「エホバの証人」輸血拒否事件
上告審判決

損害賠償請求事件
最高裁判所 平成10年(オ)第1081号、第1082号
平成12年2月29日 第3小法廷 判決

上告人・附帯被上告人(被控訴人 被告) 国
                代理人 山崎 潮 外15名

被上告人・附帯上告人(控訴人 原告)  甲野太郎 外3名
                代理人 赤松 岳 外2名

■ 主 文
■ 理 由


 本件上告及び附帯上告を棄却する。
 上告費用は上告人の、附帯上告費用は附帯上告人らの負担とする。


[1] 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
[2] 亡甲野花子(以下「花子」という。)は、昭和4年1月5日に出生し、同38年から「エホバの証人」の信者であって、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることは拒否するという固い意思を有していた。花子の夫である被上告人・附帯上告人甲野太郎(以下「被上告人太郎」という。)は、「エホバの証人」の信者ではないが、花子の右意思を尊重しており、同人の長男である被上告人・附帯上告人甲野一郎(以下「被上告人一郎」という。)は、その信者である。
[3] 上告人・附帯被上告人(以下「上告人」という。)が設置し、運営している東京大学医科学研究所附属病院(以下「医科研」という。)に医師として勤務していたAは、「エホバの証人」の信者に協力的な医師を紹介するなどの活動をしている「エホバの証人」の医療機関連絡委員会(以下「連絡委員会」という。)のメンバーの間で、輸血を伴わない手術をした例を有することで知られていた。しかし、医科研においては、外科手術を受ける患者が「エホバの証人」の信者である場合、右信者が、輸血を受けるのを拒否することを尊重し、できる限り輸血をしないことにするが、輸血以外には救命手段がない事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血する、という方針を採用していた。
[4] 花子は、平成4年6月17日、国家公務員共済組合連合会立川病院に入院し、同年7月6日、悪性の肝臓血管腫との診断結果を伝えられたが、同病院の医師から、輸血をしないで手術することはできないと言われたことから、同月11日、同病院を退院し、輸血を伴わない手術を受けることができる医療機関を探した。
[5] 連絡委員会のメンバーが、平成4年7月27日、A医師に対し、花子は肝臓がんに罹患していると思われるので、その診察を依頼したい旨を連絡したところ、同医師は、これを了解し、右メンバーに対して、がんが転移していなければ輸血をしないで手術することが可能であるから、すぐ検査を受けるようにと述べた。
[6] 花子は、平成4年8月18日、医科研に入院し、同年9月16日、肝臓の腫瘍を摘出する手術(以下「本件手術」という。)を受けたが、その間、同人、被上告人太郎及び同一郎は、A医師並びに医科研に医師として勤務していたD及びE(以下、右3人の医師を「A医師ら」という。)に対し、花子は輸血を受けることができない旨を伝えた。被上告人一郎は、同月14日、A医師に対し、花子及び被上告人太郎が連署した免責証書を手渡したが、右証書には、花子は輸血を受けることができないこと及び輸血をしなかったために生じた損傷に関して医師及び病院職員等の責任を問わない旨が記載されていた。
[7] A医師らは、平成4年9月16日、輸血を必要とする事態が生ずる可能性があったことから、その準備をした上で本件手術を施行した。患部の腫瘍を摘出した段階で出血量が約2245ミリリットルに達するなどの状態になったので、A医師らは、輸血をしない限り花子を救うことができない可能性が高いと判断して輸血をした。
[8] 花子は、医科研を退院した後、平成9年8月13日、死亡した。被上告人・附帯上告人ら(以下「被上告人ら」という。)は、その相続人である。

[9] 右事実関係に基づいて、上告人の花子に対する不法行為責任の成否について検討する。
[10] 本件において、A医師らが、花子の肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、花子が、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており、輸血を伴わない手術を受けることができると期待して医科研に入院したことをA医師らが知っていたなど本件の事実関係の下では、A医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、花子に対し、医科研としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、医科研への入院を継続した上、A医師らの下で本件手術を受けるか否かを花子自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。
[11] ところが、A医師らは、本件手術に至るまでの約1か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、花子に対して医科研が採用していた右方針を説明せず、同人及び被上告人らに対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、A医師らは、右説明を怠ったことにより、花子が輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。そして、また、上告人は、A医師らの使用者として、花子に対し民法715条に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない。これと同旨の原審の判断は、是認することができ、原判決に所論の違法があるとはいえない。論旨は採用することができない。
[12] 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難し、独自の見解に立って原審の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうか、又は原審の裁量に属する慰謝料額の算定の不当をいうものであって、採用することができない。
[13] よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 千種秀夫  裁判官 元原利文  裁判官 金谷利廣  裁判官 奥田昌道)

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