マクリーン事件
第一審判決

在留期間更新不許可処分取消請求事件
東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)第183号
昭和48年3月27日 民事第2部 判決

原告 ロナルド・アラン・マクリーン
被告 法務大臣

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


一 被告が昭和45年9月5日付でした原告の在留期間更新の不許可処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。

一 原告
 主文同旨の判決

二 被告
 「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
[1] 原告は、アメリカ合衆国国籍を有する外国人で、昭和33年ハワイ大学美術科を卒業し、ハワイ州で公立学校の教師等をした後、アジア平和奉仕団の一員として韓国に渡つたが、同44年4月21日その所持する旅券に在韓国日本大使館発行の査証を受けたうえ来日し、同年5月10日下関入国管理事務所入国審査官により、出入国管理令(以下単に「令」という。)4条1項16号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令(以下単に「省令」という。)1項3号に該当する者としての在留資格をもつて、在留期間を1年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸し、入国した。

[2] 原告は、入国後東京都内に居住し、当初はベルリツツ語学学校(以下「ベルリツツ」という。)に、その後は財団法人英語教育協議会(以下「エレツク」という。)に英語教師として生計をたてるかたわら、かねて念願していた琵琶の修練を日本琵琶協会理事錦琵琶宗家水藤五郎に師事して週2回、また、琴の修練を生田流三上良子に師事して週1回うけ、日本古来の音楽文化の研究を続けてきたものである。

[3] 原告は、昭和45年5月1日さらに日本での英語教育および琵琶、琴等の研究を継続する必要があつたので、被告に対し、右を理由として1年間の在留期間の更新を申請したところ、被告は同年8月10日「出国準備期間として同年5月10日から同年9月7日までの120日間の在留期間更新を許可する。」との処分(以下「本件(一)処分」という。)をした。そこで、原告は、さらに同年8月27日被告に対し、同年9月8日から1年間の在留期間の再更新を申請したところ、被告は同年9月5日付で、原告に対し右更新を許可しないとの処分(以下「本件(二)処分」という。)をした。
[4] しかし、本件(二)処分は、次の理由により違法である。

[5] 令21条3項所定の在留期間の更新の許可は、「更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」されるのであるが、日本国憲法の前文および98条は、国際協調主議を建前としており、また、令21条1項は、日本在留の外国人に対し在留期間の更新をうける権利を与えており、いつたん入国を許可された以上、令5条1項各号の要件がないものと認められているのであり、さらに、法定の各在留期間は、各在留資格の下での各在留目的に照らして、極めて短期間にすぎるのであるから、日本に適法に在留している外国人は、在留期間満了後も令24条各号の要件またはそれに準ずべき事由その他とくに著しく不適当な事情がある場合を除いては、原則として在留期間の更新を受けることができるものと解すべきである。ところが、被告の本件(二)処分においては、原告の在留期間の更新を許可しないことについてなんら合理的な理由が存しないのであるから、同処分は違法である。

[6] また、仮に右主張が容れられないとしても、本件(二)処分は、次のとおり、法務大臣の裁量権の範囲を逸脱し、違法である。

[7](一)(1) 被告は、本件(二)処分の理由として、原告がベルリツツの教師としての活動をすることが、その在留資格であり、かつ、入国許可の要件であつたのに、これに反して転職したことをあげるが、原告の上陸許可の証印としては、「4-1-16-(3)」との記載が、また査証には「雇用のため」との記載があるのみであるから、被告が、右に表示されていない事項を在留資格として扱い、その資格以外の活動を行なつたことを理由に、在留期間更新の不許可処分をすることは許されない。
[8](2) 仮に、原告の在留資格を最も狭く解釈しても、それは英語教師として勤務する資格であるというべきところ、原告は、エレツクに転職した後においても、原告の右資格には全く変動がないのであるから、在留資格外の活動をしたことにならないのはいうまでもない。また、日本国憲法22条は、外国人に対しても転職の自由を保障しているというべきであるから、原告の同一在留資格内での転職を理由に本件処分のような不利益処分をすることは許されないのである。
[9] なお、在留外国人が転職して入管当局に許可を求めるとか、通知をするという手続は要求されていないのであるから、外国人が入管当局に無断で転職することが許されないものと解すべき余地はない。
[10](3) 仮に、ベルリツツの英語教師として勤務することが原告の在留資格であつたとしても、原告のベルリツツからエレツクへの転職(以下「本件転職」という。)には、次のような正当な理由があつた。
[11] すなわち、原告は昭和44年5月10日入国後直ちにベルリツツに勤務したが、原告は、ハワイや韓国での経験に基づき、自分なりの英語教育方法を有しており、ベルリツツの画一的教授方法に疑問を持ち、生徒に進歩のないのを見て自己の確信する方法で教える必要を感じたが、ベルリツツは、放送設備により教師を監視して画一的教授方法を強制するばかりでなく、授業のスケジユールが乱れて、当日にならないと授業担当時間が定まらず、余暇の予定も組めない状態になつた。さらに、原告に対する給与の支払いが遅れたり、それがベルリツツの近辺に支店のない銀行払いの小切手でされたうえ、原告が昼休みに当該銀行にその支払いをうけに行つて授業に5分間遅刻したことをとがめられたりしたことなどの事情が重なつたため、原告はベルリツツに対し強い不満と不信感とを抱くに至つた。他方、原告は、その頃フルブライト委員会の人に紹介されて、エレツクに行き、その教授方法が自己の信ずるとおりのものであることを知り、同年6月上旬ベルリツツを退職してエレツクに勤務するに至つたのである。
[12] なお、ベルリツツは、国際的な語学教育機関であるが、日本では設立されてから日も浅いうえ、英語教育専門機関でないのに対し、エレツクは、昭和31年7月学界、財界の有志によつて設立された日本英語教育研究委員会の事業拡張により同38年2月設立された財団法人で、この種の英語教育機関としては、設備、教師、活動、権威等の点で日本では最大の規模のものであつて、ベルリツツに比してなんら遜色はなく、転職先が不適切といえないことも明らかである。

[13](二) また、被告は、本件(二)処分の理由として、(a)原告が外国人ベ平連に所属し、政治活動に参加したこと、および(b)本件(二)処分の前の在留期間の更新たる本件(一)処分が出国準備期間としてされたことをあげている。
[14](1) しかし、右の各理由は本件訴訟以前には開示されなかつたものであるところ、本件事案のように処分の裁量の範囲が大きく、かつ人身に関する処分の場合には、処分の理由を訴訟において追加、変更することは、被処分者にこの点に関する充分な準備の余裕を与えずに訴訟進行を強いることになり、司法救済を困難ならしめるから、許されない。
[15](2) 仮に右のような処分理由の追加が許されるとしても、(a)のような処分理由に基づいてされた本件(二)処分は違憲、違法なものである。
[16] すなわち、いわゆる「政治活動」の中には狭義のものと広義のものとがあり、前者を行なう権利(Political rights)は、参政権であつて、具体的には選挙権、被選挙権、公務員就任権、国民投票権などがこれに包含され、国の主権者たる国民のみが有するものであるのに対し、後者を行なう権利は、国の政治について意見を表明したり、政治情報を収集したり、研究、討議などを行なう権利であつて、これらの行動は思想の自由、表現の自由、集会・結社の自由と結びついた市民生活的行動であり、市民としての権利(Civil rights)である。そして、このような思想の自由、表現の自由等は、民主主義社会の健全な発展、維持にとつて不可欠であるとともに、人間として根源的な自由であり、国家がこれを侵害することは絶対に許されない天賦の基本的人権であつて、国の政策によつて直接に利益、不利益を受ける在日外国人に対しても保障されるべきものである(なお、被告は、わが国の特定の政治政策に影響を与える政治活動を他の政治活動から区別し、また、政治的活動をそうでない表現活動から区別して、これらを外国人に憲法上保障されていないものである旨主張するが、このような区別はそもそも根拠がないうえ、区別自体極めて困難であるから、右主張は結局外国人に対して憲法21条の適用を全面的に認めないことに帰着し、失当である。)。
[17] 原告は、ベトナム侵略戦争を非人道的な許すべからざるものと考え、これに対する反対の意思表明を、集会、デモ行進、ビラまき、反戦放送などの合理的かつ平和的手段によつて行なつてきたものであるが、これは、アメリカ合衆国政府の戦争政策に反対する政治的行為であることはいうまでもないが、同時に人間の良心から出発した思考の末やむにやまれずした表現行為であつて、日本国憲法21条の保障する基本的人権の行使であるから、これを理由として在留期間更新の不許可処分をすることは許されない。
[18](3) また、前記(b)のような理由に基づく本件(二)処分も違法である。
[19] すなわち、令21条によると、在留期間更新の許否は申請のあつたときに判断されるべきものであつて、事前に次回以降の処分を拘束するような処分は認められていないし、かつ、そのような処分を認めるべき合理的必要性も全くない。
[20] また、被告主張の出国準備期間という許可処分は、許可処分としての面と不許可処分としての面とを併わせもつ、極めて内容の不明確なものであり、かつ、外国人の地位を著しく不安定にする処分であるから、許されない。さらに、本件(一)処分をされても、原告の在留資格には変更はないというべきであるが、仮にこれが在留資格を変更する処分であるとすると、令20条、21条所定の在留期間の更新は在留資格の変更を伴わない処分なのであるから、その申請に対して在留資格を変更する処分は許されないはずである。
[21] ところで、本件(一)処分が出国準備期間のためのものであつたとしても、右処分は前記のとおり、原告の転職、政治活動を理由としてされたものであるから違法なものであるところ、これを前提としてされた本件(二)処分も、その違法性を承認するものであるから、違法である。
[22](4) さらに日本国憲法による基本的人権および法の下の平等の保障は、在日外国人についても合理的な範囲で及ぶものと解すべきところ、本件(二)処分は、原告の前記のような英語教育、日本古典音楽の研究を途中で断念させることになつて、原告の幸福追求権(憲法13条)、学問の自由(同23条)、居住の自由(同22条)を侵害することになり、また、原告と同じくエレツク等に勤務している外国人教師たちの多くが、在留期間の更新を再三許可されて安定した生活を営んでいるのに対し、原告に対してのみ在留期間の更新を認めないで差別する合理的事由は何もなく、法の下の平等の原則(同14条)に反するもので、違法である。

[23] よつて、原告は、本件(二)処分が違法であることに基づき、その取消しを求める。
[24] 請求原因一の事実のうち、原告の出身校、米国および韓国における職歴、原告の琵琶・琴の修練・研究、将来におけるその継続の必要性の各点は不知であるが、その余の事実は認める。請求原因二の事実のうち、被告が本件(二)処分の理由として原告主張の各点をあげていることは認めるが、その余の事実は争う。
[25] 原告は、令21条1項が在留外国人に対し在留期間の更新を受ける権利を与えている旨主張するが、在留期間の更新は、令21条3項により明らかなように法務大臣において当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるときに限り許可されるのであつて、その許否が法務大臣の自由裁量に委ねられているのである(なお、外国人の入国および在留の許否は、もつぱら当該国家の自由裁量により決定しうるのであつて、特別の条約がない限りは、国家は外国人の入国または在留を許可する義務を負うものではないというのが、国際慣習法上認められた原則であり、わが国の出入国管理令の各規定にもこの原則が反映しているのであつて、令21条は外国人に在留期間の更新を権利として付与したものではない。)。そして、法務大臣は、実質的には、在留資格に関する事項を審査するほか、出入国管理令の定める上陸拒否事由(5条1項)および退去強制事由(24条)の趣旨に則り、従前の在留状況をも考慮して、右要件の有無について判断するのであるから、在留期間の更新についての審査は、在留期間中における退去強制事由の審査とは本質を異にし、従前の在留期間中の退去強制事由に至らない程度の事由も更新拒否の理由となり得るのであつて、法務大臣の更新の許否についての裁量の範囲は極めて広いのである。

[26] 次に、原告は、本件(二)処分が法務大臣に認められた裁量の範囲を逸脱する違法なものであると主張する。

[27](一) しかし、原告のようにわが国において語学教師を行なおうとする者から入国査証の申請があつた場合は、教師として勤務する施設が特定しており、かつ、実際に有効な雇用契約が成立していることを確認したうえで、学校の規模、教師数、経営内容を調査し、当該外国人が真実、かつ、もつぱら英語教師として活動することが確実であり、わが国の労働市場等も考慮してその者の入国を許可することがわが国にとつて利益であると認められる場合に限つて、令4条1項16号、省令1項3号の法務大臣がとくに在留を認めるものとしての在留資格をもつて入国を許可しているのが実情である。
[28] ところで、原告は、昭和44年3月20日在韓国日本大使館にベルリツツの英語教師として勤務するという入国目的で入国査証の申請をし、同年4月21日右目的のための特定査証の発給を受けたのであるが、もともと法務大臣が特に在留を認める者に対して与えられる令4条1項16号、省令1項3号に定める在留資格は、法務大臣が当該外国人に対しどのような活動を認めるかによつて、その活動内容が特定されるのであるところ、法務大臣は、原告の右査証申請に基づき外務大臣から協議をうけた際、本邦における活動はベルリツツの英語教師として認める旨を回答し、それにより前記査証が発給されているのであるから、同査証には「雇用のため」とのみ記載されていても、これはベルリツツに英語教師として雇用されるためのものであり、単に英語教師として本邦に入国を許可することを表わすものではないのである。したがつて、原告のような外国人の英語教師の場合、入国査証申請にかかる勤務先を入国後雇用契約期間中に変更すると、法務大臣が予め当該外国人に特に在留を認めることとした事由が失われてしまい、当該外国人は退職により入国目的を失うことになるのであるから、本邦における他の施設において英語教師として勤務することを希望する場合には、本人の責めによらないで当初の勤務先で勤務することができなくなつた場合等を除き、原則としていつたん出国し、新たに入国査証申請からやり直すべきものである。
[29] しかるに、原告は、本邦入国後わずか17日間でベルリツツを退職し、エレツクに英語教師として就職しており、入国を認められた学校における英語教育に従事しなかつたのであるから、法務大臣がその在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものと認めず、本件各処分をしたことは適法である。

[30](二) また、原告は、被告が本件訴訟において本件(二)処分の新たな理由を追加することは許されない旨主張する。しかし、被告が本件(一)処分をするにあたつては、原告が政治活動をしたことが処分の実質的理由の一つとなつていたのであるから、本件(二)処分においてもこれがその理由に含まれていたものというべきである。
[31] そして、在留期間の更新の許否の処分をするにあたつて、その理由を明示することは法律上要求されていないから、本件(一)処分に際し、原告の政治活動がその理由となつていることを原告に告知しないのは当然であつて、本件において、右政治活動が本件(二)処分の理由となつている以上、これを訴訟において主張することは許されるべきである(なお、被告は本訴の最初の口頭弁論期日に答弁権により原告の政治活動を処分理由の一つとして主張しているのであるから、原告がこれに対応して訴訟準備をする余裕も与えられていないということはありえない。)。

[32](三)(1) およそ、日本国憲法第3章の諸規定による基本的人権が在留外国人に対しても保障されるかどうかは、当該権利の性質によつて判断すべきものであるが、民主主義政治体制をとつている日本国憲法下においては、わが国の政治は日本国民の意思により決定されるべきものであるから、国民と異なり、わが国と身分上の永続的結合関係を有しない外国人は、わが国の政治に直接参加する権制(参政権)を有しないばかりでなく、わが国の政治的意思形成に影響を与える政治活動を行なうことも、権利としては保障されてないものというべきである(実質的にみても、このような政治活動を許容することは、わが国と単に場所的結合関係にのみ立つている外国人の無責任な政治活動による弊害をもたらす危険があり、また、外国人がわが国を政治活動の場として悪用する危険もないとはいえない。)。したがつて、外国人の政治活動の自由には、右のような限界があるのであるから、その範囲においては憲法21条の表現の自由の保障は及ばないというべきである。そして、政治活動の目的・内容からみて、わが国の政治体制の変更を主張する活動、国民の参政権の行使に直接影響を与える活動、わが国の特定の政策(国内・外交)に影響を及ぼす活動などは、右の趣旨からして憲法の保障の対象外であると考えるべきである。
[33](2) ところで、原告は、入国後間もなく、米国のベトナム軍事介入反対、日米安保条約反対、在日外国人の政治活動に対する日本政府の抑圧反対等を主唱し、これらの政治活動を目的とする組織であるいわゆる「外国人ベ平連」に所属し、昭和44年6月30日外国人ベ平連定例集会に参加し、それ以来同年12月22日まで9回にわたり同集会に参加したほか、同年7月10日左派華僑青年等が同月2日より13日まで国鉄新宿西口付近において行なつた出入国管理法粉砕ハンガーストライキを支援するため、その目的等を印刷したビラを通行人に配布し、同年9月6日および10月4日ベ平連定例集会に参加し、同月15日および16日にはベトナム反戦モラトリアムデー運動に参加して米国大使館にベトナム戦争に反対する目的で抗議に赴き、同年12月7日横浜入国者収容所に対する抗議を目的とする示威行進に参加し、同45年2月15日朝霞市における反戦放送集会に参加し、同年3月1日朝霞市の米軍基地キヤンプドレイク付近における反戦示威行進に参加し、同月15日ベ平連とともに朝霞市における「大泉市民の集い」という集会に参加して反戦ビラを配布し、同年5月15日米軍のカンボジア侵入に反対する目的で米国大使館に抗議のため赴き、同月16日、5・16ベトナムモラトリアムデー連帯日米人民集会に参加してカンボジア介入反対米国反戦示威行進に参加し、同年6月14日代々木公園で行なわれた安保粉砕労学市民大統一行動集会に参加し、同年7月4日清水公園で行なわれた東京動員委員会主催の米日人民連帯米日反戦兵士支援のための集会に参加し、同月7日には羽田空港においてロジヤース国務長官来日反対運動を行なうなどの政治的活動を行なつた。これら原告の政治活動は、令5条1項14号の「日本国の利益」を害する虞れのある行為に該当し、しかも原告が将来もそのような政治活動を行なう虞れがあるものと認めるに足りる充分な理由があるのみならず、これらは在留資格の内容となつている活動に附随して行なわれたものというよりは、むしろ政治活動を行なうことを主たる目的として本邦に在留しているものと認められるから、実質的には資格外活動に該当するものということができ、原告については在留期間更新を拒否すべき相当の理由がある。
[34] よつて、このような理由に基づき被告のした本件(二)処分には裁量権の逸脱はなく、適法である。

[35](四) 本件(一)処分は、出国準備のため在留期間を120日とする更新許可であつて、形式的にはその在留資格に変更を加えるものではないが、その実質的な趣旨は、出頭の準備をするためのものであつて、いわば実質上不許可処分に等しいものであるから、さらにこれを更新する必要は全くないのである。そして、このような許可処分に対する取消訴訟が可能か否かについては疑問があるが、仮に、これが可能であるとすれば、原告は右許可処分の取消訴訟を提起すべきであつたのであり、同処分がすでに確定した現在においては、その違法事由をもつて、本件(二)処分の取消事由とすることは許されない。したがつて、本件(二)処分には裁量の逸脱はなく、適法というべきである。
[36] 被告の本件処分の適法性に関する主張の2の(一)、(二)の各事実は、いずれも争う。

[37] 同(三)の(2)の事実のうち、外国人ベ平連の目的、昭和44年7月10日のビラ撒きの目的、同年12月7日の行為の目的、内容、同45年3月15日および5月16日の各行為はいずれも否認するが、その余の事実はすべて認める。
[1] 請求原因一の事実(本件処分に至る経緯)は、原告の出身校、米国および韓国における職歴、原告の琵琶、琴の修練、研究、その将来における継続の必要性の各点を除き、当事者間に争いがなく、成立について争いのない甲第14号証、乙第4、第7、第16号証および原告本人尋問の結果によると、原告は昭和34年ハワイ大学(教育学等専攻)を卒業し、ハワイ州立学校の教師、米国船舶局職員をした後、昭和41年米国平和奉仕団の一員として韓国に渡り、英語教育に従事したこと、原告はかつてハワイにおいて2年間程琴を習つたことがあり、また、琵琶の演奏に魅了されたこともあつて、かねてからこれら日本の古典音楽の研究をすることを念願としていたが、昭和45年1月ころから琵琶を水藤五郎に師事して週2回、琴を三上良子に師事して週1回それぞれ習い、その研究を続けてきたこと、原告は、ゆくゆくはアメリカのアジア音楽部門を有する大学で琵琶、琴などの教授をすることを志しており、それには相当長期にわたつて、日本で英語教育に従事するかたわら、このような古典音楽の研究を続けることが必要であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
[2] そこで、次に、本件(二)処分が違法か否かについて検討する。

[3] 令21条3項によると、本邦に在留する外国人が在留期間の更新を申請した場合には、法務大臣は「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」これを許可することができる旨定められているのであるから、原告主張のように、外国人は違法強制事由またはそれに準ずべき事由等が存しない限り在留期間の更新をうける権利を与えられているということではない(令21条1項は、同条2、3項等の規定との関連において解釈されるべきことはいうまでもない。)。法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を認めるに足りる相当な理由があるか否かを判断するに際し、在留の目的、必要性その他在留資格に関する事項のほか、従前の在留状況等を考慮して更新の許否を決することができるものというべく、在留期間の更新の許否については、相当広汎な裁量権を有するものと解すべきであるが、この裁量権も憲法その他の法令上、一定の制限に服するのは当然である。

[4] そこで、本件(二)処分が、原告主張のように、法務大臣に与えられた裁量の範囲を逸脱する違法なものであるかどうかについて、以下に考察する。

[5](一) まず、原告が、わが国で英語教師として勤務するかたわら、念願としていた日本古典音楽の研究を志して来日し、在留の約1年間、ベルリツツおよびエレツクで英語教育に従事し、余暇に琵琶、琴の修練を積んできたが、本件(二)処分当時いまだ日も浅く、そのいずれについても充分な成果をあげえないでいたことは、前認定のとおりであるから、原告について本件(二)処分当時在留期間の更新を必要とする相当の理由があつたものということができる。

[6](二) 被告は本件(二)処分の理由の一として原告の本件転職をあげるので、次にこの点について検討する。
[7] いずれも成立につき争いのない甲第1号証の25、26、第2ないし第6、第16、第17号証、乙第1、第2、第8、第11、第16ないし第18号証、弁論の全趣旨によりその成立を認める乙第12号証および証人黒田衛、同青山農、同亀井靖嘉の各証言、原告本人尋問の結果の一部ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告は、韓国からわが国に入国するにさいし、入国目的をベルリツツに雇用されることとして査証の申請をし、ベルリツツとの雇用契約書およびその身元引受書を提出したので、被告において入国を許可したが、在韓国日本大使館発行の査証の上では、入国の目的は単に「雇用されるため」(for employment)と記載され、また法務省入国管理局名義の下関港における上陸許可の証印にも、在留資格は「4-1-16-(3)」すなわち、令4条1項16号、省令1項3号に基づき法務大臣が特に在留を認める者に該当することの略号が記載されたにすぎず、また、入国および上陸の許可のさい、原告に対し、その入国目的および在留資格がベルリツツに雇用されることに限定される旨あるいは勤務先を変更するには関係当局の承認を要する旨等の告知は、なんらされなかつたこと、原告は昭和44年5月10日入国後直ちにベルリツツに勤務したが、ベルリツツの教授方法の効果に疑問をいだき、自己の従前の経験からみて効果的と確信する方法で教育する必要を感じたものの、放送設備を通じて授業を監視されるため画一的な教授方法をとることを余儀なくされたほか、同校の日々の授業担当時間が定まらないため、生活の予定すら立てられない状態であり、さらに、同校では、給与の支払いが遅れたり、その支払いを学校附近に支店のない銀行払いの小切手でしたりしたうえ、原告が昼休みに当該銀行にその支払いをうけに行つて授業に5分ほど遅刻したところ、それをとがめられたことなどの事情が積み重なつたため、原告はベルリツツに対して強い不満をいだくに至つたこと、他方、原告は、そのころエレツクの求人を伝え聞き、また、エレツクが日本人に対する英語の教授方法として最良の方法を研究しながら教育していることを知り、同年5月末ころベルリツツの職員に辞意を告げて退職し、エレツクに勤務するようになり、目下これによつて生計を立てていること、エレツクは昭和38年2月に学界、財界の有志によつて設立された財団法人であつて、英語教育機関としては教師、設備、コースの内容、種類の豊富さ等の点で日本でも屈指のものであり、ベルリツツに比して遜色がなく、エレツクは原告の生活費、帰国旅費、法規の遵守および情報の提供について保証し、原告の講師としての在任期間1年間を延長しうるものとしていることを認めることができ、右認定と原告のベルリツツにおける在職期間について符合しない甲第17号証および原告本人尋問の各一部は、前掲各証拠に対比して採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
[8] 以上認定の事実関係によると、原告はベルリツツに雇用されることを入国目的として査証の申請をし、被告においてこの点を審査したうえで入国を許可したのであるが、前記の査証および上陸許可の証印上の記載その他原告に対する入国許可の経緯等からは、(被告係官の主観的意図はともかくとして)とうてい原告の在留資格がベルリツツにおける英語教師に限定されているものと解することはできず、したがつて、被告の主張するように、原告がベルリツツからエレツクに転職したことを把えて、在留資格外の活動を行なつたとか、これによつて入国目的を失つたとかいうことはできない。また、原告がベルリツツに就職後3週間足らずで勤務先の責任者に正式に告知することなく転職した行為には、適切さに欠けるところがあるようにみえるが、右転職には前記認定のような一応の理由があるうえ、転職先は、従前の勤務先と同種のものであり、かつ、これに比して遜色がなく、また外国人の在留状況という観点からみて、なんら非難すべき点のない勤務先であつて、原告はそれ以来本件(二)処分当時まで同所に引き続き勤務しているのであるから、右転職をもつて、出入国管理上の秩序を乱したとはいえず、また、関係当局との信頼関係を破壊したと解することもできない。
[9] さらに、成立につき争いのない甲第7、第8、第18、第19号証、証人青山農の証言および弁論の全趣旨によると、そもそも在留期間更新の申請に対して不許可処分がされることは極めて少いばかりでなく、原告の同僚その他同種の在留資格の者についても更新の許可をされている例が相当多く、転職者についても更新の許可する例があることが認められ、右認定に反する証拠はない。
[10] したがつて、以上認定の各事実のほか、現行法の下では転職を希望する在留外国人がその許可をうけ、あるいはその届出をするなどの手続が全く定められていないことも合わせ考えると、被告が本件転職を理由として本件(二)処分をしたことは、社会観念上著しく公平さ、妥当さを欠くといわなければならない。

[11](三) また、被告は、本件処分の第二の理由として原告の政治活動をあげるので、以下この点について判断する。
[12](1) まず、原告は、被告が本件訴訟においてはじめてこのような処分理由を追加することは、被処分者の充分な訴訟準備を困難にするから許されない旨主張するが、法務大臣が在留期間の更新の許否の処分をするにあたり、その処分理由を被処分者に告知すべき法律上の義務はないから、原告が本件(二)処分の理由の一部を知り、他を知らなかつたとしても、それは事実上のものにすぎず、また、本件訴訟記録によれば、本件訴訟の第1回口頭弁論期日において、被告は右のような処分の理由を陳述し、原告はこれを了知したことは明らかであるから、この点に関し、原告が訴訟上充分に準備すべき余裕を与えられなかつたということもできない。したがつて、原告の右主張は理由がない。
[13](2) 被告の本件処分の適法性についての主張の2の(三)の(3)の各事実(原告の政治活動)は、外国人ベ平連の目的、原告の昭和44年7月10日のビラ撒きの目的、同年12月7日の行為の目的、内容、同45年3月15日および5月16日の各行為の点を除き、当事者間に争いがなく、証人沼沢米吉の証言によりその成立を認める乙第13号証の2、成立につき争いのない乙第20ないし第22、第24号証および証人沼沢米吉の証言によると、外国人ベ平連は、昭和44年6月在日外国人30数人によつて、アメリカのベトナム戦争介入反対、日米安保条約によるアメリカの極東政策への加担反対、在日外国人の政治活動を抑圧する出入国管理法案反対の3つの目的のために結成された団体であるが、いわゆるベ平連からは独立しており、また、会員制度をとつていないこと、原告の昭和44年7月10日、同年12月7日、同45年3月15日、同年5月16日の各行為の目的ないし内容がいずれも被告主張のとおりのものであること、被告の主張にかかる原告参加の集会、集団示威行進等がいずれも平和的かつ合法的行動の域を出ていないことが認められ、原告本人尋問の結果のうち右認定と符合しない部分は、前掲各証拠に対比して採用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
[14] ところで、ひとたび入国を許可された在留外国人の政治活動が在留期間更新の不許可を相当とする事由に当たるか否かを判断するには、少なくとも令5条1項11号ないし14号に準ずる事由があるか否かを考察すべきであつて、かかる事由もないのにされた更新不許可の処分は裁量の範囲を逸脱するものと解され、本件においては、原告の行なつた政治活動が日本国民および日本国の利益を害する虞れがあると認められるか否かが問題となる。
[15] このような観点から本件をみると、原告の行なつた前記のいわゆる政治活動のうちには、まず、いわゆるベトナム反戦(米軍のカンボジア介入反対を含む。)を目的とする集会、集団示威運動および反戦放送への参加があるが、米国のベトナム政策については、人道上、外交上の見地からの批判が存し、米国内においても反対の意見が少なくないことは公知の事実であるから、米国人である原告が本国の行ないつつある右政策に対し、滞在地である日本国内において自己の見解を表明し、主として在日米国人に対して反戦を呼びかける行為(ロジヤーズ国務長官来日反対の行動も同趣旨に出たものと解される。)は、政治活動というよりは、むしろ一米国人としての自然の思想表現であつて、これをもつてわが国の政治問題に対する不当な容喙とみることはできず、このために日本国民および日本国の利益が害される虞れがあるということもできない。
[16] 次に、原告の参加した集会、集団示威運動の中には、ベトナム反戦とならんで日米安保条約反対をも目的とするものがあつたことは前記認定のとおりであるところ、日本国の安全保障の方策は、もつぱら日本国民が選択決定すべき政治問題であつて、外国人の干渉すべき事柄ではなく、日本国憲法がこのような問題についての在留外国人の集会や集団示威運動等の自由を日本国民に対すると同等に保障しているものとみることはできない。しかしながら、そのような政治活動を行なつた外国人の日本在留を許容するかどうかの裁量にあたつては、当該外国人の在留が日本国の利益を害する虞れがあるか否かを、その者の行なつた政治活動の実体に即して判断すべきものである。そして、成立につき争いのない乙第16号証、前掲乙第24号証、証人清水知久の証言および原告本人尋問の結果を総合すると、原告自身は、むしろ日米安保条約を廃棄することは非現実的であるばかりでなく、そもそもこのような日本の政治問題は日本国民みずからが決定すべきであるとの考えを持つており、従来、日本の政治に関する発言をさし控えるように努めていたこと、原告が前記の集会等に参加した意図は、もつぱらベトナム反戦を訴える点にあつたこと、および右集会等における原告の参加の態様は、指導的または積極的なものではなかつたことが認められる。してみると、原告の参加した集会等は、原告が本来意図した目的とは異なる政治主張をも包含しており、このような集会等に参加したこと自体思慮を欠くものがあつたとしても、原告の集会等への参加の目的および態様が右のようなものであつたことに鑑みるならば、この集会参加のゆえに原告の日本在留が日本国民および日本国の利益を害する虞れがあるとまではとうてい考えられない。
[17] さらに、原告の前記の入管法案反対ハンスト支援ビラ配布、横浜入国者収容所に対する抗議の示威運動についてみると、出入国管理法制および入国者収容所の待遇のいかんは、日本の政治問題であると同時に、在留外国人にとつて直接の利害関係をもつ問題であるから、在留外国人である原告がこの問題について日本国民に呼びかける行為は、日本の政治に対する干渉というよりは、原告自身の身分上の利害に関して日本政府および日本国民に善処を訴える行為という性質をもつものということができ、そのさい原告のとつた行動自体についても、日本国民の政治的選択に不当な影響力を行使し、あるいは国の政策遂行に支障を与えるようなものがあつたことを認めるに足る証拠はない。とすれば、この行為の故に原告の日本在留が日本国民および日本国の利益を害する虞れがあるとみるべきでないことは、いうまでもない。
[18] そして、原告の前記のいわゆる政治活動のすべてを合わせ考えても、それゆえに原告の日本在留が日本国民および日本国の利益を害する虞れがあるとは考えられず、また、被告の主張のように、原告の日本在留の主たる目的がこのような政治活動を行なうことにあるとの事実を認めるに足りる証拠はないから、原告が実質的に在留資格外の活動に従事したと断ずることもできない。したがつて、被告が原告の前記のいわゆる政治活動を理由として本件(二)処分をしたことは社会観念上著しく妥当性を欠くものといわなければならない。

[19](四) 以上認定の諸事情を総合して考察するならば、被告の本件(二)処分は、原告の行なつた本件転職およびいわゆる政治活動の実体が、なんら在留期間の更新を拒否すべき事由に当たらないのに、著しくこの点の評価を誤つたもので、日本国憲法の国際協調主義および基本的人権保障の理念にかんがみ、令21条により被告に与えられた裁量の範囲を逸脱する違法の処分であるといわなければならない。

[20](五) 被告は、本件(一)処分は、出国準備のための猶予を与えた実質上の更新不許可処分であるから、これをさらに更新する必要はないばかりでなく、仮に右処分が違法であつたとしても、右処分はすでに確定しているのであつて、その違法事由をもつて本件(二)処分の取消しを求めることはできない旨主張する。
[21] 原告が当初1年間の在留期間の更新を申請したところ、被告が出国準備期間として120日間に限つて更新を許可する旨の本件(一)処分をし、その後原告がさらに1年間の在留期間の再更新を申請したのに対し、被告はこれを許可しないとの本件(二)処分をしたことは当事者間に争いがない。
[22] しかしながら、出国準備のための在留期間の更新許可の処分は、従前の在留資格を変更または消滅せしめるものではなく、従前の在留資格を維持しながら、その更新許可が出国の準備のため特に付与されたもので、期間満了後はもはや再度の更新を行なわないことを事実上予告する意味をもつにすぎないから、右のような出国準備のための許可処分があつても、法律上再度の更新許可申請に対する処分の内容が拘束されるものではないから、再度の許可申請が却下されたとき、その却下処分を争いうることはいうまでもない。本件において、本件(二)処分が被告主張の理由に基づいてされ、かかる理由に基づく本件(二)処分が違法であることはすでに判示したとおりであるから、この点に関する被告の主張は採用できない。
[23] 以上判示のとおり、本件(二)処分が違法であるとして、その取消しを求める原告の請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行訴法7条、民訴法89条を適用して、主文のとおり判決する。

  (裁判官 杉山克彦 加藤和夫 石川善則)

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