加持祈祷事件
第一審判決

傷害致死被告事件
大阪地方裁判所
昭和35年5月7日 第4刑事部 判決

被告人 甲野覚蓮 こと 甲野花子(仮名)

■ 主 文
■ 理 由


 被告人を懲役2年に処する。
 但し、この裁判確定の日から3年間右刑の執行を猶予する。
 訴訟費用は全部被告人の負担とする。

 被告人は尋常小学校を卒業後花火工場の女工をして働いたが、20才の頃鳶職をしていた現在の夫甲野太郎と結婚し、昭和7、8年頃から家計を助けるため夫の働いていた飯場の住込炊事婦をしたり、自宅で一文菓子を売つたりして来たところ、偶々昭和22年頃、自己の心臓病の平癒のため京都市東山区山科所在の真言宗山階派総本山観修寺に参詣したことが契機となつてその信仰者となり、昭和25年8月僧籍に入り、甲野覚蓮なる法名を受け、昭和31年10月頃現住居に子丑山寅卯院(仮名)を割立して同院住職となつたが、その間真言宗信仰方法の一である加持祈祷を修め、右寅卯院において宗教教師として病人等の求めに応じその平癒のため加持祈祷することを業としていた。
 被告人は昭和32年10月初、本件被害者である乙山春子(死亡当時18才)の母乙山夏子及び叔母丙川スミ子等から、右春子が急に異常な言動を示すようになつたのでこれが平癒のため加持祈祷をして貰いたい旨依頼され、その頃約1週間に亘つて同女を自宅に連れて来させ、経文を誦え、じゆずで体を撫でる等して祈祷をなしたが、一向に治癒しそうにないのを見るや、同女には大きな狸が憑いていて容易なことでは落せないので、この上はいわゆる「線香護摩」を焚いて加持祈祷し、狸を追い出すよりほかに方法がないと考え、春子の父乙山秋夫等に線香護摩に用いる線香、塩等を準備させた上、同月14日午前0時40分頃、池田市管原町3093番地乙山秋夫方において、同家8畳、6畳の間を締めきり、8畳の間の中央に護摩台(証第1号)を置き、その中央部に三徳(証第2号)を据え、塩を盛つた鍋(証第3号)をその上にのせて護摩壇をつくり、護摩壇の正面から約半米離れたところに春子を、同女の左右には前記乙山秋夫及び従兄の丁原俊夫を夫々侍らせ、更にその護摩壇の左右に近親者等7名を位置させ、右塩の入つた鍋にいずれも火のついた線香9束を縦横各3列に並べ立て、その上に交互に3束宛9束をのせ、その周囲に次々と線香を立て掛け補充して行く方法で線香を焚きいわゆる「線香護摩」による加持祈祷を始めたのであるが、線香が焚かれて行くについて春子がその熱気のため身をもがき、暴れ出すや、被告人は前記乙山秋夫、丁原俊夫等をして春子の体を取り押さえ、あるいは腰紐、タオル等で同女の手足を緊縛させる等して嫌がる同女を無理に燃えさかる護摩壇の近くに引き据えて線香の火に当らせ、且つ狸が咽喉まで出かかつていると称し、「ど狸早く出ろ」と怒号しながら同女の咽喉部を線香の火で烟らせ、同時に同女の背中を押さえつけ、手で殴る等し、かくして同日午前4時頃まで約3時間に亘り、線香約800束を燃やし尽くしたのであるが、その間被告人及び周囲の者は次第に上昇する熱気と線香の煙とに居堪まらず、銘々その途中で室外に逃れて新鮮な空気に触れ、あるいは休息したのに拘らず、春子に対してはそのような措置をとらせることなく、終始燃えさかる護摩壇のすぐ傍に引き据えたままにしておく等して暴行を加え、そのため同女をして前頸部における長さ9糎巾約4糎の不整形の熱傷をはじめ、全身多数箇所に熱傷及び皮下出血を負わせ、これらの受傷による有害分解産物吸収によるいわゆる二次性シヨツク並びに身体激動による疲労困憊等に基く急性心臓麻痺により、同日午前4時30分頃、同所において死亡するに至らしめたものである。
 被告人の判示所為は刑法第205条に該当するのでその犯情について検討する。本件はいわゆる憑きものに対する俗信が一人の年若い女性を死に到らしめたものである。憑きものが迷信であることは今日健全な社会人にとつては自明のことのように思われるが、世上いわゆる狐憑き、狸憑きあるいは生霊憑き等と称する俗信がいま、なおかなり根強く残つて居り、そのため種々の人権侵害、社会的悲劇が発生している事実は憂慮に堪えない。これら一部の人々の無知を啓蒙するのもさることながら、人の無知と弱さにつけこみこれに寄生する市井のいわゆる「おがみ屋」ないし「おがみや」類似の行為は厳に撲滅排斥されなければならない。被告人の心情は兎も角、本件における行為の外形それ自体は、右の「おがみ屋」の夫れに似たものがありこれを法律上からみても不法なものであることは後段説示するとおりであつて、そのためかけ替のない人の命を奪つた被告人の罪責は決して軽いものとは言えない。しかしながら反面、被告人が本件加持祈祷をするにいたつたのは、被害者乙山春子の両親やその身寄りの者等からのたつての願いによるものであること、被告人が宗教教師としての立場上欲得を離れ、一途に右春子の疾病平癒を希つた上でのことであり、しかも春子に対する暴行は被告人のみによつてなされたものではなく、被告人の明示もしくは黙示の指図によるものであるとは言え、むしろ同女を最も愛する筈の肉親等の手によつて行われたのであつて、同女を死に致らしめた責任の全部を被告人一人のみに負わしめることは酷であると考えられることその他被告人の経歴、日常の生活態度及び被害者の家族等の被告人に対する感情等諸般の情状を斟酌し、結局、所定刑期範囲内において被告人を懲役2年に処し、同法第25条第1項に則り3年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第181条第1項本文に則り全部被告人に負担させる。
[1]一、弁護人は本件において被告人は自己の加持祈祷によつて病気が平癒するものであると確信し、いわゆる三密瑜伽の秘法を修したもので、他人の身体に対し傷害は勿論、暴行を加えようとする犯意もなかつたから責任がない旨主張するが、前掲証拠によると被告人は判示乙山秋夫方8畳の締め切つた部屋において、被告人が自ら若くは立会の者等をして、約3時間という長時間に亘つて線香約800束を焚き、その線香の煙と熱気の立ちこめる中で被害者春子の体を取り押え、あるいは手足を腰紐タオル等で縛つて同女を護摩壇の近くに引き据え、線香の火と煙に当らせたのであるが、この加持祈祷に参加した者は、いずれも線香の煙と上昇する熱気に辛抱できず、銘々、途中でその場を逃れて冷気に触れ、あるいは衣服を脱いで横になる等して休息をとつていることが認められ、又司法警察員作成の昭和33年10月25日付検証調書によると、本件と略々同一の条件の下において線香を焚いて実験を試みた結果によると、鍋の傍ら約半米の位置における熱度は、実験開始後約1時間にして約40度、天井附近において50度余り上昇し、実験に使用した兎は熱気等のため約1時間にして死亡していることが認められ、更に狸が出かかつていると称し「ど狸、早く出ろ」と怒号しながら加持祈祷参加者が被告人の指図に基いて春子の咽喉部を線香の火で烟らせ、同女を押さえつけ背中を殴る等したことが認められる。これら行為が医学上一般に承認された精神異常者に対する治療行為でないことは勿論であつて、被害者春子に対する違法な有形力の行使であることは到底これを否定できないと考えられる。成る程被告人としては右春子が異常な振舞をするのは同女に取り憑いた狸のなせる業であると考え、同女を救いたい一念からその狸を追い払うべき最後の有効適切な手段として本件所為に出たものであることを認め得るが、このことは被告人が迷信によつて自己の行為が客観的には違法な暴行であることにつき価値判断を誤つたに過ぎないものであつて、被告人には刑法上暴行の犯意ありとするに必要な行為の外形事実に対する認識においては何ら欠くるところがなかつたものと言わなければならない。しかしていやしくも暴行の故意がある以上その暴行に因つて生じた死傷につき結果的責任を負うべきは明かであるから、結局被告人の本件所為は傷害致死罪を以て問擬せらるべきものである。
[2] よつて弁護人の前記主張は採用できない。

[3]二、次に弁護人は被告人の本件所為は宗教教師としての正当業務行為であるから、刑法第35条によつて違法性が阻却せられる旨主張するのでこの点につき考えるに、同条は法令又は正当の業務に因る行為のみでなく、社会観念上一般に正当と認められる行為であれば、違法性を阻却する旨のいわゆる実質的違法性阻却事由を規定したものであると解せられるが、ある行為が右の法条によつて違法性が阻却される場合に該当するかどうかは、結局、個々具体的な場合において、当該行為の目的、法益侵害の態様、侵害した法益の価値、程度その他諸般の事情を検討した上、健全な社会通念に照し、行為が公の秩序善良の風俗に反しないものと認められるかどうかによつて決せらるべきものと考えられる。なお憲法第20条は国民の基本的人権の一として信教の自由を保障し、信仰及び宗教行為の自由が圧迫制限されてはならず、これが取扱については国家は人類の過去の経験に照し特に謙虚な態度を持すべきであることは弁護人の主張するとおりである。(従つて例えば禁厭祈祷により災禍を除去し諸願成就を希うことができるものと信じ、これによつて安心立命を得ることができる者があるとするなら、それは宜しくその各人の自由に任すべきであろう。)
[4] しかし、それだからと言つて信教の自由の行使が絶対無制限であるということにはならず、社会共同生活における限界があることを否むわけにはゆかない。信仰又は宗教行為であつてもそれが明かに犯罪を構成するような場合、憲法が信教の自由を保障しようとしているその精神を尊重しつつも、なお当該行為につき刑事上の責任が追及せられることがあるのは事理の当然である。
[5] これを本件について見るに、被告人の所為は被害者春子の精神異常の回癒を祈願するため、線香護摩による加持祈祷の行としてなされたものであるが、既に認定した被告人の加持祈祷の動機手段方法及びそれによつて同人の生命を奪つた暴行の程度等に徴すると、健全な社会人の常識に照らし、著しく公の秩序善良の風俗に反するものがあると言う他なく到底刑法第35条にいわゆる正当な業務行為とは認め難い。よつて弁護人の前記主張はこれを採用しない。
[6] 以上の理由によつて主文のとおり判決する。

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