交通事故報告義務合憲判決
控訴審判決

道路交通取締法違反、重過失致死被告事件
東京高等裁判所 昭和34年(う)第911号
昭和35年2月10日 刑事第1部 判決

■ 主 文
■ 理 由


 本件控訴を棄却する。


[1] 本件控訴の趣意は弁護人石黒武雄、同河野曄二共同作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。
[2] 所論は要するに、原判決は被告人が本件事故を所轄警察職員に届け出でその指示を受けなかつた事実をも有罪に認定し、道路交通取締法第24条第1項、同法第28条第1号、同法施行令第67条第2項により処罰したが、同法施行令第67条第2項中右届出義務を定める部分は憲法第38条第1項に違反し無効である。何となれば、同施行令第67条第2項により警察職員に対し届出をなすべき人の殺傷等の交通事故には、操縦者らに刑事責任が発生した場合の事故をも含むこと勿論であり、従つて届出義務ありとせられる者は既に刑罰法規を適用されるべき立場に立つている者である。かかる立場にある者が、事故の発生について警察職員に届出をしてその指示を受けなければならないとせられることは,自己の犯した犯行を捜査官に通知することとなり、更には、事故の原因等についても自己に不利益な供述をすることを直接、間接に強制されることともなる。これは明らかに憲法第38条第1項の「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」との規定に違反するものといわねばならない。この理は、交通事故の届出義務を行政手続上のものとするも同一であり、事故届出者が刑事責任を負う虞がある供述を強制されるべきでないことにかわりはない。故に原判決中本件事故の届出をしなかつたとの部分は無罪であるというのである。
[3] よつて先ず憲法第38条第1項が規定する黙否権の保障と行政手続との関係についてみるに、黙否権の保障は単に刑事手続における供述についてだけではなく、自己が刑事責任を問われる虞のある事項については行政手続における供述についても適用があるものと解するのを相当とする。蓋し行政手続における供述であつても、自己が刑事責任を問われる虞のある事項に関するときは、刑事手続における供述となんら異るところがなく、この場合に黙否権の保障がないとするのは、不当に右憲法の規定の趣旨を制限することとなるからである。
[4] そして道路交通取締法施行令第67条第2項による手続が本来行政手続に属することは明らかであるが、同条項が操縦者らは警察官に対し「事故の内容」を報告しなければならない旨規定するところから、「事故の内容」といえば、当然、事故の原因その他操縦者らが刑事責任を問われる虞のある事項も包含されるとなし、従つてかかる事実について報告すべき義務を負わしめることは、憲法第38条第1項の黙否権保障の規定に反し無効であるとの説が生ずるわけである。思うに、同施行令第67条第2項の「事故の内容」という文言は抽象的にすぎ、それのみでは果していかなる意義のものであるか必ずしも明らかでないが、当裁判所は次の如く解し、同条項を違憲無効のものとはしない。即ち同施行令第67条全体が道路交通取締法第24条の委任に基く規定であることは疑の存しないところであり、そして同施行令第67条第1項は、道路交通取締法第1条及び右同法第24条の委任の趣旨に従い、道路における危険防止その他交通の安全を図るために、事故発生の場合に操縦者らが講ずべき応急処置を具体化して「車馬又は軌道車の交通に因り人の殺傷又は物の損壊があつた場合においては、当該車馬又は軌道車の操縦者、乗務員その他の従業者は、直ちに被害者の救護又は道路における危険防止その他交通の安全を図るため必要な措置を講じなければならない」と規定したものであり、従つてそれに対する同項の「この場合において、警察官が現場にいるときは、その指示を受けなければならない」とせられるその指示とは、いうまでもなく、操縦者らが右応急処置を講ずるにつき、それを有効適切ならしめるためのものであり且つそれに限らるべく、それ以上に例えば事故発生の具体的事情等調査のための指示をいうものでないことは当然である。そして同第2項は、第1項と異り、現場に警察官がいない場合を規定するものであり、しかも現場に警察官がいる、いないが両者のおかれている基盤的事実関係の唯一の違いであるから、第2項により操縦者らの負担する義務は、第1項のそれに比し、警察官が現場にいないことから生ずるものを除き、より大であつてはならない筋合である。ひるがえつて、上記の如く現場にいる警察官といえども事故にタツチし得る限度は操縦者らが応急処置を講ずるにあたりその指示を与えるに過ぎないのであるから、第2項により操縦者らに報告義務を負わされた「事故の内容」とは、もし警察官が現場にいたならば右指示にあたりおのずから現認し得た「事故の結果的内容」即ち「操縦者及び被害者を含めての事故の同一性を確認せしめるに足る事項」を指称するものと解すべく、事故の原因その他操操者らが刑事責任を問われる虞のある事項はこれに含まれないと解するのが相当である。従つて同第2項より操操者らが操操を継続し又は現場を去るにつき警察官から受けねばならぬ指示もまた、警察官が叙上事故の同一性(及び操操者らが講じた応急処置)を確認するに必要な範囲に限らるべきであり、そしてかかる指示といえども操操者らが講ずべき応急処置を確実ならしめ危険防止の実効をあげるに役立つことは勿論である。
[5] しかしながら以上の所説に対しては同第2項の「事故の内容」を上記の如き事故の同一性を確定せしめるに足る事項と解するとしても、かゝる事項を報告せしめること、いわば、「単なる事故の報告」自体自己に不利益な供述を強要するものであり、憲法第38条第1項に違反するとの見解が存し得べく、所論も、ひつきよう、これと同一趣旨にでるものである。
[6] なるほど事故の同一性を確定せしめるに足るだけの事項といえども犯罪発覚の端緒となり得る等自己に不利をもたらすものであることは否定すべくもないが、しかし憲法第38条第1項の黙否権の保障は、あくまでも、自己が刑事責任を問われる虞のある事項、換言すれば、それを供述することにより直ちに自己の刑事責任を根拠づけるような事項に限られ、単に犯罪発覚の端緒となり得るにすぎないような事項には及ばないものと解すべきであり、そして事故の同一性を確定せしめるに足る事項は、原則としてそれを供述することによつて直ちに自己の刑事責任を根拠づけるもの、即ち自己が刑事責任を問われる虞のある事項には該当しないから、その報告を義務づけることは憲法第38条第1項に違反しないものといわなければならぬ。その余の所論が採用し得ないことは上来説示するところによりおのずから明らかである。それゆえ論旨は理由がない。
[7] 案ずるに原判決が本件の量刑にあたり「一罰百戒」の趣旨によるとしたことは原判決書に徴し所論のとおりであるが、その「一罰百戒」とは、近時交通事犯の漸増する傾向にかんがみ、またそれに対する社会的感情をも斟酌して、刑の一般的予防を強調したまでのものであることは原判決書を通読すれば容易に看取し得るところであるから、それ自体いささかも不当ではなく、またこれをもつて原審裁判官の個人的偏見、独断的意見に基いて刑事政策的意義を持たしめたものとなし得ないこと勿論である。そして原判決の量刑が、かりに所論のように、この種事犯に対する過去の長い期間における我が国裁判官の平均的評価に反し重いものであるとするも、これをもつて憲法第37条第1項にいう公平な裁判所の裁判でないとすることはできない。何となれば、憲法第37条第1項にいう公平な裁判所の裁判とは偏頗や不公平の虞のない組織と構成をもつ裁判所による裁判を意味するものであり、個々の事件に対する量刑その他が具体的に公正妥当であるかどうかには関しないところであり、また、従来の平均的評価よりも重い量刑をするからといつてその裁判官を組織、構成上偏頗や不公平の虞のある裁判をする裁判官となし得ないことは言を俟たないところであるからである。論旨は理由がない。
[8] 所論は原判決の量刑不当を主張するのである。よつて検討するに、本件は無免許でしかも運転技倆の未熟者が、飲酒酩酊の上、制限速度を遥かに突破した速度で自動車を運転し、その結果追突して人1名を死に至らしめるという重大事故をひき起し、あまつさえ被害者救護の処置もとらず現場を逃走したものであつて、およそ自動車による交通事犯としての悪要素をかねそなえた極めて犯情の重い案件であるというべく、他方被告人には前科はなく、年も若いし、また被害者の遺族らとの間に、ある程度の金員を贈つて、示談が成立したこと等被告人に有利な諸事情も認められるが、以上各般の情状を総合考察し、なお交通事犯が漸増するすう勢にある点をも斟酌すれば、原判決が本件につき被告人を禁錮10月の実刑に処したのは相当であり、重きに過ぎるものとは認められないから、原判決の量刑不当を主張する本論旨もまた理由がない。

[9] よつて刑事訴訟法第396条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

  検事 長富久公判出席

  (裁判長判事 渡辺辰吉  判事 久永正勝 関重夫)

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