旭川学力テスト事件
控訴審判決

建造物侵入、公務執行妨害等事件
札幌高等裁判所 昭和41年(う)第218号
昭和43年6月26日 第3部 判決

被告人 佐藤彰 外6名

■ 主 文
■ 理 由


 本件各控訴を棄却する。
 当審訴訟費用中、証人白畠沢子、同菅野久光、同氏本利光に各支給した分は、被告人佐藤彰、同松橋武男、同浜埜登の連帯負担とし、証人江津繁に支給した分は、被告人松橋武男、同浜埜登、同外崎清三の連帯負担とする。


[1] 本件各控訴の趣意は、旭川地方検察庁検察官検事田中悟作成の控訴趣意書ならびに弁護人南山富吉外4名作成の控訴趣意書に記載されているとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人南山富吉外4名作成の答弁書(2通)に記載されているとおりであるから、それぞれこれを引用し、右各控訴趣意に対し次のとおり判断する。
[2] 所論は要するに、昭和36年度全国中学校一斉学力調査(以下、「本件学力調査」という。)を違法として、被告人松橋、同浜埜、同外崎につき単に共同暴行の事実を認定するに止まり公務執行妨害罪の成立を否定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、ひいては法令の適用を誤つた違法があるとするものである。
[3] そこで、本件学力調査の適法性について考察したうえ、被告人松橋、同浜埜、同外崎に対する各公務執行妨害罪の成否について判断する。
[4] 本件学力調査実施にいたる経緯は原判決第一章第一節第一に説示するとおりであるが、その適法性の判断に必要な限度で、これに若干附加して説明すれば、次のとおりである。すなわち、文部省は昭和35年秋頃、全国中学校2、3学年の全生徒を対象とする一斉学力調査を企画し、これを雑誌等を通じて明らかにした後、昭和36年3月8日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一斉学力調査の実施期日について(通知)」と題する書面および同年4月27日付同連名による「昭和36年度全国中学校一斉学力調査実施について」と題する書面を、調査実施要綱を添付して各都道府県教育委員会教育長等にあて送付し、各都道府県教育委員会に対し、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、「地教行法」という。)54条2項に基づき、右調査実施要綱による調査およびその結果に関する資料、報告の提出を求めた。右調査実施要綱は、
(1) 本件学力調査の目的は、(イ)文部省および教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立および学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ロ)中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、(ハ)文部省および教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)文部省および教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行なうための資料とすること等であり、
(2) 調査の対象は全国中学校第2、3学年の全生徒とし、
(3) 調査する教科は国語、社会、数学、理科、英語の5教科とし、
(4) 調査の実施日時は昭和36年10月26日午前9時から午後3時までの間に、1教科50分として行ない、
(5) 調査問題は文部省において間題作成委員会を設けて教科別に作成し、
(6) 調査の系統は、都道府県教育委員会は当該都道府県内の学力調査の全般的な管理運営に当る、また市町村教育委員会は当該市町村の公立中学校の学力調査を実施するが、右実施のため原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、同教員を同補助員に命じ、さらに教育委員会事務局職員などをテスト立会人として各中学校に派遺し、
(7) 調査結果の整理集計は、原則として、市町村立中学校については市町村教育委員会が、都道府県立学校については都道府県教育委員会が行ない、都道府県単位の集計は文部省に提出するものとし、
(8) なお、調査結果の利用については、生徒指導要録の標準検査の記録欄に調査結果の換算点を記録する、
等の内容を含むものである。
[5] そこで、北海道教育委員会は、同年6月20日付教育長名の通達により道内各市町村教育委員会に対して同旨の調査およびその結果に関する資料、報告の提出を求め、これを受けた旭川市教育委員会においては、同年10月23日同市立の各中学校長に対し、学校長をテスト責任者として各中学校における本件学力調査の実施を命ずるにいたつたものである。
[6] なお、右北海道教育委員会および旭川市教育委員会の権限行使の根拠規定としては、それぞれ地教行法54条2項、同法23条17号があげられていた。
[7] 所論は、原判決が本件学力調査実施の実質上の主体を文部省と認定したのは調査主体の認定を誤つた違法があると主張する。なるほど、本件学力調査は各市町村教育委員会(以下、教育委員会を「教委」という。また、都道府県教委と市町村教委を含めた意味で「地方教委」という。)が地教行法23条17号により教育に係る調査を行なうという名目で行なわれているから、形式的には各市町村教委がその主体であるといい得るであろう。しかし、実質的にも市町村教委がその主体であると解することは、前項でみたように、本件学力調査は、その対象者、調査教科、実施期日および時間割、問題作成の手続、調査実施機関の系統および各機関の役割、調査結果の整理集計および利用等の一切を文部省が定め、各地方教委においてはこの点についての裁量の余地がなく、文部省の企画指導どおりに本件学力調査を実施しその結果を報告すべきものとされている実態にそぐわない見方といわざるを得ない。この点につき、所論は、本件学力調査は文部省と都道府県教委および市町村教委の3者の協力による調査であつて、調査の目的に最も即した方法として文部省が調査期日等を統一しこれによる調査結果の提出を求めることは最も望ましい協力方法であるとして、市町村教委の自主性ないし主体性を強調するもののようである。しかし、本件学力調査の実施要綱の作成等に当つて文部省が地方教委の意見を何ら求めていないこと、また同省においては、地方教委は本件学力調査をその実施要綱に従つて実施することを法的に義務づけられると解してその旨の行政指導を行ない、(証拠略)市町村教委においてもそのように受け取つていたものと認められること等からすれば、本件学力調査の実施を目して、文部省の都道府県教委および市町村教委に対する協力関係と理解することは到底できないといわざるを得ない。したがつて、原判決が本件学力調査実施の実質上の主体を文部省と認定したのは相当であつて、以下においてもこのことを前提として議論を進めることとする。
[8] そこで、次に、文部省が本件のような学力調査を実施する権限があるか否かを検討するが、この点の検討に当つては、まず、本件学力調査の性質、内容およびその及ぼす影響等をさらに掘り下げて考察する必要があると思われる。
[9] まず、原判決が指摘しているように、本件学力調査の実施のためには各学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上、文部省が各学校の教育内容の一部を強制的に変更させることを意味する。次に指摘できるのは、本件学力調査は、前記実施要綱から明らかなように、全国中学校生徒を対象としてその学習の到達度および学校の教育効果を知るという性質を持ち、かつ正規の授業時間内に教員等の監督の下に行なわれるうえ、その結果は生徒指導要録に記載すべきものとされていることである。すなわち、それは教員が特定の教科について自己の学習指導の結果をテストによつて把握するのと何ら異ならず、教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有するといわなければならない。さらに無視できないのは、原判決も指摘するように、本件学力調査の日常の学校教育活動に及ぼす影響ということである。すなわち、このような調査が全国中学校の全生徒を対象として実施される結果、教育の現場において、その調査の結果が各学校又は各教員の教育効果(成績)を測定する指標として受け取られ、したがつて各教員を含む学校関係者としても右の調査の結果に関心を持たざるを得ず、これを向上させるため、日常の教育活動を、調査の実質的な主体であり問題作成権者である文部省の学習指導要領等に盛られた方針ないし意向(学習指導要領の法的拘束力については後述参照)あるいは従前の調査問題の傾向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ない。もとより、右の危険が単なる抽象的な危険に止まるか、あるいは現実化したものであつてもそれが一部学校関係者の特異な思惑によるもので、本件学力調査に内在する特性に基づくものでないとするならば、本件学力調査の適法性の判断に当つてこの点を考慮するのは相当でないといえようが、原審および当審事実調の結果によれば、右の危険は現に一部の県において現実化していることが窺えるし、また右の県の現象は極端な例であるとしても、本件学力調査は、その持つ諸特性、すなわち、その対象者、教科の限定、問題の作成方法、調査の実施方法、結果の利用方法等からみて、客観的にも――程度の差こそあれ――右のような現象にいたるおそれを内包していると認めざるを得ない。
[10] 以上のようにみてくると、本件学力調査は生徒に対する教育活動としての性格を帯びるとともに、文部省の学校教育に対する介入の面をも有し、ひいては――文部省がそれを意図ないし意識するか否かにかかわりなく――現場の教育内容が文部省の方針ないし意向に沿つて行なわれるおそれをもはらむといわなければならない。現行教育法体系のもとでこのようなことが許されるであろうか。
[11] この点についてまず問題となるのは、教育基本法10条の規定である。同条は、まずその1項において、教育は不当の支配に属してはならないとするとともに、2項において、教育行政は右の教育の目的達成に必要な諸条件の整備確立を目標としなければならないと定めている。右規定の趣旨は、広く指摘されているように、かつて我国においてみられた教育の国家統制に対する反省の上に立ち、教育が政治等による不当な支配を受けることなく、国民全体のものとして自主的に行なわれるべきものとするとともに、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果をあげ得ることにかんがみ、教育の現場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明したものと解すべきである。もとより、所論の指摘するように、教育は近代国家にとつて最も重大な関心事であり、教育の振興は国や地方公共団体に課せられた重大な使命であつて、このことからすれば、ここにいう教育条件の整備確立が教育施設の設置管理、教育財政および教職員の人事等の教育の外的条件の整備に限られ、教育行政機関の教育内容および教育方法等への関与が一切排せられていると解するのは相当でない。しかし、前述した同条の沿革、趣旨等からすれば、右の教育内容および教育方法等への関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。このことは関係教育行政法によつて、教育行政機関が全体として教育に対する監督統制的な性格なものでなく、広く指導、助言、援助を与える性格のものとされていることからも窺えるところである(地教行法48条、文部省設置法4条、5条等参照)。さらに、国については、教育委員会制度の採用によつて教育の地方自治が徹底され、地方教委に当該地方における教育に関する限界が帰せられた結果(地教行法23条、33条、43条等)、その権限は、右地方教委の権限の範囲内の事項については、さらに制約を受けると解せざるを得ない。すなわち、国の前述した教育方法および教育内容等への関与は右の地方教委の権限と抵触しない、専ら全国的観点からなされる大綱的なものに限られるといわなければならない。
[12] そして、もし教育行政機関にして、右の限界を超え教育内容等に介入することがあるならば、それは教育基本法10条1項の「不当な支配」になるといわざるを得ない。この意味において、国、地方公共団体等の教育に関する権限を有する機関もまた同条1項の「不当な支配」の主体たり得るのである。もとより、右の「不当な支配」の主体は、国、地方公共団体に限られるものではない。その他、政党、労働組合、財閥、宗教団体その他個人にいたるまで、政治、経済、宗教等社会のあらゆる勢力がその主体たり得るといわなければならない。この点、所論の指摘するように、原判決が国家の行政作用のみが不当な支配となり得るかのように述べているのは少なくとも表現として適切を欠く。しかし、前述した同条の沿革からみて主として問題になり得るのが、原判決のいう国家の行政作用(特に権力的な作用)であることは否定できないであろうし、また本件においてもまさしくそれが問題になつているのであるから、原判決のこの点に関する説示を目して違法とすることはできない。
[13] 以上述べたところからすれば、前述した性質、内容および影響を有する本件学力調査の実施が許容されないことは多く言わずして明らかなところであろう。すなわち、本件学力調査は実質的にみて教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして違法と断ぜざるを得ない。
[14] 所論は、これに対して、初等、中等普通教育の内容に対する国の行政作用の関与の必要性をるる説き、また学校教育法38条、同法附則106条により、中学校の教科に関する事項は文部大臣がこれを定める旨規定されており、かつそこにいう「教科」には狭義の教科のみでなく教育課程も含まれると解すべきであるから、同法施行規則54条の2の規定と相まつて、文部大臣が教育課程の基準として定め公示した中学校学習指導要領には法的拘束力があり、原判決にはこの学習指導要領の法的拘束力の範囲を不当に狭く解釈した違法があると主張する。しかし、初等、中等普通教育の内容に対する国の行政作用の関与の必要性ということから、直ちに前述した性質、内容および影響を有する本件学力調査が許容されると解することには論理の飛躍があろう。また所論中、中学校学習指導要領の法的拘束力について云々する部分は、要するに、本件学力調査の問題が法的拘束力ある学習指導要領に準拠して行なわれたことをもつてその適法性を論証しようとするものと解せられるが、既に述べたところからすれば、学校教育法38条が文部大臣に、学習指導要領にみられるような教育内容や教育方法についての詳細な定めをなす権限を与えたものとは到底解されず(なお、所論は、学習指導要領は教育内容についての国家的大綱的基準を設定したに止ると主張するが、学習指導要領の内容からみて、そのように解することはできない。)、むしろ、原判決が説示するように、同条は、中等教育が義務教育であることを考慮し、その教育課程の編成について、文部大臣が義務教育であることから最少限度要請される全国的画一性を維持するに足る大綱的な基準を設定すべきものとした趣旨に解するのが相当である。したがつて、学習指導要領のうち、右のような大綱的な基準の限度を超える事項については、法的拘束力がなく単に指導助言的な意味を有するとしなければならない。そうすると、文部省が本件学力調査におけるような具体的な問題を作成し、これを実施したうえその結果の報告を求めるというようなことは、明らかに文部省の権限を踰越するものというほかはない。したがつて、本件学力調査の問題が学習指導要領に準拠して作成されたということは、本件学力調査が実質的に違法であることの評価に影響を及ぼすものではない。
[15] 本件学力調査が手続的に地教行法54条2項を根拠とするものであることは、さきに見たとおりであるところ、所論はその手続的適法性についてもるる述べるので、念のためこの点についても判断を示すこととする。
[16] 結論を先に述べれば、地教行法54条2項は本件学力調査の手続上の根拠規定とはならないといわなければならない。すなわち、右規定は教育行政機関の調査(いわゆる行政調査)を予定しているものと解せられるが、そこにいう調査の範囲、内容等はやはり現行教育法体系全体との関連において決せられなければならないのである。そして、前述したように教育基本法等において教育と教育行政との分離が基本とされていることからすれば、右規定にいう調査は教育活動としての実質を有しない客観的な資料の把握にとどまるべきものと考える。したがつて、本件学力調査が、すでにみたように教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有する以上、それは右規定にいう調査のわくを超えるものと言わざるを得ない。
[17] のみならず、地教行法53条2項の規定と対比して考えると、右54条2項は、地方教委が自主的に実施した調査等の結果を文部省等においても必要に応じて有効に利用し得るためその提出要求権(地方教委からみればこれに応ずる義務)につき規定したものと解するのが相当であり、本件学力調査のように、文部省の資料提出等の要求に基づき地方教委が新たな調査をしかも文部省の企画どおりに実施し、その結果の報告を義務づけられるというようなことは、同条の本来予想しないところといわなければならない。また、右54条2項の規定が地方教委に対し既存資料の提出義務を負わせたにとどまらず、文部省の提出要求に見合う資料等がない場合は新たな調査等を実施しその結果を報告する義務を負わせたものと理解できるとしても、調査の主体が地方教委とされる以上、右義務には自ら調査の規模、内容それに要する予算等の面で限界が存するというべきであり、本件学力調査のように対象が広範囲にわたるとともに大規模な予算を伴ない、かつ地方教委において全く裁量の余地がない調査の実施を右規定によつて地方教委が義務づけられると解することは到底できないというほかはない。
[18] 以上述べたところにより、地教行法54条2項を手続上の根拠として本件学力調査を実施することはできないといわなければならない。
[19] 本件学力調査が実質、手続両面とも違法なものと解すべきことは前述したとおりである。しかも、この違法の程度が重大なものであることも、前述したところから明らかであろう。
[20] ところで、公務執行妨害罪の成立するためには、当該公務の執行が適法であることを要すると解すべきであり、かつこの適法性が備わつているかどうかの判断はあくまでも客観的になされるべきであり、単に公務員において適法要件が備わつていると信じただけでそれが適法性を備えるものでないことはもちろんであるけれども、事後において純客観的にみるならば公務員がその権限を適法に行使し得るとした判断ないし認定に誤りがある場合でも、その行為当時の具体的な情況に照らし公務員がそのように解したことが相当であつたと認められるときは、当該公務の執行はなお客観的にも適法なものとして公務執行妨害罪の保護の対象となると解すべきである。そして、右の相当であつたかどうかの考察は、公務の執行が特定の公務員の独自の判断によつて行なわれた場合は当該公務員についてのみこれをなせば足りるが、本件学力調査のように、それが上級機関の決定および指示命令に基づき行なわれ、現実に公務を執行した公務員に裁量の余地がないような場合は、当該公務員についてのみでなく上級機関をも含めて全体的にこれをなすことを要すると解するのが相当である。なぜなら、公務執行妨害罪の保護法益が公務員によつて執行される公務という国家的な利益である以上、ある公務員の行為が公務として刑法上保護の対象となるか否かは、それが国家機関の公的な作用として保護に値するかどうかの観点からなされるべきことは明らかであるが、右の後者の場合は、決定命令機関を含めた上命下服の関係にあるすべての機関を一体として観察しなければ、国家機関の公的な作用として保護に値するかどうかの判断は適切になし得ないと考えられるからである。しかるところ、本件において、上級機関である文部省が本件学力調査が適法であるとしてこれを実施しようとしたことが相当であつたとは認められないこと原判決の説示するとおりであると認められるから、原判決が認めるように、直接本件学力調査実施の任に当つた学校長等の立場からすれば、自己の行為を適法と信ずるについて相当な理由があつたと思われることを考慮しても、なお、本件学力調査が前述した観点からの適法性の要件を備えていたと解することはできない。
[21] 以上を要するに、本件学力調査は適法な公務の執行とは認められないから、これと同旨の見解によつて被告人松橋、同浜埜、同外崎に対し公務執行妨害罪の成立を否定し、単に暴力行為等処罰に関する法律違反の成立を認めた原判決は相当であつて、所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。
[22] 所論は、被告人広岡、同伊藤、同加賀谷につき、佐賀校長に対する暴行とみるべき事実は認められないとして無罪を言い渡した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとして、原判決がその判断の基礎とした個々の事実認定をほぼ全面的に争うのである。
[23] そこで、所論の各論点に即して原判決の事実認定の当否を判断することとする。
[24] 所論は、まず、昭和36年10月24日から翌25日早朝にかけて歌登村教育委員会と同校長会との交渉の結果成立した「混乱が予想されるときは校長の判断で学力調査を中止することも止むを得ない。」との了解事項は、あくまで職務命令どおりに学力調査を実施することが前提となつており、やるだけやつてみてどうしても困難な場合に混乱を避けるためその取扱いを校長の判断に一任したものと解され、また同日の校長会と北教組歌登支部(以下「組合」ともいう。)との交渉結果も、校長会側としては、組合側に対し、職務命令を受けた以上学力調査をやらざるを得ないが、村教委との間に、「混乱が予想される場合は校長の判断で中止することもできる。」との了解をとつてある旨を伝えて一応了承を得たにすぎず、結局、前記村教委と校長会の了解事項の域を出るものではないとして、原判決が同日の校長会と北教組歌登支部との交渉の結果、
「学力調査当日は他校の教員が校長のもとに説得に赴き校長はこの説得に応ずる。そして、説得の間にテスト開始時刻が経過しテストを強行すれば混乱が予想されたという形でテストを中止する方向に持つて行く。」
旨の含みが暗々裡に了解されたと認定していることを非難する。
[25] そこで、まず、昭和36年10月24日から翌25日早朝にかけて行なわれた歌登村教育委員会と同校長会との交渉の結果成立した了解事項の一つである、「混乱が予想されるときは校長の判断で学力調査を中止することも止むを得ないこと。」との意味ないしそれについての出席者の認識について考察するに、原審証人青山金市(分離第9回)、同佐賀菊蔵(同第11回)、同小笠原宗雄(同第31回)、同安斉精輔(同第32回)、同柴谷千代松、同南部勲(以上同第33回)の各供述によれば、昭和36年10月24日開催された歌登村教育委員会と同校長会の本件学力調査実施をめぐる交渉の席上、校長会側が村教委に対し学力調査の実施を中止しそれについての職務命令を出さないことを強く申し入れたのに対し、村教委側はあくまでもこれを拒み、行政処分をも辞さない旨ほのめかしながら職務命令の受理を求め、交渉は深更に及んだが妥結の見通しがたたず、そのままでは無条件の職務命令が出される雲行になつたため、校長会側としては別室に退いて協議の結果、前記の事項を含む4つの条件を附して職務命令を受けることにしたこと、右交渉の過程において村教委側から教育委員会のめんつを立ててもらいたいとの趣旨の発言もあつたことから、校長会側のメンバーの中には、村教委としても絶対に学力調査を敢行するというわけではなく、調査実施の形式だけを整えればよいという腹を持つていると感じた者もいたことがそれぞれ認められる。
[26] 次に、原審で取り調べた、同25日の同校長会と北教組歌登支部との交渉の経緯およびその結果に関する各証拠中、証人佐賀菊蔵(分離第11回)、同大久保慧(同第30回)、同小笠原宗雄、同中座伶(以上同第31回)、同安斉精輔(同第32回)、同柴谷千代松、同南部勲(以上同33回)、同森下幸次郎(同34回)の各供述によれば、右交渉の結果校長会と組合側との間に原判決が説示するような含みが暗々裡に了解された事実を十分認定できる。所論は、これに対し、もし校長会と組合側との間に原判示のような了解がなされたとするならば、本件学力調査当日早朝の佐賀校長の言動は全く理解し難い、すなわち、
(1) 同校長が原審公判廷において、当日朝被告人らに対し「話合をして円満解決できるものであれば実施の段階に入つてもよいが混乱が予想されるということもあるから、その場合はできないから実施しない。」と答え、またその段階では一応職務命令を受けた校長の立場として円満に話合いができればできると考えていた旨供述していること、
(2) 同校長が当日朝始業前の職員会議の席上遂に職務命令を受けざるを得なかつたと涙を流していたこと、
(3) 同校長が当時2階の教室にいた中学3年生を階下の中学2年生の教室の隣に移動するよう職員会議の席上指示し、また調査対象学年以外の生徒は帰宅させるよう指示して調査実施態勢を整えたこと
等を説明することは困難であると主張する。しかし、佐賀校長が一面において、校長として職務命令を受けた以上これを無視することができず、その見込は薄いとしても組合側と円満な話合いさえつけば学力調査を実施せざるを得ず、またそのための努力を払わなければならない――少なくとも、その外形を整えざるを得ない――立場にあつたことを考慮し、なお、原判決も指摘するように、前記校長会と組合側の了解事項がその性質上明確な取り決めというのではなく、暗々裡に了解された「含み」という性質の強いものであることを併せ考えると、一見前記校長会と組合側の話合いの趣旨に矛盾するかのように思われる右(1)および(3)の点も、必ずしも原判決のように認定することの妨げとなるものではない。また(2)の点については、前述したような条件が付されてのこととはいえ、村教委から職務命令を受けたことは決して校長会の意に沿うものでなく、現に村教委から書面で職務命令を受けたとき校長会メンバーの中には泣いていた者もいたこと(前掲佐賀の供述)、また校長のうち安斉本幌別小中学校長および佐賀校長は、右職務命令を受けたことの責任をとつて校長会と組合側の話合の席上、それぞれ北教組歌登支部長および文教部長の辞表を出したこと(前掲安斉の供述)からすれば、前記校長会と組合側との暗黙裡の了解があつたとはいえ、佐賀校長が部下教職員にことの経過を報告する際に涙したとしてもあえて異とするに足りない。また所論は、もし校長会と組合側との間に原判示のような了解事項があるとするならば、当日説得隊員としては、佐賀校長に対してわざわざ学力調査の本質論まで持ち出す心要はなかつたと主張する。しかし、校長会と組合側の前記の了解事項が説得を前提としていた以上、説得員が佐賀校長に学力調査中止方の説得をすることはむしろ当然であると思われ、かつその際説得の内容が学力調査の本質論に及んだとしても決して不自然ではない(原審第73回における被告人広岡の供述参照。ちなみに、同じ歌登村内の歌登中学校においても、当日説得員は、校長に対する説得に際し学力調査の本質的な問題を持ち出したことが認められる――前掲小笠原の供述)。ひるがえつて、
1 後述するように(二の4、5)、本件学力調査当日、佐賀校長は部下教職員に対し村教委との交渉の経過を説明した際、喜んで組合員の説得を受ける旨を強調し、また現にその後快く被告人広岡ら説得員の話をきき同感の意を表明していたこと。
2 原判示のように、佐賀校長は本件当日再度にわたって田辺谷に呼び出され工事の見分という名目で職員室を出たが、説得隊員らは、それがテスト開始予定時刻の直前であるのにそのままこれを見送り、いささかなりとも警戒心を抱いた様子は見当らないこと(この点は原審で取り調べた、当時その場に居合わせた者のすべての供述から窺われる。)。
3 歌登村内の歌登中学校における本件学力調査中止の経緯は、原判示の了解事項に符合するものであること(前掲小笠原の供述)。
4 原判示の北教組又は同歌登支部の本件学力調査反対闘争の経緯からみて、組合側が校長会との話合いの席上、所論の述べる「混乱が予想される場合は、校長の判断で中止することもできる。」というような言辞によつて引き下がるとは到底考えられないこと。
等の事情は、校長会と組合側の間に原判示のような了解事項があつたことを前提として、はじめて無理なく理解できるといわなければならない。
[27] してみれば、原判示が、校長会と組合側との交渉の結果、
「学力調査当日は他校の教員が校長のもとに説得に赴き、校長はその説得に応じ、説得の間にテスト開始時刻が経過しテストを強行すれば混乱が予想されたという形でテストを中止する方向に持つて行く。」
旨の含みが暗々裡に了解されたと認定し、これを本件学力調査当日の佐賀校長の意思を推しはかる一つの根拠としていることには、何ら所論のような事実の誤認はない。
[28] 次に、所論は、本件学力調査当日の佐賀校長の意思としては、職務命令を受けた以上いやいやながらでも学力調査を実施せざるを得ないと考えていたと認められるのに、原判決が、佐賀校長の意思としては、どちらかといえば説得を受けているうちにテスト開始時刻が過ぎ、あえてテストを実施すれば混乱が予想されるという形でいわば穏便にテストが中止になることを期待する気持が強かつたとみるべき余地が大きいと判断しているのは、事実の認定を誤つたものであると主張する。
[29] しかし、所論は、10月25日の校長会と組合側との交渉の結果、本件学力調査当日組合員が校長に対し説得を行ない、説得の間にテスト開始時刻を経過しテストを強行すれば混乱が予想されたという形でテストを中止する方向に持つていく旨の了解がなされた事実がないということを主たる論拠とするものであること所論に徴して明らかなところ、本件の事実関係がそのようにみられないことは前項で説示したとおりである。のみならず、原判決も指摘する左記の諸事情、すなわち、
1 佐賀校長は、かねてから教育的な見地から本件学力調査には反対の意見を持つており、かつ学校の職員会議、村内の教育研究会等の席で公にその態度を表明していたこと(前掲佐賀――分離第10回をも含む。――、大久保、中座、原審証人大内辰雄、同新井裕氏――以上分離第37回――、同高木孝子――同第39回――、前掲被告人広岡の各供述)。
2 佐賀校長は、また本件学力調査に対する強い反対運動を展開してきた北教組歌登支部の文教部長の地位にあつたこと(前掲大久保、小笠原、安斉、大内、被告人広岡の各供述)。
3 佐賀校長は、前記歌登村教育委員会と同村校長会との交渉においても、学力調査に反対である旨の意思を強く表明しており、また前記校長会と組合側との話合いの席にも列席して前述した暗黙裡の了解事項ができるについて積極的に関与していたこと(前掲佐賀、小笠原、安斉、柴谷、南部の各供述)。
4 本件当日の志美宇丹中学校の職員朝会において、佐賀校長は、部下教職員に対し、村教委との交渉の経過を説明したうえ、職務命令を受けざるを得なかったことはまことに残念だと述べ、喜んで組合員の説得を受ける旨を強調したこと(前掲大内、新井、高木の各供述)。
5 その後、佐賀校長は快く被告人広岡ら説得員の話をきき同感の意を表明していたこと(前掲大内、新井、被告人広岡の各供述。原審証人平尾武夫――分離第39回――の供述)。
等からすれば、原判決が本件学力調査当日の佐賀校長の意思について説示しているところは相当と思われ、この点に所論のような事実の誤認があるとは認められない。
[30] 所論は、原判決が、テスト用紙を配布中組合員によつて教室外から呼びかけられた際の佐賀校長の意思について、直ちにテストを中止するかどうかは別としてともかく説得員と話し合い事態を円満に収拾しようとするつもりであり、このような気持から戸口の方に歩み寄つたものと認定していることを非難し、佐賀校長としては、とつさのことでもあるし、一旦開始した学力調査を中止すべきか否かの判断がつかないばかりか、説得員および田辺谷、向井地を前にして事態をいかに処理すべきか全く判らぬ心境であつたと認めるべきであると主張する。
[31] しかし、本件当日佐賀校長としては、どちらかといえば、説得を受けているうちにテスト開始時刻が過ぎあえてテストを実施すれば混乱が予想されるという形でいわば穏便にテストが中止になることを期待する気持が強かつたとみるべき余地が大きいと解されることは前項で述べたとおりであり、かかる佐賀校長の心情を念頭におきつつ、原判決が認定している、佐賀校長が原判示2A教室でテスト用紙を配布するにいたるまでの事態の推移、すなわち、同校長は職員室で説得員と話しているところを田辺谷に呼び出され説得員にすぐ戻る旨を約して職員室を出たところ、田辺谷にテスト開始時刻が到来しているテスト教室に連れ込まれ、田辺谷、向井地両村会議員の面前で(なお、教室前の廊下には平池村会議員がいた。)原田立会人からテスト用紙を手渡されるに及び、職務命令を受けた校長の立場上否応なくテストを開始せざるを得ない状況に置かれ、内心説得員に対する関係を気にかけながらもテスト用紙を配りはじめたこと(原判決の右認定は相当であり、かつ所論もこの点は争わない――控訴趣意書126頁。)を併せ考えるならば、被告人広岡から呼びかけられた際の佐賀校長の心理を原判決のように解することはきわめて自然であり、この点に所論のような事実誤認があると解することはできない。所論は、被告人広岡の呼びかけをきいた佐賀校長が戸口の方に2、3歩ないし3、4歩、歩みよつたことを内心怖れていた説得員の到来という事態に直面して、呆然とする余り、思わず声のする方向に歩み寄つたにすぎないと主張する。しかし、佐賀校長の心理が所論のとおりであるとするならば、同校長としては、なす術なくその場に立ちすくむかあるいは反射的に説得員から身をかくそうとする等の挙動をとるのが自然であろう。むしろ、同校長が声のする方に、2、3歩ないし4、5歩、歩み寄つたことは、原判決の説示するように、当時同校長が説得員と話し合い、なんとか事態を穏便に収拾しようとしたことの現われと解するのが相当である。その他るるの所論も、右の当裁判所の認定を左右するに足らない。
[32] 所論は、原判決が、被告人広岡らは教室に立入り佐賀校長に対し、「話合いが終つていません。」「出て話合いをつづけて下さい。」等といいながら同校長の腕をとり又は後から腰の辺りを軽く押すなどしたこと、その直後同被告人らと田辺谷、向井地の間に紛争を生じ混乱状態となつた際同被告人らが佐賀校長に対し断続的に同種の行為をしたとの事実を認定したにとどまつたのは事実を誤認したもので、実際の被告人らの行為はこの程度にとどまるものでなく、原審証人佐賀菊蔵、同田辺谷勝太郎、同向井地政徳、同平池政雄、同原田与悦の各供述および佐賀菊蔵の検察官調書によれば、被告人広岡が佐賀校長の腕(おそらくは右腕)を引張つたこと、同伊藤は同校長の胸倉や襟の辺りを掴んで引張つたりしたことがあつたこと、また同被告人らあるいは被告人加賀谷が佐賀校長の背後から腰あるいは尻の辺を押したりした等の種々の暴行が教室内で流動的に行なわれたことは動かし難いとする。
[33] そこで、所論の挙示する各証拠によつて所論のいうような事実が認められるか否かにつき検討するに、
[34]1 まず、原審証人佐賀菊蔵の供述要旨は
「教室内で自分が出ようとする、田辺谷、向井地が出すまいとする、説得員達は出てもらおうということで身体に触れ合つた。そんな状況のとき自分は、説得員にどちらの腕か判らないが腕をつかまれちよつと引つ張られたことがあつた。説得員は前から引つ張つたのであり、自分と説得員の間には田辺谷、向井地がおりその向う側から引つ張つた。そして、自分をまん中にして出そう、出すまいとする、また、少し移動したり、もとにもどされたりということがお互の間でなされた。前から手を引つ張られた中で押したり押し返されたりしたということである(分離記録335~8丁。ただし別の箇所では、この点につき、「横からささえるようにして腕をつかまれた。」趣旨であるとも述べている――分難記録401丁。なお、同409丁、453~4丁。)。また、後からおしりのほうを押されたという感じもあつた。腰にさわられたような感じもあつた(分離記録345~7丁)。自分、説得員および田辺谷の位置関係が入れ替わつたこともあつた(分離記録401~2丁、407~8丁)。」
というものであり、それは要するに、室外に出ようとする佐賀校長をめぐつて説得員と田辺谷、向井地の間にもみ合いのような状態があり、その状態において説得員らが同校長の腕をとり又は腰の辺を押す等した(右供述によれば、その程度は必ずしも強度のものとは認められない。)というにとどまり、そのようなもみ合い状態ということを前提とするならば、同校長の意思内容をはなれても、右の説得員らの行為が刑法上暴行としての評価を受くべきかには疑問があろう。いわんや、前認定のように、佐賀校長が当時ともかく室外に出ようという意図を抱いていたとするならば、同校長の供述する説得員らの行為は、むしろ、右佐賀校長の意図を妨げる田辺谷、向井地に対抗して同校長を誘導し助けるためのものと解する余地が大きいから、前掲佐賀の供述をもつてしては、到底所論の主張するような暴行の事実を認定することはできない。
[35]2 次に、佐賀菊蔵の検察官に対する供述調書の信憑力について検討するに、同調書には所論を裏付ける記載のあることは所論のとおりである。しかし、原判決は、その205頁以下において、その記載内容および作成の経過に項を分け、それぞれ証拠を挙示しつつ右調書を信用し難いことを詳細説示しているのであつて、原審の右認定は相当としてこれを是認し得る。
[36]3 次に、原審証人田辺谷勝太郎、同向井地政徳、同平池政雄、同原田与悦が本件公訴事実に副う供述をしていることは所論のとおりである。しかし、原判決が説示しているように、田辺谷、向井地、平池の3名は、本件当日学力調査の実施を妨げようとする組合側に対抗し佐賀校長に調査を実施するよう働きかける目的をもつて志美宇丹中学校に赴いたうえ、工事見分に籍口して組合員の説得を受けている同校長を職員室から呼び出しテスト教室に連れ込んで否応なくテストを実施せざるを得ないような状況においたものであり、したがつて、同人らがテスト教室にいたのは本件学力調査を組合員らに妨げられることなく実施するためにあつたと認められ、また原田はこの策謀に加わるか少なくとも予めこれを打ち明けられこれに同調して学力調査を開始した疑いが濃いといわなければならない(この点は、所論も争わない。検察官の控訴趣意書156頁)。したがつて、右田辺谷らは本件紛争の当初から被告人広岡らときわめて強い対立関係にあつたといわざるを得ず、このような立場にある同人らの供述については本件紛争当時の四囲の状況をも勘案しつつ慎重にその信憑性を検討する必要があるといわなければならない。しかるところ、原判決はその189頁以下において、同人らの供述は、内容的に当時の客観的な状況に照らして疑問を免れなく、また同人らの行動については極力これをかくし被告人らの行動のみを浮き上らせようとする傾向もあること等その信用できないゆえんを詳細に説示しているのであつて、右説示は相当と認められる。所論は右田辺谷らの供述相互間あるいはこれと前掲佐賀の供述あるいは佐賀の検察官に対する供述調書との間に符合ないし相通ずる点の少なからず存することをもつて、同人らの供述は少なくともその部分に関する限り信用性があると主張する。しかし、同人らの供述が原判決の指摘するような根本的な疑義を免れない以上、そのような事実があるからといつて、右供述によつて所論のいうような暴行の事実を認めることは到底できないといわなければならない。
[37] 以上一ないし四に考察したとおりであつて、原判決が被告人広岡、同伊藤、同加賀谷につき佐賀校長に対する暴行の事実を認め難いとしたのは相当であつて、所論のような事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。
[38] 所論は、被告人佐藤の藤川重人に対する公務執行妨害の事実について犯罪の証明がないと認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があり、証拠によれば右の事実は優にこれを認め得るというものである。

[39] そこで、所論がそのいうところを裏付けるとして挙示する各証拠、すなわち、原審証人藤川重人、同高木静雄、同横倉勝雄の各供述および横倉勝雄の検察官に対する供述調書の内容をみると、
1 まず、藤川は、
「女生徒から2階で校長先生が呼んでいるからきてくれとの連絡を受けたので急いで2階に上ろうとしたとき、女生徒の出るのと同時に、人数ははきりせず10人以上と思うが、ちよつと話したいことがあるということで自分をもとの位置にもどした(記録1296~7丁、1693丁。以下に丁数で示すは記録のそれを意味する。)。自分は何か大きな水の流れに押されるような感じ(「川の水にぐつと押されるような感じ」あるいは「堰を切つた水ような感じ」とも述べている――1319丁)で自分の位置にもどつた(1298丁、1697丁)。10人前後の者は固まつて入つてきた(1689丁)。続いて切れ目なく入つてきた(1690丁、1692丁)。1人ずつ、ずつと入つてきた(1690丁)。」旨
2 次いで、高木は、
「被告人佐藤をはじめ7、8名が校長室に入つてきた(1385丁)。ひとりでなしに大勢でいち度に入つてきた(1496丁。もつとも「入るときから一緒だつたのか佐藤が最初に入つていてあとから何人かが加わつたのか記憶がない。」とも述べている――前同丁)。」旨
3 さらに、
「横倉は、被告人佐藤が1人で校長室に入つてきてそのあと7、8人が間断なく入つてきたように思う(1798丁、1804丁、1906丁、1978丁)。佐藤は一旦出てそのあとにぞろぞろ入つてきたように思う(1857丁、1931丁)。佐藤は藤川にちよつと待つて下さいと言つて出た。そして、7、8人ぞろぞろ入つてきた(1930~1丁)。」旨
それぞれ供述しており、
4 なお、横倉の検察官に対する供述調書には、
「佐藤を先頭に、12、3名の者がどやどやと校長室に踏みこんできた(8377丁)。12、3人の先生や労組員がどやどやと校長室の入口から入口いつぱいになつて入りこんできた(8388~9丁)。」
旨の供述記載があり、右各証拠に共通するのは、被告人佐藤ほか7、8名の者が一団とみれる状態で校長室に立入つてきたということである。

[40] ところで、所論は、被告人佐藤は、校長室への入室に際して校長室前廊下において他の労組員を手招きして呼び寄せたうえ、これらの者と共謀による共同威力を形成して一緒に入室したと主張するのであるが、所論も認めるように、この点の裏付けとなる証拠は前掲横倉の供述を除いてほかになく、しかも、右供述は、さきにその内容を引用したように、被告人佐藤が入室後一旦廊下に出てその後再び他の7、8名とともに入室したというにとどまり、廊下で同被告人が他の者を呼び寄せたか否かについて明確な供述をしているわけでなく、しかも、その供述する被告人佐藤らの入室の態様が他の藤川らの供述と一致しないことは原判決の指摘するとおりである。所論は、横倉の検察官に対する供述調書に、さきにその内容を掲げた以外に所論に副う供述記載部分のあることをるる述べる。しかし、横倉の検察官に対する供述調書中所論の指摘する部分は、原審において、刑事訴訟法321条1項2号の要件を認め難いとして証拠に採用していないものであり、かつ原審の右措置は相当であると認められるから、その信用し得べきことについて云々する所論は、その前提を欠くといわねばならない。一方、原判決の説示にあるように、被告人佐藤が校長室に入つたのはいわゆる斎藤校長の窓渡りより後の時刻のことであり、その頃説得員らの関心は、テスト開始および校長の窓渡りという2階の出来事に向けられており、また多くの者が2階廊下に赴いていた状況下と認められるのである。そうすると、かような状況において、被告人佐藤が廊下に出て瞬時のうちに7、8名の者を呼び集められるかについては疑問なしとせず、この観点からも所論は採用し難いといわなければならない。

[41] 次に、右校長室前の廊下における共謀による共同威力の形成という点は別としても、所論のいうように、被告人佐藤をはじめとする7、8人の者が一団として評価されるべき状況で校長室に立入つた状況が認められるか否かにつき検討するに、まず、被告人佐藤は、原審において、大要、
「自分は(11時50分頃)ホールにいて中学校の先生からテストが開始されたことをきいた。ほかの組合員らは2階に移動していつたが、自分は被告人松崎との打合せもあつたので、そのままホールにとどまつた。そのうちに、旭川農高の上野教諭と有賀教諭にテストが開始されたことを知らせようと思つて校長室の隣の事務室から旭川農高に電話をかけた。ところが、両教諭にはなかなか連絡がつかず、受話器を持つたままで待つているうち、廊下の方から女性のかん高い声がきこえてきた。電話を切り、ホールを出てその場にいた人たちにたずねたところ、校長が窓を渡つてテスト用紙を配つているのだということだつた。そこへ女生徒2人が2階からおりて来て、そばを通つて校長室に行き、廊下からの入口のドアを開いて中に入つたので、自分も廊下を校長室の方へ行つた。校長室入口に近づいたとき、丁度、女生徒が入口の近くにいた校長室内の藤川と話を終えて出て来るところであつた。その女生徒は自分が入ると思つてドアをあけたままで出ていき、自分は校長室に入つた。」
旨供述しているところ(原審第73回、第74回における被告人佐藤の供述)、右供述は、原審証人渡辺智信(第55回)、同有賀登志男、同上野要治(以上第56回)の各供述に符号するのみならず、藤川においても供述している、被告人佐藤があいたままのドアから入つてきたことの説明としても自然であり、したがつてその信憑性はかなり高いものと認められる。そして、右被告人佐藤の供述によれば、前記藤川らが一致して供述している、被告人佐藤ほか7、8名の者が一団としてみれる状態で校長室に立入つてきたということは疑わしくなるといわなければならない。のみならず、先にも指摘したように、被告人佐藤が校長室に入つた時点において、説得員らの関心はテスト開始および校長の窓渡りという2階の出来事に向けられており、また多くの者が2階廊下に赴いていた状況であつたと認められるから、たまたま藤川が2階に上ろうとした時点において、7、8名に及ぶ多数の者が一時に相次いで入室し得る状況にあつたかも疑問であるといわざるを得ないのであつて、原判決が説示するように、被告人佐藤を除く7、8名ないし10名位の者は、たまたま当時玄関ホール附近や校長室前廊下附近にいたか、あるいは同所を通りかかつた際に、被告人佐藤が入室することないしは入室していることを目撃して、これにつられて次々に校長室に入つたと認める余地も大きいといわなければならない。結局、被告人佐藤ほか7、8名の者が所論のいうような態様で校長室に立入つた事実は認められないというのほかない。

[42] 所論はまた、さきに指摘した藤川の、「大きな水の流れに押されるような感じ」なる供述をとらえて、それは多人数の一団と評価すべき状況の入室を表現するのみならず、藤川が校長室から出ようとした意思を全く制圧し同人をもとの位置に思わず後退させるだけの強さを持つたものであることが明らかであるとする。しかし、「大きな水の流れに押されるような感じ」なる表現は「殴る」「蹴る」等と異なり、それ自体明確な暴行を意味するわけではないから、藤川がそのように感じた前提となる具体的状況を検討することなくして、ただちにこれによつて暴行の存在を認定することは、はなはだ危険であるといわなければならない。しかるところ、藤川は、被告人佐藤を除いては誰がどのような態様で入室したかは全く記憶していないと述べており、また入室した際に多くの質問を受けたが質問の口調等については記憶していない、特に喧騒にわたつたことはない旨供述している。藤川の述べる前提となる具体的情況がこの程度のものである以上、藤川の検察官に対する供述調書の記載を考慮しても、前記の藤川の表現をもつて被告人佐藤らの校長室立入りの状況ひいては暴行の存在を認定することは大きな疑問を感ぜざるを得ない。

[43] さらに、被告人佐藤らが入室した後の校長室内の抗議または説得の雰囲気ないし状況は、原判決がその181頁以下に説示するとおりであつて、互いに緊張し重苦しいものであつたとしても、いわゆる険悪な状況とか、藤川が動けば何らかの異常な事態が触発するというような緊迫した状況はこれを認めることができない。
[44] 以上一ないし五に説示したとおりであつて、被告人佐藤の藤川に対する暴行の存在を認め難いとした原判決の事実認定は相当であつて、所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
[45] 所論は、被告人佐藤に対し罰金2,500円の判決を言い渡した原判決の量刑は軽きに失するというのである。
[46] たしかに、被告人佐藤の行為は、その動機はともかくとして、現に生徒がその中に居合わせ、かつ社会的にみても最も静粛が保たれるべき場所の一つである学校内に、多数でしかも指導的な立場で立ち入り混乱をひき起したものであり、このことがその後の原判示共同暴行へもつながつていることを思うと、その刑責は決して軽視すべきでない。しかし、反面、その犯行の究極の動機は、被告人らが違法と信じ、かつ客観的にみてもそう信ずるについて相当な理由があつたと考えられる本件学力調査を阻止することであるうえに、右犯行によつて校舎内の授業が不可能となるというような事態にはたちいたつていないこと等の事情を考慮し、併せて、被告人佐藤の経歴および同被告人が長きにわたる休職期間を経たうえ、本件がそのすべての原因ではないにしても長年それ一筋に生きてきた教職員の地位を退くにいたつていること等を考えると、同被告人に対し罰金2,500円の判決を言い渡した原判決の量刑が軽きに失するとは認められない。この点の論旨も理由がない。
[47] 所論は、要するに、建造物内への立入りにつき正当な事由がある場合は刑法130条の「故なく」の要件を欠き、また公共的建造物については、個人の住居の場合と異なり、その中への立入りが正当な目的に基づきかつ建造物の平穏を害しない場合は、管理権者の意思に反するときでも、同条の「侵入」の要件を欠くから、いずれも建造物侵入罪の構成要件に該当しない、そして、学校における建造物の平穏は、一言にしていうならば「授業の妨げにならず教育活動に支障を来たさないこと」であると解すべきところ、本件において、被告人佐藤、同松橋、同浜埜らが校舎内に立入つたのは、組合員である校長に対して学力テストを実施しないよう口頭で説得するためであつてその目的において全く正当であり、また立入りは静粛に行なわれ、何ら建物の平穏を害していないから、建造物侵入罪の構成要件に該当しないというものである。
[48] そこで考えるに、建造物侵入罪の保護法益は「建造物の平穏」にあると解すべきであるが、管理権者の意思に反して建造物内に立ち入ることは、そのこと自体「建造物の平穏」を害するもので、建造物侵入罪の構成要件を充足すると解すべきである。そして、一般人が通常自由に出入りしている公共的建物については、建造物内への立入りが管理権者の意思に反するか否かが明確でない場合も少なくなく、この点個人の住居と若干事情を異にすることは否定できないけれども、特定の者のその中への立入りが管理権者の意思に反することが明白な場合は、そのことをもつて建造物侵入罪の構成要件を充足すると解するに何ら妨げない。したがつて、個人の住居と公共的建物とを区別し、後者については、管理権者の意思に反する立入りであつても建造物侵入罪の構成要件に当らないとする所論は採用し難い。もつとも管理権者の意思に反する立入りであつても、刑法上明定された違法阻却事由が存する場合はもとより、後述するように、その立入り行為が、その目的、手段方法、法益権衡等の観点から全体的な法秩序に反しないと評価できる場合もまた、違法性が阻却されると解するのが相当であるが、建造物侵入罪に該当するかどうかという構成要件該当性の問題として論ずる限り、前述したように管理権者の意思に反するか否かを問題にすれば足りるというべきである。しかるところ、本件においては、原判決が逐一証拠をあげて説明するように、被告人佐藤らの永山中学校校舎内への立入りが、管理権者たる斎藤校長の意に反するものであることは疑いのないところであるから、被告人佐藤らの右行為を目して建造物侵入罪の構成要件に該当すると判断した原判決は相当であつて、所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。
[49] 所論は、要するに、被告人佐藤らの永山中学校校舎内への立入行為がかりに建造物侵入罪の構成要件に該当するとしても、その目的の正当性および手段方法の相当性等から超法規的に違法性を阻却する場合であるのに、原判決が被告人佐藤らの行為につき違法阻却事由がないとしたのは、法令の適用を誤り、実質的にみて違法性のない行為について有罪の認定をした違法があるとするものである。
[50] そこで考えるに、行為の違法性はこれを実質的に考察すべきであり、刑法上明定された違法阻却事由に当らない場合であつても、当該行為が実質的にみて全体としての法秩序に違反しないと評価できるときは、超法規的に違法性を阻却すると解するのが相当である。ただ、右の場合に当るかどうかを判断する基準ないし要件としては、所論が問題としているような緊急行為的な法益侵害行為については、所論のいう、当該行為が目的において正当で、手段方法の点でも相当であり、かつこれにより侵害された法益が守られた法益と対比して均衡を保つていることのほか、具体的状況の下において当該行為が緊急にしてやむを得ないものであり、他にこれに代る方法を見出すことが不可能であるか又は著しく困難であることを要すると解すべきである。
[51] しかるところ、本件において被告人佐藤らが永山中学校校舎内に立入つたのは、本件学力調査阻止を究極の目的とするにせよ、当面の目的は斎藤校長を説得するにあり、しかも原判決が説示するように、右説得の結果喧騒にわたる事態の到来も十分予測され、同被告人らとしてもこれを容認していたと理解されることからすれば、同被告人らの校舎立入りの目的が正当であるとは言い難い。所論は、これに対して、右説得の結果予想される喧騒の事態等は手段方法の相当性の問題に還元されるべきであるとする。しかし、ここで問題とされるべき手段方法の相当性は、あくまでも現に行なわれた構成要件に該当する行為である校舎内への立入りが相当であつたかどうかということであるから、右立入りではなく、それの目的をなす説得行為の態様ないしその結果等は、本件において手段方法の相当性の問題に還元されるべきものでなく(もちろん、右説得行為が何らかの構成要件に該当した場合、それにつき、違法阻却事由の存否等の観点から、手段方法の相当性が論ぜられることのあるは、別問題である。)、被告人佐藤らが校舎内への立入りに際してそれを容認したかどうかの観点から、右立入りの目的の正当性の問題として考えられるべきものであるから、この点についての原判示は相当である。さらに、所論は、被告人佐藤らの説得の経過いかんで喧騒にわたることも十分予測されたとの原判決の認定を争い、このことは本件当日説得が平穏裡に行なわれたことからも明らかであると主張する。しかし、原判決も指摘する、同被告人ら説得隊員の本件学力調査阻止の強固な決意と斎藤校長のテスト実施の根強い信念および同校長のかたくなな性格(原審第73回における被告人佐藤の供述によれば、原判示10月24日の合同戦術会議に引きつづき、各中学校毎に具体的な説得活動の方策等についての協議が行なわれ、その際永山中学校関係では、右の斎藤校長のかたくなな性格ということも被告人佐藤、同松橋を含む出席者の間に話題になつたことが認められる。)、さらには当日動員された説得員の員数等を勘案すれば、原判示のように説得の成り行きいかんで喧騒にわたる事態の到来することも十分予測し得たというべきであり、現に、斎藤校長の原審証人としての供述によつても、同校長に対する説得隊員の説得は決して所論のような平穏なものではなく、相当執拗かつ喧騒にわたつたことが窺えるのである。これを要するに、被告人佐藤らの校舎内への立入りは、その目的において正当であるとは認められないというのほかない。
[52] 次に手段方法の相当性につき検討するに、当時、校舎内に居合せた説得の対象者たるべき校長およびテスト関係者の数はわずか数名にすぎなかつたのに、原判示のように、代表者による事前の交渉等もなく、70余名の者が校長の制止を意に介せず一時に校舎内に立入り、校舎内の要所を占めるとともに、職員室等にも比軟的自由に出入りしていた立入りの状況からすれば、右立入行為が手段方法として相当であつたとは到底認められない(当審事実調の結果を参酌しても所論を認めるには足りない。)。
[53] そうだとすれば、他の法益権衡等について論ずるまでもなく、被告人佐藤らの校舎内への立入り行為は超法規的に違法性を阻却する場合には当らないといわなければならないから、同被告人らの右行為につき違法阻却事由の存在を否定した原判決には、所論のような法令適用の誤りがあるといえない。論旨は理由がない。
[54] 所論は、要するに、被告人松橋、同浜埜、同外崎につき斎藤校長に対する共同暴行(暴力行為等処罰に関する法律違反)を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというものである。

[55] そこで考えるに、所論も指摘するように、被告人松橋らの行為の存否とその行為をどのように評価すべきかの判断に当つては、共同暴行が行なわれたときれている時点の前後における原判示永山中学校2階廊下附近の状況を的確に把握することが必要であると考えられるところ、原判決もこの前提に立ち、その79頁以下において、テスト開始直前頃の校舎内の状況と、学力調査開始と説得員の反応およびその後における2階廊下の状況を詳細にわたつて説示していることが明らかである。そして、原判決挙示の各証拠によれば、原判決の右認定は相当としてこれを是認し得る。所論は、右認定のうち斎藤校長の2D教室から2C教室へのいわゆる窓渡りの行為は、説得員らが2D教室出入口の戸を廊下側から押えたことに原因しているとの点は事実の認定を誤つたものであり、同校長は廊下にいる説得員をおそれたため右の行為に及んだとする。しかし、原審証人斎藤吉春(第12回および第16回)、同中川弘(第43回)、同目黒厚子(第46回)の各供述および佐藤和子の検察官に対する供述調書を総合すれば、この点に関する原判示事実は優にこれを認め得る。特に、斎藤校長は、原判示のように、右窓渡りに先立つて40名近くの説得員が立ち並ぶ廊下を2C、2Dと各教室へ巡視して歩いたのであつて、この同校長が所論のように廊下にいる説得員をおそれて窓渡りという異常な行動に出たと解するのはきわめて不自然といわなければならない。また所論は、斎藤校長は、2C教室北側出入口から廊下に出て、附近にいた被告人浜埜、同外崎を含む説得員から抗議を受けた後2D教室に入り机間巡視をし、再び廊下に出てNHK記者からインタビユーを受け、被告人松橋が原判示のような申し入れをしてともに2A教室の方向に歩き出した後も自由に2D教室の方向に戻つたり等したのに、原判決が、同校長は2D、2C教室から2B、2A教室の方向に直線的に、しかも連行されたような認定をしているのは、大きな誤りを犯したものと主張する。そして、原審第74回における被告人松橋、同浜埜、同外崎の各供述、原審証人酒本敬(第60回)、同坂下博(第61回)、同尾村七五三子(第62回)の各供述によれば、たしかに、2C教室北側出入口から廊下に出た後しばらくは、斎藤校長は比較的自由に廊下を移動し、その間2D教室に入り机間巡視をした事実もあつたことが窺える。しかし、原判決を仔細に通読すれば、原判決は必ずしも右の事実を否定しているわけではなく、斎藤校長が廊下に出て、被告人外崎が手拳で同校長の胸部附近を突いたかどうか問題をはらむ動作のあつた後被告人松橋が2階廊下に出現し斎藤校長に抗議するまでの事態の推移は被告人松橋、同浜埜、同外崎の共同暴行の事実の認定に必ずしも必要でないとしてこれを特に説示しなかつたものと認められるから、所論中この点に言及する部分はその前提を欠くものといわざるを得ない(なお、所論中、被告人松橋が2階廊下に出現し斎藤校長に抗議した後の事態に関する部分の理由のないことは後に説示するとおりである。)。さらに、所論は、原判決が、斎藤校長が14、5人の説得員の囲みから逃れて教室内に入ろうとするや、説得員が出入口や通路に立ち塞つてこれを止めたと認定しているのは事実に反すると主張する。しかし、原判決挙示の各証拠なかんずく前掲斎藤、中川の各供述によれば、当時斎藤校長としてはすでに開始された学力調査を続行終了させ答案を回収するため各教室に入ろうとしたところ、説得員がその出入口に立ち塞がる等してこれを妨害した事実を優に認めるのであつて、この点に関する所論も採用し難いところである。

[56] そこで、原判決が説示する本件共同暴行が行なわれたとされている時点の前後における永山中学校校舎2階の状況を考慮しつつ、まず原判示の被告人外崎の斎藤校長に対する暴行の事実の有無につき考察するに、所論は逐一証拠を分析しつつ右暴行の事実の認められないことを詳論するのである。しかし、前掲斎藤、中川の各供述のほか、原審証人大門功(第36回)の供述を総合すれば、これら各証拠の証拠価値についてるる述べる所論にもかかわらず、右暴行の事実は優にこれを認め得る。所論は、被告人外崎としては、指を上下に振りながら斎藤校長に窓渡りの抗議をしたに過ぎないというのであるが、原判決も指摘しているように、斎藤校長が被告人外崎の問題となる行為に関連して「名前を言え。」といつたことおよびその際説得員のなかから「暴力はよせ。」との趣旨の発言がなされたことは、当時同被告人の右行為を現認した者の一致して供述するところであり、しかも前掲大門の供述および原審証人田川匡寿(第41回)の供述によれば、同被告人の右行為はその場に居合わせた者の注意を惹き後刻においても話題になつたことが認められ、これらの諸点から推して被告人外崎の右行為を所論程度のものと認定することは、はなはだ不自然といわなければならない。なお、所論は、原判決が原審証人八重樫好(第62回)のその直前における被告人外崎の言動に関する供述を同被告人の暴行についての認定資料としたことを非難するのであるが、右供述は、もとより暴行の直接証拠となるものではないけれども、当時被告人外崎が相当興奮していたことを窺わせるものであるから、それは同被告人が憤激の余り斎藤校長に対し原判示のような粗暴な振舞に及んだことの間接証拠とはなり得ると考えられ、したがつて、原判決がこれを採つて証拠の一つに掲げたことを目して違法ないし不当とすることはできない。
[57] これを要するに、被告人外崎の斎藤校長に対する暴行の事実を認めた原判決は相当であつて、所論のような事実誤認があるとはいえない。

[58] 次に、原判示の被告人松橋、同浜埜、同外崎の斎藤校長に対する共同暴行の事実の有無について考察するに、所論はまず、被告人松橋が原判示のように斎藤校長の右胸を抱えて2、3歩引張つた事実はなく、同被告人は斎藤校長に廊下への同行を促す意図で、同校長の右手首のあたりに自分の左手をそえ、同校長が2、3歩、歩き出すまでの間その状態を続けた事実があるに過ぎないという。そして、右被告人松橋の問題となつた行為の態様およびその法的評価が前記被告人らの共同暴行の成否につき決定的な重要性を有することは原判示に徴して明らかなところ、前掲斎藤、目黒の各供述、原審証人北岸洋子(第48回、49回)の供述、被告人松橋(昭和36年11月24日付)大門功(同月29日付――9丁ある分)、北岸洋子(同28日付)の各検察官に対する供述調書を総合すれば、原判示のように、被告人松橋が斎藤校長に階下校長室に同行方を促しながら同校長の腕をかかえたという外形的事実があり、かつ同被告人の右の行為は、単に腕をかかえたというにとどまらず、同校長をその意に反して引張つたものと認定するのが相当である。また、斎藤校長と被告人松橋の周辺にいた被告人浜埜、同外崎を含む約14、5名の説得員が被告人松橋の意図を察知し、その意思を共通にし互にその行為を認容しつつ共同の力を形成し斎藤校長をその意に反して2A教室前附近まで移動させたとの原判示も、その挙示する証拠に照らしこれを是認し得る。所論は、2A教室までの斎藤校長の移動は同校長の意思に反するものではない旨をるる述べるのであるが、原判決が認定し所論もこれを争わない、学力調査開始後その時点までの同校長の言動全般、なかんずく同校長が窓渡りという異常な行動もあえて辞さなかつたことからすれば、当時同校長としては、とにかく学力調査実施中の教室に入室して学力調査を続行終了させたいという心境にあつたと考えられるのであり、かかる心境にあつた同校長が学力調査の終了をまたず、被告人松橋の階下校長室へ赴くことの求めに応じて2A教室方向への同行を肯ずるというようなことは到底考えられないところである。所論は、斎藤校長の原審第16回における供述(1244丁)は同校長の移動がその意思に反するものでないことを裏付けるという。しかし、斎藤校長のその前後における供述および原審第14回の主尋問に対する供述をも総合すると、所論指摘の供述部分は、位置関係は若干原判示と相違するけれども、被告人松橋が2階廊下に出現する以前の事態についてのものと解するのが相当であるから、所論の裏付けとなるものではない。また、所論は、斎藤校長は2A教室の方向に移動する途中比較的自由に廊下を行きつ戻りつしたと主張するところ、関係各証拠によれば、同校長は2A教室の方向に一直線に移動したものではなく、その間立ち止まり、あるいは教室の内部の様子が気がかりで教室の窓ないし出入口に歩を運んだこともあつたと認められるが、それは同校長の動くにまかせ、その背後を組合員がぞろぞろついていくというような状況ではなく、移動の全体の状況は、斎藤校長を説得員14、5名が取り囲み、口々に抗議し、被告人松橋の外にも同校長に手をかける者もあつて、徐々にではあるけれども同校長をその意に反して2A教室の方向に止むなく移動させ、その間同校長が教室内に入ろうとするとこれを妨げる者もあつたと認定するのが相当であり、それが同校長に対する不法な有形力の行使であつて共同暴行と評価し得ることは、多く述べるまでもない。
[59] なお、所論は、被告人浜埜、同外崎にこの段階において何ら斎藤校長に暴行に及んだ事実はないから共同暴行の刑責を負ういわれはないとするけれども、まず、被告人浜埜については、原判決も説示するように、同被告人は斎藤校長に対し非難抗議をくり返しながら終始同校長の身近におり、そのことは被告人松橋の2階廊下への出現後も変らなかつたと認められるから、同校長を取り囲んだ説得員の一員として共謀による共同暴行罪の成立を認め得る。また被告人外崎については、たしかに、被告人松橋が2階廊下に出現した後において被告人外崎が斎藤校長に直接暴行に及んだ事実は認められないけれども、原審証人池野幸次郎(第46回、47回)の供述ならびに池野幸次郎(3通)、田川匡寿(昭和36年11月28日付、同月29日付――8丁ある分)の各検察官に対する供述調書を総合すれば、同被告人もまた斎藤校長を取り囲んだ被告人松橋らの説得隊員の一団の中にあり、同校長が2A教室前廊下附近で倒れた際もその周辺にいたことが認められるから、被告人外崎についても共謀による共同暴行罪が成立するといわなければならない。

[60] 最後に、所論は、斎藤校長の証言の信用できないことについてるる述べているので、この点について一言すると、たしかに同校長の供述中には他の証拠とくい違う点が少なからずあり、また被告人らの行為についての表現が若干誇大にわたつていることもこれを否定できない。しかし、他方、そこには、検察官の控訴趣意第二点に対する判断中でみた、田辺谷、向井地、平池および原田の各供述に見受けられるような根本的な疑惑は存しないのであつて、前述した他の証拠とのくい違い点等も、同校長がことさら被告人に不利に事実関係を述べたというよりも、本件当時自己の予期せざる事態に遭遇して興奪の余り事態の正確かつ詳細な認識を欠いたことによるとみるべき余地が大きいのであつて、少なくとも原判示に符合する限りにおいては十分にこれを信用し得るものと考える。
[61] 以上の次第であつて、被告人松橋、同浜埜、同外崎につき斎藤校長に対する共同暴行(暴力行為等処罰に関する法律違反)の成立を認めた原判決には、何ら所論のような事実誤認はない。この点についての論旨も理由がない。

[62] よつて、本件各控訴はいずれもその理由がないから、刑事訴訟法396条によりこれを棄却することとし、当審訴訟費用の負担につき同法181条1項本文、182条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤勝雄 黒川正昭 小林充)

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