大阪市ヘイトスピーチ条例事件
上告審判決

公金支出無効確認等請求事件
最高裁判所 令和3年(行ツ)第54号
令和4年2月15日 第三小法廷 判決

上告人 (控訴人  被告) A ほか5名
          代理人 徳永信一 ほか
被上告人(被控訴人 被告) 大阪市長

■ 主 文
■ 理 由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人らの負担とする。

[1] 大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例(平成28年大阪市条例第1号。以下「本件条例」という。)2条,5条~10条(以下「本件各規定」という。)は,一定の表現活動をヘイトスピーチと定義した上で,これに該当する表現活動のうち大阪市(以下「市」という。)の区域内で行われたもの等について,市長が当該表現活動に係る表現の内容の拡散を防止するために必要な措置等をとるものとするほか,市長の諮問に応じて表現活動が上記の定義に該当するか否か等について調査審議等をする機関として大阪市ヘイトスピーチ審査会(以下「審査会」という。)を置くこと等を規定している。
[2] 本件は,市の住民である上告人らが,本件各規定が憲法21条1項等に違反し,無効であるため,審査会の委員の報酬等に係る支出命令は法令上の根拠を欠き違法であるなどとして,市の執行機関である被上告人を相手に,地方自治法242条の2第1項4号に基づき,当時市長の職にあった者に対して損害賠償請求をすることを求める住民訴訟である。

[3] 本件各規定の概要は,次のとおりである。

[4](1) 本件条例2条1項柱書きは,本件条例においてヘイトスピーチとは,次のア~ウのいずれにも該当する表現活動をいう旨を規定する(以下,この表現活動を「条例ヘイトスピーチ」という。)。
ア 次のいずれかを目的として行われるものであること((ウ)については,当該目的が明らかに認められるものであること。以下同じ。)(同項1号柱書き)
 (ア) 人種若しくは民族に係る特定の属性を有する個人又は当該個人により構成される集団(以下「特定人等」という。)を社会から排除すること(同号ア)
 (イ) 特定人等の権利又は自由を制限すること(同号イ)
 (ウ) 特定人等に対する憎悪若しくは差別の意識又は暴力をあおること(同号ウ)
イ 表現の内容又は表現活動の態様が次のいずれかに該当すること(同項2号柱書き)
 (ア) 特定人等を相当程度侮蔑し又はひぼう中傷するものであること(同号ア)
 (イ) 特定人等(当該特定人等が集団であるときは,当該集団に属する個人の相当数。同号イにつき以下同じ。)に脅威を感じさせるものであること(同号イ)
ウ 不特定多数の者が表現の内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるものであること(同項3号)

[5](2) 本件条例5条1項柱書き本文は,市長は,次のア又はイの表現活動が条例ヘイトスピーチに該当すると認めるときは,事案の内容に即して当該表現活動に係る表現の内容の拡散を防止するために必要な措置(以下「拡散防止措置」という。)をとるとともに,当該表現活動が条例ヘイトスピーチに該当する旨,表現の内容の概要及びその拡散を防止するためにとった措置並びに当該表現活動を行ったものの氏名又は名称を公表する(以下,これを「認識等公表」といい,拡散防止措置と併せて「拡散防止措置等」という。)ものとする旨を規定する。
ア 市の区域内で行われた表現活動(同項1号)
イ 市の区域外で行われた表現活動等で次のいずれかに該当するもの(同項2号柱書き)
 (ア) 表現の内容が市民等に関するものであると明らかに認められる表現活動(同号ア)
 (イ) 上記(ア)に掲げる表現活動以外の表現活動で市の区域内で行われた条例ヘイトスピーチの内容を市の区域内に拡散するもの(同号イ)

[6](3) 本件条例6条1項柱書き本文は,市長は,上記(2)ア又はイの表現活動が条例ヘイトスピーチに該当するおそれがあると認めるとき等は,当該表現活動が上記(2)ア又はイのいずれかに該当するものであること及び当該表現活動が条例ヘイトスピーチに該当するものであることについて,あらかじめ審査会の意見を聴かなければならない旨を規定する。

[7](4) 本件条例7条1項は,上記(3)の事項等について,諮問に応じて調査審議をし,又は報告に対して意見を述べさせるため,市長の附属機関として審査会を置く旨を規定し,本件条例8条は,審査会は,委員5人以内で組織し(1項),審査会の委員は,市長が,学識経験者その他適当と認める者のうちから市議会(以下「市会」という。)の同意を得て委嘱する(2項)旨を規定する。また,本件条例9条は,審査会の調査審議の手続について規定し,本件条例10条は,本件条例7条~9条に定めるもののほか,審査会の組織及び運営並びに調査審議の手続に関し必要な事項は規則で定める旨を規定する。

[8] 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

[9](1) 公益財団法人人権教育啓発推進センターが平成28年3月に公表した「平成27年度法務省委託調査研究事業 ヘイトスピーチに関する実態調査報告書」は,いわゆるヘイトスピーチを伴うデモ又は街宣活動を行っていると報道等で指摘される団体の活動を調査した結果,特定の民族等に属する集団を一律に排斥する内容や,同集団に属する者の生命,身体等に危害を加える旨の内容を伴うデモ又は街宣活動は,同24年4月から同27年9月までの3年6か月間に,全国において1152件が行われ,その14.2%に相当する164件が大阪府内において行われたとしている。また,上記の報告書は,市内では,平成24年6月,同26年5月,同年9月,同27年3月及び同年4月に行われたデモ又は街宣活動において,上記のような内容の発言に加えて,特定の民族等に属する集団を蔑称で呼ぶなどして殊更にひぼう中傷する内容の発言が確認されたほか,同25年4月に大阪市北区梅田で行われた街宣活動において,特定の民族に属する者を殺害することをあおるシュプレヒコールをすることは当然である旨の発言や当該民族が同じ生き物ではない旨の発言があったことが報道されたとしている。

[10](2) 大阪市人権尊重の社会づくり条例(平成12年大阪市条例第25号)に基づき置かれた大阪市人権施策推進審議会は,市長から諮問を受け,平成27年2月,市内において現実にヘイトスピーチが行われている状況にあり,市は,市民の人権を擁護するために,ヘイトスピーチに対して独自で可能な方策をとることで,ヘイトスピーチは許さないという姿勢を明確に示していくことが必要である旨の答申(以下「本件答申」という。)をした。本件答申は,ヘイトスピーチと認定した事案について,差別の拡散につながらないよう十分に留意しながら,ヘイトスピーチであるという認識,その事案の概要及び講じた措置を公表することが適当であるなどとする一方で,憲法上の表現の自由との関係を考慮し,単なる批判や非難を上記措置等の対象外とし,社会からの排除等を目的とする表現活動にその対象を限定することが適当であるなどとしていた。

[11](3) 本件条例に係る条例案は,本件答申を受けて,平成27年5月,市会に提出され,その審議を経て,同28年1月15日,可決成立した。

[12](4) 市会は,平成27年6月,衆議院議長,参議院議長,内閣総理大臣,総務大臣及び法務大臣に宛てて,地方自治法99条に基づき,市内においてデモ又は街宣活動の際にヘイトスピーチが頻繁に行われていること等から,ヘイトスピーチの根絶に向けて実効性のある法律の整備を視野に入れた対策を早急に進めるよう強く要望する旨の意見書を提出する旨の決議をした。
[13]1(1) 前記事実関係等によれば,本件条例の制定当時,市内においては,特定の民族等に属する集団を一律に排斥する内容,同集団に属する者の生命,身体等に危害を加える旨の内容,同集団をその蔑称で呼ぶなどして殊更にひぼう中傷する内容等の差別的言動を伴う街宣活動等が頻繁に行われていたことがうかがわれる。そして,本件答申は,市内において現実にヘイトスピーチが行われている状況にあるとした上で,市が,ヘイトスピーチと認定した事案について,ヘイトスピーチであるという認識,その事案の概要及び講じた措置を公表することが適当であるなどとする一方,憲法上の表現の自由との関係を考慮し,単なる批判や非難を上記措置等の対象外とし,社会からの排除等を目的とする表現活動にその対象を限定することが適当であるなどとしており,これを受けて,本件条例に係る条例案が提出され,可決成立したものである。以上のような本件条例の制定経緯に加え,本件条例が,条例ヘイトスピーチが差別の意識を生じさせるおそれがあること等に鑑み,市民等の人権を擁護するとともに条例ヘイトスピーチの抑止を図ることを目的とする旨を規定した(1条)上で,その適用に当たっては,表現の自由その他の憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならない旨を規定している(11条)ことに照らせば,本件条例は,表現の自由の保障に配慮しつつ,上記のような人種又は民族に係る特定の属性を理由とする過激で悪質性の高い差別的言動の抑止を図ることをその趣旨とするものと解するのが相当である。

[14](2) 本件条例2条1項柱書きは,拡散防止措置等の対象となる条例ヘイトスピーチの定義として,同項各号のいずれにも該当する表現活動をいう旨を規定しているところ,その文理及び上記の本件条例の趣旨に照らせば,同項1号は,一定の不当な目的を有することを要件としたものであり,具体的には,当該表現活動が,人種又は民族に係る特定の属性を理由とし,同号ア~ウのいずれかを目的として行われるものであることを要する旨を規定したものと解するのが相当である。また,同項2号も,表現の内容及び表現活動の態様が特に悪質性の高いものであることを要件としたものであり,具体的には,当該表現活動が,特定人等をその蔑称で呼ぶなど,特定人等を相当程度侮蔑し,若しくはひぼう中傷するものであること(同号ア),又は特定人等の生命,身体若しくは財産について危害を加える旨を告知し,若しくは同危害を加えかねない気勢を示すなど,社会通念に照らして,特定人等に脅威を感じさせるものであること(同号イ)を要する旨を規定したものと解するのが相当である。そして,同項3号も,上記の本件条例の趣旨等を踏まえて,当該表現活動が,仲間内等の限られた者の間で行われるものではなく,不特定多数の者が表現の内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるものであることを要する旨を規定したものということができる。

[15] そこで,進んで本件各規定が憲法21条1項に違反するかを検討する。
[16] 憲法21条1項により保障される表現の自由は,立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって,民主主義社会を基礎付ける重要な権利であるものの,無制限に保障されるものではなく,公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあるというべきである。そして,本件において,本件各規定による表現の自由に対する制限が上記限度のものとして是認されるかどうかは,本件各規定の目的のために制限が必要とされる程度と,制限される自由の内容及び性質,これに加えられる具体的な制限の態様及び程度等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁等参照)。
[17] 本件各規定は,拡散防止措置等を通じて,表現の自由を一定の範囲で制約するものといえるところ,その目的は,その文理等に照らし,条例ヘイトスピーチの抑止を図ることにあると解される。そして,条例ヘイトスピーチに該当する表現活動のうち,特定の個人を対象とする表現活動のように民事上又は刑事上の責任が発生し得るものについて,これを抑止する必要性が高いことはもとより,民族全体等の不特定かつ多数の人々を対象とする表現活動のように,直ちに上記責任が発生するとはいえないものについても,前記1(2)で説示したところに照らせば,人種又は民族に係る特定の属性を理由として特定人等を社会から排除すること等の不当な目的をもって公然と行われるものであって,その内容又は態様において,殊更に当該人種若しくは民族に属する者に対する差別の意識,憎悪等を誘発し若しくは助長するようなものであるか,又はその者の生命,身体等に危害を加えるといった犯罪行為を扇動するようなものであるといえるから,これを抑止する必要性が高いことに変わりはないというべきである。加えて,市内においては,実際に上記のような過激で悪質性の高い差別的言動を伴う街宣活動等が頻繁に行われていたことがうかがわれること等をも勘案すると,本件各規定の目的は合理的であり正当なものということができる。
[18] また,本件各規定により制限される表現活動の内容及び性質は,上記のような過激で悪質性の高い差別的言動を伴うものに限られる上,その制限の態様及び程度においても,事後的に市長による拡散防止措置等の対象となるにとどまる。そして、拡散防止措置については,市長は,看板,掲示物等の撤去要請や,インターネット上の表現についての削除要請等を行うことができると解されるものの,当該要請等に応じないものに対する制裁はなく,認識等公表についても,表現活動をしたものの氏名又は名称を特定するための法的強制力を伴う手段は存在しない。
[19] そうすると,本件各規定による表現の自由の制限は,合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものというべきである。そして,以上説示したところによれば,本件各規定のうち,条例ヘイトスピーチの定義を規定した本件条例2条1項及び市長が拡散防止措置等をとるための要件を規定した本件条例5条1項は,通常の判断能力を有する一般人の理解において,具体的場合に当該表現活動がその適用を受けるものかどうかの判断を可能とするような基準が読み取れるものであって,不明確なものということはできないし,過度に広汎な規制であるということもできない。

[20] したがって,本件各規定は憲法21条1項に違反するものということはできない。以上は,当裁判所大法廷判決(前掲最高裁昭和58年6月22日大法廷判決最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁,最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。論旨は採用することができない。
[21] 論旨は,違憲をいうが,その実質は単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。

[22] よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 戸倉三郎  裁判官 宇賀克也  裁判官 林道晴  裁判官 長嶺安政  裁判官 渡邉惠理子)

■第一審判決 ■控訴審判決 ■上告審判決   ■判決一覧