日産自動車事件
控訴審判決

雇傭関係存続確認等請求控訴、同附帯控訴事件
東京高等裁判所 昭和48年(ネ)675号・702号・1886号
昭和54年3月12日 民事第3部 判決

第702号事件控訴人(第一審原告)   松山登(仮名)
同                 白樺道男(仮名)
同                 杉樹山男(仮名)
同                 桜木満男(仮名)
第675号事件被控訴人、第1886号事件附帯控訴人(第一審原告)
                  松山ユリ(仮名)
      右5名訴訟代理人弁護士 小池貞夫
                同 中島通子
                同 秋山泰雄
                同 上田誠吉
                同 福地明人
    福地明人訴訟復代理人弁護士 小川芙美子
                同 川名照美

第675号事件控訴人、第702号事件被控訴人、第1886号事件附帯被控訴人(第一審被告)
                  日産自動車株式会社
        右代表者代表取締役 川又克二
        右訴訟代理人弁護士 橋本武人
                同 小倉隆志
                同 伊藤護

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 控訴人松山登、同杉樹山男及び同桜木満男の各控訴を棄却する。
 控訴人白樺道男の当審における新請求を棄却する。
 控訴人日産自動車株式会社の被控訴人松山ユリに対する控訴を棄却する。
四1 附帯控訴に基づき、附帯被控訴人日産自動車株式会社は、附帯控訴人松山ユリに対し、金1119万9989円及び昭和53年7月以降昭和54年1月まで毎月25日限り金10万1988円を支払え。
 附帯控訴人松山ユリのその余の附帯控訴を棄却する。
 控訴費用は、控訴人松山登、同白樺道男、同杉樹山男及び同桜木満男と被控訴人日産自動車株式会社との間においては右控訴人らの、控訴人日産自動車株式会社と被控訴人松山ユリとの間においては同控訴人の負担とする。

1 第702号事件控訴人松山登(以下単に松山登という。)
「(一)原判決中松山登敗訴の部分を取消す。
(二)第702号事件被控訴人日産自動車株式会社(以下単に被告会社という。)は、松山登に対し金100万円及びこれに対する昭和46年2月1日以降支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。
(三)訴訟費用は第一、二審とも被告会社の負担とする。」
との判決及び第(二)項につき仮執行の宣言

2 第702号事件控訴人白樺道男(以下単に白樺という。)
(当審において訴えを変更し、)
「(一)被告会社は、白樺に対し金150万円及びこれに対する昭和52年10月23日以降支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。
(二)訴訟費用は第一、二審とも被告会社の負担とする。」
との判決及び仮執行の宣言

3 第702号事件控訴人杉樹山男(以下単に杉樹という。)
「(一)原判決中杉樹敗訴の部分を取消す。
(二)被告会社は、杉樹に対し158万100円及びこれに対する昭和44年10月9日以降支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。
(三)訴訟費用は第一、二審とも被告会社の負担とする。」
との判決及び第(二)項につき仮執行の宣言

4 第702号事件控訴人桜木満男(以下単に桜木という。)
「(一)原判決中桜木敗訴の部分を取消す。
(二)桜木と被告会社間に雇傭契約が存在することを確認する。
(三)訴訟費用は第一、二審とも被告会社の負担とする。」
との判決

5 第675号事件被控訴人兼第1886号事件附帯控訴人松山ユリ(以下単に松山ユリという。)
「(一)被告会社の控訴を棄却する。
(二)(附帯控訴として、)被告会社は、松山ユリに対し1501万9702円及び昭和52年九月以降昭和54年1月まで毎月25日限り16万1938円を支払え。」
との判決及び第(二)項につき仮執行の宣言

6 被告会社
「(一)原判決主文第一項中、松山ユリと被告会社間に雇傭契約が存在することを確認した部分を取消す。
(二)松山ユリの請求を棄却する。
(三)松山ユリの附帯控訴を棄却する。
(四)松山登の控訴を棄却する。
(五)白樺の当審における訴変更後の請求を棄却する。
(六)杉樹及び桜木の各控訴を棄却する。
(七)訴訟費用は第一、二審とも、松山登、白樺、杉樹、桜木及び松山ユリ(以下一括して原告らということがある。)の負担とする。」
との判決
[1] 当事者双方の主張は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示と同一(ただし、もっぱら第一審相原告竹林笹男、梅里咲男、野菊花子及び桧山木曽男に関する部分を除く。)であるから、これを引用する。
(一) 本件整理解雇の不当労働行為性
[2] 本件整理解雇は、原告らが当時の組合執行部として、組合員の利益のため積極的に組合活動を行っていたことについて、当時の富士産業株式会社荻窪工場(以下単に会社又は工場ということがある。)がこれを嫌い、組合執行部を会社側に都合の良いものに作り替えるために行った明らかな不当労働行為である。すなわち、原告らが組合員の期待を荷なって組合の執行部に当選したのは、本件整理解雇の2か月前の昭和24年8月であったが、その前はいわゆる民同派が組合執行部を形づくり極めて会社に協力的であった。本件人員整理では、右民同派の従前の組合幹部は全く解雇されず、原告ら全員が解雇されたのであった。被告会社は、純粋な整理解雇であると主張するが、当時は長期欠勤者や自然退職者が増大し、希望退職を募ることも十分可能であったし、本件整理の翌年には早くも新規従業員を採用したところをみると、人員整理の必要性すらなかったのであって、会社は原告らを解雇するために、わざわざ必要もない人員整理を強行したのである。そして、本件が不当労働行為であることは、本件十分に組合と事前交渉をもつべき従業員の大量解雇を、殆んど実質的討議の機会を与えずに強行したこと、又会社の組合への団体交渉の申入れに当り、組合代表である執行部のほかオブザーバーの同席を求めたことにも現れている。さらに、本件人員整理に際して用いられたという考課表等は、全く出鱈目なものであり、まさに不当労働行為をおおいかくす口実であって、原告らが整理基準に該当したという主張は、全く虚偽以外のなにものでもない。なお、仮りに原告らに整理基準該当の事実があるとしても、本件整理解雇は、全従業員間の考課における序列という相対的評価があってはじめて可能となるが、被告会社が各原告について主張した整理基準該当事実の一部でも認められない以上、原告らの他の従業員との相対的評価(序列)は大幅に変動するのであって、原告らを解雇する合理的理由は、それだけで失われる。原判決は、この点を看過しているのであって、不当な判断である。

(二) 国電スト参加のための職場放棄について
[3](1) 昭和24年6月10日の国電ストライキは、国鉄労働者を大量に整理する政府の方針のみならず、引き続き計画された民間労働者の大量整理に対する全労働者の抵抗の一環であった。そのことは、昭和23年12月のマッカーサー司令部による経済9原則の実施命令以後の歴史的経過から明らかである。松山登、白樺、杉樹及び桜木の4名は、平和と民主主義を擁護する立場から、又自己の労働者としての地位、身分及び生活を守るために、当日の国電ストを支援したものである。松山登ら4名の早退の目的は右のとおりであって、当時多数あった自宅等で内職するための早退を秩序違反としないのであれば、国電スト支援のための早退についても同様の評価を与えてしかるべきである。それに当日は、もともと賃金の遅払のため欠勤者が多かったところに右ストが重なって、従業員の3分の1が出勤しておらず、職場の業務が正常に進行していなかったのであって、松山登ら4名が早退しても業務に支障を生じることはなく、早退はまずこの面で職場秩序を乱すものではなかったのである。
[4](2) 次に早退の態様であるが、松山登ら4名は、許可権限を有するA職場長附から早退の許可を得、出門許可証に同人の押印を受けて早退したのである。A職場長附は、国電ストの応援という理由では外出を認めないが、家事都合であれば認めるというので、早退の理由を家事都合にした。当時は、賃金の遅払が続き、労働者が会社の支配下から脱けていくのを批難できない状態にあったので、会社は出門許可の手続を厳格にチェックしていなかったのである。仮りに許可なく早退しそれが職場秩序を乱すのであれば、松山登ら4名が出門するまでの15分から20分の間に外出を阻止されたであろうが、そのような事実はない。むしろ、白樺は、国電ストの翌日、前日の早退のため欠勤の扱いがされていたのを有給休暇に振り替えるよう交渉したが、その際ばかりでなくその後も無許可であったとして注意を受けたりしたことはない。被告会社は、桜木が出門許可証を作成し、これに訴外Bをして同人が保管中のC職場長の印を押捺させたと主張し、同職場長名義の押印のある出門許可証を提出している。しかし関係者の供述を総合して判断すると、真実の出門許可証はA職場長附が書き同人の押印があったものである。被告会社は、松山登ら4名の解雇の口実がないので、あえて虚偽の出門許可証を作成して裁判所に提出し、右の4名を陥し入れようとしたものである。
[5](3) 桜木が「吾等日本共産党富士荻細胞は国電スト支援のため職場を放棄す」と第4職場床面に白墨で大書したと認定されているが、同人は、工場の組合が国電ストを支援しないことを残念に思い、第4職場入口のグラインダーの下の床面に白墨で字を書いたが、それは目立たないものであって、同人が右のように大書したというのは事実誤認である。桜木とは別に、第三者が第4職場内の広い通路の目立つ場所で床に堆積した砂と油を削って大書したことがあり、これを桜木が書いたと誤認したのである。右通路上の大書は、30分から60分もかかる程のもので、国電スト支援に行く桜木にそのようなものを書く余裕があるはずがない。

(三) 無断ビラ張りについて
[6](1) 昭和24年5月13日及び同月20日のビラは、賃金遅払の解消と生産の向上を要求したものであった。当時の賃金遅払の状況は、月に6回、7回の分割でしかも1か月遅れというひどいもので、当時殺人的といわれた。ビラを張り労働者の切実な要求を実現することは、欠くことのできないものであり、白樺と桜木は、このような状況下で本件のビラ張りをしたのである。これに対し会社の総務課長は、賠償指定工場であることを理由にビラ張りを全面的に禁止した。原判決のいうように工場内に掲示板がありこれに張るよう指示されたのではない。掲示板は存在しなかったのであって、そのために本事件に先立つ仮処分事件の現場検証の際、会社側は急拠工場内の各職場毎に掲示板を設置し、事態を糊塗しようとしたのであった。右総務課長の注意は、同じく賠償指定工場であった富士産業株式会社の三鷹工場等でビラ張りが自由に許されていたことや、荻窪工場の組合では昭和23年8月頃から斗争時に許可なく工場内の建物壁等にビラを貼付していた経緯を無視した不法なものであったから、白樺と桜木は、右の事実を指摘し、壁等へのビラ張りを禁止するのであればそれに代わる掲示板を設けるよう当然の要求をしたのである。
[7](2) 原判決は、桜木が昭和24年7月15日以後も4回にわたり第4職場の衝立に許可なくビラ等を貼付し、その間注意を受けながらこれに従わなかったと認定しているが、これは、従前から慣行的に認められていた衝立への壁新聞の掲示をビラ張りと誤解したものである。第4職場の職場長は、昭和24年7月になってはじめて、右慣行を破って壁新聞の掲示を禁止してきたものであり、職場長の禁止こそ不法なものであって、桜木には秩序違反はないものである。

(四) 松山登の技能等について
[8] 被告会社は、松山登が職務怠慢、技能低位であるとし、その根拠として、松山登のチャフ・カッター生産枚数をあげている。しかしチャフ・カッターの生産については、松山登は、仕上職場のDブロック長と共に作業の指揮、指導、監督にあたることとなっており、常時機械に向うことは予定されていなかったのである。従って松山登の生産枚数を通常の作業員のそれと比較しても少いのが当然であり、比較の対象を誤っているのである。次に松山登の技能については、同人の組立工としての経歴は極立っており、会社自身が技能の優秀さを認めて、わざわざ組立のブロック長として入社することを懇望したほどである。松山登が技能低位で職務怠慢であるなら、ブロック長がつとまるはずがなく、組合役員としても同僚からの信頼をとっくに失っていたはずである。会社は、松山登の組合役員としての活動を嫌い、あえて考課表上虚偽の記載をしたもので、そのことは考課台帳の技能の欄の記載に明らかに修正された形跡があったことからも確認できる。

(五) 白樺の訴変更後の請求原因
[9](1) 白樺に対する本件整理解雇が無効であることはすでに主張したとおりである。そうすると、同人は、昭和21年2月1日富士産業株式会社に入社し、昭和52年10月22日満60歳を迎えて、同月末日定年退職したこととなる。
[10](2) そこで白樺は、会社の退職金支給基準に従い退職金を請求できるところ、白樺と職種等が近似していて基本給に差がなく、勤務年限が24年で白樺の31年より短い訴外Eの退職金が237万円であることを考慮すると、白樺の退職金は少くとも350万円を下らない。
[11](3) 白樺は、会社から不当な理由で解雇され精神的肉体的に多大の損害を蒙ったが、その損害は少くとも300万円を下らない。
[12](4) よって、白樺は、被告会社に対し前記退職金のうち100万円及び右損害金のうちの50万円の合計金150万円とこれに対する弁済期の後である昭和52年10月23日以降支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(一) 被告会社の定年制の無効
(1) 男女差別と公序良俗
[13] 憲法14条の規定する男女差別の禁止の原則は、国と国民の関係のみでなく私人間の行為にも適用がある。このことは、民法1条の2が解釈基準として「個人の尊厳と両性の本質的平等」を明記したことによっても明らかである。労働基準法3条及び4条も、憲法14条を受けて規定されたものであり、賃金以外の労働条件について女子に対する合理的な保護を除いた性による差別を許容するものではない。労働基準法の各種母性保護規定、婚姻適令の男女差、老令年金の男女差等が、合理的理由のない男女差別であるというのは被告会社の独断であるが、これらの諸規定の多くは、社会経済的に劣位に立つ者に対する保護政策に基づくものであり、企業活動の自由のためには女性の基本的人権が多少損なわれてもやむをえないという被告会社の主張とは、まさに正反対の趣旨のものであって、これらの諸規定の故に憲法14条が合理的理由のない定年差別を許容しているという被告会社の主張は不可解というほかない。以上のように性別を理由として労働条件について差別してはならないことは、公の秩序として確立しており、これに反する労働協約、就業規則、労働契約はいずれも民法90条により無効とされる。これは多数の判決の中で一貫して採用されてきた解釈であり、大多数の学説が以前から主張し支持してきたものである。しかも、次に述べるように、両性の平等の原則は、否定することができないものとして個人の人々の意識をとらえかつ変化させ、世論もこれを積極的に支持して健全な社会通念と認めるに至っているのであって、性差別の禁止は名実ともに公序となっている。
(2) 男女平等の実情
 社会の実態
[14] 女子雇用者数が1000万人を超え、雇用者総数に占める女子の割合が3分の1に達し、女子雇用者中既婚者が過半数となったことを総計資料が示してから、すでに相当年数が経過した。そして、女子雇用者の年令構成は、40歳以上層が全体の32.9パーセントを占め年々中高年女子の雇用者が増えているのである。昭和51年には、55歳から64歳までの女子の労働力率は44.1パーセントに達している。このような事実の背景には、40歳以上の女子の3分の1は夫と死別、離別し、あるいは結婚せず、経済的に自立しなければならないか、場合によっては子の扶養責任を負っている実情があり、病気の夫をかかえて一家の生計を維持しなければならない女子も少くない。さらに近年の産業構造の変化とそれに伴う地域共同体の崩壊並びに家庭の機能の変化は、社会経済的にもまた女子の側の精神生活の上でも、女子が生涯職業を持ち続ける必要性を増大させてきたのである。このような社会の実態を反映して、昭和47年に実施された婦人に関する意識調査の結果によると、女子雇用者の75.1パーセントが勤めを続ける意思をもち、勤務をやめて家庭に入りたいと答えた者は10.6パーセントにすぎなかった。勤務を継続したいと答えた者の割合は、未婚者より既婚者が、また年令の高い者ほど高くなっていて、55歳から59歳の年令層が最高であることが注目されるべきである。
[15] 「夫は外で働き妻は家庭を守る。」という旧来の役割分担意識は、すでに右に見たとおり社会の実態とかけ離れたものとなり、今や右の役割分担意識こそが女性に対する差別の根源となっている。このような旧来の意識を変えることが、国際的にも最も重要な課題とされ、日本政府もその課題のもとに教育をはじめとするあらゆる分野でその実行にとりかかっている。なお、被告会社は、男女差別定年制をとる事業所が多数にのぼるというが、差別を設けている事業所は男女一律定年制の企業よりはるかに少いのであって、しかも昭和41年当時定年に男女差のある事業所が29.4パーセントであったのが、昭和49年には23.5パーセントに減少しているのであって、男女別定年制の是正が進んでいることに注目すべきである。
 わが国の動き
[16] わが国では、憲法14条に性差別の禁止が明記され、公序として確立しているが、それを一層確実に保障するため国連を中心とする動きに積極的に参加して、男女平等の実現を世界に約束している。昭和50年には総理府に婦人問題企画推進本部が設置され、昭和52年には国内行動計画が策定された。そして行政当局も、定年差が例えわずかであっても女子であるということだけの条件で行なわれれば、不当な差別であり是正されるべきであるとしている。なお、被告会社は、厚生年金の受給年齢に男女差があることをもって、定年制の差別を公序良俗に反しないという。しかし、厚生年金保険法は、福祉立法であって、救済の必要性を前提としてその現実に合せて救済方法を定めるのであって、救済を必要とする現実を是認したり否定したりするものではない。従って、厚生年金保険法の規定を理由に、差別定年制の効力の如何を論ずるのは、本末転倒の議論である。
 国際的な動き
[17] 第2次世界大戦後成立した国際連合は、昭和23年世界人権宣言を採択し性差別の禁止がうたわれたが、長年の伝統や社会的条件に支えられた女性に対する差別は残存し、これに対するより具体的な措置の必要性が認識されるようになった。そして昭和41年には、世界人権宣言を条約化するものとして国際人権規約が採択された。同規約は、女子が男女に劣らない労働条件を保障される旨規定している。さらに、昭和42年国連で採択された婦人に対する差別撤廃宣言は、婦人に対する差別は基本的に不正であって、人間の尊厳に対する侵犯であるとし、婦人に対し差別を受けることなく働く権利を保障するとともに、出産が身体的特性に由来する婦人の保護は、差別とみなされない旨明記している。そして、昭和50年メキシコ・シティーで開かれた国際婦人年世界会議は、それまでの性差別撤廃の原則をさらに前進させた。すなわち、同会議で採択された国際婦人年世界会議宣言及び世界行動計画においては、国の全面的な発展及び世界の福祉、平和のためには、婦人が男性と同様にあらゆる分野に最大限に参加することが必要であり、そのためには、家庭及び社会の中での両性の伝統的な役割分担を変える必要性を認識しなければならないとされているのである。これらの文書で最も強調されているのは、働く権利は、すべての人間にとって奪うことのできない権利であり、性別、婚姻上の地位、家族状況及び家庭責任によって制限されてはならないという原則であって、退職に関する差別があるべきでないことも明記されている。そして両性間の実質的な均等をめざす、過渡的な時期における積極的な特別の取扱は差別とみなされるべきではなく、母性は社会的機能として十分な保護を受ける資格が与えられるべきであるとしている。
(3) 被告会社の定年制の非合理性
 女子従業員の担当業務
[18] 被告会社は、女子の担当業務は会社に対する貢献度の向上しない補助的業務であるとして、ことさらに低く評価する一方、男子の業務は長期間習熟すればする程貢献度の高まる基幹業務であるとして、定年差別の理由付としている。しかし、女子の担当業務の中にも、インテリア・デザイン、医療看護その他の専門的知識を要する業務が多数含まれており、また被告会社では女子を3級職以上の高い職級に付けているのであって、この一事だけでも被告会社の主張が事実に反することが明らかである。それに、男子は基幹業務を担当しているというが、ベルト・コンベアー・システムの導入以来直接部門の作業は、季節工やアルバイトでも担当できる機械的で単純な業務が多く、4万7000名の男子従業員の過半数が、このような補助的業務に従事しているのであって、明らかに事実に反しており、差別の根拠は失なわれているのである。なお、被告会社は、吸収合併以前のプリンス自動車工業に比して女子を補助的業務に固定化しようとする傾向があるが、このような差別的な職種配置をしている被告会社が、それを理由に差別定年制を設けることは信義則に反し許されない。
 賃金と労働のアンバランスの不存在
[19] 被告会社は、労働の質量ともに向上のない女子についても、年功序列賃金を支給しているというが事実に反する。被告会社は、昇給には一律分と査定分とがあり、女子であっても毎年一律分の昇給を受けられるから年功序列賃金であるというのであるが、右一律分とは、会社も認めるとおりベース・アップに相当するが、いうまでもなく、ベース・アップとは物価上昇と生活費の増大等労働力再生産に要する費用の増大に応じて賃金を増額するものであり、年功序列賃金とは何の関係もない。しかも一律分といっても各従業員への配分は一律ではなく、女子に対しては低く押えられている。被告会社は、男女従業員の賃金格差が全国の平均賃金の格差より少いかのように主張しているが、比較の対象とした被告会社の男子従業員は、被告会社が組合差別をして賃金を全国の男子の平均賃金さえも下まわるほどに低く押えた全金プリンス組合員のみであるなど、極めて偏ぱなものであって信用できるものではない。被告会社は、昇給のうちの一律分を約6割としてベース・アップを最近のインフレーションに追随しえない低い水準に置き、他方で昇給の4割以上という大きな部分を、職務、技能、成績の査定による考課分としているのであるから、会社に対する貢献度と賃金のアンバランスが生じるはずがないのであって、このことは、女子従業員の賃金の実際をみれば明らかといわねばならない。なお、被告会社は、男子労働力を確保するには、補助的業務に従事する男子についても他の男子と一律に賃金や定年を定める必要があるというが、このような理由を付加したところで、女子について賃金と労働のアンバランスが存在しないことに変りはなく、定年差別の根拠とならない。そもそも、労働者の募集の難易という専ら企業側の事情や利益によって性差別が合理化されることは、性差別の禁止が公序である以上認められるはずがない。
 定年制に関するその他の事情
[20] 被告会社は、女子の定年を50歳と定めるについて、[1]女子は50歳となれば労働能力が著しく減退し従業員として不適格であること、[2]高齢女子従業員の数及び[3]他の企業の定年制の実情を勘案したというが、右[2]及び[3]については、近年中高年女子労働者の数が著しく増加しており、定年差別をしない事業所が圧倒的多数を占めることを無視しているのである。また[1]についても、そのように判定する根拠は存在せず、女子は、男子と同じく満60歳となっても、なお十分な労働能力を有し、従業員としての適格を有するものである。すなわち、そもそも労働能力に影響する諸要素は、知識、経験、体力、精神状態等の多方面にわたり、また職種によっても前記各要素の与える影響の度合は全く異る。女子と男子との間には若干の体力差はあろうが、被告会社の女子の大半は、体力の労働能力に及ぼす影響がそれほど大きいとは考えられないような一般的事務等に従事していたのであって、高齢となってもなお十分に業務に適応できるのである。
[21] 以上のとおりであって、定年年令を差別する会社の定年制は公序良俗に反し無効で、松山ユリは、今なお被告会社の従業員としての地位を有するものである。

(二) 附帯控訴(未払賃金等の請求)の請求原因等
[22] 被告会社は、昭和44年2月以降松山ユリに対し賃金及び夏季冬季の一時金を支払わないが、松山ユリは、大正8年1月15日の生れで昭和54年1月15日に満60歳に達し、同月末日までは被告会社の従業員であるから、右未払賃金及び一時金の支払を受けることができる。
[23] 昭和44年1月当時の松山ユリの賃金は月額4万7318円であった。被告会社は、毎年4月賃金額を改訂するが、昭和44年から同52年までの毎年4月における賃上額の全社平均(賃上げ総源資額を従業員総数で除して得られる額)は、それぞれ別表Iの年度欄に対応する平均賃上げ額欄記載のとおりである。松山ユリが定年を理由に解雇されていなければ、同人の年令、勤務年数をもってすれば、右各年度に少くとも右平均賃上げ額を下らない賃金改訂を受けられたはずであり(ちなみに被告会社発表による各年度における平均賃金額、年令、勤続年数は、同別表の平均賃金等欄記載のとおりである。)、これを加算して得られる改訂後の賃金月額は、同別表の1か月賃金額欄記載のとおりとなり、従って各年度の年額合計(ただし昭和52年度は8月分まで)は、同別表の年間賃金額欄記載のとおりとなる。
[24] 被告会社は、毎年7月に夏季一時金を、12月に冬季一時金を支給するが、昭和44年から同52年までの一時金支給基準は、それぞれ別表IIの年欄及び夏、冬欄に対応する一時金支給基準欄記載のとおりであり、右支給基準に基づく各季の一時金計算の算式は、同別表の備考欄記載のとおりである。右支給基準及び算式を、前記の松山ユリの改訂賃金額にあてはめて、同人が受けられたはずの各季の一時金額を算出すると、同別表の松山ユリの一時金額欄記載のとおりとなる。
[25] よって、松山ユリは、被告会社に対し、昭和44年2月1日以降昭和52年8月末日までの未払賃金合計1022万5618円と昭和44年から昭和52年7月までの未払一時金合計479万4084円の総合計1501万9702円並びに昭和52年九月以降昭和54年1月まで毎月25日限り賃金月額16万1938円の支払を求める。
5 時効の抗弁に対する反論
[26] 松山ユリは従前から雇傭契約存続確認の本件訴えを提起しているが、この訴えは雇傭契約から生ずる個別的権利の実現のための手段としての性質を有し、賃金請求の訴えを提起しないからといって権利の上に眠っているわけではない。それ故本件訴えの提起とその遂行は、雇傭契約の存続を前提とする賃金債権の催告としての性質を有し、時効を中断する効力を有するものである。しかもなお、松山ユリは、昭和44年1月24日東京地方裁判所に従業員たる地位の保全のほか同年2月以降の賃金の仮払を求めて仮処分を申請し(昭和46年4月8日申請棄却判決、同48年3月12日控訴棄却の判決)、また昭和48年4月14日にも同裁判所に同旨の仮処分を申請し(昭和49年4月4日申請却下決定、同年12月9日抗告棄却の決定)ている等、本案とは別個の手続で賃金につき裁判上の請求をしていることも考慮すべきである。
(一) 松山登、白樺、杉樹及び桜木について
(1) 松山登ら4名の整理解雇の有効性
[27] そもそも会社は、人員整理基準のうち特に8「配置転換困難なる者」と1「工場秩序を乱す者」に重点を置いていた。本件の国電スト参加のための職場放棄と無断ビラ張りは、いずれも組合活動と無関係な政治活動であり、このような活動を工場内で堂々と実行することを正当化する理由は全く存在しない。それ故人員整理に当って工場秩序を乱す者として整理の対象者とされるのは当然のことである。松山登らは、会社の考課表についてしきりに批難するけれども、考課表を離れても整理基準に該当する事実が現に立証されているのであるから、右非難はあたらない。
[28] 原判決は、昭和24年7月30日の職場放棄とその指揮扇動並びに同年8月6日及び8日の職場放棄と業務妨害について、事実関係を概ね被告会社の主張どおり認定しながら、右職場放棄等の動機は、会社の給料の遅払及び未払にあり、むしろ会社に責任があるから解雇理由とはならないと判示した。しかし、当時の経済情勢の下では、会社側で如何に努力しても給料を支払う資金を獲得できない一方、従業員については復職同盟の力に押されて仕事もないのに過大な人員を採用させられていた状態であって、このような状況下で会社に賃金を支払えと要求するのは無理難題を吹きかけるに等しかったのである。それにもかかわらず、会社側職制をつるしあげるほどの強硬な態度をとり、職場放棄と業務妨害をしてかえって遅払、未払の原因をつくったのは、工場秩序を乱す最たるものといわざるを得ない。よって右職場放棄等の事実も解雇の理由に加えられるべきである。
(2) 白樺の訴え変更後の請求について
[29] 請求原因(1)の事実は、白樺の入社の日を認め、その余の事実は争う。同(2)及び(3)の事実を否認する。

(二) 松山ユリについて
(1) 松山ユリの整理解雇の有効性
[30] 原判決は、松山ユリが人員整理基準の1「工場秩序を乱す者」に該当しないと判断しているが、同人の昭和24年8月8日の職場放棄及び業務妨害は、その動機、目的、態様及び組合との関係などからみて、決して軽微な秩序違反にすぎないものでなく、又同人の無断ビラ張りにしても明らかな政治活動であって、工場内において許されるはずがなく、このような秩序違反をした者を整理の対象とすることは十分な理由がある。さらにまた、松山ユリを整理の対象とした第一の理由は、整理基準のうちの8「配置転換困難なる者」及び9「業務縮少のため適当な職なき者」に該当したからである。すなわち、同人は、トレース工としての経験は長かったが、検査工に配置転換されてから解雇されるまでの経験が2か月と短く、経験及び熟練度からみて検査工中技能が最も劣り、それ故に整理基準の9に該当する余剰人員とされたのであり、他の職場も全て人員整理をしていたので、配置転換も不可能であったものである。
(2) 被告会社の定年制の有効性
 男女差別と公序良俗
[31] 被告会社は、男女で5歳の差を設ける定年制を昭和23年からすでに設けているが、労働組合はもとより従業員各個人もこれを承認して、とやかく異議を申し立てることがなかった。それを松山ユリ一人が争ったからといって、そのためにこれを公序良俗違反とするのは、常識的にみて納得し得ない。原判決は、労働基準法3条及び4条、憲法14条の趣旨から、性別のみを理由に合理的理由のない差別をしてはならないことは、公の秩序として確立しているという。しかし、労働基準法自体が、67条生理休暇、61条女子の時間外休日勤務の制限、62条深夜業の禁止のような合理的理由のない男女差別をしているのであって、同法を根拠にすることは自己矛盾であり、同法3条及び4条は、その文言よりみて、賃金以外の労働条件について女子を男子より不利益に取扱うことを禁止していないことは明らかである。さらに法の下における男女差別を禁止した憲法14条そのものが、厳格な意味での男女平等取扱を要求していないことは、合理的理由のない前記労働基準法の諸規定や、根拠の不明確な各種の男女差別規定(婚姻適令―民法731条、老令年金の受給資格―厚生年金保険法42条、遺族年金等の受給資格―国家公務員共済組合法89条、恩給法74条等)が違憲無効とされないことからも明らかである。それ故労働基準法も憲法も、労働条件の合理的理由のない男女差別を全て無効とする根拠とはならず、このような差別の効力は、ひとえに民法90条の公序良俗違反に当るかどうかによるといわねばならない。そして、契約関係における基本的人権の制限は、それが契約関係本来の目的からみて著しく不合理であり、憲法が人権を保障する精神そのものを否定するようなものであってはじめて、国民感情に照して反道徳的、反社会的なものと評価され、民法90条によりその効力が否定されるのである。このように民法90条に該当するかどうかは、その時々における国民感情のいかんによるのであって、この点の判断を省略して合理的理由のない男女差別の全てを公序良俗に反するという原判決は、法の解釈を誤ったものである。
 被告会社の定年制の民法90条非該当性
[32] 被告会社の定年制は、もと男子55歳、女子50歳であったが、昭和48年4月1日就業規則57条1項を改正して、それぞれ60歳、55歳に変更した。それ故松山ユリは、右変更前の定年制の適用により昭和44年1月31日(松山ユリ50歳時)、仮に変更前の定年制が無効であるとすれば変更後の定年制の適用により昭和49年1月31日(松山ユリ55歳時)解雇されたものである。従って、同人との関係では、右適用時を基準として、その当時の国民感情に照して右定年制が公序良俗に反するかどうかが判断されねばならない。この観点から被告会社の定年制を考察すると、以下のとおり国民感情に反し反社会性を有するとはいえない。
[1] 社会の実態からの非該当性
[33] 昭和50年に実施された世論調査によると、職場における男女の不平等取扱について、やむを得ないとする者が49パーセントと約半数、当然だとする者が14パーセントで、大多数のものが肯定する傾向にある。昭和47、8年の労働組合幹部の意識調査では、「夫は外で働き妻は家庭を守る」という伝統的考え方が支配的で、職場における男女較差の解消には大多数が否定的であり、定年制についても、女性が5歳ほど若くてもよいとする者が15.5パーセントにのぼる。そして昭和45年当時の調査によると、男女別定年制を設ける事業所数が1万992にのぼり、そのうち男55歳、女50歳とするのが圧倒的多数を占めていた。右のように多数の事業所が男女別定年制を設けているのは、それが大多数の国民感情に反しないからというほかはない。以上のほか、結婚した女子は常に家事のために勤務をなおざりにし、職場においてマイナスの存在といわれている。被告会社の定年制に該当する女子もまた、右の声によれば職場でのマイナスの存在となるのであるから、50歳で退職するのは何ら国民感情に反しないのである。
[2] 行政当局の見解より見た非該当性
[34] 昭和40年9月15日第1刷、同43年2月25日改訂増補第2刷として発行された労働省婦人少年局編集「改訂女子の定年制」中には「男女定年に5歳程度の差異があってもそれを不可とするほどの根拠は見出し難い。」と述べられてある。さらに昭和52年6月に労働省婦人少年局が発表した「若年定年制、結婚退職制等改善年次計画」によると、年次計画の最終段階として「昭和55、56年度においては、男女別定年制のうち、女子の定年制が55歳未満のものの解消を図る。」とされている。これによっても、男子55歳、女子50歳とする変更前の被告会社の定年制すら現在においても大多数の国民感情に反しないことが証明される。まして現在の被告会社の定年制は女子55歳であるから、右の年次計画の対象にも含まれず、なおさら国民感情に反しない。
[3] 立法面より見た非該当性
[35] 定年制に関するわが国の立法は見当らない。しかし、厚生年金保険法42条は、老令年金の受給資格について男女間に5歳の差を設けているが、この規定が合理的理由もないのに現在も維持されているのは、大多数の国民感情に反しないからである。従って、会社の定年制のように男女間に5歳の差を設けるのは、同様に大多数の国民感情に反しないというべきである。昭和28、9年の同法制定当時の立法者の念頭には、女子について差別的な定年制を設けている企業の多いことがあったといわれているが、そうだとすれば、同法は、当時多かった男子55歳、女子50歳の定年制を公序良俗に反しないものと是認しているといえる。もしこのような定年制が公序良俗に反するなら、そのような定年制を前提に立法が行なわれるはずがない。
[4] 国際的視野から見た非該当性
[36] 女子に保護規定がある以上、男子との間に平等扱を要求するのは無理であるとするのが少くとも先進国の考え方であって、わが国もそれに含まれる。これも被告会社の定年制が国民感情に反しない裏付である。
[5] 松山ユリ個人の関係からみた非該当性
[37] 松山ユリは、男女差別定年制は、現在50歳台に達している多数の戦争のための独身女性にちょうど適用されることとなり、これらの人々の生活を破壊すると主張するが、松山ユリは、夫もあり夫は就職しているのであって、松山ユリ個人の関係からは被告会社の定年制を争う実質的根拠は何もない。さらにいえば、松山ユリもその一員である全金プリンス自工支部の女子組合員は、被告会社の就業時間の変更に伴い子の保育に障害があるとして、時差勤務、遅刻早退の特別扱を要求し、現にそのうちの過半数が毎日時差勤務等をしている。全日産自動車労働組合の女子組合員は、過去にこの特例を受けた者がわずかにいたが現在は皆無であって、右の全金プリンス女子組合員は同僚の女子に比較しても欠陥のある勤務をしているのである。松山ユリは、被告会社に右の特例扱を要求しているのであって、このような要求をしながら他方で定年上の男女平等を要求することは、信義に反しそれこそ大多数の国民感情にそぐわないものである。
 被告会社の定年制の合理性
[1] 女子従業員の担当業務
[38] 被告会社の全ての業務は、高度の技能や長い経験を必要とし長期間習熟すればするほど会社に対する貢献度が高くなる業務、すなわち基幹業務と、入社後比較的短期間に習熟し会社に対する貢献度が向上しない業務、すなわち補助的業務に大別される。女子は、個々的にみて基幹業務を処理しうる能力があるにしても、労働基準法によって就業につき各種の禁止(例えば危険有害業務、重量物の取扱い)があり、また業務の中断が男子に比し多い(例えば深夜、休日勤務の禁止、生理休暇、産前産後休暇、育児時間、時間外勤務の制限等によって)。さらに現実に勤続年数が極めて短い。このような事情から女子を基幹業務につけると重大な支障混乱が生ずるので、補助的業務につけざるを得ない。そこで基幹業務を担当する女子は、極く少数の例外となる。ところで補助的業務にも直接生産工程にたずさわる直接部門とそうでない間接部門とがあるが、重工業である被告会社では、補助的業務であっても直接部門では筋力を要する作業が多く、これらは男子にしか担当させられない。又直接部門では、交替制による深夜業はもとより毎日1ないし2時間の時間外勤務と月1回程度の休日勤務を内容とする被告会社でいう計画残業を伴っているので、これも男子にしか担当させられない。そこで、女子に担当させるのは、間接部門の補助的業務、すなわち、一般的事務、タイプ業務、キーパンチ業務、電話交換業務、製図業務などと、例外的に女子でも相当可能な軽易な直接部門の業務、例えば倉庫における生産資材、工具類等の管理業務などに限られる。もっとも極く少数の男子が女子と同じ補助的業務を担当しているが、これも全く特殊な事情による例外的現象にすぎない。
[2] 賃金と労働のアンバランス
[39] 被告会社の賃金体系は、いわゆる年功序列方式と職務遂行能力に応じたいわゆる職務給方式の双方を併用している。すなわち被告会社における賃金の昇給は、一律分と職務、技能、成績の査定による考課分とがあり、その割合はほぼ3対2であって、一律分が世間でいうベース・アップに相当する。そこで女子も毎年昇給があり年々賃金が増加するのであるが、業務の方は女子の担当するのが経験と熟練とを必要としない補助的業務であるから、入社後一定の時期を経ると毎年同じような作業を繰り返すだけとなり、労働の質量とも向上がなくなってしまう。そこに賃金と労働のアンバランスが生ずる。これが定年年令に差を設ける根本の理由であって、被告会社としては女子についてはなるべく若干の定年年令を定めた方が得策である。これに対し男子の場合も補助的業務を担当する者があるが、男子は男子にしてはじめて可能な業務を担当しているし、現在は補助的業務を担当していても勤務成績の如何によって将来、組長、係長等基幹業務を担当する可能性を有しているので、男子の労働は女子のそれに比較して労働の質量ともに格段の差があり、会社に対する貢献度においても優れているのである。そこで男女間の賃金の昇給度合にも差があるが、しかし男女間の賃金較差は他企業に比較して極めて少い。又男子の場合高度の技術や長い経験を要しない業務につかせる場合でも、他の男子と同様に年功序列型賃金を支給しているが、それは一律にしなければ良質の男子労働者を大量に得られないという日本社会の実態がそうさせているのである。女子についてはそのような事情がない。そして、男子は一家の大黒柱として生計を維持するのが一般であるので、女子に比較して雇傭期間を長期にすることが要請されるのである。これに対して、女子は、定年が問題となる年頃は、普通は母性として夫の生活扶助者として家庭で就業する地位にあるものであるから、働かなくとも家庭にいてもよいという事情にある。
[3] 定年制に関するその他の事情
[40] 被告会社は、以上の事情から女子についてはなるべく若年の定年年令を定めた方が得策であるが、しかしできるだけ男女の定年年令差を少くしようと配慮し、(イ)女子が50歳になれば労働能力の減退が著しく従業員として不適格になると認めたこと、(ロ)女子で50歳を過ぎてまで勤務する者は殆んどいないこと、(ハ)他企業の定年年令を調査したところ、男子55歳、女子50歳と定める例が多く常識的といえること、以上3点から女子の定年を50歳と定めた。しかして、右(イ)から(ハ)までの事情は、本来もっと若年の定年を定めてしかるべきところを、できるだけ男子の定年に近づけるため参考にした事情にすぎないから、これらの事情について合理的かどうかを検討しても意味のないことであり、原判決はこの点でも誤っている。
(3) 松山ユリの附帯控訴(未払賃金等の請求)について
 請求原因事実に対する答弁
[41] 請求原因1の事実のうち、被告会社が松山ユリに対し昭和44年2月以降の賃金及び一時金を支払わないこと、松山ユリが大正8年1月15日生れで昭和54年1月15日満60歳に達することを認め、その余は争う。
[42] 請求原因2及び3の事実を否認する。
 時効の抗弁
[43] 賃金請求権の時効期間は2年であるところ(労働基準法115条)、附帯控訴が提起されたのは昭和48年9月11日である。従って昭和46年9月10日以前の賃金については仮に一旦請求権が成立したとしても時効により消滅している。
[1] 次の事実は当事者間に争いがない。
[2] 富士産業株式会社は、その前身が中島飛行機株式会社であって、全国に計17の工場又は事業所を有し、その一である荻窪工場においては、エンジン、映写機、ミシン等の製造をしていたが、昭和25年7月13日富士精密工業株式会社が設立されると同時に、同会社に右荻窪工場の営業を譲渡し、同工場の従業員に対する雇傭関係も、同会社に承継された。同会社は、昭和36年2月27日商号をプリンス自動車工業株式会社と変更したが、その後、被告会社は、昭和41年8月1日プリンス自動車工業株式会社を吸収合併し、同会社従業員に対する雇傭関係を承継した。松山登は、昭和21年3月12日富士産業株式会社に雇傭され、荻窪工場工作課第4職場に所属して仕上組立工(ブロック長)であったものである。白樺は、同年2月1日同会社に雇傭され、右職場に所属してターレット旋盤工であったものである。杉樹は、同年同月同日同会社に雇傭され、右職場に所属してフライス工であったものである。桜木は、昭和20年12月2日同会社に雇傭され、右職場に所属しターレット旋盤工であったものである。松山(旧姓小西)ユリは、昭和21年1月28日同会社に雇傭され、技術課検査係に所属し検査工であったものである。そして、富士産業株式会社は、昭和24年11月5日原告らに対し、同月12日限り人員整理のため解雇する旨の意思表示をした。
[3] 《証拠略》によれば、次の事実が認められ、この認定を左右すべき証拠はない。
[4] 富士産業株式会社の各工場は、企業再建整備法に基づく企業再建整備計画により、それぞれ独立の会社となることが予定されていたことから、昭和22年5月以降独立採算制をとってきた。荻窪工場もその一つであって、同工場では当初主な生産品目であった漁船用発動機に予期以上の好成績を獲得し、鉄道車輛用切削工具においても業界の好評を得ていたが、昭和23年春の税制改正以降購買力の減退のため、まず漁船用発動機の売行が不振となり、売掛金の回収が困難となって工場の経営は悪化しはじめた。そこで経営悪化を防ぐため受註生産に方式を変更して売行と入金の確実をはかったが、受註量が工場の規模と見合わず、受註品の種類が多く生産が右の変更に即応できなかったこと、昭和23年7、8月の争議で生産が停滞したこと、さらに経済界の状況が経済3原則等の実施を転機として争速にデフレ化し金詰りが深刻となったことなどが重って、昭和23年10月には工場は赤字経営となり、訴外日本興業銀行からいわゆる赤字融資を継続的に受けなければならない事態となり、同年11月から給料の遅払が始った。翌24年もこのような事態が続いて、同年3月ドッジ・プランが発表されると共に財政の均衡をはかるため政府予算が大幅に削減され、工場の主要生産品目である鉄道車輛用工具は受註皆無の状況となった。工場では、同年3月32日経理状態を白書の形で組合に説明し、賃金引下げなどの協力を求めたが、その後も工場の経理状態はさらに悪化して、賃金の遅払もますますひどくなり、同年9月末頃には、生産が停滞する一方で、未払金が約2300万円でそのうち賃金の未払が約560万円にのぼり、その他に借入金が約3000万円あって、そのままでは金融機関から続けて融資を受けることができない状態に立ち至った。そこで、同年9月末頃ついに、経営規模を縮小して企業整備をするほかなくなり、注文の見通し、採算、金融を受けうる限度の3点から検討して整備計画をたて、工場の再建をはかる上で必要な職種、工員、間接員を定めてその余の余剰人員を整理することとし、同工場の当時の従業員742名のうち約230名を整理の対象とすることとしたうえ、結局原告らを含む198名を解雇することとなったものである。
[5] 右認定の事実によれば、本件人員整理は、企業の経営維持のため必要やむを得ないものと認められる。原告らは、解雇の手段をとらなくとも希望退職を募集することにより人員を減らすことができたし、解雇の翌年には新規従業員を採用したことからみても人員整理の必要がなかったのであるが、あえて解雇したのは原告らを排除するためであったと主張するけれども、右に認定した当時の経済情勢及び会社の経営状況からみると、多数の人員整理を早急に行うことが必要であったものと認められ、その方法として希望退職によれば迅速かつ円滑に目的を達することができたとも認められないので、右主張は採用することができない。
[6] 《証拠略》によれば、次の事実が認められ、この認定を動かすべき証拠はない。
[7] 荻窪工場では、昭和24年9月末頃から被整理者の選定作業に入った。それは、会社整備計画から算出された余剰人員数を、整理後の配置転換等を考慮に入れながら各職場に割当てて確定すると共に、人員整理基準として、(1)工場秩序を乱す者、(2)会社業務に協力せざる者、(3)職務怠慢なる者、(4)技能低位なる者、(5)事故欠勤多き者、(6)出勤常ならざる者、(7)病気による長期欠勤者、(8)配置転換困難なる者、(9)業務縮小のため適当な職なき者、(10)その他経営効率に寄与する程度の低い者という10項目を定め、これに該当する従業員を必要人員数だけ整理することとしたものであった。そして従業員各個人について、整理基準の該当の有無を調査し、職場内での序列を付するために、各課長及び各職場長をして、その前約半年ないし1年間の勤務成績に基づき所属の全従業員について考課表を作成させた。右考課表においては、右整理基準に対応する考務項目、すなわち、職場規律、業務に対する協力性、作業に対する努力、技能、勤怠、健康状態、応用力、職場における重要度、総評の9項目にわたり、各従業員について、丙を普通として甲乙丙丁戊の5段階による採点をし、この考課項目の採点低位の者が、いずれも整理基準の対応項目に該当する者とされ、職場内での相対的評価により順位の序列が付されたものである。そして整理基準の(1)工場秩序を乱す者には、全従業員のうち25名の該当者があるとされたが、工場では秩序の維持を最も重視して右基準に該当する者を各職場において原則として序列として最下位にあるものとし、解雇することとした。原告らは、いずれも右の工場秩序を乱す者とされたのであって、松山登は工作課第4職場の169名中の163位、白樺は同161位、杉樹は同158位、桜木は同162位、松山ユリは技術課の73名中71位の序列が付されている。原告らは、他の整理基準にも該当すると評価されているが、その内容は、基準の(2)会社業務に協力せざる者には白樺、杉樹、桜木及び松山ユリの4名が、基準の(3)職務怠慢なる者及び(4)技能低位なる者には松山登、杉樹及び桜木の3名が、基準の(8)配置転換困難なる者には松山登、白樺、桜木及び松山ユリの4名が、基準の(9)業務縮小のため適当な職なき者及び(10)その他経営効率に寄与する程度の低い者には原告ら全員が該当するというものであった。
[8] 以上のとおり認められる。原告らは、前記考課表等は不当労働行為をおおいかくす口実で客観性を欠くと主張するが、原告らの整理基準該当の有無は、工場側の評価を記載したにすぎない右考課表のみで立証されるものではないから、本訴においてはさらに進んで整理基準に該当するかどうかを具体的に証拠によって認定することになるのであり、考課表の記載の信用性自体が主要な証明主題となるものではない。さらに原告らは、被告会社主張の整理基準該当事実の一部でも認められない場合は、職場内の序列が大幅に変動するので、解雇理由が失なわれると主張している。しかしながら、人員整理をされたのは、従業員742名中198名と多数にのぼり、《証拠略》によれば、その中には松山登ら4名が所属していた工作課第4職場の場合前記整理基準の(2)、(9)及び(10)に該当するだけの者などが含まれていたことが認められるから、被告会社主張の整理基準該当事実の一部が認められない場合でも残る一部が認められる場合は、右の人員整理をされた者に比較して序列が上位にあるのでない限り、整理解雇されるのはやむを得ないものといわなければならない。なお整理基準の(8)は「配置転換困難なる者」と、(9)は「業務縮小のため適当な職なき者」とあって、従業員を配置する職務の有無の観点による表現となっているが、配置転換もせず人員の全部を解雇した職場はなかったのであって、人員が減少する職場でも右のような基準により解雇される者と基準に該当しないものとして残留する者があったのであるから、右の基準に該当するかどうかは、従業員の能力等を残留者との間で相対的に評価して判断する他ないものと考えられる。
(一) 昭和24年2月11日の職場デモの指揮扇動(白樺及び松山ユリにつき)
[9] 《証拠略》によれば、次の事実が認められ(る)。《証拠判断略》
[10] 当時の荻窪工場従業員の賃金は、固定給と生産高に応じて算定される生産報奨金とからなっていた。昭和23年8月の賃上げ争議の結果、固定給が4500円、生産報奨金の見込額が1500円となったが、同年秋から生産が落ちこみ生産報奨金が見込みどおりの額とならなかったり、又目標通りの生産が達成されても資金繰りがつかず賃金が全額支払われない事態が生じた。当時激しいインフレ下にあった従業員は、生活不安から賃金の全額固定化を要求し、組合もこれをとりあげて昭和24年1月工場に対し平均7500円の賃金を保証することを要求した。これに対し工場は、同年2月9日、1月分は固定給4500円に1000円の前貸をする。2月は7500円を保証する、3月以降は生産の状況により決めるとの回答を出し、翌10日組合の執行委員会はこれを受諾する意向であったが、職場委員が参加する拡大委員会では賛否両論に分れ結論が出ず、翌日各職場で大会を開いて委員会の状況を報告し、各職場の意見を徴することとした。工作課第2職場では、同月11日朝職場大会が開かれたが、組合員は、工場の回答及びこれを受諾しようとする組合執行部に対し強い不満を示し、工場幹部から30分以内に閉会するよう命じられたにもかかわらず、これを拒否してほぼ2時間にわたって大会を開いた。この間、当時の組合の執行委員であった白樺と松山ユリは、執行委員会等の状況の報告を求められて右大会に出席したが、組合員を扇動したりしたことはなく、すでにその頃第2職場の組合員Fから工場内をデモしようとの提案が出されており、前記の不満等から第2職場の組合員全員の決議でデモが実行に移された。右デモは、当時職場大会中の工作課第1職場や就業中の同課第3、第4職場内に入るなどして約30分間続けられたが、右第1、第3及び第4職場は同調しなかった。白樺及び松山ユリの両名は、右デモに参加したがいずれも途中でデモから離れ組合事務室に戻っている。
[11] 右認定の事実によれば、第2職場組合員と白樺、松山ユリらは、組合の機関決定によらずに工場内をデモしたものであって、正常な組合活動とはいえないけれども、《証拠略》によると、当時すでに賃金の遅払が激しくなって、昭和24年2月組合は工場を労働基準法違反として検察庁に告発したほどであり、そのうえに、前記工場側の回答で同年1月分の賃金水準自体が従前より低下せしめられる事態となったのであるから、生活を維持する上での組合員の危機感が高まるのは当然であって、このような状況下において有効な解決能力を欠く工場及び組合員の納得できる措置をとらない組合執行部に対して激しい不満が表明され、それがデモに発展したのは、自然の成行であって無理からぬところがあり、これを一般の工場秩序違反と同列に取扱うのは相当でないといわねばならない。現に、右デモに参加した第2職場組合員全員が工場秩序を乱す者とされたわけではないのである。そうとすると、本件デモに関しては、白樺及び松山ユリの両名について、使用者として通常直ちに解雇の理由としてとりあげる程度の行為を認めることができず、整理基準に該当しないものといわなければならない。

(二) 昭和24年6月10日の国電ストライキ参加のための職場放棄(松山登、白樺、杉樹及び桜木につき)
[12] 《証拠略》によると、次の事実が認められる。《証拠判断略》
[13] 昭和24年6月10日国電ストに際し、荻窪工場の組合の執行委員会は、国鉄労組が行政整理等に反対して闘うことに対しては同じ労働階級として充分に理解し応援するが、国鉄には公益性がありストを行う場合には一般の支持を得なければ効果はないので慎重を要し、抜打的なストを行うについては国鉄労組の自重を要望するとの態度を決定し、工場の組合員に対しても個々に動揺したり行動することを避け、執行部の指示に従うよう指導していた。これに対し、日本共産党富士荻細胞のメンバーであった松山登、白樺、杉樹及び桜木は、右国電ストの勝敗が直接自己の労働者としての地位、生活に影響するものであり、右ストを応援することが平和と民主主義を擁護するため必要であるとの政治的信念に基づいて、前記組合の指導に反して工場を早退して応援に参加しようとし、桜木が代表となって当日朝8時半頃まず工作課第4職場のC職場長に対して早退の許可を求めたが、同人から拒絶され、同職場長が上司と連絡のため席をはずした間に、さらに同職場長附Aに同様の許可を求めたが、同人は、桜木と種々論議の末、家事都合等必要やむをえない理由による帰宅の申請以外は職責上許可できないと諭して拒絶した。そこで桜木は、C職場長名義の出門許可証を偽造して出門することとして、当時桜木らの行動に同調していた事務員のBと相談のうえ、正当な許可があったようにみせかけるため早退の理由を許可を得やすい帰宅と記載したうえ、Bがかねて保管していたC職場長の印を出門許可証に押捺させてこれを作成したが、この事情については、松山登、白樺及び杉樹も承知していた。そして、松山登ら4名は、同日午前9時半頃右出門許可証を使用して早退出門し、国電ストライキの応援に向ったが、その際桜木は、第4職場通路床上に白墨で「吾等日本共産党富士荻細胞は国電スト応援のため職場を放棄す」と大書した。
[14] 原告らは、同人らの所属する第4職場では国電スト支援の決議が行なわれたと主張し、当審において桜木は、スト支援のための早退は右決議の実行であり義務付けられていたと供述するけれども、《証拠略》によると、同人は、昭和26年3月20日の本人尋問の際はそのように供述せず、かえって国電ストを支援した行為は組合活動ではなく、松山登ら以外の他の従業員に対し職場放棄をするよう誘ったこともない旨供べていたのであり、また組合の態度は前記認定のとおりであって、松山登ら4名の行動が組合活動や第4職場組合員の総意に基づくものでなく、同人ら独自の政治活動であったことが明らかである。次に、原告らは、当時賃金の遅払が激しく工場では労働者がその支配から脱けていくのを批難することができない状態にあり、A職場長附も早退を厳しくチェックせず、早退の理由をスト応援から家事都合に変更すれば許可するというので、そのように変更して同人から許可を受けて出門許可証に同人の押印を受けたのであって、C職場長名義の許可証は、松山登らを陥し入れるために提出された虚偽の書証であると主張する。しかし、桜木は、前記本人尋問の際は、明確に出門許可証にC職場長の印が押された旨を供述していたのであり、その後も誰一人として松山登らの出門許可証にA職場長附が自己の印を押した旨供述しているものはないのであるから、右主張は採用できない。さらに、《証拠略》によると、当時の賃金遅払の程度ははなはだしく、従業員も生活維持のため会社を休んだり任意退職したりする者が増え、昭和24年5月の1日当りの平均休暇取得者欠勤者は出勤者の7.5パーセント、月間の退職者20名、6月のそれは11.5パーセント、31名という状態であったこと、そのため工場が右のような生活維持のための必要やむを得ない欠勤を許可していたことが認められるが、《証拠略》によると、工場従業員いずれの立場においても、賃金遅払―欠勤増加―生産減退―賃金遅払という悪循環を断ち切る必要があって、組合自身生産復興をめざし、従業員相互の間で欠勤を戒め休暇の自粛を申し合せそのため努力をしていたことが認められるのであって、職場規律が一般的にゆるんでいたと認めるに足る証拠はない。さらに原告らは、国電スト当日は従業員の3分の1が定刻に出勤せず、職場の業務を正常に行える状況になく、松山登らが早退することに本来的に支障はなかったと主張するが、《証拠略》によると、国電ストにかかわらず出勤してきた従業員は各々整然と作業についていたことが認められ、また《証拠略》によると、C職場長は早退の許可を求めた桜木に対し、生活困難の中を工場の窮状打開のため皆が職場で頑張っているのだから考え直すよう諭した事実が認められるのであって、右主張はとうてい採用できない。次に原告らは、当時多数あった内職のための早退を秩序違反としないのであれば、国電スト参加のための早退についても同様の評価を与えるべきであると主張する。しかし、内職のための早退は、本来工場側の責任を負うべき賃金遅払等により従業員の生活の困難が生じ、やむを得ず行なわれたもので、それが故に工場としても早退を許していたのであるが、国電ストに対する評価は、ストと松山登ら特定民間企業の労働者の地位との関連を含めて、政治的立場を異にするに従って明らかに差異があり、企業がこのような政治的な問題についての個々の労働者の信念に基づく職場放棄を許容しなければならないとすれば、単に計画的な生産活動が阻害されるだけでなく、政治的立場の相異による衝突が生産現場に持ち込まれ、企業秩序が損われるのであって、現に、《証拠略》によると、松山登らが職場を放棄したのに対し、作業についていた従業員から猛烈な非難が起り、職場長に対しても松山登らの行為を何故許可したかと詰問の声が上ったことが認められるのであって、国電スト参加のための職場放棄を秩序違反に問うことは、合理的な理由があるといわなければならない。そして、原告らは、桜木が職場の床に書いた位置は、通路床面でなくグラインダーの下であり、これとは別に何者かが通路の目立つ場所に大書したのを桜木が書いたものと誤認したものであると主張し、当審における桜木及び杉樹の供述はこれにそうものであるが、《証拠略》によると、桜木は、昭和26年3月20日の本人尋問の際は、第4職場の床上に書いたのは自分の他にない旨明言していたことが認められるのであって、右主張も採用の限りではない。
[15] 以上認定判断したところによると、松山登ら4名の行為は、工場秩序を乱すものであることが明らかで、その秩序違反の程度は、2度にわたる上司の説得を無視した点、出門許可証の偽造という悪質の手段を用いた点及び職場床面に大書することによって工場秩序に対する挑戦的態度を示した点において重大であり、これを工場が人員整理の理由としたことは相当であるといわねばならない。

(三) 無断ビラ張り(松山登、白樺、桜木、松山ユリにつき)
[16] 《証拠略》によれば、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断略》
[17] 昭和24年5月13日早朝、白樺、杉樹、桜木及びGは、日本共産党富士荻細胞名義のビラを中央通りに面する荻窪工場の壁等に多数貼付した。工場のH総務課長は、工場は賠償指定工場であり、ビラを貼付して汚損することは許されない、ビラを貼付する場所として組合使用の掲示板があるのであるから、これに掲示するよう注意したところ、白樺及び桜木は、同人らのビラ張りは組合活動でなく政治活動であって組合の掲示板に張るべき筋合でない、政治活動としてのビラ張りは表現の自由であって、工場は禁止することができないはずで、富士産業の他の工場には共産党専用の掲示板があるからこれを作るよう要求して、右注意に従わなかった。そして、同年5月20日早朝、右白樺、桜木及び上野の他、桧山木曽男、松山ユリ、B及び野菊花子は、前記同様ビラを貼付した。しかし、松山ユリら前回注意を受けなかった者がビラ貼付の場所についての総務課長の指示を知っていたとは認められない。さらに、桜木は、その後も職場内の衝立などに前記同様のビラを張り続け、同年7月15日工作課第4職場C職場長は、桜木の張り付けたビラを撤去したところ、桜木、白樺及び松山登は、C職場長のところに異議を申し立てて来、Cはこれに対してビラの貼付は会社の指定する掲示板に限る旨注意した。その後も、桜木は、7月26日、8月11日及び同月13日にも前と同様の場所に「アカハタ」や日本共産党富士荻細胞名義のビラ、壁新聞を貼付したが、その間C職場長の再三の注意に対して「絶対に言う事を聞けない。」として反抗的態度を示した。そして、原告らが貼付したビラ等の内容は、内閣打倒等の政治的スローガンや政治問題に関する広報宣伝を内容とするものと、「休暇の届出制反対」、「直ちに斗争宣言を発せよ。」、「工場を喰物にする幹部を追放せよ。」、「上ラ又生産出駄ラ目工数」等の工場の労働条件に関するものがあった。
[18] 原告らは、工場内に掲示板がなくビラ張りを全面的に禁止されたと主張しているが、この主張が事実に反することは、《証拠略》に照して明らかである。
[19] 次に原告らは、掲示板以外の工場施設等へのビラ張りは、富士産業の他の工場や組合の闘争時におけるビラ張りの態様に照して許されるべきものであるとか、第4職場の衝立への壁新聞等の貼付は慣行的に認められていたのを7月になって突然禁止してきたものであると主張しており、また本件ビラ張りの当時白樺及び桜木は、同人らのビラ張りは組合活動とは別の政治活動であり表現の自由があるから工場は禁止できず、かえって日本共産党専用の掲示板を設置すべきであると主張していたことはすでに認定したとおりである。そこで、これらの主張の当否について検討する。まず、原告らが貼付したビラ等の内容をみると、前記認定のとおり、政治的スローガンあるいは政治問題に関する広報宣伝を内容とするものがあって、この種のビラ等の貼付は政治活動であり、組合活動としての性質を有しないものと考えられる。これに対し本件のビラの中にも工場の労働条件に関するものが多数あり、その内容及び貼付された場所からみると、それらのビラは工場の従業員に向けられたものであったと認められる。しかして、原告らがこれらのビラを貼付した目的が、当時の組合の統制を排除して独自に運動を展開することにあり、客観的にみて組合の団結を阻害するものであったとすれば別論であるが、組合の意思決定が行なわれる過程において自己の見解に賛同を得るために組合員に働きかけるための行動であったとすれば、それは組合内部の行動であり、例えそれが政党所属員の名で行われてもなお政治活動の他組合活動としての性質を有するものといわねばならない。《証拠略》によると、原告らの行動の中には組合の指導に従わないものがあったことが認められるが、未だ組合の統制を排除した独自の運動を行うには至っておらず、本件ビラの内容をみてもそのようには認められない。そうとすると、本件ビラのうち労働条件に関するものの貼付については、組合活動としてその許容範囲を考察することが必要である。
[20] ところで、ビラの貼付は、企業施設を汚損する等直接かつ継続的に企業施設を侵害するものであるところ、政治活動としての言論の自由は企業施設を侵害する権利を含むものではないから(最高裁大法廷昭和45年6月17日判決刑集24巻6号280頁)、白樺及び桜木が政治活動としての企業施設へのビラ張りを自由であると主張したのは、法を誤解したものである。白樺らがこのような主張をして上司の注意に従わず、あまつさえ日本共産党専用の掲示板の設置を要求したのは、工場秩序を無視するものと評価されてもやむを得ないものといわねばならない。
[21] これに対し、組合活動としての性質を有するビラ張りについては、工場は一定の範囲で許容しなければならない。この点につき、原告らは、掲示板以外へのビラ張りを許すべきであったと主張するが、《証拠略》によれば、富士産業の他の工場はさておき荻窪工場では、組合用の大きな掲示板が設けられていて組合関係のビラはこの掲示板に張るのが通常であり、昭和23年7、8月の争議の際に、組合が指令して掲示板以外の場所にビラを張ったことがあるにすぎないもので、そのようなビラ張りを工場が許可したことはないことが認められ、それらが慣行化していたものと認めるに足る証拠はない。そして、富士産業の他の工場におけるビラ張りの状況についてこれを適確に認定できる証拠は存しない。そうであれば、工場が原告らのビラも前記掲示板に張るように指示し、他の場所に張ることを禁止したことは相当であるといわねばならない。原告らは、当時の賃金遅払の状況が酷かったことをあげて、ビラを張り労働者の切実な要求を表現することの重要性を強調するけれども、右に認定したとおりビラを張る場所は用意されていたのであって、前記の判断を左右するに足りない。
[22] 以上の認定判断に基づいて各個人について検討する。まず、松山登については、同人は7月15日に白樺及び桜木と共にC職場長がビラを撤去したことに異議を申し立てたことは認められるものの、その際の発言内容を認定する資料はないのであって、右異議の申し立てのみをもって職場規律に反するものとはいえない。そして、同人が本件ビラ張りについてなんらかの関係があることは推測できるが、その関与の程度方法は明らかでないのであって、本件ビラ張りについて、工場秩序に違反する事実を認定することはできない。次に松山ユリについてであるが、同人は5月20日にビラ張りをしたものであるが、貼付したビラの内容について適確な証拠はないものの、本訴に提出されている証拠のビラは政治的内容のものは1枚のみで、その余はすべて労働条件に関するものであることと、《証拠略》を併せて考えると、後者の内容のビラを貼付したものと推認するのが相当である。しかしてすでに検討したとおり、労働条件に関するビラの貼付は、組合活動としての性質を有し、工場は一定の範囲でこれを許さねばならないところ、松山ユリはこの許容された範囲を誤解して掲示板以外の場所にビラを貼付したものであるが、5月13日の総務課長の注意を松山ユリにおいて承知していたと認められない一方、従前組合の指令で掲示板以外の場所にビラが張られたことがあって、誤解を招きやすい状況があったものと認められるので、松山ユリのビラ張り行為については、使用者として通常直ちに解雇の理由としてとりあげる程度の秩序違反があったとはいえず、整理基準に該当するものと認めることができない。最後に、白樺及び桜木についてみると、同人らは、上司の注意を受けながら再三にわたって禁ぜられた場所にビラ等を貼付したばかりでなく、前述のとおり根拠のない主張をして、工場側に義務のない行為を要求し、また上司の指示に従わない態度を明らかにした点において、工場秩序に違反する程度は重大であって、工場秩序を乱す者との基準に該当するものとされたのは、やむを得ないものといわなければならない。

(四) 昭和24年7月30日、8月6日及び8月8日の職場放棄等(松山登、白樺、杉樹、桜木、松山ユリにつき)
[23] 《証拠略》によれば、次の事実を認定することができ(る。)《証拠判断略》
[24] 昭和24年3月31日工場は、経営悪化の状況を白書にまとめて従業員に配布するとともに、賃金を1か月1人平均4500円に切り下げ、すでに累積していた未払分を1か月1500円宛分割して支払うこととし、以上の合計額1か月6000円を毎週水曜日に各1500円宛に分けて支給する計画をたてた。しかし、その直後の同年4月15日右計画による1500円の支給がなされず、その後は賃金の計画どおりの支給等を求めて、度々工場内の各職場で職場大会が開かれることとなった。その後同年夏に入って賃金の遅払はさらに深刻となり、支払は1か月遅れ、支給回数は1月に6、7回となり、特定の日に支給が予定されていても当日になると支払われず、支払われても額が極めて僅少となることがしばしばであり、また前の月の遅払分の支払がすまないうちに次の月の遅払が始まるという事態となった。その間物価の急激な上昇の中で従業員の生活は窮迫し、従業員及びその家族は、できうる限りのアルバイト及び内職をしていたが工場から支給を受ける賃金の額が生活保護の支給額を下まわることから、従業員の中には生活保護の適用を受けるものまで現れた。
[25] 昭和24年7月30日は、6月分の賃金の内金1500円が支払われる予定の日であり、従業員は、翌31日の日曜日に食糧等の買出に出掛けるための資金を必要としていた。しかし、当日午前10時工作課第4職場のC職場長は、従業員に対し予定どおり支給することが不可能であると説明した。このため同職場の従業員は、直ちに同職場長の許可を受けて職場大会を開いたが、この日の支払をあてにしていた従業員は甚しい失望と不安のあまり動揺を起し、他方従前の経緯からすると、組合執行部に頼っていては問題を解決することができなかったので、自から工場幹部と交渉して賃金支払の確保をはかることを決議した。そして第4職場従業員は、当時同職場の職場委員であった松山登、桜木らを先頭として、一団となって職場長の許可なく職場を離れ、工場の企画室に押し掛け、当時同様の決議の下に交渉に来ていた第3職場の従業員多数と合流し、同日午前11時工場本館裏側入口附近において、I工作課長から「全員職場に帰り、新しい示達を聞くように。」と指示されたにもかかわらず、同所で坐り込みを行った。そして、松山登、桜木ら職場委員は、従業員の窮状を訴え工場幹部と粘り強く交渉した結果、工場側も窮状を理解し終日資金繰りのための努力を続け、ようやく同日午後8時頃僅かではあったが支給される目どがつき、従業員のうち特に生活に困窮していた者に対しこれが配分された。右第4職場の職場大会の決議及びその後の従業員らの行動につき、松山登及び桜木がこれを指揮扇動した等の事実は認められない。
[26] 昭和24年8月6日もまた7月分の賃金の内金1500円の支払が予定されていたが、当日朝支給の見込みがない旨説明された。そこで第4職場の従業員は、午前9時から職場大会を開き、同職場の職場委員と各ブロックの代表、各2、3名とで工場幹部と賃金支払の直接交渉をすることを決議した。そこで右職場委員らが工場長室に向おうとしたところ、C職場長は職場を離れることを許可しなかった。これに対し、第4職場の従業員は、さらに職場大会で検討し右の職場長の指示にかかわらず、職場委員らに工場長と交渉させる旨を決議した。当時の職場委員であった白樺及び桜木らと、ブロック長を含むブロックの代表者らの合計約20名は、工場本館に向ったが、その途中I工作課長に出会い、同人に対し賃金の支払を要求し回答を迫ったところ、同人は仕事は仕事、金は金といってとりあわないので、右の代表者達は、同人のまわりを囲み口々に抗議した。そのため、I課長は気勢に押され通行できなかったが、その時間は極く短時間であった。その後右代表者達は、工場側と交渉した結果、ようやく当日1人平均460円の賃金が支給された。右第4職場の職場大会の決議及びその後の代表者らの行動について、白樺及び桜木が指揮扇動した等の事実は認められない。
[27] 昭和24年8月8日当時、賃金の遅払等はその極に達する状態で、従業員の中には配給米を購入する金にさえ窮する者が生じるありさまであった。そこで、工場の社宅に居住する従業員の妻達は、配給米の掛売を区役所に認めて貰う事を考え、工場側も右区役所との交渉を支援すること及び掛売を受けるについて工場が従業員の保証人となることを求めて、同日午後2時頃、3名の妻が工場を訪れた。右の妻達は、工場本館応接室で工場のJ業務部次長及びK営業課長に対し右の要望を伝え、工場の回答を求めたが、これを伝え聞いた白樺、松山ユリらは、それぞれ職場委員あるいは組合の前青年部婦人班長の地位にあったことから右妻らの交渉を応援しようとして、他の従業員12、3名と共に上司の許可なく職場を離れて応接室に来て右妻らの要望を支持する発言などをした。そして、同人らは、右J次長らが、長時間の交渉の末、右要望事項が可能であるかどうか調査するとだけ答えて交渉を打切り退出しようとするのを、室の出口附近に立ちふさがって、同人らと押問答を繰り返したが、その時間は約15分程度であった。被告会社は、杉樹がその妻らをして工場を訪問させて工場の業務を妨害させたと主張するが、そのような事実を認めるに足る証拠はない。
[28] 以上のとおり認められる。右認定事実によると、原告らの行為は外形上職務放棄とみられないものではないが、その動機となった賃金の遅払、従業員の生活の窮迫及びこれらの問題について工場側に解決能力が欠け、組合執行部が組合員の納得を得る措置をとっていなかったことを考慮に入れると、事態の推移上やむを得ない面が多々あり、これを工場秩序一般の問題に解消し去ることはできないものと考えられるから、原告らの行為については、使用者として通常直ちに解雇の理由として取り上げる程度の秩序違反があったとはいい難く、結局工場秩序を乱す者との整理基準該当事実を認めることはできない。
(一) 松山登について
(1) 整理基準(3)職務怠慢なる者、(4)技能低位なる者に該当する事実の有無
[29] 《証拠略》によれば、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断略》
[30] 松山登は、工作課第4職場の仕上組立工で職制上ブロック長の地位にあり、ブロック所属の従業員に対し工場の方針や命令を伝達したり、ブロック所属の従業員とともに同一の作業に従事しながら、作業技術等について指導監督するという職務を担当していた。昭和24年5月にパキスタン向けのチャフ・カッター3万枚の注文があり、工場では仕上組立工を中心に約20名で臨時の組織を作り、右の製作にあたったが、松山登は、右組織において班長の下に4名のブロック長の1人であり、Lブロック長と共に直接作業に従事しながら他の従業員の指導等も行っていた。ところが、松山登のチャフ・カッター生産枚数は、技能級が同人と同じ2級であるM、Nや技能級が同原告より低い3級のOらが1日平均100枚製作し、またブロック長が技能級が2級、組合の職場委員があることでも同原告と同じ立場にあったLが組合の食堂委員も兼ねながら1日平均90ないし100枚製作したのに対し、1日平均50ないし60枚の少量にとどまっていた。さらに、松山登の昭和24年7月の努力採点(職場長、職場長附及び班長が合議により従業員の作業に対する努力の程度を技能級とは無関係に採点したもので、この点数が生産報奨金の額に影響する。)は、右チャフ・カッター要員のブロック長4名のうち松山登を除く3名が820ないし840点であったのに、これを大きく下まわる710点にとどまっていた。そして松山登は、過去に漁船用発動機の組立等について実績をあげており、ブロック長にも任命されていたのであったが、本件の当時は工場及び上司の指導方針に疑問を持つと共に、仕事に対する意欲を欠き、技能の面でもブロック長としての指導的立場に立ち得ず、本来同人の指導を受けるべき前述のM、N及びO等の方が松山登より工廃が少く良質の仕事をしていた。
[31] 以上のとおり認められる。松山登は、同人がDブロック長と共に作業の指揮指導、監督に当ることとなっており、常時機械に向うことは予定されていなかったので、チャフ・カッターの生産枚数を他の者と単純に比較するのは不当があると主張するけれども、前掲証拠によれば、右の主張の前提事実は認められず、Dブロック長は松山登も供述するとおり出来上ったチャフ・カッターの検査業務に従事していたので、同人とDブロック長とを生産量で比較することはできないのであって、松山登と同一業務を担当していた阿部ブロック長らの生産量と対比することは不当ということができない。しかして、松山登は指導的立場にあるべきブロック長であり、その地位に相応するある程度高度の技能と作業に対する努力が期待されているのであるから、これらの技能、努力が右期待を裏切るものであれば、それに相応する厳しい評価を免れないのであって、右に認定した松山登の技能、努力がこのような評価を受け、職務怠慢、技能低位なる者との基準に該当せしめられたのはやむを得ないものというべきであり、この認定を左右するに足る証拠はない。
(2) 整理基準(8)配置転換困難なる者、(9)業務縮小のため適当な職なき者及び(10)その他経営効率に寄与する程度の低い者に該当する事実の有無
[32] すでに認定したとおり、松山登は、工場秩序を乱す者、職務怠慢なる者及び技能低位なる者という整理基準に該当する。しかして、《証拠略》によれば、同人の属した第4職場仕上組立工56名中9名を他職場に配置転換し、8名を整理する必要があったものであって、松山登については右の整理基準該当事実のほかに考慮すべき事由は認められないけれども、右基準に該当すれば、配置転換も困難で、業務縮小のため適当な職がなく、経営効率に寄与する程度が低いこととなるから、これらの整理基準にも該当するものと認められる。

(二) 白樺について
(1) 整理基準(2)会社業務に協力せざる者に該当する事実の有無
[33] 前記認定のとおり、白樺は、工作課第4職場のターレット工で、昭和24年5月から8月までは職場委員であったものである。同人について、被告会社は、会社業務に協力せざる者に該当する事実として、昭和24年2月11日の職場放棄指揮扇動、同年8月6日及び8日の職場放棄、その他の職場離脱及び作業意欲に欠けていた事実をあげている。まず、右の職場放棄等であるが、すでに認定したとおり、指揮扇動の事実は認められず、また職場放棄自体も使用者として通常直ちに解雇の理由として取り上げるに値しないものであり、会社業務に協力しない者との評価も当らない。また、《証拠略》には理由なく持場を離れる事が多かったとあるけれども、このような抽象的断片的記載のみでは職場離脱の事実を認めるに足りない。そこで同人の作業意欲に関連して、同人の作業能率をみると、《証拠略》によれば、白樺の獲得分数(作業した仕事量を示す。)は4527分、能率(各人が欠勤等で仕事をすることができなかった時間を除いた実働時間に対する獲得分数の割合を、技能級に応じて一定の修正を加えたうえ、パーセントで示したもので、作業能率を示す。)は85パーセントであり、技能級が白樺と同程度(2、3級)の他のターレット工の獲得分数が6710分から1万3260分、能率が112パーセントから180パーセントであったことに比較すると極めて低く、技能級が5級で《証拠略》によれば第4職場(169名)中の序列が78位とされ、本件人員整理と同時に配置転換されたターレット工のPの獲得分数や能率にほぼ等しいことが認められ、これらの事実を考え併せると、当時の白樺は作業意欲に欠けるところがあったものと認められる。《証拠略》には、白樺は、職場委員としての活動のため仕事が実際上できなかったとの記載があり、白樺は、原審及び当審において同旨の供述をしているが、第4職場の職場委員は同人だけではなかったのであり、又《証拠略》によれば職場委員として職場を離れる時間を除いて実際に仕事についていた時間を基準に能率が計算されていることが認められるので、右認定を左右するに足りない。しかし、《証拠略》によれば、第4職場で人員整理されたのは、同職場での序列が169名中132位以下の者であったことが認められるから、右の作業能率の程度では未だそれだけで解雇を理由ずける程度にまで至らず、現に、《証拠略》によると、考課表の作業に対する努力の採点は丙(普通)であったことが認められる。そうとすると、前述の職場離脱等の事実が認められればともかく、右の作業意欲に欠けていた事実のみでは、会社業務に協力せざる者との整理基準には該当しないものというべきである。
(2) 整理基準(8)配置転換困難なる者、(9)業務縮小のため適当な職なき者及び(10)その他経営効率に寄与する程度の低い者に該当する事実の有無
[34] すでに認定したとおり、白樺は、工場秩序を乱す者という整理基準に該当する。しかして《証拠略》によれば、第4職場ターレット工14名中4名を整理する必要があったものであって、白樺については右整理基準該当事実と前記認定の作業意欲に欠ける事実以外に考慮すべき事由は認められないけれども、これらの事実によれば配置転換が困難で、業務縮小のため適当な職がなく、経営効率に寄与する程度が低いこととなるから、これらの整理基準にも該当するものと認められる。

(三) 杉樹について
(1) 整理基準(2)会社業務に協力せざる者に該当する事実の有無
[35] 前記認定のとおり、杉樹は、工作課第4職場のフライス工で、職場委員であったものである。同人について被告会社は、会社業務に協力せざる者に該当する事実として、昭和24年8月8日の職場放棄と業務妨害及び有給休暇を全部とったほかに20日間の事故欠勤をしたことをあげている。しかし前述のとおり、右の職場放棄と業務妨害の事実は認められず、又右のとおり休暇をとり20日間欠勤したことは杉樹の自認するところであるが、《証拠略》によると、同人は身体が丈夫でなく病気で休むことが多かったこと、及び工場は別に事故欠勤の多い者という独立の整理基準を設けているのに同人を該当せしめなかったこと(《証拠略》の6の同人の考課表上の勤怠の評価は普通すなわち丙である。)が認められるのであって、以上検討したところからみると、同人を会社業務に協力しない者と認めるべき根拠はない。
(2) 整理基準(3)職務怠慢なる者、(4)技能低位なる者に該当する事実の有無
[36] 《証拠略》によると、杉樹のフライス工としての技能級は4級であったが、同人の作業能率は、同じ技能級のQ、R及びSと比較するとその30ないし40パーセントと数等悪く、旋盤用生爪チャックの工作を同時に他の者と担当したときは、同数のチャックを他の者が2日半で仕上げたのに、杉樹は1週間もかかったこと、杉樹と同じく職場委員をしていたRの努力採点はいつも平均以上であったのに、杉樹のそれは平均以下であったこと、杉樹は約10年の経験があるのに、その経験年数の割に技能が低く、さらに同じ技能級4級の中でも杉樹に比べて経験年数の短いTやUの方が、杉樹よりも技能が優秀であったこと、以上の事実が認められ、この認定を動かすべき証拠はない。そうとすると、杉樹の技能は比較的低く、右の比較の対象とされた工員より作業能率が劣っていたこととなるが、これらの者の第4職場内の序列は、《証拠略》によると29位から84位までであり、前述のとおり人員整理の対象とされたのは右序列が132位以下の者であったから、右の比較のみによっては他の残留者より杉樹が低位にあることにならず、この点に関する証拠はないから、杉樹が整理基準の(3)及び(4)に該当するものと認めることはできない。
(3) 整理基準(9)業務縮小のため適当な職なき者及び(10)その他経営効率に寄与する程度の低い者に該当する事実の有無
[37] すでに認定したとおり、杉樹は工場秩序を乱す者という整理基準に該当する。しかして、《証拠略》によれば、杉樹の属した第4職場のフライス工21名中6名を整理する必要があったものであって、杉樹については、右整理基準該当事実と、技能が比較的低位で作業能率が他の同級者に比べ劣っていた事実以外に考慮すべき事由は認められないけれども、右事実によれば業務縮少のため適当な職がなく、経営効率に寄与する程度が低いこととなるから、これらの整理基準にも該当するものと認められる。

(四) 桜木について
(1) 整理基準(2)会社業務に協力せざる者に該当する事実の有無
[38] 前記認定のとおり、桜木は工作課第4職場のターレット工で職場委員であった。同人について被告会社は、右整理基準にあたる事実として、昭和24年8月6日の職場放棄と業務妨害をあげている。しかしながら、前記認定のとおり、業務妨害の事実は認められず、職場放棄自体についても使用者として通常直ちに解雇の理由として取り上げるに値しないものであって、会社業務に協力しない者との評価も当らない。
(2) 整理基準(3)職務怠慢なる者、(4)技能低位なる者に該当する事実の有無
[39] 《証拠略》によって、昭和24年7月中の桜木の作業能率等を見ると、同人は技能級が3級であったが、その獲得分数は2262分、能率は49パーセントであり、技能級が同程度(3、4級)の他のターレット工の獲得分数が4550分から1万3260分、能率が88パーセントから180パーセントであったことと比較すると極めて低く、技能級が5級で桜木より低く、第4職場内の序列が78位とされ、本件人員整理と同時に配置転換されたターレット工のPの獲得分数3790分や能率83パーセントよりさらに低く、病気欠勤者で第4職場内での序列が151位とされ整理の対象とされた技能級2級のVの獲得分数1856分、能率30パーセントに近い水準であったこと、そして右桜木の作業能率は、同人の職場委員等としての組合活動の時間及び休暇の時間を除外して算出されたことが認められ、この認定を動かすべき証拠はない。しかして、同人の技能に対しては、《証拠略》の考課表上普通(丙)と評価され、《証拠略》をみても特に劣っていたとは認められず、また右の田中と異なり健康を害していた事実は認められないから、桜木の作業能率が低いのは、同人が職務に怠慢であったためとみざるをえず、右の考課表において作業に対する努力を「丁」と評価され、整理基準の職務怠慢なる者に該当するとされたのは理由がないものということができない。そうであれば、同人は、整理基準の(4)はともかく、少くとも(3)に該当するものといわねばならない。
(3) 整理基準(8)配置転換困難なる者、(9)業務縮小のため適当な職なき者及び(10)その他経営効率に寄与する程度の低い者に該当する事実の有無
[40] すでに認定したとおり、桜木は工場秩序を乱す者、職務怠慢なる者という整理基準に該当する。しかして、《証拠略》によれば、桜木の属した第4職場のターレット工14名中4名を整理する必要があったものであって、桜木については、右整理基準該当事実の他に考慮すべき事由は認められないけれども、右事実によれば、配置転換が困難で、業務縮小のため適当な職がなく、経営効率に寄与する程度が低いこととなるから、これらの整理基準にも該当するものと認められる。

(五) 松山ユリについて
(1) 整理基準(2)会社業務に協力せざる者に該当する事実の有無
[41] 《証拠略》によると、同人は、トレース工又は製図工であったが昭和24年5月から検査工に転換し、技術課検査係に所属していたことが認められる。同人について被告会社は、会社業務に協力せざる者に該当する事実として、昭和24年2月11日の職場放棄とその指揮扇動、同年8月8日の職場放棄と業務妨害及びその他にしばしば職場を離脱していたことをあげている。しかし、右職場放棄等については、すでに認定したとおり、指揮扇動、業務妨害の事実は認められず、職場放棄自体についても使用者として通常直ちに解雇の理由としてとり上げるに値しないものであり、会社業務に協力しない者との評価も当らない。次にしばしば職場離脱をしたというのであるが、この主張にそう《証拠略》の記載は、《証拠略》の記載に照すと、にわかに措信することができず、他に右主張事実を認めるべき証拠はないのであって、以上いずれの点においても会社業務に協力せざる者にあたる事実を認めることはできない。
(2) 整理基準(8)配置転換困難なる者、(9)業務縮小のため適当な職なき者及び(10)その他経営効率に寄与する程度の低い者に該当する事実の有無
[42] 《証拠略》によれば、工場では間接部門に属していた技術課検査係を廃止して、検査工を直接部門である工作課の各職場に付属させることとし、検査工54名中2名を配置転換し19名を整理する必要が生じ、松山ユリが従事していた第4職場部品検査係においても11名を7名に減ずることとなったことが認められる。しかして被告会社は、松山ユリがトレース工から検査工に転換した後の経験が短く、経験及び熟練度からみて検査工中技能が最も劣り、前記の整理基準に該当したと主張し、《証拠略》にはこの主張にそう記載があるけれども、右《証拠略》の記載は、単に考課表の記載を引用するにとどまるものと考えられ、その考課表の判断自体を裏付ける具体的資料は提出されていないので、にわかに右主張を採用することはできない。かえって、《証拠略》によれば、同人は、高等女学校を卒業し、一生の仕事を身につけるために女子機械工補導所製図科に通いこれを終了し、昭和16年6月中島製作所に入所以来トレース工又は製図工として技能をあげ、同人より経験の長いトレース工と同列にトレースの責任者としての地位を与えられた実績を有していたこと、同人がトレース工より検査工に転換する際、組合においても配置転換がこれに応じた者にとって不利な取扱の原因とならないよう技能等の採点にあたり前歴を十分考慮することを工場に要求し、工場もこれを認めていたこと、同人が検査工に転換してから同年8月組合常任執行委員に選出されるまでの約3か月間は、第4職場検査係の仕事は多忙で他から応援を受けていた程であり、同人も初めての職務であったことから仕事に集中していたものであるが、通常の検査工が行う検査の業務は必ずしも高等の能力を要するものではなく、ユリも充分に検査の業務に従事できたこと、以上の事実が認められ、この認定を動かすべき証拠はない。これらの事実を考え併せると、松山ユリが検査工中の残留者のいずれよりも評価が劣っていたとは認められない本件では、同人について配置転換が困難で、業務縮小のため適当な職がなく、その他経営効率に寄与する程度の低い者との評価をすることはできない。また、松山ユリについては、前記工場秩序を乱す者との基準について検討した職場放棄以外に、右の評価をするについて考慮すべき事由はみあたらず、しかも右職場放棄は、前述のとおり使用者として通常直ちに解雇の理由として取り上げるに値しないものであるから、結局前記整理基準に該当する事実を認めることができないのであって、以上の認定判断を動かすに足る証拠は発見できない。
[43] 《証拠略》によると、会社は、本件人員整理直前の昭和24年10月28日「工場再建の方途について」と題する文書を全従業員に配布し、その中で、前記認定の人員整理基準を明示すると共に、整理解雇はこの基準に従い厳正に人選し実施する旨宣言したことが認められる。しかして、使用者が人員整理基準を定めこれを公表した場合、直ちに解雇権を限定したこととなるか否かはさておいて、右の人員整理基準の内容は、整理の対象者を選定するに当り考慮すべき事由をほぼ網羅したものと認められるから、この基準に該当しない者は、右基準以外の特別の事由があって解雇を相当とするのでない限り、整理の対象とすべき根拠を欠くこととなるので、その者に対する解雇は、解雇権を濫用したものとして無効と解するのが相当である。しかして、松山ユリについては、すでに認定したとおり整理基準に該当する事実が認められず、他に解雇を相当とする特別の事由があるとの主張も立証もないから、同人に対する本件整理解雇は、整理の対象とすべき根拠のない者を整理したものとして権利の濫用にあたり無効である。
[44] 原告らは、松山登ら4名に対する本件整理解雇は、同人らが正当な組合活動をしたことの故に、又組合執行部を会社側に都合のよいものに作り替えるために行なわれた不当労働行為であり、無効であると主張する。そこでこの点について検討すると、松山登、白樺、杉樹及び桜木が組合の役員歴又は職場委員の経歴を有していたことは当事者間に争いがなく、《証拠略》によると、昭和22年8月の賃上げ要求闘争、同年12月の富士産業連合会闘争、昭和23年2月の一時金要求闘争、同年5月の臨時手当要求闘争、同年7、8月の富士産業連合会闘争、同年11月の餅代要求闘争、昭和24年1月の保証給要求闘争等で積極的な組合活動をしていたことが認められ、そして《証拠略》によれば、本件整理解雇当時に松山登は組合の執行委員長、白樺は副委員長であったが、同人らを含む当時の組合役員全員が解雇されたのに、松山登らが組合の執行部に当選する前に組合の執行部にあったものは解雇されていないことが認められる。しかしながら、すでに認定したとおり、本件の人員整理は松山登ら組合執行部を交替させるためにあえてなされたものでなく、客観的にもその必要性が存在したものであり、また人員整理基準そのものも前記認定のとおりであって内容上特に組合活動家を意識的に排除するために設けられたものとは認め難く、さらに松山登ら各個人について整理基準に該当する事実が認められ、それらの事実の中には、組合活動とはいえない悪質な工場秩序違反の事実が含まれていることに照らして考えると、会社が松山登ら4名を整理解雇の対象としたことには理由があると認められるから、本件整理解雇が前記認定の各原告の組合歴や組合活動歴を理由とし、組合執行部を作り替えるためになされたものとは認められず、この認定を左右するに足る証拠はない。それ故、右不当労働行為の主張は採用するに由ないものである。
[45] 次に原告らは、松山登ら4名に対する本件整理解雇が権利濫用であると主張するのであるが、右の整理解雇が人員整理の必要に基づき整理基準に該当する事実をもとに行なわれたもので、整理の対象とすべき根拠を欠くものでないことは、すでにみたとおりであるから、右解雇を権利の濫用とすることはできず、右主張も採用できない。
[46] 以上検討したところによれば、松山登ら4名に対する本件整理解雇の効力を否定する事由はないから、同人らは右解雇により会社の従業員の地位を失ったのであって、同人らの雇傭契約存在確認の請求、退職金の請求及び損害賠償の請求は、いずれも理由がないこととなり、棄却を免れない。
[47] 被告会社の就業規則57条1項には「従業員は男子満55歳、女子満50歳をもって定年として、男子は満55歳、女子は満50歳に達した月の末日をもって退職させる。」と定められ、同条2項には「定年退職に該当するときは30日前に予告する。」と定められていたこと、昭和48年4月1日被告会社は、右定年年令を男子60歳、女子55歳に改めたこと、松山ユリは、大正8年1月15日生れの女子であって昭和44年1月15日満50歳に、同49年1月15日満55歳に達したこと、被告会社が昭和43年12月25日松山ユリに対し、右改正前の就業規則の規定により昭和44年1月31日限り退職を命ずる旨の予告をしたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。
[48] 右就業規則の規定をみると、被告会社の定年制は定年に達したことを理由として解雇するいわゆる「定年解雇制」であると解されるところ、右にみたように被告会社の定年制には定年年令に男女の差別があるので、右定年制が民法90条に規定する公序良俗に反しないかどうかを検討する。
[49] 全ての国民が法の下に平等で性による差別を受けないことを定めた憲法14条の趣旨を受けて、私法の一般法である民法は、その冒頭の1条ノ2において、「本法は個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として解釈すべし。」と規定している。かくして、性による不合理な差別を禁止するという男女平等の原理は、国民と国民、国民相互の関係の別なく、全ての法律関係を通じた基本原理とされたのであって、この原理が、民法90条の公序良俗の内容をなすことは明らかである。
[50] ところで、女性の職業活動については、夫婦の役割分担に関連して積極消極両様さまざまな評価が行なわれ、被告会社のようにこれを消極的に評価する立場からは、労働条件における男女の差別的取扱自体男女平等の原理に反しないと主張される。しかしながら、夫婦の役割分担とこれに関連する女性の職業活動の是非は、直接的には当該夫婦を中心とする家庭の問題であり、また社会の基礎単位をなす家庭生活の安定と次代の社会の構成員の健全な育成に関心をもつ社会全体の問題であるが、提供される労働力を利用するだけの立場にある企業としては、右の問題につきいずれかの見解に立って規制する立場にはなく、この問題については社会の実情にそった国民一般の良識に従うべきものと考えられる。
[51] そこでこの点について検討すると、《証拠略》によると、次の事実が認められる。すなわち、女子の生産年齢人口(15歳以上の人口)のうち収入のため働く必要のある労働力人口は昭和40年代においてほぼ半数であり、昭和49年の場合1996万人で、専ら家庭にあって家事に従事するいわゆる専業主婦の1556万人をはるかに上まわっていること、産業構造の変化、単純労働分野の拡大、家庭内の就業機会の減少等に伴って、女子労働者のうち他人に雇われ賃金で生活する女子雇用者が急激に増加し(昭和30年頃の3倍以上)、昭和49年には全雇用労働者の3分の1に達していること、従来専ら男子の就業分野とみられていた製造業においても、機械化等により女子も担当できること、あるいは女子の方が性格的能力的に向いている業務があること等の理由で女子の就業分野が拡大していること、また女子労働者の年齢をみると、子の出産や育児を担当する年齢の労働力率は女子全体の労働力率より低いが、育児等の負担が比較的軽くなる35歳以上の労働力率は急激に上昇しており、昭和49年には女子雇用者中30歳以上の者の割合が55.7パーセントに達し、これに伴い女子雇用者中有配偶者の割合は50パーセントに、又夫と離別又は死別した者の割合が10.7パーセントにのぼっていること、そしてこれらの事実を背景として、婦人労働者の意識としても、勤務継続の意思のあるものが75パーセントで多数を占めること、そして世論調査等においては、夫婦の役割分担について、夫は外で働き妻は家庭を守るという伝統的考え方が表明される一方で、育児に余裕ができた結婚後6―19年の時期の妻などでは、仕事や社会的活動をする妻を望ましいとする考え方が比較的多いこと、以上の事実が認められ、夫婦の共働き自体がすでに社会的な承認を得て定着していることも公知の事実である。右のような婦人労働の実情及び世論調査の結果などを踏まえて考えるならば、社会一般の認識においては、子の出産及び養育を中心とする妻の家事労働に高い評価を与える一方で、経済上の必要及び女性の社会的活動の有用性にかんがみ婦人の職業活動にも相応の評価を与え、妻が職業活動を行なうか否かは、夫婦の責任ある決定に委ねるべきものと考えられているということができる。そうであれば、婦人は家庭に帰るべきものとする考え方の下にその職業活動につき社会的規制を加えることは、わが国の実情に適さず、むしろ、前記の実情からすると、職業の分野への婦人の受入について、過渡期にあるための問題があり、又そのための配慮が必要であることはいうまでもないが、基本的には、男女とも同じ職業人として合理的な競争条件の下に平等に取り扱うことが要請されており、企業経営の本来のあり方としても、そのような取扱を否定することはできないものと考えられる。
[52] しかして定年制は、労働者に職業生活の中断を強いるものであって、労働条件のうちでも解雇と同様に重大なものであるが、それが通用力を持つのはその内容に平等性があることによるのであって、理由のない差別はかえって定年制自体の通用力を減殺する結果を招くのみならず、定年制の内容に適正を欠くと、定年時以前から従業員の職業生活に対する希望と活力を失わせるという弊害を生ずるのであって、このような定年制の特質にかんがみると、定年制の内容に差別が設けられる場合は、それが社会的見地においても妥当であって、その適用を受ける者の納得が得られるものであることが、強く要請されるものということができる。
[53] ところで定年制は企業の雇用政策の重要な一環を形成するものであって、一般的には企業の合理的な裁量による判断を尊重すべきものであるが、すでに検討したとおり男女の平等が基本的な社会秩序をなし、定年制それ自体の性質が右にみたとおりであることを考慮すると、定年における男女差別については、その合理性の検討が強く求められるのはやむを得ないものといわねばならない。
[54] 以上検討したところから考えると、定年制における男女差別は、企業経営上の観点から合理性が認められない場合、あるいは合理性がないとはいえないが社会的見地において到底許容しうるものでないときは、公序良俗に反し無効であると解するのが相当である。
[55] 被告会社は、種々の理由をあげて、定年の男女差別に合理性がなくとも、その差別は大多数の国民感情に反しないし、公序良俗に違反するものでもないと主張するけれども、被告会社のあげる理由によっては大多数の国民が合理性のない定年の男女差別を容認していると認めることはできないし、社会の一部になお男女差別を容認する意見があるとしても、それが故に法秩序の基本である男女平等の原理が否定されるものでもないから、右主張は採用することができない。また、被告会社は、厚生年金保険法が定年年令の男女差別を公序良俗に反しないものとして肯認していると主張するが、そのように解すべき根拠は認められない。そして被告会社は、労働基準法に女子の保護規定がある以上男子との間に平等の取扱を要求するのは無理であると主張するが、同法の女子保護規定のうち、例えば産前産後の休業などの母性保護規定は、健全な次代の社会の構成員を産み出すという社会の要請に基づくものであって、このような規定を理由に女子を差別することは法の趣旨に反するものであり、又その他の女子の保護規定も、その規定があることもあって、女子労働者自身がすでに事実上賃金その他の待遇面で不利益を受けているのであって、それに加えてさらに定年においても差別しなければならない理由は認められないから、右主張も採用することができない。さらに、被告会社における定年年令の差別は、時差通勤、遅刻早退の特例扱を受けていない女子についても行なわれていて、これらの特例扱と定年差別との間に関連性はないから、この点に関する被告会社の主張も採用することができない。
[56] そこで、定年年齢に五歳の差を設ける被告会社の定年制に合理性があるかどうかを検討するに当って、まず、被告会社における男女従業員数、女子従業員の担当職種及びその男子との比較、女子従業員の担当職務に対する評価、男女従業員の勤続年数、高齢女子労働者の労働能力、賃金体系、女子従業員の場合の賃金と労働のアンバランスの有無及び定年制の一般的現状についてみると、《証拠略》によれば、次の事実が認められ(る。)《証拠判断略》
[57] 被告会社の従業員数は、昭和47年7月末日現在で男子4万3040名、女子4660名、昭和49年9月末日現在で男子5万760名、女子5470名であって、女子は全体の約10パーセント程度であったこと
[58] 被告会社の事業は、自動車の生産及び販売を主とするもので、産業の種類としては重工業に属するが、その従業員の職種は、必ずしも重労働に限られず、極めて広範囲の職種があること
[59] 被告会社の女子従業員の8割は間接部門に、2割は直接部門に属しているが、間接部門における一般的な担当職種は、(1)事務員、(2)キィー・パンチャー、(3)タイピスト、(4)トレーサー、(5)翻訳者、(6)秘書、(7)電話交換手、(8)看護婦であって、その他に少数ながら、(9)インテリア・デザイナー、(10)宣伝企画担当者、(11)外国語その他の特殊技能を要する輸出関係担当者があり、直接部門の担当職種には、(12)ベルト・コンベアー・ラインにおいて部品の組付を行う組立工、(13)倉庫での物品の払出業務担当者及び(14)部品の検査等を行なう検査工などがあること
[60] 右のように女子が、直接部門の組立作業にも従事するようになったのは、生産工程の技術革新によって作業が軽労働化され、かつ熟練を要しなくなったためであるが、このことは男子についても同様であって、男子従業員のうち圧倒的多数(昭和47年7月末で4万3040人中の3万5620人)が従事する直接部門において、往時のような高い技能と長い経験を要する熟練工は比較的少く(昭和47年7月末において9260人)、高い技能や経験を必要としない単純作業を主体とする職種が大多数を占めること、そして、直接部門の作業の一部には、女性では無理な重い物を持ち上げるものなどがあり、これらの作業は男子が担当しているが、女子、特に中高年の女子の体力程度でも十分適応できる仕事が数多く存在すること
[61] 次に女子の担当職務に対する評価をみると、被告会社には、職務を一定の評価基準に基づいて格付けした1級から4級までの職級があり、昇給等の査定も職級を基礎として行なわれるが、昭和51年8月31日現在間接部門の女子の職級分布は、最下級の1級が58.2パーセント、2級が37.3パーセントと多数を占めるものの、3級以上が4.5パーセント、約140名位おり、そのうち最上級の4級者が、インテリア・デザイナー、宣伝企画担当者、会社所有の病院の婦長など数名いること
[62] 被告会社においては、女子の在職期間は比較的短く、入社後5年未満で80パーセント、10年以内に98パーセント退職するのが実情であったが、男子についても労働力の流動化が激しく、昭和46年4月に会社全体で約3000名採用されたのが、翌47年7月現在荻窪工場で残っていたのは1、2名という状況であったこと、昭和47年における全国規模の調査によると、女子の平均勤続年数は4.7年、男子のそれは9.2年であること
[63] そして男女とも、高令となると筋力などの低下があり、労働能力において今日の企業経営において要求される水準に適応できるか否かが問題となるが、研究の結果によると、一般に人間の作業は、その全能力を発揮することが要求されるものはなく、通常は、能力の5、6割のところで働いているものであり、年令により機能が低下しても、それは漸進的なものであって、長年携ってきた仕事であれば機能低下を補い仕事に適応することは十分可能であること、他方高令者の就業困難を生ずるはなはだしい重筋労働、知覚の鋭敏さに対する要求の高い作業、スピードの要求される作業、高温その他ストレスの強い環境での作業は急速な生産技術の進歩の過程で解消されつつあること、平均余命の著しい伸長に伴い、男女の稼働可能年令も高くなり(交通事故の損害賠償の実務では男女とも67歳まで稼働可能とするのが通常である。)、定年年令を60歳に引上げるべきことが指摘されてから久しいが、この引上げについて男女間に区別を設けることの必要性が一般的に指摘されることはなかったこと、女子の労働力率(生産年令人口のうち収入のため働く労働力人口の割合)は、昭和49年度において全年令で46.6パーセントであるが、40歳から54歳で60.4パーセントと高い数値を示し、55歳から64歳でも43.6パーセントと25歳から29歳までの43.3パーセントをも上まわる数値を示していること、以上のことから、女子であっても通常の職務であれば、少くとも60歳前後までは、今日の企業経営上要求される職務遂行能力に欠けることはないものと認められ、前記認定の被告会社における女子の担当職務を考えると、被告会社の場合も右と異らないものと認められること
[64] 被告会社の賃金体系における昇給は、一律分と査定による考課分とからなり、一律分は、昭和40年から49年までの実績では昇給の1人当り平均額の40.0パーセントから62.6パーセントで、平均56.3パーセントであった、そして、右一律分がいわゆるベース・アップに相当するのであり、また、右の期間において消費者物価は2倍を超える上昇をしている一方、同じ期間の労働者の平均賃金の上昇率は4倍に満たないことは公刊の統計の示すところであるから、平均賃上げ額のほぼ半額の昇給を受けただけでは、名目賃金の上昇はほとんど消費者物価の上昇で吸収されてしまい実質的賃金は上昇しないこととなるが、この点について被告会社の場合異なる事情は認められないこと、そして前述の査定による考課分は、従業員の職務、技能、成績によって決められ、年令及び勤続年数は考慮されないこと、以上のように賃金制度そのものにおいては、年功序列型の賃金体系をとっていないこと
[65] しかして、被告会社においては、女子の会社に対する貢献度をより低く評価する他に、男子労働者については年令と共に増加する世帯の生計費に応じた年功序列型の賃金を支給する必要を認めて、実際上男女の賃金に差を設けていること、すなわち、初任給において男女間に較差があるばかりでなく、その後の昇給率は男女間に明らかな差があり、女子の場合もともと男子に比べて低い昇給率が、年令が高くなるほど更に低くなる一方、男子の場合は逆に高くなる傾向があって、女子の中のある者は、前記の一律分の昇給しか受けない者があったこと
[66]10 定年制の一般的現状をみるに、昭和45年度の調査によると、男女別に定めているのは24.3パーセントで比較的少いのに対し、男女一律に定めているのが72.1パーセントで多数を占め、さらにこれを企業規模別にみると、被告会社のような従業員5000人以上の企業で男女別定年制を設けているのは、わずかに9.4パーセントにすぎないこと
[67] 以上の事実が認められる。ところで、定年年令に差別を設ける根本の理由として被告会社が主張するところは、賃金と労働のアンバランスであるが、右に認定したところによると、女子の担当職務は相当広範囲にわたっていて、その中には高度の技能を要するものがあり、又それほど高度の技能は要しないが、従業員の努力と会社側の活用策の如何によっては、経験を生かして会社に対する貢献度を上げうる職種が数多く含まれているのであって、女子従業員各個人の能力等の評価を離れて、その全体を会社に対する貢献度の上らない従業員と断定する根拠はないものといわなければならない。しかも、右に認定したとおり、男子従業員はともかく女子については、年功序列型の賃金は支給されておらず、被告会社に対する貢献度の如何によっては、実質上昇給を受けられない仕組となっており、現にそのような取扱を受けている者のあることが認められるから、労働が向上しないのに実質賃金が上昇するというアンバランスが生じていると認めるべき根拠はない。そうであれば、被告会社のいう根本の理由自体認めることができない。
[68] 次に被告会社は、労働能力からみて50歳以上の女子は従業員として不適格であるとか、男女の生理的機能の差異からみて定年年令に5歳程度の差があっても不可とするほどの根拠はないと主張するのであって、男女の生理的機能の差異を示す資料も存在している。しかしながら、すでに認定したとおり、男女間に生理的機能の差異があるにかかわらず、少くとも60歳前後までは、男女とも通常の職務であれば今日の企業経営上要求される職務遂行能力に欠けることはないと認められるのであるから、賃金等で性別によるのでなく各個人の労働能力の差異に応じた取扱がなされるのは格別、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はないものといわざるを得ず、この点においても合理的理由を見出すことはできない。
[69] しかして、すでに認定したとおり、勤続年数においても男女間に大きな差異は認められず、また定年制の一般的実情をみても男女別定年制は少数であって、定年年令の理由付とするには、ほど遠いものといわねばならない。
[70] さらに被告会社は、男子は一家の大黒柱であるのに、女子は夫の生活扶助者で家庭内で就業する地位にあると主張するが、この主張が必ずしも社会の実情に合致せず、国民一般の認識とも相異するものであることは、すでに認定したとおりである。
[71] 以上検討したところによると、被告の企業経営上の観点から定年年令において女子を差別しなければならない合理的理由は認められず、前掲証拠によると、わずかに、定年年令において差別しても被告会社が女子従業員を雇うのに困難を来さないという事情があるにすぎないことが認められる。しかして、このような事情は、女子労働力の需給に不均衡があって企業側の買手市場にあることの反映であり、このような事情を理由とする差別には一見合理性があるようであるが、前述のとおり男子も女子も同じ職業人であり、その提供する労働の面からみれば、定年の差別をする理由がないのに、労働力の需給の不均衡から生じる経済的優位に乗じて、女子を女子なるが故に差別することは、企業経営の本来の筋道からはずれており、合理性があるとはいえないものである。
[72] 以上検討したところによると、本件の定年制は、労働力の需給の不均衡に乗じて女子労働者の生活に深刻な影響のある定年年令について理由もなく差別するもので、企業経営上の観点からの合理性は認められず、また社会的な妥当性を著しく欠くものであるから、法秩序の基本である男女の平等に背反するものであり、公序良俗に違反するものといわなければならない。
[73] 従って、被告会社の就業規則中、女子の定年年令を男子より低く定めた部分は、民法90条の規定により無効であると解されるから、松山ユリが昭和44年1月15日に満50歳に、昭和49年1月15日に満55歳に達したことを理由とする解雇は、いずれもその効力を生じない。それ故同人は、今なお被告会社の従業員であり、昭和54年1月15日満60歳に達し、同月末日限り定年を理由として解雇されるまでは、その地位を有するものと認められる。
[74] 《証拠略》によると、被告会社においては毎月25日が賃金の支給日であること、松山ユリの昭和44年1月当時の賃金額は4万7318円でそのうち1万1740円は調整給であり、この調整給は合併に伴う経過的なものであって昇給の過程で解消されるべきものであったこと、昭和44年度から昭和52年度までの平均賃上額は別表Iの該当欄記載のとおりであったが、前述のとおり昇給は一律分と査定による考課分よりなり、松山ユリの昇給は従前平均賃上額に至らなかったものであって、同人の賃上額は右の一律分により算定する他ないが、昭和44年度から昭和49年度までの右一律分は、別表IIIの賃上額欄記載のとおりであり、その後の一律分は従前の平均賃上額と一律分の割合の実績(平均56パーセント)より推定して同表の該当欄記載のとおりと認められること、被告会社では毎年7月及び12月に夏季及び冬季の一時金が支給されるが、その支給基準及び算式は、別表IVの該当欄記載のとおりであったこと、以上の事実が認められ、この認定を左右すべき証拠はない。
[75] そうすると、被告会社は、松山ユリに対し、被告会社の賃金等を支払わないことが争いのない昭和44年2月以降、本件口頭弁論終結前である昭和53年6月までの別表III記載の賃金及び別表IV記載の一時金の合計1119万9989円と、本件口頭弁論終結時においては将来の給付の訴であるが任意の履行が期待できずその請求をする必要があることが明らかな昭和53年7月以降54年1月まで毎月25日限り賃金月額10万1988円を支払うべき義務がある。
[76] しかして、被告会社は、右賃金等請求権のうち昭和46年9月10日以前の分については、時効が成立していると主張するけれども、右賃金等請求権の基本となる雇傭契約存在確認の本訴が提起されているのであるから、これにより右賃金等請求権についても時効が中断しているものと解すべきであって、右主張は採用できない。
[77] 以上認定判断したところによれば、被告会社に退職金の支払を求める松山登及び杉樹の請求、被告会社との間の雇傭契約の存在の確認を求める桜木の請求、並びに被告会社に退職金と損害賠償金の支払を求める白樺の当審における新請求はいずれも理由がなく、前三者の請求を棄却した原判決は正当で本件控訴は理由がないからこれを棄却し、右白樺の新請求はこれを棄却すべきである。また、被告会社との間の雇傭契約存在確認を求める松山ユリの請求は理由があり、これを認容した原判決は正当であり、被告会社の控訴は理由がないから棄却すべきであり、松山ユリの附帯控訴は、主文第三項1記載の限度で理由があり認容すべきであるが、その余は失当であるからこれを棄却すべきである。
[78] 控訴費用の負担について、民訴法95条及び89条を適用し、仮執行の宣言については、相当でないのでこれを附さないこととする。

  東京高等裁判所第3民事部
  裁判長裁判官 渡辺忠之  裁判官 槽谷忠男  裁判官 浅生重機

別表I~IV《略》

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