日本テレビ事件
特別抗告審判決

検察事務官がした押収処分に対する準抗告棄却決定に対する特別抗告事件
最高裁判所 昭和63年(し)第116号
平成元年1月30日 第二小法廷 決定

抗告申立人 日本テレビ放送網株式会社

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官島谷六郎の反対意見

■ 申立人代理人弁護士宮本光雄、同大矢勝美の特別抗告申立書
■ 申立人代理人弁護士宮本光雄、同大矢勝美の特別抗告理由補充書


 本件抗告を棄却する。


[1] 本件抗告の趣意は、東京地方検察庁検察事務官が松原弘に対する贈賄被疑事件について昭和63年11月1日申立人方においてしたビデオテープの差押処分が憲法21条に違反する旨主張するものであり、その主張の骨子は、
(1) 報道の自由の根幹をなす取材の自由は、報道機関が取材結果を報道目的以外には使用せず、また公権力を含む第三者がこれをみだりに利用することもないという国民の信頼に支えられて成り立つものであるから、報道機関の取材結果を捜査機関が押収して捜査目的に供することは、将来における取材の自由を妨げるおそれがある、
(2) いわゆる博多駅事件決定(最高裁昭和44年(し)第68号同年11月26日大法廷決定・刑集23巻11号1490頁)は、憲法上の要請である公正な刑事裁判の実現のために取材の自由が何らかの制約を受けることを肯認しているが、それも報道の自由に関する憲法上の保障を制約してもやむを得ないと明らかに認められる高度の必要性がある場合に限られるべきであり、しかも裁判所による提出命令に関する同決定の基準を捜査機関による差押が問題となる本件に直ちに適用することは許されない、
(3) 同決定は、公正な刑事裁判の実現のために取材の自由が制約されてもやむを得ないかどうかを判断するに当たつて諸要素を比較衡量すべきものとしているが、原決定はこの比較衡量を誤つている、
というにある。

[2] 報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものであつて、表現の自由を保障した憲法21条の保障の下にあり、したがつて報道のための取材の自由もまた憲法21条の趣旨に照らし、十分尊重されるべきものであること、しかし他方、取材の自由も何らの制約をも受けないものではなく、例えば公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある場合には、ある程度の制約を受けることのあることも否定できないことは、いずれも博多駅事件決定が判示するとおりである。もつとも同決定は、付審判請求事件を審理する裁判所の提出命令に関する事案であるのに対し、本件は、検察官の請求によつて発付された裁判官の差押許可状に基づき検察事務官が行つた差押処分に関する事案であるが、国家の基本的要請である公正な刑事裁判を実現するためには、適正迅速な捜査が不可欠の前提であり、報道の自由ないし取材の自由に対する制約の許否に関しては両者の間に本質的な差異がないことは多言を要しないところである。同決定の趣旨に徴し、取材の自由が適正迅速な捜査のためにある程度の制約を受けることのあることも、またやむを得ないものというべきである。そして、この場合においても、差押の可否を決するに当たつては、捜査の対象である犯罪の性質、内容、軽重等及び差し押えるべき取材結果の証拠としての価値、ひいては適正迅速な捜査を遂げるための必要性と、取材結果を証拠として押収されることによつて報道機関の報道の自由が妨げられる程度及び将来の取材の自由が受ける影響その他諸般の事情を比較衡量すべきであることはいうまでもない(同決定参照)。
[3] 右の見地から本件について検討すると、本件差押処分は、被疑者松原弘がいわゆるリクルート疑惑に関する国政調査権の行使等に手心を加えてもらいたいなどの趣旨で衆議院議員楢崎弥之祐に対し3回にわたり多額の現金供与の申込をしたとされる贈賄被疑事件の捜査として行われたものである。同事件は、国民が関心を寄せていた重大な事犯であるが、その被疑事実の存否、内容等の解明は、事案の性質上当事者両名の供述に負う部分が大であるところ、本件差押前の段階においては、松原は現金提供の趣旨等を争つて被疑事実を否認しており、また楢崎も事実関係の記憶が必ずしも明確ではないため、他に収集した証拠を合わせて検討してもなお事実認定上疑点が残り、その解明のため更に的確な証拠の収集を期待することが困難な状況にあつた。しかも松原は、本件ビデオテープ中の未放映部分に自己の弁明を裏付ける内容が存在する旨強く主張していた。そうしてみると、松原と楢崎の面談状況をありのままに収録した本件ビデオテープは、証拠上極めて重要な価値を有し、事件の全容を解明し犯罪の成否を判断する上で、ほとんど不可欠のものであつたと認められる。他方、本件ビデオテープがすべて原本のいわゆるマザーテープであるとしても、申立人は、差押当時においては放映のための編集を了し、差押当日までにこれを放映しているのであつて、本件差押処分により申立人の受ける不利益は、本件ビデオテープの放映が不可能となり報道の機会が奪われるという不利益ではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるという不利益にとどまる。右のほか、本件ビデオテープは、その取材経緯が証拠の保全を意図した楢崎からの情報提供と依頼に基づく特殊なものであること、当の楢崎が本件贈賄被疑事件を告発するに当たり重要な証拠資料として本件ビデオテープの存在を挙げていること、差押に先立ち検察官が報道機関としての立場に配慮した事前折衝を申立人との間で行つていること、その他諸般の事情を総合して考えれば、報道機関の報道の自由、取材の自由が十分これを尊重すべきものであるとしても、前記不利益は、適正迅速な捜査を遂げるためになお忍受されなければならないものというべきであり、本件差押処分は、やむを得ないものと認められる。
[4] 以上のとおり、所論は、博多駅事件決定の趣旨に徴して理由がなく、これと同旨の原決定は相当である。

[5] よつて、刑訴法434条、426条1項により、裁判官島谷六郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。


 裁判官島谷六郎の反対意見は、次のとおりである。

[1] 本件は、「公正な刑事裁判の実現」と「報道の自由」との接点における重要な問題を提供する。この点については、先例として当審大法廷のいわゆる博多駅事件決定(昭和44年(し)第68号同年11月26日大法廷決定・刑集23巻11号1490頁)が存在する。同決定の判示は今日なお踏襲すべきものであり、検察事務官による差押が問題となる本件においても同決定の判示が基本的に妥当すると考える点においては、私も、多数意見と立場を異にするものではない。しかし、多数意見が本件ビデオテープの差押が許されるとの結論を導いている点については、たやすく賛同することができない。

[2] 博多駅事件決定は、取材結果を刑事裁判のために押収することの可否に関し、
「一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。」
と判示し、一般的な判断基準を示している。そこで、以下、右の基準に即して本件につき検討を加えることとする。

[3] まず、公正な刑事裁判を実現するための必要性の点であるが、博多駅事件決定においては、事件当日同駅に集合した多数の学生と警備のための多数の警察官のなかから、付審判請求事件の被疑者とされる警察官及び被害者である学生を特定することすら困難であつたため、現場の模様を撮影したフイルムにつき提出命令を発することが許容されたのであつて、右フイルムは、事案の解明のためにほとんど必須のものであつたと考えられるが、これに対し、本件贈賄被疑事件においては、既に金員の提供者とその相手方及び行為の日時、場所、態様は特定しており、ただ金員提供の趣旨等について争いがあつたというのにすぎないのであつて、本件ビデオテープ差押の必要性は、博多駅事件決定の場合に比べ、格段の差異があるのである。
[4] 次に、報道の自由、取材の自由に対する弊害の点であるが、報道機関が取材結果を報道目的以外に使用するときは、将来における取材活動に他者の協力を得難くなるおそれがあり、場合によつては妨害を受けるおそれさえなしとしないであろう。取材結果が捜査機関によつて差し押えられ捜査目的に使用されることも、また同様の契機をはらむものであり、将来の取材活動に支障を来すおそれを生ぜしめることは、見やすい道理である。確かに、取材活動への支障は、将来の問題であつて眼前に差し迫つた不利益ではないかもしれない。しかし、憲法21条に基礎を置く取材の自由の本質に照らし、この点を過小評価することは、相当ではないと思われる。また、本件ビデオテープの取材経緯には、原決定指摘のような特殊な事情があるようであるが、しかし、報道機関の取材結果を押収することによる弊害は、個々的な事案の特殊性を超えたところに生ずるものであり、本件ビデオテープの押収がもたらす弊害を取材経緯の特殊性のゆえに軽視することも、適当ではないように思われるのである。更に、本件ビデオテープには未放映部分が含まれているが、右部分は、記者の取材メモに近い性格を帯びており、その押収が前記弊害をいつそう増幅する傾向を有することにも十分留意する必要がある。
[5] このように、本件における公正な刑事裁判の実現のための必要性と報道の自由に対する弊害とを比較衡量するとき、博多駅事件の場合とは異なり、必ずしも前者を優先せしめるべきであるとは考えられない。

[6] 公正な刑事裁判の実現とそのための適正迅速な捜査処理が国家の基本的な要請であることは、いうまでもない。しかし、その要請も、報道の自由、取材の自由の保障との関係において、時には抑制されなければならない場合が存在するのであつて、本件は、まさにそのような場合である。博多駅事件決定が示した判断基準は、厳格に運用すべきものと考える。

(裁判長裁判官 奥野久之  裁判官 牧圭次  裁判官 島谷六郎  裁判官 藤島昭  裁判官 香川保一)
一 原決定を取り消す。
二 東京地方検察庁検察事務官永井栄次らが、昭和63年11月1日東京都千代田区二番町14番地申立人日本テレビ放送網株式会社において、別紙目録記載の物件についてなした押収処分を取り消す。
との裁判を求める。
[1] 原決定は、憲法21条に違反し若しくはその解釈を誤つた違法なものであるから、刑訴法434条、426条2項により取り消されるべきである。
[2] 憲法21条が保障する「言論、出版その他一切の表現の自由」の中に、「報道の自由」が含まれることは今日学説上異論をみないばかりか、貴裁判所の判例(昭33・2・17大法廷決・刑集12・2・253、昭44・11・26大法廷決・刑集23・11・1490)とするところである。
[3] わけても、報道機関による報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものとして憲法21条の保障の下にあることは、いわゆる博多駅事件に関する前記昭和44年11月26日の貴裁判所の大法廷決定(以下特に断らない限り本決定を「最高裁決定」という)が重ねて明言するとおりである。

[4] 報道機関が事実を報道するに当たつては、必ずその前提として報道すべき事実を取材し、これを編集し公表するものである。その点において、事実の取材を必ずしも伴うとは限らない思想の表明としての表現の自由とは内容を異にする。
[5] ところで、報道の自由が、前述の如く国民の「知る権利」に奉仕するものとして憲法21条の保障の下にあることからすれば、その報道は正しい事実を国民に知らせるものでなければならないことはいうまでもない。
[6] 正しい事実を国民に伝え知らせるについては、公権力の干渉を受けることなく自由に正しい事実を取材出来ることが最低限必要となることは自明の理である。
[7] すなわち、報道の自由は、取材の自由の保障によつてはじめて憲法21条による実質的な保障を与えられることになる。
[8] 取材の自由の保障のないところに「報道の自由」はそもそも成り立ち得ないのである。
[9] このようにみてくれば、報道機関による報道が、民主主義社会において、国民に国政関与のための重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものとして憲法21条によりその保障を受けている以上、国民の判断の資料となるべき「事実を取材する自由」も又報道の自由の内容として憲法21条の直接的な保障の下にあると解すべきである(伊藤正己外「刑事司法と報道の自由」ジユリスト439号24頁)。
[10] ここにいう取材の自由とは、報道機関の取材行為が公権力の介入ないし干渉を受けないということである(最高裁判所判例解説・刑事編昭和44年度418頁~421頁)。

[11] ところで、前記最高裁決定は、
「報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない」
と述べ、「報道の自由」については憲法21条の保障のもとにあるとしているのに対し、「取材の自由」については同条の精神に照らし十分尊重に値するものと表現し、両者間ではその保障の程度に差異があることを示しているかの如くに判示している。もし差異があるという趣旨なら、「取材の自由」について最高裁決定が右説示の如く高い保障を認めながら、なお憲法21条により保障された「報道の自由」にこれを含ましめないのは画竜点晴を欠く恨みなしとしない。

[12] 取材の自由が憲法21条の保障する報道の自由に含まれると解した場合はもちろん、前記最高裁決定が説示する如く、取材の自由は同条の精神に照らし、十分尊重に値いする法益と理解した場合であつても、その取材の自由の内容に将来の取材の自由が含まれることは多言を要しない。
[13] 何故なら、憲法21条によつて保障された報道の自由は、その前提となる取材の自由が憲法21条により等しく保障され、或いは憲法21条の精神に照らし十分に尊重されることによつてはじめて実質的意味を持ち得ることは前述したとおりであるところ、取材の自由の内容が、現に行いつつある取材活動に対し公権力の介入を受けることがないというだけのものにとどまり、将来の取材活動に支障を及ぼす虞れのある公権力の介入からの自由を含まないと解するなら、報道機関の将来の報道の自由は閉塞されることになるからである。
[14] そして重要なことは、報道機関にとつて、将来の取材活動に支障を及ぼす虞れのある公権力の介入は、現に行いつつある取材活動への公権力の介入以上に報道の自由に深刻な影響を及ぼすということである。
[15] すなわち、現に行いつつある取材活動が公権力により阻害され、その結果事実を取材できず、これを国民に伝え知らせることが出来なくなれば、それ自体由々しき事態ではあるが、ひつきよう当該事実のみが報道できなくなつたというにとどまるに対し、将来の取材活動に支障を及ぼす公権力の介入があつたときは、特定の事実の報道不能という事態にとどまらず、より不特定かつ広汎な事実の報道不能が危惧され、かくては報道機関の存立そのものがあやうくなる虞れなしとしないからである。
[16] 従つて、将来の取材の自由は、現在の取材の自由に優るとも劣らない重大な法益とみなければならない。
[17] 報道の自由の根幹をなす取材の自由は、報道機関が取材結果を報道目的以外に使用することはなく又濫りに公権力を含む第三者に利用されることはないという国民の信頼若しくは共通の認識に支えられてはじめて成り立ち得るものである。
[18] 取材のための権利を何ら与えられていない報道機関が、国民の「知る権利」に奉仕するという民主主義社会における極めて重要な役割を現に果し得ているのは、正に国民の右の如き信頼若しくは共通の認識に支えられているからに外ならない。
[19] この意味において、取材結果は報道目的以外には使用しないという報道機関の自主的判断は、将来の取材の自由を確保する点において「報道の自由」それ自体の内容をなすものであるといわねばならない。

[20] 従つて、報道機関の意に反し、取材結果が安易に捜査機関の手によつて捜査のために使用されることになれば、報道機関に対する前記国民の信頼が損なわれ、若しくは共通の認識は雲散無消して、報道すべき事実すら取材できないという将来の取材の自由を妨げる虞れが生ずることは否定できないところである。
[21] そして、この将来の取材の自由を妨げる虞れは、前述したような「報道の自由」という極めて重大な法益に対する侵害の危険性であり、これが現実化したときはもはや報道の自由はないといえることから、右の如き抽象的危険の発生のみをもつて「報道の自由」は侵害されたというべきである。
[22] 換言すれば、捜査機関による押収処分と報道の自由の侵害との関連性が立証されなくても、侵害の虞れがあるものは禁止しておくのが報道の自由の憲法的保障の趣旨とみなければならない(伊藤正己外・前掲書24頁)。以上に述べたところによれば、報道機関が報道目的のために取材した結果を捜査当局が押収し、これを捜査目的に供することは、憲法21条に違反し許されないというべきであり、これを合憲と判断した原決定は憲法21条に違反するものというべきである。
[23] 公正な刑事裁判の実現という憲法上の要請は、実体的真実の追求により充足されるものであることは多言を要しない。
[24] しかし、そのような憲法上の要請を充足するためのものであつても、その手段は絶対無制限のものとは考えられない。何故なら、刑事訴訟法自身が刑事裁判手続の中において証言拒絶権(刑訴法144条、145条、149条等)を認めて裁判手続における実体的真実の追求を限界付けているからである(松尾浩也「刑事訴訟の原理」235頁)。
[25] かように刑訴法に明文の規定が設けられていない場合においても、刑事裁判における実体的真実の追求が、憲法によつて保障される他の利益と衝突するときは、両者の利益の調和の上にのみそれが許されるというべきである(前掲判例解説417頁)。
[26] そして衝突する他の利益が「報道の自由」である場合においては、「報道の自由」が民主主義社会において極めて重要な役割を果している点に鑑み,「報道の自由」に対する憲法上の保障を制約しても已むをえないと明らかに認められるだけの高度の必要性がない限り、実体的真実の追求はその限度にとどまるべきであり、公正な刑事裁判の実現もその範囲で行われるべきものである。
[27] 右の点に関し、前記最高裁決定は次の如く説示している。
[28]報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。」
[29]しかし、取材の自由といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。
[30] 本件では、まさに、公正な刑事裁判の実現のために、取材の自由に対する制約が許されるかどうかが問題となるのであるが、公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によつて得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなつてもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによつて受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。」
[31] 右決定は、付審判請求事件とはいえ、刑事裁判手続において裁判所が行つた報道の自由への制約に関するものであつて、本件の如く捜査段階における捜査機関による押収について直ちに適用しうるものではない。
[32] 原決定は、捜査機関による押収と報道の自由について次の如く説示している。
[33]右のような報道・取材の自由も、これと対比しうべき他の重要な国家的・社会的法益等との権衡上、ある程度の制約を受ける場合があり得ることは、これを否定することができない。いわゆる博多駅事件に対する右最高裁決定が、報道機関の取材の自由につき、『公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けること』があるのもやむを得ない旨判示するところは、その基本的な考え方において、本件にも妥当するものというべきである。
[34] ただ、本件は、捜査機関が主体となつて行つた差押処分であつて、裁判所が提出命令を発した右博多駅事件とは異なるが、適正・迅速な捜査は、刑事訴訟手続における実体的真実の発見、ひいては、公正な裁判の実現という憲法上の要請を満たすための不可欠な前提となるものであるから、たとえ、捜査機関が行う差押処分であつても、裁判所が発する提出命令の場合と本質的な差異はないというべきである。」
[35] 右説示からすれば、原決定は、適正・迅速な捜査は、公正な裁判の実現という憲法上の要請を満たすための不可欠な前提となるものであるとしたうえ、これを重要な国家的・社会的法益と捉え、これとの権衡上報道の自由がある程度制約されることについては、その主体、方法が捜査機関による押収処分であれ、裁判所の提出命令であれ本質的に差異ないとの見解に立脚していることは明らかである。

[36] しかし、右判断は、「報道の自由」が憲法により保障されているという趣旨を正解していない。
[37] すなわち、「報道の自由」が憲法により保障されているという趣旨は、いかに国家的・社会的に重要な法益が「報道の自由」の制約を必要としたとしても、その法益が憲法上保障されているものでない限りこれを許さないという点に意味があるのであつて、原決定の如き解釈をすれば、およそ憲法による保障は無意味に帰する。前記最高裁決定が、取材の自由の制約されうる場合の例として、「公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるとき」と説示しているのは右の点を考慮したからに外ならない。
[38] 刑事裁判手続における実体的真実の追求という憲法上の要請と、いかに不可欠とはいえその前提となるにすぎない適正・迅速な捜査とが同じ価値をもつた法益として報道の自由を制約しうるとは到底考えられない。
[39] もともと刑訴法の理念とする実体的真実の追求は、捜査機関による捜査が適正であつたか否か、提出された証拠が適法なものであるか否かも含め、制度的には裁判所の審理を通じて行われるものである。
[40] 従つて、右の審理を通じて裁判所が、報道機関のビデオテープを、公正な裁判の実現という憲法上の要請を充たすために必須と判断した場合の提出命令の合憲性と、捜査機関が自らの判断として捜査に必要であるとして押収した場合の合憲性の判断が同一基準でなされるという原決定の判断は誤りという外はない。
[41] このことは、例えば本件押収にかかるビデオテープを裁判所が証拠として採用しないという可能性もあることからしても明らかである。

[42] そうであるとすれば、裁判所の提出命令に関する前記最高裁決定の判断基準を本件にそのまま適用することは到底許されず、むしろ、本件においては、「将来の取材の自由」という憲法上の高度の法益を侵害する虞れが生じても已むを得ないと客観的に認められる程に明白且高度の捜査の必要性が証明されてはじめて、前記押収処分を適法と認めるべきである(別冊ジユリスト「マスコミ判例百選・鈴木茂嗣・報道の自由と公正な裁判」)。
[43] このように理解すれば、右のような高度の必要性もないのに、申立人に対し、本件押収処分を「報道の自由」の制約として受忍すべきであつたとする原決定の判断は、憲法21条の解釈を誤りひいては憲法21条に違反するものといわねばならない。

[44] 原決定は、前記最高裁決定の比較衡量論を前提としても、憲法21条の解釈を誤つたものである。

1 比較衡量論の趣旨及び内容
[45](一) 最高裁決定は、公正な裁判の実現という憲法上の要請のために、取材の自由がある程度制約されても已むを得ないかどうかを判断するに当たつては、刑事裁判上の事由として、「審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重(略)取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたつての必要性の有無」を挙げ、一方、報道機関側の事由として、「取材したものを証拠として提出させられることによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合」と「その他諸般の事情」とをあげ、これらの事由を比較衡量して決せられるべきである旨説示する。
[46] そして、右事件の場合、「犯罪の性質、態様、軽重」については、「多数の機動隊員等と学生との間の衝突に際して行われたとされる機動隊員等の公務員職権乱用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否にある」とし、「証拠としての価値、必要性の有無」については、「被疑者および被害者の特定すら困難」であり、「第三者の新たな証言はもはや期待することはでき」ないとしたうえ、したがつて、報道機関のフイルムは「証拠上きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須」であると説示している。
[47](二) 「証拠としての価値、必要性の有無」に関する最高裁決定の説示は、単に、実体的真実を追求するうえで価値がある、必要性がある、というだけで取材の自由を制約する積極的な理由となり得るとの趣旨とは到底解されない。
[48] 最高裁決定の「きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須」との具体的説示を考慮すると、最高裁決定は、「証拠としての価値、必要性の有無」に関しては、単に、実体的真実を追求するうえで価値がある、必要性がある、というだけでは取材の自由を制約する積極的な理由とはなり得ず、「きわめて重要な価値」、「罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須」な場合、又は、それと同程度に評価できる価値、必要性のある場合にのみ取材の自由を制約できる、と判断しているものと解すべきである。
[49] 何故なら、ここにおける議論は、取材の自由をどのような場合制約できるかというものであるから、少しでも「価値がある」、少しでも「必要である」場合は制約できるという議論は、「報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない」との最高裁決定の前半部分の判断に明白に反することになるが、同決定がこのような矛盾を犯しているとは到底考えられないからである。
[50] 問題は、どの程度価値があり、どの程度必要であれば、取材の自由が制約できるかであり、これにつき最高裁決定は、「きわめて重要な価値」、「罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須」の場合、又は、それと同程度に評価できる場合にのみ取材の自由を制約する積極的な理由となり得ると判断していると解するのが合理的である(松尾浩也・前掲書242頁はこれを「補充の原則」と指摘している)。

2 本件における捜査機関側の事情
[51](一) ところで最高裁決定の「罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須」との基準に従い本件を検討すると、本件ビデオテープは、松原の罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須とは、到底いいえないこと明らかである。
[52] すなわち、8月4日、25日の賄賂供与の申込については、本件の如きビデオテープが存在しないまま起訴されているのである。
[53] 本件公訴事実は、起訴状から明らかなとおり、「8月4日頃、金100万円」、「8月25日頃、金100万円」、「9月3日頃、金500万円」の各供与申込であるところ、8月4日頃および8月25日頃のものについては本件の如きビデオテープが存在しないにもかかわらず起訴の対象となつている。そして、松原は、いずれの日についても現金持参供与申込の事実は認め、その趣旨を争つているにすぎないというのであるから、これらのうち、9月3日の行為についてのみ、その罪責の有無を判定するうえで本件9月3日分のビデオテープが必須のものであつたということはできないし、又本件ビデオテープ撮影以前である8月4日頃、8月25日頃の行為の罪責の有無を判定するうえで9月3日分のビデオテープが必須のものであつたということもできない。まして、8月30日分の本件ビデオテープは、右起訴にかかる日の行為を撮影したものでは全くないのであるから、松原の行為の罪責の有無を判定するうえで必須のものであつたということは到底できないのである。
[54] 翻つて考えると、そもそも本件捜査の端緒となつた告発は、前記公訴事実に記載された各犯罪の実行日より1ケ月余りの間になされ、この間楢崎弥之祐議員(以下「楢崎」という)は告発に備えて詳細なメモ等の資料を準備し、弁護士とも協議を尽くしている。
[55] そして捜査の結果がどうであつたかといえば、その詳細は知り得ないとしても、少なくとも公訴事実にかかる日時に、松原が楢崎宛現金を持参したこと及びその額はすでに認めているところであるから、本件の核心を成す現金供与申込の趣旨については、その前後の同議員のリクルート疑惑についての調査活動の内容、目的、対象及び右事件以前においてリクルート社が同議員のパーテイー券購入を断りながら、同議員の追及が始まつた直後に松原が現金を持参し「会社をお助け下さい」といつたことなど他の各種証拠により、充分究明しうることであつて、本件ビデオテープ(公訴事実とは関係のない8月30日分はもとより9月3日分についても)以外にこれを明らかにしうる証拠はないという状況では全くなく、現に8月4日、25日はビデオテープがないまま起訴の対象となつていること前述のとおりである。
[56](二) しかるに、原決定は、「松原に関する罪責の有無・内容を判定するうえで原本であるマザーテープの取り調べが、必要・不可欠であつた」と判断した。
[57] 原決定が右判断の理由として列挙した事情は、次の如きものである。
(イ) 同事件は、その罪質上、密室性が強い。
(ロ) 被疑事実の存否・態様の解明は、贈賄の申込をしたとされる松原と、その相手方たる楢崎の供述に負うところが大である。
(ハ) 松原は、現金提供の趣旨を含む重要な諸事実につき、種々弁解して賄賂の申込を否定している。
(ニ) 松原の勤務先関係者等も、取り調べに対して必ずしも協力的でない。
(ホ) 楢崎は、本件告発事実の大綱については、明確に供述しているものの、松原との接触時及びその前後の状況等について記憶するところは、必ずしも正確とはいいがたい。
(ヘ) その際における松原の発言は、ことさら曖昧で抽象的な表現を用いている。
(ト) 松原は、本件差押前の段階において、未放映部分に自己の供述を裏付ける有利な録画部分が存在しているはずである旨、捜査官に強調していたことが窺われる。
[58] しかし、原決定が列挙した右の諸事情は、最高裁決定の「被疑者および被害者の特定すら困難」であり、「第三者の新たな証言はもはや期待することはでき」ないことから、当該フイルムが証拠として必須であるとの事情(補充の原則)と全く質的な異なつた、単に捜査を完璧にするための事情を挙げているにすぎないのである。
[59] (イ)の事情については、同事件は部屋のなかで行われたというだけで密室性が強いということはできない。
[60] 同事件が対向犯として松原、楢崎双方に嫌疑がかけられたのであれば密室性が強いといえるが、楢崎は、当初から収賄の嫌疑をかけられることを避けるべく行動し、かつその結果として松原を告発するに及んでいるのであるから、その実質は通常の犯罪と変わるところがない。
[61] (ロ)および(ハ)の事情については、松原は現金提供の事実を認めているのであり、被疑事実の存否・態様、現金提供の趣旨等については、株式会社リクルートコスモス社における取締役社長室長兼監査室長たる松原の地位、立場、衆議院予算委員会委員たる楢崎の地位、立場、その他「リクルート問題」の全体的経過等に関し、多数の証拠が存するものと推認されるから、本件は、松原と楢崎の供述に負うところ通常の事件より大とはいえないし、また被疑者が種々弁解するのは、通常の事件と同様である。
[62] (ニ)の事情も通常の事件と同様である。
[63] (ホ)の事情については、「楢崎は、本件告発事実の大綱については、明確に供述している」のであるから、「本件告発事実の大綱」に係わらない瑣末の部分について記憶が必ずしも正確でないという事情は、ひつきよう本件ビデオテープによりその瑣末な部分の記憶を補完するというにすぎず、正に捜査の完璧を図る必要性を述べているのである。
[64] (ヘ)の事情は、本件が松原の供述に負うところが大でないことを意味するものであり、(ト)の事情については、松原の弁解を予め封じておく必要があるというにすぎずこれも捜査の完璧を期する必要性を述べているのである。
[65] 以上に検討したところによれば、原判決が掲げる事由は、そのいずれをとつても、又これらを総合して判断しても、本件ビデオテープが松原の「罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須」のものとは到底言えないこと明らかである。
[66](三) 原決定が、一見、最高裁決定の説示に準じて比較衡量の基準を設け、これに従い判断しているが如くでありながら、最高裁決定の趣旨と全く相反する結論を下すに至つたのは、結局、最高裁決定が、「罪責の『有無』を判定するうえに、ほとんど必須」と述べているのに対し、原決定が「罪責の有無・『内容』を判定するうえで不可欠」と判示し、比較衡量の基準に「罪責の内容」を加えたことに帰する。
[67] 「罪責の内容」なる概念は、解釈次第でいかようにも広がる。従つて罪責のどのような内容の判定に必須不可欠であるかが明確にされていない限り、捜査機関の解釈次第で、捜査をすすめるにつき価値がある、必要性があると判定したものはほとんど「罪責の有無・『内容』を判定するうえで不可欠」ということに帰着してしまうのである。
[68] たとえば、原決定は、本件ビデオテープが「罪責の有無・内容を判定するうえで必要・不可欠」である事情の一として「楢崎は、本件告発事実の大綱については、明確に供述しているものの、松原との接触時及びその前後の状況等について記憶するところは、必ずしも正確とはいいがたい」との事情をあげている。最高裁決定が、このような事情を証明するための証拠を「罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須」と想定していたとは到底考えられない。しかし、原決定の論理によれば、告発事実の大綱とは関係のない「松原との接触時及びその前後の状況等」も「罪責の内容の判定」に関係するものであり、これらについての楢崎の「記憶するところは必ずしも正確とはいいがたい」ので、正確を期し、捜査の完璧を期すためには、本件ビデオテープは必要・不可欠である、ということになるのである。
[69] しかし、このような論理は、最高裁決定の「取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない」との判示と著しく相反するものである。
[70](四) なお、原決定は、何等触れていないが、本件ビデオテープが隠滅毀損される虞れがあるかどうかという点については、松原の被疑事件が広く社会的関心を集めている事件であること、申立人においてすでに一部放映していることを考慮すれば、申立人において隠滅毀損する虞れは報道機関の中立的性格に照らし絶無といつてよい状況にある。

3 報道機関側の事情
[71](一) 本件押収処分により、報道機関がうける将来の取材の自由に対する影響の重要性については既に一、二において詳述したとおりである。
[72] しかるに、原決定は、何等の理由を付することなく、
「今後の取材活動に関しては、本件と同種形態の事例についてはもとより、それ以外の形態の場合についても、本件差押処分によつてもたらされるであろう、将来における取材の自由に対する障害の程度は、さして大きいものとは考えられない」
と説示する。不当といわざるを得ない。
[73](二) さらに、本件において看過しえないことは、本件押収処分の対象となつたビデオテープ4巻は、8月30日及び9月3日に議員宿舎で撮影されたテープそれ自体で未編集のもの(以下「マザーテープ」という)であり、しかも一部(9月3日分)は差押時において未放映であつたという点である。
[74] 放送局の場合、放映に当たつては、通常撮影してきたマザーテープをもとに、放映に必要な時間及び番組内容等に即して必要とされる映像部分のみをダビングしてこれに字幕(スーパーインポーズ)を入れるなどして放映用のビデオテープを作成する。
[75] 右のマザーテープから放映用のテープを作成する作業を放送局においては一般にテープの編集と呼んでいるが、右作業過程から明らかなとおり、マザーテープは、将来の放映用テープ制作のための基本となるものであり、その意味において放送局にとつては、「報道の自由」それ自体の内容をなすものである。
[76] 最高裁決定は、取材の自由がある程度制約されても已むをえない理由の一つとして、右事件において押収されたフイルムが、放送局の撮影したネガテイブフイルム(本件においてはビデオであるから、マザーテープがこれに該当する)ではなく、これから焼き直され、放映のために準備されたもの(本件においては編集されたテープがこれに該当する)であることを挙げているが、その趣旨は、結局右のネガテイブフイルムを差押えられれば、報道の自由そのものに影響を及ぼすことを考慮したものであることは贅言を要しない。
[77] 本件においては、放映のために準備された編集済のテープではなく、マザーテープそれ自体が差押えられたのであつて、差押後に9月3日分の一部の放映が可能であつたのは、申立人が独自にマザーテープをダビングし、放映用のテープを有していたからにすぎず、マザーテープが押収された今日、将来の放映に重大な支障が生ずる虞れが生じたことは否定できない。
[78] マザーテープそれ自体の差押は、右の点において申立人の報道の自由それ自体を侵害する危険性を内包するものであつた。
[79] しかるに原決定は、8月30日撮影分については放映済、9月3日撮影分については、差押当日放映したことのみをもつて、何ら報道機関に不利益が生じないが如く述べ、将来の放映に重大な支障が生ずる虞れがあつたことを全く看過しているのである。
[80](三) なお、取材源の秘匿に関し、申立人は、「取材源の秘匿は本件における取材の自由とは直接関係はない」と述べているのにかかわらず、原決定は、本件ビデオテープ撮影に至る経緯を述べ、「本件ビデオテープの差押による、報道機関と取材源との間における信頼関係破壊のおそれは、何ら問題にする余地がない」とし、あたかも将来の取材の自由に支障が生じないかの如く説示している。
[81] しかし、テレビ局においては、国民にテレビを通じて取材内容を放映することにより事実をありのままに伝え知らせることを報道の主たる内容とするのであるから、国民は、その画面をみることにより通常どこで、何を或いは誰を撮影したかは充分知り得るのである。
[82] これを被取材者からみれば、撮影されることを了解した以上、その撮影された内容がテレビを通じ広く報道されることを当然予測してこれを了解したものとみるべきであるから、取材源の秘匿はその限りにおいては問題とならない。
[83] 本件の場合取材対象は楢崎と松原両名の会話、特に松原の言動に向けられているのであつて楢崎は自らの宿舎内における撮影を了解した一方当事者にすぎないのであるから、楢崎の意向がどうであれ、それが将来の取材の自由に支障が生じないことの根拠とは全くならないのである。

[84] これまで述べたところによれば、
[85](一) 本件ビデオテープ4巻の押収により、報道機関たる申立人は、取材結果は報道目的以外には使用しないという自由を制約されたことにより、少なくとも、将来の取材の自由を妨げられる虞れが生じたという不利益を蒙つたことは否定できない。
[86] そして、将来の取材の自由を妨げられる虞れは、報道機関にとつてその死命を制する程に重大な不利益であることは前記一、4で述べたとおりである。
[87](二) 一方捜査機関にとつて、本件ビデオテープが、松原の罪責の有無を判定するうえにほとんど必須のものとは到底認められず、かえつて前記五、2、(二)において検討したところによれば、単に捜査の完璧を期する点において必要があつたというにすぎないのである。
[88](三) 以上の(一)、(二)を比較衡量すれば、申立人が右(二)の如き捜査機関の単なる必要性のために(一)の如き重大な不利益を受忍しなければならない理由は全くないこと明白である。

[89] そうである以上前記(一)の不利益を受忍の範囲内とした原決定は、憲法21条の解釈を誤り、ひいては憲法21条に違反するものである。

[90] 以上のとおりであるから、原決定は憲法21条に違反するものとして取り消しを免れず、同押収処分も取消しを免れないものである。
一、ビデオテープ 2巻

 昭和63年8月30日、東京都港区赤坂2丁目17番10号衆議院赤坂議員宿舎において、松原弘が衆議院議員楢崎弥之祐に接触した状況を撮影したもの。

二、ビデオテープ 2巻

 昭和63年9月3日、東京都港区赤坂2丁目17番10号衆議院赤坂議員宿舎において、松原弘が衆議院議員楢崎弥之祐に接触した状況を撮影したもの。
[1] 被告人松原弘に対する贈賄被告事件につき、東京地方裁判所刑事第7部は、昭和63年12月20日、検察官が押収中の本件ビデオテープ4巻を、その任意提出を受けて領置したが、右領置により検察事務官のなした本件押収処分が当然に失効すると解すべき法律上の根拠はなく、むしろ右領置と本件押収処分は別個に併存していると解すべきであるから、右領置により本件特別抗告の利益が喪われたとはいえない。
[2] 以下その理由を詳述する。

[3] 本件のように、捜査機関が同一事件につき押収した物件を検察官が証拠物として裁判所に提出した場合の法律関係については、次の3説がある。
(イ) 提出によつて当然にその物件の保管が裁判所に移り、検察官と被押収者との間の押収関係が裁判所と被押収者との間の押収関係に移行するとみる考え方(横井・新刑訴逐条解説III79頁、滝川=平場=中武・刑訴コンメンタール416頁、小野=横川=横井=栗本・ポケツト刑訴194頁)
(ロ) 裁判所は留置の必要があるかぎりその物件を領置すべきであり、この領置によつて、検察官と被押収者との間の押収関係が消滅し、裁判所と被押収者との間の押収関係が発生するとみる考え方(昭和24・2・23最高裁刑事局長経理局長通達─最高裁事務総局編・刑事手続法規に関する通達質疑回答集238頁、足立・実務講座2巻313、315頁)
(ハ) 裁判所の領置によつて検察官と被押収者との間の押収関係と裁判所と検察官との間の押収関係とが併存するにいたるとみる考え方(平野・判例タイムス2号38頁、熊谷外・捜査法大系III174頁、戸田・最高裁判例解説刑事編昭和30年度339頁)

[4] (イ)説については、裁判所による領置を観念する方が新刑訴の当事者主義の構造に適合するし、そのような訴訟構造を前提としたうえでその物件に対する押収の諸関係をはつきりさせる利益があるとの正当な批判(戸田・前掲書338頁、平場外・注解刑事訴訟法中巻605頁、平野・前掲書38頁)があり、現在同説を支持する学説、判例はない。
[5] 本件においては、証拠物たるビデオテープは領置されているから(イ)説は問題とならない。
[6] そこで(ロ)説又は(ハ)説のいずれを正当とすべきであるかを検討するが、この点に関する貴裁判所の判例はない。その理由を推測すれば、この問題はこれまで裁判所が領置した物件を誰に還付ないし仮還付すべきかというもつぱら事務処理手続の面から論じられていたからであろうと思われる。
[7] このような面から論ずる限り、(ロ)の失効説によると(ハ)の併存説によると、結果として当初の被押収者に物が戻るという点において差異はなく、そのために貴裁判所の判断を仰ぐまでにいたらなかつたものと思われる。
[8] しかし、本件においては、右のいずれの説をとるかは、訴訟要件の存否という裁判の根幹に直接影響を及ぼすことになる。
[9] (ロ)説又は(ハ)説のいずれを正当とするかは、正に右の訴訟要件の存否についてどれだけ妥当性のある合理的な結論を導き出しうるかという観点から決せられるべきであつて、これまでのような事務処理手続の便宜の観点からその当否を判断すべきものではない。
[10] このような観点から以下検討する。

[11] (ロ)説は、昭和24年2月という現行刑訴法施行直後の前記行政通達をほとんど唯一の根拠とするものである。同通達は、
「検察官が押収中の証拠物を裁判所が領置した場合は、検察官の押収は失効するものと解すべきであるから、還付、仮還付等は直接差出人等にすればよい」
と述べている。
[12] 留意すべきことは、右通達はもつぱら還付事務のみを念頭に置いているということである。
[13] 内容をみると、その趣旨は、還付、仮還付等は裁判所職員が直接当該物件の所有者、所持者又は保管者にすればよいというものであつて、裁判所が検察官の押収物を領置した場合、検察官の押収は失効するとの解釈は、たんに右取扱いが可能であることの理由となつているにすぎない。そのためか、裁判所の領置により検察官の押収処分が何故失効するのか、その根拠については全く触れるところがないのである。
[14] 右通達が還付等の手続の簡便さを図つたもの(果してそのとおりになつているか否かについては後述する)と理解する限りにおいては、その理由となつている押収処分の失効について、その根拠を深く検討する必要はない。
[15] しかし、本件のような訴訟要件の存否という面から右の失効論をみると、その当否は甚だ疑問である。
[16] 第一に、(ロ)説によつても、検察官の押収と裁判所の領置(検察官が押収によつて保管している物件を任意提出し、裁判所が押収する)とは、別個独立の押収処分とされているのであるから、領置がなされたからといつて、これと全く別個独立の処分である検察官の押収処分が当然に失当すると解すべき法律上の根拠はない。
[17] もとより、検察官の押収は、当該審級において裁判所に証拠物として提出するために行われるものではあるが、だからといつて右押収が裁判所の領置によりその目的を達して当然に消滅すると解すべき積極的な理由は見当らないし、そのように解する必要性もない。検察官が押収物を任意提出したとしても、すべて領置されることにはならず、領置されないまま証拠調を終えて直ちに提出者(この場合検察官)に返還されることもあるが、この場合も押収はその目的を達しているにもかかわらず証拠調済みであるからといつてその押収処分が失効するものでないこと明らかだからである。
[18] しかも、失効すると解さなければ実務上不都合が生ずるというものでもない。
[19] 第二に、(ロ)説によれば、領置により当該物件の占有関係は、新たに裁判所と当初の被押収者との間に設定されるというのであるが、右のような解釈は、刑訴法101条の明文の規定に反する。
[20] すなわち、同条によれば、裁判所の領置は、被告人その他の者が遺留した物を除き、所有者、所持者若しくは保管者が任意に提出した物に対してのみ可能であるところ(だから令状を不要としている)、当初の被押収者は、検察官に対してはもとよりのこと、裁判所に対しても、当該物件を任意に提出したものでないこと明らかであるから、裁判所が領置したからといつて、にわかに当初の被押収者がその意に反し任意提出者となつて裁判所との間に押収関係が発生すると解する余地は全くないからである。
[21] 検察官が押収した物に対する裁判所の領置は、押収によつて物を保管している検察官が、刑訴法101条の保管者として、当該押収物を任意に提出し、裁判所がこれを押収するというものであるから、その差出人は検察官という外はなく、従つて領置による押収関係は検察官を被押収者として、裁判所と検察官との間に生ずるというべきである。
[22] 前記通達が、「裁判所が領置をする場合には、検察官に対し目録を交付することを要する」として刑訴法120条を引用しているのは、正に検察官を保管者たる被押収者とみているからに外ならないのであつて、その目録を交付された被押収者たる検察官が、裁判所の領置と同時に当初の押収処分が失効し、保管者たる被押収者でなくなるというのは背理というべきである。反面、(ロ)説が、領置により裁判所と当初の被押収者との間に新たに押収関係が設定されるとしながら、デユープロセスの一環である押収目録の交付(刑訴法120条)を当初の被押収者に対してなすことを求めていないのも著しい矛盾という外はない。
[23] このようにみてくれば、(ロ)説は、還付等の事務処理に対する行政上の指針としての意味はともかく、本件のように、押収関係の存否を正面から問題としなければならない法律上の局面においては、同説は、領置により当初の押収処分が消滅する根拠及び裁判所と当初の被押収者との間に新たに押収関係が設定されることの根拠のいずれについても合理的説明に欠け、到底肯首することはできない。

[24] かくて(ハ)の併存説がもつとも合理的で自然な考え方というべきである。
[25] 検察官の押収処分と裁判所の領置(検察官を被押収者とする裁判所の押収処分)を別個独立のものと考える以上、領置により検察官の押収処分が失効すると解すべき特段の根拠がない限り、両者は併存するとみるのが正当である。
[26] そしてこのような見解は、領置した物の還付実務を別にすれば、検察官の押収と裁判所の領置の実務にも合致する。
[27] すなわち、本件において申立人は、検察事務官によりビデオテープ4巻を押収されたが、押収に際し刑訴法120条に基づく目録の交付を受けた。
[28] これにより検察事務官が強制的に本件ビデオテープの占有を取得したことになり、目録の交付は、検察事務官が同テープの占有者であることの証しといえる。
[29] 一方、東京地裁刑事第7部は、検察官が右押収により占有保管している同テープの任意提出を受け、刑訴法101条により領置の決定をなしたうえ検察官に目録を交付し調書に記載してこれを領置(押収)したのである。
[30] 検察官に目録を交付したのは、同テープの保管者が検察官だからであり、爾後同部がこれを占有することの証しに外ならないからである。
[31] 右の一連の手続において、領置により検察官の押収が失効したことを窺わせる点は全く存在しないし、右領置により、新たに裁判所と申立人との間に押収関係が設定されたとみうる痕跡すらない。
[32] 右の手続により領置は完結しているにもかかわらず、申立人は領置の決定の告知を受けていないばかりか、目録の交付等、新たに裁判所と申立人との間に押収関係が設定されるなら刑訴法120条により当然必要とされる手続さえとられていないのである。
[33] それは結局同部の行つた領置が、任意提出者である検察官のみを被押収者と判断し、これに対し領置の決定をなしたからに外ならない。
[34] 申立人に対し領置の決定告知がない以上、申立人に対する関係で押収の効果が生ずる余地はなく、従つて同部と申立人との間に押収関係が生じているとみることはできない。
[35] 現行の領置手続は以上のように理解することによつてのみ是認することができる。
[36] 領置というデユープロセスの働く強制処分の手続の重要性と、還付というその解除にすぎない、しかも、結局は押収物は当初の被押収者に戻るという点では(ロ)説、(ハ)説とも同じである手続とを衡量すれば、現行の還付実務に拘泥することなく、少くとも領置の占有関係については(ハ)の併存説によるべきである。
[37] このように解しても、現行の還付実務に混乱ないし支障は生じないどころか、むしろ関係者に便宜であることは、前掲解説が次のように正当に指摘しているとおりである。
「実際問題としても、捜査機関によつて押収された物を被押収者に還付するのは、裁判所職員の手によるよりも、捜査機関によつてなされるほうが、はるかに便宜であるべきことは、関係者のよく知るところであろう。なお、捜査機関による当初の押収に関する書類が証拠物とともに裁判所に提出されるしくみにはなつていないこと、従つて、記録上当初の押収関係がはつきりしない場合が非常に多いことに注意を要する。」(戸田・前掲書340頁)
[38] 以上に述べたところによれば、本件押収処分取り消しの利益は喪われていないというべきである。

[39] 仮に(ロ)の失効説に立つても本件押収処分取り消しの利益は喪われていない。

[40] 仮に失効説に立つたとしても、そこでいう「失効」の意味は、裁判所の領置により、押収物に対する検察官の占有継続が中断したことを意味するにすぎず、当初の押収処分それ自体が遡つて存在しなかつたことになると迄考えているとは到底解せられない。
[41] 強制力を伴つた本件ビデオテープに対する占有取得の効果は、依然残つているのである。

[42] ところで、裁判所の領置は、占有を取得する過程では強制力を伴わないが、領置の決定により提出者の意に反してでも強制的に占有を継続しうる点において押収の一種と解されている。
[43] 従つて、検察官が押収した物に対する領置は、他の遺留物若しくは押収を伴わない純然たる任意提出物の領置とは異なり、検察官の強制的な占有取得の効果の上に成り立つているということができるから、領置により占有継続が裁判所に移つたとしても、その占有継続の根拠となつた強制的な占有取得の部分については、なお検察官の押収処分の効力が及んでいるとみることができる。
[44] そうである以上、この点において本件押収処分取消の利益は喪われていないというべきである。

[45] このように解さなければ、受訴裁判所は、検察官の押収処分が適法に行われたか否か全く分らないまま、任意提出であるが故に領置したところ(もつとも本件においては、申立人は受訴裁判所に対し昭和63年12月19日別添のとおり領置の留保を上申している)、その押収の違法を理由に領置決定に対して抗告の申立を受けることとなる。これを回避するには受訴裁判所は、任意提出の場合であつても、領置に当つて常に押収処分の適否を判断しなければならないことになるが、そのようなことは事実上困難である。
[46] 押収の違法は、領置後も押収処分それ自体の取消を認めることによつて解決するのが合理的であると思料する。

[47] 以上に述べたところによれば、貴裁判所により原決定及び本件押収処分が取り消されれば、前記被告事件における検察官は、本件ビデオテープの適法な保管者として任意提出することが許されなかつたことに帰するのであるから、受訴裁判所は、このように押収手続に違法があつた場合、抗告を待つまでもなく同ビデオテープを検察官に還付すべきことになる(熊谷外・前掲書174頁)。
[48] 検察官は、申立人に還付すべきであることは多言を要しない。
[49] 従つて、領置にかかわらず、本件特別抗告の利益が喪われたということはできない。

(添付書類省略)

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