教育施設負担金事件
第一審判決

教育施設負担金返還請求事件
東京地方裁判所八王子支部 昭和53年(ワ)第997号
昭和58年2月9日 民事第二部 判決

原告 高橋米久
右訴訟代理人弁護士  岸巌

被告 武蔵野市
右代表者市長     藤元政信
右訴訟代理人弁護士  中村護 関戸勉 町田正男 中島紀生 伊東正勝 波多野曜子
右訴訟復代理人弁護士 長沢由紀子

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


 原告の請求を棄却する。
 訴訟費用は原告の負担とする。

一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し金1523万2000円及びこれに対する昭和53年9月21日から完済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁
 主文同旨
[1] 原告は東京都武蔵野市境5丁目1258番の1の土地(宅地、公簿上地積3431平方メートル、実測地積4471.73平方メートル。以下、本件土地という。)を所有し、従前被告に対し公園用地として無償貸与中であったところ、昭和52年5月頃、被告から右土地の返還を受け、本件土地上に鉄筋コンクリート造3階建賃貸共同住宅2棟(以下本件建物という。)を新築することを計画し,その頃、被告に対し、本件土地の返還を求める交渉を始めた。

[2] 原告は、昭和52年7月頃、原告をはじめ妻喜久枝、二男良治、三男伸公(以下、原告ら4名という。)の4名名義(以下、原告ら名義という。)で本件建物の建築をするため、その設計を株式会社新建築設計事務所(以下、新建築事務所という。)に依頼し、且つ武蔵野市宅地開発等に関する指導要綱(以下、本件指導要綱という。)に基づく被告との事前協議及びその承認手続並びに建築主事に対する建築確認申請手続等本件建物の建築に必要な手続の一切を新建築事務所の代表者である一級建築士倉内成彬(以下、倉内という。)に委任したところ、倉内は被告に対し、本件指導要綱に基づき、昭和52年7月19日に事前協議の願書を、翌20日に事業計画審査願書等をそれぞれ提出し、同月26日から同年8月1日まで被告担当職員と事前協議を行った。

[3] 被告は昭和46年10月1日から本件指導要綱を施行し、宅地開発事業でその規模が1000平方メートル以上のもの、または中高層建築物の建設事業でその建築物が地上高10メートル以上のものの事業を実施する者(以下、事業主という。)に対し、(1)事業主は、あらかじめ市長に申し出て、公共公益施設の設計、費用負担及び日照障害、テレビ電波障害等について事前に協議し、審査を受けなければならず、(2)建設計画が15戸以上の場合、事業主は建設計画戸数(14戸を控除した戸数)1900戸につき小学校1校、建設計画戸数4200戸につき中学校1校を基本として、被告が定める基準より学校用地を被告に無償で提供し、又は用地取得費を負担するとともに、これらの施設の建設に要する費用を負担するものとし、右教育施設負担金として建設計画戸数15戸ないし113戸の場合には1戸当り54万4000円と定め、また指導要綱に従わない事業主に対して、被告は上下水道等必要な施設その他必要な協力を行わないことがある(以下、給水等の制限措置という。)と定めていたところ、倉内が被告担当職員と事前協議を行った際、倉内は、被告担当職員から、指導要綱に則り、本件建物の共同住宅戸数42戸のうち建設計画戸数(42戸から14戸を控除した戸数)28戸につき1戸当り54万4000円を乗じた合計金1523万2000円を教育施設負担金として寄付しなければ本件事業計画の承認はできない旨、並びに寄付をしないで本件建物を建築しても給水制限措置をとる旨申し渡された。

[4] 原告が被告から受けた強迫行為の内容は次のとおりである。
[5](一) 本件事業計画承認願を提出した昭和52年8月5日の直前頃、原告は倉内から教育施設負担金1523万2000円の寄付を強要されている旨説明されたが、右教育施設負担金を被告に寄付することには納得できず、倉内に対し、右教育施設負担金を免除してもらうよう指示し、また右免除が不可能な場合には減額してもらうように被告と交渉するよう依頼したが、その際原告は倉内から、右教育施設負担金を納付しなければ本件建物を建築しても上下水道の供給を受けられないであろう旨説明された。
[6](二) 倉内は新建築事務所社員鈴木和一(以下、鈴木という。)を被告担当者高橋茂(以下、高橋という。)のもとに差し向け、教育施設負担金の免除及び減額方を交渉させたところ、高橋から例外は認められないという理由で拒否され、また鈴木は分割納付及び延納方をも交渉したがこれも拒否された。その際高橋は鈴木に対し、教育施設負担金を寄付しないと上下水道を供給しない場合がある旨申し向けて強迫し、鈴木及び倉内は原告に対しその旨報告した。
[7](三) 原告は自ら教育施設負担金の免除及び減額方を交渉することとし、倉内を伴って、被告市役所に都市計画課長中島正(以下、中島という。)を訪ね、右免除及び減額方を懇請したが拒否され、分割納付及び延納方も同様に拒否され、その際中島は教育施設負担金を納付しなければ上下水道を供給しない旨申し向けて原告らを強迫した。

[8] 当時、被告市長をはじめ被告担当職員等は、新聞記者会見、市議会、市広報、事前協議等において、再三にわたり、指導要綱を遵守しない事業者に対しては上下水道を使用させることができない旨公言し、現に、昭和49年頃から被告市内に次々にマンションを建設していた山基建設株式会社(以下、山基建設という。)が指導要綱を遵守せずに給水等の制限措置をとられた事件があり、このことは連日にわたり新聞、テレビ、被告広報等によって報道されたので、原告を含む被告住民は、本件指導要綱に基づく教育施設負担金を寄付しない場合には給水等の制限措置をとられるであろうと畏怖していたのであって、このような状況下において、原告は右4のとおり、被告担当者から強迫されたため、教育施設負担金を納付しなければ、本件建物を建築しても山基建設と同様の結果となり、本件建物を建築する目的を達することができなくなると畏怖するに至った。

6 本件寄付行為
[9] かくして、原告は教育施設負担金の寄付を拒めば、被告から事業計画の承認を受けられず、本件建物の建築が不可能になるとか、建築しても給水等の制限措置をとられると畏怖し、その結果、やむなく教育施設負担金を寄付することとし、昭和52年8月5日、原告ら名義で被告に対し、本件建物の建築につき事業計画承認願を提出し、右願書に本件指導要綱3-5、4-4に基づく教育施設負担金1523万2000円を寄付する旨の寄付願(以下、本件寄付願という。)を添付し、右金額を被告に贈与する旨の意思表示(以下、本件寄付の意思表示という。)をなしたところ、右書類は即日受理され、同年9月19日、被告は原告ら4名に対し、右事業計画を承認する旨通知し、右寄付金を受けとることを承諾し、その後、被告から原告に対し、同年10月1日限り右寄付金を納入するよう催告してきたので、原告は同年11月2日に右寄付金1523万2000円を支払った。以上のような経過の中で、原告が教育施設負担金の寄付を承諾したため、同年10月中旬頃、被告は原告に対し本件土地を返還した。

[10] 被告は、原告が本件指導要綱の目的、即ち住民の生活環境の保全、教育設備の充実という趣旨を理解して任意に本件寄付の意思表示をした旨主張するが、本件指導要綱及びこれに基づく行政指導は後記のとおり地方自治法及び憲法29条3項、第84条に違反しているから無効であり、原告はかかる違法無効な本件指導要綱の趣旨を理解し、これに賛同して本件寄付の意思表示をしたものでは断じてない。
[11] 即ち、本件指導要綱は被告が武蔵野市において宅地開発を行う事業主に対し、必要な指導を行うため、あらかじめ準拠すべき原則を定めたものであり、その法的性格は訓令であるから、その法律上の拘束力は当該行政機関内部に及ぶにすぎず、直接住民及び事業主に及ぶものではない。
[12] ところが被告は本件指導要綱がそのようなものであることを承知しながら、該要綱に事業者を強制的に従わしめるため、非協力者に対し給水等の制限措置をとりうる旨の報復措置を規定し、該報復措置の発動を恐れる事業主に教育施設負担金の寄付という名目で事実上の租税負担をさせ、その私有財産を侵害していたのであり、本件指導要綱制定の目的はともかく、該要綱に基づく行政指導は明らかに地方自治法及び憲法に違反し無効である。
[13] そしてこのことは本件指導要綱不遵守を理由に「ヤマキマンション」に対する給水等の制限措置をとった被告市長が昭和53年12月5日水道法違反の罪で東京地方裁判所八王子支部に起訴され、被告が本件指導要綱中教育負担金の寄附条項を削除した同要綱改正案を昭和53年10月12日から実施していることからも明らかである。

[14] 原告は任意な自由意思に基づいて本件教育施設負担金を寄付したものではなく、被告の前記強迫行為により畏怖したため、本件寄付の意思表示をなしたのであるから、原告は被告に対し、本件訴状をもってこれを取消す旨の意思表示をした。

[15] よって、原告は被告に対し、本件教育施設負担金1523万2000円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和53年9月21日から完済に至るまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
[16] 請求原因1の事実は認める。

[17] 同2の事実は認める。

[18] 同3の事実中、被告担当職員が倉内に対して、教育施設負担金1523万2000円を寄付しなければ本件事業計画の承認はできない旨並びに寄付をしないで本件建物を建築しても給水等の制限措置をとる旨申し渡したとの点は否認するが、その余の事実は認める。

[19] 同4の事実は否認する。

[20] 同5の事実中、被告が山基建設に対し、指導要綱の不遵守を理由に給水等の制限措置をとったことは認めるがその余の事実は否認する。
[21] 被告が山基建設に対し右措置に及んだのは、教育施設負担金を寄付しなかったことのほか、日照につき住民の同意が得られず住民との間に激しい紛争があったこと等によるものである。

[22] 同6の事実中、原告が、教育施設負担金の寄付を拒めば事業計画の承認を受けられず、本件建物の建築が不可能になるとか、建築しても給水等の制限措置をとられると畏怖し、その結果やむなく教育施設負担金を寄付することとしたとの事実は不知、その余の事実は認める。但し、右寄付が本件土地返還の条件となっていたわけではない。

[23] 同7の事実中「ヤマキマンション」に対する給水等の制限措置をとった被告市長が昭和53年12月5日水道法違反の罪で東京地方裁判所八王子支部に起訴され、被告が本件指導要綱中教育施設負担金の寄附条件項の削除を含む同要綱改正案を昭和53年10月12日から実施していることは認めるも、本件指導要綱が違法である旨の主張は争う。
[24] 本件指導要綱は、業者の無秩序なマンション建築等による日照阻害等住民の生活環境上の利益の侵害、住民、業者間の紛争、学校等公共用地の不足等続発する問題について国家法が不備であるため、地方自治体としてこれらを解決する緊急の必要性から武蔵野市議会全員協議会の了承を得て被告が制定したものであり、本件指導要綱とこれに基づくいわゆる要綱行政は合理性を有し、今日まで乱開発防止、住環境保護等多大の実績をあげており、ほとんどの業者はこれを遵守してきたし、この要綱行政は他の自治体にも波及し、全国で885の自治体がこれを採用するに至ったばかりか、これは建築基準法の改正、日影に関する東京都の条例制定の契機となったもので、本件当時すでに法規範性を有するに至っていたというべきである。また、マンション建築により就学児童が急速に増加し、校舎及び学校用地の不足、そのための予算不足等深刻な事態が惹起されたが、被告にはこうした事態に対応しうる予算的余裕はなく、国の補助金も少なく、財政逼迫の状態に陥っていたので、これに対処するため、被告は事業主に対し、本件指導要綱3-5により用地の提供又は用地取得費、施設建設資金等の負担を求めたのであって、これは合理的な措置である。そして、本件指導要綱5-2のいわゆる不協力措置(給水等の制限措置)は、要綱行政の実効を担保する目的を有しているが、これは一定の行政サービス提供の一時留保であり、事業主の建築等の自由と要綱行政における住環境保護等の公共目的との調和及び要綱を遵守する事業主に対する公平の見地からの配慮等の観点から、住民の生活環境上の利益侵害が著しい場合、住民、業者間の紛争が激しい場合等本件指導要綱運用上行政サービスを留保すべき相当な理由があると認められる場合に裁量的に発動されるものであって、事業主が教育施設負担金の寄付を拒む場合に直ちに右不協力措置が発動されるとは限らないのである。ちなみに、本件指導要綱施行以来、右措置を発動した例は山基建設に対してのみであり、その他の事業者は本件指導要綱の合理性を理解してこれに従ってきたのでこの措置をとることはなかった。
[25] なお、被告が昭和53年9月25日本件指導要綱の一部改定を行ったのは建築基準法の改正、日影に関する東京都の条例制定により本件指導要綱の一部手直しが必要となったためであり、教育施設負担金の寄付条項は削除したが、これに代えて事業者に公共用地の提供を求める規程をおいた(改正要綱3-5)。

[26] 同8の事実は否認する。
[27] 原告は本件教育施設負担金につき異議を述べたことはなく、本件指導要綱の前記合理性を理解して任意に本件寄付の意思表示をなしたものである。

[1] 請求原因1及び2の事実、被告が昭和46年10月1日から本件指導要綱を施行し、事業主に対し、(1)事業主は、あらかじめ市長に申し出て、公共公益施設の設計、費用負担及び日照障害、テレビ電波障害等について事前に協議し、審査を受けなければならず、(2)建設計画が15戸以上の場合、事業主は建設計画戸数1900戸につき小学校1校、建設計画戸数4200戸につき中学校1校を基本として、被告が定める基準により学校用地を被告に無償で提供し、または用地取得費を負担するとともに、これらの施設の建設に要する費用を負担するものとし、右教育施設負担金として建設計画戸数15戸ないし113戸の場合には1戸当り54万4000円と定め(以下、教育施設負担金条項という。)、また指導要綱に従わない事業主に対して給水等制限措置をとることがある旨定めていたこと、昭和52年8月5日、原告が、原告ら名義で被告に対し、本件建物の建築につき事業計画承認願を提出し、右願書に本件寄付願を添付し、本件寄付の意思表示をなしたところ、右書類は即日受理され、同年9月19日、被告は原告ら4名に対し、右事業計画を承認する旨通知し、右寄付金を受けることを承諾し、原告らは同年11月2日被告に対し右寄付金1523万2000円を支払ったこと、同年10月中旬頃、被告は原告に対し、本件土地を返還したこと、被告が山基建設に対して、本件指導要綱の不遵守を理由に給水等の制限措置をとったこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

[2] そこで次に原告の本件寄付の意思表示が強迫による意思表示であるかどうかにつき検討する。

[3] 原告は、昭和52年8月5日直前頃、被告担当高橋が原告の依頼を受け教育施設負担金の減免、延納等方を申入れた新建築事務所社員鈴木に対し、右負担金を寄付しないときは上下水道を供給しない場合がある旨申し向けて、右負担金の寄付を強要し、更にその後原告自ら被告都市計画課長中島に対し右負担金の減免、延納等を懇請したところ、中島は該懇請を拒否し、教育施設負担金を納付しなければ上下水道を供給しない旨申し向けて原告を強迫した旨主張し、証人倉内成彬、同鈴木和一はその証人尋問において、原告はその本人尋問において右主張にそう供述をしているが、右のうち高橋及び中島が右のような言辞で鈴木及び原告を強迫したとの点は,証人高橋茂、同中島正の各証言並びに後記認定に照して採用できず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。
[4] かえって、《証拠略》を綜合すると次の事実が認められる。
[5](一) 原告は本件建物の建築計画に関し、本件指導要綱に基づく事前打合せをした倉内から、右指導要綱により教育負担金1522万2000円を寄付しなければならない旨告げられたが、既に右指導要綱に基づき本件土地のうち約444平方メートルを公園用地として無償で貸与し、内約39平方メートルを道路用地として被告に贈与し、公園の遊具施設を寄付し、防火水槽の設置費も負担することになっていたので、その上更に高額の教育施設負担金までも寄付しなければならないことに強い不満をもち倉内に対し被告に右負担金の免除、減額、分納、延納金を交渉するよう要求した。そこで倉内の命を受けた新建築設計事務所の鈴木が被告の宅地開発指導係の高橋に対し、教育施設負担金の減免、延納等を懇請したが、高橋は前例がないとして右申出をことわった。
[6](二) 原告は鈴木及び倉内から本件指導要綱に従って教育施設負担金の寄付を申入れ、所定の事業計画承認手続を経ないと、被告から上下水道の供給が受けられなくなり本件建物が建てられなくなるとの説明を受けたので、やむなく本件指導要綱に基づき1522万2000円を寄付する旨記載した昭和52年8月5日付寄付願書の作成名義人欄に原告らの印章を捺印し、倉内は該寄付願を添付した所定の事業計画承認願を右同日頃被告に提出し、同月25日右承認願は宅地開発等審査会において承認され、翌10月25日東京都多摩東部建築指導事務所建築主事は本件建物の建築確認をした。
[7](三) しかしながら原告はなおも高額の教育施設負担金の寄付が納得できなかったので翌26日頃倉内を伴って被告都市計画課長中島を訪ね、右負担金の減額、分納、延納を懇請したが、中島から前例がないとして丁重にことわられた。
[8](四) 原告は本件建物を昭和53年3月の転勤、就学、就職等の移動期までに新築し、これを共同住宅として賃貸しようと考えていたところ、そのためには昭和52年11月頃には着工する必要があるので、鈴木、倉内等の助言を受入れ、納付期限を約1ケ月過ぎた同月2日頃前記教育施設負担金1523万2000円(先に原告が寄付を申込んだ1522万2000円は計算間違いで本件指導要綱細則により計算すると1523万2000円となる。)を被告に納付し、本件建物は翌53年3月頃竣工した。
[9](五) 本件建物竣工後も原告は被告に対し本件教育施設負担金の寄付につき何等異議を申入れなかったが、昭和53年頃武蔵野市庁内プロジェクトチームで本件指導要綱の改正案が討議され、同年10月12日の一部改正により右要綱中教育施設負担金に関する条項が削除される旨公表されていたところ、これを知った原告は右改正後は事業主において右負担金を寄付する必要がなくなることに強い不公平感を持ち、右改正指導要綱の施行直前である同年9月13日本訴を提起するに至った。《証拠判断略》
[10] 強迫とは違法に害悪を示し、相手方を畏怖させて意思表示をさせるものであるが、本件については以上認定のとおりであって被告職員が原告及びその代理人倉内等を強迫し、本件寄付の意思表示をさせたと認めるに足りる証拠はないから、この点に関する原告の主張は失当である。

[11] もっとも強迫は相手方が畏怖していることを知りながらその畏怖に乗じて意思表示をさせた場合にも成立するところ、前記第一項の事実によれば、被告が宅地開発等の事業計画承認に関する行政指導の指針として制定した本件指導要綱には、該要綱に基づく行政指導に従わない事業者に対して給水等の制限措置をとることがある旨の制裁条項があり、《証拠略》を綜合すると、本件指導要綱に基づく行政指導に従わなかった山基建設が昭和49年吉祥寺東町1-3-4に6階建20戸のマンションを建築するにつき被告から上水道の供給並びに下水道の使用を拒否され、これをめぐる仮処分事件が同50、51年にかけて新聞等に報道されていたことが認められ、これを知っていた原告が本件指導要綱の右制裁措置に畏怖し、前記1項のとおり心ならずも本件寄付の意思表示をしたと考えられないこともないので、被告が原告の右畏怖状態を知りながら、これに乗じて本件寄付の意思表示をさせたかどうかにつき次に検討する。
[12] 前第一項の事実に《証拠略》を綜合すると次の事実が認められる。
[13](一) 武蔵野市は、国電(中央線)で都心まで30分から40分の距離にあり、水道は100パーセント、下水道も90パーセント以上完備し、緑も残存する快適な環境を保っていたため、昭和44年頃からマンション建設が相次ぎ、昭和46年頃には市内に49棟のマンションがあったが当時申請中のものが15棟あり、このうち45棟の建築面積は約4600平方メートル、1954戸で、この戸数は昭和34年頃武蔵野市内に建てられた桜堤団地の1829戸とほぼ同じであるが、右団地の総面積は約17万8000平方メートルであるからマンションは団地の約4倍の密度であり、このような過密マンションの建設ラッシュにより住民の側には、日照権の侵害、テレビ電波障害、プライバシーの侵害、工事中の騒音、工事用トラックによる交通問題が、行政上では、上水道、下水道、道路、街路灯、交通安全施設、遊園地、保育園、学校、清掃事業、消防水利施設などの不足の問題が起り、被告市の行財政を強く圧迫した。
[14](二) しかしながら建築確認の業務は東京都の所管であって、被告市は右のようなマンションの建築を日照等生活環境侵害を訴える市民の苦情により始めて知るという有様で、その乱立について打つ手がなく、武蔵野市の快的な生活環境が破壊されていくのを手をこまねいて見ていなければならない有様であった。
[15] そこで、昭和45年頃から被告は庁内にプロジェクトチームをつくりその対策について協議した結果、建築基準法が改正され、市民の生活環境が同法により守られるようになるまで、宅地開発等に関する指導要綱を制定して宅地開発業者を行政指導することを決定し、昭和46年9月30日の市議会全員協議会にはかった後同年10月1日本件指導要綱を制定した。
[16](三) 本件指導要綱の骨子は
「マンションなどを建てる場合、建築主は日照権その他について近くの住民の同意を得なければならない。業者は予め、市長に申し出て、公共公益施設の設計、費用負担及び日照権障害、テレビ電波障害等について事前に協議すること、また建物の規模が20戸以上(後に15戸以上に改訂)の場合には、建築主は教育施設費の負担(その負担額は宅地開発等に関する指導要綱細則《以下、本件細則という》により昭和52年頃には建築計画戸数15戸ないし113戸の場合には1戸当り54万4000円と定められていた)に応じる。開発面積3000平方メートル以上のときは緑地も設置する。本件指導要綱に違反したときは市は上、下水道その他必要な協力を行なわないこともありうる。」
というもので、特にマンション等高さ10メートルを越すものについては「事業主は建築物の設計に先立って、冬至の日、午前9時から午後3時の間の日照の影響を受ける付近住民の同意を得なければならない。」とし、また「上、下水道施設の提供、教育施設の建築費または用地取得費の負担、消防施設の無償提供、ごみ集積処理施設の設置、防犯灯の整備、駐車場用地の確保、道路整備、公共緑地の設置」などを定めていた。
[17](四) 被告は本件指導要綱の運営に当り武蔵野市宅地開発等審査会を設置し、指導要綱取扱要領を定めほぼ次のような方法で事業主に本件指導要綱を履践せしめていた。すなわち武蔵野市内で本件指導要綱で定めた宅地開発等の事業を行なおうとする者は建設計画の粗案を作成して予め右粗案に基づき被告建設部計画課宅地開発指導係と基本的な事項について事前協議し、被告備付の定型用紙である事業計画審査願(同願書には本件細則に基づき予め計算した教育施設負担金額を記入した事業計画書、日照障害、テレビ電波障害及び工事中の騒音振動に関する排除施設及び方法に関する確約書、事業計画の公示板現地設置写真を添付する)を指導係を経由して提出し、審査会は右審査願に基づき右事業計画が本件指導要綱に従っているかどうかを審査し、右審査の結果別途協議を要するとされた事項については、事業主において担当課と協議し、日照等に関し付近住民の同意が必要な場合にはその同意を取付け、別途協議事項についてはその履践の確約書、日照等に関する付近住民の同意書、教育施設費寄付願書並びに事業計画及び設計図を添付した事業計画承認願を被告市長に提出し、審査会は右承認願を審査し、要件が整っていればこれを承認し、要件が整っていなければこれを保留して、担当課において更に行政指導を行い、事業計画が承認された事業主に対しては市長がこれを通知し、「承認書」を交付する。事業主は右承認後20日以内に被告に右寄付願書に記載した教育施設負担金等を納付し、その後東京都多摩東部建築指導事務所建築主事に対し建築確認申請書と共に右事業計画承認書を提出し、建築確認を得た後工事に着手する。被告は本件指導要綱実施に当り、東京都の各関係機関に本件指導要綱の実施につき協力を依頼し、都市計画法29条、53条並びに建築基準法6条に基づく申請のあった場合、右申請書受理以前に本件指導要綱につき被告と協議するよう行政指導されたい旨依頼し、東京都の各関係機関はこれを入れそのような行政指導を行って来た。
[18](五) 本件指導要綱は宅地開発等の指導要綱として全国ではじめて制定されたものであり、前記のとおり日照権障害等について関係住民の同意を要する、とか、教育施設等の費用の負担について厳しい条項があり、かつ非協力者に対する上下水道その他についての制裁規定もあるので、これに賛同する多勢の市民グループがいる一方、地域エゴであるとして反感を示す不動産業者も少くなかったが、ほとんどの事業主は市民の快的な生活環境を守ろうとする被告の熱意、被告の行財政上の逼迫や本件指導要綱を支持する市民グループに抗しかねて不本意ながら本件指導要綱に基づく被告の行政指導に従い、該行政指導は年を追うごとに定着して行った。その結果、昭和46年10月1日から同54年7月31日までの期間における本件指導要綱に基づく事業計画審査申請件数は405件、そのうち承認されたものが332件、取下られたものが58件、保留されたものが15件にのぼり、付近住民の同意がとれず建築を中止したもの、付近住民との話合いにより建築の設計を変更したり規模を縮少したものも多くあり、本件指導要綱は武蔵野市における無秩序なマンションラッシュを抑制する機能を果す一方、昭和46年10月から同53年10月の本件指導要綱改正までに約5億円余の教育施設負担金が被告に寄付され、教育施設の充実の一助となった。
[19](六) 山基建設は吉祥寺南町2丁目3番2号に本店をおく不動産売買、宅地開発等を目的とする株式会社であるが、昭和48年8月頃吉祥寺東町1-41-2に鉄筋4階(一部5階)のマンション(以下第1ユニアスという)建設を計画し、被告に対し本件指導要綱に基づく事業計画審査願を提出したが、日照権侵害等を理由に付近住民の反対に合い、その同意が得られなかったので、本件指導要綱には法的強制力がないとして、右マンション建設につき被告の事業計画承認を得ないまゝ、同49年3月東京都多摩東部建築指導事務所建築主事から建築確認を得て同年4月に建築に着工し、同年5月28日被告から右マンション建設につき事後的に事業計画の承認を得、その後同年7月頃右建設に反対した付近住民3名と被告を相手方として、被告は法律に基づかない指導要綱により違法な行政指導をなし、住民の右マンション建築妨害行為を幇助したとして、当庁に対し、不法行為に基づく524万円の損害賠償請求訴訟を提起した。次いで山基建設は昭和49年6月第1ユニアスの近くの吉祥寺東町1-3-4に鉄筋6階建のマンション(以下第2ユニアスという)建設を計画し、被告に事業計画審査願を提出したが、日照権侵害、風害を理由に付近住民の反対にあい、6階を5階にする建築計画変更を行ったが、なお付近住民の同意が得られなかったので、被告の事業計画承認を得ないで同年12月7日前同様建築主事から建築確認を得て同50年5月頃建築に着工したため、被告は工事用水道メーターの取付を拒否した。そこで山基建設は同年11月5日当庁に被告を相手方として給水等を求める仮処分を申請し、同年12月8日上水道につき被告に給水を命じる仮処分がなされたが、被告は直ちに仮処分異議を申立て、同仮処分異議訴訟において同月20日、被告は山基建設に対し水道を供給し、下水道の使用を認め、山基建設は付近住民に対し350万円の解決金を、被告に対し本件指導要綱に基づく教育施設負担金相当額を任意の寄付金として支払う旨の裁判上の和解が成立した。次いで山基建設は昭和51年7月頃第2ユニアスの近くの吉祥寺南町1-30-1に鉄筋8階建のマンション(以下山基マンションという)建設を計画し、その頃から52年4月頃まで地元住民との話合いが行なわれたが、山基建設の建てたマンション等による日照被害の複合、前記一連の紛争の影響で、武蔵野市宅地開発等紛争調整委員による調整も不調に終り、同年2月山基建設は右マンション建設に着工した。(なお教育施設負担金については同年3月に寄付願を提出したものゝ、同年6月に右寄付願を取下げた)。そこで被告は山基建設の上下水道の供給要請を拒否し、同年12月に右マンションが完成し、入居者からも給水申込がなされたが、これも拒否したため、山基建設と入居者は昭和53年3月3日被告市長と被告職員2名を水道法違反等で告訴し、同年12月5日東京地方検察庁八王子支部は被告市長を水道法15条1項違反の罪名で起訴した。
[20](七) 山基建設に関する右一連の紛争は新聞等で報道され、又、衆議院予算委員会、参議院地方行政委員会等において宅地開発等に関する市町村の指導要綱行政の適法性、相当性等が質疑された。
[21] 他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。また、《証拠略》に前記認定事実を綜合すると山基建設を除いては殆んどの事業主が内心は不本意であったとしても、表面的には特段争わず右負担金を被告に寄付し、本件指導要綱が制定された昭和46年10月から原告が本件寄付の意思表示をした同52年8月前までにその額は3億4758万円にのぼっていたことが認められ、また《証拠略》並びに前記認定事実を綜合すると、原告は農業経営者でかつて武蔵野市農業委員も勤めたことがあり、現に武蔵境自動車教習所の副所長で本件土地3431平方メートルを昭和49年4月30日から同52年10月頃まで境山中公園として武蔵野市に無償で貸与していたこともあって、地方の名士として通っていたこと、原告は新建築設計事務所の鈴木を介して宅地開発指導係の高橋に対し教育施設負担金の減免、延納を懇請したが、該申出が拒絶されるや、代理人倉内を介して、右負担金額を記入した事業計画書を添付した事業計画審査願を武蔵野市宅地開発等審査会に提出し、その後右教育施設費寄付願書を添付した事業計画承認願を被告市長に提出し、該承認を得た後、同年11月2日右教育施設負担金1523万2000円を被告に納付したが、その間右負担金の減額、延納等を申出たものゝ、該負担金の違法性を主張し、その納付を拒んだことはなかったことが認められ、以上認定の諸般の事由を綜合すると、本件において教育施設負担金を負担することは建設工事の前提であり、負担を拒否すれば工事を断念する以外にないというのが種々交渉の末原告の到達した認識であり、そこに畏怖の入り込む余地はなく、被告において、原告が本件指導要綱に基づく給水等制限措置に畏怖しているのに乗じて本件教育施設負担金の寄付を強制したという認識をもっていたことは到底うかがえない。よって被告の強迫を理由とする原告の本件寄付の意思表示の取消はその要件を欠いているから失当である。
[22] 以上の次第で原告の本訴請求は爾余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民訴法第89条を適用して主文のとおり判決する。

  裁判長裁判官 麻上正信  裁判官 元吉麗子 原敏雄

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