大分県屋外広告物条例事件
上告審判決

大分県屋外広告物条例違反被告事件
最高裁判所 昭和59年(あ)第1090号
昭和62年3月3日 第三小法廷 判決

上告申立人 被告人
被告人   武本学
弁護人   河野善一郎 外4名

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官伊藤正己の補足意見

■ 弁護人河野善一郎、同岡村正淳、同安東正美、同古田邦夫、同指原幸一の上告趣意
■ 弁護人河野善一郎の上告趣意補充


 本件上告を棄却する。


[1] 弁護人河野善一郎、同岡村正淳、同安東正美、同古田邦夫、同指原幸一の上告趣意のうち、憲法21条1項違反をいう点は、大分県屋外広告物条例は、屋外広告物法に基づいて制定されたもので、右法律と相俟つて、大分県における美観風致の維持及び公衆に対する危害防止の目的のために、屋外広告物の表示の場所・方法及び屋外広告物を掲出する物件の設置・維持について必要な規制をしているところ、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右の程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるから(最高裁昭和23年(れ)第1308号同24年5月18日大法廷判決・刑集3巻6号839頁、同昭和24年(れ)第2591号同25年9月27日大法廷判決・刑集4巻9号1799頁、同昭和41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻13号1549頁参照)、大分県屋外広告物条例で広告物の表示を禁止されている街路樹2本の各支柱に、日本共産党の演説会開催の告知宣伝を内容とするいわゆるプラカード式ポスター各1枚を針金でくくりつけた被告人の本件所為につき、同条例33条1号、4条1項3号の各規定を適用してこれを処罰しても憲法21条1項に違反するものでないことは、前記各大法廷判例の趣旨に徴し明らかであつて、所論は理由がなく、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
[2] よつて、刑訴法408条により、主文のとおり判決する。

[3] この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。


 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

[1] 法廷意見は、その引用する各大法廷判例の趣旨に徴し、被告人の本件所為について、大分県屋外広告物条例(以下、「本条例」という。)の規定を適用してこれを処罰しても、憲法21条1項に違反するものではないと判示している。私も法廷意見の結論には異論がない。しかし、本件は、本条例を適用して政治的な情報の伝達の自由という憲法の保障する表現の自由の核心を占めるものに対し、軽微であるとはいえ刑事罰をもつて抑制を加えることにかかわる事案であつて、極めて重要な問題を含むものであるから、若干の意見を補足しておきたい。

[2] 本条例及びその基礎となつている屋外広告物法は、いずれも美観風致の維持と公衆に対する危害の防止とを目的として屋外広告物の規制を行つている。この目的が公共の福祉にかなうものであることはいうまでもない。そして、このうち公衆への危害の防止を目的とする規制が相当に広い範囲に及ぶことは当然である。政治的意見を表示する広告物がいかに憲法上重要な価値を含むものであつても、それが落下したり倒壊したりすることにより通行人に危害を及ぼすおそれのあるときに、その掲出を容認することはできず、むしろそれを除去することが関係当局の義務とされよう。これに反して、美観風致の維持という目的については、これと同様に考えることができない。何が美観風致にあたるかの判断には趣味的要素も含まれ、特定の者の判断をもつて律することが適切でない場合も少なくなく、それだけに美観風致の維持という目的に適合するかどうかの判断には慎重さが要求されるといえる。しかしながら、現代の社会生活においては、都市であると田園であるとをとわず、ある共通の通念が美観風致について存在することは否定できず、それを維持することの必要性は一般的に承認を受けているものということができ、したがつて、抽象的に考える限り、美観風致の維持を法の規制の目的とすることが公共の福祉に適合すると考えるのは誤りではないと思われる。
[3] 当裁判所は、本条例と同種の大阪市の条例について、法廷意見も説示するように、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右条例の規定する程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるとし、右大阪市の条例の定める禁止規定を違憲無効ということができないと判示しているが(昭和41年(あ)第536号同43年12月18日大法廷判決・刑集22巻13号1549頁)、これも、前記のような通念の存在を前提として、当該条例が法令違憲といえない旨を明らかにしたものであり、その結論は是認するに足りよう。しかし、この判例の示す理由は比較的簡単であつて、その考え方について十分の論証がされているかどうかについては疑いが残る。美観風致の維持が表現の自由に法的規制を加えることを正当化する目的として肯認できるとしても、このことは、その目的のためにとられている手段を当然に正当化するものでないことはいうまでもない。正当な目的を達成するために法のとる手段もまた正当なものでなければならない。右の大法廷判例が当該条例の定める程度の規制が許されるとするのは、条例のとる手段もまた美観風致の維持のため必要かつ合理的なものとして正当化されると考えているとみられるが、その根拠は十分に示されていない。例えば、1枚の小さなビラを電柱に貼付する所為もまたそこで問題とされる大阪市の条例の規制を受けるものであつたが、このような所為に対し、美観風致の維持を理由に、罰金刑とはいえ刑事罰を科することが、どうして憲法的自由の抑制手段として許される程度をこえないものといえるかについて、判旨からうかがうことができないように思われる。
[4] このように考えると、右の判例の結論を是認しうるとしても、当該条例が憲法からみて疑問の余地のないものということはできない。それが手段を含めて合憲であるというためには、さらにたちいつて検討を行う必要があると思われる。

[5] そこで、本件で問題となつている本条例についてその採用する規制手段を考察してみると、次のような疑点を指摘することができる。
[6](1) 本条例の規制の対象となる屋外広告物には、政治的な意見や情報を伝えるビラ、ポスター等が含まれることは明らかであるが、これらのものを公衆の眼にふれやすい場所、物件に掲出することは、極めて容易に意見や情報を他人に伝達する効果をあげうる方法であり、さらに街頭等におけるビラ配布のような方法に比して、永続的に広範囲の人に伝えることのできる点では有効性にまさり、かつそのための費用が低廉であつて、とくに経済的に恵まれない者にとつて簡便で効果的な表現伝達方法であるといわなければならない。このことは、商業広告のような営利的な情報の伝達についてもいえることであるが、とくに思想や意見の表示のような表現の自由の核心をなす表現についてそういえる。簡便で有効なだけに、これらを放置するときには、美観風致を害する情況を生じやすいことはたしかである。しかし、このようなビラやポスターを貼付するに適当な場所や物件は、道路、公園等とは性格を異にするものではあるが、私のいうパブリツク・フオーラム(昭和59年(あ)第206号同年12月18日第三小法廷判決・刑集38巻12号3026頁における私の補足意見参照)たる性質を帯びるものともいうことができる。そうとすれば、とくに思想や意見にかかわる表現の規制となるときには、美観風致の維持という公共の福祉に適合する目的をもつ規制であるというのみで、たやすく合憲であると判断するのは速断にすぎるものと思われる。
[7](2) 思想や意見の伝達の自由の側面からみると,本条例の合憲性について検討を要する問題は少なくない。
[8] 人権とくに表現の自由のように優越的地位を占める自由権の制約は、規制目的に照らして必要最少限度をこえるべきではないと解されており、原判決もこの原則を是認しつつ、本条例が街路樹等の「支柱」をも広告物掲出の禁止対象物件にしていることには合理的根拠のあること、それが広告物掲出可能な物件のすべてを禁止対象にとりこみ、屋外広告物の掲出を実質上全面禁止とするに等しい状態においているとすることができないこと、行政的対応のみでは禁止目的を達成できないことなどをあげて、本条例が必要最少限度の原則に反するものではないと判示している。
[9] しかし、右のような理由をもつて本条例のとる手段が規制目的からみて必要最少限度をこえないものと断定しうるであろうか。「支柱」もまた掲出禁止物件とされることを明示した条例は少ないが、支柱も街路樹に付随するものとして、これを含めることは不当とはいえないかもしれない。しかし例えば、「電柱」類はかなりの数の条例では掲出禁止物件から除かれているところ、規制に地域差のあることを考慮しても、それらの条例は、最少限度の必要性をみたしていないとみるのであろうか。あるいは、大分県の特殊性がそれを必要としていると考えられるのであろうか。
[10] また、行政的対応と並んで、刑事罰を適用することが禁止目的の達成に有効であることはたしかであるが、刑事罰による抑制は極めて謙抑であるべきであると考えられるから、行政的対応のみでは目的達成が可能とはいえず、刑事罰をもつて規制することが有効であるからこれを併用することも必要最少限度をこえないとするのは、いささか速断にすぎよう。表現の自由の刑事罰による制約に対しては、その保護すべき法益に照らし、いつそう慎重な配慮が望まれよう。
[11](3) 本条例の定める一定の場所や物件が広告物掲出の禁止対象とされているとしても、これらの広告物の内容を適法に伝達する方法が他に広く存在するときは、憲法上の疑義は少なくなり、美観風致の維持という公共の福祉のためある程度の規制を行うことが許容されると解されるから、この点も検討に値する。街頭におけるビラの配布や演説その他の広報活動などは、同じ内容を伝える方法として用いられるが、これらは、広告物の掲出とは性質を異にするところがあり一応別としても、公共の掲示場が十分に用意されていたり、禁止される場所や物件が限定され、これ以外に貼付できる対象で公衆への伝達に適するものが広く存在しているときには、本条例の定める規制も違憲とはいえないと思われる。しかし、本件においてこれらの点は明らかにされるところではない。また、所有者の同意を得て私有の家屋や塀などを掲出場所として利用することは可能である。しかし、一般的に所有者の同意を得ることの難易は測定しがたいところであるし、表現の自由の保障がとくに社会一般の共感を得ていない思想を表現することの確保に重要な意味をもつことを考えると、このような表現にとつて、所有者の同意を得ることは必ずしも容易ではないと考えられるのであり、私有の場所や物件の利用可能なことを過大に評価することはできないと思われる。

[12] 以上のように考えてくると、本条例は、表現の自由、とくに思想、政治的意見や情報の伝達の観点からみるとき、憲法上の疑義を免れることはできないであろう。しかしながら、私は、このような疑点にもかかわらず、本条例が法令として違憲無効であると判断すべきではないと考えている。したがつて、大阪市の条例の違憲性を否定した大法廷判例は、変更の必要をみないと解している。
[13] 本条例の目的とするところは、美観風致の維持と公衆への危害の防止であつて、表現の内容はその関知するところではなく、広告物が政治的表現であると、営利的表現であると、その他いかなる表現であるとを問わず、その目的からみて規制を必要とする場合に、一定の抑制を加えるものである。もし本条例が思想や政治的な意見情報の伝達にかかる表現の内容を主たる規制対象とするものであれば、憲法上厳格な基準によつて審査され、すでにあげた疑問を解消することができないが、本条例は、表現の内容と全くかかわりなしに、美観風致の維持等の目的から屋外広告物の掲出の場所や方法について一般的に規制しているものである。この場合に右と同じ厳格な基準を適用することは必ずしも相当ではない。そしてわが国の実情、とくに都市において著しく乱雑な広告物の掲出のおそれのあることからみて、表現の内容を顧慮することなく、美観風致の維持という観点から一定限度の規制を行うことは、これを容認せざるをえないと思われる。もとより、表現の内容と無関係に一律に表現の場所、方法、態様などを規制することが、たとえ思想や意見の表現の抑制を目的としなくても、実際上主としてそれらの表現の抑制の効果をもつこともありうる。そこで、これらの法令は思想や政治的意見の表示に適用されるときには違憲となるという部分違憲の考え方や、もともとそれはこのような表示を含む広告物には適用されないと解釈した上でそれを合憲と判断する限定解釈の考え方も主張されえよう。しかし、美観風致の維持を目的とする本条例について、右のような広告物の内容によつて区別をして合憲性を判断することは必ずしも適切ではないし、具体的にその区別が困難であることも少なくない。以上のように考えると、本条例は、その規制の範囲がやや広きに失するうらみはあるが、違憲を理由にそれを無効の法令と断定することは相当ではないと思われる。

[14] しかしながら、すでにのべたいくつかの疑問点のあることは、当然に、本条例の適用にあたつては憲法の趣旨に即して慎重な態度をとるべきことを要求するものであり、場合によつては適用違憲の事態を生ずることをみのがしてはならない。本条例36条(屋外広告物法15条も同じである。)は、「この条例の適用にあたつては、国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と規定している。この規定は、運用面における注意規定であつて、論旨のように、この規定にもとづいて公訴棄却又は免訴を主張することは失当であるが、本条例も適用違憲とされる場合のあることを示唆しているものといつてよい。したがつて、それぞれの事案の具体的な事情に照らし、広告物の貼付されている場所がどのような性質をもつものであるか、周囲がどのような状況であるか、貼付された広告物の数量・形状や、掲出のしかた等を総合的に考慮し、その地域の美観風致の侵害の程度と掲出された広告物にあらわれた表現のもつ価値とを比較衡量した結果、表現の価値の有する利益が美観風致の維持の利益に優越すると判断されるときに、本条例の定める刑事罰を科することは、適用において違憲となるのを免れないというべきである。
[15] 原判決は、その認定した事実関係の下においては、本条例33条1号、4条1項3号を本件に適用することが違憲であると解することができないと判示するが、いかなる利益較量を行つてその結論を得たかを明確に示しておらず、むしろ、原審の認定した事実関係をみると、すでにのべたような観点に立つた較量が行われたあとをうかがうことはできず、本条例は法令として違憲無効ではないことから、直ちにその構成要件に該当する行為にそれを適用しても違憲の問題を生ずることなく、その行為の可罰性は否定されないとしているように解される。このように適用違憲の点に十分の考慮が払われていない原判決には、その結論に至る論証の過程において理由不備があるといわざるをえない。
[16] しかしながら、本件において、被告人は、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とするポスター2枚を掲出したものであるが、記録によると、本件ポスターの掲出された場所は、大分市東津留商店街の中心にある街路樹(その支柱も街路樹に付随するものとしてこれと同視してよいであろう。)であり、街の景観の一部を構成していて、美観風致の維持の観点から要保護性の強い物件であること、本件ポスターは、縦約60センチメートル、横約42センチメートルのポスターをベニヤ板に貼付して角材に釘付けしたいわゆるプラカード式ポスターであつて、それが掲出された街路樹に比べて不釣合いに大きくて人目につきやすく、周囲の環境と調和し難いものであること、本件現場付近の街路樹には同一のポスターが数多く掲出されているが、被告人の本件所為はその一環としてなされたものであることが認められ、以上の事実関係の下においては、前述のような考慮を払つたとしても、被告人の本件所為の可罰性を認めた原判決の結論は是認できないものではない。したがつて、本件の上告棄却の結論はやむをえないものと思われる。

(裁判長裁判官 安岡満彦  裁判官 伊藤正己  裁判官 長島敦  裁判官 坂上寿夫)
[1] 原判決は、街路樹又は路傍樹(以下、街路樹等という)の「支柱」を広告物表示等禁止物件に指定した大分県屋外広告物条例(以下本件条例という)4条1項3号、33条1号の構成要件該当性判断に当り、憲法第21条及び本件条例の右条項の解釈適用を誤まつたものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決の誤つた論理とその批判
[2] 原判決が、本件被告人の所為をもつて本件条例4条1項3号、33条1号に該当し可罰的であると結論づけた所以は、要するに以下の2点である。すなわち、第1点は本件条例4条1項3号が「支柱」を広告物表示等禁止物件に指定していることであり、第2点は「支柱」は街路樹等の付属物と目されるから、街路樹等への広告物表示等の禁止の実効性を保つためには、「支柱」にも規制を及ぼす合理的根拠がある、というものである。
[3] しかし、右のような本件条例の解釈は、表現の自由を制約する法理を述べるものとしては、到底裁判の権威を示しえない粗雑極まりない言説である。
[4] 弁護人は、つとに控訴趣意書において、表現の自由の保障法理とその制約法理の関係、広告物規制における法と本件条例の関係は、基本権侵害を回避すべき解釈態度としての基本権制約法理の「必要最少限度の原則」や「より制限的でない選び得る他の手段の理論」を適用したうえでの本件条例の解釈適用を詳細に主張してきた。しかるに原判決は、右憲法訴訟理論に一顧だにすることなく、本件被告人の所為の当該構成要件該当性の判断に際し、単に構成要件が存在することのみをもつて該当性を肯認し、前提問題である構成要件の評価については、右構成要件によりおびやかされる基本権の侵害、制約については眼をつむり、基本権の保障と広告物規制による法益との具体的比較衡量を放棄し、規制の必要性をもつて本件条例規制の合理的根拠とする不当な解釈を導き出している。

二 憲法訴訟理論としての本件条例の解釈
[5] 弁護人は、本件裁判の本質とその果すべき役割につき、原審及び第一審を通じて、政治活動の自由の保障の法理とその実現を担保すべき法解釈原理の宣明及び右に制約をもたらす屋外広告物法及び本件条例の基本権制約法理適合性の検討、そしてなかんづく本件条例規制の特異性の解明と憲法訴訟理論に基づく評価の各論点を提出してきた。右論点を上告審の審理に即して再構成すると、以下の通りである。すなわち、「支柱」を一律に広告物表示等禁止物件に指定する本件条例4条1項3号、33条1号は、文言解釈上違憲違法であり、合憲的限定解釈を施こすことによつてのみ右違憲違法のそしりを逸れるべきところ、原判決は、敢えて右解釈を採用せず、漫然と本件条例を文言通り解釈した結果、本件被告人の所為を同条例違反として処罰する法令解釈適用上の誤りを犯したものである。以下に理由を述べる。
[6] 第一に、原判決は「支柱」を広告物表示等禁止物件に指定することを普通地方公共団体の裁量に属するものと判示したが、その中で「十分に成長して、もはや『支柱』を必要としない街路樹又は路傍樹をかかえる地域又は場所はともかく」といい、これらの場合には「支柱」に対する規制を及ぼしえない旨をうかがわせるようである。しかし、まさに右のように釈明することの中に本件条例解釈上の矛盾が存することを原判決は看過している。なんとなれば、本件条例は、右のような区別、すなわち街路樹等が十分に成長しているか否か、また地域、場所の指定を一切せず、全く一律に「支柱」を広告物表示等禁止物件に指定しているのであつて、ここにこそ、表現の自由の制約をもたらすことに関連して、法の授権範囲逸脱の問題があつたのである。したがつて、本件条例を法の授権範囲内にあるものとして合憲的に解釈しようとする限りおよそ右の様な指定方法が「当該普通地方公共団体の郷土を愛する裁量」などという何らの基準をも提供しない情緒的言辞をもつてしては正当化されるはずはないのであり、本件条例の右条項を上位規範に適合させるべき構成要件の評価(解釈)においてこそ、基本権制約法理に即した解釈がなされるべきであつたのである。しかるに、原判決は右解釈努力を放棄したのみにとどまらず、以下に述べるように、憲法訴訟理論に基づく検討をしないままに、「支柱」を街路樹等と同一視する解釈を導き出している。
[7] 第二に、原判決は構成要件の評価に際し、本件条例に基づき「支柱に」広告物表示を禁止することによりもたらされる美観風致の保護と、右規制により侵害される政治活動の自由とを、具体的に比較衡量することなく、単に街路樹等の美観風致を保護する必要性のみ導出し、街路樹等の美観表象性と「支柱」のそれとの間における構造上の差異ないし要保護性の強弱には一顧だにすることなく、「支柱」における規制を正当化している。しかし、法に規定された禁止対象物件毎の要保護性の検討とそれとの比較対照もなさず、更に規制のあり方と地域的特殊性の関係についても何らの検討も加えていない。右の解釈態度はまさに本末転倒のそれであり、到底基本権制約法理としての最少限度の原則をふまえたものということはできない。
[8] 第三に、原判決は、構成要件評価の一要素たる可罰性評価に関し、本件条例に特有の規制権限における刑罰権行使の謙抑性との関係について、何ら考察を加えず被告人の本件所為における可罰的違法性を恣意的に評価している。本件条例規制における可罰性評価については、弁護人はつとに、美観風致の抽象性、主観性をあげ、その毀損性も同様である旨主張してきた。そして、美観風致の右特性に着目するときは本件条例が規定する規制権限の行使態様こそ、可罰性評価を客観化する機能を併せもつものと看做されるべきであり、第一次的には行政権限を発動させることを本則とし、それを待つていては所期の目的を達せられない程度に美観の毀損が切迫した危険にあるときにのみ刑罰規制が許される、とする段階構造をなすものと解すのが合理的である。しかるに、原判決は、右規制権限の段階性と美観毀損性の関係を看過したうえ、美観毀損を何ら具体化することなく恣意的に評価して構成要件該当性を認めたのである。
[9] 原判決は以上のごとく、憲法21条及び本件条例の解釈に際し、被告人の本件所為を充てはめるべき構成要件の評価においてその解釈を誤り、更に該当性判断においても解釈を誤り、ひいて憲法21条の解釈を誤つたものであり、したがつて、被告人の本件所為は本件条例4条1項3号、33条1号に該当しないものである。

三 本件における構成要件不該当性
1 本件の構成要件不該当性
(一) はじめに
[10] 前述した条例4条1項3号の解釈に照らすと、本件ポスターは、仮にこれについて何らかの規制をなす必要があるとしても、行政的規制レベルのそれにすぎないものであり、条例4条1項3号の罰条の構成要件には該当しない。以下その理由を分説する。
(二) 本件ポスターの社会的相当性
(1) ポスターの目的
[11] 本件ポスターは、当時共産党が準備していた演説会の告知宣伝を目的としたポスターであつた。当時の政治状況は、単に参議院選挙を目前にしていたというにとどまらず、堀証人が述べているように、ロツキード、グラマン、ダグラスの汚職事件が暴露され、鉄建公団、KDD等の不正が連日マスコミをにぎわしていた時期であり、国民の多くが、金権的な政治のあり方に対する憤りを燃やしていた時期であつた。従つて、これらの不正を隠蔽しようとする側の政治勢力にとつてはともかく、金権腐敗を追及する国民的立場に立つ側としては、国民に真相を広く知らせるための演説会その他の政治宣伝に最大限の力を注ぐべき歴史的社会的任務を負つた時期だつたのである。
[12] 共産党も正に、このような歴史的任務に応えるべく、全国各地で精力的に演説会を組織したのであり、これに対するリアクシヨンが、斉藤喜作証人が証言したような、全国各地で当時頻発した演説会告知用のポスター、ビラ等の宣伝物に対するあいつぐ逮捕連行である。ここには、政治的表現の自由が最大限に保障されなければならない時こそ、逆に政治権力の側が最もその抑圧をこい願う時期であることが端的に示されている。政治的表現の自由は、だからこそ最大限の保障を必要とするのである。このような、本件ポスターの意義目的からいつても、本件ポスターは、民主主義社会の中核をなす重要な政治的表現の自由の行使として最大限尊重されるべきものであり、主観的な美観なるものを以て、みだりにこれを規制することの許されない憲法上の価値を担つていたのである。
(2) ポスターの態様
[13] 本件ポスターはまた、ポスターの形態、提出予定期間、掲出方法等の点でも、風致美観に対する十分な配慮のなされたものであり、この点からいつても、条例の予定した構成要件該当レベルに達していない。
[14] 本件ポスターは、5月23日の演説会の告知のため掲出されたものであるが、ポスター自体、きれいに印刷された体裁の整つたものである上、プラカードに貼付されて掲出されており、期間が過ぎれば、プラカードともども自主的に撤去されることが予定されたポスターであつた。つまり、何ら強権的な排除を行うまでもなく、自ら回収されるポスターだつたのである。
[15] このような本件ポスターの態様からいつても、本件に罰条を適用する必要は全くないものといわざるを得ない。
(3) 行政的規制の不存在
[16] 本件のようなポスターには、仮にその規制の必要があるとしても行政的規制を以て足り、かつまたこれを先行させるべきものである。
[17] しかし本件について行政的規制が全くなされていなかつたことは、証拠上明らかである。もちろん警察に対し、行政側が本件ポスターについて告訴告発あるいは取締要請をした事実もない。警察がいきなり実力行使でポスター規制に及んだのである。しかし昭和48年7月18日の衆議院建設委員会における屋外広告物法改正論議の中で、政府委員は、広告物の規制は「警察が独自でやるというよりもそれぞれの自治体の長が責任者となつているわけですから、県や市と連絡をとつて」、「目に余る違法な物件」を取締る趣旨である旨答弁している。これは、刑罰権発動に関する適正手続ともいうべきものであり、警察の権限濫用を抑制するためにも決して軽視されてはならない。そのためにも行政的規制が何らなされていない段階においては、可罰的レベルの違法性はないものと推定すべきである。
(4) まとめ
[18] 以上述べた理由に照らし、本件は、大分県屋外広告物条例4条1項3号に該当しない。なお右に述べたような事情が屋外広告物条例の構成要件該当性をも左右するに足るものであることは、高松高裁昭43・4・30判決(判時534号19頁。確定)が、同じ条例違反につき、
「結局右各事情のもとに行われた被告人の本件ビラ貼付行為及び立看板を表示した行為は、わが国の憲法を頂点とする全法律秩序との調和、均衡を考慮し、他面においては、刑罰法理による社会秩序の保障機能に弛緩を来することのないように十分留意しつつ、右条例の趣旨を解釈する時は右条例が要求している程度に即ち、美観風致を維持し、及び公衆に対する危害を防止するために規定された同条例3条の禁止規定に違背する広告物の表示行為ないしは立看板の表示行為に該当するに足りないものと解するのが相当である」
旨判示していることに照らしても明白である。
2 本件ポスター表示行為の構成要件不該当性
[19](一) 本件ポスターは証拠上明らかなように、直接にはプラカードに表示されたものであり、支柱に表示されたものではない。
[20] 構成要件が厳格に解釈されるべきものであることは、罪刑法定主義の原則上自明のことであるが、してみると本件ポスターについては、そもそも支柱に表示されたものといえるのか否かという問題を生ずるのである。
[21](二) この点について示唆を与える判例として、いわゆる太田立看板事件に関する東京高裁昭和56年8月5日判決(確定)がある。同判決では、全長1.6メートル、幅約37センチの立看板を電柱に紙ひもで結びつけた事実が軽犯罪法1条33号前段の「はり札をした」に当たるか否かが問題となつた。
[22] 判決は、「立看板」と「はり札」とは本来別個のものであり、立看板を立てかける行為自体は処罰されないこと、看板が脚を地面につけた状態で立つている場合には、それが倒れないように、紙ひもで電柱に結びつけたとしても、まだ立看板を立てかける行為の域を出るものではないとして無罪を言い渡している。
[23] 本件の場合も右と変わるところはなく、実況見分調書1、2の写真が示す通りであり、その特徴として次の点を指摘することができる。
[24](1) プラカードが地面に接し、基本的にプラカードによる表示とみられること。広告の効果を考えるうえで、広告物の高さをどの程度にするかは極めて重要である。このため電柱等の物件自体に表示しようとすれば、例えプラカード式であれ、地面から離してもつとも効果的な高さに表示することになる。しかるに本件では、被告人が表示したとされるもの及びそれ以外の同種ポスターについても、全てプラカードの支柱が地面に接している。そして、プラカード式になつていないものについては直接地面にポスターが接する状態で立てかけられている(実況検分調書添付写真11)。これでは広告の効果は極めて乏しい。所期の効果を達成しようとすれば立てかけている街灯の支柱の上部に針金でくくりつければよい。その作業も簡単である。ところが、そのような方法を全然採つていない。これは、あくまでプラカード乃至はベニヤ板自体に表示していることを示すものである。
[25](2) ゆわえている針金は細く、2ケ所において一重で2〜3回ねじつた状態であつたこと。すなわち、ゆわえ方自体は支柱や街路樹を何ら物理的に毀損するものではなく、極めて簡単に針金を解くことができるのである。これらによれば、本件ポスターはプラカードに表示されたものであり、プラカード本来の使用方法により広告されたものであることが明らかである。針金でゆわえたのは、転倒の危険を防止するためである。本件プラカードは後日回収することが予定されており、このため回収時の便宜も考え、転倒しないことだけを目的として簡便にゆわえられていたものである。
[26] 実況見分調書写真番号3のむつみ衣料品店前のプラカードは、実況見分当時未だくくりつけられておらず、立てかけたままであるがそれが構成要件に該当せず、倒れないようにした本件ポスターの方が処罰されないというのも不合理である。
[27] 以上の事実に照らし、本件は、支柱に表示したものとはいえない点においても、構成要件該当性を欠くものである。
3 結び
[28] 以上から本件事案を具体的に考察した場合にも、条例4条1項3号の罰条の構成要件には該当せず、原判決は右条項の解釈適用を誤つており、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明白である。
[29] 原判決には、大分県屋外広告物条例第36条及び刑事訴訟法第337条、同第338条第4号の解釈を誤り、免訴又は公訴棄却の判決をすべきであるのに、有罪の実体判決を言い渡した違法があり、破棄しなければ著しく正義に反する。

一 原判決の誤り
1 原判決の条例第36条解釈
[30] 条例第36条の趣旨について原判決は、「憲法上当然な内容を規定したものであつて、別に同条例を適用してはならないとしているものではない」と説示しているにとどまる。
2 原判決の誤り
[31](一) 原判決の条例第36条解釈は、屋外広告物法第15条が、国会におけるいかなる議論の末に立法化され、その後各地の条例にこれが追加されるに至つたかという、立法経過、立法事実に目をふさいだ独断的解釈である。
[32](二) 条例第36条の内容は、なるほど憲法上当然のことであろう。しかし、これが法ないし条例にわざわざ立法化されるに至つた事実を、法ないし条例の全体的整合的な解釈上いかなる意味をもつものと解すべきかは、とりわけ国民の重要な基本的人権とのかかわりを有する罰条の解釈においては重大な問題であり、原判決の右判断は余りに皮相的なものといわなければならない。

二 大分県屋外広告物条例第36条の解釈
1 条例第36条の沿革
[33](一) 屋外広告物法は、昭和48年の改正により同法第15条において「この法律及びこの法律に基づく条例の適用にあたつては、国民の政治的活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない」と規定した。
[34] 右規定は、一審で真鍋教授が証言しているように、改正案の原案にはなかつたものであるが、その審議過程で、広告規制と広告によつて表現される表現の自由という利益との矛盾、衝突をどのように考えるべきかをめぐり本質的な議論がなされた結果、議員提案によつて立法化されたものである。
[35] 右適用上の留意規定は、昭和48年11月12日の改正屋外広告物標準条例案29条に導入され、これを受けて、昭和49年の条例改正により、大分県屋外広告物条例第36条として「この条例の適用にあたつては、国民の政治的活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない」との規定が定められるに至つたものである。
[36](二) このような適用上の注意規定が設けられるのは一般に、一審において真鍋教授が証言しているように、その法令が悪用乱用される可能性を秘めているからであり、そのような規定がもうけられるケースには次の2つのパターンがある。1つは軽犯罪法のように違法性の低い、正当な行為とのボーダーライン上の行為の取締において正当な行為が罰せられないように法令の慎重な適用が要求されるいわば量的な適用上の注意である。
[37] あと1つはその法令が予定している規制の性格が、一つの法益と他の法益との比較衡量を必然的に前提としている場合に、その比較衡量を慎重に行い、規制利益を偏重して他の法益を不当に侵害することのないようにとの適用上の注意である。
[38] 条例第36条はこの後者に属するものであり、立法経過及び文言上明らかなように、この規定が要求する比較衡量は、国民の政治活動の自由を中核とする表現の自由が最大限尊重されるべきものであることを前提とした表現の自由との慎重かつ厳格な比較衡量である。
[39] 従つて真鍋教授も指摘しているように、この規定は単なる訓示規定、精神規定ではなく、右条例の解釈適用において指導的な役割を果すべき規定である。
2 条例第36条の解釈
[40] 前述した条例第36条の沿革及び趣旨に照らし、条例第36条は、具体的には次のような趣旨を含むものと解される。
(一) 政治的広告物に対する適用の慎重性
[41] 36条は、政治的活動の自由を中核とする表現の自由の尊重をうたつているのであるから、政治活動の一環としての広告物の提出に関する事案においては、その適用を特に慎重にするよう留意することを要求しているものと解される。
[42] 本件ポスターの掲出は、政党の演説会の告知というきわめて重要な政治活動の一環として行われたものであるから、正に最大限の留意が要求される事案であるところ、本件においてポスターが掲出された物件は、屋外広告物法にはもとより明記されず、全国の条例中僅か3例にしか規定をみない街路樹の「支柱」にすぎない。
[43] 街路樹の「支柱」を掲出禁止物件とすることは、真鍋教授も指摘しているように、法の授権を逸脱するものとの批判を免れない上、支柱に対する広告物の禁止によつて維持される風致美観が、支柱に対するポスターの掲出という表現の自由、就中政治活動の自由の保障の価値に常に優先するとの比較衡量も到底成り立たない。
[44] このように政治活動の自由というかけがえのない基本的人権と、「支柱」というそれ自体美観風致の観点からする要保護性に乏しい物件に対する掲出禁止による利益との比較衡量が問題になる事案において、条例を機械的形式的に適用することはそれだけで条例第36条に反するものといわざるを得ない。
[45] 政治的活動の自由の保障の価値に優先するような支柱に対する広告物禁止の利益は殆んど想定され得ないのであり、強いて想定するとしても、支柱そのものの機能を物理的に毀損するような場合あるいは、政治活動の自由としての価値が認められない宣伝目的達成後長期間放置され、自浄作用にゆだねることができないもの、テロを呼びかけるような公序良俗に反するもの等の極端なケースに限られるといわざるを得ないのである。
(二) 条例適用の公正さの担保
[46] 政治的広告物に関し、特定党派に対してのみ偏派な規制が行われることは、それ自体政治活動の自由に対する不当な侵害である。屋外広告物法第15条の立法経過の中でも、条例の党派的運用に対する懸念が重要な問題点として議論されているのであり、それらの論議を踏まえて15条が立法化されたのである。
[47] 従つて条例第36条は、条例を党派的に運用してはならないことをも特に要求しているものといわざるを得ない。
[48] それは、政治活動の自由の規制をめぐる警察あるいは公訴権の運用が、かならずしも公正になされるものとはいえないとの認識が前提となつている。
[49] 従つて政治活動の自由に対する条例の適用に関しては、公訴権濫用論に関する今日の判例理論が認めているような検察官の訴追裁量論は妥当しない。
[50] 条例第36条は、条例の運用が「公正」であることの担保を特に要求しているものといわざるを得ないのである。
[51] 従つて、条例の適用が政治意図的なものであることが明らかな場合はもちろん、その疑いが相当程度に存する場合においても、当該事案に対する条例の適用は、条例第36条に違反するものというべきである。

三 本件公訴提起の条例第36条違反
[52] 本件検挙及び公訴提起は、特定政党の政治活動に対する党派的な弾圧であり、条例第36条に反する。
1 本件検挙の政治弾圧性
[53](一) 原審以来くり返し指摘している通り、本件は、他党派のポスターが公然と多数掲出され、条例違反の一般の営利広告物も多数掲出されている中で、ことさら共産党のポスターに狙いをつけ、内偵尾行の上、ポスターの掲出を警告等により未然に防止する余地が十分あつたにもかかわらず、被告人らを追尾していた警察官の面前でポスターを掲出させ、検挙に及んだものであつた(右検挙に至る状況については、一審以来くり返し論じてきたところであるのでくり返さない)。
[54](二) 一審における斉藤喜作証人の証言に明らかなように、国民救援会の調査によれば、衆参同時選挙を目前にした昭和55年2月から5月までの間に、共産党やこれと関係の深い民主団体の人々のポスター掲出ないしこれと同種の政治活動に対する検挙は全国で101名にのぼつており、過去の実情と比較して異常なものとなつている。これは明らかに、警察庁による全国的な統一的指示に基づくものであり、前述した本件検挙の経過の異常性とあいまつて、本件検挙が共産党に対する意図的な弾圧であつたことを示している。
2 本件公訴の条例第36条違反
[55] 本件検挙が、右に述べたように特定政党に対する党派的な弾圧であつた以上、これをうけてなされた本件公訴提起もまた、条例第36条に違反するものであることは明らかである。

四 条例第36条違反の効果
1 免訴
[56](一) 前述した通り、条例第36条は昭和49年の条例改正により新たに立法されるに至つたものであり、条例の定める罰則規定の運用は、同条の追加により前述した通りの限定を受けるに至つたのである。
[57](二) 従つて、仮に外形上条例の定める罰条の構成要件に該当する場合であつても、これに対する罰則の適用が条例第36条に違反するものと認められる場合においては、そのような事案に関する限り、条例第36条により刑の廃止があつたもの又は、少なくともこれと同視されるものというべきであり、刑事訴訟法第337条第2号又はその準用により、免訴の判決がなされなければならない。
2 公訴棄却
[58] 仮に刑事訴訟法第337条が適用されないとしても、公訴の提起についても条例第36条は当然適用されるべきものであるから、本件公訴提起は刑事訴訟法第338条第4号により棄却されるべきものである。
[59] 本件公訴提起は、検察官の訴追裁量の問題としてみても公訴権濫用に亘るものと解するが、ここでは端的に条例第36条に違反するものとして、公訴棄却を主張するものである。

五 結論
[60] 以上の通り、原判決は、大分県屋外広告物条例第36条、刑事訴訟法第337条、同第338条の解釈を誤り、免訴又は公訴棄却の判決をなすべきであるのに有罪の判決をなしているのであり、破棄しなければ著しく正義に反する。
[1]、大分県屋外広告物条例36条(適用上の注意規定)は、昭和48年の屋外広告物法の改正により、同法15条に同旨の規定が追加されたことを受けて、条例上も改正追加されたものであり、その改正(立法)趣旨は、従前この種事案において警察当局の過剰かつ偏向した検挙事例が見受けられたことをふまえて濫用を規制することにあつたことは言うまでもない。従つて、この規定は「特に」挿入規定された経過からみても、原判決のいうように憲法上当然のことを定めたにすぎないと解すべきでなく、取締当局と裁判所を拘束する独立の規制条項と解すべきものである。

[2]、右規定の意義解釈については直接の先例となる判例は未だないが、同種の規定をもつ軽犯罪法4条について学説上次の見解が見られ、本件条例も同旨に解釈できると考える。
「・・・「他の目的」とは、例えば、正当な大衆運動、労働運動などを弾圧する目的、別件の犯罪捜査に利用する目的などを指す。「本来の目的」を逸脱して、右のような目的のために本法を適用するのが、その「濫用」の典型的な場合であるが、そのような場合だけが「濫用」にあたるのではない。形式的には本法1条各号の罰則に該当する行為であつても、平素、事実上全く放任されているようなものについて、取締官の個人的憎悪や気まぐれから、特定の者についてのみ本法を適用して取締まるなども、ここにいう「濫用」にあたる。」(「注解特別刑法7風俗・軽犯罪法」青林書院新社軽犯罪法109頁)
[3]、そこで本件の場合は、当時参議院議員選挙を前にして全国的に共産党ないし民主団体のポスター掲示行為の弾圧が多発していた状況、本件当日被告人らが本件プラカード式ポスターを製作している現場を警察のパトカーが巡回して目撃していること、本件当夜中園巡査らが警ら活動に出動するに際して、選挙の事前運動の取締まりを目的にしていたこと及び携帯器材はカメラであつたこと、中園巡査らが現場を2回巡回したあげくに被告人を逮捕していること(この点は一審判決も不自然な行動と認めている)などを総合すれば、本件逮捕が特定政党の政治活動を狙つた偏跛な検挙であつたことが明らかであり、「不当に侵害」したというべきである。

[4]、取締当局の摘発が、国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害したと認められる場合に、条例36条の規定がどのような訴訟法上の意義を有するかについては、直接の学説や判例はないが、原判決のいうように訴訟条件を定めたものではないと単純に考えるのは、屋外広告物法15条が特に規定された趣旨を没却するものであつて誤りである。
[5] 前述の立法経過からみて、取締当局及び裁判所を拘束する独立の規制条項であつて、それに違反した公訴は端的に刑事訴訟法338条4号により棄却すべきであると考える。
(その他の上告趣意は省略する。)

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