菊田医師優生保護法指定医師指定取消処分事件
第一審判決

優生保護法指定医の指定取消処分取消等請求事件
仙台地方裁判所 昭和53年(行ウ)第5号
昭和57年3月30日 判決

原告 菊田昇
被告 社団法人宮城県医師会
   国

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由


一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。

1 被告社団法人宮城県医師会(以下「被告医師会」という。)が、昭和53年5月24日付をもつて原告に対してなした優生保護法14条に基づく指定医師の指定を取消す旨の処分(以下「本件取消処分」という。)は、これを取消す。
2 被告医師会が、同年10月30日付をもつて原告に対してなした同法14条に基づく指定医師の指定申請を却下する旨の処分(以下「本件却下処分」という。)は、これを取消す。
3 被告らは、原告に対し、各自金3000万円及びこれに対する同年11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
1 被告医師会
(一) 原告の被告医師会に対する請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
2 被告国
(一) 本案前
   原告の昭和54年3月15日付準備書面(第一)に基づく訴の変更は許さない。
(二) 本案
(1) 原告の被告国に対する請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
(3) 仮執行宣言の免脱
1 本件取消処分について
[1](一) 原告は、肩書地において、産科、婦人科、肛門科を開業している医師(昭和25年10月医師免許付与)であり、被告医師会は、宮城県下の医師をもつて組織する社団法人(任意加入団体)である。
[2](二) 優生保護法(昭和23年7月13日法律第156号。以下「法」という。)14条は、法令上一般的に禁止されている人工妊娠中絶行為を適法になしうる資格を付与するため指定医師の制度を設け、本来国の権限(行政権)に属する右医師の指定権の行使を、都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会(以下「医師会」という。)に委任している。
[3](三) 被告医師会は、右行政行為の委任に基づき、医師たる原告に対し、昭和28年以降右指定医師の指定をなし、その後2年毎にその指定の更新をしてきた(もつとも、その途中で原告は秋田県医師会に所属したことがあるので、その間被告医師会の指定は中断している。)が、最終的には昭和51年11月1日付をもつて指定医師の指定(指定の更新)をなした。
[4](四) ところが、被告医師会は、昭和53年5月24日付、同月26日到達の内容証明郵便をもつて、原告に対し、前項記載の昭和51年11月1日付の指定を取消す旨の本件取消処分をした。その理由の要旨は、
「原告は、昭和53年3月1日仙台簡易裁判所より、医師法20条、33条、刑法157条1項、60条違反の犯罪事実に基づき、罰金20万円に処する旨の略式命令を受け、右裁判は確定した。右罰金刑の確定と確定した違法事実に徴するとき、原告は、前記指定医師として不適当と認められる。」
というのである。
[5](五) そこで原告は、昭和53年6月6日、本件取消処分について不服(異議)の申立をしたところ、被告医師会は、同年9月30日付宮医発第358号をもつて右不服申立を却下する旨の決定をなし、右決定は、同年10月2日原告に送達された。
[6](六) 本件取消処分には、次のような違法がある。
[7](1) 被告医師会は、法14条(以下「本条」という。)に基づく指定を取消す権限を有しない。すなわち、
[8](イ) 本条は、医師会に対し、指定医師を指定する権限を委任しているけれども、右指定を取消す権限までは委任していない。右指定は衛生許可(講学上いわゆる警察許可)の性質を有するものであるところ、右指定により被指定者は人工妊娠中絶を適法になしうる法的地位(資格)ないし重要な法的利益を取得するものであるから、右指定によつて得た既得的地位を制限、剥奪するためには、法律にその取消権者及び取消の要件について明文の規定を必要とする。これは、法律による行政の原理、憲法13条、14条、29条の精神からも容易に首肯しうるところである。
[9](ロ) しかし、本条は、医師会に対し、単に指定医師の指定権を与える旨定めているにすぎず、右指定の取消権者及び取消の要件については何らの規定を設けず、他の法令にもそれは全く見当らない。したがつて、医師会は指定医師の指定権を有するにとどまり、指定を取消す権限までは有しないと解すべきである。
[10] もし、本条の規定のみをもつて、医師会に包括的に指定の取消権まで与えた趣旨のものとすると、本条は他に類例を見ない非近代的立法であり、憲法の規定に違反することは当然である。
[11](ハ) 被告医師会は、本条に基づく指定権を行使するため、「宮城県医師会優生保護法指定医師指定基準」(以下「指定基準」という。)なるものを定めている。しかし、指定基準をみても指定の取消に関する定めは全く存しないのである。仮に、指定基準5項後段が指定取消に関する事項を定めたものであるとすれば、右規定は法律の委任に基づかないもので無効というべきである。
[12](ニ) 以上の次第で、本件取消処分は法律上の根拠なくしてなされた違法のものである。
[13](2) 本件取消処分は、原告に対し、弁明、主張の機会を与えることなく一方的になされたもので、手続上の違法がある。
[14](イ) 近代行政法においては、何人もその弁明の機会を与えられることなく不利益な結果を帰せられることはない。いわゆる行政における公正手続の保障(憲法31条)である。本件取消処分は、原告の有する重要な法的利益ないし資格を剥奪するものであるから、その誤りなきを期するため、事前に原告から十分事情を聴取すべきであり、原告としても当然弁明、立証する機会を与えられなければならない(最高裁判所昭和46年10月28日判決民集25巻7号1037頁、東京高等裁判所昭和40年9月16日判決行判集16巻9号1585頁参照)。
[15](ロ) しかるに、本件取消処分は、昭和53年3月上旬ころ日本母性保護医協会から被告医師会になされた要請に基づき,略式命令や新聞報道を資料としてなされたもので、原告からは事前に何らの事情聴取もなされていない。
[16](ハ) よつて、本件取消処分には手続上の違法がある。
[17](3) 仮に、被告医師会に指定の取消権があるとしても、本件取消処分は、取消の要件を欠いており、又は重きに失し、かつ、裁量権の範囲を逸脱するものであつて、この点においても違法である。
[18](イ) 本件のような指定取消処分は、被告医師会としては最初の事例である。それだけに、取消の理由となつた事実関係について、その内容、動機、目的等諸般の情状を十分考慮すべきである。
[19](ロ) 原告は、前記のような略式命令を受けたが、その起訴事実はわずか1事例に関するものであつて、他は全て不起訴となつている。
[20](ハ) ところで、原告は、甲女が出産した子供について、これを乙女が出産した旨の虚偽の出生証明書を作成し、生まれた子を乙女の実子としてあつせんしてきたものである(以下、この行為を「赤ちやんあつせん」又は「実子あつせん」ということがある。)。
[21] 中絶時期を逸したため、産婦人科医を訪れて堕胎を依頼する女性の中には、特殊な事情から、親子関係の断続を願い、胎児をなきものにしようという強い決意を有するものが相当数存在し(現に原告の面前で、胎児を出産直後、自ら若しくは親族の手により殺すことを宣言した例もある。)、このような女性は養子縁組の勧めには応じないし、一医師が断われば他の医師を再び訪れるか、又は出産のうえ自ら殺害する蓋然性が極めて高いのであつて、そのまま放置すれば遅かれ早かれ胎児の生命が断たれる運命にある。
[22] 原告の赤ちやんあつせんの目的、動機は、右のような放置すれば生命を断たれる赤ちやんの生命を救うことにあつたのであつて、人道主義的立場から善意に出た行為であり、これは仙台地方検察庁も認めていることである。そして、右あつせんは、虚偽の出生証明書の作成よりも大きな法益である人の生命を守るためになされたやむをえない緊急避難的行為だつたのであり、形式上違法であつても、実質的には違法でないのである。原告は、公判請求により平和な家庭が破壊されることをおそれ、やむをえないこととして前記略式命令に服したのである。仮に違法性があるとしても、それは極めて軽微である。
[23](ニ) しかも、原告は、昭和52年10月20日、以前のような実子あつせんをやめ、虚偽の出生証明書を一切作成しないことを宣言し、それ以来右態度を維持している。
[24](ホ) 原告の右のような事情は、本件取消処分をするにあたつて当然斟酌すべきことである。特に原告の行為は、他の破廉恥罪とは異なり、医師として、人の生命を救うためになされたものであり、形の上では法に触れたとしても、何ら不道徳なものではない。大きな視野から見て、原告のように赤ちやんの生命を救うための行為が指定医師としての品位に欠けるとか不適当であるとは到底思えない。人の生命を守る責任を有する医師として、また指定医師として真剣にその職分を遂行しようとしたからこそ右のような行為に出たのである。したがつて、取消の要件である「指定医師としての品位が欠ける場合」にはあたらない。
[25](ヘ) 右の次第で、本件取消処分には、取消の要件を欠くか又は重きに過ぎる違法がある。
[26](七) 本件取消処分には、右のとおり違法があるので、原告は右処分の取消を求める。

2 本件却下処分について
[27](一) 本条に基づく指定医師の指定は、指定基準により、2年毎に更新を受けることとされているため、原告は、昭和53年10月1日被告医師会に対し、指定(実質上指定の更新とみるべきものである。)申請をなしたところ、被告医師会は、同月30日付、同月31日到達の内容証明郵便をもつて、原告に対し、右申請を却下する旨の本件却下処分をなした。その理由は、前記1(四)記載の本件取消処分の理由と同じであり、原告は指定医師として不適格であるというにある。
[28](二) 本件却下処分は、前記1(三)記載の従来の指定を昭和53年10月30日限り取消す旨の処分と同一にみるべきである。
[29] なぜならば、本条の指定は、いわゆる警察許可の性質を有するものであるところ、許可等の処分に期限が附されている場合において、その期限の到来により当然に許可等が失効すると解するのは相当ではなく、許可等の目的、性質に照らし、その附された期限が不相応に短期である場合には、その期限は許可等の条件の存続期間の性質を有するに過ぎず、期限の到来の前に適法な更新の申請がなされている限り、期限の到来によつて許可等は失効しないものと解すべきである。
[30] ところで、本条の指定に附される2年という期限は、被指定者の技能、設備に関する規準や医師の業務の継続性に照らし、不相応に短期であり、期限の到来によつて指定は失効しないものと解すべきである。
[31] 右のように解すると、本件却下処分は、期限の到来とともに従来の指定を取消す処分と同一にみるべきほかはないことになる。
[32](三) そうすると、本件却下処分についても、本件取消処分について前記1(六)で述べたのと全く同じ違法があることとなり、本件却下処分は取消さるべきである。
[33](四) 仮に、原告の昭和53年10月1日付の前記申請を新たな指定の申請とみるべきものとしても、これを却下すべき理由は全くない。原告は、指定医師として具備すべき設備、技能、人格について何ら欠けるところはないのであるから、被告医師会は、当然右申請を許容すべきである。
[34] したがつて、本件却下処分は違法であるから、取消を免れない。

3 損害賠償請求について
[35](一) 前記1(二)で述べたとおり、本条所定の指定医師の指定に関する事項は本来国の事務に属するものであるところ、被告医師会は、法による委任に基づいて右指定権を行使しているものであるから、右委任の範囲内において、国家賠償法1条の「公権力の行使に当る公務員」に該当する。
[36](二) しかるところ、被告医師会のなした本件取消処分及び本件却下処分は、既述のように重大な違法があり、違法な右各処分により原告は医師として信用を失い、かつその名誉を毀損された。
[37] すなわち、右各処分が公に発表されたため、また右各処分により原告が法所定の人工妊娠中絶を行なうことができなくなつたため、一般市民から医師としての適格性を欠くのではないかとの疑い、不信感をもたれるようになりさらに右各処分により人工妊娠中絶に関する医業収入が皆無となつたうえ、一般診療全般にわたり患者が激減し、その収入減は今後も莫大な額に達することが予測される。市民からの信用の保持は、開業医たる医師としては極めて重要なものであることは論ずるまでもないことである。かような信用、名誉の毀損、これによる収入減によつて原告の被つた精神的苦痛ははかり知れないものがあり、これを慰藉するには前記のような事情、原告の社会的地位からみるとき金3000万円をもつて相当とする。
[38](三) 被告医師会は、その必要がないのに、あえて原告を窮地におとしいれるべく、かねてより原告に迫害を加えてきた日本母性保護医協会と相通じて右各処分をなしたもので、右各処分は被告医師会の故意もしくは重大な過失に基づくものであり、かような場合には被告医師会も不法行為者として国と連帯して本件賠償の責に任ずべきである。
[39](四) よつて、原告は、被告医師会に対しては民法709条により、被告国に対しては、国家賠償法1条により、各自金3000万円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和53年11月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
[40] 原告が昭和53年11月27日付訴変更申立書によつて追加併合を求めている本件却下処分の取消請求と、旧請求である本件取消処分の取消請求とは、その対象である右各処分が仮に抗告訴訟の対象たる公権力の行使であるとしても、別個独立の処分であり、各処分の取消を求める請求は相互に行政事件訴訟法13条にいう関連請求に当らないものであるから、追加併合を求める原告の申立は不適法というべきである。
[41] したがつて、本件却下処分の違法を理由とする被告国に対する損害賠償の請求も、右追加併合自体が不適法である以上必然的に不適法である。
[42] また、本件取消処分の違法と本件却下処分の違法とを各別の請求原因とする各損害賠償請求権は請求の基礎を異にするものであるから、民訴法所定の訴の変更もまた許されないといわなければならない。
[43] 別個独立の処分の取消を求める請求であるから直ちに関連請求に当らないとはいえず、要は、各請求を一括処理するのが訴訟経済上、あるいは紛争の統一的解決の上で便宜適切であるかどうかの見地から決せられるべきであり、そのような見地からみて関連性が認められる場合には、処分の取消請求相互間においても併合は認められるべきである。

[44] 本件取消処分と本件却下処分の関連をみるに、前記一2(二)記載のとおり本件却下処分も実質は指定取消処分と同一にみるべきであり、仮に、指定申請を新たな指定の申請とみるべきであるとしても、本件各処分はその理由を同一にするものであるから、本件却下処分の違法性の有無を決するには、本件取消処分の違法性の有無を決するのとほぼ同様の審理を要し、訴訟経済上も紛争の統一的解決の上からも関連性は大いにあるといわなければならない。
[45] したがつて、本件却下処分の取消請求は、本件取消処分の取消請求と関連する請求(行政事件訴訟法第13条6号)に当り、追加併合は許されるべきである。

[46] よつて、本件却下処分の違法を理由とする被告国に対する損害賠償請求は、本件却下処分の関連請求として適法に追加的併合が許されるべきであり、また、本件各処分の違法を請求原因とする各損害賠償請求権は、右2記載の事情に照らし、請求の基礎を同一とするものというべきである。
1 請求原因1について
[47](一) 同(一)の事実は認める。
[48](二) 同(二)の事実中、前段は認め、後段中「委任」とある部分は否認し、その余は争う。
[49](三) 同(三)の事実中、「行政行為の委任に基づき」とある部分は否認し、その余は認める。
[50](四) 同(四)の事実は認める。
[51](五) 同(五)の事実は認める。
[52](六) 同(六)の主張中
[53](1) (1)の(イ)及び(ロ)の主張は争う。
[54](ハ)のうち、被告医師会が指定権行使のため指定基準を定めていることは認め、その余の主張は争う。
[55] 指定基準第5項後段は、指定取消権に関する事項を定めた有効かつ適正妥当な規定である。
[56](2) (2)の主張は争う。
[57](イ)のうち、引用の判例は本件と事案を異にする。
[58](ロ)のうち、昭和53年3月上旬ころ日本母性保護医協会から被告医師会に対し、原告に対する指定を取消すよう要請があつたこと、原告から事前に事情聴取をしなかつたことは認める。その余は否認する。
[59](3) (3)の主張は争う。
[60](イ)の事実及び主張は認める。被告医師会は十分に諸般の事情を考慮した。
[61](ロ)の事実中、起訴事実が1事例に関するものであることは認め、他はすべて不起訴となつたとの点は否認する。
[62](ハ)の事実中、第1段は認め、第2段及び第3段は否認する。
[63](ニ)の事実は不知。
[64](ホ)の主張は争う。

2 請求原因2について
[65](一) 同(一)の事実は認める。
[66](二) 同(二)ないし(四)の主張は争う。

3 請求原因3について
[67] すべて争う。
1 請求原因1について
[68](一) 同(一)の事実は認める。
[69](二) 同(二)の事実中、前段は認め、後段中「本来国の権限(行政権)に属する」及び「委任」とある部分は否認し、その余は認める。右指定権は本条により、直接、医師会に授権されているものである。
[70](三) 同(三)の事実中、原告がかつて指定医の指定を受けていた者であることは認め、「右行政行為の委任に基づき」とある部分は否認する。その余は不知。
[71](四) 同(四)の事実中、相被告医師会が昭和53年5月24日付内容証明郵便で指定医の指定を取消す旨の通知をしたことは認めるが、その余は不知。
[72](五) 同(五)の事実は不知。
[73](六) 同(六)の主張は争う。

2 請求原因2について
[74](一) 同(一)の事実は認める。
[75](二) 同(二)ないし(四)の主張は争う。

3 請求原因3について
[76] すべて争う。
1 指定権の根拠について
[77] 指定医師を指定する権限(以下「指定権」という。)は、法14条1項本文により、直接、医師会に授権されたもので、行政行為の委任に基づくものではない。

2 本件取消処分の適法性
(一) 取消権の存在
[78] およそ法令等によつて任命権や指定権を与えられた者は、条理上当然に、法令等の明文の規定をまつまでもなく、解任権や取消権を有すると解すべきであり、被告医師会がその指定した指定医師に対し、指定の取消権を有することは自明の理である。
(二) 取消の要件
[79](1) 日本医師会は、昭和23年8月、第1回の指定医師選定基準のモデルを作成し、各都道府県医師会に提示したが、被告医師会もこれを基準として採用した。同基準第6項は、「会長が不適当と認めた場合には指定を取消し又は指定しないことができる」と指定取消について明記していた。
[80](2) その後昭和45年12月、日本医師会は、従来の基準の不備を補正し、改めて県医師会指定医師指定基準のモデルを作成したが、被告医師会の現行指定基準はこのモデルに準拠して制定されたものである。
[81] 指定基準は、指定医師としての適格性の要件を人格、技能、設備の3点から規定してるところ、その第5項では、2年毎に指定医師としての適格性の有無や遵守すべき義務の履践状況を検討したうえで更新(再指定)をするかどうか決定するものとし、さらに「なお重大な不適格条件が発生した場合には、定期的更新を待つことなく直ちに再検討を行なうものとする。」と定めている。
[82](3) 指定基準第5項の文字上には指定取消の語はないが、これは決して前記(1)の旧基準に規定されていた指定取消制度を廃止したものではなく、「再検討を行なう」とすることは、その結果指定の取消を行なうことがありうることを当然に予定しているのである。
[83] そうとすると、指定取消の要件とは、「重大な不適格条件が発生した」こと、即ち、人格、技能、設備の3つの観点から規定されている指定医師の適格要件に著しく抵触する重大な事由が発生したことであると解される。
(三) 取消要件の充足
[84](1) 指定基準第1項は、指定医師の人格的要件として、指定医師たる者は指定医師としての品位を保ち、責任を負い、義務を履行しうる者でなければならない旨定めている。また、指定医師は、指定医師である前にまず医師であるから、この規定は、当然のことながら、医師としての品位や責任を保持しうる者であることをその前提としていると解される。
[85](2) 原告は、右指定医師としての人格的要件に対し、重大な違反行為をしたものであつて、指定取消の要件に該当するものである。すなわち、
[86](イ) 原告は、昭和33年開業医となつて以来昭和48年4月までの15年間に100例を超える赤ちやんあつせんを行なつてきた。原告は、同月24日参考人として参議院法務委員会に出席した際、右の事実を公式に認め、妊娠7か月以上になつて中絶して欲しいと駆け込んできた妊婦に対し、もし自分が断わればこの妊婦がいずれ子殺しを行なうことは必至であるから、これを防ぎ胎児ないし嬰児の生命を救うため、違法を知りつつやむをえず虚偽の出生証明書を作成し、赤ちやんの欲しい夫婦に実子としてあつせんしてきたと答弁している。
[87](ロ) 原告は、右の一連の違法行為について刑事責任を問われ、昭和53年3月1日その1例について仙台区検察庁から医師法20条違反(自ら出産に立ち会わないのに出生証明書を交付した罪)、刑法157条1項(公正証書原本不実記載罪)、158条1項(同行使罪)の罪で略式起訴された。そして同日仙台簡易裁判所より罰金20万円の略式命令が発せられ、同日その刑は確定した。
[88](ハ) 原告は、この点についてその行為が「放置すれば生命を断たれる赤ちやんの生命、危険が目前に迫つている赤ちやんの生命を救うという人道主義的善意」に出たものであり、その目的達成のためにはやむをえない手段であつたとして、実質的には違法でないとか仮に違法であつたとしてもその程度は軽微であると主張している。
[89] しかしながら、目的や動機が人道主義的であれば手段が違法であつても構わないという考えには安易に賛成できない。法と人道の狭間に立つて選択を迫られるのはひとり原告に限らない。かかる難題と直面しながら苦悩することは医師としての共通の宿命であり、またそこにこそ誇り高き自負もある。
[90] もとよりこれは、およそいかなる場合にも法を遵守してさえおれば事足りるとする事なかれ主義をいつているのではない。ただその職務が人命を扱うものであるだけに、緊急避難による違法性阻却を認めるためには、要件の充足の有無について一段と厳格な吟味がなされなければならないと考えるのである。なお原告は、前記参議院法務委員会において参考人として供述した際、養子特例法などは全く知らず実子特例法の制定なども考えたことはないと陳述している。これによれば、本件における主張は、その後何らかの為にするため考案した弁解であり、真意に非ざる弁解であるといわざるを得ない。
[91](ニ) 果して本件の場合、原告が行なつたように、妊婦に対し出産の暁には他ににせ実子としてあつせんすることを約し、もらい親のために虚偽の出生証明書を作成交付する以外に赤ちやんの生命を救う方法がなかつたといい切れるであろうか。
[92] この点原告は、「メツセージ」の中で、妊婦の中絶の決意は固く、翻意の可能性は全くないので、もし原告が断われば他の医師を訪ねるか、そこでも断わられればコインロツカー事件のように出産直後自らの手で殺害することは必至であると決めつけているが、いささか独断的といわざるを得ない。実際どこへ行つても中絶を断わられ結局出産する以外にないと知つた妊婦の中には、あきらめて自ら子を育てる決意を固める者も少なくないであろうし、出産直前まで生まれたら殺そうと考えていた妊婦であつても、いざ腹を痛めて産んだわが子を見て、改めて母親としての愛情に激しく衝き動かされ、翻意する者もないとはいえないのではなかろうか。
[93] さらに「メツセージ」では、かかる女性(妊娠7か月以上を経て中絶して欲しいと訪れる女性)は、医師が赤ちやんを出産していつたん自分の子として届出たうえで改めて養子に出したらどうかと説得しても応ずる見込みはないとしているが、果してそのようにいい切れるであろうか。現に前記略式処分後、原告の下にかけ込み出産した女性から頼まれてもらい親を探したところ、たちどころに40件もの申込み連絡があり、養子縁組が成立したと新聞報道は伝えている(昭和53年4月15日、同月17日付の朝日新聞)。
[94](ホ) これらの事情を考え合わせるとき、原告の行為は真にやむを得なかつたものとは認め難い。この点捜査にあたつた仙台地方検察庁も
「菊田の行為は、医師が交付する証明書や戸籍簿に対する公の信用を著しく損うものであり、同人はそれが違法であることを承知の上で敢えて多年にわたり安易に同種の犯行を繰り返してきたものであつて、同人の行為を正当化するに足る事情も認め難く、法秩序維持の見地から厳正な処罰を求むべきものと判断した」
との検事正談話を発表し、原告の行為が実質的にも違法であり、しかもその違法性の程度も看過すべからざるものであることを明言している。
[95] なお原告は、起訴事実が1事例にすぎないことをもその主張の根拠に掲げているが、右の談話をみる限り、検察庁は決してその余の行為が違法でないとか全体として違法性が微弱であるというような判断をしてはいない。起訴事実が1事例に止つた真の理由は、原告が今後違法あつせんは行なわないと誓約したことや、既にあつせんを受けた親子に与える深刻な影響を配慮し、1事例を挙げてその行為の違法性と刑事責任を明らかにすることによつて十分に現行法秩序の実効性を確証することができると判断したからに他ならない。
[96](ヘ) また原告は、自分が行なつた行為は何ら不道徳・破廉恥なものでなくむしろ医師及び指定医師として真剣にその職分を遂行しようとしたのであつて、指定医師としての品位に欠けるものとは到底思えないと主張している。
[97] しかしながら、原告の行為は、たとえ原告がいうとおりその目的や動機において不道徳ではなかつたにしても、実質的に違法な行為(現行法秩序の下において許されざる行為)であることに変りはない。また医師及び指定医師としての職分の遂行ということについても、およそ医師及び指定医師たる者は、先ず何よりもその職務を行なうについて法を遵守し、正しい医業を行なうよう努めなければならないのであつて、苟くも自己の信念ないし価値体系の下では正しいと信ずる行為だからといつて、軽々に現行法規に抵触するような行為をすることがあつてはならないのである。
[98](ト) いずれにせよ、人の生命を救うためには、必ずしも緊急避難とはいえない場合であつても、法に抵触する行為もやむをえないとする安易な態度は、逆に人の生命を奪う場合においても少々要件に欠けたところはあつても動機において人道的であるから許されるであろうという危険な判断につながる虞れが多分にある。この点原告は、指定医師として法が定める要件の下に優生手術や人工妊娠中絶をすることが許されているが、その一連の行為、言動にみられる現行法秩序に対する極めて挑戦的な姿勢、自己の信念に対する過信と甘え等に鑑みるとき、果して今後これらの法規を厳格に遵守していけるかどうかについて重大な疑問を抱かざるを得ない。
[99](チ) なお原告は、前記参議院法務委員会の席上、こうした行為が許されて全国の産婦人科医がこれにならうならば、何百倍何千倍かの当然生きるべき赤ちやんの生命を助けることができる筈であると力説しているが、もしかかる事態になれば、戸籍の記載に対する信頼の崩壊という問題の他に、もうひとつ近親結婚の危険の増大という深刻な問題が生ずることを特に指摘しておかねばならない。
[100] これは、昭和34年に法制審議会民法部会が特別養子制度の創設を検討した際に既に指摘された問題である。ちなみに指定医師たるものは、優生学上不良な子孫の出生を防止するという法1条所定の目的を達するため、法が定める一定の要件の下に優生手術を行なうことを許されているが、かかる法の趣旨に鑑みるならば、苟くも指定医師たる者は、その職務上近親結婚等優生学上不良な子孫の出生をもたらす危険を増大するような行為は厳に慎しむべきである。この点からいつても、原告の一連の違法行為は指定医師としての適格性を著しく損うものといわざるを得ない。
[101](リ) 原告は、日本母性保護医協会本部及び同宮城県支部において、昭和48年5月17日以降数回にわたり違法あつせん行為を繰り返さない旨誓約しておきながら、その誓約を無視して違法あつせんを続けた。また、昭和53年3月の前記略式処分の際にも今後は違法あつせんをしない旨言明したが、そのとおり実行していくかどうか多分に疑問である。
[102] なお、仮に実行していくとしてもその一事をもつて100例を超す違法あつせん行為を行なつた事実が消滅するわけではなく、また原告の指定医師としての適格性に対する重大な疑問が氷解するわけでもない。実際、あくまで自己の非を認めようとせず(略式命令に服したのも、非を認めたからではなく、赤ちやんともらい親の家庭の幸せを破壊したくなかつたからにすぎないという)、一片の反省も見られない原告のかたくなで不遜な態度の中に、将来に対する大きな不安を禁じえないのは、ひとり被告医師会に限らないのではないか。
[103](ヌ) 被告医師会としては,既に昭和51年11月1日の指定更新の際、原告の指定医師としての適格性について指定審査委員会に諮問したところ「不適格である」との答申を得たが、この時点では未だ刑事処分もなされていなかつたため、一応捜査の経過を見守ることとし、厳重警告をするに止めて更新を認めたのである。しかしながら今回の刑事処分により原告の行為の違法性が明確になつたので、改めて指定審査委員会に諮問したところ再び「不適格」との答申を得た。そこで被告医師会は、直ちに理事会を開き、右答申や起訴状の内容はいうに及ばず、原告の前記参議院法務委員会での発言内容や前記メツセージの内容等を慎重に検討し、その行為の違法性のみならず、動機・目的・性質等諸般の事情を総合的に斟酌したうえで、たとい人道主義的善意に出た行為であるとしても、なお指定医師として安易に刑罰法規に抵触する行為を重ねた結果、司直による刑事制裁を受け、指定医師に対する国民の信頼を著しく損わしめたことは、指定医師としての品位保持、責任負担、義務履行の適格条件に対する重大な違反行為として指定取消要件に該当するものと判断し、原告に反省の態度が全くみられないことから、全員一致で取消処分もやむなしとの結論を下し、本件取消処分に至つたものである。
(四) 弁明の機会
[104] 原告は、本件取消処分は、原告の有する法的利益、資格を剥奪する不利益処分であるから、事前に原告に弁明の機会を与えねばならず、この機会を与えずになされた本件取消処分は、行政における公正手続の保障という憲法上の要請に反し、手続上の違法があると主張する。
[105](1) しかしながら、本件取消処分が、いわゆる不利益処分に当るかは疑問の存するところである。なぜなら、本件指定医制度も麻酔医その他の専門医制度におけると同様に、実質的には通常の産科・婦人科医の診療項目の1つとして「人工妊娠中絶」の実施という1つの項目が加わるに過ぎないからであつて、医師ないし医業の本質や地位・身分にはいささかの変動を来さないからである。このことは、本件指定医師の指定の取消についても全く同様である。
[106](2) 仮に、本件取消処分が一種の不利益処分であるとしても、被告医師会は原告に対して十分な弁明の機会を与えた。
[107] すなわち、被告医師会はまず指定審査委員会の答申と被告自身で収集した資料に基づいて、本件取消処分をしたが、これに対して原告から不服審査請求(異議申立)があつたので、直ちに被告医師会内に設けられた不服審査委員会に異議申立書を付して、調査審議のうえその結果を答申するよう諮問した。そして不服審査委員会は、審議を重ね、その間原告自身の出席を求めて十二分にその弁明を聴取し、かつ出席委員との間で質疑応答を行なつているのである。その結果昭和53年9月26日不服審査委員会から本件取消処分は適当である(撤回の必要を認めない)との答申があつたので、被告医師会は直ちに理事会を開き、右の答申を含めて再度慎重に考案した結果、やはり指定取消処分が相当であるとの結論に達したので、同月30日原告に対して、不服審査請求(異議申立)を却下する旨を通知した。右のとおり、被告医師会は、その一機関である不服審査委員会を通じて原告の弁明を十分に聴取し、再度の考案をしたうえで、最終的に本件取消処分が相当であるとの結論を下した。

3 本件却下処分の適法性
[108] 前記2のとおり、本件取消処分に何ら違法はない。
[109] 被告医師会は、原告の昭和53年10月1日付指定申請に対し、改めて前記指定審査委員会に諮問したが、その答申が「未だ不適格」であつたこと、取消処分後日が浅いこと、原告が本件取消処分自体を認めようとせず、公然裁判に訴えて被告医師会と係争中であること等の事情を斟酌し、未だ指定医師としての適格性が回復されたものとは認め難いと判断して、その申請を却下したものである。
[110] 本件却下処分には十分な理由があり、何ら違法ではない。
[111] 本件各処分は、行政処分性を有せず、国家賠償法上の「公権力の行使」には該当しない。すなわち、
[112](一) 本条1項本文の規定により、指定権が医師会に属することは疑いがない。そして、医師会は民法34条により設立された社団法人であつて、国の行政機関でも公務員でもないことはいうまでもない。指定権に関する規定は右の条文(本条)のみで、指定医師の選定基準、手続及び指定医師の使命といつた事柄について何ら具体的な規定はなく、また指定権が国の行政権に属することを前提としてこれを医師会に委任したことをうかがわせる規定も、国が医師会の指定権行使について指揮、監督をなし得ることをうかがわせる規定も一切存しないのである。仮に、指定権の行使が、公権力の行使に該当するとすれば、設立を法律上強制されていない民法の社団法人たる医師会に、行使の基準を示すことなく、またその監督について何ら規定することなく公権力の行使を委任したことになり、立法の態度として極めて不自然であり、憲法65条との関係でも疑問なしとしない。
[113] してみると、指定権は、本条1項により直接医師会に授権されており、指定権の行使の基準、方法等も医師会の自主的な判断に委ねられていると解するのが相当であり、医師会は行政庁ではないのであるから、本件各処分は行政処分性を有しないものというべきである。
[114] また、指定の取消がいわゆる不利益処分に該当するか否かも疑問の存するところであり、この点については、相被告医師会の前記2(四)(1)の主張を援用する。
[115](二) 原告は、本件各処分の前提となる指定権の行使は、法律上一般に禁止されている妊娠中絶行為(堕胎)を特定の人に対し解除する警察許可の性質を有するから、公権力の行使そのものであり、本来国の権限に属するもので、これを医師会に委任している旨主張する。
[116] 刑法212条以下の規定により、堕胎行為は一般的に禁止されており、本条1項所定の人工妊娠中絶は刑法35条の法令による行為として違法性が阻却されることについては異論のないところである。
[117] ところで、堕胎罪の保護法益は主として胎児の生命、身体であり、副次的に母体の生命、身体も考慮されており、このほかにも生まれる子に対して父母が共同にもつ利益とか、人口維持に対する国家の利益などが考えられるから、少なくとも原則的に処罰されるべき性質のものであることは明らかである。しかし、処罰の実際上の可能性が乏しい点に問題があるばかりでなく、医学的見地、優生学的見地、社会的経済的見地、倫理的見地から堕胎の是認されるべき場合が考えられなければならない。ただこれらの事由は、どれも一面では世界観につながる根本問題をもつと同時に技術的な問題を含んでおり、手続などにも関連してくるのである。したがつて、本条1項の規定を設けた趣旨は、理論的には違法性阻却の認められる可能性がある場合で、特に法令の規定を設けてその適法性を注意的に明らかにするとともに、その方法範囲などについて技術的な制限を置いてその逸脱を防止するためである。そして、同法(優生保護法)によつて適法性の限界が示されてはいるが、その制限をこえた人工妊娠中絶がすべて違法となるものではなく、社会的に相当と認められる場合には違法性を阻却しうるものといえるのである。本条1項は、人工妊娠中絶の適法化(違法性阻却の実質的理由)として、優生学的見地から1号ないし3号を、医学的、社会的、経済的見地から4号を、社会的、倫理的見地から5号を設け、生まれる子に対して父母が共同にもつ利益を守るために本条本文で本人及び配偶者の同意を必要としているのである。更に、胎児及び母体の生命、身体について配慮して法2条2項及び本条1項本文により、「胎児が母体外において生命を保続することができない時期」に限つて人工妊娠中絶が許されるとした。そして、法は、以上の各要件を満した場合について、人工妊娠中絶をなし得る者として、専門的、技術的な観点から、本条1項本文所定の指定医師に限るとしたのである。以上で明らかなように、指定医師を指定する行為は、堕胎罪における実質的な違法性阻却事由というよりはむしろ技術的、政策的考慮が強く働らいており、また堕胎の適法化の一要件にすぎないものである。要は、専門性、技術性が担保されれば良いのであつて、どのような者に人工妊娠中絶を認めるかは立法政策の問題で、例えば、国自ら指定する方法もあるであろうし(この場合は行政行為となるであろう。)、また私立、国立を問わず、一定の専門的な教育機関においてその教育を終了したと認定された者に対して自動的に資格を付与するという方法も可能であろう。同法は、前記のように医師会の専門性に着眼してこの団体の指定する者に限つて人工妊娠中絶を許容したにすぎず、この指定権の行使をもつて、本来国の有する行政権の行使であると解する必然性は全くないものというべきである。
[118] したがつて、人工妊娠中絶の適法化の一要件として、国家の関与しない医師会の行為が法によつて規定されていると解釈すれば足りると考える。
[119](三) なお、若干の関連法規について付言する。
[120] 厚生省設置法9条2号は、厚生省の権限として「優生保護法を施行すること」と定めているが、この規定をもつて直ちに指定権が国の権限に属することの根拠とすることは明らかに無理が伴う。また、医師会が指定医師に対して交付すべき標識について厚生省がこれを定めていること(優生保護法施行規則8条)及び指定医師が優生保護法14条1項により実施した人工妊娠中絶の結果を都道府県知事に届出しなければならないとされていること(同法25条、同法施行規則27条)は、いずれも医師会の行なう指定権の行使自体に関する規定ではなく、右の標識の点は、単に外形的な標識を統一するという行政上の措置にすぎず、また右の届出義務の点については、専ら人口動態を把握するためのもので、指定権の行使とは関係のない事柄である。

[121] 仮に、本件各処分が行政処分性を有し、国家賠償法上の「公権力の行使」に該当すると解する余地があるとしても、医師会は同法所定の「国の公務員」ではない。
[122](一) 原告の主張するように、指定権が警察許可の性質を有し、本来国の権限に属するものであるとされる場合においても、果して国に国家賠償法上の損害賠償義務が発生するか否かはなお検討を要する。
[123] 前記のように、医師会は国から独立した社団法人で、自己の名と責任で指定権を行使するものであり、国の機関でないことは勿論、国の権限を機関委任されているものでもない。そして前記のように、指定権の行使に関して国には医師会に対して指揮、監督する権限をもたず、国と医師会の関係は、民法34条以下の公益社団法人に関する規定によつて律せられるにすぎない。現に、厚生省においても、指定権の行使については一切指揮、監督をしておらず、専ら医師会において定められた指定医師基準(人格、技能、設備の3点に重点がおかれ、その他研修に関すること、指定の更新、指定の失効、指定医師の遵守事項、不服審査機関等について定められている。)に従つて、指定権が行使されているのである。
[124] このように本来国がなすべき指定権は、医師会に完全に委譲されているのであつて、国が責任を負担すべき実質的な理由は何もないと考えられるので、医師会は国家賠償法上の「国の公務員」ではないと解するのが相当である。
[125](二) 医師会は、旧医師法の下では強制設立主義がとられていたが(同法8条)、現在は民法上の公益社団法人となつている。その法的性格を異にするものとはいえ、本条のような規定を設けている現在の法制度の下では、医師会を設立しなければ、その都道府県内では人工妊娠中絶が実施されないことになつてしまうので、事実上強制設立主義的色彩を帯びてくることになり、現に全国の都道府県に於て設立されている状況である。してみると少くとも医師会は、指定権の行使の範囲内において行政庁としてよりもむしろ、国の機関から独立した公法人的性格を有し、国家賠償法上は「公共団体」に該当すると解する余地があるのではないかと思われる。

[126] 仮に、前記1、2が理由のないものであるとしても、被告医師会の行なつた本件各処分は適法である。この点については、相被告医師会の主張するところと同一であるから、これを援用する。
1 指定権の根拠について
[127] 本条は、「都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会の指定する医師は、……行うことができる。」と定めているにとどまり、その前提となるべき「……医師会に指定権を付与する。」とか「……医師会が指定権を有する。」旨の定めは全くなく、他の法令にもこれはみあたらない。右規定を客観的に解釈する限り、本条によつて医師会に対し直接指定権が委任されたものとみることは困難である。なぜなら、右指定は、法律上一般的に禁止されている妊娠中絶行為(堕胎)を特定の人に対し解除する警察許可の性質を有するもので、これは公権力の行使そのものであるから、本来国の権限に属するものというべく、右権限を医師会に委任するについては、法が一義的に「……医師会に指定権を付与する。」旨の定めを設けるべきだからである。
[128] 本条が右のような表現の仕方をしている一方、厚生省設置法9条2号が「優生保護法を施行すること」を厚生省の権限として定めていることをも考え合わせると、指定医師の指定について国が特別の立法をもつて医師会に直接委任する旨の定めをしていない以上、右設置法に基づき厚生大臣において具体的に授権行為をなすべきものである。しかして、優生保護法施行規則(昭和27年8月4日厚生省令第32号)8条は、極めて不備ながら、厚生大臣による授権行為のあつたことを当然の前提として指定医師の標識の交付に関する定めを置いている。原告が右指定権の行使について行政行為の委任に基づくものと主張したのは、以上のような解釈からである。

2 取消権の有無について
[129](一) 被告医師会は、法令によつて任命権や指定権を与えられた者は、法令等の明文をまつことなく当然に解任権や取消権を有する旨主張する。
[130](二) しかし、まず、法令によつて認められた任命権と、本件のように警察許可の性質を有する指定権とを同列に扱う点において根本的に誤りを犯している。法令によつて認められた任命権に伴う解任権については、国家公務員のような場合には、特別権力関係の理論(最近はこれすらも否定する説が有力である。)又は公法人自体の自律権の理論によつて、法令の規定をまたずに表裏一体のものとして肯定しうる(もつとも不利益処分であるときは多くの法令は明文を設けている。)のであるが、指定医の指定は、法令上一般に禁止されている行為を特定の場合に解除するいわゆる警察許可であつて、特別権力関係の理論等に服する分野ではない。仮に、本条が医師会に指定権を与えたとしても、医師会会員のみがその対象となるわけではないのであるから、そこに特別権力関係の理論、自律権の理論等の団体法の理論をあてはめることはできない(団体法の理論を適用するならば、せいぜい会員を除名することがその限度である。)。
[131](三) 次に、指定権を有する者は当然指定の取消権を有するという論理は、あまりにも単純である。指定医の指定のごとき警察許可は、前記のように団体法の理論に服する分野ではなく、個々の国民に対し種々の重要な法的地位ないし利益を与えるものであり、右許可の取消は、右のような法的利益を奪い、ひとたび回復した行為の自然の自由を再び制限することになるのであるから、それは国民の権利の重大な制限として法律又は条例の根拠がなければなしえないのである。
[141] 右の理論は、行政における法治主義の原則、法律による行政の原理から生ずる。すなわち、第一に、法規すなわち国民の権利義務に関する新たな規律を定めることは立法権の専権に属するものであり、法律でない行政機関の行為をもつてしては、既存の法律を具体化するほかは、新たな権利義務の定めをなし得ないのである(憲法41条)。内閣法11条が「政令は、法律の委任がなければ、義務を課し又は権利を制限する規定を設けることができない。」と定めているのもこの理をあらわす。本件についてみるに、指定医の指定の取消は、右のように国民の権利を制限するものであるから、法律条例の規定もしくはその委任を必要とするものであり、現行法上そのような定めがない以上、医師会が自ら指定基準に指定の取消及びその要件等を定めたとしてもそれは国民を拘束する力をもたないのである。第二に、行政は必ず法律の根拠を要する。積極的に行政庁が行為をするには必ずこれを認めた法律の明示の根拠を必要とし、法律が明示的に認めない場合には、行政庁は何らの行為もしてはならない。国民の権利義務に関係する行為をなすことはすべて法律に留保せられ、行政庁がこれをなし得るのは法律がこれを認めた場合に限られるのである。本件についてみるに、指定医の取消は、指定医の指定と同様に法律の明文もしくはその委任を必要とし、そのような定めがない以上被告医師会はこれをなし得ないのである。すなわち、右指定基準は、法律ではなく、法律の委任に基づくものではないから、右基準によつて被告医師会のなした本件取消処分ないしこれと同一視すべき本件却下処分は、法律の根拠を持たないものであり、違法というべきである。
[142](四) 一旦指定をした以上、永久に取消すことができないというのはいかにも不当である。しかしながら、これはつまるところ法の不備である(優生保護法は、右取消に関する定めを欠く点において不備なだけでなく、前述のように「指定」の定めそのものについても不備であり、さらに一私人、特に1つの県に2つ以上の存在が可能である医師会に白紙のままで指定権を与えたため、各医師会がばらばらに「基準」を定めている結果は極めて不当である。)。すみやかに法改正をなすべきものである。なお、取消に関する現実の運用は、殆んど指定医を辞退させる方法をとつているため、さして支障はないようであり、2年という期限付の指定を根拠として更新をしないという方法もとられている。
[143](五) 被告医師会の定める指定基準5は、「重大な不適格条件が発生した場合には、……再検討を行なう」旨定めている。しかし、「再検討を行なう」というあいまいな、多義的な定め(右定め自体から具体的にいかなることをするのかは明らかとなつていない。)を指定取消の根拠とすることは、前述の法治主義の原理から到底許されないものというべきである。
[144](六) 右の次第で、被告医師会には指定医の取消権はないものというべきである。

3 取消要件及び更新申請却下の要件の不存在について
[145] 仮に、被告医師会の指定基準5が取消の要件を定めたものであるとしても、原告の行為は、指定基準5所定の「重大な不適格条件」には該当しないことは明らかであり、さらに、原告は指定基準による指定医更新の要件(1)(2)をいずれも具備している。法は人工妊娠中絶を厳格な要件のもとに認めているのであり、むしろ人工妊娠中絶を好ましくないものと考えていることは明らかである。しかるに、現状は事実上放任されているに等しいのであるが、原告の行為は、できるだけこれを思いとどまらせ、よつて胎児の生命を守るところにその真意があつたのであるから、指定医師としての品位に欠けるところはいささかもないのである。
[146] したがつて、指定基準自体によつても、被告医師会は原告に対する指定医の取消権、更新拒絶権を発動することはできない。

4 原告の赤ちやんあつせん行為の評価について
[147](一) 法律を守ることは医師として当然の義務である。そして虚偽の出生証明書を作成することが医師法20条に違反することも原告は知つていた。しかし他面医師は人命を守るべき職責を有する。原告は、現行養子法に適応しない前述のような特殊なケースに遭遇した場合に、医師として法秩序を固守して目前に迫つている胎児の生命の抹殺に目をつぶるべきか、それとも法を犯しても胎児の生命を救うべきかの二者択一を迫られたのである。
[148] かくして原告は、後者を選択して胎児の生命の救済を優先させ、子殺しを考えている危険な母親から赤ちやんを離し、赤ちやんを愛し求めている温かい家庭に引き渡す方法をとつたのである。つまり、人の生命という最大の法益を守るために、やむをえず小さな法益(出生証明書、戸籍に対する公の信用)を犠牲にしたのである。
[149](二) 原告は、実子あつせんに際しては、もらい親の能力、環境が子の福祉を保障できるかを可能な限り調べた。しかし自ら行なつた実子あつせんの方法を最善の方法とは考えていない。現場の一医師の力では子どもの完全な福祉を守ることには自ら限界があるからである(幸い原告の取り扱つたケースについては問題は生じていない。)。だからこそ、原告は絶えず公的あつせん機関の設置、特別養子制度の創設を訴えながら私財を投じて献身的な活動を続けているのである。
[150](三) 被告の主張するように、原告の実子あつせんについては、その比率は極めて微少とはいえ、理論上近親婚のおそれの存在することは否定し得ない。しかし、この点については次の諸点をも考慮しなければいけない。
[151](1) 被告の主張するような危惧が存在するが故に、医師は胎児、子供の生命が抹殺されることに目をつぶつていてよいであろうか。遺伝学や極めて稀な近親婚の防止のために、多数の子供の生命が奪われてもよいのであろうか。これを肯定するような非人道的な考えの採り得ないことは明らかである。何よりもまず生命の救済を優先させなければならない。
[152](2) 他方、現行の親子法、戸籍法自体から果して近親婚をなくし、正しい遺伝学を成立させることはできるだろうか。現行の法律自体が極めて不備である(というよりは法技術としては不可能であろう。)。すなわち、嫡出否認の期間(民法777条)を経過した子、夫が嫡出否認、又は親子関係不存在の主張をしなかつた子、再婚制限に違反した女の生んだ子、真実の父でない者が認知した子などは戸籍上真実の親子関係を反映していないしもともと嫡出推定の規定自体があくまでも推定であつて、真実の親子関係の完全な保障はない。そのうえ、今広く行なわれている非配偶者間の人工受精について何らの法的規制のない現在、戸籍法は多くの虚偽の親子関係の存在を承認していることになる。さらには、現在日本の裁判所において、年間3、4千件の親子関係不存在を主張する事件が調停、訴訟として係属しており、これから推定すると年間数万件の虚偽の出生届が存在しているはずである。
[153](3) 要するに、法律上の親子関係は、現行法上生理的親子関係とは一致しない場合が数多く存在しており、その意味で戸籍は真実の親子関係を正しく反映していない(もつとも、戸籍は血統書ではなく、法律上の身分関係を公証しているに過ぎないものである。)。かくして、現行の法制度自体、近親婚の防止には無力であり、かつ、そのまま直ちに遺伝学の基礎とすることができないもので、既にこの点において破綻をきたしているのである。
[154](4) したがつて、被告の主張するような危惧は現行法のもとで常に存在しうるのであり、原告の行為に対する被告の評価は非実証的な観念論にすぎない。
[155](四) 原告は、重大な決意をもつて、何よりも生命の救済を優先させるべきだ、そのためには他の小さな法益を犠牲にすることはやむをえないと考えて実子あつせんを行なつたものであり、しかもあつせんに際しては、子の福祉を守るために一医師として可能な限りの配慮をしたのである。他面、毎日のように見えざるところで行なわれている子殺しに対して、政府はその防止のためどのような具体的方策をとつているであろうか。堕胎天国といわれる日本において、このような社会的努力が全くなされていないからこそ、原告の実子あつせんが必要となつたのである。
[156](五) 被告の主張するところは、原則論、観念論にすぎない。現行の養子法、戸籍法は特殊なケースについてはもはや適応しなくなつている。これらの問題の所在を正しく理解するならば、原告の行為が胎児の生命を救うためのやむをえない手段であつたこと,最善の方策ではないにしても現場の医師として可能な次善の策であつたこと、したがつて、優生保護医としての品位に欠けるものではないことが明らかになると思う。

[1] 原告の本件取消処分及び本件却下処分の取消を求める各請求は、右各処分が行政事件訴訟法3条2項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」(以下「行政処分」という。)に該当することを前提にして、処分の取消の訴えとして提起されたものである。
[2] そこで、まず、本件各処分が行政処分に当たるか否かにつき検討する。

[3] 優生保護法(以下「法」という。)14条1項によれば、都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会(以下「医師会」という。)は、法所定の人工妊娠中絶を行ないうる医師を指定する(以下この指定を単に「指定」という。)権限を、同条項に基づき、直接に授権されているものと解するのが相当である。

[4] 指定の法的性質について考察する。
[5](一) 法2条2項によれば、「人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。」のであるから、たとい医師が、婦女の嘱託を受け又はその承諾を得てこれを行なつたとしても、その行為は刑法214条の業務上堕胎罪を構成するのである。ところが、法14条1項は、指定を受けた指定医師は、同項各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行なうことができる旨規定している。してみると、指定は、本来医師であつても行ないえない人工妊娠中絶を、一定の場合に適法に行なうことができる指定医師たる資格ないし地位を医師に付与する性質のものであつて、業務上堕胎罪の違法性阻却事由の一部を構成するものであると解される。このような性質を持つ指定は、単なる私法人が本来的にこれを享有しうる権限であるとは到底考えられず、もともと国の権能に属するもので公権力の行使に当たる行為であると考えるのが相当である。
[6](二) さらに、右指定は如何なる性質の行政処分に属するものと解すべきであるかについてもここで検討するに、右にみたとおり、指定により、医師は、刑法上堕胎罪の規定によつて禁止されている人工妊娠中絶を適法に行ないうる指定医師の資格ないし地位を取得するのであるところ、これを禁止の解除という面にのみ着目するなら、あるいは講学上の許可に該当すると考えられなくもないかもしれないが、そもそも人工妊娠中絶という行為は、単なる行政目的のために行政法規によつて禁じられているというのではなく、人倫秩序の維持を目的とする刑法典により自然犯たる堕胎罪として禁じられているものであつて、本来、何人も(医師を含む)これを行なう自由を持たない性質の行為である。法は、このように本来人が自由に行ないえない堕胎の行為について、積極的な行政目的、すなわち、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護するとの目的(法1条参照)の実現のため、特定の医師に対し、これを適法に行ない得る特別な法的地位を特に付与するため、指定の制度を採用したものと理解される。そうすると、指定は、講学上の許可には当たらず、むしろ特許に近い性質を有するものとみるべきである。すなわち、この点において、指定は、例えば医師免許(医師法2条)が、本来、人が職業選択の自由という観点から自由に行ないうる筈の行為である医業について、危険防止、公衆衛生の保持などの警察目的から行政法規(同法17条)をもつて一般的に禁止したのを、特定の者に対して解除して自由を回復させる性質のものであるが故に、講学上の許可に当たるものと解されるのとは、行政処分としての性質を互いに異にするというべきである。

[7] ところで、行政事件訴訟法3条2項にいう「行政庁」とは、国又は公共団体から公権力の行使の権限を与えられている機関をいい、そのような権限を法律によつて付与されている限り、国又は公共団体の機関に限らず、私法人であつても「行政庁」たりうると解すべきである。医師会が、公権力の行使たる指定を行なう権限を法によつて授権されていることは、前記説示のとおりであるから、医師会は、指定に関する限りにおいて、行政庁とみるべきものである。

[8] してみると、このような指定を取消した本件取消処分及び指定の申請を却下した本件却下処分もまた、いずれも行政庁たる医師会が公権力の行使としてなした行政処分と解されるのであり、したがつて、抗告訴訟の違法な対象となるものであると考えられる。
[9] 以上の説示と異なる原告及び被告国の主張は、いずれも採用しがたい。

[10] 被告国は、本件各処分が別個独立の処分であり、相互に関連性がないことを理由に、本件取消処分の取消請求に追加的に本件却下処分の取消請求を併合することは許されない旨主張する。
[11] しかしながら、本件各処分がなされた理由が共通していることは主張自体から明らかであり、本件却下処分の違法性の有無を決するには、本件取消処分の違法性の有無が前提となると認められるから、行政事件訴訟法13条6号所定の相互に関連する請求と解して何ら差支えないというべきである。

[12] 本件取消処分の適法性について検討する。

[13] 請求原因1(一)の事実は、当事者間に争いがない。
[14] 被告医師会が、原告に対し、昭和28年以降、法所定の指定医師の指定をなし、その後原告が秋田県医師会に所属した期間を除き、2年毎に指定の更新をし、最終的には、昭和51年11月1日付をもつて指定医師の指定(指定の更新)をしたこと、被告医師会が請求原因1(四)のとおり本件取消処分をしたこと及び原告が同1(五)のとおり、これに不服の申立をしたが、右申立は却下されたことは原告と被告医師会との間で争いがなく、被告国との関係では、成立に争いのない甲第1号証、第2号証の1、2、第5号証、原告本人尋問の結果(第1回)により、右各事実を認めることができる。

[15] 原告は、指定を取消す権限が法律によつて医師会に授権されていないことを理由に、被告医師会には、本件取消処分をする権限がない旨主張する。
[16] ところで、右1で確定した事実及び弁論の全趣旨によれば、本件取消処分は、昭和51年11月1日になされた指定について、原告が昭和53年3月1日に医師法違反等の罪により罰金20万円に処せられたことを理由として、将来に向かつてその効力を失わしめるものであることが明らかであり、昭和51年の指定時に存した違法又は不当な事由を理由として、指定の効力を処分時に遡つて失わしめるというものではないと認められる。すなわち、本件取消処分は、講学上の行政処分の撤回に当たると解される。
[17] 一般に、行政処分は、公益の実現を目的とするものであるから、事情の変遷に即応し、その結果が常に公益に適合することが要請され、行政処分がいつたん適法有効になされた後において事情が変遷し、それを存続せしめることが公益に適合しないことになつた場合には、これを公益に適合せしめるため、法律による明文の規定が存すると否とにかかわらず、原則として自由に行政処分の撤回をすることができ、ただ、国民に権利又は利益を付与する授益的行政処分については、相手方の責に帰すべき事由によつて撤回の必要性を生じたような場合を除き、撤回は許されないと解されている。
[18] 当裁判所も右の見解を正当と考える。これを本件についてみると、指定は、適法に人工妊娠中絶を行ないうる資格ないし地位を医師に付与するものであるが、それが堕胎罪の違法性阻却事由の一部を構成するものであつて、極めて公益的かつ倫理的な性格を持つことに照らすと、単なる授益的な行政処分とはいうことができず、医師会は、指定をした後に公益に合致しない事情が生じた場合には、法律による明文の根拠がなくとも、指定を撤回することができると解するのが相当である。原告主張のように、明文の授権規定がないことのみを根拠に指定の撤回はなしえないというのは、妥当な解釈とは考えられない。
[19] よつて、原告の右主張は採用できない。

[20] 指定の撤回のための要件について考察する。
[21] 法は、右要件はもちろん、指定医師の資格要件ないし指定基準等についても何ら明文の規定を置いていない。しかしながら、法の趣旨に照らし、指定のための要件としては、次のように解釈することができる。
[22] すなわち、昭和27年5月17日法律第141号による改正前の法13条、14条によれば、現行法14条1項各号に定める人工妊娠中絶を行ないうる場合の要件のうち、1号の一部、4号及び5号に定める事由については、地区優生保護審査会がその存否について審査することとされていたのであるが、現行法では右各号の事由についての判定をすべて指定医師に委ねていることからうかがわれるように、指定医師たるべき者は、格段の専門的知識、経験、識見、人格面における品位等を備えていることが要求されようし、また人工妊娠中絶という母体に重大な影響を与える可能性のある手術を行なうのであるから、そのための十分な技能、経験と医療設備を有することが、法の趣旨から要求されることとなると解される。成立に争いのない乙第3号証の1、2によれば、日本医師会が作成した優生保護法指定医師の指定基準モデルに準拠して、被告医師会は、前記指定基準(宮城県医師会優生保護法指定医師指定基準)を作成しており、これによれば、医師の人格、技能及び設備の3点を考慮して指定すべきものとして、後2者については、具体的な規定を置いていることが認められるが、このことは、右の法の趣旨を具体化したものとして理解される。
[23] してみると、指定の撤回は、指定医師として法の要求する人格面、技能面及び設備面のいずれかにおいて適格性を欠くに至り、そのため、被処分者が撤回によつて被る不利益を考慮してもなお、撤回によつて実現される公益上の必要性が存する場合に、これをなしうると解すべきである。指定基準5項には、「重大な不適格条件が発生した場合には、定期的更新を待つことなく直ちに再検討を行なうものとする。」と定められており、右「再検討を行なう」ことの中には撤回も含まれると解されるところ、右規定は、この理を確認したものと考えられる。

[24] ところで、法が、前記のとおり、指定の要件について明文の規定を設けていないことからすると、指定の要件の認定については、医師会の合理的な裁量に委ねられているものと解される。すなわち、法の要求する人格面、技能面及び設備面からの適格性の有無についての判定は、事柄が医師としての倫理の問題にかかわり、また専門的技術的な判断を要求されることから、これを医師をもつて構成される医師会の判断に委ねたものと考えられる。してみると、指定の撤回においても、当該医師が指定医師として法の要求する適格性を欠くに至つたか否かの判断について、また撤回により右医師が被る不利益を考慮してもなお撤回をすべき公益上の必要性があるか否かの判断については、医師会の合理的裁量に委ねられているものと解するのが相当である。
[25] そして、前叙のとおり指定は講学上の許可には当たらず、むしろ特許的性質を有する行政処分とみるべきであり、したがつて指定の撤回についても同様に解されるのであるから、裁量行為たる指定ないしその撤回の右のような特許的性質に鑑みれば、指定の撤回に関して医師会がなすべき前記各判断については、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるが、そうでない限り裁判所は、医師会の右判断に基づく指定の撤回を違法として取消すことは許されないものというべきである。
[26] なお、医師会がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則(すなわち指定基準)を定めることがあつても、このような準則は、本来、医師会の処分の妥当性を確保するためのものであるから、処分が仮に右準則に違背して行なわれたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない。処分が違法となるのは、右に述べたとおり、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取消すことができるものである。

[27] このような見地から、まず、本件取消処分に至る経緯を明らかにすることとする。
[28] 前記1において確定した事実と、成立に争いのない甲第2号証及び第3号証の各1、2、第5号証、第39号証、第110号証、第124号証、第125号証、第134号証、第159号証(一部)、乙第5号証、第6号証、第10号証、被告医師会との間では成立に争いがなく、被告国との間では原告本人尋問の結果(第1回)により成立が認められる甲第4号証、弁論の全趣旨により成立が認められる乙第4号証の1、第11号証の1、2、証人中川高男、同村井秀夫の各証言、原告本人尋問の結果(第1、2回)とを総合すると、本件取消処分に至る経緯は、以下のとおりであると認められ、この認定に反する甲第159号証の一部は採用しがたい。
[29](一) 原告は、昭和25年10月医師免許を付与され、昭和33年10月以降、肩書地において、産科、婦人科、肛門科を開業している医師であり、昭和28年以降、被告医師会から指定医師の指定を受け、昭和32年7月から1年間原告が秋田県医師会に所属した時期を除き、2年毎に指定の更新を受け、最終的には、昭和51年11月1日付をもつて指定を受けた。
[30](二) 原告は、右開業以来昭和48年4月までの間に、人工妊娠中絶の時期を逸しながら中絶を求めて来た妊婦に対し、出産を勧めて出産させたうえ、出生した嬰児が子供を欲しがつている他の婦女から出生した旨の虚偽の出生証明書を作成することによつて、戸籍上も右婦女の実子として記載させ、右嬰児を右婦女に実子としてあつせんする、いわゆる赤ちやんあつせんを約100例行なつてきた。
[31](三) 原告は、昭和48年4月17日及び18日に、宮城県石巻市を中心に発刊されている石巻日日新聞及び石巻新聞に、それぞれ、「急告 生れたばかりの男の赤ちやんを我が子として育てる方を求む。菊田産婦人科」との新聞広告を掲載した。
[32](四) 原告は、同月19日右新聞広告を見て訪ねて来た毎日新聞及び朝日新聞の各記者に対し、原告の赤ちやんあつせんの事実及びそれが約100例あつたことを話し、もらい親の実子として戸籍に記載されるような法改正の必要があるので、新聞紙上で大きく取扱つてもらいたい旨要請し、その結果、翌20日の毎日新聞朝刊で右事実が大々的に報道された。
[33](五) 原告は、同月24日第71回国会参議院法務委員会において、参考人として、妊娠7か月以上になつて中絶してほしいと原告を訪ねて来た妊婦に対し、もし自分がこれを断わればその妊婦がいずれ子殺しをするのは必至であるから、これを防ぎ胎児ないし嬰児の生命を救うため、また生母の戸籍を汚すこともなくもらい親の希望にもそうので、違法と知りつつ虚偽の出生証明書を作成し、子供の欲しい夫婦に実子としてあつせんし、その数が約100人に及ぶことを供述したが、その際、佐々木静子議員から、右赤ちやんあつせんについて、実子として戸籍上記載されても、後にこれが虚偽と判明した場合には、子供には何らの法的保障もなく、法律的には極めて不安定な地位に子供を置くことになるなどの問題点が指摘された。
[34](六) 原告は、右法務委員会における供述当時、法律的知識には乏しく、いわゆる特別養子制度等の具体的な法改正の方向を考えていたわけではなかつたものの、その直後、特別養子制度を研究してきた明治学院大学教授中川高男にその制度を教示され、以後、実子特例法と称して特別養子制度にそつた法改正運動に取り組んだ。
[35](七) 原告は、前記のとおり、参議院法務委員会において、赤ちやんあつせんの事実を公表し、法改正の必要性を世に訴えて一応の目的を達し、また、昭和49年3月24日、指定医師の団体である社団法人日本母性保護医協会の全理事会において、今後違法行為は繰り返さない旨言明しておきながら、その後も、中絶時期を逸したにもかかわらず中絶を望む妊婦は、胎児ないし嬰児に対して強い殺意を抱いているので、実子特例法の制定までは、実子あつせんの方法によつてしか嬰児の生命は救えず、これは緊急避難行為であつて違法ではないとして、実子あつせんを続け、結局、昭和48年4月以降さらに約120人の実子あつせんを行なつた。
[36](八) そのうちの1例である昭和50年12月18日ころ、原告方医院で出生した嬰児にかかる実子あつせんについて、原告は、昭和52年8月31日付で愛知県産婦人科医会会長山原秀から、医師法違反等の事実で仙台地方検察庁に告発された。
[37](九) 昭和52年10月25日付の河北新報で、原告が、そのころ同新聞の記者に、原告の自宅で、
「実は違法という形での赤ちやんあつせんをやめようと思つているんです。告発騒ぎのエスカレートは実子特例法の運動に必ずしもプラスにならないし、子供をもらつた家庭もおびえている。今後は国際奉仕事業団を通じて国際養子制度に協力したい。」
と述べた旨報道された。
[38](一〇) 前記告発の結果、原告は、公訴事実の要旨を
「原告が、(1)昭和50年12月18日ころ、原告方医院において、A女に対し、自ら同女の出産に立ち会わないのに、同女が男子を出産した旨の出生証明書を交付し、(2)A夫婦と共謀して、B女が出産した男子をA夫婦の実子として届出ようと企て、同月22日ころ、A女が市役所係員に、右男子がA夫婦間の長男として出生した旨の出生届と前記出生証明書を提出して虚偽の申立をし、情を知らない右係員らをして公正証書の原本である戸籍簿にその旨不実の記載をなさしめ、これを真正なものとして市役所に備えつけさせて行使した。」
とする医師法違反、公正証書原本不実記載・同行使の罪により、昭和53年3月1日、仙台簡易裁判所から罰金20万円に処する旨の略式命令を受け、右裁判は正式裁判に移行することなく確定した。
[39](一一) 仙台地方検察庁検事正は、同日、右略式命令が発せられたことに伴い、要旨次のような談話を発表した。
「本件については、事件の特殊性にかんがみ、あらゆる角度から慎重に捜査を遂げた結果、菊田の行為は、医師の交付する証明書や戸籍簿に対する公の信用を著しくそこなうものであり、同人はそれが違法であることを承知のうえ、あえて多年にわたり、安易に、同種犯行を繰返してきたものであつて、同人の行為を正当化するに足る事情も認め難く、法秩序維持の見地から、厳正な処罰を求むべきものと判断した。
 しかしながらその動機において、思慮に欠けるものがあつたとはいえ、望まれずして生まれた児の幸福をはかる意図にでたものであつたと認められること、現在はその非を深く反省して、今後は絶対にこの種の行為をしないことを誓つていること、その他諸般の事情をも勘案して、罰金刑を選択し、略式命令請求の手続をとることとしたものである。」
「なお、いうまでもないことではあるが、この種の行為は単に違法であるばかりでなく、種々の弊害を生じ、子どもの将来についても安定した幸福を確保しうるものではないから、今後検察としては、かかる違法行為に対し、厳重な態度をもつて対処する所存である。」
[40](一二) 原告も、同日、弁護人佐々木泉との連名で、別紙記載のメツセージを発表し、所信を明らかにした。
[41](一三) 前記日本母性保護医協会の宮城県支部は、昭和53年3月2日付の書面で、被告医師会長松川金七に対し、原告の優生保護法指定医の指定を取消すよう要望し、被告医師会は、同年5月24日付、同月26日到達の内容証明郵便で、原告に対し、昭和51年11月1日付でなした指定を取消す旨の本件取消処分をした。その理由の要旨は、(一〇)記載の罰金刑の確定と、確定した違法事実に徴するとき、原告は優生保護法指定医師として不適当と認められる、というものであつた。
[42](一四) 原告は、昭和53年6月6日、本件取消処分に対し、不服(異議)の申立をし、被告医師会は、その内部に置かれた指定取消に関する不服審査委員会に諮問し、同委員会は、原告の出頭を求めてその弁明を聴いたうえ、要旨以下(1)ないし(8)の理由により、本件取消処分は適当であり、原告の右申立は棄却さるべきである旨、同年9月26日付の答申書により被告医師会長に答申した。
(1) 被告医師会は、指定を取消す権限を有する。
(2) 指定基準第5項後段の「重大な不適格条件が発生した場合には直ちに再検討を行なう」との規定は、指定取消とその要件を定めたものであり、各指定医師は日本医師会、日本母性保護医協会の通達・指導により重々これを承知しているはずである。
(3) 原告は、開業以来、昭和48年4月までの15年間に約100例以上の赤ちやんあつせんを行なつてきた。
(4) 原告は、前記(一〇)のとおり、罰金20万円の刑に処せられ、その刑が確定した。
(5) 原告は、わずか1件の赤ちやんあつせんが略式で起訴され、罰金刑にとどまつたことをもつて自己の行為の違法性が軽少、微弱であることの証左と考えているもののようであるが、仙台区検察庁が1件のみの略式起訴とした理由は、原告の行為の違法性が軽微であつたからではなく、ひとえにもらい親と子の家庭の平穏を乱すまいとする高度の配慮に基づいたものであつたと判断する。
(6) 原告は、自己の行為を人道主義的善意に出た緊急避難行為であると主張するが、動機においてたとえ人道主義的であろうとも、安易に法を無視する態度は絶対に許されるべきではない。とくに原告が、地元石巻新聞に赤ちやんあつせん広告を定期的に出した行為は緊急避難行為としてやむをえずやつたものとは認めがたい。
(7) 原告は、自分が行なつてきた行為は何ら不道徳、破廉恥なものではなく、むしろ医師として、指定医師として真剣にその職分を遂行しようとしたものであつて、指定医師としての品位に欠けるとは到底思えないと主張するが、原告の行為が現行法秩序の下において実質的に違法な行為であつたことに変りなく、医師及び指定医師たるものは、その職務を行なうについてまず何よりも法を遵守し、正しい医業を行なうよう努めなければならないと考える。
(8) 原告は、日本母性保護医協会本部及び同宮城県支部において、昭和48年5月17日以降、違法行為を繰り返さないと数回にわたり誓約しながらいぜんとして違法行為を続けたことは、指定医師として適格であるとは認めがたい。そこには違法行為をしたことに対する卒直な反省が微塵も感じられないと判断する。
[43](一五) 被告医師会は、右答申を受けて、昭和53年9月30日付宮医発第358号の書面をもつて、右答申と同じ理由により、原告の不服申立は理由がなく,これを却下する旨の決定をなし、右決定は、同年10月2日原告に送達された。

[43] 前記(一三)及び(一四)の事実によれば、本件取消処分の直接の理由は、前記罰金刑の確定と確定した違法事実に徴するとき、原告は指定医師として不適当と認められるというのであるが、その実質的な理由は、前記(一四)の(3)ないし(8)に示されていると理解され、結局、原告が指定医師として人格面でその適格性を欠くに至つたとし、原告の被る不利益を考慮してもなお指定の取消(撤回)をすべき公益上の必要性があるとするものであると解される。
[44] ところで、前記(一四)の(6)の理由中、原告が地元石巻新聞に赤ちやんあつせん広告を定期的に出したとする点は、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りず、また同(8)の理由中、昭和48年5月17日に原告が違法行為を繰り返さないと誓約したとする点は、これにそう証人村井秀夫の証言は、成立に争いのない甲第165号証の1、2、原告本人尋問の結果(第2回)と対比すると、にわかに採用しがたく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
[45] しかしながら、これらの点を除けば、被告医師会の判断に、事実上の根拠に基づかない点はなく、また、前記(二)ないし(一二)の経緯に照らせば、前記(一四)の(5)ないし(8)で示されている、事実に対する評価が明白に合理性を欠いているとは認められず、原告が指定医師として人格面で適格性を欠くに至つたものと判断した被告医師会の判断の過程に、明らかに不合理な点を見出すことはできない。
[46] さらに、撤回の必要性の点について検討する。
[47] 原告は、従来、中絶時期を逸して中絶を求める妊婦は、胎児の生命を断とうとする意思が強固であり、医師がそのまま放置すれば近いうちに胎児の生命が断たれるのは必至である旨主張してきたが、原告本人尋問の結果(第1回)によつても、右主張は、必ずしも十分な事実の裏付けのある主張であるとは認めがたい。
[48] このことと、先に認定した本件の経緯とに照らすと、原告としては、少なくとも昭和48年4月に参議院法務委員会で実子あつせんの事実を公表し法改正の必要性を世に訴えた後は、言論によつてのみ所期の目的である法改正を図るべきであつたと考えられるのに、その後も原告は、実子あつせんの弊害を指摘されながら、また自ら日本母性保護医協会全理事会で今後違法行為はしない旨言明しておきながら、たとえ昭和52年10月ころ以降は実子あつせんを行なつていないとしても前記昭和48年4月から右昭和52年10月に至る約4年半の間に、さらに約120例にものぼる違法な実子あつせんを、数々の解決されなくてはならない疑問点に対する何らの法的保障のないままに、それが緊急避難行為であるとの見解のもとに、現行法秩序に対するいわば挑戦の姿勢で強行してきたものであつて、たとえそれが追いつめられた気持の妊婦に直面した臨床医としての苦悩と善意に出たものであつたにしても、より高度な識見や人格面における品位を要求される指定医師の所為としては、厳しく指弾されるのもまたやむをえないところであると考える。
[49] なお、指定によつて指定医師が事実上経済的な利益をあげうる結果となるにしても、それは指定の副次的な効果にすぎないものというべきである。
[50] 右によれば、被告医師会が原告の被る不利益を考慮してもなお指定の取消(撤回)をすべき公益上の必要性があるものと判断したことについても、その判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるとは認めることができない。
[51] 他にも、被告医師会の右各判断に基づく本件取消処分につき、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたことをうかがわせるに足りる事情の存在を認めうる証拠はない。
[52] そうすると、本件取消処分は、この点において違法であるということはできず、請求原因1(六)(3)の原告の主張は採用できない。

[53] 本件取消処分には、原告に事前に弁明の機会を与えなかつた手続上の違法があるとの主張について判断する。
[54] 被告医師会が、本件取消処分に先立つて、原告から事情を聴取するなど弁明の機会を与えなかつたことは、被告医師会との間では当事者間に争いがなく、被告国との間では、原告本人尋問の結果(第1回)により、これを認めることができる。
[55] ところで、法には、医師会が指定の撤回を行なうについての手続を定めた規定はないから、撤回に関し、どのような手続を採用するかは、医師会の裁量に委ねられているものと解される。もとより、手続について裁量権が認められているからといつて、恣意が許されるわけではなく、公正な手続によることが要請されるところである。
[56] しかし、本件においては、事前に弁明の機会を供与しなければならないことが法定されている場合とは異なり、事前に弁明の機会を与えなかつたことの一事によつて、直ちに本件取消処分が手続上違法となると解するのは相当でなく、要は、本件取消処分に関する手続が、実質的にみて、公正手続の保障の要請を満たしているか否かが問題となるのであつて、その手続が公正手続の保障の見地からみて著しく妥当性を欠く場合にのみ、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして、違法となると判断すべきものと解される。
[57] 右の見地から本件をみるに、前記認定事実及び前掲乙第3号証の1によれば、原告は、本件取消処分に先立つて弁明の機会を与えられなかつたものの、被告医師会の内規である指定基準の定めに従つて、本件取消処分に対し不服申立をし、その審査機関である不服審査委員会において、事後的ながら弁明の機会を与えられており、そのうえで右不服申立を却下する旨の決定がなされ、本件取消処分が維持されたことが認められる。
[58] 右事実及び指定が、前記三2及び6で述べたように、単なる授益的な処分とは考えられないことに照らすと、本件取消処分に関する右の手続が、公正手続の保障の見地からみて著しく妥当性を欠くものとは認めがたいというべきである。なお、原告が引用する判例は本件と事案を異にし、適切でない。
[59] 以上検討してきたとおり、原告が、本件取消処分の違法事由と主張するところは、すべて採用するに由なく、本件取消処分は適法というべきである。

[60] 本件却下処分の適法性について検討する。

[61] 請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがない。

[62] 原告は、本件却下処分は、昭和51年11月1日付をもつてなした従来の指定を昭和53年10月30日限り取消す旨の処分と同一にみるべきであると主張する。
[63] しかしながら、右主張は、原告に対する指定の効力が昭和53年10月30日まで存続していることを前提にしているところ、右指定は、同年5月24日付の本件取消処分によつて撤回され、かつ本件取消処分は適法有効であるから、右主張は、その前提を欠き失当である。

[64] 原告の同年10月1日付の指定申請(以下「本件申請」という。)は、新たな指定の申請とみるべきものである。
[65] 前記三4で説示したとおり、指定の要件の認定については、医師会の合理的裁量に委ねられていると解される。成立に争いのない甲第6号証及び弁論の全趣旨によれば、被告医師会は、その内部機関である指定医師指定審査委員会に、本件申請について諮問し、右委員会は、本件取消処分及び前記不服申立却下決定と同じ理由によつて、不適格である旨答申し、被告医師会は、右答申と同じ理由により、原告が指定医師として不適格である(原告の被る不利益を考慮してもなお本件却下処分をするべき公益上の必要性がある)として、本件却下処分に及んだことが認められる。
[66] 本件取消処分に関し、被告医師会が、原告は指定医師として適格性を欠く(原告の被る不利益を考慮してもなお指定の撤回をすべき公益上の必要性がある)と判断したことについては、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとは認められず、したがつて、本件取消処分が適法であることは、前記説示のとおりであり、本件取消処分がなされてから本件申請に至るまで日が浅く、原告の側に格別の事情の変化が認められないことを考慮すると、本件申請に対し、被告医師会が、本件取消処分の際と同じ理由によつて、原告がなお指定医師として不適格である(原告の被る不利益を考慮してもなお本件却下処分をするべき公益上の必要性がある)と判断したことについて、不合理な点は見出しがたいというべきである。
[67] よつて、本件却下処分は適法であると判断される。

[68] 以上検討してきたとおり、本件取消処分及び本件却下処分はいずれも適法であるから、これらの違法を前提とする被告らに対する各損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がない。

[69] 結局、原告の請求は、いずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

  (裁判官 桜井敏雄 八木正一 富岡英次)
 菊田医師は、去る8月31日付で愛知県産婦人科医会山原秀から医師法違反等の事実で仙台地検に告発を受けておりましたところ、本日をもつて同地検の取調が一切終了しました。これを機会に私達は国民の皆様に事件の問題点について御理解を頂くためにその所信を表明したいと思います。

 優生保護法によつて認められている妊娠中絶(現在は6ケ月まで)を逸したのちに、中絶を求めて産婦人科に駆け込んでくる女性は経験上かなりの数にのぼります。中絶の理由はいろいろありますが、典型的なのは、婚姻外において妊娠した女性が世間態を恥じ、あるいは男性に捨てられたため今後の新しい生活を考えた結果、その胎児を戸籍上自分の子としたくないという場合です。彼女は追いつめられても何日も何ケ月も悩んだ末産婦人科医を訪れるのですから、胎児の生命を断とうとする意志は極めて強固であり、一医師が思いとどまるよう説得しても翻意することは殆んどあり得ません。その医師が中絶を断わると、彼女は再び他の医師を訪ねて同様の依頼をするか、もしくはコインロツカー事件のように出産した上で自ら殺害するのです。従つて右の場合医師が女性の要求をことわり、そのまま放置するとすれば、近いうちに胎児の生命が断たれることは必至です。
 このような女性は、その胎児を出産後自分の子として届け出た上養子に出すということをも拒否します。医師が法律上養子としてあつせんすることを提案しても殆んど無意味です。説得できる唯一の手段は、出産後親子関係を断絶する途のあることを教え、他人の実子としてあつせんすることを約束することです。自ら母体をいため、胎児の生命を好んで断つという女性はおりません。やむにやまれず子殺しを行うのです。だから出産しても、親子関係が法律上も、社会生活上も断絶されることが保障されれば彼女は喜んで出産するのです。彼女たちが求めるのは中絶(子殺し)ではなく、子捨てなのです。

 右のような子殺しから胎児の生命を守るために、ソビエト、フランス、ドイツ、イギリス、イタリー、オランダ、デンマーク、ポルトガル、アメリカ、中国、インド、スペイン、ブラジルなどの諸外国は既に実子特例法を制定し、家庭裁判所などの公的機関が介入し、貰い親の子として出生証明書を発行し、真実の親子関係を証明するものは、フアイルに入れておき必要があれば関係者にはいつでも閲覧させるという制度を採用しております。残念ながら日本では既に昭和34年に法制審議会で採り上げながら、未だに右特例法は制定されておりません。血縁尊重、養子偏見の根強い日本においてこそ本当に実子特例法が必要なのです。
 右のような子殺しは日本の現行養子制度ではまかないきれないところから生ずるものです。目前に迫つた子殺しをくいとめるには、生みの母と子を法律上断絶し、貰いの親の実子として届けること以外には途はありません。
 他方において日本では10組に1組の夫婦が子宝に恵まれず、子供を欲しがつております。しかも、その多くは養子よりも実子としての取扱いを希望しております。
 生みの親に子捨ての道を与え、子供のない夫婦に子供を与える。そして胎児、子供の生命を守り、子供に良い親を与える。これが実子特例法なのです。

 菊田医師は、長い間なんとかして胎児の生命を救い、そして捨てられた子に親を与えたいと念願して“赤ちやんあつせん”を行なつてきました。現行法のもとで、右のような赤ちやんの生命を守るためには、養親が生んだという虚偽の出生証明書を書かざるを得ません。地球よりも重いといわれる生命、放置すれば密殺される危険が目前に迫つている生命、これを救うにはどうしても虚偽の出生証明書を必要とします。もとより菊田医師は好んで虚偽の出生証明書を書いたのではありません。実子特例法の制定のため献身的な活動をしながら、それが制定されるまで、赤ちやんの生命を守るためのやむを得ない手段として右証明書を作成してきたのです。日本においても早急に右特例法を制定しない限り胎児は再び闇から闇へと葬むられて行くことでしよう。

 次に、本件告発は、夫の愛人の子を不妊症の妻の子として届けたという事実を前提としているらしく、一部にはそのような報道がなされましたが、捜査の結果全くそのような事実のないことが既に明らかになつていると思います。

 菊田医師は、本件告発を機会に、形式上違法とされている虚偽の証明書は一切発行せず、現行法上許される範囲において、国際養子、国内養子の制度を活用して赤ちやんのあつせんを行うこととしました。これは決して従来の信念を変えたわけではありません。今後第二、第三の告発により、赤ちやんを得た家庭が事件にまきこまれ、平和な家庭、子供の幸福が破壊されるおそれのあることを憂え、又実子特例法制定運動が後退することを懸念し、右特例法が制定されるまでは、摩擦、紛議を起こさない方法で人命尊重という所期の目的を達成したいと考えたからです。
 菊田医師、いな全国の大部分の産婦人科医は一日も早く実子特例法が制定されることを待ちわびております。立法当局におかれてもこれを機会にすみやかに右特例法を提案、採択されるよう切望する次第です。
 国民の皆様におかれては以上のような菊田医師の善意から出た、人道主義的行為を充分御理解下され、今後も絶大なる御支援を賜わりますようお願いします。

 検察庁は本日、本件告発事実のみについて仙台簡易裁判所に対し、略式手続によつて菊田医師を起訴しましたが、その他の被疑事実については一切不起訴処分とすることとなりました。略式起訴とはいえ菊田医師の心境にはまことに複雑なものがありますが、赤ちやんを得た家庭の平和を守るために、かつ、一日も早く実子特例法が判定されることを願いつつ、右略式裁判に服することといたします。
 われわれは、仙台地検が告発以来今日まで約半歳にわたり充分事実関係を解明し、かつ、家庭の平和を破壊しないよう慎重裡に捜査を進められたことに深く敬意を表するとともに、大局的見地に立ち、右のような処分をされたことを高く評価するものです。

 昭和53年3月1日

     医師  菊田昇
     弁護人 佐々木泉

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