ポポロ事件
控訴審判決

暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件
東京高等裁判所 昭和29年(う)第2374号
昭和31年5月8日 第11刑事部 判決

控訴人 原審検察官 田中万一
被告人 千田謙蔵
検察官 八木新治

■ 主 文
■ 理 由

■ 検察官の控訴趣意書
■ 弁護人石島泰外26名の答弁


 本件控訴は之を棄却する。


[1] 検察官田中万一の控訴趣意は、本判決末尾添附の控訴趣意書に記載のとおりであり、弁護人石島泰、同高沢正治、同鹿野琢見、同渡辺卓郎、同音喜多賢次、同松井康浩、同鈴木紀男、同河嶋昭、同西田公一、同柴田睦夫、同増永忍、同蒔田太郎、同関原勇、同大塚一男、同池田輝孝、同金綱正己、同岡林辰雄、同佐藤義弥、同松本善明、同芦田浩志、同井上義男、同内谷銀之助、同河崎光成、同斎藤一好、同窪田K、同的場武治および同鍜冶良堅の答弁の趣意は、本判決末尾添附の答弁書に記載のとおりであるから、これらについ判断する。
[2] 所論に基いて記録を査閲するに、原審においては、第5回公判期日後たる昭和28年10月9日原審弁護人高沢正治より証拠調請求書を以て第13国会の参議院および衆議院における文部又は法務各委員会の会議録合計6通の取寄を求め、原審は同月12日これが取寄決定をして取寄せた上同年11月16日の原審第9回公判期日に右高沢正治ほか2名の弁護人の証拠調請求により右会議録6通の証拠調をしたが、その際同証拠の立証趣旨を明確にすること並びに同取調に対する相手方の意見を聴く等の法定手続を経たことは同公判調書に記載なく、その他にも之を認めるに足る資料のないこと所論のとおりである。従つて右会議録に対する証拠調は所論の如く訴訟手続上違法のものと謂わなければならない。
[3] 然し、右会議録は、国会関係法規にいわゆる証人の供述を録取したもので、その供述内容は本件公訴事実に関するものなることは認められるが、元来弁護人の請求によつて取調べられた証拠であつて公訴事実立証のための証人の供述の証明力を争う目的の証拠として提出されたものなることは自ら推認できるところであり而して原判決は之を現実に引用して判断資料に供していないのみならず、原判決の無罪認定の理由は右証拠を除外するも優に肯認できる実状にあること後述するとおりである。故に、畢竟右訴訟手続上の違法は判決に影響あること明らかなものとは謂い得ない。論旨は結局理由がない。
[4] 所論は、要するに、本件劇団「ポポロ」主催の演劇発表会は有償の入場券を発売して一般人をも入場せしめていた通常の集会で大学の学内集会と観るべき特質を具えたものではなく而もその集会の行事の内容は単なる演劇そのものに限らず警備活動の対象となるべき各種の事実の出現は初めから予想されたのである。而して本件警察官柴義輝、同茅根隆および同里村光治等は右警備活動の公務執行の目的を以て入場したには相違ないが、その際入場券を買い求めて普通の入場手続を経たのであるから、右入場は適法な行動である。然るに、原判決がその判示(二)の部分において、右演劇会を純然たる学内集会として而し右警察官等の入場を違法行為となしたのは事実誤認なる旨主張するものである。

[5] そこで審按するに、
[6] 押収にかかる教室使用願、教室使用料免除願および研究発表会は政治目的を有しない旨の保証書の各写書合計3枚(昭和29年押第865号の9ないし11)、原審証人矢内原忠雄の供述(原審第6回公判調書記載)、同尾高朝雄の供述(同第4回公判調書)および同斯波義慧に対する尋問調書を綜合すると右劇団「ポポロ」は、演劇の理論および上演の研究を目的とし東京大学の学生によつて組織されており同大学当局より公認された学内団体であつて、昭和27年2月20日の本件演劇発表会も成規手続を経て右当局から許可され学生および教職員を主たる対象として開催したものなることが認められ而して押収にかかる東京大学学生新聞1部(前同押号の1)、東大劇団ポポロ演劇発表会入場券3枚(同押号の6ないし8)、原審証人柴義輝の第1回供述(原審第3回公判調書記載)、同茅根隆の第1回供述(同第4回公判調書記載)および同里村光治の供述(同第2回公判調書記載)によれば、右演劇会は所論反植民地斗争デーの一環として行われ、演劇の内容もいわゆる松川事件に取材し、開演に先き立つて同会場で右事件の資金カンパやいわゆる渋谷事件の報告等もなされたこと並びに柴、茅根および里村の3巡査は孰れも入場券を購入して入場したのであるが、当時右3名以外にも一部少数の同大学の学生や教職員ならずと思しき者の入場したものがあつたこと所論のとおりなることも夫々認められる。
[7] 然し、一般に、良識ある公民たるに必要な政治的教養は大学教育上も十分尊重すべきであり(教育基本法第8条第1項参照)、従つて、学生が政治的社会的諸現象に関心を抱き、それらを命題とし又はそれらに取材して演劇等の具体的方法によつて広義の研学的行動をなし更にその際極めて附随的にその演材に因む実社会的事実の報告や之に関連する資金蒐集運動をなすが如きことあつても、それが学校当局公認の場所と方法とによる以上やはり学内活動の一部たるを失わず、而して同集会の入場に際し同会の目的や会員の一般的資力よりみて不当ならざる程度の入場料を徴することや同入場券頒布の方法に便乗して観劇資格者の主要部分として予想している当該学校の学生および教職員以外の一部少数者が会場に混入するが如きことがあつたとしても、それは同会経理担当者の能力や入場者看視員の注意力の批判の原由となるや否やは格別、これによつて同集会の学内集会たる性格に変更を来す程本質的な事柄ではない。故に、本件劇団「ポポロ」についても前記の如く演劇自体の取材等に若干当時の実社会的事象を加味し、併せて同事象に関連する報告や資金蒐集等をなし又入場券を頒布したため本件警察官等のみならず他にも幾分同入場券によつて入場した外来者があつたとしても、右劇団が東京大学公認の学内研究団体であり、右演劇会が同学内集会たるに変りないものである。

[8] そこで、次に、右演劇会場に柴義輝および茅根隆等の警察官が入場したことの法律的性質につき按ずるに、
[9] 此の点に関し、まず根本的に考究すべきは警察権と大学自治との関係である。而して元来大学は学問の研究および教育に関する国内最高部の機関として比較的早くよりその構内殊に教室や研究所内における教職員や学生の行動については特別の自由が認められ、いわゆる大学自治の原則が成立しつつあつたが、現行憲法に至つては、その第23条に学問の自由は、思想、集会、言論等と相ならんで保障の明規が設けられ(憲法第19条第21条参照)、此の根本精神を汲む教育基本法と相俟つて大学自治の観念は一層明確に公認されたのである。而して、此の原則によれば、大学は学長(又は総長)の校務管掌権限を中心として、その大学内における研学および教育上の有形無形の諸点につき教職員および学生の真理探究又は人間育成の目標に向い一定の規則に従つて自治的活動をなすことが認められ(これを大学自治の積極面ということができる)、同時に外部との関係においては政治的又は警察的権力は治安維持等の名下に無制限に大学構内における諸事態に対して発動することは許されず、たとい客観的には警察的活動の対象となるが如き外観の事実ある場合にも、それが大学構内殊に教室や研究室内におけるものなる場合には、事情のゆるす限り先ず大学当局自らの監護と指導とに委ねて解決を図り、同当局の処理に堪えず又は極めて不適当なものとして同当局より要請ある場合初めて警察当局が大学当局指定の学内の場所に出動するを妨げずとなすことは、わが国における大学自治の実態として公知の事実である(これを大学自治の消極面ということができる)。これは、もし然らずして警察当局において警察活動の対象事実が存在する限り大学内にも随時随所に警察権を発動し得るものとすれば、大学の生命的任務たる学問および教育の事業は実際上警察権の下に屈従を余儀なくされて到底その自由と公正との保持が不可能となるが如き場合の出現が虞れられる結果自然醸成せられた観念である。
[10] 原判決において、警察は公共の秩序維持を任務とするが、その公序とは憲法以下国内法秩序全体の均衡調和の上に想定される憲法的秩序の全体像に則つて把握されるべきで単に刑罰法令を含む実定法秩序の実現の観念のみを以て理解されるべきではないとの理由の下に大学に対する警察権行使に限界あるべきを判示しているのも此の大学自治の原則の実質的一根拠としての大学と警察権との関係をいうものにほかならない。このことは、また、一般に警察比例の原則即ち社会生活の秩序維持の障害を除去するために加える制限は、その障害の程度と適当なる比例を保つことを要するものとせられる観念にも合致するものであり、たとい警察当局よりみて大学(学生をも含む広義のもの)がわに若干警察活動の対象を以て目せらるる事態がありとしても、その予防または除去のため直ちに大学の使命とする学問や教育の本務の実質を害する程度の警察活動をおよぼすが如きは警察権の限界を踰越するものといわねばならない。所論の文部次官通達は昭和25年7月3日東京都条例第111号(即日施行)「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」第1条所定の公共の場所における集会の許可制につき当時の文部事務次官より東京都内およびその他の各大学長等に宛ててなした通達であり、之によれば右集会が学生等により学校長の定める手続を経て許可せられ学生等特定者を対象として催されて一般公衆の自由参加を認めない場合には右条例による許可を要せざることに文部当局と東京都の警視総監との間に協議成立した旨公知したもので、右大学自治の事実が代表的一警察機関によつて実際上公認された一証左ということができる。
[11] 本件においては柴、茅根および里村等の本富士警察署の警備係巡査が前記劇団「ポポロ」の演劇会場においては警備活動の対象事実発生の疑あるにより、之を直接に査察して対策を講ずる要ありと解し、即ち司法警察および予防警察の措置をなす準備の意味において、公務執行の意図を以て入場したものであり、その際入場券を購入使用はしているが、たとい有償公開の一般興業場ですら、その公開時間中に警察官が犯罪の予防等のためその場所に立ち入る際には、同場所の管理者等は正当の理由ある場合には右立入の要求を拒むことができるばかりでなく、右管理者等の要求あるときは、同警察官はその立入の理由を告げ且つその身分をを示す証票を呈示することを要する事例等にかんがみるも(警察官等職務執行法第6条第2項および第4項参照)本件の如く自治を認められた大学の教室内において学内団体が大学当局の許可の下に演劇開催中警察官としての認定によつて警備活動の対象現存するものとし、その会場内に立ち入る場合には、その旨を大学当局に少くとも告知すべきことは現行憲法下におけるわが国の全法律秩序に照して当然のことである。果して然らば、大学当局や右団体の代表者等には何等の連絡もなさざるまま右演劇場内に立ち入ることは前記大学の自治を乱すものであつて、正しく前記全法律秩序に違反する所為たるを免れない(警察官等職務執行法第6条第3項参照)。而して入場券によつて入場したことは、私人としての入場ならば格別、前述のような法秩序に違反する公人としての入場行為を正当化し得ないことは当然である。斯くして、大学自治そのものが久しきに亘る慣行の末今や憲法および法律の積極的な保障を受けて既に確定的な法律的制度となつている以上、その制度の基盤となつている前記法秩序を紊す前記警察官等の行動は、その主観的信念においては職務の遂行に熱心なる上のこととしても、結局わが国現下の憲法を頂点とする全法的秩序に違反する意味において違法行為であると言わなければならない。
[12] 所論は本件警察官等の右会場立入は専ら会場内の実状を査察内偵して警備情報の蒐集や犯罪予防等に当る目的に出でたるに過ぎず而してその結果警察的にみて同集会を解散させる要ありと認めても直ちに解散を命ずることなく右大学当局に通報しておいて警察当局の措置を待つ予定であつたから、右立入は適法なる旨主張する。然し、斯ように学内集会に対し職権を以て実状査察の目的で立ち入るためには、前述の如く大学当局等に対しその旨予め通報連絡すべきであるから、斯る手続を経ずして突如不知に乗じて立ち入ること自体が既に違法となるのであつて、立ち入つて査察した結果得られる判断や措置の適否によつて遡及的に右立入行為の法律的性格に変更を来す訳のものではない。
[13] 故に、原判決がその摘示(二)において本件劇団「ポポロ」を以て東京大学の学内団体にして本件演劇会は学内集会であるから、大学自治の原則上たとい入場券によつて入場しても本件警察官等の右会場立入行為は違法のものなりとしているのは、前述するところに照し結局正当であつて、前記以外の原審取調諸証拠および当審取調にかかる総ての証拠によるも、原判決には、これらの点につき所論のような事実誤認の廉ありとはみられない。論旨は第一および第二共に理由がない。
[14] 所論は、全体として、本件公訴事実の内容は、被告人が外数名と共同して柴義輝および茅根隆の両巡査に対し夫々数挙動の暴行を加えた旨のものなるに、原判決は、その中柴巡査に対して単独に一部の暴行的動作をなしたことのみを認め、その余は総て認めるべき証拠なしとし而も右柴巡査に対する暴行的動作についてすらも、その違法性は阻却される正当行為なりとして、結局被告人に無罪の言渡をしたのは事実誤認より延いて法律の適用を誤れる旨主張するものである。

[15] そこで、まず、被告人が右柴および茅根両巡査の身体や所持品等に対して如何なる行為をしたかを討査するに、
[16] 押収にかかる黒紐1本(昭和29年押第865号の2)、検事土田義一郎の昭和27年3月1日附領置調書、警察手帳3冊(同押号の3ないし5)、原審証人柴義輝の第1回供述(原審第3回公判調書記載)、同茅根隆の第1回および第2回供述(同第4回および第5回公判調書記載)、同里村光治の供述(同第2回公判調書記載)、同豊川洋の供述(同第9回公判調書記載)、同中村隆治の供述(同公判調書記載)、同中村昇司、同塚田一雄、同田岡初五郎、同高野卍、同遠藤寛および同菊池博夫に対する各尋問調書、原審検調証書を綜合すると、前記の如く本件演劇会場たる東京大学法文経25番教室に本富士警察署員たる柴義輝、茅根隆および里村光治の3巡査がその職務上警備情報蒐集の目的を持ち私服姿で相前後して入場し観劇者席に着いて場内の状況を監視中第1幕が終つた頃右柴巡査が場内略々中央辺にいた同大学生より警察官なることを感付かれたような気配を覚え急遽同会場より退去しようとして右中央辺の席を起つて同室の後ろ側の西南部にある出入口に向つて歩み寄つたとき同大学経済学部学生たる被告人が同巡査に近づいてその右手を掴み、「私服がもぐり込んでいる」と叫んだので場内にいた他の学生数名も同所に集つて来て同巡査を同所から東方の舞台(演壇)前に連行して同巡査に警察手帳の呈示を求めたり同巡査の写真を撮つたりしたが、そのとき被告人も同所に来て、それまで同巡査が右手帳を呈示しないのをみて、同巡査の着用しているオーバーコートの襟に手をかけて引きながら同手帳の呈示を促したりしているうち同巡査が所持の手帳(前同押号の5)を取り出して被告人等に呈示したので被告人等は之を一見した後同巡査に返した事実を認めることができる。
[17] 所論は、右のほか、更に、(イ)被告人は右柴巡査の右腕をつかんだ直後手拳で同巡査の胃の辺を突き、(ロ)同巡査の洋服内ポケツトに手を差し入れてオーバーコートのボタンをもぎ取つたこと(以上公訴事実(一)の内)、(ハ)茅根隆巡査に対しても同教室に連る踊り場において他の学生が同巡査の両手をおさえているとき被告人が同巡査の洋服の内ポケツトに手を差し入れてボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引つ張つて紐を引きちぎる暴行(公訴事実(二))をなした旨主張する。そこで、順次検討するに、
[18](イ) 被告人が柴巡査の胃の辺を突いたとの所論点については、原審証人柴義輝の第1回供述(原審第3回公判調書記載)においては被告人が前記の如く右教室内で右柴巡査の片腕をおさえた際「私服がもぐり込んでいる」と叫んだので同巡査が被告人のおさえた腕を振りはなそうとすると被告人は右手で同巡査の胃の辺を突いた旨述べていること所論のとおりである。然し、これは、原判決にもいうとおり同巡査が急いで同教室から退去しようとしていたとき被告人が追いついて制止しようとした瞬間における事態であつて、右証言によるも被告人が何故に又如何なる姿勢で同巡査の特に胃の辺を突いたか而してその突かれた結果は同巡査は何らか苦痛を感じたか否か等すら一切不明であることに鑑みれば、たとい当時被告人と同巡査とが接近して互に相手を抑制しつつあるうちに被告人の手先きが同巡査の腹部に接触したことがあつたとしても之を以て直ちに暴行の故意に出て同腹部を突いたものと認めるには未だ証明十分とは謂い難く而してその他にも右証言の裏付となるべき証拠は全く見出せない。
[19](ロ) 次に、被告人が右教室内で柴巡査のオーバーコートのボタンをもぎ取つたとの所論点については、右証人柴義輝の第1回供述によれば、柴巡査が舞台前で被告人からオーバーの襟を引つぱつて警察手帳を出せと云われてから気がついて見ると右オーバーのボタンが取れてなくなつていたが、それは舞台前で取れたと思う旨述べているが、右供述によるも柴巡査はボタンが取れ落ちる瞬間を目撃していたことは認められず且つ同証言によれば柴巡査は前述の如く教室の後部において被告人に腕をおさえられた後他の学生によつて両手を押えたりしながら舞台前に連行されたことがわかるので、右証言のみを以ては確かに被告人が舞台前で同巡査のオーバーコートの襟を引つぱつたために右ボタンが取れ落ちたものと認めるには十分でなく、而して此の点についても右証言以外に特に証拠がない。
[20] 而して、被告人が同舞台前で柴巡査の洋服内ポケツトに手をさし入れたとの主張事実については之を認めるに足る証拠は全くない。
[21](ハ) 次に被告人が茅根隆巡査に対しても踊り場で両手をおさえたりポケツトに手を入れて警察手帳の紐を引きちぎつたりする暴行をなしたとの所論点については、原審証人茅根隆の第1回供述(原審第4回公判調書記載)によれば之に照応するが如き供述があるが、之を更に原審証人中村隆治の供述(同第9回公判調書記載)、同浜里久雄の供述(同第11回公判調書記載)および同斯波義慧に対する尋問調書その他原判示(一)において此の点につき引用の各証拠に比照検按すると、茅根巡査は右手帳を被告人に引きちぎつて取られたと称する時刻の後同大学厚生部長斯波義慧がその場に来たときも同巡査は被告人を指名して同人の右行動の申告および右手帳返還要求をなした事跡はなく、むしろ同巡査は踊り場で多数の学生の要求により警察手帳を被告人以外の学生に渡したもので、その頃被告人も同踊り場内に居たようであるが、右巡査のポケツト内に手を差し入れて同手帳の紐を引つぱり又は進んでその紐を引きちぎるなどの態度に出たことは到底認め難いこと原判示のとおりである。
[22] 而して前記の如く被告人の柴巡査に対する所為として認められる範囲即ち初め同巡査の腕をつかみ、その後舞台前で同巡査着用のオーバーコートの襟を引いたことが福井駿平その他の学生との共同行為なりやの点については、腕をつかんだ所為当時は被告人が最初に同巡査の身体に接触したものであり又オーバーコートの襟を引いた所為も共に被告人自らの発意でなしたものという以外特に他の学生と意思連絡してなした共同行為とみるべき証拠はない。
[23] 而して以上の諸点については原審取調にかかる爾余の各証拠および当審取調にかかる総ての証拠によるも特に之と認定を異にすべき筋合のものとはみられない。

[24] そこで、進んで、本件被告人の行為に対する原判決の法令適用の当否につき審究するに、
[25] 所論は、畢竟原判決においては本件公訴事実中被告人の所為と認めた範囲内のものと雖も国内法全体の均衡調和による秩序(憲法的秩序)保全の点よりすれば大学の自治ないし学問教育の自由の擁護を目ざした行動であり、その価値は警察官の個人的法益の価値より優るが故に正当行為なりとして刑法第35条により罪とならざるものと判断している。然し、本来学問の自由も警察官個人の身体等に関する法益も憲法以下法律的保護の対象として上下あるべきわけはない。而して本件の場合は警察官等は既に演劇会場内より退去しつつありしを被告人が追いついてその身体や所持品等に所論の如き行為を加えたのであるから、たとい同警察官の会場立入り行為が違法のものと仮定しても猶被告人の所為は刑法第35条には勿論正当防衛や自力救済の法則にも該当しない違法行為なる旨主張するものである。
[26] 然し、原判決において正当行為というは、一般に法益に対する不法なる侵害行為に対しては一定の限度内において之を阻止排除する権利あることを前提とし、その防衛の限度および方法自体も亦公共の秩序を紊さざる範囲に止まるべきであるが、その公序とは前記警察権の限界について述べたと同様に憲法以下法律全体によつて企図せらるる均衡と調和(原判決にいわゆる憲法的秩序)の維持せらるることをいうのである。而して此の秩序を紊して或る法益に対し侵害を加える行為については当然一定の阻止排除行為が公認され、而してその排除行為にして同様の公序を紊さざる限度に止まり之により防衛を受ける法益が防衛行為(侵害排除行為)によつて損害せられる法益の比例を保つて相当優越する場合においては、その防衛行為は正当行為として肯認せられ、刑法上も違法性を阻却するものと解するを相当とする。而してこれは所論の如く正当防衛や自力救済の法則とも範疇を一にせず又刑法第35条を形式的に引用するものでもなく、同条にいわゆる「正当」の観念の基礎をなし一層広汎且つ深遠な法則として一般に認められている条理である。而して亦此の理論はその初め侵害を受けた法益が身体財産等に関する私益たると研学教育機関等に関する公益たるとによつて差異ある理由なく又その防衛行為主体は被害法益の主体自身たると之に準ずる地位の者もしくは第三者とを区別すべき必要もみない。
[27] 之を本件についてみるに、東京大学においては従前より大学自治の原則の適用が一般に確立せられている結果本件警察官等の前記同大学内演劇会場立ち入り行為が違法のものなること、而して被告人は右警察官中の1名たる柴義輝に対して腕をつかみ又は着用のオーバーコートの襟を引つ張るなどの所為あつたことは孰れも前述のとおりである。而して、原審証人尾高朝雄の供述(原審第4回公判調書記載)、同矢内原忠雄の供述(同第6回公判調書記載)、同斯波義慧に対する尋問調書、同藤原貢の供述(同第7回公判調書記載)、同野口議の供述(同公判調書記載)、同柴義輝の第1回供述(同第3回公判調書記載)、同茅根隆の第1、2回供述(同第4、5回公判調書記載)、同里村光治の供述(同第2回公判調書記載)および押収にかかる警察手帳3冊(昭和29年押第865号の3ないし5)を綜合すると、右大学の所轄警察署たる本富士警察署の警察官等は警備情報蒐集等のため同大学構内においても予てより学生や教職員の身許、思想傾向および背後関係等を調査し学内諸団体の集会状況、団体役員の動向等も不断に査察監視しており、このため同大学の自治は実質上相当重大な抑制を受けるので同大学当局の教職員のみならず学生中にも心あるものは之によつて学問の自由の阻害されることを憂い右警察官等の学内潜入の排除方を屡々大学当局に訴えつつある有様なりしところ、右学生たる被告人は偶々教室たる本件演劇会場内において右警察署員と思しき柴巡査等が大学当局又は右演劇団体代表者の了解ないまま同会場内に潜入している姿を現認したため予てから斯ような警察官の学内潜入を阻止排除し併せて将来も斯ような警察活動態度の廃絶を求めるため、まず、同人が果して右警察職員なりや否や、もし然りとせばその氏名、担当職務、潜入目的等を一応知つておく目的で、取り敢えず、同会場より退去せんとする右柴巡査に追いつきその片腕をおさえて退出を止め、その後他の学生が被告人と同様の意図で同室舞台前において同巡査の氏名、職務等を知らんとしたが、同巡査は之を語らず且つ警察手帳の呈示等をもなさないでいるとき、同所に行つた被告人は同手帳の呈示を一層迅速ならしめる考で同巡査着用のオーバーコートの襟を手で引つぱる等の態度に出たことが認められる。而して、本来は憲法等基本法規によつて保持せらるる法益は学問上の自由たると警察活動たるとに差異あるわけはなく、又警察官の身体、所持品等の私的法益も亦ひとしく右法規による保障の対象たること所論のとおりであるが、此の具体的場合においては、たとい職務に忠実の余りとしても右会場内に潜入したことは違法の処置には相違なく、一方被告人の柴巡査に対する行動は、外観上やや素朴粗野に流れる嫌いあるにしても、その動機目的は右大学自治保全の念願にあり、而して同巡査に加えた現実の損害は僅かに片手をおさえ、着衣の襟を引いた程度に過ぎないし、しかもそれ等の所為も、前述のように右会場の管理者等において適法に要求し得る警察手帳の呈示に関連してなされているにすぎない。而して被告人は同大学にとつては当時一学生であるが、同大学の自治の法益擁護上の立場は大学当局の職員以外に少くとも学生その他同大学と特殊関係ある者にはひとしく認めるを妨げないのみならず、被告人の本件所為によつて齎らされる大学自治保全の法的価値と同所為によつて損害を被つた右警察官の個人的法益の価値とを前述公共秩序維持の原理に照して勘按考量すると、前者の著しき優越は自ら明白である。従つて、此の際右警察官に対する外観上犯罪類型に該当する法益侵害行為はありとしても被告人の該行為は刑法上違法性を阻却せられるものといわなければならない。
[28] 故に、原判決において被告人に対する本件公訴事実中起訴状記載の公訴事実(一)の一部たる柴義輝に対する前記一定の行動については罪とならざるものとし、その余の公訴事実については総て之を認めるに十分なる証拠なしとして、刑事訴訟法第336条を適用して被告人に無罪の言渡をしたのは正当である。
[29] 従つて、原判決には所論第三の如き事実誤認もなく又同第五の如き法令適用上の誤りもない。
[30] 論旨は第三および第五共に理由がない。
[31] 所論は原判決が被告人の行動として認めたところの柴義輝巡査の腕をおさえたこと並びに同巡査のオーバーコートの襟を手で引きながら警察手帳の呈示を求めたこと以外に福井駿平その他数名の学生が柴巡査の写真を撮るとき同人の髪の毛をつかむ等本件教室および踊り場において同人並びに茅根隆および里村光治両巡査に加えた各種の暴行についても被告人が共同加工したのであるから、その刑責を負うべきものなるに、原判決において同事実につき被告人に共同加工の事実なしとしたのは事実誤認なる旨主張するものである。
[32] そこで記録を査閲するに、本件起訴状の公訴事実には、被告人は福井駿平外数名と共同して、(1)「柴義輝に対して同人の右手を抑え手拳で腹部を突き或は同人の洋服内ポケツトに手を入れオーバーのボタンをもぎ取る等の暴行を加え」、(2)「茅根隆に対し同人の両手を押え洋服の内ポケツトに手を入れボタン穴に紐でつけてあつた警察手帳を引張つて其の紐をちぎる等の暴行を加えたもの」なる旨記載あり、これにつき原審第1回公判期日において弁護人より右(1)(2)の各「等」の具体的意義の釈明を求められたに対し、検察官より「等」とは「被告人以外の者もやつているものと解して戴き度い」旨の釈明をなしたことは右公判調書上明らかである。而して元来起訴事実は訴因を明示して起訴状に記載すべく、そのためには、できる限り日時、場所および犯罪方法を挙げて罪となるべき事実を特定することを要するは刑事訴訟法第256条に明規するところであるから、起訴状記載の公訴事実の文言を右釈明および法意と綜合すると本件公訴事実の行為主体は被告人ほか数名であり且つその行為範囲も分析的にみれば柴および茅根両巡査に対し孰れも数個の行動に分解し得るものなることを示す意味において「等」の文言を用いたもので、要するに被告人の犯行として起訴されたところは起訴状に具体的に明記された範囲に限られており、原判決の摘示(一)の末尾において「被告人の行動として認定した以外の学生等の行動については、被告人がそれらの行為者と意思連絡があつて共同加工の行為に出たことを確信すべき何等の根拠もない」旨判示しているのも、畢竟被告人が他の学生等と共同暴行したとして提起された本件公訴事実中原判決において被告人の行為と認定した以外の部分については被告人の共同加工を認むべき証拠なく、たとい事実そのものが実在したとしても、それは被告人以外の学生等の行動に過ぎざる旨を説示したものとみるを妥当とする。
[33] 然るに、所論は公訴事実として具体的に明記せざる多数の暴行にして直接には他の学生によつてなされた事実を列挙し、これらについても被告人は共同加工者として刑責を負うべき旨主張するのであつて、その実質においては公訴事実に対する原判決の事実誤認というよりは、むしろ起訴以外の事実に対する判断遺脱の主張に帰し、到底適正なる控訴理由とはなり得ない。論旨は理由がない。

[34] 以上の如く本件控訴趣意は総て理由ないから、刑事訴訟法第396条により本件控訴は之を棄却することにして、主文のとおり判決する。

  (裁判長判事 久札田益喜  判事 武田軍治  判事 石井文治)
[1] 原審裁判所は本件公訴事実に対し劇団ポポロの主催した本件集会は学内集会であり、その集会に立入つた柴巡査等の行為は違法行為であつて、被告人は一見逮捕、監禁、暴行等の可罰的違法類型に該当するような行動をとつたが、それは官憲の違法な自由侵害行為を排除、阻止する為になされたもので、かかる行為は法令上正当な行為として許容される。而してその際被告人は単独又は他人と共同して故らに度を越した暴力行為を警官に加えたと認めるに足る証拠がないとして無罪の言渡をしたが、右は事実の認定を誤り、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであり、然も原判決には法令の適用に誤があり且つ原審における訴訟手続に法令の違反があり、その誤及び違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
[2] 原判決は劇団ポポロの本件集会は学内集会であると認定したが右認定は事実と相違する。即ち原判決は押収にかかる教室借用願、教室使用料免除願並びに保証書の各写、証人尾高朝雄同斯波義慧の各証言を綜合して「右劇団ポポロは演劇の理論並びに上演の研究を目的とする学内団体であつて、大学において公認しているものであり、当夜の演劇発表会も大学当局の定めた正規の手続を経て許可せられていたものであることが認められる」とし、次いで「右演劇発表会は学生、教職員を主たる対象として開催せられたものであつたが、教室前で入場料を徴し、入場券を発行したので、大学に関係のない一般人が学生、教職員にまぎれて入場することはあつたかも知れないが、その数は極めて少数であつたと推察されるのみならず、かかる一般人が演劇観賞のため入場することに対し、敢えて厳重な身分検査を行つて、その入場を拒まねばならぬ程の必要もないのであるから、仮に少数の一般人が入場していたとしても、右演劇発表会が正規の学内集会であつたことには何の変りもない」と認定した。
[3] 原判決の右認定中前掲劇団ポポロが大学公認の学内団体であること及び当夜の演劇発表会が大学当局の定めた正規の手続を経て開催されたことについては異論はない。従つて本集会が形式的には学内集会であつたことは認められる。しかし右認定の後段の部分は証拠に基かない認定である。即ち証人里村光治は当日25番教室のある建物の入口の脇の処でテーブルを出して女1人男2人で入場券を売つて居り、其処で入場券を買つて中に入つて見ると会場には300人位の人が集つて居り、服装等から判断して学生が7割、一般人が3割の割合であつた旨証言し、証人茅根隆は当日25番教室の入口の所に行つてから10分位入場者を見ていると学生でないと思われる者も6、7人入つた様であるので、一般人の入場を許しているものと思い入場券を買つて教室の中に入つたところ、中には250人か300位で半数位は女の人で、子供も中にはいた旨証言している。このように当日の集会は学生、教職員の外に一般人をも対象としていたものと認められるのであつて原判決のいうように「一般人が学生、教職員にまぎれて入場」したものでないことは前記証拠に照し明らかである。尤も当夜本集会に立会つた東大法学部教務係長高野卍や同係の菊地博文等は教室の入口で入場券を「売つていなかつたと思います」とか当日の会場には普通の人は「入れません、入場者は本学の学生職員その家族に限られていますが、それは主催者側で判断して入れています」と言い、入場した一般人は真に例外的なものであつたかのように供述し、原判決の「一般人はまぎれて入場した」との認定に照応するようであるが、入場券を売つていたことは押収にかかる入場券3枚の存在や同じ大学職員である証人遠藤寛の証言によつても明らかで菊地証人等は東大の職員である立場上真実の証言が出来なかつたものと思われるがそれでも尚同人等の「入場者の身分はいちいち調べておりませんでした」とか「女の人も幾らか居た様です」とか当夜の「会場には学生服を着ていない人が多かつた様です」等の証言によつて一般人の入場が学生、教職員にまぎれて例外的に行われたものでないことは優に認定せられる。
[4] この様に劇団ポポロの演劇発表会に一般人を入場させたということは実は例外的な出来事ではなく従来もこの種の集会では屡々行われていたのである。証人倉富美子同竹上るり子は原審第6回公判廷で東大内で行われる映画、演劇の会には大学と全然無関係な証人等の処へ入場券を売りに来たり、証人等が入場して見たことがある旨証言し、証人藤原貢は原審第7回公判廷で東大内では従来から演劇、映画等に関する学内集会で屡々一般人を入れていたので本富士署から抗議をすると東大当局は演劇会をやるのに相当の費用がいる。その費用は学校の職員、学生だけでは賄えないから安い料金をとつて一般人を入れている。これは学校長の権限を越えているが一つ大目に見て貰いたいと依頼されたことがあつたと証言して居り学校当局自身かかる集会が公開されているのを黙認している事実さえ認められるのである。従つて本集会も従来から文化団体主催の集会は一般人をも対象としていたこと、当日身分を確めずに自由に入場券を販売していたこと、及び証人里村光治等が現実に一般人の入場者を多数認めていること等からして入場者を学生、教職員に限定した学内集会ではなく、一般人に公開された普通の集会であつたと認められる。それ故に証人高野卍は東大法学部教務係長で本集会の届出書類を取扱つた事務当局者であり当日この集会に出席していて観客中に「かねてから顔を知つている若い警官が私服で私の前方に居たのを知つていた」というに拘らず何等同巡査に退場を求める等の措置をとらず、又里村証人が踊り場の処に立たされて学生等から色々詰問された時「どうして入つて来たのかと聞かれたので私は入場券を買つて一般の者と一緒に入つて来たのだから君達に責められる事はないと云うと、学生達は今夜の事は入場券で入つて来たから仕方がない。普段どうして学内をうろついて居るのか」と詰問された旨証言しているのであつて、現場に居た学校当局者も学生等も当日の警官の入場を以て資格なき者の不当な入場として責めたものでなかつた事実が認められるのである。
[5] 又集会の行事自身について検討してみるに、この集会はまず反植民地闘争デーの一環として行われたものである。反植民地闘争デーとは昭和21年(西暦1946年)2月21日インドのボンベイでインド海軍が反英運動を起し、全インドの青年学生、農民、労働者等がこれに呼応して蹶起し、これを記念して昭和24年カルカツタで開かれた世界民主青年連盟第2回代表者大会でこの日を反植民地闘争デーと決定し以後2月21日を反植民地闘争デーと呼ぶようになつたが本集会はその前夜祭として催されたもので、学生や教職員の演劇研究とか学問研究とは直接には関係がない。従つてその劇の内容は松川事件に取材し、劇の前に同事件の報告をして資金カンパを依頼し、その他前々日における渋谷駅前における学生と警官隊の衝突事件を報告する等単なる演劇研究の範囲をこえて政治運動の実践行為をなしているのである。勿論学生といえども社会の一員である限り「学生が政治的、社会的事象に関心を寄せ、研究の対象題材を広く政治や社会に求め、これを学内活動において、広い意味における学問的立場より研究的に取り扱うことは、学習の自由の重要な内容の一つをなすものである」が、それはあくまでも研究に止るべきで、研究に名をかりて研究の限度をこえて政治の実践行動に及ぶことは最早学問の自由の範囲内ではない。原判決は資金カンパや特定事件の報告が為されたことを認めながら、これは「たまたま」行われたことで「些末な事柄」であり「これを以て直ちに右演劇発表会の政治性、不法性、不穏性等を疑うのは首肯し難い」としている。確にある集会で主催者の意思とは無関係に偶然そのようなことが行われたのであれば、その事実を捉えて学内集会に非ず、政治集会だとして警察権力を介入させることは誤りであろう。しかし本集会は反植民地闘争デーの一環として行うということをかねてから東大新聞に発表し、その新聞には反植民地闘争デーの意義を説明して居り、又証人高野卍の証言によると劇の始まる前に松川事件の報告がされたが、この報告者については「ポポロ劇団の発表会についての願書を受理する際、誰が話すのかを尋ねた時、学生新聞の人が話をするということであつた」と証言されていて右松川事件の報告は主催者の行事予定に入れられていたことが明らかである外資金カンパも集会の目的と全然無関係なものでなく、演劇の主題たる松川事件のために行われたのであるから、むしろ本集会は演劇研究よりもこの方が主目的であつたことがうかがわれる。
[6] 以上の通り本集会は参集者の面から見れば一般人に公開され、集会の行事の面から見れば単なる演劇研究でなく、松川事件の報告やその資金カンパが重要な行事として前々から予定され実行されているのであるから本集会が学内公認団体によつて学校当局の許可の下に教室を使つて行われた集会であつたとしてもその実体が当局への届出の趣旨と違い、広く学外にも呼びかけ、政治的実践行為を目的としたものであれば、それはもはやいわゆる学内集会ではなくて、普通の集会に過ぎないことが明らかである。尤も本集会の監督者たる斯波厚生部長や、その補佐機関的立場にある学生委員会の尾高委員長等は原審公判廷で本集会は学内集会であると力説しているが同証人等は以上の如き集会の実質について何等調査を行わず唯形式的に届出られた事項を基に劇団ポポロが公認団体であるとか、劇が松川事件に取材してもそれ丈で政治集会となるのでなく、かかることは学問研究の為必要であるとか言うに過ぎないのであつて本集会の実体に触れず唯形式的な面から監督者としての立場に立し学内集会性を強調したものに外ならず、その集会の実体に関する証言部分は輙く措信し難いにも拘らず該証言に拠つて本集会を純粋の学内集会と認定した原判決は事実の認定を誤つたものと謂うべきである。
[7] 原判決は次いで本富士警察署勤務警視庁巡査柴義輝等の本件集会立入行為を違法行為であると認定しているが、この認定も亦誤りである。即ち原判決は本富士警察署員は久しき以前から東京大学内に恒常的警備活動の必要性を肯認されるに足るだけの緊急不穏な学内情勢が存在していなかつたのにも拘らず、計画的に無制限に東大の構内に於て「警備情報収集のための警察活動を続けて来たものであつて、その警察活動たるや、私服警備係員数名が殆んど連日の如く大学構内に立入つて、張込、尾行、密行、盗聴等の方法によつて学内の情勢を視察し、学生、教職員の思想動向や背後関係の調査を為し、学内諸団体並びに団体役員の動行、学内集会の模様、状況等について当時広汎、刻明な査察と監視を続けて来たものであり」かかる行為は学問の自由や大学の自治をおびやかすものであつて、警察官の「職務権限の範囲を逸脱して行われた違法な行為」である。昭和27年2月20日に柴巡査等が東大法文経25番教室で、学内集会として行われた「劇団ポポロ主催の演劇発表会に入場したのも右の如く長期間に亘り恒常的に行われて来た学内内偵活動の一部を為すもので」あるから右柴巡査等の教室立入行為も違法行為であると認定している。しかし乍ら果して本件事件当時東京大学内に警察官の警備活動を必要とする状況はなかつたであらうか。警備活動とは公共の安寧秩序を保持する為、将来行われるおそれのある犯罪その他不法行為の発生を予防し、或は発生した時の鎮圧のための対策樹立に資する目的で各種の情報の収集、査察行為をする警察活動であつて、特定の具体的犯罪が発生して始めて行う捜査活動とは異るものである。従つて原判決のいうようにその当時東大構内で政令第325号違反の疑のあるビラが撒かれる等の具体的容疑事実が僅々数件を出ないからといつて、たやすく当時東大内に「重大な治安攪乱のおそれはその質量とともにむしろ僅少なものであつた」としてその危険性を過少評価し去ることは失当であり、たとえ学校構内における具体的違反事実が少くとも、当時校外において治安攪乱のおそれのある行動を屡々行つていた団体や個人が学内に存在したり、或は未だ具体的犯罪行為は行われていないにしても凡ての社会分野と同一程度に警察的治安の観点からみて、単に法令に違反し治安を乱すおそれがある可能性があるという丈でなくそれよりも程度を越え近い将来に於いて犯罪発生のおそれが多分にあると認められる情勢があれば学内と雖も警備活動の対象とならざるを得ない。
[8] 原審における証人野口議、同藤原貢等の証言によると、東大内に当時全学連や都学連の事務所がありこの両団体は単なる学内団体ではなく、校外の団体との連合体であり、学校当局の公認していないものであつたに拘らず、学校の施設を使用していたこと、又日本共産党東大細胞なるものはその少し前解散届をしてあつたに拘らず当時東大再建細胞という名前の秘密団体名のビラが学内にまかれていたこと、その他政令第325号違反の疑のあるビラが学内に屡々まかれていたことが、証言されていると共に、その他当時の一般情勢として政治目的を持つた学生運動が盛んとなり例えば昭和25年10月頃東大内でレツドパージ反対の学内デモが行われ、学校当局の要請で本富士警察署員の出動が2回に亘つて行われ、更に東大教養学部学生課長大場和夫は原審第8回公判廷で昭和26年の終り頃から昭和27年にかけての一部の学生の行動につき「時期的に大体において騒がしい時で特に警官と云う事なく我々職員教授に対しても行動がはげしかつた」旨証言して居り、本件の1週間程前にも学内の警察電話のことで学生が騒いだことがあり、2月18日には渋谷駅前広場で東大教養学部の学生を中心として再軍備反対徴兵制度反対署名運動がなされ、その時渋谷署に検挙される者が出たり、本件当日たる2月20日にも午後6時半頃から無届で東大生が渋谷駅前で反植民地闘争デーの前夜祭をした後、先日の検挙に対する抗議デモを行つていることは証人斎藤文治、小沢和秋の証言によつて認められる。又同年5月1日のメーデーに際し宮城前の広場で騒擾事件が発生し、その中に全学連を中心とした多数の学生が参加していたことは藤原証人の証言の通りである。これら一連の動きは表面に現われた氷山の一角であり、これらの動きの基礎をなすものが当時東大内にあつたので本富士署員としても警備活動をおろそかにすることが出来なかつたのである。
[9] 以上によつて昭和27年2月20日当時本富士署としては東大内の警備活動を必要とした事情が認められよう。しかし当時東大内が警備活動を必要とする情勢にあつたけれども、これは無制限に行つてもよいというものではない。学問の自由は憲法第23条によつて保障され、大学が学問の研究及び教育の場であることは瞬時も忘れてはならないことである。この学問の自由を守り教育の場としての大学を尊重すれば当然に大学の自治を尊重し、国家権力によつてみだりにこれを侵害してはならない。此処に学内における警備活動の限界がある。しかして当時行つていた本富士署員による学内の警備活動は果してこの限界を逸脱していたものであろうか。原判決はこの点に関し本富士署員はこの限度を越え学生、教職員の思想動向や背後関係の調査をする等常時不当に広汎な査察と監視を続けたとし、その最も代表的違法行為として警官の学生、教職員に対する身許調査を挙げている。即ち特定人の身許調査のなされたことが柴巡査等の警察手帳に記載されて居り、原判決はこれを「本富士警察署警備係員の警備活動の一つとして、多数の学生、教員に対する身許調査が長期に亘り隠密裡に行われているが、かかる警察活動が為された理由につき、証人野口議は身許調査は占領軍当局の指示に基き、東京警視庁より本富士警察署に依頼して来たため行われたものである旨証言し警視総監田中栄一の昭和28年11月13日附回答書によれば警視庁総務部渉外課は数名の教授、助教授等に対する身許調査方を占領軍連絡官ツーレーより指示され、同庁は管下本富士警察署に対し身許調査を下命し同署警備係員をして調査を為さしめている事実が明らかである。しかし、身許調査の指示が連絡官ツーレーなるものによつて伝達されたとしても責任ある指示者の身分、氏名は極めて曖昧であり、かつ、指示の内容は口頭によるものであつて、文書上、何等の形跡も残されていないのである。かかる隠密性は右の指示自体、占領管理の正規の方式にもどり、日本国の国内法規にも抵触するおそれがあつて、公然たることをはばかるような性質のものではなかつたかを疑わせるものがあるのである。従つて占領軍当局の指示は正規性と合法性が立証されない以上、占領軍当局の指示によつて為されたというだけでは、それによつて警官が自己の違法行為について免責される事由とはなり得るにしても身許調査という警察活動自体の客観的合法性を首肯せしめるに足りないのである。」とし、これを当日の警察官の警備活動が違法である認定資料の重要なものの一つであるとしている。
[10] しかし、この認定は証拠に基かず理由不備のものである。即ち原判決は第一に柴巡査等の行つた身許調査を凡て占領軍当局からの指示によるものと解し、第二にこの身許調査を凡て警備活動の一つとして理解し、第三にその為にかかる身許調査は原則として違法であつて占領軍当局の指示の正規性と合憲性が立証されて始めて正当化されると認定している。成程当時、本富士警察署長であつた野口証人は原審第7回公判廷で弁護人の「学生や教員の身許調査はどうですか」との質問に対して「当時警視庁の方から書面が来て居て調査して居ります。警視庁の渉外係のアメリカの関係から来て、それは占領軍の命令で来て調べたのですが、私の方で調べた事はないです」と答えている。それよりすれば一応身許調査は凡て原判決認定の通り占領軍当局の命令によるようであるが、これは野口証人の証言が言葉が足りなかつた為結果的に見て真相から外れた供述となつているのであつて、その誤りは他の証拠と対比すれば容易に判明する。即ち原審で証拠として提出された柴巡査等の警察手帳には東大の職員、学生等の若干について身許調査がなされていることが記載されてある。しかし真実、占領軍当局からの指示に基いてなされた身許調査はその中の極く一部であつて、田中警視総監の回答によると占領軍連絡官ツーレーの指示に基いて警視庁総務部渉外課長から昭和26年12月4日から昭和27年1月24日迄の間に本富士警察署長宛に森錠太郎外6名の身許調査を下命し、その外昭和24年8月2日及び昭和26年5月29日に大塚署長宛に山内一郎外1名の身許調査を依頼した事実が認められる。その余の者についての身許調査は証人里村光治等は警察予備隊からの依頼で、入隊志望者の身許調査をしたことがある旨証言して居り、事実右警察手帳中の記載には「身許調査(警察予備隊)」なる旨の記載されている事例も多い。従つて身許調査を凡て占領軍当局の指示によるものと解する原判決は証拠を十分検討せず、軽々に事実認定を行つており、採証の法則を誤つている。しからば第二にこの身許調査は一体警備活動の一つとしてなされたものであらうか。身許調査はなにも警察活動に限らず一般社会においても結婚、就職、などの際、普通に行われていることであつて、警察署の警備係員がなしたからといつて之がすべて警備活動となるものではない。本件で問題としている身許調査について検討してみても上述の占領軍当局の指示によるもの、警察予備隊、その他の官庁の要請によるもの、その他の3つに分たれる。
[11] まづ占領軍当局の指示による身許調査を考えて見るに、何故に占領軍当局は警視庁に教授や学生の身許調査を依頼したのであらうか。この時考えられるのは学生、職員の思想調査、追放該当事実の調査、研究依頼その他の就職、入国審査及び犯罪捜査等である。この内ある教授に研究を依頼する為、或は学生の一定の軍関係の職務に採用する身許調査は一般社会の身許調査と全く同一の性質のもので何等問題はない。入国審査とは普通何処の国でも外国人の出入国に際し旅券の有無を調べ、特に入国に際してはこれを許可すべきかどうかを審査する。我が国の出入国管理令第3条、第4条は入国者の在留資格等を規定し、第5条で特定の患者、前科者、団体員等に該当する者の上陸を許可しない旨規定している。これはアメリカに於ても同じであつて、アメリカに或る外国人が旅客として入国しようとし、その外国人が日本人である時、入国資格の審査の為に身許調査を日本の警察に依頼し、偶々その旅客が東大の教授であることも考えられる。次の犯罪捜査とは占領軍に対し何等かの犯罪が行われ、その容疑者の身許を所轄の警察に依頼し、犯罪捜査の一助にすることである。これら三者の場合、いづれもその身許調査は任意秘密裡に行われる限り何等身許調査の対象者の基本的人権を侵害するものではなく、且つ、いかなる国内法令にも抵触するものではない。しかし学生や大学職員の思想調査や追放該当の事実調査の為にする身許調査である時には対象者の基本的人権に影響する重大な行為であつて、法規に基いて正式の手続が為されていない限り、違法行為であると認定されても仕方がない。しかしツーレー連絡官の指示が、かかる目的に出たものである形跡は一つもないのであつて逆に田中警視総監の回答書によれば「占領軍当局より当局に対し東京大学学生教職員の身許調査を行うべき旨の一般的な指示乃至依頼はなかつた」と記述されており、かかる違法の意図でなされたものでないことが判る。且つこれら、いづれの理由によるにしてもこの身許調査を警備係員がしているけれども、それは警備係員の警備の任務からしたものではない。警視庁警察署処務規程によると警備係の職責として警備の外、情報、渉外の2つがあり、本件身許調査は渉外事務の一つとしてなされていることは右回答書によつて認められる。これをも「警備活動の一つとして」と解するのは、ことさらに警察官の行動を曲解し、政治的色づけをはかつたものという外ない。
[12] 次に警察予備隊その他の官庁から新規採用者の身許調査を依頼された分はこれ又警備係の警備の職務と全く無関係で、前同様渉外事務としてなされたもので、然もその性格は一般会社の新入社員の身許調査と同一のものである。この外に本件警察手帳には理由が明らかにされていない身許調査がある。その調査の目的は十分原審公判廷で究明されていないので全く不明であるが、唯その中に団体等規正令違反団体の構成員の身許調査ではないかと推認されるものがある程度で、もしその時はこの身許調査は警備活動といえよう。よつて警備活動の一つとしての身許調査は極く一部に過ぎず、大半は渉外事務として行われたことが判る。従つて原判決が警備活動としての身許調査を多数の学生職員に対して長期に亘つてなしたというのは明らかに誤謬であり、原判決が本件身許調査は占領軍当局の指示の正規性と合法性が立証されぬ限り違法行為であるとの認定は多言を要せずしてその誤りであることが明らかである。即ち身許調査そのものは原判決の言うように原則として違法のものではなく、原則として合法行為であるが、その目的によつては違法となることがあり得るというだけであり、然も本件では警視総監の回答書によればツーレー連絡官からの指示内容は本籍・生地・住所・職業・氏名・年令・経歴の概要・団体活動状況等・交友関係及び参考事項となつていて、特別に思想傾向、著書の内容の調査等を命じてはおらず故ら違法の目的を持つていたとは認められない。しかるに原審はツーレー連絡官から口頭で指示を受けた警視庁総務部渉外課員等を調べることもなく、右回答書のみを以て指示者の身分氏名が瞹眛であるとか、指示の内容が口頭であるからとかの理由で身許調査行為自身の違法性を認定しているのであるから原判決は審理不尽のそしりを免れない。しかのみならず本件の身許調査の大半は渉外事務であつて警備活動ではない。従つて本件教室立入事件が柴巡査等の警備活動として問題とされ違法か合法かを論ずるに際したまたま僅か数名の者に対し占領軍当局の指示によつて「渉外事務の一つとして行われた身許調査の問題を捉え之を以て柴巡査の本件行為に関する違法、合法の判断資料とした原判決は条理に反し、然もその認定は証拠に基かない理由不備の違法がある。その他本富士署員は決して大学本来の使命たる学問の研究の場たる大学の講義、研究会等迄査察し監視する等の越権行為をした事実はなく、極く僅かの学内団体の動きや一部の集会について査察内偵した事実があるに過ぎない。それも原判決のいうように広汎なものではなく又その目的も集会そのものを以て直ちに昭和25年7月25日附文部事務次官の集会集団行進及び集団示威運動に関する通達に抵触する無届集会等として査察したり集会内での発言内容を聴取して学問の自由、思想の自由を抑圧しようとしたものではなかつたものである。しかも署員が警察官の入場を禁止されている集会に無断で潜入したという証拠もない。唯多数の学生が集る処では政令第325号違反のビラが撒かれる虞が多く、それを外から警備したり、警備上の特定の容疑者の言動を内偵して犯罪の予防や警備情報をとらうとしていた丈である。従つて当時本富士警察署警備係が原判決のいうように大学の自治、学問の自由を抑圧するような不当に広汎な警備活動を行つた証拠は何等ないのであつて、原判決が渉外活動迄警備活動と曲解し、警官が大学全体をスパイしているが如く解して警官の東大内での一連の警備活動を違法行為であると認定しているのは証拠に基かざる明らかな誤認と謂うべきである。
[13] 次に本件集会立入事件を検討するとまず柴巡査等の本件警備活動が違法であるか合法であるかを認定するに原判決のようにまづ過去の警備活動の合法違法を論ずるのは誤りであつて過去の警備活動が合法であつたからといつて常に警備活動が合法であるとされるわけのものでないのと同じく過去の警備活動に違法のものがあつたからといつて本集会に如何なる事情があつてもその警備活動は違法であるということは出来ない。純粋に本件のみを摘出してその警備活動の合法か否かを論定すべきものと思料する。従つて原判決が従来本富士署員によつて違法な警備活動がなされて来たということを前提として立論することは誤でありまして上述の通り過去の警備活動を違法行為とした認定そのものが既に誤であるから本件集会立入事件に関する原判決の認定は根底から再検討されなければならない。しかして本集会のみを取り出して見る時上述の通り本集会は決して学問の研究のみを目的とした学内集会ではなく原審における里村証人等の証言によつて認められる通り一般人にも公開され、且つ演劇に先立つて沖繩の状況報告がなされついで「今夜のポポロ劇団は松川事件の援助の為に行われるものであるが松川事件には300万円の金が要るが今手元には100万円位しかないから援助をたのむ」旨の挨拶を行いその後渋谷事件の報告をしてから演劇を始めて居り全く政治的実践行為を目的とする集会である。しかも当時は2月18日及び当日の2回に亘つて渋谷駅前広場で東大生による無届集会や無届示威行進事件が発生しており且つ本集会で右渋谷事件の報告がなされる一方、本集会は翌21日の反植民地闘争デーの一環として行はれたもので現に翌21日には東京都内蒲田警察署管内において暴徒による北糀谷派出所襲撃事件が勃発しているのである、この派出所襲撃事件は当時東京地方裁判所に起訴され目下審理されておるのであるがこのような重大な事件の起きた反植民地闘争デーの前夜祭として本集会が行われようとしていたのであるから、2月20日の学内情勢特に本集会に対しては警備活動を必要とする差し迫つた情勢があつたのである。且つ柴巡査等はこれ等の情勢に対応する警備活動としてこの集会に立入つたのであつて集会そのものや演劇に対する圧迫を意図したものではなかつた。里村巡査は原審公判廷で弁護人の問に答えて当日集会は「必要があれば学校当局に通告して解散してもらう心算でした」が一度入つて中の様子を見た時一般人も入つており通常の学内集会でないことを見聞したけれども上司には「現在の処解散させる様な異状を認めない」と中間報告した後に却て本件が発生したと述べている。即ち同巡査等は犯罪予防や警備情報蒐集のために本集会へ行つたのであつて、当集会を無届集会として解散させるのが目的ではなく万一緊迫した事態が起き解散させる必要が生じたとしてもその際は一応学校当局に通報して当局の措置を待つ心算であつたのであり決して学問の自由とか大学の自治に迄干渉する意思はなかつたことが認められる。又教室に入場したのは正規に一般人と共に入場券を買つて入つたので不正に潜入したものでもない。又会場内では会の進行につき自ら進んで妨害を加えたこともない。よつて里村、柴巡査等の本集会立入は警備活動という正当な職務行為を遂行したまでであつて何等違法な点は認められない。しかるに原判決は右巡査等の行為を違法行為としそれ故に被告人の行為は違法な自由侵害を排除し阻止する為になされたものであるから法令上正当な行為として許容されるとしたのであつて右は明らかに事実の認定を誤つたものであり右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
[14] 原判決は被告人が当日度を越した暴力行為を警官に加えたと認めるに足る証拠がないとしているが、この点においても事実の認定を誤つている。すなわち原判決は被告人の本件に於ける証拠によつて認められる行動として東大法文経25番教室で昭和27年2月20日「午後7時40分頃第1幕が終つた際、柴義輝巡査は学生の視線を感じ、急遽退出しようとして、ほぼ中央附近の座席を立つて同教室の後方まで来たとき、当時同大学経済学部学生であつた被告人のため腕を掴まれて捕えられようとしたので、これを振り切つて逃げ去ろうとして揉み合つたが『私服がもぐり込んでいる』との被告人の叫び声に駈け寄つて来た数名の学生の為に捕えられ」たことと、その後同巡査が教室の舞台前に連行され、そこで無理に写真を撮られた上、2、3の学生が口口に「警察官なら警察手帳を持つているだろう」「手帳を出せ」といい、同巡査が「持つていない」と答え、押問答をしていた時「被告人は同巡査の着用していたオーバーの襟に手をかけて引いたりして強硬に手帳の呈示を求めた。そしてその間の騒動で同巡査のオーバーのボタンがもぎれたりしたが、遂に同巡査が止むなく警察手帳を差し出したところ、被告人がこれを受け取つて一見した後、他の学生に渡し、学生等は次々に手渡して回覧した上、一応返還した」という事実を認定し、被告人には警官を足でけつたり手でなぐつたりする等の特段の暴力的行為に出たことについてはこれを認めるに足る何等の証拠がないとした。
[15] しかしながら証人柴義輝は第3回公判廷で第1幕終了の直前近所の席にいた被告人とその連れの学生とが「私服が入つている。つるし上げようではないか」と話しているのを耳にしたので、劇が終つてからすぐ紛争を避けるため教室から外へ出ようとすると、千田が来て、「左手で私の右腕を掴み、右腕を上げて『私服が居るぞ』と言つたのです」「私は『何をする』と言つて掴まれた手を振放さんとすると、いきなり千田は右手拳で私の胃部を突いたのです。そこへ学生等が集つて来て、私の両手を背中に捻じ上げた時に福井駿平が右後から来て『この野郎か』と私の頭を叩き、頭を下に押えこまれてしまいました」その後肩や首を叩かれたり、足をけられたりしてから舞台前に連れて行かれ、写真を撮られた後「千田に『手帳を出せ』と言われました。『持つていない』と言うと『そんな筈はない出せ』と言つてオーバーの襟を掴んで引張るのですから上の釦が取れました。私はその時にそんなにして警察手帳を取られるよりも、自分から見せた方がよいだろうと思いましたので、警察手帳を出して『これでいいだろう』と言いますと、千田は『中を見せろ』と言つて手帳を取りました。そして手帳を開き『本富士警察署勤務……』と一寸読んだ様でしたが、私が『中は見ないで返してくれ』と言うと、他の2、3の学生に渡しました。手帳は千田以外の者から返してもらい、私の背広の上衣左上ポケツトにしまいました」その後茅根巡査等と共に再び写真を撮られてから、教室の外の踊り場の処まで連れて行かれ、其処で色々詰問された上「手帳を取れ取れ」と誰かが言つたところ「千田が私のオーバーを掴み、胸のポケツトから警察手帳を取つて他に渡したのを見ました」と述べている。右柴証人の証言によれば明らかに被告人は柴証人に対しその腕を掴んだり、右手で胃部をついたり柴巡査のオーバーを強く引張つてボタンをもぎとり、或はその洋服のポケツトに手を入れ、警察手帳を奪い取る等の暴行をした事実が認められる。ところが原判決は柴巡査の胃の処をつかれた旨の証言に対し柴巡査は「極力その場より逃げ去ろうとし、被告人等学生は同人を逃がすまいとして双方痛く昂奮して揉み合つたと認められる際の一瞬の出来事であるのであるから、被告人において殊更にかかる暴力をふるわなくても逮捕に際して双方がお互に相手方の行動を阻止し、制圧しようとして激しく衝突した結果、身体に衝撃を与えたというにすぎないという場合も考えられ得るのみならず同証人が受けたと言う右暴行によつては、その直後においてすら、身体の右部位に何等の痛痒感も残された形跡がない点を考慮すれば、同証人の右証言をその文言通りに採用し、これのみによつて、被告人の暴行の事実を認めるのは早計であると言うべき」であると説明している。しかし乍ら被告人が柴巡査を捕えた時はまだ混乱の起る直前であつて、お互に1対1の関係で行動している時であるから、柴巡査が多数の学生にとりかこまれて混乱の為相手の行動を見誤まるという様な状況にはなく又双方共未だ「痛く」昂奮していた訳ではなく偶然千田の手が柴巡査の身体にふれたのを同巡査において突かれたと誤認する余地はないのであつて柴巡査の被告人が「私服がいるぞ」と右手を挙げ、次でその右手で同巡査の胃の処をついて来たという供述はまことに明瞭で、原判決の言うようなことは考えられない。殊に暴行の直後にその部分に何等の痛痒感が残された形跡がないからといつ暴行の事実が認められないというのは暴行の意味を解しないものであつて若し暴行をうけた後に痛痒感が残れば、最早その行為は暴行を越えて傷害になつているのである。
[16] 次に被告人が柴巡査の着用していたオーバーの襟を掴んで引張りオーバーの釦が取れたことについては、原判決は被告人が同巡査の着用していたオーバーの襟に手をかけ引張つたことは認めながら、その以前に被告人以外の学生によつて同巡査が腕をつかまえられたり押えられたりして揉み合つている形跡があるから、釦のちぎれたのが被告人の行為によるものであるとは断定出来ないとしている。
[17] しかし被告人が同巡査に警察手帳の呈示を求めて、そのオーバーの襟を強く引張ること自体が既に暴行であつて、暴行罪の成立に釦が取れるかどうかは関係なく、且つかかる場合釦が取れることは往々にしてあることで、この点に関する同証人の供述は信憑力の強いものである。現に柴証人は原審第3回公判廷で弁護人から再三の尋問に対し「舞台の前で千田がオーバーの襟をつかみ『出せ』と引張つた時にとれたらしく、見た時にはそれまでついていた釦が取れてなくなつているのに気が付いたのです」と証言し、弁護人の「喫煙室の踊り場に出てからもオーバーを引張られているが、その後ではなく、舞台前で引張られた時に釦がとられたものと断言し得るか」との質問に対し「舞台前でとられたものと断言出来ると思います」と答えている。
[18] 次に被告人が同巡査の上衣のポケツトに手を入れ無理に警察手帳を取り出したかどうかについて原判決はこの点に関する柴巡査の証言は信憑性がなく、当日多数の学生等に取り囲まれ、詰問されたり粗暴な行動に出られたりして、同巡査自身も憤激し、痛く昂奮していたであらうから、かかる混乱と騒動の中にあつては同巡査が「手帳奪取の直接行為者として認識したところのものと、被告人に対する従前の印象とが混同され、行為者の同一性の認識について錯誤に陥いるおそれも少からず存するのである。加之警察手帳は警察官としては重要な官給物であつてこれを奪われた場合、その取り返しについては最大の関心が払われるのが通常であるのに右巡査等が学生等の為これを奪われて間もなく、右踊り場に同大学厚生部長が来合せた際も、手帳の返還方を求めているものの、同部長や学生に対し、これを奪つた学生の氏名を挙げ、当該学生を指定してはいないのである。厚生部長等に対し奪つた学生を指名して返還を求めておけば、手帳の返還ははるかに迅速、容易なものとなるであろうに、その際巡査等が被告人の名を挙げてかかる措置に出た形跡は全くない点よりしても右手帳奪取の行為者が被告人であるとの証言にはたやすく措信し難いものがある」といつているが、確かに柴巡査が警察手帳を奪われた時には相当の混乱状態にあつたことが認められる。しかし原判決も認めているように警察手帳は警察官としては重要な官給物として紛失しないよう注意していたのであるから、それが奪われる際、誰が奪つたのか充分注視している筈であつて、警察手帳を奪取した者と従来の被告人に対する印象とを混同するようなことはない。又原判決が厚生部長等に対し被告人が手帳を奪つたのだと被告人の名前を言わなかつたから同巡査の供述がたやすく措信出来ないと言うけれども、被告人は同巡査から警察手帳を取つた後引続き持つていたのではなく、すぐ他の者に渡しているのであつて、必ずしも被告人の氏名を挙げたからといつて、迅速且つ容易に返還されるとは考えられず、しかも多数の群衆に取り囲まれ、暴行、脅迫をうけている同巡査がその場の模様を沈着詳細に厚生部長等に話し得るだけの状況にはなかつたのであつて、又斯波厚生部長も興奮している学生等をなだめつるし上げられている巡査をすみやかに帰署さす事に注意を奪われ、手帳を奪取された状況や、奪取したものの氏名等を問いただしている余裕もなかつたのであつて原判決が同巡査の供述を措信出来ないとして挙げた理由は余りにも証拠から離れた状況の認定であつてその場の雰囲気乃至状況に沿わざるものがあり条理に反する認定と謂わざるを得ない。
[19] 更に証人芽根隆は柴巡査が被告人等につかまつた後一旦教室の外に出たが数名の者に追いかけられ捕えられ、教室へ連れもどされ、そこで写真を撮られた後教室の外の踊り場へ行きそこで警察手帳を出せと要求されたが同巡査がこれを拒絶すると同巡査の脇にいた者が同巡査の左手を押え右手を後手にねぢ上げてから、被告人が「椅子の上に上つて私の手帳を取ろうとしました。当時私は手帳をワイシヤツの左胸ポケツトに入れて居りました。千田君は私の右のオーバーと服の襟を左手で掴んで手帳を取り出し、私の左前の方に居た人にその手帳を渡しました。手帳を取られる時手帳の紐を上衣の左の内ポケツトの蓋のボタンの穴に結んで居りましたが手帳丈取られて紐は残りました」「それから私が千田君に手帳を返す様に再三云いますと『後で返すよ、だまつて居ろ』と云いました」と証言している。この茅根証人の証言に対し、原判決は柴巡査に対すると同じ様に当時混乱していたことと同巡査が厚生部長等に手帳を奪つた者として被告人を指名しなかつた事を理由にその証言はたやすく措信出来ないとしている。しかしその認定の誤りであることは柴巡査に対すると同一であつて、殊に茅根巡査の場合は手帳を奪われる際被告人と問答までしているので、被告人を見誤つて証言するということは考えられない。
[20] そもそも被告人は東大経済学部の自治会委員長をしており本件の様な警察官の学内立入り事件があればその立場上、積極的に発言すべき地位にあり、しかも本件の騒ぎの基は被告人が教室内に柴巡査を発見し、友人と「私服が入つている、つるし上げようではないか」と相談して、同教室から出ようとした柴巡査を捕まえたことから起つているのであつて、本件の騒動を通じて被告人が最も活躍し指導的役割を演じたことは疑いのないところであり、したがつて柴巡査等が被告人の行動を特に覚えていてその行動を詳細に証言しているのである。この点他の学生とは異なるので、原判決の言うように他の学生のしたことを被告人の行動だと誤認し証言しているものではない。被告人は捜査以来本件に関し終始黙秘しており一方証人中村隆治等は茅根巡査等から警察手帳を取つたのは他の学生であつた旨証言しているが、これ等証人の立場を考えればその証言内容には殆んど何等の信憑力も認められない。
[21] 以上の証拠によつて認められるように被告人は柴巡査及び茅根巡査に対し暴行を加えて居り、然もその暴行は仮りに原判決のいうように警察官の教室立入を違法と認め、被告人がその違法な自由侵害行為を排除阻止する為に実力行動に出たのだとしても右は最早法令上正当行為として許容された範囲を越えたものであり、被告人は一時の感情にかられて故意に警官の腹部を手拳で突く等原判決のいう「殊更に度を越した暴力行為」をなしたものであることは明らかである。従つて本件公訴事実はいづれにしろ右柴、茅根両証人の証言により優にこれを認めることが出来るのに、これと異なる認定をした原判決は明らかに事実の認定を誤つたものであり右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
[22] 原判決は又被告人の行為として認定した以外の学生等の行動については被告人がそれらの行為者と意思連絡があつて共同加功の行為に出たことを確認すべき何等の証拠もないと判示しているが、右は事実の認定を誤つたものである。即ち里村証人の証言によれば被告人は当日の朝学校の巡視室に「今日は私服が何人位入つて来るか」と聞きに行つたりして警察官の行動に多大の関心を払つて居り更に夕刻東大法文経25番教室で開催された劇団ポポロの演劇発表会に行き、証人柴義輝の証言によると、第1幕終了の直前柴巡査が私服で観劇しているのを発見し、被告人と隣席の友人との2人で「私服が入つているぞ、つるし上げようではないか」と相談し、柴巡査がこの相談を耳にして第1幕終了後急いで同教室の外へ出ようとした時、被告人は同巡査を追跡し同巡査の右腕をつかみ、右手を上げて「私服が居るぞ、私服がもぐり込んでいるぞ」と他の観客に呼びかけ、その結果本件の騒ぎになつたのである。
[23] 右の被告人と友人との間の私服をつるし上げようとの相談はその場に居合せた多数の学生その他の観客の威力を背景にしてこれ等の者と共に私服の警察官を詰問し脅迫し、場合によつては暴行を加えることを謀議したものであり次いで被告人が柴巡査を捕えて、右腕を上げて、他の観客に「私服が居るぞ」と呼びかけたことは共に右警官のつるし上げをやるやうにと誘つたのであつて、被告人は他の学生等と共に警察官に対し脅迫又は暴行をする意思を持つていたことが認められる。そして右被告人の誘いに応じて福井俊平その他の学生や一般の観客がその場に多数駈けつけ来り被告人と共々に右柴巡査の吊し上げをしているのであつて、勿論そこへ駈けつけて来た者の中には野次馬もいたと想像されるが、少くとも福井俊平等は被告人に加勢して同巡査の吊し上げをしている以上これらの者は被告人の誘いに応じ相共に同巡査の吊し上げをすることを決意したものと認められるのであつて、被告人と之等の学生等との間にはこの時同巡査等を脅迫又は暴行する共謀が成立したと認められるのである。これに続いて柴証人等の証言によれば被告人は右手で同巡査の胃の辺を突き、次いで他の学生が同巡査の両手を背中にねじ上げ、福井俊平が「この野郎か」と同巡査の頭を叩き、頭を下に押えた。それから皆で共に同巡査の肩や頸筋を叩いたり足で蹴つてから、4、5人で同巡査の右手を前から引き、左手を後に曲げて後から押して、同巡査を舞台の所へ連れて行き、次いで同巡査の両手を後に握り、髪をつかまえて写真を撮つた後、被告人が「手帳を出せ」と要求して同巡査の着用していたオーバーの襟を掴んで引張りオーバーの上の釦をもぎ取り結局同巡査が止むなく手帳を出すや被告人は一見した後皆に回覧さしてから一応この手帳を同巡査に返還した。その時茅根、里村両巡査も他の学生に捕えられて舞台の前に連れて来られたので3人の巡査の写真を撮り同巡査等を廊下の踊り場へ連れ出し、その際福井は茅根巡査の後頭部を4、5回手等で殴打し、同巡査から「福井君暴力はよせ」といわれるや、福井は「君は初対面で良く俺の顔を知つて居るな」といつて同巡査の顔に唾をかけた。踊り場へ行つてから再び皆で同巡査等を詰問し警察手帳の提出を要求し、被告人は柴巡査のオーバーを掴んで胸ポケツトに手を入れて警察手帳を取り更に仲間の者が茅根巡査の手を抑え、被告人が椅子の上に上つて同巡査のオーバーと服の襟をつかんでワイシヤツの左胸ポケツトから警察手帳を奪い取つたがその時警察手帳の紐が服の内ポケツトの蓋のボタン穴に結んであつたので手帳の紐が切れてしまつた。
[24] 被告人はこの手帳をいづれも傍にいた他の学生等に渡してしまつた。その後茅根巡査に対しては他の学生が「こう云う事をして居ると命があぶないぞ」と脅し里村巡査も又その間柴巡査と同じような暴行脅迫を受けた。次いて皆で同巡査等に始末書を書くことを強要し、押問答中斯波厚生部長が現場に到著し、その後間もなく騒ぎもおさまつたのである。
[25] 以上の諸証拠によつて認められる事実からすれば被告人は福井俊平その他の者と意思連絡し相共に柴巡査等に対し暴行脅迫を行つているのであつて被告人自身の行為については勿論福井俊平等の行動も当然被告人がその責任の一端を負わなければならない。然もこれらの柴巡査等を殴つたり、蹴る等の暴行は被告人等が仮りに柴巡査等の立入行為は違法な自由侵害行為であると考えこれを排除、阻止する目的でやつたとしても、その行為は将来同様な警備活動が学内で行われないようにする為、警官を捕え、その氏名、官職等を確めその反省を求めるという限度を越え殊更に度を越した暴力行為であり、法令上正当な行為として許容出来ないものであることは明らかである。従つて福井俊平等の行動に対し被告人が意思連絡があつて共同加功をしたと確認するに足る証拠がないとした原判決は事実の認定を誤つたものであり右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
[26] 原判決には法令適用の誤がありその誤は判決に影響を及ぼすこと明らかである。
[27] 原判決は被告人の行為として柴義輝巡査が教室内より逃げ去ろうとするに際し(一)同巡査の腕を掴み、(二)同僚と共に同巡査を逮捕し、(三)同人のオーバーの襟に手をかけて引張る等の一連の暴行の事実を認めながら、右所為をもつて(一)、憲法第23条により保障せられる学問の自由に対する侵害行為を排除且阻止するための行為であり(二)、被告人の右の如き自由権擁護のために為した行為の持つ国法上の価値並にその行為によつてもたらされた憲法的秩序保全という国家的国民的利益と、被告人によつて侵害される警官の個人的法益の価値とを比較すれば前者は後者より重大である、との2点の理由をもつて被告人の行為は法令上正当の行為として許容されると判示し無罪を言渡したが、右は左記理由により刑法第35条の適用に誤があり該誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであると思料する。原判決の認定するが如き被告人の行為が、それ自体刑罰法令に触れる違法な行為であり、刑法第35条に規定する法令に因る行為に非ざることは論を俟たないが、仮に本件警官の警備活動によつて学問の自由が侵害せられ、被告人はこの自由を擁護するために前記の行為に出てたものとするも、原判決が縷々摘示する法益権衡の理由をもつては、未だ原判決認定の被告人の行為が同法に所謂法令により許容せられた正当行為と認むることができないと思料する。
[28] 原判決は学問の自由の擁護をもつて、個人の法益侵害に優先するが如く論じて、右自由の価値を強調するが、憲法は独り学問の自由のみを保障するものではないのみならず凡ての国民に対して、諸々の自由権、平等権、財産権等の基本的人権を保障しているのであつて、学問の自由の前に、他の自由が排除されることを認めている訳でもなく亦前者をもつて後者に優先することを認めているものでもなく、個人の生命身体の自由等も亦等しく永久不可侵の基本的人権として尊重し且、擁護すべきことが要請されているのである。従つて基本的人権尊重の立場からするならば、学問の自由も、生命身体の自由も対等の価値をもちかかる自由に対する侵害は、程度の如何を問わず排斥せらるべきものであり、両者の問に軽重はないと謂わなければならないのであつて、かかる法益の権衡論をもつては被告人の行為の違法性を阻却する理由とはならない。殊に原判決は大学における学問の自由が長期且、継続したる官憲の警備活動によつて蹂躙されたるに比し、本件警官の個人法益の侵害の軽微なることをも法益軽重の判断の資料としているが如きも、果して原判決認定のような長期継続の違法なる警備活動が行われていたものなりや、又本件警官の警備活動が違法なものなりや将又、被告人の意図が自由権擁護の真意に出ずるものなりや、疑わしき本事案において、法益権衡の比較論をもつて、被告人の行為を法令上正当な行為と判定することはできない。
[29] されば、原判決が認定する事実関係に基いて被告人の行為が法令上正当な行為と認められるや否を検討するならば、被告人は柴義輝巡査が学生の視線を感じて急遽退出しようとし、中央附近の座席より教室後方まで来た時に同巡査の腕を掴まえ逮捕したのであつて、仮に本件警備活動が違法であり、学問の自由がそれによつて侵害された事態を発生したとしても、被告人が右警官に対して暴行に及んだ当時は既に本件警備活動は終了しいわゆる自由に対する侵害はなくなつた後であつて、排除せらるべき緊急にして不正な自由侵害は現在していなかつたものと謂わなければならない。然るに不拘、被告人は逃げ去ろうとする柴巡査の腕を掴み、「私服がもぐり込んでいる」と叫んで同僚を糾合し興奮せる学生の暴行の下に曝した揚句、被告人は右巡査の着用していたオーバーの襟に手をかけて引張り強硬に警察手帳の呈示を要求したものであつて、かかる行為は現在する緊急の侵害排除の手段としても明らかに公序良俗に反し、且社会通念に照し正当行為として許容せらるべきものではない。況んや警官の自発的退去により自由が原状に回復されている時においては、法定の手続による救済手段を求める暇のないような緊急不正な自由侵害の状態が継続しているのではなく、被告人の行為をもつて侵害排除の行為と目することのできないのは当然であるから自救行為とも認め得ない、かかる行為が原判決の謂う如く将来の危険を防止するための阻止手段としてなされたるにおいては、それは法令上絶対に許容せられざる不法行為であると謂わなければならないのである。然るに原判決が被告人の行為をもつて自由の侵害行為を排除し且、阻止する目的のため、行われたるものであるとの理由をもつて、被告人の行為を法令上正当の行為であると判示し、その違法性を阻却すべきものとなしたのは、行為の実体を無視し、刑法第35条の適用を誤つたもので違法と謂わなければならず、該違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるからとうてい破棄を免れないと思料する。
[30] 原裁判所はその訴訟手続中に法令の違反があり、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである。即ち昭和28年10月7日附で主任弁護人高沢正治より原裁判所に対し書面を以て証拠申請がなされ、その証拠申請書によると立証趣旨を述べることなく、第13回国会参議院文部委員会会議録第9号他8冊の会議録の取寄せを申請し、右申請書は同月9日原裁判所において受付けている。そして同日原裁判所裁判官山田鷹之助から東京地方検察庁検察官渡辺寛一に対し右弁護人の証拠調の請求に対し意見を求め、翌10日検察官渡辺寛一から右書類の取寄せ申請は立証趣旨が明確でなく、取寄せは不必要であると思料する旨の意見があつた。ところが原裁判所は同月12日書面を以て右弁護人申請の書類を取寄せる旨決定し、各々取寄せに必要な手続を取つた。そして昭和28年11月16日の第9回公判廷に於いて弁護人から証拠として申請され、右取寄せにかかる会議録を証拠調べをする旨決定し取調べた。しかしその際、立会検察官渡辺寛一に対し右会議録を証拠とすることに同意するか、否かを確かめることもなく、又証拠調に関する異議の有無もたしかめず直ちに証拠調を施行している。
[31] 本会議録を弁護人が取寄せ申請をした理由、及び取寄せのあつた日それを証拠として申請した理由は何等述べられた形跡はなく、その立証趣旨は明らかでないが会議録をみると本件に関し、参議院文部委員会、法務委員会或は両委員会の連合委員会衆議院法務委員会に於て証人柴義輝を始め、本富士警察署員や東京大学総長外同大学職員及び学生等を証人尋問した尋問内容が記載されているのであつて、当然右供述を事実に関する証拠として申請されたものと推断される。かかる場合には当然刑事訴訟法第317条以降の適用があり、裁判所は原則として検察官に対し、右書面を証拠とすることに同意するかどうかを確め、同意のあつた時始めてこれを証拠とすることが出来るのである。ところが原裁判所に於いて、弁護人から書類の取寄せ請求のあつた際、その取寄せ請求に対する意見を検察官に聞いたのみで、原審第9回公判廷で弁護人から証拠調の請求のあつた時証拠とすることについての意見を検察官に尋ねた形跡は記録上何処にも認められない。勿論刑訴法第323条或は第328条等によつて弁護人が右会議録を申請したのであれば、証拠とするに際して検察官の同意は不必要であるが本会議録は各証人の供述内容が問題となつているので刑訴法第323条に該当するものでもなく、又弁護人が刑訴法第328条で申請した事実も認められない。従つて原裁判所が右会議録を証拠として採用しこれを証拠調した訴訟手続には法令の違反が認められる。しかも右会議録は前記の通り本件公訴事実に関する重要な証人の証言を記載されたもので、右会議録を証拠とすることは事実を認定する上に於いて重要な証拠となるものであつて、従つて右訴訟手続に於ける法令の違反は原判決に影響を及ぼすことが明らかであると思料する。

[32] 以上の理由によつて、原判決は事実の認定を誤り、然も法令の適用に誤があり、且つ訴訟手続に法令の違反があり、その誤認及び違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないものと信ずるので、控訴の申立をした次第である。
 本件控訴を棄却するとの判決を求める。
一、被告人に無罪を宣言した原判決の主文を全面的に支持する。
二、原判決の理由中被告人の行為として認定した部分についてはこれを支持しない。原審の証拠を厳格に検討するとき、原審が被告人の行為として認定している事実も之を認めることが出来ないと考えるものである。そして百歩をゆづり被告人の行為を認めるとしても到底原判決以上にでることはあり得ないと確信する。
三、原判決の理由中「憲法上の基本的人権」「大学に於ける学問の自由の本質」「大学の自治の本質、意義、内容」「警察権の限界としての憲法的秩序」「警官の行為の違法性」「被告人の行動の正当性」等に関連する部分は全面的に之を支持する。
四、検察官の主張は判決に指摘された明らかな違法性を正当化せんとし、偏見と予断を基礎とし、形式論的な詭弁ないし揚足取り的な歪曲に終始しているものでいずれの点においても原判決の結果には何等の影響を及ぼすべきものではないと確信する。
[1] 原判決には検察官の主張するような事実誤認は全くない。
[2] 検察官の主張によれば、本集会は、(1)、参集者の面から見れば「一般人に公開され」たものであり、(2)、集会の行事の面から見れば、「政治的実践行為を目的としたもの」であるから、学内集会ではなく、普通の集会にすぎないとするようである。
[3] 然しながら、右検察官の主張は全く根拠のないものである。

[4]一、検察官は、先ず、証人里村光治、茅野隆等の証言を採用して、本集会の入場中の「一般人は学生、教職員にまぎれて入場しているものではない」旨の主張をしている。
[5] 然しながら、右、里村、茅野両証人の証言自体が、全く信憑性のないこと(この点は、原判決も正当な判断をしているところである。特に、本件控訴趣意書中、第四に現われる、被告人が「隣席の友人」と相談していたというその「友人」に関する原審右証人等の証言が如何に出たらめなものであつたかは、原審記録に完膚なきまで明らかにされている。答弁書第四後記参照)もさりながら、右証人等が原審公判廷で、当日の集会には、一般人が入場していた旨を故意に、意識的に強調していた事は顕著であつた。この事は、原審記録にも明らかであるが、彼らが、本件集会への立入りを恰かも「演劇観賞のため」であるかの如く弁解に努めていた事実(この点で、彼らが国会法務委員会の証言の際偽証を行い、後にそれを訂正したことが原審証拠である右同会委員会議関係に明らかに現れている。)と相表裏し、彼らが、始めから極めて意識的に本件集会への自分達の立入行為を「合法的なもの」だということを先廻りして弁解しようと努めていた態度の現れに他ならないのである。従つて、この点に関する右証人らの証言は極めて作為的なものである事は原審証言(殊に反対訊問に対する)中にも顕著である。而もこのように作為的に証言していた右証人等の証言内容によつても、検察官の主張するような事実は裏付けられていないのである。即ち、検察官が控訴趣意書に援用する右証人等の証言内容は「服装等から判断して」「一般人が3割」(里村)「学生でないと思われる者」が6、7人入つて、「半数位は女」「子供も中にいた」というだけである。或いは検察官の援用する大学職員の証言をとつてみても「女の人も幾らかいた」「学生服を着ていない人が多かつた」というだけである。この点は、原審に於て反対訊問に於ても追究したのであるが、学内集会は、学生と「教職員」及びその家族を対象としているものである。然るに、右の各証言は、殊に、警官証人が証人自身で「一般人が入つていた」と断定的に証言をしていたその理由は、要するに、服装、即ち学生服でない者が多かつたという事と、婦人がかなり多数いたというだけである。即ち、彼等が本集会の参集者に「一般人」がいたとする根拠は全くないのと同じである。「教職員」或いはその「家族」と、彼等のいう「一般人」こそ彼らが区別した所以はどこにあつたのか、それはついに(原審反対訊問の際もその点を訂正しているのであるが)全く不明であつたのである。固より教職員は学生服も着ていない。職員の中には多勢の女性もいる。「職員」を「一般人」と区別する外形的な相違などあろう筈はないのである。然るに彼ら警官証人は、始めから「一般人」が多勢入場していた旨を積極的に証言していたのである。その事は彼らが何ら具体的な根拠なしに、意識的作為的に、本集会に「一般人」が入場していたと証言したことを意味するものであり、本件における彼ら警官証人が決して客観的な証人でなかつた事を雄弁に示しているものに他ならないのである。
[6] かかる証言を理由とするに過ぎない検事の主張もまた根拠のないものである事は当然である。この点に関する原判決の認定はまことに当を得たものである。

[7]二、本件の集会の内容を以てこれを「政治的実践行為を目的とした」ものとする検察官の主張は、全く検察官の独自な政治論にもとずくものであつて、到底原判決の示した学問の自由の範囲についての考察の深さに及ぶべくもない皮相な見解である。検察官は、本件集会の演劇の内容が「松川事件」に取材している事をも「政治運動の実践行為」であるとしているが、これこそ却て検察官自身が「松川事件」を政治的に考えている事の表白である。「松川事件」に取材する演劇が行われる席上、松川事件という裁判についての報告が行われる事も何ら不自然な事でなく、これを以て政治活動の実践とする何らの理由もない。その際、「松川事件」の被告への差入れその他のための資金カンパが行われたからといつて、それを以て「むしろ本学会は演劇研究よりもこの方が主目的であつた」などと称するに至つては、検察官の異常な偏見を露骨に示す、事実の歪曲、独断以外の何ものでもなかろう。
[8] その他、この点に関して検察官が主張するところは、既に原判決がその中で十分に検討し、「かかる些末な事柄を捉え、これを以て直ちに右演劇発表会の政治性、不法性、不穏当性等を疑い、かつ、大学当局の監督行為の怠慢を鳴らして学内秩序維持のための管理行為の不行届を責め、警察権介入の正当な理由とする如きは……」首肯し難いと判断したところを、正にこの判決が、否定した態の、偏狭な政治的見解にもとずいて非難を加えているにすぎないものである。原判決にこの点に関する何らの事実の誤認もない事は明白である。
[9]一、原判決が本富士警察署勤務巡査柴義輝等の本件集会立入を違法行為と認定したことは正当である。

[10]二、検察官は「本件当時東京大学内に警察官の警備活動を必要とする状況」があつたと主張し、「学校構内における具体的違反事実が少くとも、当時校外において治安攪乱のおそれある行動を屡々行つていた団体や個人が、学内に存在したり、或は未だ具体的犯罪行為が行われていないにしても、凡ての社会分野と同一程度に警察的治安の観点からみて、単に法令に違反し治安を乱すおそれがある可能性があるという丈でなく、それよりも程度をこえ近い将来において、犯罪発生のおそれが多分にあると認められる情勢があれば学内と雖も警備活動の対象とならざるを得ない」と謂い、当時の東大内には右の様な情勢があつたとしていくつかの具体的事例を掲げている。しかしながら、右の検察官の主張は何等証拠によつて裏付けられていない独断である。すなわち、(1)原判決にも示されている如く。当時東京大学内に於て政令325号違反の疑のあるビラが撒かれたり法令違反の団体、集合等が持たれたりした等の容疑事実は証人藤原貢の証言によつても、「長期間に僅々数件を出ないものであり」「警官の長期に亘る広汎かつ綿密な調査活動が行わなければならないことを是認させる程の重大な治安撹乱のおそれはその質量ともに僅少であつた」ことが明らかであり、(2)当時東大内に全学連や都学連の事務所があつたとしてもこれらの団体や個人等が「校外において治安撹乱のおそれある行動を屡屡行つていた」という証拠は何等存在していないばかりでなく、(3)当時の東大に於ける学生自治活動並に秩序状況は、証人尾高朝雄(当時東大学生委員会委員長)同矢内原忠雄(総長)等の証言によれば、大学自身の自治運営により、昭和26年以降大学の秩序は著しく平静に復し学生自治活動も漸く軌道に乗つて来ていたものであることが認められ、この事実は昭和24年以降学生運動に関連して東京大学が処分した学生数からも明らかなところである。すなわち、処分学生数昭和24年度20名、昭和25年度41名、昭和26年度1名、となつている(証人尾高朝雄証言参照)。(4)亦「本件の1週間前に学内の警察電話のことで学生が騒いだ」云々というのは証人柴義輝等の証言に明らかなように本件当日より約1週間前に私服警官3名(巡査柴義輝、同茅根隆、巡査部長某の3名)が、東大経済学部小使室に居るところを学生に発見せられ、その理由を問われ退去を求められたことを指すものであつて、この事実は原判決の認定した通り「本富士署警備係員数名は私服で久しい以前から殆んど連日東大内に立入り、張込、尾行、密行、盗聴等の方法によつて学内情勢を視察し、学生、教職員の思想動向や背後関係の調査をなし、学内諸団体並に団体役員の動向、学内集会の模様状況等について常時広汎刻明な査察と監視を続け」ていた結果当時学生によつて顔を覚えられる迄になつていた事実を裏書する以外何ものでもない。(5)亦、渋谷駅前で当時行われた再軍備反対徴兵制度反対署名運動・検挙者に対する抗議デモ等、その他同年5月1日のメーデーに全学連を中心とした学生が参加したこと(メーデー事件は目下東京地方裁判所で審理中であるが全学連が参加したかどうかは後日公判廷に於て明らかにされるであろう)等の動きの基礎をなすものが当時東大内にあつたという検察官の主張は何等の根拠も証拠も存在せず凡て検察官の想像と独断という外ない。(6)かえつて、本件当日午前11時すぎ本富士警察署古田巡査は東大学生課に於て、演劇会につき質問し、同演劇会が大学当局に於て正式に許可した教室内の集会であり警察の問題とすべきものでないことを確認してかえつたにもかかわらず4名の私服警官は上司と共謀の上敢て右演劇会に立入つたものであつて、かくの如き警察官の警備活動行為こそ問題とせられなければならない。右立入は警察官の職務行為として為されたにも拘らず職務執行の基本法たる警察官職務執行法に違反し、立入の諸条件を欠くものであつて、警官等の教室立入は刑法上、住居侵入に該当する行為と謂うべきものである。警察官の本件教室立入を含む所謂警備活動は原判決の明示する如く「憲法的秩序の理念に背反し」「学問の自由に対する憲法上の要請を看過し」「職務権限の範囲を逸脱して行われた違法行為」である。

[11]三、検察官は原判決が本富士警察署員等が行つていた、学生、教職員に対する身許調査を凡て占領軍当局の指示によるものと解したことは理由不備、採証の法則違反であり、右身許調査の大半は渉外事務として行われたものであつて、警備活動としての身許調査は極く一部にすぎないからこれを捉えて本件行為に関する違法合法の判断資料とした原判決は理由不備であると縷々説明している。しかしながら原判決は身許調査を凡て占領軍の指示によるものと認定してはいないのである。このことは原判決を精読するならば直ちに明瞭となるであろう。原判決中検察官が引用した部分(原判決28丁裏末2行目、なお前段認定の如く云々以下30丁4行目迄)は証人野口譲が本富士署員による本件身許調査につき合法性を装うために故意に占領軍当局の命令であつたと偽証したために、原判決が、例外的仮定的に野口証言の如く占領軍によつて身許調査を命令された場合について判断を示したものにすぎない。原審記録に明らかな通り、証人柴、同茅根、同里村、同藤原、同野口等は、警察手帖の内容に関する証言を拒み、或は記憶がないと答え(顕著な一例としては証人柴、同茅根、同里村等は自ら記載した手帖の末尾に記載された学生課、お茶菓子代その他の合計メモ記載について一様に記憶なしと答えている)身許調査について追求されると上司の命、署長の命と逃げ最後に当時の署長であつた証人野口は「占領軍の命令で調べた」と供述したのである。この様に証人野口が供述した所以は身許調査が何等法令の根拠に基くものでなく、その違法性を知つていたが故に故意に偽証したのであつて「野口証人の証言が言葉が足りなかつた為結果的に見て真相から外れた供述」となつたのでは断じてない。
[12] 果して検察官の主張する様に占領軍からの指示に基いてなされた身許調査が田中警視総監回答にある通りツーレーの指示に基き森錠太郎外6名(本富士警察署長宛)山内一郎外1名(大塚警察署長宛)の数名にすぎないとするならば(仮に占領軍による命令があつたとしても本件身許調査の違法性は変りはない)警察手帖に記載された右以外の多数の身許調査こそ正しく警備活動として為されたものと謂わねばならない。検察官は証人里村の証言を援用して警察予備隊からの依頼で身許調査をした事例が多いと述べているが、3冊の警察手帖を検討すれば、警察予備隊の依頼に基くものと認められる記載は僅々1、2件にすぎないことが明らかであり、(3冊の手帖中警察予備隊の身許調査と認められるものは、里村巡査の手帖中9月13日の記載並に柴義輝巡査の手帖中2月1日の記載の2個所にすぎないのである。)その他渉外事務として為されたと認められるものは存在しない。検察官は「本件手帖には理由が明らかにされていない身許調査がある。その調査の目的は十分原審公判廷で究明されていないので不明であるが、唯その中に団体等規正令違反団体の構成員の身許調査ではないかと推認されるものがある。もしその時はこの身許調査は警備活動であるといえよう」と述べているが、これは原審公判廷に於て究明されなかつたのではなく、前記の証人等が公判廷に於て身許調査について追究されるや故らに証言を曲歪したり、これを拒み偽証をなしていたために他ならないのである。このことは原審記録に明らかである。従つてこの点に関する右証人等の証言は故らに作為的となつていることはいなめないが、これらの証言によつても検察官の主張する事実は裏付けられてはいない。彼等が身許調査を、如何なる目的の下に如何なる事項に亘つて行つていたものであるかは柴巡査の手帖中1月21日、身許調査(イ)本籍地住所職業氏名年令(ロ)経歴の概要(ハ)思想動向及背後関係(ニ)政治思想労働等各団体加入の有無及之等に関する活動状況(ホ)交友関係と記載している一事からも明らかであり、本件身許調査が法令の根拠に基くことなき警備活動の一つとしてなされたものであることは右の証人等の証言並に警察手帖3冊の記載からも明白である。原判決のこの点に関する認定は正当であり、原判決は採証の法則違反、理由不備の違法も存在しない。検察官のこの点に関する主張はすべて形式的抽象的な論法を弄し本件の具体的事案の本質をごまかすための詭弁であつて且つ本件判決の結果に何等影響を及ぼすものではないからその主張は全く理由がない。
[13] 事実関係については詳細原審における弁論要旨に述べているところであるが、(鹿野弁護人作成)当審におけるこの点の検察官の控訴の趣旨が余りにも歪められた一方的立場にあるので反論を試みるものとする。

[14]一、弁護人としては原審で認定している点、すなわち昭和27年2月20日「午後7時40分頃第1幕が終つた際柴義輝巡査は学生の視線を感じ、急遽退出しようとして、ほぼ中央附近の座席を去つて同教室の後方まで来たとき、当時同大学経済学部学生であつた被告人のため腕を掴まれて捕えられようとしたのでこれを振り切つて逃げ去らうとして揉み合つたが『私服がもぐり込んでいる』との被告人の叫び声に駈け寄つてきた数名の学生の為に捕えられ」たとし、後舞台前に連行され写真をとられた上、学生が口々に「警官なら警察手帖を持つているだろう」「手帖を出せ」といい同巡査が「持つていない」と答え、押問答をしていた時「被告人は同巡査の着用していたオーバーの襟に手をかけて引いたりして強硬に手帖の呈示を求めた。そしてその間の騒動で同巡査のオーバーのボタンがもぎれたりしたが、遂に同巡査が止むなく警察手帖を差し出したところ、被告人がこれを受け取つて一旦返した後、他の学生に渡し、学生等に次々に手渡した。」一応返還したとする事実についても必ずしも首肯し得ない点があるのであるが、検察官は更に明らかに暴力行為があると主張する。そして、柴証人の証言中、第1幕終了の直前近所の席にいた被告人とその連れの学生とが「私服が入つている、つるし上げようではないか」と話しているのを耳にし、劇が終つてからすぐ紛争を避けるため教室から外へ出ようとすると、千田が来て「左手で私の右腕を掴み、右腕を上げて『私服が居るぞ』と云い、「私は『何をする』と云つて掴まれた手を振放さんとすると、いきなり千田は右手拳で私の胃部を突いたのです……」をとり上げ、(1)胃部を突いたり、(2)柴巡査のオーバーを引張つてボタンをもぎとり、或は、(3)その洋服のポケツトに手を入れ、警察手帖を奪い取る等の暴行をしたとするのである。これらは極めて暴論である。その不合理性を反駁したい。

[15]二、胃の処をつかれたとの点について、柴巡査の場合は痛く興奮して揉み合つた一瞬の出来事であり、痛痒感も残された形跡がないことを考慮し、暴行の事実を認めることの早計であることを戒めた原判決に対し、検察官は混乱の起る直前で互に1対1の関係であるから行動を見誤まる状況でないし、痛痒感が残れば傷害になると主張する。この主張も又極めて暴論といわねばなるまい。「私服がいる。つるし上げようではないか」との話は全く柴証人の証言のみからでて来るもので、被告人の全く関知しないことなのである。これらの虚構性の多い柴証言の信憑性については一審弁論要旨でもるる述べているが、(鹿野弁護人弁論要旨)更に後述することとする。とに角、右の事実に始つた証言の中、事件頭初(「混乱の起る直前」と検察官はいう)の陳述内容は果して信頼し得るであろうか。掲記検察官の主張のように1対1の関係で行動している時であるから見誤る筈がないといい得るであろうか。否慌てて走り去らんとした頭初の一瞬こそ最も精神的動揺の大きかつた時であり、社会通常の現象としてかかる場合こそ感違い、誤認が多いであろう。柴証人の供述は「まことに明瞭で」あるとするが、原審における同証人の陳述態度はあいまいの点が極めて多かつたのである。同証言の後半に述べているところをみれば(鹿野弁護人の問に対する答)あいまいの点が各所に見出される。この部分の供述で明らかなように柴証人は被告人以外の学生の動きには、集まつて来たかどうかという全般的概括的な点にさえ気附かないとしているのである。さらに痛痒感が残れば暴行にあらずして傷害であるとし原判決を「暴力」の意味を解しないとする検察官の控訴理由こそ「暴行」の意味を知らないものといわねばならない。痛痒感とはいわゆる暴行を定義する諸概念すなわち「身体の機能の悪化」(岡田朝太郎改訂刑法各論2版152頁)或は「身体毀損」(岡田庄作、刑法原論各論20版)、或は「生活機能に障害を与える」(大判昭6(れ)1395号、同年12月等、小野清一郎新訂刑法講義各論169頁、小泉英一日本刑法各論初版181頁)と同一になし得るであろうか。そして検察官は「軽微なる創傷……は刑法上の傷害と謂うを得ない」(小野前掲)とされ、「痛苦の感あることは傷害の要件でない」(山岡万之助、刑法原理17版378頁、岡田前掲424頁)、また「打撃により単純なる痛感を与うる如きは暴行罪である」とされる通説を理解されての主張であろうか。否、弁護人は検察官の原判決に対する真意の把握に疑問を感ずるものがある。すなわち原判決は一には柴証言の信憑性の一資料として、二にはいわゆる暴行(「人の身体に対する不法の攻撃」大判大正10(れ)1906号同11年1月24日)という特段の行為がなかつたことのひとつの事情として右「痛痒感云々」を述べているのであつて、痛痒感を問題とするのは暴行の意味を解しないとする議論は些か見当違いの感がある。

[16]三、釦のちぎれたことについて、「釦のちぎれたのは被告人の行為であると断定できない」との原判決に対し、検察官はかかる場合(「オーバーの襟を引」いた場合、この点、検察官のいうように「オーバーの襟を強く引張る」とは認定していない。この点誇張がある)釦がとれることは往々にしてあると主張するが、問題は公訴事実が「オーバーのボタンをもぎ取る」の暴行をしたとしていることである。原判決はこの公訴事実を前提とし卒直にかかる事実はないと認定しているのである。「釦がちぎれた」こととはほど遠い事実が公訴事実なのである。しかも原判決は釦がちぎれたのは被告人の行為による(関連性ある意ならん)ものと断定できないと大事をとつているのである。そしてこの認定は極めて正しい。この点に関する柴証言の信憑性は前項記載事項より更に稀薄といえる。そうすれば、公訴事実の「オーバーのボタンをもぎ取」つたとの事実を認定することは到底不可能であろう。そして公訴事実以外の事実(たとえ万一暴力と認められるものであつても)があつたかどうかは全然別個の問題であることはいうまでもないことである。

[17]四、警察手帖を取り出したことについて、次に原判決は柴、茅根両巡査から警察手帖をとつたかどうか(公訴事実には茅根巡査に対してのみ)については、証拠として両巡査の証言のみであり、両巡査の証言の信頼性については検討せざるを得ず、(1)混乱の中にあつて、誤に陥るおそれ少なからず存するし、(2)もし当時明かに被告人の行為と認識していたら厚生部長や学生等に指名して返還を求めておくべきであつたのにかかることも全くなかつたことや、(3)中村証人の証言からも被告人以外の行為である。との認定に対し、検察官は、ただ印象を混同するようなことはない、被告人から他に移つたのであるから指名する意味がなく、柴の場合は話し得る余裕もなかつた。茅根は被告人と問答もしているから被告人であることの認識があつたと明かに推定される。と反論する。
[18] そもそも被害者の供述の信憑性については常に検討を要し第二義的に考えるべきことは慎重な裁判手続上の原理でありとくに本件の柴、茅根両名の信憑性はとくに稀薄なのである。この根拠は原審弁論要旨にも詳述している。そして検察官の主張こそ原判決の周密な認定に対し思慮なき暴論といわねばなるまい。右に主張のように検察官の主張においても矛盾撞着がある。たとえば柴巡査についてはその場の状況は厚生部長等に話し得るだけの余裕がなかつたから話さなかつたとし、そして終りの方で茅根巡査においては同証言によれば問答までしているとなす。これらの主張はその場その場のけん強附会的理論といわねばならない。厚生部長等と話し合う隙はもはや夜も9時すぎで学生等も退散する頃であつたので指名する余裕がなかつた等は考えられず、相当程度冷静に話し合つているのである。されば原判決の認定こそ妥当な条理に合致したものといわねばなるまい。茅根巡査が被告人と問答したとの証言は柴証人の尋問の後の証人であり、かつ検察官の問に対する答であり、その信憑性は極めて疑わしい。検察官は当初「私服が入つている。つるし上げようではないか」と被告人が相談していたとするがこの点、反覆して弁護人は「かかる事実は絶体にない」と断言する。本件発生以来国会その他の多くの場所と機会にもみにもまれた後の両巡査の証言であり、これらの経過と当審理における証人等の言動をみると措信することこそ当を得ないものと断ぜざるを得ない。

[19]五、警備活動の合法違法の認定について、更に検察官の主張は東大内の一連の警備活動に対する違法性の認定を過去にまで遡及して判断することは誤りであり本件のみ抽出すべきであるとするがこの点も極めて浅薄な見解といわざるを得まい。極めて尨大、細密な原判決の理論、法律学者及びその他の識者(例えば清宮四郎教授、宮永三郎教授)の賞讃している正当性の理論の真意を未だ理解しない立場というべきであろう。この点他の諸点に関する反論でふれているので多言をさけるが本件の巡査等の全体の行為の一環として考えるとき当然全体の行為は何かを考慮せねばならぬことはいうを待たない。それ迄の一連の行為と切り離して当日の独立の行為として考え得る場合とは本件はもとより認められない。なお検察官は本件を政治的実践行為を目的とする集会であると主張するがこれは法律上の政治的なる意味を知らない理論といわざるを得まい。(参考人事院規則14-7政治的行為)
[20] 原判決が被告人が共同加工の行為に出たことを確認すべき証拠なしと判示するのに検察官は隣席の友人と「私服がいるぞ、つるし上げようではないか」と相談したことや「私服がいるぞ、もぐり込んでいるぞ」と呼びかけたことは脅迫暴行の意思を持つていたものであり他の者はその誘いに応じて吊し上げているから、共謀の決意をしたと思われ、けつきよく共謀が成立したと認めざるを得ないとする。隣席の友人に「つるし上げようではないか云々」と相談したことは絶体にないのでこの点柴証言は許容し得ないところであることはくりかえして弁護人は主張するところであるが、この点を細述してみる。検察官の主張は、検察官が原審証拠を些細に検討していないことを如実に暴露するものであり、検察官にとつてはこれはまさに「藪蛇」である。この点に関する柴巡査の証言、及びこれに関する茅根巡査の証言は、実に、この2証人の供述が如何に真実性と信憑性のないものであるかを決定的に明かにした最も問題のところなのである。即ち柴巡査は、右の「隣席の友人」は「山本篤三郎である」と証言し、弁護人の反対訊問に対して「山本篤三郎をそれまで2、3回見ている」(被告人についてもやはり2、3回である)と述べた上、右の友人が山本であることについて「断言出来る」と断定的な証言をした。然るに、右「山本篤三郎」は事件当時、肺を病んで安静病臥していたことを弁護人が立証するや、今度は、柴、茅根は「山本篤三郎と思つていた人間は、斎藤文治の間違いであつた」と供述を変え、更に右「斎藤文治」は当日、渋谷駅前の会合に出席していたものであることを弁護人が立証するや、三転して「斎藤文治と他の学生から教えられていたのは、浜里久雄の誤りであつた(而もそれを知つたのは原審公判廷で証言後である。)」と供述を変更したのである。この事実は、本件の警官証人が如何に無責任な証言(自己の違法な取締行為を正当化し被告人に責任を押しつけようとする故意に出でたものか、或いは好い加減な記憶を恰かも正確なものであるかの如くに証言する警官意識に出でたものかは別として)をなしているかを最も明らかにしたものである。本来かくの如き証人の証言は全面的に措信すべからざるものである。そして、その他百歩万歩を譲つても(事実として発生した25番教室内、又は踊り場の混乱行為があつたとしても)脅迫暴行の共謀があつたとなすことはできない。当日及び当日迄における大学、学生全般の意義を全く無視し誘い出したとか誘いに応じたとなす理論は本件の全体を見誤ること甚だしいものがある。いわんや暴行脅迫の共謀が存する等というのは当時の東大学内の一人一人にほうはいとみなぎつていた官憲の干渉に対する憤りの雰囲気を全く無視しているものであるといわなければならない。要するに刑法上にいう共同加工(犯罪構成要件共同実行の意思と犯罪構成要件共同実行の事実)があつたと為すことは絶体にできないものである。
[21] この点に関する検察官の論旨は、ただ原判決を攻撃することにのみ汲々とするあまり、却て検察官の一般的な職権行使にとつて自繩自縛になる程の自殺的理論を展開してしまつたとの感が深い。検察官は、「個人の生命身体の自由もまた等しく永久不可侵の基本的人権として尊重し且擁護すべきことが要請されている」と論じている。常日頃、国家権力行使の立場から「公共の福祉」を楯として、不可侵なるべき基本的人権の制限の必要を強調するに余念のない検察官としてこの言あるは正に注目すべき事柄であろう。然しながら、本件において検察官がこの主張をなすことは、正に自殺論法である。原判決が「憲法的秩序保全という国家的、国民的利益」と「警官の個人的法益の価値」を比較秤量してなした判断は、検察官の主張するような浅薄な法益権衡論ではない。ここに、警官の個人的法益と云われるものは、原判決の示す通り、「憲法的秩序全体の上より見て大学の自治その他の重大な法益侵害」が「不可避的に随伴する」「違法な職務行為を警官として執行中」であつた「警官」の個人的法益である、「本件における警官の個人的法益の価値の意味、内容は正にかかるものとして認識されなければならない」のである。かかる不可侵なるべき基本的人権及び憲法的秩序を侵害する違法な行為を、国家権力の一機関として遂行していた一警官の個人的法益を、抽象的に「永久不可侵」だとする論理は、実は直ちに、かかる憲法的秩序を侵害する国家機関の行為を「不可侵」とするものであり、即ち、国家権力による基本的人権の侵害行為を不可侵とする恐るべきフアシズムの思想に連なるものである。かかる思想は、正に「憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。」(憲法第12条)とする検察官の論理の出発点に忽ち背反するものではあるまいか。又、検察官は、原判決の事実認定にもとずいて、被告人が原判決認定の如き行為に出た時は、「既に本件警備活動が終了し」自由に対する侵害はなくなつた後である。」「警官の自発的退去により自由が原状に回復されている」から、右の行為は「自救行為」ではない、という主張を掲げている。然しながら、先ず原判決は、刑法第36、37条にいう「正当防衛」「緊急避難」の判断をなしたものではない。従つて、右の検察官の主張自体何ら原判決のこの点に関する法理論に対しての批判、反論たりえない。むしろ、原判決の認定したような警官の行動は、本件発生の時期に於て、まさに違法且つ違憲の職権行使の「現行犯人」(現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者)に該当するものである。而も、本件に於て、当該警官の本件集会への立入りは、原判決認定の、「学内における一連の特殊な警察活動による大学自治、学問、思想の自由に対する侵犯」という「継続的違法行為の一環として行われたもの」であり、当日の学生の行為は、このような継続的違法行為の明かな実証を「目のあたりに見せつけられ」「憲法第23条を中心にして形成される重大な国家的、国民的法益の侵害に対し、徒らにこれを黙過することなく、将来再び違法な警察活動が学内において繰返されざらんことを期し、これを実効的に防止する手段の一つとして」「警官の違法な学内立入りの事実を明かにしようとした」という性質のものなのである。当該警官が、たとえその場を一時的に逃れようとしていたからといつて、彼らが、右継続的違法行為を断念したのでは決してなく、もとよりそれによつて学問、思想の「自由が原状に回復され」た等というものでは全くない。その違法性は、従つて又、その自由への侵害は、実に深く且つ広いのである。学生らが、そのような違法活動、自由への侵害が「繰返されざらん事を期し」てこの「立入りの事実を明らかにしようとした」行為が『憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない』とする憲法第12条の精神に則つた憲法擁護、自由権法の行動であつたとせられる所以である。かかる行為に、何らの違法性のない事は全く明らかである。まことに「官憲の違法行為を目前に見て徒らに坐視し、これに対する適切な反抗と抗議の手段を尽さないことは、自ら自由を廃棄することであろう。自由は、これに対する侵害に対して絶えず一定の防衛態勢をとつて護つて行かなくては侵され易いものである。」あの戦前戦時における、日本の自由主義の悲惨な運命が、身を以てこれを立証しているではないか。
[22] この点についても、原審訴訟手続に何らの法令違反はない。
[23] 当該「国会参議院文部委員会会議録第9号他8冊の会議録」の書証は右取寄せ及び証拠請求に際して、刑事訴訟法第328条によるものであることは、原審公判廷に於て弁護人によつて明らかにせられている。であるが故にこそ、立会検察官もこの証拠調の際に、何ら異議を申立てていないのである。
[24] 裁判所が証拠決定をする際、検察官に対し「異議の有無をたしかめる」必要のないことは今更論ずるまでもないであろう。右証拠請求の準拠法条が訴訟記録に記載されていなかつたことがあるとしても、それが直ちに原審訴訟手続の法令の違反になるものではない。

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