サラリーマン税金訴訟
上告審判決

所得税決定処分取消請求上告事件
最高裁判所 昭和55年(行ツ)第15号
昭和60年3月27日 大法廷 判決

上告人 (控訴人  原告) 亡大嶋正訴訟承継人 大嶋矩子

被上告人(被控訴人 被告) 左京税務署長
         代理人  藤井俊彦 外14名

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官伊藤正己の補足意見
■ 裁判官谷口正孝の補足意見
■ 裁判官木戸口久治の補足意見
■ 裁判官島谷六郎の補足意見

■ 上告代理人山田近之助の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 所論は、要するに、本件課税処分の根拠をなす昭和40年法律第33号による改正前の所得税法(昭和22年法律第27号。以下「旧所得税法」という。)中の給与所得に係る課税関係規定(以下「本件課税規定」という。)は、次のとおり、事務所得者等の他の所得者に比べて給与所得者に対し著しく不公平な所得税の負担を課し、給与所得者を差別的に扱つているから、憲法14条1項の規定に違反し無効であるとの前提に立つて、本件課税規定を合憲と判断した原判決を非難するものである。

[2] 旧所得税法は、事業所得等の金額の計算について、事業所得者等がその年中の収入金額を得るために実際に要した金額による必要経費の実額控除を認めているにもかかわらず、給与所得の金額の計算については、給与所得者がその年中の収入金額を得るために実際に要した金額による必要経費の実額控除を認めず、右金額を著しく下回る額の給与所得控除を認めるにとどまるものである。

[3] 旧所得税法は、事業所得等の申告納税方式に係る所得の捕捉率に比し給与所得の捕捉率が極めて高くなるという仕組みになつており、給与所得者に対し所得税負担の不当なしわ寄せを行うものである。

[4] 旧所得税法は、合理的な理由のない各種の租税優遇措置が講じられている事業所得者等に比べて、給与所得者に対し過重な所得税の負担を課するものである。

[5] まず、給与所得に係る必要経費の控除の点について判断する。

[6] 旧所得税法は、所得税の課税対象である所得をその性質に応じて10種類に分類した上、不動産所得、事業所得、山林所得及び雑所得の金額の計算については、それぞれその年中の総収入金額から必要経費を控除すること、右の必要経費は当該総収入金額を得るために必要な経費であり、家事上の経費、これに関連する経費(当該経費の主たる部分が右の総収入金額を得るために必要であり、かつ、その必要である部分が明瞭に区分できる場合における当該部分に相当する経費等を除く。以下同じ。)等は必要経費に算入しないことを定めている。また、旧所得税法は、配当所得、譲渡所得及び一時所得の金額の計算についても、「その元本を取得するために要した負債の利子」、「その資産の取得価額、設備費、改良費及び譲渡に関する経費」又は「その収入を得るために支出した金額」を控除することを定めている。一方、旧所得税法は、給与所得の金額はその年中の収入金額から同法所定の金額(収入金額が41万7500円以下である場合には1万7500円と当該収入金額から1万7500円を控除した金額の10分の2に相当する金額との合計額、収入金額が41万7500円を超え71万7500円以下である場合には9万7500円と当該収入金額から41万7500円を控除した金額の10分の1に相当する金額との合計額、収入金額が71万7500円を超え81万7500円以下である場合には12万7500円と当該収入金額から71万7500円を控除した金額の10分の0.75に相当する金額との合計額、収入金額が81万7500円を超える場合には13万5000円)を控除した金額とすることを定めている(この控除を以下「給与所得控除」という。)。ところで、給与所得についても収入金額を得るための必要経費の存在を観念し得るところ、当時の税制調査会の答申及び立法の経過に照らせば、右の給与所得控除には、給与所得者の勤務に伴う必要経費を概算的に控除するとの趣旨が含まれていることが明らかであるから、旧所得税法は、事業所得等に係る必要経費については、事業所得者等が実際に要した金額による実額控除を認めているのに対し、給与所得については、必要経費の実額控除を認めず、代わりに同法所定額による概算控除を認めるものであり、必要経費の控除について事業所得者等と給与所得者とを区別するものであるということができる。

[7] そこで、右の区別が憲法14条1項の規定に違反するかどうかについて検討する。
[8](一) 憲法14条1項は、すべて国民は法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない旨を明定している。この平等の保障は、憲法の最も基本的な原理の一つであつて、課税権の行使を含む国のすべての統治行動に及ぶものである。しかしながら、国民各自には具体的に多くの事実上の差異が存するのであつて、これらの差異を無視して均一の取扱いをすることは、かえつて国民の間に不均衡をもたらすものであり、もとより憲法14条1項の規定の趣旨とするところではない。すなわち、憲法の右規定は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、合理的理由なくして差別することを禁止する趣旨であつて、国民各自の事実上の差異に相応して法的取扱いを区別することは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないのである(最高裁昭和25年(あ)第292号同年10月11日大法廷判決・刑集4巻10号2037頁、同昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁等参照)。
[9](二) ところで、租税は、国家が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてでなく、その経費に充てるための資金を調達する目的をもつて、一定の要件に該当するすべての者に課する金銭給付であるが、およそ民主主義国家にあつては、国家の維持及び活動に必要な経費は、主権者たる国民が共同の費用として代表者を通じて定めるところにより自ら負担すべきものであり、我が国の憲法も、かかる見地の下に、国民がその総意を反映する租税立法に基づいて納税の義務を負うことを定め(30条)、新たに租税を課し又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要としている(84条)。それゆえ、課税要件及び租税の賦課徴収の手続は、法律で明確に定めることが必要であるが、憲法自体は、その内容について特に定めることをせず、これを法律の定めるところにゆだねているのである。思うに、租税は、今日では、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがつて、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである。そうであるとすれば、租税法の分野における所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず、これを憲法14条1項の規定に違反するものということはできないものと解するのが相当である。
[10](三) 給与所得者は、事業所得者等と異なり、自己の計算と危険とにおいて業務を遂行するものではなく、使用者の定めるところに従つて役務を提供し、提供した役務の対価として使用者から受ける給付をもつてその収入とするものであるところ、右の給付の額はあらかじめ定めるところによりおおむね一定額に確定しており、職場における勤務上必要な施設、器具、備品等に係る費用のたぐいは使用者において負担するのが通例であり、給与所得者が勤務に関連して費用の支出をする場合であつても、各自の性格その他の主観的事情を反映して支出形態、金額を異にし、収入金額との関連性が間接的かつ不明確とならざるを得ず、必要経費と家事上の経費又はこれに関連する経費との明瞭な区分が困難であるのが一般である。その上、給与所得者はその数が膨大であるため、各自の申告に基づき必要経費の額を個別的に認定して実額控除を行うこと、あるいは概算控除と選択的に右の実額控除を行うことは、技術的及び量的に相当の困難を招来し、ひいて租税徴収費用の増加を免れず、税務執行上少なからざる混乱を生ずることが懸念される。また、各自の主観的事情や立証技術の巧拙によつてかえつて租税負担の不公平をもたらすおそれもなしとしない。旧所得税法が給与所得に係る必要経費につき実額控除を排し、代わりに概算控除の制度を設けた目的は、給与所得者と事業所得者等との租税負担の均衡に配意しつつ、右のような弊害を防止することにあることが明らかであるところ、租税負担を国民の間に公平に配分するとともに、租税の徴収を確実・的確かつ効率的に実現することは、租税法の基本原則であるから、右の目的は正当性を有するものというべきである。
[11](四) そして、右目的との関連において、旧所得税法が具体的に採用する前記の給与所得控除の制度が合理性を有するかどうかは、結局のところ、給与所得控除の額が給与所得に係る必要経費の額との対比において相当性を有するかどうかにかかるものということができる。もつとも、前記の税制調査会の答申及び立法の経過によると、右の給与所得控除は、前記のとおり給与所得に係る必要経費を概算的に控除しようとするものではあるが、なおその外に、(1) 給与所得は本人の死亡等によつてその発生が途絶えるため資産所得や事業所得に比べて担税力に乏しいことを調整する、(2) 給与所得は源泉徴収の方法で所得税が徴収されるため他の所得に比べて相対的により正確に捕捉されやすいことを調整する、(3) 給与所得においては申告納税の場合に比べ平均して約5か月早期に所得税を納付することになるからその間の金利を調整する、との趣旨を含むものであるというのである。しかし、このような調整は、前記の税制調査会の答申及び立法の経過によつても、それがどの程度のものであるか明らかでないばかりでなく、所詮、立法政策の問題であつて、所得税の性格又は憲法14条1項の規定から何らかの調整を行うことが当然に要求されるものではない。したがつて、憲法14条1項の規定の適用上、事業所得等に係る必要経費につき実額控除が認められていることとの対比において、給与所得に係る必要経費の控除のあり方が均衡のとれたものであるか否かを判断するについては、給与所得控除を専ら給与所得に係る必要経費の控除ととらえて事を論ずるのが相当である。しかるところ、給与所得者の職務上必要な諸設備、備品等に係る経費は使用者が負担するのが通例であり、また、職務に関し必要な旅行や通勤の費用に充てるための金銭給付、職務の性質上欠くことのできない現物給付などがおおむね非課税所得として扱われていることを考慮すれば、本件訴訟における全資料に徴しても、給与所得者において自ら負担する必要経費の額が一般に旧所得税法所定の前記給与所得控除の額を明らかに上回るものと認めることは困難であつて、右給与所得控除の額は給与所得に係る必要経費の額との対比において相当性を欠くことが明らかであるということはできないものとせざるを得ない。
[12](五) 以上のとおりであるから、旧所得税法が必要経費の控除について事業所得者等と給与所得者との間に設けた前記の区別は、合理的なものであり、憲法14条1項の規定に違反するものではないというべきである。

[13] 次に、所論は事業所得等の捕捉率が給与所得の捕捉率を下回つていることを指摘するが、その趣旨は、捕捉率の著しい較差が恒常的に存する以上、それは単に徴税技術の巧拙等の事実上の問題であるにとどまらず、制度自体の欠陥を意味するものとして、本件課税規定を違憲ならしめるものである、というのである。
[14] 事業所得等の捕捉率が相当長期間にわたり給与所得の捕捉率を下回つていることは、本件記録上の資料から認められないではなく、租税公平主義の見地からその是正のための努力が必要であるといわなければならない。しかしながら、このような所得の捕捉の不均衡の問題は、原則的には、税務行政の適正な執行により是正されるべき性質のものであつて、捕捉率の較差が正義衡平の観念に反する程に著しく、かつ、それが長年にわたり恒常的に存在して租税法制自体に基因していると認められるような場合であれば格別(本件記録上の資料からかかる事情の存在を認めることはできない。)、そうでない限り、租税法制そのものを違憲ならしめるものとはいえないから、捕捉率の較差の存在をもつて本件課税規定が憲法14条1項の規定に違反するということはできない。

[15] また、所論は合理的理由のない租税優遇措置の存在をいうが、仮に所論の租税優遇措置が合理性を欠くものであるとしても、そのことは、当該措置自体の有効性に影響を与えるものにすぎず、本件課税規定を違憲無効ならしめるものということはできない。

[16] 以上のとおり、本件課税規定は憲法14条1項の規定に違反しないから、原審の判断は結論において是認することができる。論旨は、憲法32条違反をいう部分を含め、判決の結論に影響を及ぼさない点について原判決を非難するものであつて、いずれも採用することができない。
[17] よつて、行政事件訴訟法7条、民訴法396条、384条、95条、89条、93条に従い、裁判官木下忠良、同伊藤正己、同谷口正孝、同木戸口久治、同島谷六郎、同長島敦の各補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。


 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

[1] 私も、法廷意見と同様に、給与所得に係る必要経費について、実額控除を認めず、概算控除を設けるにとどまる本件課税規定は、給与所得者を事業所得者等と区別するものではあるが、それ自体としては憲法14条1項の規定に違反するものではないと解する。そして、そのように解する理由についてもまた、法廷意見の説示するところに全く異論はない。しかし、本件は、租税についての国民の公平かつ平等な負担という租税法と憲法との関係にかかわるものであることにかんがみ、次の2点について補足的に意見を述べておくこととしたい。

[2] 法廷意見の説くように、租税法は、特に強い合憲性の推定を受け、基本的には、その定立について立法府の広範な裁量にゆだねられており、裁判所は、立法府の判断を尊重することになるのであるが、そこには例外的な場合のあることを看過してはならない。租税法の分野にあつても、例えば性別のような憲法14条1項後段所定の事由に基づいて差別が行われるときには、合憲性の推定は排除され、裁判所は厳格な基準によつてその差別が合理的であるかどうかを審査すべきであり、平等原則に反すると判断されることが少なくないと考えられる。性別のような事由による差別の禁止は、民主制の下での本質的な要求であり、租税法もまたそれを無視することを許されないのである。しかし、本件は、右のような事由に基づく差別ではなく、所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別であるから、厳格な基準による審査を必要とする場合でないことは明らかである。

[3] 本件課税規定それ自体は憲法14条1項の規定に違反するものではないが、本件課税規定に基づく具体的な課税処分が常に憲法の右規定に適合するとまではいえない。特定の給与所得者について、その給与所得に係る必要経費(いかなる経費が必要経費に当たるかについては議論の余地があり得ようが、法廷意見もいうように、給与所得についても収入金額を得るための必要経費の存在を観念し得る。)の額がその者の給与所得控除の額を著しく超過するという事情がみられる場合には、右給与所得者に対し本件課税規定を適用して右超過額を課税の対象とすることは、明らかに合理性を欠くものであり、本件課税規定は、かかる場合に、当該給与所得者に適用される限度において、憲法14条1項の規定に違反するものといわざるを得ないと考える(なお、必要経費の額が給与所得控除の額を著しく超過するような場合には、当該所得が真に旧所得税法の予定する給与所得に当たるかどうかについて、慎重な検討を要することは、いうまでもない。)。
[4] この点を本件についてみるに、本件における必要経費の額が本件課税規定による給与所得控除の額を著しく超過するものと認められないことは、原判決の説示に照らして明らかであるから、本件課税規定を適用して本件課税処分をしたことに憲法14条1項違反があるということはできない。

 裁判官木下忠良、同長島敦は、裁判官伊藤正己の補足意見第二項に同調する。


 裁判官谷口正孝の補足意見は、次のとおりである。

[1] 給与所得者について必要経費の実額控除を認めず旧所得税法所定の給与所得控除しか認めないことは、事業所得者等について必要経費の実額控除を認めていることとの対比において均衡を欠き、憲法14条1項に違反するという上告人らの主張を排斥する法廷意見を補足して伊藤裁判官の敷衍して説示されているところには、私もまた、同じ考えを持つ者として同調する。しかし、それは同条項違反の有無を論ずる場面に限定してのことである。すなわち、そこでは、給与所得者が給与を得るについての必要経費の額が前記給与所得控除の額を著しく超える場合について、事業所得者等の必要経費の実額控除を認める制度と比較しての差別取扱いが論じられており、そのような場合については、旧所得税法の適用上憲法14条1項違反の問題を生ずるとしたわけである。ところが、給与所得者の必要経費の額が右の給与所得控除の額を超過することが明らかであるが、その程度が著しいとまではいえない場合については明言されていない。私は、その場合については、もとより同条項違反の問題は生じないものと考える。そのことは、同条項について法廷意見の展開している合理的差別容認の考え方の系列の中に十分包摂し得るところであるからである。
[2] しかし、給与所得者について給与所得控除の額を超える必要経費が存する場合には、その超過が明らかである限り、その程度が著しい場合であると否とを問わず、当該超過部分については実質上所得がないことになるのではないかが改めて問われてよい。なるほど、給与所得を得るについての必要経費の額をいかなる基準により算定するかについては多分に政策的考慮の働くことは認めざるを得ないであろう。だが、このような政策的考慮を認めるにせよ、給与所得者について必要経費の存在することは否定し難いところであり、しかも、その中には所得を得るために不可避的に支出しなければならない経費であつて、政策的考慮を容れる余地のないものがあることも承認せざるを得ない。法廷意見もまたこのことを前提としているものと思われる。してみると、給与所得者について給与所得控除の額を明らかに超えて必要経費の存する場合を想定し、これに論及する必要があることは当然である。もつとも、この場合にも給与所得として計上されるべきものが存する以上、その所得者に対し名目上の給与額に応じて課税することも立法府の裁量の問題として処理すれば足りるという見解もあろう。しかし、私はこのような見解は到底採用し得ないものと考える。けだし、前述のごとく必要経費の額が給与所得控除の額を明らかに超える場合は、その超過部分については、もはや所得の観念を容れないものと考えるべきであつて、所得の存しないところに対し所得税を課する結果となるのであり、およそ所得税賦課の基本理念に反することになるからである。
[3] そして、所得と観念し得ないものを対象として所得税を賦課徴収することは、それがいかに法律の規定をもつて定められ租税法律主義の形式をとるにせよ、そして、憲法14条1項の規定に違反するところがないにせよ、違憲の疑いを免れないものと考える。
[4] もつとも、本件において具体的に支出された必要経費の額が給与所得控除の額を超過するものと認められないことは、記録上明らかであるから、この問題は争点として取り上げるべきことではない。


 裁判官木戸口久治の補足意見は、次のとおりである。

[1] 旧所得税法中の給与所得に係る課税関係規定自体が憲法14条1項の規定に違反するものでないことは、法廷意見において説示するとおりであつて、私もこれに賛成するものである。
[2] しかし、給与所得に係る課税関係規定が法的評価において憲法14条1項の規定に違反するものでないとしても、一般に、給与所得者が、事業所得者等よりも重い租税負担を課せられているという不公平感を抱いていることも、否定し得ないところである。
[3] 本件記録上の資料によると、本件係争年度である昭和39年度において、所得の種類別の所得者数に対する納税者数の割合は、給与所得者(1年を通じて勤務した民間給与所得者)にあつては79.3パーセント、農業所得者(専業農家及び第1種兼業農家)にあつては7.2パーセント、農業以外の事業所得者にあつては24.9パーセントであり、また、国民所得に対する課税所得の割合は、給与所得にあつては76.3パーセント、農業所得にあつては6.9パーセント、農業以外の事業所得にあつては27.0パーセントであり、これらの係数は、本件係争年度の前後数年においても大幅な変化のないことが認められる。さらに、近年における所得の種類別の所得者数に対する納税者数の割合が、給与所得者(前に同じ)にあつては約90パーセントに達しているのに対し、農業所得者(前に同じ)にあつては約15パーセント、農業以外の事業所得者にあつては約40パーセントにとどまつていることは、周知のところである。このような納税者割合、課税所得割合の較差のある程度の部分が実質的な所得の差に基づいていることは否定できないとしても、その少なからぬ部分は、源泉徴収及び申告納税という徴税方式の違いを主因とする所得補促の不均衡や、各種の租税優遇措置によるものと考えられるのであつて、右に述べた較差から、事業所得者の租税負担が給与所得者のそれよりもかなり低くなつており、しかもそれが特定年度における特異な現象ではなく、相当長期にわたつて継続しているものということができ、この点が給与所得者に対し租税負担の不公平感を抱かせる原因となつているものと考えられる。
[4] 憲法14条1項の命ずる租税公平主義は、租税法の制定及びその執行につき、合理的理由なくして、特定の者を不利益に取り扱うことを禁止するのみでなく、特定の者に対し特別の利益を与えることをも禁止するものである。右に指摘したように事業所得の捕捉率が低いということは、それだけ、事業所得者が租税負担を不当に免れていることを意味するのであり、また、各種の租税優遇措置も、それが当該立法目的に照らして合理性を欠くに至つたときは、事業所得者に不当な利益を与えることとなる。このような所得の捕捉漏れや不合理な租税優遇措置による事業所得者と給与所得者との実質的な租税負担の較差が恒常的となり、かつ、それが著しい程度に達したときは、かかる事態は憲法14条1項違反の問題となり得るものと考える。右の較差が実際にどの程度に達しているかは必ずしも明らかであるとはいえないが、先に述べたように、事業所得者の租税負担が給与所得者のそれよりもかなり低くなつていることは現実であり、租税負担について給与所得者層の持つ不公平感は無視し得ないものとなつているのが現状であつて、その是正に向けての早急かつ積極的な努力が払われなければならないものと考える。
[5] 以上、給与所得課税に対する幅広い不公平感の存在が亡大嶋正の提起した本件訴訟の背景をなしているものと思われることにかんがみ、補足的に意見を述べた次第である。


 裁判官島谷六郎の補足意見は、次のとおりである。

[1] 上告人らは、旧所得税法が事業所得者等に必要経費の実額控除を認めながら、給与所得者にこれを認めないのは不公平である、と主張する。
[2] 給与所得者に認められた給与所得控除には必要経費を概算的に控除する趣旨が含まれていることは、法廷意見の説示するとおりであり、本件の場合には、具体的に支出された必要経費の実額が旧所得税法所定の給与所得控除の額を超えるものと認められないことが、原判決の説示に徴して明らかである。
[3] しかしながら、一般論としては、給与所得者の必要経費の実額が給与所得控除の額を超える場合の存する可能性がないとはいえず、超過の程度が著しいときは、給与所得に係る課税関係規定の適用違憲の問題が生ずることになると考えられるのであつて、私は、この点において、伊藤裁判官の補足意見第二項に同調するものである。
[4] また、右の超過の程度が著しいとはいえないときであつても、超過額の存する限り所得のないところに課税が行われる結果となり、それが直ちに違憲の問題を生ぜしめるものではないとしても、純所得課税という所得税の基本原則に照らし、安易に看過し得ないものとなるといわなければならない。
[5] したがつて、右のような課税が行われることがないよう、給与所得者にも必要経費の実額控除を認め、概算控除と実額控除とのいずれかを任意に選び得るという選択制の採用の問題をも含めて、給与所得控除制度についての幅広い検討が期待されるところである。

(裁判長裁判官 寺田治郎  裁判官 藤崎萬里  裁判官 木下忠良  裁判官 鹽野宜慶  裁判官 伊藤正己  裁判官 谷口正孝  裁判官 大橋至進  裁判官 木戸口久治  裁判官 牧圭次  裁判官 和田誠一  裁判官 安岡満彦  裁判官 角田禮次郎  裁判官 矢口洪一  裁判官 島谷六郎  裁判官 長島敦)
(一) 給与所得における必要経費否定論について
[1] 給与所得に必要経費があることは、現在において確定的見解である。すなわちシヤウプ勧告およびそれ以後の各政府の税制調査会の答申は給与所得控除の中に必要経費の概算控除の要素が含まれていることを明言している。また、昭和53年8月29日の最高裁判所第三小法廷判決(昭和48年<行ツ>第3号・訟務月報24巻11号2430頁)においても給与所得に必要経費が存在することを認めている。
[2] さらに、わが国の学説も例外なくこのことを認め、外国の諸立法も同様にこれを認めるとともに実額控除を容認している。
[3] 原判決は源資の減少をもつて必要経費とする珍奇な考え方をとり、給与所得者には源資がないゆえに必要経費は認められないとの判断を下している。しかし、原判決は同時に給与所得者も源資を保有し得ることを認めるという矛盾を犯している。

(二) 立替支出の概念について
[4] 原判決によれば、使用者による労働の受領を可能にするための諸経費を労働者が支出する場合、これを立替支出とし使用者において本来その償還をなすべきものとする。そして立替支出は必要経費であり、費用償還金は一時所得の収入金額であるとしている。
[5] このような判断は所得税法の解釈を曲解している。もともと立替支出とその償還金は、労働者による使用者に対する貸金の供与とその返還に外ならず、これらを必要経費や収入金額と解する余地はない。
[6] さらに原判決にいう立替支出という考え方が認められるとしても、本件においてはその範囲が極めて不明確であるのみならず、原判決が他に用いている職業費あるいは生活費との区別が判然としない。

(三) 職業費について
[7] 原判決は、研修費や社内交際費等を職業費と呼びその適正部分(適正職業費)を給与所得控除において考慮し、非課税化する必要があると述べている。しかしこの職業費・適正職業費の概念・範囲もまた極めて不明確であり、その実額控除を認めないとする原判決の理由は何人をも説得することはできない。
[8] 給与所得控除制度には従来より4つの要素が含まれており、必要経費(原判決にいわゆる適正職業費)はその1要素にすぎないものである。原判決が適正職業費が正しく給与所得控除制度において考慮されているかどうかを判断するにつき、適正職業費と給与所得額を単純に比較しているのは誤判も甚だしい。

(四) 捕捉率・租税特別措置について
[9] 原判決は、捕捉率に格差があり、租税特別措置に不公平の存在することを認めながら、そのことがいまだ上告人に対し何ら法的不利益を及ぼしていないと判断する。
[10] しかし、これらによつて上告人が法的不利益を受けていることは明白である。
[11] 原判決の判断に立つ限りにおいてはこのような場合の不平等を裁判によつて是正する法的手段を国民は持ち得ないことになる。

(五) 原判決独自の概念と釈明権の不行使について
[12] 原判決にいう立替支出・職業費・適正職業費などの用語は原判決独自の概念であり、本訴訟において当事者双方が全く知り得なかつたものである。上告人は判決文を読んで寝耳に水の感を深くした。そのために上告人は原審においてこれらの概念に対応する主張・立証の機会を奪われる結果となつた。
[13] このことは裁判所に与えられた釈明権の適正なる行使を怠つたためで、明らかに判決に影響を及ぼすものである。

(六) 結語
[14] (一)については所得税法の解釈を誤り、最高裁判例に違反し――民事訴訟法第394条の法令違反――、かつ判決に明確なる理由を付せず、理由に齟齬がある――同法第395条1項6号違反。
[15] (二)については所得税法の解釈を誤り――同法第394条の法令違反――、明確な理由を付していない――同法第395条1項6号違反。
[16] (三)についても所得税法の解釈を誤り――同法第394条の法令違反――、判決に理由を付せず、かつ理由に齟齬があり――同法第395条1項6号違反――、実額控除を認めない点において憲法第14条に違反する。
[17] (四)については法的不利益を認めないため憲法第32条に保障された裁判を受ける権利を奪い、ひいては憲法第14条の平等原則の回復を阻害するものである。
[18] (五)については民事訴訟法第127条の適正な運用を誤つたもの――同法第394条の法令違反――である。

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