精神的原因による投票困難者事件
上告審判決

損害賠償請求事件
最高裁判所 平成17年(オ)第22号・平成17年(受)第29号
平成18年7月13日 第一小法廷 判決

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官泉徳治の補足意見


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

[1] 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
[2](1) 上告人は,精神発達遅滞及び不安神経症のため,いわゆるひきこもりの傾向があり,平成11年3月に養護学校の高等部を卒業後,障害者通所施設に通ったこともあったが,同年夏ころからひきこもりの状態が続き,平成12年初めころ以降,完全に家庭内にひきこもるようになった。上告人は,外出先で他人の姿を見ると身体が硬直し身動きが著しく困難になるなどの症状が現れるため,公職の選挙の際に投票所に行くことが困難であり,現行選挙制度の下で選挙権を行使することが全く不可能と認めるには至らないが,公職選挙法44条1項所定の投票所における投票をすることが極めて難しい状態であると認められる。しかし,上告人は,家庭内では,新聞を読み,テレビを見,親しい知人との間では電話をするなどしており,公職の選挙において,候補者を自己の判断で選び,投票用紙にその氏名を自署する能力を有するものと推認される。
[3](2) 大阪府は,昭和48年9月27日付け児発第725号厚生省児童家庭局長通知「療育手帳制度の実施について」に基づき,知的障害のある者に対し療育手帳を交付する制度を設けているが,平成10年1月,上告人に対し,精神発達遅滞及び不安神経症との診断により総合判定A(重度)と判定して療育手帳を交付している。
[4](3) 上告人は,平成11年9月に成年に達したが,上記(1)の状態にあって投票所に行くことができず,平成12年2月及び同年4月に行われた地方公共団体の長の選挙並びに同年6月に行われた衆議院議員総選挙(以下,これらを一括して「本件各選挙」という。)において,各投票を棄権した。
[5](4) 昭和27年法律第307号による改正前の公職選挙法及びその委任を受けた公職選挙法施行令は,疾病,負傷,妊娠若しくは身体の障害のため又は産褥にあるため歩行が著しく困難である選挙人について,投票所に行かずにその現在する場所において投票用紙に投票の記載をして投票をすることができるという制度(以下「在宅投票制度」という。)を定めていた。しかし,精神的な原因によって投票所に行くことが困難な者(以下「精神的原因による投票困難者」という。)は,在宅投票制度の対象者とはされていなかった。
[6] 上記昭和27年法律第307号によって在宅投票制度が廃止された後,昭和49年法律第72号による公職選挙法の改正(以下「本件改正」という。)及びこれに伴う同法施行令の改正により,身体障害者福祉法において定められた身体障害者のうち身体障害者手帳に記載された特定の障害の程度が一定程度以上の者,戦傷病者特別援護法において定められた戦傷病者のうち戦傷病者手帳に記載された特定の障害の程度が一定程度以上の者を対象として、その現在する場所において投票用紙に投票の記載をし,これを郵送する方法による投票の制度(以下「郵便投票制度」という。)が設けられた。
[7](5) 本件改正後から本件各選挙までの間,身体に障害がある者に係る投票制度の拡充については,国会において,請願の採択や質疑等がされてきた。しかし,精神的原因による投票困難者に係る投票制度の拡充については,国会においてほとんど議論されなかった。
[8](6) 日本弁護士連合会は,平成12年8月11日付けで,衆参両議院議長等に対し,障害者の選挙権行使の機会確保に関する要望書を提出したが,同要望書においても,視聴覚障害者や筋萎縮性側索硬化症の患者(いわゆるALS患者)の選挙権行使を実質的に保障するための立法措置などの要望が記載されていたのみで,精神的原因による投票困難者の選挙権行使の機会の確保については特段の記載はなかった。
[9](7) 身体に障害がある者に係る投票制度の拡充については,平成15年法律第127号による公職選挙法の改正及びこれに伴う同法施行令の改正により,介護保険法に規定する要介護者のうち被保険者証に要介護状態区分が要介護5である者として記載されている者を新たに郵便投票制度の対象者とするなどの立法措置が執られたが,精神的原因による投票困難者の選挙権行使については,特段の立法措置は執られていない。
[10](8) 平成15年2月10日に本件訴訟の第1審判決が言い渡された後,衆参両議院議長等に対し,日本弁護士連合会が,「ひきこもり症状をもつ人」の選挙権行使の機会を確保する制度の創設等を要請する意見書を提出し,また,複数の地方公共団体の議会が,地方自治法99条に基づき,精神的原因による投票困難者を含む投票が困難な国民について,郵便投票制度の対象者の拡大を図ることなどを要請する意見書を提出し,これらをきっかけとして,国会において,精神的原因による投票困難者の選挙権行使の問題についての質疑等がされた。

[11] 本件は,上告人が,精神的原因による投票困難者に対して選挙権行使の機会を確保することは憲法の命ずるところであるから,国会議員が本件各選挙までに上記機会を確保するための立法措置を執らなかったという立法不作為(以下「本件立法不作為」という。)などが,違憲であり,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けると主張して,被上告人に対し,本件各選挙において選挙権を行使できなかったことによる慰謝料等の支払を求める事案である。

[12]3(1) 国会議員の立法行為又は立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって,当該立法の内容又は立法不作為の違憲性の問題とは区別されるべきであり,仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法の規定に違反するものであるとしても,直ちに違法の評価を受けるものではないこと,しかし,立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには,例外的に,国会議員の立法行為又は立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものというべきであることは,当裁判所の判例とするところである(最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号,同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁)。
[13](2) 憲法における選挙権保障の趣旨にかんがみれば,国民の選挙権の行使を制限することは原則として許されず,国には,国民が選挙権を行使することができない場合,そのような制限をすることなしには選挙の公正の確保に留意しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不可能ないし著しく困難であると認められるときでない限り,国民の選挙権の行使を可能にするための所要の措置を執るべき責務があるというべきである(上記大法廷判決参照)。このことは,国民が精神的原因によって投票所において選挙権を行使することができない場合についても当てはまる。しかし,精神的原因による投票困難者については,その精神的原因が多種多様であり,しかもその状態は必ずしも固定的ではないし,療育手帳に記載されている総合判定も,身体障害者手帳に記載されている障害の程度や介護保険の被保険者証に記載されている要介護状態区分等とは異なり,投票所に行くことの困難さの程度と直ちに結び付くものではない。したがって,精神的原因による投票困難者は,身体に障害がある者のように,既存の公的な制度によって投票所に行くことの困難性に結び付くような判定を受けているものではないのである。しかも,前記事実関係等によれば,身体に障害がある者の選挙権の行使については長期にわたって国会で議論が続けられてきたが,精神的原因による投票困難者の選挙権の行使については,本件各選挙までにおいて,国会でほとんど議論されたことはなく,その立法措置を求める地方公共団体の議会等の意見書も,本件訴訟の第1審判決後に初めて国会に提出されたというのであるから,少なくとも本件各選挙以前に,精神的原因による投票困難者に係る投票制度の拡充が国会で立法課題として取上げられる契機があったとは認められない。
[14](3) 以上によれば,選挙権が議会制民主主義の根幹を成すものであること等にかんがみ(上記大法廷判決参照),精神的原因による投票困難者の選挙権行使の機会を確保するための立法措置については,今後国会において十分な検討がされるべきものであるが,本件立法不作為について,国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり,それが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などに当たるということはできないから,本件立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるものではないというべきである。
[15](4) 上告人は上告理由において本件改正に係る立法行為及び本件立法不作為の違憲を主張するが,本件改正に係る立法行為は,上告人の選挙権を侵害するものではないことが明らかであるし,本件立法不作為は,上記のとおり,国家賠償法1条1項の適用上,違法とはいえないのであるから,同主張について判断するまでもなく上告人の請求に理由がないことは明らかである。また,上告人は原判決の理由の不備を主張するが,同主張は原判決の結論に影響を及ぼさない事項についての違法をいうものにすぎない。

[16] 以上のとおりであるから,上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
[17] よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官泉徳治の補足意見がある。


 裁判官泉徳治の補足意見は,次のとおりである。

[1] 私は,法廷意見に賛成するものであるが,議会制民主主義の下における選挙権の重要性にかんがみ,公職選挙法の憲法適合性について付言しておきたい。
[2] 憲法14条1項,15条1項及び3項,43条1項並びに44条ただし書は,成年者による普通・平等選挙の原則を掲げて,国民に対し普通かつ平等の選挙権を保障している。選挙権は,実際の選挙において行使することができなければ無意味であるから,上記の選挙権の保障は,選挙権を現実に行使し得ることをも保障するものである。憲法47条は,投票の方法等は法律でこれを定めると規定しているが,すべての選挙人にとって特別な負担なく選挙権を行使することができる選挙制度を構築することが,憲法の趣旨にかなうものというべきである。
[3] 公職選挙法は,49条2項でいわゆる郵便等による不在者投票の制度を設けているが,その適用対象を身体障害者,戦傷病者又は要介護者の中のごく一部のものに限定しており,障害者基本法2条所定の障害者(身体障害,知的障害又は精神障害があるため,継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者)又は介護保険法7条3項所定の要介護者であって,歩行・外出が極めて困難なもの一般を,郵便等による不在者投票の適用対象とはしておらず,上記の憲法の趣旨にかなうものとはいいがたい面を有している。歩行・外出が極めて困難な障害者又は要介護者に対して,投票所や不在者投票管理者の管理する投票記載場所における投票しか認めないとすると,事実上その選挙権の行使を制限するに等しいのである。
[4] 選挙制度の設計に当たり,選挙の公正の確保及び適正な管理執行に配意すべきことは当然であるが,選挙権の行使を保障しつつ選挙の公正の確保等を図るべきものであって,国民の選挙権の行使を制限することは原則として許されず,国民の選挙権の行使を制限するためには,そのような制限をすることなしには選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不可能ないし著しく困難であると認められる事由がなければならない(前記の最高裁平成17年9月14日大法廷判決参照)。
[5] 原審の確定するところによると,上告人は,大阪府から障害の程度が重度の療育手帳の交付を受けている者であり,精神発達遅滞及び不安神経症のため,家族以外の人と対面した場合の対人関係がうまく行かず,他人の姿を見るとパニック状態に陥り,身体が硬直し,身動きが著しく困難になり,他人と接触するような場所への外出は事実上不可能であって,投票所において投票を行うことが極めて困難な状態にあるというのである。上告人のような状態の在宅障害者に対しては,郵便等による不在者投票を行うことができることにするか,あるいは在宅のままで投票をすることができるその他の方法を講じない限り,選挙権を現実に行使することを可能にしているとはいえず,選挙権の行使を保障したことにはならない。在宅障害者については,投票所において投票を行うことが極めて困難な状態にあるか否かの認定が難しいという問題はある。しかし,上記の認定は,医師の診断書,療育手帳,精神障害者保健福祉手帳等の併用によってできないわけではなく,上記の認定が簡単ではないという程度のことでは,前記の選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不可能ないし著しく困難であると認められる事由があるとは到底いうことができない。
[6] したがって,投票所において投票を行うことが極めて困難な状態にある在宅障害者に対して,郵便等による不在者投票を行うことを認めず,在宅のまま投票をすることができるその他の方法も講じていない公職選挙法は,憲法の平等な選挙権の保障の要求に反する状態にあるといわざるを得ない。

(裁判長裁判官 泉徳治  裁判官 横尾和子  裁判官 甲斐中辰夫  裁判官 島田仁郎  裁判官 才口千晴)

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