夫婦別姓訴訟
上告審判決

損害賠償請求事件
最高裁判所 平成26年(オ)第1023号
平成27年12月16日 大法廷 判決

上告人 (控訴人・原告)  塚本協子 ほか4名
          代理人 榊原富士子 ほか
被上告人(被控訴人・被告) 国
          代理人 定塚誠 ほか

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官寺田逸郎の補足意見
■ 裁判官岡部喜代子の意見
■ 裁判官木内道祥の意見
■ 裁判官山浦善樹の反対意見


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 本件は,上告人らが,夫婦が婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称すると定める民法750条の規定(以下「本件規定」という。)は憲法13条,14条1項,24条1項及び2項等に違反すると主張し,本件規定を改廃する立法措置をとらないという立法不作為の違法を理由に,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求める事案である。

[2] 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
[3](1) 上告人塚本協子(戸籍上の氏名は「小島協子」である。)は,小島明久との婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「塚本」を使用している。
[4](2) 上告人加山恵美と上告人渡辺二夫は,婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,協議上の離婚をした。同上告人らは,その後,再度婚姻届を提出したが,婚姻後の氏の選択がされていないとして不受理とされた。
[5](3) 上告人小國香織(戸籍上の氏名は「丹菊香織」である。)は,丹菊敏貴との婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「小國」を使用している。
[6](4) 上告人吉井美奈子(戸籍上の氏名は「谷美奈子」である。)は,谷正友との婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「吉井」を使用している。
[7] 論旨は,本件規定が,憲法上の権利として保障される人格権の一内容である「氏の変更を強制されない自由」を不当に侵害し,憲法13条に違反する旨をいうものである。

[8]2(1) 氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成するものというべきである(最高裁昭和58年(オ)第1311号同63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)。
[9](2) しかし,氏は,婚姻及び家族に関する法制度の一部として法律がその具体的な内容を規律しているものであるから,氏に関する上記人格権の内容も,憲法上一義的に捉えられるべきものではなく,憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法制度をまって初めて具体的に捉えられるものである。
[10] したがって,具体的な法制度を離れて,氏が変更されること自体を捉えて直ちに人格権を侵害し,違憲であるか否かを論ずることは相当ではない。
[11](3) そこで,民法における氏に関する規定を通覧すると,人は,出生の際に,嫡出である子については父母の氏を,嫡出でない子については母の氏を称することによって氏を取得し(民法790条),婚姻の際に,夫婦の一方は,他方の氏を称することによって氏が改められ(本件規定),離婚や婚姻の取消しの際に,婚姻によって氏を改めた者は婚姻前の氏に復する(同法767条1項,771条,749条)等と規定されている。また,養子は,縁組の際に,養親の氏を称することによって氏が改められ(同法810条),離縁や縁組の取消しによって縁組前の氏に復する(同法816条1項,808条2項)等と規定されている。
[12] これらの規定は,氏の性質に関し,氏に,名と同様に個人の呼称としての意義があるものの,名とは切り離された存在として,夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより,社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。そして,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから,このように個人の呼称の一部である氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。
[13](4) 本件で問題となっているのは,婚姻という身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って夫婦の一方が氏を改めるという場面であって,自らの意思に関わりなく氏を改めることが強制されるというものではない。
[14] 氏は,個人の呼称としての意義があり,名とあいまって社会的に個人を他人から識別し特定する機能を有するものであることからすれば,自らの意思のみによって自由に定めたり,又は改めたりすることを認めることは本来の性質に沿わないものであり,一定の統一された基準に従って定められ,又は改められるとすることが不自然な取扱いとはいえないところ,上記のように,氏に,名とは切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば,氏が,親子関係など一定の身分関係を反映し,婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは,その性質上予定されているといえる。
[15](5) 以上のような現行の法制度の下における氏の性質等に鑑みると,婚姻の際に「氏の変更を強制されない自由」が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。本件規定は,憲法13条に違反するものではない。

[16] もっとも,上記のように,氏が,名とあいまって,個人を他人から識別し特定する機能を有するほか,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格を一体として示すものでもあることから,氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,従前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害される不利益や,個人の信用,評価,名誉感情等にも影響が及ぶという不利益が生じたりすることがあることは否定できず,特に,近年,晩婚化が進み,婚姻前の氏を使用する中で社会的な地位や業績が築かれる期間が長くなっていることから,婚姻に伴い氏を改めることにより不利益を被る者が増加してきていることは容易にうかがえるところである。
[17] これらの婚姻前に築いた個人の信用,評価,名誉感情等を婚姻後も維持する利益等は,憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえないものの,後記のとおり,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき人格的利益であるとはいえるのであり,憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。
[18] 論旨は,本件規定が,96%以上の夫婦において夫の氏を選択するという性差別を発生させ,ほとんど女性のみに不利益を負わせる効果を有する規定であるから,憲法14条1項に違反する旨をいうものである。

[19] 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
[20] そこで検討すると,本件規定は,夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており,夫婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって,その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない。我が国において,夫婦となろうとする者の間の個々の協議の結果として夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めることが認められるとしても,それが、本件規定の在り方自体から生じた結果であるということはできない。
[21] したがって,本件規定は,憲法14条1項に違反するものではない。

[22] もっとも,氏の選択に関し,これまでは夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている状況にあることに鑑みると,この現状が,夫婦となろうとする者双方の真に自由な選択の結果によるものかについて留意が求められるところであり,仮に,社会に存する差別的な意識や慣習による影響があるのであれば,その影響を排除して夫婦間に実質的な平等が保たれるように図ることは,憲法14条1項の趣旨に沿うものであるといえる。そして,この点は,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき事項の一つというべきであり,後記の憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たっても留意すべきものと考えられる。
[23] 論旨は,本件規定が,夫婦となろうとする者の一方が氏を改めることを婚姻届出の要件とすることで,実質的に婚姻の自由を侵害するものであり,また,国会の立法裁量の存在を考慮したとしても,本件規定が個人の尊厳を侵害するものとして,憲法24条に違反する旨をいうものである。

[24]2(1) 憲法24条は,1項において「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しているところ,これは,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。
[25] 本件規定は,婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり,婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではない。仮に,婚姻及び家族に関する法制度の内容に意に沿わないところがあることを理由として婚姻をしないことを選択した者がいるとしても,これをもって,直ちに上記法制度を定めた法律が婚姻をすることについて憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない。ある法制度の内容により婚姻をすることが事実上制約されることになっていることについては,婚姻及び家族に関する法制度の内容を定めるに当たっての国会の立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。
[26](2) 憲法24条は,2項において「配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定している。
[27] 婚姻及び家族に関する事項は,関連する法制度においてその具体的内容が定められていくものであることから,当該法制度の制度設計が重要な意味を持つものであるところ,憲法24条2項は,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,同条1項も前提としつつ,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。
[28] そして,憲法24条が,本質的に様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請,指針を明示していることからすると,その要請,指針は,単に,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害するものでなく,かつ,両性の形式的な平等が保たれた内容の法律が制定されればそれで足りるというものではないのであって,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと,両性の実質的な平等が保たれるように図ること,婚姻制度の内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり,この点でも立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる。

[29]3(1) 他方で,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断によって定められるべきものである。特に,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益や実質的平等は,その内容として多様なものが考えられ,それらの実現の在り方は,その時々における社会的条件,国民生活の状況,家族の在り方等との関係において決められるべきものである。
[30](2) そうすると,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害して憲法13条に違反する立法措置や不合理な差別を定めて憲法14条1項に違反する立法措置を講じてはならないことは当然であるとはいえ,憲法24条の要請,指針に応えて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定が上記(1)のとおり国会の多方面にわたる検討と判断に委ねられているものであることからすれば,婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法13条,14条1項に違反しない場合に,更に憲法24条にも適合するものとして是認されるか否かは,当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し,当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である。

[31] 以上の観点から,本件規定の憲法24条適合性について検討する。
[32](1)ア 婚姻に伴い夫婦が同一の氏を称する夫婦同氏制は,旧民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の施行された明治31年に我が国の法制度として採用され,我が国の社会に定着してきたものである。前記のとおり,氏は,家族の呼称としての意義があるところ,現行の民法の下においても,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ,その呼称を一つに定めることには合理性が認められる。
[33] そして,夫婦が同一の氏を称することは,上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを,対外的に公示し,識別する機能を有している。特に,婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ,嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。また,家族を構成する個人が,同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できるところである。さらに,夫婦同氏制の下においては,子の立場として,いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすいといえる。
[34] 加えて,前記のとおり,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではなく,夫婦がいずれの氏を称するかは,夫婦となろうとする者の間の協議による自由な選択に委ねられている。
[35] これに対して,夫婦同氏制の下においては,婚姻に伴い,夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ,婚姻によって氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用,評価,名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。そして,氏の選択に関し,夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば,妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために,あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。
[36] しかし,夫婦同氏制は,婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく,近時,婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ,上記の不利益は,このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。
[37] 以上の点を総合的に考慮すると,本件規定の採用した夫婦同氏制が,夫婦が別の氏を称することを認めないものであるとしても,上記のような状況の下で直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって,本件規定は,憲法24条に違反するものではない。
[38](2) なお,論旨には,夫婦同氏制を規制と捉えた上,これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば,夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ,上記(1)の判断は,そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。上記のとおり,夫婦同氏制の採用については,嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく,この点の状況に関する判断を含め,この種の制度の在り方は,国会で論ぜられ,判断されるべき事柄にほかならないというべきである。
[39] 論旨は,憲法98条2項違反及び理由の不備をいうが,その実質は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
[40] 以上によれば,本件規定を改廃する立法措置をとらない立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。上告人らの請求を棄却すべきものとした原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。

[41] よって,裁判官山浦善樹の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官寺田逸郎の補足意見,裁判官櫻井龍子,同岡部喜代子,同鬼丸かおる,同木内道祥の各意見がある。


 裁判官寺田逸郎の補足意見は,次のとおりである。

[1] 岡部裁判官及び木内裁判官の各意見における憲法適合性の議論に鑑み,多数意見の第4の4の記述を敷衍する趣旨で補足的に述べておきたい。
[2] 本件で上告人らが主張するのは,氏を同じくする夫婦に加えて氏を異にする夫婦を法律上の存在として認めないのは不合理であるということであり,いわば法律関係のメニューに望ましい選択肢が用意されていないことの不当性を指摘し,現行制度の不備を強調するものであるが,このような主張について憲法適合性審査の中で裁判所が積極的な評価を与えることには,本質的な難しさがある。

[3](1) およそ人同士がどうつながりを持って暮らし,生きていくかは,その人たちが自由に決められて然るべき事柄である。憲法上も,このことを13条によって裏付けることができよう。これに対して,法律制度としてみると,婚姻夫婦のように形の上では2人の間の関係であっても,家族制度の一部として構成され,身近な第三者ばかりでなく広く社会に効果を及ぼすことがあるものとして位置付けられることがむしろ一般的である。現行民法でも,親子関係の成立,相続における地位,日常の生活において生ずる取引上の義務などについて,夫婦となっているかいないかによって違いが生ずるような形で夫婦関係が規定されている。このような法律制度としての性格や,現実に夫婦,親子などからなる家族が広く社会の基本的構成要素となっているという事情などから,法律上の仕組みとしての婚姻夫婦も,その他の家族関係と同様,社会の構成員一般からみてもそう複雑でないものとして捉えることができるよう規格化された形で作られていて,個々の当事者の多様な意思に沿って変容させることに対しては抑制的である。民事上の法律制度として当事者の意思により法律関係を変容させることを許容することに慎重な姿勢がとられているものとしては,他に法人制度(会社制度)や信託制度などがあるが,家族制度は,これらと比べても社会一般に関わる度合いが大きいことが考慮されているのであろう,この姿勢が一層強いように思われる。

[4](2) 現行民法における婚姻は,上記のとおり,相続関係(890条,900条等),日常の生活において生ずる取引関係(761条)など,当事者相互の関係にとどまらない意義・効力を有するのであるが,男女間に認められる制度としての婚姻を特徴づけるのは,嫡出子の仕組み(772条以下)をおいてほかになく,この仕組みが婚姻制度の効力として有する意味は大きい(注)。現行民法下では夫婦及びその嫡出子が家族関係の基本を成しているとする見方が広く行き渡っているのも,このような構造の捉え方に沿ったものであるといえるであろうし,このように婚姻と結び付いた嫡出子の地位を認めることは,必然的といえないとしても,歴史的にみても社会学的にみても不合理とは断じ難く,憲法24条との整合性に欠けることもない。そして,夫婦の氏に関する規定は,まさに夫婦それぞれと等しく同じ氏を称するほどのつながりを持った存在として嫡出子が意義づけられていること(790条1項)を反映していると考えられるのであって,このことは多数意見でも触れられているとおりである(ただし,このことだけが氏に関する規定の合理性を根拠づけるわけではないことも,多数意見で示されているとおりである。)。複雑さを避け,規格化するという要請の中で仕組みを構成しようとする場合に,法律上の効果となる柱を想定し,これとの整合性を追求しつつ他の部分を作り上げていくことに何ら不合理はないことを考慮すると,このように作り上げられている夫婦の氏の仕組みを社会の多数が受入れるときに,その原則としての位置付けの合理性を疑う余地がそれほどあるとは思えない。
(注) 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻の懐胎子と嫡出推定規定の適用に関する最高裁平成25年(許)第5号同年12月10日第三小法廷決定・民集67巻9号1847頁における寺田補足意見(1852頁以下)参照。嫡出推定・嫡出否認の仕組みは,妻による懐胎出生子は,夫自らが否定しない限り夫を父とするという考え方によるものであり,妻が子をもうけた場合に,夫の意思に反して他の男性からその子が自らを父とする子である旨を認知をもって言い立てられることはないという意義を婚姻が有していることを示している。このように,法律上の婚姻としての効力の核心部分とすらいえる効果が,まさに社会的広がりを持つものであり,それ故に,法律婚は型にはまったものとならざるを得ないのである。
[5](3) 家族の法律関係においても,人々が求めるつながりが多様化するにつれて規格化された仕組みを窮屈に受け止める傾向が出てくることはみやすいところであり,そのような傾向を考慮し意向に沿った選択肢を設けることが合理的であるとする意見・反対意見の立場は,その限りでは理解できなくはない。しかし,司法審査という立場から現行の仕組みが不合理といえるかどうかを論ずるにおいては,上記の傾向をそのまま肯定的な結論に導くにはいくつかの難所がある。
[6] 上記のとおり,この分野においては,当事者の合意を契機とすることにより制度を複雑にすることについて抑制的な力学が働いているという壁がまずある。我が国でも,夫婦・親子の現実の家族としてのありようは,もともと地域などによって一様でないとの指摘がある中で,法的には夫婦関係,親子関係が規格化されて定められてきていることに留意することが求められよう。諸外国の立法でも柔軟化を図っていく傾向にあるとの指摘があるが,どこまで柔軟化することが相当かは,その社会の受け止め方の評価に関わるところが大きい。次に,選択肢を設けないことが不合理かどうかについては,制度全体との整合性や現実的妥当性を考慮した上で選択肢が定まることなしには的確な判断をすることは望めないところ,現行制度の嫡出子との結び付きを前提としつつ,氏を異にする夫婦関係をどのように構成するのかには議論の幅を残すことを避けられそうもない。例えば,嫡出子の氏をどのようにするかなどの点で嫡出子の仕組みとの折り合いをどのようにつけるかをめぐっては意見が分かれるところであり(現に,平成8年の婚姻制度に関する法制審議会の答申において,子の氏の在り方をめぐって議論のとりまとめに困難があったようにうかがわれる。),どのような仕組みを選択肢の対象として検討の俎上に乗せるかについて浮動的な要素を消すことができない。もちろん,現行法の定める嫡出子の仕組みとの結び付きが婚姻制度の在り方として必然的なものとまではいえないことは上記のとおりであり,嫡出子の仕組みと切り離された新たな制度を構想することも考えられるのであるが,このようなことまで考慮に入れた上での判断となると,司法の場における審査の限界をはるかに超える。加えて,氏の合理的な在り方については,その基盤が上記のとおり民法に置かれるとしても,多数意見に示された本質的な性格を踏まえつつ,その社会生活上の意義を勘案して広く検討を行っていくことで相当性を増していくこととなろうが,そのような方向での検討は,同法の枠を超えた社会生活に係る諸事情の見方を問う政策的な性格を強めたものとならざるを得ないであろう。
[7] 以上のような多岐にわたる条件の下での総合的な検討を念頭に置くとなると,諸条件につきよほど客観的に明らかといえる状況にある場合にはともかく,そうはいえない状況下においては,選択肢が設けられていないことの不合理を裁判の枠内で見いだすことは困難であり,むしろ,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決であるように思える。選択肢のありようが特定の少数者の習俗に係るというような,民主主義的プロセスによる公正な検討への期待を妨げるというべき事情も,ここでは見いだすに至らない。離婚における婚氏続称の仕組み(民法767条2項)を例に挙げて身分関係の変動に伴って氏を変えない選択肢が現行法に設けられているとの指摘もみられるが,離婚後の氏の合理的な在り方について国会で議論が行われ,その結果,新たに選択肢を加えるこの仕組みが法改正によって設けられたという,その実現までの経緯を見落してはなるまい。そのことこそが,問題の性格についての上記多数意見の理解の正しさを裏書きしているといえるのではないであろうか。


 裁判官岡部喜代子の意見は,次のとおりである。

[1] 私は,本件上告を棄却すべきであるとする多数意見の結論には賛成するが,本件規定が憲法に違反するものではないとする説示には同調することができないので,その点に関して意見を述べることとしたい。
(1) 本件規定の昭和22年民法改正時の憲法24条適合性
[2] 多数意見の述べるとおり,氏は個人の呼称としての意義があり,名とあいまって社会的に個人を他から識別し特定する機能を有するものである。そして,夫婦と親子という身分関係は,人間社会の最も基本的な社会関係であると同時に重要な役割を担っているものであり,このような関係を表象するために同一の氏という記号を用いることは一般的には合理的な制度であると考えられる。社会生活の上でその身分関係をある程度判断することができ,夫婦とその間の未成熟子という共同生活上のまとまりを表すことも有益である。
[3] 夫婦同氏の制度は,明治民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の下において,多くの場合妻は婚姻により夫の家に入り,家の名称である夫の氏を称することによって実現されていた。昭和22年法律第222号による民法改正時においても,夫婦とその間の未成熟子という家族を念頭に,妻は家庭内において家事育児に携わるという近代的家族生活が標準的な姿として考えられており,夫の氏は婚姻によって変更されず妻の氏が夫と同一になることに問題があるとは考えられなかった。実際の生活の上でも,夫が生計を担い,妻がそれを助けあるいは家事育児を担うという態様が多かったことによって,妻がその氏を変更しても特に問題を生ずることは少なかったといえる。本件規定は,夫婦が家から独立し各自が独立した法主体として協議してどちらの氏を称するかを決定するという形式的平等を規定した点に意義があり,昭和22年に制定された当時としては合理性のある規定であった。したがって,本件規定は,制定当時においては憲法24条に適合するものであったといえる。

(2) 本件規定の現時点の憲法24条適合性
[4] ところが,本件規定の制定後に長期間が経過し,近年女性の社会進出は著しく進んでいる。婚姻前に稼働する女性が増加したばかりではなく,婚姻後に稼働する女性も増加した。その職業も夫の助けを行う家内的な仕事にとどまらず,個人,会社,機関その他との間で独立した法主体として契約等をして稼働する,あるいは事業主体として経済活動を行うなど,社会と広く接触する活動に携わる機会も増加してきた。そうすると,婚姻前の氏から婚姻後の氏に変更することによって,当該個人が同一人であるという個人の識別,特定に困難を引き起こす事態が生じてきたのである。そのために婚姻後も婚姻前の氏によって社会的経済的な場面における生活を継続したいという欲求が高まってきたことは公知の事実である。そして識別困難であることは単に不便であるというだけではない。例えば,婚姻前に営業実績を積み上げた者が婚姻後の氏に変更したことによって外観上その実績による評価を受けることができないおそれがあり,また,婚姻前に特許を取得した者と婚姻後に特許を取得した者とが同一人と認識されないおそれがあり,あるいは論文の連続性が認められないおそれがある等,それが業績,実績,成果などの法的利益に影響を与えかねない状況となることは容易に推察できるところである。氏の第一義的な機能が同一性識別機能であると考えられることからすれば,婚姻によって取得した新しい氏を使用することによって当該個人の同一性識別に支障の及ぶことを避けるために婚姻前の氏使用を希望することには十分な合理的理由があるといわなければならない。このような同一性識別のための婚姻前の氏使用は,女性の社会進出の推進,仕事と家庭の両立策などによって婚姻前から継続する社会生活を送る女性が増加するとともにその合理性と必要性が増しているといえる。現在進行している社会のグローバル化やインターネット等で氏名が検索されることがあるなどの,いわば氏名自体が世界的な広がりを有するようになった社会においては,氏による個人識別性の重要性はより大きいものであって,婚姻前からの氏使用の有用性,必要性は更に高くなっているといわなければならない。我が国が昭和60年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき設置された女子差別撤廃委員会からも,平成15年以降,繰り返し,我が国の民法に夫婦の氏の選択に関する差別的な法規定が含まれていることについて懸念が表明され,その廃止が要請されているところである。
[5] 次に,氏は名との複合によって個人識別の記号とされているのであるが,単なる記号にとどまるものではない。氏は身分関係の変動によって変動することから身分関係に内在する血縁ないし家族,民族,出身地等当該個人の背景や属性等を含むものであり,氏を変更した一方はいわゆるアイデンティティを失ったような喪失感を持つに至ることもあり得るといえる。そして,現実に96%を超える夫婦が夫の氏を称する婚姻をしているところからすると,近時大きなものとなってきた上記の個人識別機能に対する支障,自己喪失感などの負担は,ほぼ妻について生じているといえる。夫の氏を称することは夫婦となろうとする者双方の協議によるものであるが,96%もの多数が夫の氏を称することは,女性の社会的経済的な立場の弱さ,家庭生活における立場の弱さ,種々の事実上の圧力など様々な要因のもたらすところであるといえるのであって、夫の氏を称することが妻の意思に基づくものであるとしても,その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのである。そうすると,その点の配慮をしないまま夫婦同氏に例外を設けないことは,多くの場合妻となった者のみが個人の尊厳の基礎である個人識別機能を損ねられ,また,自己喪失感といった負担を負うこととなり,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえない。
[6] そして,氏を改めることにより生ずる上記のような個人識別機能への支障,自己喪失感などの負担が大きくなってきているため,現在では,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるためにあえて法律上の婚姻をしないという選択をする者を生んでいる。
[7] 本件規定は,婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものである。しかし,婚姻は,戸籍法の定めるところにより,これを届け出ることによってその効力を生ずるとされ(民法739条1項),夫婦が称する氏は婚姻届の必要的記載事項である(戸籍法74条1号)。したがって,現時点においては,夫婦が称する氏を選択しなければならないことは,婚姻成立に不合理な要件を課したものとして婚姻の自由を制約するものである。
[8] 多数意見は,氏が家族という社会の自然かつ基礎的な集団単位の呼称であることにその合理性の根拠を求め,氏が家族を構成する一員であることを公示し識別する機能,またそれを実感することの意義等を強調する。私もそのこと自体に異を唱えるわけではない。しかし,それは全く例外を許さないことの根拠になるものではない。離婚や再婚の増加,非婚化,晩婚化,高齢化などにより家族形態も多様化している現在において,氏が果たす家族の呼称という意義や機能をそれほどまでに重視することはできない。世の中の家族は多数意見の指摘するような夫婦とその間の嫡出子のみを構成員としている場合ばかりではない。民法が夫婦と嫡出子を原則的な家族形態と考えていることまでは了解するとしても,そのような家族以外の形態の家族の出現を法が否定しているわけではない。既に家族と氏の結び付きには例外が存在するのである。また,多数意見は,氏を改めることによって生ずる上記の不利益は婚姻前の氏の通称使用が広まることによって一定程度は緩和され得るとする。しかし,通称は便宜的なもので,使用の許否,許される範囲等が定まっているわけではなく,現在のところ公的な文書には使用できない場合があるという欠陥がある上,通称名と戸籍名との同一性という新たな問題を惹起することになる。そもそも通称使用は婚姻によって変動した氏では当該個人の同一性の識別に支障があることを示す証左なのである。既に婚姻をためらう事態が生じている現在において,上記の不利益が一定程度緩和されているからといって夫婦が別の氏を称することを全く認めないことに合理性が認められるものではない。
[9] 以上のとおりであるから,本件規定は,昭和22年の民法改正後,社会の変化とともにその合理性は徐々に揺らぎ,少なくとも現時点においては,夫婦が別の氏を称することを認めないものである点において,個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超える状態に至っており,憲法24条に違反するものといわざるを得ない。
[10](1) 上記のとおり,本件規定は,少なくとも現時点においては憲法24条に違反するものである。もっとも,これまで当裁判所や下級審において本件規定が憲法24条に適合しない旨の判断がされたこともうかがわれない。また,本件規定については,平成6年に法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づくものとして法務省民事局参事官室により公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」及びこれを更に検討した上で平成8年に法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」においては,いわゆる選択的夫婦別氏制という本件規定の改正案が示されていた。しかし,同改正案は,個人の氏に対する人格的利益を法制度上保護すべき時期が到来しているとの説明が付されているものの,本件規定が違憲であることを前提とした議論がされた結果作成されたものとはうかがわれない。婚姻及び家族に関する事項については,その具体的な制度の構築が第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねられる事柄であることに照らせば,本件規定について違憲の問題が生ずるとの司法判断がされてこなかった状況の下において,本件規定が憲法24条に違反することが明白であるということは困難である。

[11](2) 以上によれば,本件規定は憲法24条に違反するものとなっているものの,これを国家賠償法1条1項の適用の観点からみた場合には,憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。したがって,本件立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではなく,本件上告を棄却すべきであると考えるものである。

 裁判官櫻井龍子,同鬼丸かおるは,裁判官岡部喜代子の意見に同調する。


 裁判官木内道祥の意見は,次のとおりである。

[1] 氏名権の人格権的把握,実質的男女平等,婚姻の自由など,家族に関する憲法的課題が夫婦の氏に関してどのように存在するのかという課題を上告人らが提起している。これらはいずれも重要なものであるが,民法750条の憲法適合性という点からは,婚姻における夫婦同氏制は憲法24条にいう個人の尊厳と両性の本質的平等に違反すると解される。私が多数意見と意見を異にするのはこの点であり,以下,これについて述べる。
[2] 憲法24条は,同条1項が,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻するかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるとして,婚姻の自由と婚姻における夫婦間の権利の平等を定め,同条2項が,1項を前提として,婚姻の法制度の立法の裁量の限界を画したものである。
[3] 本件規定は,婚姻の際に,例外なく,夫婦の片方が従来の氏を維持し,片方が従来の氏を改めるとするものであり,これは,憲法24条1項にいう婚姻における夫婦の権利の平等を害するものである。もとより,夫婦の権利の平等が憲法上何らの制約を許さないものではないから,問題は,夫婦同氏制度による制約が憲法24条2項の許容する裁量を超えるか否かである。
[4] 婚姻適齢は,男18歳,女16歳であるが,未成年者であっても婚姻によって成人とみなされることにみられるように,大多数の婚姻の当事者は,既に,従来の社会生活を踏まえた社会的な存在,すなわち,社会に何者かであると認知・認識された存在となっている。
[5] そのような二人が婚姻という結び付きを選択するに際し,その氏を使用し続けることができないことは,その者の社会生活にとって,極めて大きな制約となる。
[6] 人の存在が社会的に認識される場合,職業ないし所属とその者の氏,あるいは,居住地とその者の氏の二つの要素で他と区別されるのが通例である。
[7] 氏の変更は,本来的な個別認識の表象というべき氏名の中の氏のみの変更にとどまるとはいえ,職業ないし所属と氏,あるいは,居住地と氏による認識を前提とすると,変更の程度は半分にとどまらず,変更前の氏の人物とは別人と思われかねない。
[8] 人にとって,その存在の社会的な認識は守られるべき重要な利益であり,それが失われることは,重大な利益侵害である。同氏制度により氏を改めざるを得ない当事者は,このような利益侵害を被ることとなる。
[9] 同氏制度による憲法上の権利利益の制約が許容されるものか否かは,憲法24条にいう個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるか否かの観点から判断されるべきことは多数意見の述べるとおりである。
[10] ここで重要なのは,問題となる合理性とは,夫婦が同氏であることの合理性ではなく,夫婦同氏に例外を許さないことの合理性であり,立法裁量の合理性という場合,単に,夫婦同氏となることに合理性があるということだけでは足りず,夫婦同氏に例外を許さないことに合理性があるといえなければならないことである。
[11] 民法が採用している身分関係の変動に伴って氏が変わるという原則は,それ自体が不合理とはいえないが,この原則は憲法が定めるものではなく,それを婚姻の場合についても維持すること自体が無前提に守られるべき利益とはいえない。
[12] 身分関係の変動に伴って氏が変わるという原則が,民法上,一貫しているかといえば,そうではない。離婚の際の氏の続称(婚氏続称)は昭和51年改正,養子離縁の際の氏の続称は昭和62年改正により設けられたものであるが,離婚・離縁という身分関係の変動があっても,その選択により,従来の氏を引き続き使用することが認められている。この改正に当たっては,各個人の社会的活動が活発となってくると婚姻前の氏により社会生活における自己の同一性を保持してきた者にとって大きな不利益を被るという夫婦同氏制度の問題を背景とすることは意識されており,それには当面手をつけないとしても,婚姻生活の間に形成された社会的な認識を離婚によって失うことの不利益を救済するという趣旨であった。
[13] 昭和22年改正前の民法は,氏は「家」への出入りに連動するものであり,「家」への出入りに様々な法律効果が結び付いていたが,同年改正により「家」は廃止され,改正後の現行民法は,相続についても親権についても,氏に法律効果を与えていない。現行民法が氏に法律効果を与えているのは,僅かに祭祀に関する権利の承継との関係にとどまる。
[14] そこで,同氏の効用は,家族の一体感など法律効果以外の事柄に求められている。
[15] 多数意見は,個人が同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感する意義をもって合理性の一つの根拠とするが,この点について,私は,異なる意見を持つ。
[16] 家族の中での一員であることの実感,夫婦親子であることの実感は,同氏であることによって生まれているのだろうか,実感のために同氏が必要だろうかと改めて考える必要がある。少なくとも,同氏でないと夫婦親子であることの実感が生まれないとはいえない。
[17] 先に,人の社会的認識における呼称は,通例,職業ないし所属と氏,あるいは,居住地と氏としてなされることを述べたが,夫婦親子の間の個別認識は,氏よりも名によってなされる。通常,夫婦親子の間で相手を氏で呼ぶことはない。それは,夫婦親子が同氏だからではなく,ファーストネームで呼ぶのが夫婦親子の関係であるからであり,別氏夫婦が生まれても同様と思われる。
[18] 対外的な公示・識別とは,二人が同氏であることにより夫婦であることを社会的に示すこと,夫婦間に未成熟子が生まれた場合,夫婦と未成熟子が同氏であることにより,夫婦親子であることを社会的に示すことである。このような同氏の機能は存在するし,それは不合理というべきものではない。しかし,同氏であることは夫婦の証明にはならないし親子の証明にもならない。夫婦であること,親子であることを示すといっても,第三者がそうではないか,そうかもしれないと受け止める程度にすぎない。
[19] 夫婦同氏(ひいては夫婦親子の同氏)が,第三者に夫婦親子ではないかとの印象を与える,夫婦親子との実感に資する可能性があるとはいえる。これが夫婦同氏の持つ利益である。
[20] しかし,問題は,夫婦同氏であることの合理性ではなく,夫婦同氏に例外を許さないことの合理性なのである。
[21] 夫婦同氏の持つ利益がこのようなものにとどまり,他方,同氏でない婚姻をした夫婦は破綻しやすくなる,あるいは,夫婦間の子の生育がうまくいかなくなるという根拠はないのであるから,夫婦同氏の効用という点からは,同氏に例外を許さないことに合理性があるということはできない。
[22] 婚姻及びそれに伴う氏は,法律によって制度化される以上,当然,立法府に裁量権があるが,この裁量権の範囲は,合理性を持った制度が複数あるときにいずれを選択するかというものである。夫婦同氏に例外を設ける制度には,様々なものがあり得る(平成8年の要綱では一つの提案となったが,その前には複数の案が存在した。)。例外をどのようなものにするかは立法府の裁量の範囲である。
[23] 夫婦同氏に例外を許さない点を改めないで,結婚に際して氏を変えざるを得ないことによって重大な不利益を受けることを緩和する選択肢として,多数意見は通称を挙げる。しかし,法制化されない通称は,通称を許容するか否かが相手方の判断によるしかなく,氏を改めた者にとって,いちいち相手方の対応を確認する必要があり,個人の呼称の制度として大きな欠陥がある。他方,通称を法制化するとすれば,全く新たな性格の氏を誕生させることとなる。その当否は別として,法制化がなされないまま夫婦同氏の合理性の根拠となし得ないことは当然である。
[24] したがって,国会の立法裁量権を考慮しても,夫婦同氏制度は,例外を許さないことに合理性があるとはいえず,裁量の範囲を超えるものである。
[25] 多数意見は,夫婦同氏により嫡出子であることが示されること,両親と等しく氏を同じくすることが子の利益であるとする。これは,夫婦とその間の未成熟子を想定してのものである。
[26] 夫婦とその間の未成熟子を社会の基本的な単位として考えること自体は間違ってはいないが,夫婦にも別れがあり,離婚した父母が婚氏続称を選択しなければ氏を異にすることになる。夫婦同氏によって育成に当たる父母が同氏であることが保障されるのは,初婚が維持されている夫婦間の子だけである。
[27] 子の利益の観点からいうのであれば,夫婦が同氏であることが未成熟子の育成にとってどの程度の支えとなるかを考えるべきである。
[28] 未成熟子の生育は,社会の持続の観点から重要なものであり,第一義的に父母の権限であるとともに責務であるが,その責務を担うのは夫婦であることもあれば,離婚した父母であることもあり,事実婚ないし未婚の父母であることもある。現に夫婦でない父母であっても,未成熟子の生育は十全に行われる必要があり,他方,夫婦であっても,夫婦間に紛争が生じ,未成熟子の生育に支障が生じることもある。
[29] 未成熟子に対する養育の責任と義務という点において,夫婦であるか否か,同氏であるか否かは関わりがないのであり,実質的に子の育成を十全に行うための仕組みを整えることが必要とされているのが今の時代であって,夫婦が同氏であることが未成熟子の育成にとって支えとなるものではない。
[30] 本件規定は憲法24条に違反するものであるが,国家賠償法1条1項の違法性については,憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできず,違法性があるということはできない。


 裁判官山浦善樹の反対意見は,次のとおりである。

[1] 私は,多数意見と異なり,本件規定は憲法24条に違反し,本件規定を改廃する立法措置をとらなかった立法不作為は国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるべきものであるから,原判決を破棄して損害額の算定のため本件を差し戻すのが相当と考える。以下においてその理由を述べる。
[2] 本件規定の憲法24条適合性については,本件規定が同条に違反するものであるとする岡部裁判官の意見に同調する。
(1) 社会構造の変化
[3] 岡部裁判官の意見にもあるように,戦後,女性の社会進出は顕著となり,婚姻前に稼働する女性が増加したばかりではなく,婚姻後に稼働する女性も増加した。晩婚化も進み,氏を改めることにより生ずる,婚姻前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害される不利益や,個人の信用,評価,名誉感情等にも影響が及ぶといった不利益は,極めて大きなものとなってきた。
[4] このことは,平成6年に法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づくものとして法務省民事局参事官室により公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」においても,「…この規定の下での婚姻の実態をみると,圧倒的大多数が夫の氏を称する婚姻をしており,法の建前はともかく,女性が結婚により氏を変更するのが社会的事実となっている。ここに,女性の社会進出が顕著になってきた昭和50年代以後,主として社会で活動を営んでいる女性の側から,女性にとっての婚姻による改氏が,その職業活動・社会活動に著しい不利益・不都合をもたらしているとして,(選択的)夫婦別氏制の導入を求める声が芽生えるに至った根拠がある。」として記載がされていたのであり,前記の我が国における社会構造の変化により大きなものとなった不利益は,我が国政府内においても認識されていたのである。

(2) 国内における立法の動き
[5] このような社会構造の変化を受けて,我が国においても,これに対応するために本件規定の改正に向けた様々な検討がされた。
[6] その結果,上記の「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」及びこれを更に検討した上で平成8年に法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」においては,いわゆる選択的夫婦別氏制という本件規定の改正案が示された。
[7] 上記改正案は、本件規定が違憲であることを前提としたものではない。しかし,上記のとおり,本件規定が主として女性に不利益・不都合をもたらしていることの指摘の他,「我が国において,近時ますます個人の尊厳に対する自覚が高まりをみせている状況を考慮すれば,個人の氏に対する人格的利益を法制度上保護すべき時期が到来しているといって差し支えなかろう。」,「夫婦が別氏を称することが,夫婦・親子関係の本質なり理念に反するものではないことは,既に世界の多くの国において夫婦別氏制が実現していることの一事をとっても明らかである。」との説明が付されており,その背景には,婚姻の際に夫婦の一方が氏を改めることになる本件規定には人格的利益や夫婦間の実質的な平等の点において問題があることが明確に意識されていたことがあるといえるのである。
[8] なお,上記改正案自体は最終的に国会に提出されるには至らなかったものの,その後,同様の民法改正案が国会に累次にわたって提出されてきており,また,国会においても,選択的夫婦別氏制の採用についての質疑が繰り返されてきたものである。
[9] そして,上記の社会構造の変化は,平成8年以降,更に進んだとみられるにもかかわらず,現在においても,本件規定の改廃の措置はとられていない。

(3) 海外の動き
[10] 夫婦の氏についての法制度について,海外の動きに目を転じてみても,以下の点を指摘することができる。
[11] 前提とする婚姻及び家族に関する法制度が異なるものではあるが,世界の多くの国において,夫婦同氏の他に夫婦別氏が認められている。かつて我が国と同様に夫婦同氏制を採っていたとされるドイツ,タイ,スイス等の多くの国々でも近時別氏制を導入しており,現時点において,例外を許さない夫婦同氏制を採っているのは,我が国以外にほとんど見当たらない。
[12] 我が国が昭和60年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき設置された女子差別撤廃委員会からは,平成15年以降,繰り返し,我が国の民法に夫婦の氏の選択に関する差別的な法規定が含まれていることについて懸念が表明され,その廃止が要請されるにまで至っている。

(4) まとめ
[13] 以上を総合すれば,少なくとも,法制審議会が法務大臣に「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申した平成8年以降相当期間を経過した時点においては,本件規定が憲法の規定に違反することが国会にとっても明白になっていたといえる。また,平成8年には既に改正案が示されていたにもかかわらず,現在に至るまで,選択的夫婦別氏制等を採用するなどの改廃の措置はとられていない。
[14] したがって,本件立法不作為は,現時点においては,憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたものとして,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものである。そして,本件立法不作為については,過失の存在も否定することはできない。このような本件立法不作為の結果,上告人らは,精神的苦痛を被ったものというべきであるから,本件においては,上記の違法な本件立法不作為を理由とする国家賠償請求を認容すべきであると考える。

(裁判長裁判官 寺田逸郎  裁判官 櫻井龍子  裁判官 千葉勝美  裁判官 岡部喜代子  裁判官 大谷剛彦  裁判官 大橋正春  裁判官 山浦善樹  裁判官 小貫芳信  裁判官 鬼丸かおる  裁判官 木内道祥  裁判官 山本庸幸  裁判官 山崎敏充  裁判官 池上政幸  裁判官 大谷直人  裁判官 小池裕)

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