大阪市売春取締条例事件
上告審判決

大阪市条例第68号違反被告事件
最高裁判所 昭和31年(あ)第4289号
昭和37年5月30日 大法廷 判決

上告人 被告人 甲野テル子(仮名)
    弁護人 秋山英夫

■ 主 文
■ 理 由

■ 裁判官入江俊郎の補足意見
■ 裁判官垂水克己の補足意見
■ 裁判官奥野健一の補足意見

■ 弁護人秋山英夫の上告趣意


 本件上告を棄却する。

[1] わが憲法の下における社会生活の法的規律は、通常、基本的なそして全国にわたり画一的効力を持つ法律によつてなされるが、中には各地方の自然的ないし社会的状態に応じその地方の住民自身の理想に従つた規律をさせるためこれを各地方公共団体の自治に委ねる方が一層民主主義的かつ合目的的なものもあり、また、ときには、いずれの方法によつて規律しても差支えないものもあるので、憲法は、地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定めるべく(憲法92条)、これに議会を設置し、その議員、地方公共団体の長等は、その住民が直接これを選挙すべきもの(同93条)と定めた上、地方公共団体は、その事務を処理し行政を執行する等の権能を有するほか、法律の範囲内で条例を制定することができる旨を定めたのである(同94条)(昭和29年(あ)第267号同33年10月15日大法廷判決、刑集12巻14号3306頁参照)。すなわち、地方公共団体の制定する条例は、憲法が特に民主主義政治組織の欠くべからざる構成として保障する地方自治の本旨に基づき(同92条)、直接憲法94条により法律の範囲内において制定する権能を認められた自治立法に外ならない。従つて条例を制定する権能もその効力も法律の認める範囲を越えることはできないけれども、法律の範囲内にあるかぎり、条例はその効力を有するものといわなければならない(昭和26年(あ)第3188号同29年11月24日大法廷判決、刑集8巻11号1875頁参照)。
[2] 第一審判決認定事実に適用され原審が合憲合法とした条例は、昭和25年12月1日公布施行にかかる大阪市条例第68号街路等における売春勧誘行為等の取締条例(以下本件条例という)2条1項であつて、右条項は、売春の目的で街路その他公の場所において他人の身辺につきまとい又は誘う行為に対し5千円以下の罰金又は拘留に処すべき旨を規定するのであるところ、地方自治法2条2項、3項は風俗又は清潔を汚す行為の制限その他の保健衛生、風俗のじゆん化に関する事項を処理すること(同3項7号)ならびに、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること(同項1号)が普通地方公共団体(以下地方公共団体という)の処理する行政事務に属する旨を明定するとともに、同法14条1項、5項は、地方公共団体は法令に特別の定があるものを除く外、その条例中に、条例違反者に対し2年以下の懲役若しくは禁錮、10万円以下の罰金、拘留、科料又は没収の刑を科する旨の規定を設けることができると定めており、被告人の本件行為当時本件条例2条1項所定の事項に関し法令に特別の定がなかつたことは明らかである。
[3] 論旨は、右地方自治法14条1項、5項が法令に特別の定があるものを除く外、その条例中に条例違反者に対し前示の如き刑を科する旨の規定を設けることができるとしたのは、その授権の範囲が不特定かつ抽象的で具体的に特定されていない結果一般に条例でいかなる事項についても罰則を付することが可能となり罪刑法定主義を定めた憲法31条に違反する、と主張する。
[4] しかし、憲法31条はかならずしも刑罰がすべて法律そのもので定められなければならないとするものでなく、法律の授権によつてそれ以下の法令によつて定めることもできると解すべきで、このことは憲法73条6号但書によつても明らかである。ただ、法律の授権が不特定な一般的の白紙委任的なものであつてはならないことは、いうまでもない。ところで、地方自治法2条に規定された事項のうちで、本件に関係のあるのは3項7号及び1号に挙げられた事項であるが、これらの事項は相当に具体的な内容のものであるし、同法14条5項による罰則の範囲も限定されている。しかも、条例は、法律以下の法令といつても、上述のように、公選の議員をもつて組織する地方公共団体の議会の議決を経て制定される自治立法であつて、行政府の制定する命令等とは性質を異にし、むしろ国民の公選した議員をもつて組織する国会の議決を経て制定される法律に類するものであるから、条例によつて刑罰を定める場合には、法律の授権が相当な程度に具体的であり、限定されておればたりると解するのが正当である。そうしてみれば、地方自治法2条3項7号及び1号のように相当に具体的な内容の事項につき、同法14条5項のように限定された刑罰の範囲内において、条例をもつて罰則を定めることができるとしたのは、憲法31条の意味において法律の定める手続によつて刑罰を科するものということができるのであつて、所論のように同条に違反するとはいえない。従つて地方自治法14条5項に基づく本件条例の右条項も憲法同条に違反するものということができない。
[5] 論旨は街頭での売春勧誘行為の如きはこれを取り締るか否かを定めることは国の事務であると主張し憲法94条違反をいうが、およそ法的規律には法律によるべきものと、法律によつてもまた政令、条例によつても差支えないものもあること前点説示のとおりであり、売春防止法成立前にあつては、右のような行為につき取締罰則を定めた法令はなく、当時としては各地方公共団体はかような行為を地方自治法14条により罰則付条例をもつて取り締ることができたものというべく、従つて、かような時期に大阪市の制定した本件条例には所論のような違法、違憲はなく、論旨は理由がない。
[6] 論旨は、売春防止法成立前には売春勧誘行為を処罰することは当時の法意識、換言すれば法秩序に反するものである旨を主張し、これを前提として、本件条例2条1項は憲法の罪刑法定主義の原則に違反するというが、右前提は独自の見解で容認するにたりないから、違憲の所論は前提を欠き採ることをえない。

[7] よつて刑訴408条に従い主文のとおり判決する。

[8] この判決は裁判官藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一の補足意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。


 裁判官入江俊郎の補足意見は次のとおりである。
[1] 憲法31条は、いわゆる罪刑法定主義の根拠たる法条であつて、刑罰を科する手続規定を法律をもつて定めなければならないばかりでなく、犯罪とされる行為の内容および刑罰の種類、程度等、罪刑の実体規定をも法律をもつて定めなければならないことを趣旨とし、また、これを国会の議決を経た国法たる法律で定めることとした所以のものは、いかなる行為が犯罪とされるか、これにいかなる刑罰を科するかという刑罰権の基本は、国家主権の権能に属するものであることを前提としているのであつて、基本的人権保障という民主的要請からいつて、極めて重要な規定である。しかし、罪刑に関する手続規定、実体規定の一切を直接法律をもつて定めることは、必らずしも実情に副わず、事宜に適したものといい難いので、前記民主的要請に反しない限度において、その例外を認めることはやむを得ないところであり、憲法は73条6号但書において、「特にその法律の委任がある場合」には、政令で罰則を設けることができる途を認めている。そして、右罰則委任は、憲法上の重要な罪刑法定主義に対する例外であるから、前記「特にその法律の委任がある場合」というのも厳格に解釈されており、一般的ないし包括的委任は許されず、個別的ないし限定的委任であることを必要とし、すなわち罰則委任をするそれぞれの法律において、違反行為に当る事項を限定し、これに科せらるべき刑罰の程度を示して、委任しなければならないものと解されているのである。蓋し、憲法31条が罪刑については国会の議決を経た法律で定めることとした以上は、法律以外の形式の法令に罰則を委任しようとするならば、それは、そのような例外を認めるにつき必要な限度においてはじめて許さるべきものであるから、その委任の形式は一般的であつてはならず、常に個別的なものでなければならないことは当然というべきであろう。

[2] ところで、憲法は右のごとく、明文をもつて法律による政令への罰則委任を認めたが、憲法の趣旨とするところは、いわゆる委任命令をこの場合だけに限るとしたものではなく、ひろく委任命令の制度を認容しているものであり、罰則委任も、政令以外の法令への委任を禁じたものではないと解されている(国家行政組織法12条4項参照)。なお、わたくしは、法律で規定すれば、地方公共団体の条例に対しても、罰則を委任することを得ると解するものであり、条例を地方公共団体の自主立法と認めて、その制定権を根拠づけた憲法94条等の法条が、地方公共団体に固有の刑罰権を認めた趣旨を包含するものとも、また罪刑法定主義を定めた前記憲法31条の規定の特例をなすものとも、到底考えられないから、わたくしは条例で罰則を規定するにも、必らず法律の委任が必要であると思うのである。
[3] そして、わたくしは、法律が政令以外の法令に罰則を委任する場合においても、政令に対すると同様に一般的委任は許されず、個別的委任たることを要するものと解するのであり、それ故にこそ憲法施行とともに、明治23年法律第84号(命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件)は廃止され、また平和条約発効とともに、昭和20年緊急勅令第542号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)が廃止されるに至つたことは憲法上の当然の要請であつたというべきであつて、このことは条例に罰則を委任する場合においても、また同様でなければならぬと思う。或いは、これに対し、条例は、公選による議員をもつて組織される地方議会の議決を経るもので、政令等行政府のみで制定する法令と異なり、地方公共団体の自主立法として、民主的性質を有するものであるから、条例に罰則を委任する場合は一般的委任で差支えないと説く者もある。しかし、この場合論者は、しからば前記の明治23年法律第84号や、昭和20年緊急勅令第542号のごとき委任の仕方でも、条例への罰則委任は許されるというのであろうか。条例が論者のいうように、制定過程において民主的なものであり、憲法の認めた地方公共団体の自主立法であることはわたくしも充分承認するけれども、それだからといつて、条例への罰則委任が、そのような一般的委任(一般的委任という言葉は、普通は、そのような形式の委任を指すものとして使われていると思う。)でよいという考え方には賛同しかねるのである。
[4] ただ、ここでわたくしの指摘しておきたいことは、ひと口に個別的委任といつても、条例への委任の仕方と、政令等行政府のみで制定する法令への委任の仕方との間に、若干差異があつてもよいということである。すなわち、条例は、公選による議員をもつて組織する地方議会の議決を経た地方公共団体の民主的な自主立法である点において、条例への罰則の委任の仕方は、政令等行政府のみで制定する法令に対する委任の場合に比較して、より緩やかなものであつてもよいと思うのである。勿論それは、基本的人権保障という民主的要請に反しない限度においてであり、また、憲法上認められている地方公共団体の自主立法たる条例の性格に適合する限度においてではあるが。そして、その委任の仕方がどの程度に個別的であればよいかは、法律がどのような規定の下に罰則を条例に委任しているかを具体的に検討して結論を出さねばならない。

[5] そこで、まず、地方自治法の規定をみると、条例への罰則委任の根拠規定は同法14条5項の規定であることは明らかであるが、この規定だけをみると、刑罰の範囲は限定されてはいるけれども、その委任の仕方は恰かも前記明治23年法律第84号に類するものであり、憲法の認めない一般的委任であるかのごとく解されないことはない。しかし、この規定のほか、地方自治法には14条1項、2条2項、3項の規定があり、これら諸規定は、相まつて適用されることになるのである。すなわち、同法2条2項は条例の規定事項の範囲を定めるとともに、同条3項は、極めて具体的、詳細にその事項の内容を例示している。条例は、結局例示されたそれらの具体的、詳細な事項につき規定を設け、これに必要な取締りを定めることとなるのであつて、それらの取締りに違反した者に対し、同法14条5項の委任による刑罰が科せられることとなるのである。ことに本件においては、同法2条3項7号、1号に挙げられた相当具体的な内容の事項に関する条例につき、罰則の範囲も限定されている同法14条5項が適用されるのである。しからば、条例への罰則委任の規定である右14条5項は、同条1項、同法2条2項、3項と相まつて、個別的罰則委任の規定に外ならないと解することを得るのであつて、この程度に個別的であれば結局、条例において違反行為とされる事項は、法律上相当具体的に示されており、科せられるべき刑罰には限度が附せられており、地方公共団体の自主立法である条例への罰則委任として妥当というべく、憲法31条にいう法律の定める手続によつて刑罰を科するものということを得ると考える。

[6] わたくしは、本件判決理由を以上の趣旨において理解し、これに賛成するものである。


 裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

[1] 私は多数意見と結論を同じくするが理由を異にする。刑罰法規は国会の制定した法律でなければならないという原則は堅持すべきである。ただ憲法94条は例外的に条例による罰則の制定を制限付で認容している。憲法は、政令には特定の「法律の委任がある場合を除いては罰則を設けることができない」と規定するに反し、条例は、単に「法律の範囲内で」という広い制限の下にこれを制定することができることを認めている。地方自治法14条5項は、これを受けて、条例を制定しうる範囲についての一般的制限を設けたのである。だからこの制限は、政令への委任の場合と異なり、広く包括的な、一般的なものであつても違憲ではない。単に条例も政令も法律の下位法だという点のみを捉えて同一に論ずるのは正確でなく、それなら条例を自治立法というほどのことはない。これが私見の要旨である。

[2](1) 憲法31条は次の意味を含む、曰く「いかなる行為ないし事実があつたときは人に対しいかなる刑罰(法益剥奪)その他同様の不利益処分を科することができるかを定める実体法も国民の総意による承認ともいうべき国会の定めた法律でなければならない」と。
[3] 本件条例はそれ自体に罪となるべき行為とこれに対する法定刑とを定めているので、一個充全の刑法的規範であるが、法律でない。
[4] 憲法は、地方公共団体というものがなければならない、その組織、運営に関する事項は地方自治の本旨に基いて法律でこれを定める(92条)、それには議会を設置し地方公共団体の長、議会の議員等はその住民が直接選挙する(93条)、地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有するほか、法律の範囲内で条例を制定することができる(94条)、と定める。右によると、地方公共団体なるものは、憲法上必要不可欠のものであると同時に、法律によつて始めて創設組織され、その住民、その議会及びその議員、地方公共団体の長その他の吏員ができ、その議会及び行政機関の運営に関する基本事項が定まる。
[5] そして、普通地方公共団体の処理すべき事務は万般の事にわたるのみならず、地方事情や各地住民の意向の相違、時代の変遷に従い必ずしも一様でなく、また、その事務の多くの部分を国が自己の事務として負担遂行するにおいては、それが実情と民意に適せず徒らに国の負担の過大を来すのみならず、地方自治の本旨に副うゆえんでない。かような見地から、地方自治法2条2項が普通地方公共団体の処理しうべき事項を広く定めたことは当然だと思う。同条3項各号はかなり事務を明確に限定しているようであるが、1号だけは「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」という、極めて一般的、抽象的な規範であつて、条例ではこれに当る事務として恐らく何でもを定めることができるであろう。かくては単に「占領目的阻害行為」や「反民主主義行為」を処罰する規定のように、「住民、滞在者の福祉阻害行為」を処罰すべきことを定める罰則も一見地方自治法2条2項、3項1号に基づいて定めうることとなろうが、かような罪となるべき行為を明確に定めない抽象的な罰則はいかなる具体的所為が罪となるのかを明確にしない点で論旨のいう如く憲法31条違反を来すものといわなければなるまい。

[6](2) けれども私は地方自治法14条5項、2条2項、3項は憲法31条に違反しないと考える。その理由は次のとおり。
[7] 憲法は次のように規定するのである。地方公共団体は、法律でそのなしうべき事務として定められた事務を、法律に従つて、自己の欲するとおり、自己の手で行うことができ、そして、直接公選される議員で組織する自己の議会の議決により法律を逸脱しない範囲内で住民の総意の表明ともいうべき自主的立法である条例を制定する権能を有する(憲法92条ないし94条)、と。これによつて、地方事情に通じ、利害関係の最も深い住民は、地方の実情及び特色と自分らの創意とに従いここに理想郷を実現するため、法律の特別の委任がなくとも、法律の範囲内でありさえすれば罰則を含む条例を制定することができる、そして、地方公共団体は自己ないしその住民の利益を保護防衛するため、住民でなくとも自己の区域内に入り来る滞在者の利益のためにも、また滞在者に対しても適用されるべき条例を定めることができる(住民が他の地方公共団体の区域内に入つたときはその地方公共団体の条例に服することは全国の地方公共団体相互間でお互い様である)、と憲法はするものと解される。条例が民主的自主立法であり、かつ、その効力は当該地方公共団体の区域内に限られることに鑑みれば、地方公共団体がかなり自由に条例の罰則を制定できると憲法が定めても、国民若しくは住民の総意によることなく行政機関の非公開手続によつて定められる政令等と異り、非民主的であることによる過誤、弊害は少いであろうと憲法はみたので、法律の範囲内で条例を制定することができるとした訳だと考える。
[8] 更に、憲法95条を見ると、同条はある地方公共団体が法律の規定しない分野の事項について条例を制定したのに、国会がこれを不当とし、その地方公共団体にのみ適用される右条例と異る特別法律を制定しようとするような場合には、その地方公共団体の住民投票による同意を得なければならないとする。この規定は地方自治の本旨としていかに住民の総意が重視されるべきかを示すものといえよう。
[9] 政令、命令と条例とを文理解釈によつて比較してみよう。
[10] 憲法73条は、内閣は左の事務を行う、「この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」(6号)とし、これを受けて国家行政組織法12条も「各大臣は……法律若しくは政令を実施するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基いて命令(総理府令又は省令)を発することができる。」(1項)、右「命令には、法律の委任がなければ、罰則を設け、又は義務を課し若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない。」(4項)と規定する。(これらの規定は刑罰法規は国会の制定する法律でなければならないという憲法31条の原則に忠実なものである。)
[11] 右によつて明らかなように政令は憲法なり特定の法律なりを実施するために制定される従属的なもので、その罰則は当該特定法律の特別委任がある場合のほか設けることができないのを原則とし、命令も法律若しくは政令を施行するため、又は、法律若しくは政令の特別の委任に基づいてのみ発することができ、それには法律の直接委任がなければ罰則を設けることができないのである。
[12] これに反し、条例は政令、命令とは選を異にし憲法上「法律の範囲内で」あれば特定の法律の委任を要せず、これを制定しうるものである。そこで地方自治法14条5項は条例に罰則を設けうる「法律の範囲」を一般的、包括的に設定した訳である。従つて条例は、他の法律の規定や地方自治法の規定に反しない範囲内で、いかなる行為を犯罪と規定しても、地方自治法14条5項の範囲を超える重い法定刑を定めないかぎり合法、合憲となるのである。
[13] 要するに、法律(法律の委任)なくして政令の罰則はないが、法律なきところ、若しくは法律の禁止なきところにも条例の罰則はあるのである。(多数意見が冒頭に引用する判例の後者は以上の私見と同様のように思える。)
[14] すなわち、条例制定権は憲法94条末段から直接与えられたもので、それにはただ「法律の範囲内で」という制約が付されているにすぎない。(これは憲法31条の「法律」とは「国会の制定する法律」であるべきことの例外として憲法自身が認めたものである)。それは、条例が元来国に直接利害関係のない事項について罰則を設けるとしても、条例が民主的自主立法であつて、その区域内にのみ施行されるものである点に鑑みれば、条例が法律の範囲を逸脱しないなら条例で罰則をも制定しうるとしても前示のとおり過誤、弊害は少いであろうとの考慮に出でたものと考えられる。これが、わが国の民主化のために、憲法立法者の意図した地方自治の本旨である。のみならず、若し地方自治法14条5項、2条2項、3項がないとすれば、地方公共団体が法律の規定のない分野の事項についての条例に罰則を設けようとする場合に、法律の委任を取りつけようとするなら、地方公共団体は、未だ条例が自己の議会を通過するか否か未定の時期に予めその条例案若しくはその要旨を国会に示して特別の委任法律の制定をえなければなるまいが、こんなことをすることは地方自治の本旨にもとり、不合理でもあるので、普通法たる地方自治法14条5項は条例を以て如何なる行為を犯罪とするかの点では広く同法2条2項、3項の枠を示すに止めたものであるといつてよい。(この場合、この枠の範囲内で特別法が委任しても越権というよりは丁寧だというにすぎまい。)若しそれ条例の罰則自体が不合理不適正なら憲法31条に含まれる別の精神から違憲とされるべきである。

 裁判官藤田八郎は右垂水裁判官の補足意見に同調する。


 裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。
[1] 論旨は本件大阪市条例の違憲無効のほか本条例の授権規定である地方自治法14条は憲法31条に違反し無効であると主張する。
[2] よつて案ずるに、憲法31条が刑罰を科する手続は法律によらなければならないと規定していることは当然に刑罰の実体規定も法律によらなければならない趣旨を意味するものと解する。しかし、同条は法律を以つて、法律以下の法令に罰則を設けることを委任することを絶対に禁止しているものと解すべきではない。
[3] 固より法律の委任を以つてしても、無条件に一般的白紙委任的形式によつてこれが委任をすることは許されないと解すべきであるが、法律を以つて一定の制限の下に一定の基準を設けて法律以下の法令にこれを委任することは必ずしも憲法31条に反するものではないと考える。このことは憲法73条6号但書に法律の委任のある場合に政令で罰則を設けることを許しているところよりも肯認することができる。もつとも、憲法73条6号但書は「特にその法律の委任がある場合」に限り政令に罰則を設けることを許し、一般的委任を認めていない。これは行政権による刑罰権の濫用を防止する趣旨から、特に個別的法律委任を必要とすることを定めたものと解せられる。然るに条例は地方公共団体の住民の代表機関である議会によつて制定せられるものであるから、これに罰則を設けることを委任する場合には、必ずしも右73条6号但書の如く個別的に法律の委任を必要とするものと解すべきではない。
[4] 地方自治法14条5項は、地方公共団体は条例を以つて、条例に違反した者に対し一定の刑罰を科する旨の規定を設けることができる旨の一般委任を規定しているのであるが、元来条例は制定された地方団体の区域に限り行われる法令であり、条例を以つて規定することができる事項は地方自治法によつて限定されており、また同条は罰則の限度を2年以下の懲役若しくは禁錮、10万円以下の罰金、拘留、科料又は没収の刑に限定しておるのであるから、右刑罰の委任規定は一定の制限の下に一定の基準を設けてなされた法律の委任ということができる。従つてかかる一般的委任立法を以つて憲法31条に反するものということはできない。
[5] 固より右地方自治法14条5項の委任により、条例を以つて定められる罰則規定自体において、犯罪構成要件及びこれに対する刑罰が明確でなければ罪刑法定主義の原則に違反することになることは勿論であるが、本件大阪市条例第68号がこの点において罪刑法定主義の原則に違反するものでないことは多数意見のとおりである。よつて所論は採るを得ない。
[6] なお、附言するに多数意見は地方自治法2条3項7号及び1号の事項が同法14条5項の授権規定の委任の範囲に属するものの如く解し、従つてこれに関する限り右14条5項の刑罰授権規定は具体的事項の委任であつて、一般的な委任規定でないと判示するものの如くであるが、右14条5項は一般的に、地方公共団体は条例を以つて、条例に違反した者に対し一定の刑罰を科する旨の規定を設けることができると規定しているのであつて、これを具体的事項の委任規定であると解することは到底不可能であり、一般的授権規定という外はない。(すなわち、右に「条例に違反した」とは、広く条例で定め得る事項について規定した一切の条例に違反した場合を指称するのであつて、例えば同法2条3項1号の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」と言うが如きは極めて広汎な漠然とした内容を持つ事項であるが、本号に基づくいわゆる公安条例違反事件について、当裁判所は既に前記授権規定の適憲であることを前提として、屡々判決を下しているのである。要は、罰則を定めた各個の条例において処罰の対象となる犯罪の構成要件たる事項が具体的に示され、且つその事項が条例で規定し得る事項であれば足りるのである。)
[7] また、垂水裁判官の補足意見によれば「憲法94条は例外的に条例による罰則の制定を制限付で認容している。そして地方自治法14条5項は、これを受けて条例を制定しうる範囲についての一般的制限を設けたのである」という。その趣旨は、刑罰法規は憲法31条により法律でなければならないのが原則であるが、憲法94条は例外として条例で罰則規定の制定を認めておるのであつて、右地方自治法14条5項はその範囲を法律で制限したことになるという説の如くである。そうすると、右14条5項がないと仮定すれば、条例で刑罰法規を自由に制定して死刑以下あらゆる種類の刑罰も科し得ることになるというのであろうか。しかし、憲法94条は条例で刑罰法規を制定し得ることを認めているものと解すべき何らの根拠はなく、刑罰法規は人権保障のうえから国会の制定する法律によらなければならないものとしたのが同法31条の趣旨であつて、ただ前述のように法律によつて条例にこれを委任することが許されると解せられ、地方自治法14条5項は正にこの委任規定であつて、この授権規定によつて始めて条例で刑罰規定を設けることができるのであり、これなくしては地方公共団体は本来刑罰法規を制定することができないものと考える。

(裁判長裁判官 横田喜三郎  裁判官 斉藤悠輔  裁判官 藤田八郎  裁判官 河村又介  裁判官 入江俊郎  裁判官 池田克  裁判官 垂水克己  裁判官 河村大助  裁判官 下飯坂潤夫  裁判官 奥野健一  裁判官 高木常七  裁判官 石坂修一  裁判官 山田作之助  裁判官 五鬼上堅磐)

[1] 本件の適用法令である大阪市条例は、法令に違反し憲法に違反するものであつて無効のものであり、従つて被告人は無罪たるべきものと確信致します。その理由は左の通りであります。

[2]、昭和25年大阪市条例第68号「街路等における売春勧誘行為等の取締条例」は、地方自治法に基いて制定されたものであります。即ち同法第14条は、普通地方公共団体(以下単に地方自治体という)に、その行政事務の実施に関して条例制定権を与えると共に、その条例の施行を確保するために、これに罰則を附することを認めたものであつて、学説上白地刑法又は空白刑罰法規といわれるものが、即ちこれに外ならないのであります。ところが白地刑法が下級命令に罰則の制定を授権するに当つては、必ずやその授権の範囲を具体的に特定しなければならないのであつて、若しその授権事項が不特定であり抽象的である場合には、その白地刑法は無効であるとされているのであります。これは罪刑法定主義の建前からいつて当然のことなのであつて、若しも授権の範囲が具体的に特定されていなければ、下級命令は法律が実際には授権していない事項についても罰則を附することが事実上可能となり、結局、人は法律によらずして、単なる命令によつて刑罰を科せられるということになるからであります。ところが地方自治法第14条の授権事項は決して特定且具体的なものではありません。同条第1項は「普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて第2条第2項の事務に関し、条例を制定することができる」とし、同条第5項は「普通地方公共団体は、法令に特別の定があるものを除く外、その条例中に、条例に違反したものに対し、2年以下の懲役若しくは禁錮、10万円以下の罰金、拘留、科料又は没収の刑を科する旨の規定を設けることができる」旨を規定しているので、結局授権事項は、第2条第2項所定の事務ということになるのでありますが、第2条第2項をみると、そこには単に地方自治体の行政事務の定義に類することがうたわれているだけであつて、何ら事項を具体的に特定したものがありません。殊に第2条第3項をみると「前項の事務を例示すると概ね次の通りである」として、第1号から第22号に至るまで実に広汎にわたる事項を羅列しているのでありますが、然もそれは単なる例示に過ぎないのでありますから、結局第2条第2項所定の事務というのは、「地方自治体の所管するあらゆる一切の事務」を指称しているということにならねばなりません。然しながら、およそ地方自治体の所管する事務の具体的な範囲とは、一体何でありましようか。それは恐らくは、地方自治体に所属する吏員ですら、即座にこれを指示することは不可能でありましよう。ましてや我々一般国民は、地方自治体の行政事務とは、司法、鉄道、逓信等、国に属することの明らかな事務を除き、その地域内におけるその他の行政事務万般というように、極めて漠然とした理解しかもつていないのであります。極言するならば、我々の日常生活において地方自治体の行政事務に何らかの関係をもたないものは、殆ど絶無であるということもできるのであります。地方自治法は、かように極めて抽象的で不特定な事項について、条例に罰則制定権を附与しました。その結果として、地方自治体はおよそどんなことについてでも罰則を附することができるわけであり、我々国民は何時如何なることについて、条例をもつて処罰されるか判らないということになつているのであります。これは疑いもなく罪刑法定主義の覆滅であり、憲法第31条違反以外の何ものでもないといわなければなりません。即ち地方自治法第14条は、白地刑法としてその授権事項を具体的に特定していないから、その罰則制定権の委任に関するかぎり無効であり、従つてその授権に基いて制定された本件大阪市条例も無効であり、その当然の結果として被告人は無罪であるといわねばなりません。

[3]、本件大阪市条例は、他の理由からしても又これを無効であるとしなければなりません。申すまでもなく、国の事務は地方自治体の事務ではありませんから(法第2条第2項末尾参照)、地方自治体が国の事務に関して条例を制定し得ないということは、全く疑いのないところでありましよう。ところで街頭における売春勧誘行為を取締るということは、果して地方自治体の事務なのでありましようか、それとも国の事務なのでありましようか。これを取締る必要があるかどうかということは、申すまでもなく、国民一般の倫理観念、社会全般の風俗習慣から、おのづから決定されることなのであつて、それは飽くまでも全国民的な立場から、全社会的な見地から考えなければならない問題だと思うのであります。交通頻繁な都会地において交通事故を少なくするために、一定の交通機関について特殊な措置を講ずるとか、或いは特定地方にのみ特有な産業を保護育成するために、一定の施策を講ずるとかいうことは、地域的に関連性のあることでありますから、まさに条例をもつて規制するに適した事項であるといえるでありましよう。然しながら、売春勧誘行為が若し可罰的であるとするならば、それは全地域的、全国民的に然るのであつて、決して大阪では可罰的であるが、京都においては可罰的ではないというような性質のものではないのであります。即ちそれは、本来地域的には関連性のない問題なのであり、又地域的に結論を二、三にするようなことのあつてはならない問題なのであります。この意味において売春勧誘行為を取締るかどうかということは、決して地方自治体の事務ではなくして国の事務であることは、極めて明らかであると申さねばなりません。これまで風俗や性に関する罪は、すべて刑法、軽犯罪法、風俗営業取締法、その他の狭義の法律によつて取締られてきました。これと同様に、若し売春勧誘行為を取締るべきだとするならば、それは飽くまでも法律において採り上げるべき事柄なのであつて決してこれを下級命令に委譲し、その結果として刑罰体系中に混乱を導き入れるようなことがあつてはならないのであります。憲法第94条は「地方公共団体は法律の範囲内で条例を制定することができる」旨を規定し、地方自治法第14条はこれを承けて、特に「法令に違反しない」という条件を附して地方自治体に条例制定権を与えておりますが、本件市条例が売春勧誘行為につき罰則を設けたのは、上述したところで明らかな通り、全く権限外である国の事務について条例を制定したことになるのでありますから、それは憲法に違反し法令に違反するものとして無効のものといわなければなりません。本件はこの点よりしても無罪であること明らかであると信ずるものであります。

[4]、本件市条例は、更に他の点においても法令違反を敢えてし、これを無効とすべき理由があるものと考えられます。売春防止法は昨年5月21日の国会において漸く可決成立し、同月24日附をもつて法律第118号として公布されました。然しながらそれが決して一朝一夕にして成立したものではなく、第2国会以来前後5回にわたつて提案されながら、その都度審議未了として葬り去られてきたものであることは、周知の通りであります。然もかように紆余曲折を経て漸く成立した法律でありながら、その施行は1年後の昭和32年4月1日とされ、罰則の発動は更に1年後の昭和33年4月1日とされていることが注目されるのであります。申すまでもないことながら、売春取締法案又は売春防止法案は、売春勧誘行為をもその取締の対象としていたものであります。従つて今仮りに事態を本件市条例の制定された昭和25年当時に引戻して考えてみるならば、右のような内容の法案を法律として成立せしめることが国会において拒否されていたということは、当時の法体系が売春並にその随伴行為を無条件に可罰的であるとして受容れることを拒否していたことを意味するものに外なりません。そうすると当時のそのような法意識のもとにおいて、下級命令である条例が法律に先駆して右の法意識を無視し売春等の行為を可罰的であるとすることが果して許されるものでありましようか。それは下級命令として甚しく僣越なことであり、法の秩序を紊すものだといわなければなりません。第2国会はもとより昭和25年以前のことに属するのでありますから、法律によつて可罰的とすることが明らかに国会において否定されているときに当つて、いわばその裏をかいて一片の命令でもつてこれを可罰的であるとしたことになるのであります。これは明らかに国会の立法権の侵奪であるといわねばなりません。過般、売春防止法が成立したということは、何ら右の結論を左右するものではなく、いくら条例の処罰規定が爾後において法律に採り上げられたとしても、その条例の制定当時において、それが当時の法意識に背反し法秩序を紊るものであつたという事実は、もはや払拭するに由がないのであります。法律の明文に違反することが、その積極的違反であるとするならば、法意識に背反し法秩序を紊すことは、法令に対する消極的違反であるといえるでありましよう。本件市条例は右のような意味において法令に違反しているのであり、延いては地方自治法第14条の「法令に違反しない」という制限を無視したものでありますから、直接的には同条違反として無効のものといわねばなりません。即ち本件の無罪たるべきことはこの点よりしても明らかであると信ずるものであります。

[5] 風俗や性に関する犯罪のうち、各地方自治体の条例違反として検挙されるものが、その数において圧倒的であることは、弁護人もよくこれを承知しております。従つて又これまでに各条例違反として既に罰金刑に処せられ又は服役せしめられたものが、かなりの数にのぼるということも当然に予想されるところであります。この時に当つてその条例が無効だなどと言いだすことは、むしろおぞましきこととして一笑に附されるかも知れません。少くともこれを無効とすることによる影響の重大さは、問題を伏せてしまうことを賢明だと思わしめるものでありましよう。然しながらそこに憲法上の重大原則に対する背反があり、刑罰法の基本原則である罪刑法定主義を無視したものがあり、然も現下の法意識に照して本件を処罰することの実質的不当さがあるときに(売春防止法は未だ発動していない)、これを剔抉することなくして問題を糊塗し隠蔽しようとすることは、まさにこれまでの過誤の上に二重の過誤を重ねるものだといわなければなりません。外科手術により手足を切断するということは、単に激痛を伴うばかりでなくその人をして生涯の不具者たらしめるのでありますが、然も生命保持のために必要とあらば断乎としてこれを行わなければならないのであります。条例が下級命令でありながら上位の法律の領域を侵し、かような法体系における下剋上が取りもなおさず罪刑法定主義に対する重大なる侵犯を意味するものであるとすれば、貴重な法の生命を保持せんがためには断乎としてその条例を剔抉すべきであり、これに伴う多少の混乱苦痛などはまことに一顧にも値いしないと申さねばなりません。かような事態をこのまま放置するならば、先例が類例を呼び、前車が後轍を誤らしめるに等しく、この種の下剋上はやがては法体系の隅々にまでに蔓延するに至るでありましよう。これ恰も手術を免れた「ガン」が、次々と転位して必然的に人命を絶つに至るのと全く撰ぶところはないのであります。憲法が裁判所に法令審査権を与えたのは、まさにかような場合に備えてのことであり、かような時にこそまさに伝家の宝刀は抜き放たるべきものと信ずるのであります。権利の上に眠るものは保護されないと同様に、人権の擁護と民主々義確保のために重大な役割を果すべき裁判所の法令審査権が、常に「事勿れ主義」によつて封ぜられ死蔵されるものとすれば、やがてはこの間隙に乗じて行政が立法を凌駕し、立法は常に司法に優先して、民主的文化的国家体制は足下に潰え去ることでありましよう。問題はもとより被告人甲野テル子一個にのみ関することではありません。弁護人は高邁なる裁判官の勇断を期待するやまことに切なるものがあるのであります。

■第一審判決 ■控訴審判決 ■上告審判決   ■トップページに戻る