殉職自衛官合祀拒否訴訟
第一審判決

自衛隊員らによる合祀手続の取消等請求事件
山口地方裁判所 昭和48年(ワ)第8号
昭和54年3月22日 第1部 判決

原告  中谷康子

被告  隊友会山口県支部連合会
被告  国
代理人 筧康生 吉平照男 柏田幸司郎 広津隆久 ほか6名

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


一 被告らは各自原告に対し金100万円及びこれに対する昭和48年1月30日以降完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。
二 被告隊友会山口県支部連合会に対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告に生じた費用を2分しその1を原告の負担、その余を被告らの連帯負担とし、被告隊友会山口県支部連合会に生じた費用を2分しその1を原告の負担、その余を被告隊友会山口県支部連合会の負担とし、被告国に生じた費用を全て被告国の負担とする。


(原告の申立)
一、被告隊友会山口県支部連合会は同被告が昭和47年4月頃訴外宗教法人山口県護国神社に対して訴外亡中谷孝文につきなした合祀申請手続の取消手続をせよ。
二、主文第一項同旨。
三、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
四、右二、三、四項につき仮執行宣言。

(被告隊友会山口県支部連合会の本案前の申立)
一、原告の訴を却下する。
二、(予備的申立)原告の申立一項の訴を却下する。
三、訴訟費用は原告の負担とする。

(被告両名の本案についての申立)
一、原告の請求を棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
[1] 被告隊友会山口県支部連合会(以下たんに被告県隊友会ということがある。また本項においては単に被告という。)はいわゆる権利能力のない社団であり、民事訴訟法46条により当事者能力を有する。

[2]、社団法人隊友会(以下たんに隊友会本部ということがある)は、「国民と自衛隊とのかけ橋として相互の理解を深めることに貢献し、もつてわが国の平和と発展に寄与するとともに自衛隊退職者の親睦と相互扶助を図り、その福祉を増進すること」を目的として、昭和35年12月27日設立され、「防衛意識の普及高揚」や「自衛隊諸業務に対する各種協力」等をその事業として行うものである。その地方組織として各市町村に支部をおき、各府県毎に支部連合会を置くがその地方組織に関しては隊友会地方組織に関する規則をもつて細かく規定している。被告は隊友会本部の定款及び右規則により、山口県を代表し、下部の支部を総括、指導、調整するものとして、同36年に設立されたが、支部連合会の業務施行について定めることを目的として、社団法人隊友会山口県支部連合会細則を定めている。

[3]、被告の役員として、会長及び副会長が被告理事会の議決により選出され、理事及び監事が評議員会により選出され、支部長の互選により評議員が選出される。

[4]、被告の会長が招集しその議長をつとめる評議員会では、被告としての事業計画の決定、事業報告の承認、予算及び決算の承認、細則の改廃等一定の事項が多数決の原則によつて議決される。評議員会で議決された右各事項の執行のために理事会が会長により招集される。

[5]、被告の事業活動の資金、経常支出をまかなうために、会費の徴収と納入、財産の管理と運営についても細かく規定されている。また、日常の業務の執行のために、事務局がおかれている。

[6]、以上によつて明らかなように被告はたんに隊友会本部の一地方組織にすぎないものではなく、隊友会本部と連繋してはいるが本部から相対的に独立した団体として被告独自の組織・財政を備え、多数決の原則に従つて被告独自の事業活動を決定し、被告独自の財政をもつてこれを遂行しているのであるから、最高裁判所昭和39年10月15日判決よりして、権利能力のない社団そのものに該当し、民事訴訟法46条により当事者能力を有する。
[7]、被告は権利能力のない社団ではないから訴訟法上当事者能力を有しない。すなわち、まず隊友会本部は、東京都港区赤坂9丁目7番45号に主たる事務所をおく社団法人であり、被告はその地方組織である。
[8] 本件合祀申請行為をなした当時の被告代表者福田一清は隊友会本部の代表者である理事会長木村篤太郎から被告会長(地方組織の長)に任命されたものである。次に、本件合祀にあたつて、被告会長福田外1名は、その作名名義にかかる「山口県護国神社における自衛隊殉職者の奉斎実施準則」と題する実施要綱を設けた。その7条には、「この準則の実施は、隊友会会長の責任とする」旨の定めがある。意思表示の解釈として、この準則は内部的な実施要領、手続を定めたものであり、対外的には隊友会本部と宗教法人山口県護国神社(以下たんに県護国神社という)との間の準委任契約を結ぶについて、被告会長福田が隊友会本部の代理人である旨が明らかにされている。右の次第で、被告は「権利能力のない社団」ではないから、本件訴は却下されるべきである。

[9]、隊友会本部は昭和46年12月中旬頃亡中谷孝文を含む当時の山口県出身自衛官の殉職者27名を宗教法人山口県護国神社に合祀することを申込んだところ、同神社はこれを承諾して、(1)昭和47年4月19日に右27柱の霊を同神社の祭神として奉斎する、そのため遷座祭を執行し、其後永久に奉斎する、(2)隊友会本部は右に必要な経費として金60万円を同神社に支払う、旨の合祀祭祀の準委任契約(もしくはこれに類似する無名契約)が成立した。右契約の履行として亡孝文の霊が同神社に奉斎された。
[10] しかし、第三者たる原告には右契約の申込に伴う手続の取消を求める当事者適格はないから、請求の趣旨第一項は不適法であり、却下されるべきである。
[11] 被告らは相謀り共同して、原告の亡夫中谷孝文を祭神として合祀するよう宗教法人山口県護国神社に申請し、同神社をして昭和47年4月19日合祀せしめ、もつて原告乃至亡孝文の宗教的人格利益を違法に侵害する行為をなしたものである。
[12]、原告の亡夫中谷孝文は、陸上自衛隊員(二等陸尉)として自衛隊岩手地方連絡部釜石出張所に勤務していたものであるが、昭和43年1月12日岩手県釜石市内において公務従事中交通事故にあい死亡した。

[13]、原告は、同33年4月4日日本キリスト教団山口信愛教会(林健二牧師)において洗礼を受け、同教会に所属する篤信なキリスト教(新教)信徒であり、夫の遺骨を自己の所属する右教会の納骨堂に納め、命日にはキリスト教式による記念会を行ない、また毎年11月第1日曜日に右教会で行なわれる永眠者記念礼拝に出席してキリスト教式による亡夫の祭祀を行ないもつて爾来今日に至るまで同人を深く追慕しているものである。
[14]、自衛隊は、殉職自衛官を護国神社へ合祀することを画策した。
[15] 広島県に司令部を置き、中国5県、四国4県を警備管轄区域とする陸上自衛隊第13師団の管内においては、昭和39年香川県で自衛隊香川地方連絡部長が祭主となつて殉職した自衛官の讃岐宮への合祀が行なわれ、次いで愛媛県でも護国神社への合祀が行なわれた。昭和45年第13師団長に就任した和田曻治は自衛隊の強化のために隊員の士気の高揚の重要性を認識し、管内各県で殉職自衛官の合祀の推進を図ることとした。同人は翌46年3月管内9県の県隊友会、県父兄会、県防衛協会の長を招集し、各県の地方連絡部々長の出席も要請して中国四国外郭団体懇談会を開催した。その席上において山口地方連絡部(以下たんに山口地連もしくは地連という)長峰部長及び被告県隊友会福田会長が山口県の殉職自衛官護国神社合祀(以下たんに合祀という)について報告したところ、和田師団長はこれを支持し、山口地連に対し積極的推進を要望し、指示した。

[16]、これを受けた山口地連は、昭和46年3月以降合祀実現に取徂むこととなつた。地連総務課長の粟屋晧は地連部長の長峰と相談のうえ、合祀を行う上での技術的な困難を打開するため、県護国神社の宮司との折衝の参考とする目的で、既に合記すみと聞いていた九州各県での実例を調査することを企て、合祀の方法及び業務死亡は戦没者とは異なるという合祀反対論をどのように克服したかの点を中心に、5月22日付で長崎県を除く九州各県の地連総務課長宛に照会文書を発送した。これに対して照会先地連から6月下旬までに回答が寄せられた。粟屋課長は右照会文書及び回答文書を長峰部長に閲覧に供し報告して協議のうえ、戦没者祭神に合祀するのではなく併肥(配記)の方法で奉斎している九州各県の実例を県護国神社の宮司に説明し説得すること、合祀申請は地連と同様に殉職自衛官の合祀を希望していた被告県隊友会の名義で行うことを決めた。被告県隊友会々長福田は地連の右方針に従い7月頃から長尾宮司に右文書を用いて九州の実例を示すなど地連とともに働きかけ、遂に9月ないし10月頃県護国神社に殉職自衛官を新祭神として奉斎することを諒承させた。その後も山口地連は合祀実現を推進し、自衛隊の国家機関としての制約から建前上行うことのできない合祀申請及び経費の負担についてのみ、山口地連が完全にコントロールしている被告県隊友会に便宜的に行なわせたほかは、経費捻出のための募金趣意書の発送、募金の集計、合祀関係費用の経理、出納、必要書類の収集・準備、奉斎実施準則及び奉斎申請書の起案、奉斎者名簿の作成など、合祀に関する一切の事務を地連の安田事務官に行なわせた。

[17]、山口地連は昭和47年4月19日に合祀鎮座祭を実施すべく準備を進め、奉斎申請に添付するための原告の亡夫中谷孝文に関する除籍抄本、公務認定(写)(殉職証明書)の取寄と殉職者名簿作成のための位階、勲等の調査の必要上、原告のもとへ係官を派遣することとした。地連援護係長安田事務官の依頼にもとづいて、地連山口出張所長は広報係阿武二曹をその任に当らせた。阿武は同年3月23日午後5時頃原告方を訪れ、原告に亡孝文の除籍謄本の交付を受けておくことを依頼した。原告がその使用目的を質したが、同人はその理由を明らかにしなかつた。原告は納得できないまま、同人とは面識があつたことから、1週間位の間に準備しておく旨答えた。
[18] 同人は4月3日の午後4時か5時頃に再度原告方を訪れ、右除籍謄本の件については言及せず、使用目的を説明しないまま殉職証明書の取寄を求めた。更に同人は4月5日の同時刻頃原告方を訪れ、前記2通の書類のことには触れず、亡孝文の階級と勲章の呈示を求め。原告が不審に思いながらもこれに応じたところ、同人は勲章と位記をメモした。そこで原告がその使用目的を尋ねたのに対し、同人は亡孝文を殉職自衛官として県護国神社に合祀することになつた旨を答え、3回に旦る訪問の目的を明らかにした。そこで原告は、原告がキリスト教を信じていること、亡孝文の遺骨を教会の納骨堂に納め、年に1度の永眠者記念礼拝にも出席していること、亡孝文を他の宗教で取扱われたくないことを告げて、合祀を拒否した。阿武が帰つた後、原告は右合祀が当時教会で学んでいたいわゆる靖国神社法案と関係があるのではないかと思い、山口信愛教会の林健二牧師に電話で相談した上、地連に電話して阿武に合祀を断る旨を重ねて告げた。

[19]、しかるに地連及び被告県隊友会は、原告が右のとおり予め右合祀に反対である旨の明示かつ真摯な意思表示をなしていることを知りながら、自衛隊員の士気を鼓舞する目的の下に敢て右亡孝文の合祀手続を進め、地連において自ら合祀に必要な公務災害認定書・除籍抄本等の書類をとゝのえ、ついに同年4月はじめ頃被告県隊友会の名を以つて県護国神社に対し他の26名の死亡自衛官とともに同人の合祀を申請した結果、右護国神社は同年4月19日これらの死亡自衛官を同神社の新祭神として奉斎したうえ、同年7月5日、原告に対し亡夫孝文について、今後毎年1月12日の祥月命日をもつて命日祭を斎行し、これを永代に継続する旨通知してきた。
[20] 右合祀申請手続は、形式的には被告県隊友会の単独名義でなされているけれども、右経緯に照し明らかなとおり、自衛隊山口地方連絡部が主導し、その事務手続もすべて地連の係官が勤務時間内に自衛隊の隊務の一環として行なつたものであつて、これが地連と被告県隊友会との共同の行為によるものであることは明らかである。

[21]、被告らは本件合祀申請が被告県隊友会にょつてなされた旨を主張するけれども、本件合祀後の左記事実によつても山口地連が当初からこれを主導したことは明らかであり、それなればこそ合祀に抗議した原告らに対して地連の関係者自ら応待して或は合祀の正当性を強弁し、或いは合祀取下げの態度を表明するなどしたのである。すなわち
[22] 地連安田事務官は7月5日前項奉斎通知書を原告方に届けた。
[23] 原告は不在中に届けられた右通知書をみて、翌日地連に電話して抗議したところ、安田は。亡孝文は国のために死んだのだから護国神社に祀るのは当然である、現職自衛隊員に誇りをもたせるために「私共」が、好意で祀つた旨答弁し、合祀を正当化しようとした。
[24] 7月22日原告と安田は電話で7月6日とほぼ同内容のやりとりを交した。
[25] 原告の苦しみを座視しえなかつた林健二が7月27日地連に赴き合祀取下げの要請をしたところ安田は、護国神社は公の宗教であり、日本人であれば公には護国神社に祀られるのがあたりまえのことである旨積極的に説明した。
[26] 7月27日朝日新聞の記者が本件合祀について地連に取材をはじめると、安田は原告に電話をして地連部長が当日の晩にも会いたいと言つている旨を伝え、当日の朝日新聞夕刊が本件合祀記事を掲載するや、山根部長は原告に電話して、本当にすまなかつた、今中央から取下げるよう指示があつたので少し待つてほしい旨伝えて、合祀取下の約束をした。
[27] ところが山根部長は翌28日に安田をして原告に急用のため原告には会えない旨を電話で伝えさせる一方、同日竹下副部長と安田に防府在住の亡孝文の父中谷之丞宅を訪問させ。同人を通じて原告を説得させようと企図した。これは之丞が右新聞記事によりはじめて合祀の事実を知り地連に電話で合祀に賛成する旨を伝えたのを奇貨として、山根部長らが同人の権威を利用して原告の合祀取下げ要請を断念させようとの目的に出たものである。
[28] 原告は右のような地連の不誠実な態度に憤りを感じて7月31日付の郵便でもつて山根部長に地連の措置につき釈明を求めたが、これを受取つた同部長は同日原告宛に電話をして、之丞から叱られた、同人と話合つてほしい旨を伝えことを親子間の問題に転嫁して事態を糊塗しようと図つた。
[29] 山根部長はその後に至つて被告県隊友会を事態収拾の前面に出そうとし、8月2日安田をして原告に、県隊友会長福田との面談に応じてほしい旨の電話をさせた。原告が書面による連絡を要求したところ、山根は早速福田会長をして原告に面談を申し入れる葉書を差出させた。福田はこのようにして山根部長の指示により8月4日原告と面談したが、その際原告に対し地連職員の言辞と符節を合わせるように、これは親子喧嘩の問題であるから親子で話合つてほしい旨を繰返した。
[30] 亡孝文の父之丞は「家」の論理を一方的にふりかざして嫁の立場を何ら認めようとはしない家父長的態度をとり、かつて山口県自衛隊父兄会副会長をして自衛隊に協力的な経歴をもつ者であるが、地連において同人を利用するため被告県隊友会と一体になつてこれに働きかけた結果、同人は8月6日親族会議なるものを開き、被告県隊友会福田会長宛に原告を除く亡孝文の親族は全員合祀に賛同しているので合祀を取下げないでほしい旨の嘆願書を作成送付した。福田会長は地連の指示により、8月17日右嘆願書をそのまま引用した手紙を原告宛差出し、合祀取下げ要請を断念させようとした。
[31]10 原告の合祀取下げの意思が強固であることを知つた被告らは、地連の指示に基づき、安田事務官の起案により福田会長名義で8月、10月22日及び11月1日の3回に亘つて県護国神社に対し奉斎取下げ方の要請を行なつた。
[32]11 林健二ら日本基督教団西中国教区の社会部委員ら6名が10月14日合祀取下げの要望のため地連に赴いた際、応対した地連竹下副部長は合祀を下ろすまで責任をもつて話をすすめてゆく、不勉強であつたので今後教えてほしい旨を答え。爾後も積極的に対処する意思を明らかにした。
[33]12 本件合祀問題が右の経過で社会的関心事となるに及び、被告らは本件共同不法行為を糊塗するために、11月1日従来地連庁舎内にあつた被告県隊友会事務局を福田会長宅に移した。

六、自衛隊とその外郭団体である隊友会の関係
[34] 昭和35年に法人格を取得した社団法人隊友会はその前年に自衛隊の支援を受けて事実上の発会式を挙げたもので、自衛隊が憲法上の制約により自ら行うことが不可能ないしは不適切とされる事項をこれに代つて行うなどして自衛隊への国民の支持を広めるための組織であり、自衛隊の別働隊である。本件合祀当時の山口地連と被告県隊友会の関係は同被告の事務所が地連内に設けられ、これには同被告の会員或いは雇いの事務員は1人もおらず、地連安田事務官が同被告の事務を兼務していた。
[35] 以上の事実からしても本件合祀申請の名義が被告県隊友会であるとの一事をもつて、地連とは無関係に被告県隊友会が主体となつてこれの手続をなしたとは到底いえない。

[36]、以上のとおり、被告らは本件合祀申請を相謀り、被告県隊友会がその名義人となり、地連が主導し、少なくとも被告らが一体となり、共同してこれをなしたものである。
一、殉職自衛官合祀の背景
[37] 昭和27年に始まる日米安保体制は逐次発展し、同35年の改定にょり日米安全保障条約には軍事同盟条約の性質が付与せられ、愛国心や国防意識の高揚が唱えられるようになつた。防衛庁は昭和38年以来5年計画で自衛隊の外郭団体である隊友会に、現職隊員の士気にも影響が大きい殉職者の慰霊祭を各都道府県毎に順次行うように業務委託し、実施させた。同41年のいわゆる三次防には士気の高揚がうたわれ、翌年には国家が関与して国事殉難者を英霊として顕彰する靖国神社(国営化)法案(村上私案)がまとまり、同44年国会に提案された。翌45年に第3次佐藤内閣が発足すると自衛隊の士気を高め、国を護る気概をもたせることが必要とされこれに関連する施策が検討されるようになつた。同39、40年頃自衛隊各地方連絡部の関与のもとに、九州各地の護国神社は旧軍の戦没者と併せて殉職自衛官を祭神として奉斎した。その頃山口県においては合祀の気運はあつたものの、旧軍の戦死者のみを合祀する県護国神社は殉職自衛官を祭神とすることには消極的であり、同45年の春以前は未だ具体的な問題とはならなかつた。ところが同年春を過ぎて靖国神社国家護持にも熱心な防衛庁長官らが自主防衛を強調するようになつた後の同年秋頃、山口県出身殉職自衛官を県護国神社に合祀しようとする気運が強まつた。それ以降の経過は前記第二項一に記載のとおりである。

二、殉職自衛官合祀の目的
[38] およそ軍隊にとつて旺盛な士気をもつ兵員の存在は決定的に重要であり、自衛隊においても同様である。
[39] そこで被告国は現職隊員の士気の高揚と自衛隊の社会的評価を高めるために、旧軍の遺品や郷土部隊の伝統を顕彰する「資料館」を自衛隊駐とん地などに設立させたり、旧軍の武勲をたたえる各種記念碑を建立して顕彰行事を行なつたり。自衛隊高級幹部が天皇に拝謁したりするようになつたが、これらとともに前記のとおり隊友会に殉職自衛官の慰霊祭の実施を委託して現職隊員をこれに参加させた。被告らが本件合祀をなした目的も右と同様であつて、宗教的行事により殉職(有事の場合の「戦死」)を美化する道徳を国民の間に育成し、その国防意識を高揚することを目的としている。殉職自衛官を旧軍の戦没者と併せて各地の護国神社の祭神として奉斎することは隊員の士気を高揚し自衛隊の社会的評価を高めるに資するものである。殉職自衛官の死は、たとえ交通事故であつても一般国民の死とは区別され、社会的に丁重に取扱われ、死者は護国の神として永久に奉斎されるからである。このように合祀は右のような非宗教的な目的のために死者を利用しているものであつて、個々の殉職者やその遺族を慰めるためになされたのではない。
[40] このような目的を以て合祀がなされるに至つたについては、以下のような護国神社及び靖国神社と国乃至自衛隊との関係が介在した。
[41] すなわち護国神社は幕末期において尊皇倒幕の運動のために死んだ者を祀つた招魂場等に源流を発し、明治以来神社神道を国教化したものとしての国家神道のもとで靖国神社の事実上の地方分社として成立し発展してきた。明治維新政府は国民を精神的に統一し、これを支配するための国民教化政策の重要な柱として神道の国教化を行なつたのである。国家神道の最大の特質はいわゆる民族宗教に由来する集団の宗教であることにあり、そのため単位社会集団においては例外を許さない構造をもつている。このことが戦前戦中における諸々の宗教弾圧事件を惹起した。また国家神道の中でも靖国神社及び護国神社は天皇、国家への忠誠をたたえるための、それらから破格の優遇を受けた軍の宗教施設であるという点で極めて特異な地位と性格をもつていた。
[42] しかし、軍国主義教育の手段として利用された護国神社は、昭和20年12月15日発せられた神社指令と日本国憲法によつてその公共的性格(国家、公共団体との癒着関係)を一切断たれるべきこととなつた。日本国憲法の徹底した政教分離原則の明文化は、戦前、戦中の国家神道という国家宗教が国民の思想、良心、信仰の自由を抑圧し、これが軍国主義教育の道具となつて日本国民と他の諸国民に戦争の惨禍をもたらしたことへの厳しい反省によるものであつたが、現実には昭和27年頃以来日本遺族会による靖国神社法要綱案発表、神社本庁による紀元節復活運動、祝日としての建国の日の制定、数度に亘る靖国神社法案の国会への提出等を経て、昭和50年以降首相の靖国神社参拝が続くなど、国と靖国神社乃至神道との関係は密接の度を加え、この間にあつて自衛隊新発田駐とん部隊内に天照大神と靖国神社の祭神とを祀る神社が建立されたのをはじめ、昭和39年以降各地の護国神社で行われる例祭や殉職自衛隊員の慰霊祭等に自衛隊幹部が参列する等、自衛隊と護国神社乃至靖国神社との関係も旧憲法時代に似てくる傾向にある。

[43]、前項までの事実によれば、被告らの行為は次の3点において原告または亡孝文の宗教的人格利益を侵害する違法な行為である。
1 政教分離条項違反
[44](一) 本件合祀申請行為は被告らが共同して行たつたものであり、県護国神社という宗教施設、場所において、死者を永代に同神社の祭神として祀るという合祀行為が憲法20条3項にいう「宗教的活動」に該ることは明白であり、従つて本件合祀申請手続はまず同項に違反する客観的に違法な行為である。また、被告国の機関である自衛隊の関与にょつて右合祀が為されることにより、県護国神社の社会的評価を高め、もつてこれに国が特権を与え、ここに公の宗教が樹立されることになるから本件合祀申請は同法20条1項後段に反する違法な行為である。
(二) 政教分離原則の意義
(1) 立法事実
[45] 明治憲法下では天皇の祖先を神々として崇める神社神道が「公の宗教」(国家神道)とされていた。それ故、明治以降昭和20年まで国民は神社神道を国民的宗教として尊崇することを教えられ、強制され、更には治安維持法、宗教団体法、警察犯処罰令のもとで「公の宗教」に反対する宗教的少数者は熾烈な宗教弾圧を受け、神社を中心とする国体観念に従属させられた。日本国憲法はこのような「公の宗教」にょる支配を完全に払拭するために政教分離条項を明文化した。
[46](2) 国家と宗教の関係は、それぞれの国の歴史的条件によつて異なつているが、日本国憲法は、アメリカ合衆国のとつている憲法原則、すなわち国家と教会ないし宗教を完全に分離し、相互に干渉しない主義とほぼ同様の完全な政教分離制度を採用した。
[47](3) 被告国は政教分離の原則をいわゆる制度的保障の一としてとらえ、これに対する違反は公法上違法ではあつても、当然に国民個人の信教の自由を侵害する私法上の違法を帯びることはない旨を主張するけれども、誤つている。けだし、宗教的寛容の法制(国教制)のもとにおける信教の自由の具体的保障の態様と、比較憲法的には全く異なる我国及びアメリカ合衆国の政教分離の法制のもとでの信教の自由の保障の態様とは異なることを看過しているからである。即ちアメリカではキリスト教の各宗派が多元的に存在しており、このような宗教事情のもとでは政府の権力や威信や財政的支持が特定の宗教的信仰の背後におかれるときは、宗教上の少数者に対し公に承認された優勢な宗教に従うようにとの間接的強制の圧力が働くことになるのは明白であるところから、国教禁止条項が確立されている。我国においては各種の宗教が多元的に存在している点でアメリカの宗教事情に似ているのであつて、ここでも信教の自由は政教分離といういわば現実的手段によつてのみ保障されるのであつて、信教の自由を完全にするためには国家と宗教を絶縁させる必要がある。国家と宗教が分離されなかつた情況のもとで個人の信教の自由が保障されなかつたことは、国家神道下における生々しい体験がこれを示している。
[48] それ故に日本国憲法は個人の信教の自由に対する間接的侵害を禁止する不作為義務を国及びその機関に課したのである。
[49](三) このように日本国憲法は20条2項によつて信教の自由に対する直接的な侵害を禁止する不作為義務を定めるとともに、これを完全に保障するために同条3項により、国及びその機関が特定の宗教と結びつくことによつてその宗教に反対の少数者が社会的に疎外され、その信教の自由が間接的強制にょつて侵害されることのない宗教的人格利益を保障しているのである。右利益をもつて政教分離の反射的利益と解すべきでないことは、前記政教分離原則の意義に照らし明らかである。
[50](四) 本件合祀は国の機関である自衛隊の威信と支持を背景として実施された。これによつて政教分離条項で保障されている利益が害される者があればその者に原告適格を認め、これを司法審査の対象となし政教分離の憲法秩序を回復するのでなければ政教分離は実効性のないものとなる。けだし本件は公金の支出(憲法89条)を伴つておらず、また地方自治法242条の2による住民訴訟の対象とはならない国及びその機関による行為であるからである。
[51] 政教分離侵害行為である本件合祀によつて祭神とされた亡孝文は神社神道の信者ではなく、キリスト教徒の妻原告と半生を共にしていたこと、本件合祀は自衛隊の社会的評価を高めることを主たる目的として実施されたこと、原告は亡孝文の死をキリスト教で記念していること、我国社会には多重信仰の現象がみられるうえ神社神道を公の宗教とする風潮があること、合祀に反対の原告は社会的に疎外されていること、本件合祀が亡孝文の信教の自由及び原告の宗教的人格利益を侵害していること並びに本件合祀により原告は忍び難い精神的苦痛を蒙つていること等の事実によれば、原告は政教分離条項が保障する前記利益を侵害されている者であつて、本件訴の利益を有する。
2 亡孝文の信教の自由の侵害
[52](一) 本件合祀は他人である死者を祭神として公衆礼拝の施設を備えた神社に奉斎し、祭祀の対象とし、神社崇敬者及び神社神道信奉者の教化育成に資する宗教行為であるところ、死者に関する宗教行為は本来死者本人の意思に即して行なわれるべきものであり、これに反してもなしうるところの祀る自由などというものは宗教の性質上も憲法上も存しない。ところが亡孝文は神社神道の信奉者ではなく、キリスト教徒の妻と後半生を共にしていたものであつて、同人を県護国神社の祭神として奉斎することは同人の意思に即しないものである。本件合祀申請は純粋に宗教的目的の宗教的行為としてではなく、他目的のために実施されたものであり、これによつて同人の信教の自由を一方的、強制的に侵害していることは明白である。
[53](二) 信教の自由はその担い手が死亡しても保護されなければならない。人は少なくとも自己の意思に即さない宗教の神として一方的、強制的に奉斎されてしまうなどという死後の重大な信教の自由の侵害に対する保護を信頼し、この期待に生きるのでなければ、信教の自由の保障を十分に享受しているとはいえない。死者の信教の自由の保障は個人の尊重、信教の自由を発展させるものであり、憲法13条、20条1、2項に基く当然の保障である。
[54](三) 著作権法60条は著作者の死後もその人格権を保護する規定を設け、その死者に代つて侵害の差止請求、名誉回復の措置請求をなしうるものを遺族とし、その順位の第1位を配偶者としている。死者の信教の自由の侵害に対しても右と同様に訴の利益を認めるべきである。蓋し、親と子は比較的早い時期に生活を共にすることをやめ、夫婦共同生活が普通は死の直前まで続くのであつて。後半生を共にした配偶者が死者の精神生活を最もよく知り得る立場にあるからである。
[55](四) よつて、本件合肥申請手続は亡孝文の信教の自由を侵害する違法な行為であり。原告は本件訴につき原告適格を有する。
[56] 被告県隊友会はその設立の目的に照らし宗教上の行為をなしえず、又仮りに宗教上の行為の自由を有するとしても、以下のとおりその名義でなした本件合祀申請行為は条理に照らし宗教上の自由の濫用として許されず違法な行為である。
[57](一) 前項において本件合祀が亡孝文の信教の自由を侵害する旨を主張したが、これと同様に祭神とされる者と緊密な生活関係にあり生活感情の密接性の濃い配偶者は、亡夫をその意思に即しない事情の下に祭神として祀られることのない自由を自己固有の宗教的人格利益として条理上当然に享有している。
[58] 信教の自由はすぐれて内面的であり、公権力の介入すべからざる領域に関するものである。この意味で個人が内心において「国家公共につくした人々の心霊」を慰霊することはもとより全く自由であるが、本件合祀の如く他人を公衆礼拝の施設を備えた神社に奉斎し、祭祀の対象とし、神社崇敬者及び神社神道信奉者の教化育成に資する祭神とするような外部に表現された、いわば対世的な宗教上の行為については、内心の自由におけるとは異なり、その自由につき自ら内在的限界が存するとしなければならない。
[59](二) 原告は亡孝文と9年間婚姻生活を営み、同人に深い愛情をもつていた。原告はキリスト教徒であり、亡孝文は神社神道の信者ではなく、原告の信仰を容認し、死後の葬いにつき原告の自由に任せていた。原告は同人の死をキリスト教式で記念し、同人の合祀をされたくない旨の意思表示を事前に明示かつ真摯になしていた。しかるに、本件合祀は右事情のもとにおいて敢てなされたのである。他方本件合祀申請行為が制約されても県護国神社や被告県隊友会の存立が左右されたり、その他著るしい痛痒が生ずることはない。
[60](三) なお被告らは亡孝文の父、弟、妹らが本件合祀に反対していないことをもつて合祀申請行為を正当化するけれども、死者に関する宗教上の行為について、最も尊重せられるべき人格的利益は、条理に照らし死者に対する深い精神的きずなを基本として実際生活感情を最も濃く有する者すなわち配偶者の人格的利益である。その故にこそ現に本件合祀の通知自体が妻原告にのみなされ、孝文の父らにはこれが知らされないままであつたものである。
[61](四) このようにして原告の宗教上の自由乃至人格権を侵害してなされた合祀行為は宗教上の行為の自由の濫用に該当する。
[62]、原告は昭和33年日本基督教団山口信愛教会の林健二牧師からキリスト教の洗礼を受け、亡孝文と結婚した後も信仰を続けている。亡孝文は原告が純福音教会に通つた昭和39年の一時期を除いて、原告の信仰を容認しており、他方護国神社や靖国神社について全く関心がなかつた。

[63]、亡孝文が業務死したことを知らされた原告は遺体の置かれていた病院の霊安室で亡孝文と対面したが、同夜を亡夫とともに過したい希望をもつていたにもかかわらず、岩手地連部長から対面後30分で退席を促された。翌日同地連庁舎内で地連としての告別式が行なわれ、続いて岩手駐とん地部隊で原告を形式上の喪主とする葬儀が仏式で行なわれたが、方式や進行についで原告が相談を受けることはなかつた。このように原告は夫の突然の死という悲しみの中で自衛隊側の指図により、人間自然の情である夫の遺体の傍に長くとどまつて通夜することもできず、また一般の場合では当然と考えられる遺体を自宅に帰して貰うということもできず、病院、地連、部隊と転々とさせられ、原告家族を疎外したまま自衛隊本位の遺体の取扱い、告別式や葬儀がなされていつた。このため、原告は夫の死のほかに、自衛隊によつて夫から引裂かれたという二重の悲しい思いをさせられた。
[64] 自衛隊の右のような考え方、処理の仕方は、殉職した自衛官はすでに遺族が私的に扱うべきではないとの基本的な発想に由来しており、かかる発想が本件合祀強行の大きな要因をなしている。

[65]、その後原告は亡孝文を山口信愛教会に記念し、毎年の永眠者記念礼拝にも出席し、同人を追悼してきたが、他方同教会での教会生活を通じて靖国問題の学習をし、これに対する反対の運動に加わつてきた。原告が前記のとおり本件合祀申請を阿武二曹に拒絶したのは、自衛隊の業務によつて死亡した亡孝文が護国神社合祀という方法で国により利用されることをおそれたからであり、自らの信仰に照らしても、また亡夫自身の立場を思つてみても、決して許すことができないと考えたためである。

[66]、右のとおり、原告は拒絶にもかかわらず亡夫を県護国神社に合祀されたことを知つて再び国により同人との間を引裂かれたという強い悲しみを感じており、その精神的苦痛は耐え忍ぶことのできない性質のものである。これによる損害は金銭をもつては償い難いが、強いてこれを換算すれば少なくとも金100万円を下らない。
[67]、本件合祀申請手続が政教分離原則を侵害する違法な行為であることにより、原告は民法709条、719条、憲法20条1項後段、3項に基づき、被告県隊友会に本件合祀申請手続の取消手続を求めるとともに、国家賠償法1条、仮りに然らずとするも民法715条により被告国に損害賠償責任があるので、被告らに金100万円の慰藉料およびこれに対する訴状送達より後である昭和48年1月30日以降完済まで民法所定年5分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める。

[68]、本件合祀申請行為は宗教上の行為の自由の濫用として違法な行為であるから、原告は民法1条3項、709条、719条に基づき、被告県隊友会に合祀申請手続の取消を求めるとともに、国家賠償法1条にょり、仮りに然らずとするも民法715条により被告国に損害賠償責任があるので、被告らに右同様金100万円およびこれに対する遅延損害金の連帯支払いを求める。

[69]、本件合祀申請手続は亡孝文の信教の自由を侵害する違法な行為であるから、原告は憲法20条1項、2項に基づき被告県隊友会に合祀申請手続の取消を求める。
[70]第一、請求の原因第一の一の事実及び昭和47年4月19日に県護国神社が原告主張の本件合祀を行なつたことをいずれも認めるが、右合祀のための申請手続は社団法人隊友会が単独になしたものであり、被告国(自衛隊)と相謀つてなしたものではない。その余の主張については不知もしくは争う。

[71]第二、本件合祀申請行為は違法ではない。

[72]一、1 憲法20条第1項前段は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と規定している。国民のうち殉職自衛隊員の霊を神として祭祀する者があれば、祭祀を行う自由が憲法上保障されているのであつて、何人もこれに異議を唱えることは許されない。原告の主張こそまさに憲法に違反するものである。
[73] もし、原告の主張に従うならば、亡孝文の霊を祭祀しようと念願する国民はキリスト教以外にはこれを行うことができないというになり、明白に信教の自由が妨げられることになる。信教の自由は、何人といえども信仰を強要され、もしくは信仰しないように強要されないことの反面、他人の信仰に干渉妨害をしてはならないことを内容とするものである。
[74] 原告の主張は、夫の霊魂は妻の独占的支配下にあるというおよそ非常識な考え方が基本となつている。しかし、いかなる祭祀の方法をとるかは、故人の意思がもつとも尊重されるべきであり、次いで慣習が重視されるべきである(もちろん、そうであるからといつて、第三者が故人の霊を神社に祭祀する自由が妨げられることがないことは前述したとおりである)。このことは、民法第897条を考えることによつて明らかとなる。同条は、財産のうち系譜、祭具及び墳墓の所有権は、慣習に従つて祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継することとし、慣習が明らかでないときは家庭裁判所がこれを定める旨を規定している。ましてや、故人の霊魂の問題について、妻のみが独占的排他的支配権を有することは、条理上到底考えられないところである。
[75] これを本件についてみるに、亡孝文は生前キリスト教を嫌つていた。亡孝文は原告と結婚するに先立ち、原告がキリスト教の信者であるため自衛官の妻としては適当でないとして結婚を渋り、結局仲人を通じて結婚後はキリスト教の信仰をやめることを条件として結婚したものである。しかるに原告は結婚後も夫の意思に反してキリスト教の信仰をつづけ、とくに亡孝文が御殿場幹部学校学生であつた昭和37年には、結婚前の宗派とちがつた宗派に属する御殿場の教会で洗礼を受け、熱狂的にキリスト教の信仰に走つた。このため、家庭をかえりみることなく、そのため亡孝文は離婚を決意するに至るほどであつた。亡孝文が原告のキリスト教の信仰を嫌悪していたことは明らかであり、まさに家庭を破たんに追いこんだキリスト教にょつて祭祀されることが故人の意思に反するものであることは言をまたないところである。
[76] 一方、亡孝文は生存中「自衛官たるもの死して護国の鬼となる」という精神をもち、両親兄弟はじめ親しい人々にその旨を語つていた。また、父中谷之丞、弟中谷令郎、妹大野紅代、妹中谷美津子、原告の父小川英三郎は、亡孝文の霊を護国神社に合祀されたことに全面的に同意している。これらの人々は、本件訴訟を新聞記事で知り、昭和47年7月30日中谷之丞宅に集つて協議した結果、原告の提訴は亡孝文の意思に背くものであると非難し且つ護国神社に合祀されたことを感謝していることを確認し、連名で同年8月17日嘆願書を隊友会あてに提出して右意思を伝達した。
[77] ところで、原告が本件合祀に反対する理由として主張するところは、殉職隊員を護国神社に合祀することが、現職の自衛隊員の士気昂揚を図ることを目的としたものであること及び護国神社の合祀が靖国神社法案につらなるもので国家の神社神道に対する援助であることの2点である。しかし、原告本人尋問の結果に徴して、原告自身が当初から右の如き認識をもつていなかつたことが明らかである。たまたま、原告が未亡人となつてから、もつとも頼りにしていろいろ個人的な相談をもちかけていた林牧師は、原告の右主張そのままの考方の持主であり、熱心に靖国神社法案反対運動を行つている人物である。原告が林牧師らによつて、宗教的不快感をあおられ、靖国神社法案反対斗争の一環としてかつがれて提起したのが本件訴訟の実態である。これに対し、隊友会が殉職自衛隊員の遺霊を慰める目的で本件合祀をしたものであることは明らかである。すなわち、山口県護国神社は、「国家公共のために尽した人々の心霊を奉斎すること」を目的とするものであり、一方において殉職隊員の遺族は同神社への合祀を強く希望する者が多かつたことが本件合祀の直接の動機であつた。かりに、百歩を譲つて、本件合祀に現職自衛隊員の士気を昂揚するという目的が含まれていたとしても、そのこと自体は原告の信教の自由とは何らの関係もないところである。更に、本件合祀を靖国神社法案反対運動に関連させるが如きは、まさに言語同断である。昭和20年のいわゆる神道指令によつて、戦前の国家神道は完全に粉砕され、今やわが国には国家神道なるものは存在しない。靖国神社も護国神社もともに別個の独立した宗教法人であつて、宗教法人法に基いて活動する神社であること以外に両者の間には何らの関係も脈絡もない。
[78] 以上の次第で、本件合祀申請は、故孝文の意思及び原告を除く全ての親族の意思に合致するものであり、また隊友会が殉職自衛隊員の遺霊を慰める目的でなしたものであり、国家の神社神道に対する援助でもないから、何ら違法ではなく、かえつて原告の主張こそ憲法20条に違反するものである。

[79]、原告は、本件合祀手続に山口地連の職員が参画したことは憲法20条3項に違反すると主張する。
[80] しかしながら、右職員は上司の指示によつて、隊友会の事務従事者としての立場において右行為をしたものである。本件合祀は、法律的にいうならば、社団法人である隊友会と宗教法人である山口県護国神社との契約に基いて隊友会の出捐によつてなされたものであつて、国家が関与したと目すべき余地はない。
[81] 観点をかえて論ずるならば、憲法20条3項にょつて禁止される国及びその機関の宗教的活動とは、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきものであることは、昭和52年7月13日の最高裁判所大法廷判決の判示するところである。本件合祀が国(自衛隊)によつて山口県護国神社に対する援助、助長、促進する目的をもつてなされ、ないしはキリスト教に対する圧迫、干渉等になる効果を伴つたことを証明する何らの証拠もない。さらに同判決は、国が宗教に関与する行為についても、それが違法となるか否かの判断は、
「特定の行為が政教分離原則に違反するか否かは、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的(が特定宗教の助長にあるかどうか)、宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない」
旨を判示している。わが国においては、宗教的意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心度は必ずしも高くないことに徴すれば、本件合祀が一般人の護国神社に対する宗教的関心を特に高めることになることはあり得ず(遺族はともかくとして合祀の新聞記事を読んだ一般人は現在では完全に忘却しているであろう)、本件合祀により神道を援助、助長、促進する効果をもたらすとも解すべき余地はないし、また本件合祀によつて国家と神道ないし護国神社との間に特別密接な関係が生じ、ひいては神道が再び国教的地位をえたり、信教の自由がおびやかされたりする結果を招くとは到底考えられないところである。
[82] 右の次第で、いずれの点から考えても。本件合祀が政教分離原則に反するものではないことは明らかである。

[83]第三、原告は本件合祀によつて何らの法的利益を侵害されていない。

[84]、本件合祀によつて、原告は自己の信奉するキリスト教の信仰をいささかも阻害されたことはなく、護国神社への参詣を強要されたこともない。原告が被侵害利益として主張する信教の自由の妨害の内容は、せいぜい原告の主観的宗教感情上の不快感にとどまるものである。すなわち、原告は自己の所属する信愛教会に亡夫の遺骨を安置することによつて宗教的感情の安らぎを得ているものであるところ、本件合祀によつて偏狭な信仰心に波風が立つたというに過ぎない。このような宗教的感情は信教の自由とは全く異質のものであつて、法律によつて保護される利益ということはできない。この点については、昭和41年7月28日最高裁判所第一小法廷判決を参照すべきである。

[85]、原告が抱く宗教感情上の不快感は、訴外林牧師を頂点とする支援グループにそそのかしあおられて発生したか、もしくは増巾されたものである。すなわち、原告には多くの日本人と同様、宗教的意識の雑居性が顕著にみられる。このことは、原告が結婚直前に信愛教会で林牧師の洗礼を受けながら、富士市においては他の宗派の洗礼を受け、夫の死亡後郷里に帰つてからは再び信愛教会の信者となつていること、夫の実家においては真宗による仏式の葬儀に参列し、遺骨を中谷家代々之墓に納骨して供養したこと、実家を出て独立した家を構えた後に仏壇を買つて亡夫を祀つたこと等の事実によつて明らかである。原告は最初に本件合祀の話を聞いたときに、信仰の厚いキリスト教信者特有の宗教的潔ぺきをもつて断固反対という態度を示すことをしなかつたが、それは右に述べた原告の信仰態度に由来するものと解される。

[86]第四、以上のとおり被告隊友会の本件合祀申請行為は何ら不法行為を構成するものではないが、仮りに百歩を譲つてこれを肯定するとしても、不法行為の効果は金銭賠償請求に限られているから、合祀申請手続の取消手続の請求は失当である。
[87]第一、請求の原因第一の一の事実及び昭和47年4月19日に県護国神社が原告主張の本件合祀を行なつたことをいずれも認めるが、右合祀のための申請手続は社団法人隊友会山口県支部連合会の会長である福田一清が単独でなしたものであり、被告国が同人と相謀つてなしたものではない。自衛隊山口地連の職員が右申請手続の一部に関与したことはあるが、その事実及び事情は後記被告国の反論において陳述するとおりであり、被告国が本件合祀申請を行なつたものではない。原告のその余の主張については否認し、もしくは争う。
[88] 本件合祀は、相被告隊友会の申請にょり、県護国神社が行つたものである。

[89]、山口県出身の殉職自衛隊員が県護国神社に合祀された経緯は、次のとおりである。
[90] 相被告は、社団法人隊友会の地方組織の一つである。隊友会本部は、主として退職自衛隊員によつて構成されているものであり、その事業の一つとして、各地で殉職自衛隊員の慰霊祭を行つている。
[91] 相被告は、昭和39年に、県護国神社において、山口県出身の殉職自衛隊員(12柱)の慰霊祭を行つた。このころから、慰霊祭に参加した遺族らから「我々の夫や子も護国神社に祀つて貰つたら安心するだろう。」との意見が出された。
[92] その後、相被告の役員らは、県護国神社の宮司に対し、山口県出身の殉職自衛隊員を同神社に合祀されたい旨の陳情を繰り返してきたが、昭和45年秋に至つて、同神社の代表者である宮司長尾誠は、相被告の代表者である福田一清に対し、「神社の方でも、合祀の件は、前向きに検討してみよう。」との意見を述べた。
[93] そのころ福田は隊友会本部に対し、県護国神社に殉職自衛隊員を合祀することが実現する見込みである旨の連絡をとり、右事業を隊友会の行事として行うことについて、隊友会本部の了承を得た。
[94] 同46年はじめごろ福田は、合祀を行うことについて、山口県出身の自衛隊員の父兄で構成する山口県自衛隊父兄会連合会(会長小沢太郎)に相談を持ちかけ、合祀を行うことについて協議した。右協議の結果、相被告と山口県自衛隊父兄会連合会により、「奉斎委員会」なる名称の会を設立し、合祀に必要な費用を集めることにした。
[95] 福田は同年5、6月ごろ、合祀を隊友会の同年度の事業として行うこと、及び右奉斎委員会によつて合祀の費用を集めることにつき、隊友会本部の了承を得た。
[96] 同年9月10日ごろ、県護国神社宮司長尾は福田に対し、山口県出身の殉職自衛隊員を同神社に合祀することを了承した。福田は相被告の代表者として、合祀のための奉斎申請書を県護国神社の宮司あてに提出することになつた。同人は、その後10回ぐらい同宮司と会い、申請書の内容、経費、時期等の打合せをした。
[97] その結果、本件合祀は、相殿奉斎という形式で行い、その鎮座祭を昭和47年4月19日に行うことにした。
[98] 同年12月ごろ、相被告は、会員に対して、合祀の費用の寄付を依頼する趣意書を発送した。山口県自衛隊父兄会連合会も、そのころ、山口県出身の父兄に対して同趣旨の依頼文書を発送した。右依頼に応じて総額約80万円の費用が集められた。
[99] 昭和47年3月24日までに、県護国神社から、合祀についての申請に必要な書類についての連絡があり、同日付けで合祀に必要な目的、合祀基準を定めた「山口県護国神社における自衛隊殉職者の奉斎実施準則」が定められた。右の準則は、山口県自衛隊父兄会連合会長と相被告の会長が合意承認の日から効力を有する旨定められていたが、同日付けで両会長の合意の署名押印が行われた。
[100]10 昭和47年4月1日ごろ、県護国神社宮司と相被告の会長は、合祀される殉職自衛隊員の遺族に対し、同年4月19日同神社において、山口県出身の殉職自衛隊員(27柱)の鎮座祭が行われる旨を通知した。
[101]11 同年4月19日、同神社は、山口県出身の殉職自衛隊員27柱を合祀し、鎮座祭を施行した。
[102]12 同年7月ごろ、同神社は、原告を含む合祀の対象となつた殉職自衛隊員の遺族に対し、合祀がなされ、今後各命日ごとに命日祭を斎行する旨を通知した。

[103]、本件合祀は、県護国神社が行つたものである。
[104] 本件合祀の施行行為である鎮座祭が県護国神社によつて行われたことは明らかであり、被告国の行為とみ得る余地はない。
[105] また、右合祀についての申請行為を施行行為とみるとしても、右申請行為は、福田が相被告の代表者としてなしたものであつて、その行為の責任が隊友会本部ないしは相被告に属することはあつても、被告国に帰属することはない。
[106] 本件合祀は、その申請行為と施行自体の行為によつて行われたのであるが、申請行為を実質的にみると、申請書の提出と申請のための費用の負担によつて成り立つている。右の行為のうち、申請書の提出は福田によつてなされ、また、申請費用は、前記の「搴斎委員会」によつて集められたことは前記一のとおりである。したがつて、申請行為を実質的にみても、相被告と山口県自衛隊父兄会が関与したのみであり、被告国は関係していない。

[107]三、1 山口地連の係官が本件合祀の施行について行つた具体的な行為は、次のとおりである。
[108](一) 地連総務課援護係長であつた安田柾(以下「安田係長」という。)は、相被告会長福田の依頼を受けて合祀の手続の一部、例えば山口県出身の自衛隊員に合祀の寄付の趣意書を発送する事務を行つた。
[109](二) 同47年3月中旬ごろ、安田係長は福田から、合祀のための書類として亡孝文ら殉職自衛隊員の除籍謄本、殉職証明書を取寄せて貰うように依頼を受けた。そこで安田係長は右の事務を同地連の山口地区班に依頼した。
[110](三) 山口地区班の班員(広報担当)である阿武豊は、そのころ原告方に赴き、原告に対し、「亡孝文を県護国神社に合祀するために必要であるから」と言つて、亡孝文の除籍謄本と殉職証明書を取り寄せてくれるように依頼した。原告は「取り寄せておく。」旨を答えた。
[111](四) 阿武はその後6、7日後に、更にその6、7日後に、それぞれ原告方を訪ねたが、原告は、「まだ取り寄せてない。」旨を答えた。
[112](五) 阿武はその後更に原告方を訪ねたところ、原告は、「私はキリスト教を信じているので、護国神社にお祀りすることは、本人の負担になるのでお断りします。」旨を答えた。
[113](六) 福田は自ら取り寄せた除籍謄本と、更に殉職証明書の代わりに、防衛庁が出している殉職者の顕彰録のコピーを県護国神社に提出して、合祀の申請をした。
[114] 山口地連の係官が、本件合祀申請手続につき、前記1のとおり相被告の補佐的事務を担当したのは、次の事情によるものである。
[115] 自衛隊地方連絡部は、自衛隊法29条及び同法の委任を受けた「自衛隊地方連絡部の組織に関する訓令」(1条)に基づき、自衛官の募集業務、予備自衛官業務、募集広報業務、離職自衛官の援護業務並びに特に命ぜられた業務を所掌している。
[116] ところで、隊友会は主として自衛隊退職者で構成され、その設立目的は、「国民と自衛隊とのかけ橋として相互の理解を深めることに貢献し、もつてわが国の平和と発展に寄与するとともに自衛隊退職者の親睦と相互扶助を図り、その福祉を増進すること」にある。その事業内容は、防衛意識の普及高揚、自衛隊諸業務に対する各種協力、機関紙の発行出版、会員の親睦、会員で不具廃疾となつた者又は殉職した賛助会員の遺族に対する援助、会員の就職援護、その他会の目的を達成するにふさわしい事業を行うこととされている。
[117] 隊友会はその設立目的、事業内容、構成員などからみて、自衛隊のいわゆる協力団体の地位にある。隊友会の業務のうち、特に殉職自衛隊員の遺族援助、退職自衛隊員の就職援護においては、地方連絡部の所掌業務と極めて密接な関係がある。また、地方連絡部はその最も重要な業務である自衛官の募集についても、隊友会会員から入隊適格者についての情報の提供を受けたり、募集ポスターの掲示場所の提供を受けたりして、隊友会の積極的な協力を受けている。
[118] しかし、一方で隊友会は設立されていまだ日も浅く、しかも財政的基盤も必ずしも強固でないし、会員はそれぞれさまざまな職業に従事する人達の集合であり、住所も広範な区域に散在していることから、連絡等に少なからぬ困難を伴う実情にあつた。
[119] そこで、防衛庁では隊友会の要請もあつたところから、設立以来その本部事務局を防衛庁内に置き。各地方連絡部内に各地の隊友会の連合会の事務局を置くことを暫定的な措置として認めるとともに、一部自衛隊員をして隊務運営に支障のない範囲で、隊友会事務(主として連絡事務)の援助を行わせることを認めていたものである。
[120] 山口地連においても。本件合祀当時は、地連内に相被告の事務局の設置を認めていた。また、その事務局の業務は、地連の総務課援護係の係官が行つていた。
[121] 安田係長は、昭和42年から地連の援護係として配置されていたが、本務のほかに外郭協力団体に関する事務を担当していた関係で業務の合間に隊友会の事務を支援しており、具体的には隊友会の連絡等の事務、会計事務、文書事務、会員名簿の作成事務などを担当していたのである。これらの業務については、必要に応じて地連の他の職員の協力を得ていた。例えば、地連内にある地区班は、募集業務のため各担当地区を巡回しているので、相被告の会員に対する連絡(総会の通知など)には、この地区班が業務の際に行うことが多かつた。
[122] 本件合祀について地連の係官のなした行為は、このような地連と相被告との協力関係によるものである。本件合祀に限らず、補助的な業務については、すべてこのように地連の係官が協力していたのである。安田係長は、本件合祀手続に関しては、そのほか、寄附金の受入事務、文書の配布等を担当しているが、これらはいずれも福田からの具体的な指示に基づき手伝つたものである。
[123] また、奉斎申請手続として福田は、神社から殉職の事実を証する書面として、除籍謄本及び殉職証明書の提出を求められた。そこで安田係長は福田の指示に従つた上、地区班長に依頼したのである。
[124] 阿武豊は地連山口地区班の広報担当班員として勤務していた関係で、広報業務で山口市内に頻繁に出かけていたものであるが、安田係長から依頼をうけた地区班長から殉職証明書及び除籍謄本を原告から貰つて来るように指示され、原告宅を数回訪ねたほか、命日祭斎行の通知文書についても原告宅に届けるようにとの指示をうけて原告宅に出向いたものである。右に述べたとおり阿武は上司の指示に従い広報業務の片手間に連絡の役目をしたに過ぎないのである。
[125] 安田係長は、昭和42年以来長期間相被告事務を支援していたせいもあつて、本件合祀手続についても従来同様、相被告事務の手伝いであるとの認識のもとに実行したものである。
[126] その個々の行為を見ても、相被告会長である福田がそのつど指示し、安田係長はその指示に従い、単純な機械的労務を提供したに過ぎず、合祀に関する意思の決定はすべて福田が行つたものである。
[127] 以上述べたように、安田らの地連の係官は、隊友会事務について、補助的に労力を提供したに止まり、本件合祀の合祀手続の施行者ではない。
[128] 以上のような民間団体に行政庁が協力することは、必ずしも稀れなことではない。行政庁がその協力団体に事務所を置くことを許し、あるいは機械的業務を手伝うことはかなり広く行われている。そのために、当該民間団体の行為の施行が当該行政庁によつて行われたとは理解するものはいない。

四、本件合祀後の事情について
[129] 原告は、本件合祀後において、地連の係官が原告らに応接した態度、また、同係官が原告の義父の家を訪ねたことをもつて、本件合祀の施行者が地連である根拠にするが、以下のとおり理由がない。
[130] 原告が昭和47年7月5日本件合祀について、地連の安田に電話をかけ、「合祀を取下げて欲しい。」旨のことを述べたことはある。しかし、安田係長の応答の趣旨は、「遺族の宗教の違いはあるが、隊友会がお祀りするということですからしかたがない。了解して下さい。」というものである。安田は、以前から相被告の事務を支援していた関係で、合祀についての相被告の考え方を聞いていたので、自分なりに相被告の行つた合祀手続についての説明をしたのである。
[131] また、林健二らは同年7月27日ごろ地連を訪ね、本件合祀を地連が施行したとして激しく抗議したことがある。しかし、応対した竹下副部長は本件合祀に至る事情に必ずしも通じていなかつたので、林らの抗議を聞くに止まつた。同席した安田は、「自分の一存ではどうにもならぬ。隊友会の方に連絡する。」旨答えたにすぎない。なお、本件合祀が同日付けの日刊新聞に報じられた際にも、地連部長であつた山根勝己は、本件合祀につき、「外郭団体がやつたことだが」と前置きして談話を発表している。
[132] ただ、地連としては、本件合祀問題については、当事者双方とも自衛隊に密接な関係がある者であり、また地連業務に遺族援護を含んでいる関係からも、早期に円満解決されることを強く望んでいた。
[133] 同年7月27日、山根部長が原告に電話したのは同人が真に遺族の気持を案じていたので、原告の気持を直接会つて聞くために面談を希望し、その際部長の個人的な気持を原告に伝えたものである。また、竹下副部長らが山根部長の指示にょり、防府市にある中谷之丞宅を訪問したのは、日刊紙で本件合祀のことを知つた同人から合祀取下げに反対する旨の電話が地連にあつたため、「部長としては合祀は取下げるべきであると考えていること及び合祀取下げについて隊友会に働きかけていること」を説明するために訪問したのである。しかし、同人は取下げに反対し、その旨の嘆願書も送付してきたのである。
[134] 相被告会長である福田は、同年8月上旬ごろ原告と面談した。安田係長は福田の依頼によつて原告に会う日について連絡をとつた。もとより、地連係官が福田に対し面談を勧めたものではない。
[135] 相被告の事務局を地連から移したのは、当時地連の募集業務が多忙を極めていた上、本件合祀が問題化したため、隊友会の事務が繁雑になるなど、地連本来の業務に支障が出始めたため、相被告がその点を考慮して自発的に移したものである。
[136] そのほか合祀取下げ申請書については。福田の指示に従つて安田が作成したが、福田が右文書を持参して神社に赴き取下げ申請を行つた。右安田の行為が前記三に述べた補助的事務であることは明らかである。
[137] 以上のように、本件合祀実施後の地連係官らの行為は、隊友会の支援ないし遺族援護の立場から、紛争の円満解決のための努力の過程としてしたものであつて、地連が本件合祀を行つたことの証左となるものではない。原告らは、県護国神社や相被告の会長らから事情を聴取しようとせず、また地連の係官の説明に耳をかたむけようとせす、ただ地連の関係者に対する抗議を執ように続けてきたのである。

五、粟屋晧の照会について
[138] 山口地連総務課長粟屋晧が昭和46年5月22日ごろ九州の各地方連絡部(ただし長崎地方連絡部を除く。)の総務課長に対し、合祀の有無等について照会をしたこと、右照会に対して各部の総務課長、援護室長、援護班長、地連部長などから回答がよせられたことは認める。しかし、右照会行為は何ら本件合祀の施行者が山口地連であることの根拠となるものではない。右照会は粟屋が福田からの個人的な依頼により、個人としてなしたものである。
[139] 本件合祀は相被告会長である福田が企画、推進したものであるが、合祀手続に必要な情報ないし連絡事務について同人が地連の係官に依頼することもあつた。同人は県護国神社から合祀ができそうだという回答を得てのち、合祀が実施されるまでにはまだ1年ぐらいかかりそうだという見通しの下に、合祀に要する費用や諸手続等についての情報を得ようと考え、粟屋にそのことを依頼したのである。粟屋は福田の意向を受けて個人的に合祀に関する情報を得ようと考え、同人の旧勤務地であり、知人の多い九州の各地方連絡部の総務課長に対して文書で照会を行つたものである。
[140] 原告は、この文書に総務課長名を冠しているという理由でこれが公文書である旨主張するが、この文書は前述したような状況の下で作成されたものであつて、地連として発簡した文書ではない。すなわち。右文書は地連の部長の決裁も得ておらず、また文書の形式及び取扱いについても防衛庁文書取扱い規則に定める形式及びその取扱いをしていないことから明らかなように、この文書は地連としての文書ではない。
[141] 仮りに、粟屋の照会行為が地連の総務課長の行為として法的に評価されるとしても、右行為は何ら違法な行為でもないし、また本件合祀の施行者が地連であることの根拠となる事実でもない。
[142] すなわち地方連絡部の業務内容としての「離職した自衛官等に対する援護に関すること」の中には、殉職自衛隊員及びその遺族に対する援護に関する業務を含んでいる。この業務は、地連においては、総務課の所掌事務の一つである。殉職自衛隊員及びその遺族に対する援護に関することには、殉職自衛隊員に対する慰霊の行事がいかなる形式で行われているかを調査し、その実態をは握することも含まれ、また民間団体等によつて行われている慰霊の行事を調査し、それとの関係において自ら行う慰霊の方法を決定することも含まれる。
[143] 粟屋が九州の各地方連絡部の総務課長に宛てて殉職自衛隊員の合祀についての各地の実情を照会したことが、仮りに公務の遂行であるとしても、それは総務課長として当然なし得る行為の一つである。すなわち、粟屋が右照会をなした当時は、相被告会長福田が合祀を実現するために努力をしていた時期であり、このような時期に、地方連絡部の総務課長が既に合祀の実行されている九州の各地の事情を調べ、資料を収集することは、当然の情報収集行為である。ただ、粟屋は持前の潔癖な性格から、自己の行為が憲法上の問題を生じてはいけないと心配し、公務として行わなかつたものである。
[144] もとより、このように情報を収集する活動と地連が自ら合祀を行うこととは全く別のことである。もし、照会行為をもつて実行行為の着手活動であるとされるならば、国及び地方公共団体の照会行為は。ほとんど行いえないことになろう。

六、第13師団長和田昇治の指示について
[145] 原告らは、本件合祀につき、第13師団長和田昇治が昭和46年5月ごろ傘下の地方連絡部に合祀の推進を指示した旨の主張をするが、これは原告の妄断に過ぎない。もし、かかる事実があるというなら、原告は、同人が指示したという、日時、場所及びその指示内容を具体的に明らかにすべきである。
[146] 以下、原告の主張が失当であることについて述べる。
[147] 自衛隊の組織の中で、13師団と山口地連はいずれも陸上自衛隊中部方面総監の隷下にあつて、13師団は作戦面を担当し、山口地連は行政面を担当する全然別系統かつ並列した機関である。このような、別系統の機関の長が他の機関の長又はその所部の職員に対して自己の主催する会議に招集したり、一定の事項を指示ないし要望することはあり得ないことである。
[148] また和田と長峰部長の両人の個人的関係についてみても、和田は陸上自衛官として、長峰部長は航空自衛官として、それぞれ指揮系統の全く異なる部隊に所属していたのであり、お互にその職務(13師団長と山口地連部長)に就任するまでは面識もなく、また離任後も人事面で影響を受けることも全くなく、長峰部長が和田の指示ないし要望に従わなければならない理由はない。
[149] 原告の主張は、あるいは、前記粟屋晧作成の照会文書の中に「13師団長が特に推進方要望している。」旨の文言があることに根拠があるようにみえる。
[150] しかし、粟屋は13師団長である和田から自ら指示を受けることも、また要望を聞く機会もなかつた。和田が本件合祀について知つだのは、福田が昭和46年3月ごろに開催された中国四国外郭団体懇談会の席上で山口県隊友会の状況として「殉職自衛官の合祀が進みそうである。」旨説明をしたことによる。右懇談会は、師団長が主催し、外郭団体である防衛協会、父兄会、隊友会の各県連合会の役員が毎年1回3月ごろ会合するものであるが、特殊なテーマをもつて開く会議ではない。粟屋がいかなる意思でこのような誤まつた記載をしたのかは明らかでないが、自己の照会文書の権威付けに利用したのであり、具体的に「要望」があつたわけではない。
[151]、原告は、本件合祀が違法であるとして、「信教の自由違反」「政教分離規定違反」「公序良俗違反」「人格権の侵害」などを主張し、これを前提として、民法715条違反、国家賠償法1条1項違反を主張している。
[152] 原告が本件合祀の違法事由として主張する事実は、「狭義の信教の自由」(憲法20条1項前段、2項)と「政教分離規定」(同20条1項後段、3項、89条)の各違反に係ることである。本件合祀が右各規定のいずれにも該当しなければ本件合祀は適法行為であり、国民としてはこれを受忍すべきものであり、他に人格権の侵害ないし公序良俗違反の問題を生じる余地はない。そして原告は「信教の自由」、「政教分離規定」の各違法行為の要件事実を分析し、その違反事実を各別に主張せず、あいまいに各法条をら列している。しかし右の「狭義の信教の自由」と「政教分離規定」は、その沿革及びその要件、効果をそれぞれ異にする。そこで本件合祀が適法である所以を以下「狭義の信教の自由」と「政教分離規定」に分けて主張する。

二、本件合祀と「狭義の信教の自由」
1 「狭義の信教の自由」の意義
[153] 憲法20条1項前段は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とし、同2項は、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」と定める。これらは、狭義の信教の自由を保障したものである。
[154] 信教の自由は、内心において特定の宗教を選択して、見えない霊的な力を信じ、これと精神的に交わり、永遠の生命を与えられる希望を確信することにつき、公権力によつて規制することができないことをいう。それは特別の法令をまたず当然に成立する人権であり、元来は国権に対する不作為請求権であつて、すべての人に平等に保障される。
[155] ところで信教は神と人との個別的な関係であつて、その信ずる内容についても宗教的行為の内容についても、各宗教ないし信者によつて異なり得るものである。その信仰の内容ないし宗教的行為の内容を公権的に規制することはできない。すべての人は、あるいは自己のために、あるいは死者のために、あるいは社会公共のために祈る自由を有する。またそのために、宗教上の行為、祝典、儀式等を行う自由、行わない自由を有する。死者の霊を祀るという宗教的行為もこのような祈るものの信仰の自由の範囲の問題であり、それが故人の妻にかぎり、又は妻が優先的に保障されるものではない。
[156] この意味で信教の自由は、他人の信教行為が自己の信仰と異なつていても、それに対して妨害できないという不作為を相互に求めているといえる。このように「宗教の自由」は、なによりも「宗教的寛容」の問題を核心的な内容として含むのである。この「寛容」は一つには公権力対個人の関係において、他方において個人対個人の関係においても求められる。信仰の自由は個々人の寛容によつてしか実現できないものであり、この意味で「狭義の信教の自由」は単なる公権力に対する不作為請求権だけではなく、私人相互間においても、その趣旨にそつた権利が認められるべきものである。
2 本件合祀における相被告〔と〕県護国神社の行為の適法性
[157](一) 本件において、相被告は山口県出身の殉職自衛隊員につき県護国神社に合祀の申請をし、同神社が右合祀をしたのである。
[158] 同神社は宗教法人「神社本庁」に属する、いわゆる神社神道の一つに属する宗教法人である。同法人の目的は、「国家公共に尽した人の心霊を奉斎し、公衆礼拝の施設を備え、神社神道に従つて祭祀を行い、祭神の神徳を広め、本神社を崇敬するもの及び神社神道を信奉するものを教化育成し、社会の福祉に寄与し、その他本神社の目的を達成するための財産管理その他の業務を行うこと」にある。
[159] 国家公共に尽した人の心霊を奉斎し、それを神として崇拝することは、わが民族が古くから行つてきた御霊信仰に端を有する宗教行為である。その行為は神道の方式によることが多かつたが、御霊を神として祀ることについて、故人の遺族の同意を要しなかつた。時とすると、敵味方を問わず戦場において戦死した人々のために祈り、あるいは不慮の災難で死亡した人々の霊を祀り、あるいは英雄豪傑をたたえて祀つた。その祈り祀る目的は、すべて祈り祀る者の自由であり、あるいは自己のために、あるいは同胞のために、あるいは遺族のために、あるいは死者の霊のためであつた。これらはいずれも祈り祀る者の自由に属する行為であり、何人からも干渉を受け得ないものである。
[160] 本件合祀は、相被告及び県護国神社の信仰の自由及び信教の自由の内容である宗教上の行為の自由の範囲に属する。相被告が殉職自衛隊員の冥福を祈り、ふたたび同様な殉職者が出ないことを祈願し、自らの会と会員の永遠の発展を祈ることは、同被告の信教の自由に属する。
[161](二) 信教の自由は何人に対しても保障される。その信教の内容は、それが外部的な行為を伴うことによつて公序良俗に違反する場合にはその当該外部的行為を制限されることがあり得ても、信教行為自体は制限されない。その信教の自由は、信教の範囲自体を国家が制限することも許されないから、ある人が自己のために祈ることも、他人のために祈ることもすべて自由である。
[162] 原告は、あたかも死者の霊につき祈り、宗教的行為をすることが、その妻の独占的権利に属するかのごとき主張をする。原告がそのように信じることは、同人の信教の自由であるが、他人にそのことを裁判上求めることは、公権力によつて「信教」の範囲を画することにより、許されないことである。
[163] 信教の自由の一つとしての宗教行為ないし宗教的行為は十分に保障されねばならない。宗教行為ないし宗教的行為によつて他の者が感じる宗教的感情の如何は、「宗教的寛容」が信教の自由の内容であることからして他者の宗教行為ないし宗教的行為を差止める根拠となるものではない。宗教行為ないし宗教的行為が違法となるのは、その宗教行為ないし宗教的活動に参加することを強制された場合である。
[164](三) 本件合祀は、相被告の中請により、県護国神社が行つたものである。その外部的行為としてなされたのは、鎮座祭である。右の外部的行為は、何ら安寧ないし善良な風俗に反するものではない。右行為は神道における宗教行為の中心的なものであり、これを制限することは神道自体を否定することにほかならない。彼らは自分の好むところに従つて礼拝したのである。
[165] 原告は右礼拝の目的を非難するようであるが、礼拝の目的がどのようなところにあるかは裁判所も含めた国家の関与を許さないところである。もしそうでないとすれば、国家は裁判所の判断を介して礼拝の目的に介入することになり、国家が望む礼拝とそうでない礼拝を区別することになる。かくては信仰について国家に対して告白を求められることになり、信教の自由の核心的部分は容易に侵害されることとなる。
[166](四) 原告は、本件合祀の奉斎行為が原告の人格権を侵害する旨の主張をする。
[167] しかし、原告のいう「人格権」は「信教の自由」を享受する利益を呼びかえたものに過ぎない。信教の自由が、自己の信じる信教と異なる信教に対する「宗教的寛容」を本質的内容とすることは前記のとおりである。国民が享受する「信教の自由」は、このように他の信教を認め「寛容」することを前提として成立している。このことは信教の自由を「人格権」と呼びかえてみても同様であつて、その「人格権」は他人の信教を侵害しない範囲でしか存在していない。したがつて。本件合祀が県護国神社と相被告らの「信教の自由」に属する行為として許されていること前記のとおりである以上、原告にはこれを違法とする「人格権」も存しない。
[168] 原告は本件合祀において他人を「祭神」とすることに違法性を見いだそうとする。しかし、どのような形で神を信じ、またそのためにいかかる形の宗教行為を行うかは、その信じる者、宗教行為を行う者の自由である。本件合祀は死者を「祭神」としてあがめる神道の方式で行われた。このように「祭神を祀る」ことは、固有の教義の流布よりも「祀る」ことの方を宗教的に重視する神道において、宗教行為そのものであり、これを除いては神道の「信教の自由」の本質的部分は失われてしまう。各宗教は各自の「神」を有するのであり、神道において「神としてあがめること」は神道を信じない者には宗教的に「無」である。「祭神」の遺族が仮りに「祀る行為」に反感を持つたとしても、それはある宗教の信者が他の宗教の宗教行為に対する感情と同様に、法的に保護されるべきものではない。
[169] 原告は、祭神とされた者の「人格権」をいうが、死者の「人格」に対する評価は多様であり、遺族のみの評価が法的に保護されるべきものではない。
3 本件合祀における被告国の行為の適法性
[170](一) 本件合祀について仮りに被告国(山口地連)の関係者が関与していたとしても、原告の信教の自由を侵害するものではない。
[171] すなわち、原告は他者による宗教行為(宗教的行為)については、それへの参加を「強制」されないかぎり他者の右の行為を受忍しなければならず、他者の行為を排除する権利は、原告の「信教の自由」の内容に属しない。
[172] 国家の行為が「狭義の信教の自由」違反の問題を生じるのは、公権力が国民に対し、宗教行為に参加することを「強制」した場合に限られるが、原告は本件合祀に参加を「強制」されたものでない。
[173] 原告の主張するところがあるいは、原告の違法であると感じることをもつて原告の権利侵害になる、ということであれば、次のとおり失当である。
[174] 不法行為成立のための客観的要件として、民法709条は、「他人の権利を侵害したこと」をあげている。この「権利侵害」は、必ずしも何々権という名称をもつた積極的権利を侵害したことを要するというのでなく、「保護に値する他人の利益を違法に侵害したこと」の意味に解すべきであり、国家賠償法1条1項にいう「違法」も同様な意義に解される。
[175] そして、原告は本件合祀によつては自己の権利を何ら侵害されるものでない以上。原告は亡孝文が合祀されることにより「法的に保護された利益」を有しないことになる。そうであれば、その主体が相被告であろうと自衛隊の関係者であろうと、その行為が原告の「法的利益」を侵害するものでないことは明らかである。
4 本件合祀と原告の同意の必要性
[176] 仮りに、死者の霊を祀ることが第三者の信教の自由に属しないとしても、本件合祀は違法でない。
[177] 本件合祀は亡孝文の遺志に合致するものであり、したがつて原告の同意を得ることを要しない。死者の霊を祀ることにつき、もし何人かの承認を得なければならないとすれば、その第一次的な承認権は当該故人に属するものである。もし当該故人の自己の霊に対する祭祀についての希望が生前から明らかになつていない場合には、同人の生前の生活態度からみて、その遺志に最もかなつた祭祀の方法によるべきであろう。
[178] 亡孝文は生存中「自衛官たるもの死して護国の鬼となる」という精神をもち、両親兄弟はじめ親しい人々にその旨を語つていた。特に、原告のキリスト教信仰には反感を抱いていた。原告とともに教会に通うこともなかつた。原告が息子を教会に同道することも許さなかつた。昭和37年に富士学校の学生であつたときには、原告にキリスト教の信仰を止めるように説得し、原告の聖書を破り、ついには離婚さえも決意するほどであつた。本件合祀は、亡孝文の生前の態度からみてその遺志に最も合致するものである。それだからこそ、亡孝文の父である中谷之丞、弟妹及び原告の父である小川英三郎は、亡孝文の霊を県護国神社に合祀されたことに全面的に同意している。これらの人々は本件訴訟を新聞記事で知り、昭和47年7月30日之丞宅に集つて協議した結果、原告の提訴は亡孝文の意思に背くものであると非難しかつ同神社に合祀されたことを感謝していることを確認し、連名で昭和47年8月17日嘆願書を相被告あてに提出して右意思を伝達した。
[179] 本件合祀はこのような故人の遺志に最も合致するものであり、その意味でも原告の同意を得ることを要しないのである。
[180] 原告は、相被告がその設立の目的に照らして、本件合祀をなし得ないと主張する。
[181](一) 右主張がいかなることを意味するかは明らかでないが、もし、右主張するところが本件合祀についての行為が相被告の権利能力、行為能力に属しないことを主張するのであれば、原告が本訴において右行為の責任を同被告に求めることと矛盾している。
[182](二) 相被告が死亡会員の慰霊祭を宗教的な儀式として行うことは、その目的及び事業内容に当然に含まれている。仮りにその目的自体でなくとも、法人は社会的存在として自然人と同様に社会的活動ができるのであり、その中には精神的自由の発動形体としての宗教活動の自由を有するものであり、本件合祀の申請は、このような社会的存在体としての法人の能力の中に当然に含まれているといい得る。
[183] 次に原告は、相被告の本件合祀の申請が宗教上の行為の自由の濫用であると主張する。
[184] 宗教上の行為の自由を含む信教の自由は、信仰者間の問題としては信仰者相互の「宗教的寛容」を求めている。
[185] 本件において原告の「濫用」の主張が認められるならば、相被告は本件合祀の申請という宗教的行為の自由を制限されてしまうことになる。すなわち相被告は、原告のためにその信教の自由の一部を奪われてしまうのである。本件における原告の主張の当否は相被告及び県護国神社の信教の自由として、本件合祀が適法なものとして保護されるか否かであり、「濫用」の問題ではない。「宗教行為ないし宗教的行為の自由」を制限することは、「信教の自由」として、公権力がいかかる範囲で関与できるかに関係している。そして国家は宗教問題には原則として関与せず、ただその行為が「明らかに安寧や善良な秩序」に反する場合にのみ、市民社会を維持するために関与し得るのである。何が宗教的行為として許されるかの判断が宗教行為自体に及ぶときは、結局において「どの範囲の宗教を認めるか」の問題になる。何が正当な宗教であるかは、人類に課せられた永遠の課題であつて、公権力の判断の及ぶべきことではない。
[186] 本件において、神社に祭神を祀る行為は神社神道の核心的な宗教行為である。神社神道は、神社に祭神を奉祭し、そこにおける祭祀儀礼に専念するところにその特色がある。祭神を設け祭祀を行うについて、祭神たるべき人の意思をいかなる程度に考慮すべきか、考慮するとしてもその方法はどのようにして行うべきかは、当該神社自体に任された宗教問題である。
[187] 原告は祭神についての「祀られない自由」が人格権として存在するというが、死者の霊を祀るという宗教行為について、他人の同意を要するという慣行もまた法令上の根拠もない。

三、本件合祀と政教分離規定
1 政教分離規定の意義
[188] 憲法20条1項後段、3項及び同89条の政教分離規定は広義の信教の自由にかかわるものであるが、いわゆる制度的保障の規定であり、いずれも直接には国権により個人又は宗教団体の自由を侵すことの禁止ではないから、自由権したがつて人権の規定ではない。また、政教分離の原則は宗教改革の当然の成果でなく、また信教の自由のように人類普遍の原理として各国に共通な法理でもない。
[189] 右のごとく、政教分離規定が国民個々人の権利に係る規定でない以上、右規定違反の有無は国民個々人の権利侵害とはかかわりのない問題である。
[190] したがつて、本件合祀について被告国の所部係官のなした行為が政教分離規定に仮に違反していたとしても、原告は自らの権利侵害を理由として不法行為責任を追求することはできない。その意味で、本訴請求のうち政教分離規定違反を理由として賠償責任を求める部分は、主張自体失当である。
[191] もつとも、国が政教分離規定に違反する行為を行うことによつて国民の狭義の信教の自由を侵すことがある。この場合にはその国民は、個人の人権が侵されたものとして個人として救済を受けることができる。しかし、狭義の信教の自由と政教分離規定の相違は、前者においては強制の要素――意に反して自己の信じない教義の信奉を強制されたとか、宗教儀式への参列を強制されたとか――を立証する必要があるのに対し、後者にはそれが必要でないことにある。ところが原告は、本件合祀につき「強制」されたことを主張立証しない。この点においても原告の主張は主張自体失当である。
[192] 最高裁判所昭和52年7月13日の大法廷判決は、次の点において本件における原告の主張が失当であることを明らかにしている。
[193](一) 政教分離規定はいわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障するものでない。したがつて、個人が国家の政教分離規定違反を理由としてその差止めないしは損害賠償を求めることはできない。
[194] そしてこのような制度的保障である以上、国民のひとりびとりは、右保障が害されているとして自己の個人的権利の侵害の救済を求めることは許されない。それは個々人の利益の侵害ではなく、例えば地方自治法の住民訴訟におけるように、自己の利益によらない型の訴訟によつて救済の方法があるのみである。
[195](二)(1) 政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、宗教とのかかおり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかおり合いが、それぞれの国の社会的・文化的条件に照らして相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さない、とするものである。憲法20条3項の宗教的活動というためには、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。そして、ある行為が右にいう「宗教的活動」に該当するかどうかは、
「当該行為の行われている場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない。」
のである。
[196](2) ところで原告が被告国のなした宗教的活動として主張する行為のうち被告国の所部係官がなした行為は、山口地連の係官のなした次の各行為に尽きる。
(イ) 地連の総務課援護係長である安田柾が相被告会長福田の指示により、合祀についての事務を手伝つたこと。
(ロ) 地連の山口地区班の阿武豊が班長に命じられ原告に対し、合祀に必要であるとして除籍謄本、殉職証明書を集めてくれるよりに依頼したこと。
[197] しかしこれらの行為は、地方連絡部のなす遺族援護、退職者援護を目的とした、その一環としての行為であり、「宗教的活動」ではない。
[198](3) 本件合祀につき山口地連の係官が被告県隊友会の補助的な手伝いをしたのは、前記第二の三の2項の援助としてなしたのである。
[199](4) 地連の係官の前記の各行為は、なるほど本件合祀に至る書類等の取寄せ事務等を行つたものであるから、その意味で合祀の実行に間接的ながらかかおり合いを持つたことは否定できない。しかしながら、地連の係官がかかる行為に関与した目的は、あくまで自衛隊の協力団体である隊友会ないしは山口県自衛隊父兄会連合会の事務をその手足となつて補助するという、世俗的なものである。すなわち、合祀の施行自体は隊友会、山口県自衛隊父兄会連合会及び県護国神社との間で決定され行われたことである。地連の係官のなした行為は、書類の取寄せ、文書の発送という。いずれもその行為自体単純な労務の提供行為に過ぎず、これらの行為は何らの宗教性をも帯びていない。それらの行為は、隊友会が自己の経費でもつて事務員を雇傭すれば容昜になし得ることであるが、隊友会の各県の連合会を財政的に援助する目的で、かかる単純労務について地連の係官が協力したものである。
[200] このように行政官庁と民間団体が互に協力関係にある場合に、事務室ないし事務上の単純労務について行政当局が当該団体に便宜を払うことは、広く行われているところである。
[201] また、右地連の係官のなした行為の効果についてみるに、右行為が隊友会に対する援助になることは明らかであるが、「宗教」に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為ではない。もし右の程度の行為にまで宗教的活動として違法であるとされるならば、国家はほとんどあらゆる場合に宗教的団体と関係を持つことを禁止されてしまうことになるであろう。
[202](5) 本件合祀は、神道の方式に従つて行われた。その方式は、いわゆる「相殿奉斎」といわれ、主神に加えて、1柱以上の神を合祀するものである。これらの祭祀は、いずれも県護国神社の宮司によつて行われた。右各行為が同神社の宗教行為であることは明らかであるが、もともと、わが国においては、多くの国民は、地域社会の一員としては神道を、個人としては仏教を信仰するなどし、冠婚葬祭に際しても異なる宗教を使いかけてさしたる矛盾を感ずることがないというような宗教意識の雑居性が認められ、国民一般の宗教的関心度は必ずしも高いものとはいいがたい。他方、神社神道自体については、祭祀儀礼に専念し、他の宗教にみられる積極的な布教・伝道のような対外活動がほとんど行われることがないという特色がみられる上、神社神道は、日本文化と共に発生した自然宗教であり、神々を祭ることに重きをおき、人間の問題にあまり立ち入らない傾向かある。
[203] そして、本件合祀は、殉職自衛隊員の慰霊のためのものであり、死者を慰霊する儀式をいかなる形式で行うかについて、一般人の意識において、さして宗教的意義を認めないのである。このように、本件合祀についてなした地連の係官の行為は、もともと宗教色の稀薄な慰霊祭に、宗教的な祭事に直接かかおりを持たない場所でなされたものであり、一般人の意識においてこれを宗教的行為であるとみなすことはほとんどあり得ないものである。
[204](6) 以上のとおり、本件合祀についての地連の係官のなした各行為は、その目的においても、その行為の効果においても、またその行為の一般人に対する影響においても、憲法が禁止した「宗教的活動」とみるには、はるかに隔たりのあるものである。
3 本件合祀における「国からの特権」の有無
[205] 原告は、自衛隊が県護国神社に死亡自衛隊員の合祀をする地位を与えることは、憲法20条1項にいう「国から特権」を受けることに該当する、と主張する。
[206] しかし、申請に応じて合祀を行い得る権利はすべての宗教団体が本来当然に有するので、右の宗教団体のその権利も国の委嘱に依つて始めて生ずるのではなく、国の委嘱はそれが既に有している権利に対しその目的物を提供する行為に止まる。そして、同段にいう特権が他の宗教団体が有するのとは異なる、別種の新な権利の意味であることは言うまでもないから、単に既に有する権利に対しその目的物を提供するにとどまる国の委嘱が同段の禁じている特権を受けしめるに該当するものでないことは明瞭である。

[207]第四、仮りに政教分離原則が個人的利益をも保護しているとしても。原告には損害がない。
[208] 原告が受けたとする損害は、自己の信じるキリスト教と異なる宗教によつて亡孝文を祀られたことによるのである。しかし、同人の霊を祀ることにつき、原告は自己の信教に固執していたわけではない。
[209] 亡孝文については、まず死亡直後においては、盛岡市近傍の岩手駐とん地において部隊葬が行われた。その際には、原告が喪主となつて、その希望をきいた上で葬儀が行われた。その形式は仏教方式によるものであつた。また、原告は同人の死亡後同人の実父である中谷之丞の家に身を寄せた。そこでは、之丞が喪主となつて仏式(真宗)による葬儀が行われた。僧侶により、亡孝文に対して「明行院釈孝道居士」との戒名が与えられた。同人の遺骨は防府市《住所略》所在の白檀墓地にある中谷家代々の墓に納骨されている。右之丞宅の仏壇には、亡孝文の位はいと遺骨が納められ、命日には父のほか弟妹が読経焼香して仏式による祭祀を行つている。原告も右のことを承知し、これに対して何らの異議を述べないばかりか、実家における仏式の葬儀に参加し、礼拝している。原告は、一たん前記の之丞方に身を寄せていたが、昭和43年2月下旬ごろ、同人方の仏壇から亡孝文の遺骨の一部を無断で持ち出してしまつた。その後も原告は、自ら仏壇を買い求めてそれに同人の遺骨を納めて礼拝したが、更にその後キリスト教会の納骨堂に納めた。このように、原告は同人の霊が他の者により他の宗教により祀られることを容認してきたのであり、本件合祀により害されるべきものは何もない。
[1]、まず或る団体乃至人の集団が権利能力のない社団といわれうるためには一般的に
「団体としての組織をそなえ、そこには多数決の原則が行なわれ、構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続し、しかしてその組織によつて団体の代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定していること」
を要すると解される。そこで被告が右要件を備えているかについて検討する。

[2]、《証拠略》並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

[3] 原告の本案前の主張中第一項の事実

[4] 社団法人隊友会及び被告の各組織と事業については、隊友会本部が定めた社団法人隊友会定款、評議員選出等に関する規則、隊友会地方組織に関する規則、会費徴収等に関する規則及び弔慰金及び見舞金贈呈に関する規則並びに被告が定めた社団法人隊友会山口県支部連合会細則が規定するところであり、これらのうち本件に関係ある内容は次のとおりである。
[5](一) 定款によれば隊友会本部の会員は自衛隊及びその前身である警察予備隊等の退職者である正会員その他3種の会員からなり、最高の意思決定機関として正会員を構成員とする総会をおき、ここで会長、副会長、理事及び監事を選出する。地方組織として市町村及び職域を単位とする支部及び府県毎に支部連合会をおく。会員の資格要件、入会及び退会手続並びに除名の事由及び手続が定められている。
[6](二) 府県の支部連合会は、府県を代表し、下部の支部を総括、指導、調整するとともに、本部との連繋にあたり、本部に対しその責を負う。支部連合会の役員として会長、副会長、理事、監事及び評議員をおく。評議員は支部長の互選による。理事及び監事は当該支部連合会の正会員の中から評議員会で選出する。会長及び副会長は理事会が理事の中から選出し、これに基づき隊友会本部会長が委嘱する。会長は隊友会本部の方針に基づき支部連合会の業務を掌理する。評議員会及び理事会は会長が招集し、定足数を過半数とする。
[7](三) 支部は隊友会の基本単位として事業活動及び親睦の実践の核心となるとともに、その下部に部会を育成し、これを指導する。支部の役員として、支部長、副支部長、理事、監事及び評議員をおく。評議員は部会長の互選によるほかその他の役員の選出及び会議の機能、運営等については支部連合会の定めに準ずる。
[8](四) 支部にその下部機構として部会をおく。部会の役員として部会長、副部会長及び会計監事をおく。部会長は部会員の互選による。(以上(二)ないし(四)については、隊友会地方組織に関する規則による)
[9](五) 会費徴収等に関する規則は、正会員の会費につき次のように定める。会費は原則として支部連合会が徴収する。会費は3口(300円)を基準として、支部連合会の定める金額とする。支部に対する割戻しの比率及び支部に納入された会費の連合会への送付要領は連合会長が定める。連合会は会費の3パーセントを本部に納める。
[10](六) 社団法人隊友会山口県支部連合会細則は、定款、地方組織規則、会費規則に定めなき事項及び特別事項として次の事項を定める。
(1) 連合会の事務局の所在場所。
(2) 入会申込書等を連合会長に提出すべきこと。
(3) 支部役員の定数、支部評議員は部会長が兼務すること。
(4) 評議員会の議決事項として、事業計画の決定、事業報告の承認、予算及び決算の承認、細則の改廃等。理事会の議決事項として、評議員会で議決された事項の執行に関する事項、評議員会の付議事項等。評議員会及び理事会につき、出席員の過半数により議決すべきこと及び議事録を作成すべきこと。
(5) 正会員の会費を1口(100円)とすること、会費のうち90パーセントを支部のものとすること。
(6) 連合会長は毎会計年度に、翌年度の事業計画及び収支予算案を作成し、理事会及び評議員会の議を経て、本部会長に報告すること並びに収支決算書及び事業概要を理事会の議を経て監事の監査を受け、評議員会の承認を得た後本部会長に報告すること。
(7) 連合会には、会員名簿、役員名簿、会議々事録、経理関係諸帳簿、備品台帳等の簿冊を備えるべきこと。

[11] 隊友会本部及び被告における業務の執行及び組織の運営は概ね右2項に認定した定めによつて実施されたが、そのうち、被告の評議員会と理事会の開催は通例それぞれ年に1回及び3、4回であり、昭和46年当時の正会員数は約800名、その年間会費は500円位、その他の寄付金等を含めて事業活動に使えた予算額は14、5万円であり、対外的な事業は会長が行なつた。

[12] 隊友会本部は前記認定のとおり昭和35年に設立されたものであるがこれは前年の7月9日にそれまで各都道府県でそれぞれ別個に活動していた「防衛協会」、「隊友会」、「県郷友会」、「郷士自衛会」、「鳩友会」などが発展的解消をして全国的な団体である隊友会が結成された後、法人格を取得したものである。

[13]、前項に認定した事実によれば、被告は権利能力のない社団として肯認されるための前記要件のうち、総会の運営についての定めを除いては全てこれを備えていることが明らかである。そこで総会について考える。被告には会員全員が出席する総会が存在しないため、これの運営についての規定も存しないのであるが、全員が出席する総会に代るものとして評議員会が存し、会員の意思は評議員である支部長を選出することを通して、即ちいわゆる間接民主々義の方法によつて、被告の業務の執行等に反映される仕組みとなつている。権利能力のない社団の要件として総会の存することが一般に要求されることは前記のとおりであるけれどもこれは民法の規定する社団が総会を置くべきことを要件としていることに対応しているものと考えられるところ、畢竟権利能力のない社団なるものは社団性の強い団体に一定の法主体性を認めるべしとする理論によつて認められるものであつて、そのような団体には種々の態様が存するわけであり、要件の存否の判断は形式的にではなく、実体に即して行うことが要請されるものと考えられる。そうして、前記認定の評議員の選出方法及び評議員会の権限並びに被告の組織、運営、事業活動からすれば、評議員会は権利能力のない社団の要件として一般に要求される総会とこれを同視しうるものというべきである。
[14] ところで、被告は被告が隊友会本部の地方組織である旨を主張し、本件当時の被告代表者福田一清会長が社団法人隊友会々長木村篤太郎によつて任命された事実をあげる。《証拠略》によれば右事実(但し、任命ではなく委嘱)が認められる。しかし、これはさきに認定したとおり被告の理事会が選出した会長を隊友会本部の会長が委嘱するものであり、実質的な会長の選任権限は被告にあり、隊友会本部にあるのではない。次に被告は、被告会長福田一清外1名作成の「山口県護国神社における自衛隊殉職者の奉斎実施準則」第7条に「この準則の実施は、隊友会々長の責任とする」旨の定めがあることをもつて、社団法人隊友会と宗教法人県護国神社との間の準委任契約を結ぶについて、被告県隊友会々長福田が社団法人隊友会の代理人である旨が明らかであると主張する。しかし、《証拠略》によれば、被告会長福田は本件合祀申請にあたつて山口県自衛隊父兄会連合会々長小沢太郎と右準則を作成したこと及び右準則には右条項が定められているけれども、同第5条によれば第7条の「隊友会々長」が隊友会山口県支部連合会長を指称することが明らかである。しかも、右証拠によれば、本件合祀は、「隊友会山口県支部連合会会長福田一清」の名義でもつて「山口県護国神社宮司殿」宛作成された奉斎申請書により申請されたことが認められ、右準則及び奉斎申請書には「社団法人隊友会」なる名称は何ら記載されていないことが認められる。してみると被告提出の右《証拠略》によつては、被告主張のような代理関係を認めることができず、かえつて被告が会長福田一清を代表者として本件合祀申請をなしたと認めることができる。

[15]、以上に説示したところによれば、被告は形の上では隊友会本部の一組織となつてはいるが、実質的にはこれから相対的に独立した社団とみるのが相当であつて、民事訴訟法46条に定めるところにより訴訟法上の当事者となりうることは勿論のこと、不法行為能力を有するところの権利能力のない社団ということができる。よつて、被告の本案前の申立第一項は理由がない。
[16] 請求の原因第一の一の事実、被告県隊友会が昭和47年頃県護国神社に故中谷孝文を合祀(相殿奉斎)するよう申請し、同神社がこれを受けて同年4月19日同人を祭神として合祀したことは、いずれも当事者間に争いがない。なお合祀とは、一般に神社神道において2柱以上の神を1社に合わせ祀ること或いは1柱の祭神を既設の神社に合わせ祀ることをいうが、《証拠略》によれば、その意義、形式として狭義の合祀、配祀、(相殿奉斎)、併祀等がある。以下においてたんに合祀とはこれらを包括する意味内容を持つものとしての広義の合祀を指すことがある。

[17] 《証拠略》によれば次の各事実が認められ、《証拠略》中、この設定に反する部分は、右各証拠に照らし採用しえない。
[18](一) 隊友会本部は昭和38年防衛庁から殉職自衛隊員の慰霊祭を実施するよう業務委託を受け、全国都道府県毎に5年間で行うこととなり、翌39年11月被告県隊友会が主催して自衛隊発足以来同年3月までに殉職した山口県出身者12柱の慰霊祭を県護国神社において行なつたが、その慰霊祭のあとの直会(なおらい)の席上で出席した殉職自衛隊員の遺族の中から、殉職者を同神社に祀つて貰えたらよいとの希望が出された。これを受けて当時の被告県隊友会長であつた広津や昭和45年2月まで同副会長で同月以降会長になつた福田一清は、県護国神社が催す春秋2回の大祭に招待された際などに同神社の宮司に殉職自衛隊員を祭神として合祀するよう要望してきたが、同神社が戦死者を祀る施設であり、殉職者は戦死者とは異なることを理由に同宮司の賛同を得られないまま年月が経過した。(以上《証拠略》による。)
[19](二) ところが、昭和45年秋の県護国神社の例祭に出席した福田会長が同神社の長尾宮司から合祀実現が可能であるとの感触を得たので、翌46年3月から6月頃の役員会(評議員会か理事会)で合祀申請を行うことを諮つて了承を受けた。他方福田会長は同年3月陸上自衛隊第13師団の師団長和田昇治が広島県において開催した中国四国外郭団体懇談会(同師団の管轄区域である中国地方5県、四国地方4県の各県隊友会、自衛隊父兄会及び防衛協会の会長等によつて構成され、同区域内の自衛隊各県地方連絡部長の出席を要請することがある。)において、山口県における殉職自衛隊員合祀の進捗状況を報告したところ、席上和田師団長は、右合祀に賛意を表し、これを推進することを要望した。右懇談会には山口地連長峰部長も出席していたことから、その後同地連において総務課が所管する遺族援護業務の一環として被告県隊友会による合祀申請を積極的に推進する体勢がとられるに至つた。(以上、《証拠略》による。)
[20] もつとも、福田、和田、長峰各証人は、右懇談会において、和田支団長が県護国神社への合祀を推進することを要望したことはない旨を証言し、長峰証人と粟屋証人は長峰部長が本件合祀に関し何らの指示も与えなかつた旨を証言する。しかし、山口県以外の県における各県出身の殉職自衛隊員の護国神社への合祀の状況についてこれをみるに、静岡県においては昭和38年地連部長が隊友会や自衛隊父兄会と共催で近く合同慰霊祭を行なうこととなつており、近い将来必ず合祀したい旨の念願を表明し(《証拠略》)、福井県においては同年12月地連部長と隊友会福井県支部連合会長が祭主となつて合祀慰霊祭を行い(《証拠略》)、香川県においては同39年5月地連部長が祭主となつて讃岐宮(神社)への合祀を行い(《証拠略》)、熊本県においては同年12月英霊顕彰会長が中心となつて実現した合祀の合祀祭に県知事、方面総監、師団長が祭主格となつて参加し(《証拠略》)、鹿児島県においては同40年10月防衛庁長官が祭主となつて合祀(併祀)祭を行い(《証拠略》)、大分県においては同43年10月地連部長の支援のもとに合祀(併祀)がなされ(《証拠略》)、佐賀県においては同44年10月地連部長が同県護国神社併祀祭典委員長と協議して賛同を得、同神社及び同地連連名で作成した「自衛隊殉職者護国神社併祀準則」の手続に従い、また国費を祭典の一部経費として支出して合祀(併祀)が行なわれ(《証拠略》)、宮崎県においては同45年3月地連部長や方面総監の努力により護国神社等の承諾を得て合祀(配祀)が行なわれ(《証拠略》)、また、右各合祀と昭和40年に富山、栃木両県で行なわれた合祀祭においては、自衛隊の幹部職員を含む自衛隊員が参列したり、自衛隊の音楽隊が参列するなどして支援した事実が認められ(《証拠略》)、更に《証拠略》によれば、同46年当時未だ合祀のされていない福岡県にあつては西方総監の意図もあり、4師団副師団長の積極的な活動もあつて同師団と同県地連が一体となつて同県神社の役員等を説得する等の努力を払つている事実が認められる。
[21] 右の事実によれば、昭和38年頃から本件合祀が企図された同46年に至るまで自衛隊の幹部職員が各地における合祀の祭典の実施に公然と参画し、或いは合祀実現について積極的な言動をしてきた事実が認められ、これを憲法に定めた政教分離規定(憲法20条、89条)の見地から疑問とする雰囲気はうかがうことができないのであつて、和田師団長、長峰部長、粟屋課長等においてもこれと同様の意識にあつたものと推認される。そうして殉職者の合祀は、殉職者を追悼する宗教上の心情の発露であるばかりではなく、後に判示するように現職隊員の士気の高揚にも少なからぬ効用を示すものであり、このことを認識していた和田、長峰、福田らにおいては本件合祀の実現を期待することは自然の成行であり、また後記自衛隊と隊友会の緊密な関係からして、被告県隊友会の合祀申請に対し物心両面の協力と支援を行う言動に出たことが十分に推認されるのである。ところで、《証拠略》によれば粟屋課長が九州各県の地連職員にあてた照会文書の中で、和田師団長が山口県における合祀の推進方を要望している旨を記載した事実が認められ、粟屋証人は右事実を福田か長峰のいずれかから聞いた旨を証言する。以上に検討したところによれば、右文言が粟屋が事実にもとづくことなく勝手に創作したものとは到底みることはできないのであつて、言葉の表現方法はともかく、右文書に記載の趣旨の発言をしたと認定するのが相当であり、また、右に検討した事情と次項に認定した事実からして、和田の発言を受けた長峰部長の容認のもとに山口地連が被告県隊友会の合祀申請を積極的に推進する体勢をとるに至つたことは容易に推認しうるところである。
[22](三) その後、右援護業務の責任者である粟屋課長と福田は合祀実現の方策を検討したが、当時山口県における合祀については、護国神社においては戦死者ではない殉職者を合祀することに疑問を有しており、また殉職者の遺族の一部有力者の中には合祀よりも遺族に対する補償制度の強化を望む者がいる等の障害があつたので、これに対処するため、粟屋課長は同46年5月22日、既に殉職自衛隊員を護国神社に合祀していると聞知していた九州各県(長崎県を除く)の地連の総務課長にあてて、合祀実施の状況についての照会文書を発送した。右照会文書の内容は山口県における合祀実現のために地連としての方策決定に資することを目的とし、(1)合祀に対する賛否両論の主要論旨及び合祀を阻む問題点、(2)合祀に対する神社庁なり護国神社等の意向、(3)合祀に対する自衛隊遺族会等の関心度、(4)戦没者遺族(団体)の意向、(5)合祀済みであれば合祀に至る経緯、問題点及び今後の問題点についての各地連としての意見等を照会事項とするものであつた。右照会に対しては各地連の職員(部長、総務課長、援護室長等)から同年6月末頃までに詳細な回答が為された。
[23] 右回答の結果、福岡県を除く各県ではすでに合祀乃至併祀、配祀がなされていること、とくに宮崎県においては、当初同県護国神社の一部の責任役員は祭神を戦死者に限つていることを理由に反対していたが、戦死者祭神に合祀するのではなく、神殿内に新たに神体を配祀(併祀)して同時に祭祀するのは自衛隊員の士気を高揚するためにも実現させるべきであるとの意見が大勢を占め、配祀が決定されたことが明らかとなつた。そこで粟屋課長は右照会書の控えと回答書を編綴して長峰部長と福田会長に閲覧せしめ、更に福田会長が右回答結果をもとに長尾宮司と折衝することとなつた。(以上は《証拠略》による。)
[24] 右の認定に対し、福田証人は右当時県護国神社が自衛隊員の殉職者を合祀することにつき支障がなかつたこと、福田、粟屋各証人は九州各県の合祀状況の調査が個人的な依頼によること、粟屋、長峰証人は右照会書が粟屋の私的な文書であること、粟屋は照会書の発送を長峰部長に無断で(長峰の意向に反して)行なつたことなどを証言するが、いずれも採用しえない。次に、後にも認定するように、本件当時山口地連と被告隊友会は緊密な関係にあり、同被告の事務局が地連の建物内にありかつ専任の事務員はおらず福田会長が長門市に居住していたことから同被告の業務の大半を地連の職員が代行していたが、これは外郭協力団体への援助として公務とされ、上司による指示の下になされていたのであり、本件調査のみが公務ではなく福田の粟屋に対する私的な依頼として行なわれたとすべき特別の事情が認められないばかりか、粟屋課長が発送した照会文には正式の発翰番号が付されていないものの、「山口地連総務課長粟屋晧」から各県地連の「総務課長」に宛てて、「地連としての」「方策決定の資に供した」いので、「対外行事予定設定の関係もあり6月上旬中に御教示を賜」りたい旨の記載があり、かつこの照会書は粟屋の起案により地連の職員が勤務時間中にタイプしたことからすれば、右文書が粟屋の私的な文書ではなく、同人が公用に作成し発送したものであることが明らかである。そうであればこそ、同人と面識のない各県の地連総務課長等から詳細な回答書が寄せられたことを理解できる(なお佐賀地連からの回答書は、発翰番号を付し公印を押捺した地連部長作成名義のものであり、大分地連からの回答書は「業務連絡」との肩書を付したものである)。また本件照会書の重要性に鑑みれば、被告県隊友会の合祀申請を推進すべき立場にあつた粟屋が右照会をなし、長峰部長もこれを容認していたことが推認されるのであつて、長峰証言及び粟屋証言の内右に反する部分は関係部分の不自然さから採用することができない。また、《証拠略》の記載の文言からすれば、当時県護国神社が自衛隊の殉職者を合祀するについては、戦死者ではないことを理由に一定の困難に逢着していたことは明らかである。
[25](四) 福田会長は同46年7月以降長尾宮司に右回答結果によつて九州各県における合祀実施の状況を説明して県護国神社においても合祀されたい旨を重ねて折衝した結果、同年秋に至つて同宮司から基本的に了解を得、更に同人の依頼により合祀の請願書を提出した。かくて福田会長は合祀実現が軌道に乗り始めるや、右請願書の提出と前後して合祀申請を準備するために自衛隊父兄会山口県支部連合会々長小沢太郎と交渉して、同年末頃までの間に自衛隊殉職者奉賛会を設け、小沢が会長に、福田が副会長に就任した。奉賛会では翌47年の県護国神社の春季例祭に合祀することを目途に準備を進めることとなつたが、会長の小沢は東京に居住していたので、奉賛会の業務は福田が執行することとなり、引続き長尾宮司と折衝を重ねながら、殉職者を県護国神社の鎮座されるべき祭神として更に追加奉斎すること、そのための資格要件と手続及び奉賛会の対外的な業務は被告県隊友会の名義と責任において行うこと並びに申請に必要な費用の捻出のために右父兄会連合会および被告県隊友会の各会員と山口県出身の現職自衛隊員から寄付金を募ること等を小沢と取決め、費用の点を除く右合意事項を文書化すること及び募金の趣旨書の作成配布と寄せられる募金の管理を安田事務官に依頼した。安田は右依頼により宮司と打合せを重ねながら「山口県護国神社における自衛隊殉職者の奉斎実施準則」を起案し、昭和47年3月24日小沢と福田がこれを認証した。また、安田が依頼により関係者に寄付金を募つたところ、後記合祀申請ないしは合祀行為の頃までに約80万円が寄せられた。(以上は《証拠略》による。)
[26](五) 右経緯によつて福田会長は昭和47年3月当時の山口県出身殉職自衛隊員として故孝文を含む27名全員を合祀申請することとし、前記準則に従つて県護国神社への合祀申請に必要な書類として殉職者名簿、殉職者の経歴書、戸籍謄本、公務認定(写)等を取揃えることとし、これの事務を安田事務官に依頼した。右依頼を受けた安田は各殉職者の遺族を通じて殉職者の除籍謄本と殉職証明書の交付を受けるべく、山口地連内にあつて自衛隊員の募集業務を行う山口地区班長及び各出張所長に対し、各管轄地域内に居住する殉職者の遺族から右書類を取寄せることを依頼した。山口地区班長宮園達夫は右依頼により山口市を担当する事務官阿武豊広報員に山口市に居住していた原告から故孝文についての右書類の交付を受けるべきことを指示した。
[27] 阿武は右指示を受けた日から2、3日後である3月23日原告方を訪ずれ、原告に対し使用の目的を明らかにしないまま故孝文の除籍謄本の取寄せを依頼した。原告は不審には思いながらも同人とは一度面識があつたので、1週間後に取寄せておく旨を答えたがこれを失念していたところ、同人は4月3日に再度原告方を訪ずれ、原告の質問に対してやはり目的を明らかにしないまま今度は故孝文の殉職証明書の取寄せを依頼した。同人と原告はともに殉職証明書を発行する機関を知らなかつたものの、故孝文が死亡当時勤務していた岩手地連ではないかと推察し、ここにあてて右証明書の交付を申請することとした。ところが、阿武は同月5日になつて不在中の原告方を訪ずれ、勤務先から帰宅した原告に故孝文の位階と勲章の有無を明らかにするものがあつたらみせて貰いたいと依頼した。そこで原告が故孝文の位階と勲章をみせたところ、同人がこれをメモした。不審に思つた原告が同人に来訪の目的を尋ねると、同人はここにはじめて故孝文を県護国神社に祀ることになり、その資料の収集のために訪問した旨を答えた。これに対し驚いた原告において自らがキリスト教を信仰していること、故孝文の遺骨を山口信愛教会の納骨堂に納めて同教会の永眠者記念礼拝にも出席していることを明らかにして、県護国神社へ祀ることを断る旨を告げた。これを聞いた阿武は上司にその旨報告すると告げて原告方から地連へ帰つた。
[28] その直後に原告は、後記県護国神社宮司長尾と被告県隊友会々長福田の連名による殉職自衛官の鎮座祭の斎行等の通知と参拝の案内状を入れた郵便封筒(発信人名義は福田会長)が配達されているのを発見したので、前記教会の林健二牧師に電話で相談したうえ、地連の阿武に架電して再度合祀を断る旨を伝えた。(以上は、《証拠略》による。もつとも証人阿武は同人が原告に関係書類の取寄せを依頼した当初から、故孝文を県護国神社へ合祀申請するにつき必要であるからして依頼の目的を明らかにした旨を証言するが、この証言部分は原告本人尋問の結果に照して措信できない。)
[29](六) これより先福田会長は3月31日頃故孝文を含む山口県出身の殉職者27名について、故孝文以外にも添付すべき書類が整わないまま県護国神社に合祀申請し、これを受けた同神社は、4月19日に右27柱を新しい祭神として合祀(相殿奉斎)する鎮座祭の斎行と直会の儀の挙行及び翌20日に春季慰霊大祭の斎行を行うことを決定し、4月1日に右27名の遺族に対する右斎行の通知と案内の書面を郵便で送付する手続をなした。原告への書面は、県護国神社が原告の転居前の住所地に宛てて差出したため、転送により前項のとおり同月5日に至つて原告方に送達されたものである。その後福田は4月10日頃になつて、安田から原告がキリスト教を信仰していることを理由に故孝文の合祀に反対している旨の連絡を受けたが、同人についての合祀申請を撤回せず、また自衛隊の機関が殉職を証明する文書を発行しないことが明らかになつたので、安田をして防衛庁が発刊している殉職者の顕彰録から該当箇所の写しを作成せしめ、また同人に故孝文の除籍謄本を取らせてこれらを県護国神社に交付した。そこで県護国神社は当初の予定どおり故孝文を含む殉職者27柱の合祀と慰霊大祭を斎行した。(以上は、《証拠略》による。)
[30](七) 福田の依頼により募金事務に携つていた安田事務官のもとには合祀の頃までに合計約80万円の募金が寄せられたが、福田はこのなかから祭祀料(御帳台の製作費)として約30万円、同年秋の大祭の費用として約5万円を支出し、その余は国旗掲揚台の奉納の費用と雑費に充てた。(以上は《証拠略》による)
[31](八) その後県護国神社宮司長尾は、原告に宛てた
「御祭神中谷孝文命奉慰のため御篤志をもつて永代神楽料御奉納相成り感佩の至りに存じます今後毎年1月12日の祥月命日を卜して命日祭を斎行しこれを永代に継続いたします」
との書面を同年6月1日付をもつて作成し、安田事務官が7月5日これを原告方に届けた。帰宅して右通知書をみた原告は、故孝文が合祀されなかつたと思い込んでいたため、地連職員への不信感を募らせ、翌6日地連に電話して原告が拒否したにもかかわらず故孝文を祀つたことに抗議し、合祀の取下げを要請した。これに対し応待に出た安田は、故孝文は国のために死んだのであるから県護国神社に祀るのは当然である、自衛隊員に誇りをもたせるために遺族の宗教に関係なく善意で祀つた、原告が拝むことを強制するわけではない、1人を取下げるとしめしがつかなくなる等の趣旨を答え、原告の取下げの要請を翻意するよう説得した。故孝文の合祀の取下げを容れられないことを知つた原告は林牧師と相談し、同月22日同人の牧師館から再度安田に電話をして、苦衷を訴えながら合祀の意図を質すと、安田は殉職自衛隊員は忠臣と同じ位の資格があり、遺族の宗教には関わりなく現職隊員の死生に誇りをもたせるために奮起して祀つた等、前回とほぼ同趣旨の回答をした。そこで林牧師が原告の意を体して同月27日地連に安田を訪ねて合祀の取下げを要望したところ、安田は護国神社は公の宗教であり、日本人は家庭での宗教とは別に公には護国神社に祀られるのが当然である旨を答えた。
[32] これと同じ日に新聞記者が、同月16日頃地連部長に赴任した山根勝己部長に本件合祀問題について電話で取材したのに対し、同人は被告県隊友会が合祀をしたことであるが、故人はすでに公のもので遺族だけのものではなく、勝手に合祀したのも護国神社に祭ることは宗教的な行事ではないと考えたからではないかとの回答をした。山根部長は事態が深刻になるのを憂慮して、同日安田をして原告に電話させ、夕刻に原告と会いたい旨を伝えさせたが、原告の都合がつかなかつたため、日時まで決めるには至らなかつたところ、同日夕刊の新聞紙面に本件合祀の記事が掲載報道された後、山根は同日夕刻原告に電話をして、中央から合祀を取下げるよう指示があつたから少し面談を待つて貰いたい旨を伝えた。
[33] 他方防府市に居住する故孝文の父中谷之丞は右報道によつてはじめて本件合祀の事実と原告がこれに反対をしていることを知つたが、故孝文が合祀されたことを非常に嬉しく思い、翌28日地連に電話をかけ、合祀を維持されたい旨を伝えた。そこで山根部長はその頃竹下康雄副部長と安田を同人宅に派遣し、事情の説明と意向の聴取をなさしめるとともに、原告との面談を取りやめにした。その後之丞の意を受けた原告の父小川英三郎が原告方を訪ずれ、合祀取下げを断念するように説得したが、原告はこれを拒否した。原告は山根が合祀取下げを約束していながら、地連の職員に之丞を訪問させたことを知り、之丞が小川を通じて原告の説得にあたつたと考えて地連に対する不信感を強め、同月31日内容証明郵便を山根に送付して事態の釈明を求めた。これに対して山根は同日原告に電話をして、之丞と話し合つて貰いたい旨を伝え、更に8月2日山根とは原告と会えない、福田会長と会つて貰いたい旨を伝えた。かくして同月4日原告は林立会のもとで福田と面談したが、同人は被告県隊友会としては善意でやつたことであり、之丞は合祀に賛成しているのだから親子でよく話し合つてほしい旨を述べた。その後之丞は故孝文の弟妹を招集して話し合つた結果、連名で故孝文の合祀についての原告の希望を容れないで貰いたい旨の8月14日付の嘆願書を作成し、これを福田会長に送付した。福田は同月17日これの写しを記載し、原告の意向を打診する書面を原告に郵便した。(以上は《証拠略》による。7月6日以降に原告と林牧師及び地連職員との間で交わされた数回に及ぶ折衝の内容については、関係証言と原告本人尋問の結果の間でそごする部分が少なくないが、前項までに認定した事実と《証拠略》によつて推認される地連職員の殉職者の合祀についての考え方からすると各証言中本項認定の事実に反する部分は採用しえない。)
[34](九) 原告は山口県に居住していた昭和33年3月4日日本キリスト教団山口信愛教会において林健二牧師により洗礼を受け、以来今日までキリスト教を信仰している。
[35] 原告は翌34年1月1日自衛隊員であつた中谷孝文と宗教行為の伴わない結婚式を挙げ、夫の勤務地である岩手県盛岡市で婚姻生活を営むこととなつたが、同地においても林牧師から紹介を受けた日本キリスト教団下の橋教会に通つた。その後昭和38年から39年にかけて故孝文が福岡県久留米市と静岡県御殿場市にある自衛隊の幹部学校に入校していた約1年半の間を除いて、同人が死亡した同43年までの9年間を盛岡市で同人と婚姻生活を営み、同人死亡後は一時防府市にある同人の父中谷之丞宅に身を寄せたが之丞との関係が必ずしもしつくりせず、同人方を出て同43年8月から山口市に居住し、今日に至つている。この間原告は終始教会に通い信仰を心のよりどころとして生活してきた。
[36] 他方故孝文は宗教を信仰することはなかつたが、御殿場市に居住していた半年足らずの間、原告が神癒を重んずる純福音教会に通つて熱心な伝道生活を送つていた際原告の信仰に苦言を呈し、原告と激しい口論を交わしたり原告の聖書を切裂いたりした時期を除いては信仰についてのいさかいをすることはなく原告の信仰を容認しており、夫婦関係は円満であつた。原告は同人が死亡した直後岩手地連の準備により同地連において喪主として仏式の葬儀を行い、之丞が防府で行つた仏式葬儀に参列した。同人は故孝文に戒名を付して貰い遺骨を仏壇に安置した。約2ケ月後原告は之丞に分家を願い出たが、長男である故孝文の妻が家を出ることは仏と親を捨てることであると反対されたため、故孝文の遺骨の一部をもつて之丞宅を出て別居し、同人の気持を考慮して仏壇と位牌を置き僧侶を呼んで読経をして貰つたが、2、3ケ月後仏壇を取払い、その後昭和44年山口信愛教会の納骨堂に遺骨を納め、毎年11月同教会の行う永眠者記念礼拝にも子敬明とともに毎回出席している。以来原告はキリスト教の信仰のもとに日曜日には教会で礼拝し、亡夫の死の意味を求め、追悼し、キリスト教の信仰を心のよりどころとして生活している。(以上は《証拠略》による。)
1 国家賠償法の適用
[37] まず、原告は被告国が山口地連の職員の行為につき、国家賠償法1条1項もしくは民法715条によつて損害賠償責任を有すると主張するので、この点につき検討する。防衛庁設置法4条は、「防衛庁は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を管理し、及び運営し、並びにこれに関する事務を行うことを任務とする。」と定め、自衛隊法24条は防衛庁本庁に置く陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の機関として地方連絡部を置くことを定め、同法29条は地方連絡部が自衛官の募集その他長官の定める事務を行うことを定める。してみれば、地連職員が公行政作用を行う公務員であり、被告国の公権力の行使に当る公務員であることは明らかであるから、地連の職員の行為に関し法定の事実関係があれば被告国において国家賠償法1条1項により賠償の責に任ずべきものである。

2 被告らの共同行為
[38] 次に、原告は被告両名の行為が共同不法行為にあたると主張するので、両名が共同行為者であるか否かを検討する。
[39] 第一に、国家賠償法による責任を負う国と民法による責任を負う私人とは、民法719条の共同不法行為の責任を負う場合があると解されている。
[40] 第二に、同条は1項で数人が共同の不法行為をなすことをその要件としているが、同条2項は、教唆者と幇助者を共同行為者とみなしているところによりすると、直接の加害行為を担当しない共謀者も共同行為者とみなされることは明らかである。
[41] ところで、さきに、認定したように本件合祀申請は、被告県隊友会(以下たんに相被告という)の発意により、相被告の費用をもつて、相被告の名義によつて為されたものである。また、《証拠略》並びに弁論の全趣旨によれば、従来地連が被告国の主張するような物的、事務的な援助を業務として隊友会に与えてきたことが認められる。しかし、関係係官の行為をつぶさにみてみると、粟屋課長は、本件合祀が一定の困難に逢着していた当時、福田会長の具体的な依頼もないままに、自らの知見にもとづいて、問題点を的確に剔出した照会書を作成、発送し、回答書を得てこれを同人に交付した。この回答書がその後県護国神社の関係者に合祀受諾を決意せしめる有力な資料となつたのである。安田事務官は、福田から依頼を受けて合祀申請に必要な経費のための募金全般をとりしきり、宮司と折衝しながら奉斎準則を起案した。阿武事務官を含む山口地区班や地連出張所の係官は、福田から安田を介しての依頼により合祀申請に必要な書類を取り寄せた。これらの行為は、本件合祀申請を準備するうえで、それぞれの期待における最も重要な行為であり、かつ準備行為のほとんど大半を占めているばかりか、照会書の作成、発送と奉斎準則の起案は、各係官の裁量のもとに為されたのである。そうして右各行為は地連が相被告の合祀申請を推進するとの態勢のもとになされたのであつた。このようにみてくると、係官の各行為は、相被告のための一般的、補助的な手伝いにすぎない行為乃至は相被告の合祀申請を側面から援助する行為とみることはできないのであつて、当時の相被告の力量では事実上なしえないところの、本件合祀申請に向けられた、個別的で積極的で核心的な行為であり、かかる地連の一連の行為がなければ、本件の如くに合祀申請に至つたとはみられない状況にあつたのである。地連係官がこのように本件合祀申請に積極的に関与してきたのは、本件合祀申請が協力団体である相被告の業務であるとの一般的な事情もさることながら、むしろ殉職者の合祀が自衛隊員の社会的地位と士気を高める効果をもたらすものであり、地連自身も是非合祀の実現を図りたいと考えていたからと推認される。このような地連職員の意識は《証拠略》によつてもある程度うかがうことができるが、《証拠略》によつて一層明確に推察することができる。要約すれば、地連は本件合祀の実現について相被告に劣らないだけの利益を有していたのであつて、そうであるが故に地連職員と相被告は本件合祀実現を相謀り役割りを分担しつつ準備して、相被告の名義をもつて合祀申請に及んだものである。さればこそ、地連が原告から本件合祀申請についての抗議を受けるや、係官らは被告らの行為を積極的に正当化し、原告の翻意を求め、部長自らが原告との折衝に乗り出そうとしたのである。係官らが相被告の行為を補助し手助けしたにすぎず、責任は全て相被告にあるというのであれば、先ずその旨を明らかにし、原告を相被告に仲介したはずである。本件合祀申請は、県護国神社へ申請した一点をとらえれば、相被告の単独の行為ではあるけれども、これを一連の経緯の中でとらえれば、地連職員と相被告の共同行為とみることができる。

3 権利侵害の有無
[42](一) まず民法709条にいう「権利を侵害」するとは、法律上何々権として明定されたものを侵害することの意味に限定すべきものでなく、法的な保護に値する利益を違法に侵害することを以て足るものと解され、また国家賠償法1条の「違法に他人に損害を加えたとき」との定めも法的な保護に値する利益の違法な侵害をとらえたものと解される。
[43] そこで信教の自由について考えるに、これがすべての国民に保障された基本的人権に属することは憲法20条1項前段の明定するところであり、また憲法13条によつて「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされる「自由及び幸福追及に対する国民の権利」には基本的人権の一つである信教の自由が含まれ、同条にいう「立法その他の国政」には司法作用が含まれるものと解される。
[44] このようにして信教の自由はその違法な侵害に対して裁判上の救済を求めうべき法的利益を保障されたものとして、私法上の人格権に属するものというべきである。もしこれを消極に解するならば、国民は私人による信教の自由の侵害に対し何等の法的救済を受け得ないこととなり、かくては国民は自らの信仰を全うし得ないこととなるからである。
[45] ところで或る人間の死に際会して生存者がその宗教的立場乃至宗教的意識からこれに如何様に対応するかの具体的態様は、個々の宗教、宗派の教義およびこれらに属し或いは属しない各人の宗教的に信ずるところに応じて異なることのあり得るものであるが、右にのべた理由からしてこれらの異なる対応のいずれについても、それが宗教的なものである限りは各人の信教の自由の実現行為として、従つて人格権に基づく宗教行為として、法的に保護されるべきものと解される。
[46] かくして、一般に人が自己もしくは親しい者の死について、他人から干渉を受けない静謐の中で宗教上の感情と思考を巡らせ、行為をなすことの利益を宗教上の人格権の一内容としてとらえることができると解される。人が自己の死に対してこのような人格権を有することは明らかであると考えられるが、他人の死に対してもこれを肯定しうるかは一応問題となる。しかし、人は現世において自己に最も近い者として配偶者と共同の生活を営み、精神生活を共同にするものであるから、配偶者の死に対しては自己の死に準ずる程の関心を抱くのは通常であり、従つて他人に干渉されることなく故人を宗教的に取扱うことの利益も右にいう人格権と考えることが許されると解される。このことは、著作権法が著作者が死亡した後における著作者人格権等の侵害に対する差止請求権等を遺族に認め、かつ配偶者をその第一順位の者と定めていることによつても正当であると考える。
[47](二) そこで本件合祀申請行為が原告の信教の自由乃至人格権を侵すものであるか否かを検討する。
[48](1) 前記認定のとおり原告は夫孝文の死亡当時より遡ること約10年以来キリスト教を信仰し、同人の不慮の死に遭つてのちはこの信仰によつて同人を記念、追悼し、その死の意味を求め、現世において分たれた共同生活を精神的な面で保持し続けて来た。原告のかかる信仰生活の営みは他人には容易に窺い知ることのできない複雑微妙なものがあるものと推察されるのであるが、原告にとつて信仰を深め実践して行くうえで何よりも大切にしたいことはまず自らを宗教的な平穏裡に置くことであろうと考えられる。
[49] これに対して相被告と地連職員は故孝文を県護国神社の祭神として奉斎されるよう申請し、これを受けた同神社は孝文を祭神として合祀、鎮座し、永代に亘つて奉斎すると共に公衆礼拝の対象とするに至つたものである。
[50] もとより県護国神社はいうまでもなく、相被告も地連職員も原告に祭神としての孝文を神道に従つて礼拝するよう強制しているわけではない。しかしながら原告が自己の信ずるキリスト教により教会に通うなどして孝文を前記のとおり記念し、その死の意味を探ろうとしているとき、他人によつて勝手に孝文を神社神道の祭神として祀られ、原告にも関係のあるものとして鎮座祭への参拝を希望され、更には事実に反して原告の篤志により神楽料が奉納されたとしてこれを原告に通知のうえ、永代に亘つて命日祭を斎行されるに至ることは決して些細な事柄ではない。孝文は県護国神社によつて国家公共のために尽した者として祭神に祀られたのであるから、妻としてキリスト教信仰の立場から夫の死の意味を深めようとする原告にとつて、静謐な宗教的環境のもとで信仰生活を送るべき法的利益――人格権――を妨げられた面のあることはこれを否定することができない。
[51] ここで或いは、信仰心を有する者は自己に対する強制に亘るわけではない他人の宗教行為を無視するだけの精神的な強さを求められており、従つて他人の宗教行為との関係における法的救済を云々すべきではないとの考えもあり得ないわけではない。しかしながら人の信仰心の強固さは様々であり、信仰を求めながらなお他人のなす宗教行為のために精神的な静謐を乱され、自己の純粋な信仰の探究に軽視できない妨害を受ける場合もあり得ると考えられる。信仰は時により死を怖れないものであるが、また極めて傷つき易いものであると考えられる。このような意味において、信仰者に精神的な強さを要求して法的保護を否定する考え方はこれをとることができない。
[52] ここで被告らの主張のうち、原告が喪主となつて仏教方式による部隊葬を行ない、之丞の行なつた仏教方式の葬儀に参加、礼拝し、同人宅を出た後仏壇を買い求めて同人を祀つた事実によれば、原告には宗教的意識の雑居性が顕著にみられるから、本件合祀が原告の宗教上の法的な利益を侵害しない(相被告)、或いは原告が他の者により他の宗教により祀られることを容認してきたから本件合祀により害されるものはない(被告国)との点について検討する。先ず、原告が部隊葬の喪主となつた点であるが、これは故孝文が死亡した直後におけるあわただしい雰囲気の中で、部隊が実質的に準備した葬儀の形式的な喪主となつたにすぎないのであつて、仮りに仏教方式で行うことについて原告の同意があつたとしても(この点についての立証はないが)、当時原告が右葬儀を自らの行うものと意識していたかははなはだ疑問であり、これに参列することを拒否しうるような事情があつたとみることはできないのであつて、右の点から、原告が仏教に親和性を有し、キリスト教の信仰があいまいであつたとすることは相当ではない。次に、故孝文の実父である之丞の行なう仏式の葬儀に妻として参列することは、原告の信仰の如何にかかわることではなく、之丞の行う仏式による供養を容認したからといつて、原告の信仰があいまいであるとし、遺族以外の者によつて勝手に故孝文が祭祀されるのを容認したとし、或いはこのような祭祀によつて原告の信仰に何ら害されるところがなかつたとすべき事情にあたるとみることはできない。
[53] けだし、故人の実父之丞にも祭祀を行いたいとするそれ自体尊重すべき宗教感情がある以上、原告において同人との相互関係をめぐる具体的情況に応じてこれをどのように尊重するかは、原告において自らの信仰を保持しつつ別の面から自主的に判断決定し得る事柄であるからである。また原告が仏壇と位牌を置き僧侶に読経させたのは、さきに認定した事情によるものであり、原告が之丞との精神的な軋轢を和らげるためのいわば苦肉の策であつて、真実の信仰心によるものではなく、従つて2、3ケ月後にはこれを取り去つたものと推認される。かえつて、原告がかかる行為まですることにより之丞と融和することを努力していたにも拘わらず、後に判示するとおり、本件合祀によつて同人との間に容易に埋め難い精神的な溝を設けられるに至つたのである。以上、被告らの主張には理由がない。
[54] 以上検討したところより、本件合祀申請は原告の宗教上の人格権を侵害したものである。

4 本件合祀申請行為の違法性
[55](一)(1) まず本件合祀申請行為乃至はその結果として合祀の実現した事実が原告において自己の信仰に基づき亡夫を記念する信仰上の行為を外的に制止妨害等する行為乃至事実でないことは明らかである。県護国神社はもとより相被告および地連職員において原告に神道に従つた礼拝を強制しているものでもない。
[56] のみならず相被告は、孝文の死とのかかわり合いにおいて自らの信ずるところに従い宗教的行為をする自由を有する。宗教上の人格権はその性質上自然人の内面に淵源するものではあるけれども、社団の社会的活動には、その構成員の宗教上の人格権を綜合的に社団として実現させる宗教行為と目すべきもののあることが明らかであり、これに対する法的保護を否定すべき理由はなく、相被告の本件合祀申請行為が右のような宗教行為であることは前記認定事実によつて明らかである。
[57](2) このようにして原告と相被告との関係では、問題は自由と自由との衝突と見るべきものである。
[58] この点に関し、内面を重視する信仰に立つ者の宗教行為の方が外面を重視するものよりも法的保護の上で優位を与えられるべきだとすべき根拠はなく、一方の外面を重視する宗教行為が他方の重視する内面的宗教生活の平穏を侵すことがあつても、そのことのみでこの行為を当然に違法とすることはできない。
[59](3) また亡孝文との関係における原告および相被告それぞれの親近度乃至人間的密接度に従つて両者の間に差等を設けるべき理由も見出し難い。
[60] まず原告は孝文の妻としてこれとの間で全人格的結合関係の下に生きて来たものであるが、これに対して相被告は生命のある個人ではなくまた宗教的活動を本来の目的とする団体でないのはもとより、孝文を構成員として取りこんだ団体でもなく、孝文の生存中所属していた自衛隊の外郭団体として山口県出身の退職自衛官および殉職自衛官の遺族などの援護等の目的との関係において、孝文との間では間接的に且つ退職或いは殉職等の将来の出来事とのかかわりで関係を持つていたにすぎず、相互の間に全人格的結合乃至これに準ずべき関係はなかつたものである。
[61] このような相互関係にあることからして、孝文の霊を宗教上いかに取扱うかについてはまず妻たる原告の意思を尊重し、その意に反して他人である相被告によつてなされる宗教行為はこれを差控えるべきだとするのが常識に合致すると考えられないではない。
[62] しかしながら密接度の濃い側が相手方のなす宗教行為によつて宗教上の人格権に侵害を受けるとしても、これが密接度の薄い相手方において自己の信仰に基づく宗教行為をしたことによるものである場合、このような結果はそれぞれの信仰の相異に基づいて生ずるものであり、いずれの行為にも元来信仰の自由の行使として憲法上の保障がある以上、一方の行為が他方に対する制止強制にわたり乃至は公序良俗に反する等の事情のない限り、これらの法的保護につき順位を決すべき法的規準は見出せず、故人の妻の行為を密接度の薄い他人の行為に優先させるべしとする条理も見出し難い。
[63](4) なお、原告は本件合祀申請が現職自衛隊員の士気を鼓舞する等の現世的目的に出たにすぎないと主張するけれども、宗教が窮極的に魂の救済に関するものとはいえても、現世の事柄にかかわる目的を有する宗教行為がこの目的のあることから当然に宗教行為としての本質を欠くに至るものとすることはできず、またこのような宗教行為に対する法的保護を劣後させてよい理由はない。相被告が故孝文の奉斎という宗教的な目的に出たことの認められる本件にあつては、右現世的目的の存否をもつて本件合祀申請の違法性を云々することはできない。また、被告らは、故孝文が生前原告のキリスト教信仰を嫌悪し、自衛官たる者死して護国の鬼となるとの精神をもつていたから、本件合祀が同人の意思に合致し、従つて本件合祀申請が違法ではない旨を主張する。しかしながら、被告らが援用する《証拠略》をもつてしては、被告ら主張の事実はこれを認めることができない。他方原告は、故孝文が死後のことについて原告の好きなように葬うように言つていた旨を主張するが、これに添う原告本人の供述のみによつては直ちにこれを認定することができない。本件証拠上本件合祀が同人の生前の意思に添うとも添わないとも確定的に判断することはできない。よつて故孝文の生前の意思の点を右優劣を決する規準とすることはできない。
[64](5) このようにして、相被告の本件合祀申請行為を独立にとらえて権利濫用等の違法事由あるものとすることには疑問がある。
[65](二) 次に、さきに認定したとおり相被告と地連職員は、共同行為者として本件合祀申請行為をなしたものである。県護国神社の行なう合祀は故孝文の霊を祭神として祭祀するものであるからこれが宗教行為であることは明らかであるが、更に合祀申請行為も、右合祀が行なわれるための前提をなすものとして基本的な宗教的意義を有しており、且つ県護国神社の宗教を助長、促進する行為であるから、これが憲法20条3項によつて国およびその機関がなすことを禁止された宗教的活動に該当することも明らかである。このようにして本件合祀申請行為は憲法の右条項に違反するものである。
[66] 憲法の右条項の定めについては、これをいわゆる制度的保障の規定と解すべきか否かに関し、原告と被告国との間に争いがあるが、右条項が国およびその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない旨を定める以上、この定めに反した地連職員と相被告との共同による行為は憲法に違反することにより我が国社会の公の秩序に反するものとして、私人に対する関係で違法な行為というべきである。
[67] なお原告は、地連職員らの行為は国が県護国神社に、憲法20条1項後段で禁止された特権を与えたものであると主張するけれども、同条にいう特権とは一般国民や他の宗教団体に較べて特殊の利益を与え、優遇することを意味すると解されるところ、本件事実のみによつては本件合祀申請が右の特殊の利益の付与に該るとは断定しえないから、右主張は採用しえない。

5 損害
[68] さきに権利侵害の項で検討したとおり、原告は被告らの行為により意に反して故孝文を県護国神社の祭神として合祀され、信仰を続けるうえでの静謐を著しく侵害され、多大の精神的苦痛を蒙つたことが認められる。また、本件合祀の取下を要求して後、福田会長からは中谷之丞とよく話し合つてくれといつて責任を転嫁され、地連の職員から権限もなく合祀を納得させられかかり、合祀に賛同する之丞との間でも従来にも増して不和を増大させられたこと等による精神的葛藤によりお互いの信頼感が損なわれ、これによる精神的損害も発生している。更に、《証拠略》によれば、本訴請求が社会的に伝えられる中で、原告は世間から非国民だとか外国へ出てゆけと非難され、白眼視されてきた。また、弁論の全趣旨によれば、原告が本件訴を提起し、維持していくうえでの労苦も小さいものではなかつたものと推認される。これらの諸事情を勘案すれば原告の受けた精神的損害の額は金100万円を下まわることはないと認められる。

6 過失
[69] 被告らが本件合祀申請行為に及んだ昭和47年3月31日当時は、故孝文の合祀が原告の権利を侵害するに至る事情を認識していなかつたけれども、これを認識することができ不注意のためこれを認識しないで合祀申請したのであるから福田及び地連の職員には過失がある。

[70] よつて原告の本項請求は全て理由があるから正当としてこれを認容することとする。

[71]、原告の相被告に対する合祀申請手続の取消手続の請求について考える。

1 訴の適法性
[72](一) まず原告は相被告の行為が不法行為であるとして合祀申請手続の取消手続をなすべき旨を求めるが、或る行為が不法行為を構成する場合、そのことを理由に被害者が当該行為の排除復元を行為者に対して請求できるものとすることには民法の解釈上疑問がある。
[73](二) ところで原告は請求の法的構成につき民法の不法行為に関する条文をあげるが、他方また権利の濫用を許さずとする民法1条3項をあげ、憲法20条1項後段、3項をあげて、宗教上の人格権の侵害された事実を主張する。これらの点と弁論の経緯とを併せ考えれば、原告の請求は人格権に対する違法な侵害を理由に、人格権に基づく妨害排除乃至原状回復として合祀申請の取消手続を求める趣旨を含むものと解すべきである。なお原告の求める取消手続の内容は、すでに実現した合祀についての相被告と県護国神社との間における準委任契約関係の存在を前提に、合祀申請のなかつたと同様の状態を現出するための方法として、神社に対する申請行為撤回の意思表示乃至は契約の合意解約申入の意思表示をなすべきことを求めるにあると解されるほか、更に故孝文に関する合祀申請書の抹消等の事実行為をも求めるものと解する余地があるが、いずれも訴自体は適法であるから、相被告の本案前の申立二項には理由がない。

2 請求権の存否
[74] 相被告は、本件合祀申請をして県護国神社との間で合祀を目的とする準委任契約を締結することにより、同神社の合祀を介して、原告の人格権を侵害したものであるが、前記認定のとおり故孝文は同神社の祭神として、且つ将来永代に亘つて毎年命日祭を斎行されるべきものとして鎮座されたものであつて、この意味において原告の人格権に対する侵害は本質的に継続的な性質を有する。他方このような結果を招いた合祀申請行為自体が前項に判断したとおり憲法に違反するものであるから、右申請行為及び契約には高度の違法性が存する。してみれば、合祀によつて人格権を侵害され損害を受ける原告においては、相被告に対してこのような合祀のなされた状態による妨害の排除乃至原状回復を求めうべきものである。ところで、相被告は合祀そのものを為したのではなく、その申請、契約の申込みをした一方当事者であるから、原告が右妨害排除乃至原状回復として相被告に求めうるのは、相被告として故孝文の合祀を目的とする準委任契約の効力を解消するに足るだけの行為、すなわち申請行為の撤回の意思表示乃至は契約の合意解約申入の意思表示にとどまると解せられる。
[75] しかしながら原告は、相被告会長福田が8月、10月22日及び11月1日の3回に亘つて県護国神社へ故孝文の奉斎取下げ方の要請を行なつたことを自陳しており、かつ右事実は《証拠略》によつてこれを認めることができる。右要請は故孝文の合祀申請の撤回乃至契約の合意解約の意思表示とみられるから、相被告はすでに原告のために原状回復の義務を履行したものである。また相被告の原告に対する人格権侵害が法律行為によつてなされ、且つこれにつき撤回乃至合意解約の申入の意思表示がなされた以上、相被告としては原状回復のために自らなしうべきことを果し終えたものというべきであり、合祀申請書が提供時の状態のまま神社の手許に置かれている事実があるとしても、そのこと自体から原告の人格権に対する相被告の侵害行為が残存継続しているものとすることはできず、原告の求めるところがこの申請書に関する抹消その他の事実行為の請求を含むとしても、その請求は理由がない。
[76] なお、原告は本件合祀申請が故孝文の信教の自由を侵害したと主張して右と同様の請求をなすところ、仮りにこの侵害の事実が認められるとしても、これの権利の回復として相被告に求めうる行為の内容とその義務の履行がなされたことは右に判示のとおりであるから、この主張に基づき右請求を理由ありとすることはできない。

[77] よつて、原告の本項請求は理由がなく、棄却すべきものである。
[78] 以上に判断したところに従つて、原告の被告県隊友会に対する合祀申請手続の取消手続の請求を棄却し、被告両名に対する各金100万円及び遅延損害金の請求をいずれも認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条、92条本文、93条1項但書を各適用し、仮執行宣言を付さないのを相当として、主文のとおり判決する。

  裁判官 横畠典夫 杉本順市 和田康則

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