共産党袴田事件
控訴審判決

家屋明渡等請求控訴事件
東京高等裁判所 昭和58年(ネ)1579号
昭和59年9月25日 民事第2部 判決

控訴人 (被告) 袴田里見
  右訴訟代理人弁護士 長谷川朝光

被控訴人(原告) 日本共産党
右代表者中央委員会議長 宮本顕治
  右訴訟代理人弁護士 青柳盛雄 佐藤義弥 駿河哲男 山下正祐

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は、控訴人の負担とする。

一 控訴人
1 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二 被控訴人
1 主文第一、二項同旨
2 原判決主文第一項について仮執行の宣言
[1] 別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)は、被控訴人(以下「党」ともいう。)の所有である。

[2] 控訴人は、遅くとも昭和53年8月1日以降なんらの権原もないのに本件建物を占有し、被控訴人に対し本件建物の賃料相当額の損害を被らせている。

[3] 昭和53年8月1日以降の本件建物の賃料額は、1か月金15万円が相当である。

[4] よって、被控訴人は控訴人に対し、所有権に基づき本件建物の明渡しを求めるとともに不法占有後である昭和53年8月1日から明渡し済みに至るまで1か月金15万円の割合による賃料相等の損害金の支払を求める。
[5] 1の事実は認める。

[6] 2の事実中控訴人が昭和53年8月1日以前から本件建物を占有していることは認めるが、その余は否認する。

[7] 3の事実は争う。
[8] 控訴人は、被控訴人から、昭和38年5月ころ、本件建物を、賃料1か月1万5000円、終生使用することができる旨の約定で賃借してこれに入居したものであり、賃料はその後昭和50年1月以降毎月2万2000円に増額された。本件建物は、控訴人の居住と安全のために党によって取得されたうえ、長年党のため活動してきた控訴人のために終生の住居として貸し渡されたものにほかならない。右の事実は、次の事情に徴して明らかなところである。

1 控訴人の経歴
[9] 控訴人は、大正8年青森県から上京してきて、各種の仕事に従事するかたわら、労働組合や無産者青年同盟などの活動に加わり、大正14年には党の留学生としてモスクワのクートベ(東洋勤労者共産主義大学)に派遣され、昭和2年にソ連共産党に入党し(なお、当時は、入党の手続をとることなく帰国すると同時に当然党(被控訴人)に入党することになっていた。)、翌3年に帰国した後は国の厳しい弾圧に屈することなく、共産主義の思想を堅持して党活動を続け、この間治安維持法違反等により2回投獄されたが、なおも党中央委員として引続き党組織の維持、再建につとめ、昭和20年の終戦とともに自由となるや、衰弱した身体をおして党の再建活動に加わり党務に専念していたが、昭和25年に至って故前田球一らを中心とする一派が党中央委員会を一方的に解体し、地下活動を行うようになったため、残された党中央委員として党活動の維持にあたり、昭和33年以降は党中央委員会幹部会員、党副委員長等の要職を務めるなど、戦前戦後を通じ一貫して党の維持発展に尽力し、党のために多大の貢献をしてきたものである(なお、控訴人が党活動において多大の貢献があったことは、党中央委員会出版局発行の「日本共産党の五〇年」(初版)に登載されており、被控訴人もこれを認めているところである。)。
[10] また、控訴人の妻キク(通称「菊枝」、以下「菊枝」ともいう。)も昭和20年に被控訴人に入党し、控訴人の党活動を支えるとともに自らも党員として献身的な活動をしてきたものである。

2 本件建物取得の経緯
[10] 控訴人は、昭和35年ころ、都内代々木初台の借家に居住中その近隣に控訴人に対する不穏な情況があったので転居することを決意し、妻菊枝と移転先を物色していたところ、本件建物(当時、木造瓦葺平家建床面積65.85平方メートル)が売りに出されていることを知り、党のために売主と交渉を重ねた結果、当初の価額金530万円を金475万円に値引きさせるなどして売買契約を締結させた。右の購入代金は党が支出したが、党としては、前記のとおり控訴人の多年にわたる功労に報いるために、その当初から控訴人の終生の住居に供する目的で本件建物を買い受けたうえ、これを控訴人に貸し渡したものである。このことは、党において本件建物を買受けるにあたり、党の一般の資産とは区別してその費用が支出されたこと、また、その所有名義も党の一般の資産であればその取扱上阿部義美名義とすべきところを、わざわざ安井正幸名義としていることからも明らかである。

3 本件建物入居後の事情
[11] 控訴人は、本件建物入居後、平家建の一部を2階とすることを計画し、自らその設計をして増築工事を行ったうえ、右工事費については、控訴人が当時党本部に預けてあった金160万円のうちから支払われている。また、控訴人は、本件建物に控訴人の身体の安全を守るための特別な造作を施したほか、畳、襖の取替、下水道工事、浄化槽跡地の埋立工事をすべて自己の費用で行ったし、右跡地の買取方を隣人に交渉するなどして、当初から名実ともに自己の終生の住居として本件建物に引続き居住し、かつ、これに必要な整備や手直しなどを施してきた。
[12] 控訴人は、党に対し、本件建物の賃料として毎月金2万2000円を支払い、昭和53年1月以後は右金額を供託している(なお、前記のとおり、本件建物の2階増築費用は控訴人が党に預けてあった金員から支出していること、畳、建具の維持、保存等の費用を控訴人が負担していること及び控訴人が党から支払われる月々の活動費(給料)は著しく低額であること等を考慮すると、右は本件建物の賃料として低額すぎるということはない。)。
[13] 以上のとおり、本件建物の利用関係は借家法の適用される賃貸借契約であり、しかも控訴人が終生利用できるものであるから、被控訴人の明渡しの請求は理由がない。
1 認否
[14] 抗弁の冒頭の事実は否認する。
[15] 同1の事実中、控訴人が戦前からの党員であり、昭和33年から昭和52年までの間党中央委員等の役職を務めたこと、控訴人の妻菊枝が昭和20年に入党したことは認めるが、その余の事実及び主張は不知ないし争う。同2の事実中、控訴人が昭和35年ころ都内渋谷区代々木初台の借家に居住していたこと、その近隣に不穏な行動があったため転居するに至ったこと、本件建物の購入代金は金475万円であり、これを党が支出したことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。同3の事実中、控訴人が本件建物入居後、2階を増築したこと、控訴人が本件建物の使用料として月額金2万2000円を党に支払っていたことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。なお、被控訴人は控訴人からその入居当初月額金1万5000円、昭和46年6月以降月額金1万7000円、昭和50年1月以降月額金2万2000円を受領しているが、これは本件建物の使用料であり、賃料ではない。

2 被控訴人の主張
[16](一) 本件建物は、党中央委員会がこれを管理し、党の役員その他党の定める者のうち党活動上必要ある者をこれに居住せしめ、緊急の場合でも随時かつ敏速に党務を遂行させるため同委員会が必要と判断した場合には、随時入居、明渡し、転居等の処置をなし得るものとして利用させてきたものである。
[17] 控訴人は、戦前から党の幹部であり、戦後党中央委員会の役員等の要職を歴任してきたものであるが、党中央委員会幹部会員に在任中の昭和38年5月ころ本件建物に入居し、それ以来控訴人の住居として本件建物を引続き占有使用している。これは被控訴人の機関である党中央委員会が当時控訴人をして右任務を遂行させるのに必要であると認め、党の必要とする場合にはいつでも明渡す旨文書(以下これを「本件念書」という)をもって控訴人に確約させたうえで利用させたものである。
[18] 控訴人は、昭和52年10月17日より同月22日までの間に開催された党第14回定期大会において、党中央委員に選任されず、党中央委員会幹部委員及び同委員会幹部会副委員長(以下「党副委員長」という。)の役職を離れ、さらに、同年12月反共雑誌「週刊新潮」に党を攻撃する文章を発表するという党規違反を敢えて行ったため、党は、やむなく同年12月30日、控訴人を党より除名した(以下「本件除名処分」という。)。
[19](二) 前述のとおり、被控訴人と控訴人間の本件建物の利用関係は、被控訴人の党組織内における施設利用関係であって、党中央委員会が必要と認めるときは、入居者である控訴人に随時その明渡しを求め得るものにほかならない。控訴人は、その趣旨を十分承知し、かつ、同委員会に本件念書を差し入れたうえで、本件建物に入居したものであり、同委員会が党のために必要と認め、控訴人に本件建物の明渡しを求めている以上、控訴人は被控訴人にこれを明け渡さなければならない。
[20](三) 仮に、叙上のような施設利用関係とは認められないとしても、本件建物の利用関係は、党の役員その他党の定めた地位及びその活動上の必要性に基づき、これを前提として認めている特別の使用関係というべきところ、前記のとおり、控訴人は、党から除名されて党員たる地位を失ったことによって、本件建物の使用権限をも当然に失なったというべきであるから、被控訴人に本件建物を直ちに明け渡すべきものである。
[21] (一)の事実のうち、控訴人の経歴、役職、本件建物への入居時期及び控訴人が本件念書に署名したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。
[22] なお、本件念書は、控訴人が本件建物入居後の昭和43年ころ、党が議員用の宿舎を多数設置したが、その当時党の必要上宿舎に関する念書を入居者らに一斉に作成させた際、控訴人にも同様の印刷用紙が回付されてきたので署名したものであり、特に本件建物だけを対象として作成された文書ではない。

[23] (二)、(三)の各主張はいずれも争う。
[24] 仮に本件建物の利用関係が賃貸借であるとしても、右賃貸借には期間の定めがなかったところ、被控訴人は、控訴人に対し、昭和53年1月14日到達の書面で6か月の猶予期間を置いて解約の申入れをしたものであり、右解約申入れには以下に述べるように正当事由がある。
[25] すなわち、控訴人が現在居住している本件建物は、党が党幹部に対し、その活動上の必要から使用させている施設の一つであり、現在、党中央委員会幹部会の副委員長、常任幹部会委員等の主要幹部のなかには、党の施設あるいは借家に住んでいるが、それがいずれも遠隔地にあって、党本部間の出退勤や連絡等に不便な状態にあるため、党本部に近い場所に移転することを必要としている者も何人かいる。本件建物は、都内渋谷区代々木にある党本部から比較的近い距離にあるし、これを党幹部の居住に供することのほか、党活動のために被控訴人が使用したい場合も少なくないのである。
[26] また、本件建物は、本来党活動上の必要から設けている施設にほかならないのであるから、党の幹部でもないし、勤務員でもなくなった者に対して、党がその明渡しを求めるのは当然というべきである。まして、控訴人は、前記のように党から除名されているうえ、党を批判攻撃し、党に損害を与えている者なのであるから、控訴人を党の施設に置いておく根拠はあり得ないし、これを放置するのは、被控訴人の政治団体としての目的にも反することになるので、この点からして、控訴人に本件建物の明渡しを求める必要性と緊急性があるといわねばならない。
1 認否
[27] 被控訴人が控訴人に昭和53年1月14日到達の書面で6か月の猶予期間を置いて明渡しを求めたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

2 控訴人の反論
[28] 被控訴人のした本件除名処分は次のとおり無効なものであるから、これを前提とする賃貸借契約の解約の申入れは効力を生ぜず本件建物明渡しの請求は許されない。すなわち、控訴人が党第14回定期大会において党中央委員会役員に選出されなかったうえ、本件除名処分を受けるに至ったのは、党活動について控訴人と意見、見解を異にする当時の党中央委員会幹部会委員長(以下「党委員長」という。)宮本顕治(現党中央委員会議長)の指導のもとに控訴人を党から排除する目的で実行された一連の行動であって、右処分は党規約前文の「意見が違うことによって組織的な排除を行なってはならない」とする規定に違反しており、手続的にも又実体的にも違法無効のものである。以下、この点について、さらに詳述する。
(一) 本件除名手続の違法性について
[29](1) 被控訴人のした本件除名処分は、党規約の手続規定に違反している。すなわち、右規約によれば、党員の除名については最も慎重な取扱いが必要とされており、党員の除名を決定し、又はこれを承認する場合には関係資料を公平に調査し、本人の訴えを聴き取らなくてはならないとされ(規約第68条)、また、所属組織は処分を受ける者に十分弁明の機会を与えるべきものであり(同第69条)、党員は自己に対して処分の決定がされる場合には、その会議に出席することができる(同第3条第7項)とされている。しかるに、控訴人に対する本件除名処分については、後記のとおり、党において、公平な調査をせず、また、控訴人の訴えを聴くこともなく、控訴人に十分弁明し得る機会をも与えられなかったのである。
[30](2) 党は、控訴人に規律違反の疑いがあるとして党常任幹部会内に調査委員会を設置したというが、右委員会は当時の宮本委員長の意向により設けられたものであって規約上の根拠はなく、その設置の理由も明らかでないし、僅かに形式的な調査をしただけで、十分な討議をすることなく、控訴人に対する当該処分を決定したものである。まして、控訴人は、右委員会を設けることに同意してはいないし、右委員会を設置することが決定されたことすら知らない。また、当時控訴人は健康がすぐれなかったため、右委員会への出席に応じられなかったものである。
[31](3) 党は、昭和52年4月末ころ、控訴人に対し党員としての権利を制限する旨の決定をしたが、これは同年10月開催予定の党第14回定期大会とそれに続いて党幹部を決定する党中央委員会に控訴人を出席させず、かつ、党役員への推薦をさせないために仕組まれたものであって、他に右の権利制限処分をする必要があったとは認められない。そして、被控訴人のした右処分は控訴人を会議に出席させておらず、また、その制限すべき権利の範囲をも特定していないし、右処分の内容を記載した文書を控訴人に示していないから、右権利制限処分は、党規約第3条第7項に違反しているものである。このような違法な手続を前提としてされた本件除名処分の手続も違法である。
[32](4) 党において党員を処分したときは、被処分者に対し、その理由を通知すべきことになっているが(党規約第69条)、本件除名処分についてされた党中央委員会書記局からの通知は、控訴人の行為が党規約前文(三)ないし(五)、第2条(一)、(二)、(五)ないし(九)に違反する旨を指摘しただけの極めて抽象的、かつ不明確なものであり、控訴人のいかなる行為がどの条項に該当するのか明らかにされていない。
(二) 本件除名理由の違法性について
[33](1) 本件除名処分の最大の理由は、「控訴人が週刊新潮に党を攻撃する文章を発表した」というのであるが、同誌には、昭和50年ころ当時の宮本委員長自身が党の内部問題にまで触れた内容の文章を発表したこともあり、同誌を反共雑誌とする理由はない。そもそも、控訴人が前記週刊新潮誌上で批判したのは右宮本委員長の言動であって、党を批判攻撃する内容ではない。また、控訴人の除名が決定されたという昭和52年12月30日には右雑誌は未だ発売前であったから、党にはその文章内容も明らかになっていなかった筈であり、本件除名処分が不当なものであることは右の点からも明らかである。
[34](2) また、控訴人が「1976年(昭和51年)12月7日、衆議院議員総選挙後の常任幹部会々議で宮本委員長及び常任幹部会員に批判を加え、数年来控訴人の妻や身辺の同志などにまで、党中央の方針や活動を非難するなどしたのは、党中央に反対する自分の同調者を作ろうとする悪質な分派活動に通ずる」とされている点については、右の常任幹部会々議は右選挙において党が敗北した直後に開かれたもので選挙活動に対する反省、批判が出されることは当然であり、しかも、党員は党の政策について討論し、組織や個人に対して批判することができる(党規約第3条)のであるから、控訴人が党の選挙活動等に対し批判的発言をしたとしても、これについて責任を問われるべき理由はない。また、控訴人が妻や身辺の同志にまで、常任幹部会の個々の同志に対する攻撃を無規律に行なったとはどのような事実を指すのか不明であるが、控訴人は、いずれにしても、そのようなことをしてはいない。
[35](3) さらに、控訴人が「党にかくれてソ連共産党中央委員会に個人的使者を送った。これは営の国際関係を傷つける重大な規律違反である。」との点については、控訴人は個人的に特使や密使を派遣した覚えはない。コワレンコソ連共産党中央委員会極東部長に控訴人の実弟である袴田陸奥男の帰国は党及び控訴人にとって迷惑であるから同人を帰国させないで欲しい旨依頼したことはあるが、これを「個人的使者を送り」などと考えることは甚しい誤解である。
[36](4) なお、控訴人が「野坂議長(当時)スパイ説をでっちあげて党の団結と規律に正面から挑戦し、党への破壊行為を行なった」との点については、右野坂スパイ説は、控訴人が長年疑惑として抱いていたことを指摘したものであり、控訴人としては、党において右の重大な事実を調査せずに放置しておきながら、右疑惑についての控訴人の言動のみを調査することの不当性を主張したのであるが、その当時、既に右疑惑に関する資料を党に提出していたものである。
[37] 以上のとおり、被控訴人が本件除名の理由として掲げるものは、いずれも正当な理由がない。
[38](三) 被控訴人は、後記のとおり、本件除名処分の適否は司法審査の対象となり得ない旨主張する。しかしながら、憲法は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない(第32条)」と規定し、法律上の争訟については司法権の審判によって解決すべきものとしており、右原則は裁判所法第3条に明確に規定されているところ、政党の内部的処分決定も法律上の争訟というべきであるから、本件除名処分の適否についても司法審査の対象となることは明らかである。
[39] 仮に政党の内部的自律権を尊重し、その自治的措置に委ねられるべき事項があるとしても、本件除名処分のように、被処分者である控訴人にとって著しく不利益であり、かつ、重大な事項については司法審査の対象となるというべきである。
[40] 六の2の冒頭の事実及び主張はいずれも否認ないし争う。同2の(一)の事実中、昭和52年4月29日党が控訴人に対し権利制限の決定をしたこと、党中央委員会書記局から控訴人の行為が党規約前文(三)ないし(五)、第2条(一)、(二)、(五)ないし(九)に違反する旨明示して通知したことは認めるが、その余の事実及び主張はすべて否認ないし争う。同2の(二)の事実中、被控訴人において、控訴人の掲記する事項を本件除名の理由としたことは認めるが、その余の事実及び主張はすべて否認ないし争う。同2の(三)の主張は争う。

[41] 本件除名処分の適否は、政党の内部自律権にゆだねられるべきもので、司法審査の対象とはなり得ない。その理由は、次のとおりである。
[42](一) 政党は憲法第21条で保障されている「結社の自由」に基づいてその自律権を広く認められているところ,右の「結社の自由」とは、これを政党についていえば、憲法第19条の「思想信条の自由」と結びついて政党の結成、政党への加入、脱退の自由を広く保障するとともに、政党自らの組織運営について自治の権利を保障しているものと解される。したがって、政党に対する功労者の処遇、党役員の選定、党員の除名及びその当否等はいずれも右の「結社の自由」に基づき、同志らの定めた綱領、規約等に賛同し、又はこれを承認した者の任意、かつ、自発的な加入団体である政党の内部自律権に属する事項として、これを十分尊重さるべきものであるから、右事項については、司法審査の対象とはなり得ないというべきである。
[43](二) 仮に、政党のした党員に対する除名処分の適否が司法審査の対象となる場合があるとしても、それは当該政党の定める党規約上の手続違背の点に限られると解するのが相当であるところ、被控訴人のした本件除名処分は、以下詳述するとおり、党規約に従って適正にされたものであって、手続上の瑕疵は全く存在せず、その効力を疑う余地のないものである。
[44] すなわち、党員に対する権利の制限は、党規約第61条第2項(党第13回大会で定められたもの)の「規律違反について、調査審議中のものは、第2条の党員の権利を必要な範囲で制限することができる」との規定に基づくものであり、右権利制限については、その決定に際し被調査者本人の出席を必要とするというような規定は党規約上どこにもない。
[45] ところで控訴人には重大な党規約違反の疑いがあったため、昭和52年2月5日党常任幹部会内の調査委員会の調査に付されたうえ、当時、控訴人に対し党常任幹部会や調査委員会に出席弁明の機会を与えたのに、控訴人は、これにほとんど出席せず、他方で党の内部資料の提出を執拗に請求し、これを党攻撃の材料にするなどして党に損害を与える危険が明白になったので、同年4月29日調査の過程での一時的な防衛的措置として右権利制限がされたのである。しかも、控訴人は、当時党中央委員会に対し、右権利制限の措置に対する異議申立や解除請求をせず、また、党大会への出席要求等をもすることなく、右権利制限の措置に従ってきたのである。
[46] そして、控訴人は、右権利制限中であったために党中央委員に推薦されなかったのではなく、党中央委員会によってその活動状況から党役員として不適格と判断されたために党の右役員に推薦されなかったのである。また、本件除名処分がされた当時、控訴人は、党中央委員会の役員でなくなっていたし、特定の基礎組織(支部等)にも所属していないという特殊事情のもとにあったので、党規約第64条第2項が適用され、本件除名処分は党の統制委員会が行ったものである。そして控訴人の党規約違反の事実については、前記のとおり党常任幹部会内の調査委員会による調査の結果、その違反行為が明らかになっている。しかも、被控訴人としては右調査の段階で控訴人に対し党常任幹部会、又は調査委員会への出席弁明の機会を再三与えたのに、控訴人はその出席を拒否して弁明をしようとしなかったうえ、中央委員会役員でなくなった後も右統制委員会から再三出頭を要請されながらこれを拒否していたのであるから、党規約第69条所定の被処分者の弁明の権利を自ら放棄したものというほかはない。
[47] さらに、控訴人は、党規約第69条第2項の処分に対する再審査を求め、かつ、党中央委員会及び党大会に至るまでの上級機関に訴える権利を一切行使しておらず、また、これまで当該処分の有効性については何ら争っていないのであり、このことからしても本件除名処分が適法になされたことは明らかである。
[48](三) なお、仮に本件除名処分の理由、内容まで司法審査の対象となり得るとしても、本件除名処分は、前述のとおり控訴人が党に対する重大な規律違反をしたため、被控訴人が党規約に基づいて適正にしたものであるから、もとより相当であり、適法、有効なものである。
[49] 被控訴人の本件建物明渡しの請求は、信義則に反し又は権利の濫用であって許されない。

[50] 控訴人は、前叙のとおり、戦前から党のためにすべてを捧げ、多大の貢献をした者であり、被控訴人は、控訴人の右功労に報い、その生活の本拠と活動の安全を確保するため、本件建物を終生の住居として控訴人に提供したものであるのに、控訴人が党中央を非難したとの理由で党員としての権利制限をしてその活動を制限し、党中央委員会役員として選出されるべき機会を奪ったうえ、除名の口実のもとに本件建物の明渡しを求めているのであるが、控訴人は、既に高齢であって、心臓病の持病があるうえ、収入もない状態である。このような状況のもとで、被控訴人が控訴人に本件建物の明渡しを求めることは、信義則上許されないというべきである。
[51] 仮に、本件念書が有効であるとしても、右念書の内容となっている本件建物についての約定は、控訴人の党に対する通常の信頼関係が存在することを前提としているところ、被控訴人の控訴人に対する前記のような迫害行為により、右当事者間の信頼関係は失なわれているのであるから、被控訴人が右念書に基づいて本件建物の明渡しを求めることは、信義則上許されないというべきである。

[52] 前記のとおり、控訴人は高齢で心筋梗塞等の持病があり、その妻も高血圧症で十分な労働能力がなく、他に頼るべき家族のない老人夫婦であって、月々の僅かな年金を頼りに生活しているのがその実情であり、他に転居することは著しく困難である。他方、被控訴人は、多数の不動産と財力があり、本件建物以外にも容易に建物を獲得しうるものである。
[53] また、被控訴人は、控訴人の従前の功労を無視し、報復的な強行手段でいたずらに控訴人を困惑させ、窮地に陥れる目的をもって本件建物の明渡しを求めているものであり、このような経緯に照らせば、被控訴人の控訴人に対する本件建物明渡し請求は、権利の濫用というべきである。
[54] 八の事実は否認し、その主張は争う。

[1] 請求の原因1の事実及び控訴人が昭和53年8月1日以前から本件建物を占有していることは、当事者間に争いがない。

[2] そこで、控訴人の抗弁について判断する。

[3]《証拠略》を総合すると、以下の事実が認められる。
[4](一) 控訴人は、昭和3年日本共産党に入党し、以来、戦前の治安維持法違反等により2回投獄されながらも党幹部として党の存続発展に貢献し、昭和33年以降は党中央委員、党常任幹部会員等の役職を歴任し、昭和52年当時は党副委員長等の役職に就いていた。また、その妻菊枝も昭和20年に日本共産党に入党し、以来、控訴人を助けながら党活動を行ってきた(右事実については当事者間に争いがない。)。
[5](二) 控訴人は、以前党から賃料の一部の援助を受けて、東京都渋谷区代々木初台の借家に居住していたところ、昭和35年ころに至って隣家から控訴人方の屋内までスパイ活動されるなどの不穏な状況があったことから、他所に転居することを思い立ってその旨党に申し出ていた(右事実については当事者間に争いがない。)。
[6](三) 当時、被控訴人としては、控訴人が党幹部として重要な人物であることから、控訴人の身の安全とその党活動を保障するため、控訴人の右申出のとおり転居の必要があることを認め、適当な住居を入手する方針を立て探していたところ、たまたま本件建物(当時、木造平家建床面積65.85平方メートル)が新築の建売住宅として売り出されていることを知り、本件建物が党活動等に種々の好条件を具備していることから、当時党の不動産関係事務を扱っていた高山秀夫と控訴人の妻菊枝らが売主と交渉を重ねた結果、金530万円の販売価格を金475万に値引きさせてこれを買い受けることとし、そのころ党において右代金全額の支払いを済ませたうえ、昭和38年5月ころ、控訴人とその妻菊枝を本件建物に入居させた。
[7](四) その当時、被控訴人は、党所有の不動産等については、登記簿上の所有名義をすべて当時の党財政部主幹阿部義美の個人名義としていたが、本件建物を同人名義で登記すると、党が買主であることが売主に判明し、その買い受けに悪影響を及ぼすのではないかとの配慮から、本件建物については、その所有権保存登記各義を党員の安井正幸とした(なお、右登記名義は、昭和46年4月10日阿部義美に、昭和49年3月1日島川康助にそれぞれ変更されている。)。
[8](五) 控訴人及びその妻菊枝が本件建物に入居した際、控訴人と党との間には、本件建物の使用等についての文書による約定は勿論なく、また、建物の使用期限、使用料その他の使用条件等に関する口頭による取決めもされていなかった。
[9](六) 被控訴人は、控訴人が本件建物に入居して以来約5年近くの間、その固定資産税等をすべて納付しながら、控訴人から使用料を徴収することなく、控訴人に本件建物の使用を委ねていたが、その後、控訴人に本件念書を差し出させた昭和43年4月ころから、本件建物の使用料として月額金1万5000円を徴収するようになり、右金員は、昭和46年以降月額金1万7000円、昭和50年以降月額金2万2000円にそれぞれ増額された。
[10](七) 控訴人は、昭和40年3月ころ、それまで平家であった本件建物の一部を2階建に増築することを考え、このことを党に申し出たところ、党はそのころ控訴人や妻の菊枝の意向に従い、党の費用約金160万円をかけて2階の増築工事をした。
[11](八) 被控訴人は、昭和40年ころに至ってようやく党の内部組織が整備されてきたことから、党の施設使用内規を制定したが、翌昭和41年ころ党幹部の岡田文吉が死亡した際、党が生前利用させていた家屋の明渡しを同人の妻に求めたところ、その妻らは、右家屋は党から贈与を受けたものである旨主張してこれを争うとともに右家屋を反党活動の拠点として利用するなどしたため、訴の提起を余儀なくされ、3年がかりで和解によってようやく解決をみた苦い経験から、この種事件の再発を防止するため、昭和43年3月ころ、当時党の施設居住者全員に対し、本件念書と同一趣旨内容の書面を党に差し出させることとし、そのころ控訴人に対しても当該念書の用紙を交付してその提出を求めたところ、控訴人もこれを了承して、同年4月ころ、同用紙に署名し、本件念書を党に提出した(なお、前記の使用内規第2条中には党の施設利用者は「念書」を提出すべき旨規定されているが、実際には、それまで右規定の趣旨が徹底せず、当該「念書」は提出されていなかった。)。
[12](九) 控訴人は、本件建物入居後、本件念書を差し出したころまでは、本件建物の畳、襖等の修繕を自己の費用で行っていたが、その後においては、本件建物の修理等についてはすべて党がその費用を負担してこれを行うようになり、また、昭和49年ころには、被控訴人においてそれまで借地であった本件建物の敷地をも買受けてその所有権を取得した。
[13](一〇) その後、控訴人は、党中央委員会幹部会員等として党活動を続けていたところ、昭和52年10月17日から同月22日までの間開催された党第14回定期大会において、党中央委員に選出されなかったうえ、その後独断で党内部に関する「手記」を「週刊新潮」に発表したため、その記事内容や控訴人の活動状況等の当否などについて、党内部で大きな問題として論議されるところとなったが、そうした最中の同年12月27日、被控訴人の当時の管財部長島川康助に対し、電話で本件建物の明渡しはしない旨言明した。そこで、被控訴人としては、さきに控訴人が党中央委員に選任されなかったことによって、それまで在住していた党副委員長等の党幹部としての地位も無くなっているうえ、本件建物を利用し得る前提的な党内の資格をも失われている筈であるのに、控訴人の右主張を認めることは、党に対する控訴人の批判を認めたものと受け取られかねないところから、控訴人に本件建物の明渡しを求める方針を決定し、同日内容証明郵便をもって右明渡しを求め、さらに、控訴人に対する党の除名処分がなされた後、昭和53年1月14日到達の書面で、6か月の猶予期間をおいて本件建物の明渡しを求める旨重ねて請求したが、控訴人は、これに応じようともせずに、引続き本件建物に居住している。
[14] 以上の事実が認められる。《証拠判断略》

[15] 右認定の事実関係、このうち、控訴人が本件建物に入居するに至った経緯、入居目的、本件念書の記載内容、被控訴人において本件念書を作成させるに至った直接の動機、その必要性、本件建物使用料の徴収状況、使用料額の決定状況、特に本件建物の使用料については、当初5年間近くの間徴収されていなかったうえ、途中で増額されてはいるが昭和50年1月以降のそれは月額金2万2000円であって、一般借家の家賃とは到底比較し得ない維持費程度の低廉な金額であること(なお、本件建物を賃貸した場合の適正賃料額は、昭和53年8月当時月額金13万2000円をもって相当と認められること後記のとおりである。)などを総合すれば、被控訴人・控訴人間において、控訴人の主張するような賃貸借契約が締結されたものとは到底認めることはできず、他に控訴人の主張を認めるに足りる証拠はない。

[16] そうすると、被控訴人の抗弁は理由がないこととなる。

[17] しかしながら、被控訴人は控訴人の本件建物の使用権原(被控訴人と控訴人間の本件建物の利用関係)について特に主張をしている(事実摘示三の2)ので、本件の事案にかんがみ念のためこの点について判断する。

[18] 前記二の1で認定した事実によれば、被控訴人は戦前から戦後における幾多苦難の時代を通じて党務に専念した控訴人の、党に対する多大な功績に報いるとともに、当時党副委員長の要職にあった控訴人の住居を確保することによってその身体の安全と職務の遂行を保障する目的で、本件建物を新たに買い入れたうえ、これを当初から控訴人に住居として利用させてきたものであることが明らかであるから、本件建物の利用関係は、党の組織内における施設の利用関係であるが、被控訴人の主張するように、党が必要と認めた時はいつでも明渡しを求め得るものと解するのは相当でなく、控訴人の党に対する叙上の功績と党幹部としての地位を有することを前提として、これに相応しい処遇をするとともに、その任務の遂行を保障する目的でされた無名契約に基づく党施設の特別の使用関係というべきである。したがって、控訴人は、党幹部としての地位(この地位は、単に党副委員長の役職のみでなく、控訴人の多年の党に対する功績等に鑑み、かなり広く解すべきものと考えられる。)に在る限り、本件建物を引き続き利用することができるが、右の地位を失なった時は、党の要求に応じて、本件建物を明渡さなければならないことになるものと解するのが相当である。

[19] ところで、被控訴人が、控訴人は党第14回定期大会において党中央委員に選任されなかったので、従前の党幹部としての地位を失い、かつ、本件建物を利用し得る前提資格をも失ったものであるとする見解のもとに、昭和52年12月27日付内容証明郵便をもって控訴人に本件建物の明渡しを請求し、さらに控訴人に対する党の除名処分がされた後、昭和53年1月14日到達の書面をもって、6か月の猶予期間をおいて本件建物の明渡しを重ねて請求したことは、前記認定のとおりである。そうすると、少なくとも、被控訴人のした本件除名処分が有効で控訴人が党員資格を失ったものである限り、控訴人は、被控訴人に対し、右請求を拒み得る理由はなく、本件建物の明渡しをすべき義務があることは前記1の説示によりすでに明らかである。

[20] ところで、控訴人は、被控訴人のした本件除名処分には手続的にも、また、実体的にも重大な瑕疵があり、本来違法無効なものである旨主張するので、以下これらの点について判断する。
[21](一) まず、本件除名処分が司法審査の対象となるか否かについて検討する。
[22] 憲法は政党について格別規定するところがないが、憲法の規定する議会制民主主義は政党を抜きにしては到底その円滑な運用を期待できないことが明らかであるから、憲法は政党の存在を当然に予定しているというべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の担い手であるとともに、国民の政治意思を形成する最も有効な媒体であるということができる。そして、この見地からすれば、政治結社である政党は、必然的に高度の公共性をもつ団体であり、かつ、憲法第21条の規定によって保障されている結社の自由を高度に与えられて然るべき団体ということができる。このような議会制民主主義の重要な担い手である政党は、一定の政治上の主義、思想等を同じくする者が任意に結成する政治結社であり、その成員である党員に対し、政治的忠誠を強く要求することができるものと解すべきであるから、政治的意見、信条を異にする党員は、その政党を離脱すべきであり、また、独自の見解のもとに政党の方針に反する行動をするような党員に対してその政党において相応の制裁を課し得ることは、前記のような政党の目的、性質からして当然のことと言わなければならない。したがって、政党については、憲法第21条に定める結社の自由として、その結成ないし加入、脱退の自由が保障されているとともに、自らの組織運営について高度の自治権ないし自律権を有することも保障されているものと解される。そうすると、政党の組織、運営に対しては、原則として、公権力の介入は許されないものであり、政党内部の党員に対する除名その他の制裁処分についても、政党の内部的自律権によるものとして、裁判所もこれを十分尊重するのが当然である。
[23] しかしながら、他方、政党といえども前述のように憲法上その存在を予定された団体であるから、政党の組織や運営が憲法の所期する民主主義の原理に則ったものでなければならないことは、憲法上の当然の要請であり、したがつて、政党の内部的自律権による制裁処分についても、公正な手続によるべきが当然であるとともに、その構成員の権利利益についても政党の目的、性質に反しない限り十分配慮されるべきことは当然である。
[24] これらの見地に立って考えると、政党の内部的自律権による制裁処分については、それが個人の権利、利益の侵害をもたらす場合において、当該処分の手続自体が著しく不公正であったり、当該処分が政党内部の手続規定に違背してされた等手続的な問題については裁判所がこれを司法審査の対象としてその適否を判断することができるが、当該処分を課すべき理由があるかどうか又は当該処分を選択したことが相当であるかどうかの実体的な問題については、原則としてこれを政党の内部的判断にゆだねるべきであり、その適否を司法審査の対象とすることができないのであって、ただ、当該処分の理由の有無の認定が著しく恣意にわたりまたその処分の選択が不法な動機に基づきあるいは制裁の目的を著しく逸脱する等の制裁権の濫用があるか否かについてのみ司法審査の対象となり得るものと解するのが相当である。
[25](二) そこで、本件除名処分に、果して控訴人の主張するような党規約違反等の手続上の瑕疵があったのか否かについて検討する。
[26](1) 《証拠略》を総合すると、以下の事実が認められる。
[27](ア) 控訴人は、昭和51年暮に施行された衆議院議員総選挙の開票日の翌日である同年12月7日、党常任幹部会々議の席上、当時の宮本委員長、不破書記局長の発言があった後、自ら求めて党の選挙活動や政策等を批判するとともに、戦前の治安維持法違反等被告事件に対する党の態度、さらには、右宮本委員長の獄中での生活等についてまでも言及してこれを激しく批判する発言をし、興奮の余り持病の心臓発作を起こして、右会議の中途で退席したが、そのために党幹部らに大きな衝撃を与えた。
[28](イ) しかも、控訴人は、右の心臓発作で会議の席から退席した後、直ちに代々木病院の医師の手当を受けたが、その際、右医師らに対しても前記会議の模様を話したほか、宮本委員長は党の独裁者であり、横暴であるなどと党指導者を非難する内容の発言をしたことから、これが党本部に伝わり、党としては、控訴人の党外部における右発言には党の規約に違反する疑いがあるため、これを問題としないわけにいかなくなり、昭和52年2月5日の党常任幹部会々議の席上、右宮本委員長からの提案により、控訴人に対する右疑いについて事実関係を調査するため、党常任幹部会内に特別の調査委員会を設置することが決定され、その特別委員会委員には、当時の不破書記局長、戎谷統制委員会委員長、諏訪組織局長が選任された(後に、西沢党副委員長もこれに加えられた。)。その際、控訴人も、昭和51年12月7日の党常任幹部会々議における自己の発言内容には言い過ぎの点もあった旨の発言をしたうえ、右調査委員会を設置することもやむを得ないものとして、これに同意した。
[29](ウ) その後、右調査委員会は、早速その活動を開始し、昭和52年2月8日、控訴人に出席を求め、主に右不破書記局長が中心となって控訴人に対し党内部の問題を外部で発言したか否かの点について質問したところ、控訴人は、その質問の仕方が弁明の機会を与えない一方的なもので、長年にわたって党に尽くした功労者である控訴人に対し適当でないとして憤激し、その調査を拒否して退席した。
[30](エ) そして、控訴人は、同月15日前記代々木病院に心筋梗塞のため入院し、右病気を理由に党の常任幹部会々議にも出席せず、また、前記調査委員会の出席要請にも応じなかった(控訴人は、右のとおり代々木病院に入院中ではあったが、右調査委員会の調査に応じられない程重篤な病状ではなかった。)。そのため、同調査委員会は、控訴人本人に対する調査を後に回し、先に関係者を党本部に呼んで調査したところ、新たに、控訴人がソ連に個人的に使者を送ったとの事実を聞知したので、右事実を従前の党規約違反の疑いの事実に加えて調査が続けられた。
[31](オ) 他方、控訴人は、これらの調査に対抗するようにして、被控訴人に対し党副委員長等の権限に基づいて党の組織や人事に関する内部資料の提出や報告を求めるとともに、党の政策、活動方針を批判する文書や電話による口頭の意見を党本部に寄せるなどした。そのため、被控訴人は、このような言動を続けている控訴人をそのまま放置しておくことは回復できないような重大な損害を被るおそれがあると判断し、同年4月28日の党常任幹部会々議において、さきの党第13回大会で定められた党規約第61条第2項(党第14回大会により第62条第2項となる。)の「規律違反について、調査審議中のものは、第3条の党員の権利を必要な範囲で制限することができる。ただし、6か月をこえてはならない。」との規定に基づいて、控訴人に対し6か月間党員としての権利を制限する措置をとることとし、翌29日これについて党統制委員会の同意を得たうえ、即日その旨の正式決定をした。
[32](カ) 控訴人に対する右権利制限の措置は、控訴人の党中央委員・党副委員長等党幹部としての権限を制限し、右の役職に伴う権利(具体的には、党常任幹部会々議等に出席する権利、右会議等における配付資料、文書等の交付を要求する権利など)を右期間停止するものである(但し、これによっても党内での選挙権、被選挙権(党規約第3条(三))党指導機関に対し、質問し、意見を述べ、回答を求める権利(同条(四))等党員としての基本的権利を制限することはできない。)。そして、右措置は、前同日午後9時ころ、当時控訴人が入院中であった代々木病院の病室において、党の代理者である前記調査委員会委員の戎谷、西沢両名から控訴人に対し直接口頭で告知されたが、その際、控訴人は、自分の出席していない党常任幹部会々議の決定には承服できないとしてこれを聞き入れようとしなかった。
[33](キ) 控訴人は、前記権利制限措置のあった翌日の同月30日代々木病院を退院しながら、なお前記調査委員会への再三の出席要請にも応じないでいたところ、同年8月10日に至ってようやく前記調査委員会に出席したが、その際、前記宮本委員長にこそ党規約違反の事実があるとか当時の野坂議長にはスパイの疑いが強いとかいう趣旨の発言をし、右スパイに関する秘密資料を持参しているとして、用意していた資料を右調査委員会に提出したりした。
[34](ク) その後、同年10月17日から同月22日にかけて党第14回定期大会が開催されたが、控訴人は、右大会の会期中前記のとおり党員としての権利制限を受けていたことから、右大会の招集通知もなくこれに出席することはできなかった。しかも、右のような事情もあって、控訴人は、右大会において党中央委員に選出されなかったし、そのため必然的に党常任幹部会員、党副委員長等の役職を失うこととなった。
[35](ケ) その間、前記の調査委員会は、控訴人に対する党規約違反の疑いについて関係者約20名から事情聴取をしていたが、前述のとおり控訴人が党中央委員会役員の地位を失なった後は、特定の基礎組織(支部)にも所属していなかったことから、控訴人に対する処分については、党統制委員会がこれを決定することとなった(党規約第64条第2項、なお、党中央委員会の委員、准委員に対する処分は同第66条の規定により党大会の決定を要し、党大会が開けない場合等には、党中央委員会の3分の2以上の多数決により決定し、次の党大会で承認を受けなくてはならないとされている。)。
[36](コ) 前記のとおり、控訴人は、党員としての権利を制限され、党内部で発言する機会が得られなくなったことから、自己の主張を社会に発表する方法としては、一般週刊誌をその舞台とする以外にないとし、同年10月ころ日本共産党の内部を批判する内容の手記を発表することを決意し、「週刊新潮」の記者に「昨日の同志宮本顕治へ――真実は一つしかない――」と題する「手記」(実際は、右週刊誌の記者が控訴人の口述を筆記したもの)を提供した結果、右「手記」は、その後昭和53年1月12日、同月19日、同年2月2日各発行の右週刊誌に3回に分けて掲載された。
[37](サ) ところで、控訴人の右第1回目の「手記」が登載された「週刊新潮」(昭和53年1月12日発行のもの)は、昭和52年12月25日には既に印刷、製本され、発送を終えた段階にあったことから、党は逸早くこれを入手し、党統制委員会において、右「手記」の内容を検討するとともに、控訴人宅に使者を派遣し、前記控訴人の党規約違反の疑いについて調査上必要があるとして、翌26日党本部に出頭するよう求めたところ、控訴人は、病気を理由にこれを拒否し、その後における党統制委員会からの再三の出頭要請にも応じようとしなかった。
[38](シ) しかし、党員に対する除名処分は党としての最も重い制裁であるところから、党統制委員会としては控訴人から十分な弁明を聴いたうえで処分を決めようとしたが(党規約第69条第1項にも、本人に十分な弁明の機会を与えなければならないと規定されている。)、前述のとおり控訴人が出頭を拒否したことから、これは自ら弁明の機会を放棄したものであるとして党常任幹部会の承認を得たうえで、控訴人からの弁明を聴くことなく、同月30日、控訴人の前記党規約違反の事実、特に、「週刊新潮」に掲載した前記「手記」の内容は党の規律を乱す重大な党規約違反であるとして、控訴人を除名処分とすることを決定し、直ちにその旨の決定を控訴人に通知した(なお、控訴人の妻菊枝についても、控訴人と同様の党規約違反があるとして、右同日除名処分の決定がされている。)。なお、右除名決定の通知書には、控訴人の行為は、党規約前文(三)ないし(五)、同第2条(一)、(二)、(五)ないし(九)の規定に違反するので、同第62条、第63条の規定に基づき同第64条第2項の規定に従って除名処分に付する旨記載されている(右通知書の記載内容については当事者間に争いがない。)。
[39](ス) 控訴人は、叙上のとおり被控訴人から党員としての権利制限の措置をとられたのに、その際、党中央委員会に対し異議の申立や解除請求(党規約第3条(四))をせず、その後開催された党大会への出席要求をすることもなくこれを放置して、党の右措置に従っており、また、除名処分をされた際にも、党規約第69条第2項に救済方法が定められているのに、再審査を求めるとか、党の上級機関に救済を求めるなどの手続は全くとっておらず、当該措置や処分の適否をいずれも争うことはなかった。
[40] 以上の事実が認められる。《証拠判断略》
[41](2) そして、右認定の事実によれば、被控訴人のした本件除名処分には、控訴人の主張するような手続上の瑕疵は全くなく、被控訴人としては、本件除名処分を決定するに当たり、党常任幹部会内に特別の調査委員会を設けて控訴人の党規約違反の有無を調査し、当該被調査者本人である控訴人に対しても再三出頭弁明の機会を与えたのに、控訴人は、その出頭要請を拒否するなどして殆んどこれに応ぜず、党規約上の権利を放棄したものであって、被控訴人のとったこれらの手続に欠けるところはないし、控訴人に対する党員の権利制限が党中央委員に選出される機会を奪うために仕組まれたようなものではないことも明らかであり、本件除名処分の通知書の記載内容が格別抽象的で不明確なものでなく、党規約に基づく再審査申立等に何らの支障もなかったことが十分認められ、他に本件除名処分の効力を妨げるような手続上の不備、欠陥、その他違法不当な瑕疵も見当らない。したがって、本件除名処分は、党の内部機関がその権限に基づいて党規約に従ってしたものであって、その手続には何らの違法もなかったといわねばならない。
[42](三) そして、前記(二)の(1)認定の事実によると、被控訴人のした本件処分について、その理由の有無の認定が著しく恣意的であるとか、その処分が不法な動機に基づきあるいは制裁の目的を著しく逸脱する等の制裁権の濫用にわたることをうかがわせる事情は見当たらず、他に右のような事情を認めるに足りる証拠はない。
[43](四) そうすると、党の内部機関である党統制委員会が昭和52年12月30日控訴人を除名することとした本件除名処分の決定には、その効力を妨げられる事由はないことになるので、有効にされたというほかなく、かつ、これによって控訴人は日本共産党の党員の資格を失なったものというほかないことになる。

[44] 以上説示のとおり、控訴人は、本件除名処分によって、昭和52年12月30日限り本件建物使用関係の前提である原告の党員資格を失い、かつ、被控訴人から昭和53年1月14日到達の書面をもって6か月の猶予をおいて本件建物の明渡しを請求された結果、同年7月13日の経過とともに本件建物を占有使用し得る権原を失い、また、権原なく本件建物を占有していることによって、権原喪失後の同年8月1日以降被控訴人に対し本件建物の賃料相当額である1か月金13万2000円の割合による損害を生じさせているものであることは《証拠略》に照らして明らかなところである。

[45] なお、控訴人は、被控訴人の本件建物明渡し請求は信義則に違反し、かつ、権利の濫用であって許されない旨主張する。
[46] しかしながら、前記認定の事実、特に本件建物の使用関係、控訴人の年齢、健康状態、生活状況、被控訴人・控訴人間の関係、本件明渡請求に至った経緯等を総合すると、被控訴人には党の運営と党内施設の管理上、控訴人に本件建物の明渡しを請求する必要があり、控訴人の主張するように、被控訴人が控訴人の従前の党に対する功労を無視し、報復的な手段で控訴人を窮地に陥れようとするような不当な目的をもって本訴請求に及んだものでないことが明らかであるから、控訴人の前記主張はいずれも採用することができない。

[47] したがって、控訴人は、被控訴人に対し本件建物を明渡し、かつ、不法占有による損害賠償として昭和53年8月1日から右明渡ずみに至るまで1か月金13万2000円の割合による損害金の支払いをする義務があり,被控訴人の本訴請求は、控訴人の右各義務を認めた限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

[48] よって、右と同旨の原判決は正当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法第95条、第89条の各規定を適用し、原判決主文第一項の仮執行の宣言の申立については相当でないのでこれを却下し、主文のとおり判決する。

  裁判官 越山安久 村上敬一
  裁判長裁判官香川保一は転官につき署名押印することができない。
  裁判官 越山安久

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