日産自動車事件
第一審判決

雇傭関係存続確認等請求事件
東京地方裁判所 昭和28年(ワ)第481号
昭和48年3月23日 民事第11部 判決

原告 松山登(仮名) ほか8名
原告ら訴訟代理人弁護士 牧野芳夫
          同 上田誠吉
 右訴訟復代理人弁護士 福地明人

プリンス自動車工業株式会社訴訟承継人
被告 日産自動車株式会社
 右代表者代表取締役  川又克二
 右訴訟代理人弁護士  橋本武人
 右訴訟復代理人弁護士 小倉隆志

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 原告松山ユリおよび同野菊花子と被告との間に雇用契約が存在することを確認する。
 被告は原告桧山木曽男に対し金1,000,000円およびこれに対する昭和44年1月1日から完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。
 原告桧山木曽男のその余の請求ならびに同松山登、同白樺道男、同竹林笹男、同杉樹山男、同梅里咲男および同桜木満男の請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は、原告松山ユリ、同野菊花子および同桧山木曽男と被告との間においては全部被告の負担とし、その余の原告らと被告との間においては、被告に生じた費用の3分の2をその余の原告らの負担とし、その余は各自の負担とする。

(原告ら――但し、原告桧山の請求は、当初第一項記載のとおり雇用契約存在確認の訴えであるが、昭和44年7月30日の本件口頭弁論期日において、訴えを交換的に変更して、第二項記載のとおり不法行為による損害賠償請求をしたものである。)

 原告白樺、同松山ユリ、同竹林、同桜木満男、同野菊花子、同桧山と被告との間に雇用契約が存在することを確認する。
 被告は原告松山登、同杉樹、同梅里、同桧山に対し、別表(一)金額欄記載の金員およびこれに対する同表遅延損害金の起算日欄記載の日から完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。
 訴訟費用は被告の負担とする。
 第二、第三項のうち原告松山登、同杉樹、同梅里に関する部分につき仮執行の宣言

(被告)

一 原告らの請求について
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
二 原告桧山の訴え変更の申立てについて
 原告桧山の雇用契約存在確認請求から不法行為に基づく損害賠償請求への訴えの変更には異議がある。この訴えの変更は、請求の基礎に同一性がなく、また訴訟手続を著しく遅滞させるものでもあるから、民事訴訟法第232条第1項に違反し許されない。
[1] 原告らは、別表(二)雇用年月日欄記載の日に富士産業株式会社(以下富士産業という。)に雇用され、その荻窪工場(東京都杉並区宿町88番地所在)の同表勤務部署欄記載の各課職場において同表職種欄記載の従業員として勤務していた。
[2] 富士産業は、その前身が中島飛行機株式会社(以下中島飛行機という。)であつて、東京都千代田区丸の内1丁目8番地に本店を置き、全国に荻窪工場を含めて計17の工場または事業所を有し、荻窪工場においてはエンジン、映写機、ミシン等の製造業務を営んでいた株式会社であつた。ところが、富士精密工業株式会社(但し、昭和36年2月27日にその商号をプリンス自動車工業株式会社と変更した。以下プリンス自工という。)は昭和25年7月13日設立と同時に富士産業からその荻窪工場についての営業譲渡を受けるとともに、同工場勤務の従業員に対する雇用契約上の権利義務をも承継した。そして、被告は、昭和41年8月1日にプリンス自工を吸収合併し(但し、合併の登記を了したのは同年9月26日である。)、同社従業員に対する雇用契約関係を承継した。
[3] 富士産業は昭和24年11月5日原告らに対し、同月12日限り原告らを解雇する旨の意思表示をした。しかし、富士産業の原告らに対する右解雇の意思表示は、後述のとおり違法にして無効なものである。それなのに、被告は、原告らと富士産業、プリンス自工あるいは被告との間に同月13日以降においても引き続き雇用契約が存在しまたは存在したことを争つている。
[4] プリンス自工の就業規則第45条には、「従業員が満55才に達したときは退職を命ずる。」との、また、被告の就業規則第57条第1項には、「従業員は、男子満55才、女子満50才をもつて定年として、男子は満55才、女子は満50才に達した月の末日をもつて退職させる。」との、定年による雇用契約の終了に関する定めがある。またプリンス自工および被告の退職金に関する規程によれば、就業規則の右規定により雇用契約が終了した従業員は、一定の基準により算出された退職金の支払いを受ける定めである。そして、原告松山登、同杉樹、同梅里に対する前記解雇の意思表示は、いずれも無効であるから、同原告らは依然として富士産業、プリンス自工または被告の従業員であつたのであり、同原告らが満55才に達したことにより、プリンス自工または被告との雇用契約は終了したのである。その定年による雇用契約の終了日は、原告松山登が昭和46年1月31日、原告杉樹は昭和44年2月28日、原告梅里は昭和32年8月1日である。そうすると、右原告ら3名が定年による雇用契約の終了によりプリンス自工または被告から支払われるべき退職金の額は、原告松山登が金2,000,000円、原告杉樹、同梅里は別表(一)金額欄記載のとおりである。
[5] 原告杉樹および同梅里は昭和44年10月8日付訴え変更申立書をもつて被告に対し、右退職金の支払いを請求し、右申立書は同日被告に到達した。
[6] 原告桧山は、前記のとおり、違法にも被告から解雇され、同原告が富士産業を被申請人として当庁に申請した仮処分申請事件において、昭和25年6月30日に本件解雇の意思表示の効力を停止する旨の決定を受けるまで就労を拒否されてきた。また右仮処分決定に基づいて就労するに至つた同年7月以後においても、被解雇者であるがために、被告会社から遊休工作機械の手入係をさせられるなどしてその担当職務について、定期昇給、夏季、冬季の一時金について同僚より劣悪な査定を受けるなどして賃金について、毎年のように後輩に追い抜かれて昇給について、職制が他の工員に対し原告桧山と話しをするなと言つたりして精神的に、また役職に就けられず、永年勤続者の表彰を受けず、定年になつても社報に掲載されない等して種々の面で不当な差別取扱いを受けた。これら本件解雇から派生した一連の被告の不法行為により同原告は、甚大な精神的苦痛を被つた。同原告が被つたこの精神的苦痛を慰藉するための慰藉料としては別表(一)金額欄記載のとおり金1,000,000円が相当である。

[7] よつて、原告白樺、同松山ユリ、同竹林、同桜木満男、同野菊花子、同桧山は、右原告らと被告との間に雇用契約が存在することの確認を求め、原告松山登、同杉樹、同梅里は被告に対し、退職金として(原告松山登は一部請求)別表(一)金額欄記載の金員およびこれに対する原告松山登については定年による雇用契約終了日の翌日、原告杉樹、同梅里については支払い請求の日の翌日である同表遅延損害金の起算日欄記載の日から完済に至るまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求め、原告桧山は被告に対し、不法行為による慰藉料として同表金額欄記載の金員およびこれに対する不法行為の後である同表遅延損害金の起算日欄記載の日から完済に至るまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
[8] 第一項の事実は認める。第二項の事実は本件解雇の意思表示が違法にして無効なものであることを否認し、その余の事実を認める。第三項の事実は原告松山登、同杉樹、同梅里が解雇後も富士産業、プリンス自工または被告の従業員であつたことおよび原告松山登の退職金額を否認し、その余の事実を認める。同原告の退職金額は、金1,000,000円である。但し、右原告ら3名の雇用契約終了の日および退職金は、同原告らに対する解雇が無効であれば、予備的に認めるものである。第四項は、原告桧山がその主張のとおり仮処分申請をし、昭和25年6月30日にその主張のとおりの決定を受けたこと、同原告が右仮処分決定に至るまでの間就労を拒否され、右仮処分決定を受けて同年7月以後これに基づいて就労するようになつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
[9] 本件解雇は、次のような理由によりなされたものであつて、適法にして有効なものである。

(一) 人員整理の必要性と整理基準
[10] 富士産業は、会社経理応急措置法(昭和21年法律第7号)ならびに企業再建整備法(同年法律第40号)の適用を受けるいわゆる特別経理会社であつたので、その工場のうち荻窪工場を含む計14工場では、企業再建整備計画に基づいて将来独立の会社になることを前提として、昭和22年5月以降独立採算制をとつてきた。ところが、荻窪工場は、昭和23年春ころからその経営が悪化するに至り、加えていわゆる経済9原則、ドツジライン等による経済界の変動を影響を受け、受注の激減、製品の売れ行き不振、未払金の激増、融資の停止等により経営困難の状態となつた。そのため、富士産業は、同工場につき種々の合理化対策を講じたのであるが、その経営状態が好転するには至らなかつたので、結局人員整理による同工場再建のやむなきに至つた。そこで、富士産業は、同工場の自立自営という観点からその再建計画を立案して余剰人員を算出するとともに整理基準を定め、同工場の従業員742名のうち余剰人員として算出された約230名を整理の対象とすることにした。そして、この整理予定人員数を整理後の配置転換を考慮して各職場に割り当てたうえ、同工場の全従業員について整理基準該当性の有無を検討しつつ考課を行ない、これをもとに各職場ごとに序列を付し、序列の低位な者から割当人員数を解雇することにし、その結果、整理基準に該当した原告らを含む198名を昭和24年11月12日限り解雇することにしたのである。
[11] 整理基準の内容は次のとおりであり(以下整理基準は頭書の番号によつて特定し、その番号をもつて表示することがある。)、原告らの該当整理基準は別表(三)該当整理基準の番号欄記載のとおりである。
1 工場秩序を乱す者
2 会社業務に協力せざる者
3 業務怠慢なる者
4 技能低位なる者
5 事故欠勤多き者
6 出勤常ならざる者
7 病気による長期欠勤者
8 配置転換困難なる者
9 業務縮小のため適当な職なき者
10 その他経営効率に寄与する程度の低い者

(二) 整理基準該当事実
1 整理基準1(工場秩序を乱す者)に該当する事実(原告梅里、同桧山を除くその余の原告らにつき)
(1) 昭和24年2月11日の職場放棄とその指揮、扇動(原告白樺、同松山ユリ、同竹林、同野菊花子につき)
[12] 富士産業荻窪工場(整理基準該当事実はすべて同工場におけるものであるから、以下整理基準該当事実に関してはこの点を特に明示しない。)工作課第2職場の従業員は、同工場から30分間に限り許可を受けて、昭和24年2月11日始業後の午前8時ころから日本労働組合総同盟全国金属産業労働組合同盟関東金属労働組合富士産業荻窪支部(以下組合という。)の委員会報告事項について職場大会を開いたが、職場大会終了後にはデモ行動に移つて職場を放棄したうえ、職場責任者から阻止されたにもかかわらず、これを排して就業中の同課第1、第3、第4職場へ進入した。その際、原告白樺、同松山ユリ、同竹林は、右職場大会の席上において職場放棄を促したりあるいは右デモ行動を誘導するなどして、右職場放棄や他職場への進入行動を指揮、扇動した。また、原告野菊花子は、職場長から制止されたにもかかわらず、自己の検査係における職場を放棄して右デモ行動に参加した。そして、作業中であつた同課第1、第3、第4職場においては、右デモ行動のために非常に大きな動揺が生ずるに至つた。
(2) 昭和24年6月10日の国電ストライキ参加のための職場放棄(原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男につき)
[13] 昭和24年6月10日に国電のストライキが実施された。原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男は、同日朝一旦出勤したのにその後に至つて右ストライキに参加しようとして、原告桜木満男を通じて工作課第4職場の職場長に対し、右ストライキ参加のための外出許可を求めた。ところが、同職場長からこれを拒否されたため、同職場長の不在中に、原告桜木満男において、右原告ら4名の帰宅を理由とする出門許可証を作成したうえ、山川トキと意思を相通じて、同人が業務上保管していた同職場長の認印を右出門許可証に押捺した。そして、右原告ら4名は、同職場の床上に白墨で「我等日本共産党富士荻細胞は国電ストに参加のため職場を放棄する。」と大書したうえ、同日午前8時30分ころ右出門許可証により出門して職場を放棄し、右ストライキに参加した。
(3) 昭和24年7月30日の職場放棄とその指揮、扇動(原告松山登、同桜木満男につき)
[14] 工作課第4職場の従業員は、昭和24年7月30日就業時間中の午前10時ころ職場大会を開き、賃金の支払いについて工場長または工場幹部に直接交渉することを決議したうえ、右決議に従つて同課第3職場の従業員とともに企画室へ進入し、工作課長から「全部職場に帰り、新しい示達を聞くように。」と指示されたにもかかわらず、これを無視して同所で坐り込みを行なうなどして職場を放棄した。その際、原告松山登、同桜木満男は、右職場大会の場において右のような決議をすることを促したばかりでなく、作業中でありかつ職場長の許可もないのに、自ら従業員の先頭に立つてその企画室への進入を誘導したり、同所への坐り込みを指示するなどして、右職場放棄を指揮、扇動し、職場秩序を紊乱した。
(4) 昭和24年8月6日の職場放棄と業務妨害(原告白樺、同桜木満男につき)
[15] 原告白樺、同桜木満男は工作課第4職場の他の従業員らとともに、昭和24年8月6日就業時間中の午前9時ころ同職場の職場長に対し、同職場における職場大会の決議に基づいて工場幹部に交渉に行くものであるとして離席することにつき許可を求めた。ところが、同職場長からこれを拒否されたため、右原告両名は同職場の他の従業員とともに同日同時刻ころ職場を放棄した。そして、右原告両名は同職場の従業員や同課第3職場の従業員約20名とともに本館へ向かつたが、その途中で工作課長をとらえ、質問があるなどと連呼しながらスクラムを組んで同課長を包囲し、同課長の行動を妨げてその業務を妨害した。
(5) 昭和24年8月8日の職場放棄と業務妨害(原告白樺、同松山ユリ、同杉樹、同野菊花子につき)
[16] 原告白樺、同杉樹両名の妻は他の従業員の妻とともに3名で昭和24年8月8日午後2時ころ工場へ赴き、「区役所へ配給の掛け売り交渉に会社も一緒になつて押しかけろ。」と申し出た。そこで、業務部次長と営業課長が本館応接室においてこれに応待した。すると、原告白樺、同松山ユリ、同野菊花子は、就業時間中にもかかわらず許可なく自己の職場を離れて応接室へ出入りし、大声で自己の言い分を主張したりしたほか、業務部次長と営業課長が用務のために応接室から去ろうとした際には出口に立ちふさがつてこれを妨害した。また、原告杉樹は、その妻らに右のような申し出をさせて嫌がらせを行ない、工場の業務を妨害したものである。
(6) 無断ビラはり(原告松山登、同白樺、同松山ユリ、同桜木満男、同野菊花子につき)
[17] 原告松山登、同白樺、同松山ユリ、同桜木満男、同野菊花子は、工場から再三にわたつて注意を受けていたにもかかわらず、昭和24年4月ころから同月8月ころまでの間、工場内の所定以外の場所に日本共産党富士荻細胞名義の宣伝ビラを多数貼付した。
2 その余の整理基準に該当する事実
(1) 原告松山登
イ 整理基準3(職務怠慢なる者)、4(技能低位なる者)に該当する事実
[18](イ) 原告松山登は、工場の方針、命令の伝達やブロツクに属する従業員の指導、監督にあたるブロツク長であつたにもかかわらず、その上司である班長に対し、工場の方針に従わない態度を明示して作業につくことを拒んだり、また、就業時間中に理由もなく職場を離れて作業を怠り、他の従業員の不満をかつていた。このように、同原告はその職務に怠慢であつた。
[19](ロ) 原告松山登は、昭和24年7月ころには、技能級が2級の仕上組立工で、チヤフカツターの生産に従事し、また組合においては職場委員を勤めていたのであるが、同原告のチヤフカツターの生産枚数は1日平均50枚ないし60枚程度にしか過ぎなかつた。ところが、同原告より技能級が低い渡辺光晴、村山松芳らでさえ1日平均100枚ないし130枚位生産しており、また、同原告と同じように組合の職場委員であつて、そのほか食堂委員をも勤めていた阿部盛二も1日平均90枚ないし100枚位生産していたのである。このように、同原告はその職務に対する努力に欠けるところがあるとともに技能も低位であつた。
ロ 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[20] 工場では工作課第4職場の仕上組立工56名のうち9名を他に配置転換し、8名を整理しなければならない必要があつた。ところが、原告松山登は、前述のとおり職務に怠慢で技能も低位であつたので、他に与えるべき適当な職がなく、また、従来ブロツク長を平従業員にしたような事例もなかつたし、上司に対して反抗的でもあつたので、他に配置転換することも困難であつた。そして、同原告は、右のとおり整理基準8、9に該当するばかりでなく、前述のとおり同1、3、4にも該当するので、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(2) 原告白樺
イ 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[21] 原告白樺は、前述のとおり整理基準1に該当する行為(但し、昭和24年2月11日の職場放棄とその指揮、扇動、同年8月6日と同月8日の職場放棄と業務妨害)におよんだほか、しばしば職場離脱を行ない、作業意欲にも欠けていた。
ロ 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[22] 原告白樺は工作課第4職場においてターレツト旋盤工として勤務していたのであるが、工場では同職場のターレツト旋盤工14名のうち4名を余剰人員とせざるを得なくなつたところ、同原告の考課に基づく序列は低位であつた。ところが、ターレツト旋盤工については、昭和24年9月より自動三輪車の受注が打ち切られたので、これに与えるべき他の適当な職もなく、また、旋盤工をも多数整理しなければならない必要があつたので、旋盤工の職場に配置転換することも困難であつた。そのため、同原告は、他に与えるべき適当な職もなく、また、他に配置転換することも困難であつたのである。そして、同原告は、右のとおり整理基準8、9に該当するばかりでなく、前述のとおり同1、2にも該当するので、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(3) 原告松山ユリ
イ 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[23] 原告松山ユリは前述のとおり整理基準1に該当する行為(但し、昭和24年2月11日の職場放棄とその指揮、扇動、同年8月8日の職場放棄と業務妨害)におよんでいる。また、工場では組合ならびに従業員の協力を得て、同年4月ころより、工場再建のために休暇、欠勤を自粛し、職場離脱を戒め合う等の体制をとつてきたが、同原告は工場が右のような体制をとつているにもかかわらず、職制の制止を無視して、しばしば職場を離れることがあつた。
ロ 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[24] 原告松山ユリは、以前はトレース工であつたところ、昭和23年以降トレースの仕事がなくなつたので、昭和24年5月から技術課検査係において検査工として勤務してきた。ところが、工場では、間接部門に属していた同係を解消のうえ、検査工を工作課の各機械職場の直属として直接工的形態にし、その人員も直接工の1割以下にとどめることとしたため、検査工54名のうち2名を他に配置転換し、19名を整理しなければならなくなつた。しかるに、同原告は、検査の技能、経験において他の従業員より劣るし、トレースの仕事もなく、かといつて他に特技があるわけでもないので、与えるべき適当な職がなく、また、他に配置転換することも困難であつた。そして、工場では、昭和24年に入つて検査業務が多忙となり、検査未済部品が山積み状態になることもしばしばあつたのであるが、同原告は、右のような状態にもかかわらず、職制の制止を無視して職場を離れることが多かつたので、その仕事量に期待することもできないし、共同作業にとつても障害になり、したがつて、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(4) 原告竹林
イ 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[25] 原告竹林はその部下である山崎兼夫とともに、上司からしばしば注意を受けていながら、これを無視して、昭和24年4月以降、職場内の機械脇に無断で製図板を持ち出して、これに日本共産党富土荻細胞名義の宣伝ビラを貼付した。
ロ 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[26] 原告竹林は工作課第2職場においてフライス工として勤務し、ブロツク長を勤めていたのであるが、工場ではそのフライス工のうち12名を整理しなければならなくなつた。しかるに、同原告は、過去の実績が思わしくなかつたので、他に与えるべき適当な職がなく、また、従来ブロツク長を平従業員にしたようなこともなかつたので、他に配置転換することも困難であつた。そして、同原告は、ブロツク長であり、またその技能級も高かつたのに、前述のとおり整理基準1に該当する行為におよんだのであるから、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(5) 原告杉樹
イ 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[27]原告杉樹は、前述のとおり整理基準1に該当する行為(但し、昭和24年8月8日の職場放棄と業務妨害)におよんだほか、工場が組合とともに休暇、欠勤の自粛体制をとつて欠勤を戒めていたのに、昭和24年6月から同年9月までの間に、年間の有給休暇14日を全部とつたほかに20日の事故欠勤をした。
ロ 整理基準3(職務怠慢なる者)、4(技能低位なる者)に該当する事実
[28](イ) 原告杉樹は、作業の終始につきけじめを欠いていたばかりでなく、上司から注意を受けていたにもかかわらず、しばしば就業時間中無断で自己が担当していた機械を離れて同寮に話しかけるなどして、職務に怠慢であり、また、前述のとおり事故欠勤が多くて、作業意欲にも欠けていた。
[29](ロ) 原告杉樹は、技能級が同原告と同級である他の従業員に比べると、その作業能率において著しく劣つており、技能もその経験年数に比較すると低位であつた。このように、同原告はその職務に対する努力に欠けるところがあるとともに技能も低位であつた。
ハ 整理基準9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[30] 原告杉樹は工作課第4職場においてフライス工として勤務していたが、工場では、昭和24年9月以降フライスの仕事が激減したので、同職場のフライス工21名のうち6名を整理しなければならない必要を生じた。ところが、同原告の考課に基づく序列は低位であつた。そのため、同原告は余剰人員として他に与えるべき職がなくなつたのである。そして、同原告は右のとおり整理基準9に該当するばかりでなく、前述のとおり同1ないし4にも該当するので、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(6) 原告梅里
イ 整理基準3(職務怠慢なる者)に該当する事実
[31](イ) 原告梅里は、工作課第3職場において研磨工として勤務し、工具の研磨作業に従事していたが、同原告の研磨した刃物は切れ味が悪く、再研磨を依頼されることもあつた。しかし、同原告はこれを快く行なおうとはしなかつたので、他の研磨工に依頼しなければならないことになり、そのため生産の予定に支障を生ずることも多かつた。また、同原告は作業につくことが少なかつたので、工具の研磨が遅れがちであつた。
[32](ロ) 原告梅里は技能級が1級であつたが、同原告より経験の少ない従業員よりも作業量が少なく、工作課第三職場の研磨工のうちでもその作業能率は低位であつた。例えば、昭和24年7月から同年9月までの間における同原告の責任分数に対する獲得分数は89パーセントに過ぎなかつたが、整理対象とならなかつた研磨工のそれは120パーセント以上であつた。
ロ 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[33] 工場では、工作課第3職場の研磨工の数が他の職場に比べて多かつたので、同職場の研磨工23名のうち9名を整理しなければならなかつた。しかるに、原告梅里は、他の従業員との折り合いが悪かつたし、過去2回も配置転換を拒否したことがあり、また他の職場も縮小しなければならない状態にあつたので、配置転換が困難であり、他に与えるべき適当な職もなかつたのである。そして同原告は、右のとおり整理基準8、9に該当するばかりでなく、前述のとおり同3にも該当するので、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(7) 原告桜木満男
イ 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[34] 原告桜木満男は前述のとおり整理基準1に該当する行為(但し、昭和24年8月6日の職場放棄と業務妨害)におよんだものである。
ロ 整理基準3(職務怠慢なる者)に該当する事実
[35] 原告桜木満男は、就業時間中しばしば自己の持ち場を離れ、職場の内外を歩きまわつたり、他の従業員に話しかけるなどして、職務に怠慢であり、作業意欲にも欠けていた。
ハ 整理基準4(技能低位なる者)に該当する事実
[36] 原告桜木満男は、工作課第4職場においてターレツト旋盤工として勤務していたが、同一ブロツク内の技能級が同原告より低い他の従業員と比較してみても、その作業能率においてこれより著しく劣つていた。
ニ 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[37]原告桜木満男は、同白樺について前述したところと同様に、他に配置転換することが困難であり、与えるべき適当な職もなく、また、右のように整理基準8、9に該当するばかりでなく、前述のとおり同1ないし4にも該当するので、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(8) 原告野菊花子
イ 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[38] 原告野菊花子は、前述のとおり整理基準1に該当する行為におよんだほか、工場が組合とともに工場再建に努力しているのに、就業時間中に無断でしばしば自席を離れたり、他職場の従業員と雑談したりして担当作業を行なわなかつた。
ロ 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[39] 原告野菊花子は技術課検査係において検査工として勤務していたが、工場では、原告松山ユリについて前述したとおり検査工19名を整理しなければならなくなつた。ところが、原告野菊花子は、検査技能、職務に対する努力、勤怠等の点において他の従業員より劣り、また前述のとおり整理基準1に該当する行為にもおよんでいたので、同原告の考課に基づく序列は極めて低位であつた。そのため、同原告は、余剰人員として他に与えるべき職がなく、また他に別段特技というべきものもなかつたので、配置転換することも困難であつた。そして、同原告は、その勤務態度に真面目さがなく、事務能力に向上もみられず、前述のとおり就業時間中に無断でしばしば職場を離れたり、他職場の従業員と雑談したりして作業を怠つていたので、これにより職場の作業能率を低下させていた。したがつて、同原告は経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(9) 原告桧山
イ 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[40](イ) 工作課長は昭和24年9月ころ工場内の各職場の作業状況を巡視してまわつた。すると、その際原告桧山は、当時工場が組合との暫定的取り決めにより賃金遅配問題を処理しつつあつたのに、いきなり同課長の前に立ちふさがつたうえ、同課長に対し賃金を即時支払えと連呼して、その行動を妨げ、またその場に駆けつけた班長に対しては暴言を浴びせるなどして、同課長や班長の職務を妨害した。
[41](ロ) 原告桧山は昭和24年5月20日ころ、総務課長の注意を無視して、日本共産党富士荻細胞名義の宣伝ビラを工場の建物に貼付した。
ロ 整理基準4(技能低位なる者)に該当する事実
[42] 原告桧山は、以前は検査工であり、昭和24年5月から工作課第1職場において旋盤工として勤務するようになつたものであるが、旋盤工になつて以後半年を経過しても技術向上の見込みがなく、その作業能率についてみても、同原告と同じように旋盤工へ配置換えとなつた竹林基の獲得分数が5,000分であつたのに対し、同原告のそれは竹林のそれより低い4,000分であつて、作業能率も低かつた。
ハ 整理基準5(事故欠勤多き者)に該当する事実
[43] 工場では組合とともに昭和24年4月以降休暇、欠勤の自粛体制をとつていた。それなのに、原告桧山は、同月以降において9日欠勤し、「アカハタ」を売り歩いたり、ビラをまいたりしていた。そのうえ、同原告はこれを上司から注意されたのに何ら反省するところがなかつた。
ニ 整理基準9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[44] 工場では旋盤工27名が余剰人員となつたのであるが、原告桧山は、その余剰人員の1人となり、また、検査工も19名を整理しなければならないような状態であつたので、検査工に復帰させることも困難となり、結局他に与えるべき適当な職がなかつたのである。そして、同原告は、比較的高給者であるにもかかわらず旋盤工としての技術向上の見込みがなく、また、右のとおり整理基準9に該当するばかりでなく、前述のとおり同2、4、5にも該当するので、その経営効率に寄与する程度も低かつたのである。
(一) 原告松山ユリ
1 定年による雇用契約の終了とこれに関する手続
[45] 被告の就業規則第57条には、第1項に原告ら主張のとおり女子満50才定年制の定めがあるほか、その第2項に「定年退職に該当するときは、30日前に予告する。」との定めがある。ところで、原告松山ユリは、大正8年1月15日生まれの女子であつて、昭和44年1月14日の経過により満50才に達するものであつた。そこで、被告は右就業規則の規定に基づき、昭和43年12月25日同原告に対し、昭和44年1月31日限り退職を命ずる旨の予告をした。したがつて、被告と同原告との雇用契約は同日限り終了したものである。
2 原告松山ユリが被告の就業規則第57条の適用を受ける理由
[46] プリンス自工は被告との合併に先立つ昭和41年7月23日その全従業員の4分の3以上をもつて組織されていたプリンス自動車工業労働組合(以下プリンス自工労組という。)と、被告にその雇用関係を承継されるプリンス自工労組加入従業員の合併後の労働条件について、「労働条件は合併期日において原則として日産自動車株式会社の基準に統一する。就業規則は1966年8月1日より日産規則に統一する。」との労働協約を締結するとともに、従業員に対し被告の就業規則を周知させた。ところで、原告松山ユリは右労働協約締結当時においても合併期日である同年8月1日当時においてもプリンス自工労組に加入していなかつたのであるが、その他の労働組合にも加入してはいなかつた。したがつて、同原告は、労働組合法第17条により右労働協約の適用を受けることになるから、プリンス自工の就業規則第45条の定年に関する定めが被告の就業規則第57条の定めより有利であるかどうかにかかわらず、同条の適用を受けることになる。

(二) 原告竹林、同桧山
[47] 原告竹林は、大正3年9月30日生まれの男子であつて、昭和44年9月29日の経過により満55才に達するものであり、原告桧山は大正2年12月7日生まれの男子であつて、昭和43年12月6日の経過により満55才に達するものであつた。そこで、被告は前記定年制に関する就業規則の規定に基づき、昭和44年8月31日以前に原告竹林に対し、同年9月30日限り退職を命ずる旨の、また原告桧山に対しては昭和43年11月に同年12月31日限り退職を命ずる旨の予告をした。したがつて、被告と右原告ら両名との雇用契約は右予告のとおり終了したものである。
[48] 原告梅里とプリンス自工との雇用契約が定年により終了した昭和32年8月1日から10年の経過により、同原告の退職金債権は消滅時効により消滅した。しかるに同原告が雇用契約存在確認請求から退職金請求に訴えを変更したときには、同日より既に10年以上を経過しているから、同原告の退職金請求は失当である。
(一) 人員整理の必要性と整理基準について
[49] 富士産業が被告主張のような特別経理会社であつて、その工場のうち荻窪工場を含む計14工場では昭和22年5月以降独立採算制をとつてきたこと、富士産業が同工場の再建計画を立案するとともに被告主張のとおりの内容の整理基準を定め、同工場の従業員742名のうち約230名を整理の対象とすることとし、結局原告らを含む198名を昭和24年11月12日限り解雇することにしたことは認める。その余の事実は否認する。

(二) 整理基準該当事実について
1 整理基準1に該当する事実について
(1) 昭和24年2月11日の職場放棄とその指揮、扇動について
[50] 工作課第2職場の従業員が昭和24年2月11日始業後組合の委員会報告事項について職場大会を開き、その終了後にはデモ行動に移つて同課第1、第3、第4職場に立ち入つたことは認める。その余の事実は否認する。
[51] なお、原告白樺、同松山ユリは当時組合の専従の常任執行委員であり、原告竹林は同課第2職場の組合の職場委員であつた。
(2) 昭和24年6月10日の国電ストライキ参加のための職場放棄について
[52] 昭和24年6月10日に国電のストライキが実施されたこと、原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男が、右国電ストライキ支援のために、同日朝一旦出勤した後に帰宅を理由として出門し、右ストライキ支援に向かつたこと、その際、原告桜木満男が工作課第4職場の職場長に対し、右ストライキ支援のため出門許可を求めたことは認める。その余の事実は否認する。 [53] 当時は、職場長の許可を受ければ勿論のこと、ブロツク長の許可によつても出門することができたものである。そして、原告桜木満男は事前にブロツク長の了解を得たうえで右のとおり職場長に出門許可を求めたのであるが、職場長はこれを拒否しなかつた。
(3) 昭和24年7月30日の職場放棄とその指揮、扇動について
[54] 工作課第4職場の従業員が昭和24年7月30日に職場大会を開いたことは認めるが、その余の事実は否認する。
[55] 右職場大会は、当時賃金の遅配が甚だしかつたので、この問題について開かれたものである。なお、原告松山登、同桜木満男は当時同職場の組合の職場委員を勤めていた。
(4) 昭和24年8月6日の職場放棄と業務妨害について
[56] 原告白樺、同桜木満男が工作課第4職場の他の従業員らとともに、昭和24年8月6日の就業時間中に、自己の職場を離れて本館に向かつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
[57] 同日は賃金の支払いがなされることになつていたのにこれがなされなかつたので、当時同職場の組合の職場委員であつた右原告ら両名は、同職場の職場大会の決議に基づいて、同職場の代表である他の従業員とともに工場長室へ出かけたものである。
(5) 昭和24年8月8日の職場放棄と業務妨害について
[58] 原告白樺、同杉樹両名の妻が他の従業員の妻とともに3名で昭和24年8月8日工場へ赴いたことは認めるが、その余の事実は否認する。
[59] なお、原告白樺、同杉樹は当時工作課第四職場の組合の職場委員であつた。
(6) 無断ビラはりについて
[60] 否認する。
2 その余の整理基準に該当する事実について
(1) 原告松山登について
イ 整理基準3、4に該当する事実について
[61] (イ)のうち、原告松山登がブロツク長であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。(ロ)は、同原告が昭和24年7月当時技能級2級の仕上組立工で、組合の職場委員を勤めていたことは認めるが、その余の事実は否認する。
ロ 整理基準8、9、10に該当する事実について
[62] 否認する。
(2) 原告白樺について
イ 整理基準2に該当する事実について
[63] 否認する。
ロ 整理基準8、9、10に該当する事実について
[64] 原告白樺の勤務部署と職種は認めるが、その余の事実は否認する。
(3) 原告松山ユリについて
イ 整理基準2に該当する事実について
[65] 否認する。
[66] なお、原告松山ユリは昭和23年11月から昭和24年4月ころまで組合の専従の常任執行委員であつた。
ロ 整理基準8、9、10に該当する事実について
[67] 原告松山ユリが、以前はトレース工であつたところ、昭和24年5月から技術課検査係において検査工として勤務してきたこと、同月から同年8月までの間には検査業務が多忙であつたことは認める。検査工を減員、整理しなければならなくなつた事情は知らない。その余の事実は否認する。
(4) 原告竹林について
イ 整理基準2に該当する事実について
[68] 否認する。
ロ 整理基準8、9、10に該当する事実について
[69] 原告竹林の勤務部署と職種(但し、ブロツク長を勤めていたことを含む。)を認め、その余の事実は否認する。
(5) 原告杉樹について
イ 整理基準2に該当する事実について
[70] 原告杉樹が被告主張の期間に欠勤したことのあることは認めるが、その余の事実は否認する。
[71] 同原告は病気のために所要の手続を経て欠勤したものである。
ロ 整理基準3、4に該当する事実について
[72] 否認する。
ハ 整理基準9、10に該当する事実について
[73] 原告杉樹の勤務部署と職種を認め、その余の事実は否認する。
(6) 原告梅里について
イ 整理基準3に該当する事実について
[74] (イ)のうち、原告梅里の勤務部署、職種ならびに従事していた作業の内容は認めるが、その余の事実は否認する。(ロ)は、同原告の技能級が1級であつたことを認め、その余の事実は否認する。
ロ 整理基準8、9、10に該当する事実について
[75] 工作課第3職場の研磨工のうち整理しなければならないものとされた人数は不知、その余の事実は否認する。
(7) 原告桜木満男について
イ 整理基準2に該当する事実について
[76] 否認する。
ロ 整理基準3に該当する事実について
[77] 否認する。
ハ 整理基準4に該当する事実について
[78] 原告桜木満男の勤務部署と職種を認め、その余の事実は否認する。
ニ 整理基準8、9、10に該当する事実について
[79] 否認する。
(8) 原告野菊花子について
イ 整理基準2に該当する事実について
[80] 否認する。
ロ 整理基準8、9、10に該当する事実について
[81] 原告野菊花子の勤務部署と職種は認める。検査工を減員、整理しなければならなくなつた事情は知らない。その余の事実は否認する。
(9) 原告桧山について
イ 整理基準2に該当する事実について
[82] (イ)のうち、原告桧山が被告主張の日に工作課長に対し賃金の即時支払いを求めたことは認めるが、その余の事実は否認する。(ロ)の事実は否認する。
ロ 整理基準4に該当する事実について
[83] 原告桧山が以前検査工であつたこと、および同原告の昭和24年5月以降における勤務部署と職種は認める。竹林基の獲得分数が5,000分であつたことは知らない。その余の事実は否認する。
ハ 整理基準5に該当する事実について
[84] 否認する。
ニ 整理基準9、10に該当する事実について
[85] 否認する。
(一) 原告松山ユリについて
1 定年による雇用契約の終了とこれに関する手続について
[86] 原告松山ユリと被告との雇用契約が昭和44年1月31日限り終了したことを否認し、その余の事実を認める。
2 原告松山ユリが被告の就業規則第57条の適用を受ける理由について
[87] プリンス自工が昭和41年7月23日以降その従業員に対し被告の就業規則を周知させたことは否認する。原告松山ユリが被告の就業規則第57条の適用を受けるとの点を除き、その余の事実は認める。
[88] プリンス自工とプリンス自工労組との間に締結された前記労働協約を労働組合法第17条によりプリンス自工労組の組合員以外の従業員に拡張適用し、もつて当該従業員に対しても被告の就業規則を適用しようとすることは、被告の就業規則の定めが従前適用を受けていた就業規則の定めより不利益である場合には、当該従業員の同意がない限り許されないものと解すべきである。しかるに、被告の就業規則第57条第1項は原告松山ユリが従前適用を受けていた富士産業およびプリンス自工の就業規則第45条の定める女子従業員の定年を5年短縮するものであるから、これが同原告にとつて不利益なものであること明らかである。同原告は右のような定年の短縮をともなう被告の就業規則の適用について同意を与えたことはない。また、プリンス自工には昭和41年7月23日以前よりその従業員152名をもつて組織された全国金属労働組合東京地方本部プリンス自動車工業支部(以下全金プリンス労組という。)が存在し、同原告は同年9月18日全金プリンス労組に加入したのであるが、プリンス自工は全金プリンス労組との間に、プリンス自工労組と締結した前記労働協約のような内容の労働協約を締結してはいないし、そのための交渉すら持つたことがない。しかも、プリンス自工はその従業員に対し被告の就業規則を周知させようともしなかつた。したがつて、同原告に被告の就業規則第57条第1項を適用することは許されないものである。

(二) 原告竹林、同桧山について
[89] 認める。
[90] 退職金請求権は、債権者たるべき従業員が解雇され、雇用契約の存否を争つているような場合には、発生しないものと解すべきである。しかるに、原告梅里は本件解雇を受け、定年に達した昭和32年8月1日当時は本件訴訟において雇用契約存在確認請求をしていたのであるから、同原告の退職金請求権は同日当時いまだ発生していなかつたものである。
(一) 不当労働行為
[91] 原告梅里を除くその余の原告らは別表(四)記載のとおりの組合役員歴等を有したものであるが、富士産業の原告らに対する本件解雇の意思表示は、原告らが組合の役員あるいは組合員として本件整理解雇反対闘争や賃金遅配をめぐる闘争をはじめとする組合活動を活発に行なつてきたことの故になされたものであるから、不当労働行為として無効である。

(二) 解雇権の濫用
[92] 被告主張の解雇理由は全く根拠がないか、または合理性を欠くもので、本件解雇は権利濫用として無効である。
[93] 被告の就業規則第57条第1項には、女子従業員の満50才定年に関する定めに対し、男子従業員満55才定年制の規定がある。これは性別のみを理由として女子従業員を男子従業員と差別するものであるから、民法第90条に違反する無効なものである。
(一) 不当労働行為について
[94] 原告らが本件解雇当時まで組合に加入していたこと、組合が本件整理解雇反対闘争や賃金遅配をめぐる闘争を行なつたことは認める。原告梅里以外の原告らの組合役員歴等を除くその余の事実は否認する。原告梅里を除くその余の原告らの組合役員歴等については、原告松山登が職場委員、執行委員(2回)、組合長(1回)を勤めたこと、原告白樺が執行委員、常任執行委員、書記長、副組合長(各1回)を勤めたこと、原告松山ユリが常任執行委員(2回)を勤めたこと、原告竹林が常任執行委員(1回)を勤めたこと、原告桜木満男が青年部幹事(1回)、執行委員(3回)を勤めたこと、原告桧山が執行委員(1回)を勤めたこと、本件整理解雇反対闘争時に原告松山登が組合長、原告白樺が副組合長、原告松山ユリ、同竹林が常任執行委員であつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二) 解雇権の濫用について
[95] 否認する。

[96] 就業規則第57条第1項に原告松山ユリ主張のような規定があることを認める。
[97] 被告の就業規則第57条第1項が女子従業員の定年を男子従業員のそれより5年短い満50才と定めているのは、次のような合理的理由に基づくものであつて、性別のみを理由としたものではない。すなわち、高年令になつて労働能力が低下した従業員を年功賃金制のもとで継続して雇用することになると、作業能率は低下し、人事も停滞して若年従業員の昇進と勤労意欲に影響をおよぼし、また人件費も大幅に上昇する。ここに定年制を採用する理由と必要性があるのである。そして、被告の業務は自動車の製造という重工業の部類に属するので、労働能力の減退、低下した高年令者には適しない重作業が多い。そのため、定年を定めるにあたつてはまずこの点を重視しなければならないことになる。しかるに、一般には高年令となるにつれて体力したがつてまた労働能力が低下し、満40才を過ぎるとその低下の度合は大きくなるとともに、男子と女子とでは女子の方がその低下の度合が速いのである。このことからすると、男子従業員の場合には満55才、女子従業員の場合には満50才に達すると、その労働能力の低下、減退の程度からして、被告の業務に適しなくなるものと考えられる。そればかりでなく、被告の業務が右のようなものであるため、その女子従業員はもつぱら補助的業務に従事している。したがつて、女子従業員の場合には、雇用後短期間のうちに業務に習熟するので、それ以上の勤務年数を重ねても被告への貢献度は男子従業員に比べて向上しない反面、賃金は年功序列的賃金体系を採用しているので年々上昇し、賃金と労働能率とのアンバランスが男子従業員の場合に比較して早期に生ずることになる。また、女子は結婚して家庭の主婦となる等の事情から満50才を越えてまで勤務することが一般にまれであり、このような現象は被告の女子従業員についてもみられるところである。これに対し、男子の場合には一家の大黒柱として家族を扶養しているというのが社会的実情である。それに、定年を満50才から満55才までの間において定める企業が圧倒的に多いとともに、男子従業員のそれを満55才、女子従業員のそれを満50才としている企業も数多く存するのである。被告の就業規則第57条第1項はこれらの諸事情を考慮して男子従業員の定年を満55才、女子従業員のそれを満50才と定めているのであつて、合理的理由に基づくものであり、しかもその定年の差はわずか5年に過ぎないのであるから、民法第90条に違反するものではない。
[98] 否認する。
[1] 原告桧山は、昭和44年7月30日の本件口頭弁論期日において、雇用契約存在確認請求を不法行為に基づく損害賠償請求に交換的に変更する旨の申立てをした。
[2] 民事訴訟法第232条第1項の訴えの変更は、当初の訴えによっては紛争の実質的解決に至らないような場合に、従前の審理の結果をそのまま利用しながら請求または請求の原因を変更することが訴訟経済に合致することから認められた制度である。したがって、同項にいう請求の基礎の同一性とは、新旧両請求の間で、主要事実の全部または重要な部分が共通するなどして、請求の基盤となる利益紛争関係が同一とみられ、そのため、旧請求の審理をそのまま継続利用して新請求を審判の対象とすることを合理的ならしめる程度に、新旧両請求の事実資料に一体的な密着性がある場合をいうものと解される。
[3] 本件における原告桧山の雇用契約存在確認請求の請求原因事実は、雇用契約の締結とその承継であり、同原告がこれによって求める経済的利益関係は、同原告と被告との間に雇用契約が存在することである。これに対し、被告は本件解雇の理由とその意思表示を抗弁とし、これによって被告が求める経済的利益関係は同原告と被告との間に雇用契約が存在しないことである。さらに同原告は再抗弁事実としてその無効事由(不当労働行為および解雇権の濫用)を主張している。すなわち旧訴における主要な争点は解雇の理由とその効力であり、その紛争の地盤は雇用契約の存否である。一方、変更申立てにかかる不法行為に基づく損害賠償請求においては、同原告の主張するところは、本件解雇の意思表示が違法無効であり、したがって同原告と被告との間に雇用契約が存在するのに、被告が同原告を不当に差別待遇して損害を被らしめたというのであるから、その請求原因事実は、雇用契約の締結とその承継、本件解雇の意思表示とその違法事由(不当労働行為および解雇権の濫用)、被告の不当差別ならびに損害の発生とその額である。これによって同原告が求める経済的利益関係は、雇用契約が存在したのに被告から不当な待遇を受けたことに対する金銭的回復であり、被告がこれを争うことによって求める経済的利益は、同原告と被告との間に雇用契約は存在しないから、不当待遇という不法行為はなく、金銭的回復義務を負わないということである。すなわち、新訴においても主要な争点は、解雇の理由とその効力であり、その紛争の地盤は雇用関係の存否である。これによれば、両請求の主要事実は、雇用契約の締結とその承継、本件解雇の理由とその意思表示およびその違法、無効事由の存否という重要な部分において共通するし、両請求の基盤となる利益紛争関係も同一地盤に立つ。そして、両請求の成否は、主として本件解雇の効力いかんにかかっているが、被告が昭和44年5月19日の本件口頭弁論期日において雇用契約存在確認請求に関する抗弁事実として定年による雇用契約の終了を主張するまでは、旧訴においても、もっぱら本件解雇の意思表示の効力が争点となり、当事者はこの点に関して主張立証を尽くしていたのである。したがって、旧訴において提出された攻撃防禦の方法等の事実資料は新訴においても直ちに利用できることになる。
[4] 以上によれば、両請求は、審理を継続して行なうことを合理的ならしめるに足りる一体的な密着性を有するものといえるから、変更申立てにかかる不法行為に基づく損害賠償請求は、当初の雇用契約存在確認請求と請求の基礎を同一にするものである。また、審理の経過に鑑み、この訴えの変更は本件訴訟手続を著しく遅滞させるものでもない。よって、同原告の訴えの変更は適法である。
[5] 請求原因第一項の事実(原告らの雇用契約の締結とその承継関係)は、当事者間に争いない。
[6] 富土産業が昭和24年11月5日原告竹林を除くその余の原告ら8名に対し、同月12日限り右原告ら8名を解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いない。
[7] 富士産業が、その前身が中島飛行機で、全国に荻窪工場を含めて計17の工場または事業所を有し、荻窪工場においてはエンジン、映写機、ミシン等の製造業務を営んでいた株式会社であったこと、また、富士産業が、会社経理応急措置法ならびに企業再建整備法の適用を受けるいわゆる特別経理会社であって、その工場のうち荻窪工場を含む計14工場では昭和22年5月以降独立採算制をとってきたことは、当事者間に争いない。《証拠略》を総合すれば、荻窪工場を含む計14工場が独立採算制をとるようになったのは、富士産業がいわゆる特別経理会社であった関係から、企業再建整備法に基づく企業再建整備計画により右各工場が将来それぞれ独立の会社になることが予定されていたことによるものであること、荻窪工場は、当初漁船用エンジン、運輸省関係の鉄道車輛用工具、機械部品等を製造していたが、昭和23年春ころから購買力の減退により漁船用エンジンの売り上げが落ち、同時にその売上金の回収も思うにまかせなくなって経営が悪化しはじめ、そこへ同年12月のいわゆる経済9原則や翌昭和24年4月のいわゆるドッジライン等による経済界の変動の影響を受け、ために製品の売れ行きはますます低下し、政府予算の大幅削減にともなって同工場における生産高のかなりの部分を占めていた運輸省関係の鉄道車輛用工具の注文も全く得られなくなるなどして、経営困難な状態に立ち至ったこと、その間、同工場は製品の売り上げと代金回収の確保をはかるために受注生産方式を採用するとともに、生産品目もディーゼルエンジン、映写機等へと転換するなど種々方策を講じたのであるが、経営状態の悪化を防止、打開することはできなかったこと、その結果、昭和23年11月ころからは賃金も遅払いになり出し、昭和24年5月ころ以降になるとこれがますますひどくなって未払いまで生ずるようになり、同年9月末ころには未払金が約金23,000,000円、うち賃金の未払金が約金5,500,000円ないし金6,000,000円、そして借入金は約金29,000,000円に達し、金融機関等から融資を受けることもできないような状態になったこと、そこで、富士産業では、このような経営困難な状態を脱却して同工場の再建をはかるためにはもはや同工場の規模を全体的に縮小するよりほかないとして、需要、採算、資金繰りの3点から検討した生産計画とこれを基礎に算出した余剰人員の整理計画とを内容とする再建計画を立案したことが認められる(但し、富士産業が同工場の再建計画を立案したことは、当事者間に争いない。)。富士産業が被告主張のとおりの内容の整理基準(抗弁一の(一)に記載した1ないし10の整理基準)を定め、同工場の従業員742名のうち約230名を整理の対象とすることにしたうえ、最終的には原告らを含む198名を昭和24年11月12日限り解雇することにしたことは、当事者間に争いない。
[8] これによれば、右の人員整理自体は、荻窪工場の経営維持の必要からなされたものとして、合理的な理由に基づくものと認められる。
[9] 被整理者の人選についてみると、《証拠略》によれば、まず整理予定人員数を整理後の配置転換等を考慮して各課各職場に割り当てたうえ、各課各職場ごとに所属従業員の勤務成績につき前認定の整理基準に対応する9項目にわたって考課を行なうとともに、整理基準該当性について検討し、これをもとに序列を付し、そのうえで序列低位者を割当人員数に達するまで解雇することにしたこと、右の考課項目は、1技能、2作業に対する努力、3勤怠、4業務に対する協力性、5職場における重要度、6応用力、7職場規律、8健康状態、9総評であり(以下考課項目は頭書の番号によって特定し、その番号をもって表示することがある。)、考課項目についての評価は丙を普通として甲乙丙丁戊の5段階によりなされ、考課の対象とされた勤務成績は主として昭和24年4月ころから同年9月ころまでの間におけるものであるが、それ以前のものも考慮されたこと、そして原告竹林を除くその余の原告ら8名については別表(五)考課項目についての評価欄記載のとおりの考課がなされ、別表(三)該当整理基準の番号欄記載の整理基準に該当するものとされ、別表(五)序列欄記載のような低位の序列が付されて、解雇を相当とするとされるに至ったものであることが認められる。
[10] 企業規模の縮小による人員整理は、経営効率に寄与する程度の低い者を余剰人員として解雇しようとするものであることは、資本主義的経済社会においては、承認しなければならない基準である。整理基準1ないし7がその基準であることは事柄の性質上明らかで、これに該当するときは、結論として、その者は経営効率に寄与する程度が低いといわなければならない。それに、整理基準10は、同1ないし7の結論と解すると余り意味がないから、むしろそれらに直接該当するとされるような事由はないが、これに準ずる事由があって、なお経営効率に寄与する程度が低いとみられるような場合について設けられた補充的な基準と解される。しかし、整理基準8、9は、その内容からして、一定の職種、職場において余剰人員であるとされた従業員に対するものと解されるので、それ自体としては経営効率に寄与する程度の低い余剰人員であるかどうかを判断する独立の基準たり得ない。むしろ、整理基準1ないし10が並列的に掲げられているにもかかわらず、同8および9は特定の従業員が整理基準1ないし7または10に該当するとされた場合においても、なおその者の他の職種への適性および他の職場の欠員の有無という点から再検討して、その従業員の解雇の要否を具体的に判断する際に考慮されるべき事項と解される。しかし、本件人員整理は、整理予定人員数を整理後の配置転換等をも考慮して各課各職場に割り当てたうえでなされているのである。そうすると、このような企業規模の全体的縮小による人員整理において整理基準1ないし7または10に該当すると認められるときは、特にこれに反する事情の認められない限り、配置転換も困難で、与えるべき適当な職もないとされても致し方ないといわなければならない。
1 整理基準1(工場秩序を乱す者)に該当する事実(原告竹林、同梅里、同桧山を除くその余の原告らにつき)
(1) 昭和24年2月11日の職場放棄とその指揮、扇動(原告白樺、同松山ユリ、同野菊花子につき)
[11] 工作課第2職場の従業員が、昭和24年2月11日始業後、組合の委員会報告事項について職場大会を開き、その終了後デモ行動に移って同課第1、第3、第4職場に立ち入ったことは、当事者間に争いない。この事実と《証拠略》によれば、次の事実が認められる(《証拠判断略》)。
[12] 荻窪工場の従業員は、月々賃金として、平均4,500円の基本給のほか生産高に応じて算定される生産報奨金の支給を受けていたが、生産報奨金としては同工場の生産目標を達成した場合には金3,000円以上が支給されることになっていた。ところが、前認定のとおり昭和23年11月ころから賃金が遅払いになりはじめ、また経営不振から生産が思うようにあがらなくなって生産報奨金の支給もおぼつかなくなってきたので、組合は昭和24年1月同工場に対し、1か月の賃金として基本給と生産報奨金を含め平均金7,500円支給することを保証するよう要求した。これに対して同工場は、同月分の賃金としては基本給金4,500円しか支給することはできないが、金1,000円を前貸しする、同年2、3月分の賃金としては金7,500円の支給を保証する旨回答した。組合は同年2月10日、組合三役、執行委員ならびに職場委員で構成する委員会において右回答につき検討したが、意見がまとまらなかったので、翌日職場大会を開いて委員会の状況を報告し、各職場の意見を徴することにした。このような経緯で、工作課第2職場においては同月11日始業後の午前8時ころから職場大会が開催されたのであるが、途中製造部長より30分以内に解散するよう命じられたものの職場大会はそのまま続行され、その際同職場の従業員Aから工場内をデモしようとの提案がなされるや、同工場の前記回答に対する不満等からこれが議決された。そこで、右職場大会に出席していた同職場の従業員50名ないし60名は職場大会の終了後デモ行動に移り、職場責任者から制止されたにもかかわらずこれに従うことなく、スクラムを組んだり歌を歌いあるいはデモへの参加を呼びかけながら、職場大会を開催中の同課第1職場や就業中の同課第3、第4職場へ進入するなどして、約30分間にわたって工場内をデモしてまわった。しかし、同課第1、第3、第4職場はこれに同調しなかった。そして、組合の専従の常任執行委員であった原告白樺同松山ユリは、同課第2職場で右デモについての議決がなされた後たまたま同職場を通りかかった際にデモへの参加を要請されたので、これに参加してデモの先頭に立ったが、デモが同職場から同課第1職場を経て同課第3職場の入口の手前付近に至った際、これから抜けて組合事務所へ戻った。また、同課第4職場で就業していた技術課検査係の原告野菊花子は、デモが同課第2職場から同課第1、第3職場を経て同課第4職場に進入してきた際、職制から制止されたにもかかわらず、同職場で就業していた同係のBとともにこれに参加した。
[13] 以上の事実が認められる。
[14] 被告は、原告白樺、同松山ユリが工作課第2職場の職場大会の席上において職場放棄を促したりあるいはデモ行動を誘導するなどしてこれを指揮、扇動したと主張する。しかし、前認定の事実のみでは右原告ら両名がデモを指揮、扇動したものと認めることはできず、単に同職場の従業員とともにデモに参加したに過ぎないものといわなければならない。このことは原告野菊花子についても同様である。《証拠判断略》
[15] 原告白樺、同松山ユリの両名は組合の専従役員であるからデモに参加すること自体は職場放棄にはあたらないが、同原告らは、就業時間中に他職場へ進入するなどして工場内をデモしてまわっているのであるから、その行為は、職場秩序を乱し、業務を阻害する性質を帯有することを否定できない。また、原告野菊花子は、職制から制止されたにもかかわらず職場を離れているのであるから、その行為は職場放棄にあたり、それ自体職場秩序を乱すものであるとともに、同原告は就業時間中に工場内をデモしているのであるから、その行為は職場規律を乱し、業務を阻害する性質を有する。しかし、一口に職場放棄とかデモといっても、これが職場秩序や業務運営におよぼす影響はそのなされた理由、態様等諸般の事情により異なる。職場放棄またはデモという外形的事実だけをとらえて、これを一律に整理基準該当の事実とするのは相当ではない。そうすると、整理基準1の工場秩序を乱す者とは、職場放棄またはデモであっても、その情状が悪質であって、解雇されてもやむを得ないものと認められる程重大なものを指すと解するのが相当である。しかるに、デモは、賃金遅払いという状況のもとにおいて、昭和24年1月分の生産報奨金は支給しないとの賃下げにも等しい工場側の回答を不満としてなされたものである。労働者にとって賃金は唯一の生活の糧であるから、戦後の窮乏した時代における賃金遅払いまたは賃下げは、その生命線の侵害にも等しい。したがって、右原告らがこれに憤激してデモに参加したからといってこれを一方的に責めるのは酷である。また、デモの態様も暴力等の有形力を行使するというようなものではないし、時間も30分間位の比較的短いものである。のみならず、他職場が同調してデモに加わるというようなことはなかったし、業務に特別重大な混乱や支障を生じたことを認めるに足りる証拠もない。それに、原告白樺、同松山ユリはデモの途中から脱落しているし、原告野菊花子はデモに途中から加わったのである。これらの諸事情を考慮するならば、右原告ら3名のデモ参加行為は、工場秩序を乱す者という整理基準に該当する程の重大な職場秩序紊乱行為と認めることはできない。したがって、これをもって右原告ら3名を右整理基準に該当するものということはできない。
(2) 昭和24年6月10日の国電ストライキ参加のための職場放棄(原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男につき)
[16] 昭和24年6月10日に国電のストライキが実施されたこと、原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男が、右国電ストライキ支援のために、同日朝一旦出勤した後に帰宅を理由として出門し、右ストライキ支援に向かったこと、その際原告桜木満男が工作課第4職場の職場長に対し、右ストライキ支援のため出門許可を求めたことは、当事者間に争いない。この事実と《証拠略》によれば、次の事実が認められる(《証拠判断略》)。
[17] 原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男は昭和24年6月10日一旦荻窪工場へ出勤したのであるが、始業時間である午前8時を過ぎた午前8時30分ころになってから、早退のうえ国電ストライキの応援に出かけることにした。同工場においては、早退等により出門する場合には職場の責任者である職場長等の許可を受け、出門許可証にその認印を押捺してもらわなければならないものとされていた。そこで、原告桜木満男は工作課第4職場の職場長に対し、国電ストライキの応援を理由として早退出門の許可を求めた。ところが、同職場長からこれを拒絶されたので、同原告は原告白樺とともに同職場長の不在中今度は同職場長付に対し右同様の許可を求めたが、やはりこれも拒絶されてしまった。そのため、原告白樺、同桜木満男はCと相談のうえ、同人が業務上保管していた同職場長の認印を右原告ら4名の帰宅を理由とする出門許可証に押捺してもらったが、この事情については原告松山登、同杉樹も承知していた。そして、右原告ら4名は同日午前9時30分ころ右出門許可証を使用して早退出門し、国電ストライキの応援に向かったが、その際、原告桜木満男は工作課第4職場の床上に白墨で「吾等日本共産党富士荻細胞は国電スト応援の為職場を放棄す。」と大書した。
[18] 以上の事実が認められる。
[19] これによれば、右原告ら4名は許可なく早退したのであるから職場放棄をしたものといわなければならず、国電ストライキの応援という目的は、職場放棄を正当化する理由とはなり得ない。このような職場放棄が職場秩序を乱すものであることはいうまでもない。もっとも《証拠略》中には、同工場においては賃金の遅払いがひどかったので内職等のために年次休暇をとったり欠勤したりする従業員が多く、昭和24年5月の1日あたり平均の休暇者および欠勤者数は62名で、出勤者数に対する割合は7.5パーセント、同年6月の1日あたり平均の休暇者および欠勤者数は91名で、出勤者数に対する割合は11.4パーセントにものぼっており、職場秩序は乱れていたとの部分がある。しかし、右のとおりの休暇者や欠勤者があったとしても、その理由が個別的に明らかにならない限り、このことから直ちに職場秩序が一般的に乱れていたということはできない。また、《証拠略》中には、職場へ内職を持ち込んだり、職場の工具類を内職に使用するために持ち出す従業員がいたとか、職制が職場秩序維持を十分になし得ない状況にあったとの部分がある。しかし、これらは1、2の例を取りあげているに過ぎないし、あるいは具体性に欠けているので、これをもって職場秩序が全般的に乱れていたと認めることはできない。のみならず、原告らがるる陳述する事実は、いずれも無断職場放棄とは行為の性質を異にするから、これがあるからといって職場放棄を正当化しようとするのは、自らを顧みず、他を言う類であって正当ではない。かえって《証拠略》によれば、同工場では同年4月ころには経済白書なるものを発表して同工場の経営状態を従業員に訴えるとともに、組合との経営協議会において欠勤、遅刻等を戒めて生産の向上をはかることを申し合わせていたことが認められるのである。それなのに、右原告ら4名は早退出門の許可を2度にわたって拒絶されたにもかかわらず、このような時期に不当な方法をもって公然と職場放棄をしているのであるから、これが職場秩序に重大な影響を与えるものであることは明らかである。したがって、右原告ら4名はこれをもって整理基準1の工場秩序を乱す者に該当するとされてもやむを得ない。
(3) 昭和24年7月30日の職場放棄とその指揮、扇動(原告松山登、同桜木満男につき)
[20] 工作課第4職場の従業員が昭和24年7月30日に職場大会を開いたことは、当事者間に争いない。《証拠略》によれば、次の事実が認められる(《証拠判断略》)。
[21] 荻窪工場では、賃金は毎月25日払いであったのであるが、昭和23年11月ころから賃金が遅払いになり出したので、昭和24年4月からは賃金を毎月4回に分けて一定の日に支払う計画を立てたところ、この計画どおりの支払いさえなされなかったばかりでなく、同年五月以降には末払いすら生ずるに至っていた。そして、同年6月分の賃金の支払いをみると、それは同年7月9日に金1,000円、同月15日に金1,500円、同月26日に金2,000円というように、平均金4,500円が1か月遅れで3回分割により支払われ、なお若干の未払金を残しており、同月30日に支払われる予定になっていた同月分の賃金の内金1,500円については、予定どおりの支払いができないような状態であった。そのため、工作課第4職場の職場長は同日午前10時ころ同職場の従業員に対し、同日予定されていた賃金の支払いは不能である旨を説明した。すると、同職場の従業員は同職場長の許可を得て職場大会を開催し、同職場の従業員全員で工場長または工場幹部と賃金の支払いについて直接交渉することを決議した。そして、同職場の従業員ほぼ全員は、同職場の組合の職場委員であった原告松山登、同桜木満男を先頭にして、右決議に従って就業時間中にもかかわらず許可を受けることもなく職場を離れて本館企画室へ押しかけ、その後、同職場と同様の決議をして同所へ押しかけてきた同課第3職場の従業員と本館裏側入口付近において合流したうえ、工作課長から「全部職場に帰り、新しい示達を聞くように。」と指示されたにもかかわらず同所で坐り込みを行った。
[22] 以上の事実が認められる。
[23] 被告は、原告松山登、同桜木満男が工作課第4職場の職場大会の場において前認定のような決議をすることを促したり、同職場の従業員をその先頭に立って企画室へ誘導したり、あるいは坐り込みを指示するなどしてこれを指揮、扇動したと主張する。しかし、右原告ら両名が職場大会の場において決議をすることを促すなどして右決議に至らせたことおよび坐り込みを指示するなどしてこれをなさしめたことを認めるに足りる証拠はない。もっとも、右原告ら両名が職場委員であって、同職場の従業員の先頭に立って本館企画室へ押しかけたことからみるならば、右決議、誘導、坐り込みについて、同原告らは指導的な役割を果たしていたと推認されないではない。あたかもこれを裏付けるように、《証拠略》には、同職場の従業員の前認定のような行動についての責任者は右原告ら両名であるとか、右のような行動は右原告ら両名の扇動によるものであるとの記載がある。しかし、同原告らのこの行為が職場秩序紊乱行為として非難されるためにはその指導にかかる行為について違法性が認められる場合でなければならない。これらの行為の動機をなしたものは、被告の従業員に対する給料の遅払いと未払いである。右原告ら従業員は、労働の対価として当然支払いを受くべき履行の遅延した給料の支払いを求めるために、前記のような行為におよんだのである。当時労働者が給料の一部でも遅払いまたは未払いがある場合は、いかに悲惨なものであったかは、そのころの社会経済情勢からみれば察するに余りあるものがある。そもそも使用者たる者は、毎月1回以上一定の期日を定めて賃金を支払わなければならないのである(労働基準法第24条第2項本文)。右原告らは、6月分の賃金を7月30日になっても、まだ完済を受けなかったのである。このような切迫した事態においては、従業員が自ら賃金の支払いを確保しようとして職場を放棄して工場長や工場幹部のところへ押しかけ、あるいは坐り込みを行なったとしても無理もないことであって、その責任は挙げて被告側にあるものといわざるを得ない。被告が自らの責任を棚上げして右原告らの行為を非難するのは、見当違いである。これらの諸事情を考慮するならば、右原告ら両名の前認定の職場放棄は、整理基準1の工場秩序を乱す者に該当する程の重大な職場秩序紊乱行為と認めることはできない。したがって、これをもって右原告ら両名を右整理基準に該当するものということはできない。
(4) 昭和24年8月6日の職場放棄と業務妨害(原告白樺、同桜木満男につき)
[24] 原告白樺、同桜木満男が工作課第4職場の他の従業員らとともに、昭和24年8月6日の就業時間中に、自己の職場を離れて本館に向かったことは、当事者間に争いない。この事実と《証拠略》によれば、次の事実が認められる(《証拠判断略》)。
[25] 工作課第4職場の従業員は、同日予定されていた同年7月分の賃金の内金1,500円の支払いがなされないことになったので、同日午前9時前ころから職場大会を開き、同職場の組合の職場委員と各ブロックの代表者とで工場長や工場幹部と賃金の支払いについて面接交渉することを決議した。そこで、同職場の組合の職場委員であった原告白樺は、同職場の代表として、同日午前9時ころ同職場の職場長に対し、右決議に従って工場長や工場幹部のところへ交渉に行くことを理由として職場を離れることにつき許可を求めたが、同職場長からこれを拒否された。しかし、右職場大会において右決議を実行すべきことが再度確認されたため、同原告は同職場長に対し右決議に従って交渉に行くため離席する旨を告げて、原告桜木満男をはじめとする同職場の組合の職場委員や各ブロックの代表者約20名とともに、同日同時刻ころ職場を離れて本館工場長室へ向かった。そして、その途中本館から出てきた工作課長に出会った際、右原告ら両名はCとともに同課長を取り巻いて「質問がある。」「聞きたい。」などと連呼し、あるいは「こういう行動に話はできぬ。」という同課長にスクラムを組んだりしてその通行を妨げた。
[26] 以上の事実が認められる。
[27] これによれば、右原告ら両名は就業時間中に許可なく職場を離れ、また、工作課長を取り巻いたりあるいはスクラムを組んだりしてその通行を妨げているのであるが、その外形的事実だけをとらえて、その行為の価値判断をすることは、形式論であって事の本質を正解するものではない。当時は昭和24年7月30日の職場放棄とその指揮、扇動について認定したとおりの賃金遅配状況にあり、しかも8月6日の当日予定されていた賃金の支払いもなされないというような事情にあったのである。このような場合に従業員が賃金の支払いを求める決議をし、職場委員であった右原告ら両名がこの決議に従って職場を離れ、工場長や工場幹部のところへ賃金の支払いについて交渉をしに行ったとしても、これを非難することができないことは、前説示のとおりである。双務契約たる雇用契約において、使用者が自らの債務である賃金の支払いをせずに、労働者の労務に服する債務の履行だけを要求することが、いかに不当なものかは論ずるまでもなく明白である。また、工作課長に対する行為にしても、たまたま所属の上司に出会ったので賃金の支払いについての切なる要求を吐露するためになされたものであり、その態様からみても業務妨害をもって非難される程のものではない。そうすると、右原告ら両名の前認定の職場放棄等の行為は、整理基準1の工場秩序を乱す者に該当する程の職場規律違反行為と認めることはできない。したがって、これをもって右原告ら両名を右整理基準に該当するものということはできない。
(5) 昭和24年8月8日の職場放棄と業務妨害(原告白樺、同松山ユリ、同杉樹、同野菊花子につき)
[28] 原告白樺、同杉樹両名の妻が他の従業員の妻とともに3名で昭和24年8月8日荻窪工場へ赴いたことは、当事者間に争いない。この事実と《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
[29] 原告白樺、同杉樹両名の妻は他の従業員の妻とともに3名で同日午後2時ころ同工場へ赴いて、「区役所へ配給の掛け売り交渉に会社も一緒になって押しかけろ。」と申し出た。そこで、業務部次長と営業課長が本館応接室においてこれに応待した。すると、原告白樺、同松山ユリ、同野菊花子は、他の従業員12、3名位とともに就業時間中にもかかわらず許可なく職場を離れて応接室に至り、右家族らの申し出を支持するなどしてこれを応援し、さらには、途中同次長が業務上の要件で一時退室しようとするや、出口に立ちふさがって15分間位にわたってこれを妨げ、また、応接室に戻った同次長と同課長が会議のため家族らとの話合いを打ち切って退室しようとした際にも右と同様の方法をもって15分間位にわたってこれを妨げた。ところで、当時原告白樺は工作課第4職場の組合の職場委員であり、原告野菊花子は組合の青年婦人対策部の青年婦人対策委員や青年婦人連絡協議会副責任者を勤めていた。同原告は、そのような組合役員を勤めていた関係で、従業員の家族等が賃金遅配問題等について組合へ相談しにきたようなときにはその応待にあたったりしていた。また、原告松山ユリは、当時組合の役員ではなかったが、昭和24年4月ころまでは組合の職場委員、青年婦人対策部の前身である青年部の婦人班長、常任執行委員等を勤め、賃金遅配問題等につき工場側と交渉にあたってきた。
[30] 以上の事実が認められる。《証拠判断略》
[31] 前認定の事実によれば、原告白樺、同松山ユリ、同野菊花子は、許可なく職場を離れたうえ、業務部次長や営業課長が会議等の業務上の要件で本館応接室より退室しようとするのを出口に立ちふさがって妨げているのであるから、これは外形的には職場放棄または業務妨害行為として職場秩序を乱す性質を帯びるものである。しかし、当時は昭和24年7月30日および同年8月6日の事件について認定したとおりの賃金遅配状況にあったのである。そうすると、家計をあずかる原告白樺、同杉樹両名の妻らは、米の配給を受けるにも事欠き、その日一日の生活にも困却するあまり前認定のような申し出におよんだものと推察されるのである。主要全食糧が配給制であった当時においては、賃金の遅配、欠配を強いられている労働者としては、主要食糧の掛け売りが認められなければ、その日の糧にも事欠くという事態も招来するであろう。このような場合に従業員が職場を離れて家族らの応援をしたとしても、それは生存のためにやむなくなされたものとして、その心情には察すべきところがあり、これを非難するのは当を得ない。その責任は、むしろ給料を支払わない被告にある。右原告ら3名が前認定のとおり組合の役員を勤めまたは勤めたことがあったことからすれば、なおさらのことである。また、業務部次長や営業課長に対する行為にしても、その目的、態様、時間等からみれば、極めて軽微なものであって、これを業務妨害と目することができるものでもない。これらの点を考慮するならば、右原告ら3名の前認定の職場放棄等の行為は、整理基準1の工場秩序を乱す者に該当する程の重大な職場秩序違反行為と認めることはできない。したがって、これをもって右原告ら3名を右整理基準に該当するものということはできない。
(6) 無断ビラはり(原告松山登、同白樺、同松山ユリ、同桜木満男、同野菊花子につき)
[32]《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
[33] 荻窪工場には掲示板が設けられていたのであるが、原告白樺、同桜木満男は同杉樹らとともに、昭和24年5月13日入場時刻前の午前7時10分ころ、許可なく同工場内の掲示板以外の建物、壁等に日本共産党富士荻細胞名義の宣伝ビラを貼付した。そこで、総務課長は同日直ちに右原告ら3名に対し、同工場は賠償工場でもあるからビラを許可なく所定の場所以外に貼付してはならない旨注意した。ところが、原告白樺、同桜木満男は同松山ユリ、同野菊花子や同桧山らとともに、同月20日午前7時ころ前同様に同名義の宣伝ビラを貼付した。また、原告桜木満男は、同年7月15日ころにも工作課第4職場内の衝立てに許可なく同名義の宣伝ビラを貼付し、同職場の職場長が同日これを見つけてはがしたところ、原告松山登、同白樺とともに同職場長に抗議し、その際同職場長からも総務課長より受けたと同様の注意を受けた。それなのに、原告桜木満男は、同職場長の注意には従うことができないとして、同月26日、同年8月11日、同月13日の3回にわたり、前同様許可なく同職場の衝立てに同名義の宣伝ビラや「アカハタ」を貼付した。このようにして貼付された宣伝ビラの内容は、「日本の産業を救へ、売国吉田内閣打倒」とか、「休暇の届出制反対」とか、「直ちに闘争宣言を発せよ」とか、「工場を食ひものにする幹部を追放せよ」とか、「上ラヌ生産、出駄ラ目工数」とか、「国鉄を守れ」とかいうものであった。なお、同工場におけるビラはりの状況についてみると、組合では昭和23年8月ころから闘争時等に許可なく同工場内の掲示板以外の建物、壁等にビラを貼付することがしばしばあった。
[34] 以上の事実が認められる。しかし、原告松山登が宣伝ビラを貼付したことを認めるに足りる証拠はない。もっとも、同原告は昭和24年7月15日工作課第4職場の職場長に対し、同職場長が宣伝ビラをはがしたことに抗議しているのであるから、これによれば同原告が宣伝ビラの貼付について何らかの関係を有するのではないかと思われないではないが、これだけをもって同原告が共同のうえで宣伝ビラを貼付したと推認することはできない。
[35] 労働者にとって文書活動は、その団結の維持、強化等のための表現、宣伝活動または要求貫徹の手段として欠くことのできない基本的かつ重要な武器であり、いわゆるビラはり行為はその最も通常な方法の一つである。しかし、その方法は全く自由なものではなく、企業内に掲示施設があるような場合にはこれになすべきものであって、許可もないのに使用者の企業施設に自由にビラを貼付することが許されるものではない。前認定の事実によれば、原告白樺、同松山ユリ、同桜木満男、同野菊花子は、掲示板が設置されているにもかかわらず許可もないのに、それ以外の同工場内の建物、壁等にビラを貼付しているのであるから、これは一見職場規律に反する行為と思われる。しかし、このようなビラはり行為が職場規律におよぼす影響は、その場所、枚数、回数、ビラの内容、これに対する工場側の態度等により千差万別である。その程度のいかんを問わず、労働者の許可なき企業施設内のビラはり行為をすべて職場規律違反として問責できるとするならば、やがて労働者の表現の自由は、この点からひっそくへの道をたどるであろう。ビラはり行為の態様、場所、規模、内容等からみて、著しく企業施設の機能を害し、または秩序を乱し、あるいは表現の自由を逸脱すると認められるものに限って、その行為の責任を問うことができるものと解すべきであろう、したがって、整理基準1の工場秩序を乱す者に該当するとして、禁止されるビラはり行為も、この程度に重大な職場規律違反行為である場合を指すものと解するのが相当である。
[36] 原告松山ユリ、同野菊花子は、昭和24年5月20日に1回だけ、組合が闘争時等にしばしば貼付していたような場所にビラをはっただけである。また、前記ビラの内容は、労働者の要求としては、表現の自由の範囲内にとどまるものである。しかも、組合では昭和23年8月ころから闘争時等に許可なく同工場内の掲示板以外の建物、壁等にビラを貼付することがしばしばあったのである。のみならず、右原告ら両名とともに同月20日ビラはりを行なった原告桧山や同月13日にビラはりを行なった原告杉樹については、被告はこれを整理基準1に該当する事実として主張していない。これらの事情を考慮するときは、原告松山ユリ、同野菊花子のビラはり行為は、重大な職場規律違反行為ではないから、これをもって工場秩序を乱す者との整理基準に該当するものということはできない。
[37] 原告白樺、同桜木満男は、同月13日にビラはりを行ない、同日総務課長から直接注意を受けたのに、同月20日に再びこれを繰り返しており、原告桜木満男はその後もさらに4回にわたってビラ等を貼付し、その間にも注意を受けながら、その注意には従えないとしてこれを繰り返し行なっていたのである。この経緯に徴するならば、右原告ら両名のビラはり行為は、著しく職場秩序を乱すものといわなければならない。したがって、これは工場秩序を乱す者との整理基準に該当する。

2 その余の整理基準に該当する事実
(1) 原告松山登
 整理基準3(職務怠慢なる者)、4(技能低位なる者)に該当する事実
[38](イ) 原告松山登がブロック長であったことは前認定のとおりである。《証拠略》によれば、ブロック長はブロック所属の従業員に対し工場の方針や命令を伝達したり、ブロック所属の従業員とともに同一の作業に従事しながら、作業、技術等についてこれを指導、監督するという職務を担当していたことが認められる。
[39] 被告は、原告松山登が上司である班長に対し工場の方針に従わない態度を明示して作業につくことを拒み、その職務を怠ったと主張する。そして《証拠略》には、同原告が上司である班長に対し、「自分としてはどうしても納得できないから仕事もできないし、皆に仕事をやってくれとは言えない。」と言って、反抗的態度を示したとの記載がある。しかし、そのような発言ないし態度がいかなる事項についてどのような状況のもとにおいてなされたものであるかが明らかにならなければ、これをもって職務怠慢であるとして、同原告を整理基準3の職務怠慢なる者に該当すると認めることはできない。ところが、この点については何らの証拠もない。
[40] また、被告は、同原告が就業時間中に理由もなく職場を離れて作業を怠ったと主張し、《証拠略》には右主張どおりの記載がある。しかし、右記載は抽象的に過ぎ、その日時、理由、態様、回数等具体的事実について欠けているので、これだけをもって職務怠慢と断ずることはできない。前認定の昭和24年6月10日と同年7月30日の行為は、職場放棄といえないことはないが、これを職務怠慢行為という観点からみるときは、前説示の理由により、解雇されてもやむを得ない程重大なものとは認められない。したがって、これをもって同原告を整理基準3の職務怠慢なる者に該当するということはできない。
[41](ロ) 原告松山登が工作課第4職場の仕上組立工で、ブロック長であったことは前認定のとおりであり、同原告が昭和24年7月当時技能級2級で、組合の職場委員を勤めていたことは当事者間に争いない。この事実と《証拠略》によれば、工作課第4職場においては仕上組立工56名のうち9名が他職場へ配置転換され、8名が整理されることになったこと、原告松山登はブロック長3名を含む20名位の仕上組立工とともに昭和24年5月ころから同年8月ころまでチャフカッターの生産に従事していたが、この間組合の職場委員を勤めていたこと、そしてこの当時における同原告の作業量をみると、同原告のチャフカッターの生産枚数は1日平均50枚ないし60枚程度であったこと、ところが、技能級が同原告と同じ2級であるD、Eや技能級が同原告より低い3級であるFらのそれは1日平均100枚位であり、同原告と同じように技能級2級のブロック長でありかつ組合の職場委員であって、そのほかに食堂委員をも勤めていたGのそれも1日平均90枚ないし100枚位であったこと、また、同原告の同年7月の努力採点(職場長、職場長付および班長が合議により従業員の作業に対する努力の程度を技能級とは無関係に採点したもので、この点数いかんは生産報奨金の額に影響する。)を同原告とともにチャフカッターの生産に従事していた他の3名のブロック長のそれと比較してみると、同原告は710点であったが、技能級1級のHは820点、同じく技能級1級のIは840点、そしてGは830点であったことが認められる。
[42] これによれば、原告松山登はブロック長であって、前認定のような職務を担当していたのであるから、特段の事情の認められない限り、ブロック長として要求されるところのブロック所属の一般従業員を作業、技術等について指導、監督し得る一定程度の技能を有していたか、もしくはこの程度の技能を有していてしかるべきであるとみられるような作業経験等を持っていたものと推認される。しかるに、同原告のチャフカッターの生産枚数は、同原告と同じように組合の職場委員であってしかも食堂委員をも勤めていた技能級同級のブロック長や技能級が同原告と同級かまたはそれより低い一般の従業員のそれよりも3割から4割以上も少なかったのであるし、また、努力採点も、同じ作業に従事していた他の3名のブロック長が820点以上であったのに、同原告はこれより100点以上も低い710点であったのである。そうすると、同原告はその作業経験等からみて本来有していてしかるべき程度の技能を有していなかったか、すなわち技能が低位であったか、またはこれを有していたとすれば職務怠慢であったとみられてもやむを得ないところである。もっとも、《証拠略》によれば、同原告と比較された前記6名に対する考課は、Gを除くその余の5名が考課項目1の技能、同2の作業に対する努力の双方とも甲とされ、Gは考課項目1について甲、同2については乙とされていること、またその工作課第4職場(169名)における序列は、Iが6位、Hが16位、Gが17位、Fが20位、Eが31位、Dは35位とされていたことが認められる。そうすると、考課項目についての評価は丙を普通として甲乙丙丁戌の5段階によりなされていること前認定のとおりであるから、右の6名は技能や作業に対する努力について優れているとされ、序列も上位とされた者ばかりである。また、同原告に対する考課やその序列は前認定のとおりであり、同原告は考課項目1の技能については丙すなわち普通と評価されている。しかし、このことは前認定を左右するものではない。何故ならば、同原告は右6名と同程度かそれ以上の生産を上げ、努力採点を得られるだけの技能を有していたか、もしくはこの程度の技能を有してしかるべきであったのに、右6名よりも著しく劣っていたからである。本来職務怠慢とか技能低位という概念は相対的なものであるから、ある職場における全従業員をこの観点から評価し、その間に正確な序列をつけることはほとんど不可能に近い難事である。経営不振のための整理解雇は、企業の効率的な運営により企業の蘇生をはかるものであるから、職務怠慢または技能低位な者がまず整理の対象として選択されてもやむを得ない。しかもこの場合全従業員をこの観点から序列を付して最下位の者から順次整理対象者を選択すべしとするのは、使用者に至難を強いるものである。したがって、同種の職種に従事する複数の従業員との比較からみて作業能率が低位であるならば、その者を職務怠慢または技能低位者として整理することは、その作業能率測定の方法が偏ぱである等の反証のない限り、合理性を否定できないのである。
[43] したがって、同原告は、職務怠慢なる者または技能低位として整理基準3または4に該当する。
 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[44] 原告松山登の前認定の昭和24年7月30日の職場放棄は、整理基準1の工場秩序を乱す者または同3の職務怠慢なる者に該当するものではないが、これとは別にこれをもって整理基準10に該当すると認めることもできないし、他に同原告が右整理基準に該当するような具体的事実を認めるに足りる証拠はない。
[45] 以上によると、同原告は同年6月10日の職場放棄により整理基準1に該当し、また同3の職務怠慢なる者または同4の技能低位なる者にも該当する。そうすると、同原告は、これに反する特段の事情を認めるに足りる証拠もないから、配置転換も困難で(整理基準8に該当)、与えるべき適当な職もない(整理基準9に該当)として整理解雇されてもやむを得ない。
(2) 原告白樺
 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[46] 原告白樺が昭和24年2月11日にデモに参加し、また同年8月6日と同月8日の両日には許可なく職場を離れたことは、前認定のとおりである。しかし、この行為をもって会社業務に非協力の整理基準に該当するものといえないことは、前記当該行為の項に説示したと同様な理由による。
[47] 同原告がしばしば職場離脱を行なったとの被告の主張については、《証拠略》に右主張どおりの記載があるが、この記載は抽象的に過ぎ、その日時、理由、態様、回数等が明らかではないから、これをもって職場離脱の事実を認めるには足りない。その他職場離脱の事実を認めるに足りる証拠はない。
[48] 同原告が工作課第4職場においてターレット旋盤工として勤務していたことは、前認定のとおりである。《証拠略》によれば、同職場においてはターレット旋盤工14名のうち4名が整理されることになったこと、同原告は技能級が2級であり、昭和24年5月ころから同年8月ころまで組合の職場委員を勤め、またその間民生委員をもしていたこと、同原告の同年7月の作業能率をみると、同原告の獲得分数(作業に一定の単位を設け、これに対して所要時間を基準にして一定の単位時間数を定めたうえ、達成した単位作業の数量にこの単位時間数を乗じ、これを分で表示したものである。これにより作業量が示される。)は4,527分であり、能率(欠勤その他で作業に従事することができなかった時間を除いた実働時間に対する獲得分数の割合を、技能級に応じて一定の修正を加えたうえ、パーセントで表示したものである。これにより作業能率が示される。)は85パーセントであったこと、そして、この能率の算定にあたっては、同原告が職場委員として組合の委員会に出席したり、民生委員であった関係で外出したりしたために作業に従事しなかった時間数をも除いた実働時間(4,850分)がその基礎とされたものであること、ところが、同職場の他のターレット旋盤工の場合をみると、技能級が同原告と同じ2級であるJは獲得分数が10,749分で、能率は153パーセントであり、技能級が同原告より低い3級であるKは獲得分数が13,260分で、能率は180パーセントであり、同じく技能級3級であるLは獲得分数が9,469分で、能率は145パーセントであり、同じく技能級3級であるMは獲得分数が6,710分で、能率は112パーセントであり、技能級4級であるNは獲得分数が7,880分で、能率は132パーセントであり、同じく技能級4級であるOは獲得分数が4,550分で、能率は88パーセントであったこと、また、右6名に対する考課は、考課項目1の技能、同2の作業に対する努力、同4の業務に対する協力性のいずれについても乙とされ、その同職場(169名)における序列は、Jが55位、Kは57位、Lは68位、Mは75位、Nは72位、Oは74位とされていたことが認められる。
[49] 以上の事実によれば、同原告は、技能級が同原告と同級かまたはそれより低いターレット旋盤工である、J、K、L、M、Nに比べ獲得分数や能率が著しく低く、Oに比べてもわずかではあるが低いから、右6名より作業能率が劣っている。したがって、同原告は右6名と比較する限りにおいては、業務に対する協力の程度が低いということができるかもしれない。しかし、右6名は考課において技能、作業に対する努力、業務に対する協力性のいずれについても乙、すなわち優れていると評価され、序列も比較的上位とされている。それに、同原告はOに比べると、獲得分数の点はともかくとしても、その算定につき技能級に応じた一定の修正がなされている能率についてはわずか3パーセント低いに過ぎない。そして、同原告の作業能率が右6名のそれと同程度であるかあるいはそれ以上であって当然であるとするような特段の事情も認められない。そうすると、同原告の作業能率が右6名のそれより低いというだけでは同原告を整理基準2に該当すると認めることはできず、他のターレット旋盤工の作業能率と比較してみる必要がある。右6名を除くその余のターレット旋盤工の作業能率については、《証拠略》によれば、考課において考課項目1、2につき丙、同4につき乙と評価され、同職場における序列も78位とされ、整理の対象とはならなかった技能級5級のPが獲得分数は3,790分で、能率は83パーセントであったこと、および考課において考課項目1、4につき丙、同2につき丁と評価され、同職場における序列も151位とされ、整理の対象とされた技能級2級のQが獲得分数は1,856分で、能率は30パーセントであることが認められる。一方同原告に対する考課やその序列は前認定のとおりであり、同原告に対する考課やその序列は前認定のとおりであり、同原告は考課項目4の業務に対する協力性は別として、同1の技能について乙とされているほか、同2の作業に対する努力については丙、すなわち普通と評価されているのである。これらを総合して考えれば、前認定の同原告の作業能率だけからでは、同原告が被告主張のように作業意欲に欠けているがために会社業務に非協力と断定することはできない。したがって、同原告が整理基準2に該当すると認めることはできない。
 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[50] 原告白樺の前認定の昭和24年2月11日のデモ参加行為、同年8月6日と同月8日の職場放棄等の行為および一部従業員より作業能率が低いことが整理基準10に該当するものと認めることはできないことは、当該事実の項で説明したと同様な理由に基づく。他に同原告が右整理基準に該当するような具体的事実を認めるに足りる証拠はない。
[51] 以上によれば、同原告は同年6月10日の職場放棄および同年5月13日と同月20日のビラはり行為により整理基準1に該当する。そうすると、同原告は、特にこれに反する事情も認められないから、配置転換も困難で(整理基準8に該当)、与えるべき適当な職もない(整理基準9に該当)として整理解雇されても致し方ないものである。
(3) 原告松山ユリ
 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[52] 荻窪工場では昭和24年4月ころには経済白書なるものを発表して同工場の経営状態を従業員に訴えるとともに、組合との経営協議会において欠勤、遅刻等を戒めて生産の向上をはかることを申し合わせていたこと、および原告松山ユリが技術課検査係において検査工として勤務していたことは前認定のとおりである。また、同原告が技術課検査係において検査工として勤務するようになったのは同年5月からであって、それ以前はトレース工であったこと、および同月から同年8月までの間は検査業務が多忙であったことは、当事者間に争いない。
[53] 被告は、原告松山ユリが職制の制止を無視してしばしば職場を離れることがあったと主張する。《証拠略》には、同原告は昭和24年5月から同年8月までの間職場を離れることが多かったとか、職制の制止を全く無視して職場を離脱したことがあったとの記載がある。しかし、この記載は《証拠略》に照らして信用できないばかりでなく、具体性に欠けているので、これをもって右主張事実を認めるには足りないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。なお同原告の同年8月8日の職場放棄が整理基準2の会社業務に協力せざる者に該当すると認めることはできないことは、当該行為の項に記載したと同様の理由による。
 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[54] 被告は、整理基準10に該当する事実として、原告松山ユリは検査業務が多忙な時期に職制の制止を無視して職場を離れることが多かったので、その仕事量に期待することもできず、共同作業にとって障害になったと主張する。しかし、同原告が職制の制止を無視して職場を離れることが多かったことを認めることができないこと前述のとおりである。そうすると、同原告の仕事量には期待することができなかったとか、同原告が共同作業にとって障害になったとの点も根拠のないものとなる。また、同原告の前認定の同年2月11日のデモ参加行為、同年8月8日の職場放棄等の行為、および同年5月20日のビラはり行為は前説示と同様の理由により整理基準10に該当するものと認めることはできないし、他に右整理基準に該当するような具体的事実を認めるに足りる証拠はない。
[55] 同原告が以前はトレース工であったが、昭和24年5月から技術課検査係所属の検査工として勤務するようになったことは前認定のとおりである。《証拠略》によれば、荻窪工場では間接部門に属していた同係を廃止して、検査工を工作課の各機械職場に付属させて直接工的形態をとることにし、その人員も直接工の1割以下にとどめることにしたこと、そのために検査工54名のうち2名が他に配置転換され、19名が整理されることになったこと、そして、同原告は工作課第4職場で部品検査業務に従事していたのであるが、同職場で検査業務に従事していた検査工の人員数もこれにともなって11名から7名に減じられることになったことが認められる。しかしながら、同原告は、被告が該当整理基準として主張するところの整理基準のうち、同8、9を除いたその余の同1、2、10に該当するとは認められない。したがって、整理基準8、9を前述のように他の基準に該当するための結論的なものとみるならば、以上認定の限りにおいては、同原告を配置転換も困難で、与えるべき職もない余剰人員という結論に該当するということもできない。
[56] 次にこれとは別個に、同原告の検査の技能、経験について判断する。同原告に対する考課やその序列は前認定のとおりであるところ、《証拠略》には、同原告と整理の対象とされた検査工19名のうちの5名および工作課第4職場で検査業務に従事していた検査工で整理の対象とされなかった7名のうちの5名に対する考課(但し、考課項目1の技能、同2の作業に対する努力、同3の勤怠についてのものである。)の記載がある。そして、右の考課をみると、同原告は考課項目1、3については右10名より劣ると評価され、同2についても整理対象者のうちの1名と同一に評価されているだけで、他の9名よりは劣ると評価されている。また、《証拠略》には同原告を含む検査工54名に対する考課(但し、考課項目1のほか同7の職場規律、同9の総評についてのものである。)とその序列の記載がある。そして、右の考課をみると、同原告は整理の対象とされなかった検査工のうちの序列最下位すなわち35位の者より考課項目1、7、9のいずれについても劣ると評価されている。しかし、同原告に対する考課やその序列が前認定のとおりであることや右各記載は、単に工場側でした評価の結果を示しているに過ぎない。この評価が客観的公正なものであると主張できるためには、その基礎とされた具体的事実が立証されなければならない。これが明らかにならない限り、その評価のみをもって同原告が他の検査工より検査の技能、経験において劣っていると認めることはできない。ところが、この点については何らの証拠もないのである。
(4) 原告杉樹
 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[57] 荻窪工場では昭和24年4月ころから組合との経営協議会において、欠勤、遅刻等を戒めて生産の向上をはかることを申し合わせていたことは、前認定のとおりである。原告杉樹が同年6月から同年9月までの間に欠勤したことのあることは、当事者間に争いない。この事実と《証拠略》によれば、原告杉樹は同年9月ころまでの間に同年の有給休暇を全部消化してしまったほか、同年4月ころから同年9月ころまでの間に合計20日欠勤したこと、およびこの欠勤はいずれも病気によるものであることが認められる。しかし、同原告がその妻らをして同工場に対し配給の掛け売り交渉に押しかけろとの申し出をさせたとの点については、これを認めることができないこと前述のとおりである。
[58] 以上の事実によれば、同原告の欠勤は病気によるものであるから、欠勤等を戒める申合せのさ中においても、やむを得ない事由によるものである。また、年次有給休暇は権利として認められているのであるから、これをどの程度消化しようとも問題とすることはできない。そうすると年次有給休暇の消化と20日の欠勤をもって業務に対する非協力的行為ということはできない。したがって、同原告を整理基準2の会社業務に協力せざる者に該当すると認めることはできない。
 整理基準3(職務怠慢なる者)、4(技能低位なる者)に該当する事実
[59](イ) 《証拠略》によれば、原告杉樹は、就業時間中に、自己の持ち場を離れて同僚のR、Sらと機械のかげに坐って話し込んでいたことがあることが認められ(る。《証拠判断略》)また、同原告が昭和24年4月ころから同年9月ごろまでの間に病気のため合計20日欠勤したことは、前認定のとおりである。しかし、同原告が作業の終始につきけじめを欠いていたとみられるような具体的事実や、右認定事実以外に同原告が就業時間中無断で自己の持ち場を離れて同僚に話しかけたりしたことを認めるに足りる証拠はない。
[60] 前認定によれば、同原告は就業時間中その持ち場を離れて同僚のR、Sらと話し込んでいたけれども、同原告が長期間にわたって話し込んでいたとか、あるいはその担当作業の進行に影響を生じたとかいうような事実を認めるに足りる証拠はないから、それは職務怠慢行為とはいっても極めて軽微なものとみることができる。そうすると、これをもって、同原告を整理基準3の職務怠慢なる者に該当すると認めることはできない。また、同原告の合計20日の欠勤は病気によるものであるから、これをもって同原告が作業意欲に欠けていたとか職務を怠ったということはできない。したがって、この点においても同原告を右整理基準に該当すると認めることはできない。
[61](ロ) 原告杉樹が工作課第4職場のフライス工であったことは前認定のとおりである。《証拠略》によれば、同原告の技能級は4級であったこと、および同職場においてはフライス工21名のうち6名が整理されることになったことが認められる。
[62] 《証拠略》には、同原告の作業能率は技能級4級の他の者のそれの30パーセントないし40パーセントであって、技能級4級のT、U、Vらのそれよりはるかに低く、旋盤用生爪チャックの工作作業においては、同一の作業を他の者が2日半位で終了したのに、同原告の場合には1週間位かかったというような例があったとか、同原告の努力採点は常に平均以下であったとか、あるいは同原告の技能は経験年数に比べて低かったので、技能級4級のW、Xらよりも簡単な仕事を与えざるを得なかったとの記載がある。しかし、同原告や右5名を含む他の従業員各人の作業能率、努力採点、担当作業の内容等が具体的に明らかではないし、旋盤用生爪チャックの工作作業についての例にしても、この1例から直ちに同原告の作業能率が一般的に劣っていたといい得るようなものでもないから、右の記載のみをもって同原告が職務怠慢または技能低位であったと認めるには足りない。のみならず、《証拠略》によれば、右5名に対する考課は、Vを除くその余の4名が考課項目1の技能、同2の作業に対する努力について甲または乙と評価され、Vも考課項目1については丙とされているが、同2については乙と評価されていること、またその工作課第4職場(169名)における序列も、Tが29位、Uが52位、Xが67位、Wが70位、Vは84位とされていることが認めらる。そして、同原告の作業能率、技能等が右5名のそれと同程度であって当然であるとするような特段の事情は認められない。そうすると、同原告が作業能率、技能等において右5名より劣っていたとしても、そのことだけでは同原告が一般的に職務に対する努力に欠けるとか技能が低位であったというには不十分である。そして、他には被告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、同原告は、整理基準3および4に該当しない。
 整理基準9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[63] 原告杉樹の前認定の合計20日の欠勤および就業時間中に持ち場を離れて同僚と話し込んでいたことは、前説示と同様な理由により整理基準10に該当するものと認めることはできないし、他に右整理基準に該当することを認めるに足りる証拠はない。
[64] 以上によれば、同原告は昭和24年6月10日の職場放棄により整理基準1の工場秩序を乱す者に該当する。そうすると、同原告は、特にこれに反する事情も認められないから、与えるべき適当な職もない余剰人員(整理基準9に該当)として整理解雇されてもやむを得ない。
(5) 原告梅里
 整理基準3(職務怠慢なる者)に該当する事実
[65](イ) 原告梅里が工作課第3職場の研磨工であったことは、前認定のとおりであり、同原告が技能級1級で、工具の研磨作業に従事していたことは、当事者間に争いない。
[66] 被告は、同原告の研磨した刃物は切れ味が悪く、再研磨を依頼されることもあったのであるが、同原告はこれを快く行なおうとはしなかったので、他の研磨工に依頼しなければならないことになり、そのため生産の予定に支障を生ずることも多かったとか、同原告は作業につくことが少なかったので、工具の研磨が遅れがちであったと主張する。《証拠略》には右主張どおりの記載がある。しかし、その記載は抽象的で、同原告が研磨した刃物のうち切れ味が悪くて再研磨をしなければならないようなものはどの位あったのか、再研磨を依頼された際同原告は具体的にどのような態度をとったのか、再研磨を他の研磨工に依頼しなければならないようなことがどの位あったか、いかなる生産予定にどのような支障がどの程度生じたのか等が明らかではなく、また同原告の具体的就業状況、研磨作業の遅延の程度とその業務に対する影響等の点についても明確を欠いている。したがって、この記載をもって同原告が職務怠慢であると認めることはできない。
[67](ロ) 原告梅里が工作課第3職場の技能級1級の研磨工であったことは前認定のとおりである。《証拠略》によれば、同職場の従業員数は研磨工23名を含めて91名であったが、そのうち研磨工9名を含む23名が整理されることになったこと、同原告は研磨工としての経験年数が29年位で、同職場の研磨工のうちでは経験年数が最も多いとともにただ1人の技能級1級者であって,研磨工採用の技術試験審査員をしたこともあり、中島飛行機に雇用されていた当時には技手補として従業員の技術指導にあたっていたこと、ところが、同原告の昭和24年7月から同年9月までの間における作業能率をみると、獲得分数は同年7月が6,083分、同年8月が6,368分、同年9月が7,547分で、この3か月間の合計は19,998分であり、これは同職場の研磨工のうちでは15位であること、また右3か月間における獲得分数の責任分数(技能級の高低によってそれぞれ異なるものであり、技能級1級者が最も多く、1か月あたり7,500分である。)に対する割合は約89パーセントであり、これは同職場の研磨工のうちでは19位であること、これに対して、同職場の研磨工のうちでの序列が14位以内であるとされ、整理の対象とならなかった14名の右3か月間における作業能率をみると、右3か月間における獲得分数の責任分数に対する割合はいずれも120パーセント以上であり、右3か月間における獲得分数の合計も、右の序列が最下位の14位とされているYが16,545分であるほかは、いずれも23,000分以上であること、もっとも、Yは技能級が5級で、研磨工としての経験年数は1年6か月位にしか過ぎないことが認められる。
[68] これによれば、同原告は、前認定のような経歴を有し、同職場の研磨工のうちでは研磨工としての経験年数が最も多く、また技能級も最も高かったのであるし、考課をみても考課項目1の技能について乙と評価されていること前認定のとおりでもあるから、研磨工としての技能において他の研磨工より優れているということはあっても劣ることはなかったものと推認される。それなのに、同原告は、獲得分数が責任分数に達せず、作業能率が獲得分数、獲得分数の責任分数に対する割合のいずれの点からみても低位であり、同職場の研磨工のうちで整理の対象にならなかった14名に比べても著しく劣っていたのである(Yの獲得分数は同原告のそれより少ないが、同人の技能級、経験年数等からすれば、これを同原告と比較するのは適当ではない。)。そうだとすれば、同原告は、この点において、職務に怠慢であったといわれても致し方ないところであり、整理基準3の職務怠慢なる者に該当する。
 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[69] 整理基準10については、原告梅里が右整理基準に該当することを認めるに足りる証拠はない。
[70] 以上によれば、同原告は整理基準3の職務怠慢なる者に該当する。そうすると、同原告は、これに反する特段の事情を認めるに足りる証拠もないから、配置転換も困雑で(整理基準8に該当)、与えるべき適当な職もない(整理基準9に該当)余剰人員として整理解雇されてもやむを得ないのである。
(6) 原告桜木満男
 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[71] 原告桜木満男が昭和24年8月6日に許可なく職場を離れたことは前認定のとおりである。しかし、この職場放棄等の行為は、当該事実の項に記載したと同様の理由により、整理基準2の会社業務に協力せざる者に該当するものと認めることはできない。
 整理基準3(職務怠慢なる者)に該当する事実
[72] 被告は、原告桜木満男が、就業時間中しばしば自己の持ち場を離れ、職場の内外を歩きまわったり他の従業員に話しかけるなどして、職務に怠慢であり、作業意欲にも欠けていたと主張する。《証拠略》には右主張どおりの記載がある。しかしその記載は抽象的で、具体性に欠けているから、これをもって同原告を職務怠慢と断言することはできない。また前認定の昭和24年6月10日、同年7月30日、同年8月6日の職場放棄をもって整理基準3の職務怠慢なる者に該当するということができないことは、当該事実の項に説示したと同様な理由に基づく。
 整理基準4(技能低位なる者)に該当する事実
[73] 原告桜木満男が工作課第4職場のターレット旋盤工であったこと、同職場においてはターレット旋盤工14名のうち4名が整理されることになったことおよび同職場のターレット旋盤工であるJ、K、L、M、N、O、Pの作業能率、技能級、考課、序列は、前認定のとおりである。そして、《証拠略》によれば、同原告は技能級が3級であり、昭和24年7月当時は組合の職場委員を勤めていたこと、同原告の同月の作業能率をみると、獲得分数は2,262分であり、能率は49パーセントであったこと、そして、この能率の算定にあたっては、同原告が職場委員として組合の委員会に出席したり、あるいは休暇をとったりしたために作業に従事しなかった時間数をも除いた実働時間(4,620分)がその基礎とされたものであることが認められる。
[74] これによれば、同原告は技能級が同原告より高いJと比較すればもちろんのこと、技能級が同原告と同級かまたはそれより低いターレット旋盤工であるK、L、M、N、O、Pに比べても獲得分数や能率が著しく低いから、右7名より作業能率が劣っている。しかし、右7名の考課をみると、考課項目1の技能については、Pが丙とされているほかは、いずれも乙と評価され、序列も比較的上位とされている。そして、同原告の作業能率が右7名のそれと同程度であって当然であるとするような特段の事情も認められない。そうすると、同原告の作業能率が右7名のそれより低く、技能において劣っているというだけでは、同原告が整理基準4の技能低位なる者に該当するとは認めることはできず、他のターレット旋盤工の作業能率と比較してみる必要がある。ところが、右7名を除くその余のターレット旋盤工の作業能率については、Qのそれが前認定のとおりであるほかには、これを認めるに足りる証拠はない。それに、同原告に対する考課やその序列は前認定のとおりであり、同原告は考課項目1の技能については丙、すなわち普通と評価されているのである。そうだとすれば、前認定の事実だけでは、同原告を右整理基準に該当すると認めることはできない。
 整理基準8(配置転換困雑なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[75] 原告桜木満男の前認定の昭和24年7月30日の職場放棄、同年8月6日の職場放棄等の行為、および一部従業員より作業能率が低く、技能において劣っていることは、当該事実の項に説示したと同様の理由により整理基準10に該当すると認めることはできないし、他に同原告が右整理基準に該当する事実を認めるに足りる証拠はない。
[76] 以上によれば、同原告は、同年6月10日の職場放棄および同年5月13日から同年8月13日までの間における6回にわたるビラはり行為により整理基準1に該当する。そうすると、同原告は、特にこれに反する事情も認められないから、配置転換も困雑で(整理基準8に該当)、与えるべき適当な職もない(整理基準9に該当)余剰人員として整理解雇されてもやむを得ない。
(7) 原告野菊花子
 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[77] 原告野菊花子が技術課検査係の検査工であったこと、同原告が昭和24年2月11日に許可なく職場を離れてデモに参加し、同年8月8日にも許可なく職場を離れたことおよび、また同年5月20日には許可なく荻窪工場内の掲示板以外の建物、壁等に日本共産党富士荻細胞名義の宣伝ビラを貼付したことは、前認定のとおりである。《証拠略》によれば、原告野菊花子は同年4月ころから本件解雇に至るまでの間組合の青年婦人対策部の青年婦人対策委員や青年婦人連絡協議会副責任者を勤め、また技術課検査係の親睦会の役員や従業員に対する配給物資の分配等を担当する配給委員をしていたこと、そのため、同原告は就業時間中に検査業務以外の用件で自己の持ち場を離れることがあったことが認められる。
[78] 被告は、同原告が右認定のような自己の持ち場を離れる行為を無断でしばしば行なったとか、他職場の従業員と雑談したりして担当業務を行なわなかったと主張する。《証拠略》には右主張どおりの記載がある。しかし、右の記載は《証拠略》に照らして信用できない部分があるばかりでなく、具体性にも乏しいので、これをもって職場離脱の事実を認めるに足りない。
[79] 同原告の同年2月11日の職場放棄とデモ参加行為、同年8月8日の職場放棄等の行為、および同年5月20日のビラはり行為は、当該事実の項に説示したと同様の理由により、これをもって整理基準2の会社業務に協力せざる者に該当するということはできない。
 整理基準8(配置転換困難なる者)、9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[80] 被告は、整理基準10に該当する事実として、原告野菊花子は勤務態度に真面目さがなく、事務能力に向上もみられず、就業時間中に無断でしばしば職場を離れたり、他職場の従業員と雑談したりして作業を怠っていたので、職場の作業能率を低下させていたと主張する。そして、同原告が勤務態度に真面目さを欠き、事務能力に向上もみられなかったとの点については、《証拠略》にその旨の記載がある。しかし、右の記載は具体性に欠け、単なる工場側の判断の結果を示すにとどまるものであるから採用に値しない。他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、同原告の前認定の同年2月11日の職場放棄とデモ参加行為、同年8月8日の職場放棄等の行為、および同年5月20日のビラはり行為は、前説示したと同様の理由により整理基準10に該当すると認めることはできないし、他に同原告が右整理基準に該当することを認めるに足りる証拠はない。
[81] 《証拠略》によれば、原告野菊花子は技術課検査係所属の検査工であったが、昭和23年12月ころから工作課第4職場で部品検査業務等に従事していたことが認められ、検査工が整理されるに至った事情、整理人員および同職場で検査業務等に従事していた検査工の減員については、前認定のとおりである。また同原告に対する考課やその序列は前認定のとおりであるところ、《証拠略》には、同原告と整理の対象とされた検査工19名のうちの5名および工作課第4職場で検査業務に従事していた検査工で整理の対象とされなかった7名のうちの5名に対する考課(但し、考課項目1の技能、同2の作業に対する努力、同3の勤怠についてのものである。)の記載がある。そして、その考課をみると、同原告は考課項目2、3については右10名より劣ると評価され、同1についても整理対象者のうちの1名と同一に評価されているだけで、他の9名よりは劣ると評価されている。また、《証拠略》には同原告を含む検査工54名に対する考課(但し、考課項目1のほか同7の職場規律、同9の総評についてのものである。)とその序列の記載がある。そして、その考課をみると、同原告は整理の対象とされなかった検査工のうちの序列最下位すなわち35位の者より考課項目1、7、9のいずれについても劣ると評価されている。しかし、同原告に対する考課やその序列が前認定のとおりであること等の各記載は単に工場側でした評価の結果を示しているにとどまり、この評価の基礎とされた具体的事実が明らかでないから、これをもって同原告が他の検査工より検査技能、職場に対する努力、勤怠等の点において劣っていると認めることはできない。ところが、この具体的事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、同原告は、整理基準8および9にも該当しない。
(8) 原告桧山
 整理基準2(会社業務に協力せざる者)に該当する事実
[82](イ) 原告桧山が昭和24年9月ころ工作課長に対し賃金の即時支払いを求めたことは、当事者間に争いない。この事実と《証拠・証拠判断略》によれば、工作課長は同月ころ荻窪工場内の各職場の作業状況を巡視してまわったこと、するとその際、原告桧山は就業時間中自己の持ち場を離れて同課長の面前に立ち、同課長に対し賃金を即時支払うよう要求したことが認められる。しかし、その場に駈けつけた班長に対し暴言を浴びせたとの点については、《証拠略》にこれに添う記載があるが、右記載は具体性がないので、これをもって右事実を認めることはできないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
[83] ところで同工場における昭和23年11月ころから昭和24年8月ころまでの間における賃金遅払いの状況は前認定のとおりである。《証拠略》によれば、この賃金遅払いの状況はその後も解消されず、同月分の賃金の支払いをみると、同月27日から同年9月15日までの間に平均金5,700円が20日遅れで4回分割により支払われ、なお未払金を残しており、同月分の賃金の支払いについてみても、同月24日から同年10月15日までの間に平均金4,000円がやはり20日遅れで4回分割により支払われ、やはり未払金を残しているような状況であったことが認められる。前説示のような労働者にとっての賃金の重要性に鑑みれば、同原告が右のような行為におよんだとしても事情酌むべきところがあり、被告がこれを責めるのは筋違いである。したがって、これをもって整理基準2の会社業務に協力せざる者に該当するということはできない。
[84](ロ) 原告桧山が昭和24年5月20日午前7時ころ、許可なく荻窪工場内の掲示板以外の建物、壁等に日本共産党富士荻細胞名義の宣伝ビラを貼付したことは、前認定のとおりである。
[85] しかし、原告桧山のビラはり行為は、原告松山ユリ、同野菊花子のビラはり行為と同一態様のものであるから、当該事実の項に説示したと同様の理由によりこれをもって整理基準2の会社業務に協力せざる者に該当するということはできない。
 整理基準4(技能低位なる者)に該当する事実
[86] 原告桧山が工作課第1職場の旋盤工であったことは、前認定のとおりであり、同原告が同職場の旋盤工になったのは昭和24年5月からで、それ以前は検査工であったことは、当事者間に争いない。《証拠略》によれば、荻窪工場全体としては旋盤工は27名が整理されることになり、同職場においては所属従業員57名のうち旋盤工4名を含む14名が整理されることになったこと、同原告は検査工としては技能級2級で、責任分数は約7,000分であったが、職種転換により旋盤工としては技能級0.3級として取り扱われ、その責任分数は約2,000分であったこと、そして、同原告の旋盤工としての作業能率をみると、獲得分数は4,000分位であったこと、同職場には職種転換により旋盤工になった者が同原告のほかにもう1名いたが、その獲得分数は5,000分位であったことが認められ(る。《証拠判断略》)しかし、同原告の旋盤工としての技術に向上の見込みがないとの被告の主張については、《証拠略》にその旨の記載があるが、右の記載は工場側の判断の結果を示しているに過ぎないものであり、その判断の基礎とされた具体的事実が明らかでないからこれをもって同原告の技術向上の見込みを判断するには由ないし、他にこの事実を認めるに足りる証拠はない。
[87] 右認定の事実によれば、同原告の獲得分数は同じ職種転換者のそれより低いのであるから、同原告はこの職種転換者よりは作業能率において劣っているといえるかもしれない。しかし、この職種転換者1名との比較だけでは、同原告が一般的に作業能率において劣っているとか、技能が低位であるということは困難である。それに、同原告の獲得分数は、この職種転換者より低いとはいっても、責任分数の2倍位に達しているのである。そうだとすれば、これをもって同原告を整理基準4の技能低位なる者に該当すると認めることはできない。
 整理基準5(事故欠勤多き者)に該当する事実
[88] 荻窪工場では昭和24年4月ころから組合と、欠勤、遅刻等を戒めて生産の向上をはかることを申し合わせていたことは、前認定のとおりである。《証拠略》によれば、同原告は同月以降同年9月ころまでの間に合計9日欠勤したことが認められる。しかし、同原告がこの欠勤日に「アカハタ」を売り歩いたり、ビラをまいたりしていたとの点については、《証拠略》にその旨の記載があるが、右の記載は《証拠略》に照らして信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
[89] 右認定の事実によれば、同原告は欠勤等の自粛体制にあった6か月位の間に合計9日欠勤しているのであるが、これにより同原告が整理基準5の事故欠勤多き者に該当するかどうかについては、他の従業員と比較してみなければ、直ちにこれを判断することは困難である。ところが、他の従業員の欠勤日数がどの程度であるかは明らかでない。かえって、欠勤防止の申合せがなされたことに徴し、当時いかに多くの欠勤がなされていたかが窺われるのである。それに、同原告の考課をみると、考課項目3の勤怠について甲下と評価されていること前認定のとおりである。そうすると、同原告を合計9日の欠勤の事実をもって直ちに右整理基準に該当すると認めることはできない。
 整理基準9(業務縮小のため適当な職なき者)、10(その他経営効率に寄与する程度の低い者)に該当する事実
[90] 原告桧山の前認定の昭和24年9月の工作課長に対する賃金支払い要求行為、同年5月20日のビラはり行為、一部従業員より作業能率が低いこと、および6か月位の間における合計9日の欠勤は前説示したと同様の理由によりこれをもって同原告を整理基準10に該当すると認めることはできないし、他に同原告が右整理基準に該当する事実を認めるに足りる証拠はない。
[91] 以上のとおり、同原告は、被告が該当整理基準として主張するところの整理基準のうち、同9を除いたその余の同2、4、5、10に該当するとは認められない。そうすると、整理基準9を前述のようなものとみるならば、同原告を業務縮小のため与えるべき適当な職のない余剰人員であるとする根拠はないといわなければならない。
[92] いわゆる整理解雇の場合、使用者が整理基準を設定した場合は、その整理基準に該当する者だけを解雇するという趣旨で、解雇権を自ら制限したものと解される。したがって、この整理基準に該当しない解雇は、それ自体無効である。以上によれば、原告松山ユリ、同野菊花子および同桧山は、被告の設定した整理基準のいずれにも該当しないのであるから、同原告らに対する本件解雇は、この点において既に無効である。
[93] 被告の就業規則第57条第1項には、「従業員は、男子満55才、女子満50才をもって定年として、男子は満55才、女子は満50才に達した月の末日をもって退職させる。」との、同条第2項には、「定年退職に該当するときは30日前に予告する。」との定めがあること、原告松山ユリは、大正8年1月15日生まれの女子であって、昭和44年1月14日の経過により満50才に達するものであったこと、および被告が昭和43年12月25日同原告に対し、就業規則の右各規定により昭和44年1月31日限り退職を命ずる旨の予告をしたことは、当事者間に争いない。

[94] 憲法第14条は法の基本原理ともいうべき法の下の平等について規定し、これを受けて労働基準法第3条は国籍、信条または社会的身分を理由とする労働条件についての差別を禁止し、同法第4条は性別を理由とする賃金についての差別を禁止している。もっとも、同法第3条は性別を理由とする労働条件についての差別については規定していないし、同法第4条も性別を理由とする賃金以外の労働条件についての差別については規定していない。このように、同法第3条および第4条は、その規定の仕方においては、性別を理由とする賃金以外の労働条件についての差別を直接禁止の対象とするものではない。しかし、同法第3条が性別を理由とする労働条件についての差別を直接禁止の対象としなかったのは、女子の労働条件を男子のそれと機械的に同一に取り扱うことから生ずる不合理を除去するために、同法第19条、第61条ないし第68条等に女子についての特別の保護規定が設けられていることによるものと解され、また、同法第4条が性別を理由とする賃金についての差別のみを禁止の対象にしているのは、賃金について性別による差別から生ずる弊害がわが国において従来特に著しかったので、これを同法第119条第1号の罰則規定と相まって禁止しようとしたためであると解される。そうすると、同法第3条および第4条が、性別を理由とする賃金以外の労働条件についての合理的理由のない差別を許容する趣旨のものとは解されない。このことと憲法第14条第1項が法の下における性別による差別取扱いを禁止している精神に鑑みれば、性別のみを理由として、労働条件について、合理的理由のないのに男女を差別して取り扱ってはならないことは、公の秩序として確立しているものと解すべきである。したがって、合理的理由のない男女の差別的取扱いを定めた就業規則の規定は、民法第90条に違反し無効であるというべきである。
[95] 一般に、定年制なるものは、高年令で労働能力の低下した従業員を若年の従業員に代えることにより作業能率の維持、向上をはかるとともに、人事の停滞や勤労意欲の減退を防ぎ、あるいは人件費の上昇を押える等種々の目的ないし理由により設けられる。したがって、被告の就業規則第57条第1項が定める男女差別取扱いの合理性を検証するためには、このような定年制を設ける目的ないし理由からみて、右規定に合理性があるかどうかを検討しなければならない。そのためには、被告の企業形態、業務内容、賃金体系、従業員の労働能力等をみる必要がある。

[96]《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
[97] 被告は自動車製造という重工業の部類に属する業務を営む会社であって、昭和47年7月当時においては男子従業員を47,700名位、女子従業員を5,500名位雇用していた。男子従業員は、その大多数が自動車部品の製造、自動車の組立等自動車の製造それ自体に直接かかわる作業(以下このような作業を担当する部門を生産部門という。)に従事していたが、中には後記認定のような女子従業員が従事していたと同一の業務に従事する者もいた。この生産部門における作業には、大量生産の必要から機械化とこれにともなう分業化が進められている関係で、特に高度の技能や長い経験というものを必要とはしないような機械的で単純な作業も多く存し、いわゆる季節工やアルバイト工もこの作業に従事していた。しかし、体力を必要とするいわゆる肉体労働や時間外労働、休日労働、深夜労働等女子従業員に従事させることができないかまたは不適当な労働をともなうので、女子従業員がこの作業に従事することはほとんどなかった。女子従業員の大半は一般的な事務(各種伝票、帳簿等の作成、記帳、転記、整理業務、コピー作成業務、資料の作成、整理業務、従業員の出欠勤、休暇等労務に関する手続的業務、職場における庶務的業務等)、タイプ業務、キイパンチ業務、電話交換業務、製図、倉庫における生産資材、工具類等の管理業務、医療看護業務等に従事していた。
[98] 被告は一律方式と査定による考課方式とを併用して毎年従業員の賃金額を上昇させてきている。この上昇額を女子従業員についてみると、昭和43年の場合には金2,800円ないし金4,400円位であり、昭和47年は金7,400円ないし金11,000円位であった。また、被告においては、高等学校を卒業した男子従業員と女子従業員の初任給に差が設けられており、昭和43年から昭利47年までの間についてみると、女子従業員の初任給は男子従業員のそれよりも4パーセントないし6パーセント位低く、昭和43年の女子従業員の初任給は金22,500円で、男子従業員のそれは金24,000円であった。
[99] 原告松山ユリは、富士産業から整理解雇されたが、当庁に地位保全の仮処分を申請してこれに勝訴し、昭和25年から再び就労するようになった。そして、同原告は、被告がプリンス自工を吸収合併して以後被告から退職を命じられるに至った昭和44年1月31日までの間は、被告の荻窪工場総務部施設課に所属して、男子従業員1、2名とともに倉庫において工具類(刃物、ノギス、ペンチ等)の管理業務に従事していた。その業務の具体的内容は、工具類の入庫があった場合にはそれを受領して倉庫内の所定の箇所に納め、生産部門等から工具類の貸し出しの要請を受けたときはその要請どおりにこれを貸し出し、また、貸し出した工具類が消耗して返却されてきたようなときにはこれを他の係に引渡したりするとともに、これにともなって在庫表を整理したり、伝票を処理するというものであって、特に体力を必要とする肉体労働をともなうようなものではなく、同原告がこの業務を行なうについて体力的な面において特に支障を生じたというようなことはなかった。また、同原告は高等女学校を卒業していて、昭利43年当時には勤続年数が22年に達していたのであるが、同原告の同年当時における賃金は金47,590円で、そのうち金11,740円は調整給(被告とプリンス自工は合併に際して賃金体系を被告のそれに統一することにしていたのであるが、これを実施した場合にはプリンス自工の従業員に不利益を生ずるところから、プリンス自工の従業員について合併前支給を受けていた賃金額を保障する趣旨で設けられたものである。)であった。
[100] 以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

[101] 以上の認定事実に基づいて以下、被告の主張に即して、男女差別定年制の合理性の有無について判断する。
年令と労働能力について。
[102] 《証拠略》には、男子と女子について25種にわたる生理的機能の検査を行ない、その結果を評点で表わしたうえ、この評点の平均値をグラフで示した記載がある。このグラフによれば、満50才から満54才の男女の生理的機能点の平均値にはそれ程の差はないが、満55才から満59才の女子の生理的機能点の平均値は満70才以上の男子のそれにほぼ等しいものとされている。そもそも、知識、経験、体力、職種等労働能率に影響する諸要素のうち、生理的機能だけを抽出して、男女別の労働能力を比較対照することは、一面的であって、事の本質を解明するものではない。のみならず、生理的機能点の評価だけからみても、満50才から満54才までの男女のそれにはほとんど差がないのであるから、満50才に達するときは、女子の労働能力が男子のそれより年令との相関関係において著しく低下するという結論を導き出すことはできない。したがって、この点からは男子55才、女子50才定年制の合理性は論証されない。これをさらに詳述すれば、次のとおりである。労働能力は、一定の作業を遂行する能力であるから、生理的機能ないし体力に影響される側面のあることを否定できないけれども、それは従事する業務の性質により異なるものと考えられる。いわゆる肉体労働やもっぱら感覚器官に頼ってなされる業務等においては生理的機能ないし体力が労働能力に大きな影響をおよぼすものと考えられるが、その他の業務にあってはその影響の程度はそれ程大きなものとは思われない。したがって、男女の生理的機能を単純に比較するだけでは十分ではなく、生理的機能をその作用する職種との関連において把握して比較対照しなければならないのである。被告会社においては、被告の女子従業員は男子従業員と必ずしも同一の業務に従事しているわけではない。異った職種の従業員の労働能力を生理的機能だけから比較することは、本来無理なことである。すなわち、女子従業員の大半は生理的機能ないし体力の労働能力におよぼす影響がそれ程大きいものとは考えられないような一般的な事務等に従事していたのである。原告松山ユリが従事していた業務も倉庫における工具類の管理業務であって、特に体力を必要とする肉体労働をともなうようなものではなかった。現に同原告が満50才に達する直前においても、この業務を行なうについて体力的な面で特に支障を生じたというような事情もなかったのである。ところが、男子従業員の場合には、その大多数が生理的機能ないしは体力の低下により労働能力に大きな影響を受けるものと考えられるような肉体労働をともなう生産部門の作業に従事していたのである。そうすると、同原告をはじめ女子従業員が満50才にして男子従業員より生理的機能ないし体力において若干劣るところがあったとしても、そのことから直ちに定年年令について、満50才を画して5年の差を設けることを合理的ならしめる程男女間の労働能力に差があるものとは認められないのである。
年令と賃金体系について。
[103] 前認定のような女子従業員が従事していた業務には、それを補助的業務というかどうかは別として、比較的短期間に習熟し得る業務が多いということができるかもしれない。しかし、他方男子従業員の多くが従事していた生産部門の作業にも特に高度な技能や長い経験を必要とせず、季節工やアルバイト工でも従事できるような機械的で単純な作業が多かったし、男子従業員のうちには女子従業員が従事していたと同一の業務に従事する者もいたのである。そうすると、男女間の業務の習熟期間を一律に比較することは困難である。すなわち、女子従業員の場合は、短期間で業務に習熟するのに対し、男子従業員の場合は、業務に習熟するのに長期間を要するという前提を被告会社の場合に適用することは正当ではない。それに、被告が一律方式と査定による考課方式とを併用しながら毎年従業員の賃金額を上昇させてきていることは前認定のとおりである。しかし、被告においては、高等学校卒業の男子従業員と女子従業員の初任給について既に前認定のような差が設けられている。また、高等学校卒業の従業員の昭和43年の初任給は、男子従業員が金24,000円であるのに対し、女子従業員が金22,500円であり、しかも高等女学校卒業で、勤続22年にもなる原告松山ユリの同年当時における賃金は、調整給を含めても金47,590円で、調整給を除けば金35,840円にしか過ぎなかったのである。そうすると、男女間で職務・能率・技能等において差異のあることが立証できない限り、被告は労働基準法第4条に違反して女子を不利益に取り扱っているということになる。このような同法違反の疑いのある賃金体系をとり、かつ女子の場合は、高年令にして長期勤続の者に対する賃金も極力低額に押えながら、なお賃金と年令の増加にともなう労働能率のアンバランスを齎らすのは背理である。すなわち被告会社においては、女子従業員の場合に、その賃金と労働能率とのアンバランスが定年年令につき5年の差を設けることを合理的ならしめる程男子従業員より早期に生ずるということはできない。
高年令女子従業員が少数なことについて。
[104] 被告会社は、女子50才定年制をとっているのであるから、50才を超える女子従業員がいないことは当然であろう。問題は、50才を越える女子従業員が多いかどうかということではなく、50才定年制の合理性の存否である。《証拠略》中には、被告の女子従業員の場合には、入社後5年未満のうちに80パーセント位、入社後10年位の間には98パーセント位が退職しているとの部分がある。しかし、女子が満50才を過ぎてまで勤務することが一般にまれであり、仮に被告の女子従業員の場合にも右証言のとおりであったとしても、このことは定年制が設けられる目的ないし理由とは全く関係のないことである。一般社会において、50才を越える女子従業員が多数いるとしても、そのことから女子50才定年制が当然不合理ともならないし、逆にそれがほとんどいないとしても、それが女子50才定年制が合理的であるという根拠にもならないのである。したがって、これをもって満50才を越えてもなお勤務を続けようと欲する女子従業員との雇用契約を男子従業員より5年も早い定年年令を定めて終了させる合理的理由とみることはできない。
他企業定年制の実状等について。
[105] 《証拠略》には、労働省婦人少年局作成の「定年制に関する資料集」中に掲載されている定年年令についての調査結果(出所は中央労働委員会事務局作成の「退職金および年金事情調査」である。)の記載がある。この調査結果によれば、昭和36年当時には、定年制を実施していた調査対象企業317社のうち定年年令を男女同一とするものが84.9パーセントであったが、男女別定年制を設けているものも15パーセント位あり、そのうち定年年令を男子満55才、女子満50才としているものが9.1パーセントであったとされ、また、昭和38年当時には、定年制を実施していた調査対象企業336社のうち定年年令を男女同一とするものが81.8パーセントであったが、男女別定年制を設けているものも18パーセント位あり、そのうち定年年令を男子満55才、女子満50才としているものが10.1パーセントであったとされている。また、同じく《証拠略》には、労働省婦人少年局作成の「既婚女子労働者に関する調査」中に掲載されている同局の定年年令に関する調査結果の記載がある。この調査結果によれば、調査対象とされた約3,000事業所のうち定年制を実施している事業所は39.2パーセントであり、定年制を実施している事業所についてみると、定年年令を男女同一とするものが70.6パーセントであったが、男女別定年制を設けているものも29.4パーセントあり、男女別定年制を実施している事業所についてみると、女子の定年年令を満50才とするものが29.5パーセントあったとされている。しかし、そもそも被告以外の他企業で被告の場合と同じ定年年令を定めているところがどの程度存するかということは、定年制を設ける目的ないし理由とは無関係のことであって、その数が多いからといって、これを根拠に女子若年定年制の合理性が論証されるものではない。のみならず、右調査の結果によれば、男女同一定年制をとる企業が、男女差別定年制をとる企業に比べて圧倒的に多いのであるから、多数が正当であるという論理が成立するならば、むしろ男女差別定年制の不合理性は顕著であるという結論になる。また、被告会社の男子従業員と女子従業員の定年年令の差は5年に過ぎないが、その差の大小にかかわらず、このような差を設ける合理的理由の存在は必要なのである。その差が小であるからといって、合理的理由があるということにはならない。逆説的にいうならば、その差がわずかであればあるだけ、それを必要とするだけの強力な理由の存在が要求されるのである。
[106] 以上のとおりであって、労働科学的にも、賃金体系との関係においても、また巷間の定年制の例に徴する等しても、被告の就業規則第57条第1項が男子従業員と女子従業員の定年年令に5年の差を設けていることにつき、これを合理的ならしめる理由を見出すことは、ついにできない。企業が就業規則において、男女別の定年制の規定を設けている場合には、その差別の合理性の立証責任は、右規定の有効なることを主張する者にあるから、同条同項のうち女子従業員の定年に関する部分は、合理的理由もなく、不利益に女子従業員を差別するものとして、民法第90条に違反し無効である。したがって、右規定が同原告に適用になるとしても、同原告と被告との雇用契約は、前記解雇の予告によっては終了しない。
[107] 原告竹林が大正3年9月30日生まれの男子であって、昭和44年9月29日の経過により満55才に達するものであり、原告桧山が大正2年12月7日生まれの男子であって、昭和43年12月6日の経過により満55才に達するものであったこと、および被告が昭和44年8月31日以前に原告竹林に対し、同年9月30日限り退職を命ずる旨の、また原告桧山に対しては昭和43年11月に同年12月31日限り退職を命ずる旨の予告をしたことは、当事者間に争いない。そうすると、被告の就業規則第57条第1、第2項の規定の内容は前認定のとおりであるから、被告と原告竹林との雇用契約は、仮に同原告に対する本件解雇の意思表示がその効力を生じないとしても、昭和44年9月30日限り、また被告と原告桧山との雇用契約は昭和43年12月31日限り終了したものである。
[108] 原告竹林、同松山ユリおよび同野菊花子を除くその余の原告らが本件解雇当時まで組合に加入していたことは、当事者間に争いない。そして、原告松山登、同白樺および同桜木満男の前認定の組合役員歴と、《証拠略》によれば、原告松山ユリ、同竹林、同梅里、同野菊花子を除くその余の原告らは別表(四)記載のとおりの組合役員歴等を有し(但し、原告松山登、同白樺の職場委員歴任回数を除く。)、組合役員として活発に活動し、荻窪工場の経営状態が悪化しはじめた昭和23年春ころからは、同年5月の臨時手当要求闘争、同年6月から同年8月にかけての賃上げ要求闘争、同年11月以降における基本給と生産報奨金を含めた一定額の賃金の支払い保証要求や遅払い賃金の支払い要求闘争、同年12月の餅代要求闘争等においてこれを指導しあるいはこれに積極的役割を果たし、また、昭和24年8月に当時の組合執行部が不信任となり、これに代わって原告松山登が組合長、同白樺が副組合長になってからは、右原告ら2名を中心として本件整理解雇反対闘争を推し進めてきたものであること、および原告梅里は一般の組合員として職場大会で発言したり、職場の問題を組合に持ち込んだりする程度の活動をしていたにとどまっていたことが認められる(以上の事実のうち、原告松山登が職場委員、執行委員(2回)、組合長(1回)を勤めたこと、原告白樺が執行委員、常任執行委員、書記長、副組合長(各1回)を勤めたこと、原告野菊花子が青年部幹事(1回)、執行委員(1回)を勤めたこと、本件整理解雇反対闘争時に原告松山登が組合長、同白樺が副組合長であったこと、および組合が賃金遅配をめぐる闘争や本件整理解雇反対闘争を行なったことは、当事者間に争いない。)。
[109] しかし、原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男に対する本件解雇が、同原告らの前記組合活動の故になされたことを認めるに足りる証拠はない。かえって右原告ら4名には整理基準に該当する事由があるのであるから、これを理由に解雇されてもやむを得ない。したがって、右原告ら4名は前認定のような活発な組合活動をしていたけれども、これと右原告ら4名に対する本件解雇の意思表示との間に因果関係の成立を認めることはできない。また、原告梅里についてみても、同原告には整理基準に該当する解雇されてもやむを得ない理由のあること前述のとおりであるし、一方同原告の組合活動はとりたてていうほどのものではないから、これと同原告に対する本件解雇の意思表示との間に因果関係の成立を認めることはできない。
[110] したがって、原告松山登、同白樺、同杉樹、同桜木満男および同梅里に対する本件解雇は不当労働行為を構成しない。
[111] 解雇が権利の濫用として無効であるというためには、まず第一に解雇理由が根拠薄弱であることを要するのであるが、原告松山登、同白樺、同杉樹、同梅里、同桜木満男に対する本件解雇には前述のとおり合理的な理由があるから、これを権利濫用ということはできない。
[112] 原告桧山が整理基準に該当する事由がないのに、これに該当するものとして解雇され、しかも同原告が別紙(四)記載のとおりの組合役員歴を有し、活発な組合活動をしていたことは、前認定のとおりである。これによってみれば、本件解雇は、被告が同原告の組合活動を嫌悪したがために、整理解雇に藉口してなしたものとも評価できるから、同原告に対する本件解雇は不当労働行為を構成する。
[113] 原告桧山が富士産業を被申請人として当庁に仮処分申請をし、昭和25年6月30日に本件解雇の意思表示の効力を停止する旨の決定を受けたこと、同原告が右仮処分決定に至るまでの間就労を拒否され、同年7月以後右仮処分決定に基づいて就労するようになったことは、当事者間に争いない。同原告が本件解雇前には検査工あるいは旋盤工として勤務していたことは、前認定のとおりである。《証拠略》によれば、同原告は昭和25年7月解雇前の第1職場へ復帰したが、解雇前の検査工または旋盤工としての仕事を与えられず、仕上げの仕事を命じられ、昭和26年計画課へ配置換えを命じられたが、その際同原告は、検査工として相当の腕前を有するのであるから、検査の仕事をさせてもらいたいと希望を述べたのにこれを容れられなかったこと、計画課へは、前記仮処分決定により同原告とともに復帰したZ1およびZ2とともに配置換えされ、右原告ら3名は、いずれも機械工としては相当の熟練工であったのにかかわらず、約100台の古い遊休機械の錆落としや油さし等の仕事だけをさせられたこと、同原告はその後約1年間病気で欠勤し、昭和27年再び計画課に復帰したが、当初約3か月間は伝票作成に従事し、その後は自動車のエンジン組立の推進係として、組立現場の作業日程の管理とか、物品の供給・管理等に従事し、昭和31年10月までその仕事を続けたこと、同年11月から工務課に所属し、部品係として部品の管理業務に従事し、昭和38年8月までその仕事を続けたこと、同年9月に元の推進係に戻り、同係として前記のような仕事をし、昭和41年8月村山工場工務部生産課に移り、部品の受入れ、管理等に従事し、昭和43年1月からは荻窪工場同部補給課で、さらに同年7月からは村山工場同部補給課で同様な仕事に従事して定年を迎えたこと、被告会社では同原告よりも若い行員が多数係長等の役職に就いていたのに、同原告は定年まで役職に就けられず、したがって役職者に支給される役職手当の支給も受けられなかったこと、被告会社においては永年勤続者に対する表彰制度があり、永年勤続者は表彰されて記念品の支給を受けられるのに、同原告は永年勤続者に該当するのに一度も表彰されたことがないこと、また被告会社では定年退職者を写真入りで社報に掲載し、その労をねぎらうことになっているのに、同原告の場合は、これをされなかったことが認められる。そして、《証拠略》によれば、被告が同原告を役職に就けず、また永年勤続者として表彰しなかったのは、同原告は仮処分決定によって暫定的に地位を保全された者であるから、正規の従業員として待遇する必要はないと考えたことによることが認められる。これによれば、同原告が検査工または旋盤工として相当な技能を有しているのに、被告会社が同原告をその職務に従事させず、転々と職場を変え、しかも雑用的な作業にのみ従事させたことおよび定年退職者として社報に掲載しなかったことも、同様な理由によるものと推認されるのである。
[114] 右認定の事実によれば、原告桧山は、違法な解雇処分を受け、一時就労を拒否され、仮処分決定によってその解雇処分が違法にして無効であることが一応確定され、職場に復帰した者の、被告会社の偏見に災いされ、数々の不当な差別待遇を受けてきたのである。およそ労働者は、同一条件で同等の労務に服する限り、使用者から他の労働者より不当に不利益な差別待遇を受けない法律上の利益を有する。被告会社のした同原告に対する前記差別待遇は、この法律上の利益を侵害するものである。したがって、本件解雇処分および右差別待遇は不法行為を構成する。そして、同原告は、これによって甚大なる精神的苦痛を被ったものと認められるから、これを慰藉するためには、前認定の一切の事情等を考慮し、金1,000,000円をもってするのが相当であると認める。
[115] 原告松山ユリおよび野菊花子に対する本件解雇はいずれも無効であり、また、原告松山ユリは定年による退職の効力も生じていないから、右原告ら両名と被告との間には依然として雇用契約が存在する。それにもかかわらず、被告はこの雇用契約の存在を争っているから、右原告らはこれが存在することの確認を認める利益がある。
[116] 原告桧山の新訴については、被告は原告に対し不法行為による損害賠償として、金1,000,000円および不法行為の後である昭和44年1月1日から完済に至るまで年5分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。しかし、旧訴については、その取下げについて被告が同意しないから判断を要することになるが、同原告と被告との間の雇用契約は同原告が定年に達したことにより昭和43年12月31日限り消滅したものであるから、同原告と被告との間には雇用契約は存しない。
[117] 原告松山登、同白樺、同杉樹、同梅里、同桜木満男に対する本件解雇はいずれも有効であるから、右原告ら5名と富士産業との間の雇用契約は昭和24年11月12日限り消滅した。したがって、原告白樺、同桜木満男と被告との間には雇用契約は存しないし、原告松山登、同杉樹、同梅里は被告に対し同原告ら主張のような退職金請求権を有しない。
[118] 原告竹林と被告との間の雇用契約は、仮に同原告に対する本件解雇の意思表示がその効力を生じないとしても、同原告が定年に達したことにより昭和44年9月30日限り消滅したものであるから、同原告と被告との間には雇用契約は存しない。
[119] よって、原告松山ユリ、同野菊花子の請求および同桧山の請求のうち不法行為に基づく損害賠償請求は理由があるから正当としてこれを認容し、原告桧山のその余の請求ならびに同原告、原告松山ユリおよび同野菊花子を除くその余の原告らの請求はいずれも理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条、第92条但書、第93条第1項本文を適用して、主文のとおり判決する。

別表(一)~(五)《略》

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