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Vision Management

中井ゼミ卒業論文集 Vision Management

中井ゼミでは、4年生の卒業論文をコンパクトにまとめた論文集Vision Managementを編集し、毎年発行しています。1月の卒業論文発表会では2年生から4年生までのすべてのゼミ生に配布され、これを資料として4年生の卒業研究発表を聞くことになります。Vision Managementの巻末には卒業生一人ひとりの顔写真とメッセージが掲載されており、卒業学年の学友だけでなく、後輩たちにとっても良い思い出となる一冊です







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巻頭言集

■市場価値を高めよう(第14号(2023年2月発行))

 2019年12月に中国武漢で発生した新型コロナウイルス感染症は、わずか数か月の間にパンデミックと言われるほどの爆発的広がりを見せ、世界的な流行となりました。皆さんが中井ゼミ生として過ごした日々は、このウイルス禍に翻弄されっぱなしの3年間でした。ゼミ最初の顔合わせ会からZoom越しにしか行えず、後期のビジネスゲームで対面が叶ったのも束の間、感染拡大の影響を受けて再びオンラインでの授業を余儀なくされました。このような環境下でもモチベーションを維持して、充実したゼミ活動にするために励んできた姿勢と気概は、今後の人生でもきっと役に立つと思います。
 事程左様に武漢ウイルスには大変な目に遭わされましたが、唯一、そのことがプラスに作用した出来事がありました。4年生の神山祭で焼きそばが飛ぶように売れたことです。当たり前ですが、製品原価をはじめとする経費が一定ならば、販売価格を上げることで利益がでます。しかし、投入する経費が変わらない状況下での値上げに納得する消費者はいないでしょうから、製品は売れにくくなります。
 ところが、皆さんの焼きそばは売れたのです。初日、二日目、最終日と、材料はそのままで日を追うごとに50円値上げしても、各日ともコンスタントに売れ続けたのです。なぜでしょうか。それは、消費者があの焼きそばに価値を見出したからに他なりません。出店の可否、扱い品の選定に多大なる影響を持つ、事前の筆記試験で我がゼミを代表した受験者は高得点を取りました。そのことで勝ち得た、圧倒的な競争優位だったのです。VRIO分析におけるRarity(希少性)が際立ったと言えるでしょう。ウイルス禍で出店が厳しく制限されたおかげで競合が減り、希少性が増したのです。その結果、特にImitability(模倣困難性)を有していたわけでもない皆さんの焼きそばは、大学祭という市場においてその価値を高めることができたのです。
 この原稿を書いている2022年12月に厚生労働省が発表した人口動態統計速報によると、同年1~10月の出生数は約67万人となり、前年同期比で4.8%減少しています。この傾向が続けば、過去最少であった2021年を下回り、統計を取り始めて以来初めて80万人を割り込むことは避けられないと見られています。従来からの少子化傾向に加えて、武漢ウイルスの影響で結婚や妊娠を控える人たちが増えたことも大きな要因だとすれば、一向に沈静化しないウイルス禍での出生数は今後さらに減少の一途をたどるでしょう。いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる人たちの出生数が毎年250万人を超えていて、彼らの成長と日本経済の発展が呼応していたことを顧みれば、今後の人口減少、特に生産年齢人口の減少は日本経済が減退していくことを予言していると言えるでしょう。少ない若年層で多くの高齢者を支えなければならず、そのコスト負担に困窮する世の中になるのは明らかです。
 そんな中で求められるのが市場価値の高い人材です。個人それぞれが秀でた人材としての希少性を増すことで、自分の市場価値を高めていくことが求められるのです。
人材を企業の資本とみなす「人的資本」という考え方が主流を占めるようになってきました。人的資本とは人材そのものや、人材が持つ知識や技能、意欲などを指します。材料のように減耗するコストではなく、付加価値を生み出す資本として捉えて、それ故に宝物であるとの意味を込めて「人財」と表現しているのを、皆さんも就職活動を行う中で見聞きしたことがあったのではないでしょうか。
 皆さんがこれからお世話になる企業が、皆さんのことを「人財」と評価してくれることは有難いですが、皆さんはまだ、その評価に足る付加価値を有しているとは、失礼ながら言えません。人口減少によって衰退していくこれからの世の中で生きていくためには、自らの努力で市場価値を高めて、「人財」と評価してもらうに相応しい人間に成長しなければならないのです。
希少性を増すことで市場価値が高まれば、それを手に入れるための対価を少々高くしても需要は必ず存在する。大学祭で身をもって体験した皆さんだからこそ、このことを常に念頭に置いて努力し続けていって欲しいと願います。

■本質を見極めようとする姿勢(第1213合併号(20222月発行))

今回のVision Management12号と13号の合併号となります。これは12号が発行できなかったからであり、執筆予定であった中井ゼミ生として卒業する12期生の合意に基づくものであります。

12号が発行できなかった理由はいくつかあるのですが、新型肺炎のウイルス禍の影響が大きいことは言うまでもありません。学生や教員、そして新卒採用を行う企業にとって初めて体験する様々な出来事に戸惑い、最良な対応を模索し続けるだけで最終学年が終わった、そんな時期でした。当ゼミは元々就職活動を重視しいていますが、「重視」や「優先」などといった対応で乗り切れない不安や危機感がある中で、どうしても卒業論文の作成が後手に回ったのは否めない事実です。そんな状況下でも何とか卒業論文を仕上げて、中井ゼミ生として卒業していった12期生には敬意を表したいと思います。中井ゼミは「卒業論文を書いて卒業すること」を入ゼミの要件に掲げていますので、12期生は全員、卒業論文を書いて卒業しています。彼らの名誉にかけて、このことは明らかにしておきます。

さて、ウイルス禍は沈静化するどころか新種が蔓延し、予定されている卒業式にも影響が出そうです。2019年の暮れごろに中国は武漢で発生した新型肺炎のウイルスは世界中に広がって多くの死者を出しました。武漢のウイルス研究所から流出したものなのか、そうでないのか、それはここでの議論の対象ではありません。少なくとも彼の地がいち早く情報を公開し、都市封鎖を行って拡散を抑え、後の世界機関の査察を合目的的に受け入れれば、これほどの事態に至らなかったのではないか。このことについては世界中の多くの識者が指摘していることなのです。

日本は、世界中でも、ウイルス禍によって大きな影響を受けた国の一つでしょう。所謂「三密」の徹底など、日本人の国民性ゆえに爆発的感染は抑え込めたものの、それでも経済的なダメージは甚大なものになっています(これから増えることも予想されます)。オリンピックも一年遅れで開催したものの、無観客の中での試合を余儀なくされた選手の思い、そして有形無形の「負の資産」を抱え込んでしまったことも大きいでしょう。また、飲食店などが休業を余儀なくされたことについては、アルバイトに勤しむ皆さんの方が実感していることでしょう。

これらの対策として、巨額の財政支出がなされました。しかも、このお金の使い方が雑である、無駄が多いとの指摘もあちこちで聞こえてきます。こうした無駄な支出も含めて、支出の原資は国民の税金です。正確に言えば、「これから払うことになる」おカネです。皆さんは、将来に向けての多くの負債を抱え込んだことになるのです。

納税は国民の義務のうちの一つですし、収入が増えれば、消費税が多少増税されても、武漢ウイルス復興増税なるものが課されても、耐えていけるかもしれません。しかし、収入が増えなければ、過酷な税に縛られ、貯蓄もままならず、年金生活も安泰とは言えなくなります。

経済協力開発機構によると、昨年の日本の平均賃金は3.9万ドル(約440万円)で、30年前からの伸び率はたったの4%です。この間、アメリカは49%、イギリスは44%増加しているのです。「大人になったときに自分の親世代よりも経済状況が良くなっているか」。ユネスコが21カ国の1524歳に尋ねた調査で、日本は「はい」と答えた割合が28%で21カ国中最低でした。ドイツ(54%)やアメリカ(43%)を大きく下回っています。こうしたデータを目の当たりにすると、「いいじゃん、多少税金が増えて、年金が減ったとしても…」と気安く言えないのではないでしょうか。

そもそもどうしてこんな事態に陥ったのでしょうか。ことの本質はどこにあるのでしょうか。本質を見極めようとする姿勢が、もっと言うなら気概があれば、日本国内でも足りていなかったマスクを彼の国に大量に送って平気な顔をしている政治家はいないはずです。ところが、悲しいからそうでないのが今の日本です。国民の血税を効率的に使おうとの思いはひとかけらもなく、無駄遣いに明け暮れる始末です。

悲しいかな、皆さんは、そんな日本で生きていくしかないのです。そのためには努力して自己防衛するしかありません。重税にも、低い年金にも耐えられる、自立した経済状態を自らの手で作り出さねばなりません。「一億総中流」の時代は遠い昔に過ぎ去りました。「悪平等」は消え去り機会の平等(第11号巻頭言参照)が重視される時代になっています。その時に必要になるのが、本質を見極めようとする姿勢です。今目の前で起っているのは表層部分であって、そこには必ずそれを引き起こした本質部分が存在します。本質を見ようとすることで道は拓けますが、表層しか見ていないと厳しい現実に直面するでしょう。

中井ゼミの門をたたいた人たちは高い志を持った人たちです。中井ゼミ生として卒業する人たちは人間力を背景にした気概を持った人たちです。だからこそこれからの世の中において、常にことの本質は何かを問い続けて欲しいと願っています。

 

■「機会の平等」の体現者たちへ(第11号(20202月発行))

皆さんが大学在学中に、複数の医学部で不正入試疑惑が発覚しました。これまでの入試不正といえば贈収賄による入試問題の漏洩など、「受かるため」に行われる不正が一般的でした。ところがこのたび露見した不正入試は、こうした一般的な不正に加え、本来合格点に達していた女性の受験生を不合格として、その代わりに男性を合格させるという「落とすため」の不正であったことが世間の耳目を集めたものでした。女性の受験者の方が男性より高得点を取る傾向があるため、試験だけで判断すれば入学者の大半は女性になってしまう。複数指摘された背景の中で、この点が特に世間の関心を惹き「入学試験での性差の解消」が声高に喧伝されました。そして、今後の対応として「イーブンではなく、フェアな」試験規定を目指す(“医学部入試の基準策定へ 医学部長病院長会議が表明”、日本経済新聞 電子版. (20181018) ことになったのは当然の帰結といえるでしょう。

前置きが長くなりました。京都産業大学経営学部中井透ゼミ第11期生は総勢28名のうち女性が20名を占める「女性が多いゼミ」です。女性比率は71.4%であり、経営学部の30.9%は言うに及ばず、女子学生が多く在籍する外国語学部や文化学部を加えた大学全体の33.9%をも大きく上回ります(201951日現在)。こうした状況下、11期生の皆さんは時に好奇な目で見られ、その理由を尋ねられることが多かったのではないでしょうか。回答としては、およそ3年前、2年ゼミ初回の授業において私が述べた理由をそのまま引用するだけで事足ります。私はその際、「エクイティではなく、フェアネスを基準に選考した結果、こうなった」と伝えました。医学部不正入試への今後の対応として表明された考え方は、約3年前の皆さんの選考の際に、当ゼミにおいて既に適用されていたのです。

平等、公平、公正などといった言葉は微妙に意味合いやニュアンスが異なりますが、混同して使われることが多いようです。その中で、エクイティ(もしくはイーブン)は公平を、フェアネスは公正を意味すると考えます。どちらも平等であることに変わりはありませんが、前者は「結果の平等」であり、後者は「機会の平等」である点において、決定的に異なる「平等」なのです。

近年、ダイバーシティや男女共同参画社会の理念が誤解されて運用されており、理念自体が社会性を高めるにしたがって誤解の度合いも大きくなっていることに危惧しています。たとえば「委員の構成メンバーは男女同数であるべき」といった間違った解釈がまかり通り、結果の平等を求めることによって機会の平等が失われているのです。結果としての数合わせが前提にあれば、挑戦して認められる機会が奪われることになります。能力のある人が、その能力を適正に評価されないことが頻繁に起こりうるのです。当然ながらそうした組織では、個人だけでなく、組織として成長する機会、収益をあげる機会を失ってしまうことになるでしょう。

中井ゼミ11期生は「機会の平等」を体現した人たちです。真の意味での、公正な基準によって選抜され、当初期待した通りの成長を遂げた人たちです。だからこそ、数合わせで与えられるポストに就くことを潔しとしないでください。機会は均等に与えたのだから、そこから生じる結果、成果には自らで責任を持つべきだとする社会に順応してください。それは決して容易いことではありませんが、皆さんならできると信じています。

 

■「平成最後」にあたり(第10号(20192月発行))

平成30年の暮れから平成31年にかけて、何をするにしても「平成最後の」という言葉が使われました。平成最後の忘年会、平成最後の初詣などなど。元号が変わることが事前に分かっているのは、少なくとも現在生きている人にとっては初めての経験であり、特殊な機会であることを殊更に表現するには相応しい言い回しだったからでしょう。

そして、新年が来ることが分かっている状況下で年末に「今年の総括」をするように、「平成の総括」が至る所で行われており、これからも多方面で様々な観点からの総括がなされることでしょう。たとえば我々にとって身近なマクロ経済、企業経営の分野だけを取っても、バブル経済の崩壊、GDP成長率の鈍化と発展途上国の台頭、一流企業の経営破綻とM&Aの増加、そして相次ぐ企業の不祥事など。今になって振り返れば、昭和の時代とは決定的に異なる、象徴的な出来事が幾つも起こった平成の30年間でした。平成の3分の2くらいしか生きていない、さらに言えば3分の1程度の知識とまともな経験しか有しない皆さんでも、あるいは比較の対象としての昭和を生きていない皆さんでも、平成が実に様々な変化を生み出したことはある程度分かっているでしょうし、その時代を総括することの重要性は理解していることと思います。

我々は失敗に学び、うまくいかなかった経験を次の機会に生かすべく過去をチェックします。皆さんが大学4年間で何度も学んだP-D-C-AサイクルのCそのものです。その上で次のアクションを起こすから人は、会社は成長するのです。これができない人は、これができない人が代表を務める組織に属し、これができない人に囲まれ、これができない人と生活を共にして、成長が望めない人生を送ることになるでしょう。一方で、仕事でも日常生活でもPDCAを意識している人は多種多様な機会をものにして成長を遂げていくでしょう。平成は、そうした二極分化の兆しを示してくれた時代であったとも言えるのです。

20195月の改元と同時期に社会人生活に入る皆さんが、二極分化が顕著になる新しい時代においてマトモに、シッカリと生き抜いてくれることを願いつつ、平成最後の巻頭言のメッセージとします。

 

■慧眼のすすめ(第9号(2018年2月発行))

2017年、京都産業大学経営学部は創設50周年を迎え、113日の神山祭期間中に盛大に記念式典を挙行しました。関西の有名大学の経営学部や商学部の中では歴史は浅い方ですが、短い間に急成長を遂げ、擁するファカルティの質、量とも関西、いや日本有数と言えるまでになりました。

大学の使命は高いレベルの教育を提供することであり、本学も「将来の社会を担って立つ人材を育成」することを建学の精神に掲げているとおりです。そのためには、すべてのファカルティがそれぞれの専門領域において高いレベルの研究を続けて、それを論文などの形で発表して社会からの評価を受けなければなりません。高いレベルの教育は、高いレベルの研究があって初めて成り立つのです。だからこそ、大学で提供される教育は高校や中学とは異質なものでなくてはならず、「最高学府」としての誇りと矜持を持たなければならないのです。私が感じるに、京都産業大学経営学部のファカルティの多くはこのことを分かっていて、高いレベルの研究に裏付けされた高品質の教育を提供しています。皆さんは、4年間、他の国公立、有名私大に勝るとも劣らない教育を受けてきたことを誇りに思ってください。そして、その過程で蓄積された知的財産を、社会で活躍するための武器としてください。

さて、皆さんが中井ゼミで過ごした3年間の後半部分において「働き方改革」を推進する機運が高まり、各方面で取り沙汰され、議論されてきたのは承知の通りです。長時間の残業が常態化している中で、仕事の進め方、働き方はどうあるべきかを改めて考え直すきっかけが生まれました。さらには、仕事とそれ以外の時間における生活との調和(ワーク・ライフ・バランス)を図り、豊かでゆとりある日常生活を送るためにはどうすべきかについて、政府の「働き方改革実現会議」をはじめ、多くの会社、多くの組織で検討が重ねられてきました。ところが私が見聞したいくつかの取り組みでは「残業時間が多い」という現象に対して、その本質を見極めることなく、事務所の照明を消したり、パソコンを使えなくしたりして「従業員を強制的に定時に帰宅させる」仕組みを作り上げて、課題に対応しようとしていました。業務が長時間に及ぶのは複数の要因が考えられますが、多くの場合、生産性に問題があります。一人当たりの生産性、時間当たりの生産性、つまり人時生産性を高めることで業務時間は短縮できます。この生産性改善に着手せず、現状の低生産性のままで業務時間だけを減らせば企業の行く末はどうなるか。本学で質の高い教育を受けてきた皆さんなら簡単に分かることだと思います。

皆さんが神戸の会社に対して行った課題発見・解決提案プロジェクトの調査研究過程で、私は常に「イシューは何か」を問いかけました。工場見学や社長の講話で見聞した現象に惑わされることなく、その現象の裏で何が起こっているのか、どうしてその現象が起こってしまっているのか、などといった本質を探ろうとしなければ真の意味での解決策は生まれない、と説いてきました。皆さんはそれを理解し、良い提案を行っていました。これからも、直面する多くの現象に対して常に「イシューは何か」を問い続けてください。そして物事の本質を見極める姿勢とその眼を持ってください。そうすることで、生産性の高い仕事を行い、これからも一層重視される「働き方改革」の推進役となる人材に成長されることを期待しています。

 

 繋がりっぱなしの日常と思考力(第8号(20172月発行))

皆さんはこの論文集「Vision Management」に発表した論文の作成と本日開催の卒業論文発表会での発表および口頭試問をもって「卒業研究1・2」の単位を取得することになりますが、この「卒業研究1・2」は今年度でなくなり、平成29年度から名称が「演習5・6」に変わります。「卒業研究1・2」を履修して卒業する最後の学年になります。

大学での学びの集大成である卒業論文を作成することなく、それどころか4年生の卒業研究を履修登録することなく卒業していく学生が増加傾向にある中で、せめて名称を変えることで3年次の「演習4」との連続性を強調して「卒業」する学生を増やそうとしたものであり、苦肉の策と言われても仕方ないでしょう。

大学でゼミナールが設置されている意義、そこで学び調査・研究を行っていくことで培われる価値の本質を、ゼミ活動に関わる双方の当事者が思慮深く考え、理解していれば、小手先の名称変更など必要なかったでしょう。そんな中で、年を追うごとに熾烈を極める就職活動と並行しながら、そしてグループの仲間と協働しながら最終的に論文を完成させた中井ゼミ8期生の皆さんの真摯で素直な態度と努力に敬意を表します。

皆さんが高い倍率を突破して、晴れて中井ゼミの一員になった2014年、『つながりっぱなしの日常を生きる』(ダナ・ボイド著、野中モモ訳)という本が発刊されました。副題「ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの」から分かるようにTwitterFacebookなどのSNSの普及と技術的進化が社会生活に何をもたらし、とりわけ、若い人が「つながりっぱなしの日常」をどう生きているのかを詳細に検討した本であり、決して「つながりっぱなしの日常」自体を否定的に捉えたものではありません。社会学とは関わりのない者が本書の価値について云々できる立場にないことは分かっていますし、ゼミの連絡をFacebookで行っていた者からすれば、SNSの存在に感謝こそすれ「つながりっぱなし」の世の中を否定的に語る資格などないことは十分に承知しています。

そもそも「つながりっぱなし」をもたらしたネットワーク化の一つの契機として、1995年の「Windows95」の発売が挙げられます。それまでの3.1NTシリーズに比べてネットワーク設定を容易にしてインターネットの普及に大きな貢献をしたのがこのOS(基本ソフト)でした。皆さんの多くは1994年生まれでしょうから、その意味で皆さんの人生は「つながりっぱなしの日常」の中にあったと言えるでしょう。便利になった皆さんは世界中のあらゆる人や機関とつながった状態で多くの情報を手に入れてきました。それが当たり前の中で育った皆さんは、一方でつながりから離れて物事を考える機会や時間をあまり持たないままの日常に何の疑問も違和感もなく過ごしてきたのです。その是非を問うているのではありません。しかし、冒頭で述べたように小手先の名称変更をしなければ卒業まで卒業研究をしない学生が増加している実態は、物事の本質をゆっくり考えてみる機会とその力である思考力の低下がもたらしたものではないでしょうか。さらに言えば、思考を放棄した末の実態であると言えるでしょう。

卒業論文作成の過程で幾度となく「それは本当か」「その意見を支持する根拠は何か」などと尋ねたのは「つながりっぱなしの日常」にどっぷり漬かった生活から得られる情報を鵜みにすることなく、その本質を探り理解するために自分の頭で考えようというメッセージであったのは承知のとおりです。

これからの世の中は「つながりっぱなし」世代が社会を先導することになるでしょう。その時、氾濫する情報だけを拠り所として自らの主張を展開するのではなく、物事の本質を見極める思考力を持った人材が高い評価を受けることは想像に難くありません。中井ゼミ8期生として最後までやり遂げ「卒業」を手に入れる過程で思考力を鍛えることの重要性を痛感した皆さんは、これからの「つながりっぱなし」世代が先導する社会のリーダーとして比較優位を築き、活躍してくれるものと期待しています。

 

むすんで、うみだす(第7号(2016年2月発行))

20151127日、皆さんが卒業論文の最終仕上げに忙しいころ、京都宝ヶ池の国際会館において京都産業大学創立50周年記念式典が盛大に挙行されました。式では、15年後にも本学か“選ばれ大学”として日本を代表する私立大学の一角を担う存在であり続けるために、今後我々教職員が積極的に取り組むべき施策や育成すべき学生像などが紹介されました。そして、新たな大学像、学生像として「むすんで、うみだす」を掲げたのです。

皆さんご承知の通り、京都産業大学は1965年に宇宙物理学者の荒木俊馬博士を初代学長として設立されました。当時としては画期的な「学問と企業をむすぶ」ことを建学の理念とし、今でいう産学連携を念頭に置いた教育・研究を推進すべく、大学の名称に「産業」を冠されたのです。「産業」を英語のIndustryの日本語訳ではなく、多様なものをむすびつけることによって新しい何かがうみだされることを意味する「むすびわざ」と読んだ、その設立当時の原点に今一度立ち返り、次の50年、100年に向けて成長し続ける大学であり続けるために“むすび”ます宣言を行ったのです。

7期生の皆さんは、その記念すべき年の卒業生として、社会のありとあらゆることをむすびつけて新しい価値をうみだしていくことになりますが、その役割を担うに相応しい経験と実績があると言えるでしょう。

7期生は、京都産業大学経営学部中井ゼミにとって、イノベーションを数多く生み出した学年でした。企業が抱えるイシューを発見して解決提案を行うプロジェクトを初めて導入したのは、皆さんが3年生の前期でした。新規事業の立案を、共同作業によって推進するスタイルに変えたのは3年生の後期以降でした。そして、その過程で、外部からの客観的評価を得ることを目的に、初めてビジネスプラン・コンテストに応募したのが4年生の秋でした。

こうした多くの変革を皆さんは受容し、一つひとつ丁寧に対応することで、確実に成果を挙げてきました。中井ゼミがいつまでも新鮮で活発なゼミであり続けるために求められる変革が短期間のあいだに幾つも発生したにもかかわらず、真摯な努力で「むすんで、うみだす」ことを実践してくれたのです。その意味において、他の学年とは違うエネルギーが求められた学年であり、そうした辛苦に耐えてほとんどすべての人が最後まで中井ゼミ7期生であり続けてくれたことに敬意を表します。

中井ゼミは今年、10期生を迎え入れます。10年ひと昔の言葉通り、10年経てば経済も、技術も、環境も、そして学生気質も変わって当たり前です。そこで求められるのは変化への対応力であり、一方で存続させていくことの大切さです。不易流行とは変えてはならないものと時代とともに変わらなければならないものがあるという意味ですが、企業経営にも、大学運営にも、そしてゼミにも、この考え方は重要です。10期生を迎える節目の年に卒業する皆さんは、中井ゼミにおいて変革の経験と実績を有することを誇りと自信として、新しい世の中における様々な事象を「むすんで、うみだす」担い手となってください。

皆さんの母校は次の50年に向けてスタートしました。皆さんは4月から社会人生活をスタートさせます。さぁ、母校と競争です。「むすんで、うみだす」申し子のような皆さんなら、きっと、伯仲したレースが展開されるでしょう。いつも母校のことを想って、母校と一緒に走り続け、新しい価値をうみだしてください。期待しています。

 

異質を受け入れるということ(第6号(20152月発行))

京都産業大学経営学部中井ゼミの6期生は総勢25名の精鋭によって構成されていましたが、このVision Management第6号に卒業論文の要約を掲載しているのは22名です。残り3名の人たちは、自らの意思で長期間にわたって外国に滞在したことによって卒業を延期させた人たちですが、貴重な体験をした彼らも6期生の仲間であることに変わりはありません。むしろ、彼らの存在は「異質の受容」という点で、22名の卒業生に大変良い影響を与えたと思っています。

海外で生活することは、語学の修得以上に、異なる価値観に触れてその存在を認め、受容することで人間の幅を広げる効果が期待できます。そうしたことを通じて成長しようと考えた仲間が身近にいることは、ともすれば同質の中で安住しようとしている私たちに良い刺激を与えてくれるのです。短期の語学留学や外国旅行でも異文化に触れ、異なる価値観の存在を知ることが可能ですが、滞在期間や生活時間が長いほどその機会は増していきます。その意味で、卒業を延期するほど長期間の滞在を経験してきた仲間が3人もいるのは非常に稀であり、そのことで「異質の受容」の大切さを改めて学び得た学年と言えるでしょう。

我々は、文化や風習、生まれ育った環境などから形成される価値観や考え方が似通っている同質なものを好み、その中でネットワークを構築しようと考えがちです。異質なものを受け入れようとしないのは、敢えてそうしなくても問題が生じない状態に置かれているからでしょう。意見が合う者、ライフスタイルが似ている者どうしで繋がり合っている方が軋轢は生じにくいでしょうし、何よりもその方が気楽だからです。

しかし、これから皆さんが出ていこうとする社会は、異質なもので溢れています。異なる価値観を認め、異質なものを受け入れることでライフスタイルが変容し、自己成長に繋がっていくのです。もちろん、それを排除するという選択肢もあるでしょうが、それでは変化がありません。協調性がなく、礼節もわきまえず偉そうにしている人たちが、私たちの周りに多く存在するようになってきました。そういう人たちの多くは、異質を受け入れることを拒否し、成長の機会を放棄しているかわいそうな人たちだと言っていいでしょう。

我々は、人として当たり前のことを当たり前にできる人間の集団です。その我々がさらなる成長を遂げるためには、異質の存在を知り、積極的にそれを受け入れようとする姿勢を持ち続けなければなりません。同質だけでの繋がりを良しとする学生時代に異質を受け入れることの大切さを学び得た皆さんは、今まで以上に良質な人間関係を築くことができるでしょうし、何より皆さん自身が人間的に大きく成長できるはずです。そんな皆さんが、立派な大人に成長することを楽しみにしています。

 

■自我作古第5号(2014年2月発行))

5期生の皆さん、卒業おめでとうございます。

京都の街で4年間暮らした皆さんならご存知だと思いますが、皆さんが就職活動と卒業論文執筆に全神経を集中させ、多分もっとも大学生らしい年を過ごした2013年を象徴する漢字一文字が「輪」でありました。毎年、その年の世相を最も良く表したものとして清水寺のご住職によって認められる漢字が「輪」であったのは、2020年の東京オリンピック招致が決まったことを受けたものであることは言うまでもありません。オリンピックの5つの輪が大陸を表していること、そしてそれぞれの輪が重なり繋がり合っていることに意味があるのも周知の通りです。

中井ゼミ5期生として過ごした皆さんの3年間を振り返ってみると、オリンピック旗のデザインの基となる理念と共通しているように思えてなりません。ゼミ生それぞれが築き上げた繋がりを意識し、日々の活動を通して互いに理解を深め合い感謝することで、ゼミ長を中心とした「輪」が構築されていったと思います。

5期生諸子の「輪」は日を追うごとに強固なものとなり、その過程で、言葉の遊びではありませんがまさに「和を以て貴しとなす」がごとくゼミ生がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであると実感できたのではないでしょうか。神山祭などの各種のイベントにおいて、「まずは私から」と自主的に推進役を担おうとする人が当然のように出てくるゼミの風土・雰囲気は、5期生の特徴を良く表していたと言えるでしょう。

この「まずは私から」の精神は、自分自身が組織や集団の中で手本となって、周りの人に道筋を示すことで良き影響を与えて、あらゆることの礎となるものに他ならないと思います。

標題として示した「自我作古」とは、福沢諭吉翁が今日の慶應義塾のルーツとなる小さな塾を開いた際に、その建学に当たって重んじた精神です。それは、5期生諸子が3年間にわたって成し遂げてきた「まずは私から」の精神そのものなのです。

「自我作古」は「我より古(いにしえ)を作(な)す」と読み、「前例にとらわれず、手本になることを自らで作り出す」とか「前例がなければ、過去にやった人がいなければ、自分が取り組んで歴史を作れば良い」という意味があります。

事業計画の策定や研究論文の執筆は、オリジナルなものを自分で創り出すイノベーティブな作業であり「自我作古」と通じるものがあります。5期生一人ひとりにこの精神が強く根付いていたからこそ、皆さんが完成させた作品の質が高まったのでしょう。

人は多くの輪の中にいて、それぞれの輪にいる人たちと様々な関わりを持ちながら成長していくのではないかと思っています。そして、その輪の数が多いほど、異なった価値観や多様な経験を有する人と交わる機会が増加します。皆さんなら、そうした輪の中に自ら進んで身を投じて、周りの人に良い影響を与えることができるでしょう。

これから皆さんが社会に出て為そうとすることは、未知で未経験な新しいことばかりです。しかし、中井ゼミ生としての3年間で作り上げた「自我作古」の精神で、幾多の困難も克服してくれると信じています。そして、幾つもの輪に関わりを持ちながらも、いつでも帰って来られる母なる港としての「輪」が「中井ゼミ5期生」であって欲しいと願ってやみません。

 

■個性的であるということ第4号(2013年2月発行))

皆さんが卒業論文の追い込みで忙しくしていた20121127日、神山ホールで京都産業大学創立50周年に向けたキックオフ式典が開催され、「むすびわざDNAプロジェクト」がスタートしました。式典ではロゴマークとともに、「Keep Innovating」というスローガンが発表されました。1965年に創立されて50年に満たない本学が、短期間の間に関西有数の私学の仲間入りを果たせたのは、これまでに関わってきたすべての人たちに「Keep Innovating」の精神があったからでしょう。本学関係者のDNAを上手く表現できているスローガンだと思います。

京都産業大学経営学部中井ゼミでは、卒業論文として事業計画を作成しています。これは自ら課題を見つけ、過去のデータや正解が存在しないテーマに取り組み、これまでにない全く新しいものを産み出すイノベーティブな作業です。この経験を活かして、卒業後それぞれの分野において「Keep Innovating」を実践し、社会で求められる個性的な人材へと成長していってください。

ところで、論文集巻末のゼミ生紹介コーナーの一言で「個性豊か」とか「個性が強い」という表現が多く使われていました。「個性」はある意味都合の良い言葉です。肯定的な意味で用いられることもあれば、否定的なニュアンスを覆い隠すために使うこともできます。たとえば「協調性がない」という言葉を口にせず「個性的」と言えば角が立たないように。

Keep Innovating」の実践から生まれる個性は、世の中の多くの場面で求められる肯定的な個性です。新しい価値を創造し、革新し続けることで形成される個性です。皆さんには、この意味において「個性的」であって欲しいと願ってやみません。

巻末に掲げられた4期生の写真は、どれも素晴らしい笑顔ばかりです。この明るさも、本学のDNAのひとつかもしれません。この笑顔を絶やさず、いつまでも進歩し続けてください。京都産業大学DNAの申し子のような皆さんが、今後も、本学の発展と歩調を合わせるかたちで成長されることを祈っています。

 

■相対的価値と絶対的価値第3号(20122月発行))

京都産業大学経営学部中井ゼミ第3期生の皆さん、卒業おめでとうございます。あれからもう3年が経ったのかと、時の流れの速さを感じます。

3年前、皆さんが中井ゼミの一員になったことで、初めて2年生から4年生までのすべての学年が揃いました。大学では、新設や改革実施から4年後、つまり新しく入学した1期生が卒業する年度を「完成年度」と呼んだりします。この発想からすれば、3期生が新しく入ることで、中井ゼミは完成年度を迎えることになったのです。表現を変えれば、皆さんは「中井ゼミを完成させた学年」と言えるのです。

記念すべき学年であり名誉なことではありますが、一方で、それゆえに被る負の評価もあります。それは、京都産業大学において私が初めて感じた「とても幼い学年」というものです。中井ゼミで2年間「人間力」を向上させてきた4年生(1期生)は言うに及ばず、一学年しか違わぬ3年生(2期生)と比べても、入ゼミ当初の皆さんは明らかに幼く、未熟に感じられたのでした。

しかしそれは、相対的に上級生と比較した時の印象であって、一人一人を見ればしっかりとした大人であったはずです。悲しいかな「完成させた学年」であったがゆえに、初めて「比較」の対象の方が多くなってしまった学年に対する評価に過ぎなかったのでしょう。その証拠に、3年弱の歳月を経た今の皆さんが、中井ゼミの理念を体現した人間力溢れる大人になっていることを考えれば、その素地は当時から十分にあったのでしょうから。

経営を分析する要諦は相対比較であると、講義でもゼミでも度々説いてきました。比較することを通してでしか見えない違いを理解してその差を縮めるために努力することは、競争環境下にある企業経営において不可欠です。しかし、だからと言って競争に参加する個々の企業の特徴に目を配らなくてもよいというものではありません。むしろ、企業固有の価値があるからこそ、相対的優位を競う企業間競争に参加する資格が与えられるのです。

比較によって評価される相対的価値と、個々が独自に有する絶対的価値。企業に限らず、価値の本質はこの両者を見据えたうえで語られなければなりません。そして、比較の対象が増えるほど、相対的価値を評価するのと同等かそれ以上に、絶対的価値に目を転じることが重要となってくるのです。

3年前の皆さんは、中井ゼミの諸先輩と比較した場合に限って相対的に人間力や経営学に関する知識が十分ではない学年であったが、2年次生としての絶対的な能力は高く、個々人の能力も十分に優れていたと表現するのが適切でしょう。そう、絶対的な評価としては決して「幼い学年」ではなかったのです。だからこそ、先輩諸氏は面接で高い評価を与えたのだから。

相対的価値とは周りとの比較で評価されるもの、絶対的価値とは自分を高めようとする気概だと思います。後者は、独走するマラソンランナーが自己ベストを目指すような、自分自身との闘いに例えることができます。

相対が他との比較だけで物事を捉えることに対して批判される一方で、自分という存在に絶対的価値を求めること、そしてそれを有することの方が重要だとの意見を多く耳にします。しかし、両者は本来その優劣を云々されるものではなく、相対的価値に関心を寄せれば寄せるほど、絶対的価値の重要性が問われるような関係にあると思います。

皆さんはとかく、周りとの比較の中で生きてきました。その中で他人の目を気にして、主体的に考えたり行動したりすることを避けてきました。そのことを批判するつもりはありません。比較の対象となる量と質が限定されている場合は、そうすることの方が居心地は良いでしょうから。

しかしこれから皆さんが足を踏み入れる社会は、比較対象の量と質に限りがない世界です。新入社員としての皆さんは言うに及ばず、色々な面で経験と能力に欠ける皆さんは相対的比較劣位に置かれます。しかしそれはある意味で、仕方がないことなのです。時間や実績が克服してくれることもあるのです。我々にとって必要なことは、相対的価値に一喜一憂ばかりするのではなく、特に比較劣位な状態にあるときほど、自身の絶対的価値を見つめることなのです。そして、絶対的価値を高める努力を怠らないことなのです。

Vision Managementの考え方は、皆さんが絶対的価値を高めようとするときの精神的な拠りどころになるはずです。この3年間、人間力だけでなく、それぞれの絶対的価値を高めてきた皆さんの、社会での活躍を心より期待しています。

 

23/118」の精鋭たちへ(第2号(20111月発行))

17,028円~10,370円。諸君が京都産業大学に入学した200742日と、このVision Managementの原稿を提出した20101221日の、日経平均株価の終値です。諸君が様々な知識と知恵を吸収して人間的にも成長を遂げてきた4年間、日本は、少なくとも株価で表わされる経済状態の観点からは、成長どころか衰退してきたことになります。

しかしそれ以前は、正確には諸君が1年生の秋までは、5年以上にわたる第2次世界大戦後最長の景気拡大期が続いていました。新卒学生を大量に採用したい企業に対して、学生は売り手市場で有利な就職活動を続けていたのです。

それが一転、2007年の米国住宅ローン危機問題、2008年のリーマン・ブラザーズの経営破綻が世界的な金融危機へと連鎖し、日経平均株価も6,000円台まで下落して急激に景気が悪化します。そう、まるで、諸君が就職活動を開始した時期と歩調を合わせるように。

このような厳しい環境の中、諸君は就職活動と卒業論文の執筆を見事に両立させました。少しシビアな見方をすれば、この両立は当たり前のことかも知れません。しかし、卒業論文の提出が卒業のための必要条件ではない本学においては、当たり前のことを当たり前には行わないという選択肢も与えられていたのです。その中で諸君は、「中井ゼミの卒業生」となるべく、困難な道を自ら選択し、卒業論文を完成させました。易きに付くことを潔しとしない諸君の学習態度に敬意を表したいと思います。

諸君は、一つのゼミの応募者としては恐らく過去最多となる118名の応募者の中から選ばれた31名の中で、「中井ゼミの卒業生」となった23名の精鋭たちです。最後まで初期の意思を貫き通した精鋭たちです。中井ゼミを愛し、中井ゼミ生であることに誇りを持ち続けた3年間であったと思います。それぞれの人のゼミに対する思いが、ゼミでの生活をより充実させたのではないでしょうか。

誇りを持つことで、愛着が芽生えます。愛着を抱くことは、更なる誇りへと結びついていきます。誇りと愛着は相乗効果で互いを大きくさせていくのです。諸君が易きに付くことを選ばず、最後まで中井ゼミ生であり続けたのは、厳しい競争倍率をくぐり抜けて選ばれたという誇りと、それを共有する仲間相互で育まれた愛着があったからでしょう。更に言えば、そういう自分に対して自信を持つことができたからではないでしょうか。

この、誇り-愛着-自信というサイクルは、諸君が作り上げ、諸君の手で何度も回すことで大きくさせてきたものです。当方が意図して作り上げようとしたのは、コンパのときに学歌の斉唱を「強いた」時だけです。誇るに足る、愛着が持てる中井ゼミは、諸君の手によって作り出されたのです。是非、社会に出ても、それぞれが所属する組織、直面する状況において、このサイクルを自ら作り上げていってほしいと願います。

諸君が4年生として過ごした2010年は、アップル社が「iPhone4」「iPad」を立て続けに世に出し、モバイル・デバイス元年と言われた年でした。そのアップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が、上述のような当方の気持ちを的確に表現してくれているので、以下に引くことにします。

 

「大好きなことを見つけてほしい。仕事というのは人生のかなり大きな部分を占めるわけだけど、本当に満足するには、すごい仕事だと信じることをするしか方法はない。そして、すごい仕事をするには、自分がすることを大好きになるしか方法はない。まだ見つからないなら探し続けて欲しい。あきらめちゃいけない。」

 

冒頭に述べた、諸君が過ごした4年間の経済状況のように、今後も顕著な経済成長は見込めないでしょう。大衆に流されていれば何とか生きてこられた時代は過去のものとなり、明確に自己の成長を意識して自己実現に励もうとする者しか生き残れない時代が来るのは明らかです。その時、Vision Managementを実践している諸君ならきっと競争優位を有していることでしょう。そして、幾多の荒波も超えて成長を続けていけると信じています。「118分の23」の一人に成り得た精鋭たちだから。

 

ビジョン・マネジメントのすすめ(1号(20102月発行))

企業は人なり。パナソニック(旧、松下電器産業)の創業者である松下幸之助翁が、企業経営における人材育成の大切さを表した有名な言葉です。昨今のような厳しい経営環境になればなるほど、人がいかに重要な経営資源であるかを、企業は改めて認識させられることになります。

ヒト、モノ、カネの経営資源の中で、カネの効率的配分を目的とする財務管理を講義している者であっても、企業(営利企業のみならず、広くすべての組織)は人なりということに対して異論はありません。カネやモノなどの資源の効率的配分は、ヒトという資源によって築かれた強固な基盤の上で、はじめて価値創造に資することになるのです。人材や人間の力は、その上に付加されるすべての価値の基盤であり、付加価値を支えるための土台となっているのです。逆の見方をすれば、いくら高い価値を付加しようとしても土台が脆ければその重さに耐えきれず、脆く崩れてしまうことになります。4年弱の実業界での経験の中で、また、中小企業診断士として多くの企業に関わってきた中で、こうした現象をたくさん目の当たりにしてきました。

京都産業大学経営学部中井ゼミでは「人間力の育成」を理念に掲げ、企業や各種組織が求める人材の本質的価値である人間力を育み、向上させることに重点を置いています。小手先の技術や生半可な知識を拠り所にするのではなく、組織において強固な基盤として機能する人材、あるいはそうなる可能性を有する人材を育成することが重要であるとの認識に基づくものです。

中井ゼミ1期生の諸君は、上述のような理念に共感し、中井ゼミを志願した人たちです。本学において初めて開講されるゼミであり、担当教員がどのような人物かさえ分からない状態で、前人未踏の地に最初の一歩を踏み出した人たちです。

「京都産業大学におけるゼミ生はまだ居ませんから、先輩ゼミ生からのメッセージはありません。フロンティアスピリットあふれる皆さんが新しいページを作り上げてください」―― ゼミの募集要項の「先輩ゼミ生からの紹介」の欄にこう記しました。そして、まさにフロンティアスピリット旺盛な諸君が中井ゼミの門を叩き、見事なまでにゼミの理念を理解し、実践することで、中井ゼミの基盤を作り上げてくれました。

自主的に、真摯に中井ゼミの理念を伝えることで、同じ志を持った後輩に来てもらおうとの思いから運営してくれたゼミフェアは、結果的に118名もの応募者を集めました。しかし、特筆すべきは、その数の多さよりも、諸君が延べ10数時間にわたって面接を行い、選考した2期生が、諸君と同様、素晴らしい人材であるということです。そして、彼ら2期生が面接をした3期生も、また然りです。諸君が作り上げた新しいページの後に、次々と、ページが加わってきています。

まだ完成されていない中井ゼミに入って、自らの手で作り上げていきたい。こういうゼミにしたい。ゼミと一緒に自分も成長したい。そのために自分たちは何を為すべきかを考えて実践してきた諸君が、牽引車となって引っぱって来てくれたからこそ、中井ゼミの今があると思います。そして、後輩たちも確実にその理念を継承していくことでしょう。

望ましい姿、あるべき将来像を目標として掲げ、それを実践させるための方法を考えて努力する。その過程で自分自身を律し、自己管理できる。諸君が、3年間でこのことを成し得たことに敬意を表します。そして、社会に出ても、更なる高い目標を掲げ、そのあるべき姿(Vision)の実現のために自己管理(Management)できる人間であってほしいと願います。諸君だけでなく、諸君の後に続いて、高い人間力を有して社会に巣立つすべての中井ゼミ生へ期待を込めて、この卒業論文集のタイトルをVision Managementとしました。

目標を持ち続けてください。企業人としての目標でも、自己啓発のための目標でも、何でも構いません。10年先の長期目標でも、一ヶ月先の短期目標でも、目標に変わりはありません。設定可能な目標は無限にあります。そして、それを達成したときの自分の姿を思い描いてください。その像、つまりビジョンに向かって為すべきこと、為さねばならないことを考え、自分をマネジメントしてください。夢を現実のものにできる人間と夢のままで終わってしまう人間との差は、ビジョン達成のためのマネジメントを行っているかどうか、あるいはその取り組の違いによって生じるのですから。

中井ゼミで人間力を育んだ諸君が、これから先、常にビジョン・マネジメントを実践されることを期待しています。そしていつか、「企業(組織)は人なり」を掲げる社会で、真に必要とされる人材に成長した諸君と再会できることを楽しみにしています。


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