衆議院小選挙区制合憲判決
上告審判決


選挙無効請求事件
最高裁判所大法廷平成11年(行ツ)第35号
平成11年11月10日判決

■ 主 文
■ 理 由
■ 判示三3についての裁判官河合伸一、同遠藤光男、同元原利文、同梶谷玄の反対意見
■ 判示三3についての裁判官福田博の反対意見
■ 判示三4についての裁判官河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文、同梶谷玄の反対意見

 

■ 主  文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
■ 理  由


上告人の上告理由について
[1]一 原審の適法に確定した事実関係等によれば、第八次選挙制度審議会は、平成2年4月、衆議院議員の選挙制度につき、従来のいわゆる中選挙区制にはいくつかの問題があったので、これを根本的に改めて、政策本位、政党本位の新たな選挙制度を採用する必要があるとして、いわゆる小選挙区比例代表並立制を導入することなどを内容とする答申をし、その後の追加答申等も踏まえて内閣が作成、提出した公職選挙法の改正案が国会において審議された結果、同6年1月に至り、公職選挙法の一部を改正する法律(平成6年法律第2号)が成立し、その後、右法律が同年法律第10号及び第104号によって改正され、これらにより衆議院議員の選挙制度が従来の中選挙区単記投票制から小選挙区比例代表並立制に改められたものである。右改正後の公職選挙法(以下「改正公選法」という。)は、衆議院議員の定数を500人とし、そのうち、300人を小選挙区選出議員、200人を比例代表選出議員とした(4条1項)上、各別にその選挙制度の仕組みを定め、総選挙については、投票は小選挙区選出議員及び比例代表選出議員ごとに1人1票とし、同時に選挙を行うものとしている(31条、36条)。このうち小選挙区選出議員の選挙(以下「小選挙区選挙」という。)については、全国に300の選挙区を設け、各選挙区において1人の議員を選出し(13条1項、別表第一)、投票用紙には候補者1人の氏名を記載させ(46条1項)、有効投票の最多数を得た者をもって当選人とするものとしている(95条1項)。また、比例代表選出議員の選挙(以下「比例代表選挙」という。)については、全国に11の選挙区を設け、各選挙区において所定数の議員を選出し(13条2項、別表第二)、投票用紙には一の衆議院名簿届出政党等の名称又は略称を記載させ(46条2項)、得票数に応じて各政党等の当選人の数を算出し、あらかじめ届け出た順位に従って右の数に相当する当該政党等の名簿登載者(小選挙区選挙において当選人となった者を除く。)を当選人とするものとしている(95条の2第1項ないし第5項)。これに伴い、各選挙への立候補の要件、手続、選挙運動の主体、手段等についても、改正が行われた。
[2] 本件は、改正公選法の衆議院議員選挙の仕組みに関する規定が憲法に違反し無効であるから、これに依拠してされた平成8年10月20日施行の衆議院議員総選挙(以下「本件選挙」という。)のうち東京都第5区における小選挙区選挙は無効であると主張して提起された選挙無効訴訟である。

[3]二 代表民主制の下における選挙制度は、選挙された代表者を通じて、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標とし、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、それぞれの国において、その国の実情に即して具体的に決定されるべきものであり、そこに論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけではない。我が憲法もまた、右の理由から、国会の両議院の議員の選挙について、およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(43条、47条)、両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の広い裁量にゆだねているのである。このように、国会は、その裁量により、衆議院議員及び参議院議員それぞれについて公正かつ効果的な代表を選出するという目標を実現するために適切な選挙制度の仕組みを決定することができるのであるから、国会が新たな選挙制度の仕組みを採用した場合には、その具体的に定めたところが、右の制約や法の下の平等などの憲法上の要請に反するため国会の右のような広い裁量権を考慮してもなおその限界を超えており、これを是認することができない場合に、初めてこれが憲法に違反することになるものと解すべきである(最高裁昭和49年(行ツ)第75号同51年4月14日大法廷判決・民集30巻3号223頁、最高裁昭和54年(行ツ)第65号同58年4月27日大法廷判決・民集37巻3号345頁、最高裁昭和56年(行ツ)第57号同58年11月7日大法廷判決・民集37巻9号1243頁、最高裁昭和59年(行ツ)第339号同60年7月17日大法廷判決・民集39巻5号1100頁、最高裁平成3年(行ツ)第111号同5年1月20日大法廷判決・民集47巻1号67頁、最高裁平成6年(行ツ)第59号同8年9月11日大法廷判決・民集50巻8号2283頁及び最高裁平成9年 (行ツ)第104号同10年9月2日大法廷判決・民集52巻6号1373頁参照)。

三 右の見地に立って、上告理由について判断する。
[4]1 前記のとおり、改正公選法13条1項は、衆議院小選挙区選出議員の各選挙区において選出すべき議員の数をすべて1人とし、いわゆる小選挙区制を採ることを明らかにしている。同項及びこれを受けて小選挙区の区割りを具体的に定めた同法別表第一の定め(以下「本件区割規定」という。)は、前記平成6年法律第2号と同時に成立した衆議院議員選挙区画定審議会設置法(以下「区画審設置法」という。)により設置された衆議院議員選挙区画定審議会の勧告に係る区割り案どおりに制定されたものである。そして、区画審設置法附則2条3項で準用される同法3条は、同審議会が区割り案を作成する基準につき、1項において「各選挙区の人口の均衡を図り、各選挙区の人口・・・のうち、その最も多いものを最も少ないもので除して得た数が2以上とならないようにすることを基本とし、行政区画、地勢、交通等の事情を総合的に考慮して合理的に行わなければならない。」とした上、2項において「各都道府県の区域内の衆議院小選挙区選出議員の選挙区の数は、一に、・・・衆議院小選挙区選出議員の定数に相当する数から都道府県の数を控除した数を人口に比例して各都道府県に配当した数を加えた数とする。」と規定しており、同審議会は右の基準に従って区割り案を作成したのである。したがって、改正公選法の小選挙区選出議員の選挙区の区割りは、右の二つの基準に従って策定されたということができる。前者の基準は、行政区画、地勢、交通等の事情を考慮しつつも、人口比例原則を重視して区割りを行い選挙区間の人口較差を2倍未満とすることを基本とするよう定めるものであるが、後者の基準は、区割りに先立ち、まず各都道府県に議員の定数1を配分した上で、残る定数を人口に比例して各都道府県に配分することを定めるものである。このように、後者の基準は、都道府県間においては人口比例原則に例外を設けて一定程度の定数配分上の不均衡が必然的に生ずることを予定しているから、前者の基準は、結局、その枠の中で全国的にできるだけ人口較差が2倍未満に収まるように区割りを行うべきことを定めるものと解される。
[5] また、改正公選法86条は、小選挙区選挙における立候補につき、同条1項各号所定の要件のいずれかを備えた政党その他の政治団体が当該団体に所属する者を候補者として届け出る制度を採用し、これとともに、候補者となろうとする者又はその推薦人も候補者の届出をすることができるものとしている。そして、右の候補者の届出をした政党その他の政治団体(候補者届出政党)は、候補者本人のする選挙運動とは別に、自動車、拡声機、文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告、演説会等を行うことができる(同法141条2項、142条2項、149条1項、161条1項等)ほか、候補者本人はすることができない政見放送をすることができるものとされている(同法150条1項)。
[6] 論旨は、小選挙区制という制度は、死票率が高く、いわゆる多数代表制であって、憲法の国民代表の原理に抵触し、憲法55条、57条1項、59条2項等の趣旨を没却するおそれがあり、多数支配の原則に矛盾し、憲法の認める立候補の自由、選挙の自由、結社の自由等が害されるから、違憲である、また、区画審設置法3条2項の定める基準に従って各都道府県にあらかじめ定数一を配分した結果、選挙区間の人口較差が2倍を超えたことは、憲法の定める平等選挙の原則に違反するから、本件区割規定は違憲無効である、さらに、候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との選挙運動の機会が均等でないことは、憲法14条1項の禁止する信条又は社会的身分による差別に当たるというのである(その余の論旨は、比例代表選挙に係る事項に関するものであって、小選挙区選挙の無効を求める本件においては、それ自体失当である。)。
[7]2 前記のとおり、衆議院議員の選挙制度の仕組みの具体的決定は、およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、国会の裁量にゆだねられているのであり、国会が衆議院議員選挙の一つの方式として小選挙区制を選択したことについても、このような裁量の限界を超えるといわざるを得ない場合に、初めて憲法に違反することになるのである。
[8] 小選挙区制は、全国的にみて国民の高い支持を集めた政党等に所属する者が得票率以上の割合で議席を獲得する可能性があって、民意を集約し政権の安定につながる特質を有する反面、このような支持を集めることができれば、野党や少数派政党等であっても多数の議席を獲得することができる可能性があり、政権の交代を促す特質をも有するということができ、また、個々の選挙区においては、このような全国的な支持を得ていない政党等に所属する者でも、当該選挙区において高い支持を集めることができれば当選することができるという特質をも有するものであって、特定の政党等にとってのみ有利な制度とはいえない。小選挙区制の下においては死票を多く生む可能性があることは否定し難いが、死票はいかなる制度でも生ずるものであり、当選人は原則として相対多数を得ることをもって足りる点及び当選人の得票数の和よりその余の票数(死票数)の方が多いことがあり得る点において中選挙区制と異なるところはなく、各選挙区における最高得票者をもって当選人とすることが選挙人の総意を示したものではないとはいえないから、この点をもって憲法の要請に反するということはできない。このように、小選挙区制は、選挙を通じて国民の総意を議席に反映させる一つの合理的方法ということができ、これによって選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触するものではないと考えられるから、小選挙区制を採用したことが国会の裁量の限界を超えるということはできず、所論の憲法の要請や各規定に違反するとは認められない。
[9]3(一)憲法は、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有する影響力の平等、すなわち投票価値の平等を要求していると解される。しかしながら、投票価値の平等は、選挙制度の仕組みを決定する唯一、絶対の基準となるものではなく、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものと解さなければならない。それゆえ、国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって右の投票価値の平等が損なわれることになっても、やむを得ないと解すべきである。
[10] そして、憲法は、国会が衆議院議員の選挙につき全国を多数の選挙区に分けて実施する制度を採用する場合には、選挙制度の仕組みのうち選挙区割りや議員定数の配分を決定するについて、議員1人当たりの選挙人数又は人口ができる限り平等に保たれることを最も重要かつ基本的な基準とすることを求めているというべきであるが、それ以外にも国会において考慮することができる要素は少なくない。とりわけ都道府県は、これまで我が国の政治及び行政の実際において相当の役割を果たしてきたことや、国民生活及び国民感情においてかなりの比重を占めていることなどにかんがみれば、選挙区割りをするに際して無視することのできない基礎的な要素の一つというべきである。また、都道府県を更に細分するに当たっては、従来の選挙の実績、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等諸般の事情が考慮されるものと考えられる。さらに、人口の都市集中化の現象等の社会情勢の変化を選挙区割りや議員定数の配分にどのように反映させるかという点も、国会が政策的観点から考慮することができる要素の一つである。このように、選挙区割りや議員定数の配分の具体的決定に当たっては、種々の政策的及び技術的考慮要素があり、これらをどのように考慮して具体的決定に反映させるかについて一定の客観的基準が存在するものでもないから、選挙区割りや議員定数の配分を定める規定の合憲性は、結局は、国会が具体的に定めたところがその裁量権の合理的行使として是認されるかどうかによって決するほかはない。そして、具体的に決定された選挙区割りや議員定数の配分の下における選挙人の有する投票価値に不平等が存在し、それが国会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしゃくしてもなお、一般に合理性を有するものとは考えられない程度に達しているときは、右のような不平等は、もはや国会の合理的裁量の限界を超えていると推定され、これを正当化すべき特別の理由が示されない限り、憲法違反と判断されざるを得ないというべきである。
[11] 以上は、前掲昭和51年4月14日、同58年11月7日、同60年7月17日、平成5年1月20日の各大法廷判決の趣旨とするところでもあって、これを変更する要をみない。
[12](二)区画審設置法3条2項が前記のような基準を定めたのは、人口の多寡にかかわらず各都道府県にあらかじめ定数1を配分することによって、相対的に人口の少ない県に定数を多めに配分し、人口の少ない県に居住する国民の意見をも十分に国政に反映させることができるようにすることを目的とするものであると解される。しかしながら、同条は、他方で、選挙区間の人口較差が2倍未満になるように区割りをすることを基本とすべきことを基準として定めているのであり、投票価値の平等にも十分な配慮をしていると認められる。前記のとおり、選挙区割りを決定するに当たっては、議員1人当たりの選挙人数又は人口ができる限り平等に保たれることが、最も重要かつ基本的な基準であるが、国会はそれ以外の諸般の要素をも考慮することができるのであって、都道府県は選挙区割りをするに際して無視することができない基礎的な要素の一つであり、人口密度や地理的状況等のほか、人口の都市集中化及びこれに伴う人口流出地域の過疎化の現象等にどのような配慮をし、選挙区割りや議員定数の配分にこれらをどのように反映させるかという点も、国会において考慮することができる要素というべきである。そうすると、これらの要素を総合的に考慮して同条1項、2項のとおり区割りの基準を定めたことが投票価値の平等との関係において国会の裁量の範囲を逸脱するということはできない。
[13] そして、本件区割規定は、区画審設置法3条の基準に従って定められたものであるところ、その結果、選挙区間における人口の最大較差は、改正の直近の平成2年10月に実施された国勢調査による人口に基づけば1対2・137であり、本件選挙の直近の同7年10月に実施された国勢調査による人口に基づけば1対2・309であったというのである。このように抜本的改正の当初から同条1項が基本とすべきものとしている2倍未満の人口較差を超えることとなる区割りが行われたことの当否については議論があり得るところであるが、右区割りが直ちに同項の基準に違反するとはいえないし、同条の定める基準自体に憲法に違反するところがないことは前記のとおりであることにかんがみれば、以上の較差が示す選挙区間における投票価値の不平等は、一般に合理性を有するとは考えられない程度に達しているとまではいうことができず、本件区割規定が憲法の選挙権の平等の要求に反するとは認められない。
[14]4(一)改正公選法は、前記のように政党等を選挙に深くかかわらせることとしているが、これは、第八次選挙制度審議会の答申にあるとおり、選挙制度を政策本位、政党本位のものとするために採られたと解される。前記のとおり、衆議院議員の選挙制度の仕組みの具体的決定は、国会の広い裁量にゆだねられているところ、憲法は、政党について規定するところがないが、その存在を当然に予定しているものであり、政党は、議会制民主主義を支える不可欠の要素であって、国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、国会が、衆議院議員の選挙制度の仕組みを決定するに当たり、政党の右のような重要な国政上の役割にかんがみて、選挙制度を政策本位、政党本位のものとすることは、その裁量の範囲に属することが明らかであるといわなければならない。そして、選挙運動をいかなる者にいかなる態様で認めるかは、選挙制度の仕組みの一部を成すものとして、国会がその裁量により決定することができるものというべきである。
[15] もっとも、このように選挙制度を政策本位、政党本位のものとすることに伴って、小選挙区選挙においては、候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に、選挙運動の上で実質的な差異を生ずる結果となっていることは否定することができない。そして、被選挙権又は立候補の自由が選挙権の自由な行使と表裏の関係にある重要な基本的人権であることにかんがみれば、憲法は、各候補者が選挙運動の上で平等に取り扱われるべきことを要求しているというべきであるが、合理的理由に基づくと認められる差異を設けることまで禁止しているものではない。すなわち、国会が正当に考慮することのできる政策的目的ないし理由を考慮して選挙運動に関する規定を定めた結果、選挙運動の上で候補者間に一定の取扱いの差異が生じたとしても、国会の具体的に決定したところが、その裁量権の行使として合理性を是認し得ず候補者間の平等を害するというべき場合に、初めて憲法の要請に反することになると解すべきである。
[16](二)改正公選法の前記規定によれば、小選挙区選挙においては、候補者のほかに候補者届出政党にも選挙運動を認めることとされているのであるが、政党その他の政治団体にも選挙運動を認めること自体は、選挙制度を政策本位、政党本位のものとするという国会が正当に考慮し得る政策的目的ないし理由によるものであると解されるのであって、十分合理性を是認し得るのである。もっとも、改正公選法86条1項1号、2号が、候補者届出政党になり得る政党等を国会議員を5人以上有するもの及び直近のいずれかの国政選挙における得票率が2パーセント以上であったものに限定し、このような実績を有しない政党等は候補者届出政党になることができないものとしている結果、選挙運動の上でも、政党等の間に一定の取扱い上の差異が生ずることは否めない。しかしながら、このような候補者届出政党の要件は、国民の政治的意思を集約するための組織を有し、継続的に相当な活動を行い、国民の支持を受けていると認められる政党等が、小選挙区選挙において政策を掲げて争うにふさわしいものであるとの認識の下に、政策本位、政党本位の選挙制度をより実効あらしめるために設けられたと解されるのであり、そのような立法政策を採ることには相応の合理性が認められ、これが国会の裁量権の限界を超えるとは解されない。
[17] そして、候補者と並んで候補者届出政党にも選挙運動を認めることが是認される以上、候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に選挙運動の上で差異を生ずることは避け難いところであるから、その差異が一般的に合理性を有するとは到底考えられない程度に達している場合に、初めてそのような差異を設けることが国会の裁量の範囲を逸脱するというべきである。自動車、拡声機、文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告、演説会等についてみられる選挙運動上の差異は、候補者届出政党にも選挙運動を認めたことに伴って不可避的に生ずるということができる程度のものであり、候補者届出政党に所属しない候補者も、自ら自動車、拡声機、文書図画等を用いた選挙運動や新聞広告、演説会等を行うことができるのであって、それ自体が選挙人に政見等を訴えるのに不十分であるとは認められないことにかんがみれば、右のような選挙運動上の差異を生ずることをもって、国会の裁量の範囲を超え、憲法に違反するとは認め難い。もっとも、改正公選法150条1項が小選挙区選挙については候補者届出政党にのみ政見放送を認め候補者を含むそれ以外の者には政見放送を認めないものとしたことは、政見放送という手段に限ってみれば、候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に単なる程度の違いを超える差異を設ける結果となるものである。原審の確定したところによれば、このような差異が設けられた理由は、小選挙区制の導入により選挙区が狭くなったこと、従前よりも多数の立候補が予測され、これら多数の候補者に政見放送の機会を均等に提供することが困難になったこと、候補者届出政党は選挙運動の対象区域が広くラジオ放送、テレビジョン放送の利用が不可欠であることなどにあるとされているが、ラジオ放送又はテレビジョン放送による政見放送の影響の大きさを考慮すると、これらの理由をもってはいまだ右のような大きな差異を設けるに十分な合理的理由といい得るかに疑問を差し挟む余地があるといわざるを得ない。しかしながら、右の理由にも全く根拠がないものではないし、政見放送は選挙運動の一部を成すにすぎず、その余の選挙運動については候補者届出政党に所属しない候補者も十分に行うことができるのであって、その政見等を選挙人に訴えるのに不十分とはいえないことに照らせば、政見放送が認められないことの一事をもって、選挙運動に関する規定における候補者間の差異が合理性を有するとは到底考えられない程度に達しているとまでは断定し難いところであって、これをもって国会の合理的裁量の限界を超えているということはできないというほかはない。したがって、改正公選法の選挙運動に関する規定が憲法14条1項に違反するとはいえない。
[18]5 以上と同旨の原審の判断は、是認することができ、原判決が所論の憲法の原理や14条1項、55条、57条1項、59条2項等に違反するとはいえない。論旨は採用することができない。
 よって、裁判官河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文、同梶谷玄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
   


 私たちは、多数意見とは異なり、本件区割規定は憲法に違反するものであって、本件選挙は違法であると考える。その理由は、以下のとおりである。

[1] 代議制民主主義制度を採る我が憲法の下においては、国会議員を選出するに当たっての国民の権利の内容、すなわち各選挙人の投票の価値が平等であるべきことは、憲法自体に由来するものというべきである。けだし、国民は代議員たる国会議員を介して国政に参加することになるところ、国政に参加する権利が平等であるべきものである以上、国政参加の手段としての代議員選出の権利もまた、常に平等であることが要請されるからである。
[2] そして、この要請は、国民の基本的人権の一つとしての法の下の平等の原則及び「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と定める国会の構成原理からの当然の帰結でもあり、国会が具体的な選挙制度の仕組みを決定するに当たり考慮すべき最も重要かつ基本的な基準である。

[3]1 投票価値の平等を徹底するとすれば、本来、各選挙人の投票の価値が名実ともに同一であることが求められることになるが、具体的な選挙制度として選挙区選挙を採用する場合には、その選挙区割りを定めるに当たって、行政区画、面積の大小、交通事情、地理的状況等の非人口的ないし技術的要素を考慮せざるを得ないため、右要請に厳密に従うことが困難であることは否定し難い。しかし、たとえこれらの要素を考慮したことによるものではあっても、選挙区間における議員1人当たりの選挙人数又は人口の較差が2倍に達し、あるいはそれを超えることとなったときは、投票価値の平等は侵害されたというべきである。けだし、そうなっては、実質的に1人1票の原則を破って、1人が2票、あるいはそれ以上の投票権を有するのと同じこととなるからである。
[4]2 もっとも、投票価値の平等は、選挙制度の仕組みを定めるに当たっての唯一、絶対的な基準ではなく、国会としては、他の政策的要素をも考慮してその仕組みを定め得る余地がないわけではない。この場合、右の要素が憲法上正当に考慮するに値するものであり、かつ、国会が具体的に定めたところのものがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、その較差の程度いかんによっては、たとえ投票価値の平等が損なわれたとしても、直ちに違憲とはいえない場合があり得るものというべきである。したがって、このような事態が生じた場合には、国会はいかなる目的ないし理由を斟酌してそのような制度を定めたのか、その目的ないし理由はいかなる意味で憲法上正当に考慮することができるのかを検討した上、最終的には、投票価値の平等が侵害された程度及び右の検討結果を総合して、国会の裁量権の行使としての合理性の存否をみることによって、その侵害が憲法上許容されるものか否かを判断することとなる。

[5]1 本件区割規定に基づく選挙区間における人口の最大較差は、改正直近の平成2年10月実施の国勢調査によれば1対2・137、本件選挙直近の平成7年10月実施の国勢調査によれば1対2・309に達し、また、その較差が2倍を超えた選挙区が、前者によれば28、後者によれば60にも及んだというのであるから、本件区割規定は、明らかに投票価値の平等を侵害したものというべきである。
[6]2 そこで、国会はいかなる目的ないし理由を斟酌してこのような制度を定めたのか、右目的等が憲法上正当に考慮することができるものか否か、本件区割規定を採用したことが国会の裁量権の行使としての合理性を是認し得るか否かについて検討する。
(一)選挙区間の人口較差が2倍以上となったことの最大要因が区画審設置法3条2項に定めるいわゆる1人別枠方式を採用したことによるものであることは明らかである。けだし、平成2年10月実施の国勢調査を前提とすると、この方式を採用したこと自体により、都道府県の段階において最大1対1・822の較差(東京都の人口1185万5563人を定数25で除した47万4223人と、島根県の人口78万1021人を定数3で除した26万0340人の較差)が生じているが、各都道府県において、更にこれを市区町村単位で再配分しなければならないことを考えると、既にその時点において、最大較差を2倍未満に収めることが困難であったことが明らかだからである。
(二)もし仮に、1人別枠方式を採用することなく、小選挙区選出議員の定数300人全員につき最初から最大剰余方式(全国の人口を議員総定数で除して得た基準値でブロックの人口を除して数値を求め、その数値の整数部分と同じ数の議員数を各ブロックに配分し、それで配分し切れない残余の議員数については、右数値の小数点以下の大きい順に配分する方式)を採用したとするならば、平成2年10月実施の国勢調査を前提とすると、都道府県段階の最大較差は1対1・662(香川県の人口102万3412人を定数2で除した51万1706人と、鳥取県の人口61万5722人を定数2で除した30万7861人の較差)にとどまっていたことが明らかであるから、市区町村単位での再配分を考慮したとしても、なおかつ、その最大較差を2倍未満に収めることは決して困難ではなかったはずである。
(三)区画審設置法は、その一方において、選挙区間の人口較差が2倍未満になるように区割りをすることを基本とすべきことを定めておきながら(同法3条1項)、他方、1人別枠方式を採用している(同条2項)。しかしながら、前記のとおり、後者を採用したこと自体によって、前者の要請の実現が妨げられることとなったのであるから、この両規定は、もともと両立し難い規定であったといわざるを得ない。のみならず、第八次選挙制度審議会の審議経過をみてみると、同審議会における投票価値の平等に対する関心は極めて高く、同審議会としては、当初、「この改革により今日強く求められている投票価値の較差是正の要請にもこたえることが必要である。」旨を答申し、小選挙区選出議員全員について無条件の最大剰余方式を採用する方向を選択しようとしたところ、これによって定数削減を余儀なくされる都道府県の選出議員から強い不満が続出したため、一種の政治的妥協策として、1人別枠方式を採用した上、残余の定数についてのみ最大剰余方式を採ることを内容とした政府案が提出されるに至り、同審議会としてもやむなくこれを承認したという経過がみられる。このように、1人別枠方式は、選挙区割りの決定に当たり当然考慮せざるを得ない行政区画や地理的状況等の非人口的、技術的要素とは全く異質の恣意的な要素を考慮して採用されたものであって、到底その正当性を是認し得るものではない。
(四)多数意見は、1人別枠方式を採用したのは、「人口の少ない県に居住する国民の意見をも十分に国政に反映させることができるようにすることを目的とするもの」と解した上、いわゆる過疎地化現象を考慮して右のような選挙区割りを定めたことが投票価値の平等との関係において、なお国会の裁量権の範囲内であるとする。
 しかし、このような考え方は、次のような理由により、採り得ない。
(1)通信、交通、報道の手段が著しく進歩、発展した今日、このような配慮をする合理的理由は極めて乏しいものというべきである。
(2)1人別枠方式は、人口の少ない県に居住する国民の投票権の価値を、そうでない都道府県に居住する国民のそれよりも加重しようとするものであり、有権者の住所がどこにあるかによってその投票価値に差別を設けようとするものにほかならない。このように、居住地域を異にすることのみをもって、国民の国政参加権に差別を設けることは許されるべきではない。
(3)いわゆる過疎地対策は、国政において考慮されるべき重要な課題ではあるが、それに対する各議員の取組は、投票価値の平等の下で選挙された全国民の代表としての立場でされるべきものであって、過疎地対策を理由として、投票価値の平等を侵害することは許されない。
(4)1人別枠方式と類似する制度として、参議院議員選挙法(昭和22年法律第11号)が地方選出議員の配分につき採用した各都道府県選挙区に対する定数2の一律配分方式を挙げることができるが、憲法自体が、参議院議員の任期を6年と定め、かつ、3年ごとの半数改選を定めたことにかんがみると、改選期に改選を実施しない選挙区が生じることを避けるため採用したものと解される右制度については、それなりの合理性が認められないわけでもない。しかし、衆議院議員の選挙については、憲法上このような制約は全く存しないのであるから、右のような方式を採ることについての合理的理由を見いだす余地はない。
(五)以上要するに、私たちは、過疎地対策として1人別枠方式を採用することにより投票価値の平等に影響を及ぼすことは、憲法上到底容認されるものではないと考えるものであるが、その点をしばらくおくとしても、過疎地対策としてのこの方式の実効性についても、甚だ疑問が多いことを、念のため指摘しておきたい。
(1)平成2年10月実施の国勢調査を前提としてみた場合、小選挙区選出議員の定数300人全員につき最初から最大剰余方式を採用した場合の議員定数と比較してみて、1人別枠方式を採用したことによる恩恵を受けた都道府県は15に達する。その内訳をみると、本来2人の割当てを受けるべきところ3人の割当てを受けた県が7(山梨、福井、島根、徳島、香川、高知、佐賀の各県)、3人の割当てを受けるべきところ4人の割当てを受けた県が4(岩手、山形、奈良、大分の各県)、4人の割当てを受けるべきところ5人の割当てを受けた県が3(三重、熊本、鹿児島の各県)、5人の割当てを受けるべきところ6人の割当てを受けた県が1(宮城県)、それぞれ生じているが、これらの過剰割当てが過疎地対策として現実にどれほどの意味を持ち得るのか、甚だ疑問といわざるを得ない。
(2)右によっても明らかなとおり、1人別枠方式を採用したことにより恩恵を受けた都道府県のすべてが過疎地に当たるわけではなく、また、過疎地のすべてがその恩恵を受けているわけでもない。すなわち、人口224万人余の宮城県、同184万人余の熊本県がこの恩恵を受けているのに対し、人口120万人以下の富山、石川、和歌山、鳥取、宮崎の5県はこの恩恵を受けていないのである。
(3)過疎地対策としての実効性をいうのであれば、最大剰余方式を採用したことによって、1人の定数配分すら受けられない都道府県が生じてしまう場合が想定されることになるが、平成2年10月実施の国勢調査を前提とする限り、人口の最も少ない鳥取県においてすら、最大剰余方式により定数2の配分が受けられるのであり、現に鳥取県は1人別枠方式による恩恵を受けていないのであるから、本件区割規定の前提となった1人別枠方式は、過疎地対策とは何らかかわり合いのないものというべきである。

[7] 小選挙区制を採用することのメリットは幾つか挙げられているが、その一つとして、議員定数不均衡問題の解消が挙げられていることは周知のとおりである。つまり、小選挙区制の下においては、選挙区の区割りの画定のみに留意すればよく、中選挙区制を採用した場合のように当該選挙区に割り当てるべき議員定数を考慮する必要が一切ないところにその特色を有し、いわば小回りがきく制度であるところから、定数不均衡問題の解消に資し得るとされているのである。したがって、2倍未満の較差厳守の要請は、中選挙区制の場合に比し、より一層厳しく求められてしかるべきである。
[8] そうすると、本件区割規定に基づく選挙区間の最大較差は2倍をわずかに超えるものであったとはいえ、2倍を超える選挙区が、改正直近の国勢調査によれば28、本件選挙直近の国勢調査によれば60にも達していたこと、このような結果を招来した原因が専ら1人別枠方式を採用したことにあること、1人別枠方式を採用すること自体に憲法上考慮することのできる正当性を認めることができず、かつ、国会の裁量権の行使としての合理性も認められないことなどにかんがみると、本件区割規定は憲法に違反するものというべきである。なお、その違憲状態は法制定の当初から存在していたのであるから、いわゆる「是正のための合理的期間」の有無を考慮する余地がないことはいうまでもない。
[9] もっとも、本件訴訟の対象となった選挙区の選挙を無効としたとしても、それ以外の選挙区の選挙が当然に無効となるものではないこと、当該選挙を無効とする判決の結果、一時的にせよ憲法の予定しない事態が現出することになることなどにかんがみると、本件については、いわゆる事情判決の法理により、主文においてその違法を宣言するにとどめ、これを無効としないこととするのが相当である。
 
[1]一 私は、裁判官河合伸一、同遠藤光男、同元原利文、同梶谷玄の反対意見に共感するところが多いが、憲法に定める投票価値の平等は、極めて厳格に貫徹されるべき原則であり、選挙区割りを決定するに当たり全く技術的な理由で例外的に認められることのある平等からのかい離も、最大較差2倍を大幅に下回る水準で限定されるべきであるとの考えを持っているので、その理由等につき、あえて別途反対意見を述べることとした。なお、国会議員選挙における投票価値の平等の問題は、衆議院議員選挙のそれと参議院議員選挙のそれとが相互に密接に関連しているところ、参議院議員選挙については、多数意見の引用する平成10年9月2日大法廷判決(以下「平成10年判決」という。)における裁判官尾崎行信、同河合伸一、同遠藤光男、同福田博、同元原利文の反対意見及び裁判官尾崎行信、同福田博の追加反対意見において詳しく見解を述べているので、適宜これを引用することとする。

[2]二 国会は、全国民を代表する選挙された議員で組織された国の機関であり、国権の最高機関である(憲法41条、43条)。国権の最高機関たる理由は、国会の決定は、国民全体の中の意見や利害が議員の国会活動を通じて具体的に主張されこれを反映した結果である公算が極めて高く、いわば国民全体の自己決定権の行使の結果とみなし得るからである。すなわち、全国民が平等な選挙権をもって参加した自由かつ公正な選挙により自らの代表として選出した議員で構成されていることこそが、憲法の定める国会の高い権威の源泉なのである。憲法は、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は法律でこれを定めるとしている(47条)が、そのような法律を策定する際に認められる国会の裁量権は、当然のことながら、憲法の定めるいくつかの原則に従うことが前提である。法の下の平等により保障される有権者の投票価値の平等の原則(以下「平等原則」という。)に従うことはそのような前提の一つであって、事務処理上生ずることが不可避な較差など明白に合理的であることが立証されたごく一部の例外が極めて限定的に許されるにすぎない。平等原則は、秘密投票の保障(15条4項)など、自由、平等、公正な選挙を確保するために憲法が定める他のいくつかの原則と同様に重要なものであって、選挙区、投票の方法など国会議員の選挙に関する事項を法律で定める際には、当然かつ厳格に遵守されるべきものである。それが理想論ではなく十分に実現可能なものであることは、代表民主制を有する諸外国の近年における動向を見ても明らかである(後記9参照)。

[3]三 平等原則は、全国の選挙人数を議員総定数で除して得た数値を基準値として、この基準値ごとに1人の議員を割り当てることにより最もよく実現される。このことは、小選挙区、中選挙区、比例区すべてに当てはまる。もし、過疎の地域にもその地域からの議員選出の機会を与えたいというのであれば、それは、その実現方法が他の地域について平等原則を満たす場合にのみ許される。例えば、過疎の地域に代表を選出する機会を与えるために、過密の地域に対し割り当てられる議員定数を人口比に見合って増加するのも一つの方法である。議員の総定数を固定したままで「過疎への配慮」を行うことは、すなわち「過密の軽視」に等しく、それはとりもなおさず、有権者の住所がどこにあるかで有権者の投票価値を差別することになる。そのような差別は、身分、収入、性別その他を理由として一部の有権者に優越的地位を与えた過去のシステムと基本的発想を同じくするものであって、憲法の規定に明らかに反し、近代民主制の基本である平等な投票権者による多数決の原理をゆがめることとなる。

[4]四 戦後我が国の国会議員選挙制度が制定された際、参議院議員選出のための選挙区選挙において、都道府県を選挙区とする制度が導入され、当初から最大2・62倍の較差の存在が容認されたことが、今日においても衆・参両院議員選挙における平等原則軽視の風潮をもたらす端緒となったことは否めない。当初大きな疑念も差し挟まれないまま容認されたこの較差は、宮城県と鳥取県との間で生じたものであって、「過疎への配慮」とはおよそ無縁のものであった。しかし、そのような較差の存在を容認したことは、その後の大規模な人口移動によって生じた都市部への人口集中に基づく全く違う種類の較差の問題を、過疎への配慮などの名目の下に、長年にわたり放置することにつながったといえる。そして、この傾向は、参議院議員選挙にとどまらず、衆議院議員選挙のそれにも拡散したのである。そして、この問題に対しては、司法も、選挙制度策定において国会の有する広範な裁量権の範囲にとどまるものか否かを判断すれば足りるとの考えの下に寛容な態度をとり続けた。その結果、最高裁判所による累次の判決は、衆議院議員選挙については最大3倍、参議院議員選挙のうち選挙区選出議員については最大6倍までの投票価値の較差は国会の裁量権の範囲内として許容されるとの考えに基づいて行われていると一般に理解されるに至っている。

[5]五 衆・参両院議員選挙について近年行われた公職選挙法の改正は、いずれも平等原則を十分に遵守するために必要な是正を行っていない。今回問題となっている改正公選法について見れば、個人の投票価値は他人のそれと同一であるにもかかわらず、選挙区選挙について最大較差が2倍以上にならないことを改正の基本方針としている点で、そもそも質的に不十分なものであること(最大較差2倍とは、要するに1人の投票に二人分の投票価値を認めるということである。)、そして、それを所与のものとして、いわゆる「1人別枠制」(それは、正に投票価値についての明白かつ恣意的な操作である。)を導入し、平成2年10月実施の国勢調査によっても300の選挙区中28の選挙区において1対2を超える例外を当初から設けていることの2点において、憲法が定める代表民主制の基本的前提である平等原則を遵守していない。そして、次に述べるようにそれを正当化する理由は存在しないのである。
[6] 第一に、憲法は、選ばれる者(議員)が選ぶ者(有権者)の投票価値を意図的に操作し差別することを認めていない。繰り返しになるが、選挙制度策定に当たっては「過疎への配慮」は「過密の軽視」を伴ってはならないのである。有権者数に見合った選挙区の統合又は議員総定数の増加などの工夫を行うことにより、投票価値の平等を実現することは、選挙に関する法律を制定する際の前提条件である(後者の方法は統治機構のスリム化の要請には反するであろうが、そのような要請は憲法の定める平等原則の重要性に比すれば質的に大きく劣後する。)。
[7] 第二に、都道府県制をあたかも連邦制を採る国の州の地位に対比することによって、都道府県に依拠する選挙区割りの持つ重要性を平等原則に優先させて認めようとする考えがあるが、これも採り得ない。我が国が連邦国家でないことは明らかであり、基本的に行政区画である都道府県間において平等原則を劣後させ定数較差の存在を認めるようなことは憲法に何の規定も見いだせない。連邦制を採り成文の憲法を持つ国にあっては、各州に人口ないし有権者数と見合わない代表権を認める場合には、憲法にそれを認める明文の規定がある。そのような明文の規定は我が国憲法には存在せず、行政区画である都道府県制度に依拠して選挙制度を策定することが国会の裁量権の範囲内にあるという論理から平等原則に反する選挙制度も許されるとするのはしょせん無理である。
[8] 第三に、地方議会において、その地方自治の持つ特性ゆえに、平等原則がやや緩やかに適用される例が皆無ではないことをもって、国会についても同様の配慮を認めよという議論も、国会が一部地域ではなく全国民を代表する議員で構成される国権の最高機関であるという憲法の規定に合致しないことは明らかである。

[9]六 我が国は、長年にわたって高度成長を続け、その中に内在する矛盾を基本的に解決しなくても各種の問題に対応していくことができた。しかし、そのような余裕のあった時代は去り、また、全く新しい重要課題への対応も迫られている。厳しい環境の中にあって、国の内外における新たな重大問題に的確に対応していくためには、民意を正確に反映した立法府の存在、すなわち憲法に定める平等原則を忠実に遵守する選挙制度で選出された議員により構成される国会の存在が以前にも増して格段に重要となってきている。もちろん代表民主制の下において、有権者及び選出された議員の選択する政策が常に最善のものであるとは限らず、見通しの甘さや誤りも往々にして存在する。しかし、代表民主制の強みは、有権者の考えが変われば、それが議員選出を通じて政策の変更に反映されやすいことにある。有権者は、投票の際、前回の選挙において自らが投票し選出された議員の選択した政策がもはや最善のものではないと考えるに至ったときには、その投票態度を容易に変更する。議員もそのことを十分に承知し、有権者の多数が選択する政策を推進しようと心掛ける。換言すれば、代表民主制の基本とするところは、選挙を通じて議員を交代させ又はその政見に影響を及ぼすことにより、より的確に多数の有権者の支持する政策が選択されることを可能ならしめるものである。代表民主制を採用しても、有権者の持つ投票価値が平等でないのであれば、そのような選挙を通じ選出された議員で構成される国会は選挙時点における民意を正しく反映しないゆがんだ構成になる。その場合には、国会において多数決で行われる決定も多数の民意を反映していないこととなる可能性を生じ、我が国の直面する内外の問題への対応に誤りを生ずる可能性もなしとしない。憲法の意図する代表民主制はそのようなものではない。平等でない投票価値に基づく選挙は、憲法の規定に反するほか、有権者の政治不信及び政治離れにもつながる危険を有する。

[10]七 平等原則を忠実に遵守した選挙区割りを行う中心的責任は、もとより国会自身にある。しかし、それを構成する現職の国会議員は、現存の選挙制度で当選してきているのであるから、選挙制度の改正に対し基本的に慎重な対応を行う傾向が強い。それゆえに、選挙制度が投票価値の不平等を内包している場合であっても、その是正に対する熱意は不足しがちである。三権分立を採る統治システムの中にあっては、そのような事態を是正する役割は行政及び司法にもあるが、司法が違憲立法審査権を与えられているとき、司法の果たす役割は極めて重大なものとなる。この点は、行政が、元来国会の影響を受けやすい立場にあることのみならず、我が国のように現職の国会議員を頂点とする議院内閣制の下にあっては、行政府の長が別途の選挙によって選出される大統領制などに比し、選挙区割りなど国会議員の利害に直接影響する問題について具体的に発言することがおのずから限定されている事情の下では、一層認識されるべきものである。

[11]八 司法は、長年にわたり、選挙制度に関する国会の広い裁量権の存在を基本とした理由付けの下に、衆・参両院の存在意義の相違等を理由として、衆議院議員選挙については最大較差3倍未満、参議院議員選挙のうち選挙区選出議員については最大較差6倍未満の較差(平等原則からのかい離)の発生を容認してきた。今回の多数意見も、平成10年判決に引き続き、改正公選法により行われた本件選挙についても、従来の判例が踏襲した判断の枠組み及びその考え方を変更する必要を見ないとしている。
[12] しかし、今や衆・参両院議員の選挙制度は極めて似通ったものとなっており、衆議院議員選挙は小選挙区及び比例区の並立制により、また、参議院議員選挙は選挙区(小選挙区、中選挙区)及び比例代表の並立制により行われている(参議院では選挙区選挙を半数改選制により行うので、定員2人の選挙区は定員1人の小選挙区として行われ、それ以上の定員の選挙区は中選挙区となる。)。このような状況下にあっては、そもそも何ゆえに憲法が代表民主制の前提としている投票価値の平等といった重要原則からのかい離を認めるのかを理解し難いことのほか、国会が平等原則からのかい離の程度を衆・参両院について異ならしめ、それによって衆・参両院の差を際立たせようとしていることをどうして容認し続ける必要があるのか、私には全く理解できない。衆・参両院の差を設けることが望ましいという命題は、投票価値の不平等を通じて達成されてはならないのである。
[13] また、司法は、従来参議院議員選挙のうち選挙区選出議員については、地域性の要素が存在すると認定する(平成10年判決における多数意見は、選挙区選出議員について、都道府県を選挙区とすることは、都道府県が歴史的にも政治的、経済的、社会的にも独自の意義と実体を有し政治的に一つのまとまりを有する単位としてとらえ得ることに照らし、これを構成する住民の意見を集約的に反映させるという意義ないし機能を加味しようとしたものと解することができるから、合理性を欠くものとはいえないと述べている。)一方、今回は衆議院議員選挙のうち選挙区選挙において、「1人別枠制」(その違憲性は、裁判官河合伸一、同遠藤光男、同元原利文、同梶谷玄の反対意見により極めて明らかであるので、再説を要しない。)という形で導入された地域性の要素を是認するに至っている。しかし、そもそも憲法には平等原則の遵守や投票の秘密の程度などを地域性の要素によって操作することを認める規定などはないのである。選挙区の画定方法において、地域性によって平等原則の遵守の程度を異ならしめることまでを容認することは、すなわち平等原則の軽視に対し目を閉ざすことにほかならない。

[14]九 我が国憲法の解釈は、我が国司法の積み重ねてきた判例に沿って行われればよいのであって、外国における経験などといったものは考慮する要がないといった議論があるが、そのような考え方はもちろん採ることができない。「代表民主制」とか「法の支配」とかいった概念は、民主主義制度を持つ多くの国における歴史と経験の積重ねに基づいて発展してきたものである。我が国の憲法もそのような経験に裏打ちされている。成熟した民主主義国家の会合といわれるG7を構成する諸外国を見ても、我が国のように平等原則からのかい離について寛容な国はない。そのうち米国、英国、フランス、ドイツにおいて投票価値の平等が尊重されていることについては、平成10年判決における裁判官尾崎行信、同福田博の追加反対意見に詳述したので、これを引用する。
[15] イタリアにおいては、1993年に上下両院につき従来の全面的な比例代表制から小選挙区比例代表並立制への転換が行われ(いずれも小選挙区75パーセント、比例区25パーセントの割合になっているが、下院については重複立候補が認められている。)、今回の我が国公職選挙法の改正に当たっても参考とされたといわれる。しかし、定数の較差について見ると、我が国と異なり、伝統的に人口比に応じた選挙区割りが厳格に行われているので、定数較差が政治的又は司法上の問題となったことはない(10年ごとに実施される国勢調査を基礎として、各選挙区の人口に比例して定数配分を行い、委任立法により確定する。)(注)。
(注)イタリアの下院議員定数は630人で、選挙区は全27区からなり、原則として各州(全国で20州)を1選挙区としつつ、人口の多い州について2又は3の選挙区を設け、議員定数は、各選挙区の人口に厳格に比例して配分される。
[16] 各選挙区においては、原則として議員定数の75パーセントが小選挙区、25パーセントが比例代表区に割り当てられる。それぞれの選挙区の中に画定される小選挙区の区割りには詳細かつ厳格な基準が設けられており、各小選挙区の人口と当該選挙区内の全小選挙区の基準人口とのかい離は最大でも15パーセント(最大較差に換算すれば1・35倍)とされている。
[17] 具体的には、全国の議員1人当たりの基準人口からのかい離は、議員1人当たりの人口が最小のモリーゼ選挙区と最大のフリウリ・ヴェネツィア・ジューリア選挙区について見てもそれぞれ10パーセント未満にすぎず(最大較差は約1・11倍となっている。)、特例が適用されるヴァッレ・ダオスタ選挙区(人口が少ないため小選挙区総定数475人のうちの議員1人を選出するための小選挙区選挙のみが行われ、比例区選挙権は与えられない。)についても最大較差換算で約1・4倍に収まっている。以上の結果、全国を小選挙区のレベルで比較しても、最大較差は約1・5倍の範囲にとどまっている(イタリア憲法56条4項、57条4項、1957年3月30日付け大統領令第361号(下院選挙法単一法典)、1993年8月4日付け法律第277号(下院選挙に関する新規則)外参照)。
[18] カナダにおいては、連邦下院選挙についての各州内の選挙区は10年ごとに行われる国勢調査に基づき求められる基準人口に等しくなるよう再区分を行い、原則としてその偏差は、最大でも25パーセント以内(最大較差に換算すれば1・67倍まで)にとどまるよう選挙区の区割りを行うこととなっている(注)。
(注)カナダ連邦下院議員選挙の選挙区は、1964年の選挙区割委員会法及び1970年の選挙区割法に基づいて設置された各州(準州を含む。)の選挙区割委員会により画定されることになっており、10年ごとに行われる国勢調査に基づき各州内の選挙区間の人口が等しくなるよう選挙区の再区分が行われる。具体的には連邦下院議員定数(1997年の総選挙時は301議席)を基礎とし、各州の人口を各々の議員定数で割って得た基準住民数の上下25パーセントを超えない範囲で選挙区の区割りが行われる(ただし、各州の選挙区割委員会が特別な事情があると認めた場合(投票の便など)にはごく一部の例外が認められるときがある。)。各州に割り当てられる連邦下院議員数は、1867年憲法51条1項に従い、同じく10年ごとの国勢調
査により、原則として各州の人口に応じ調整されるが、連邦制であるため、いくつかの例外が存在する。
[19] なお、恣意的な境界線が決定されることを防止するため、各州の選挙区割委員会は、政治的に中立な構成となるよう工夫されている。現実には、3人の構成員のうち、1人は州最高裁判所判事が任命され、他の2人は連邦下院議長により任命されている。委員会による区割案は各州で検討された後、連邦選挙管理委員長に提出され、最終的には連邦下院の承認を受けることとなっている。
[20] 以上の各国について見れば、いずれも投票価値の平等の原則に関する我が国の考え方よりもはるかに厳格な考え方を採っていることが明らかである。
[21] 我が国憲法に規定する平等原則が国会議員選挙においていかに軽んじられてきているか、また、実際にどこまで1対1の目標の近くまで是正を行うことが可能かを見極めるに当たっては、このような他国の例は大いに参考になる。

[22]一〇 我が国における累次の定数訴訟の根本的争点は、現代における人間の平等という概念をいかに理解するかに懸かっている。長きにわたる人間の歴史において、平等や自由は、神から王へ、王から諸侯貴族へ、更に少数有産階級へ、ついには一般市民へと、次第にその享受対象を拡大し、我が国で国民一般にまでこれが及んだのは、20世紀中葉に至ってからである。しかも、対象の範囲のみならず平等の実質や程度も、文化経済の進展につれて今日においても、なおかつ変化し徹底し続けていることを忘れてはならない。
[23] 平等原則が国家の政治制度に表現されたのが代表民主制であり、それが選挙制度において具体化されたのがいわゆる「1人1票」の原則であって、市民に「政治参加への平等な機会」を与えることこそ、長い歴史の実験を経て、現存する最も好ましい政治制度であると評価されている。その実施に当たっては、世界各国においてある程度の投票価値の較差が許容されることがあったが、社会一般における平等への希求の深化に応じ、差別を許容する程度は急速に狭められ、今日では、2倍の較差(これは要するに1人の投票に2人分の投票の価値を認めるものである。)は到底適法とは認められず、可能な限り1対1に近接しなければならないとするのが、文明社会における常識となっている。今や我が国の独自性とか累次の判例を口実に、人類の普遍的価値である平等を、世界的に広く要請され、受容されている水準から、遠く離れた位置に放置し続けることの許されない時代に達している。かねてから特殊な社会的背景を理由に「分離すれども平等」との主張を採り続けた立場を正した裁判の例(米国)を想起すれば、21世紀も間近な今日、「3倍又は6倍近くの投票価値の較差があってもなお平等」という宿年の論理を矯正するべき時期に至っていることは疑いをいれない。

[24]一一 憲法の定める三権分立は、三権のそれぞれの自律性を尊重しつつも、相互に的確にチェックし合うことを予定している。
[25] 国会がその構成員(議員)を選出する制度を策定する際、憲法の定める投票価値の平等の原則を軽視し、遵守しないのであれば、これを違憲と断ずるのは司法の責務である。長年にわたって寛容な態度をとってきたからといって、その違憲性から目を背けてはならない。憲法に定める平等原則に照らせば、今回の公職選挙法改正における小選挙区決定に当たっての定数較差是正の方針の程度はそもそも質的に不十分であるのみならず、恣意的な投票価値の操作である「1人別枠制」の導入と相まって、右改正の内容が憲法に違反することは極めて明らかである。

[26]一二 したがって、本件選挙には、憲法に違反する定数配分規定に基づいて施行された瑕疵が存したことになるが、改正公選法による1回目の総選挙であったこともあり、多数意見の引用する昭和51年4月14日大法廷判決及び同60年7月17日大法廷判決の判示するいわゆる事情判決の法理により、主文において本件訴訟の対象となった選挙区の選挙の違法を宣言するにとどめ、これを無効としないことが相当と考える。
 
 私たちは、多数意見とは異なり、小選挙区選挙の候補者のうち、候補者届出政党に所属しない者と、これに所属する者との間に存在する選挙運動上の差別は、憲法に違反するものであり、本件選挙は違法であると考える。その理由は、以下のとおりである。

[1] 代議制民主主義制度を採る我が憲法の下においては、国会議員を選出するに際しての国民の権利、すなわち選挙権を自由かつ平等に行使する権利は極めて重要な基本的人権であるから、これと表裏の関係にある被選挙権、すなわち国会議員に立候補する権利を自由かつ平等に行使することができることもまた重要な基本的人権であることは、いうをまたない。そして、被選挙権の内容には、当選を目的として選挙運動を行う権利が含まれていることは当然であるから、憲法は、合理的な理由がない限り、選挙運動を行うに当たり、すべての候補者が平等に取り扱われるべきことを要請しているということができる。
[2] また、国会は、国権の最高機関として、自由かつ公平な選挙によって選出され、広く全国民を代表する議員によって構成されるべきものであるから、被選挙権の平等は、具体的な選挙制度の仕組みを定めるに当たり考慮すべき最も重要な基準の一つである。

[3] 選挙運動を行う上で平等であるということは、選挙運動に当たり、候補者は、信条、性別、社会的身分等によっては差別されないことを意味するのであり、これには特定の政党又は政治団体に所属するか否かによって差別されないことも当然含まれるのである。
[4] ところが、改正公選法の衆議院議員の候補者の選挙運動に関する規定をみると、小選挙区選挙における立候補につき、同法86条は、1項各号所定の要件のいずれかを備えた政党その他の政治団体が当該団体に所属する者を候補者として届け出る制度を採用し、これとともに、候補者となろうとする者又はその推薦人も候補者の届出をすることができるものとしている。そして、右の候補者の届出をした政党その他の政治団体(候補者届出政党)は、候補者本人のする選挙運動とは別に、一定の選挙運動を行うことができるほか、候補者本人はすることのできない政見放送をすることができるものとされている。
[5] 多数意見は、改正公選法が、候補者と並んで候補者届出政党にも選挙運動を認めたことは、選挙制度を政策本位、政党本位のものとするという理由によるものであって合理性を是認することができ、これにより候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に選挙運動の上で差異を生ずることは避け難いところであって、法に定める選挙運動上の差異は、候補者届出政党にも選挙運動を認めたことに伴って不可避的に生ずるということができる程度のものであるから、これが国会の裁量の範囲を超え、憲法に違反するとは認め難く、また、政見放送が候補者届出政党にのみ認められていることについても、この一事をもって、選挙運動に関する規定における候補者間の差異が合理性を有するとは到底考えられない程度に達しているとまでは断定し難いというのである。
[6] しかしながら、選挙制度を政策本位のものとすることが望ましいとしても、これを政党本位のものとすることについては、別途検討を要する問題がある。候補者届出政党が選挙運動を行うに当たり、その政党が掲げる政策の内容を具体的に説明し、その政党に属する候補者を当選させることが政策の実現に資するゆえんであるとして選挙人に働き掛けることは、政党に選挙運動を認めた直接の結果であって、特に問題とされる余地はない。しかし、候補者届出政党が更に一歩を進め、特定の小選挙区内で、その政党に所属して立候補した具体的な候補者の氏名を選挙人に示し、その候補者の当選を目的とする選挙運動を行うことは、とりもなおさず、その候補者が個人として行う選挙運動に、政党が個人のための選挙運動を上積みすることを意味し、政党に所属する候補者に、政党に所属しない候補者と比較して、質量共により大きな選挙運動の効果を享受させることになるのである。したがって、その較差の程度と内容によっては、憲法が要請する被選挙権の平等の原則に反するおそれを生じかねないのである。

[7] そこで、小選挙区における候補者届出政党に所属する候補者と、これに所属しない候補者の選挙運動上の差異をみるため、候補者に認められる選挙運動の態様と、候補者届出政党のそれとを比較してみると、大要次のとおりであると認められる(以下、この項において、公職選挙法を「法」と、公職選挙法施行令を「令」と、公職選挙法施行規則を「規則」という。)。
[8]1 選挙事務所の設置
(一)候補者
 原則として1箇所を超えて設置することができない(法131条1項1号)。
(二)候補者届出政党
 届け出た候補者に係る選挙区ごとに、原則として1箇所を超えて設置することができない(法131条1項1号)。
 候補者届出政党の選挙事務所においても、候補者本人の選挙運動に関する事務を取り扱うことができると解される。
[9]2 自動車、船舶及び拡声機の使用
(一)候補者
 主として選挙運動に使用される自動車又は船舶及び拡声機は、候補者1人について、原則として、自動車1台又は船舶1隻及び拡声機1そろいのほかは、使用することができない(法141条1項)。自動車又は船舶に乗車又は乗船することができる人数には制限があり(法141条の2第1項)、自動車の種類や構造にも制限がある(法141条7項、令109条の3)。
(二)候補者届出政党
 候補者届出政党は、(一)にかかわらず、その届け出た候補者に係る選挙区を包括する都道府県ごとに、自動車1台又は船舶1隻及び拡声機1そろいを、主として選挙運動のために使用することができ、当該都道府県における当該候補者届出政党の届出候補者の数が3人を超える場合には、この超える数が10人を増すごとに、右の自動車又は船舶及び拡声機1の使用に加えて、自動車1台又は船舶1隻及び拡声機1そろいを使用することができる(法141条2項)。乗車、乗船人数及び自動車の種類や構造に制限はなく、候補者自身も乗車又は乗船することができると解される。
[10]3 文書図画の頒布
(一)候補者
 選挙運動のために使用する文書図画は、候補者1人につき、通常葉書3万5000枚及び2種類以内のビラ7万枚のほかは、頒布することができない(法142条1項1号)。右のビラは、長さ29・7センチメートル、幅21センチメートルを超えてはならない(同条9項)。
(二)候補者届出政党
 候補者届出政党は、(一)にかかわらず、その届け出た候補者に係る選挙区を包括する都道府県ごとに、通常葉書は2万枚、ビラは4万枚を基数として、これらにそれぞれ当該都道府県における当該候補者届出政党の届出候補者の数を乗じて得た数以内の通常葉書又はビラを選挙運動のために頒布することができる。ただし、ビラについては、その届け出た候補者に係る選挙区ごとに4万枚以内で頒布するほかは、頒布することができない(法142条2項)。右のビラは、長さ42センチメートル、幅29・7センチメートルを超えてはならない(同条9項)。右の通常葉書又はビラには、候補者の氏名、写真、政見等も掲載することができると解される。
[11]4 文書図画の掲示
(一)候補者
 選挙運動のために使用する文書図画は、次のいずれかに該当するもののほかは、掲示することができない(法143条1項)。
(1)選挙事務所を表示するために、その場所において使用するポスター、立札、ちょうちん及び看板の類(同項1号)
(2)法141条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶に取り付けて使用するポスター、立札、ちょうちん及び看板の類(同項2号)
(3)候補者の使用するたすき、胸章及び腕章の類(同項3号)
(4)演説会場において、その演説会の開催中使用するポスター、立札、ちょうちん及び看板の類(同項4号)
(5)個人演説会告知用ポスター(同項4号の2)
(6)前各号に掲げるものを除くほか、選挙運動のために使用するポスター(同項5号)
右の(5)及び(6)のポスターについては枚数制限があり、法定の掲示場ごとに、候補者1人につき、それぞれ1枚に限る(法143条3項)。また、右(6)のポスターは、長さ42センチメートル、幅30センチメートルを超えてはならない(法144条4項)。
(二)候補者届出政党
 候補者届出政党は、(一)の(1)、(2)、(4)及び(6)に該当する文書図画を掲示することができるが、(6)のポスターについては枚数制限があり、その届け出た候補者に係る選挙区を包括する都道府県ごとに、1000枚に当該都道府県における当該候補者届出政党の届出候補者の数を乗じて得た数(ただし、その届け出た候補者に係る選挙区ごとに、1000枚以内)に限る(法144条1項1号)。また、候補者届出政党が使用することができる(6)のポスターは、長さ85センチメートル、幅60センチメートルを超えてはならない(同条4項)。
 ポスターには、届出候補者の氏名や写真も掲載することができると解される。
[12]5 新聞広告
(一)候補者
 候補者は、横9・6センチメートル、縦2段組以内の寸法で、いずれか1の新聞に、選挙運動期間中、5回を限り、選挙に関して広告をすることができる(法149条1項、規則19条1項)。
(二)候補者届出政党
 候補者届出政党は、当該都道府県における当該候補者届出政党の届出候補者の数に応じて、横38・5センチメートル以内、縦4段組以内から16段組以内の寸法で、いずれか1の新聞に、選挙運動の期間中、8回から32回までの回数を限り、選挙に関して広告をすることができる(法149条1項、規則19条2項)。
 広告には、届出候補者の氏名や写真も掲載することができると解される。
[13]6 政見放送・経歴放送
(一)候補者
 候補者は、政見放送をすることができない(法151条の5)。
 候補者の経歴放送については、日本放送協会は、少なくとも、ラジオ放送によりおおむね10回、テレビジョン放送により1回、候補者の氏名、年齢、党派別、主要な経歴等を放送する(法151条1項、2項)。
(二)候補者届出政党
 候補者届出政党は、日本放送協会及び都道府県ごとに自治大臣が定める民間放送会社の放送設備により、届出候補者の数に応じて定められた時間数の政見放送を行うことができる(法150条1項、4項、令111条の4第1項、第5項)。
 政見放送においては、届出候補者を出演させたりその紹介をしたりすることができると解される。
[14]7 演説会
(一)候補者
 候補者は、回数の制限なく、個人演説会を開催することができる(法161条1項、161条の2)。
(二)候補者届出政党
 候補者届出政党は、右とは別に、回数の制限なく、候補者を届け出た選挙区ごとに政党演説会を開催することができる(法161条1項、一161の2)。
 政党演説会においては、候補者への投票依頼等を行うことができると解される。
 以上のうち2ないし4及び7の選挙運動費用の一部が、候補者については公費負担とされているが、候補者届出政党には公費負担の定めがない。しかしながら、候補者届出政党となり得る要件は、政党助成法により法人格を取得して政党交付金の交付を受けることができる政党の要件とおおむね同一であること(政党助成法2条1項、3条、政党交付金の交付を受ける政党等に対する法人格の付与に関する法律3条1項、4条1項参照)、政党交付金の使途については制限がなく(政党助成法4条1項)、選挙運動にも使用することができることが留意されるべきである。

[15] 右によって較差の程度と内容を検証してみると、小選挙区選挙において候補者届出政党に認められている選挙運動のうち、候補者自身の選挙運動に上積みされると評価することができるものは、それだけで優に候補者本人に認められた選挙運動量に匹敵する程のものがあると考えられるところ、特に、改正公選法150条1項が、小選挙区選挙において、候補者届出政党にのみ政見放送を認め、候補者を含むそれ以外の者には政見放送を認めないとしたことは、候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間に、質量共に大きな較差を設けたというべきである。
[16] 政見放送についてこのような差異を設けた根拠については、選挙区が狭くなったこと、従前より多数の立候補が予測され、候補者に政見放送の機会を均等に提供することが困難になったこと、候補者届出政党は、選挙運動の対象区域が広く、ラジオ放送、テレビジョン放送の利用が不可欠であること等と説明されているが、これは、今日におけるラジオ放送又はテレビジョン放送の影響力の大きさや、全国各地に地方ラジオ放送局、地方テレビジョン放送局が普及している事実を軽視するものであって、到底正当な理由とはなり得ない。また、政見放送は、これのみを切り離して評価すべきものではなく、候補者届出政党に認められた他の選挙運動と不可分一体のものとして、候補者に認められた選挙運動との比較検討をすべきものである。
[17] 以上を総合すると、候補者届出政党に所属する候補者の受ける利益は、候補者届出政党にも選挙運動を認めたことに伴って不可避的に生じる程度にすぎないというのは、あまりにも過小な評価といわざるを得ず、候補者届出政党に所属する候補者と、これに所属しない候補者との間の選挙運動上の較差は、合理性を有するとは到底いえない程度に達していると認めざるを得ない。

[18]1 候補者届出政党に所属する候補者となることが、右のごとく選挙運動上大きな効果を享受できることになるとしても、これから立候補をしようとする者が容易に政党その他の政治団体を結成し、あるいは既に所属する政党その他の政治団体の組織を変更することにより、候補者届出政党に所属する候補者になり得るのであれば、候補者届出政党に所属しないで立候補することは、選挙運動上の便益を受けることを自ら放棄したとみることができるから、便益の較差を問題とする必要は生じないであろう。
[19]2 ところが、改正公選法において候補者届出政党となり得る要件は、国会議員を5人以上有するか、直近の国政選挙における得票総数が、有効投票総数の2パーセント以上であることと定められているのである。ほとんどの既成の政党がこの要件を満たすことには問題がないと思われるのに対し、右の要件を満たさない政党その他の政治団体が候補者届出政党となり得る途は全く閉ざされており、このことが次の選挙を目指し新たな政策を掲げて政治団体を結成することを著しく妨げる要因となっているのである。したがって、新たに立候補をしようとする者で候補者届出政党に所属しないものは、不利な条件下で選挙運動をすることに甘んじつつ候補者届出政党に所属する候補者以上の得票をすることを目標に努力するか、あるいは自己の有する結社の自由を事実上放棄し、不本意ながら候補者届出政党の要件を備える政党に加入し、その所属候補者として立候補することを余儀なくされることになるのである。

[20] 以上のとおりであって、候補者届出政党への参入の窓口を閉ざしたまま、候補者届出政党に所属する候補者とこれに所属しない候補者との間で、右のごとく著しい選挙運動上の便益の較差を残したまま選挙を行うことは、候補者届出政党に所属しない候補者に、極めて不利な条件を課してレースへ参加することをやむなくさせることになると認めざるを得ない。
[21] したがって、改正公選法の小選挙区の選挙運動に関する規定は、候補者が法の定める一定の要件を備えた政党又は政治団体に所属しているか否かにより、合理的な理由なく、選挙運動の上で差別的な扱いをすることを容認するものであって、憲法14条1項に反するとともに、国会の構成原理に反する違法があるというべきである。
[22] もっとも、本件訴訟の対象となった選挙区の選挙を無効としたとしても、それ以外の選挙区の選挙が当然に無効となるものではないこと、当該選挙を無効とする判決の結果、一時的にせよ憲法の予定しない事態が現出することになることなどにかんがみると、本件については、判示三3について述べた理由によるほか、以上の理由によっても、いわゆる事情判決の法理により、主文においてその違法を宣言するにとどめ、これを無効としないこととするのが相当である。

(裁判長裁判官 山口繁 裁判官 小野幹雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 河合伸一 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 福田博 裁判官 藤井正雄 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 奥田昌道 裁判官 梶谷玄)

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