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上野継義の報告資料

アメリカ人事管理運動と「人間技師」の戦い
──労務管理の専門職化とのかかわりで
──

経営史学会第51回全国大会
(2015年10月10日、大阪大学)


報告要旨
 1910年代のアメリカにおいて、人のとりあつかいを「科学」にしなければならないとの労務改革の理想が人間工学 (human engineering) という言葉に結晶した。この言葉がマイヤー・ブルームフィールドら雇用管理運動の指導者によって「人事管理」の代名詞として用いられるようになると、背景を異にするさまざまな人たちがわれこそは人間技師 (human engineers) なりと声を挙げ、それぞれ固有の労務改革案を唱えるようになる。人事管理運動は、人間技師たちによる労働問題解決策の提案競争であり、戦いの歴史なのであった。本報告の目的は、戦いの中軸をなした雇用管理運動と労使関係管理運動に焦点を絞り、この二派の協調と対抗の過程を再構成することによって、新しい人事管理生成史を提示することである。

 本報告の作業課題を絞り込むために、これまでの研究の経緯を振り返っておこう。人間工学という言葉を己が改革目標を表現するうえで好都合だと考える人たちの気持ちが合わさって人間工学ブームは将来したが、長続きしなかった。第一次大戦の休戦を迎えるころには、ブームを牽引してきた雇用管理運動の求心力はあらかた失われていた。運動指導者やその同調者たちは工学的メタファーを操って理想的な雇用管理者像を謳いあげてきたが、そうした言動それ自体が反撥をまねくことになった。これら雇用管理派の人たちの純粋な専門職志向と理論偏重姿勢への不満や反感が実業界の底辺に潜行しており、休戦によって戦時経済体制の抑えの箍がはずれると、鬱積していたものが一気に表面化した。これを放置したならば人事管理運動そのものが頓挫しかねない情勢となり、そこでブームの幕引き役を買って出たのが労使関係管理運動の指導者たちであった(ここまで参考文献1で明らかにした)。いったい労使関係管理派の人たちは人事管理運動をどこへ導こうとしていたのであろうか。この疑問文を導きの糸として、彼らによる専門職業思想の書き替え作業を再構成し、人事管理専門職がどのように再定義されたのかを明らかにする。





















大会報告原稿
  1. 上野継義「 アメリカ人事管理運動と『人間技師』の戦い ──労務管理の専門職化とのかかわりで──」 京都産業大学Discussion Paper Series, no. 2 (October 2015).  会場で配布します。

  2. 大会報告スライド




参考文献
  1. 上野継義「アメリカ人事管理運動と『人間工学』の諸相 (1) (2) ──人間工学ブームの盛衰──」福島大学『商学論集』83巻4号・富澤克美教授退職記念号 (2015年3月): 93-118; 84巻1号 (2015年6月): 39-68. [(1) ダウンロード] [(2) ダウンロード

  2. 同「アメリカ産業における安全運動の波及と労使関係管理の生成──1908〜1915年──」『経営史学』31巻4号 (1997年 1月): 1-31.  [ダウンロード

  3. 同「アメリカ近代産業企業における委員会型管理システムと能率概念の転換──インタナショナル・ハーヴェスター社におけるフォアマン教育と合同委員会型従業員代表制の生成──」京都産業大学『経済経営論叢』35巻4号 (1999年3月): 56-117.  [ダウンロード

  4. 同「人事部創成神話の起源──インダストリアル・エンジニアリング生成史の一断面──」 京都産業大学ディスカッション・ペーパー (第2版 1915年9月17日).  [ダウンロード]  『アメリカ経済史研究』第14号 (2016年3月) 掲載予定.


















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