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ピーター・ドラッカー『大企業とは何か』

Peter F. Drucker, Concept of the Corporation
New York: John Day Co., 1946.

現行訳を読むときの注意点,および正誤表

現行訳(上田訳『企業とは何か』)には, 注意すべきことがらや誤訳があまたあり、学術利用に適さない。それゆえ、学生 たちの勉学上の便宜を考えて、以下にそうした問題点のほんの一部分だけを例示的に指摘し ておく。あとは学生諸君が自ら原著にあたって確かめてほしい。とにかく現行訳だけを たよりにドラッカーを読んでいる場合,正確な理解には至らないであろう。



原著ページ数 上田惇生訳
『企業とは何か』ダイヤモンド社, 2005.  
訂正すべきことがら,およびわたしの翻訳  
本書のタイトルについて 『企業とは何か』 下に訳出した「用語解説」(原著4頁)にある通り、 ドラッカーは、 "corporation"の語を"large scale business enterprise"の意 味で使っており、「大企業」と訳すのがよいだろう。かつて下川浩一氏が本書を 訳したとき、タイトルを『現代大企業論』としていた。  
全体を 通じて 企業   原著では「ビッグ・ビジネス(big business)」なり 「大企業(large corporation)」となっているところが,この訳書では,両者 の区別がなされておらず,ほとんどの場合、単に「企業」と訳されている。

本書の用語法を正しく理解するためには,原著4頁にある「用語解説」を参照 しなければならないが,訳書では省かれている。  

全体を 通じて マネジメント   原著で「マネジメント」の語が使用されていないところでも、 訳書では頻繁にこの言葉が使われているので要注意。
また、本訳 書には,(1)訳しにくいところを省略している,(2)章節のつけかたが原著 と異なっている、(3)原著の段落の区切りを完全に無視している、(4)脚 注をすべて省略している,といった特徴がある。  
3-4 それでは、アメリカ人にとって自由企業体制とは何か。……

利益は企業活動を動機づけ,規定する。購入を決定するのは消費者である。 価格は,権力ではなく,需給によって決定される。私有企業は、競争市場 で利益を上げつつ販売すべき製品を生産する。……企業がアメリカの産業社 会の焦点となるのも,そのような自由企業体制のもとにおいてである。(4頁)

とはいえ、アメリカ人は「自由企業」という言葉で いったい何を考えているのだろうか? ……

国民の通念によれば,利潤は企業活動を動機づけ規制するものだと受けとめられ ている。また、消費者は自ら欲するものを求め、価格は市場における需給で決まり、 政治的に決定されるのではないとの含意もある。つまり、自由企業という考えには、 私的に所有され自主的に運営される企業が、競争市場で販売するモノを利潤 目的で製造するのを容認するという意味が含まれている。自由 企業という言葉は,本研究を通じてこうした意味で用いられる。そして ほかでもない、アメリカ産業社会にかんする研究においてつねに大企 業が焦点となってくるのは、自由企業のこうした定義ゆえなのである。*


註* 用語解説。産業社会という現象は最近のことゆえ、あるいはむしろ それが意識されるようになったのが最近のことゆえ,産業社会を代表する制 度を記述するための一般用語が見あたらない。われわれが叙述し分析しなけれ ばならないのは、(a) 現代技術が要請している技術的に統合され た大規模事業単位、および(b) そうした事業単位が組織される際の仕組みと なる特殊な法 的および経済的な制度であり、この制度のおかげで事業単位は社会的にも経 済的にも存立可能となっているものなのだ。これら二つの分析対象のうち第 一のものは,ある特定の国の特殊な社会的,政治的,経済的なシステムに左 右されるものではなく,技術的な要請に基づく現実なのであり,現代産業がいつ いかなる状況の下におかれていようと変わらない。第二のものは,それぞれの 国の政治経済秩序によって決まってくる。いま普通に用いられているこれら の用語は曖昧で誤解を招きやすく、感情に流されやすい。第一の概念につい ていえば,「統合された大規模生産単位」といったぎこちない言葉と「ビッ グ・ビジネス」という非難めいた用語の二者択一に迫られている。いろいろ と問題があるのは承知の上で,本書では「ビッグ・ビジネス」という言葉を 物的技術的生産単位を叙述するために一貫して用いることとし,それが競争 的自由企業体制下の私企業として組織されていようと,ロシアにみるよう な政府所有のトラストとして組織されていようと問わないものとする。 この言葉は簡潔で広く用いられていることもあるが、もともと私の意図したとおりの意味 で用いるのなら許されよう。感情的な響きは,言葉それ自体にあるというよりも, 現代産業の不正に対する過去半世紀にわたる闘いによって付加されてきたも のなのだから。
  もっとやっかいなのは,アメリカの自由企業体制下でビッグ・ビジネ スが組織される際の社会経済制度を叙述するための用語についての判断であっ た。広く用いられている唯一の用語はコーポレーション(大企業)である。たいていの 場合,この言葉が何を意味しているのかは一目瞭然であり,たとえばバーリとミー ンズの著書『近代コーポレーションと私有財産(The Modern Corporation and Private Property)』というタイトルに見られる とおりだ。しかし同時に,その用法がはなはだ紛らわしいのも明らかである。 この用語がまったく異なる法律上の意味をもっており、その意味がいまだ失われ ておらず,また法律専門家だけが用いるわけではないからである。 たとえば,バーリとミーンズは,街角のタバコ屋がしばしばコーポレーショ ン(法人組織)だったとしても、それを議論に加えることなど端から考えていなかった。 また,大規模事業体が、無限責任社員によって所 有されているようなことがあったとしても,それを議論からはずす気などなかった。 しかし,大規模企業(large-scale business enterprise)── 常にというわけではないが,たいていは法人形態をとっている── を表す別の言葉をわれわれは持ち合わせていない。こんなわけだから、 私は一般用法に倣って「大企業(large corporation)」なり(文脈からいって形容詞が省け るときにはいつも)「corporation」という語を,欠点があるのは承知の上で, 使用することとした。  
   
13 第二に,社会組織として,社会の信条と約束の観点から分析しなけれ ばならない。この分析は,社会において中心的な位置にある組織についてと くに重要な意味をもつ。なぜならば社会にとって中心的な組織が,社会の信 条と約束の実現にいかに貢献するかが,社会そのものの機能を左右するから である。(12頁)   いかなる制度も社会に行きわたっている人々の信念や約束に 奉仕しているかどうかという視点から分析しなければならない。当該制度が 社会の倫理観や約束の実現に寄与することによって,社会に対する市民の 忠誠心を強化しているだろうか? この問いは社会の中軸となる制度を検討 するときにはとりわけ重要である。なぜなら社会の中核的な制度が社会の基 本的な信条や約束を実現する能力は,とりもなおさず社会それ自体の実力の 程度を示していると考えられるからである。  
20 企業は社会的組織である。共通の目的に向けた一人ひとりの 人間の活動を組織化するための道具である。(20〜21頁)   企業はひとつの制度であると言うとき,その意味は, あらゆる制度がそうであるように,企業もまた人びとの努力を共通の目的に向けて組織するため の道具だということである。  
39 企業の目的は経済活動である。したがって企業は,自らの効 率を感情や欲求とはかかわりなく客観的に測定するための尺度を必要とする。 (38頁)   企業の目的は効率的に運営されることである。企業は効率性 の基準で,つまり感情に流されることなく客観的に評価されねばならない。  
40 企業にとって重要なことは,経済効率に優れた生産という共 通の目的に向けた人間活動のための組織として存続することである。(39頁)   制度としての企業にとって最重要な原則は,もっとも能率的 な生産を実現するという共通目的に向けて人びとの力を効果的にまとめあげ るための組織体として存続することである。  
63 GMでは,三〇〇人から五〇〇人という経営幹部は,ほとんど 望むだけの責任を持つことができる。(58頁)   GMがどのような組織を目指しているのかを分析して感じたこ とは、三〇〇人から五〇〇人はいる第一線の現場監督者およびそ の補佐役以上の人なら誰であれ、望むだけの責任を持たせてもらえる、という個人的 自由を享受していることだ。  
86 ある大きな部品事業部では,この考えをそのまま実行してい る。(79頁)   こうしたオール・ラウンドな訓練の流れは途切れることなく 継続されねばならない。  
122 自由企業体制では,価格,利益,生産量は市場によって決め られる。事実,自由企業体制のメリットは市場によるテストであるとされて きた。自由企業体制への反論も,市場によるテストはコストで十分代替でき るというものだった。(110頁)   自由企業体制と国家社会主義なり国家資本主義との違いは, 前者にあっては市場によって価格や収益性や生産量が決定される点にある。 自由企業体制の方が経済効率が高いとする主要な議論は,競争市場が有する チェック機能の効果につねに注目してきた。他方この議論に反駁するものは, 市場によるチェック機能は原価計算なり「社会主義的競争」,つまりコスト削減 効率で容易に代替できると常々主張してきたのである。  
133 これが,政治思想としていかに評価すべきものかは問題ではない。重要 なことは,アメリカ社会を理解する鍵がここにあるということである。(121頁)   この哲学がアメリカ社会の政治的な現実を正しく表現しているかどうか は本書では問わない。* われわれにとっての関心事は,この哲学がアメリカ社会を 的確に分析するうえで依拠すべき唯一の考えだということである。


註* 私はこの哲学が社会を正しく描いており,この哲学こそが自由社会の基礎 になると信じていることは,拙著『産業人の未来』で詳しく論じたとおりである。  
176 分権制は,マネジメントの機能が存在する範囲においてのみ 意味をもつ。つまりそれは,平の工員を産業社会に組み込む上では役に立た ない。(161頁)   フォアマンの機会と中流階級としての地位について分析して 明らかになったことは,分権制を産業秩序の原理として適用できるのは,わ ずかなりとも管理執行機能が存在するところにおいてのみであるということ だ。分権制は平の工員を産業社会に統合するための基盤にはならないだろう。  
178 年功(163頁)   先任順位(seniority)  
   
   


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