同性婚訴訟(東京第1次)
控訴審判決

国家賠償請求控訴事件
東京高等裁判所 令和5年(ネ)第292号
令和6年10月30日 第2民事部 判決

口頭弁論終結日 令和6年4月26日

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。

1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、控訴人らに対し、各100万円及びこれらに対する平成31年2月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
[1] 本件は、同性の者との婚姻を希望する控訴人らが、被控訴人に対し、現行の法令が、婚姻は男女間でなければできないものとし、同性間の婚姻(以下「同性婚」という。)を認めていないことは憲法14条1項、24条1項、2項に違反すると主張して、国会が現行の法令では男女間でのみ認められている婚姻を同性間でも可能とする立法措置をとらないという立法不作為(以下「本件立法不作為」という。)の違法を理由に、国家賠償法1条1項に基づき、慰謝料各100万円及びこれに対する訴状送達の日である平成31年2月28日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
[2] 原審は、控訴人らの請求をいずれも棄却したところ、控訴人らが控訴した。
[3] 当事者間に争いのない事実並びに後掲証拠(書証は、特に断らない限り、各枝番を含む。以下同じ。)及び弁論の全趣旨によって明らかに認定できる事実は、次のとおりである。
[4] 民法は、第4編「親族」に第2章「婚姻」を設け、婚姻の成立要件、効力等について定める規定を置いている(同法731条以下)。その中で、民法は、婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる旨を定め(民法739条1項)、婚姻の当事者を「夫婦」と呼称し、夫婦の一方を「夫」、「妻」と呼称している(同法750条等)。
[5] 戸籍法は、婚姻をしようとする者は、夫婦が称する氏等を届書に記載して、その旨を届け出なければならない旨を定め(同法74条)、婚姻の届出があったときは、夫婦について新戸籍を編製することを原則とし(同法16条1項)、戸籍には、戸籍内の各人について、氏名、出生の年月日、実父母の氏名及び実父母との続柄等のほか、夫婦については夫又は妻である旨を記載しなければならない旨を定めている(同法13条)。
[6] 民法、戸籍法その他の現行の法令には、同性の者同士が婚姻をすることはできない旨を明記した規定はない。もっとも、「夫婦」、「夫」、「妻」という文言は、通常は、「夫」は男性を意味し、「婦」及び「妻」は女性を意味するものとして用いられており、上記の民法及び戸籍法の規定において、このような通常の用例と異なる意味でこれらの文言を用いているとは解されない。したがって、婚姻に関する現行の法令は、婚姻を男女間のものとして規定しており、同性婚は認めていないと解される。
[7] 戸籍法は、出生の届書には、子の男女の別を記載しなければならない旨を定めている(同法49条2項1号)。この男女の別と出生の順により、戸籍に実父母との続柄(同法13条4号)として「長男」、「長女」、「二男」、「二女」などと記載されることにより、法令の規定の適用の前提となる戸籍上の性別(以下「法的性別」という。)が示される。
[8] したがって、法的性別は、通常は出生時に判定された生物学的な性別と一致するが、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(平成15年法律第111号。以下「性別取扱い特例法」という。)3条1項の規定による性別の取扱いの変更の審判があった場合には、当該審判を受けた者を筆頭者とする新戸籍が編製された上、父母との続柄欄が更正されて、法的性別が変更される(戸籍法20条の4、戸籍法施行規則35条16号。以下、特に断らない限り、性別の記載は法的性別を指す。)。
[9] 性的指向(sexual orientation)とは、恋愛感情又は性的感情の対象となる性別についての指向をいう。恋愛感情又は性的感情の対象が異性に向くことを異性愛、同性に向くことを同性愛(レズビアン、ゲイ)、双方の性別に向くことを両性愛(バイセクシャル)という。
[10] 性自認(性同一性ともいう。gender identity)とは、自己の属する性別についての認識に関するその同一性の有無又は程度に係る意識をいい、性的指向とは観点を異にする概念である。これが一致する場合をシスジェンダー、一致しない場合をトランスジェンダーという。
[11] LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの総称であるが、性的少数者には、これらの定義に当てはまらない者も含まれる。
[12] 控訴人aと控訴人bは、ともに女性であり、両名間の婚姻を希望し、平成31年1月に婚姻届を提出したが、女性同士を当事者とする届出であることを理由に、受理されなかった。(甲C1)
[13] 控訴人cと控訴人dは、ともに女性であり、両名間の婚姻を希望し、平成31年2月に婚姻届を提出したが、女性同士を当事者とする届出であることを理由に、受理されなかった。(甲D1)
[14] 控訴人eと控訴人fは、ともに男性であり、両名間の婚姻を希望し、平成31年2月に婚姻届を提出したが、男性同士を当事者とする届出であることを理由に、受理されなかった。(甲E1)
[15] 控訴人iは、ドイツ連邦共和国(以下「ドイツ」という。)の国籍を有する女性であり、2018年(平成30年)9月、ドイツ法の定めるところにより、日本人女性との婚姻が成立したが、その後、平成31年1月に日本国内で同女との婚姻届を提出したところ、女性同士を当事者とする届出であることを理由に、受理されなかった。(甲G1~3)
(1) 現行の法令が同性婚を認めていないことの憲法適合性
(2) 本件立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法と評価されるか
(3) 損害の有無及び額
(4) 国家賠償法6条所定の相互保証の存否(控訴人i関係)
ア 憲法適合性を問題とする対象について
[16](ア) 控訴人らは、民法、戸籍法その他の現行の法令において、同性カップルが婚姻制度から排除されており、同性婚が認められていないことが違憲であると主張するものである。
[17] 婚姻制度の中核は、両当事者の親密な人的結合関係を中心とする家族としての法的な身分関係を形成し、これを公証し、これにふさわしい法的効果を付与することにある。憲法は、これらの中核的要素を備えた婚姻制度を、性的指向等にかかわらず、全ての人が利用できるよう構築することを要請している。それにもかかわらず、同性カップルが現行の婚姻制度から排除されていることが問題の本質であり、現行の法令が同性婚を認めていないことが違憲とされるべきである。
[18](イ) 上記の主張が全面的には認められないとしても、上記の主張は、現行の法令が同性カップルを家族になるための法制度の存在しない状態に置いていること(同性カップルに対して家族になるための法制度により保護される一切の利益を与えないこと)が違憲であるとの主張を包含し、少なくとも、同性カップルをそのような状態に置いていることが違憲であるとの判断がされるべきである。

イ 憲法24条1項適合性について
[19](ア) 人と人が,親密な関係を基礎として一定の永続性を持った共同生活を営み、家族を形成することは、人生に充実をもたらすものであり、その人らしい幸福追求をする上で重要な意味を持つ。このような家族の形成について、法律が要件と効果を定めて承認・公証し、社会の構成単位として位置付け、権利義務の束を付与する仕組みが婚姻(法律婚)であるが、婚姻は、上記のとおり人生の充実をもたらすばかりでなく、法制度を通じた様々な権利義務の付与やそれに伴う社会的承認を通じ、その当事者を社会の構成単位として正式に認め迎える契機ともなるものである。このように、婚姻はその人の人生と人格に深く関わるものであり、個人が人格的生存を図る上で不可欠の事柄である。そのため、婚姻をするかどうか、いつ誰とするかについての自己決定権(婚姻の自由)は、全ての人が個人として尊重される(憲法13条)という憲法の基本原理に照らし、自己決定権の重要な一内容を成すものというべきである。
[20] そして、憲法は、全ての人が個人として尊重されるという基本原理を実現するために婚姻の果たす役割が欠かせないと考えて、憲法24条において婚姻の自由を保障したものである。婚姻及び家族の制度に関する規定である同条の法意は、個人よりも「家」を優位に置いて婚姻の自由が制限されるなどした昭和22年改正前の民法の下での婚姻制度の在り方を根本から否定した上、婚姻が自己決定権の重要な一内容であることに鑑み、新たな婚姻制度の下では人が望む相手との意思の合致のみにより自律的に婚姻をなし得ること(婚姻の自由)が確保されなければならないことを明記したものにほかならない。
[21](イ) この婚姻の自由は、法律婚を定めた法制度の存在を前提とするものではあるが、人と人が生活を共にしようとするに当たり、社会が一定の条件の下でこれを承認し、これに様々な利益や責任を結び付ける仕組みは、前国家的なものであり、婚姻に関する法制度は、このような性格を有する婚姻に対し、法律による規律・整序を及ぼしたものにすぎない。したがって、憲法24条1項は、婚姻に関する法制度の枠内でのみ婚姻の自由を保障しているのではなく、国家以前の個人の尊厳に直接由来する自由として婚姻の自由を保障していると解すべきであり、憲法が婚姻制度について要請し想定した核心部分を婚姻に関する法制度が何らの正当化根拠なく制約する場合には、その法律は違憲となる。
[22] そして、憲法24条1項が、婚姻は両性の合意にのみに基づいて成立するとして、婚姻が当事者間の自由かつ平等な意思決定により成立すべきことを定めていること、同条2項が、配偶者の選択が個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきことを求めていること、婚姻は個人の人格的自律に深く関わり、個人の幸福追求において最も重要な意味を持つものの一つであることなどからすると、憲法が婚姻制度について要請し想定した核心部分とは、望む相手と両当事者の合意のみに基づいて婚姻が成立するという点であると解すべきである。
[23](ウ) 同性カップルも、異性カップルと全く同様に婚姻の本質を伴った共同生活を営むことができ、現に控訴人らは異性カップルと同様にパートナーとの間で信頼関係に基づく関係を築いている。同性愛者等(同性愛者及び両性愛者をいう。以下同じ。)にとって、婚姻による法的保護を受けることが人格的生存に不可欠であることは異性愛者と何ら異なるところはなく、このことは、控訴人らがパートナーと婚姻できないために周囲から夫婦としての承認を得ることができず、具体的な不利益を受けている事実からしても明らかである。さらに、異性愛者に婚姻の自由を保障する一方で同性愛者等を婚姻の自由から排除することは、同性愛者等に対し、異性愛者よりも劣った存在であり、社会の正式な構成員ではないとのスティグマを与えるものであり、このことは民主主義社会の基盤を弱体化させることにもつながる。
[24] したがって、憲法が婚姻の自由を保障した趣旨は同性カップルにも当然に妥当し、これらを別異に扱うべき憲法上の根拠は存在しないから、憲法24条1項は、異性愛者のみならず、同性愛者等にも婚姻の自由を保障するものであり、同項の婚姻の自由は同性婚にも及ぶものと解すべきである。
[25](エ) 憲法24条1項は「両性」の文言を用いており、その制定の際には異性間の婚姻のみが想定されていたことがうかがわれる。しかし、憲法制定過程において、婚姻の当事者を男女に限定することが議論されたり、そのために「両性」という文言が使用されたりした事実はない。同条の制定趣旨は、旧憲法下の「家」制度の制約を婚姻及び家族の法制から排除し、婚姻については対等な当事者の自由な意思によるべく、戸主等の同意を要件とする制度を排除することであり、同条における「両性」の文言は、同性婚を排除する趣旨に出たものではないというべきである。
[26] また、憲法24条が「両性」の文言を用いたのは、憲法制定時、同性愛が精神疾患と認識されており、同性間の親密な関係や共同生活が法的保護を及ぼす対象として意識されることがなかったためである。しかし、その後、精神医学の分野において、同性愛を精神疾患とする知見に合理的な根拠がないことが実証的に明らかにされ、現在では同性愛は精神疾患に当たらないとする認識が確立している。これに伴い、性的指向に基づく人権の制約は許されないという認識が国際的に浸透し、諸外国では同性カップルの婚姻の法制化が次々に実現している。我が国においても、多くの地方公共団体において同性カップルを承認する制度であるパートナーシップ制度の導入が進んでいるほか、国民の中でも、同性婚制度の導入に賛成する者が多数を占めるなど、同性カップルを異性カップルと等しく婚姻により保護すべきであるという意識は高まり続けている。
[27] 以上のとおり、憲法の原理に即し、また社会の変化を踏まえて考察すれば、憲法が婚姻制度について要請し想定した核心部分である、望む相手と両当事者の合意のみに基づいて婚姻が成立するというときの「両当事者」には、同性の者同士も含まれると解釈するのが、今日の解釈としてふさわしいものというべきである。
[28] したがって、憲法24条1項における「両性」とは「両当事者」を意味すると解すべきであり、同項は、異性愛者と同様に、同性愛者等に対しても婚姻の自由を保障しているというべきである。
[29](オ) 民法が生殖の能力及び意思を婚姻の要件としていないことからも明らかなとおり、生殖と養育は婚姻の目的ではなく、一つの機能・役割にすぎないし、子を産み育てながら共同生活を送ることは、異性カップルと同様に同性カップルでも行い得るのであるから、生殖と養育に対する法的な保護を婚姻の目的として挙げるのであれば、なおさら同性カップルの保護の必要性は高い。
[30] そして、異性愛のみが正常な人的結合の在り方であり、同性愛は正常ならざる人的結合であるとする考え方(いわゆる異性愛規範)は現在ではその正当性を失っているのであるから、同性カップルを婚姻制度から排除することは、今日においては何らの合理性を有しない。
[31](カ) 以上によれば、現行の法令が同性婚を認めていないことは、憲法24条1項に違反する。

ウ 憲法24条2項適合性について
[32](ア) 憲法24条2項は、単に「婚姻及び家族」に関する事項に関する立法の指針を示すにとどまらず、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に反する立法について、これを無効ならしめるとともに、立法府に対し速やかにその改廃のために必要な措置を講ずることを義務付ける規定である。
[33] そして、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻するかについての意思決定、とりわけ誰と婚姻するかという配偶者の選択に係る意思決定は、その人の人格に深く関わり、個人の幸福の追求について自ら行う意思決定の中で最も重要なものの一つであり、もし、婚姻、とりわけ配偶者の選択を自由に行えないのであれば、個人が尊厳ある存在として尊重されたとは到底いえない。したがって、婚姻の自由、とりわけ配偶者選択の自由は、憲法24条2項にいう「個人の尊厳と両性の本質的平等」の最も重要な内容の一つに当たるというべきであり、同項が「配偶者の選択」を明文で掲げ、更に同条1項が婚姻の自由について特に規定を設けたのは、上記の内容を実定法に具現化すべきであるとしたものと解される。そして、婚姻の自由、とりわけ配偶者選択の自由が上記のような重要性を有することに鑑みれば、法律が婚姻の自由、とりわけ配偶者選択の自由を直接否定したり、婚姻の成立や配偶者の選択に個人の人格を否定するような条件を設けて自由な意思決定を制約したりするような場合には、その制約に真にやむを得ない理由が存在するか否かが厳格に審査される必要があり、このような理由が存在すると認められない限り、当該法律やその状態は、同条2項に違反するものと解すべきである。
[34] なお、憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する立法が「個人の尊厳及び両性の本質的平等」に立脚したものでなければならないとして立法に対する直接的な拘束を及ぼしているのであるから、立法府は正当な理由のない限り上記拘束に従った立法をするほかないのであって、立法裁量を行使する余地はない。
[35](イ) 現行の法令は同性婚を認めていないから、同性愛者等は自らが望む相手との婚姻をすること自体ができず、婚姻の自由を直接的かつ強度に制約されている。
[36] 婚姻は、戸籍によって身分関係が公証され、様々な権利義務の束を発生させるとともに、その身分に応じた社会的承認が付随する法律行為であり、婚姻により、共同生活関係は法的な家族として保障され、社会的に承認されることとなるが、同性愛者等は、婚姻をすること自体ができないことにより、配偶者としての様々な権利義務の束を享受できず、夫婦としての社会的承認を受けることもできないという重大な不利益を被っている。
[37] 性的指向は人の性の重要な構成要素であり、人格に深く根差した個性であって、自らの意思で変えることは困難である。そのような中、同性愛者等に対して異性間の婚姻を前提とする婚姻制度を強いることは、性的指向及び性自認を根拠に社会の重要な制度から排除することにつながるものであり、その人の人格そのものを否定するものである。しかも、同性カップルを排除する現行の婚姻制度の存在は、同性愛者等に対する社会的な差別・偏見を助長させ、社会を分断するものであり、これを正当化する根拠はおよそ見出すことができない。
[38](ウ) 婚姻及び家族に関する立法が「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚したものでなければならないとする憲法24条2項の要請は、当該立法が憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害してはならないとか、両性の形式的な平等が保たれなければならないということのみを求めるものにとどまらず、憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと、両性の実質的な平等が保たれるように図ること、婚姻制度の内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものである。したがって、法律が婚姻の自由に対する直接の制約とはならない場合でも、事実上これを制約するものである場合には、当該法律は、やはり同項に違反することとなる。
[39] そして、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻するかといった事柄に関する意思決定は、少なくとも個人の人格的生存にとって不可欠の利益であることは疑いがないから、憲法24条2項の適用上は、このような人格的利益も尊重すべきである。現行の婚姻制度は、同性カップルが異性カップルと何ら異なるところのない共同生活を営んでいるにもかかわらず、同性カップルを婚姻から排除している点で、同性カップルと異性カップルの本質的平等を害しており、現行の法令が同性婚を認めていないことは同性愛者等にとって不当な制約となっていることが明らかである。
[40](エ) 前記のとおり、憲法24条1項の「両性」の文言に異性間の婚姻以外を否定し排除する趣旨はない。同項がその制定当時は異性間の婚姻を想定していたとしても、同条2項は、「配偶者の選択」が「個人の尊厳」に立脚しなければならないと定め、男女間のものに限定していない。同条1項は、同条2項が定める「個人の尊厳と両性の本質的平等」のうち特に重要な内容を定めたものであり、同条2項の内容が同条1項の内容に限定される関係にはなく、同条2項の「婚姻及び家族に関するその他の事項」について異性カップル以外の家族についてその保護範囲が及ばないなどという解釈は成立しない。
[41](オ) 以上によれば、現行の法令が同性婚を認めていないことは、憲法24条2項に違反する。

エ 憲法14条1項適合性について
[42](ア) 現行法の下では、異性愛者が自らの性的指向に従って異性のパートナーと婚姻することができる一方で、同性愛者等はその性的指向に従って同性のパートナーと婚姻することができない。これは、性的指向が異性に向いているか同性に向いているか、すなわち性的指向によって、婚姻の可否それ自体に関して区別取扱いを行うものである。現行の法令において「性的指向」という文言が婚姻の要件に挙げられているものではないが、婚姻が異性間のものに限定されていれば、同性愛者等が婚姻から排除される結果となることは当然のことであるから、性的指向が直接に婚姻の成立要件を構成するものでないからといって、上記区別取扱いの存在を否定することはできない。
[43] また、現行法の下では、ある者との婚姻を望む者がいた場合に、異性の者は婚姻をすることができるのに、同性の者は婚姻をすることができないのであるから、自分自身の性別又は婚姻を希望する相手の性別によって婚姻の可否が区別されているといえ、性別による区別取扱いであるということもできる。
[44](イ) 上記区別取扱いは、同性間の婚姻を直接的かつ全面的に制約するものである。その結果、同性愛者等は、民法上の配偶者という重要な法的地位を得られないことをはじめとして、身分関係(当事者間、親子間)の形成、身分関係の公証、身分関係にふさわしい法的効果の集合的付与等の一切の利益を与えられずにいるのであり、その不利益は甚大なものである。また、現行の婚姻制度から同性愛者等が排除されているという現状自体が、同性愛者等に対する差別・偏見を温存し、助長し、固定化するものである。
[45] 上記区別取扱いは、憲法14条1項の列挙事由である社会的身分又は性別に基づくものであり、その結果として生ずる不利益は重大であるから、その憲法適合性は厳格に審査されなければならない。
[46] 上記区別取扱いは、人格に深く関わり、自らコントロールすることができない属性に基づくものであること、同性間の婚姻を直接的かつ全面的に制約するもので、その不利益は甚大であること、親密性に基づく共同生活の保護という婚姻制度の目的に照らして同性愛者等を排除する理由がないこと、婚姻に伴う個別の法的効果の趣旨に照らしても、同性カップルにそのような法的効果を与えない理論的根拠が存在しないことなどを踏まえると、上記区別取扱いに合理的根拠が認められる余地はない。
[47](ウ) 憲法24条1項が、異性間の婚姻のみを保障しており、同性間の婚姻については保障していないとしても、立法が、異性カップルと同性カップルを等しく扱うことができ、そのように扱うことが憲法の基本原理に照らして望ましいことであるのに、あえてそれをせずに、その結果、人格的生存に対する重大な脅威を生じさせているのであれば、そのような区別取扱いについて、憲法14条1項の見地から合理的根拠の有無を問われるのは当然のことであり、その判断を回避することは許されない。
[48](エ) 憲法は、明治民法下の「家」制度とそれに基づく人々の意識や慣行を排して、個人の尊厳と両性の本質的平等という憲法全体の基本理念(憲法13条、14条)を家族法制に貫こうとして、憲法24条2項を置いたのであって、古くからの営みに基づく社会通念に反してでも憲法の理念の求める規範が徹底されねばならない場合があることを前提としており、婚姻を異性間のものとする社会通念のみをもって、区別取扱いの合理的根拠とすることはできない。
[49] 自然生殖は、古くからそれが婚姻の中で行われ、種の保存に資するとしても、近代日本の法制度上、法制度としての婚姻の本質が自然生殖と解されたり、自然生殖の能力が婚姻の可否の法律上の基準とされたりしたことはない。それは、明治民法起草者を含む明治以来の法律家によって強く否定された考えである。異性カップルの中には、そもそも生殖の意思・能力がないものもあるところ、そのようなカップルが婚姻制度の本来の目的に合致しない存在であると一般的にみなされていないことは明らかであって、婚姻制度の目的が生殖の保護にあるということはできない。婚姻制度の目的は、親密な関係(親密性に基づく共同生活)の保護であり、生殖の保護はそこから派生する重要な機能・役割の一つと位置付けるのが妥当である。嫡出推定規定等は、婚姻の法的効果の一つではあるが、不可欠の要素ではなく、これを同性カップルに認めるべきか否かと、同性カップルに婚姻制度の利用を認めるべきか否かは別の問題である。したがって、自然生殖の可能性がないことは区別取扱いの合理的根拠とはならない。
[50](オ) 以上によれば、現行の法令が同性婚を認めていないことは、憲法14条1項に違反する。
ア 憲法適合性を問題とする対象について
[51](ア) 控訴人らの主張は、同性間の人的結合関係につき「婚姻の自由」が保障されていることを前提に、現行の婚姻制度に加えて、同性間の人的結合関係についても婚姻と同様の積極的な保護や法的な利益の供与を認める法制度を創設することを国家に対して求めるものである。しかし、憲法24条は「婚姻」が異性間の人的結合関係を対象とするものであることを前提としており、同性間の人的結合関係につき、控訴人らのいうところの「婚姻の自由」が保障されているものではないから、これが保障されていることを前提に、現行の法令が同性カップルを「排除」していることの憲法適合性を問題とする控訴人らの視点は誤りである。
[52](イ) 控訴人らは、同性カップルが家族になるための法制度が存在しないことが違憲であるとも主張するが、控訴人らは、同性愛者等にあえて現行の婚姻制度とは別の制度を用意すること自体が同性愛者等に対する差別・偏見を助長し固定化することにつながるとして、そのような制度の創設を国会に義務付けることを主張するものではないというのであるから、上記の主張は国会のとるべき立法措置の内容との関係が不明というほかなく、そのような法制度が存在しないことの憲法適合性を判断する必要はない。

イ 憲法24条1項適合性について
[53](ア) 憲法24条は、1項において「両性」及び「夫婦」という文言を用い、2項において「両性の本質的平等」という文言を用いている。これらの文言の一般的な語義や、憲法制定過程において同条で用いられた文言、更には憲法審議における議論の状況等からすると、同条にいう「両性」が男女を意味することは明らかであり、憲法は同性婚をそもそも想定していないというべきである。
[54] 憲法24条1項の定める婚姻が異性間の人的結合関係を対象とするものとして法律により制度化され、同性間の人的結合関係を対象とするものとして制度化されていないことは、憲法自体が予定し、かつ許容するものである。
[55](イ) 婚姻及び家族に関する権利利益等の内容は、憲法上一義的にとらえられるべきものではなく、憲法の趣旨を踏まえつつ、法律によって定められる制度に基づき初めて具体的にとらえられるものである。そうすると、婚姻をするかどうか、いつ誰とするかについての意思決定の自由は、憲法の定める婚姻を具体化する法律に基づく制度によって初めて個人に与えられるか、あるいはそれを前提とした自由であり、生来的、自然権的な権利利益、人が当然に享受すべき権利利益ということはできない。憲法24条1項は、婚姻について異性間の人的結合関係のみを対象としており、同性間の人的結合関係を対象とすることは想定していないことからすると、婚姻の自由は、異性間の人的結合関係を対象とする婚姻についてのみ保障されていると解するのが相当である。
[56] 控訴人らの主張は、同性間の人的結合関係についても異性間の人的結合関係を対象とする婚姻と同様の積極的な保護や法的利益の供与を認める法制度の創設を国会に対して求めるものにすぎず、このような内実のものが自己決定権により基礎付けられると解することはできない。これは、同性間の人的結合関係を婚姻に含めることが、これを志向する当事者の幸福追求に資する面があるとしても変わるものではない。
[57](ウ) 婚姻が異性間の人的結合関係を前提として制度化された背景には、一人の男性と一人の女性という異性間の人的結合関係が、今後の社会を支える次世代の子を産み育てつつ、我が国の社会を構成して支える自然的かつ基礎的な集団単位である家族をその中心となって形成しているという社会的実態があり、当該実態に対して歴史的に形成されてきた社会的な承認がある。これに対し、同性間の人的結合関係には自然生殖の可能性が認められないし、同性間の人的結合関係を我が国における婚姻の在り方との関係でどのように位置付けるかは未だ社会的な議論の途上にあり、我が国において、同性間の人的結合関係に対して異性間の人的結合関係と同視し得るほどの社会的な承認が存在しているとはいい難い。そうすると、憲法24条1項は現在でもなお異性間の婚姻のみを保護の対象としていると解するのが相当である。
[58](エ) 民法が定める婚姻制度は、昭和22年改正の前後を通じ、我が国において婚姻が生殖と子の養育を目的とする男女の結合であるとの伝統・慣習を立法化したものであり、その過程で同性愛が精神疾患であるとの知見が積極的に立法に反映された形跡は見当たらない。したがって、同性愛を精神疾患とする知見が否定されるようになったことは、現行法の合理性を左右しない。
[59](オ) 以上によれば、現行の法令が同性婚を認めていないことは、憲法24条1項に違反しない。

ウ 憲法24条2項適合性について
[60](ア) 憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項について、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであるとの観点から、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに、その立法に当たっては、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、その裁量の限界を画したものである。
[61](イ) 憲法24条2項は、婚姻が異性間の人的結合関係を対象とするものであることを前提として、これを具体化する制度の整備を立法府に要請するものであり、同性間の人的結合関係をも対象として婚姻を認める立法措置をとることを立法府に要請しているものではない。そして、同項にいう「個人の尊厳」の意義も、このような規定の在り方に即して解釈されるべきであるところ、現行の法令が同性間の婚姻を認めていないことは、上記の要請に従った立法の結果にほかならないのであるから、違憲の問題を生ずる余地はない。
[62] また、憲法24条2項の要請の範囲を超えて同性婚を可能とする立法を行うか否かについては、国会に広範な立法裁量が認められるところ、国会が同性婚を可能とする立法をしないことについて立法裁量の逸脱があるということはできない。
[63](ウ) 以上によれば、現行の法令が同性婚を認めていないことは、憲法24条2項に違反しない。

エ 憲法14条1項適合性について
[64](ア) 憲法24条1項の定める婚姻が異性間の人的結合関係のみを対象とするものとして民法により制度化され、同性間の人的結合関係を対象とするものとして制度化されず、同性間で婚姻をすることができない事態が生ずることは、憲法24条が婚姻について異性間の人的結合関係のみを対象とすることを明文で定め,婚姻に係る法制度の構築を法律に委ねていることの当然の帰結であり、憲法自体が予定し、許容するものであるから、このような差異が生ずることをもって、現行の法令が同性婚を認めていないことが憲法14条1項に違反するということはできない。
[65](イ) 立法不作為の憲法14条1項適合性を判断するに当たっては、当該取扱いにおける区別が事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものであるかどうかについて、立法府に合理的な範囲の裁量判断が認められる場合、これを前提にして、その広狭に応じ、立法目的の合理性、目的達成のための手段・方法の合理性を具体的に検討すべきである。
[66] 婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における要因の変化についても考慮した総合的な判断によって定められるべきであり、特に、憲法上直接保障された権利とまではいえない利益や実質的平等については、その内容として多様なものが考えられ、その実現の在り方は、その時々における社会的条件、国民生活の状況、家族の在り方等との関係において決められるべきものである。
[67] また、婚姻及び家族に関する事項は、法制度のパッケージとして構築されるものにほかならず、法制度としてその全体が有機的に関連して構築されているものであるから、法制度の一断片のみを取出して検討することは相当ではない。そのため、問題となっている事項が、夫婦や親子関係についての全体の規律の中でどのような位置付けを有するのか、仮にその事項を変更した場合に、法制度全体にどのような影響を及ぼすのかといった点を見据えた総合的な判断が必要とされるものである。憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項の詳細については、憲法が一義的に定めるのではなく、法律によってこれを具体化することがふさわしいとの観点から、具体的な制度の構築を第一次的には立法府の合理的な裁量に委ねるとともに、その立法に当たっては、同条1項を前提としつつ、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、その立法裁量の限界を画したものである。そうすると、婚姻及び家族に関する事項が憲法14条1項に違反するか否かについては、このような立法府に与えられた合理的な立法裁量とその限界を検討しつつ、憲法24条の解釈と整合的に判断する必要がある。
[68] 婚姻は、当事者の合意のみに基づいて成立する一身上の問題であるだけでなく、我が国の社会を構成し、これを支える自然的かつ基礎的な集団単位である家族をその中心となって形成しているという実態があり、当該実態に対しては、歴史的に形成されてきた我が国の社会の承認が存在していると考えられる。このような性質の婚姻について、いかなる人的結合関係をその対象とするかは、婚姻の在り方を形作る核心というべきものであり、民主的なプロセスに委ねることによって判断されるべき事柄にほかならず、国会の合理的な裁量に委ねられていると解するのが相当である。
[69](ウ) 現行法は、一人の男性と一人の女性との間に婚姻を認めるものであり、その文言上、婚姻の成立要件として当事者に特定の性的指向を有することを求めたり、当事者が特定の性的指向を有することを理由に婚姻を禁じたりするものではなく、その趣旨・内容や在り方自体が性的指向に応じて婚姻制度の利用の可否を定めているものではないから、性的指向について中立的な規定であるといえ、区別の事由を性的指向に求めているものとはいえない。また、現行法の下では、男性も女性もそれぞれ異性と婚姻することができるのであるから、性別に基づく区別取扱いを定めたものともいえない。多種多様な人的結合関係のうち、一人の男性と一人の女性の人的結合関係について婚姻を認める結果として同性愛者がその性的指向に合致する者と婚姻することができないという事態が生じ、同性愛者と異性愛者との間に性的指向による差異が生じているとしても、それは性的指向につき中立的な現行法の規定から生ずる事実上の結果ないし間接的な効果にすぎないというべきである。
[70] このことに加えて、前記のとおり、憲法24条は同性間の人的結合関係を対象とすることを想定しておらず、同性婚の相手を自由に選択する権利や、婚姻によって生ずる法的効果の全部を同性婚によって享受する利益等の同性婚に係る権利利益は、憲法上保障されたものであるとはいえないこと、同性婚を認める立法がなくとも、同性間において婚姻類似の人的結合関係を形成、維持したり、共同生活を営んだりすることは何ら妨げられないことからすると、現行の法令が同性婚を認めていないことが憲法14条1項に違反する余地があるとしても、それは、婚姻によって生ずる法的効果を享受することができるか否かという点について同性愛者と異性愛者との間の性的指向による差異を結果として生じさせる現行法の立法目的に合理的な根拠がなく、又はその手段・方法の具体的内容が立法目的との関連において著しく不合理なものといわざるを得ないような場合であって、立法府に与えられた裁量の範囲を逸脱し又は濫用するものであることが明らかである場合に限られる。
[71](エ) 婚姻は、伝統的に生殖と密接に結び付いて理解されてきており、それが異性間のものであることが前提とされてきた。憲法及び民法の規定は、婚姻が生殖と子の養育を目的とする男女の結合であるという我が国の伝統、慣習が制度化されたものである。特に、嫡出推定規定(同法772条)や、子が父母の氏を称する旨の規定(同法790条)の存在は、異性間に認められる制度としての婚姻を特徴付けるものである。このような立法経緯及び規定内容からすると、現行法の婚姻に関する規定の目的は、一人の男性と一人の女性が子を産み育てながら共同生活を送るという関係に対して特に法的保護を与えることにあると解するのが相当である。そして、我が国において、一人の男性と一人の女性の人的結合関係が、今後の社会を支える次世代の子を産み、育みつつ、我が国の社会を構成し、支える自然的かつ基礎的な集団単位である家族をその中心となって形成しているという実態があって、当該実態に対して歴史的に形成されてきた社会的な承認が存在していることに鑑みると、このような立法目的が合理性を有することは明らかである。
[72] 上記の立法目的は、婚姻制度の対象として生物学的にみて生殖の可能性のある男女の組合せとしての夫婦を抽象的・定型的に想定したものであるから、このような目的を達成するに当たり、実際の自然生殖可能性の有無にかかわらず婚姻を認めることは、基準として何ら不合理と評価されるものではない。むしろ、パッケージとして構築される婚姻及び家族に関する制度においては、制度を利用することができるか否かの基準が明確である必要があるから、実際の自然生殖可能性の有無にかかわらず婚姻を認めることは、立法目的との関連において合理性を有するといえる。
[73] これに対し、同性間の人的結合関係には自然生殖の可能性が認められないし、同性間の人的結合関係に関する理解が社会一般に相当程度浸透し、同性愛者に対する差別や偏見の解消に向けた動きが進んでいると評価することができる状況にあるとしても、同性間の人的結合関係を婚姻の在り方との関係でどのように位置付けるかについては未だ社会的な議論の途上にあり、我が国において、同性間の人的結合関係を異性間の人的結合関係(婚姻関係)と同視し得るほどの社会的承認が存在しているとはいい難い。一方、同性婚が認められていないとしても、同性間において婚姻類似の親密な人的結合関係を構築して維持したり、共同生活を営んだりすることは何ら制限されるわけではないし、民法上の他の制度(契約、遺言等)を用いることによって、同性婚が認められていないことによる事実上の不利益が相当程度解消ないし軽減される余地もある。そうすると、同性間の人的結合関係を婚姻の対象に含めないことが現行法の婚姻に関する規定の立法目的との関連において合理性を欠くと評価することはできない。
[74](オ) 以上によれば、現行の法令が同性婚を認めていないことは、憲法14条1項に違反しない。
[75] 法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合等においては、国会議員の立法過程における行動が職務上の法的義務に違反したものとして、例外的に、その立法不作為は、国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受ける。
[76] 以下のとおり、現行の法令が同性婚を認めていないことが憲法14条1項、24条1項、2項に違反するものであることは遅くとも平成20年には明白になっていたにもかかわらず、国会は、正当な理由なく長期にわたって、現行の法令では男女間でのみ認められている婚姻を同性間でも可能とする立法措置をとることを懈怠しているから、本件立法不作為は国家賠償法1条1項の適用上違法というべきである。

[77] 20世紀後半、精神医学等の分野において相次いで同性愛が精神疾患に当たるとする知見が否定された。それに引き続き、立法・行政等の分野でも、平成6年3月、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」2条1項及び26条(差別禁止規定)の「性」には「性的指向を含む」との判断が自由権規約委員会によって示され、主要な人権条約として初めて同性愛を人権問題と位置付けた。その後、平成18年に「性的指向と性自認に関する国際人権法の適用に関するジョグジャカルタ原則」が採択されたことなどを通じ、性的指向や性自認に基づく権利利益の制約や差別は許されないとの法規範が国際的に浸透するようになった。そして、同年までに5か国において同性婚が法制化されていた。
[78] そのような中、我が国においては、平成12年に人権教育及び人権啓発の推進に関する法律が成立し、性的指向と性自認に基づく差別が人権侵害であるという認識が定着していった。そして、平成20年5月、我が国は、国際連合人権理事会の普遍的定期審査で勧告を受け、その後も性的指向と性自認に関する人権保障に関して複数回にわたり条約機関からの勧告等を受ける中で、国際社会に対し、性的指向と性自認に基づく差別が許されないことを繰り返し表明している。
[79] このような経緯に加えて、性的指向と性自認に基づく差別の解消に向けた国内外の各種の動向等に照らせば、婚姻に関して性的指向や性自認に基づく権利利益の制約や差別が許されないことは、どんなに遅くとも平成20年の時点では国会にとって当然に認識可能となっていたといえる。
[80] 一方、婚姻が個人の尊重に不可欠な自己決定の一内容であることは、憲法制定当時から明らかであり、当然、国会にとっても認識可能であった。
[81] したがって、現行法で同性婚ができないことが憲法14条1項、24条1項及び2項に違反することは、遅くとも平成20年には国会にとって明白になっていたというべきである。

[82] そして、同性婚を可能とする立法措置をとることについて立法技術的な困難が伴うものでもないことからすれば、遅くとも控訴人iがドイツで日本人女性との婚姻を挙行した平成30年9月の時点では、国会が正当な理由なく長期にわたって上記立法措置を懈怠していたと評価するに足りる期間が経過していたというべきであるところ、国会は、現在に至るまで同性婚を可能とする立法措置を講じていない。

[83] 以上によれば、本件立法不作為は、国家賠償法1条1項の適用上違法である。
[84] 立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法と評価されるのは、法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合等の例外的な場合に限られる。
[85] しかし、現行の法令が同性婚を認めていないことは憲法14条1項、24条1項又は2項に違反するものではなく、少なくともその違反が明白であるとは到底いえないのであるから、本件立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法と評価される余地はない。
[86] 本件立法不作為により、控訴人らは憲法上保障される婚姻の自由を侵害され、婚姻に対して与えられる社会的承認に伴う心理的・社会的利益、婚姻に伴う法的及び経済的な権利利益並びに事実上の利益を受けることができなかった。そればかりでなく、控訴人らはパートナーとの婚姻をすることができなかったことにより、パートナーとの関係に対してそれがあたかも「社会が承認しない関係性」であるかのようなスティグマを与えられ、その尊厳を深刻に傷つけられた。
[87] 控訴人らが受けた精神的苦痛を金銭に評価すれば、控訴人らそれぞれにつき100万円を下らない。
[88] 争う。
[89] 国家賠償請求権について定めた憲法17条及び国家賠償請求権の直接の根拠となる国家賠償法1条1項及び2条1項は、その文言上、請求の主体について何ら限定を加えておらず、同法6条において初めて請求の主体が外国人である場合に「相互の保証」を要する旨が規定されているにすぎない。このような条文の構造からすると、相互保証については、その不存在が抗弁事実となると解するのが相当である。被控訴人は相互保証の不存在について何ら主張立証をしないから、控訴人iは相互の保証が存在しないことが認められないものとして被控訴人に対して本件請求を行うことができる。
[90] また、控訴人iの国籍国であるドイツは、ドイツ基本法及び民法の定めにより、公務員に故意又は過失がある場合に国又は団体が当該故意又は過失によって第三者に生じた損害を賠償しなければならないとされている上、日本国民に対するドイツ連邦共和国の責任についての告示(1961年9月5日)が、被害者が日本国民である場合、ドイツの賠償責任について日本の立法により相互の保証があることを明言しているのであるから、ドイツとの間では相互保証が存在している。よって、控訴人iは、相互保証があるものとして、本件請求をすることができる。
[91] 国家賠償法6条の趣旨に照らすと、同条は、外国人に対しては「相互の保証」があることを条件として国家賠償請求権を付与したものと解されるから、外国人による国家賠償請求については相互保証の存在が請求原因事実となる。したがって、相互の保証の存在については、控訴人iにおいて主張立証すべきである。
[92] 前提事実に加えて、後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、次のとおりの事実を認めることができる。
ア 婚姻制度の成り立ち
[93] 古来より、人の自然な営みとして、男女が共に生活し、子をもうけて育てるということが行われてきたが、このような男女の結合関係を一定の要件の下に社会的に正当なものと認め、これに一定の効果を与える社会制度として、婚姻の規律が設けられてきた。婚姻制度において、その要件及び効果をどのように定めるかは、それが定められた時代、社会によって一様ではないが、概していえば、近代国家における婚姻制度は、前近代的社会における家父長的な家族共同体の支配関係から離脱し、平等な意思主体間の自由な婚姻意思の合致によるものとして構成された。(甲A16、210、211の14、16~18、29、乙22)

イ 明治民法
[94] 我が国においては、明治初年には婚姻に関する実体法の整備は未了であり、慣習に委ねられていた。その後、民法典の起草作業が進められ、旧民法人事編(明治23年法律第98号)に第4章「婚姻」が設けられたものの施行されるに至らず、明治31年7月に施行された民法(明治31年法律第9号。以下「明治民法」という。)により、法律婚としての婚姻制度が整備された。
[95] 明治民法は、婚姻は戸籍吏への届出により効力を生ずる旨を定めるとともに、婚姻当事者間に婚姻意思がないときは婚姻を無効として、婚姻が当事者間の合意に基づくものであることを明らかにした。また、重婚を禁止して、一夫一婦制を採用した。もっとも、明治民法は、「家」制度を採用し、第4編「親族」に第2章「戸主及ヒ家族」を設けて、「戸主ノ親族ニシテ其家ニ在ル者及ヒ其配偶者」を「家族」とし、家族が婚姻をするには戸主の同意を得ることを要する旨を定めるとともに、妻は婚姻により夫の家に入るものとし、夫は妻の財産を管理する旨を定めていた。このように、明治民法においては、婚姻をするについての当事者の自由は制約されたものであり、また、夫の妻に対する優位が認められていた。
[96] 明治民法の制定当時、同性の者同士の婚姻を明示的に禁止する国もあったが、明治民法においては、これを禁止する明文の規定は置かれなかった。もっとも、婚姻とは男女の結合関係をいうものであることが当然の前提とされており、学説上も、同性の者同士は婚姻をすることができないことは明らかであると解されていた。
[97] 一方、旧民法人事編の起草過程では、生殖能力を持たない男女の婚姻の可否に関し、当時のイタリア民法にならい、子孫の生殖をし得ない「身体の不能力」を婚姻の無効原因に加えようとする意見もあったが、そのような規定は設けられなかった。この点に関し、起草者は、婚姻は「両心の和合」をもって性質とするものであり、「産子の能力」は必要不可欠の条件ではないから、高齢や身体的事由により生殖能力を欠くことを婚姻の障害事由とすべきではないと考えていた。明治民法においても、生殖能力を有することは婚姻の要件とはされず、子が無いことや生殖能力を有しないことを婚姻の無効・取消事由又は離婚原因とする規定は設けられなかった。明治民法下の学説は、婚姻の目的は「終生の共同生活」、「共同の生存」にあり、性交又は子を得ることは必ずしも婚姻の目的ではないと解するものが大勢であり、生殖能力を有しない者も婚姻をすることができると解していた。(甲A16、210、211の14、16~18、26~29、33~35、38、41、A212、乙4)

ウ 日本国憲法の制定
[98](ア) 昭和20年以降、連合軍総司令部(GHQ)の下で、大日本帝国憲法の改正作業が進められた。
[99] 大日本帝国憲法には、婚姻や家族に関する規定はなかったところ、人権条項の起草を担当したGHQ民生局職員ベアテ・シロタ・ゴードンは、人間にとって一番大切なものは家庭(family)であり、その中で男女は平等であるとうたわなければならないと考え、現行の憲法24条に対応する条文案として、いわゆるシロタ草案の18条を作成した。その内容は、「家族(family)は、人類社会の基礎であり、その伝統は、よきにつけ悪しきにつけ、国全体に浸透する。それ故、婚姻と家族とは法の保護を受ける。婚姻と家族とは、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然であるとの考えに基礎をおき、親の強制ではなく相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべきことを、ここに定める。これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わって、配偶者の選択、財産権、相続、本拠の選択、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定されるべきである。」というものであった。
[100] 上記のシロタ草案に基づき、昭和21年2月に「GHQ草案」が作成され、続いて日本政府が「3月2日案」を作成し、更にGHQとの交渉を経て「3月5日案」を作成し、同年6月に帝国議会に帝国憲法改正案を提出した。「GHQ草案」23条には「婚姻ハ男女両性ノ法律上及社会上ノ争フ可カラサル平等ノ上ニ存シ」との文言があり、「3月5日案」22条には「婚姻ハ男女相互ノ合意ニ基キテノミ成立シ」との文言があった。帝国議会に提出された帝国憲法改正案は、22条1項を「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」とし、同条2項を「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関する其の他の事項に関しては、法律は、個人の権威と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とするものであった。(甲A156~161、211の22、23、29、A241、乙32)
[101](イ) 第90回帝国議会において、上記帝国憲法改正案につき審議が行われた。
[102] 衆議院での審議において、司法大臣は、改正案22条の趣旨について、従前、個人の尊重が足りなかったことと、両性が不合理に差を付けられていたことの2点に着眼をして、そのような封建制度の遺物的な弊害を打破することを眼目にするものであると説明し、婚姻につき「合意のみに基づいて」とするのは、明治民法では戸主の同意が必要であるなど強い制限を設けていたのを排除して、両性の合意だけで成立させようという趣意であると説明した。
[103] このように、帝国憲法改正案の審議においては、改正案22条の趣旨と従前の戸主権や「家」制度との関係等について相当の議論が交わされたが、婚姻は男女間のものであることを前提として議論がされ、同性婚の可否等については議論に上らなかった。
[104] 帝国議会における審議において、上記帝国憲法改正案22条は24条に改められ、2項中「個人の権威」が「個人の尊厳」と修正されたほかは原案のとおりとされて、日本国憲法が昭和21年11月に公布され、昭和22年5月に施行された。(甲A156、157、161、241、乙18)

エ 昭和22年改正民法
[105](ア) 日本国憲法の施行に伴い、民法について、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する応急的措置を講ずることを目的として、「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」(昭和22年法律第74号)が制定され、明治民法の戸主、家族その他家に関する規定等の適用が停止された。その後、昭和22年法律第222号による民法の一部改正(以下「昭和22年民法改正」といい、これによる改正後の民法を「昭和22年改正民法」という。)により、民法第4編「親族」及び第5編「相続」の全面改正が行われ、昭和23年1月に施行された。この改正により、明治民法第4編第2章「戸主及ヒ家族」は削られ、昭和22年改正民法には、第4編第2章「婚姻」、第3章「親子」のほかに、「家族」に関する規定は置かれなかった。
[106](イ) 昭和22年民法改正の国会審議においては、その提案理由説明として、明治民法、特にその親族編、相続編には、憲法13条、14条、24条の定める基本原則に抵触する幾多の規定があるので、これを改正する必要があるとされ、戸主、家族その他家に関する規定を削除するほか、婚姻については、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立すべきものとする基本原則に従い、成年者が婚姻をするについては、父母等の同意を要しないものとし、また、両性の平等を徹底するため、妻の無能力の制度を撤廃し、婚姻中は夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならないものとし、婚姻費用は夫婦間で分担するものとし、その他従来の不平等な規定を一掃するとの説明がされた。
[107] この改正により、明治民法の規定中、憲法13条、14条、24条に抵触すると考えられた規定が削除された一方、それ以外は基本的に従前の規定が維持された。
[108] 昭和22年民法改正に当たり、同性婚の可否等につき議論がされたことはうかがわれないが、昭和22年改正民法の立案を担当した民法学者は、その著書(昭和33年刊行)において、婚姻とは、その時代の社会通念に従って婚姻と見られるような関係を形成することであり,「学問を妻とする」とか、「芸術と結婚する」というのと同様に、「同性間の婚姻」というのも婚姻の実質的要件としての婚姻意思があるとはいえないとしており、当時の学説は、同性同士の婚姻というのはあり得ないものと解していた。
[109] 一方、昭和22年民法改正以降の学説も、婚姻の目的について、子の出生は婚姻の本質と密接に結び付いているけれども、婚姻に不可欠の目的ではないと説明し、婚姻の本質である夫婦の結束(固い結合)は生殖がなくとも可能であり、生殖能力のない老人であっても婚姻を締結することができるとしていた。(甲A16、19、211の21、27、28、A214)

オ 現行の民法等
[110] その後、民法の婚姻に関する規定は数次の一部改正を経ている。
[111] 現行の民法は、婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって効力を生じ(民法739条1項)、婚姻をすると、夫婦は互いに同居、協力及び扶助の義務を負うほか(同法752条)、婚姻費用を分担し(同法760条)、財産の共有推定を受け(同法762条2項)、離婚時には財産分与を請求することができ(同法768条)、配偶者の死亡時には相続人となるなど(同法890条)、夫婦間の財産関係を含めた種々の法的効果が定型的に発生するものとしている。また、妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定し(同法772条1項)、配偶者のある者が未成年者を養子とするには配偶者とともにしなければならず(同法795条)、父母の婚姻中は父母が共同して子に対する親権を行使するものとするなど(同法818条3項)、婚姻と親子関係を関連付けた規定を置いている。
[112] そして、税制、社会保障制度その他に係る諸法令においても、配偶者の地位にあることを要件として付与される種々の法的効果が定められている。

カ 近時の学説の議論状況
[113] かつては、社会通念上、婚姻とは男女間の結合関係をいうものであり、同性同士の婚姻というのはあり得ないという考え方が支配的であったが、近時の学説には、婚姻の意義・目的が子の生殖・養育よりも婚姻当事者間の人格的結びつきの安定化にあることなどを根拠として、同性婚を認めることに積極的な見解も存在する。(甲A16、38、169)
[114] 欧米諸国では、かつて、キリスト教の影響により同性愛を否定する考え方が存在し、同性間の性行為を処罰の対象とし、また、同性愛を精神疾患として治療の対象としていた。
[115] 我が国でも、明治時代には、法律上、男性同士の性行為が犯罪とされていた時期もあった。そして、大正時代に流行した性欲学によって同性愛が「変態性欲」として紹介され、異性愛が自然で、同性愛が病理であるとの認識が広く社会に浸透した。第二次世界大戦後も、医学文献において、同性愛は「変態性欲」として言及され、昭和54年1月に当時の文部省が発行した中学校、高等学校の生徒指導のための資料には、同性愛は健全な異性愛の発達を阻害するおそれがあるなどと記載されていた。(甲A24、26、48、330、335、337、乙24)

[116] アメリカ精神医学会は、1952年(昭和27年)発行のDSM-I(精神障害の診断・統計マニュアル第1版)及び1968年(昭和43年)発行のDSM-II(同第2版)では、「同性愛(homosexuality)」を精神障害の一種である「性的逸脱」の一つとしていたが、その後の研究の発展により、1973年(昭和48年)に、同性愛そのものは精神障害と扱わないことを決定し、1980年(昭和55年)発行のDSM-III(同第3版)では、より限定的な「自我違和的同性愛(ego-dystonic homosexuality)」の記述に改められ、1987年(昭和62年)発行のDSM-IIIR(同改訂版)では、「自我違和的同性愛」を精神障害とする記述も削除された。
[117] また、世界保健機関(WHO)は、ICD-9(国際疾病分類第9版)までにおいては、「同性愛」を精神及び行動の障害の一つに分類していたが、1992年(平成4年)発行のICD-10(同第10版)において、性的指向それ自体は障害とはみなされないことが明記された。
[118] 我が国においても、かつては同性愛が治療の対象となるとの考え方があったが、日本精神神経学会は、平成7年、ICD-10に準拠し、同性への性的指向それ自体を精神障害とみなさない旨の見解を明らかにした。
[119] 現在、精神医学、心理学等の専門家の間では、同性愛それ自体は疾病・障害ではないという見方が一般的見解となっている。(甲A1、2、27~30、48、335、343)

[120] 性的指向の形成に係る要因は必ずしも解明されていないが、精神医学、心理学等の専門家の間では、性的指向は、出生前又は人生の初期に決まるものであって、本人の選択や親の育て方によって決まるものではなく、同性愛者の中には困難を伴いつつ性行動を変える者も存在するが、そのような場合でも性的指向自体が変わるわけではなく、いかなる精神医学的療法によっても、性的指向が変わることはないと考えられている。(甲A2、7、335、345~347)
[121] 我が国は、昭和54年に、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(昭和54年条約第7号。以下「自由権規約」という。)を批准した。
[122] 国際連合の関連組織として、自由権規約に基づき自由権規約委員会が設置されており、自由権規約委員会は、自由権規約の履行状況等につき、締約国に対し、意見の表明、勧告等をすることができるものとされている。
[123] 自由権規約委員会は、1994年(平成6年)、オーストラリアのタスマニア州の男性間の性行為を処罰する規定が問題となった事件において、差別禁止に関する規定である自由権規約2条1項及び26条の「性(sex)」という文言には「性的指向」も含まれることを指摘し、これらの規定が性的指向に基づく差別も禁止しているとの見解を表明した。(甲A31、32、187)

[124] 国際連合は、2008年(平成20年)、我が国も共同提案国に加わった「性的指向と性自認に関する国際連合宣言」において、性的指向や性自認にかかわらず、人権は全ての人に平等に適用されることを求める無差別の原則を再確認すること、全ての加盟国と関係国際人権機構に対し、性的指向や性自認にかかわらず、全ての人の人権の促進と保護に努めるよう求めることなどを宣言した。また、同年、国際連合の枠組みの中で、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー及びインターセックス(LGBTI)の人々の人権と基本的自由に対する普遍的な尊重を確実にすることに取り組むことを目的として、我が国を含む国際連合加盟国による非公式の地域横断的グループである「国際連合LGBTIコアグループ」が設立された。
[125] 国際連合人権理事会は、2011年(平成23年)6月、我が国も賛成して、世界の全ての地域において性的指向及び性自認を理由として個人に対して行われる暴力と差別の全ての行為に重大な懸念を表明することなどを内容とする「人権、性的指向及び性自認」に関する決議(A/HRC/RES/17/19)を採択した。また、国際連合人権理事会は、2014年(平成26年)10月、我が国も賛成して、世界のあらゆる地域における性的指向及び性自認を理由として個人に対して行われる暴力及び差別行為に重大な懸念を表明し、性的指向及び性自認に基づく暴力及び差別との闘いにおける国際的、地域的及び国家的レベルでの前向きな動向を歓迎することなどを内容とする「人権、性的指向及び性自認」に関する決議(A/HRC/RES/27/32)を採択した。これを受けて、国際連合人権高等弁務官は、2015年(平成27年)5月、国際連合人権理事会に提出した「性的指向及び性自認に基づく個人に対する差別や暴力に関する報告書」において、加盟国に対し、これらの差別に対する方策の一つとして、同性カップル及びその子どもを法的に認定し、結婚したパートナーに従来与えられてきた便益(給付、年金、課税および相続に関連するものを含む。)が差別なく与えられることを保障することを勧告した。(甲A34、195~197、204)

[126] 自由権規約委員会は、2008年(平成20年)10月、日本政府の第5回定期報告に関する総括所見において、我が国に対し、同委員会の自由権規約26条についての解釈に沿って、公営住宅へのアクセスなど、婚姻せずに同居している異性カップルに付与されている便益が、婚姻せずに同居している同性カップルに対しても同等に付与されることを確保すべきであるとの勧告をし、2014年(平成26年)7月の第6回定期報告に関する総括所見においても同旨の勧告をした。
[127] さらに、自由権規約委員会は、2022年(令和4年)10月、日本政府の第7回定期報告に関する総括所見において、我が国に対し、同委員会の従前の勧告に沿って、同性カップルが、公営住宅へのアクセス、同性婚(same-sex marriage)を含む自由権規約に定められている全ての権利を国の全領域で享受できるようにすべきである旨の勧告をした。(甲A95、96、610)
ア 登録パートナーシップ制度等
[128] 1989年(平成元年)、デンマークにおいて、同性間の人的結合関係を公証し、一定の地位や法的効果を付与する制度である登録パートナーシップ制度が設けられた。以後、国によって呼称や具体的な制度内容は異なるものの、これと概ね同様の制度がヨーロッパ諸国を中心に広がり、2011年(平成23年)までにノルウェー、オランダ、ドイツ、フィンランド、ルクセンブルク、ニュージーランド、英国、オーストリア、アイルランド等で設けられた。イタリアでも、2016年(平成28年)に、同性間の人的結合関係について、相続権も含め婚姻とほぼ同等の権利義務を付与する制度である民事的結合制度が設けられた。
[129] そのほか、異性間であるか同性間であるかを問わず、共同生活を送る二者間の関係に一定の法的効果を与える制度として、ベルギーの法定同棲制度や、フランスの民事連帯協約(PACS)制度が設けられた。
[130] ドイツでは、2001年(平成13年)に生活パートナーシップ制度が設けられた後、その法的効果が徐々に拡大され、婚姻とほぼ同等の権利義務が付与されていたが、2017年(平成29年)に同性婚が認められた後、既存の生活パートナーシップは届出により婚姻関係に変更することができるようになり、生活パートナーシップ制度による新規登録は停止された。(甲A98、169、741、742、822、G8)

イ 同性婚
[131] 前記アの制度は、いずれも男女間の婚姻とは別の制度として、同性間の人的結合関係に適用される制度を設けたものであるが、2001年(平成13年)に世界で初めてオランダにおいて、男女間でのみ認められてきた婚姻を同性間でも認める立法措置がとられた。
[132] その後、ベルギー、スペイン、カナダ、南アフリカ、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガル、アイスランド、アルゼンチン、デンマーク、ブラジル、フランス、ウルグアイ、ニュージーランド、英国、ルクセンブルク、メキシコ、アイルランド、コロンビア、フィンランド、マルタ、ドイツ、オーストラリア、オーストリア、台湾、エクアドル、コスタリカ、チリ、スイス、スロベニア、キューバ、アンドラ公国、ネパール、エストニア、ギリシャでも同性婚が認められた。
[133] アメリカ合衆国においても、連邦最高裁判所が、2015年(平成27年)に、婚姻の要件を異性カップルに限り、同性婚を認めない州法の規定は、アメリカ合衆国憲法のデュー・プロセス条項及び平等保護条項に違反すると判断したことにより、同国内の全ての地域において、同性婚を制度として認めないことが許されないこととなった。
[134] 現在、同性婚を認める国・地域は37に上り、その地理的範囲は欧米のみならず、アジア、オセアニア、アフリカにわたる。
[135] 同性婚を認める国においても、その制度内容をみると、嫡出推定の有無、養子縁組の可否、生殖補助医療利用の可否等について、異性間の婚姻と異なる規律としている場合があり、また、同性婚を認めた当初は異性間の婚姻とは異なる規律としていたのをその後同様の規律に改めている場合がある。(甲A98~100、164、169、670、741、742、819、822、G8)
ア 国の行政・立法措置
[136](ア) 平成12年12月、人権教育及び人権啓発の推進に関する法律(平成12年法律第147号)が施行され、同法7条に基づき、平成14年3月に閣議決定された「人権教育・啓発に関する基本計画」において、取り組むべき人権課題の一つとして「同性愛者への差別といった性的指向に係る問題」が明記され、問題状況に応じて、その解決に資する施策の検討を行うものとされた。(甲A57~59)
[137](イ) 平成15年7月、性別取扱い特例法が施行され、生物学的性別と心理的性別(性自認)が一致しない状態にある者について、一定の要件の下に、戸籍上の性別記載の変更を可能とする立法措置が講じられた。
[138] なお、令和3年3月、生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(令和2年法律第76号)が施行されたが、性別取扱い特例法は、性別の取扱いの変更の審判を受けた者が同審判確定後に生殖補助医療を用いて子をもうけることを禁止していない。
[139](ウ) 令和5年6月、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(令和5年法律第68号。以下「理解増進法」という。)が施行された。
[140] 理解増進法は、性的指向及び性自認の多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み、その理解の増進に関する施策の推進に関し、基本理念、国及び地方公共団体の役割、基本計画の策定その他の必要な事項を定めることにより、性的指向及び性自認の多様性を受入れる精神を涵養し、もって性的指向及び性自認の多様性に寛容な社会の実現に資することを目的とするものであり(同法1条)、上記施策は、全ての国民が、その性的指向又は性自認にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念に則り、性的指向及び性自認を理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下に、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを旨として行われなければならないことを基本理念とする(同法3条)。

イ 地方公共団体の対応
[141](ア) 平成27年10月に東京都渋谷区がパートナーシップ証明制度を、同年11月に東京都世田谷区がパートナーシップ宣誓制度を導入したのをはじめとして、全国の地方公共団体において、一定の要件の下に、同性同士の二者間の関係について、当該地方公共団体が証明書の発行又は宣誓書の受領などを行う制度(以下「パートナーシップ制度」と総称する。)を導入する動きが広がっている。たとえば、東京都世田谷区の制度は、お互いを人生のパートナーとして生活を共にしているか、これから共にすることを約束した同性の二人(同性カップル)が、自由な意思によるパートナーシップの宣誓を区長に対して行い、その宣誓書を受け取ることにより、同性カップルの気持ちを区が受け止めるという取組みである。
[142] パートナーシップ制度の令和4年3月末時点での利用件数は2832組、同年4月時点での導入自治体数は209(人口カバー率52.1%)であったのに対し、令和5年5月末時点での利用件数は5171組、同年6月時点での導入自治体数は328(人口カバー率70.9%)であった。令和6年4月時点では、導入自治体数は442(人口カバー率84.82%)に達しており、都道府県自体又は都道府県内の全自治体での導入は27と過半数を超えている。
[143] また、地方公共団体によっては、同性パートナーの子を含めたファミリーシップの宣誓等の制度を併せて導入している。
[144] そのほか、地方公共団体によっては、犯罪、災害等による死亡者の遺族に対する見舞金、補償金等につき同性パートナーを支給対象者に含める取組みや、同性パートナーを持つ職員に結婚休暇、出産支援休暇等の利用や扶養手当等の受給を認める取組みなどを行っている。(甲A67、75~91、119~134、266~301、305、307~309、352~393、445~520、596、693~696、797、798)
[145](イ) 里親制度(児童福祉法27条1項3号の規定に基づき、児童相談所が要保護児童の養育を委託する制度)に係る現在の各都道府県の運用では、同性パートナーと共同生活を送る者も要保護児童の養育里親となることができる扱いがとられており、実際にこの制度を利用して養育里親として委託を受け、同性パートナーと共に子育てを行う者も存在する。(甲A598、599、651~655)

ウ 民間企業等の対応
[146](ア) 一般社団法人日本経済団体連合会は、平成29年5月、「ダイバーシティ・インクルージョン社会の実現に向けて」と題する提言を発表し、企業におけるLGBTへの理解の促進と差別の解消に向けて、各企業の取組状況を紹介し、考えられる対応を提言している。
[147] 多数の民間企業では、休暇、手当、福利厚生等の適用において、同性パートナーを配偶者と同等に扱っている。また、同性パートナーの子を社内制度上「子」として扱う制度を導入した企業もある。
[148] そのほか、顧客向けの対応として、住宅ローンの連帯債務者等となり得る「配偶者」に同性パートナーを含める対応をする金融機関もある。(甲A94、312~315、318、399、604、661~663、665~668)
[149](イ) 在日米国商工会議所は、平成30年9月、「日本で婚姻の平等を確立することにより人材の採用・維持の支援を」と題する意見書を作成し、日本政府に対して、LGBTのカップルにも婚姻の権利を認めることを提言した。同意見書は、現在、多くの日本の貿易相手国において、LGBTカップルにも婚姻の権利が付与されており、日本を除くG7参加国においては婚姻の平等又は同性パートナーシップが認められているので、日本は、人材の獲得に向けて競う他の多くの国と比較して、LGBTカップルにとって選択肢としての魅力がないと指摘し、LGBTカップルに婚姻の権利を認めることにより、日本でビジネスを行う企業が、生産性を最大化するための職場環境の基礎的要素である、人材の採用や維持、多様な従業員の公平な処遇において直面している障害を取り除くことができるとしている。在日オーストラリア・ニュージーランド商工会議所、在日英国商工会議所、在日カナダ商工会議所及び在日アイルランド商工会議所も、この意見書を支持している。
[150] 令和6年3月1日時点で、472の企業・団体が、婚姻の平等(同性婚の法制化)への賛同を表明している。(甲A112、137、801)
[151] 厚生労働省による人口動態統計によれば、婚姻件数は、近年減少傾向にあるが、戦後最少となった令和3年においても、なお約51万件に上る。
[152] 一方、総務省の国勢調査によれば、昭和55年時点では全世帯の6割以上を「夫婦と子供(42.1%)」と「3世代等(19.9%)」の家族が占めていたが、令和2年時点では「夫婦と子供」の世帯割合は25.0%に、「3世代等」の世帯割合は7.7%に低下し、子のいる世帯が大きく減少している。(甲A593)
[152] 内閣府の平成17年版国民生活白書によれば、①厚生労働省「小子化に関する意識調査」(平成16年。対象は20~49歳の男女)では、結婚の良い点・メリットについて、「家族や子どもを持てる」と回答が既婚者で63.5%、未婚者で58.2%、「精神的な安定が得られる」との回答が既婚者で61.9%、未婚者で54.3%、「好きな人と一緒にいられる」との回答が既婚者で58.0%、未婚者で57.7%であり、②内閣府「国民生活に関する世論調査」(平成16年。対象は20歳以上の有配偶者及び未婚者)では、家庭はどのような意味を持つと感じているかについて、「家族の団らんの場」との回答が有配偶者で63.8%、未婚者で54.9%、「休息・やすらぎの場」との回答が有配偶者で57.3%、未婚者で55.4%、「家族の絆を強める場」との回答が有配偶者で50.6%、未婚者で37.6%、「夫婦の愛情をはぐくむ場」との回答が有配偶者で30.9%、未婚者で19.8%、「子どもを生み、育てる場」との回答が有配偶者で27.0%、未婚者で19.5%であった。(甲A211の54)

[153] 内閣府が平成22年から平成23年にかけて実施した結婚・家族形成に関する調査では、①既婚者を対象に、結婚した理由を尋ねたところ、「好きな人と一緒にいたかった」との回答が61.0%、「家族を持ちたかった」との回答が44.2%、「適齢期だと思った」との回答が35.8%、「子どもが欲しかった」との回答が32.5%であり、②将来結婚したいと回答した未婚者を対象に、結婚したい理由を尋ねたところ、「好きな人と一緒にいたい」との回答が61.0%、「家族を持ちたい」との回答が59.2%、「子どもが欲しい」との回答が57.1%であった。
[154] 内閣府が平成26年から平成27年にかけて実施した結婚・家族形成に関する意識調査(対象は全国の29~39歳の男女)では、将来結婚したいと回答した未婚者を対象に、結婚したい理由を尋ねたところ、「家族を持ちたい」、「子どもが欲しい」との回答がいずれも70.0%、「好きな人と一緒にいたい」との回答が68.9%であった。(甲A211の55)

[155] 国立社会保障・人口問題研究所が平成27年に実施した第15回出生動向基本調査(対象は18~34歳の未婚者)では、「いずれ結婚するつもり」との回答が男性で85.7%、女性で89.3%、「結婚に利点がある」との回答が男性で64.3%、女性で77.8%であり、結婚の利点については、「自分の子どもや家族をもてる」との回答が男性で35.8%、女性で49.8%、「精神的安らぎの場が得られる」との回答が男性で31.1%、女性で28.1%であった。
[156] 国立社会保障・人口問題研究所が令和3年に実施した第16回出生動向基本調査(対象は18~34歳の未婚者)では、「いずれ結婚するつもり」との回答が男性で81.4%、女性で84.3%であり、結婚の利点については、「自分の子どもや家族をもてる」との回答が男性で31.1%、女性で39.4%、「精神的安らぎの場が得られる」との回答が男性で33.8%、女性で25.3%であった。(甲A211の52、A544、561、812)

[157] NHKが平成30年に実施した全国調査(対象は16歳以上の者)では、「結婚しても、必ずしも子どもをもたなくてよい」との回答が60%であり、「結婚したら、子どもをもつのが当たり前だ」との回答が33%であった。(甲A211の50)

[158] 国立社会保障・人口問題研究所が平成30年に実施した第6回全国家庭動向調査(対象は配偶者のいる女性)では、夫婦は子どもを持ってはじめて社会的に認められるかについて、「まったく賛成」又は「どちらかといえば賛成」との回答が24.7%、「まったく反対」又は「どちらかといえば反対」との回答が75.4%であった。(甲A211の51)
[159] 日本世論調査会が平成26年に実施した調査では、同性婚を法的に認めることについて、「賛成」又は「どちらかといえば賛成」との回答が42.3%、「反対」又は「どちらかといえば反対」との回答が52.4%であった。(甲A104)

[160] 広島修道大学の河口和也教授を研究代表者とするグループが平成27年に実施した全国調査(対象は20~79歳の男女)では、同性同士の結婚を法で認めることについて、「賛成」又は「やや賛成」との回答が51.2%、「反対」又は「やや反対」との回答が41.3%であった。
[161] 同グループが令和元年に実施した同様の調査では、「賛成」又は「やや賛成」との回答が64.8%,「反対」又は「やや反対」との回答が30.0%であった(甲A104、429)

[162] 毎日新聞社が平成27年に実施した全国調査では、同性婚について、賛成が44%、反対が39%であった。(甲A104、105)

[163] NHKが平成29年に実施した全国調査(対象は18歳以上の者)では、男性同士、女性同士が結婚することを認めるべきかについて、「そう思う」との回答が50.9%、「そうは思わない」との回答が40.7%であった。(甲A106)

[164] 朝日新聞社が平成29年に実施した全国世論調査では、同性婚を法律で認めるべきかについて、「認めるべきだ」との回答が49%、「認めるべきではない」との回答が39%であった。(甲A108、109)

[165] 株式会社電通が平成30年に実施した調査(対象者は20~59歳)では、同性婚の合法化について、「賛成」又は「どちらかというと賛成」との回答が78.4%であった。(甲A110)

[166] 国立社会保障・人口問題研究所が平成30年に実施した第6回全国家庭動向調査(対象は配偶者のいる女性)では、①男性同士や女性同士の結婚(同性婚)を法律で認めるべきかについて、「まったく賛成」又は「どちらかといえば賛成」との回答が69.5%、「まったく反対」又は「どちらかといえば反対」との回答が30.5%、②男性同士や女性同士のカップルにも何らかの法的保障が認められるべきかについて、「まったく賛成」又は「どちらかといえば賛成」との回答が75.1%、「まったく反対」又は「どちらかといえば反対」との回答が25.0%であった。
[167] 国立社会保障・人口問題研究所が令和4年に行った第7回全国家庭動向調査(対象は配偶者のいる女性)では、男性同士や女性同士の結婚(同性婚)を法律で認めるべきかについて、賛成の割合が75.6%に上昇した。(甲A149、166、692)

[168] 朝日新聞社と東京大学谷口将紀研究室が令和2年に実施した共同調査では、同性婚について、「賛成」又は「どちらかと言えば賛成」との回答が46%、「どちらとも言えない」との回答が31%、「反対」又は「どちらかと言えば反対」との回答が23%であった。(甲A224)

[169] 朝日新聞社が令和3年に実施した全国世論調査では、同性婚を法律で認めるべきかについて、「認めるべきだ」との回答が65%、「認めるべきではない」との回答が22%であった。(甲A588)

[170] 朝日新聞社が令和5年2月に実施した全国世論調査では、同性婚を法律で認めるべきかについて、「認めるべきだ」との回答が72%、「認めるべきでない」との回答が18%であった。(甲A587)

[171] 共同通信社が令和5年2月に実施した世論調査では、同性婚を認める方がよいとの回答が64.0%、認めない方がよいとの回答が24.9%であった。(甲A607)

[172] 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が令和5年2月に実施した合同世論調査では、同性婚を法律で認めるべきかについて、賛成との回答が自由民主党支持層で60.3%、立憲民主党支持層で74.0%、無党派層で76.3%であり、反対との回答が自由民主党支持層で29.3%、立憲民主党支持層で20.5%、無党派層で13.5%であった。(甲A560)

[173] NHKが令和5年2月に実施した世論調査では、同性婚を法律で認めることについて、賛成が54%、反対が29%であった。(甲A686)

[174] 日本経済新聞社が令和5年2月に実施した世論調査では、同性婚を法的に認めることについて、賛成が65%、反対が24%であった。(甲A688)

[175] JNNが令和5年5月に実施した世論調査では、同性婚を法的に認めることについて、賛成が63%、反対が24%であった(甲A689)。

[176] 共同通信社が令和5年5月に実施した世論調査では、同性婚は認める方がよいとの回答が71%、認めない方がよいとの回答が26%であった。(甲A691)

[177] NHKが令和5年5月に実施した世論調査では、同性婚が認められるべきと思うかについて、「法的に認められるべきだと思う」との回答が44%、「どちらともいえない」との回答が37%、「法的に認められるべきではないと思う」との回答が15%であった。(甲A690)
[178] アメリカ合衆国で2009年(平成21年)に行われた疫学調査では、自分をレズビアン、ゲイ又はバイセクシュアルとみなしている人の割合は、男性では6.8%、女性では4.5%であった。
[179] また、アメリカ合衆国のカリフォルニア大学で2011年(平成23年)に実施された研究の結果によれば、アメリカ合衆国では3.5%の人が自分をレズビアン、ゲイ、バイセクシュアルのいずれかであると認識していると推計された。(甲A8、335)

[180] 名古屋市が平成30年に実施した「性的少数者(セクシュアル・マイノリティ)など性別にかかわる市民意識調査」(対象は名古屋市内に居住する満18歳以上の者)では、自身が性的少数者の当事者であるかについて、「はい(性的少数者である)」との回答が全体で1.6%であった。ただし、若年層では同回答の割合が高く、18歳ないし29歳の男性で4.2%、女性で8.0%、30歳ないし39歳の男性で2.6%、女性で2.4%であった。(甲A9)

[181] 国立社会保障・人口問題研究所の釜野さおりらが令和5年に実施した調査(対象は日本に居住する18~69歳)では、回答者の3.5%が「ゲイ・レズビアン」、「バイセクシュアル」、「アセクシュアル」、「トランスジェンダー」のいずれかに該当するという結果であった。また、同調査では、子どもを持ちたい人の割合が、回答者の全体では23.4%であったのに対し、回答者のうち「同性愛者、両性愛者」では38.6%であった。(甲A790)

[182] 一般社団法人こどまっぷが、令和3年にインターネット上で実施したアンケート調査(対象は性的少数者で出産・子育てを考えている人)では、分析対象者数534人のうち、「現在付き合っている(あるいは婚姻関係にある)恋人やパートナーがいる」と回答した者が80%(428人)であり、そのうち、「実際に子育てしている/していた」と回答した者は33%(141人)、「自治体によるパートナーシップ制度など(婚姻、養子縁組や海外での婚姻も含む)を利用している」と回答した者は29%(123人)であった。(甲A790)

[183] NHKが平成27年に実施した「LGBT当事者アンケート調査~2600人の声から~」では、自分が住む自治体でパートナーシップ制度が始まったら申請してみたいかについて、「申請したい」又は「パートナーができたら申請したい」との回答が82.4%であり、申請したい理由については、「医療を受ける際、家族と同等の扱いを受けたい」との理由が最も多く、「法律上、家族として認めてほしいのでその第一歩として」も半数以上であった。また、同性婚について、「同性間の結婚を認める法律を作って欲しい」との回答が65.4%、「結婚ではなくパートナー関係の登録制度を国が作ってほしい」との回答が25.3%、「現状のままで良い」との回答が2.9%であった。(甲A103)

[184] ライフネット生命保険株式会社が宝塚大学の日高庸晴教授に委託して令和4年に実施した調査(対象は性的少数者1万0449人)では、「同性婚を法律で認めてほしい」との回答が全体で68.6%、地方公共団体のパートナーシップ制度を既に利用している人では91.5%であった。同性婚を認めてほしい理由で多いのは、「社会保障や税制上の不利益の解消のため」、「平等な社会の実現のため」、「診療場面で家族と認めてもらうため」であった。(甲A795)
[185] 控訴人aと控訴人bは、共に同性愛者の女性であり、平成4年頃から交際を始め、平成6年頃から同居し、家事や生活費を分担して共同生活を続けている。控訴人aと控訴人bは、平成30年9月、地方公共団体のパートナーシップ制度を利用して、パートナーシップの宣誓を行ったが、平成31年1月、婚姻届を提出したものの、受理されなかった。
[186] 控訴人bは、体調不良となって医師から入院を勧められた際、控訴人aが同性パートナーであることを説明したり、同性パートナーが保証人になれるか問合せたりすることを負担に感じ、入院をしなかったことがあった。また、控訴人bは、控訴人aの母が死亡した際、勤務先で忌引休暇を取得することができなかった。(甲C1、2、5~10、控訴人a、控訴人b)

[187] 控訴人cと控訴人dは、共に同性愛者の女性であり、控訴人cは以前に男性と婚姻して1子をもうけ、控訴人dは以前に男性と婚姻して2子をもうけたが、いずれも配偶者と離婚した後、平成18年●月頃から交際し、同居するようになった。控訴人cと控訴人dは、それぞれの子ら3人と共に5人で同居し、子育てを共に行い、家事を分担して共同生活を続けている。控訴人cと控訴人dは、平成22年5月頃に、両親や友人を招いて結婚式を行い、平成27年11月、地方公共団体のパートナーシップ制度を利用して、パートナーシップの宣誓を行ったが、平成31年2月に婚姻届を提出したものの、受理されなかった。
[188] 控訴人cは、控訴人dの子の入院に関する手続を要した際に、仕事に出ていた控訴人dに頼まれて病院に赴き、病院側に対して同性パートナーであることを説明して手続をしようとしたが、病院側から難色を示され、控訴人dの離婚した夫でもよいから血縁の人を連れてきてほしいと要請されたことがあった。また、控訴人cは、控訴人dが病気療養により減収した際に、健康保険や税控除において控訴人dを被扶養者とする扱いを受けることができなかった。(甲D1~8、控訴人c、控訴人d)

[189] 控訴人eと控訴人fは、共に同性愛者の男性であり、平成24年頃に知り合って交際するようになり、平成28年3月頃から同居して共同生活を続けているが、平成31年2月に婚姻届を提出したものの、受理されなかった。
[190] 控訴人eは、相当年上である自身が先に亡くなったときに、控訴人fに遺産を相続させることはできないことを案じている。(甲E1~3、7、控訴人e、控訴人f)

[191] 控訴人iは、ドイツ国籍の同性愛者の女性であり、ドイツに居住していた2011年(平成23年)頃に同性愛者の日本人女性と知り合って同居するようになり、2013年(平成25年)2月頃に同女と共に来日して共同生活を続け、2016年(平成28年)8月、ドイツに帰省した際に、同女とドイツにおける生活パートナーシップ制度に基づく生活パートナーの登録をし、ドイツにおいて同性婚が認められた後である2018年(平成30年)9月、同女との生活パートナーシップを婚姻関係に変更する手続を経て、ドイツ法の定めるところにより同女との婚姻が成立したが、2019年(平成31年)1月に日本国内で同女との婚姻届を提出したものの受理されず、日本人の配偶者としての在留資格を得ることができなかった。その後、控訴人iは、同女との共同生活を解消し、2020年(令和2年)頃にドイツに帰国した。(甲G1~3、6、10)
[192] 婚姻は、当事者間の親密な人的結合関係を一定の要件の下に社会的に正当なものと認め、これに一定の効果を与える制度であり、歴史的にみると、男女が共に生活し、子をもうけて育てるという人の自然な営みの存在を基礎として設けられてきた制度であるという点で通ずるところはあるものの、時代、社会によってその制度内容は一様ではなく、具体的にどのような人的結合をもって婚姻と認めるかは前国家的な規範として一義的に定まるものではない。我が国においては、明治民法により法律婚としての婚姻制度が整備され、日本国憲法の制定を受けて、昭和22年民法改正により、明治民法の規定のうち憲法13条、14条、24条の定める基本原則に抵触すると考えられた部分が改められて、現行の婚姻制度の骨格が定まったものである。

[193] 現行の婚姻制度は、一対の男女がその自由意思により婚姻の届出をすることにより、配偶者としての法的な身分関係が形成され(民法739条)、戸籍によりその身分関係が公証されるとともに(戸籍法74条)、婚姻により当然に生ずる効果として、夫婦間の同居協力扶助義務(民法752条)、財産の共有推定(同法762条)といった夫婦間における法的効果にとどまらず、配偶者の相続権(同法890条)や子の嫡出推定(同法772条)、夫婦の共同親権(同法818条)といった他の親族との関係や親子関係にも関わる種々の法的効果を付与されることを内容とする。民法第4編「親族」第2章「婚姻」の規律は、第3章「親子」、第4章「親権」及び第5編「相続」の規律と有機的に関連付けられ、家族に関する現行法体系の一環を成している。
[194] もっとも、我が国では、明治時代における民法典の起草過程において、子孫の生殖能力を欠くことを婚姻の無効原因とすべきという意見もあった中で、これを婚姻の障害事由としないという結論が採られ、明治民法においても、昭和22年民法改正以降においても、生殖能力を有することや子をもうける意思があることは婚姻の要件とされず、生殖能力を有しないことや子の無いことが婚姻の無効・取消事由又は離婚原因とされることもなかったのであり、学説上も、婚姻の目的は「両心の和合」、「終生の共同生活」、「共同の生存」にあり、子を得ることは必ずしも婚姻の目的ではないとする見解が大勢を占めてきたものである。
[195] 民法は、男女が婚姻をして共に生活すると、夫婦間に子が生まれ、夫婦と親子から成る家族が形成されることを一般的に想定して、婚姻と親子を密接に結び付けた規律をしているが、この一般的な想定の全体に当てはまるものだけを社会的に正当な家族の在り方と認めて規律の適用対象としているわけではない。上記のとおり、婚姻の制度設計上、婚姻当事者の自由意思による合意が要件とされる一方、子の生殖の能力や意思があることは要件とされず、婚姻の目的について、子の生殖よりも、婚姻当事者間の永続的な人的結合を重視した理解がされてきたことに鑑みると、我が国の婚姻制度は、婚姻当事者間の人的結合関係自体に社会共同体の基礎を成す構成単位としての意義を認め、これを法的な身分関係として制度化し、法的保護を与えてきたものであるといえる。

[196] 近時の婚姻に関する意識調査の結果(前記1(7))をみると、若年層の未婚者の大半がいずれ婚姻をするつもりで、婚姻に利点があると考えており、また、過半数の者が婚姻をしても必ずしも子を持たなくてよいと考え、既婚者・未婚者とも、婚姻の利点や理由として、子を持てることと同程度に、好きな人と一緒にいられることや、精神的な安定が得られることを重視しているのであり、国民の意識としても、一般に、性愛の対象とする相手を人生の伴侶と定めてその関係に社会的公認を受け、安定的に生活を共にすることに婚姻の意義の多くを見出しているのが実情であると認められる。
[197] そして、婚姻に関する統計(前記1(6))や上記の意識調査の結果からもうかがわれるとおり、近年、我が国における家族の在り方やこれに関する国民の意識の多様化が進んでいるものの、婚姻件数は令和3年においても年間約51万件に上り、国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透しているとみられるから、婚姻には、互いに配偶者としての法的身分関係を形成して、それにより民法その他諸法令に定められた法的効果を享受することができることのみならず、居住、就労、療養その他の社会生活上の様々な場面において、配偶者として公認された者と扱われること自体により、共同生活の安定と人生の充実を得ることができるという意義があると考えられる。
[198] そうすると、婚姻をすることで、自らの自由意思により人生の伴侶と定めた相手との永続的な人的結合関係について配偶者としての法的身分関係の形成ができることは、安定的で充実した社会生活を送る基盤を成すものであり、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益として十分に尊重されるべきものである。
[199] 前記のとおりの日本国憲法の制定経緯(前記1(1)ウ)によれば、憲法24条は、婚姻及び家族に関する明治民法の規律が、個人の尊重に欠け、男女間の不平等が顕著なものであったことから、封建的な規律を撤廃して、個人の尊重(憲法13条)と法の下の平等(憲法14条)という基本原則に立脚した制度が制定されなければならないことを明らかにする趣旨で設けられたものであり、婚姻については、戸主の同意権のような制限を排除して、婚姻当事者の自由意思の尊重と婚姻当事者間の平等を保障することに眼目があったものと認められる。

[200] 憲法24条1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定し、同条2項は、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と規定する。
[201] これは、上記の見地から、憲法24条1項において、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻をするかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきである趣旨を明らかにするとともに、同条2項において、婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであるから、その内容の詳細については、憲法が一義的に定めるのではなく、法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられることに鑑み、婚姻及び家族に関する事項について、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねつつ、その立法に当たっては、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、その裁量の限界を画したものであると解される。そして、憲法24条が、本質的には様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請、指針を明示していることからすると、その要請、指針は、単に、憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害するものでなければそれで足りるというものではなく、憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり、この点でも立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる(最高裁平成25年(オ)第1079号同27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2427頁、最高裁平成26年(オ)第1023号同27年12月16日大法廷判決・民集69巻8号2586頁参照)。

[202] 憲法24条は、婚姻当事者を意味するものとして、「両性」、「夫婦」という文言を用いている。その文言自体の意味に加えて、その起草過程においては「男女両性」、「男女相互」という文言も用いられていたところが最終的に「両性」とされたことや、制定時の帝国議会における審議においても婚姻とは男女間のものをいうことを前提として議論がされていたことを併せ考慮すると、日本国憲法の制定時には、憲法24条の「婚姻」とは男女間の人的結合関係をいうものとして、上記のとおり規定されたものと解される。
[203] もっとも、上記のとおり、憲法24条は、婚姻及び家族に関する事項について、封建的な規律を撤廃して、個人の尊重(憲法13条)と法の下の平等(憲法14条)という基本原則に立脚した制度が制定されなければならないことを明らかにし、婚姻については、戸主の同意権のような制限を排除して、婚姻当事者の自由意思の尊重と婚姻当事者間の平等を保障する趣旨で設けられたものであり、日本国憲法の制定時の審議過程においても、これを受けた昭和22年民法改正の審議過程においても、当時の社会通念に従い、婚姻とは男女間の人的結合関係をいうものであることを当然の前提として議論がされたにとどまり、同性婚の可否等については議論に上ることがなかったものである(前記1(1))。
[204] そうすると、「両性」、「夫婦」という文言を用いる憲法24条の規定をもって、性愛の対象とする相手を人生の伴侶と定めて共同生活を営むという永続的な人的結合関係が、性的指向によっては、同性間で成立し得ることを想定した上で、男女間の人的結合関係のみを法的な保護の対象とし、同性間の人的結合関係には同様の法的保護を与えないことを憲法自体が予定し、許容する趣旨であると解することはできず、憲法24条の規定があることを根拠として、男女間の婚姻のみを認め、同性婚は認めないことにつき、憲法14条1項違反の問題が生じ得ないということはできない。
[205] 我が国では、かつては、異性愛が自然で、同性愛は病理であるとの認識が広く社会に浸透しており、そのような時代背景の下で、社会通念上、性愛の対象とする相手を人生の伴侶と定めて共同生活を営むというような関係は男女の間で形成されるものであって、同性間に同様の関係が成り立つことはあり得ないと考えられていたものである(前記1(1)、(2))。
[206] 日本国憲法の制定時には、このような社会通念に従い、「婚姻」とは男女間の人的結合関係をいうものとして、憲法24条に上記のとおり規定されたものと解される(前記(2))。

[207] しかし、その後の精神医学、心理学等における研究の発展により、現在では、同性愛それ自体は疾病・障害ではなく、性的指向は、出生前又は人生の初期に決まるものであって、本人の意思で選択や変更をすることはできないことが明らかになっている(前記1(2))。
[208] そして、このような知見を踏まえて、現在では、性的指向による差別が許されないものであり、全ての人の人権が性的指向にかかわらず平等に尊重されるべきであることは、我が国を含む国際連合加盟国の間で広く共有される認識となっている。我が国においても、「人権教育・啓発に関する基本計画」や理解増進法において、性的指向による差別の問題は国として取り組むべき人権課題であり、国の施策は、全ての国民がその性的指向にかかわらず等しく基本的人権を享有する個人として尊重されるものであるとの理念に則り行われるべきであることが明確にされている(前記1(3)、(5))。

[209] 性的指向が同性に向く者(同性愛者等)においては、性愛の対象とする相手を人生の伴侶と定めて共同生活を営むという関係が同性間で形成されることになる。自らの性的指向に基づき同性の者との間でこのような永続的な人的結合関係を形成し、その関係に社会的公認を受けることを望む者は、社会全体でみれば少数に属するものの、現に存在する。控訴人らも、これを望む者であり、それぞれ同性の交際相手を得て、お互いを人生の伴侶とすることを望み、家事や生活費を分担し、子がある控訴人cと控訴人dにおいてはお互いの子を共同して養育するなど、その実態において、婚姻関係にある夫婦と異なるところのない共同生活を営んできたものである(前記1(9)、(10))。
[210] このような同性間の関係においても、自らの自由意思により人生の伴侶と定めた相手との永続的な人的結合関係について配偶者としての法的身分関係の形成ができることは、安定的で充実した社会生活を送る基盤を成すもので、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益であることに変わりがなく、男女間の関係におけるのと同様に十分に尊重されるべきものであるといえる。

[211] 民法、戸籍法その他の現行の法令には、当事者が特定の性的指向を有することを婚姻成立の要件としたり、当事者が特定の性的指向を有することを理由として婚姻を禁止したりする規定はないが、民法及び戸籍法において、婚姻は男女間のものとして規定されており、同性間の人的結合関係については,婚姻の届出に関する民法739条に相当する配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定は設けられていない。そのため、性的指向が同性に向く者においては、婚姻をしないか、自らの性的指向に反して異性の者を配偶者として婚姻をするかのいずれかを選択するしかない。したがって、性的指向が異性に向く者は、自らの自由意思により人生の伴侶と定めた相手との永続的な人的結合関係について、婚姻により配偶者としての法的身分関係の形成ができるのに対し、性的指向が同性に向く者は、これができないという区別(以下「本件区別」という。)が生じているといえる。
[212] 上記のとおり、現行の法令が同性間の人的結合関係については配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定を設けていないことにより、性的指向という本人の意思で選択や変更をすることができない属性によって、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益の享受の可否につき、本件区別が生じている。そして、婚姻をすることで、配偶者としての法的身分関係が形成されると、それにより当然に生ずる民法その他諸法令に定められた法的効果を享受することができることのみならず、居住、就労、療養その他の社会生活上の様々な場面において、配偶者として公認された者と扱われること自体により、共同生活の安定と人生の充実を得ることができることに照らすと、本件区別によって性的指向が同性に向く者に生ずる不利益は重大なものである。
[213] 憲法14条1項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であって、同項後段列挙の事項は例示的なものであり、この平等の要請は、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁、最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等参照)。
[214] そして、前記(2)のとおり、憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものであるから、その内容の詳細については、憲法が一義的に定めるのではなく、法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられることに鑑み、婚姻及び家族に関する事項について、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねつつ、その立法に当たっては、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、その裁量の限界を画するとともに、憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと等についても十分に配慮した法律の制定を求める点でも立法裁量に限定的な指針を与えている。
[215] そうすると、国会に与えられた上記のような裁量権を考慮しても、本件区別をすることに合理的な根拠が認められない場合には、本件区別は、憲法14条1項に違反するというべきであり、その場合には、国会に与えられた立法裁量の範囲を超えるものとして、憲法24条2項にも違反するというべきである。
[216] 婚姻制度は、歴史的にみれば、男女が共に生活し、子をもうけて育てるという人の自然な営みの存在を基礎として設けられてきたものであり、民法は、男女が婚姻をして共に生活すると、夫婦間に子が生まれ、夫婦と親子から成る家族が形成されることを一般的に想定して、婚姻と親子を密接に結び付けた規律をし、これが家族に関する現行法体系の一環を成している。このような歴史的背景及びこれを踏まえて構築された現行法体系の下で、婚姻した夫婦による子の生殖と養育が社会の次世代の構成員の確保につながる重要な社会的機能を果たしてきたことは否定し難い。
[217] これに対し、同性間では、男女間と異なり、共に生活していても、その間に自然生殖により子が生まれるということはない。しかし、我が国の婚姻制度においては、元来、婚姻当事者間の合意を婚姻の要件とする一方、子の生殖の能力や意思があることは婚姻の要件とせず、婚姻当事者間の永続的な人的結合関係自体に社会共同体の基礎を成す構成単位としての意義を認めて法的保護を与えてきたものであって、子の生殖は婚姻の不可欠の目的ではないと位置付けられてきたのであるから、同性間の人的結合関係には自然生殖の可能性がないからといって、そのことから直ちに同様の法的保護が妥当しないとはいえない。性的指向が同性に向く者にとっても、自らの自由意思により人生の伴侶と定めた相手との永続的な人的結合関係について配偶者としての法的身分関係の形成ができることが、安定的で充実した社会生活を送る基盤を成すもので、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益であることには変わりがなく、その利益は十分に尊重されるべきものであることは、前記のとおりである。
[218] そして、現行法が男女間の婚姻に法的保護を与えているのに加えて、新たに同性間の人的結合関係にも同様の法的保護を与えたとしても、そのことにより、男女間の婚姻に与えられてきた法的保護は何ら減ずるものではなく、婚姻制度がこれまで果たしてきた次世代の構成員の確保につながる社会的機能を今後も引き続き果たしていくことに支障を来すとは考えられない。
[219] また、現在でも、婚姻した夫婦間における子の養育は、夫婦間の自然生殖によってもうけた子のみを対象として行われるものではなく、一方のみと血縁関係のある子のほか、血縁関係のない養子や里親として養育の委託を受けた児童を対象としても行われるものであり、同性同士の共同生活においても、一方のみと血縁関係のある子、養子又は里親として養育の委託を受けた児童を共に養育している例が実際に存在しているのであって、次世代の構成員の確保につながる社会的機能を果たすことが、男女間の婚姻であれば実現可能で、同性間の人的結合関係では実現不能であるというわけではない(前記1(5)、(9)、(10))。
[220] そうすると、婚姻制度の目的や社会的機能との関係において、本件区別をすることに合理的根拠があるとはいえない。

[221] 我が国において、これまで婚姻は男女間でのみ認められてきたものであり、国民の中には、同性婚を認めることに否定的な考えを持つ者が、近年は相当減少しているものの、なお一定数存在する(前記1(8))。
[222] しかし、かつて、社会通念上、婚姻とは男女間の結合関係をいうものであり、同性同士の婚姻というのはあり得ないという考え方が支配的であった背景には、異性愛が自然で、同性愛は病理であるとの認識が広く社会に浸透しており、同性を性愛の対象とするような関係は社会的に正当なものとみなされていなかったという事情がある。これに対し、現在では、同性愛それ自体は疾病・障害ではなく、性愛の対象が同性に向くのは本人の意思により選択又は変更することができない性的指向によるものであり、性的指向による差別は許されないという認識が国際的に広く共有され、国の施策における基本理念として明確にされている(前記1(1)~(3)、(5))。
[223] そして、我が国も批准する自由権規約の履行に関し、自由権規約委員会は、性的指向による差別を禁止する自由権規約の規定に基づき、同性間の人的結合関係にも、同性婚を含め、男女間の婚姻と同様の権利利益の享受が認められるべきであるという見解に立ち、我が国に対し、その履行を勧告している。世界的には、既に世界各地の37か国で同性婚が認められており、そのほかにも、多くの国が同性間の人的結合関係を公証する制度を設けていて、その中には、イタリアのように相続権も含め婚姻とほぼ同等の権利義務を付与する制度もある(前記1(3)、(4))。
[224] このような中で、同性婚が認められていない我が国では、地方公共団体においてパートナーシップ制度を導入する動きが急速に広がり、これまでに導入自治体は442(全人口の約85%の居住地域)に達している。また、民間企業においても、同性間の人的結合関係を婚姻関係と同等に扱う動きが広がっている(前記1(5))。地方公共団体のパートナーシップ制度は、婚姻制度のように法的な身分関係の形成とこれに伴う種々の権利義務の発生という法的効果を生じさせるものではなく、当事者間の関係に社会的公認を与えるものとして一定の効果があるにとどまるが、それにもかかわらず、近年急速に全国各地でその導入が進んでおり、民間企業においても上記のような動きがある事実は、同性間の人的結合関係に社会的公認を受けたいという要請の存在と、地方公共団体や民間企業においてそれを受け止めるべきであるという認識が広がっていることを示すものであるといえる。
[225] このような国内外の動きに伴い、国民の意識の変化も進み、近年の同性婚に関する意識調査の結果(前記1(8))をみると、年を追うごとに同性婚を認めることに賛成する者が増え、反対する者が減る傾向が顕著であり、令和5年に実施された世論調査では、調査ごとに問い方や集計の仕方に違いはあるものの、同性婚を認めることに賛成する者の割合はほぼ全ての調査で過半数を超えており、賛成する者の割合が多いものでは72%に上るのに対し、反対する者の割合は全ての調査で3割未満となっている。
[226] 以上のとおり、現在では、我が国において、同性間の人的結合関係に男女間の婚姻と同様の保護を与えることについて、否定的な考え方が国民一般に広く共有されている状況にあるとはいえず、むしろ社会的受容度は相当程度高まっているといえる。
[227] そうすると、婚姻及び家族に関する事項は国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえて定めるべきであることを考慮しても、性的指向という本人の意思で選択や変更をすることができない属性により個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益の享受の可否につき本件区別が生じている状態を現在も維持することに合理的根拠があるとはいえない。

[228] 同性間の人的結合関係について、配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定を設ける方法としては、婚姻を男女間のものとしている民法及び戸籍法の規定を改正して、婚姻を同性間でも認める立法をする方法だけではなく、婚姻とは別の制度として、同性間の人的結合関係について婚姻の届出に関する民法739条に相当する配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定を新設する立法をする方法もある。また、いずれの方法をとる場合でも、民法における婚姻の規律及びこれと有機的に関連付けられた親子、親権、相続の規律、その他諸法令において婚姻に関連付けて定められている種々の法的効果に関する規律のそれぞれについて、同性間の人的結合関係についても同様の規律とするのかどうかを定める必要がある。これらの事項についてどのような選択をするかは、現代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべき事柄であり、それによって定まる具体的な制度の構築は国会の合理的な立法裁量に委ねられている。
[229] もっとも、その立法裁量は、個人の尊重(憲法13条)と法の下の平等(憲法14条)という基本原則に立脚した制度とすべきであるという憲法上の要請が、その裁量の限界を画するものである。たとえば、配偶者の相続権(民法890条)のように、婚姻当事者の性別や子の生殖可能性の有無にかかわらず、配偶者の地位にあることにより当然に生ずるものとされている財産的権利について、男女間の婚姻とは異なる規律とすることは、直ちにその合理的根拠を見出し難く、憲法14条1項違反の問題が生じ得ると解される。
[230] もとより、本件区別を解消するためにとるべき立法措置として複数の選択肢が存在することや、その立法措置に伴い構築されるべき具体的な制度の在り方は国会の合理的な立法裁量に委ねられることは、本件区別を解消する立法措置をとらないことの合理的根拠となるものではない。
[231] 以上によれば、現行の法令が、民法及び戸籍法において男女間の婚姻について規律するにとどまり、同性間の人的結合関係については、婚姻の届出に関する民法739条に相当する配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定を設けていないことは、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益について、合理的な根拠に基づかずに、性的指向により法的な差別的取扱いをするものであって、憲法14条1項、24条2項に違反するというべきである。
[232] なお、憲法24条は、その制定当時の社会通念に従い、婚姻とは男女間の人的結合関係をいうものとして規定されたにすぎず、同性間でも同様の人的結合関係が成立し得ることを想定した上で、これに男女間の人的結合関係と同様の法的保護を与えないことを憲法自体が予定し許容する趣旨とは解されないことは、前記(2)のとおりであるから、憲法24条が「両性」、「夫婦」という文言を用いていることは、上記の差別的取扱いが憲法14条2項、24条2項に違反するとの判断を左右するものではない。
[233](1) 国家賠償法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ、国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり、立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして、上記行動についての評価は原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって、仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても、そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに同項の適用上違法の評価を受けるものではない。もっとも、法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして、例外的に、その立法不作為は、同項の規定の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁、最高裁令和2年(行ツ)第255号、令和2年(行ヒ)第290号、第291号、第292号同4年5月25日大法廷判決・民集76巻4号7111頁参照)。

[234](2) 現行の法令において、同性間の人的結合関係について配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定が設けられていないことが、憲法14条1項、24条2項に違反することは、前記のとおりである。
[235] もっとも、憲法は、日本国憲法の制定時に既に制度化されていた男女間の婚姻については、憲法13条、14条に立脚した制度に改めることを憲法24条1項において明文で要請する一方、同性間の人的結合関係についても配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定を設けるべきことについては、明文をもって要請してはいない。その要請は、近年の国内外における社会的認識の急速な高まりにつれて明らかになったものであり、その要請が憲法の規定自体から一義的に明白であったとはいえない。憲法上の要請である平等原則によりこのような帰結が導かれることが認識されるようになったのは、国際的潮流としても、我が国における議論の発展としても比較的最近のことであり、近時の複数の裁判例において概ね同旨の問題認識を示す判断が積み重ねられつつあるものの、その判断内容自体、これまでのところ必ずしも統一されておらず、最高裁の判断は未だ示されていない。そうすると、現時点までに、同性間の人的結合関係について配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定を設けていないことが憲法14条1項、24条2項に違反することが、国会にとって明白となっていたということはできない。
[236] したがって、国会が、現時点(当審口頭弁論終結日である令和6年4月26日時点)までに、民法及び戸籍法において男女間の婚姻について規律するにとどまり,同性間の人的結合関係については婚姻の届出に関する民法739条に相当する配偶者としての法的身分関係の形成に係る規定を設けるに至っていないという立法不作為をもって、国家賠償法1条1項の適用上違法であるということはできない。
[237] 以上によれば、控訴人らの請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

  裁判長裁判官 谷口園恵  裁判官 柴田義明  裁判官 山口和宏

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