交通事故報告義務合憲判決
上告審判決

重過失致死、道路交通取締法違反被告事件
最高裁判所 昭和35年(あ)第636号
昭和37年5月2日 大法廷 判決
昭和37年5月2日 第三小法廷 判決

上告申立人 被告人

被告人 斎藤○○
弁護人 石黒武雄

大法廷判決
■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官奥野健一の補足意見
■ 裁判官山田作之助の補足意見

第三小法廷判決
■ 主 文
■ 理 由

■ 弁護人石黒武雄の上告趣意

大 法 廷 判 決

本籍 福島県石川郡浅川町大字里白石字長戸○○番地
住居 東京都板橋区仲宿○○番地渡辺△△方
       事務員
        斉藤こと
          斎 藤 ○ ○
          昭和8年○月○日生

 右の者に対する重過失致死、道路交通取締法違反被告事件について昭和35年2月10日東京高等裁判所が言渡した判決に対し被告人から上告の申立があつたので当裁判所大法廷は、裁判所法10条1号、最高裁判所裁判事務処理規則9条3項により、弁護人石黒武雄の上告趣意第一点及び第二点について次のとおり判決する。


 本件上告論旨第一点及び第二点はいずれも理由がない。

[1] 論旨は、要するに、原判決は被告人が自動車の運転により発生させた本件事故を所轄警察署の警察官に報告し、その指示を受けることをしなかつた事実を有罪と認定し、道路交通取締法24条1項、28条1号、同法施行令67条2項により処罰した第一審判決を認容したが、右施行令67条2項掲記の「事故の内容」には刑事責任を問われる虞のある事項も含まれるから、同項中その報告義務を定める部分は、自己に不利益な供述を強要するものであつて、憲法38条1項に違反し無効である。したがつて、原判決中右有罪部分は破棄さるべきであると主張するにある。
[2] しかしながら、道路交通取締法(以下法と略称する)は、道路における危険防止及びその他交通の安全を図ることを目的とするものであり、法24条1項は、その目的を達成するため、車馬又は軌道車の交通に因り人の殺傷等、事故の発生した場合において右交通機関の操縦者又は乗務員その他の従業者の講ずベき必要な措置に関する事項を命令の定めるところに委任し、その委任に基づき、同法施行令(以下令と略称する)67条は、これ等操縦者、乗務員その他の従業者に対し、その1項において、右の場合直ちに被害者の救護又は道路における危険防止その他交通の安全を図るため、必要な措置を講じ、警察官が現場にいるときは、その指示を受くべきことを命じ、その2項において、前項の措置を終つた際警察官が現場にいないときは、直ちに事故の内容及び前項の規定により講じた措置を当該事故の発生地を管轄する警察署の警察官に報告し、かつその後の行動につき警察官の指示を受くべきことを命じているものであり、要するに、交通事故発生の場合において、右操縦者、乗務員その他の従業者の講ずべき応急措置を定めているに過ぎない。法の目的に鑑みるときは、令同条は、警察署をして、速に、交通事故の発生を知り、被害者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置を執らしめ、以つて道路における危険とこれによる被害の増大とを防止し、交通の安全を図る等のため必要かつ合理的な規定として是認せられねばならない。しかも、同条2項掲記の「事故の内容」とは、その発生した日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度並に物の損壊及びその程度等、交通事故の態様に関する事項を指すものと解すべきである。したがつて、右操縦者、乗務員その他の従業者は、警察官が交通事故に対する前叙の処理をなすにつき必要な限度においてのみ、右報告義務を負担するのであつて、それ以上、所論の如くに、刑事責任を問われる虞のある事故の原因その他の事項までも右報告義務ある事項中に含まれるものとは、解せられない。また、いわゆる黙秘権を規定した憲法38条1項の法意は、何人も自己が刑事上の責任を問われる虞ある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべきことは、既に当裁判所の判例(昭和27年(あ)第838号、同32年2月20日、大法廷判決、集11巻2号802頁)とするところである。したがつて、令67条2項により前叙の報告を命ずることは、憲法38条1項にいう自己に不利益な供述の強要に当らない。
[3] されば、令67条2項に、所論の如き違憲のかどはないのであつて、論旨は、すべて採るを得ない。

[4] よつて裁判官奥野健一、同山田作之助の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。


 裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。

[1] 多数意見は道路交通取締法施行令67条2項の報告義務の対象である「事故の内容」とは、事故発生の日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度並びに物の損壊及びその程度等交通事故の態様に関する事項であつて、刑事責任を問われる虞のある事故の原因、その他の事項まで含まれるものではないから、憲法38条1項にいう不利益な供述を強要することにあたらない旨判示する。
[2] しかし、仮令自己の注意義務違反、過失の有無などの主観的責任原因等については報告義務なしとしても、前記の如く事故の態様を具体的、客観的に報告することを義務付けられることは、犯罪構成要件のうちの客観的事実を報告せしめられることになるから、少くとも事実上犯罪発覚の端緒を与えることになり、多数意見の如く全然憲法38条の不利益な供述を強要することにあたらないと断定することには躊躇せざるを得ない。刑訴146条の証言拒絶に関する規定は、憲法38条の趣旨に則つたものであるが、操縦者らが若し証人として前記の如き事故の態様に関する事実について証言を求められたときは、自己が刑事訴追を受ける虞のあるものとして右刑訴の規定により証言を拒むことができないであろうか。しかし、前述の如く自己の故意過失等主観的な責任原因などは、報告義務の外に置かれていること及び道路交通の安全の保持、事故発生の防止、被害増大の防止、被害者の救護措置等の公共の福祉の要請を考慮するとき、いわゆる黙秘権の行使が前記程度の制限を受けることも止むを得ないものとして是認さるべきものと考える。


 裁判官山田作之助の補足意見は次のとおりである。

[1] わたくしは裁判官奥野健一の補足意見に同調するが次のことを附加したい。
[2] いわゆる交通事故が発生した場合、死傷者が生じたときは、これに対する処置、事故により生ずる交通混乱等の整理など行政官(主として警察官)の処理をまつこと多く、しかもこれらは迅速になされなくてはならない。これがためには、警察官その他の係官が先ず事故の発生を覚知し、現場に臨むことが必要であることはいうまでもない。この事故の発生を知るためには、事故を発生せしめた者(例えば自動車運転者)が一番早く事故を知るのであるから、同人をして即時、事故発生の事実を警察官に通報させることが、いわゆる行政経済の立場から要求されることは、当然であつて、この通報義務違反に対し、いわゆる行政秩序罰(罰金刑、若しくは軽微なる懲役、禁錮刑を標準とする)程度の制裁が科せられても、国民としてはこれを甘受しなければならないと解する。従つて右通報義務違反に対し、道路交通取締法28条1号(24条1項)が「3ケ月以下の懲役、5千円以下の罰金又は科料」の制裁を科することを規定しても、右規定が憲法38条1項に違反するということはできない。なお昭和31年(あ)第3636号、同36年12月20日大法廷判決におけるわたくしの意見参照。

(裁判長裁判官 横田喜三郎  裁判官 斎藤悠輔  裁判官 藤田八郎  裁判官 河村又介  裁判官 入江俊郎  裁判官 池田克  裁判官 垂水克己  裁判官 河村大助  裁判官 下飯坂潤夫  裁判官 奥野健一  裁判官 高木常七  裁判官 石坂修一  裁判官 山田作之助  裁判官 五鬼上堅磐  裁判官 横田正俊)

第 三 小 法 廷 判 決


 本件上告を棄却する。


[1] 弁護人石黒武雄の上告趣意第一点、第二点の理由がないことは、冒頭掲記の大法廷判決により領解すべきである。
[2] 論旨は、道路交通取締法施行令67条1項の被害者救護の措置を講ぜずして逃走した場合には、同条2項の報告義務があるものとは解せられないのであり、そのことは、昭和34年7月15日東京高等裁判所の判決するところであるから、この場合、同条2項の報告義務にも違反するとした第一審判決及びこれを認容した原判決は、右判例に違背する旨主張するにある。
[3] なるほど、道路交通取締法24条1項は、車馬又は軌道車の交通に因り、人の殺傷等、事故の発生した場合、右交通機関の操縦者又は乗務員その他の従業者において、命令の定めるところにより被害者の救護その他必要な措置を講ずべき義務あることを規定して居り、同項の委任に基づき、同法施行令67条は、これ等操縦者、乗務員その他の従業者が、その1項により、被害者の救護その他必要な措置を講ずべき義務を負担することを規定し、その2項により、前項の措置を終つた際警察官が現場に居らないときは、同項所定の報告をなすべき義務を負担することを規定して居り、同法28条1号は、同法24条1項の規定に違反した者を等しく処罰する旨規定して居ること、所論の通りである。
[4] しかしながら、第一審判決は、被告人が所論事故後被害者の救護をなさずして、同法24条1項に基づく同令67条1項の救護義務と同条2項の報告義務とに違反した事実を確定し、これを一括して同法24条1項の規定に違反したものであるとし、同法28条1号に該当する一罪として被告人を処罰すべきものであると判示した趣旨であり、原判決も亦同一見解に立ち、第一審判決を認容して居るものと解せられる。而して、右確定の事実関係の下においては、被告人は、同令67条1項の救護義務に違反したことに因り、既に同法24条1項の規定に違反したものとせられ、これに基づき同法28条1号の処罰を受けることを免れ得ないのであつて、この場合、同条2項の報告義務違反の有無は、同法28条1号の罪責に消長をきたさない。したがつて、仮に、所論の事由により、第一審判決及びこれを認容した原判決が所論高等裁判所判例に違背するとしても、これ等の判決が、被告人の原判示救護及び報告の義務を一括して同法24条1項に違反し、同法28条1号所定の1個の罪に該当するものと判断して居る以上、所論判例違反は、判決の結果に何等影響を及ぼすものではない。
[5] 論旨は、これを採用し得ない。
[6] 論旨は、第一審判決が公平な裁判所の裁判でないにも拘らず、これを公平な裁判所の判決であるとして認容した原判決は、憲法37条1項に違反すると主張するにある。
[7] しかしながら、憲法37条1項所定の公平な裁判所の裁判とは、組織構成その他において偏頗の虞のない裁判所の裁判の意であつて、具体的事件において、裁判が被告人の立場よりすれば公平をかくとみられても、これを以つて、公平でない裁判所の裁判であるといえないことは,当裁判所の累次の判例の趣旨とするところである。されば、第一審判決及びこれを認容する第二審判決は、所論の如き違憲のものであるとはなしえない。
[8] 論旨は、理由がない。

[9] また記録を調べても刑訴411条を適用すべきものとは認められない。
[10] よつて同408条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

昭和37年5月2日
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 石坂修一  裁判官 河村又介  裁判官 垂水克己  裁判官 五鬼上堅磐  裁判官 横田正俊
 即ち、原判決は、被告人が本件事故を所轄警察職員に届け出てその指示を受けなかつた事実を有罪に認定し、道路交通取締法第24条第1項、同法第28条第1号、同法施行令第67条第2項により処罰した第一審判決を認容したが、同法施行令第67条第2項中右届出義務を定める部分は憲法第38条第1項に違反し無効である。何となれば、同施行令第67条第2項により警察職員に対し届出をなすべき人の殺傷等の交通事故には、操縦者らに刑事責任が発生した場合の事故をも含むこと勿論であり、従つて届出義務ありとせられる者は既に刑罰法規を適用さるべき立場に立つている者である。かかる立場にある者が、事故の発生について警察職員に届出をしてその指示を受けなければならないとせられることは、自己の犯した犯行を捜査官に通知することとなり、更には、事故の原因等についても自己に不利益な供述をすることを直接、間接に強制されることともなる。これは明らかに憲法第38条第1項の「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」との規定に違反するものといわねばならない。この理は、交通事故の届出義務を行政手続上のものとするも同一であり、事故届出者が刑事責任を負う虞がある供述を強制されるべきでないことにかわりはない。故に原判決中本件事故に届出をしなかつたことを有罪にした第一審判決に攻撃した控訴申立を棄却した原判決は違憲であり、被告人はこの点に関しては無罪である。
 憲法第38条第1項が規定する黙否権の保障とは、単に刑事手続における供述についてだけではなく、自己が刑事責任を問われる虞のある事項については行政手続における供述についても適用があるものと解すべきである。蓋し、行政手続における供述であつても、自己が刑事責任を問われる虞のある事項に関するときは、刑事手続における供述となんら異るところがなく、この場合に黙否権の保障がないとするのは、不当に右憲法の規定の趣旨を制限することとなるからである。そして道路交通取締法施行令第67条第2項による手続が本来行政手続に属することは明らかで、同条項が操縦者らは警察官に対し「事故の内容」を報告しなければならない旨規定するが、「事故の内容」といえば、当然、事故の原因その他操縦者らが刑事責任を問われる虞のある事項も包含される。従つてかかる事実について報告すべき義務を負わしめることは、憲法第38条第1項の黙否権保障の規定に反し無効である。しかるに原判決は、道路交通取締法施行令第67条第2項により操縦者らに報告義務を課した「事故の内容」を「事故の結果的内容」即ち「操縦者及び被害者を含めての事故の同一性を確認せしめるに足る事項」を指称するものと解し、右の事項は、刑事責任を問われる虞のある事項には含まれないと解している。しかしながら「事故の内容」を上記の如き事故の同一性を確定せしめるに足る事項と解するとしても、かかる内容の事項を報告せしめること自体が自己に不利益な供述を強要するものであり、憲法第38条第1項に違反するものである。事故の同一性を確定せしむる事項が、自己に不利益な事実であり憲法第38条第1項の保障する黙否権の内容を構成することは明かで、刑事訴訟法第312条第1項が起訴状の訴因の変更の限度を「事実の同一性」を基礎にしていることに思いを致すべきで、事此に出でず、憲法に反して被告人に不利益な供述を求める規定を合憲と判断した原判決は誤りであり、破棄されるべきものである。
 道路交通取締法第24条、同法施行令第67条の解釈について、同法施行令第67条第2項が、第1項の被害者の救護義務の規定に引つづいて、「前項の車馬は(中略)同項の措置を終えた場合において、警察官が現場にいないときは、直ちに事故の内容及び同項の規定により講じた措置を当該事故の発生地を管轄署の警察官に報告し、且つ、車馬若しくは軌道車の操縦を継続し、又は現場を去ることについて、警察官の指示を受けなければならない。」とあるところから、同条第2項の規定は、同条第1項所定の被害者の救護等の措置を終えた場合において警察官が現場にいないときに為すべき操縦者等の報告義務に関するものであつて、操縦者等において同条第1項所定の被害者の救護等の措置を講ぜずにそのまま逃走した場合には同条第1項前段の義務違反たるにとどまり、該事故を所轄警察署の警察官に報告し、且つその指示を受けることがなかつたからといつて同条第2項の義務違反ありとするわけにはいかないのであつて、そのことは右令第67条第2項によつて明白であるとの趣旨の東京高裁昭和34年7月15日判決(東京高裁判決時報10巻7号刑311頁)があるが、原判決並にその認容した第一審判決は右の高裁判例と相反する判断であり、この事実は刑訴第405条第3号該当の事実であると思料する。

(その他の上告趣意は省略する。)

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