塩見訴訟
上告審判決

行政処分取消請求上告事件
最高裁判所 昭和60年(行ツ)第92号
平成元年3月2日 第一小法廷 判決

上告人 (控訴人  原告) 塩見日出
被上告人(被控訴人 被告) 大阪府知事

■ 主 文
■ 理 由

■ 上告代理人松本晶行、同阪本政敬、同千本忠一、同川崎裕子、同吉川実、同桂充弘、同竹下義樹の上告理由


 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

[1] 原審の適法に確定したところによれば、本件の事実関係は次のとおりである。
[2] 上告人は、昭和9年6月25日大阪市で出生し、幼少のころ罹患したはしかによつて失明し、昭和34年11月1日において昭和56年法律第86号による改正前の国民年金法(以下「法」という。)別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあつた。上告人は、昭和34年11月1日においては大韓民国籍であつたところ、昭和45年12月16日帰化によつて日本国籍を取得した。上告人は、法81条1項の障害福祉年金の受給権者であるとして、被上告人に対し右受給権の裁定を請求したところ、被上告人は、昭和47年8月21日同請求を棄却する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。本件処分の理由は、上告人は昭和34年11月1日において日本国民でなかつたから法81条1項の障害福祉年金の受給権を有しないものというものであつた。

[3] 法81条1項は、昭和14年11月1日以前に生まれた者が、昭和34年11月1日以前になおつた傷病により、昭和34年11月1日において法別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあるときは、法56条1項本文の規定にかかわらず、その者に同条の障害福祉年金を支給する旨規定しているが、法56条一項ただし書は廃疾認定日において日本国民でない者に対しては同条の障害福祉年金を支給しない旨規定しており、法81条1項の障害福祉年金の支給に関しても当然に法56条1項ただし書の規定の適用があるから、法81条1項の障害福祉年金は、廃疾の認定日である昭和34年11月1日において日本国民でない者に対しては支給されないものと解すべきである。

[4] そこで、まず、法81条1項が受ける法56条1項ただし書の規定(以下「国籍条項」という。)及び昭和34年11月1日より後に帰化によつて日本国籍を取得した者に対し法81条1項の障害福祉年金の支給をしないことが、憲法25条の規定に違反するかどうかについて判断する。
[5] 憲法25条は、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきこと(1項)並びに社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきこと(2項)を国の責務として宣言したものであるが、同条1項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、同条2項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべきこと、そして、同条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であつて、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、同条の規定の趣旨を現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、また、多方面にわたる複雑多様な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするから、同条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するに適しない事柄であるというべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和23年(れ)第205号同年9月29日判決・刑集2巻10号1235頁,昭和51年(行ツ)第30号同57年7月7日判決・民集36巻7号1235頁)の判示するところである。
[6] そこで、本件で問題とされている国籍条項が憲法25条の規定に違反するかどうかについて考えるに、国民年金制度は、憲法25条2項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によつて防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものであるが、制度発足当時において既に老齢又は一定程度の障害の状態にある者、あるいは保険料を必要期間納付することができない見込みの者等、保険原則によるときは給付を受けられない者についても同制度の保障する利益を享受させることとし、経過的又は補完的な制度として、無拠出制の福祉年金を設けている。法81条1項の障害福祉年金も、制度発足時の経過的な救済措置の一環として設けられた全額国庫負担の無拠出制の年金であつて、立法府は、その支給対象者の決定について、もともと広範な裁量権を有しているものというべきである。加うるに、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うに当たり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも、許されるべきことと解される。したがつて、法81条1項の障害福祉年金の支給対象者から在留外国人を除外することは、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。
[7] また、経過的な性格を有する右障害福祉年金の給付に関し、廃疾の認定日である制度発足時の昭和34年11月1日において日本国民であることを要するものと定めることは、合理性を欠くものとはいえない。昭和34年11月1日より後に帰化により日本国籍を取得した者に対し法81条1項の障害福祉年金を支給するための措置として、右の者が昭和34年11月1日に遡り日本国民であつたものとして扱うとか、あるいは国籍条項を削除した昭和56年法律第86号による国民年金法の改正の効果を遡及させるというような特別の救済措置を講ずるかどうかは、もとより立法府の裁量事項に属することである。
[8] そうすると、国籍条項及び昭和34年11月1日より後に帰化によつて日本国籍を取得した者に対し法81条1項の障害福祉年金の支給をしないことは、憲法25条の規定に違反するものではないというべく、以上は当裁判所大法廷判決(昭和51年(行ツ)第30号同57年7月7日判決・民集36巻7号1235頁、昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日判決・民集32巻7号1223頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。

[9] 次に、国籍条項及び昭和34年11月1日より後に帰化によつて日本国籍を取得した者に対し法81条1項の障害福祉年金の支給をしないことが、憲法14条1項の規定に違反するかどうかについて考えるに、憲法14条1項は法の下の平等の原則を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであつて、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないのである(最高裁昭和37年(あ)第927号同39年11月18日大法廷判決・刑集18巻9号579頁、同昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁参照)。ところで、法81条1項の障害福祉年金の給付に関しては、廃疾の認定日に日本国籍がある者とそうでない者との間に区別が設けられているが、前示のとおり、右障害福祉年金の給付に関し、自国民を在留外国人に優先させることとして在留外国人を支給対象者から除くこと、また廃疾の認定日である制度発足時の昭和34年11月1日において日本国民であることを受給資格要件とすることは立法府の裁量の範囲に属する事柄というべきであるから、右取扱いの区別については、その合理性を否定することができず、これを憲法14条1項に違反するものということはできない。

[10] さらに、国籍条項が憲法98条2項に違反するかどうかについて判断する。
[11] 所論の社会保障の最低基準に関する条約(昭和51年条約第4号。いわゆるILO第102号条約)68条1の本文は「外国人居住者は、自国民居住者と同一の権利を有する。」と規定しているが、そのただし書は「専ら又は主として公の資金を財源とする給付又は給付の部分及び過渡的な制度については、外国人及び自国の領域外で生まれた自国民に関する特別な規則を国内の法令で定めることができる。」と規定しており、全額国庫負担の法81条1項の障害福祉年金に係る国籍条項が同条約に違反しないことは明らかである。また、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(昭和54年条約第6号)9条は「この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める。」と規定しているが、これは締約国において、社会保障についての権利が国の社会政策により保護されるに値するものであることを確認し、右権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を負うことを宣明したものであつて、個人に対し即時に具体的権利を付与すべきことを定めたものではない。このことは、同規約2条1が締約国において「立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成する」ことを求めていることからも明らかである。したがつて、同規約は国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものとはいえない。さらに、社会保障における内国民及び非内国民の均等待遇に関する条約(いわゆるILO第118号条約)は、わが国はいまだ批准しておらず、国際連合第3回総会の世界人権宣言、同第26回総会の精神薄弱者の権利宣言、同第30回総会の障害者の権利宣言及び国際連合経済社会理事会の1975年5月6日の障害防止及び障害者のリハビリテーシヨンに関する決議は、国際連合ないしその機関の考え方を表明したものであつて、加盟国に対して法的拘束力を有するものではない。以上のように、所論の条約、宣言等は、わが国に対して法的拘束力を有しないか、法的拘束力を有していても国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものではないから、国籍条項がこれらに抵触することを前提とする憲法98条2項違反の主張は、その前提を欠くというべきである。

[12] 以上と同旨の見解に立つて本件処分を適法とした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。

[13] よつて、行政事件訴訟法7条、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤哲郎 角田禮次郎 大内恒夫 四ツ谷巌 大堀誠一)
[1] 原判決は、社会保障・社会福祉の制度(具体的問題としては国民年金障害福祉年金の制度)がその適用を日本国民に限定し、我が国に定住する外国人を排除しているとしても、それは憲法に違背するものではないという。そして、この理は在日朝鮮人のように特別な歴史的、社会的事情にもとづいて我が国に定住している場合においても異ならないという。
[2] しかし、これは歴史の流れと国際法規に反し、憲法98条2項、25条、14条等の解釈を誤り、右各条に違背するものであつて、不当である。
[3] 日本国憲法前文は「われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と宣言している。これは、すべての人に対し、国籍を問わず、社会保障の権利が保障されるべきことを宣言したというべきである。
[4] 在日外国人、とりわけわが国と歴史的・社会的に特別の関係にある定住外国人である在日朝鮮人を、社会保障から排除するような偏狭で不寛容な立法ないし取扱いは「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」との憲法前文の決意にもとるというべきである。

[5] 社会保障権を人権として最初に宣言した1948年12月10日第3回国連総会における世界人権宣言は、その第22条で、「すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し」として、社会保障の権利は「社会の一員」であるという一事によつて、国籍に関係なく保障されるべきものであることを明らかにしている。
[6] また、同宣言25条1項は、「すべての人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に充分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢、その他不可抗力による生活不能の場合保障を受ける権利を有する。」と述べている。「人間の尊厳」を現代社会において守るためには、言論や信仰の自由等の所謂自由権の保障とともに「欠乏からの解放」が不可欠であり、それは何人に対しても社会の一員ということだけで国籍に関係なく平等に保障されるべきものとの認識のもとに、国家に対する給付請求権としての生存権を論理的必然的なものとしているものである。右の条理は、ドイツ連邦共和国の基本法第1条1項の「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することは全ての国家権力の義務である。」との規定においても明らかにされている。同条項の解釈は
「人間の尊厳は人間の一身と結合したものであることからして、1条1項1段に言う権利主体は、すべての人であり、外国人や無国籍人も含まれる」とされるとともに、
「基本法1条1項から直接に、物的財貨の最低限を保障すべき国の義務が生ずる。けだし、そうでなければ人間の尊厳に値する生活は可能でないからである。……1条1項によつて要請される基本的生活条件には人間に値する住居に対する権利も含まれる。」
とされているのである。
[7] 更に1966年12月の第21回国連総会において、国際人権規約が採択されている。1979年に至つてわが国も批准し、わが国においても効力が生じたが、右規約中の「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」A規約第9条は、「この規約の締結国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める。」と定めている。社会保障が人であることに基づいて保障されるものであること、言いかえれば国籍に関係なく権利として全ての者に保障されるものであること、を確認したのである。

[8] 1952年のILO第102号「社会保障の最低基準に関する条約」第12部68条は、「国民でない住民も国民たる住民も同一の権利を有するものとする。」と規定し、国籍による差別を禁じている。
[9] さらに、1962年のILO第118号「社会保障制度における外国人の均等待遇に関する条約」においては、いわゆる無拠出制年金を除外することなく、外国人にも同等の権利を認めている。
[10] なお、アメリカ合衆国最高裁判所は1971年にグラハム対リチヤードソン事件の判決で、
「アリゾナ州やペンシルバニア州法のように、定住外国人または合衆国内での居住期間が一定年数にみたない外国人に対して福祉給付を拒否する州法は、合衆国憲法修正第14条の法の下の平等保護条項に違反するものであつて違憲である」
と述べているが、これは本件においても充分参考に値するものである。

[11] もつとも、以上に述べた国際諸法規は、特に障害者を意識してのものではない。障害者が健常者に比べてはるかに不利益を受けやすい立場におかれていることは明らかであるが、この立場からはどう考えるべきであろうか。
[12] 1971年12月第26回国連総会は、「精神薄弱者の権利宣言」を採択し、次いで1975年5月、国連経済社会理事会が「障害の予防と障害者のリハビリテーシヨンに関する決議」を行ない、「障害及び障害者の問題の重要性が増大していることについて各国政府の注意を喚起する」とともに、各国政府や国連事務局長等への要請事項を明らかにし、さらに同年12月9日、第30回国連総会は「障害者の権利に関する宣言」を採択した。右宣言には「人間としての尊厳を尊重される権利」「他の人々と同一の市民としての権利及び政治的諸権利」、「経済的かつ社会保障をうけ、相応の生活水準を保つ権利」等々の諸権利を障害者の権利としてかかげるとともに、
「障害者はこの宣言で唱えられたすべての権利を享受するものとする。これらの権利は、いかなる例外もなしに、さらに人種、皮膚の色、性別、言語、宗教、政治的あるいはその他の意見、国籍あるいは社会的な身分、貧富、出生、または障害者自身やその家族が持つその他いかなる状況による区別もなしに、すべての障害者に与えられる」
と「いかなる例外もなしに」「すべての障害者に」保障されるべきことを宣言している。これはまさに本件について述べられたものというべきであろう。現に、たとえばイギリスでは、イギリス本国における居住者に対し、国籍を要件とすることなく、外国人の障害者に対しても無拠出障害年金が支給されているのである。
[13] わが国においても、1970年5月に公布・施行された心身障害者対策基本法は第1条において、「心身障害者対策に関する国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、心身障害の予防に関する施策及び医療、訓練、保護、教育、雇用の促進、年金の支給等の心身障害者の福祉に関する施策の基本となる事項を定め、もつて心身障害者対策の総合的推進を図ることを目的とする。」とうたい、第3条において、「すべての心身障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」としているが、これは国籍に関係なく「すべて心身障害者は」という趣旨であること明らかである。なお、この法律は、「心身障害者の福祉に関する施策の基本事項」を定めるものであり、その施策のひとつに年金もあげている。

[14] 次に、わが国は難民の地位に関する条約と難民の地位に関する議定書に加入し、1982年1月1日から国内法としての効力を生ずるにいたつている。
[15] わが国が右難民の地位に関する条約等に加入した趣旨は政府の提案説明に明らかであり、右説明を要約すると、
「第二次世界大戦前後に主として欧州において発生した難民の保護のため難民の地位に関する条約が昭和26年7月28日に作成され、昭和29年4月に効力を生じ、81ケ国が締約国となつているが、通用される難民の条件として、1951年1月1日以前に生じた事件による、との時間的制限がある結果、それ以後に生じた難民は救済されないという不都合があつたので、この時間的制限を取り除くことを目的とした難民の地位に関する議定書が昭和42年1月31日作成され、同年10月から効力を生じ、現在79ケ国が締結国となつているものであるところ、難民の地位に関する条約等は、難民として認められる者に対して国内制度上の保護を与えること、つまり自由権、社会権等について、それぞれの条項により最恵国待遇、自国民待遇などを与えること等を規定しており、これらに加入することは、近年アジアにおける難民問題に関するわが国の国際協力を拡充する観点から望ましい」
というものである。
[16] 右条約は、第23条で公的扶助について、同24条で労働法制及び「社会保障」について、それぞれ「自国民に与える待遇と同一の待遇を与える」としている。
[17] そして、この加入の意義について、政府当局者は
「人権規約、難民条約というものの締結によつて、内外人平等の精神に基づいた人権の保全ということに大きな進歩を果たしたと考えられます」
として、内外人平等の人権保障を強調しているのである。
[18] これらの経過を素直にみるならば、世界の情勢に従い、わが国も、社会保障の権利につき、内外人を何ら差別しないという立場を採用したものとするのが自然であろう。

[19] 一国の国民の福祉を図ることは本来その国の政府の責務であり、その居住する外国の政府の責務でないとして、社会保障の適用につき外国人を排除する日本国政府の立場は、いわば属人主義というべきである。
[20] ところが、在外困窮邦人の保護に関する立法は極めて乏しく、ほとんどが無きに等しい実情からすれば、日本国政府としては、在外困窮邦人の保護についてはその在住国の政府がこれをなしてくれるものと期待している、ということになる。改正前の国民年金法が被保険者資格や福祉年金受給資格を「日本国内に住所を有する日本国民」としていたのも、そのような考えを前提にしているといわざるを得ないのであり、いわば属地主義に立つていることになる。
[21] これは、在日外国人の保護については属人主義、在外日本国民の保護については属地主義というような都合のいい立場を採つているということであつて、国際社会において恥ずべき行為であり、許されないことである。
[22] 社会保障が、人として生きることそれ自体、つまり人間の尊厳の保持それ自体にとつて必須緊要の意味をもつ制度である以上、属地主義が基本的に優れていると言わざるを得ないはずであり、日本国憲法前文が全世界の国民に対して平和的生存権を確認したのはまさにこの意味なのである。そしてこのことは、世界人権宣言、国際人権規約、ILO諸条約等の国際諸法規が社会保障の内外人平等を強調していることからも明らかである。

[23] また原判決は、わが国に居住する外国人は、参政権を認められず、一方的に課税されているものであるから、社会保障にあたつては少なくとも同じ納税義務を負担する日本国民と同程度の権利が保障されるべきであるとの上告人の主張に対し、納税者のなす給付と社会保障上の給付とは直接対応関係に立つものではなく、租税を負担する外国人には社会保障上必ず自国民と同様の社会保障をなすべきものとする国際上もしくは国内法上の法原則ないし法慣習が存在するとは認めがたいとする。
[24] しかしこのような考え方は、日本国憲法の基本原則を、そして納税者の権利を、没却するものである。
[25] 日本国憲法は、第二次世界大戦の過ちの反省の上にたつて、国際協調主義、基本的人権尊重主義、民主主義等の理念を基本にして、日本国の再建と戦争の放棄を図ろうとして制定されたものであつて、租税の使途についても右目的による制約が存し、あるいは内外人の平等を可能な限り保障しようとしているものであること疑いの余地のない歴史的事実であり、憲法的事実である。
[26] それにもかかわらず、原判決は、納税者のなす給付と社会保障上の給付とは直接対応関係にたつものではないとして、納税者が納付した租税の使途については直接的には何らの発言権もないかの如くいう。
[27] しかしながら、日本国憲法の下において具体的な租税の使途のありかたは、憲法の基本的理念の下に論ぜられなければならないのであり、いいかえれば人々の平和的生存権の確保を含む様々な憲法の基本的人権の保障条項の法的拘束力の下で論ぜられなければならないものである。
[28] 日本国憲法の下では、すべての租税は、一口にいえば憲法の意図する福祉目的とこれを実現するための諸施策を中核として徴収されかつ支出されなければならない。
[29] その意味では、すべての租税は福祉目的実現のための義務的負担というべきであつて、納税者のなす給付と社会保障上の給付とが直接対応関係にたつものではないとする認識は日本国憲法の基本的理念を見失うものである。
[30] 租税の徴収面と支出面は、必然的に右の対応関係におかれているものであつて、これに反する行為は、単に国民の参政権の行使によつて正されるに止まらず、憲法上の納税者の基本的権利を侵害するものとして司法権の行使によつても正されるべき関係にあるといわなければならないのである。
[31] また、原判決は、現行租税法制下において内外人に平等に納税の義務が課されている実態を認めながら、この給付と社会保障上の給付とは直接的対応関係にない、租税を負担する外国人には社会保障上必ず自国民と同様の社会保障をなすべきものと認むものではない、として支出面での内外人の平等を否定する。
[32] しかし、すでに述べたとおり、租税の負担は、日本国憲法の下では福祉目的とこれを実現する諸施策の為にあること否定できないところであり、逆にいえば租税を負担するものはおよそ内外人を問わず等しく社会保障をうける権利を有するというのが日本国憲法の基本的原則なのである。
[33] 参政権の保障は租税の使途の監視・監督のためにも極めて大きな憲法的意義を有するのであるが、ことの性質上外国人に対しては現在参政の機会が保障されていない。してみれば、人々が福祉目的実現等の為に租税を負担している事実を否定できない以上、社会保障の上においてはいつそう厚く、内外人の平等が実現されなければならないこと明らかである、これはまさしく憲法の要請であり、国際協調主義の宣明もまさにその点においてこそ実質的意義をもつのである。

[34] 原判決は、現今の国際社会において、社会保障については国籍による差別的取扱いの撤廃を目指す傾向にあつたことを認めながら、各諸法規が自国民と他国民とを区別することを全く禁止しているものではないとして、わが国における内外国人の差別的取扱いを許容する。
[35] しかし、以上述べてきたいずれの観点からも内外人は平等でなければならず、外国人とりわけ定住外国人に対し、社会保障上の権利を一刀両断のもとに切捨てるが如きは、今日の国際社会の中では、到底許容されないこと明白である。
[36] 原判決の判断は、前述の国際諸法規に反し、憲法第98条2項に違反し、憲法14条、25条に反するものというゆえんである。
[37] 本件は定住外国人の権利の問題でもあるが、直接的には日本国民の権利の問題である。本件の国民年金障害福祉金裁定請求をしたとき上告人は日本国民であつて、日本国民として右年金の支給を求めたものであり、現時点においても日本国民である。従つて、上告人に対して右年金の受給権を否定することは、上告人につき、過去のある時点において外国籍にあつたという社会的身分により、社会保障関係における施策の上で差別的取扱いをするものというほかはないのである。
[38] 問題は、この差別的取扱いが憲法の例外的に許容する場合に該当するかどうか、ということである。
[39] 原判決は、もつぱら事務的な理由による合理性を強調し、憲法に違背するところはないというのであるが、はたしてそうであろうか。

[40] 憲法14条の判断基準については,さまざまな立場と考え方があるが、生存権の領域において、平等原則との適合性を裁判所が審査する場合につき、大須賀明教授が詳細に整理されているところを例にしてみよう。同教授によると、本件のように「福祉立法の定める福祉年金」については「違憲審査は厳格であることが要求される」としたうえ、その具体的な基準として、(a)その差別取扱いによつて「最低限度の生活」の侵害されないことが、差別された個人の生活実態に即して厳格に証明されなければならないこと。(b)差別的取扱いによつてもたらされる国の利益が、客観的にかつ具体的に確定できるものであること。(c)かかる国の利益が差別的取扱いによつてもたらされることについて、それにふさわしい合理的利益のあることが厳格に証明されなければならないこと、の3つの要件をみたしてはじめて合憲といえるとされる(大須賀明「生存権」日本評論社刊、第1部第2章)

[41] 右基準を参考に本件を検討すると、まず本件の差別的取扱いにつき、それが「最低限度の生活」の侵害にむすびつかないという証明は全くないこと明らかである。
[42] この点は、一、二審を通じて述べて来たところであるが、なお社会保障制度審議会答申に関連して次のとおり述べておく。
[43] 国民年金法は昭和33年の社会保障制度審議会答申(以下答申という)に基づき法制化されたものであるが、その基礎となつた答申においては、国民年金制度の対象者を「全国民」としている。
[44] 答申は、「国民皆保険」の実現とともに「国民皆年金」の必然性を主張しているのである。
[45] また、老齢・廃疾・母子といつた一定事由の存する国民に対しては福祉年金(援護年金)の実施が緊急課題であると指摘している。従つて、答申は福祉年金について「国籍」や「基準時(要件認定日)」によつて差別を設けることは予想していないのである。老齢・廃疾等の要件が加わるものの福祉年金の対象者はあくまでも「全国民」なのである。
[46] また、答申は、福祉年金の制度の趣旨として、制度発足と同時に年金給付の必要な国民が存在することを指摘し、我国において生活保護以外には年金しかその保障方法はなく、年金が生活設計の基本であるとまで言つている。
[47] 保険料納付期間等の要件から拠出年金の受給対象者にならない者についても、無年金状態をなくすためには無拠出年金の制度は不可欠であり、「国民皆保険」と共に「皆年金」の実現は「社会保障」保障(生存権保障)が救貧から防貧へと目指す以上、その理論的帰結であるとも言うのである。
[48] そして答申は老齢、廃疾、母子世帯について社会保障実現の方法として福祉年金制度の発足を強く主張している。低額であつても「全国民」を対象とする年金制度の発足は、我国社会保障制度の基礎となるものであるとも指摘している。
[49] 一般財源、即ち国民より徴収した税金を財源として老齢・廃疾・母子世帯に対する生存権保障を実現すべきであるとしている。その結果、本来のあり方からすれば、福祉年金の対象者で拠出制の年金給付要件を具備した国民に対しては併給も考えられるとまで言つているのである。ただ、財源的制約からその併給を制限せざるを得ないとしているだけである。従つて、かかる考え方からは、廃疾認定日における国籍要件によつて福祉年金の対象にならない国民が存在するなどということはとうてい許容できないのである。
[50] 以上、右答申すなわち国民年金法の立法精神からしても、本件福祉年金はまさに生存権保障の問題であり、本件の如き差別を許さないものであること明らかである。
[51] なお、原判決や第一審判決は、いとも安易に福祉年金が拠出制年金制度の「経過的措置」「補完的措置」であるというが、福祉年金は拠出制年金と支給額を異にするのみならず、拠出制年金にはないさまざまな支給判限(支給停止)の制度を設けているのである。
[52] 本人の所得による支給制限(本人に扶養家族がない場合でいうと、本件処分時の昭和47年度で年間所得金38万以下、原判決が言渡された昭和59年度でいうと年間所得金191万2000円以下ということが支給の条件である)はもちろん配偶者や扶養義務者の所得による支給制限がり、さらには「監獄・労役場」等に拘禁されているとき、少年院等に収容されているときにもその支給が停止されるのである。これらの制限の当否はともかく、拠出制年金としての障害年金とは自ら質の異なつたものであることを法自体が明らかにしているというべきである。

[53] 次に、昭和34年11月1日現在において外国籍にあつたことを理由とする国民に対する差別的取扱いは、いつたい国に対してどのような利益をもたらすのであろうか。
[54] 原判決は、この点については、事実上触れることがない。
[55] 原判決があげるのは、
「日本国籍を有するか否かの判断時点を廃疾認定日(法81条1項の障害福祉年金については法の執行日)に固定することも、事務の画一的処理のための技術的配慮によるものとして合理性を有する」
ということのみである。(原判決87丁うら)
[56] しかしそもそも事務処理上の理由にもとづいて、国民の基本的人権が侵害ないし制限されるなどということが、憲法上許されるのであろうか。国民の人権保障に優先するような事務処理上の利益ということが考えられるのであろうか。前述の社会保障制度審議会答申も事務処理上の理由から年金対象者を限定したり、要件を加重したりするようなことは全く考えていないのである。けだし、生存権保障という理念にもとづく「国民皆年金」の実現という目的からの当然の帰結だからである。
[57] 仮に、事務処理上の問題を考慮するこがあるとしても、その場合は必要最小限の範囲内にとどまるべきこと当然であり、かつその事務の具体的内容を明らかにし、それが国に対してどんな利益をもたらすのか、それは国民の権利を制限してもなおかつ必要なほど大きな利益なのか、という点での検討が加えられなければならないこと明らかである。

[58] ところが、そもそも原判決は「事務の画一的処理のための技術的配慮」とは具体的にどういう事実なのか一切明らかにしようとしない。「事務」とはそもそも何者のなす如何なる事務をいうのか、その「画一的処理」とはいつたいどういうことで、そのための「技術的配慮」とは如何なる内容の「配慮」をいうのか、その具体的事実は一切明らかにされないのである。もちろん「事務の画一的処理のための技術的配慮」をなすことによつて国がどんな利益を受けるのかについては一切明らかにすることができず、この点には触れようともしないのである。
[59] もつとも、原判決は「福祉年金の受給権の発生時点を老齢、廃疾、死亡といつた事故の発生時点に求めるのはいわば当然のこと」であり、福祉年金の受給権者を日本国籍を有する者に限ることが是認される以上は「その国籍を要する日を受給権の発生する廃疾認定日と定めることが不当となる理はない」とし、さらに法81条1項の障害福祉年金については、拠出制年金制度発足当時すでに一定の廃疾状態にあるため拠出要件を充足せず、その廃疾につき拠出制年金の保護が及ばない者に対して
「特に保護を及ぼす経過的措置たる制度である以上、その支給要件に該当する者について一律に廃疾認定日(即ち事故発生日)を法施行日当日である昭和34年11月1日として、その日に受給権が発生すると定めることには相当な理由があり」
その受給権者が「日本国民に限られる以上、日本国籍を有することを要する日を右受給権の発生する日である昭和34年11月1日と定めることには合理的な理由がある」
といい、これがつまり「事務」の内容であり、「差別的取扱」を合理的とする理由であるかの如くである。(89丁うら~90丁)
[60] しかし、このような抽象的な意味での「事務」を問題にするのは不当であり、かつ右に「合理的な理由」があるとするのはたかだか「そうするのが論理的であり、理論的に一貫している」という意味を言うにすぎないこと明らかである。このような理由によつて、国民に対する差別を維持しようとするのは許されないものである。しかもこの意味での「合理的理由」は、国の利益が国民に対する差別的取扱によつてもたらされることについての合理的利益とは全く無関係である。
[61] それとも、原判決は、年金の支給不支給についての実務現物における判定事務をもつて右にいう「事務」であるとするのだろうか。
[62] もしそうなら、「事務の画一的処理のための技術的配慮」の内容は、障害福祉年金裁定請求に対する判断権者である知事の判断事務を容易にするための配慮という意味でしかないことになる。
[63] しかし、そうであるとして、では、過去の日本国籍を要求することは、日本国籍を要求しないとすることよりも知事の判断を容易にすることになるのであろうか。
[64] 裁定請求を求める者は、係の窓口に行き、口頭(もしくは文書)で請求するとともに所定の医師の診断書等を提出することになる。
[65] この診断書には、現在の廃疾状態は勿論のこと、その原因、廃疾の生じた時期等についても記載されている。
[66] 従つて、窓口職員がチエツクする事項は、そして最終的に判定権者の認定が必要な事項は以下のとおりになる。
1 廃疾認定日(法施行日)にも日本国籍を要求する場合
  イ 現在日本国籍を有すること
  ロ 事故により法所定の廃疾状態になつたこと
  ハ 廃疾認定日(法施行日)に日本国籍を有したこと
2 廃疾認定日(法施行日)に日本国籍を要求しない場合
  イ 現在日本国籍を有すること
  ロ 事故により法所定の廃疾状態になつたこと
[67] 右に明らかなように廃疾認定日に日本国籍を要求しない場合の方がその実務上の手間は少ないのである。
[68] 以上、廃疾認定日に日本国籍を要求し、あるいは廃疾認定日を法施行日に固定し、そこに日本国籍を要求することに、何らの合理性がないこと明らかである。

[69] これは、刑事事件の判例であるが、最高裁はこれまでも「法規の制定またはその運用の面において」各人間に不均等が生じることは免れないところであり「その不均等が一般社会観念上合理的な根拠に基づき必要と認められる場合には、これをもつて憲法14条の法の下の平等に反するものとはいえない」としてきた。(最高裁昭和39年11月18日判決、刑集18巻9号579頁等)本件についていえば、過去に外国籍にあつたという社会的身分による差別につき、その差別が「一般社会観念上合理的な根拠に基づき、必要と認められる」か否かということが問題のポイントなのだということである。
[70] そして、判例の右基準は多少抽象的・包括的な表現であるが、結局前述の大須賀教授の3つの基準を一括した概念ということに帰するであろう。
[71] 同じ障害者である同じ国民がある。労働・稼得能力につき同じように制約を受け、同じようにさまざまな社会的差別や偏見にさらされ、同じように生活・文化的な面での障害・困難・不便を背負つている。そしてこれらの問題を経済的な面から補償し、補完することをめざして障害福祉年金の制度がある。しかし、この年金は同じようには支給されない。同じ障害者であり、同じ立場にある国民であつても、過去のある時点において外国籍にあれば、この年金は一切支給されない。この差別的取扱は「一般社会観念上合理的な根拠」に基づき「必要と認められる」ものかどうか。いうまでもなく答は否である。
[72] 原制決が「合理性を有する」というのは、要するに国民年金制度についての1つの体系を想定し、その体系の中ではそうするのが合理的というにすぎない。たとえば、現状を肯定した場合と現状を否定して上告人の受給権を認めた場合との2つの場合につき、それぞれ国と国民に対しどのような利益・不利益を及ぼすかを具体的に追及しその結果として現状肯定のほうがより合理的である(全体としての利益がより大きい)というような合目的的で順序だつた判断作業を行つているわけではない。
[73] このような安易かつ一方的、恣意的な判断によつて国民の権利を剥奪し、国民に対する差別を正当化しようとするのは、とうてい許されないのである。

[74] ただ、この点に関する原審の「判断」の背後には、憲法25条の解釈につき幅広い立法府の裁量を許容する思想と同様の思想があるように思われる。
[75] しかし、憲法14条の平等条項の解釈に際し、許される合理的な差別の基準となる「合理性の基準」をここまで抽象化し、緩和してしまうことは、断じて許されるものではないのである。平等条項の人権史における生成発展過程を振り返り、右条項の思想が民主主義社会の存続にとつて自由とともに緊要にして不可欠な要素の一つであることに思いをいたすならば、それは当然過ぎる程当然のことである。
[76] 上告人は、原審において憲法25条の生在権は、憲法の人権カタログのなかで人間存在の尊厳に直結するものとして表現の自由にも匹敵すべき優越的地位にあるとの認識の下に、P・ブレストンがアメリカの判例をもとにして整理した11項目の基準を引用し、その検討を求めた。また、憲法14条の平等条項についても、これの人権カタログに於ける優越的地位を考慮するなら、左記3つの要素に該当する場合、裁判所は、法律の設けた差別が合理的であるか否かを単純に判断するのではなく、法律の目的や手段が合理的であるか否かに立ち入つて審査する手法を用いなければならないとする「厳格な合理性の基準」に従うべきであることをも述べて来た。
(a) 差別を受けたと主張する者の境遇が社会において誰についても共通してみられることでないこと。つまり社会における少数者であること。
(b) 不利益な取扱いに対する救済を求めようとして政治過程に働きかけてもそれが反映される機会が少なく司法的救済に頼らざるを得ないこと。
(c) 救済を求める利益が当人の生活にとつて重大であること。
[77] 上告人らの右原審主張は、とくに憲法14条に関しては、現在の裁判所の憲法解釈の到達点においても何等違和感なく受け入れられる論理のはずである。
[78] しかも、右主張に副つた判決は、これも原審で明らかにした通り我が国が民主主義のモデルとするアメリカ及びドイツの裁判所においてなされているのである。我が国の憲法14条と同様の平等条項の規定の解釈として、一定の要件を満たした外国人に対して国民と同様に取り扱うべきであるとの判断を遥か以前に下しているのである。
[79] かような事実を前提とするならば、上告審において、日本国籍を有する上告人塩見日出への障害福祉年金の支給を妨げる前記廃失認定日に日本国籍を要求する国民年金法の条項の違法性を指摘するのに何の躊躇があろうか。

[80] 本件は、憲法25条の問題であると同時に憲法14条の適用が問題となる典型的な事例の一つである。「現在日本国籍を有する者で過去の一時点において日本国籍を有しなかつた者、つまり帰化国民」と「生来の日本国民」との差別が合理的であるか否かという問題であり、憲法14条の適用場面として通常想定される最もオーソドツクスな場合なのである。
[81] しかるに、原判決は、この点から意識的に目をそらし、ただ立法府と行政府の誤りを糊塗することにのみ急であつてとうてい容認できないものである。

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