヲ充分ニ与ヘ」、「教職員ノ定員ヲ増大シ、教員一人当リノ担当生徒数ヲ縮減」すること、「教職員ノ相互研究、生活向上ノタメノ自主的ナル教員組織ノ発達ヲ促ス」ことを強調していた。(註2)
[109] かように、学校の施設、設備その他の教育条件を整え、教師の地位を改善し、教師の自発的研究を奨励助長し、教師に対して専門的にすぐれた助言を与えて教師がその教育活動をよりよいものに向上させることを援助・激励すること、このことこそが、教育の本質に即しつつ教育の普及向上を図るために、教育行政が果たすべき任務であると考えられたのである。すなわち教育行政の任務が右の点にあるとされたのは、単に教権独立の要請から教育行政の権限・任務が縮減された結果にすぎないというのではなく、教育行政の正しいあり方とその積極的な意義とが、改めて見なおされたという意味をもつものであつた。
(註1) 田中文相も、こうした点について「20年30年を育英事業に捧げて来た地方老教育者が自分の教へ子の年令の教育未経験な法科出身の学務課長の下風に立たされ、その頤使に甘んじ、此等の若年の官僚が教育者の人事を左右する権力を持つているところから教育者に対し尊大であり、その結果教育者が不当に自尊心を傷つけられ、場合によつては品位と自信とを失ひ、謙虚を通り越して卑屈に堕すると言つたやうな変態的現象は、長年の積弊として痛感せられているところであります」と述べている(「重要資料」80頁)。
(註2) 「重要資料」19頁。
[110]一、戦後改革に大きな役割りを果たした教育刷新委員会は、「広く政治、教育、宗教、文化、経済、産業等の各界における代表者約50名の委員をもつて構成され」ていた(註1)。その顔ぶれをみると、当時のわが国の各界の権威者を網羅した観があつた。戦後改革の諸施策は、これらの教育刷新委員会のメンバーや田中文相を始めとする各文相、文部省関係者など多くの人々の広範且つ熱意ある討議のなかから生み出されたものであつた。それは当時わが国の自由主義的知識人の共通の良識を反映したものといつてよい。(註2)

[111]二、これをより内容的、実質的にみてみると、それは、田中耕太郎氏が述べているように、「教育が本来然かあるべきものとする信念に基」(註3)き検討実施されたものであつて、教育をその本来の姿にたちかえらせようとすることの当然の結果であつた。事実、戦後改革の時期ほどに、教育の本質が熱心に論議され、それえの認識が深められたことはかつてなかつたのである。このように戦前においては顧みられることのなかつた教育の本質に目を向け、これに照らして教育行政や教育制度のあり方を考えてみたという点に、戦後改革の大きな意義があつた。アメリカ教育使節団報告書が、「日本の教育制度は……たとえ過激な国家主義、軍国主義がこの中に注入されなかつたとしても、近代の教育理論に従つて、当然改正されるべきであつたらう」(註4)と述べているのも、この趣旨であろう。

[112]三、戦後改革が打出した諸原則、とりわけその明文化としての教育基本法は、今日においても妥当性を失つてはいない。それは今日の国際的な教育良識にも合致しているのである。同法とILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」と並べてみると、教育の進歩における教員の役割りの重要性の強調、教職の専門性の尊重、教員の地位の改善そして教員に対する教育の自由(アカデミツクフリーダム)の保障等、多くの点で両者の類似性を見出すことができる。

[113]四、私は、御庁が、このような意義をもつ戦後の教育改革の基本精神と教育基本法10条の立法趣旨を充分考慮に入れられて、同条の正しい解釈が示されるよう切望して、この弁論を終える。
(註1) 文部省「教育刷新委員会(教育刷新審議会)の概要」(「重要資料」97頁)
(註2) 鈴木英一教授は、教育基本法について、「とくに、田中耕太郎文相の熱意をはじめ、南原繁氏など教刷委員をつとめた自由主義的知識人、田中二郎教授など文部省官房審議室のスタツフは、戦前の日本の教育遺産を継承しながら、戦前教育制度を批判し、その上にたつて、教育基本法を、自主的に作成したものである」と述べている(鈴木「教育基本法制の意義と問題点」ジユリスト418号16~17頁)。
(註3) 田中文相は、前掲の貴族院委員会の際のメモのなかで「文部省の方針」として「先方(連合軍側を指す。弁護人註)の指令を受けたからと云ふに非ず、又受けさうだから先手を打つと云ふのではなく、教育の本義に照して従来の教育方針に根本的再検討を加へ……教育が本来然かあるべきものとする信念に基き指令の有無を問わず研究実施致さんと努力しつつあり」と述べている(「重要資料」11頁)。
(註4) 「重要資料」29頁。
目次
(一) はじめに
(二) その政治的意義
  1 地方自治の本旨
  2 戦前の地方自治
  3 戦後の地方自治
  4 地方自治の再認識
(三) その教育的意義
  1 問題の所在
  2 大正デモクラシーにおける地方
  3 大正デモクラシーにおける教育
  4 その到達点―生活綴方運動
(四) むすび
[114] 教育行政の地方自治は、教育権の独立と並んで、戦後の教育改革の2つの大きな柱であつた。その事実と意義については、すでに答弁補充書(その二)85頁以下の第四章第四節「教育行政の地方自治原則と国の関与の限界」(以下たんに補充書とはこれをさす)で詳しく述べたが、ここでその意義について若干補足して述べてみたい。
1 地方自治の本旨
[115] 〔一部欠カ〕教育行政の地方自治の確立(註1)の一環として行なわれたものであることは、すでに述べた(補充書87頁第二)。
[116] 民主主義の基本原理が「人民の、人民による、人民のために政治」(註2)であるならば、またそれが日本国憲法前文に表明された政治の根本原則なのであるが、それは当然地方自治に基盤をおかなければならない。なぜはらば、「人民の、人民による、人民のための政治」は、まさに自治――すなわち、みずから治める――の精神の発展に他ならないからである(註3)。地方自治はデモクラシーの小学校であるというようなことばが、民主政治の生命がいかに地方自治の存在と機能の上にかかつているかを示すものとして、しばしば使われるのはこのためだろう。
[117] 地方自治という概念は、まず、地方の住民が自らの社会生活を自ら律するという住民自治(人民自治)の原理を指すものと解されるのであるが、住民自治の実現のためには、その地域の公共事務がその地方団体の独立の事務とされること、すなわち、いわゆる団体自治(地方分権)が必要とされる。憲法92条にいう地方自治の本旨もまた2つの原理の結合されたものをさすのであろう(註4)。

2 戦前の地方自治
[118] 戦前のわが国においては、憲法上地方自治の保障がなかつたのはもちろんのこと、実際の政治においても地方自治の発達はきわめて貧弱であつた。ただ大正デモクラシーの時期において、国民の間から自治の要求と機運とが盛りあがつたのは当然である。それは、明治44年に市制町村制を別々の法律にしてから、昭和4年に至るまで数次の市制、町村制、府県制の改正によつて、地方自治の若干の伸張となつて実つた。しかし間もなく、戦時体制下において、とくに昭和18年の地方制度改革によつて、地方制度は完全な官治統制、国策滲透の機構となつてしまつた(註5)。

3 戦後の地方自治
[119] 戦後の民主化は、当然新しい地方自治制度を要求することとなつた。日本国憲法は特に1章を設けて、地方自治を保障し、その原則を示した。ところがその後国内政治の保安反動化とともに、地方自治制度も再び中央集権化への途が、地方財政再建促進特別措置法による中央統制、地方自治法の改正による執行権力の拡大や市町村に対する知事の監視権などを通じて徐々に拡げられてきた。教育委員会法の廃止などもその一環である(註6)。この傾向は地方財政の急激な悪化などに伴つてますます激しくなつてきている。しかし、他方では、住民参加の要求による地方自治の意義の見直しなどが始まつている。

4 地方自治の原則の再認識
[120] 以上のように地方自治が民主政治の基礎であり、その盛衰が民主政治とともにあつたことを鑑みるとき、再び始まつた中央集権強化を民主主義に対する「逆コース」として批判し、戦後改革としての地方自治の確立の意義を高く評価し、その精神を現在に生かすことを考えなければならない。
(註1) 地方自治はたんに行政の次元の問題ではなく、それを含む政治の次元の問題である(参照、加藤一明=加藤芳太郎=渡辺保男・現代の地方自治69頁以下)。したがつて、地方自治の確立は行政改革ではなく、政治改革であり、その意義は行政的意義ではなく本節の標題の示すように政治的意義であるとするのが正確であろう。
(註2) リンカーン演説集・岩波文庫149頁。
(註3) 清宮四郎・憲法1新版78頁、小林直樹・憲法講義改訂版下766頁、俵静夫・地方自治法2頁。
(註4) 清宮前掲80頁、小林前掲766、769、772頁、俵前掲6頁。
(註5) 清宮前掲79頁、小林前掲775頁、俵前掲19頁。
(註6) 小林前掲779頁。
1 問題の所在
[121] 教育行政の地方自治は、たんに行政改革の一環として行われただけではなく、教育改革として独自に追求されたものであり、教育権の独立を前提とし、それを発展させる契機を内に含んでいると、私たちはすでに補充書(85頁、113頁)で述べたが、ここでその意義を、戦前の日本の教育実践の歴史の中で、明らかにしてみたいと思う。

2 大正デモクラシーにおける地方
[122] いまその歴史を大正デモクラシーの時期から始めようと思うのであるが、なぜならばそれは「その生み出した最良の思想的達成は、日本国憲法の基本精神に直結しており、戦後民主主義の日本社会への定着は大正デモクラシーを前提としてはじめて可能であつたといえよう。」(註1)とされるからである。
[123] 大正デモクラシーは、かつて政治ことに政党政治の発展の過程として位置づけられていたが、今日では広く思想・文化の発展として位置づけられている。大正デモクラシーは何よりも自由と民衆の発見であることはいうまでもないが、やがてその目が、民衆の生活へ、さらに生活の場である地方へと注がれるようになるのは当然である(註2)。このことは、大正デモクラシーにおいて地方への目を開いた人として柳田国男の名をあげることによつて、誰しも容易に理解することができるであろう(註3)。
[124] また、この新しい文化・思想は民衆に新たな担い手を見出すことになつた。それは中央から地方に入り、さらに新たな生命をさえ与えられていつたのであるが、その地方での担い手は地域の青年であり、ことにその中心となつたのは小学校の教員であつた(註4)。文化を広い国民による創造の所産として考えると、この大正デモクラシーの持つた地方性は、これだけでも大正デモクラシーを戦前文化の最大の遺産とすることができるであろう。

3 大正デモクラシーにおける教育
[125] 大正デモクラシーは、また、教育の領域においても新しい運動をまきおこした。いわゆる「新教育」「自由教育」の運動がそれであることはいまさらいうまでもない。その中心となつたのは若干の師範附属小学校(奈良女高師、明石女子師範、千葉師範など)と私立小学校(成蹊、成城、明星など)であつたが、その思想は、児童の個性と創造性を尊重する自由な教育であり、国家の手による画一的な教育を批判するものであつたといつていいだろう。たとえば大正6年の成城小学校創立趣意書(註5)は
「我が国の小学教育が明治維新後、半世紀間になした進歩は実に嘆賞に傾しますが、同時に又、此の50年の歳月に由つて今や因襲固定の殻が来、教育者は煩瑣な形式に囚われました。………されば今こそ此の国の固りかけた形式の殻を打砕いて教育の生き生きした精神から児童を教養すべき時であろうと思います。」
とし、その理想とて「個性尊重の教育」「自然と親しむ教育」「心情の教育」「科学的研究を基とする教育」をかかげた。
[126] 自由教育の中で、山本鼎の自由画運動ほど全国の教育界美術界に大旋風をまき起こし、しかも現場の実践の中で定着したものは、他には少ないといつていい。その新鮮な印象は私どもの同年代者のみんなに記憶があるはずである。それまで、図画といえば、小さな画用紙に色鉛筆で国定教科書の手本を臨画させられていたのが、写生や記憶や時には想像で大きな画用紙に太いクレヨンで自由にかくようになつた。山本がこの運動を起こしたのは大正8年長野県小県郡神川村においてであつた。山本によれば
「従来、教育と言えば、自由を制限したり、圧迫したりする事で、人間を良くするには、自由に足枷手枷をしなければならないように考えられてはいなかつたか?私の信ずる処では、自由を拘束したのでは人間の本質は決て良くならない、少くとも自由を知らない者に成長はない」(註6)
というのであつた。そこからさらに「地方色」との調和をつくろうとする主張がうちだされていつたが、山本の運動を支える中心となつたのは地域の教員や青年であつた(註7)。
[127] 自由教育運動のピーク(註8)総決算(註9)といわれるのは大正13年に元姫路師範学校長野口援太郎によつて池袋に創立された児童の村小学校の生活教育であつた。その「教育信条」には児童の個性と自発的活動が尊重されなければならないことを説いて、さらに
「生徒及び教師の自治によつて一切の外部干渉を不要ならしめ、進んではそれ自体の集団的干渉をも不要ならしめんことを期する」(註10)
と述べられているが、これは児童の個性と創造性を尊重する新教育が教育権の独立を要求するに至ることの必然性を示すものであろう。

4 その到達点――生活綴方運動
[128] 地方自治の伸張が軍国主義の重圧下に崩れていつたのと同じように、大正自由教育もやがて昭和に入つて間もなく、軍国主義の重圧の下に変容し、私立学校は、もともとそういう色彩があつたのだが、ブルジヨアの子弟の学校となり、師範附属は軍国主義教育の尖兵となつてしまつた。
[129] しかし、自由教育の影響を受けた現場の教師の間から新しい教育運動が起つてきた。すなわち生活綴方の運動であつて、そのはじまりは前記の児童の村小学校の教師たちによつて昭和4年に創刊された雑誌「綴方生活」であつた(註11)。
[130] 生活綴方は、戦前の貴重な遺産として戦後にも継承されさらに発展させられたのであつたが、それは「日本の教師がみずからの手でつくりあげた理論と方法の傑作」であり「外国語に反訳することができない、しかしそこに集約された真実は国際的検証に耐えるものであり、現代の教育科学の野心的研究対象たりうるもの」(註12)と評価される。しかもこれが現場の多ぜいの教師の実践の中から生み出され築きあげられていつたものであることを高く評価しなければならない。
[131] そのなかでも、これをもつとも発展させたのは、後に北日本国語教育連盟、北海道国語教育連盟に結集した東北、北海道の教師たちの北方教育運動であつた(註13)が、その初期の機関紙となつた「北方教育」は創刊号の券頭言に
「北方教育は教育地方分権の潮流によつて生まれた北方的環境に根底をおく綴方教育研究雑誌である。」「ひいては教育全円の検討をするものである」(註14)
と述べ、さらに北日本国語教育連盟の機関紙「教育・北日本」創刊号は、北日本の地域の生活に正しく姿動する教育こそ真の教育であり、それによつてのみ日本の教育に貢献できることを宣言した(註15)。
[132] これらの運動は、学校教育を地域住民の生活と文化の要求に応えるべきものであるとしたものであり、国家の教育権をふりかざしている者たちに対する重大な挑戦の意味になつていた(註16)と評されるのであるが、戦前の良心的な教師たちはその実践のなかで子供の個性と創造性を尊重する教育を求めて教育の自由を求め、やがて教育の地方分権を求めてここに至つたのであつた。
[133] 生活綴方運動は、このようにすぐれた教育実践の運動であつたにもかかわらず、いやかえつてそれだからこそ、これもまた軍国主義の重圧の下に治安維持法による弾圧も加わつて、昭和15、6年頃には運動としては潰されてしまつた(註17)。
[134] このような歴史をみてくると、学テ反対闘争が岩手、北海道の教師によつて最も強力に闘われたのは決して偶然ではないように思われる。
(註1) 松尾尊兊・大正デモクラシーはしがき6頁。
(註2) 鹿野政直「大正デモクラシーの思想と文化」岩波講座日本歴史18巻346頁。
(註3) 柳田の遠野物語序文の「願わくばこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」(角川文庫版5頁)ということばは、山地をもつて平地を撃ち、地方をもつて中央を撃つの謂であろう。鹿野前掲351頁。
(註4) 鹿野前掲358頁。
(註5)国民教育研究所・近代日本教育小史〈以下小史と引用〉150頁。
(註6) 山本鼎・自由画教育36頁(井野川潔=川合章編・日本教育運動史〈以下運動史と引用〉1 117頁による)。
(註7) 鹿野前掲361頁以下。長野県は自主的な青年団活動の盛なところであつたが、なかでも上田・小県のそれはよく知られている。その一端は鹿野前掲359頁以下、同氏・大正デモクラシーの底流95頁以下。
(註8) 梅根悟・世界教育史444頁。
(註9) 前掲運動史1 102頁。
(註10) 前掲小史152頁。
(註11) 菅忠道=海老原治善編・前掲運動史3 44頁、城丸章夫=木内宏「生活綴方運動の遺産」城丸=川合編・民主教育の運動と遺産188・192頁。
(註12) 前掲城丸=木内214頁。
(註13) 前掲運動史3 121頁に、「綴方生活」の後身として同じく児童の村小学校の教師たちを中心に昭和10年に発刊された雑誌「生活学校」を支えた実践家の名が記録されている。それは全国にわたつているが、多い府県から順にあげると、岩手54名、秋田36名、静岡32名、東京26名、北海道24名、宮城23名となつている。
(註14) 北方教育・昭和5年2月創刊号・前掲小史186頁。
(註15) 教育・北日本・昭和10年1月創刊号・前掲小史186頁。
「この北日本ほど文化的に置き去りをくつている地域は外にあるまい。又封建の鉄のごとき圧制がそのまま現在の生産様式に、そしてその意識状態に規制を生々しく存続しているところはあるまい。しかも加うるに冷酷な自然現象の環境、この暗たんとした濁流にあえぐ北日本の地域こそ我等のひとしき『生活台』であり、我等がこの『生活台』に正しく姿勢することによつてのみ教育が真に教育として輝かしい指導性を把握する所以であることを確信し、且つその故にこそ我等は我等の北日本が組織的に積極的に立ち上がる以外全日本への貢献の道なきことを深く認識したのである。」
(註16) 城丸=木内前掲199頁。生活綴方の教師たちは、みずから地方の「生活台に正しく姿勢する」ことによつて、このような要求に応えることができた。大正デモクラシーにおける地方への開眼者柳田の姿勢がついに旅行者でしかなかつたのであるが、この点においてもこの教師たちの仕事は大正デモクラシーの一つの到達点を示すものであろう。
(註17) 前掲運動史3 83頁。
[135] 地方自治の母国イギリスの伝統的な考え方を現代において代表するといわれるラスキは次のようにいつている。
「一定区域の住民は共通の目的を自覚し、隣人の必要を弁えることが肝要である。しかも、これらは彼らのみ能く知りうるところである。とすれば、自力によつて自己の必要を満すことは彼らに活気を与え、常に外部から満足が与えられまたは統制されるばあいよりも、はるかに大きな幸福をもたらすことに気づくであろう。」(註1)。
[136] だとすれば、教育の地方分権の必要を知り、これを支える者は、誰よりも住民であるはずである。その意味で、教育の地方分権と教育行政の地方自治とは、教育の本質と地方自治の本旨とにおいてからみあつているといつていいであろう。教育行政の地方自治は、たんに国の教育行政を消極的に制約するものとしてだけでなく、積極的に教育権の独立を支えるものでもある。したがつてまた当然のことだが、教育の地方行政もまた国のそれと同じく教育権の独立を侵すことはできないのはいうまでもない。
[137] このような意義をもつた戦後教育改革の2つの柱も、民主主義の後退とともに、ともすればしくずしに崩されようとしているが、なおその原則は崩されてはいないのであるから、このような時期には、すべての国民は、改革の原点に立ちかえりその精神にそうように、諸制度の運用も解釈されるように努めなければならないであろう(註2)。
(註1) ラスキ・飯坂良明訳・近代国家における自由(岩波文庫)98頁。
(註2) 右のような解釈の原則の適用の例としては、行政権と教育権の独立に関することは本件の争点の中心であるからここにあげるまでもないが、地方自治の原則に関するものとしては次のような例をあげることができる。検察官は上告趣意書49頁で、「原判決は地教行法33条等を根拠として、……文部大臣の学習指導要領設定権限も制約を受け、文部大臣は、全国的視野における大綱的基準の定立ができるのみであるとしているが」これは地教行法33条に「法令又は条例に違反しない限度において」とあるのを看過した誤まつた解釈だと非難しているが、この33条の規定は教育委員会規則は上位の法に違反できないとする当然の事理を定めた注意規定、地方自治法14条が条例について「法令に違反しない限りにおいて」とあるのと全く同趣旨の規定にすぎないのであつて、国と教育委員会との権限の配分を定めた規定ではない。この配分は地教行法23条が教育委員会に教育課程に関する事務をその権限とした趣旨にしたがつて定められるべきであつて、国の教育方法および教育内容等への関与は、まず教育の自律性との関係で大綱的なものに限られ、さらにその大綱も教育行政の地方自治を定めた地教行法との関係で全国的観点からなされるものに限られる。これが原判決のいわんとする趣旨である。まさに前記原則をふまえた正しい解釈である。検察官の論理によれば、文部大臣は、たとえば江戸時代の産業という授業でA県ではこういう事例を、B県ではこういう事例を教えよということを、指導助言としてではなく、法的に拘束しうるということにならざるをえないが、文部省でもそこまでは考えていないだろう。地方自治を完全に無視するこんな理論を検察官が本気に考えているのだとすると恐ろしい。
[138] 教育の自由の現行法制上の法的根拠および教育行政権行使の限界については、すでに多くの弁護人によつて論述されるところである。
[139] ここでは、教育の自由という制度が、欧米諸国においても、今日、確立された法制度となつており、むしろ国際常識とも呼びうる状態に至つていることを明らかにして、わが国の憲法、教育基本法制の教育の自由の保障が、むしろ当然な法解釈として国際的に通用する性質のものであることを明らかにしようと試みるものである。
[140] 教育とは、人類社会の成立以前から存在し、もつとも古い歴史を有する文化遺産である。
[141] 従つてそれは、各国の歴史的、社会的、民族的、諸背景の異るにしたがつて、学校制度、教育行政組織もそれぞれまちまちである。そのような相違が一方で指摘されながらも、高度に発達した資本主義国である民主制国家にあつては、各国に共通した教育制度が存在していることを指摘されていることも否定できない。たとえば、教育内容や教育方法については、最大限に現場教員の意見を尊重し、教育行政機関が、教育課程に関与する場合でも、教育に対する専門性、真理に対する尊厳性に基づいた指導助言を原則とし、権力的な大綱的な範囲にとどめられているということなどが、それである。教育におけるこのような実際面における現象は、偶然の一致でたまたま生じたものではない。そこには、近現代教育思想の絶え間ない発展と前進があり、教育が教師と子どもたちとの間の自由な雰囲気の中で行われる創造的な精神活動であるという本質から導き出された帰結だつたからにほかならない。
[142] 以上のように、教育の自由の存立が、教育法制上、実定法として成立したり、教育条理として確立し、国際常識にまで到達している欧米諸国の教育制度を、右の観点から、紹介し、わが国の教育法制の解釈にあたつて、その一助として活用されることを切望するものである。もとより、諸外国の教育制度中、教育の自由なり、教育課程行政に実情を紹介するといつても、到底詳細にわたつて論じることは、ここでなし得ることではないので、主として、その概要を述べ、全貌の一端を示すにとどまることを付言したい。ただ、西ドイツにおける第2次大戦後の教育の自由の理論的発展と立法化の変遷は、本件裁判の中心課題となつているわが国の教育の自由の争点に先進的に示していると思うので、1項を設けて別個に、論述したい。
一、アメリカ
[143] アメリカ合衆国は、いうまでもなく、州を構成単位とする連邦国家である。合衆国憲法は、その修正第10条で「憲法によつて合衆国に委任されず、州に対して禁止されなかつた権限は、各州または人民に留保される」と規定している。教育に関する事務は、こうして各州の権限事項とされている。
[144] 各州は、教育事務の大部分を地方に移譲し、各学区の教育委員会がその権限を行使している。
[145] 教育課程行政の権限については、教育は州の権限とされているため、各州憲法はほとんど例外なしに公立学校制度を確立し統制する権限を州議会に与え、州議会は、憲法の範囲内で、公立学校の教育課程に関する政策を決定する権限をもつているとされている。しかし実際には、州は学校の管理とか教育計画の運営を各学区教育委員会に委ねている。教育課程の作成を例にとると、州議会は、読、書、算、アメリカ史、保健、体育など教授項目を州法で定め、主として教育課程についての大枠の設定と、参考基準の提示にとどまつている。州の教育行政機関(州教育委員会又は教育長)は、これを受けて、教育課程を作成するに必要な教育上の最低基準その他を規制する機能と教育計画を助成する機能とを有している。
[146] しかし州の作成する教育課程の基準は、少数の州では強制力をもつているところもあるが、多くの場合、地方教育委員会や学校が教育課程を作成するうえの参考的な基準にとどまつている。各学区では、地方教育委員会が州法のおよび州教育委員会の公布する規則あるいは基準に照して所管地域の学校に適用する教育課程を作成するが、教育課程の専門的な面については、事実上教員に大幅な自由が与えられているのが、通例であるとされている。
[147] アメリカにおける「教育の自由」の法理的見解は、すでに1952年、アメリカ自由人権協会が公表した「アカデミツク・フリーダムとアカデミツク・レスポンシビリテイ」の中で、アカデミツク・フリーダムがすべての教育機関に保障されるべきであるとの見解が示されていた。また、1968年に刊行された権威ある「社会科学国際百科辞典」でアカデミツク・フリーダム」の項を担当したモロー(Glenn R. Morrow)が、これまでの説を改め、アカデミツク・フリーダムが最近では「より広い意味に用いられつつあり、あらゆる段階の教員が、法律、規則、世論などにより不当な制約をうけることなく自己の機能を遂行する自由」を意味すると記述している。
[148] さらに、注目すべきは、1968年11月12日の連邦最高裁によるエバーソン事件判決である。同判決は、進化論を教えることを禁止したアーカンソー州法を違憲と判断し、その理由中で、
「公立学校の教育課程を定める州の疑いない権限も修正第1条に違反する理由にもとづき、科学的理論や学説の教授を刑事罰の苦痛をもつて禁止する権限をともなうものではない。憲法上の保障をどんなに制限するものであつても、州がその欲するままの条件を公立学校教師に関することができるという議論は、あまりにも時代遅れである」
と判示した。教育に対する州の権限が、絶対なものではないことを示したこの判決は、注目に価するというべきであろう。(註1)

二、イギリス
[149] イギリスでは、1944年法によつて文部省(1964年に教育科学省と改組改称)が設置され、文部大臣が置かれた。文部大臣は、地方教育当局に対し、統制と指揮権(Control and Direction)を有する(第1条)が、それは「すべての地域で、ヴイライアテイがあり、かつ包括的な教育のサーヴイスを提供するための全面的な政策を彼(文部大臣)の統制と指揮の下で地方当局が有効に実施していくことを保証する」義務を文部大臣に課するというものであつた。
[150] このような規定の仕方から明らかなように、「統制と指揮」といつても、わが国で考えられるような中央官庁による画一的な教育統制とは全く異るものである。
[151] 教育行政の主務官庁は、県および特別市に設けられている参事会である。この参事会が、教育行政面からみた場合地方教育局と称せられている。実際に教育事務を管理、執行するのは、参事会によつて設置される教育委員会である。
[152] 現行教育法は、初等、中等学校の教育課程について、宗教教育に関する規定を除けば、これを規制する条項は全く設けていない。教育科学省(文部省)も地方教育行政機関も初等、中学校の教育内容を直接に規制する法的権限は与えられていない。教科書発行及び採択についても同様である。教育課程は、原則として各学校の責任において編成運営されている。
[153] ただ、教育行政機関も教育内容に全く関与しないのではない。教育科学省は、主として視学官による学校視察、教員のための指導書の発行、校長、教員の研修などを通じて、教育課程についての指導、助言を行い、また地方教育当局(参事会)も、県視学その他の指導担当者を通じて、学校教員に対する指導助言を行つている。このように指導助言にもとづく教育内容の関与が行われ、視学官がその意味で重要な役割を果している。視学官は、そのほとんどが、教師経験者であり文部当局の一部を構成しながら、女王の直接任令することによつて時の権力から相対的に独立した教育専門家集団を形成している。視学官の助言権の根拠は、文部大臣の指示にあるのではなく、視学官自身の教育についての専門性にあり、それ故に、視学官の助言は、実際に教師にかなりの影響をもつと云われている。
[154] 教育の自由という法理念は、イギリスではほとんど完壁に近い形で実現されているといえよう。レスタースミスは教師の教育の自由について次のように述べている。
「この国の教師たちがもつている自由のうちでカリキユラムと教授方法を決定する自由くらい重要なものはない。文部大臣も地方教育当局も、学校の一般的な教育の態度、地方の教育機構のなかでの位置について承認を与える以外、どの学校のカリキユラムについても権威をふりまわさない。知事は校長と相談して、ふつう学校の行き方、カリキユラムの一般的な方向づけについて責任をもつ、かつ実際上、カリキユラムの問題は校長が教師たちと協力して解決する」(教育入門岩波新書196頁)。(註2)
三、フランス
[155] フランスの教育行政は、小学校の物的管理など外的事項の一部だけが、地方事務で、教育課程管理と、教員人事をふくむ内容事項については、文部大臣―大学区総長―県教育長―視学官という系列で所掌され、国家事務とされている。このように制度の外形をみる限りでは、教育行政の中央集権的性格が強く、教育内容に対する国家統制も徹底しているかのような印象を受ける。しかし、一たん制度の内部に立入り、運用の実態をみるとき、教育の内的事項については、教員の意見が十分に反映する仕組がとられ、教育の自由の理論によつて専門職たる教員の立場を最大限に尊重し保障する実情になつている。
[156] 教育課程の基準制定の過程をみると、初等、中等学校の教育課程の基準については、文部省初等、中等教育行政の担当局で原案が作成され、その原案を「局審議会」で審議する。
[157] その審議を経たのち、文部大臣の諮問機関である中央教育審議会の審議が行われ、その結果に基づいて文部省が正式決定する。中央教育審議会の委員の構成は80名からなり、うち37名以上が法律上教職経験者でなければならないとされ、しかも国公立学校教員代表25名は、教職の種別ごとに全国選挙(教員組合等の出す候補者リストへの投票)によつて選び出された前記局審議会の委員の中から互選される。このようにわが国のように教職員組合関係者をしめだす審議会とは、全く相異するものである。
[158] 右のようにして制定された教育課程の基準は文部省通達(1908年)として施行されるが、大綱的なもので、実際には視学官の教師に対する指導助言によつて行われているといわれている。視学官は、教職出身の専門家が就任し、その助言指導権の権威は、法的拘束力によつてではなく、教師たちの尊敬をかちうるに足る真の教育専門家たるところにある。
[159] フランスにおいては、教育の自由についての憲法上の明文規定はないが、基本的人権の一つとして教育の自由が存在するとされている。その代表的学説としてデユギイ説がある。デユギイは大著「憲法論」(1925年)の中で教育の自由は「現実には意見の自由、信条の自由、自分を知つていること、自分の考えていることおよび自分の信じていることを他人に自由に伝達する自由に他ならない」と述べる。それに対応して、国家は「一の学校において、何らかの学説の教育を禁止することも、強制することもできない。」のであり、また国家は「学説を持つべきでなく、すべての学説を尊重し保護しなければならない」のである。そのことからしたがつて、国家は「一定の学校の教育に影響を与える方法、学説、傾向、精神を監督するため視学を組織することは決してできない」という結論に至る。このデユギイの教育の自由論は、その後の学説の重要な基盤となつたといわれている。(註3)
[160] 西ドイツは、第2次大戦後においても「学問の自由」は、大学における教授の自由を保障するもので、教育の自由を保障するものでないと学説、判例とも考えられていた。したがつて、教育の内的事項の法的性質についても、
「プロイセン、ドイツいらいの伝統をひきついで、西独基本法7条1項なお、国家による『学校監督』を定めている。そこでその下で、戦前の日本と同様に、教育内容面にかんする『内的学校事務』こそが国の事務であり、これは各州(ラント)の文部省の監督の下に、官吏である視学官たちによつて執行されていく、という学校管理法制が存続している。」(季刊教育法4兼子仁168頁)
といわれていた。
[161] しかし、1954年、マツクス、プランク教育研究所長ヘルムート・ベッカー教授によつて、初めてこの法制の実態が「管理されすぎた学校」を生み出しているとの強い批判がうち出され、この批判を契機として、西ドイツにおいて急速に教育の自由の理論が発展していつた。
[162] 同教授の批判とは、次のとおりである。
「われわれの学校は『管理されすぎた学校』である、近代の学校は………自主的な人間たちの生活関係でありながら、しだいに行政的階層の末端機関たらしめられてしまい、今日では学校は、税務署や労働基準監督署や警察署と同じような行政組織的地位に立ち、地方自治体の自治行政とも明らかに対立的な立場になつている。教師たちはそこの職員たることとなつた……教師が自分自身で決定できる範囲が少くなれば、とりわけそれは教師の信望の低下をもたらす。……教師は教育者として原理的に自由であるはずなのに、この自由は、教育目的規定、教材と授業計画、学校官庁や校長による個別的な禁止と指示によつてあまりに制限されるので、その自由は現実的というよりは容論的意義にとどまつてしまつている。」(同掲書164頁)
[163] この論文は、西ドイツの教育界に大きな反響をよびおこし、アーヘン教育大学のペツゲラー教授の「教育の進歩と管理されすぎた学校」(1960年)の著書に発展させられていつた。
[164] 1957年になると、フランクフルト国際教育大学のハンス・ヘツケル教授は、「学校法学」という著書をあらわし、「学校教員の教育の自由」を主として立法論として強力に主張した。その要旨は次のとおりであつた。
「この現状は、疑問であり不健康である。自由で独立な人間を育てるべき機関がみずから不自由であるわけにはいかない。生き生きした個性ある人間が、いつも新たな自律状態で教育をうけるべき所には、規則や命令が支配したりしてはならないとはいえ、全き大学的教授の自由に相当する学校の独立は、容易に可能なものではない。……必要な限界内で学校の独立を法的に保障していくことこそが、教育政策と教育立法の課題であろう。この方法によつて、管理されすぎた学校という退化現象を最も現実的に回避していくことができよう」。
[165] ヘッケル教授は、さらに進んで教師の自由にふれていう。
「教師は、みずから自由に授業ができるときにのみ、自由への教育ができる。それゆえ、学校法規は、学校教育の本質と意義に即した教育の自由を法的に保障してしかるべきであり、また学校行政庁は個別的教育問題の規律にあたつては極力自制すべきものである。」
[166] ヘツケル教授は、その後も、この問題に情熱をそそぎ、57年7月には、行政法関係の雑誌に「学校法および学校行政の今日的諸問題」を発表し、さらに1958年には、大学の紀要の創刊号に「学校法の観点における教育権の独立」なる論文を掲記された。
[167] 1964年10月には、西ドイツの国法学者大会のテーマに「行政と学校」が選ばれ、主報告者の一人ブラウンヴアイク工科大学のエバース教授によつて「学校教員の教育の自由」が論ぜられ、これを機に、「教員の教育の自由」は公法学者の研究テーマとして取扱われるようになつたといわれる。こうして教育の自由の理論は、1969年初め、テユービンゲン大学のオツパーマン教授の手によつて「文化行政法」の著書により行政法学書中に受容される段階にまで達した。同じく同教授は、69年に、共同執筆の「行政法各論」において、
「学校監督の規律に教育が基本的に拘束されるにかかわらず、学校教員の『教育の自由』が語られる。その語によつて、精神的交りである教育はけつして完全に規制されえないという事実が語られているかぎり、その語は処を得ている。ほぼこの意味において近年の学校関係立法もその概念を用い、条理にもとづき教育公務員の特例を指定しているのである。」
と述べている。
[168] 右にみてきたように、西ドイツにおける教育の自由の理論は、法理論として急速に発展しており今日の段階では、教育の自由が「子どもの利益に向けられた独立性」であることが意識され、次第に憲法論化の方向に発展していることは兼子仁教授が前掲で指摘するところである。しかも、1960年代に各州(ラント)における後述するような教育権独立に関する立法によつて、実定法解釈として地についた法理論を展開している。
[169] 西ドイツでは、前記ヘツケル教授の「学校法学」で述べられた理論の影響を受けて、1960年代前半に、11州のうち5州において教員の教育の自由を法律上明文化している。1950年代の職員会議の合議制の立法化を含むと8州にのぼつている。その立法を年代順に列記すると次のとおりである。
1950年代に合議制学校管理法制をもつた州、ハンブルグ、ブレーメンの都市国家的州。ヘツセン、ニーダザクセンの2州(国民学校と中学校)
1958年、ノルトライン・ウエストフアーレン州学校行政法14条3項――教員の「教育的自己責任」
1961年、ヘツセン州学校行政法――教員の「教育権の独立」および職員会議を通ずる「学校の教育的国有責任」
1964年、バーデン・ヴエルテムベルク州学校行政法――教員の「直接的教育責任」
1965年、ザールラント州学校制度法――教員の「教育権の独立」および「教育的国有責任」
1966年、バイエルン州国民学校法38条1項――教員の「直接的教育責任」
[170] 以上で明らかなように、西ドイツの教育の自由の法的保障は、教育条理に支えられた教育の自由の理論の発展によつて生み出された。ちなみに、ヘツセン州学校行政法45条2項は「教員の教育の自由は必要最少限度においてのみ制限されうる」と規定している。
[171] わが国は、西ドイツと異なり、憲法上、教育を受ける権利が保障され、戦後の教育改革によつて、教育の自由が教育基本法10条によつて規定されている。こうみてくると、わが国の教育の自由の否定の理論が、ドイツの旧い学問の自由の解釈を基礎としていることが明瞭に看取できる。時代の流に遅れること甚しいものがあるといわざるをえまい。(註4)
[172] 前二、三項によつて、欧米諸国の教師の教育の自由が、法制度的にも保障されていることをみてきた。教育行政当局のなしうる権限は、教育課程の大綱的基準の設定にとどまり、教師に対しては、指導、助言による要望にとどまるとするのが国際的常識であることを論証しようと努めた。
[173] 最後に、1966年、パリーのユネスコ本部で開催され、各国の特別政府間会議で採択されたILO・ユネスコの「教員の地位に関する勧告」に示された教師の教育の自由についての見解を指摘することによつて結びとしたい。
[174] このユネスコ勧告にもられた教師の教育の自由の理念は、いうまでもなく、欧米諸国の教育理念を諸国家間にも通用する国際常識として、勧告に採択されたものとみられるからである。
[175] 教師の教育の自由について、勧告は、「職業上の自由」として、その61項で次のようにいう。
「教職者は職業上の任務の遂行にあたつて学問上の自由(アカデミツク、フリーダム)を享受すべきである。教員は、生徒に最も適した教材および方法を判断するため格別に資格をあたえられたものであるから、承認された課程の大綱の範囲で教育当局の援助のもとで、教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて主要な役割を与えられるべきである」
[176] このように、勧告は、教師の教育の自由の保障と、その専門性をうたうと同時に、その63項で、教師に対する行政当局のなしうる監督の範囲を、指導・助言にとどめるように定めている。
「一切の視学、あるいは監督制度は、教員がその職業上の任務を果すのを励まし、援助するようなものでなければならず、教員の固有な自由、創造性、責任感を損うようなものであつてはならない」と。
註1、本項に関する参考文献
  1. 文部省調査局「地方を中心として見た各国の教育行政」昭和31年3月刊
  2. 文部省大臣官房「主要国における学校制度と教育課程」昭和41年9月刑
  3. 平原春好「アメリカにおける教師の教育の自由」季刊教育法14号137頁
  4. 浪本勝年「教育政策と教育の自由」成文堂60頁以下
註2、本項に関する参考文献
  1. 奥田真丈編著「主要国の学制と教育課程」第一法規(昭和44年)
  2. 前掲文部省刊行物
  3. 大田堯「教師と自由とその条件」『教育』1974年5月号
註3、本項の参考文献
  1. 兼子仁「教育法学と教育裁判」4頁以下
  2. 前掲奥田真文編書
  3. 中村睦男「フランスにおける教育の自由法理の形成(一)」北大法学論集第23巻第2号
  4. 野田良之「フランスにおける教育の自由」雑誌『教育』昭和46年12月号
註4、
  1. 本項の論述は、主として兼子仁「西ドイツにおける教師の教育権の独立」季刊教育法4号162頁による。
  2. 林量倣「各国にみる教師の経営参加、西ドイツその1」学校経営1975年8月号73頁以下
目次
一、学力テストの法的しくみ
二、教育基本法10条の解釈
 (一) はじめに
 (二) 教育基本法の法的性格
 (三) 教育基本法10条の解釈
   1. はじめに
   2. 教育と教育行政との分離
   3. 不当な支配
   4. 直接的責任
   5. 教師の教育権の保障
   6. 教育条件の整備、確立
 (四) 判例、学説の動向
三、学力テストは教育基本法10条に違反する
[177] 学力テストの実体とその本質については、すでに南山弁護人が明らかにし、また、とくに学力テストの弊害については、雪入弁護人が明らかにしたところである。
[178] ところで、以下、学力テストの違法性を明らかにするに先立つて、学力テストの法的しくみにふれておくことにする(註1)。
[179] 学力テストは、
(1) 文部省が、全国の中学校の第2学年および第3学年の全生徒に対し、5教科について、全国一せいにテストをおこなうとの趣旨のもとに(実施要綱(1))、
(2) 文部省が、学習指導要領に準拠して、テスト問題を作成し(実施要綱(5)、学力調査問答集13)
(3) 文部省が、調査の趣旨・調査の対象、教科、実施期日・時間割(全国一せい、同一問題、同一期日、同一時間)、実施の系統・組織・結果の処理、調査の日程等実施期日に至るまで決定し、(実施要綱の作成)、
(4) 都道府県教委、市町村教委等を介して、全国の中学校の授業計画を変更せしめ、
(5) 中学校の校長・教員をして、学力テストを実施せしめ、
(6) テスト結果につき、これを採点し、換算点を生徒指導要領に記入させる(実施要綱(1)、学力調査問答集18、19、20)
というものである。
[180] なお、文部省は、実施要綱のほかに、学力調査説明書として、都道府県用、市町村用、学校用、採点員用、テスト立会人、テスト補助員用の詳細な細目を決定、配布している(註2)。
[181] このように、学力テストは、文部省が、計画し、決定し、実施したものである。
[182] このことは文部省自身も認めている。文部省の昭和36年度「全国中学校学力調査報告書」も、つぎのように述べている。
「この報告書は、文部省が昭和36年10月に実施した全国中学校一せい学力調査の結果をまとめたものである。」
「文部省では、義務教育の最終段階である中学校について、このたびからすべての学校の参加をする全国一せい学力調査を実施することとした。」(註3)
[183] 文部省は、前掲の問答集のなかでも、
「文部省は、このような事態にかんがみ、公の経費をもつて、すべての中学校に参加を求める一せい学力調査を実施することにした」(1)、
「国が学力調査を統一的に実施するのはなぜか」(4)、
と述べている。また「学制百年史」でも
「文部省では、36年から4年間、国・公・私立のすべての中学校の第2学年、第3学年を対象とするしつ皆調査をすることになつた」(註4)
と述べているのである。
[184] この学力テストは、すでに明らかにしたように、教育課程行政との一体性、教科教育活動の実質、成績評価との同質性を有している。
[185] ところで、このような学力テストの法的根拠について、文部省は、手続的には、地教行法54条2項に基き、都道府県教委に報告の提出を求め、都道府県教委は、報告の作成をする事務は地教行法23条17号でその事務となるが、さらに市町村教委に54条2項で報告の提出を求め、市町村教委は報告の作成は23条17号でその事務となり、校長・教員に調査の実施を命ずるものと説明している。そして、この場合、54条2項に基く提出要求に対しては、提出すべき法律上の義務を負うというのである。(実施要綱(7)、学力テスト問答集32乃至41)。
[186] これに対し、検察官は、当法廷における弁論で、法的根拠に関連して、2点にわたり、文部省の説明をも変更するに至つている。
[187] 第一に、54条2項につき、「本項は、文部大臣又は都道府県教委に対し、都道府県教委又は市町村教委がその意思に反しても特定の調査を行うよう要求する権限までも認めたものと解し得ないことはいうまでもない」(その二、15頁)としている。
[188] 第二、都道府県教委が、文部大臣から調査の提出を求められた上、さらに市町村教委に調査の報告の提出を求める法的根拠として、地教行法54条2項のみをあげ、同法23条17号をおとしている点である。
[189] 第一の点については、文部省自身、学力調査問答集のなかで、
「文部省がこの調査を実施する法的根拠は、地教行法54条2項である。同条文の『調査、統計その他の資料または報告の提出を求めることができる』ということは、提出を求める権限のあることを意味している。したがつて提出を求められた都道府県教育委員会は、提出する義務を負うことになる」(32)
と述べ、さらに同法「54条2項の規定により、報告の提出を求められた場合、都教育委員会は、これを提出すべき法律上の義務を負うものかどうか」という設問を自ら設けた上、「報告の提出を求められた都道府県教育委員会は、報告を提出すべき法律上の義務を負うものである」(34項)と述べている点と明らかに反し、これを変更するものである。
[190] 検察官が、このような重要な変更まであえてするに至つたのは何故だろうか。思うに、都道府県教育委員会及び市町村教育委員会の「主体的自主的な実施の決定」を強調したいがためであろう。しかし、この点が実体に反することは、いうまでもない。
[191] 第二の点についても、文部省の学力調査問答集は、「都道府県教育委員会は、いかなる法的根拠に基づいて、この調査を市町村教育委員会に対して求めるか」との設問に対し、
「都道府県教育委員会が文部大臣から調査の報告の提出を求められた場合、報告を作成する事務は、都道府県教育委員会の事務である(地教行法第23条第17号)(33)。
と述べているのは明らかに反し、これを変更するものである。
[192] これは一体なぜか。
[193] 検察官の主張するように、主体的自主的判断を強調するのであれば、都道府県教委にあつても、本件学力テストの実施とこれに基く報告の提出要求を、自らの施策に役立つものとして、主体的自主的に決定しなければならないことになるのは当然であろう。しかし、市町村立学校は、各市町村の設置にかかるもので、都道府県教委の直接の所管に属するものではない。都道府県教委段階では、文部省の学テ実施要求をむしろ、市町村教育に移ちようしたにすぎない実質を有するのである。それは、文部省の要求の強制力を示すものでこそあれ、都道府県教委の自主性・主体性を示すものではない。むしろ都道府県教委における自主的主体的な調査の報告要求の決定の存在しないことを、はからずも示したものではないだろうか。
[194] つぎに、検察官は、
「市町村教委は、……本件学力調査の目的・趣旨を十分に理解し、その結果を活用する積極的意欲をもつて主体的・自主的判断により、その実施を決定したものである」(18頁)、
「本件学力調査は、……市町村教委が主体的・自主的判断に基き、自ら主体となつて実施したものである。これに反して、文部省は都道府県教委に対し、都道府県教委は市町村教委に対し、それぞれ報告の提出を求めたにすぎない」
と主張し、さらに文部省は、全国学力調査の「企画立案」をしたにすぎないと主張する。
[195] このような検察官の主張は、原審の事実認定を非難するものであるのみならず(この点は答弁書で指摘しておいたところである)(註5)、実体にも反するものであることは、答弁書及び相弁護人の弁論で詳細明らかにしたところである。
[196] したがつて、以上の点につき、原判決及び一審判決が、つぎのように判示していることは、まことに適確なものということができる。
「本件学力調査は各市町村教育委員会(以下教育委員会を「教委」という。また、都道府県教委と市町村教委を含めた意味で『地方教委』という。)が地教行法23条17号により教育に係る調査を行なうという名目で行なわれているから、形式的には各市町村教委がその主体であるといい得るであろう。しかし、実質的にも市町村教委がその主体であると解することは、前項でみたように、本件学力調査は、その対象者、調査教科、実施期日および時間割、問題作成の手続、調査実施機関の系統および各機関の役割、調査結果の整理集計および利用等の一切を文部省に定め、各地方教委においてはこの点についての裁量の余地がなく、文部省の企画指導どおり本件学力調査を実施し、その結果を報告すべきものとされている実態にそぐわない見方といわざるを得ない。」(原判決)。
「本件学力調査は、判示のとおり、文部大臣が地教行法第54条第2項により各都道府県教育委員会(以下、教育委員会を『教委』という。)に調査結果の報告を求め、これを受けた各都道府県教委がさらに同条同項により各市町村教委に調査結果の報告を求めて、各市町村教委が同法第23条第17号により教育に係る調査を行なうという形式をとつて実施された。しかしながら、前示の文部省より各都道府県教委宛『昭和36年度全国中学校一せい学力調査実施について』と題する書面によれば、その実際は、文部省において、調査期日、時間割、調査教科、問題の作成、実施手続、結果利用の方針等の一切を詳細に決定し、都道府県教委ならびに市町村教委においては、ほとんど裁量の余地をもたず、右文部省の企画に従い、調査を実施したうえ、その結果を報告すべきものとされていることが明らかである。しかも、これが各都道府県教委ならびに市町村教委を義務づけるとするのが文部省の見解であり、文部省は、各教委に対してその旨の行政指導を行なつている。そうだとすれば、本件学力調査は、形式的には各市町村教委がこれを実施した体裁をとつているものの、その実質においては、文部省が主体となつてこれを実施したとなんら異なるところがない。」(一審判決)
[197] ところで、地教行法54条2項は、資料・報告の提出要求権を定めたものであつて、前述のような文部省の計画・決定したとおりの学力テストの実施まで根拠づけるものではない。学力テストについての文部省の計画・決定・実施を裏付けるものとしては、教育課程や教科活動についての実体的権限・根拠規定が必要となつてくる。荒木文部大臣は、国会答弁で、学校教育法38条をもちだしてきているのもこのためと思われる。(註6)したがつて、学力テストの法的しくみとしては、実体的には学校教育法38条によつて、文部大臣は学力テストを計画決定実施しうるかが問題となるのである。
[198] このことをさらにつきつめてゆくと、そもそも、学力テストを計画・決定・実施することは、学力テストが、前述のように、教育課程行政との一体性、教科教育活動の実質、成績評価との同質権を有することからみて、教育行政の権限を逸脱するか否かという点で、教育基本法10条との吟味が必要となつてくるのである。
[199] これらの関係を、公立中学校(市町村立中学校)の場合について図示すると別図〔省略〕のとおりである。
[200] 一・二審判決が、教育基本法10条・学校教育法38条の解釈を明らかにした上で、学テの違法性を指摘し、また手続的にも地教行法54条2項にも反するとの論旨を展開したのもこのためである。
[201] 以下、教育基本法10条の解釈、学校教育法38条の解釈、地教行法54条2項の解釈を明らかにし、学テの違法性を指摘する。
(註1) 以下については、「昭和36年度全国中学一せい学力調査実施要網」、「全国中学一せい学力調査問答集」(文部時報1008号)による。なお、日教組の学力テスト実施に関する質問に対する文部省の回答文書(教育委員会月報143号、141号)等も参照されたい。
(註2) 文部省「昭和36年度全国中学校学力調査報告書」388頁以下。
(註3) 同右・1頁。
(註4) 文部省「学制百年史」876頁。なお、「学制90年史」については、南山弁護人がふれたところである。
(註5) 答弁書83頁以下。
(註6) 第39回衆議院文教委員会議録第4号9頁、昭和36年10月12日。
(一) はじめに
[202] すでに答弁書(註1)、答弁補充書(註2)、及び相弁護人の弁論によつて教育の本質からして教育権の独立すなわち教育の自主性、自律性が保障せらるべきゆえんを教育条理に即して明らかにし、またこの点について戦後教育改革にみられた立法者意思がそのまま教育基本法に反映していること、さらに諸外国の立法等にみられる国際的動向もこのことを裏づけていることを明らかにしてきた。以下、これらのことをすべて前提にし、援用した上で、教育基本法の法的性格と教育基本法10条の解釈を明らかにする。

(二) 教育基本法の法的性格
[203] 教育基本法が憲法の具体化規範、すなわち憲法の附属的性格を有する、教育についての「根本原理法」たる性格を有することは明らかである。
[204] このことは法律自体が「教育基本法」と銘うつているのみならず、憲法と同様に前文をおき、その前文で「日本国憲法の精神に則り、この法律を制定する」と規定している点に、如実にあらわれている。さらに、立法過程においてもすでに明らかにしたように、田中耕太郎文部大臣は、教育の自主性・自立性などを保障するために憲法でこれを規定すべきだとの議員の質問に対し、憲法自体に規定することは憲法全体の振合いから不適当であり、教育根本法ともいうべきものを立案して議会に提出すべく研究中である旨答弁している(註3)。
[205] また同じく田中耕太郎文部大臣は、教育刷新委員会第3回総会で示した教育基本法の構想のなかで
「やはり憲法改正草案の精神の教育上における発展という意味を持つているのであります。それから全体の基本法の性格といたしましては、教育に関係あるあらゆる問題を網らする建前ではありません。やはり教育法という建前かして、憲法に触れて来るような規定があれば、その当然の結果として規定されなければならぬような事柄を拾つて規定するという風にいたしたいのであります」
と言述べている(註4)。また高橋誠一郎文部大臣も、教育基本法案の提案理由において
「新憲法に定められておりまする教育に関係ある諸条文の精神を、一層敷衍具体化いたしまして、教育上の諸原則を明示いたす必要を認めたのでございます」(註5)
と言つている。さらに田中二郎参事も「憲法の附属法的な意味からいう条文の整理を考えたわけです」(註6)と明言している。
[206] 教育基本法制定直后に出された、高橋誠一郎文部大臣の「教育基本法制定の要旨」(文部省訓令第4号、昭和22年5月3日付)も、
「この法律は、日本国憲法と関連して教育上の基本原則を明示し、」
「かくて、この法律によつて、新しい日本の教育の基本は確立せられた。今後のわが国の教育は、この精神に則つて行われるべきものであり、又、教育法令もすべてこれに基いて制定せられなければならない。この法律の精神に基いて、学校教育法は、画期的な新学制を定め、すでに実施の運びとなつた。」(註7)
とのべている。
[207] また教育基本法11条は、「この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない」と定めているのである。
[208] 昭和22年の教育法令研究会の「教育基本法の解説」は、この点について、つぎのように述べている。
「教育憲法というのは、教育法令中その根本的、基礎的法律ということである。本法には他の法律には異例ともいうべき前文を附し、憲法中教育に関する諸条項の意味を敷えんとし、具体化するとともに、更に他の教育法令に対する架橋的な一般的・原理的規定を設けているのは、この教育憲法的な性格を示すものということができる。」(註8)
[209] 以上述べたところから明らかなように、教育基本法は、判例のいうように
「現行憲法中の教育関係諸条文の精神を敷衍具体化して、教育の目的、理念及び方針を明示し、教育制度の基準を明らかにし、これに関する法令の準則を定めるため制定されたものであるから」(註9)、
「一般教育関係諸法のいわば総則規定ともいうべき性格を有する」(註10)
のであつて、
「一般教育関係諸法の解釈運用に当つては、教育基本法の精神に合致する方向でなされなければならない。」(註11)。
(註1) 答弁書第二章第二節、101頁以下。
(註2) 答弁補充書(その二)第二章、37頁以下、答弁補充書(その三)第二章第五、第六節5頁以下。
(註3) 鈴木英一「教育行政」204・5頁。 (註4) 教育刷新委員会第3回総会議事録(「資料集一」92頁)。
(註5) 文部大臣高橋誠一郎「教育基本案提案理由」(同右109頁)。
(註6) 「教育刷新委員会第1特別委員会議録」第8回(昭和21年11月1日)。
(註7) 「教育基本法制定の要旨」(「資料集一」114・5頁)。
(註8) 40・41頁(同右243・244頁)。
(註9) 大阪地裁昭和47・5・22判決、判例時報691号92頁。
 同判決は、右引用部分に続いて、次のように判示している。
「法律の形式を備えているに過ぎないとはいえ、他の教育関係法規の解釈に指針を与える意味において、同法規よりも優位にたつものと解するのが相当である。」
(註10) 東京高裁昭和49年5月8日判決。
(註11) 同右。
(三) 教育基本法10条の解釈
1. はじめに
[210] 教育基本法10条は、その1、2項を通じ、教育権の独立すなわち教育の自主性、自律性が保障せられるべきことを明らかにし、教育と教育行政とを分離し、教育は不当な支配に服することなく、国民全体に直接責任を負つて行なわれるべきものであり、教育行政は教育に不当な支配を及ぼしてはならず、その責務は教育条件の整備確立にあること、すなわちここに教育行政の任務とその限界が存することを明らかにしたものである。
[211] 田中耕太郎博士は、昭和23年に発行された「新憲法と文化」のなかで、つぎのように述べている。
「教育権の独立の原則は、それが不当な政治的及び行政的干渉の圏外におかれるべきことを意味する。従来の我国における教育は或は政治的に或は行政的に不当な干渉の下に呻吟し、教育者はその結果卑屈になり、教育全体が萎微し歪曲せられ、その結果軍国主義及び極端な国家主義の跳粱を招来するにいたつたのである。」(註1)
「官公吏たる教員と雖も、……上級下級に編入せらるべきものではない。……かような趣旨からして教育基本法第10条は、教育行政の根本的方針を規定している。教育は一方不当な行政的権力的支配に服せしめらるべきではなく(同条1項前段)それは教育者自身が不覊独立の精神を以て自主的に遂行せらるべきものである。」(註2)。
2. 教育と教育行政との分離
[212] 教育基本法10条は、「教育行政」という見出しをつけながら、1項は、「教育は……」、2項では、「教育行政とは……」と、それぞれ、異なる主体をかきわけて規定し、教育と教育行政とを分離している。
[213] このことは、戦前の教育にあつては、天皇大権のもと、教育と教育行政とが一体となつていたことに対する反省に発し、前述のように、教育権の独立、教育の自主性・自律性を保障し、教育行政の任務と限界を明らかにする本条の規定の上では、当然のことであるといつてよい。
3. 不当な支配
[214] 10条1項は、前述のように、「教育は不当な支配に服することなく」と規定している(註3)。ここで教育に禁止されている不当な支配とは、前述のような教育条理、立法者趣旨、国際的動向に照して、教育活動の自主性、自律性を侵害するような教育に対する支配、介入を指すものである。このような不当な支配の主体としては政党、官僚、財閥、組合等があげられるが、とりわけ国家権力、公権力による教育行政がこの中に含まれることはいうまでもない。教育行政による教育に対する支配こそが、戦前の教育を誤まらせた根幹であることを思う時、このことは当然の帰結ということができよう。のみならず10条自体が「教育行政」という表題を掲げていることも、このことを首肯せしめるものである。さらに文部省の「教育基本法案」(昭和22年・1・15)では、「教育は、不当な政治的又は官僚的支配に服することなく」と決定されていた(註4)ことも、このことを裏付けるものである。
[215] 田中耕太郎博士は、
「教育は、政治的干渉より守られなければならぬとともに、官僚的支配に対しても保護せられなければならない。」
「教育は、一方不当な行政的権力的支配に服せしめられるべきではない」(註5)
と述べておられる。文部省自身も、このことを認めていた。例えば、文部省の著作にかかる「民主主義」――これは、高等学校の社会科の教科書に使用されたものであるが――のなかでは、つぎのように述べている。
「これまでの日本の教育は、一口にいえば『上から教えこむ』教育であり『詰めこみ教育』であつた。そのうえにもつと悪いことには、これまでの日本の教育には、政府のさしずによつて動かされるところが多かつた。しかも政府は、このような教育を通じて、特に誤まつた歴史教育を通じて生徒に日本は神国であると思いこませようとし、(中略)日本の教育は『上からの権威』によつて思うとおり左右されるようになり、たまたま強く学問の自由を守ろうとした学者はつぎつぎに大学の教壇から追われてしまつた。
 このように政治によつてゆがめられた教育を通じて、太平洋戦争を頂点とする日本の悲劇が着々と用意されていつたのである。」
「がんらい、そのときどきの政策が教育を支配することは、大きなまちがいのもとである。政府は、教育の発達をできるだけ援助すべきではあるが、教育の方針を政策によつて動かすようなことはしてはならない。」
「ことに、政府が教育機関を通じて、国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとするのは、最もよくないことである。」(註6)。
[216] 検察官は、これに対して、法制的な根拠をもつ行政的支配は、不当な支配にあたらないということを議会制民主主義を援用して主張している。しかし、議会制民主主義すなわち政治的多数決主義は、利害の相対立する場で具体的な政策を選択してゆかなければならない政治の場、あるいは教育の外的条件たる財政・学校制度の面では、妥当するルートであるけれども、およそ教育内容をはじめとして、思想、文化、精神という側面においては、多数決原理はなじむものではないのである。これらの点は、すでに答弁補充書など(註7)で詳細指摘したところである(註8)。
4. 直接的責任
[217] 10条1項はさらに後段で、「教育は国民全体に対し直接に責任を負つて行なわれるべきものである。」と規定している。この趣旨は、「不当な支配に服することなく」ということと裏腹の関係にあるものであり、教育における民主主義の原理をうたつたものである。そしてそこにおける「教育は責任を負う」というのは、行政的な間接的な責任という意味ではなくして、国民全体に対する直接的な責任という意味なのである。これは言い換えれば、国民の教育を受ける権利を基本に据え、国民の教育の自由を前提にした上での、教師が直接父母、国民との結びつきの中で教育を展開していくことを想定しているのである。田中耕太郎博士は、
「教育者は、官庁組織を通じて国民に間接に責任を負うのではなく、民間人たる宗教者、学者、芸術家、医師、弁護士のごとく、個人的良心的に行動するものであり、従つてこれ等の者のごとく、国民全体に対し直接に責任を負うのである」
と説かれている(註9)。このような教師の直接的教育責任が、西ドイツのラントの法において法定されていることも注目される(註10)。
5. 教師の教育権の保障
[218] こうして10条1項は、教育活動に対する教育行政その他の不当な支配を禁止し、教師の直接的教育責任を規定しているところから、その帰結としてこれらと裏腹のことになるけれども、教師の教育権を教育行政から独立のものとして保障していることが明らかとなる。このことは、前述のように、ILO・ユネスコの教員の地位に関する勧告に示されるような国際的水準とも合致するのみならず、西ドイツにおけるラントにおいて、最近学校教員の教育権の独立を法定する傾向などとも合致するものである(註11)。このような教師の教育権の保障内容としては、教師の教育活動については教育立法や職務命令等による支配介入を受けないという保障を有するものである。教育委員会や校長も、教育活動について指揮命令することは許されないのである。
6. 教育条件の整備・確立
[219] 教育基本法10条2項は「教育行政はこの自覚のもとに教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備、確立を目標として行なわれなければならない」と定めている。この趣旨は、教育行政は条件整備にこそその責務が存するのであつて、教育行政の任務はまさに教育の内容面に支配、干渉することではなく、教育の外的条件を整えることにあるというものである。もちろんこの外的条件に対しても、父母、国民や教師の参加は保障されるべきものである(このような教育行政すらもが一般行政から分離され、教育に理解のある運営がなされるように配慮されていることも考慮されるべきであろう)。
[220] 教育条件とは、学校教育を例にとれば、子供の就学条件(義務教育の無償、教育費の公費負担化、学校の配置、学校の施設設備の充実など)、及び教職員の勤務条件(給与の充実、勤務条件の明確化、教員の定数の増加、教職員の身分保障など)を含んでいる。このような外的事項としての教育条件の整備拡充こそが、教育行政のもつとも力を入れるべきものなのである。そして、このことの重要性は、答弁書、答弁補充書(註12)、尾山弁護人の弁論で明らかにしたところである。
[221] 教育の内容、方法についてはまさに教育の自由に委ねられるべき領域である。しかし、これについても公教育制度のもとでは、教育行政としては、大綱的基準の設定(註13)のほかには、指導・助言権の行使(地教行法19条3項、社会教育法9条の3、1項、文部省設置法1項18号)、教師の自主的な研修の機会の提供等による法的拘束力を伴わない形での関与をなしうるし、またそのような関与が教育内容に対する教育行政のかかわり方としては望まれるものなのである。(註14)
[222] こうして、教育の諸事項は、教育の内容面である「内的事項」と、教育が行なわれてゆくのに必要な外的条件をなす「外的事項」とに区別され、前者については、原則として法的拘束力ある命令監督が許されず、後者については、行政側の決定権があるが、その権限も「条件整備」の態度で、教育の自主性を尊重するとともに、教育の側からの要請に応えるように行使されなければならない(註15)。
[223] このような内的事項、外的事項の区分論は、教育法学において通説的地位をしめているということができる(註16)。
[224] 検察官はこれに対して、いわゆる教育の外的事項と内的事項の区別は判然としないとして、「たとえば外的事項である理科の実験設備は、内的事項たる教える内容が明確になつてはじめて決定されるし、いわゆる外的事項である教員の定数も、いわゆる内的事項たる教育内容、教育方法などを度外視しては考えられない。」(その二)と主張している。しかし、内的事項については、およそ教育行政は権力的に介入してはならないものとして判然とした領域が区別しうるのである。これに対して実験設備なり教員定数については教育とかかわりはあるけれども、それについては教育行政が定めうる分野なのである。このことは裁判に例をとつてみても、裁判内容には司法行政は関与でないけれども、その裁判内容とかかわりがある裁判官の定数や、裁判所の設置、建設などについては司法行政権が決定しうるのと同様である。検察官の論理をもつてすれば、裁判における司法行政と裁判内容との分離、独立ということも、その論処を失なつてしまうことになる。したがつて検察官の主張の誤まりであることは明らかである。
(註1) 田中耕太郎「新憲法と文化」(「資料集一」236頁)。
(註2) 同右104頁(同右239頁)。
(註3) 10条1項にいう「教育」とは、教育のみならず、教育行政もふくむとの説もある(例えば、有倉遼吉「教育基本法第10条の理念」法律時報昭和50年11月号17頁)が、ここでは、直接、結論との関連を有しないので、この点にはふれない。
(註4) 鈴木英一「教育行政」254頁。
(註5) 田中耕太郎「新憲法と文化」104頁(「資料集一」339頁)。
(註6) 文部省「民主主義」284乃至290頁。
(註7) 答弁補充書(その二)第二章第二節第三(65頁以下)、兼子仁「国民の教育権」150頁以下、有倉遼吉「教育基本法第10条の理念」法律時報昭和50年11月24頁など。
(註8) なお、検察官は、「このことは、教育基本法制定に至る過程での本条項をめぐる論議の経過に照らしても明らかである」(その二、38頁)と述べている。
 しかし、検察官は、「論議」を具体的に指摘していないので、それが何を意味するのか不明であるが、制定課程の論議では、答弁書、答弁補充書(その三、20頁以下)尾山弁護人の弁論などで明らかにしたように、「不当な支配」のなかに、教育行政が、もつとも強く意識されており、このこととの関連で、教育行政改革(文部省の改革、教育委員会制度の採用など)が論じられていたのである。
 もつとも、教育法令研究会「教育基本法の解説」のなかには、「それらの勢力のもつ理想なり政策なりが法制上認められた以上は、実際においてそれらの理想なり政策なりが教育に反映することがあつてもさしつかえないのである」(同書130頁。資料集255頁)との一節があり、現在、文部当局者によつてしばしば引用されている。
 しかし、この部分の意味も、同書を全体として読めば明瞭なように、法制的根拠をもつ行政的支配は、無限定にすべて合法というものではまつたくないのである。
「『教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。』上に述べたように、教育と政治は、ともに国民のものであり、国民の代表者がこれを行い、国民がその福利をうけるのであり、この点において教育と政治とは同じ立場に立つものである。それは、教育と政治とが同一の世界観の上に立ち、同一の目標をめざすものであるからである。即ち、民主主義の政治も民主主義の教育も、個人の尊厳を重んじ、国家及び社会の維持発展は、かかる個人の自発的協力と責任によつて可能であるという世界観の上に立ち、政治はそれをいわば外形的現実的に、教育はそれをいわば内面的理想的に可能にするものである。しかし、政治と教育との間には一つの重大な相異点が認められなければならない。即ち、政治は現実生活ことに経済生活をいかにするかを問題とするのであるが、教育は現在より一歩先の未来に関係する。教育はあくまでも準備するのである。社会の未来に備えることが教育の現在なのである。この政治と教育との本質的な相異からして、政治が現実的な力と大なる程度において妥協しなければならないのに対して、教育は政治よりも一層理想主義的であり、現実との妥協を排斥するという結果が生ずるのである。民主主義に則る政治は、政党の発生を必然的に伴い、政党間の競争と妥協によつて運営されるのであるが、教育はたとえ民主主義下においても、そのような現実的な力によつて左右されないことが必要なのである。そこで政治と教育とが同じく国民全体に対して責任を負う関係にありながら、その関係に両者差異が認められなければならないのである。この趣旨を表わすために『不当な支配に服することなく………直接に……』といつたのである。教育に侵入してならない現実的な力として、政党のほかに、官僚、財閥、組合等の、国民全体でない、一部の勢力が考えられる。教育はこれらの現実的な勢力の侵入に対してしつかりした態度をとり、自主的に行わなければならないのである。もちろんここでは現実的常派的な力としてこれらの勢力が教育に介入してくるのを排斥するのであつて、――その限りにおいて不当である。――それら勢力のもつ理想なり政策なりが法制上認められた以上は、実際においてそれらの理想なり政策なりが教育に反映することがあつてもさしつかえないのである。――その限りにおいて正当となる。――直接にというのは、国民の意思と教育とが直結してということである。国民の意思と教育との間にいかなる意思も介入してはならないのである。この国民の意思が教育と直結するためには、現実的な一般政治上の意思とは別に国民の教育に対する意思が表明され、それが教育の上に反映するような組織が立てられる必要があると思う。このような組織として現在米国において行われる教育委員会(Board of Education)制度は、わが国においてもこれを採用する価値があると思われるのである。」
 そこでは、政治と教育との基本的な差異を前提にし、教育は、政党などの「現実的な力によつて左右されないことが必要」であることを強調しているのである。ただ、政党・官僚・財閥・組合等も教育に対して、発言権を有することは当然であつて、その結果、これらの勢力の教育理念が、教育に反映する――現実的な力として介入干渉するのではなくして――、(丁度、教育基本法1条が、教育理念や教育目的を明らかにしているように)ことを指摘しているのにすぎないのである。このことは、前述の立法者意思や、同書全体を卒直によめば明瞭なところである。
(註9) 田中耕太郎「新憲法と文化」108、109頁(「資料集一」239頁)。
(註10) 答弁補充書(その三)第六節第二参照。
(註11) 同右参照。
(註12) 答弁補充書(その三)第二章第二、29頁以下。
(註13) この点は、具体的には、文部大臣の教科に関する権限との関連で問題となり、教科基準という教育課程に関する大綱的基準の範囲いかんという問題が生ずる。これについては、教科の種類・名称・目標・標準授業時数・卒業必要総単位数などの学校制度法定主義に伴なう学校制度的基準事項に限定される。なお、くわしくは、吉川弁護人が弁論するところである。
(註14) 指導助言を裏付けるものは、まさに「優秀なるものへの尊敬」(respect for excellence)の原理にほかならない。
 そして、わが国に、この指導助言制がスタートしたころの研究者によれば、つぎのように述べられている。
「指導主事の示唆とか助言というものは、その道の専門家であるかぎり、必ずや教育の改善進歩に対して価値あるものであるに違いない。しかし同時にまた、この示唆や助言は、価値あることを前提として教師の尊敬を要求するものであつて、単に指導主事という地位にある人だからとか、……いうことによつて、無条件に受容されることを要求すべきでない。」そして「命令監督の必要がないからこそ、指導主事は思いきり自由な示唆援助ができるのである。また、命令監督権がないからこそ、教師がこわがらず親しく接近して、指導主事にみずからの苦もんをうちあけ、みずからの弱点をさらけ出し、助言援助を求めうるのである。」
「私は、指導主事の本質的機能が発揮されるか否かは、わが教育界の民主化を測定する有力な一つのバロメーターであると信じ、その成功を祈つてやまないものである。」(武田一郎『指導主事の職能』昭和27年、30-3頁)
(註15) 兼子仁「教育の内的事項と外的事項の区別」(有倉遼吉教授還暦記念「教育法学の課題」281頁)。
(註16) 有倉遼吉「憲法理念と教育基本法制」30、130頁。宗像誠也「教育行政(第10条)」『教育基本法』(新版)30-6頁。高野桂一『学校経営近代化の方法』88-9頁。堀尾輝久『現代教育の思想と構造』335頁。鈴木英一「教育基本法体制と教育行政」季刊教育法2号202-3頁。平原春好「教育法制の原理」季刊教育法9号53-6頁。兼子仁『国民の教育権』148-51、174頁など。
(四) 判例、学説の動向
[225] すでに答弁書(註1)答弁補充書(註2)で教育権の独立に関する判例、学説の動向を詳細に明らかにしておいたところである。判例の趨勢としてはなんらかの形で教育権の独立を認めているものが圧倒的であるということがいえる。そしてこのことは学力テストを違法とした判例においてはもちろんのこと、学力テストを適法とした判決についても当てはまることなのである。判例の中で教育権の独立の保障の範囲について広狭があるけれども、それは前述のようにこの解釈の基礎に据えられるべき教育条理(教育の本質についての把握)、戦前の教育に対する反省の中から、戦後教育改革の中で形成された教育基本法の立法趣旨、国際的動向を適格に理解しているか否かにかかわつているということができよう。われわれがすでに答弁書、答弁補充書及びこの弁論要旨で明らかにしたような諸点を前提にするならば、これらの判例の趨勢は、さらに教育権の独立についての原判決に示されるような正当な解釈につらなるものということができよう。
[226] 次に、学説については当初教育基本法の解釈として説かれていたけれども、その後教育法学、憲法学の発展に伴い、憲法自体の解釈として、教師の教育の自由、教師の教育権の独立が説かれるに至つている。そしてそこでは教師の教育の自由の性格として、市民的自由説、専門的・職能的自由説、教育権限の独立説がみられ、また根拠法規としても憲法23条、憲法26条、憲法的自由説などがあるが、ここで大事なことは、そのような根拠づけの違いではなくして、そうしたニュアンスの相違を越えて、それらの学説が教師の教育の自由を教育の本質が要請する不可欠の基本権であり、憲法上の保障があるものと認識している点で一致しているという点にこそ着眼すべきものなのである。そしてこれらはまさにILO・ユネスコ勧告や西ドイツのラントの立法や、西ドイツにおける最近の学説とも相通じていることも重要な点である(註3)。
[227] しかしわれわれは、本件北海道学力テスト事件についていえば、一、二審を通じて学力テストが教育基本法違反であるとの主張をなし、検察官もこれを争い一審判決も原判決も当事者の攻撃防禦を通じて、このような学力テストが教育基本法10条に違反するものであることを明らかにし、検察官の上告もまさにこの点を主張しており、したがつて当審においては、このような学力テストの教育基本法違反の有無が、まさに争点であるので、単に学説の発展が教育権の独立につき、憲法上の保障として説かれるに至つているものであるということを紹介するにとどめ、これ以上の論述はしない(なお、岩手事件については、検察官の上告は地公法61条4号、37条についての原判決の解釈の誤まりについてなされておるのであり、原判決の学力テストの解釈については上告理由とはなされていないので触れるまでもない。)。
(註1) 答弁書第一章第一節41頁以下。
(註2) 答弁補充書(その四)第二章8頁以下。
(註3) なお、検察官は、憲法23条との関連で、最高裁判所のポポロ事件を全面的に援用しているが、この判決が、下級学校の教育の自由について先例拘束性をもちえないことについては、高柳信一「『教授の自由』と『教育の自由』」法律時報昭和47年6月号臨時増刊「憲法と教育」187頁以下に詳細に述べられている。
[228] 結論として、すでに明らかにしたように、文部省による学力テストの計画・決定・実施要求は、教育行政としての文部省が教育活動に支配介入する実質を有するものであり、前述のような教育基本法10条に違反することは明らかである。
[229] 原判決は次のように判示している。
 教育基本法の「規定の趣旨は、広く指摘されているように、かつて我が国においてみられた教育の国家統制に対する反省の上に立ち、教育が政治等による不当な支配を受けることなく、国民全体のものとして自主的に行なわれるべきものとするとともに、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果をあげ得ることにかんがみ、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明したものと解すべきである。もとより所論の指摘するように、教育は近代国家にとつて最も重大な関心事であり、教育の振興は国や地方公共団体に課せられた重大な使命であつて、このことからすれば、ここにいう教育条件の整備確立が教育施設の設置管理、教育財政および教職員の人事等の教育の外的条件の整備に限られ、教育行政機関の教育内容および教育方法等への関与が一切排せられていると解するのは相当でない。しかし、前述した同条の沿革、趣旨等からすれば、右の教育内容および教育方法への関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。このことは関係教育行政法によつて、教育行政機関が全体として教育に対する監督統制的な性格なものでなく、広く指導、助言、援助を与える性格のものとされていることからも窺えるところである(地教行法48条、文部省設置法4条、5条等参照)。さらに、国については、教育委員会制度の採用によつて教育の地方自治が徹底され、地方教委に当該地方における教育に関する権限が帰せられた結果(地教行法23条、33条、43条等)、その権限は、右地方教委の権限の範囲内の事項については、さらに制約を受けると解せざるを得ない。すなわち、国の前述した教育方法および教育内容等への関与は右の地方教委の権限と牴触しない、専ら全国的観点からなされる大綱的なものに限られるといわなければならない。
 そして、もし教育行政機関にして、右の限界を超え教育内容等に介入することがあるならば、それは教育基本法10条1項の『不当な支配』になるといわざるを得ない。この意味において、国、地方公共団体等の教育に関する権限を有する機関もまた同条1項の『不当な支配』の主体たり得るのである。もとより、右の『不当な支配』の主体は、国、地方公共団体に限られるものではない。その他、政党、労働組合、財閥、宗教団体その他個人にいたるまで、政治、経済、宗教等社会のあらゆる勢力がその主体たり得るといわなければならない。この点、所論の指摘するように、原判決が国家の行政作用のみが不当な支配となり得るかのように述べているのは少くとも表現として適切を欠く。しかし、前述した同条の沿革からみて主として問題になり得るのが、原判決のいう国家の行政作用(特に権力的な作用)であることは否定できないであろうし、また本件においてもまさしくそれが問題になつているのであるから、原判決のこの点に関する説示を目して違法とすることはできない。
 以上述べたところからすれば、前述した性質、内容および影響を有する本件学力調査の実施が許容されないことは多く言わずして明らかなところであろう。すなわち、本件学力調査は実質的にみて教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして違法と断ぜざるを得ない。」
[230] また、一審判決は、つぎのように判示している。
「教育基本法10条は、『教育行政』と題して、『教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するのに必要な諸条件の整備確立を目的として行なわれなければならない。』と規定しているが、同法の制定経過ことに同法が戦前、戦中における文部、地方内務官僚や軍部等による強力なる中央集権的、画一的、形式的教育統制に対する反省を基礎としていること等の事情に照らして考えると、同条は、教育内容について国家の行政作用(とくに強権的な作用)の介入を抑え、教育活動の独立を確保し、教員の自由な、創意に富む、自主的な活動を尊重するという理念を基礎としつつ、教育行政の任務を教育条件の整備確立においていることが明白である。
 この理念は、教育関係諸法に具体的な形で規定されているが、教育行政の組織についても、いわゆる教育委員会制度がとられ、地方自治が徹底されたことが重要な意味をもつ。このようなことの結果、文部省の主要な権限が、教育委員会等に対し、指導、助言および勧告を与えることにおかれ法律に別段の定めがある場合を除いては、強制的な作用を行ない得ないとされたことに注意しなければならない(昭和31年に教育委員会法が廃止され、これにかわつて地教行法が制定される等、一連の重大なる変遷が認められるが、前記教育内容についての国家権力介入の排除、教育行政における地方自治等の基本理念に変化があつたとは認められない。)。」
「このように考えると、文部省が本件学力調査を通じ教育活動の内容に影響をおよぼすということは、それ自体不当であり、仮りにその調査問題が学習指導要領に準拠して作成されていることを考慮しても、なおこれを正当なものとみることはできない。
 したがつて、本件学力調査は、……実質的にも現行教育行政法の基本理念に反するものとして、違法といわざるを得ない。」
[231] これらの判示が正当であることは、以上に述べたところによつて明らかである。したがつて、検察官の上告は、まつたく理由がない。
目次
第一 はじめに
第二 学校教育法38条の解釈にあたつて考慮されるべき諸点
第三 学校教育法38条の立法趣旨
 一、立法の背景
 二、教育課程に関する法制の全体像
 三、学校教育法38条の立法趣旨
 四、その後の法令の変遷とその評価
第四 学校教育法38条等の解釈
 一、学校教育法38条の解釈
 二、地教行法23条等の解釈
第五 学習指導要領の弊害
 一、はじめに
 二、学習指導要領の法規性への疑問
 三、教科書検定の問題
 四、詰めこみ教育の問題
 五、教育の自律性と組織化
第六 学力テストの違法性――結論
 付別表
[232] 検察官は、弁論要旨の中で、学校教育法38条、同法附則106条に基づく文部大臣の教科基準設定権の範囲は、原判決のいうような大綱的な基準の設定にとどまるものではなく、したがつて、学校教育法施行規則54条の2に基づいて公示された学習指導要領は全体として法的拘束力を有すると主張している。
[233] ここでは学校教育法38条の解釈を明らかにすることによつて、文部大臣による学力テストの計画決定、実施が同条に違反し違法であることを指摘し、あわせて、検察官が教育委員会および校長による学力テスト実施の根拠規定にあげている地教行法23条等の解釈についてもふれることとしたい。
[234] 学校教育法38条は、「中学校の教科に関する事項は、第35条及び第36条の規定に従い、監督庁が、これを定める。」と規定し、附則106条は38条にいう「監督庁」は、当分の間、これを文部大臣とすると規定している。この両規定によつて、文部大臣は教科すなわち教育課程に関する事項を定める権限を「当分の間」与えられていることになる。
[235] 学校教育法38条にいう教育課程に関する事項を定める権限を、教育課程基準設定権と解することについてはほぼ異論のないところであるが、問題はその範囲である。
[236] 教育課程すなわち教育計画をどのように編成し実施するかは、学校教育の中心的任務である。したがつて、教育課程に関する文部大臣の権限を定めた学校教育法38条は、同法全体の中でもとりわけ重要な位置を占める規定であり、その解釈の如何によつては、教育現場にきわめて大きな影響をもたらすことはいうまでもない。そのような規定を解釈するにあたつては、次の点に留意する必要がある。
[237] まず、第一に、学校教育法38条を含むわが国の教育課程法則は、戦後教育改革の中でその理念を具体化すべく形成されたものであり、そこでの立法趣旨は、今日学校教育法38条の解釈に際して十分に参酌されなければならない。
[238] 第二に、いうまでもなく学校教育法は教育基本法を頂点とする教育法制のなかに組みこまれているのであり、学校教育法38条解釈にあたつては、一般教育関係法の総則規定ともいうべき教育基本法ないしそこに盛られた教育諸原則に合致する方向で、それと整合的に解釈されなければならない。
[239] 第三に、附則106条の読みかえ規定で明らかなように、文部大臣に権限を与えたのは経過的な措置であつて、本来的には、教育行政の地方自治原則から、教育委員会に移行されるべき権限と考えられていたのである。この事実からすれば、学校教育法38条の解釈にあたつては、教育行政の地方自治原則に十分の考慮を払わなければならない。
[240] 最後に、同条の解釈にあたつては、その解釈が教育条理に適い、今日の教育をめぐる状況の中でなお通用性を有するかどうかも検証されなければなるまい。
[241] 以上のような観点から、学校教育法38条の解釈につき、考えてみたい。
一、立法の背景
[242] 戦後教育改革は、戦前教育に対する反省の上にたつて進められたが、教育課程法制についてもそれは同様であつた。
[243] 戦前の教育課程法制は、中央集権的な性格が非常に強いものであつた。
[244] 小学校を例にとつてみると、まず勅令である小学校令が教科目を法定し、その委任を受けて文部省令たる小学校令施行規則が教科課程の基準となる「教則」を定めていた。
[245] 教則の内容は、小学校教育の目的、各教科目の共通目標、留意点をはじめとして、各教科目に関する具体的な教育目標や教授上の留意点、毎週教授時数などであつた。
[246] さらに、小学校令施行規則は、学校長に各教科目の教授細目を定めることを義務づけ、同時に教室におけるその実施を監督する権限を与えていた。
[247] 校長は教授細目の実施の劾果を確めるため、教員に事前に日案、週案、学期案などの教案を提出させて教授内容を点検し、事後に教授週録を提出させて教授成果を確認していたのである。
[248] このように教育課程を決定するしくみは、文部大臣―校長―教員という筋道で系統化され、国定教科書制度と権力的な指揮監督を行なう視学制度と相まつて、上から下まで法的拘束力で規制することによつて、決められた教育内容をひたすら忠実に生徒に伝達することを教員に強いる仕組みが作られていたのである。(註1)
[249] 戦前教育に対する第1次米国教育使節団報告書(昭和21年6月)の次のような指摘は、今日でもなお傾聴に値しよう。
「よしんば極端な国家主義と軍国主義とが日本の教育制度のなかに注入されていなかつたとしても、この教育制度はその組織と教科内容の規定とにおいて、近代の教育理論にしたがつて当然改革されるべきであつたろう。この制度は極端に中央集権化された19世紀の型にもとづいたものであつた。」
「その制度は、規定、教科書、試験、視察などによつて、教師が教師としての自由を行使する機会を少くした。能率の尺度となつたのは、どの程度まで標準化と画一化が確保されるかということであつた。日本の教育を理解するには、規程や定まつた学科目や文部省か地方官庁が出版した教科書や教師用書を調査しさえすれば、おおかた充分であろう。」
「民主国家における教育の成功は画一化と標準化ということではきめられないのである。」(註2)
二、教育課程に関する法制の全体像
[250] ここでは教育改革当時(註3)の教育課程法制全体が、教育課程編成のあり方についてどのように構想していたかをみることによつて、学校教育法38条の立法趣旨を明らかにしたい。
[251] 戦後、教育課程法制の改革にあたつて、その基調をなしていたのは、教育の自律性の尊重と教育行政の地方分権化の徹底の2点であつた。つまり、教員を教育課程の編成主体にすえるとともに、その編成にあたつては、教育行政による関与は指導助言を原則として権力的介入を極力排除し、しかも教育行政機関としては交部省よりも教育委員会が中心的な役割を担うことが期待されていたのである。
[252] ここでは、その点を、教育課程の編成にあたつて教員なり教育行政機関がどのように関与することを法は予定していたのか、をみることによつて明らかにしたい。
[253] まず、文部省についてみるとどうか。
[254] 文部省自身の性格は、戦前の中央集権的な監督行政機関からサーヴイス行政を中心的任務とする指導行政機関へ一変した。
[255] このことは、文部省設置法の提案理由の中で、「文部省の機構改革の根本方針は、従来の中央集権的監督行政の色彩を一新して、教育、学術、文化のあらゆる面について指導助言を与え、またこれを助長育成する機関たらしめる点にある」と述べられていることからも明らかである(答弁補充書その四、25頁参照)。
[256] 戦前の中央集権的な監督行政が最も典型的にあわられていたのは教育課程法制にほかならなかつた。したがつて、文部省の基本的性格の転換に伴い、当然に教育課程法制も抜本的な改革が加えられたのである。
[257] まず、学校教育法38条は、「中学校の教科に関する事項は、第35条及び第36条の規定に従い、監督庁がこれを定める」と規定した(これは今日迄変つていない)。第35条とは中学校の教育目的を記した規定であり、第36条とは同じく教育目標を記した規定である。そしてここでいう監督庁は、やがて設置されるべき都道府県教育委員会を指すものと考えられていたのである。
[258] したがつて、学校教育法が定めた教育目的、教育目標に従つて、都道府県教育委員会が教育課程の基準を各都道府県毎に設定する、文部省はその間にあつて一切権力的な形での介在をせず、指導助言ないし援助助成に専念する、というのが、立法当初の考えであつた。
[259] すなわち、これは当時文部省初中局財務課長でたつた天城勲が指摘しているように、「教育内容の画一化をさけて、いかなる教科を教えるかを都道府県監督庁に一任しようとする意図」に基づくものであつたのである(答弁補充書その四、23頁参照)。まさに、徹底した地方分権化の思想の上に立つていたのである。
[260] この構想が文部省設置法制定の段階で修正を施された。
[261] その内容は、次のようなものであつた。
[262] すなわち、文部省の任務を定めた文部省設置法4条に、「民主教育の体系を確立するための最低基準に関する法令案……を作成すること」(2号)との定めがおかれ、また、文部省の権限を定めた第5条1項に「小学校、中学校、高等学校……に関し、教育課程……についての最低基準に関する法令案を作成すること」(25号)との定めがおかれたのである。
[263] では当時、この「最低基準に関する法令案」の中味はどのようなものが予定されていたのであろうか。
[264] その点については、昭和25年当時、文部省の手によつて作成された「学校の教育課程及び編制の基準に関する法律案」(結果的には、国会に提出されないままで終つているが)が一つの手がかりを与えてくれる(答弁補充書その四、38頁以下参照)。
[265] それによると、教育課程に関する定めは、教育課程の構成要素(教育学習、特別教育活動など)、教科の種類、名称、年間授業時数、学年の始期及び終期という、わずか4条ないし5条の規定のみであつた。
[266] したがつて、これらの定めと学校教育法35条及び36条にいう教育の目標、目的に関する定めが、いわば中央段階における教育課程に関する定め、別のいい方をすれば、全国共通の基準に関する定めであり、それに従つて各都道府県教育委員会が独自の学習指導要領を作成する、というのがこの段階での構想であつたのである。
[267] 次に都道府県教育委員会がどうかというと、右に述べたような中央段階の定めに従つて、現場教員の参加を得ながら地方の特性と実情に応じた学習指導要領を作成することになつていた。
[268] ここで注意すべきは、学習指導要領の性格である。
[269] この点は、いわば経過的な措置として文部省が刊行した学習指導要領自身が明確に位置づけている。すなわち、
「学習指導要領は、どこまでも教師に対してよい示唆を与えようとするものであつて、決してこれによつて教育を画一的なものにしようとするものではない。教師は、学習指導要領を手びきとしながら、地域社会のいろいろな事情、その地域の児童や生徒の生活、あるいは学校の設備の状況などに照して、それらに応じてどうしたら最も適切な教育を進めていくことができるかについて、創意を生かし、くふうを重ねることがたいせつである。」(昭和26年版学習指導要領、一般論、答弁補充書その四、53頁参照)。
[270] そして、当時の学習指導要領自体が「試案」と銘うたれていたことは、周知の通りである。
[271] つまり、文部省の学習指導要領は、試案ないし手引き書として指導助言文書たる性格を与えられていたのである。
[272] これは、教育行政全体が指導助言行政を原則とすることの当然の帰結といつてよい。
[273] したがつて、教育委員会による学習指導要領も同様に指導助言文書として考えられていたものである。
[274] では、教員は、教育課程編成にあたつてどのような役割を担うのか、
[275] この点は、すでに述べたところから明らかである。すなわち、教員は校長や同僚の協力を得ながら、中央段階での定めに従いつつ、教育委員会の作成した学習指導要領を手びきないし参考としてその学校独自の教育課程を編成することになる。
[276] たとえば、高等学校の場合であるが、文部省学校教育局の著作である「新制高等学校教科課程の解説」(教育問題調査所発行、昭和24年4月30日発行)は、次のように述べている(51頁)。
「各新制高等学校は、法規に規定された枠の中で、勧められた基準に基づき、その学校に独自の教科課程を編成しなければならない。」そして教育課程については、「名学校の教師と校長が自校の教科課程を編成する」と。
[277] 教員が教育課程を編成するにあたつて忘れてはならないのは、指導主事制度である。
[278] 指導主事は、教育委員会法46条に「指導主事は、教員に助言と指導を与える。但し、命令及び監督をしてはならない」と定められているように、学校での教育課程編成にあたつて、高度の専門性に基づく指導助言が期待されていたのである。
三、学校教育法38条の立法趣旨
[279] 以上に述べたところが、教育改革当時の教育課程編成のあり方についての基本構想であるが、実際には、先に述べた学校教育法附則106条に基づき、「当分の間」の措置ということで、文部大臣が教育課程の基準設定として前述した教科の種類、各称、教育課程構成要素などをもりこんだ学校教育法施行規則を制定し、試案たる学習指導要領を刊行したことは、周知の通りである。
[280] したがつて、法律化されるか省令にとどまるかの違いはあるにしても、学校教育法38条の立法趣旨としては、教育の自律性尊重の観点から、中央段階での画一的定めは、教科の種類、名称、年間授業時数、教育課程の構成要素、それに各学校段階の教育目標、教育目的などの最小限度の定めにとどめられ、それも教育行政の地方分権化の観点から、やがては都道府県教育委員会の権限に移されることが予定されていたのである。
四、その後の法令の変遷とその評価
[281] 前述した各法令は、その後、様々な改訂を経ている。とりわけ、教育委員会法は廃止され、これに代つて地方教育行政の組織及び運営に関する法律が世論の強い批判を浴びつつ登場している。
[282] このような法令の変遷はあつたが、教育課程法制という面からみた場合、中心となる学校教育法の規定自体には変化はなく、全体的にも基本的な枠組みは変つていないといつてよい。(註4)たたとえば文部省と教育委員会の関係にしても、文部省―都道府県教委―市町村教委間が上下関係になく、指導助言援助が原則とされている点は、当初と変つていない。(註5)
[283] したがつて、前述した基本的構想及び学校教育法38条の立法趣旨は現行の法制度のうちに生かされるべきものであるといえよう。
一、学校教育法38条の解釈
[284] 同条の解釈問題の中心は、文部大臣は、教育課程に関してどれほどの権限をもちうるか、という点である。
[285] すでに述べたように、教育基本法をはじめとする教育法制は、教員の教育権の独立ないし教育の自律性を重要な原則としている。
[286] したがつて、教育課程の編成にあつても、その主体として考えられるのは、当然に教員ないし教員集団ということになる。
[287] ただこのようにいうことは、国家なり教育委員会の関与を一切排除して、すべてを教員の手に委ねるということではもちろんない。
[288] 教育の機会均等あるいは適切な教育内容を確保し、教育水準の向上をはかる、一言でいえば公教育内容の公的組織化をはかるという要請は十分に考慮されなければならないし、その点では教育行政の力にまつ所も少なくないといわなくてはならない。
[289] 問題は、教育内容の組織化をどのような手段方法を通して実現するかという点である。
[290] 教育の自律性を教育法制の根底にすえたのは、それが教育の本質上要請されるものであり、それなくしては本来の意味での教育が成立ちえないことを戦前教育の教訓から学んだからにほかならない。
[291] したがつて、教育の自律性をあくまで原則としながら、それを損わない形での教育内容の組織化のルートを見出す――いいかえれば、教育の自律性の原則と教育内容の組織化の要請、この両者の適切なバランスをはかり調整点を見出す、というのがここでの課題である。
[292] その際考えなければならないのは、次の点である。
[293] すなわち、教育内容の組織化の手段方法には多様なものがあり、どの手段方法が組織化という目的達成にとつて最も合理的であり、しかも、教育の自律性を制限する度合が最も少ないか、という観点から選択がなされなければならないという点である。
[294] そのような観点からすれば、指導助言こそ原則とされるべきであり、法的な拘束力をもつとする強制的な組織化は、最少限度にとどめられなければならないと結論づけることが可能であある。
[295] 指導助言の場合には、いうまでもなく法的強制力を伴わない。したがつて、それに従うか否かは教員ないし教員集団の専門的判断に委ねられることになる。しかし、その指導助言が、高度の専門性に裏打ちされたものであれば、教員は心からの納得と尊敬をもつてこれに従うことになり、組織化の目的は十分に達成されることになろう。ただし、あくまで指導助言の内容は、専門職たる教員を納得させるに足るすぐれた内容を備えていなければならない。
[296] その意味でこの場合には、教育行政は、法的拘束力に専ら安住して、自らの専門性を高めることなく教員を納得させる努力をも怠る。といつた安易な態度が通用しないことはいうまでもない。
[297] これにひきかえ、法的拘束力をもつてする、教育内容の組織化は、ヨリ直接的で効果的のようにみえながら、実は教育的にはきわめて非合理な手段といわなければならない。
[298] たしかに、法的拘束力をもつてする場合、受けいれる側が納得するか否かは全く論外であり、法規あるいは命令に不服従ないし逸脱という事態があれば、法令違反あるいは義務違反として懲戒処分も考えられよう。その意味では、一見すると、組織化を達成する最も効果的かつ直接的な手段ということになる。
[299] だが、その結果失われるものはきわめて大きい。
[300] とりわけ、法的拘束力をもつてする規則のし方が大幅にとりいれられた場合、教育全般が、時の為政者ないし教育行政権者の意向のおもむくままに内容上の統制がはかられ画一化されていくことは、いわば必然である。また、誤まつた教育内容による規制が行なわれても、それからの逸脱を許さない結果、専門職たる教員による検討及び取捨選択というスクリーンを経ないまま子どもたちに伝達されてしまい、ついに誤まりを是正する機会を持ちえないということになる。
[301] それと同時に見落してならないのは、画一化の強制によつて何よりも教員の意欲を減退させる結果をひき起こすことである。
[302] すでに述べたように、教育はすぐれて創造的な営みであり、子どもたちの発達段階とそのおかれた生活環境に即して適切な教材と教育内容を選択することによつて、教育課程を自ら編成し実施することが可能であつてはじめて、水準の向上への意欲や自らの専門性を高める意欲もわいてこよう。
[303] 上から与えられたものをいかに上手に伝達するかというだけのものであれば、いわばテイーチングマシンと異なるところはなく、教員は無気力におちいるほかはない。
[304] 教員自らに自由のないところに、どうして生き生きした教育が期待できようか。
[305] ここでは、ILO・ユネスコの「教師の地位に関する勧告」の次のような条項を想起する必要があろう。
「教職者は職業上の任務の遂行にあたつて学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するため格別に資格を与えられたものであるから、承認された課程の大綱の範囲で教育当局の援助のもとで教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて主要な役割を与えられるべきである。」(61項)
「一切の視学、あるいは監督制度は、教員がその職業上の任務を果すのを励まし、援助するようなものでなければならず、教員の固有な自由、創造性、責任感を損うようなものであつてはならない。」(63項)
[306] このように法的拘束力をもつてする組織化の方法は、とくに教育内容にふみこめばふみこむほど教育的にみて非合理であると断ぜざるを得ない。
[307] したがつて、以上のことからすれば、教育内容の組織化の手だてとしては、教育の自律性を損うことなくその目的を達成しうる点で指導助言が中心であるというべく、法的拘束力をもつてする組織化は例外的措置として位置づけられなければならない。
[308] そして実はこのことは、文部省設置法や地教行法などの現行教育行政法が採用している原則そのものでもある。
[309] すなわち、文部省については、文部省設置法5条1項18号、19号、8条13号等、教育委員会については、地教行法19条3項等の規定に、指導助言原則の採用が示されているのである。
[310] それでは、どのような場合に、法的拘束力を伴なう教育内容の組織化が認められるのであろうか。
[311] その点は、右に述べたところからすれば、教育内容の組織化を考えるにあたつて、例外なく画一的実施を要する事項など指導助言権の行使ではまかなえない事項に限られるということになろう。
[312] ただここでもう一つ考えておかなければならない点がある。
[313] それは、教育行政の地方自治の原則との関係である。
[314] 学校教育法自体が、監督庁は当分の間文部大臣とするという表現のし方で、教育課程基準設定権は本来的には都道府県教育委員会に属することを表明しているのである。
[315] そして教育委員会の場合には、教育現場にヨリ密着しており、その地域の教員の参加や合意を得ながら、地域の実情や特性をふまえた基準の設定が可能であると考えられ、その意味では、設定しうる基準の範囲は中央官庁のそれに比しヨリゆるやかなものが考えられよう。
[316] したがつて、そのことから逆に、中央官庁たる文部大臣の基準設定権は、地方の教育委員会のそれを侵すものであつてはならない、という制限がつけ加えられるのである。
[317] そのことを考慮するならば、文部大臣による法的規制が許される事項は、全国共通に画一化を要する事項など指導助言ではまかなえない事項とさらに限定されることになろう。
[318] これを学校教育法38条に即して考えるならば、そして前述した同条の立法趣旨をもふるえるならば、同条にいう教育課程基準設定権の範囲は、指導助言文書の作成のほかは、教科・特別活動などの教育課程構成要素、教科の種類・名称、標準授業時数、それに学校教育法にすでに定められている中学校の目的、教育目標(35条、36条)などの大綱的な基準事項に限定されるということになる。(註6)
[319] いいかえれば、教員ないし教員集団の教育課程編成権はその限度で制約を受けることになるのである。
[320] 以上のような学校教育法38条の解釈にたてば、すでに答弁書で検討したように、教育内容や教育方法に詳細に立入つている学習指導要領は、法的拘束力をもちえず、全体として指導助言文書としてのみ意味をもつものといわなければならない。(註7)

二、地教行23条等の解釈
[321] 検察官の指摘している地教行法23条等の解釈についても、右に述べたところと密接に関連するので、ここであわせて述べることとする。
[322] 地教行法の各条項の解釈にあたつて基本におかなければならないのは、やはり教育の自律性の原理である。
[323] 教育行政機関としては、教育の自律性の原理を尊重しつつ、教育内容への関与は指導助言を原則とすべきであるという点では、その主体が文部省であろうと教育委員会であろうと異なるところはない。
[324] そのような観点からすれば、地教行法23条1号「学校の管理」、同条5号「教育課程に関すること」に基づく教育委員会の教育課程に関する権限とは、手引書の作成など指導助言権を中心し、法的拘束力をもつた基準設定権は、前述したように、中央官庁たる文部大臣のそれとは異なるところがあるにしても、あくまで大綱的事項にとどまるを要するのである。
[325] したがつて、教育委員会がその限界を越えて教育内容ないし、教育活動に強権的に介入することは許されないといわなければならない。
[326] そして、同法33条1項にいう教育課程についての教育委員会規則で定めうるのは、右の限度にとどまるのである。
[327] また、同法23条17号にいう「教育に係る調査」も、教育内容にかかわる調査は含まないというべきである。
[328] さらに、同法43条1項にいう「服務の監督」、同条2項にいう「職務上の命令」あるいは、学校教育法28条3項で定める校長の権限も、教育内容にかかわる事項には及ばないと解されるのである。ただし、教育内容に関する指導助言権の行使はもちろん許されており、それこそが教育委員会あるいは校長に期待されているところのものであることはいうまでもない。
一、はじめに
[329] 検察官は、学校教育法38条に基づき文部大臣が法的拘束力をもつて定めうる「教科に関する事項」は大綱的な基準事項に限定されず、したがつて学習指導要領は全体として法規命令たる性格をもつと主張している。
[330] この主張は、昭和33年に学校教育法施行規則25条が改められて以来打出されてきた文部省側の見解と同様である。
[331] ここでは、そのようは主張のもとに法的拘束力ありとされた学習指導要領あるいはそれを中心とする教育課程行政が、実は今日の教育の荒廃現象の根本原因をなしていることを明らかにし、そのことによつて教育内容の画一的強制の方法による公教育の組織化が誤まりであることを指摘したい。そのことを通じて先に述べたような学校教育法38条解釈こそが教育状況において真に通用しうるものであることが自ら明らかにされよう。

二、学習指導要領の法規性への疑問
[332] 答弁書において、学習指導要領の内容上の問題点を詳細に検討した(212頁以下)。
[333] ここでは、公定解釈によつて付与された法規性への疑問を最初に述べてみたい。たとえば、中学校学習指導要領(昭和44年改訂、同47年施行)の国語科の第1学年「内容」の項に、次のような記載がある。
「次の事項について指導する。
ア、話を終わりまで聞いて、必要な内容を確実に聞き取ること。
イ、ことばづかいと語句の意味に注意しながら、聞いたり話したりすること。
(以下略)」
[334] この記載が法規として拘束力をもつとは一体どういうことなのだろうか。まことに奇妙な法規というほかはない。なぜ、この記載が教員の教育活動上の指針であつてはいけないのであろうか。
[335] また、音楽を例にとつてみよう。
[336] 昭和33年版中学校学習指導要領(全体としては昭和37年から施行)では、第1学年の歌唱教材には、「わかれ」(ドイツ民謡)「喜びの歌」(ベートーベン作曲)「朝だ元気で」(飯田信夫作曲)を「含めるものとする」と定められている。
[337] それが昭和44年版中学校学習指導要領になると、「こきりこ節」(富山県民謡)「わかれ」「赤とんぼ」(山田耕作作曲)「子守り歌」(シューベルト作曲)の4曲を、「共通教材として含めること」と改訂されている。
[338] なぜこのような歌唱教材まで特定して教育現場に画一的に強制しなければいけないのであろうか。しかも10年の長きにわたつて。
[339] それらの曲が教育上絶対的な意味を持つものでないことは、昭和33年版版から昭和44年版への改訂に伴なつて大きく変えられていることからも明らかである。
[340] 歌唱教材としては、このような曲が考えられる、と示唆するのでなぜいけないのであろうか。
[341] これらはほんの一例にすぎないが、学習指導要領に法的拘束力を付与して、これを教育現場に画一的に強制するという立場に対しては、その内容上、法的にみても教育的にみても強い疑問を感ぜざるをえないのである。

三、教科書検定の問題
[342] ところで、法的拘束力を付与された学習指導要領の弊害を考える場合、注意すべきは、学習指導要領自体の直接の拘束力ということもさることながら、教育内容行政の様々な場面において文字通り拘束力ある基準性を発揮しているという事実である。
[343] 具体的には、学習指導要領を検定基準にとりこんだ教科書検定制度、学習指導要領の趣旨を徹底するための伝達講習会や教員研修、指導主事や校長による学習指導要領に基づく教育上の指揮監督などがそれである。
[344] 学習指導要領はそうした制度やしくみを通して、教育全体を強力に規制しているのが現状である。
[345] その一つである教料書検定は、学習指導要領を主たる検定基準として行なわれるものであり、教科書をして学習指導要領の具体化版たらしめる機能を有している。そして文部省解釈によれば、検定教科書の使用は義務づけられているから、教科書通りの教育を行なわせることによつて、学習指導要領の内容を教育現場に徹底させうるしくみになつている。つまり、学習指導要領の法的拘束力が持つ意味を最も端的に表しているのが教科書検定制度といつてよい。
[346] したがつて、検定制度の実態は学習指導要領が教育にどのような影響を及ぼしているかを最もよく物語るものとなつている。
[347] たとえば、次のような子供の詩がある。
「さら、さるる、びる、ぼる、どぶる、ぼん、ぼちゃん、
川はいろんなことをしやべりながら流れていくなんだか音が流れるようだ。
顔を横向きにすれば、どぶん、どぶぶ、荒い音、前を向けば、小さい音だ、さら、さるる、ぴるぽう。大きな石をのりこえたり、ぴる、ぽる、横切つたり、ぴる、ぽる、どぶる、ぽん、ぼちゃん、音は、どこまで流れていくんだろう」
[348] いかにも子どもらしい、まさにみずみずしい表現の作品であるが、この作品を小学校6年の国語の教科書にのせて検定を受けたところ、不可とする意見がつけられた。その理由は、
「水の音をぴる、どぶる、ぼん、ぼちやん、というのは、これは穏当ではない。水の音というものはサラサラなんだから、これをみんなサラサラになおしてほしい。そうすれば合格させる」
というものであつた。これは、昭和38年度の検定での実例である。(註8)
[349] 川の音をただサラサラとしか聞かない、あるいはサラサラとしか表現しない子を画一的に作り出すことが、国語教育のあるべき姿なのであろうか。
[350] これもほんの一例にすぎない。同じような事例は枚挙にいとまがないほどである。
[351] 真に恐しいのは、学習指導要領それ自体もさることながら、それが現実に適用される場で、たとえば教科書検定という場で、教育行政権者によつてそれぞれ恣意的な解釈が旋され、解釈された結果が法規命令の公定解釈として教科書内容なり教育現場を規制していく、という点である。つまり解釈によつて法的拘束力の範囲がさらに増幅させられているという点である。そのように増幅された内容の学習指導要領が教育全般をおおつているのが現状である。その根源が、学習指導要領に法規命令たる性格を与えた点にあることはいうまでもない。

四、詰めこみ教育の問題
[352] 今日詰めこみ教育の弊害が強く叫ばれている。実際、わが子を何の不安もなく学校へ送り出せる親が今日一体どれだけいるであろうか。
[353] 授業についていけるだろうか、落ちこぼれはしないだろうか、といつた不安は多くの親に共通している。
[354] その不安の原因を作り出しているのは、いうまでもなく、詰めこみ教育である。その詰めこみ教育の原因は、多くの論者が指摘するように、学習指導要領が余りにも多くの事項を非科学的非系統的にもりこんだことにあることは疑いのないところである。
[355] つまり、そのような学習指導要領が検定教科書を通して教育現場に徹底され、「新幹線スピード授業」とか「見切り発車授業」によつて、すでに小学校においてすら半数以上の生徒が授業についていけないという事態になつているのである。
[356] さすがに文部省自身もそのような事態を前にして「教育の精選」をいい出している。
[357] たとえば、昭和50年10月18日の教育課程審議会の中間まとめ「教育課程の基準の改善に関する基本方向について」では、次のように述べている。
「児童生徒が心身ともに安定した状況のもとでより充実した学習が行われるようにするためには学校生活を全体としてゆとりのあるものにする必要がある。そのためには、現在の学校生活の実際や児童生徒の学習負担の実態を検討し、各教科等の内容の精選や授業時数等の改善を行つて、適切な教育課程の実現を図らなければならない。」(註9)
[358] しかし、法的拘束力を前提とする以上、現状を是正するためにはまず学習指導要領の全面改訂をはからなければならず、それれにはなお長年月を要するのであつて、その間は現行学習指導要領に従わざるをえない。実際、昭和33年版の中学校学習指導要領は、昭和44年に全面改訂されるまでおよそ10年にわたつて教育を支配してきたのである。
[359] 結局、学習指導要領に法的拘束力を付与するという立場をとる以上、そこに教育上の明らかな誤まりがあつても、教育現場で是正されるという機会もないまま、教育全般を長期間にわたつて支配し、その間数知れぬ子供と親に多大の被害を与える結果になるのである。もし、学習指導要領が指導助言文書にとどまるなら、その内容あるいは方向の教員あるいは教員集団の検討と実践のなかで速かに是正されることが期待できよう。たとえ一時的な荒廃現象が現出しても、今日のような全国的規模でのしかも長期にわたる荒廃現象とはならず、おそらく部分的でしかも短期にとどまりえたであろう。
[360] その意味で、今日の教育の深刻な荒廃現象は、強権的な教育課程行政の破綻を端的に示しているものといわざるをえないのである。

五、教育の自律性と組織化
[361] 学習指導要領の拘束力を全面的に否定した場合、全くの野放し状態になり、教育水準が低下したり、適切な教育内容が確保されないのではないかとの反論がありうる。
[362] しかし、日本の教師たちはすでに長年にわたつて、自主的な教育研究団体や教員組合を通じての教育研究集会を広汎に組織し、そこで多大の成果をあげているのであつて、その成果こそわが国の教育水準を高める一つの原動力となつているといつて過言ではない。また組合を通じての教育研究集会といつても、そこで組合の方針に基づく教育の方向づけをはかるといつた性質のものではないことはあらためて指摘するまでもない。
[363] ここではあらためて、アメリカの第1次教育使節団報告の「教師の最善の能力は、自由の雰囲気の中においてのみ十分発揮せられる」という指摘を想起する必要がある。
[364] 教育行政が、そのような自由な雰囲気を助長しつつ、真に価値ある指導助言を行なうことこそが水準の高い教育内容の組織化の実現を約束することになるであろう。
[365] 以上に述べたところからすれば、文部大臣による学力テストの計画、決定、実施は、学校教育法38条によつて認められる教育課程基準設定権の範囲を著しく逸脱するものであつて、同条に違反するものであることは明らかである。
[366] また、学テの実施を市町村教育委員会において形式的に決定したうえ、校長に具体的実施を命じさらに校長がその職務命令を受けて授業計画を変更し、かつ教員に対し補助員を命じ実施させた点は、すでに述べた学テの実体と地教行法、学校教育法の各条項の解釈からすれば、明らかに教育委員会ないし校長の権限を逸脱するものであつて、やはり違法たることは免れないというべきである。
(註1) 平原春好「教育課程行政の歴史的展開――戦前・戦後」法律時報昭和47年6月臨時増刊75頁、兼子仁「教育法」(法律学全集)62頁
(註2) 稲垣忠彦、肥田野直「教育課程・総論」(東大出版会)158頁以下の引用による。
(註3) ここでは、戦後教育法制改革に着手してのち法制度がととのえられ、学習指導要領の発行という形で具体的に展開されるまで、すなわち昭和22年から同26年頃迄をいう。
(註4) 教育課程に関する法令の変遷については、未尾に添付した別表を参照されたい。
(註5) たとえば、教育委員会法55条2項「法律に別段の定がある場合の外、文部大臣は、都道府県教育委員会及び地方委員会に対し、都道府県委員会は地方委員会に対して行政上及び運営上指揮監督をしてはならない」に相当する規定は、地教行法には設けられていないが、その趣旨とするところは両法の間で差異なはい。
 この点について、木田宏「改訂逐条解説・地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(第一法規出版株式会社、昭和37年刊)は次のように述べている。
「旧教育委員会法第55条2項の規定に相当する規定は本法の規定に設けられていないがわが国の地方制度の根本は、憲法にいう『地方自治の本旨』に基いてたてられており、地方教育行政とても、この基本原則から外れるものではない。国は地方教育に重大な責任を負つているが、地方教育行政は地方自治行政の一環として行われるものであり、後述の国の機関委任事務に属するもの以外は、これを文部大臣が直接指揮監督するということはない。また都道府県委員会も、国の機関委任事務について文部大臣の権限を委任された場合、又はその権限に属する事務を市町村の機関に委任した場合以外は、市町村の行う教育行政を指揮監督することはない。旧教育委員会法が、制定された当時の時代的な背景によつて必要とされた念のための規定であつて、この規定の有無によつて実質的に文部大臣の権限が左右されるという性質の規定ではなかつたのである。」(287頁、288頁)
(註6) 兼子仁「教育の内的事項と外的事項の区別」(有倉遼吉教授環暦記念「教育法学の課題」所収)は、次のように述べている。
「行政立法が許される『大綱的基準』は、教科教育内容にかんするものではなく、教科教育の制度的条件をなす学校制度的基準にほかならない、と解される。それは、学校制度の一環として、学校体系と学校設置監督に関連して決定されうる、各学校段階の教育目的、教科名、授業時数または必修得総単位数などであり、現行法制においてそれらは、学校教育法とその施行規則に定められている。しかしそれらを超えて教科教育内容・方法・教材までを記す『学習指導要領』(文部省告示)になると、もはや大綱的基準立法とは認められず、すべてが法的拘束力のない指導助言的基準と解さざるをえない(高校については、必履習科目・単位も指導助言事項に入る)。ひとたび各教科教育の内容面にまで立法を認めるときには、教育内容の流動的有機的性質から、もはや明確な法論理的限界を画することは不可能であり、教育にたいする「不当な支配」(教育基本法10条1項による禁止事項)を防止することが至難だからである。また他方で、前記の学校制度的基準ならば、19世紀の私教育自由の法制いらい存在してきた学校制度法定主義の一環として、国民の教育の自由や学習権保障とも両立するものと考えざるをえず、またそれは純然たる内的事項というよりも、外的事項面をも有する混合事項であるからと言えるからである。」(288頁、289頁)
(註7) 学習指導要領の法的拘束力の有無に関する学説判例の動向については、室井力「学習指導要領の法的性質」季刊教育法6号4頁以下参照。
(註8) 「家永・教科書裁判第二部証言編五」綜合図書刊、73頁以下による。
(註9) ジユリスト603号147頁。
別表 教育課程関係法令旧新対照表(左段が旧規定、右段が現行規定)
(一)、学校教育法(昭22・3・31)  
20条
 小学校の教科に関する事項は、第17条及び第18条の規定に従い、監督庁が、これを定める。
20条
 同上
38条
 中学校の教科に関する事項は、第35条及び第36条の規定に従い、監督庁が、これを定める。
38条
 同上
106条
 ……第20条、……第38条……の監督庁は、当分の間、これを文部大臣とする。
106条
1 同上
(二)、学校教育法施行規則(昭22・5・23)  
24条
 小学校の教科は、国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭、体育及び自由研究を基準とする。
24条(昭33、昭43改正)
1 小学校の教育課程は、国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭及び体育の各教科(以下本節中「各教科」という。)、道徳並びに特別活動によつて編成するものとする。
2 私立の小学校の教育課程を編成する場合は、前項の規定にかかわらず、宗教を加えることができる。この場合においては、宗教をもつて前項の道徳に代えることができる。
25条
 小学校の教科課程、教科内容及びその取扱いについては、学習指導要領の基準による。
25条(昭33、昭37改正)
 小学校の教育課程については、この節に定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する小学校学習指導要領によるものとする。
53条
 中学校の教科は、これを必修教科と選択教科に分ける。
53条
1 中学校の教育課程は、必修教科、選択教科、道徳及び特別活動によつて編成するものとする。
2 必修教科は、国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育及び技術・家庭の各教科とし、選択教科は、外国語、農業、工業、商業、水産及び家庭の各教科並びに第54条の2に規定する中学校学習指導要領で定めるその他特に必要な教科とする。
3 前項の選択教科は、土地の状況並びに生徒の進路及び特性を考慮して設けるものとする。
54条
 必修教科は、国語、社会、数学、理科、音楽、図画工作、体育及び職業を基準とし、選択教科は、外国語、習字、職業及び自由研究を基準とする。
 
55条 
……第25条……の規定は中学校に、これを準用する。
54条の2(昭35追加、昭37改正)
 中学校の教育課程については、この章に定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する中学校学習指導要領によるものとする。
81条の2(昭23追加)
 この省令は、別に教育公務員の任免等に関して規定する法並びに学校の教科、設備及び編制の基準に関して規定する法律が定められるまで、暫定的に効力を有するものとする。
81条の2(昭25改正)
 この省令は、別に学校の教育課程、設備及び編制の基準に関して規定する法律が定められるまで、暫定的に効力を有するものとする。
81条の2削除(昭35)
(三) 教育委員会法(昭23・7・15) 地教行法(昭31・6・30)
(指導主事)  
45条
1 都道府県委員会の事務局に、指導主事、教科用図書の検定又は採択、教科内容及びその取扱、建築その他必要な事項に関する専門職員並びにその他必要な事務職員を置く。
46条
 指導主事は、教員に助言と指導を与える。但し、命令及び監督をしてはならない。
47条
 教科用図書の検定は採択、教科内容及びその取扱、その他特殊な事項に関する専門職員には、教員をもつて、これに充てることができる。但し、その期間中は、教員の職務も行わないことができる。
19条
1 都道府県委員会の事務局に、指導主事、事務職員、技術職員その他の所要の職員を置く。
2 市町村委員会の事務局に、前項の規定に準じて所要の職員を置く。
3 指導主事は、上司の命を受け、学校(学校教育法(昭和22年法律第26号)第1条に規定する学校をいう。以下同じ。)における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項の指導に関する事務に従事する。
4 指導主事は、教育に関し識見を有し、かつ、学校における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項について教養と経験がある者でなければならない。指導主事は、大学以外の公立学校(地方公共団体が設置する学校をいう。以下同じ。)の教員(教育公務員特例法(昭和24年法律第1号)第2条第2項に規定する教員をいう。以下同じ。)をもつて充てることができる。
5 事務職員は、上司の命を受け、事務に従事する。
6 技術職員は、上司の命を受け、技術に従事する。
7 第1項及び第2項の職員は、教育長の推薦により、教育委員会が任命する。
8 前各項に定めるもののほか、教育委員会の事務局に置かれる職員に関し必要な事項は、政令で定める。
(教育委員会の事務)  
49条
 教育委員会は左の事務を行う。但し、この場合において教育長に対し、助言と推鷹を求めることでできる。
三 教科内容及びその取扱に関すること。
23条
 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務及び法律又はこれに基く政令によりその権限に属する事務で、次の各号に掲げるものを管理し、及び執行する。
一 教育委員会の所管に属する第30条に規定する学校その他の教育機関(以下「学校その他の教育機関」という。)の設置、管理及び廃止に関すること。
五 学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。
(教育委員会規則)  
53条
1 教育委員会は、法令に違反しない限りにおいて、その権限に属する事務に関し教育委員会規則を制定することができる。
33条
1 教育委員会は、法令又は条例に違反しない限度において、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について、必要な教育委員会規則を定めるものとする。この場合において、当該教育委員会規則で定めようとする事項のうち、その実施のためには新たに予算を伴うこととなるものについては、教育委員会は、あらかじめ当該地方公共団体の長に協議しなければならない。
2 前項の場合において、教育委員会は、学校における教科書以外の教材の使用について、あらかじめ、教育委員会に届け出させ、又は教育委員会の承認を受けさせることとする定を設けるものとする。
  49条
 都道府県委員会は、法令に違反しない限り、市町村委員会の所管に属する学校その他の教育機関の組織編制、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について、教育委員会規則で、教育の水準の維持向上のため必要な基準を設けることができる。
(文部大臣・教育委員会の関係)  
55条
2 法律に別段の定がある場合の外、文部大臣は、都道府県委員会及び地方委員会に対し、都道府県委員会は、地方委員会に対して行政上及び運営上指揮監督をしてはならない。
48条
1 地方自治法第245条第1項又は第4項の規定によるほか、文部大臣は都道府県又は市町村に対し、都道府県委員会は市町村に対し、都道府県又は市町村の教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言は援助を行うものとする。
50条
 都道府県委員会は、前条各号に掲げる事務を行う外、左の事務を行う。但し、この場合において、教育長に対し、助言と推薦を求めることができる。
二 文部大臣の定める基準に従い、都道府県内のすべての学校の教科用図書の検定を行うこと。
三 地方委員会に対し、技術的、専門的な助言と指導を与えること。
2 前項の指導、助言又は援助を例示すると、おおむね次のとおりである。
二 学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導、職業指導、教科書その他の教材の取扱その他学校運営に関し、指導及び助言を与えること。
四 校長、教員その他の教育関係職員の研究集会、講習会その他研修に関し、指導及び助言を与え、又はこれを主催すること。
九 教育及び教育行政に関する資料、手引書等を作成し、利用に供すること。
(四) 文部省設置法(昭24・5・31) 同法改正(昭27・昭31・昭33)
(文部省の任務)  
4条
 文部省は、左に掲げる国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関とする。
一 教育委員会、大学、研究機関(他の行政機関に属するものを除く。以下同じ。)その他教育に関する機関に対し、専門的、技術的な指導と助言を与えること。
二 民主教育の体系を確立するための最低基準に関する法令案その他教育の向上及び普及に必要な法令案を作成すること。
七 教育に関する調査研究を行い、及びその調査研究を行う機関に対し、協力し、又は協力を求めること。
八 教育に関する専門的、技術的な資料を作成し、及び刊行領布すること。
4条
 文部省は、学校教育、社会教育、学術及び文化の振興及び普及を図ることを任務とし、これらの事項及び宗教に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関とする。
(文部省の権限)  
5条
1 文部省は、この法律に規定する所掌事務を遂行するため、左に掲げる権限を有する。但し、その権限の行使は、法律(これに基く令命を含む。)に従つてなされなければならない。
十七 教育職員の研修について連絡し、及び援助を与えること。
二十四 国家的又は国際的関心のある題目について、会談、研究会、対論会その他の催しを主催すること。
二十五 小学校、中学校、高等学校、盲学校、ろう学校、養護学校及び幼稚園に関し、教育課程、教科用図書その他の教材、施設、編制、身体検査、保健衛生、学校給食及び教育職員の免許等についての最低基準に関する法令案を作成すること。
二十六 教育委員会、大学及び研究機関に関する法令案を作成すること。
2 文部省は、その権限の行使に当つて、法律(これに基く命令を含む。)に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行わないものとする。
5条
1 文部省は、この法律に規定する所掌事務を遂行するため、次に掲げる権限を有する。ただし、その権限の行使は、法律(これに基く命令を含む。)に従つてなされなければならない。
十八 大学、高等専門学校、研究機関その他の教育学術又は文化に関する機関(他の行政機関に属するものを除く。)に対し、その運営に関して指導と助言を与えること。
十九 地方公共団体及び教育委員会、都道府県知事その他の地方公共団体の機関に対し、教育、学術、文化及び宗教に関する行政の組織及び運営について指導、助言及び勧告を与えること。
十九の二 地方公共団体の長又は教育委員会に対し、教育、学術、文化及び宗教の事務の管理及び執行が法令の規定に違反し、又は著しく適正を欠く場合において、その是正又は改善のため必要な措置を講ずべきことを求めること。
二十 教育、学術及び文化に関する専門的、技術的な資料を作成し、及び刊行領布すること。
二十一 教育、学術又は文化に関する重要な題目について、会議、研究会、討論会その他の催しを主催すること。
二十二 教育職員の研修について連絡し、及び援助すること。
2 文部省は、その権限の行使に当つて、法律(これに基く命令を含む。)に別段の定がある場合を除いては、行政上及び運営上の監督を行なわないものとする。
(初等中等教育局の事務)  
8条
 初等中等教育局においては、初等教育、中等教育及び特殊教育に関し、左の事務をつかさどる。
一 初等教育、中等教育及び特殊教育に関する法令案を作成すること。
二 法律による最低基準に基く教育計画を推進助長し、且つ、その最低基準を越える初等教育、中等教育及び特殊教育の推進を指導すること。
8条
 初等中等教育局においては、次の事務をつかさどる。ただし、体育局の所掌に属するものを除く。
一 地方教育行政に関する制度について企画し、並びに地方教育行政の組織及び一般的運営に関し、指導、助言及び勧告を与えること。
五 左のような方法によつて、学校管理、学校の施設、教育課程、特別教育活動、生徒指導、教授法その他初等教育、中等教育及び特殊教育のあらゆる面について、教育職員その他の関係者に対し、専門的、技術的な指導も助言を与えること。 十三 次のような方法によつて、学校管理、教育課程、学習指導法、生徒指導その他初等中等教育のあらゆる面について、教育職員その他の関係者に対し、専門的、技術的な指導と助言を与えること。
イ 手引書、指導書、会報、パンフレットその他の専門的出版物を作成し、及び利用に供すること。 イ 手引書、指導書その他の専門的出版物を作成し、及び利用に供すること。
ロ 初等教育、中等教育及び特殊教育に関係のある教育職員の訓練のための全国的、地域的又はその他の研究集会、講習会、会議その他の催しを主催し、又はそれに参加すること。 ロ 初等中等教育に関係のある教育職員のための研究集会、講習会その他の催しを主催し、又はこれに参加すること。
ハ 初等教育、中等教育及び特殊教育のあらゆる面について、教育委員会その他の機関の求めに応じ、直接専門的、技術的な指導と助言を与えること。  
六 初等教育、中等教育及び特殊教育に関する基礎的調査研究を行い、その結果及びそれを学校に関する諸問題に適用することについての情報を提供すること。  
附則6項 附則6項(昭27・昭和33改正)
 初等中等教育局においては、当分の間、学習指導要領を作成するものとする。但し、教育委員会において、学習指導要領を作成することを妨げるものではない。  初等中等教育局び体育局においては、その所掌事務に係る初等中等教育に関し、当分の間、学習指導要領を作成するものとし、初等中等教育局がその連絡調整を行うものとする。
目次
一、はじめに
二、地教行法54条2項と学テの違法性
 (一) 調整の意義と学テの違法性
 (二) 報告提出要求権の範囲と学テの違法性
三、学力テストに関する判例の地教行法54条2項の解釈
[367] 文部省は、本件学力テストを地教行法第54条2項を、その法的根拠として、実施した。
[368] しかし、同条に規定する「調査」の範囲には、本件学力テストの実施のような内容まで含めることは到底無理である。
[369] しかも、同条による「調査、統計その他の資料又は報告」の提出を求めるというのは都道府県教委又は市町村教委が、実施した調査資料の提出を求めることであり、文部大臣が、教委に調査を新たに実施することまでを要求する権限は含まれておらず、新たな調査の実施を義務づけることは許されない。
[370] 本件学力テストは、この同条の趣旨を誤解して、同条により実施し得るものとして実施したものであり、この点からも本件学力テストは違法である。
[371] 以下、先ず、地教行法第54条2項の意義について述べ、本件学力テストが同条に違背している点を詳述する。併せて、検察官の主張に反論し、及び多くの学力テスト事件に関する判例の内容に触れながら、原判決の正当性を明らかにする。
[372] よつて以下地教行法第54条2項の解釈について、詳述する。同条の解釈に当つては2つの観点がり、一つは「調査」とはいかなるものをいうかであり、一つは報告提出要求権の範囲はどこまでかである。以下分説する。

(一) 調査の意義と学テの違法性
[373]1. 地教行法に定める、文部大臣の調査権限は、指導助言官庁としての文部省が、文部大臣の諸権限とりわけ指導助言権の行使の前提として、つまり本条1項に定められるような、その本来の所掌事務を適切かつ合理的に処理するための補助作用として、科学的な資料を収集するために行うものである。文部省が、教育行政を掌るに当つては、勿論このような調査は必要である。しかしだからといつて、この文部省の調査権は無制限に認められるわけではなく、法律の定めに従つて行使されなければならない。この調査には地教行法53条に定めるように、特定の目的に限定して、直接文部大臣が、指揮監督して、調査し又は調査を実施させる場合と、本条に定めるように、地方の事務として、教育委員会等が行つた調査の結果の報告を求めるものとの2つがある。これらの調査は、いずれも他の実質的権限を行使する前提として、行政対象を認識するために行われる行政調査の性質をもつ事実調査であり、教育行政上の他の実体権限と競合てい触することは有り得ず、それら実体的権限の行使の前提をなすにすぎない。従つて、本件学力テストのように、教科教育活動や教育課程行政の実質をもつようなもの(この点は南山弁護人が詳述したとおりである)は、右の調査には含まれないといわなければならない。(註1)
[374]2. 更に文部省は、地教委は、地教行法第23条17号により、学力テストを実施しうる権限を有するとするが、同条号にいう調査も、右に述べた調査と本質は全く同じであり、教料教育活動ないし教育課程行政の行使と同じ実質をもつ本件学力テストは、この調査の枠を超えるものであり、右条号によつても許されないといわなければならない。
[375]3. 従つて、本件学力テストは、54条2項に定める調査の範囲を逸脱するものであり、同条によつては実施することの出来ない違法な施策であるという外はない。
(註1) 兼子仁教育法182頁
  ジユリスト418号全国学力テストをめぐる法律問題62頁参照
(三) 報告提出要求権の範囲と学テの違法性
[376]1. 地教行法54条2項に基づき、文部大臣は、教育委員会に対し、その自主的に行つた既存の結果の提供を要求しうること及び、これに対して、教育委員会も提出を義務づけられることについては問題がない。更に同条が、文部大臣に、新たに教育委員会に調査の実施を義務づけて、その結果の提出を求めることまでの権限を与えているかがここでの問題である。
[377]2. 同条2項の条文と、53条2項の「文部大臣は、…都道府県委員会をして…その特に指定する事項の調査を行わせることができる。」と規定されているところを対比すれば、文理上、54条2項によつては、調査を行わせる権限までも規定したとは見られないことは明らかであり、文部省は、教育委員会に対して、新たな調査義務を課しうるものとは到底解し得ない。もともと、53条2項の「調査」は、国の機関委任事務であり、文部大臣の指揮監督のもとで行われるものであるのに対し、54条2項の場合には、「調査」それ自体は、地方の事務(地教行法23条17号)であつて、本来地方の創意と責任において処理しうる事項である。したがつて前者では「調査を行わせることができる」という定めになつているのに対し、後者では「調査、統計その他の資料又は報告の提出を求めることができる」と定めているのである。後者で求めうるのは、調査の実施ではなく、調査資料等の「資料又は報告」の提出であるにすぎない。序にいえば、検察官が、本件学テの実施根拠として挙げている地教行法23条1、5号に定める事務も――その権限が教育内容面でどこまで及びうるかは、教基法10条との整合的解釈を必要とするが、その点は措くとして――地方の事務であつて、中央官庁たる文部大臣が右の権限の発効を教育委員会に義務づけたり、権限行使の内容に規制を加えうるものではないのである。
[378] この点について、検察官は、弁論要旨(その二)のなかで、
「本項は、文部大臣又は都道府県教委に対し、都道府県教委又は市町村教委がその意思に反しても特定の調査を行うよう要求する権限までも認めたものと解し得ないことはいうまでもない」(同15頁)
と述べているが、これは、弁護人側の前述の解釈を承認したものとみることができる。もつとも、検察官は右に続いて、
「さりとて本項に基づく文部大臣の権限が、地教委に対し既存の資料又は既存の資料による報告の提出を求めることのみに限定されると解すべきではない」として、
「市町村教委が、これに応ずるため自主的判断に基づいて、所要の調査を行い、これによつて資料又は報告を取りまとめて提出することのあるのは本項が当然予定するもの」
と述べている(同弁論要旨15~6頁)。しかし、前述したように、文部大臣はもともと調査の実施を要求しうる権限を有しないというべきである。仮に、文部大臣が教育委員会の自主的実施を期待して資料の提出要求を行うことも、同条項の予定するところだとすれば、その場合には、調査の実施・不実施についても、実施の手続・方法・内容についても、教育委員会の自由な裁量権が認められていなければならないことになる。
[379]3. そこで、実際に行われた学テが、地教行法54条2項の定める「資料又は報告の提出」の範囲に含まれるかが問題となるわけであるが、実際に行われた学テは、検察官がいうように、教育委員会の自主性を尊重したしかたで行われたものではない。
[380] 肝心の学テの実施期日、対象教料、時間割り、試験問題、採点、集計方法は、すべて文部省の実施要綱等で画一的に定められており、これらの点について都道府県教委や市町村教委には裁量の余地が与えられていない(仮に、市町村教委の裁量の余地があるとしても、文部省が定めた以外の事項か、非本質的な周辺的事項、鎖末な事項に限られることになる)。検察官も認めているように(同弁論要旨44~5頁参照)、右の点で各地の教育委員会が自主性を発揮し、各地で区々まちまちなテストが実施されたのでは、「全国一せい学力調査」はなり立たないし、文部省の実施意図も達成できないのである。
[381] しかも、文部省は、実施手続の面においても、実施要綱のなかで、文部大臣から報告の提出を求められた都道府県教委は、市町村教委に報告提出を求めることとし、「市町村委員会は、当該市町村の学力調査を実施するものとする」、「市町村委員会は、原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、当該学校の教員をテスト補助員に命ずる」と定めていた。これらの実施手続については、検察官も認めている(同弁論要旨―3~4頁)。そして、文部省は、「全国中学校一せい学力調査問答集」のなかで、報告提出を要求された都道府県教委、市町村教委は、報告の提出を義務づけられる旨を強調していた(問答集32、34参照)。以上で明らかなように、文部省は、学テ(いうところの「調査」)の実施と「報告又は資料の提出」とを区別することなく、両者をいわば包括的にとらえて、報告提出要求は相手機関を拘束するとの見解――すなわち学テの実施自体が義務づけられるとの見解をとり、かかる見解を示しつつ、都道府県教委ないし市町村教委に、実施要綱通りの学テの実施を迫つたのであつて、実施不実施についての教委の裁量などは、全く認めていなかつたのである。都道府県教委ないし市町村教委が「主体的・自主的判断により、その実施を決定したものである」というしかたで本件学テが実施されたという検察官の主張(同弁論要旨17~8頁)は、事実を歪曲したものである。
[382] この点に関し、検察官は、別件の岩手学テ事件の上告趣意書のなかでは、
「文部大臣の調査要求権は、法律による命令的行政行為であつて、実質的には国の教育権に基づくものであり、都道府県教育委員会は、これにより調査の義務を負うものである」と述べ、あるいは、
「本件争議行為を教育に関する国の管理権支配権に対する闘争であると主張する」
と述べて、あたかも文部大臣の報告要求が文部大臣の教育に関する管理権支配権の行使であるごとく論じているが――この見解は今回の弁論における検察官の54条2項解釈と重大な喰い違いを示している――その法解釈論の当否は別として、この方が、余程、文部省が実際に行つた学テの実体をいい当てている。
[383] また、以上で明らかなように、文部大臣―都道府県教委―市町村教委―校長・教職員の相互間の関係は、いずれも法的拘束力の連鎖でつながれていたのであるから、実質的にみれば文部大臣が学テの実施主体というほかはないのであり、都道府県教委、市町村教委は、実質的にみればいわば経由庁あるいは文部大臣の補助執行機関というにすぎなかつたのである。検察官のように市町村教委が学テの実施主体であるといつてみても、それはあくまでも名目的、形式的なものにすぎない。
[384] 以上の如く、本件学テの実施においては、文部大臣は、教育委員会に対し、自主的な裁量を認めていなかつたのであるから、かかる学テの実施が「資料又は報告の提出」の要求には当らないものであり、地教行法54条2項の枠を逸脱した措置であることは明らかである。
[385] なお、本件学テを同法53条2項によつて実施することができないものであることは、同項の調査が特定の場合に限定されていること(同条1、2項参照)及び同項が「都道府県委員会をして……調査を行わせることができる」と定めていることからして明らかである(前段の点は検察官も認めている。同弁論要旨26頁参照)。
[386]4. なお検察官は、
「旭川地教委においては、昭和34年まで……独自で学力調査を実施したこともあつて、その必要性有益性を十分知悉したうえ、その実施を決定したものと認められ」(註2)
るというが、右の旭川市独自の学力課査というのは、本件学力テストとはその態様も実施要綱も主体も全く異るものであり、その引用は不正確なものであるばかりでなく本件学力テストの実施に当り、旭川市教育委員会は、北教組旭川支部との団体交渉において、何とか実施させてくれ、学テを中止したら教育予算も県や文部省からもらえなくなる。旭川の教育としては非常に困る。答案用紙などはどうでもいゝ、とにかくやつてくれというような非常にだらしないことをいつていたとあることからも明らかなように(註3)旭川市教委が必要性有益性を十分認めたうえで、主体的自主的判断により実施を決定したなどということは全くなく、検察官の弁論は事実を全く踏まえない空論である。
(註2) 検察官弁論要旨(その二)15頁、16頁、18頁、19頁、
(註3) 本件旭川事件第一審第53回公判川口浩証言調書3770丁から3772丁
[387](一) 原判決は、地教行法54条2項の解釈については、以上の弁護人の見解と同じくするものであり、これについて、何等の法律違反もなくまことに正当である。同判決のいうように、学力テストは、地教行法54条2項に違背した、同条によつては実施することの出来ない違法なものであることは明白なことである。
[388] そして、福岡地方小倉支部、その控訴審たる福岡高裁、大阪地裁、その控訴審たる大阪高裁、本件第一審旭川地裁、大阪地裁(別件)などの判決はいずれも学力テストは違法であると判示しているが、本条2項の解釈についても、原判決と同様の判示をしており、これが大勢を占めていると言えるのである。

[389](二) これに反して、学力テストを適法とする判例は数に於て小数のみならず、地教行法54条2項の解釈及び本件学テの実体把握に於ても、不徹底な誤つた判示をなしているのである。
[390] このうち山形地裁鶴岡支部及び岩教組事件の原判決たる仙台高裁判決は、いずれも、文部省が54条2項により、学力テストを実施することの法的根拠とすることには消極的態度を示しているのであり、この点では右多数判例と同様である。ただ、前者山形地裁判決は学力テスト実施が地教委の地教行法23条17号に基づく主体的な調査となし得るとし、後者仙台高裁判決は、各地教委の自主的判断に基いて実施されたものとして、その違法性の治癒を認めようとするものであり、極めて消極的な適法論である。右仙台高裁判決もそのしくみからみて、文部大臣が終始主導権を握つて行われたものであることは否定できないと断じ、かかる大規模なしかも文部大臣が全面的に主導権を握つた形の調査報告要求は、本条の予想していなかつたところであり、又通常の行政調査権の範囲を逸脱した疑を否定できないと判示している。54条2項により学力テストを実施するについては疑問があるが、各地教委が、文部省の実施要綱細目について自ら一部変更修正して自ら主体となつて実施しようとした面も認められるから、各地教委に於て、主体的、自主的判断に基づいて実施されたものであるからこれをもつて直ちに違法視することはできないとしているのである。
[391] しかしすでにみたように、当時文部省は文部省作成の試験問題及び実施要綱通りのテストの実施が教委に義務づけられている旨の指導を行い、教委に対して学テの実施を迫つていたのであるから、岩手県教委ないし県下各地教委が主体的、自主的判断に基づいて実施したといつても、その主体的、自主的判断なるものが、完全に自主的・主体的なものでありえないことは明らかである。事実、記録に徴してみても、右の各教委が、テストの実施不実施それ自体についても教委の自主的判断に委ねられているとの認識をもつていたという事実は認められないばかりか、いずれも、教員組合との交渉においては、実施自体は大前提としており、ただ円滑に実施できるというのであれば、内容においては組合側に若干の譲歩をしようという態度をとつていたにすぎないのである。事実岩手県下においても、県教委及び各地教委はほぼ文部省の実施要綱通りのテストを実施しようとの態度を示し、あるいは実施した。もし、文部省が、実施不実施についても、実施内容についても、教育委員会の自主性を承認する態度を示し、且つ教育委員会もその自覚を有していたならば、学テの実施状況は、もつと異つたものとなつたことは明らかである。教員組合との交渉においても、教育委員会は、実施を不動の大前提として固執することはなく、交渉はもつと実りのあるものとなつたであろう。そして、文部省の企図した全国画一テストは、不成功に終わつた筈である。この点で、前掲仙台高裁判決の判示は、実施経過の事実認定と学テの実体把握とを誤つた、皮相、粗雑な判断であつたといわねばならない。
[392] いずれにしろ、本件においては旭川市教委が自主的・主体的判断にもとづいて学テを実施したものではないから、右の判例の違法性治癒論は、本件には妥当しない。
[393] 結局、判例中文部省が54条2項によつて学力テストを実施し得るとするものは、熊本地裁、高知地裁などの2、3の判決にしか過ぎないのであるが、これらの見解は単に文部省の見解をそのまま引き写したものに過ぎず、検察官の論旨にすら相反しており、何故それが適法かについての納得し得る解明は全くなされていない。なお熊本地裁の判決は、文部省の見解を補強して、僅か1日の授業計画の変更にすぎず文部省のかかげた目的達成のためには、本件学力テストは、むしろ当然の義務を果すにつき、その前提としてこれまた当然に行うべきものとして、学テを実施し得ると判断しているが、これ程法律解釈についての論理性と整合性を欠いた非法律的判断が、相当なものとして説得性をもち得る筈はない。
[394] これにも表れているように、本件学力テストが地教行法54条2項により適法に実施し得るとする判例は、いずれも、そのさまざまな論証にも拘らず、極めて不徹底で一面的なものであり、同条の解釈を誤つたものという外はない。
[395] 文部省の実施した本件学力テストは地教行法54条2項に違反した違法なものであることは以上により明白である。
[396] しかもこのことは、本件学力テストの実施以前、その発表の時に遡つて、多数の教育法学者が明らかにしていたところであり、多くの判例もまた、この重大な瑕疵の指摘について憚らなかつたのである。国の施策の法律解釈についてのこれ程の明白な瑕疵が指摘されることは、決して例の多いことではない。
[397] 学力テストがその後中止されるに至つたのも、この違法な施策を文部省が維持することが困難になつたからに外ならないことは今では誰の目にも明らかになつている。
[398] 御庁は、司法の終審裁判所として、司法の優位の原則にたつて、学力テストの実体を正しく見据えて、これを違法とする判断を下されるよう強く希望する。
目次
一、公務執行妨害罪の不成立
 (一) 本件における問題点
 (二) 本件公務の特殊性と原判決の論旨
  1 本件公務の具体的内容
  2 違法の承継
 (三) 検察官主張の根本的誤り
  1. 「調和」論の矛盾
  2. 曖昧な基準
  3. 「一見明白」論の誤り
  4. 本件公務における判断基準
   (1) 非権力的公務の特殊性
   (2) 最決41・4・14の意味
   (3) 「当時の状況」の介在する余地
   (4) 本件に「折衷」を説く誤り
二、建造物侵入等の不成立
(一) 本件における問題点
[399] 違法な公務が、とりわけ重大な違法を帯びた公務が、刑法の上では適法として特別の保護をうけることがあつてよいのか。
[400] 重大な違法の公務でも、それが刑法の衣を着ると適法になつて、これに対する国民の抵抗が、通常の暴行罪や脅迫罪よりも遥かに刑の重い、特別の「公務執行妨害罪」として処罰されるということが、法理論上、許されてよいであろうか。
[401] ここに教育基本法に違反した重大な違法を有する学力テスト実施に対する労働者の抵抗が、刑事訴追の対象となつている本件において、公務執行妨害罪の成否をめぐる根本の問題は、まさに、この点にある。
[402] いうまでもないことであるが、公務執行妨害罪は、公務員を公務員なるがゆえに厚く保護するものではない。適法な公務であればこそ、主権者たる国民のための適法な公務であればこそ、刑法上の保護に値するのである。
[403] したがつて、だからこそその適法性は厳格に吟味されなければならない。いかなる理由づけにせよ、結果として、常に公務員の側に有利な推定を働かせるような解釈論は、断じて許されないのである。
[404] ところで本件の公務は、学力テスト実施という非権力的、ないし現業的な公務である。本件は、現行犯逮捕のような権力的な公務執行の場合とは、事案が全く異なつている。そこで本件公務については、学力テスト実施が重大な違法を有するという点とともに、それが非権力的公務であるという特殊性にも、はつきりと着目して解釈論が展開されなければならない。つまり、従来一般に、権力的公務を対象にして構成された解釈論が、そのまま非権力的公務にも妥当するのかどうか。この点の解明を必要とする。
[405] ところで検察官は、上告趣意書には、原判決に対する判例違反の主張として、昭和7年3月24日の大審院判決を掲げていた。この判決は、公務員が適法な職務行為だと信じた場合は、その職務執行は刑法上適法となる、と言い切つた、いわゆる主観説の判決である。ところが、検察官は、当公判廷の弁論に至るや、この大審院判決を、さらりと捨てたかのように、検察官としては主観説はとらない、と述べるにいたつた。
[406] この大審院判決が、いかなるものであつたか、については、すでに答弁補充書(その一)において、徹底的な批判を加えたとおりである。(註1)
[407] いつたい当法廷における検察官弁論の本旨は、いつたいどこにあるのか。その所論は、この大審院判決と縁を切つたかのように見えながら、実は、結局のところ、この悪名高い大審院判決の亡霊を、新たな装いのもとに現代の最高裁に復活させるものではないのか。この点についても、われわれは、きびしく分析検討を行う必要がある。
[408] さて、検察官の所論は、本件原判決の判断がきわめて特異なものである、という非難から始まつている。はたしてそうなのか。まずこの点から、具体的に検討してみよう。

(二) 本件公務の特殊性と原判決の論旨
1. 本件公務の具体的内容
[409] 本件公務たる学力テスト実施は、文部省が実施主体として企画・立案・指導にあたり、全国の都道府県教委・地教委を通じて各校長に実施の任にあたらせたものである。その問題作成から実施の時期・時間その他、ことごとく文部省を頂点とする全国いつせいテストとして実施された。事実を事実として見るかぎり、本件学力テストは、文部省の企画・立案した中身が、現実には文部省の強力な指導によつて、文部省から各教委そして校長を通じて実施された事実を、否定することはできない。また実際、文部省の指導においてもこれを受けた各教委の指導においても、本件学力テストについて各教委は実施の義務を負うものとされ、校長もまた実施の命令に拘束される、とされていた。それが文部省の作成配布した回答集など文部省の公の見解であつたことは、南山弁護人と高橋弁護人が具体的に刻明に述べたとおりである。
[410] だからこそ、ほかならぬ検察官自身も、本件と同時に当公判廷で審理されることになつた岩手学テ事件の上告趣意においては、そのことを認めていた。
[411] その上告趣意書第三項には、つぎのように述べられている。
「……文部大臣の調査要求権は、法律による命令的行為であつて、……都道府県教育委員会は、これにより調査の義務を負うものである。」
[412] 本件原判決は、まさに、このような、文部省を頂点として全国一せいに、画一的に行われた本件学力テストの性格に着目したのである。
[413] 本件学力テスト実施という公務は、末端の公務員である個々の校長の裁量によつて実施されたのではない。それは文部省から各教委、そして校長を通じて、いわば上下一体の関係を通じて行われた。このような、他に例をみない本件公務の特殊性に着目して、原判決は、本件公務が適法であるかどうかを判断するに際して、当該校長だけを切りはなすことなく、文部省から校長を経て実施された公務そのものの適法性を、卒直に判断の対象とした。そして、憲法の教育関係規程を具体化した実質をもつ教育基本法に違反することを明確に認めた。その上で原判決は、かくも重大な違法な公務は刑法上保護の対象とすることはできない、と判示した。
[414] このような原判決の判断を、検察官はきわめて異例であり、誤つていると非難する。しかし、その非難は、全く当らない。異例だというけれども、それは本件の公務自体が他に例をみない特殊な性格をもつているためである。決して原判決の判断そのものが異例なのではない。
2. 違法の承継
[415] 検察官はまた、一見明白な違法があれば校長として学力テスト実施を拒否することが出来た筈だから校長は学力テスト実施について絶対的に拘束されてはいなかつた、だから校長は本件学力テストを実施するかどうかについて裁量権があつた、だから本件公務の適法性は当該校長についてだけ判断するべきなのだ、とも主張している。
[416] この主張が、本件の現実から全く遊離した空想の産物であることは、もはや多言を要しない。のみならず、判断の対象を誤つたとの検察官の非難は、つぎの点を考えれば、いつそう誤りが明らかとなる。
[417] まず、公務の適法性というとき、末端の公務員がその公務執行に関する職務命令に従わなかつたことが懲戒事由になるかどうかという場合の適法性・違法性と、これに対する国民の側からの抵抗が刑法上の公務執行妨害罪を構成するかどうか、この場合の適法性・違法性とは、別箇の、次元の異なつた問題である。前者は、行政内部の関係であるのに対し、後者は、対外的な一般国民に対する関係にほかならない。
[418] つまり、本件に即していうと、校長が、本件学力テスト実施の職務命令に拘束されるといなとにかかわらず、対外的には、重大な違法の公務が当該校長を通じて遂行されたことに変りはない(註2)。要するに公務そのものの適法性を判断するにあたつて、その公務を執行した公務員に裁量があるかどうかということは、基本的には、関係ないことである。
[419] ここで念のために、いわゆる違法の承継に関する法理を指摘しておきたい。行政上、計画と実施の間には違法が承継される。たとえば農地買収計画と買収処分については前者の違法が後者に承継される。計画と実施における違法の承継は、典型的(ないし古典的)なパターンとして承認されている(田中二郎「行政法総論」法律学全集6 324頁)。
[420] 本件においては、本件学力テストは文部省が計画した。これが教育委員会・校長を通じて実施されたのである。まさに違法が承継された典型例といえよう。しかもその計画は、たんなる一般方針ではなかつた。その具体的な実施内容は、文部省の段階でことこどく決められた。南山弁護人の詳細に指摘したとおり、本件学力テストは、その実施の経過をみればまことに一目瞭然、文部省こそ実施主体であり、各教育委員会も校長も、本件学力テスト実施に関しては文部省の手足となつたのである。
[421] つまり、本件における具体的な公務の内容は、文部省の段階でことごとく決められていた。それが教育委員会から校長へと受け継がれ、対外的には、校長を通じて実施された。
[422] この公務、しかも、重大な違法、かくも重大な違法の公務について公務執行妨害罪による特別の(暴行罪や、脅迫罪よりも遥かに刑の重い)刑罪による保護までも与えることが許されるか。これが焦点なのである。
[423] 原判決は、この、本件公務の特殊性を卒直にとらえて判断の対象とした。これに対する検察官の非難――判断の対象を誤つたとする――は全く当らない(註3)。検察官は本件公務の具体的な内容、その計画実施の経過が示す本件公務の特殊性に全く眼をつぶり、観念的抽象的な議論を介在させて自己の主張する結論に導こうとするだけであり、その論旨の誤りはまことに明白といわなければならない。
[424] ところで検察官は、原判決に対する判例違反の主張として、原判決の拠つて立つ理論そのものが誤つているとも主張している。
[425] それではつぎに、この点について、検察官主張の根本的誤りを、以下端的に指摘したい。

(三) 検察官主張の根本的誤り
[426] さきにも述べたとおり、原判決は、まずもつて公務そのものの適格性を客観的に吟味した上で、もし公務自体に重大な違法がある場合にはこれを刑罰で保護することは許されない、という立場を基礎としている。したがつて、本件のような重大な違法の公務に対しては、その公務執行の当時の状況を加味して判断を加えても到底これを公務執行妨害罪における適法な公務と認めるわけにはいかない、というのが、原判決論旨の骨格である。
[427] ところが検察官の主張によると、このような原判決の理論は、個人の利益を偏重するものであつて社会公共の利益を阻害するものだ、というのである。
1. 「調和」論の矛盾
[428] いつたいなぜ原判決の理論が社会公共の利益を阻害するであろうか。いつたい、重大な違法の公務に対してでも刑罰による保護を与えたほうが社会公共の利益に合致する場合があるというのであろうか。本件のように、かくも重大な違法の公務であろうとも、公務執行妨害罪においては適法な公務として特別に手厚く刑罰による保護を与えなければ社会公共の利益がどうしても守れない、というのは、そもそも、いかなる理由であつてのことなのであろうか。
[429] 検察官の弁論に曰く、それは「公務の能率的遂行」のためなのだ、と。しからば検察官に尋ねたい。公務の能率をあげるためには、かくも重大な違法の公務でも刑法上適法とされて当然だというのか。かくも重大な違法の公務でも、その能率的遂行のためには、その重大な違法による国民の重大な損害は無視して構わないというのであろうか。
[430] これに対して、検察官は、個人の利益と社会公共の利益とが調和をたもつような解釈が必要なのだ、と答えるのみである。曰く、いわゆる主観説は社会公共の利益を偏重しすぎており、いわゆる客観説は個人の利益を偏重しすぎている、だから両説の中間として、いわゆる折衷説が正しい、と。
[431] ところで、本件でわれわれは、学説一般についてあれこれと論じているのではない。あくまでも本件の具体的事案に即して、本件における争点に的をしぼつて議論することが、何より必要である。では、本件における公務執行妨害罪の成否をめぐる、理論上の最大の焦点は何か。それはほかでもない。かくも重大な違法を有する公務が刑法の世界に入ると適法とされて特別の重い刑罰によつて保護される、そういうことが法理論として認められるかどうか。これである。
[432] そこで検察官に聞きたい。あなたがたの所謂「調和」とは、何を基準にして調和をはかるというのであろうか。教育関係法規中の憲法ともいえる教育基準法に違反するという、かくも重大な違法がありながら、それが適法な公務として、しかも厳重な刑罰の鐙に守られて、社会公共の中を大手を振つてまかり通ることが、どうして個人の利益との「調和」だと言えようか。
[433] 検察官が弁論で言うには、その調和とは、一般社会の良識を基準にしてバランスをとるものである、と。曰く、「一般社会の良職によつては当然保護に値すると考えられる」そういう公務の「能率的遂行」を阻害しないようにすること。これが個人の利益と公共の利益との調和をはかる場合の基準なのだ、というのである(検察官弁論要旨その三。16頁)。
[434] しかし、いまここで問題になつているのは重大な違法の公務が刑罰による保護をうけるかどうか、この点である。これに抵抗した国民が通常の暴行罪脅迫罪よりも遥かに重い(罰金もない)刑罰をうけることになるかどうか、その法的な基準が何であるかを論じているのである。それなのに、いつたい検察官の所論は、何という曖昧さであろう。検察官はその基準として、ただ「一般社会の良識」から「当然」かどうか、と言い放つだけである。一般社会の良識とは何なのか。良識から当然とはいかなる判断をいうのか。
[435] そもそも刑罰権の行使の基準として、「一般社会の良識」なるものを想定すること自体、不合理きわまる話である。有罪として処罰されるかどうか、その基準が、内容の何ら具体的でない一般社会の良識だとされたのでは、処罰をうけるかも知れない国民の側の不利益さは、この上もなく重大である。このような曖昧な基準を設定すること自体、実際問題としては違法な公務執行による人権侵害を、制度的に準備するにも等しい。これでは「調和」など、実際には、はじめから望みうべきもないのである。
2. 曖昧な基準
[436] 検察官の引用する福岡高裁の判決は、いずれもこの点に共通した、決定的な誤りがある。
[437] たとえば検察官の引用する、学力テスト事件の福岡高裁・荒尾事件判決(39・5・13)をみてみよう。学力テストについて、もしも、あえて一般社会の良識とか一般の見解というのなら、こと教育問題に関する以上、教師や教育専門家の圧倒的多数が学テは違法だという明確な見解をもつていた、これこそ学テについての社会の一般通念ではないのか。
[438] ところが同判決曰く、
「………所論にいわゆる教育公務員の一般通念の存在の有無はとも角、なお一般の見解上もこれを公務員の職務執行行為と見られる………」
[439] いつたい、「存在の有無はとも角」とは何であろうか。なぜ、なにを基準に、「なお一般の見解上も」と言えるのであろうか。判決の論旨は断定はあるが論証がない。
[440] 学者の批判がこの点に集中したのは、けだし当然であつた。たとえば福田平教授は、この判旨をつぎのように批判した。
「なにを一般の見解とみるかは、理解する側の主観的態度にかなりの程度、影響される………折衷説のあいまいさを露呈していることになろう。
 また右のように、なにが一般人の見解かが明瞭でないところから、一般人の見解を基準とすると、わが国のような社会状況のもとでは、きわめて多くの違法行為が「適法な」公務執行と解され、消極説とことならないことになり、職務行為の適法性を要求する趣旨がほとんど没却されてしまうことになる」(判時471・評論99・16)
[441] まさに的を射た批判ではないか。
[442] もはや現在では、このような一般の見解なるものを、公務執行妨害罪における公務の適法性の判断基準に持ち込む学説は、殆んどないと言つてよい。判例も、すくなくとも日本国憲法施行後の判例の大勢としては、いわゆる客観説が主体となつている。(註4)
3. 「一見明白」論の誤り
[443] ところで、この一般社会の良識、あるいは社会通念ということについて、検察官は、つぎのようにも言う。かりに主務官庁の行政解釈が間違つていても、その誤りが「一見明白」でないかぎり、これに則つて行われる公務執行は、「それはそれとして刑法上保護せられるべきは当然である」と。
[444] この点の誤りについても念のため、法律論の上での問題点を整理しておく必要があると考える。
[445][1] まず、当該公務員が違法な職務命令にも一応従うべきかどうか、すなわち、拒否した場合に懲戒事由になるかどうかという場合の違法性と、その公務員を通じて国民に対して行われた職務執行に対する国民の側からの抵抗が公務執行妨害罪の処罰の対象になるかどうかという場合の職務執行の違法性の問題とは、全く意味内容が異なる。
[446] そもそも主権者たる国民との関係において、およそ違法の公務が、とりわけ重大な違法の公務が刑罰による特別の保護をうけることは、はなはだしい背理である。その違法が執行当時に一見明白になつていようと否とに、それは本来関係ないことである。
[447][2] また実際問題としても、この「明白性」ということを強調すると、結局は殆んどの違法の公務が、しかも重大な違法の公務までも刑法上適法として保護されてしまう結果となる。
[448] とりわけ、公務執行においてその根拠となる法律解釈を誤つた場合は、その誤りが公務執行の当時「一見明白」であつたということまで論証することは、実際問題として極めて困難である。(註5)
[449] なぜなら、本件のように、学テ実施当時すでにその重大な違法が一般的に顕在化していたといえる事案についてすら、検察官はその違法は未だ一見明白ではなかつたと主張しているのである。しかもその論拠として検察官の弁論に曰く、「特定の政治的、思想的立場にない世間一般」も「法律専門家の一般見解」も、本件学力テストを違法と言つていなかつた、と。
[450] この一事をみても、実際、かくも重大な違法の公務についてさえ、違法かどうかの問題が、それが明白になつていたかどうかの問題におきかえられ、しかも、そのいわゆる明白かどうかは現実には検察官の胸三寸で決められてしまうことが判る。
[451] 日教組60万人の組合員が、その生徒の父母、さらに圧倒的な教育学者・法学者の、文字通り広汎な支持をうけて本件学力テストに反対したのは、いずれも、その重大な違法を確信していたからである。森川弁護人が冒頭に指摘したとおり、本件学力テストの重大な違法性は、その実施の前にすでに国民的な規模で広汎に明らかにされていた。
[452] これを検察官は、「特定の政治的思想的立場」云々の一言で殊更に無視するのである。このことが示すように、違法性の一見明白性ということまで要件に介在させるならば、こうして、重大な違法の公務をも野放しに、しかも特別に重い刑罰でこれを保護するという大変な不合理を生ずることは避けられない。
[453] このような背理をあえてする検察官の立論は、検察官の主張の本旨が、ひたすら公務を公務なるが故にその円滑な執行を特別に刑罰で保護しようという観点にもとづいていることを示している。そこには、国民の人権は、具体的には何ら考慮されていない。
[454][3] のみならず、被告人らの裁判をうける権利との関係からみても、検察官の所論の誤りは明らかである。
[455] 本件学力テスト実施に先立つて、文部省の学力テスト実施計画そのものを行政訴訟手続で争うことが、はたして可能であつたろうか。その取消を求めたり停止を求めることが、行政訴訟手続で可能であつたろうか。
[456] 現行の行政事件訴訟法(昭37・10・1施行)のもとでならば、あるいは日教組が文部省の学力テスト実施計画ないし措置そのものを訴訟で争う方法も理論上許容されうるであろうか。それはともあれ本件当時、すなわち昭和36年10月当時には、いかなる意味でもそのような争訟手続の道はとざされていた。(ちなみに、校長の行為をとりあげこれを事後的に取消訴訟で争うことも、その校長の行為が行政行為ではない即時執行的事実行為であるために、これまた実際問題として出来ない。)(註6)
[457] 本件の場合、被告人としては、たまたま、まことに不本意ながら刑事訴追をうけて公判廷に立たされることになつた。この公判手続を通じてしか、本件公務の違法性を裁判で審査される機会を他に有しない。したがつて本件においては、この刑事公判においてこそ、本件公務の適法性について裁判所の客観的かつ全画的な司法審査がなされなければならない。そうでなければ、公務執行妨害罪の成否が争われる本件公判手続において、その公務の違法性において司法審査をうける機会を閉ざされたまま有罪として処罰されることにもなり、それでは、被告人の裁判をうける権利は大きくそこなわれるからである。
[458] 検察官の所論は、公務の違法性の問題を「一見明白」かどうかの問題におきかえるものであつて、それは、ほかならぬこの違法性について、裁判所における司法審査の機会を事実上奪い去るものである。
[459] このように、公務執行妨害罪の公務の違法性について、その明白性までも要件とすることは、いかなる意味でも主権者たる国民の基本的人権を侵すこと甚だしいものであつて、到底、法理論として容認できない。
4. 本件公務における判断基準
[460] それでは、本件公務についての適法性の判断基準はこれを何に求めるべきであろうか。
[461] 結論を先に言うならば、かくも重大な逮法の公務は、刑法上これを適法として保護することは出来ない。この一語に尽きる。
[462] ただ、原判決は、本件公務の適法性を判断するにあたつて、公務それ自体を客観的に判断しつつ、これに公務執行当時の状況をも加味して判断するという手法を用いている。そこで念のため、はたして本件公務の適法性を判断するのに、このような当時の状況の加味という手法が、法理論として必要なのかどうかを検討してみよう。その作業は、本件公務の適法性の判断を、より正確ならしめるものであつて、原判決の論旨を補い、その基調と結論の正しさを、より明確に裏づけることになるからである。
(1) 非権力的公務の特殊性
[463] まず最初に、ここで看過すことのできないポイントがある。それは、本件公務が非権力的公務であること。この本件公務の特殊性に焦点をあてて問題を解明する作業を、なおざりにする訳にはいかない。
[464] なぜなら、すでに答弁補充書(その一)に詳しく述べたとおり、刑法第95条が非権力的公務まで対象に含めた、その異例の立法趣旨は、明治政府特有の君権至上主義の理念を盛り込つだものであつた。しかもその現実の運用は、一連の治安立法と固く結びついて、絶対主義天皇制の人権抑圧を支え助長する役割をはたした。この経過をふりかえつて考えるとき、日本国憲法の国民主権、基本的人権の原理のもとでこの非権力的公務をふくむ公務執行妨害罪が存立を許されるためには、その適法性の要件について、とりわけ厳格な解釈が要求されるのである。
[465] 前述のとおり、すでに旧刑法制定の当時ボアソナードは、およそ官権の行使に対しては、その法に適するといなとを問わず理のあるといなとを問わず、これに従うことが人民第一の義務であると説いた。これがグナイストの講説に象徴される君権絶対のイデオロギーと結合し、一層エスカレートして明治40年の刑法改正へと受けつがれたのである。ここに「公務員の職務執行の安全」と「公務員または公務所の尊厳」をうたい、非権力的公務まで含める異例の立法をあえてした現行刑法第95条が誕生した。
[466] いまや、国民主権と基本的人権を旨とする日本国憲法の基本原理に照らしても、この非権力的公務まで範囲を拡大した立法の基本理念が、もはや現代に通用する筈のないことは言うまでもない。
[467] しかも最近の学説では、公務執行妨害罪の本質と業務妨害罪との関係、とりわけ非権力的公務まで公務執行妨害罪に含めるという立法そのものの不合理に着目して、非権力的公務は公務執行妨害罪から除外する解釈論が吉川教授をはじめとして有力になつている(吉川・刑法講座第5巻「公務執行妨害罪の問題点」。団藤・刑法綱要各論、増補版558頁)。
[468] 公権力と人権との拮抗関係をめぐる公務執行妨害罪については、とりわけ日本国憲法の制定後、その人権保障理念をふまえて学説の展開をみた。まず権力的執行により直接の人身の被害に焦点をあてて、権力的公務執行の適法性の要件を厳格に解釈しようとする伊達教授の説があらわれた(伊達・刑事法講座第4巻)。その後、学説はさらにすすんで、非権力的公務は公務執行妨害罪の対象から除外するという学説が、いまや有力になつているのである。
[469] こうしてみると、もしも刑法第95条の解釈として、従来の判例のように非権力的公務までその対象に含める立場をとるならば、その成立要件の解釈はきわめて厳格になされなければならないことになろう。
[470] 厳格に、とは2つの意味において。つまり非権力的公務の場合も重大な違法の公務が軽々に適法とされることのないよう、その適法性の判断は厳格になされるべきであり、また同時に、その場合、従来の公務執行妨害罪の解釈において権力的公務執行を念頭において構成されてきた特有の理論構成が、そのまま非権力的公務の適法性の解釈論として安易に流用されてよいかどうか、理論的に厳格な吟味を必要とするのである。この後者の点について、ここで問題を解明したい。
(2) 最決41・4・14の意味
[471] たとえば最高裁判所昭和41年4月14日決定は、原審大阪高等裁判所昭和40年9月9日の判決の判断を相当として支持したものであるが、この原審判決は現行犯逮捕の事案について、つぎのように判示している。
「職務行為の適否は事後的に純客観的な立場から判断されるべきでなく、行為当時の状況にもとずいて客観的、合理的に判断されるべきであつて、前段認定のごとき状況の下においては、………その当時の状況としては……右挙動は客観的にみて同法違反罪の現行犯人と認められる十分な理由があるものと認められる」
[472] この論旨は「行為当時の状況」を考慮して、「客観的、合理的」に判断すべしというもので、公務員の主観によつて、適法になるという大審院昭和7年3月24日の判決とは、質的に異なる。ただ、行為当時の状況を考慮に入れて、「………のごとき状況の下においては………その当時の状況としては………右挙動は客観的にみて………現行犯人と認められる十分な理由がある」とした。いつたい、その職務行為の適否を、なぜ、事後的に純客観的な立場から判断しなかつたのであろうか。
[473] それはほかでもない。この事案が、現行犯逮捕という権力的公務執行の場面であつたことによる。現行犯の容疑者をみつけた警察官が、その現場で逮捕する場合、瞬時の間に突嗟の判断を迫られることが通常であろう。しかも現行犯逮捕の場合は、刑事訴訟法の法文上、その職務執行について「左の各号の一にあたる者が罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす」という一定範囲の認定権限が認められている。
[474] そういう事案なればこそ、その当該公務執行の現場では当時の客観的状況から現行犯と判断したのも無理からぬ事情があつたと認められる場合(注意義務をつくして裁量判断をしたと認められる場合)には、その突嗟の判断にもとづく公務執行をそのものとして刑法上保護する必要がある、と。こういう考えから、純粋に事後的な客観的判断によらない、この判旨のような解釈論も生まれたのである。
[475] しかし、考えてみると、犯人でないのに現行犯と間違つて逮捕されるのは、国民として誠に迷惑千万、大変な人権侵害である。いかに当時の状況がどうであつても、そのような違法な公務執行が適法として刑罰による特別の保護をうけるというのは不合理な話ではないか。だからこそ、現行犯逮捕の場合にも人違い逮捕は常に違法だと説く学説が、すでに戦前から、成り立つていた。前掲の滝川説がそれであり、現代でも公務の適法性を出来るかぎり純客観的に判断すべしと説く学説は決して少なくない(吉川・荘子・熊倉その他)。
(3) 「当時の状況」の介在する余地
[476] ところで、かりに百歩を譲つて公務執行当時の状況を考慮に入れつつ適法性の判断を行うという論理操作を、一応認めたとしても、しかしそのような論理の妥当するのは、ほかならぬ権力的公務執行においてのみである。非権力的あるいは現業的公務の場合、そのような「執行現場における突嗟の判断の保護」という要素は、どこにも介在しない。
[477] 本件の学テ実施という公務をみれば尚更はつきりする。文部省がその企画立案を着手してから現実に本件当日、斉藤吉春校長を通じて実施されるまで、かなりの長期間があつた。その間教師や教育学者など、教育関係者はもとより、その実施に反対する側からも賛成する側からも、多面的な議論が全国的に展開した。その焦点はただひとつ。本件学テ実施が憲法と教育基本法に違反する重大な違法のものであること。この点にあつた。本件の斉藤校長自身、本件学テ実施の前に、この論争に直接であれ、間接であれ、関与していた筈である。ほかならぬ道教委と北教組との論争経過についても、知らなかつた筈はない。
[478] つまり、学テ実施という本件公務については、事前に、文部省と道教委も、校長も、十分の余裕をもつて判断できる立場にあつたのであり、現行犯逮捕のように現場で突嗟の判断を迫られたといケースとは、まつたく事案が異なるのである。
[479] ちなみに公務執行妨害罪を権力的公務に限つているドイツ刑法の解釈論においては、執行当時の状況を考慮して当該公務員が義務に適合した裁量をしたかどうかを公務の適法性の判断基準とする学説がみれる。しかし、この権力的公務執行を前提とする特有の議論についてすら、これに歯止めをかける、つまり、違法な公務が軽々に適法な公務とされることのないように配慮した理論構成が、第1次大戦前の帝制時代から第2次大戦後の現代にいたるまで、学説上明確に打出されていることは注目に値する。答弁書第四章と答弁補充書(その一54~56頁)に、それらの学説を、その出典と合わせて引用したとおりである。簡単に要約すると、当時の状況に立ちかえつて適法性の判断をすることが許容されるのは、公務執行について当該公務員に一定の裁量権限が与えられている場合で、かつ、公務員が執行の前提となる事実の認定を誤つた場合、しかもその際、その事実の誤認が客観的状況の吟味をつくしたといえる場合にかぎられる。公務員の側で執行の根拠となる法律解釈を誤つて違法な公務を適法と誤信した場合は、執行当時の状況の如何にかかわりなく、その公務は常に違法である。と。これはリスト以来、フランク、ヴエルツエルと継承発展された刑法学説の定説といつてよい。そのなかでも、個々の公務員についてではなく公務員を通じて国民に対して執行される公務そのものの適否を判断すべしと繰り返し説いたフランクの理論、あるいは、公務員に裁量の余地があると否とを問わず、事実の誤認か法規の誤解かをも問わず、公務の適法性は厳格に事後的客観的に判断すべしと力説したシユミツトの理論は、現代においても示唆に富むものといえよう。
[480] 権力的公務について、しかも公務員に裁量の余地のある場合ついてすら、このように歯止めの理論が立てられていこと。さらには、そこでも純粋に事後的客観的に判断すべしと説く理論(有名なリスト=シユミツトの刑法教科書に、旧版を明確に改めて詳論されている)が成り立つていることは、まことに示唆に富む。
[481] その趣旨は、権力的公務について、わが憲法原理のもとにおける解釈論にも正しく生かされて然るべきものであろう。
[482] まして、非権力的公務であり、しかも現実に校長に裁量の余地すらなかつた本件公務については、その適法性について厳格に客観的判断がなされるべきことは、尚更当然である。
5. 本件に「折衷」を説く誤り
[483] 違法な公務が、とりわけ重大な違法の公務が、刑法の世界に入ると適法になつてしまうという論理を、法律論として認めることは出来ない。当該公務員が適法と確信すれば適法になる、と言い切つたのが、かの昭和7年の大審院判決であつた。その論法は沙汰の限りであること、いまや多言を要しない。検察官といえども、この判決に拠つてはいない。
[484] しかしまた、他方、公務そのものを客観的に判断する立場に立ちながらも、執行当時の状況にウエイトを置きすぎて結局、公務そのものの適否のきびしい判断にヴエールをかけてしまう論法も、現状の刑法理論としては安易にこれを認めることは出来ない。少なくとも本件のような、違法が重大な、非権力的公務については、執行当時の状況に立ちかえるまでもなく、公務それ自体を違法と解すべきであり、またそう解することによつて何らの支障も生じないのである。
[485] 原判決は、本件公務の違法性が重大であり、かつ本件公務が上下一体として行われたという特質を、内容において正しくとらえたために、正しい結論を出した。ただ原判決は、判断の形式において権力的公務と非権力的公務との区別に触れず、権力的公務特有の論理操作を用いた。すでに検討したとおり、少なくとも、本件公務については、このように当時の状況の考慮という屈折した論理操作を用いずに、ストレートに論じた方が、論旨はさらに優れたものになつたであろう。それはともあれ、原判決の結論の正しさは、以上の検討によつて、いつそう豊かに裏づけられたといえよう。
[486] いまや日本国憲法の制定後、国民主権と基本的人権の憲法原理のもとにあつては、公務の違法性をできるだけ客観的に判断していこうとする学説が、かつての滝川理論を継承して、さらに豊かに発展している。いまや、いわゆる客観説が刑法学界の定説となつているのは、もつともなことである。ただ、その場合、公務執行当時の現場の状況という要素に重きをおきすると、結局は公務員の主観によつて違法な公務を適法にしてしまうわけで、それでは、かつての昭和7年の大審院判決の誤りを再現する結果になる。この点については理論構成上きびしい注意が必要であろう。
[487] 以上のすべての検討を通じてあきらかになつたことは、当審における検察官の立論の本質である。検察官の弁論は、折衷説と称して、それがあたかも公平中立な解釈であるかのように論述した。しかし具体的な検討にしてみるとその実は、かくも重大な違法を有する本件公務についてさえもこれを刑法上適法であると論じた経過が露骨に示すとおり、それは、結局は公務に適法性を要しないとする立論と実質的には異ならないことが、明らかになつた。つまり、それは折衷説なる立論を通じて、実は、本件上告の機会に、かの昭和7年3月24日の大審院判決の論旨を、姿をかえて現代の最高裁判所の中に復活させようとするものにほかならない。
[488] 検察官の本件上告は、この意味でも必らずや棄却されなければならない。
[489] 本件各被告人らについて、建造物侵入等の罪が成り立たないことは、すでに弁護人提出の上告趣意書に詳述したとおりである。
[490] 当法廷における検察官の弁論は、その主張いずれも理由がなく、これに対してはとくに再反論の必要を認めない。
(註1) 答弁補充書(その一)とくに32~40頁
(註2) 室井・法律時報527号所収座談会「公務執行妨害罪と公務の概念」参照
(註3) 公務執行妨害罪において一般に、行為の対象(公務員)と保護の対象=保護法益(公務)とが区別される。本件でこの一般論をいくら進めてみても特別な答は出てこない。この点を云々する検察官弁論は具体的な意味をもたない。
(註4) 団藤編・註釈刑法(3)各則(1)54頁以下。答弁書第四章。
 戦後判例の発展については答充補充書(その一)40頁以下。
(註5) 公務執行の前提となる法律解釈を誤つた場合には事情の如何を問わず不適法、とする学説は、このような場合に実際上大きな意味をもつ。出典の詳細は答弁補充書(その一)55~56頁。
(註6) 杉村・兼子 行政手続・行政争訟法 352頁以下。
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