監獄法施行規則接見制限事件
上告審判決

面会不許可処分取消等請求事件
最高裁判所 昭和63年(行ツ)第41号
平成3年7月9日 第三小法廷 判決

上告人 (控訴人・附帯被控訴人 被告) 国
                代理人 加藤和夫 外5名

被上告人(被控訴人・附帯控訴人 原告) 甲野太郎(仮名)
                代理人 渡辺務 外1名

■ 主 文
■ 理 由


 原判決中上告人敗訴の部分を破棄する。
 第一審判決中上告人敗訴の部分を取り消す。
 前項の取消部分に関する被上告人の請求を棄却する。
 第一項の破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却する。
 訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

[1] 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

[2] 被上告人は、爆発物取締罰則違反等により起訴され、昭和50年7月から東京拘置所(以下「拘置所」といい、その長を「所長」という。)に勾留されているが、昭和54年11月12日第一審で死刑の判決を、昭和57年10月29日控訴審で控訴棄却の判決を受けた。

[3] 被上告人は、昭和58年4月14日、岩手県に居住する甲野春子と養子縁組をした。右養子縁組は、死刑廃止運動に賛同した春子が被上告人を自己の養子にしたいと決意しその旨を申し入れたことから成立した。したがって、被上告人と甲野一家とは従前生活を共にしたことはないが、それぞれが可能な範囲・方法で接触を保つように努力しており、現に春子及びその長女甲野夏子は何回となく被上告人に面会に来ていた。

[4] ところで、従来、拘置所では、在監者と14歳未満の者(以下「幼年者」という。)との面会をかなり広く認めていた。しかし、昭和53年後半ころ、特定の事件の支援者らが、子供を同伴した上在監者と接見し、その後子供と共に拘置所内でシュプレヒコール等をしたので、拘置所側がこれを排除しようとしたところ、子供の身体に危険が生じたことがあった。そこで、拘置所は、そのころから在監者と幼年者との面会を全面的に禁止した。昭和54年8月2日、拘置所は、この取扱いを改め、在監者と幼年者との面会は、(ア) 在監者の処遇上必要がある場合、及び、(イ) 勾留が長期にわたっていること、面会の相手が在監者の実子であること、進学、進級等子供の教育上必要があるか配偶者の病気,入院等子供の成育上必要があるなど特別の事情があること、年2回程度であることという条件をすべて具備した場合、にのみこれを許可することとした。そして、同日以降この取扱いが定着し、幼年者との面会を希望する在監者は、事前に所長に対し面会の許可の申請をしている。

[5] 被上告人は、養子縁組の成立前から夏子の長女甲野秋子(昭和48年8月26日生)と文通をしていたので、何回となく所長に対し秋子との面会の許可申請をし、その申請書に被上告人と秋子との関係、被上告人が秋子に面会したい理由等を記載したが、毎回不許可となった。被上告人は、昭和58年5月30日、同年4月27日にした秋子との面会許可申請が不許可となったので、その取消しを求めて法務大臣に情願書を提出し、春子、夏子及び秋子は、所長に上申書を提出するなどした。

[6] 被上告人は、昭和54年4月27日、所長に対し、秋子との面会の許可の申請をしたところ、所長は、翌28日監獄法施行規則(以下「規則」という。)120条によりこれを許可しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、同年5月2日被上告人に対し本件処分を告知した。
[7] そして、秋子は同月4日、7日母夏子と共に所長に対し当時未決勾留中であった被上告人との面会の許可の申請をしたが、所長は秋子と被上告人との面会を許さなかった。

[8] 右事実関係の下において、原審は、所長のした本件処分につき裁量権の範囲を超え又はこれを濫用した違法があり、かつ、国家賠償法1条1項にいう「過失」があると判断した上、被上告人の請求のうち慰謝料5万円及びこれに対する昭和59年5月4日から支払済みまで民法所定の年5分の割合の遅延損害金の支払を求める部分を認容した第一審判決を相当であるとして控訴を棄却し、かつ、被上告人の附帯控訴に基づき弁護士費用1万円の支払請求を認容し、その余の請求を棄却した。

[9] しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

[10] 未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものである。そして、未決勾留により拘禁された者(以下「被勾留者」という。)は、(ア) 逃亡又は罪証隠滅の防止という未決勾留の目的のために必要かつ合理的な範囲において身体の自由及びそれ以外の行為の自由に制限を受け、また、(イ) 監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で身体の自由及びそれ以外の行為の自由に合理的な制限を受けるが、他方、(ウ) 当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障される(最高裁昭和40年(オ)第1425号同45年9月16日大法廷判決・民集24巻10号1410頁、同昭和52年(オ)第927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁参照)。

[11] ところで 被勾留者の接見に関する法律の定めは、次のとおりである。
[12](一) 刑事訴訟法80条は、勾留されている被告人は弁護人等同法39条1項に規定する者以外の者と法令の範囲内で接見することができるとしている。
[13](二) そして、監獄法(以下「法」という。)45条1項は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と規定し、同条2項は、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス」と規定し、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者」以外の在監者である被勾留者の接見につき許可制度を採用することを明らかにした上、広く被勾留者との接見を許すこととしている。
[14] 右に前記1で説示したところを併せ考えると、被勾留者には一般市民としての自由が保障されるので、法45条は、被勾留者と外部の者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外的に、これを許すと支障を来す場合があることを考慮して、(ア) 逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合にはこれを防止するために必要かつ合理的な範囲において右の接見に制限を加えることができ、また、(イ) これを許すと監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で右の接見に合理的な制限を加えることができる、としているにすぎないと解される。この理は、被勾留者との接見を求める者が幼年者であっても異なるところはない。
[15](三) これを受けて、法50条は、「接見ノ立会……其他接見……ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し、命令(法務省令)をもって、面会の立会、場所、時間、回数等、面会の態様についてのみ必要な制限をすることができる旨を定めているが、もとより命令によって右の許可基準そのものを変更することは許されないのである。

[16] ところが、規則120条は、規則121条ないし128条の接見の態様に関する規定と異なり、「14歳未満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と規定し、規則124条は「所長ニ於テ処遇上其他必要アリト認ムルトキハ前4条ノ制限ニ依ラサルコトヲ得」と規定している。右によれば、規則120条が原則として被勾留者と幼年者との接見を許さないこととする一方で、規則124条がその例外として限られた場合に監獄の長の裁量によりこれを許すこととしていることが明らかである。しかし、これらの規定は、たとえ事物を弁別する能力の未発達な幼年者の心情を害することがないようにという配慮の下に設けられたものであるとしても、それ自体、法律によらないで、被勾留者の接見の自由を著しく制限するものであって、法50条の委任の範囲を超えるものといわなければならない。
[17] 原審は、規則120条(及び124条)は幼年者の心情の保護を目的とするものであり、これに対する具体的な危険を避けるために必要な範囲で監獄の長が幼年者と被勾留者との接見を制限することを認めた規定であるという限定的な解釈を施した上、法はそのような制限を容認していると解する余地があるとして、右各規定が法50条の委任の範囲を超え、無効であるということはできないと判断した。しかし、前記のとおり、被勾留者も当該拘禁関係に伴う一定の制約の範囲外においては原則として一般市民としての自由を保障されるのであり、幼年者の心情の保護は元来その監護に当たる親権者等が配慮すべき事柄であることからすれば、法が一律に幼年者と被勾留者との接見を禁止することを予定し、容認しているものと解することは、困難である。そうすると、規則120条(及び124条)は、原審のような限定的な解釈を施したとしても、なお法の容認する接見の自由を制限するものとして、法50条の委任の範囲を超えた無効のものというほかはない。
[18] そうだとすれば、規則120条(及び124条)は、結局、被勾留者と幼年者との接見を許さないとする限度において、法50条の委任の範囲を超えた無効のものと断ぜざるを得ない。

[19] 以上によって本件をみるのに、原審の確定した事実関係によれば、被上告人と秋子とが接見したとしても、(ア) 被上告人が逃亡し又は罪証を隠滅するおそれが生ずるとも、(イ) 監獄内の規律又は秩序が乱されるおそれが生ずるとも認められないというのであるから、所長は、法45条の趣旨に従い、被上告人と秋子との接見を許可すべきであったといわなければならない。ところが、所長は、本件処分をし、これを許可しなかったのであるから、本件処分は法45条に反する違法なものといわなければならない。
[20] これと異なる見解に立つ上告理由第一点は、採用することができない。

[21] そこで、進んで、国家賠償法1条1項にいう「過失」の有無につき検討を加える。
[22] 思うに、規則120条(及び124条)が被勾留者と幼年者との接見を許さないとする限度において法50条の委任の範囲を超えた無効のものであるということ自体は、重大な点で法律に違反するものといわざるを得ない。しかし、規則120条(及び124条)は明治41年に公布されて以来長きにわたって施行されてきたものであって(もっとも、規則124条は、昭和6年司法省令第9号及び昭和41年法務省令第47号によって若干の改正が行われた。)、本件処分当時までの間、これらの規定の有効性につき、実務上特に疑いを差し挟む解釈をされたことも裁判上とりたてて問題とされたこともなく、裁判上これが特に論議された本件においても第一、二審がその有効性を肯定していることはさきにみたとおりである。そうだとすると、規則120条(及び124条)が右の限度において法50条の委任の範囲を超えることが当該法令の執行者にとって容易に理解可能であったということはできないのであって、このことは国家公務員として法令に従ってその職務を遂行すべき義務を負う監獄の長にとっても同様であり、監獄の長が本件処分当時右のようなことを予見し、又は予見すべきであったということはできない。
[23] 本件の場合、原審の確定した事実関係によれば、所長は、規則120条に従い本件処分をし、被上告人と秋子との接見を許可しなかったというのであるが、右に説示したところによれば、所長が右の接見を許可しなかったことにつき国家賠償法1条1項にいう「過失」があったということはできない。
[24] 上告理由第二点は、所長に国家賠償法1条1項にいう「過失」がなかったことを主張する限りにおいて理由がある。

[25] 以上によれば、前記のとおり被上告人の請求を一部認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。そして、右に説示したところによれば被上告人の請求は理由がないから、原判決中上告人敗訴の部分を破棄し、第一審判決中上告人敗訴の部分を取消した上、右取消部分に関する被上告人の請求を棄却し、かつ、右破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却すべきである。

[26] よって、民訴法408条、396条、386条、96条、89条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部逸夫  裁判官 坂上壽夫  裁判官 貞家克己  裁判官 佐藤庄市郎  裁判官 可部恒雄)

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