「石に泳ぐ魚」事件
控訴審判決

損害賠償等請求事件
東京高等裁判所
平成13年2月15日 判決

控訴人 (被告) 柳美里 義江邦夫 株式会社新潮社 坂本忠雄

被控訴人(原告) (匿名)

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


 本件控訴をいずれも棄却する。
 控訴費用は、控訴人らの負担とする。

一 控訴人ら
1 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 右取消しに係る被控訴人の請求を棄却する。

二 被控訴人
 控訴棄却
[1] 本件は、被控訴人が、控訴人柳美里(控訴人柳)の執筆した「石に泳ぐ魚」と題する自伝的小説(本件小説)を公表することは被控訴人の名誉、プライバシー及び名誉感情を侵害するものであるとして、人格権に基づき、控訴人柳、控訴人株式会社新潮社(控訴人新潮社)及び控訴人義江邦夫(控訴人義家)に対して、本件小説及びその一部修正版の出版その他一切の方法による公表の差止めを求め、また、控訴人柳に対して、損害賠償として1500万円の支払を、控訴人新潮社及び控訴人坂本忠雄(控訴人坂本)に対して、損害賠償として1000万円の連帯支払を求め、控訴人柳、控訴人新潮社及び控訴人坂本に対して、謝罪広告の掲載を求めた事案である。
[2] 原判決は、被控訴人の請求のうち、本件小説の出版等による公表の差止め請求を認容し、金銭請求については控訴人柳、控訴人新潮社及び控訴人坂本に損害賠償金100万円の連帯支払を、控訴人柳に損害賠償金30万円の支払を命ずる限度でこれを認容し、そのほかの金銭請求、本件小説の修正版の公表の差止め請求及び原状回復処分の請求をいずれも棄却したので、控訴人らが右の敗訴部分につき不服を申し立てたものである。

[3] 右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の事実欄の第二記載(6頁以下)のとおりであるから、これを引用する。
1 「朴里花」と被控訴人の同定の可能性について
[4](一) まず、原判決は、被控訴人と面識がある者又は被控訴人の属性の幾つかを知る不特定多数の者が本件小説を読んだ場合、これらの者は本件小説中の「朴里花」と被控訴人とを同定することが容易に可能であるとして、「朴里花」と被控訴人との同定の可能性(同定可能性)を肯定している。しかし、本件において、右の同定可能性を肯定することはできないというべきである。すなわち、ある表現がプライバシーの侵害となるのは、第一に、発表行為が不特定多数を前提にした公のものであること、第二に、その不特定多数の読者がそこで知り得た情報につき予備知識を有していることの2つの前提要件が充足されなくてはならない。そうすると、本件において、被控訴人と面識がある特定の読者が「朴里花」と被控訴人とを同定する可能性があり、また、そのような読者が今後漸次増加する可能性があるとしても、一般読者の大多数は被控訴人の属性を知り得ないのであるから、同定可能性があるということはできない。
[5](二) 次に、原判決は、被控訴人と面識があり又は被控訴人の属性の幾つかを知る者が本件小説を読んだ場合に、これらの読者が「朴里花」が被控訴人をモデルとする人物であると認識するかどうかは、本件小説の価値評価とは必ずしも関連性がないとする。しかし、小説中の登場人物の属性のかなりの部分が実在人物に依拠しているとしても、小説の中で生命を与えられた人物は、現実に存在する人物とは異なる。このことは純文学小説作品を読む者の常識に属する。確かに、モデル小説の読者がモデルとされた実在人物を知っている場合、実在の人物の言動を連想して読むという一種の誤読がされることが皆無とはいえないであろう。しかし、そのような誤読をする一部の読者がいることをもって、登場人物と実在人物とを同定できる根拠とすることはできないというべきである。右のような読者が存在することをもってプライバシー等の侵害の有無を決すると、あらゆる表現につき不法行為が成立するということにもなりかねない。原判決は、本件小説の純文学小説としての価値を正当に理解することなく、これを事実の羅列されたカタログのようなものと理解して右のような判断をしたというほかない。
[6](三) また、原判決は、本件小説中の登場人物の属性が、実在人物の属性とその一部が一致していることを知っている者にとっては、虚実渾然として作り上げられた小説中の虚構の事実を現実の事実と誤解する危険性が高いから、本件小説中の「朴里花」についての記述が被控訴人の名誉を毀損したり、プライバシー及び名誉感情を侵害するなどの可能性を否定できないとする。しかし、純文学小説中の事象について、虚構であっても何であっても、すべてを事実と認識してしまうような読者は、特異な読み方をする者といわざるを得ない。このような読者の誤解によって生じた結果についてまで、その作者が責任を負担するいわれはない。純文学小説は、世界の中で自分がどのように存在しているのかを問う自己探求を表現の核にした作品である。このような純文学小説における虚構性・創作性は、その記述されている事象世界が作者の体験した現実に添っているか、想像上の架空な事象によるものであるかによって異なるものではない。本件小説においても、例えば、「柿の木の男」のように架空の人物が登場するが、本件小説の虚構性は、このような想像上の人物が存在することによって成り立っているわけではない。本件小説が全体として控訴人柳によってしか記述されることのなかった独自の世界を構成していることこそが、本件小説を虚構作品たらしめているのである。原判決は、本件小説の構造の一部である登場人物の属性を取り出した上、極く一部の読者が登場人物と実在人物とを混同するかもしれないなどという可能性を根拠として、「朴里花」と被控訴人の同定の可能性を肯定し、結果として「朴里花」の虚構性を否定するという誤りを犯したのである。

2 本件小説による被控訴人のプライバシーの侵害について
[7] 原判決は、プライバシーの侵害については、摘示された私生活上の事実がすべて真実でなければならないものではなく、「朴里花」と被控訴人とを同定できる読者が被控訴人の私生活であると認識しても不合理ではない程度に真実らしく受け取られるものであれば足りるとした上、本件小説中の、(1)被控訴人の父が講演先の韓国でスパイ容疑で逮捕されたこと、(2)被控訴人の顔に大きな腫瘍があること、(3)被控訴人が12才までの間に13回手術を受けたこと、(4)被控訴人の顔の腫瘍が手術をしても治癒せず、手術をすると顔の神経が麻痺したり、瞬きができなくなること、(5)被控訴人の顔面に腫瘍があることがチェリストとの関係の破綻をもたらしたことの5点にわたる記述をプライバシーの侵害とみなした。しかし、次のとおり、いずれも、本件小説の描写が被控訴人のプライバシーを侵害するということはできない。
[8] すなわち、まず、被控訴人の父がスパイ容疑で逮捕されたことについては、昭和49年(西暦1974年)に朝日新聞で大きく報道された。また、昭和60年(西暦1985年)、与党民生党の国会議員であった被控訴人の父が議員を辞職した際も、スパイ容疑で逮捕された経験を有することが韓国内で報道された。被控訴人の父がスパイ容疑で逮捕されたことは韓国内では公知の事実であった。
[9] 次に、被控訴人の顔に大きな腫瘍があることは、外貌に関する事実である。このような外貌に関する事実は、本来秘匿できないという点において、本質的にプライバシー保護の範囲外にあるというべきである。
[10] また、本件小説中、「朴里花」が12才までの間に13回手術を受けたとの記述は、控訴人柳が、「リサ・H、エレファント・マン病とたたかった少女の記録」(リチャード・セヴェロ著、1992年、筑摩書房刊)に21才までに11回の手術を受けたとの記述部分に着想を得て、手術の回数を「13」という不吉な数字に変えて創作したものである。これは被控訴人の手術の回数と一致したようであるが、偶然の一致でしかない。
[11] 本件小説中の、顔の腫瘍が手術をしても治癒せず、手術をすると顔の神経が麻痺したり、瞬きができなくなるとの記述部分も、控訴人柳が、右の「リサ・H」を読むことによって知ったエレファント・マン病に関する事実に拠っているにすぎない。
[12] そして、本件小説中に「朴里花」とチェリストとの交際の破綻を暗示する部分があるが、その前後の本件小説の表現方法等からすると、被控訴人の顔面に腫瘍があることがチェリストとの関係の破綻をもたらしたとまで断定しているわけではない。

3 本件小説による被控訴人の名誉毀損について
[13] 原判決は、本件小説中の「朴里花」についての記述のうち、その社会的評価を低下させる性質のものがある場合には、その記述は、モデルである被控訴人の社会的評価をも低下させることになるとした上、(1)「朴里花」の父がスパイ容疑により逮捕されたこと、(2)「朴里花」が新興宗教に入信し、連れ戻しに行った「梁秀香」に3万円を無心したことの2点の記述を社会的評価を低下させる性質の記述とした。しかし、いずれも、本件小説の描写が被控訴人の社会的評価を低下させるということはできない。
[14] すなわち、まず、「朴里花」の父がスパイ容疑で逮捕されたことは、特殊な国情にあった韓国の軍事政権下におけるものであったから、これをそのまま日本国内における社会的評価を低下させるものということはできない。
[15] 次に、本件小説中、「朴里花」が新興宗教に入信し、連れ戻しに行った「梁秀香」に3万円を無心したとの記述部分は、本件小説のクライマックスというべき場面であり、その描写は、今にもちぎれそうな2人の友情関係を繋ぎ止める最後の糸の現れといった意味合いを示すものであって、「新興宗教に入信した者が、他人から寄付を募った。」などという事実を読みとることはできない。

4 本件小説による被控訴人の名誉感情の侵害について
[16] 原判決は、本件小説中の「朴里花」についての記述のうち、人の名誉感情を侵害する性質のものである場合には、その記述は、モデルである被控訴人の名誉感情を侵害したことになるとして、
(1)「私は里花を凝視した。里花の顔にへばりついている異様な生き物がさらに膨張するのではないかという恐怖を振り払おうとした。」(本件小説24頁上段22行目から同24行目まで)との記述、
(2)「秀香は里花の顔に貼りついている不気味な悲劇の仮面を視凝める。」(本件小説52頁下段12行目から同13行目まで)との記述、
(3)「…顔の左側に大きな腫瘍ができていて…だから鼻も唇も右にひん曲がってる。」(本件小説53頁上段4行目から同5行目まで)、「勃起する陽根を思わせる腫瘍は脈打ちながらみるみる怒張していく。」(本件小説53頁下段3行目から同4行目まで)及び「脹れあがった皮膚の下で複雑に絡まりあい、瘤の中に固まっている静脈や動脈の一本一本まで透けて見える。」(本件小説53頁下段18行目から同20行目まで)との記述、
(4)「里花が唇を開く度に口の中にある氷柱のような腫瘍が動き出す。」(本件小説54頁上段7行目から同8行目まで)との記述、
(5)「その蛞蝓がぶら下がっているみたいな口でぴちゃぴちゃ食べてるのをみる度に鳥肌が立つんだよね。ほんとに気色悪くて、私いつもグエッと吐き気がしてるんだけどわからなかった?」(本件小説54頁下段6行目から同9行目まで)、「あんたの顔って太った蛆虫みたい。口は、そうだな、蛸の吸盤ってとこか。それにしてもカラフルな痣だね、ナス色、緑色、真っ黄色。お母さんのお腹の中で誰かに顔を殴り飛ばされたんじゃないの。水死体みたい、そう水死体そっくり。海草や海月や小魚に食い潰された水死体の顔ってきっとそんな風だよ。鱗のような固い藤壼にびっしり覆われて……。」(本件小説54頁下段12行目から同19行目まで)及び「『だからよ、だから』唇がめくれ、舌がべろりとはみだすように出た。」(本件小説106頁上段9行目から同10行目まで)との記述、
(6)「電話を切ると、岩陰に潜む沈む魚のような里花の顔が脳裏に翻った。」(本件小説68頁上段16行目から同17行目まで)及び「私は吸盤のように蠢いている里花の唇から眼を逸らし」(本件小説69頁上段4行目から同5行目まで)との記述、
(7)「顔がすっぽり隠れる大きな紙袋をかぶった里花が前へのめるような様子で近づいてくる。左右の眼のところに小さな穴が開いている。」(本件小説91頁下段2行目から同5行目まで)との記述、
(8)「試験官たちは、齧られた花弁であり、壊れたバイオリンであり、堕ちた鳥あるいは飛翔した魚である彼女を目の親りにした時、揺れのない審査ができるのだろうか。」(本件小説75頁下段23行目から同76頁上段2行目まで)
との記述をいずれも名誉感情を傷つける性質の表現とした。
[17] しかし、いずれも、本件小説の描写が被控訴人の名誉感情を侵害するということはできない。原判決は、本件小説に対する不法行為法の観点からの評価は、「困難に満ちた生をいかに生き抜くか。」という本件小説の主題ないし作品意図とは別個の次元において成立するものというべきであるとした上で、本件小説を虚心に読むときは、右のような各記述が、本件小説の主題ないしは作品意図を実現する上で、必要欠くべからざるものとは解し難いといわなければならないなどという。しかし、「朴里花」の顔面の腫瘍についての描写は、本件小説において必要欠くべからざるものである。すなわち、「朴里花」の顔面の腫瘍についての描写の苛烈さは、本件小説の主要テーマへの探求の苛烈さによって支えられている。苛烈な表現は、個別な事象としての記述を超えて、小説上も架空な空間の現出によって、「朴里花」と主人公「梁秀香」の現実関係を超えた、万人に響く幻想的な声へと変容したものである。したがって、「朴里花」の顔面の腫瘍についての描写が苛烈であっても、被控訴人の名誉感情を侵害することなどあり得ないのである。
[18] すなわち、本件小説は、「顔面の腫瘍」を生まれながらに背負った人間と、外面ではなく心の奥底に「腫瘍」を持った人間との交流の物語である。「朴里花」の顔面の腫瘍についての描写は、本件小説上、秀香と里花というモデルを得て、普遍的な「真の友情の発露」として描写されているのである。顔面の腫瘍に関する記述は、いずれも顔面の腫瘍の客観的描写ではない。「朴里花」の顔面の腫瘍についての描写自体が違法であるというのであれば、それは「表現の自由」を奪うものであり、描写の仕方が違法であるというのであれば、それは小説表現の手法に関わる部分への法的介入となり、「表現上の手法の自由」を奪うものとなる。

5 表現のエチカによる被控訴人の名誉毀損並びにプライバシー及び名誉感情の侵害について
[19] 原判決は、控訴人柳が「表現のエチカ」を公表することにより、本件小説中の「朴里花」にはモデルが存在すること、右モデルの顔面に腫瘍があること、控訴人柳と当該モデルとの間に訴訟が係属中であることなどが明らかにされたということができるとして、「表現のエチカ」の公表により、「朴里花」と被控訴人とを同定し得る読者の範囲が拡大し、これにより被控訴人の精神的苦痛がさらに増大したものとみるべきであるという。しかし、控訴人柳は、被控訴人側が本件小説の出版禁止を求める裁判に関して行った記者会見や新聞報道によって、小説家としての自らの立場を問われる事態となったため、小説の読者、マスコミ各社、文学関係者らに釈明する意図で「表現のエチカ」を公表したにすぎない。被控訴人側の右記者会見や新聞報道による公表なくして、「表現のエチカ」の公表もなく、そこで記述されたものは、すでに被控訴人側が公表した事実の範囲を超えるものでもない。

6 違法性・有責性について
[20] 原判決は、特定の表現行為が社会にとって正当な関心事に関するものである場合には、一定の限度において、ある人のプライバシーを侵害する行為の違法性が阻却されることがあり得るとしても、それは社会にとって正当な関心事について表現する上で当該者のプライバシーを開示することが必要不可欠であるときに限定されるべきものと解するのが相当であるとした。そして、「困難に満ちた生をいかに生き抜くか」という本件小説の主題を小説という形式で表現する上で、被控訴人のプライバシーを開示することが必要欠くべからざるものとまで言い難いとした。
[21] しかし、原判決の論理からするならば、「社会にとって正当な関心事」について、本件小説がこれに該当しない旨の論拠を提示する必要があったはずである。原判決は、プライバシーの侵害と表現の自由との調整の法理をめぐる判断を回避したというべきである。本件小説の主題は、右のとおり、社会の正当な関心事であるから、本件小説は違法性を欠くか、免責されるというべきである。

7 本件小説不公表の合意に基づく出版の差止めについて
[22] 原判決は、被控訴人が、本件小説の出版の中止を求める仮処分を申し立てた事件(本件仮処分事件)の審尋期日において、債務者であった控訴人柳、控訴人義家及び控訴人新潮社が、
「『新潮』1994年9月号に掲載された、著者柳、『石に泳ぐ魚』と題する小説について、控訴人らは、日本において、控訴人柳、同義家については韓国においても、今後単行本の出版、出版物への掲載、放送、上演、戯曲・映画化等による翻案等の一切の方法で公表しない。今後、右小説を公表する場合には、乙第3号証の1・2、乙第4号証のとおりの訂正を加えたものとする。但し、右の趣旨に抵触しない限りにおける表現上の変更はこの限りではない。」
と陳述し、これに対し、右事件の債権者であった被控訴人が右仮処分申請を取り下げた事実をもって、控訴人らと被控訴人との間で本件小説不公表の合意が成立していたとしたが、事実の誤認である。いうまでもなく、控訴人らの右仮処分事件の審尋期日における陳述は、仮処分裁判所に対してされた訴訟行為である。それは事実上の陳述に止まる。控訴人らの右の陳述は、右時点において、控訴人らがそのような意思を有していることを報告したにすぎず、右仮処分手続の終了とともにその後に何らの効力を残すものではない。ところが、原判決は、訴訟行為と私法行為に関する訴訟理論を誤解して、右の陳述を私法行為としての「申込」と認め、被控訴人の仮処分申請の取下行為を「承諾」と認めるという過誤をおかした。
[23] 仮に、控訴人らと被控訴人との間に右のような合意が成立していたとしても、控訴人らは、本件小説を「新潮」9月号に掲載されたままで公表することはできないが、本件小説の修正版(原判決別紙三)のような修正を施せば公表することができ、被控訴人も、これに異議を述べないものと認識して右陳述に及んだ。しかるに、被控訴人は、右陳述がされた審尋期日のわずか6日後には本件訴訟を提起し、本件小説の修正版の出版等の差止めをも請求した。控訴人らは、被控訴人が本件小説の修正版の出版に異議を述べることを予め認識していたならば、右のような陳述に及ぶことはなかった。したがって、控訴人の右陳述に係る意思表示には、錯誤があり、かつ、それは表示されていたから、右陳述にかかる意思表示は無効というべきである。
[1] 当裁判所も、控訴人の請求は原判決主文第一ないし第三項の限度で理由があるものの、そのほかの請求は理由がないものと判断する。その理由は、次に記載するほか(本判決の判示が原判決のそれと抵触するときは、本判決の判示による趣旨である。)、原判決の理由記載(64頁以下)と同一であるからこれを引用する。

1 事実の経過
[2] 原判決挙示の証拠によれば、本件の事実の経過として、次のとおり認められる。
(一) 当事者
[3] 被控訴人は、昭和44年5月20日に東京都で生まれた韓国人である。平成5年に東京芸術大学(芸大)の工芸専攻の大学院の入学試験に合格し、右大学院に在学していた者である。控訴人柳は、平成5年に戯曲「魚の祭」により岸田國士戯曲賞を、平成9年に小説「家族シネマ」で第116回芥川賞を受賞した劇作家かつ小説家であり、控訴人義家は、原判決別紙書籍目録記載の書籍のうち韓国版の出版につき控訴人柳の代理人となっていた者である。控訴人新潮社は、月刊誌「新潮」(新潮)を発行し、原判決別紙書籍目録記載の書籍のうち日本語版の販売等を予定している大手の出版社である。そして、控訴人坂本は、「新潮」の編集兼発行者として控訴人新潮社の従業員であった者である。
(二) 被控訴人の障害とその影響
[4] 被控訴人は幼小時に静脈性血管腫に罹患した。この疾病は、いわゆる血管奇形に属するもので、発症頻度は少ない。この疾患に対する社会的な認知度は低く、他人から奇異な目で見られるなど興味本位の取扱いや差別の対象となり易い。血管奇形の患者は、行動を抑制するなど社会生活が制限される傾向にある。血管奇形の患者、特に若い女性に対しては、治療計画に基づいた精神的配慮が必要であるといわれている。
[5] 血管奇形についての根本的な治療は困難とされており、現在、「硬化療法」によって、血栓を固まりやすくし、血液がたまるスペースを少なくしたり、また、「塞栓術」によって、入る血液を少なくし、動脈をつぶすという療法が採られている。
[6] 被控訴人の血管奇形は、下顎、舌、中咽頭に集中している。被控訴人は、右の血管奇形に対する治療として、12才までの間に13回にわたる手術を受けた。
[7] 被控訴人の治療に当たっている東京大学医学部附属病院の脇田進一医師(脇田医師)は、被控訴人につき、
「強い意思で、大変明るく振る舞っておられますが、心中の苦しみは大きいのではないかと思われます。」
「血管奇形については、現在のところ、完治する治療法がないため、展望のない病気であり、医師にとって、大変つらい仕事といえます。しかし、完治できない病気だからこそ、患者の病気そのものや精神面での負担を軽くすることが、当面の課題です。そして、この病気に対する社会的な差別や偏見をなくし、患者が社会の様々なところで、様々な人たちと共生できることが大きな課題となります。」
と述べている。
[8] そして、被控訴人は、陳述書(甲32及び33号証)において、
「繰り返しの入院生活の他にも、顔に障害があるということは、日常生活に膨大なストレスがあります。身体的な機能が不自由な上に、障害が顔にあることから、どうしても隠しようがなく、いつ何処にいても、必ず人々の視線を浴びてしまいます。また、一般の人には、この病気に対する知識や認識がないのが普通なので、そうしたことから、ひどい仕打ちを受けることもあり、精神的にもやり場のない思いを強いられます。」
「腫瘍が顔面にあるという状況がけっして空想などではなく、現実として自分の身にあり続けるということがどういうことなのか、自分の命がその呪縛なしにはありえないというということが、どれほどの重みとなってのしかかってくるのか、それは自分がまだ若いということすら、本当に、絶望的に思えることなのです。でも何よりもやりきれないのは、それが行けども行けども続くことです。それぞれの行きずりの人には一度きりの衝撃のことでしょうが、私にとっては、毎日毎日同じことが繰り返し起こって、そしてもういいかげんにそうした他人の反応には慣れたり鈍重になってもよいのではないかと思えるのに、むしろ自分自身が一向にそのことに慣れず、その度ごとに傷ついてしまうことでした。本当に自分自身に疲れ果ててしまうのです。」
と述べている。
[9] 被控訴人と同様、顔に障害を有する者も、陳述書(甲29号証)において、そのような障害を有する者に共通する体験として、
「見ず知らずの人から侮辱されたり、電車の座席にすわっていると、満員なのに隣の席に誰もすわってこないといったことがある。このような周囲から拒絶されるという体験は数え上げればきりがない程である。そして、この種の体験が毎日のように、そして、一生涯続くのです。これは大変なストレスであり、社会によるある種の拷問であるとさえ感じています。」
「人間は顔をさらして生きていかないといけません。しかし、顔に障害のある人は、その誰もが自然にできる顔をさらすということに大変な勇気と心労をともなうのです。顔に障害のある人たちが、平静に日常を生きることは、並々ならぬ精神の緊張を強いられる、と言い替えてもよいでしょう。」
「顔に障害のある人は、日本のみならず世界中で、他者からの侮辱と好奇の視線にさらされています。そのために、心を病んでしまうまでに、精神的に追い詰められている人さえいます。残念なことに、これが顔に障害のある人からみえる、ふつうの世界なのです。」
と述べている。
(三) 被控訴人と控訴人柳との交友関係の概略
[10] 被控訴人は、平成4年8月当時、ソウル市内の梨花大学美術学部4年に在籍していた。同人の専攻は陶芸であり、「アニマ」と称するサークルに所属していた。
[11] 控訴人柳は、平成4年8月3日、前記の戯曲「魚の祭」を韓国語に翻訳して上演する準備のため、D女(D女)と共に韓国を訪れた。
[12] 被控訴人は、D女とは友人関係にあったため、D女らをソウルの金浦空港で出迎え、被控訴人宅に案内した。その際、被控訴人は、D女から、控訴人柳を紹介された。控訴人柳は、被控訴人宅のピアノの上に魚が徐々に変化を遂げて鳥になってゆく過程を描いたタイル画が掛けられているのを見た。控訴人柳とD女は、被控訴人宅に4日にわたって宿泊した。右滞在中、被控訴人は、控訴人柳と意気投合し、同人に対し、被控訴人がいわゆる在日三世で小学校の5年生のときまで日本にいたことや父の経歴などについて話した。
[13] 被控訴人は、平成4年8月4日、控訴人柳、D女及び韓国人の劇団員らを車で案内した後、梨花女子大学に登校した。控訴人柳らは、ソウル市内で映画「白い戦争」を観た。その後、被控訴人は、控訴人柳らと合流し、昼食に冷麺を食べた。翌5日、控訴人柳は、上演準備の打合わせのため釜山に向かい、劇団員と会ったが、右劇団員と口論となり、釜山に宿泊する予定を繰り上げてソウルに引き返すこととした。しかし、言葉が通じないため、道を失い、通りすがりの行商人に助けられ、ソウルに帰着した。その際、被控訴人は、D女と共に控訴人柳を迎えに行った。
[14] 翌6日、被控訴人、控訴人柳及びD女は、ソウル市内を見学した後、共に夕食を取った。翌7日、控訴人柳は、日本に帰った。
[15] 被控訴人と控訴人柳は、その後も親しく交際し、平成4年12月ころまでの間に2、3通の書簡を交わした。そのころ、被控訴人が所属していた前記のサークル「アニマ」は一時解散状態となった。
[16] 被控評人は、平成5年1月ころ、東京芸術大学の大学院を受験することを決心し、同月4日、来日して右受験の出願をした。被控訴人は、控訴人柳と再会し、交際を重ねた。平成5年1月12日、被控訴人は帰韓した。
[17] 被控訴人は、平成5年1月31日、受験のため来日した。この日、控訴人柳は、被控訴人と共に被控訴人の伯母の家に宿泊した。その夜、控訴人柳は、被控訴人が当時読んでいたバートランド・ラッセルの「幸福論」が欲しい旨申し入れ、被控訴人から右書籍を譲り受けた。
[18] 被控訴人は、試験終了後、控訴人柳に合否の確認と通知を依頼した。平成5年2月7日、東京から韓国の友人に電話をした被控訴人は、サークル「アニマ」のメンバーにいわゆるねずみ講商法類似の事件が起こったことを知った。被控訴人は、翌8日、控訴人柳の家に招待された際、同人にサークル「アニマ」の右の件につき相談した。被控訴人は、平成5年2月10日、ソウルにおいて、ねずみ講商法類似の事件に巻き込まれたメンバーを連れ戻そうと努力したが、結局、これらのメンバーと対立するに至った。平成5年3月1日、芸大の合格発表があり、被控訴人は合格した。控訴人柳が被控訴人の合格を確認し、国際電話で被控訴人に合格を知らせた。
[19] 平成5年3月18日、被控訴人は、芸大入学のため来日し、日本での生活を開始した。
[20] その後、被控訴人と控訴人柳との間には、暫く音信不通の状態が続いた。被控訴人が控訴人柳に連絡をしても、控訴人柳からは返答がなかった。平成5年7月10日、被控訴人は、D女から国際電話を受け、控訴人柳が病気で大変らしいので面倒を見てやってほしいと依頼された。被控訴人が控訴人柳の家を訪ねた。同月14日、控訴人柳は入院した。手術前夜、控訴人柳から被控訴人に電話があった。
[21] 控訴人柳は、平成6年夏ころ、被控訴人に対し、小説を書いている旨を話したが、被控訴人をモデルとしていることについては触れなかった。
(四) 本件小説の発表
[22] 本件小説は、平成6年9月1日発行の月刊誌「新潮」9月号に、「愛憎に彩られた鮮烈な自伝的処女小説」などのキャッチフレーズを付して掲載された。その内容は、原判決別紙本件作品目録記載のとおりであり、在日二世の劇作家である「梁秀香」を主人公として、その家族、劇団の仲間、男友達、陶芸家である「朴里花」及び「柿の木の男」と名付けられた男らとの関わりを描写しつつ、アイデンティティに不安のある「梁秀香」が、精神的な居場所を探し求める様を描いたものということができる。
(五) 交友関係についての記述
[23] 本件小説中の「朴里花」と「梁秀香」の出会いと交流に関係する記述部分の概要は、次のとおりである。
[24] 「梁秀香」は、いわゆる在日二世の韓国人女性であり、劇団に所属して戯曲を書いている。韓国から演劇の勉強に来ていた「金智海」は、韓国で「梁秀香」の戯曲を上演したいと申し出る。これを受けて、「梁秀香」は、韓国における戯曲公演の準備のため、劇団の女優である「小原ゆきの」と共に韓国を訪れることになる。
[25] ソウル金浦空港に到着すると、「梁秀香」は、「小原ゆきの」から、その友人の「朴里花」を紹介される。「朴里花」は、ソウル市内に在る梨花女子大学で陶芸を専攻している学生で、顔の左側に腫瘍がある。「梁秀香」らは、「朴里花」が運転する車で、「朴里花」の家に向かう。「梁秀香」と「小原ゆきの」は、韓国滞在中「朴里花」の家に宿泊することになる。この家のピアノの上には魚が徐々に変化を遂げて鳥になっていく過程を焼き込んだタイル画が掛けられている。
[26] 「梁秀香」と「小原ゆきの」は、ソウルに到着した日に、「金智海」らに連れられて、劇団の事務所を訪ねる。その後、「梁秀香」らは、梨花女子大学の前で「朴里花」と待ち合わせ、ソウル市内を観光し、冷麺を食べる。翌日、「梁秀香」らは、午前中「金智海」と共に戦争を題材とした映画を観た後、「朴里花」とソウル市内を散歩する。その際、「朴里花」は、「梁秀香」に対し、父が韓国でスパイ容疑により逮捕されたことなどの身の上話をする。
[27] 翌日、「梁秀香」は、釜山で予定されている戯曲の上演についての記者会見のため、「金智海」と共に釜山を訪れる。その際、「金智海」と口論の末、1人でソウルに帰ろうとするが、言葉が通じないため困っているところを「柿の木の男」に似た男に助けられ、ソウルに辿り着く。
[28] 「梁秀香」は、日本に帰国後、「朴里花」からの手紙を受け取る。「朴里花」は、芸大を受験することを決心して来日し、「梁秀香」に会って、受験の動機などを語る。
[29] 翌年、「朴里花」が芸大大学院を受験するため、再度来日する。その入試の初日、「梁秀香」は、芸大で「朴里花」と待ち合わせ、その夜は、「朴里花」と共に彼女の伯母である「李永玉」の家に宿泊する。その夜、「朴里花」は、「梁秀香」に、バートランド・ラッセルの「幸福論」を読んで聞かせ、芸大受験のきっかけの一つとなったチェリストに会ったときの話などをする。「梁秀香」は、「朴里花」が手にし、彼女の書込みがある「幸福論」を欲しがる。
[30] 翌日、「梁秀香」は、「朴里花」が面接試験に必要な作品を搬入するのを手伝うため、芸大に同行する。そして、「朴里花」は芸大に合格する。その後、「梁秀香」と「朴里花」との電話による会話の中で、「朴里花」が所属しているサークル「アニマ」についての話が交わされる。
[31] 「朴里花」が「梁秀香」の家を訪れ、「アニマ」のメンバーだった「呉恩姫」が新興宗教団体に入ったので、これを連れ戻すと告げて韓国に帰る。しかし、その後、「梁秀香」は、「朴里花」から音沙汰がないため調べたところ、「朴里花」も新興宗教に入信してしまったことを知る。「梁秀香」は、直ちに韓国に赴き、「叡知と友愛の会」という教団の本拠地に「朴里花」を訪ね、連れ戻そうと試みる。しかし、逆に、「朴里花」から一緒に入信することを勧められる。「梁秀香」は、これを拒否する。「朴里花」は、「梁秀香」に3万円を無心し、これを受け取ると、もう一度「一緒に行こうよ」と「梁秀香」を誘い、障子の向こうに立ち去ろうとする。その先には、「柿の木の男」が立っており、同人と「朴里花」は、障子戸の中に去って行く。
(六) 本件小説発表後の経緯
[32] 被控訴人は、平成6年9月12日、知人の知らせで、本件小説が「新潮」平成6年9月号に掲載されていることを知った。しかし、当時、「新潮」9月号は品切れとなっており、被控訴人は、2週間後にこれを入手した。被控訴人は、自分が「朴里花」として描かれている本件小説を通読し、控訴人柳を信頼して話した私的な事柄が本件小説中に多く記述されていること等に激しい憤りを感じ、これによってこれまでの人生で形成してきた人格がすべて否定されたような衝撃を覚えた。
[33] 平成6年10月4日、被控訴人は、控訴人柳と会って、本件小説を受け入れることができないと告げ、これを単行本で出版することを止めて欲しいと求めた。控訴人柳はこれに応ぜず、以後、第三者を介するなどして、話合いの場が持たれたが決着はつかなかった。
[34] 平成6年10月7日、控訴人柳は、被控訴人に対し、一部を書き直す旨を伝え、同年10月9日、書き直した原稿を被控訴人に渡した。しかし、被控訴人は、右の修正が「朴里花」の在学関係や専攻に関するわずかな修正に止まるものであったため、控訴人柳に対し、右修正版による出版にも同意できない旨回答した。
[35] そして、被控訴人は、弁護士と相談の上、平成6年11月、東京地方裁判所に対し、本件小説の出版の中止を求める仮処分を申し立て、本件仮処分事件として係属した。
[36] その後、本件仮処分事件において、和解による解決が試みられたが、折り合いがつかず、平成6年12月16日、右仮処分事件の審尋期日が実施された。その際、債務者である控訴人柳、控訴人義家及び控訴人新潮社は、裁判所の勧めもあって、被控訴人との間の紛争につき暫定的な措置をとることとし、仮処分裁判所に対し、
「『新潮』1994年9月号に掲載された、著者柳美里、『石に泳ぐ魚』と題する小説について、債務者らは、日本において、債務者柳、同義家については韓国においても、今後単行本の出版、出版物への掲載、放送、上演、戯曲・映画化等による翻案等の一切の方法で公表しない。今後、右小説を公表する場合には、乙第3号証の1・2、乙第4号証のとおりの訂正を加えたものとする。但し、右の趣旨に抵触しない限りにおける表現上の変更はこの限りではない。」
と陳述した。そして、債権者である被控訴人は、右仮処分の申立てを取り下げた。
[37] その後、被控訴人は、平成6年12月22日、控訴人らを相手方として、東京地方裁判所に対して本訴を提起した(被控訴人は、控訴人らに対し、本件小説の修正版の出版の差止めをも求めた。)。
[38] 本件小説が「新潮」9月号に掲載された当時、被控訴人は芸大大学院の修士課程2年次に在籍し、いわゆる修了制作を控えた重要な時期にあった。しかし、被控訴人は、前記のとおり、本件小説の発表によって強い精神的打撃を受け、また、本訴を遂行する必要もあって、平成9年には博士課程3年次を休学した。
(七) 「表現のエチカ」の発表
[39] 控訴人柳は、原判決別紙二記載の「表現のエチカ」を執筆して、平成7年12月1日発行の「新潮」平成7年12月号に寄稿した。「表現のエチカ」は、平成8年12月18日、単行本「窓のある書店から」にも掲載され、株式会社角川春樹事務所からも発行された。
[40] 控訴人柳は、「表現のエチカ」において、「朴里花」のモデルを「K」(被控訴人の頭文字)と表記し、被控訴人の控訴人柳に対する書簡や本件小説の一部を引用するなどして、本件小説中の「朴里花」はKをモデルにしたものであること、控訴人柳とKの交友関係、本件小説発表後の控訴人柳とKとの交渉経過及び本件訴訟の経過等について記述した。

2 本件小説によるプライバシーの侵害について
(一) 同定可能性について
[41] 前記認定のとおり、被控訴人の属性として、小学校5年生まで日本に居住していた在日の韓国人であること、韓国の梨花女子大学を卒業した後、東京芸術大学の大学院に進学し陶芸を専攻していること、顔面に腫瘍があり、幼少時から12才までの間に右腫瘍の治療のため13回の手術を受けたこと、父が大学の教員であり講演先の韓国においてスパイ容疑により逮捕された経験を有し、その後釈放されて、家族とともに韓国に帰国したことなどを掲げることができる。これらの被控訴人の属性は、そのまま本件小説における「朴里花」の属性とされている。そして、前記認定の被控訴人と控訴人柳との交友関係と本件小説に記述された具体的事実を対照すると、本件小説が、被控訴人と控訴人柳との間の現実の交友関係に依拠して創作された部分が多く認められ、「朴里花」は被控訴人をモデルとする人物であることが明らかである。
[42] そして、被控訴人は、東京都で生まれた韓国人であり、小学校5年生のときまでは日本で生活し、平成5年には芸大の大学院の入学試験に合格し、同大学院に在学していた者である。また、被控訴人は、顔面に腫瘍の疾病を有している。このような被控訴人の属性からすると、芸大の多くの学生や被控訴人が日常的に接する人々のみならず、被控訴人の幼いころからの知人らにとっても、本件小説中の「朴里花」を被控訴人と同定することは容易なことである。したがって、本件小説中の「朴里花」と被控訴人との同定可能性が肯定される。
(二) 精神的平穏を害する事実の公表
[43] ところで、私人が、その意に反して、自らの私生活における精神的平穏を害するような事実を公表されることのない利益(プライバシー)は、いわゆる人格権として法的保護の対象となる。そこで、本件小説がモデルとされた被控訴人のプライバシーを侵害するものである否かについて検討する。
[44] 右のとおり「朴里花」と被控訴人とを同定することができるから、本件小説中の「朴里花」に係る記述中に、被控訴人がみだりに公開されることを欲せず、それが公開されると被控訴人に精神的苦痛を与える性質の私生活上の事実が記述されている場合には、本件小説の発表は被控訴人のプライバシーを侵害するものと解すべきである。
[45] これを本件小説についてみると、本件小説中の、(1)被控訴人の父が講演先の韓国でスパイ容疑で逮捕されたこと、(2)被控訴人の顔に大きな腫瘍があること、(3)被控訴人が12才までの間に13回手術を受けたこと、(4)被控訴人の顔の腫瘍が手術をしても治癒せず、手術をすると顔の神経が麻痺したり、瞬きができなくなること、(5)被控訴人の顔面が、チェリストとの関係の破綻をもたらしたこと、以上の5点にわたる記述は、いずれも被控訴人がみだりに公開されることを欲せず、それが公開されると被控訴人に精神的苦痛を与える性質の事実というべきであるから、本件小説の公表はプライバシーの侵害に当たるというべきである。
(三) 親族の逮捕歴について
[46] 控訴人らは、被控訴人の父がスパイ容疑で逮捕されたことは、韓国内では公知の事実であって、秘匿されるべき事実ではなく、広く公表を欲しない事実でもない旨主張する。しかし、「逮捕歴」は、その事情がどうであれ、一般的には、本人及びその家族が公開されるのを欲しない事実である。一旦、公表された事実であっても、時間の経過等その後の事情によって、その秘匿が法的保護の対象となることがあるし、また、韓国内では公知の事実であっても、本件小説が出版される日本国内においては右の事実が公知の事実であるとは言い難い。
(四) 秘匿できない外貌について
[47] また、控訴人らは、被控訴人の顔に大きな腫瘍があることは本来秘匿できない外貌にかかる事柄であるから、プライバシーの侵害など起きようがない旨主張する。
[48] しかし、個人の障害や病気の事実は、個人に関する情報のうちでも最も他人に知られたくない類のものである。特に外貌に関わる障害の事実は、その障害が本件のように類症例が少ないものである場合、その人物の他の属性等と合わせて公表されれば、それ自体が周囲の好奇の対象となるであろう。そして、このような事態がその者の社会的行動に多くの制約や悪影響をもたらすであろうことは容易に推測される。前記認定の医師、同病者及び被控訴人の述べる内容は、十分に理解可能な事実である。
[49] このようなことから、顔に腫瘍がある者は、その障害の事実や手術歴等を殊更に公表されることを欲しないのである。そして、心ある人々は、心の痛手が拡大しないよう配慮をめぐらせ、それらの善意ある行動もまた、個人の平穏な日常生活や社会生活の支えになっているものと認められる。そうであるのに、これを無断で公表することは、障害それ自体の苦痛のうえに、更に、他人の好奇の眼や差別によって苦しめられている者の精神的苦痛を倍加する不法な行為であって、人格権の著しい侵害として、当然にプライバシーの侵害に当たるというべきである。日常生活に必然的に付随する私生活の領域で被控訴人の外貌に関わる事実が知られているからといって、第三者が被控訴人の了解もなく、小説の出版という方法によってより広い領域で右のような事実を公表する行為は、許されるべきものではない。
[50] 以上の次第であって、本件小説中の顔に大きな腫瘍があることに関する記述部分は、被控訴人の障害の事実を公表されない利益を侵害するものである。
[51] なお、控訴人らは、本件小説中の「朴里花」の手術歴や治癒の見込み等に関する記述は、控訴人柳が前記の「リサ・H」に着想を得て執筆したものである旨主張する。しかし、前記認定の事実からすると、右各事実も、控訴人柳が被控訴人から聞いて知った事実であることが窺われ、仮に、控訴人柳が「リサ・H」に着想を得た部分があったとしても、それによって被控訴人から聞知した事実に関する知識を補完したにすぎないものと思われる。そもそも、仮に、控訴人らが主張するような事情によって右の記述がされたとしても、これを被控訴人と同定できる「朴里花」の属性として記述すれば、そのことが被控訴人に対するプライバシーの侵害となるのである。
(五) チェリストとの交際について
[52] そして、控訴人らは、本件小説中の「朴里花」とチェリストとの交際に係る記述部分は、被控訴人の顔面に腫瘍があることがチェリストとの関係の破綻をもたらしたと断定しているわけではない旨主張する。しかし、本件小説中の芸大出身のチェリストと被控訴人が面会した際の記述に係る文脈からすると、一般的な読者は、被控訴人の顔面に腫瘍があることがチェリストとの関係の破綻をもたらしたものと容易に読解するものと思われる。
(六) 予備知識の有無と表現の公然性について
[53] ところで、控訴人らは、特定の表現がどの範囲の者に対して公表されることを要するかという「表現の公然性」の要件としては、発表が不特定多数を前提にした公のものであることのほか、その不特定多数の読者がそこで知り得た情報を理解し得る予備知識を持ち得ていることが必要であるとした上、被控訴人は一介の無名の留学生であって、不特定多数の読者が本件小説中の「朴里花」と被控訴人とを同定することはできないから、本件小説が被控訴人のプライバシー等を侵害することはあり得ない旨主張する。
[54] しかし、表現の対象となったある事実を知らない者には当該表現から誰を指すのか不明であっても、その事実を知る者が多数おり、その者らにとって、当該表現が誰を指すのかが明らかであれば、それで公然性の要件は充足されている。それに、本件のように小説によるプライバシーの侵害が問題となる場合、小説の読者でなくとも、ある者が小説のモデルとされたこと自体が伝播し、その被害が拡大していくことは見やすい道理である。その場合に、モデルが著名人であれば、モデルを知る者が多数いることから被害が拡大する。これに対し、モデルが著名人でない場合でも、モデルとされたこと自体は多数の者に伝播されていることに変わりはない。そのような伝播によって、モデルと目される人物について、好奇の眼をもって見ようとする者が増えており、モデルの特徴を備えた人物がそのような者の前に現われれば、その人物は好奇の眼にさらされるのである。このように、本件において、本件小説の読者となる者の多くが「朴里花」と被控訴人とを同定できないから、プライバシーを侵害することはないなどということはできないのである。
[55] したがって、ある者のプライバシーに係る事実が不特定多数の者が知り得る状態に置かれれば、それで公然性の要件は充たされる。前記のとおり、本件小説は、控訴人新潮社によって単行本としてその出版が予定されているというのであるから、「朴里花」と被控訴人とを同定し得る読者の多寡に関わらず、プライバシーの侵害が肯認される。
(七) 純文学作品としての読まれ方について
[56] 次に、控訴人らは、小説に登場する人物は、モデルとされた実在の人物とは異なるというのが純文学作品を読む者の常識であるから、虚構の事実をすべて事実と認識してしまうような一部の読者が存在することをもって、作中人物と実在人物とを同定できる根拠とすることはできない旨主張する。
[57] もちろん、小説が実在の人物をモデルとして創作されることを否定することはできない。現に実在の人物をモデルとする小説は多い。そして、小説が現実に依拠して作成されたとしても、それはあくまでも虚構の世界に属するものであるということができる。
[58] しかし、そのことをもって、公にされた小説において、モデルとして同定できる実在の人物のプライバシーに関わる事実を、そのまま記述することが、当然に許されるわけではない。現実に題材を求めた場合も、これを小説的表現に昇華させる過程において、現実との切断を図り、他者に対する視点から名誉やプライバシーを損なわない表現の方法をとることができないはずはない。このような創作上の配慮をすることなく、小説の公表によって他人の尊厳を傷つけることになれば、その小説の公表は、芸術の名によっても容認されないのである。他者の実生活は、文学作品の形成のためであっても、犠牲に供されてはならないのである。
[59] 本件において、被控訴人の属性の多くが本件小説中の「朴里花」に与えられていることは前記のとおりである。本件小説には、モデルとされた被控訴人が現実に体験した事実が摘示されており、かつ、一般の読者にとっては、その記述がモデルとされた被控訴人に関わる事実であるのか、それとも控訴人柳の創作した虚構の事実であるのかが截然と区別することができない。本件小説において、控訴人柳が、本件小説中の人物とそのモデルとされた実在人物とが全く異なる人格であると認識できるような創作上の配慮をした形跡はなく、仮に、あったとしても不完全である。現に、証拠(甲7号証)によれば、被控訴人がその友人に本件小説を読んでもらったところ、同人は「朴里花」に関する記述は被控訴人とほぼ同じであるとの印象を持ったことが認められる。もちろん、本件小説には現実に即する記述部分のほか、控訴人柳が私的現実からの異化と称する虚構に属する記述部分もある。しかし、小説の読者にとって、実在の人物の行動・性格がどのようなものであるかは必ずしも明らかではないから、むしろ、描かれているシチュエーションが実在の人物に係るシチュエーションと同一と認識され、かつ、小説中の人物にモデルとされた実在の人物の属性が多く与えられていると、現実とは客観的に異なる行動・性格も、現実と同様又はこれに近いものと誤解されてしまう可能性がある。それを一部の読者が誤った読み方をしたためであるということはできない。
[60] 控訴人らの同定可能性に関する右の主張は失当である。

3 本件小説による名誉毀損について
[61] 前記のとおり、「朴里花」と被控訴人とを同定することができるから、本件小説中の「朴里花」に係る記述中に、その社会的評価を低下させる性質の事実が摘示されている場合、その記述は、モデルとされた被控訴人の社会的評価をも低下させ、被控訴人の名誉を毀損するに至るというべきである。
[62] これを本件小説についてみると、まず、本件小説中の、「朴里花」の父がスパイ容疑により逮捕されたとの事実は、通常、本人及びその家族の社会的評価をも低下させるものというべきであるから、右の記述は、被控訴人の名誉を毀損するものというべきである。次に、本件小説中の、「朴里花」が新興宗教に入信し、連れ戻しに来た「梁秀香」に3万円を無心したとの事実は、新興宗教の信者でない者が、新興宗教に入信して、他人から寄付をせびったことを推認させるから、そのような虚偽の事実を公表することは、その者の社会的評価を低下させるものというべきである。したがって、右記述部分も、被控訴人の名誉を毀損するものである。
[63] 控訴人らは、「朴里花」の父がスパイ容疑で逮捕されたことは、特殊な国情にあった韓国の軍事政権下におけるものであったから、これをそのまま日本国内において社会的評価を低下させるものであるということはできない旨、また、「朴里花」が新興宗教に入信し、連れ戻しに行った「梁秀香」に3万円を無心したとの記述部分は、今にもちぎれそうな2人の友情関係を繋ぎ止める最後の糸の現れといった意味合いのものであって、「新興宗教に入信した者が、他人から寄付を募った。」などという事実を読みとることはできない旨それぞれ主張する。
[64] しかし、本件小説中の「朴里花」の父がスパイ容疑で逮捕されたことに関する記述部分には、特殊な国情下において逮捕された旨の明確な記述はない。そもそも、スパイ容疑で逮捕されることは、その事情がどうであれ、一般的には本人及びその家族の社会的評価を低下させる事実である。また、「朴里花」が新興宗教に入信し、連れ戻しに行った「梁秀香」に3万円を無心したとの記述は、前にその新興宗教が高額の寄付を募るような問題のあるものとして描写されていたことや「朴里花」の「私が第三階位まで到達したら日本に行き、秀香にきちんと説明する。」との記述部分に続いて記述されていることなどの事情からすると、右の記述部分は、前記のような趣旨のものと解するのが自然である。したがって、控訴人らの右主張も失当である。
[65] なお、被控訴人の父がスパイ容疑で逮捕された経歴を有することは当事者間に争いがない。したがって、証拠をあげるまでもなく真実ということができる。しかし、本件小説において右の事実を記述することが公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合に当たるとは認められない。そうすると、真実性の証明によって、名誉毀損の違法性が阻却され、免責されることもないというべきである。

4 本件小説による名誉感情の侵害について
[66] ここでも、前記のとおり、「朴里花」と被控訴人とを同定することができるから、本件小説中の「朴里花」に係る記述中に、その名誉感情を侵害する性質のものがある場合、その記述は、モデルである被控訴人の名誉感情を侵害するに至るというべきである。
[67] これを本件小説についてみると、本件小説中の、
(1)「私は里花を凝視した。里花の顔にへばりついている異様な生き物がさらに膨張するのではないかという恐怖を振り払おうとした。」(本件小説24頁上段22行目から同24行目まで)との記述、
(2)「秀香は里花の顔に貼りついている不気味な悲劇の仮面を視凝める。」(本件小説52頁下段12行目から同13行目まで)との記述、
(3)「…顔の左側に大きな腫瘍ができていて…だから鼻も唇も右にひん曲がってる。」(本件小説53頁上段4行目から同5行目まで)、「勃起する陽根を思わせる腫瘍は脈打ちながらみるみる怒張していく。」(本件小説53頁下段3行目から同4行目まで)及び「脹れあがった皮膚の下で複雑に絡まりあい、瘤の中に固まっている静脈や動脈の一本一本まで透けて見える。」(本件小説53頁下段18行目から同20行目まで)との記述、
(4)「里花が唇を開く度に口の中にある氷柱のような腫瘍が動き出す。」(本件小説54頁上段7行目から同8行目まで)との記述、
(5)「その蛞蝓がぶら下がっているみたいな口でぴちゃぴちゃ食べてるのをみる度に鳥肌が立つんだよね。ほんとに気色悪くて、私いつもグエッと吐き気がしてるんだけどわからなかった?」(本件小説54頁下段6行目から同9行目まで)、「あんたの顔って太った蛆虫みたい。口は、そうだな、蛸の吸盤ってとこか。それにしてもカラフルな痣だね、ナス色、緑色、真っ黄色。お母さんのお腹の中で誰かに顔を殴り飛ばされたんじゃないの。水死体みたい、そう水死体そっくり。海草や海月や小魚に食い潰された水死体の顔ってきっとそんな風だよ。鱗のような固い藤壼にびっしり覆われて……。」(本件小説54頁下段12行目から同19行目まで)及び「『だからよ、だから』唇がめくれ、舌がべろりとはみだすように出た。」(本件小説106頁上段9行目から同10行目まで)との記述、
(6)「電話を切ると、岩陰に潜む沈む魚のような里花の顔が脳裏に翻った。」(本件小説68頁上段16行目から同17行目まで)及び「私は吸盤のように蠢いている里花の唇から眼を逸らし」(本件小説69頁上段4行目から同5行目まで)との記述、
(7)「顔がすっぽり隠れる大きな紙袋をかぶった里花が前へのめるような様子で近づいてくる。左右の眼のところに小さな穴が開いている。」(本件小説91頁下段2行目から同5行目まで)との記述、
(8)「試験官たちは、齧られた花弁であり、壊れたバイオリンであり、堕ちた鳥あるいは飛翔した魚である彼女を目の親りにした時、揺れのない審査ができるのだろうか。」(本件小説75頁下段23行目から同76頁上段2行目まで)
との各記述部分は、いずれも顔面に腫瘍の障害を負った者に対する配慮に欠けるもので、その表現は苛烈ともいうべきであるから、顔面に腫瘍のある被控訴人の名誉感情を傷つけるものというべきである。
[68] 控訴人らは、「朴里花」の顔面の腫瘍についての描写の苛烈さは、本件小説の主要テーマへの探求の苛烈さによって支えられており、また、右の描写は、本件小説上、普遍的な「真の友情の発露」として描写されているから、その描写が苛烈であっても、被控訴人の名誉感情を侵害することなどあり得ない旨主張する。
[69] その趣旨は判然としないが、要するに、右のような苛烈な表現方法をとったのは、芸術上の必要に基づくものであるから、個々の表現を形式的に捉えて、他者の名誉感情を侵害するものであるといった解釈はとられるべきではない旨主張するもののようである。しかし、問題は、「朴里花」を被控訴人と同定し得るようなシチュエーションの中で、右のような苛烈な表現が許されるかという点にある。控訴人柳が本件小説中の「朴里花」と被控訴人とを同定し得ないような記述上の配慮をしなかった以上、「朴里花」の顔面の腫瘍について右のような苛烈な表現をすれば、それは被控訴人の名誉感情を侵害するものと解さざるを得ない。芸術上の必要があることをもって、右のような苛烈な記述によっても被控訴人の名誉感情が侵害されることなどあり得ないなどということはできない。控訴人らの右主張は独自の見解というべきである。

5 表現のエチカについて
[70] 前記認定のとおり、控訴人柳は、「表現のエチカ」を執筆して、「新潮」平成7年12月号に寄稿し、同誌に掲載されたわけであるが、そこには、本件小説中の「朴里花」は顔面に腫瘍がある実在の「K」をモデルにしたもので、控訴人柳と「K」との間には訴訟が係属中であることなどが記述されている。そうすると、控訴人柳は、「表現のエチカ」を公表することにより、本件小説と被控訴人の結び付きをより一層明確にし、また、本件小説のテーマの一つが被控訴人の顔面の腫瘍と被控訴人のこれに対する対応にあることを強調することによって、顔面に障害を有する被控訴人の精神的平穏を更に侵害し、その精神的苦痛を増大させたというべきである。

6 違法性及び有責性について
(一) 文学作品と人間の尊厳
[71] 控訴人らは、本件小説の主題は、「困難に満ちた生をいかに生き抜くか」という人間にとって普遍的かつ重要なものであって、それは社会の正当な関心事に当たり、本件小説中の「朴里花」に関する記述はいずれも本件小説に必要不可欠なものであるから、いずれも違法性を欠くか、免責されるべきである旨主張する。
[72] 文学作品が人間を描き、これが多数の人々に読まれることは、人々の人間存在についての認識の内容を豊かなものとする。このことの社会的価値を否定してはならないことは、控訴人らの主張するとおりである。しかし、小説を創作する際、他者の人格的価値、特に、障害を有する者をモデルとする場合はその者の心の痛みにも思いを致し、その名誉やプライバシーを損なわないよう、モデルとの同定の可能性を排除することができないはずはないのである。このような創作上の配慮をすることなく、小説の公表によって他者の尊厳を傷つけることがあれば、その侵害に対して法的に責任を負うのは当然のことである。ことは人間の尊厳にかかわるのであって、芸術の名によってもその侵害を容認することはできない。他者の実生活が、文学作品の形成のために犠牲に供されてはならないのである。
(二) 「表現のエチカ」を公表することの社会的な相当性の有無
[73] また、控訴人柳は、「表現のエチカ」を公表したのは、被控訴人側が本件小説の出版禁止を求める裁判に関して記者会見をし、これが新聞報道されたため、小説家としての自らの立場が問われる事態となったので釈明の意図で行ったものであると主張する。
[74] しかし、前記認定の本件小説発表後の経緯からすると、被控訴人側が行った記者会見は、被控訴人が本件小説の公表によって受けたプライバシーの侵害を糾弾し、控訴人らによって本件小説が刊行されないよう求めるために実施されたことが窺われ、それは防衛的な措置としてされたものである。これに対し、控訴人柳が、小説の読者、マスコミ各社及び文学関係者らに釈明する必要を感じたとしても、「表現のエチカ」の記述内容は、前記のとおり、新たに被控訴人の人格権を侵害するような内容のものであったのであるから、控訴人柳が右のような対応の必要を感じたことをもって「表現のエチカ」の公表が社会的に相当な行為であったということはできない。
[75] 控訴人らの右各主張はいずれも採用することができない。

7 被控訴人の損害について
[76] 本件小説中に、被控訴人のプライバシーを侵害し、名誉を毀損し、また、名誉感情を侵害する記述が多くあることは前記認定のとおりである。そして、本件小説は、わが国有数の文芸誌である「新潮」平成6年9月号に掲載された。これによって、被控訴人は人格を否定されたような衝撃を覚え、更に、「表現のエチカ」が「新潮」平成7年12月号等に掲載されたことによって、その被害の範囲も拡大し、被控訴人の精神的苦痛は増大し、平成9年には芸大の博士課程3年次を休学するに至った。
[77] 被控訴人は、この間の事情及び本件小説等の公表によって受けた精神的苦痛につき、陳述書(甲32号証)において、
「政治犯とされた父の運命と、私が生まれつきの病気をもっていたことが、私たち家族にさまざまな縛りをかけてきたことは、言うまでもありません。私たちが互いに担わなければならなかった十字架は、今ふりかえってもみても、充分に重いものでした。それでも、今日、私たちは、皆こころから、自分たちの人生を肯定しているし、これまで歩んできた道のりには誇りを感じています。だからこそ、私は、今回の件で、柳美里氏が私や私の家族の経歴などを、小説の素材に利用し、私の人格を歪めて描いたことや、また、私の障害についても侮辱的な表現をしていることによって、大変、深く傷つきました。
「新潮9月号を入手し、小説を読み始めてからというもの、私は部屋の中でひとり転がりもがく程苦しい思いをしました。ともかく何もかもが信じられないという衝撃で、声にならない悲鳴をあげながら、自分の皮を一枚一枚はぎ取るような思いで本のページをめくったのです。」
「はじめは、私の経歴がまるで暴露でもされるかのように写し書かれていることに驚愕しました。しかし、読み進むにつれ、朴里花は、私自身の人格から次第に変形してゆき、現実の私にはとうていあり得ない言動をとる、歪んだ人物に描かれていました。朴里花の外観的特徴は、私の姿で描かれているのに、その言動や人格は私が受け入れ難い性質の人間に歪曲されてあったのです。しかも、柳氏自身をモデルとする小説の主人公「秀香」によって、障害をもつ朴里花は、このうえなく侮辱されていました。私は、傷つき、裏切られたという気持ちでいっぱいでした。」
「(モデルとされたことは、)私の顔面に隠しようのない障害があることと関連して、きっと健常者のひとには予想もできないであろう比重でのしかかってきます。障害をもつ私はどこにも隠れようがなく、小説を読んだ人ならば、誰でもすぐに自分のことを認定できるだろうという強迫観念が付きまといます。たとえ、それが、自分自身の強迫観念に過ぎないのかもしれないと自覚しても、そうしたものとの戦いこそが、障害をもつ私が自分と日々戦っている障害による呪縛なのです。そして、その呪縛こそが、「自分の中に棲む一匹の魚」と名付け、なんとか、自分でうまく折り合いをつけようと努力してきたものの実体でもあります。」
と述べている。
[78] 被控訴人が、本件小説の公表によって深く傷つき苦しんだことは容易に想像することができる。
[79] 右に検討したところと本件に顕れたその他一切の事情を総合考慮すると、被控訴人は、少なくとも原判決が肯認した損害額に相当する精神的苦痛を被ったものと認められる。そして、当裁判所は、原判決の認定した損害の額は、少額にすぎ相当でないものと判断する。しかしながら、被控訴人から不服の申立てがなく、これを是正することはできない。そこで、当裁判所は、原判決と同額の賠償として、控訴人柳、控訴人新潮社及び控訴人坂本は、被控訴人に対し、本件小説の公表により被控訴人が被った精神的苦痛に対する慰謝料として、連帯して100万円を、また、控訴人柳は、被控訴人に対し、「表現のエチカ」の公表により被控訴人が被った精神的苦痛に対する慰謝料として30万円をそれぞれ支払うよう命ずることとする。

8 本件小説の出版等の差止め請求の可否について
(一) 出版に関する合意の成否
[80] 被控訴人は、本件仮処分事件の審尋期日における控訴人柳、控訴人義家及び控訴人新潮社の陳述と被控訴人の仮処分申請の取下げをもって、右控訴人らと被控訴人との間に、右控訴人らが本件小説を修正版の如く修正を施すことなしにはこれを出版公表しない旨の合意が成立していた旨主張する。
[81] しかし、本件仮処分事件においては、和解が試みられたが、折り合いがつかず、和解による解決は断念されたのである。そうすると、その後の審尋期日において、当事者の一方が裁判所に対してした陳述をもって、右控訴人らが被控訴人に本件小説を出版公表しない旨約束したなどと認めることはできないというべきである。このことは、右控訴人らの右陳述が本件小説の出版の可否については別途決着をつけるべく暫定的な措置としてされたこと、また、本件仮処分事件の審尋期日における右控訴人らの陳述には「今後、右小説を公表する場合には、乙第3号証の1・2、乙第4号証のとおりの訂正を加えたものとする。」との部分があるのに、被控訴人は、本訴において、右控訴人らに対し、本件小説の修正版の出版の差止めをも求めていることからして明らかである。被控訴人の右主張は採用することができない。
[82] したがって、原判決が、右控訴人らと被控訴人との間には控訴人らが本件小説を修正版の如く修正を施すことなしにはこれを出版公表しない旨の合意が成立していた旨判断したのは失当である。
(二) 人格権に基づく出版等の差止め等の可否
[83] そこで、次に、被控訴人の人格権に基づく本件小説の出版等の差止め請求について検討する。
[84] 人格的価値は極めて重要な保護法益であり、物権と同様の排他性を有する権利ということができる。したがって、人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和61年6月11日大法廷判決民集40巻4号872頁)。
[85] そして、どのような場合に侵害行為の事前の差止めが認められるかは、侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ、予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは事前の差止めを肯認すべきである。
[86] これを本件についてみると、被害者である被控訴人は、市井の一学生であり、自己の業績、名声、生活方法等によって公的存在(パブリック・フィギュア)となった者ではない。
[87] 本件小説において問題とされている表現内容は、公共の利害に関する事項でもない(控訴人らは、本件小説のテーマが「困難な生をいかに生き抜くか」という人間にとって普遍的かつ重要な問題にあり、それは社会の正当な関心事に当たる旨主張する。しかし、ここで問題とされるのは、本件小説のテーマそれ自体ではなく、小説中の一部の具体的な記述である。仮に本件小説のテーマが控訴人ら主張のようなもので、一般の読者もそのように読解するとしても、そのことから本件小説中の問題の記述が公共の利害に関するものであるなどということはできない。)。
[88] また、前記認定のとおり、本件小説を平成6年9月1日発行の文芸雑誌「新潮」に掲載した控訴人新潮社は、わが国有数の出版社であり、控訴人柳は第116回芥川賞を受賞した作家であって、これにより社会的関心も高まっていることが窺われる。そして、控訴人らは、現在も本件小説を出版する意向を有している。本件小説が出版されると、相当の発行部数となるものと見込まれる。
[89] 本件において、被控訴人が保護を求めている法益は、顔面に腫瘍の障害がある事実等の秘匿したい事実をむやみに出版公表されない利益である。そして、もし出版公表されれば、前記認定のとおり、被控訴人の精神的苦痛を倍加させ、平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるおそれがあるものと認められる。
[90] 右のような人間存在にかかわる事態は、表現の自由の名の下にであっても、発生させてはならないものである。しかも、本件の問題の記述は、単なる不名誉な事実(いわゆる醜聞の類)の公表とは異なり、時が経つにつれてその影響力が減少するものではない。これを読む者が新たに加わる毎に、被控訴人の心の中で精神的苦痛が増加し、また、被控訴人の平穏な日常生活が害される可能性も増大するものと認められる。そうすると、その出版公表による被害を防止しようとすれば、事後的賠償では足りないことは明らかであり、出版等による公表を事前に差止める必要性が極めて大きいものと認められる。
[91] 以上検討したところによれば、出版等の差止めによって控訴人らの被る不利益を上まわる不利益が出版公表により被控訴人に生じるものということができる。そして、その不利益を防止するのに、事後的賠償によることは相当でないから、被控訴人の人格権に基づく本件小説の出版等の差止め請求はこれを肯認すべきである。

[92] したがって、被控訴人の請求を原判決主文第一ないし第三項の限度で認容した原判決は結論において相当で、本件控訴は理由がない。
[93] よって、主文のとおり判決する。

  (口頭弁論終結の日 平成12年11月16日)

  東京高等裁判所第19民事部
    裁判長裁判官 淺生重機  裁判官 西島幸夫  裁判官 原敏雄

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