博多駅フィルム提出命令事件
特別抗告審判決

取材フイルム提出命令に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件
最高裁判所 昭和44年(し)第68号
昭和44年11月26日 大法廷 決定

抗告申立人 アール・ケー・ビー毎日放送株式会社 外3名

■ 主 文
■ 理 由

■ 抗告人の抗告理由
■ 弁護士村田利雄の追加抗告理由
■ 弁護士妹尾晃、同高橋俊郎、同谷口茂昭の抗告理由補充


 本件抗告を棄却する。


 本件抗告の趣意は、別紙記載のとおりである。
[1] 所論は、憲法21条違反を主張する。すなわち、報道の自由は、憲法が標榜する民主主義社会の基盤をなすものとして、表現の自由を保障する憲法21条においても、枢要な地位を占めるものである。報道の自由を全うするには、取材の自由もまた不可決のものとして、憲法21条によつて保障されなければならない。これまで報道機関に広く取材の自由が確保されて来たのは、報道機関が、取材にあたり、つねに報道のみを目的とし、取材した結果を報道以外の目的に供さないという信念と実績があり、国民の側にもこれに対する信頼があつたからである。然るに、本件のように、取材フイルムを刑事裁判の証拠に使う目的をもつてする提出命令が適法とされ、報道機関がこれに応ずる義務があるとされれば、国民の報道機関に対する信頼は失われてその協力は得られず、その結果、真実を報道する自由は妨げられ、ひいては、国民がその主権を行使するに際しての判断資料は不十分なものとなり、表現の自由と表裏一体をなす国民の「知る権利」に不当な影響をもたらさずにはいないであろう。結局、本件提出命令は、表現の自由を保障した憲法21条に違反する、というのである。
[2] よつて判断するに、所論の指摘するように、報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。
[3] ところで、本件において、提出命令の対象とされたのは、すでに放映されたフイルムを含む放映のために準備された取材フイルムである。それは報道機関の取材活動の結果すでに得られたものであるから、その提出を命ずることは、右フイルムの取材活動そのものとは直接関係がない。もつとも、報道機関がその取材活動によつて得たフイルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであつて、このような目的をもつて取材されたフイルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない。
[4] しかし、取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。
[5] 本件では、まさに、公正な刑事裁判の実現のために、取材の自由に対する制約が許されるかどうかが問題となるのであるが、公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。
[6] 以上の見地に立つて本件についてみるに、本件の付審判請求事件の審理の対象は、多数の機動隊等と学生との間の衝突に際して行なわれたとされる機動隊員等の公務員職権乱用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否にある。その審理は、現在において、被疑者および被害者の特定すら困難な状態であつて、事件発生後2年ちかくを経過した現在、第三者の新たな証言はもはや期待することができず、したがつて、当時、右の現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フイルムが証拠上きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須のものと認められる状況にある。他方、本件フイルムは、すでに放映されたものを含む放映のために準備されたものであり、それが証拠として使用されることによつて報道機関が蒙る不利益は、報道の自由そのものではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまるものと解されるのであつて、付審判請求事件とはいえ、本件の刑事裁判が公正に行なわれることを期するためには、この程度の不利益は、報道機関の立場を十分尊重すべきものとの見地に立つても、なお忍受されなければならない程度のものというべきである。また、本件提出命令を発した福岡地方裁判所は、本件フイルムにつき、一たん押収した後においても、時機に応じた仮還付などの措置により、報道機関のフイルム使用に支障をきたさないより配慮すべき旨を表明している。以上の諸点その他各般の事情をあわせ考慮するときは、本件フイルムを付審判請求事件の証拠として使用するために本件提出命令を発したことは、まことにやむを得ないものがあると認められるのである。
[7] 前叙のように考えると、本件フイルムの提出命令は、憲法21条に違反するものでないことはもちろん、その趣旨に牴触するものでもなく、これを正当として維持した原判断は相当であり、所論は理由がない。
[8] 所論は、憲法32条違反をいうが、その実質は単なる訴訟法違反の主張にすぎず、適法な特別抗告の理由にあたらない。

[9] よつて、刑訴法434条、426条1項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 石田和外  裁判官 入江俊郎  裁判官 草鹿浅之介  裁判官 長部謹吾  裁判官 城戸芳彦  裁判官 田中二郎  裁判官 松田二郎  裁判官 岩田誠  裁判官 下村三郎  裁判官 色川幸太郎  裁判官 大隅健一郎  裁判官 松本正雄  裁判官 飯村義美  裁判官 村上朝一  裁判官 関根小郷)
[1] 原決定(提出命令)は憲法第21条に違反するものであつて取消さるべきものである。

[2]一、表現の自由は憲法上基本的人権の最も重要なものの一つであるが、いわゆる報道の自由も表現の自由の一態様として、出版の自由等とともに憲法第21条により保障されていることは疑のないところである(最高裁大法廷昭和33年2月17日決定、刑集12巻2号253頁)。
[3] 報道は事実を正しく伝え知らせることであるが、報道の自由は、憲法が標榜する民主主義社会の基盤をなすものとして憲法上特に重要な地位にあるものといわねばならない。けだし国権のあらゆる発動はすべて国民に由来し、国民がこの権能を選挙その他の場において発動するためには、国家や社会に関するあらゆる正確な情報を持つていなければならないからである。従つて報道機関の有する報道の自由は、報道を受取る国民の側からすれば、国民がその諸々の権利の発動の基盤として自由な判断を形成するために不可欠な、いわば国民の「知る権利」としてとらえられている。このように報道機関のもつ報道の自由は国民の「知る権利」と表裏一体をなしているのであつて、報道機関が公器としてになう責任は重大であり、民主主義を貫く立場からは報道の自由はこのような公器の持つ特権として最大限の尊重を受けなければならない。

[4]二、報道機関の活動は、取材、取材したもののニユース価値の判断と編集および報道の3つの段階に分けることができるが右に述べた報道の自由を確保するためにはこの3つの段階に応じてそれぞれその自由が保障されなければならない。とりわけ取材の自由、すなわちニユース源に接近し、素材を獲得する自由は、報道の自由を全うするには不可欠のものである。

[5]三、かりに本件のごとき裁判所による提出命令が適法になされこれに報道機関が従う義務がありとすれば報道機関の取材の自由はこれにより大きくそこなわれることは火を見るより明らかであり、その結果真実を報道する自由は失われ、国民がその主権を行使するに際しての判断資料を失うという重大な結果を導くことになるのである。

[6]四、取材は真実を伝えるという、報道の目的の大前提であることは右にのべたとおりであるが、取材は広く国民一般、社会一般の協力を得なければその目的を達し得ないことは明らかである。そしてこれまで広く報道機関に取材の自由が確保されて来たのは、報道機関が取材に当りつねに報道のみを目的とし、取材した結果を報道以外の目的に供さないという確固たる信念と実績があり、国民の側にもこれに対する大きな信頼があつたからである。万一、本件のような国家権力によるフイルムその他の提出命令が適法とされ報道機関がこれに応ずる義務ありとされその結果これらが報道以外の目的、特に刑事事件の証拠に使われることになれば(捜査機関による捜索、差押許可状の発布請求の乱用の危険も予測できる。)、ニユース素材や情報の提供者は提供に消極的になり、報道機関に協力した結果がいつどこでどう利用されるか絶えず不安を持ち、取材に応じないか、応じても意図的な素材提供をすることなどが懸念されるのみならず、取材する側の記者、カメラマン等も、取材の結果が報道以外の目的に利用されかねないことを念頭において取材にあたることとなろう。さらに取材者に対する積極的な妨害行為も容易に予想されるところである。
[7] そしてその結果は真相のはあく及びその公平かつ多角的な報道が不可能になり、わい曲された事実が報道されることは必定である。このことは本件提出命令の本案ともいうべき付審判請求事件の場合のみならず、集団行動の現場における取材に関して特に懸念されるところである。昨今国民の集団行動が多くみられ、それに関する報道は重要な意義を持つことにかんがみ、報道機関はその使命に照らし真実を報道するため他から制肘されることのない取材の自由を保障されなければならないのである。

[8]五、抗告人も公正な裁判およびそのための真実発見という要請を理解しないのではないが、報道の自由が右にのべたような意味をもつものである以上本件提出命令は、報道の自由に対し憲法により公共の福祉の名によつて許される制限のらちを越えたものといわなければならない。

[9]六、しかるに、原決定は抗告人らの抗告を棄却するに当り同決定理由に摘示する程度の理由を簡単に掲げるのみで、たやすく抗告人らの主張を排斥したのは、報道の自由の重要性に関し評価を誤まり、憲法第21条の解釈適用を誤まつたものである。
[10] なお、抗告人らが、原決定を憲法第21条の解釈適用を誤まつたものと思料する理由の詳細については、特別抗告期間内にさらに書面をもつて明らかにする。
[1]一、原決定は、憲法21条の解釈を誤つた違法がある。
[2] 原決定は、抗告理由一、について
「憲法が国民に保障する自由も絶対無制限のものでなく、常に公共の福祉のため、その時、所、場所、方法、態様につき、おのずから合理的制限の存することは屡次の最高裁判所判例の示すところである」とし、次いで、刑訴法99条が同法103条乃至105条の例外を除き、国民に対し、裁判所のなす押収受忍義務を課した所以のものは、「国家の最も重要な任務の一つである司法裁判が実体的真実を発見し法の適正な実現を期するという使命を達するため絶対不可欠のものであることによるものであつて、かかる使命達成という社会公共の福祉のため必要な制度であるというべきは多言を要しない」との2つの理由を挙げ、「たとえそのため報道機関に対しその取材した物の提出を強制しうることにより取材の自由が妨げられ、更には報道の自由に障害をもたらす結果を生ずる場合があつても、それは右自由が公共の福祉により制約を受ける已むを得ない結果というべく、憲法21条の保障する表現の自由を犯すものとはいわれない」
と判示している。
[3] しかし、右判示は抽象的一般論から、直ちに、本件の場合、公共の福祉により、憲法21条が保障する表現の自由の侵犯にはならない、と結論づけているに過ぎないのであつて、報道機関の有する報道、表現、取材の各自由の意義、乃至は公共の福祉の意義、内容についての検討を欠き延いては憲法21条の解釈を誤つたものというの外はない。何となれば、報道機関の報道、表現、取材の自由が憲法21条によつて保障せられる所以のものは、このことが近代的民主主義成立の礎石に直接かかわるもの(此点については、既に、特別抗告申立書の理由において詳述した)、換言すれば、公共の福祉のためであることに思いを至さなかつたによるからである。公正な裁判といい、報道の自由といい、共に公共福祉を担保する2つの重要な支柱であることは疑いのないところであるから、本件の場合においては、特に、それぞれが担保する公共の福祉の具体的意義、内容が問わるべきであつて、司法裁判の有する重要な使命達成という社会公共の福祉のため必要な制度であるから、刑訴法99条の規定が報道の自由に優先すると簡単に結論されるものではない。
[4] 原決定判示の屡次の最高裁判所の判例を精査してみても、抽象的、一般的に公共の福祉なる意義内容を定め、これに基き判断しているのではなく、事案毎に、制限せられるべき基本的人権乃至自由の性格の異なるにつれ、何が公共の福祉であるかの具体的内容を確定した上で判断しているのであるから、公共の福祉というも決して一義的ではない。従つて原決定のいう「憲法が国民に保障する自由も絶対無制限のものではなく、常に公共の福祉のためその時、所、場所、方法、態様等につき、おのずから合理的制限の存することは屡次の最高裁判所判例の示すところである」との判示は、抽象的一般論として、これを解する限り、何等異論のないところであるが、本件の場合、かかる抽象的一般的な命題から直ちに結論を導くことは不可能である。

[5]二、次に、原決定説示の刑訴法99条の制定乃至存在の理由が、原決定の説く通りであることも亦異論のないところであるが、本件の提出命令が、此の規定の存在の理由から直ちに是認せられ、憲法21条の侵犯とはならない、とすることは形式論理であつて、本件の場合には問いに対するに問を以つて答へると等しく憲法21条に違反しない理由の説明とはならない。
[6] 更に、原決定は、刑訴法103条乃至105条並に但書の規定から、報道機関が、同法99条の適用除外に当らない、として前記結論を導き出しているのであるが、報道機関の報道、表現の自由は、一個人の有するこれ等の自由とは、その比重を異にし、深く、民主主義の根源にかかわりのあることは前各項詳述の通りであるから、右刑訴法除外例が、公務上並に特種の業務上の秘密という超訴訟法的要請に基くものとすれば、公務上乃至は特種の業務上の秘密さへ、超訴訟法的要請として、押収拒絶が認められるならば、報道機関の拠つて立つ基盤をゆるがす本訴提出命令に対しては刑訴法上除外例として規定を欠いていたとしても超訴訟法的要請の最も顕著なものとして、これが押収拒絶が認められるべきであると解すべきである。

[7]三、原決定は、抗告理由二、について
「右フイルムは既に放映済のものもあるのみならず、外部に発表されないという相手方との強い信頼関係の基盤に立つて取材されたものとは認め難く、却つて、如何なる箇所を報道するかは報道機関の自由な選択に属するものとしても、右フイルムはその取材に際しこれを報道して一般に公開することを予定されたものといい得るから右フイルムがたまたま裁判の証拠に供されたとしても、それは態様を異にした公開と目し得べく」
と判示している。
[8] しかし、右判示も亦報道、表現、取材の自由が憲法21条により保障される所以のものにつき誤解があり、報道機関のなす公開並に選択の意義についても誤認がある。
[9] 何となれば、取材されたフイルムにつき如何なる箇所を報道するかについては、決して、報道機関の恣意に委ねられているのではない。放送法1条の目的から同法44条には厳格な制約が定められているのであるし、民間放送事業者も亦同51条により同44条3項乃至5項の規定が準用されているのであるから、此の範囲内において選択しているのであつて、取材に際しては、一般に公開することが予定されたとしても、右制約のもとにおいて初めて公開されていることを考慮すべきである。又、右制約のもとに公開されることの信頼あればこそ取材が自由になされるのであつて、「相手方との強い信頼関係の基盤に立つて取材されたものとは認め難い、」となすは、独断でなければ、刑訴法103条乃至105条の証言拒絶をなし得る者の信頼関係を想定しての説示であろう。放送法1条2号は「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて放送による表現の自由を確保すること」と、その目的を示し、同44条3項1号乃至4号には、「公安及び善良な風俗を害しないこと、政治的に公平であること、報道は事実をまげないですること、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と規定されているのであり、現実の報道も亦右各条項に則りなされているのである。報道機関の取材に当つての相手方は不特定、多数の人々である。一般的に、報道機関に対する信頼がなければ自由な取材、延いては真実の報道はできないのであるから、取材者は前記各法案はもとより、報道機関として守るべき倫理に基き行動しているのである。
[10] さればこそ自由な取材ができているのである、逆に云えば自由に取材ができていることは、不特定多数の人々の間にも取材者に対し一般的に強い信頼があることの証左と云えるのである。此の信頼関係を刑訴法103条乃至105条の証言拒絶者とその信頼関係ある者との関係と同じ程度、同じ範ちうから律することは誤りである。取材されたフイルムが何等かは刑事々件の証拠として使用されるとの前提に立てば、前各法条所定の不偏不党の立場に立つ取材者に対しても、疑惑を生じ、真実についての公正な報道のための取材は忽ち妨害を受けることは必至である。かくては、国民全体の知る権利を具体化させる報道機関として、真実を公正に、迅速に報道することは不可能となり、民主々義の拠つて立つ基盤は崩れ去るを得ないこととなるのであるから、原決定は此点においても憲法21条の解釈を誤つたものと云わざるを得ないのである。

[11]四、原決定は、
「右フイルムがたまたま裁判の証拠に供されたとしても、それは態様を異にした公開とも目し得べく、従つてこれがため報道機関の蒙る不利益は報道機関がその秘匿を最高倫理としている取材源について開示を求められる場合に比すべくもないことは特に留意せらるべきである」
と判示する。
[12] しかし、此の説示も、報道機関がその取材源を秘匿することを最高倫理としている真義を解していないのである。
[13] 何となれば、原決定は取材源については何等開示を求めていないのであるから、報道機関の最高倫理とする取材源開示とは異なり、フイルムの提出のみに止る、従つて報道機関の蒙る不利益も軽微であるとなすもののようである。
[14] しかし、放映されたものは取材されたものの全部ではないことは勿論、取材されたものが、提出命令指定の、「昭和43年1月16日午前6時45分着の急行、雲仙、西海号で博多駅に下車した際のいわゆる博多駅頭事件の状況を撮影したフイルム全部」に該当するとしてもこれを証拠として採用する限り、其の撮影の時分、場所の特定を要することは当然である。提出命令は、急行雲仙、西海の博多駅着の時分は特定しているけれども、「いわゆる博多駅頭事件」の時分は特定していない、従つて、漫然とフイルムを見たとしても、これを特定するに由ないのであるから、その取材者を証人として喚問しない限り、撮影の時分、場所の特定はできない。原決定自ら認める報道機関の最高倫理である取材源の秘匿も、此の時点においては開示を迫られることとなるのは必至である。取材源の開示は報道の自由の侵害であるとして、既に最高裁判所においても争われたものであるから、ここに深く論じないけれども、取材源の秘匿は報道の自由について必要不可欠のものであるから、最高の倫理として確立されているものである。
[15] 原決定はフイルムの提出に止まり取材源の開示を求めているものではないとして、安易に、提出命令を是認しているのであるが、此の判示も、証拠論の立場からも問題があるのみならず、取材源の開示に直接つながり報道の自由を侵害する点を看過していると云わざるを得ない。

[16] 以上の理由により抗告人は、原決定を破棄し、第一審の提出命令を取消す御決定を求めるものである。
[1]一、報道の自由が国民の「知る権利」と表裏一体をなすものであつて、民主主義社会を理念とする憲法によつて保障された諸々の基本的人権のうちでも最大限の尊重を要するものであることは、すでに特別抗告申立書において強調したところである。この点については、原決定も、その理由の冒頭において、「およそ、報道機関は現代民主社会において一般国民に思想・判断の基礎となるべき各種知識を補給する主要な根源をなすものとして極めて重要な社会的使命をになうものであり、これら報道機関が真実を報道することは憲法21条の認める表現の自由に属するものというべきところ、事実を正確且つ迅速に報道するには必然的にその不可欠の前提として自由に広く取材を求めることが要請されることはこれを首肯するに十分である。」と述べ、報道の自由ないしは取材の自由のもつ重要性および特殊性は、一応これを認めているごとく判示する。
[2] ところが、原決定は右引用部分につづいて、これまで最高裁判所が用いてきた、「しかし、憲法が国民に保障する自由も絶対無制限のものではなく、常に公共の福祉のため、その時、所、場所、方法、態様等につき、おのずから合理的制限」が存する、という極めて抽象的一般的な表現をそのまま援用したうえ、おそらくはその原則の本件における適用のしかたを示す趣旨において、(一)刑事訴訟法第103ないし105条による押収拒絶権は限定的なもので、報道機関には適用がない、(二)同法第99条によつて国民に課される押収受忍義務は、国民の所有権、占有権等の財産権に対する重大な制限となるが、この義務は、国家の最も重要な任務の一つである司法裁判が実体的真実を発見し法の適正な実現を期するという使命を達するため絶対不可欠である。(三)よつて、報道機関に対しその取材した物の提出を強制しうることにより取材の自由が妨げられ、更には報道の自由に障害をもたらす結果を生ずる場合があつても已むを得ない、とのべて、結局報道機関に対するフイルムの提出命令は憲法第21条に違反しないとしているのである。
[3] しかしながら、抗告人は、原決定の右理由は、依然として、最高裁判所の前示抽象的表現を別の抽象的な言葉に言い換えたものに過ぎず、報道機関に対するフイルム提出命令の合憲性の根拠を全く説明していないばかりか、先に引用した、報道の自由の重要性を認める同決定の冒頭部分と明らかに矛盾しているものと考える。
[4] 周知のごとく、「公共の福祉」という概念は、それ自体極めて抽象的なものであつて、用い方によつて基本的人権の擁護のためにも、また反対に、その抑圧のためにも働く可能性のある、いわば両刃の剣なのであつて、過去において、「公共の福祉」またはこれに類する概念があるいは全体主義の旗じるしとして使われ、あるいは不当なる国家権力行使の隠れみのとされ、その結果、基本的人権、とくに報道の自由をはじめとする思想、表現、言論、出版の自由がしばしば侵害され、迫害を受けて来たことは内外の歴史が明瞭に語るところである。従つて、基本的人権が公共の福祉なる概念によつて制限される場合があることを承認するとしても、個々の場合における公共の福祉の内容が具体的には一体何であるか、その場合に問題とされる基本的人権と公共の福祉とのどちらが如何に重いか、を具体的に明らかにすることが絶対不可欠の要件である。そうでなければ、我々が長年にわたる努力の成果として憲法上確立した基本的人権は、抑圧者に便利な「公共の福祉」の一語により、いとも簡単に奪われることになるであろう。このことは、しばしばのべるごとく、諸々の基本的人権の中でも最も中枢に位する柱ともいうべき報道の自由に対置して公共の福祉の概念を用いる場合には、特にあてはまることであつて、たやすく公共の福祉の概念をもち出し、報道の自由を制限するようなことは厳につつしまねばならない。
[5] 原決定は前記の如く、報道機関に対する提出命令を合憲とする理由の一つとして、刑事訴訟法第103ないし105条の押収拒絶権は限定的列挙と解すべきことを挙げているが、報道の自由が国民の知る権利と同じ重さをもつものであること、取材をする者と、これに応ずる者との間の信頼関係等を考えると、右の刑事訴訟法の諸規定を限定的列挙と解する理由はないばかりでなく、刑事訴訟法の解釈を同法より上位にある憲法の解釈の際の根拠とすること自体、明らかに誤りである。
[6] さらに原決定は、国民の刑事訴訟法による押収受忍義務は、国民の所有権、占有権等の財産権に対する重大な侵害になるが、真実の発見、法の適正な実現という司法裁判の使命に絶対不可欠のものであるから、そのため報道の自由が妨げられても已むを得ない、という。
[7] しかし、抗告人が本件提出命令に不服を申立てるのは、フイルムに対する所有権や占有権に対する侵害を理由とするものではないことは、抗告人のこれまでの主張から極めて明らかである。フイルムの押収によつて侵害される利益として抗告人の関心事とするところは、フイルムに対する報道機関の単なる所有権、占有権ではなく、報道機関の取材の自由、報道の自由、及び国民の知る権利なのであつて、まさに報道機関の存立目的それ自体、いな民主主義社会の基礎そのものなのである。原決定が、今回のフイルム提出命令によつて侵される法益を、単に個々の国民の財産権と同一のレベルにおいて評価し、極めて安易に「公共の福祉」の概念を援用し、報道機関に対する提出命令を合憲と認めたことは、憲法上最も重要なる報道の自由の評価を誤り、明らかに憲法第21条の解釈を誤つたものといわなければならない。

[8]二、次に原決定は、本件提出命令の必要性の有無につき、抗告人の抗告理由二に対する判断において、「刑事訴訟法第99条所定の押収の必要性有無の判断が、犯罪の態様、軽重、押収物の証拠としての価値、重要性、押収物の隠滅毀損されるおそれの有無、押収によつて受ける相手方の不利益の程度、その他諸般の事情を考慮してなさるべきことは、まことに所論のとおりである。」と抗告人引用の最高裁判所決定(昭和44年3月18日決定、刑集23巻153頁)の趣旨を大前提として掲げているが、右決定は、いうまでもなく、裁判所や捜査機関による押収が、公共の福祉の名によつて安易になされてはおらず、押収によつて侵害される他の法益の尊重を忘れてはならないことを宣言したものと解されるのである。ところが原決定は右大前提として掲げる部分に引続いて、本件提出命令につき、「被疑者ことに氏名不詳の被疑者や被害者が尨大な数にのぼり、犯行の態様も複雑、微妙なるものがあること、これまでに収集された主要な証拠は各種供述調書というべきところ、被害者側の供述調書は僅か数通にしてすべて右犯罪の成立を首肯する内容のものであるに反し、被疑者側の供述調書は犯行を徹底的に否定する内容のもので、双方の供述が截然と別れて相対立し、第三者的立場にある者の供述がほとんど見当らないこと、右各供述調書以外の者の供述を求めることはたやすく期待できないこと、本件フイルムは証拠上極めて重要な価値を有する」、ことがうかがわれるとし、他方「報道機関が報道目的のため取材したフイルムを刑事訴訟の証拠資料に利用することは、報道機関に対し相当の不利益をもたらすことは否みえない」としつつ、「右フイルムは既に放映済のものもあること、外部に発表されないという強い信頼関係の基盤に立つて取材されたものとは認め難いこと、フイルムが裁判の証拠に供されたとしても、それは態様を異にした公開とも目し得るから、本件提出命令により報道機関の蒙る不利益は取材源の開示を求められる場合に比すべくもな(く小さ)い、」とのベ、これらの事情を理由として提出命令の必要性を認める旨を判示している。
[9] フイルムがその性質上、多くの場合、極めて高い証拠価値を有し、事案が複雑な場合に捜査、裁判に当るものがその入手を希望することは理解できないわけではないが、これまで抗告人が縷々述べたごとく、報道機関はあくまで報道のみの目的で撮影その他の取材にたずさわるのであつて、その撮影したフイルムが報道以外の用途に強制的に供されるとすれば、その不利益は単に報道機関のみならず、結局裁判所及び裁判官まで含めて、国民一般に及ぶのである。
[10] もちろん、報道機関が、報道の目的で取材した結果を狭義の報道以外の目的に供することも、絶無ではないであろうが、それは、常に報道機関が報道機関としての使命の遂行上、自発的に当該目的に使用することが必要であると自主的に判断した場合に行なわれるべきであつて、この原則はその性質上裁判所を含め何人にもそのまま承認されるのでなければ憲法の保障する報道の自由を実現することが不可能となるものである。いいかえれば、報道機関がその取材結果を報道以外の目的に供するか否かに関する自主的な、自由な判断は、他の何人からも制限されてはならないものであつて、これを公共の福祉という概念によつて他律的強制的に制限することを許し、一たん譲歩をするとすれば、事の本質上、無限の譲歩をすることに通じ、その結果は、裁判所を含む国家機関、裁判官を含む国民一般に保障されなければならない基本権、すなわち、知る権利を自らそこなうという自殺行為に通ずることを認識すべきである。
[11] 抗告人の理解するところによれば、報道の自由は、事柄の性質上、報道機関がもつぱら自主的自律的に適正妥当と判断する方法および範囲においてこれを行使することが民主社会の基盤をなす理念として承認されるべきであり、これを報道機関みずからの自主的自律的運用に委ねる雅量こそが報道機関に対し無限の責任を課することとなり、よつて報道の公正中立が担保されるのである。またかくてこそ報道機関をして、民主社会に対しその権威を保ち責任をつくさせることとなるのである。報道機関の意に反し、しかも強制力を用いてまで開示を求める如きは、公共の福祉の名において、かえつて公共の福祉をそこなうものたることを知るべきである。抗告人も、原決定が本件において、裁判が適正公正に行われるべきであるとする一般的要請を公共の福祉としている点についてはもとより十分これを理解するものであるが、その趣旨における公共の福祉の故に強制力をもつて報道の自由の自主性を侵し、これを制肘することができるとする点においてとうてい原決定に承服することができない。
[12] 裁判の適正公正という要請上報道機関の協力を必要とする場合であつても、その要請しうる協力はあくまでも報道機関の自主的自発的協力の限界にとどまるべきである。かりに百歩を譲り、極めて限局された、例外的事例において、報道機関に対する強制力の行使も真に已むを得ざる場合があるとしても、それは他のすべての可能なる手段をつくしたのちなおかつ不可欠な場合、および程度、本件についていえば、裁判の適正公正の要請上絶対に必要とされる最小限度に止まるべきである。本件において、自ら司法の衝にあたる裁判所が、善意にせよ、公共の福祉の名により司法権行使の利益を当然の如くに報道の自由のはるか上位に置き、単に報道機関のみならず全国民の利益である報道の自由を不当に過少評価していないであろうか。抗告人はこの点に関し危惧の念を禁じえない。
[13] 原決定は、「本件提出命令は、他に求むべき適切な証拠もないため万已むを得ない最後の手段として採らるべきことが望ましいこと勿論である。原審の措置もまたかかる配慮に出でたことが窺われる。」と判示するのであるが、果してそうであろうか。
[14] 本件提出命令により、報道機関が受ける不利益がさきにのべたような重大なものであるにもかかわらず、提出命令を発した福岡地方裁判所第3刑事部がそれに先立つていかなる証拠収集をしたのか原決定は何ら示すところがない。最高裁判所は昭和44年(し)第53号事件において、付審判請求事件の審査にあたる裁判所の権限は極めて広範なものであるむねを判示した。右権限の及ぶ範囲いかんは、なお慎重に検討を要するものがあるとしても、少くとも付審判請求の審判にあたり、必要な事実の取調をすることが出来る点については、刑事訴訟法第265条第2項に明らかである。本件において原決定は、被害者側の調書が僅か数通であり、第三者的立場にある者の供述が殆んど見当らず、既にある供述調書以外の者の供述を求めることはたやすく期待できない、というが、多数の被害者、目撃者が存在したことが容易に想像される本件において、裁判所は、本件提出命令を発する前に果して出来うる限りの証拠収集にあたつたのであろうか。原決定の理由からは検察官から送付された証拠以外に裁判所が自ら何らかの証拠を収集し、又は収集しようとする努力をしたか、又、したとして、よつて、収集した証拠がいかなるものであるか全くうかがいしることができない。かえつて本件提出命令が、いわゆる博多駅頭事件の状況を撮影したフイルム全部の提出を求めていること等からすると、裁判所は他に証拠を求める努力をつくさず、安易に報道機関に対しフイルムの提出を命じたものと考えられるのである。ことわるまでもなく、抗告人は本件付審判請求事件においては全くの第三者である。第三者とくに報道機関に対して押収受忍義務を負わせるには、押収物の非代替性ないしは絶対的必要性を明らかにすること、すなわち他に考えられるすべての措置を講じ、かつ代替しうる資料が入手しえないことを明らかにすることが要求されるものといわねばならない。しかるに本件提出命令を発した福岡地方裁判所はこの点の努力をつくした形跡が認められず、原決定も右提出命令が違法でないことを説明するに当つて、右の点について首肯しうる理由を付せず、つくすべき手段をつくさず発せられた提出命令を漫然と支持し、抗告人の主張を排斥しているのは、理由を付さない決定に等しいというべきである。
[15] 原決定はまた「フイルムがたまたま裁判の証拠に供されたとしても、それは態様を異にした公開と目しうる」というが、証拠が裁判の結果に及ぼす影響を考えれば、報道として公開と裁判事件の証拠に供されることとは性質上全く別異の使用形態であつて後者を目して一般の公開の一態様とする原決定の右見解は独断以外の何ものでもない。本件提出命令によつて報道機関の受ける不利益は取材源の開示を求められる場合のそれに勝るとも劣らないものである。のみならず、かりに本件のごとき提出命令が許されるとするならば、将来、捜査機関がその職務をおこたり、安易に報道機関の所持する資料の顕出を求めることが懸念され、その結果の重大なことは容易に想像できるであろう。
[16] 原決定は、本件提出命令の必要性の有無の判断においても、報道の自由の重要性の評価を誤り、極めて安易に報道の自由の制限を容認した点において、結局、憲法第21条の解釈、適用を誤つたものというべきである。
[17] 本件提出命令に関与している白井博文裁判官に対しては、本件付審判請求事件において被疑者らから忌避の申立があり、該申立は福岡地方裁判所において却下されこれに対する即時抗告も福岡高等裁判所において棄却されたが、最高裁判所に特別抗告がなされた結果、昭和44年9月11日、右下級審の決定はいずれも取消され、忌避の事件は福岡地方裁判所に差戻されている。
[18] ところで忌避の申立がある場合は、刑事訴訟規則第10条第2号第3号の場合を除いて訴訟手続を停止しなければならない(同規則第11条)。しかるに本件提出命令は、右白井裁判官に対する忌避申立の後になされたものであるから、違法なものである。原決定はこの点に関し「右特別抗告には執行停止の効力が認められないから、当審の前記抗告棄却決定は直ちに効力を生じ、一応忌避申立却下の状態となり、右申立により生じていた訴訟手続停止の効果も解消していたものというべきであるから、その後白井裁判官が関与してなされた本件提出命令は適法なものというべく、そして最高裁判所の右取消裁判は将来に対し効力を有するものと解すべきであるから、該取消によつて適法になされた本件提出命令の効力が左右されるものではない。」とのベ、本件提出命令を適法としているが、最高裁判所の右取消、差戻決定の効力は忌避申立時にさかのぼるものと解すべきであり、白井裁判官は本来本件提出命令の裁判には関与し得なかつたものである。最高裁判所の右取消、差戻の裁判が将来に対してのみ効力を有するとした原決定は、裁判官の職務の公正を期するための忌避の制度の趣旨に反し、忌避に関する刑事訴訟法および刑事訴訟規則の解釈を誤つているのみならず、憲法第32条に牴触する。けだし、憲法第32条は国民が何人も適正に構成された裁判所による裁判を受ける権利を奪われない旨を定めるにかかわらず、本件提出命令は、裁判に関与すべからざる裁判官の関与にかかるものであるから、ひつきよう抗告人に与えられる右憲法上の権利を抗告人に拒否するものである。忌避申立により、裁判に関与すべからざる裁判官が関与してした裁判(本件においては提出命令)の違法性は、ひとり忌避申立人に対してのみならず、提出命令を受ける抗告人に対しても認められなければならないこと勿論であると信じる。原決定は、この点において、憲法第32条に違反するものであり、且つ、上述の如く、決定に影響を及ぼすべき法令の違反があり、これを破棄しなければ忌避制度のおかれた趣旨を没却するに至り、著しく正義に反するものというべきである。

[19] 以上の理由により、抗告人は、原決定を破棄し、第一審の提出命令を取消す御決定を求めるものである。

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