成田新法事件
第一審判決

工作物等使用禁止命令取消等請求事件
千葉地方裁判所 昭和54年(行ウ)第5号、55年(行ウ)第5号、56年(行ウ)第6号、57年(行ウ)第3号、58年(行ウ)第1号
昭和59年2月3日 民事第3部 判決

原告  三里塚芝山連合空港反対同盟

被告  運輸大臣
被告  国
代理人 並木茂 川勝隆之 杉浦福夫 古谷和彦 伊東敬一 岩原良夫 吉田克已 ほか6名

■ 主 文
■ 事 実
■ 理 由

(注) 「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」は現在では「成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法」となっている。本件に関連する条文では、「運輸大臣」が「国土交通大臣」と、「新東京国際空港」が「成田国際空港」と改正されているが、実質的な変更はない。


一 原告の被告運輸大臣に対する訴えのうち、被告運輸大臣が原告に対してした、千葉県山武郡芝山町香山新田字横山115番1所在の鉄骨鉄筋コンクリート地上3階、地下1階建の建築物1棟について、新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法第3条第1項第1号又は第2号の用に供することを禁止する旨の、昭和54年2月9日付け、同55年2月6日付け、同56年2月6日付け及び同57年2月1日付けの各処分の取消しを求める部分の訴えをいずれも却下する。
二 原告の被告運輸大臣に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。

 被告運輸大臣が原告に対してした、千葉県山武郡芝山町香山新田字横山115番1所在の鉄骨鉄筋コンクリート地上3階、地下1階建の建築物1棟について、新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法第3条第1項第1号又は第2号の用に供することを禁止する旨の、昭和54年2月9日付け、同55年2月6日付け、同56年2月6日付け、同57年2月1日付け及び同58年2月2日付けの各処分はこれを取り消す。
 被告国は原告に対し、金500万円及びこれに対する昭和54年2月9日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員並びに右同日から第1項記載の昭和54年2月9日付け処分が失効するまで1か月金35万円の割合による金員を支払え。
 訴訟費用は被告らの負担とする。
 主文第一項と同旨
 原告の請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は原告の負担とする。
1 当事者
[1](一) 原告は、千葉県山武郡芝山町香山新田字横山115番1所在の鉄骨鉄筋コンクリート地上3階、地下1階建の建築物1棟(以下「本件工作物」という。)の所有者及び管理者であり、本件工作物を、居住、宿泊及び新東京国際空港建設反対運動の集会のための事務連絡等に使用していたものである。
[2](二) 被告運輸大臣は、新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法(以下「緊急措置法」という。なお、単に「本法」又は「同法」ということがある。)第3条第1項により、建築物その他の工作物について、その工作物を同項各号の用に供することを禁止することを命ずる権限を有するものとされている。

2 本件各処分の存在
[3] 被告運輸大臣は、昭和54年2月9日、本件工作物の所有者及び管理者である原告に対し、本件工作物を緊急措置法第3条第1項第1号又は第2号の用に供することを禁止する旨の命令(以下「昭和54年度処分」という。なお、右昭和54年度処分及び後記昭和55年度ないし58年度処分を総称して「本件各処分」という。)を発した。また、被告運輸大臣は、昭和55年2月6日、同56年2月6日、同57年2月1日、同58年2月2日に、原告に対し、それぞれ右昭和54年度処分と同一内容の命令(以下「昭和55年度処分」、「昭和56年度処分」、「昭和57年度処分」、「昭和58年度処分」という。)を発した。

3 本件各処分の取消しを求める理由
(一) 緊急措置法の違憲性
[4](1) 緊急措置法は、法制定の経緯、態様に照らして拙速を免れず、法全体として違憲無効であるが、本件各処分の根拠となつた同法第3条第1項は、以下に述べるとおり、憲法第21条第1項、第22条第1項、第29条第1項及び第2項、第31条、第35条に各違反するものである。したがつて、かかる違憲の立法である緊急措置法を根拠とする本件各処分も違憲無効なものである。
(2) (憲法第21条第1項違反)
[5] 緊急措置法第3条第1項は、その第1号において、「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」に供され、又は供されるおそれがあると認められるときを、当該工作物の使用禁止命令発動の1つの要件としている。このように「集合」を要件としていることは、単に工作物の効用、価値の具体化としての使用収益権の侵害を超えて、憲法第21条第1項に定める集会の自由の保障に反するものである。
(3) (憲法第22条第1項違反)
[6] 緊急措置法第3条第1項第1号は、「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」と定め、同項第3号は、「(前略)暴力主義的破壊活動者による妨害の用」と定める。これらは、現に各建物に居住している者の居住をも制限する適用を可能にするものであり、そうだとすればそれは憲法第22条第1項で定める居住の自由を侵すことになる。
(4) (憲法第29条第1項及び第2項違反)
[7] 憲法第29条第1項は、「財産権はこれを侵してはならない。」と、同条第2項は、「財産権の内容は公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」とそれぞれ規定し、財産権を制限するためには、公共の福祉の要請と法律による定めの2条件の存在を要求している。
[8] 緊急措置法第3条第1項は、所有者の物件の使用を制限するものであり、また、同法第3条第6及び第8項は、運輸大臣が工作物の除去、封鎖等の措置をとりうることを定めており、いずれも財産権の制限を規定の内容としているが、その制限の理由には何ら合理性がなく、制限を正当化するための公共の福祉の要請は存しないものである。また、同法は、「暴力主義的破壊活動(者)」(第3条第1項第1ないし3号)、「妨害の用」(同項第3号)、「供されるおそれ」(同項本文)といつた不明確な要件の認定を運輸大臣に包括的に委任するもので、法律による定めとはいえない。
[9] したがつて、本法第3条第1項は、憲法第29条第1項及び第2項に違反するものである。
(5) (憲法第31条違反)
[10] 憲法第31条の適正手続の保障は、刑事手続に限らず、行政手続にも要請されるものである。緊急措置法は、工作物の所有者等に対し、供用禁止命令を発し(第3条第1項)、その違反に対し刑事罰を課し(第9条第1項)、また、工作物の封鎖、除去の処分をも定めている(第3条第6項、第8項)。しかるに同法は、これらの財産権等の基本的人権に対する侵害処分について、工作物の所有者、管理者、占有者に対して告知、弁解、防禦の機会を与える規定を欠くものであり、適正手続の保障がなく、憲法第31条に違反する。
[11] また、前項後段に主張したとおり、同法第3条第1項においては、運輸大臣の認定基準が著しく恣意的、一般的であつて、これは明確性を欠き、構成要件をあいまいにするもので、この点からも憲法第31条に違反する。
(6) (憲法第35条違反)
[12] 憲法第35条は、住居の不可侵と捜索、押収に対する保障を定める。同条も刑事手続に限らず、行政手続にも適用されるものである。しかるに、緊急措置法第3条第1項の供用禁止命令は、同条第3項の工作物への立入りの規定と相まつて住居の不可侵を侵し、令状によらない捜索を許すもので、いずれも憲法第35条に違反する。
(二) 本件各処分の違法性
[13] かりに緊急措置法が憲法に違反しないとしても、本件各処分は同法第3条第1項第1号、第2号の要件を充足しないのにかかわらず発せられた違法なものである。

4 慰謝料
[14] 本件工作物が前記のような被告運輸大臣の故意に基づく違憲違法な昭和54年度処分の対象とされたことにより、原告は、本件工作物の使用制限という処分内容と違法処分の対象とされたこと自体とによつて、著しく苦痛を被つた。原告の右苦痛は金銭に評価し難いほど甚大であるが、これを金銭に見積もると金500万円を下らない。

5 使用できないことによる損害
[15] 本件工作物が違憲違法な昭和54年度処分の対象となつたことにより、本件工作物は自由な集会場としての本質的機能を奪われ、その目的に沿った使用を妨げられた。この結果、原告に生じた損害は1か月金35万円を相当とする。

6 結語
[16] 以上のとおり本件各処分は違憲無効又は少くとも違法なものであるので、原告は、被告運輸大臣に対して本件各処分の取消しを、被告国に対していずれも国家賠償法に基づき慰藉料金500万円及びこれに対する昭和54年度処分のあつた日である昭和54年2月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金並びに右同日から昭和54年度処分が失効するまで1か月金35万円の割合による損害金の支払いを求める。
[17] 昭和54年度処分は、昭和54年2月6日付けをもつて、被告運輸大臣から本件工作物の所有者(原告)、管理者及び占有者に対し、緊急措置法第3条第1項の規定に基づき昭和55年2月5日までの間、本件工作物を同項第1号又は第2号の用に供することを禁止するものとして発せられたところ、右処分は昭和55年2月5日の経過とともに期限の到来によつて失効した。同様に昭和55年度ないし57年度各処分も、それぞれの期限とされた昭和56年2月5日、同57年2月5日、同58年2月5日の各経過により失効しているものである。
[18] 行政処分の取消しの訴えは、当該処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者に限り提起することができ、処分の効果が期間の経過によりなくなつた後においても取消しの訴えを提起できるのは、原告がその処分の失効後もなおその取消しによつて回復すべき法律上の利益を有する場合に限られる(行政事件訴訟法第9条)ところ、本件においては、期間の経過により昭和54年度ないし57年度各処分が失効した後にもなお原告に回復すべき法律上の利益があるということはできないのである。
[19] したがつて、昭和54年度ないし57年度各処分の取消しを求める原告の本件訴えは、その目的を失い、訴えの利益を欠くに至つたものとして却下されるべきである。
[20] 請求原因1(一)の事実のうち、原告が本件工作物の所有者であることは認め、その余は不知。同1(二)の事実は認める。
[21] 同2の事実は次の点を除くほか認める。
[22](一) 原告主張の本件各処分は、本件工作物の所有者である原告並びにその管理者及び占有者(管理者及び占有者については名宛人の特定はない。)に対してなされたものである。
[23](二) 昭和54年度処分は昭和54年2月6日に、昭和55年度処分は同55年2月4日に、昭和56年度処分は同56年2月5日になされたものである。
[24] 同3の緊急措置法の違憲性の主張及び同法第3条第1項の要件不充足の主張はいずれも争う。右の点に関する被告らの主張は後記のとおりである。
[25] 同4及び同5の事実はいずれも否認する。
[26] 本件各処分は、本件工作物について、緊急措置法第3条第1項第1号又は第2号の用に供することを禁止したものにすぎず、その余の使用についてはなんらこれを妨げるものではない。したがつて、そもそも原告が、本件各処分によつて精神的損害を被り、また、本件工作物の自由な集会場としての本質的機能を奪われたとするのは、全く理由がない。
1 本件各処分の経緯
[27](一)(1) 新東京国際空港(以下「新空港」という。)は、昭和41年7月4日の閣議決定に基づきその建設が進められた。しかしながら、昭和43年ごろから、日本革命的共産主義者同盟(第4インターナシヨナル日本支部、以下「第4インター」という。)、革命的共産主義者同盟全国委員会(以下「中核派」という。)、革命的労働者協会(以下「革労協」という。)、プロレタリア青年同盟全国協議会(以下「プロ青同」という。)、共産主義者同盟戦旗派(以下「共産同戦旗派」という。)等の極左暴力集団は、新空港建設実力阻止を標ぼうし、新空港周辺地域において、本件工作物を含むいわゆる「要塞」、「団結砦」等を設け、これらを拠点として暴力主義的な破壊活動を繰り返してきた。右極左暴力集団は、新空港の供用開始期日として定められていた昭和53年3月30日の直前の、同年2月上旬及び同年3月下旬には、昭和42年運輸省告示第30号をもつて告示された新空港着陸帯B(いわゆるB滑走路)に係る進入表面の上に出る高さの妨害鉄塔を本件工作物上に2度にわたって建設し、捜索等の公務の執行に当たった警察官に対し大量の火炎びん、石塊、大小のパチンコ、金属もりなどを使用して激しい攻撃を加えてこれを妨害し、また、同月26日には、第4インター、共産同戦旗派、プロ青同所属の約1500名が新空港内に火炎車を突入させるとともに同空港内に乱入して火炎びんを投げ、更に同空港管制塔内に乱入し、管制機器を破壊するなどして、新空港の開港を延期するのやむなきに至らしめたことは、周知の事実である。
[28](2) 極左暴力集団の右のような暴挙は、法と秩序に対する重大な挑戦であり、法治国家においては断じて許されないものであることはいうまでもなく、右の事態に対し、政府においては、昭和53年3月28日「新東京国際空港の開港が極左暴力集団の破壊行為により、一時延期のやむなきに至つたことは、極めて遺憾である。このような暴挙は、巣なる地元一部農民による反対運動とは全く異質のもので、法と秩序の破壊であり、民主主義体制そのものに対する重大な挑戦であつて、断じて許すことはできない。政府は、この際極左暴力集団の徹底的検挙・取締りのため断固たる措置をとることとし、開港後を含めた長期警備体制の一層の強化を図るとともに、管制塔をはじめ空港を不法な暴力から完全に防護するため更に空港施設の整備を図る等各般にわたる抜本的対策を強力に推し進める決意である。国民各位をはじめ広く内外関係者の御理解と御協力をお願いする。」旨異例の声明を発し、また、国会は、衆議院においては同年4月6日全会一致で、参議院においては同月10日全党一致で、「去る3月26日の成田新東京国際空港における過激派集団の空港諸施設に対する破壊行動は、明らかに法治国家への挑戦であり、平和と民主主義の名において許し得ざる暴挙である。よって、政府は毅然たる態度をもって事態の収拾に当たり、再びかかる不祥事をひき起こさざるよう暴力排除に断固たる処置をとるとともに、地元住民の理解と協力を得るよう一段の努力を傾注すべきである。なお、政府は、新空港の平穏と安全を確保し、我が国内外の信用回復のため万全の諸施策を強力に推進すべきである。」旨の「新東京国際空港問題に関する決議」をそれぞれ採択し、国民を代表して極左暴力団の暴力を非難する意思を明らかにした。
[29](3) そして、運輸大臣は、破壊された管制機器の修復の見込み、新空港の安全確保に係る措置の実現の見込み等を勘案し、昭和53年4月7日付けをもつて改めて新空港の供用開始期日を同年5月20日とする旨告示し(昭和53年運輸省告示第195号)、政府は全力を傾注して新空港の安全確保を図るため所要の措置を講ずることに努めるとともに、国会においても、同年5月13日に前記のような異常事態に対処し、当分の間、新空港若しくはその機能に関連する施設の設置若しくは管理を阻害し、又は同空港若しくはその周辺における航空機の航行を防害する暴力主義的破壊活動を防止するため、その活動の用に供される工作物の使用の禁止等の措置を定め、もつて新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保を図るとともに、航空の安全に資することを目的として、議員提案による「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」を成立させた。
[30](4) このようにして、昭和53年5月20日ようやく新空港は開港の運びとなつたが、極左暴力集団は、右同日新空港の旧第5ゲートに火炎車を突入させ、あるいは同ゲート付近で火炎びんを投てきし(第4インター、共産同戦旗派及びプロ青同)、開港後においても、同月27日には、千葉県佐原市の国鉄成田線佐原、大戸駅間で、CTC(列車集中制御装置)につながる回線と鉄道専用電話回線を切断して新空港用航空燃料輸送列車を立往生させ(中核派)、同年7月29日には新空港用航空燃料を輸送するいわゆる「鹿島ルート」の起点である茨城県鹿島郡神栖町鹿島石油鹿島製油所の石油パイプラインに時限装置を仕掛けて発火させ(革労協)、同年8月2日には新空港へのリムジンバスの発着所及び新空港から出発する旅客の塔乗等の手続場所である東京都中央区日本橋箱崎町東京シティ・エア・ターミナルに火炎車を突入させ(革労協)、同年9月4日には千葉県成田市において、京成電鉄空港線のガード下でトラックを炎上させ(革労協)、同月7日には同県八千代市等数箇所において電話同軸ケーブルを切断する等により新空港内の航空会社のテレックスあるいは茨城県北相馬郡守谷町守谷VOR/DME(超短波全方向式無線標識施設と距離測定用施設を組み合わせたもの)及び同県稲敷郡阿見町阿見VOR/DMEの機能をまひさせ(中核派)、同月12日には新空港用航空燃料を輸送している鹿島臨海鉄道の線路上に生コンクリートを散布して列車の運行を妨害し(革労協)、同月16日には、新空港の計器着陸用施設の一部である成田市荒海のアウターマーカーを火炎びん等を用いて襲撃し(革労協)、同年12月18日には新空港関連の貨物ターミナルである千葉県市川市東京エアカーゴ・シティ・ターミナルの構内駐車場に駐車中のワゴン車を時限発火装置を用いて炎上させる(中核派)等、依然として暴力主義的破壊活動を繰り返し敢行しており、また、その機関紙等において「2期工事を実力阻止し廃港決戦の血路切り開け」(第4インター機関紙「世界革命」昭和54年1月1日・8日号)、「飛行阻止2期工事粉砕12月総決起闘争へ―第2次百日間戦闘を貫徹せよ」(中核派系機関紙「週刊三里塚」昭和53年11月24日号)、「木の根砦破壊粉砕―2期工事阻止―空港爆砕を」(革労協機関紙「解放」昭和53年12月1日号)、「三里塚3・26の偉大な勝利を共有し、廃港決戦の大攻勢の中で解放の“根拠地”を!」(プロ青同の所属する共産主義労働者党全国協議会機関紙「統一」昭和54年1月1日号)、「日帝―大平と対決し、三里塚・狭山決戦体制を構築せよ!」(共産同戦旗派機関紙「戦旗」昭和53年12月5日号)などと呼号して、なお向後も新空港及び空港関連施設に対する暴力主義的破壊活動を継続する意思を明らかにしていた。
[31](5) ところで本件工作物は、緊急措置法第2条第3項に定める規制区域内に所在し、昭和52年12月下旬から第4インターを中心とする多数の暴力主義的破壊活動者によつて建設された、鉄骨、鉄筋コンクリート地上3階、地下1階の建築物であるが、窓や地上からの出入口を欠く等、通常人が居住する建物としては全く不適当な構造となつており、また、巨大なコンクリートの塊ともいうべき異様な外観を有している。このような本件工作物の建設主体、構造及び外観上の特質に加え、本件工作物が現実に昭和53年2月上旬及び3月下旬の2度にわたり、捜索等の公務の執行に当たつた警察官に対し大量の火炎びん、石塊、金属もり等を使用して激しい攻撃を加える等の過激な行動に出た多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供せられ、また、暴力主義的破壊活動等に使用され又は使用されるおそれがあると認められる火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用に供せられた事実及び前述の極左暴力集団の破壊活動の反復状況から、今後本件工作物が緊急措置法第3条第1項第1号の「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」又は同項第2号の「暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用」に供されるおそれがあると認められたので、被告運輸大臣は、本件工作物について、昭和54年2月6日(同月9日公告)、その所有者である原告並びに管理者及び占有者に対し、昭和55年2月5日までの間、右の用に供することを禁止する命令を発したのである。
[32](二)(1) しかるに、右命令発令後においても、極左暴力集団は、昭和54年2月7日には新空港第2ゲートに向け火炎車を突進させ(プロ青同)、同年3月14日には千葉県佐倉市臼井台及び同県習志野市鷺沼台の2か所において、京成電鉄線路上に火炎車をそれぞれ突入させてスカイライナーをはじめとする列車の運行を妨害し(中核派)、同年8月30日には千葉市高浜の新空港用燃料パイプラインの工事現場に時限式発火装置を仕掛けて発火させ、杭打機4台を全焼させ(中核派)、同年9月7日には新空港第9ゲートから同空港内に侵入して火炎びん等により車両を炎上させ、竹竿等により滑走路燈を破壊するなどし(プロ青同)、同月14日には茨城県鹿島郡鹿島町において新空港用ジェット燃料を輸送している鹿島臨海鉄道の北鹿島駅、南神栖駅間線路上に土砂を満載したダンプカーを突入させて列車の運行を妨害し(革労協)、同年10月10日には千葉県香取郡下総町の国鉄成田線清河駅、久住駅間において航空燃料輸送列車を発煙筒を用いて急停車させて襲撃し列車の運行を妨害し(革労協)、同月18日には京成電鉄高砂検車区、京成上野駅及び京成電鉄宗吾検車区にそれぞれ入庫中ないし停車中のスカイライナーに時限式発火装置を仕掛けて発火させ、スカイライナーの一部を焼きし(中核派)、同月21日には成田市三里塚の新空港場周柵及び第3ゲート付近並びに同県山武郡芝山町のガードマン立哨ボックスに向けてそれぞれ多数の火炎びんを投てきする(プロ青同)など暴力主義的破壊活動を繰り返し敢行し、また、その機関紙等において「2期着工を実力で阻止し、廃港に向かつて進撃しよう」(第4インター機関紙「世界革命」昭和55年1月1日・7日合併号)、「80年三里塚決戦の革命的爆発を」(中核派機関紙「前進」昭和55年1月1日号)、「空港包囲・突入・占拠・破壊の旗高く、三里塚廃港へ」(プロ青同の所属する共産主義労働者党全国協議会機関紙「統一」昭和55年1月1日号)などと呼号して、なお向後も新空港及び空港関連施設に対する暴力主義的破壊活動を継続する意思を明らかにしていた。
[33](2) 右のような情況下において、昭和54年2月6日付けで本件工作物について発せられた緊急措置法に基づく前記供用禁止命令は、昭和55年2月5日の経過をもって失効するところから、被告運輸大臣は、前述のような極左暴力集団の破壊活動の反復状況、過激な闘争方針、本件工作物の構造的特質等から本件工作物が緊急措置法第3条第1項第1号の「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」又は同項第2号の「暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用」に供されるおそれがあるものと認め、昭和55年2月4日(同月6日公告)、本件工作物について、原告らに対し、同月6日から昭和56年2月5日までの間、右の用に供することを禁止する命令を発した。
[34](三)(1) しかしながら、右命令発令後も、極左暴力集団は、昭和55年3月13日には千葉市浪花町の浪花橋パイプライン工事の地下水位観測所に時限式発火装置を仕掛けて発火させ、同観測所及びその内部に設置された観測機器に被害を与え(中核派)、同月24日には千葉市にある新空港関連工事会社3社の作業員宿舎等に時限式発火装置を仕掛けて発火させ、同宿舎等を全焼させるなどし(中核派)、同年5月16日には東京都千代田区霞が関の第3中央合同庁舎わきに自動火炎放射装置を仕掛けたマイクロバスを駐車させ、同庁舎内の運輸省に向けて同装置を作動させ(革労協)、同月18日には成田市土屋の新空港へのジェット燃料輸送暫定パイプラインの起点である土屋燃料基地に向けて、同基地裏私道に自動火炎放射装置を仕掛けた小型トラックを駐車させて同装置を作動させ(中核派)、同年9月1日には、新空港内の日本給油センター駐車場に駐車する車両3台に時限式発火装置を仕掛けて発火させ、同車両に被害を与え、(中核派)、同月15日にも新空港A滑走路南端から約1500メートル離れた岩山小学校跡地附近から進入表面を越える高さに気球を浮揚させて航空機の航行を妨害する(プロ青同)等暴力主義的破壊活動を繰り返し敢行し、また、その機関紙等において「反対同盟・動労千葉と共に三里塚を廃港へ追いこめ」(第4インター機関紙「世界革命」昭和56年1月1日号)、「燃料輸送延長実力阻止へ、ストライキ・百万決起・ゲリラ戦争で81・3決戦勝利を」(中核派機関紙「前進」昭和56年1月1日号)、「三里塚廃港決戦の攻勢的地平を切り拓き、人民の大連合へ!」(プロ青同の所属する共産主義労働者党全国協議会機関紙「統一」昭和56年1月1日号)などと呼号し、依然として、新空港及び空港関連施設に対する暴力主義的破壊活動を継続する意思を明らかにしていた。
[35](2) 以上のような情況の下において、昭和55年2月4日付けで発せられた緊急措置法に基づく前記供用禁止命令も、昭和56年2月5日の経過をもつて失効するところから、前述のような極左暴力集団の破壊活動の反復状況、過激な闘争方針、本件工作物の構造的特質等から、本件工作物が今後もなお緊急措置法第3条第1項第1号の「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」又は同項第2号の「暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用」に供されるおそれがあると認められたので、被告運輸大臣は、昭和56年2月5日(同月6日公告)、本件工作物について、原告らに対し、同月6日から昭和57年2月5日までの間、右の用に供することを禁止する命令を発したのである。
[36](四)(1) しかしながら、右命令発令後も、極左暴力集団は、昭和56年2月25日には千葉県印旛郡四街道町の国鉄総武本線長岡踏切付近の軌道上に金属板を置いて、新空港用航空燃料輸送列車の運行を妨害し、同年3月8日には新空港用航空燃料輸送を妨害するため、千葉市若松町の国鉄総武本線都賀、四街道駅間の鎌池踏切付近の信号機ボックス及び千葉県印旛郡酒々井町の同成田線佐倉駅から7.5キロメートル離れた殿部田踏切付近の信号機ボックスに、時限式発火装置を仕掛けてこれを焼きし、同月10日には千葉市畑町の新空港用航空燃料パイプライン工事第7立坑施設に向け、小型トラックに火炎放射装置を仕掛けて火炎を放射して、工事用機材を焼きし(中核派)、同月16日には千葉県香取郡神崎町の国鉄成田線下総神崎、滑河駅間で新空港用航空燃料輸送列車を発炎筒を焚いて停車させ、機関車2両を焼きし、同年5月11日には新空港用航空燃料輸送を妨害するため、茨城県鹿島郡鹿島町の国鉄鹿島線鹿島神宮、延方駅間の鉄橋(第2宮中架道橋)の橋げたの支柱をガス溶断器で切断し(革労協)、同年6月8日には新空港2期工事実力阻止を叫び、東京郡千代田区霞が関の第3中央合同庁舎横路上に火炎放射装置を仕掛けた小型トラックを乗りつけ、同庁舎内の運輸省に向けて同装置を作動させ(中核派)、同年8月31日には2期工事着工阻止の先制攻撃であるとして、大阪市城東区の大阪府警関目別館に駐車中の大型警備車両に時限式発火装置を仕掛けてこれを焼きし(中核派)、同年10月11日には新空港A滑走路南方から進入表面を越える高さに気球を浮揚させて航空機の航行を妨害する等暴力主義的破壊活動を繰り返し敢行し、また、その機関紙等において、「空港のあらゆる弱点を強襲し破壊し、突入・占拠・解体をかちとれ。三里塚空港に連なるすべての機関・施設を破壊し、火炎攻撃で焼きつくせ。」(中核派機関紙「前進」昭和56年11月2日号)、「2期着工阻止=廃港の展望を確固たるものとしなければならない。」(第4インター機関紙「世界革命」昭和57年1月1日号)、「十万〜数十万の民衆の決起による三里塚空港包囲・突入・占拠の大闘争を闘いとろう。」(プロ青同の所属する共産主義労働者党全国協議会機関紙「統一」昭和57年1月1日号)、「再度の空港包囲・突入・占拠。この闘いこそが2期決戦勝利を実現する道である。わが戦旗派は必ずこの闘いの先頭に起つ」(共産同戦旗派機関紙「戦旗」昭和56年10月5日号)などと呼号し、依然として、新空港及び空港関連施設に対する暴力主義的破壊活動を継続する意思を明らかにしていた。
[37](2) 以上のような情況下において、昭和56年2月5日付けで本件工作物について発せられた緊急措置法に基づく前記供用禁止命令も、昭和57年2月5日の経過をもつて失効するところから、前述のような極左暴力集団の破壊活動の反復状況、過激な闘争方針、本件工作物の構造的特質等から、本件工作物が今後もなお緊急措置法第3条第1項第1号の「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」又は同項第2号の「暴力主義的破壊活動等に使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用」に供されるおそれがあると認められたので、被告運輸大臣は、昭和57年2月1日(同月3日公告)、本件工作物について、原告らに対し、同月6日から昭和58年2月5日までの間、右の用に供することを禁止する命令を発したのである。
[38](五)(1) しかしながら、右命令発令後も、極左暴力集団は、昭和57年3月13日には千葉県佐原市の国鉄成田線佐原、大戸駅間と大戸、下総神崎駅間で信号ケーブルを切断して新空港用航空燃料輸送列車の運行を妨害し、同日同県銚子市の国鉄成田線椎柴、下総豊里駅間で信号ケーブルを切断して、新空港用航空燃料輸送機能を混乱させるため列車の運行を妨害し、同日茨城県行方郡潮来町の国鉄鹿島線延方、潮来駅間に時限式発火装置を仕掛けて信号ケーブルを焼き切り新空港用航空燃料輸送列車の運行を妨害し、同日千葉県船橋市の国鉄西船橋変電所(新空港用航空燃料輸送千葉ルートの最重要変電所)の構内に時限式発火装置を仕掛けて爆発させて、高圧ケーブルを焼き切り、列車の運行を妨害し、同日成田市の国鉄成田線滑河、久住駅間で信号ケーブルに時限式発火装置を仕掛けて同ケーブルを焼き切り、新空港用航空燃料輸送列車の運行を妨害し、同日千葉市の国鉄総武本線東千葉、都賀駅間で信号ケーブルに時限式発火装置を仕掛けて同ケーブルを焼き切り、新空港用航空燃料輸送列車の運行を妨害し、同日同市の国鉄総武本線都賀、四街道駅間で通信ケーブルに時限式発火装置を仕掛けて同ケーブルを焼き切り、新空港用航空燃料輸送列車の運行を妨害し(以上いずれも中核派)、同月16日には成田市土屋の新空港用航空燃料輸送の中継基地である土屋石油ターミナル脇の路上に火炎放射装置を仕掛けたワゴン車を乗りつけ、同ターミナルに向けて同装置を作動させ(革労協)、同月28日には新空港反対集会に呼応して、千葉県山武郡芝山町岩山の同県成田土木工事々務所のブルドーザー2台と監督員詰め所にガソリンをかけて焼きし、同年7月1日には三里塚2期着工実力阻止・廃港決戦勝利を戦取するためのパルチザン戦ゲリラ戦の一環であるとし、東京都中央区の中央署親父橋派出所、墨田区の本所署大平4丁目派出所、北区の王子署馬坂派出所、新宿区の戸塚署戸塚町3丁目派出所、同区の新宿署中落合西派出所、及び足立区の西新井署小台派出所に、時限式発火装置を仕掛けて発火炎上させ(革労協)、同年9月10日には成田市の京成電鉄空港線台田隧道内下り線に時限式発火装置を搭載した改造自走トロッコを京成電鉄成田空港駅方向へ走行させて同装置を作動させ、電車の運行を不能にし(中核派)、同月24日には成田市三里塚の新東京国際空港公団工事局ビル前路上に時限式火炎放射装置を仕掛けた小型トラックを停車させて同装置を作動させ(革労協)、同年10月11日には千葉県山武郡芝山町香山新田の新空港2期工事区域内の空港公団砕石貯留所に設置してある照明灯に時限式発火装置を仕掛け、同年12月6日には成田市東町の新空港及び新空港関連施設の警備を行つている成田空港警備保障株式会社の駐車車輛に時限式発火装置を仕掛け、同月28日には成田市堀之内の成田新幹線工事現場にある大成建設堀之内トンネル作業所の配電盤下に時限式発火装置を仕掛けて発火炎上させる等暴力主義的破壊活動を繰り返し敢行し、また、その機関紙等において、「革命的武装闘争貫徹の大旗揚げ、わが革命軍は進撃する。83年2期決戦へ突入せよ。2期決戦勝利・革命的武装闘争の爆発を。」(中核派機関紙「前進」昭和58年1月1日号)「「話し合い」と自主耕作解体の2期着工攻撃を粉砕せよ」(第4インター機関紙「世界革命」昭和57年3月15日号)、「2期阻止・廃港の巨大なうねりをつくり出そう」(プロ青同の所属する共産主義労働者党全国協議会機関紙「統一」昭和57年3月20日号)、「三里塚2期廃港決戦戦取へ、2期着工実力阻止!空港爆砕!へ怒とうの進撃を開始せよ!」(革労協機関紙「解放」昭和58年1月1日号)、「三里塚空港を再び包囲―突入―占拠し、2期決戦の政治的・軍事的勝利をつくり出すこと、北総台地を炎と化す闘いの爆発によつて三里塚軍事空港に最後の引導を渡してやることこそがわれわれ革命的左翼の責務である。」(共産同戦旗派機関紙「戦旗」昭和57年7月5日号)などと呼号し、依然として、新空港及び新空港関連施設等に対する暴力主義的破壊活動を継続する意思を明らかにしていた。
[39](2) 以上のような情況下において、昭和57年2月1日付けで本件工作物について発せられた緊急措置法に基づく前記供用禁止命令も、昭和58年2月5日の経過をもって失効するところから、前述のような極左暴力集団の破壊活動の反復状況、過激な闘争方針、本件工作物の構造的特質等から、本件工作物が今後もなお緊急措置法第3条第1項第1号の「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」又は同項第2号の「暴力主義的破壊活動等に使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用」に供されるおそれがあると認められたので、被告運輸大臣は、昭和58年2月2日(同月4日公告)、本件工作物について、原告らに対し、同月6日から昭和59年2月5日までの間、右の用に供することを禁止する命令を発したのである。

2 緊急措置法の憲法適合性
[40] 緊急措置法は、前述のような経緯と目的の下に国会における慎重審議の上制定されたものであるが、以下に述べるとおり、憲法に違反するものではない。
(一) (憲法第21条、第22条関係)
[41] 憲法第21条第1項の保障する集会の自由及び憲法第22条第1項の保障する居住の自由といえども、公共の安全を確保するために必要がある場合に、合理的な範囲内においてこれらを制限することを許さない趣旨のものではないと解すべきである。
[42] しかして緊急措置法第3条第1項は、所定の工作物について、同項第1号ないし3号に定める多数の暴力主義的破壊活動者の集合等の用に供され、又は供されるおそれがあると認めるとき、運輸大臣は、当該工作物の所有者、管理者又は占有者に対して、期限を付して、当該工作物をその用に供することを禁止することができる旨を定めているのであり、右のような措置は、公共の安全を確保するために必要かつ合理的な範囲内のものというべきであり、これにより当該工作物における暴力主義的破壊活動者等の集会及び居住が制限される結果になるとしても、それはなんら憲法の定める集会及び居住の自由の保障に反するものではない。
(二) (憲法第29条第1項関係)
[43] 基本的人権といえども公共の福祉の要請から合理的な範囲内において一定の制約を受けることは憲法自体が是認しており、ことに財産権については、憲法第29条第2項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と明定されており、公共の福祉に適合するように、財産権の行使につき法律において合理的な規制をすることは憲法上当然に許されるのである。
[44] そして緊急措置法第3条第1項は、まさに前述のような異常な事態にかんがみ、新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保を図るとともに、航空の安全に資するという同法の目的を達するため、運輸大臣において、一定の工作物について、所定の要件の下に、その行使につき一定の規制をすることができる旨を定めているのであり、右の規制は合理的なものというべきであるから、なんら憲法第29条第1項に違反するものではない。
(三) (憲法第31条関係)
[45] 憲法第31条は元来、直接には刑事手続に関する保障を定めたものと考えられるが、その精神は行政手続についても尊重されるべきである。しかしながら、刑事手続と行政手続とはその性質におのずから差異があり、行政手続にあつては、それぞれの処分の目的、性格並びにそれによつて制約を受ける国民の権利の内容及び制約の程度、態様に照らして合理的かつ適正と認められる手続によれば足りるものであり、また、事情の明白性又は事態の緊急性のために通常の手続をふむ必要性ないしその余地がないと合理的に認められるような場合には、その手続をふまなくてもよいこととしても、同条の精神に反することにはならないというべきである。
[46] 緊急措置法は、まさに前述のとおり、異常かつ緊急な事態にかんがみ、新空港等の安全を確保するために、これに必要かつ合理的な範囲内において財産権の行使につき所定の規制を行おうとするものであり、事前の弁明や防禦の機会を保障していないこともやむをえないものとして是認されるべきものというべきである。
[47] また、同法第3条第1項の定める規制の要件も明確である。
(四) (憲法第35条関係)
[48] 憲法第35条はもつぱら刑事手続に関するものであり、行政手続には直接の適用はない。もつとも、それぞれの行政作用の性質に応じてその精神は生かされるべきであるから、緊急措置法においてもその第3条第4項は、第3項の規定により当該工作物に立入りをする職員はその身分を示す証明書を携帯し、関係者に提示しなければならないと定めているところである。
[49] したがつて、同法第3条第1項の命令は、同条第3項と合わせてみても、なんら憲法第35条に違反するものではない。

3 本件各処分の適法性
[50] 本件各処分は、1の本件各処分の経緯に述べたところから明らかなとおり、いずれも緊急措置法第3条第1項第1号、第2号の要件に適合する適法なものである。
[51] 現代における抗告訴訟の機能と目的を考察するとき、取消訴訟の目的は、行政機関による国民の私的利益の侵害に対する回復としてのみ捕える伝統的な権利享受回復説に代表される権利救済機能に重点を置く考え方によつて解釈されるべきではなく、処分による実害を救済するとともに、訴訟を通じて行政の適法性を積極的に保障させていく機能(処分の違法確定機能)こそを重視する考え方に立つて解釈されるべきであり、その意味において、行政事件訴訟法第9条第1項にいう「法律上の利益」も広く解釈して司法的救済の範囲を広げていくことが必要である。
[52] 本件においては、原告は、昭和54年以来同58年に至るまで5回にわたつて同一内容の本件各処分を受けており、各処分に付せられた1年の期限は形式的なものであつて、その実態は昭和54年度処分の更新を重ねてきたものであり、実質上同一処分の継続であるといえるのである。その上、右の経過及び空港反対闘争の高揚という現実を踏まえるとき、将来においても本件各処分と同一の処分が原告に対してなされる蓋然性は極めて高いものである。したがつて原告には、本訴訟を通じて本件各処分の違法性を確定することにより、将来の不利益処分の予防、回避を期待しうる具体的な利益が存するのである。
[53] 更に、原告は、新空港予定地及びその周辺に在住する住民によつて組織され、これら住民の生存権及び環境権を守るべく新空港の建設を阻止し廃港に至らしめることを具体的目的として運動を進めてきたものであり、それがために全国の住民運動の中心として広範な人々の共感と支援に支えられているものである。しかるに本件各処分は、右のような正当な運動を展開してきた原告を「暴力主義的破壊活動者」であると名指しで指摘したに等しいものであり、あたかも市民社会を逸脱した暴徒の集団のように描かれたために、原告の今後の運動の展開と発展に重大な障害が発生するに至つている。そのため、本件各処分によつて毀損された原告の名誉、信用その他運動を進める上での不利益は計り知れないものがあり、これらは本件各処分を取り消されねば回復し難い事実上の不利益である。したがつて原告には、この点からしても、本件各処分の取消しを求める訴えの利益が存するものということができる。
[54] よつて、被告運輸大臣の本案前の申立ては理由がない。
[55] 被告らの主張1(一)(1)の事実のうち、昭和53年2月上旬、同年3月下旬の2度にわたり、原告の支援者らが本件工作物上に鉄塔を建設した事実及び同年3月26日に別の支援者らが空港及び管制塔に突入し、それも一因となり新空港の開港が延期されたことはいずれも認めるが、その余は争う。
[56] 同1(一)(2)の事実のうち、被告ら主張の内容の政府声明及び国会決議の存在は認めるが、その余は争う。
[57] 同1(一)(3)の事実のうち、被告ら主張の運輸省告示の存在及び緊急措置法の成立の事実は認めるが、その余は争う。
[58] 同1(一)(4)の事実は不知。
[59] 同1(一)(5)の事実のうち、本件工作物が緊急措置法所定の規制区域内に所在し、昭和52年12月下旬から建設された、鉄骨鉄筋コンクリート地上3階、地下1階の建築物であること、被告ら主張の昭和54年度処分が昭和54年2月6日に発せられたことは認めるが、その余は争う。
[60] 同1(二)ないし(五)の事実のうち、被告ら主張の昭和55年度ないし58年度各処分がなされたことは認めるが、その余は争う。
[61] 被告らの主張2及び3は争う。
1 緊急措置法の憲法適合性の主張に対して
[62] 被告らは緊急措置法が憲法に違反しない理由として、同法で規定している基本的人権に対する制限は公共の安全を確保するために必要かつ合理的なものであると主張し、右公共の安全の内容として、「新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保並びに航空の安全の確保」を挙げている。しかしながら、緊急措置法による人権の制限が右公共の安全の確保のために必要であり、かつ、合理的、やむをえないものであるということはできない。
[63] 同法は「暴力主義的破壊活動者」、「暴力主義的破壊活動等」をその規制の対象としているが、「暴力主義的破壊活動等」といつても、住居侵入罪、威力業務妨害罪、器物損壊罪などの刑法上の軽微な犯罪までも含む広汎な概念であり(同法第2条第1項)、「暴力主義的破壊活動者」とは「暴力主義的破壊活動等を行い、又は行うおそれがある者」と定義され(同法第2条第2項)、「おそれ」なる不明確で乱用の危険がある文言が使用されている。このような広汎かつ不明確な概念である「暴力主義的破壊活動者」が工作物に単に集合することを禁止しうる(同法第3条第1項第1号)ことは、集合の態様が時間、人数の点で幅があり、その目的においても居住等の生活の場、農作業の援助、交流、研究、宣伝作業等と種々様々であることを考え合わせるならば、被告らのいう「公共の安全」を脅かさない広汎な行動をも一律に禁止する結果となり、立法目的である「公共の安全」の達成のために合理的な手段であるとはとうていいい難いものである。
[64] よつて、緊急措置法は、その目的と手段との関連性が極めて乏しく、かつ、人権の制約が不当に広すぎること(過度の広汎性の理論からする違憲性)、目的と手段との間に合理性が欠落していること(合理性の基準の理論からする違憲性)、処分要件が極めて明確性を欠くこと(明確性の原則の理論からする違憲性)のいずれの点からしても、違憲無効な法律というべきである。

2 本件各処分の適法性の主張に対して
[65] 本件工作物は、昭和52年12月ごろから同53年3月ごろにかけて、原告及びその支援者らが主体となつて建設したものである。原告及びその支援者らにとつて本件工作物は、第一に新空港建設反対運動の心の支えないしはシンボルとして、第二に右運動に関する広報活動の手段や場所として、第三に集会場として機能すべく建設されたものである。本件工作物の右のような機能、目的等からすれば、本件工作物が新空港及び航行の安全にとつて障害となるような態様で利用される性質のない建物であり、事実上も、多数の暴力主義的破壊活動者の集合に供されたことも、暴力主義的破壊活動等に使用される(おそれのある)爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の用に供されたことも全くなく、また、そのおそれもないものである。
[66] なお、被告ら主張の昭和53年2月上旬及び3月下旬の両事件は、本件工作物の上に建設された鉄塔についての航空法違反容疑あるいは兇器準備集合、火炎びん使用等の処罰に関する法律違反容疑による捜索、差押、検証名下に、本件工作物及び右鉄塔に対して機動隊による違法な破壊攻撃、並びに治安維持のための事前の予防検束・検索が行われたことに対する正当な防衛ないし抵抗行為として評価されるべきものである。また、右両事件においても、本件工作物は、そこから武器等を持参して出撃し空港関連施設に攻撃を加える「拠点」として使用されたことはなく、いわんや昭和53年3月26日の管制塔乱入、破壊事件とは全く無関係なものである。
[67] また、本件工作物は、右両事件のうち昭和53年3月26日の違法捜索差押に際し、警察によつて本件工作物の西側1階及び2階壁面が、更に自家発電用設備が破壊された後、同年4月7日に捜査当局により差し押えられ、以来その出入口は鉄板により閉鎖され、周囲には有刺鉄線が張りめぐらされ、本件工作物の使用は全く不可能となつた。その後、右差押処分は必要性の存しない違法なものとして、千葉地方裁判所において同年5月8日に取り消され、右取消決定に対する特別抗告も最高裁判所において同年7月26日に棄却されたものである。このような経緯を経て、本件工作物は建設直後の昭和53年3月27日以降現在に至るまで5年間以上、原告及びその支援者らによつて全く使用された事実がないのであるから、現在においてはなおさら、緊急措置法第3条第1項各号の用に供されるおそれはないものである。
[68] 更に新空港周辺には、昭和54年2月当時、原告の支援者らが居住、使用しているいわゆる「団結小屋」が34か所も存するにもかかわらず、被告運輸大臣は、合理的基準もなく、本件工作物及び2か所の「団結小屋」だけを選んで緊急措置法による供用禁止命令を発したものであり、衡平の原則からいつても、被告運輸大臣の右恣意的な選択は是認しえないものである。
[1] 〈証拠略〉によると、本件各処分は、いずれも被告運輸大臣から本件工作物の所有者(原告)、管理者及び占有者に対し、左記のとおり発せられたことを認めることができる。
処分がなされた日 公告の日 供用禁止の期限
  昭和54年度処分 同54年2月6日 同年2月9日 同55年2月5日
  昭和55年度処分 同55年2月4日 同年2月6日 同56年2月5日
  昭和56年度処分 同56年2月5日 同年2月6日 同57年2月5日
  昭和57年度処分 同57年2月1日 同年2月3日 同58年2月5日
  昭和58年度処分 同58年2月2日 同年2月4日 同59年2月5日
[2] 右事実によるとき、昭和54年度ないし57年度各処分の効果は、いずれも右各処分の期限とされた、昭和55年ないし58年各2月5日の経過によりなくなつているものである。してみると原告が既に失効した昭和54年度ないし57年度各処分の取消しを求めうるには、処分の失効後もなお処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有していることが必要であるところ、右各処分の失効後もなお右各処分を理由に原告を不利益に取り扱いうることを認めた法令等の規定はないから、原告は右各処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益を有しないというべきである。したがつて、原告は昭和54年度ないし57年度各処分の取消しを求める訴の利益を有しないものといわねばならない。
[3] 原告は、取消訴訟の有する処分の違法確定機能を重視する立場から、将来の不利益処分の予防の利益を主張し、また、本件各処分による原告の名誉・信用等の侵害を主張するが、これらはいずれも処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益というには足りないものである。
[4] なお、原告は、右各処分について付された期限は形式的なものであつて、本件各処分は実質上同一である旨をも主張するが、右主張は、緊急措置法第3条第1項本文に「期限を付して」とある明文の規定に反するばかりでなく、原告自らが本件訴えにおいて本件各処分の取消しをそれぞれ別個独立に求めている点からも、採用できない。
[5] したがつて、原告の被告運輸大臣に対する本件訴えのうち、昭和54年度ないし57年度の各処分の取消しを求める部分は不適法であるから却下すべきものである。
1 (緊急措置法制定の経緯)
[6] 〈証拠略〉によると、次の事実を認めることができる。
[7] 昭和30年代に羽田空港(東京国際空港)の将来の過密化を予想して東京周辺に新しい国際空港の設置が構想され、その候補地については曲折を経た上で、昭和41年7月4日に千葉県成田市三里塚地区を中心とし、更に同県山武郡芝山町、同県香取郡大栄町、同県同郡多古町にまたがる位置に新空港を設置することが閣議決定された。そして同年7月30日には、新空港の建設、管理運営のため新東京国際空港公団が発足したうえ、昭和42年1月30日には、運輸省告示第30号をもつて、同公団が新空港を設置する場合の工事実施計画が認可された。しかしながら、新空港建設のため農地が場合によつては強制的に収用されることになることをおそれた成田市三里塚地区及び芝山町の農民が中心となり、昭和41年6月22日ごろ「三里塚空港反対期成同盟」及び「芝山町空港反対期成同盟」がそれぞれ結成され、やがて両同盟の連合体としての「三里塚芝山連合空港反対同盟」(原告)が結成されて、以降、新空港の建設に対して強力な反対運動を繰り広げてきた。この間、昭和45年4月24日に建設工事が着工されたが、一方、未買収用地の土地収用等をめぐつて原告の反対運動は激しさを増し、中核派、革労協、第4インター、共産同等のいわゆる過激派又はこれに同調する学生、労働者等の支援を受けた実力闘争が展開されるようになつた。こうした中で、当初昭和46年4月1日に予定されていた長さ約4000メートルの着陸帯A(いわゆるA滑走路)及びこれに対応する諸施設の供用開始も、原告及びその支援者らの反対運動の激化による工事の遅延及び航空機用燃料の供給問題の未処理を主な原因として、大幅に延期されることになつた。その後A滑走路を中心とした空港諸設備も整備され、航空機用燃料の確保手段についても暫定的な解決を見、ようやく昭和52年11月28日には、運輸大臣によつて新空港の供用開始期日を翌53年3月30日とすること等が告示された(運輸省告示第608号)。
[8] しかしながら、右予定された供用開始期日の直前の、昭和53年3月26日に、原告の支援者である第4インター、共産同戦旗派、プロ青同所属の約500名が新空港内に火炎車を突入させるとともに、同空港内に乱入して火炎びんを投げ、さらに同空港管理ビル裏手の排水溝から潜入した右支援者の別働隊が管制塔に侵入したうえ約2時間半にわたつてこれを占拠し、ハンマーや鉄パイプでレーダー、送受信器等の航空管制機器類を破壊する事件(いわゆる管制塔乱入事件)が発生したため、同月30日に予定されていた供用開始期日は同年5月20日に延期するのやむなきに至つた(同年4月7日付け運輸省告示第195号)、以上の認定事実に反する証拠はない。
[9] 右事態に対し、政府は、昭和53年3月28日に過激派集団の右暴挙を厳しく批判し、新空港を不法な暴力から完全に防護するための抜本的対策を強力に推進する決意を述べた声明(全文は事実第二の三被告らの主張1(一)(2)記載のとおりである。)を発し、また、国会は、衆議院においては同年4月6日に全会一致で、参議院においては同月10日に全党一致で、過激派集団の右破壊活動を許し得ざる暴挙と断じた上、政府に対し、暴力排除に断固たる処置をとるとともに、地元住民の理解と協力を得るよう一段の努力を傾注すべきこと及び新空港の平穏と安全を確保し、わが国内外の信用回復のため万全の諸施策を強力に推進すべきことを求める旨の「新東京国際空港問題に関する決議」(全文は事実第二の三被告らの主張1(一)(2)記載のとおりである。)をそれぞれ採択したこと、本法は右のような経緯の中で、昭和53年5月13日に議員提案による「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」(昭和53年法律第42号)として成立したことは、当事者間に争いがない。
[10] そこで、以下においては右の立法経緯をふまえたうえで本法第3条第1項の憲法適合性について判示することとする。
[11] なお、原告は、本法第3条第6項及び第8項についての憲法違反の点についても言及するが、本件各処分の根拠となつているのは本法第3条第1項のみであるので、同条項に限っての憲法判断を示すものである。

2 (憲法第21条第1項違反の主張について)
[12] 緊急措置法第3条第1項第1号は、同法の定める規制区域内に所在する工作物が多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供されるおそれがあるときに、運輸大臣が工作物の所有者、管理者又は占有者に対して、工作物を右の用に供することを禁止することを命ずることができる旨を定めている。右規定はかかる集合そのものを禁止したものではなく、また、本法のいう「集合」が必ずしも憲法第21条のいう「集会」の概念と一致するともいえない。しかしながら、本法が工作物の所有者らに対して、かかる集合の用に供することを禁止することを通じて集合そのものを制限する結果になることはいうまでもなく、また、憲法第21条のいう「集会」とは、多数の人が共同の目的をもつて一定の場所に集まることをいうとされているから、本法第3条第1項第1号は、憲法第21条第1項の保障する集会の自由との関係が問題となつてくるものである。
[13] ところで集会の自由といえども無制限のものではなく、公共の福祉に反する場合には合理的な範囲内において制限することを許さない趣旨のものではないと解すべきものであるが、新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理並びに航空の安全の確保を図ることは公共の福祉の強く要請するところであり、かつ、前記認定の緊急措置法制定の経緯から明らかなように、右の安全を阻害若しくは妨害する行為を規制する高度の必要性があつたというべきであるから、新空港及びその機能に関連する施設の設置及び管理の安全の確保を図り、又は新空港若しくはその周辺における航空の安全を図るために工作物を暴力主義的破壊活動者の集合の用に供することを禁止することができる旨を定める本法第3条第1項第1号の規定は憲法第21条第1項に違反するものではないということができる。ただし、集会の自由の重要性に思いを致し、また、本法にいう「暴力主義的破壊活動者」が暴力主義的破壊活動等を行い、又は行うおそれがあると認められる者をいう(第2条第2項)とやや広く定義されていることを考慮するとき、本法第3条第1項第1号の「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」にいう集合とは、暴力主義的破壊活動者の行う一切の集合を意味するものではなく、これらの者の暴力主義的破壊活動等を行うための集合を意味するものと解することが相当である。

3 (憲法第22条第1項違反の主張について)
[14] 緊急措置法第3条第1項第1号の「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用」に供することの禁止命令は、直接には居住の自由を制限するものではなく、また、かりに右禁止命令が多数の暴力主義的破壊活動者の暴力的破壊活動等を行うための長期的、継続的な態様における集合をも禁止する結果としてこれらの者の工作物内の居住を制限することになつたとしても、右制限は公共の福祉の要請からくるやむをえない制限であつて、これをもつて本法第3条第1項第1号が憲法第22条第1項に違反するとはいえないことは、前項において述べたところと同様である。

4 (憲法第29条第1項及び第2項違反の主張について)
[15] 憲法第29条は、その第1項において「財産権はこれを侵してはならない。」と規定すると同時に、その第2項において「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定しており、財産権の行使につき公共の福祉の要請から法律において合理的な規制を加えることは、憲法が当然に容認し、かつ、予定しているところである。緊急措置法第3条第1項による財産権の制限についていえば、そこで禁止される財産権行使の態様としては、工作物を、「多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用に供すること」、「暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の用に供すること」及び「新東京国際空港又はその周辺における航空機の航行に対する暴力主義的破壊活動者による妨害の用に供すること」の3態様であつて、これらの態様による工作物の使用が新空港の安全確保上重大な支障を惹起することにつながるのであり、それが公共の福祉に反し、憲法上の保護を受けえないことは言をまたないところである。換言すれば、当該工作物について所有者等が工作物を右の3態様以外の方法で宿泊、集会あるいは事務所等の用に供するのは本法第3条第1項の関知しないところであり、その意味で、右条項は工作物についての正当な財産権の行使を妨げるものではないことは明らかである。したがつて、公共の福祉と相容れない事態の出現をあらかじめ防止するため、右のような態様による工作物の使用を制限しても、憲法第29条第1項による財産権の保障になんら反するものではない。
[16] また、原告は、本法第3条第1項にいう「暴力主義的破壊活動者」、「妨害の用」、「供されるおそれ」なる各要件はいずれも不明確であつて、それらの認定を運輸大臣に包括的に委任することは、憲法第29条第2項の「法律の定め」による制限とはいえないと主張するが、緊急措置法制定の経緯、その目的及び定義規定等にかんがみれば、右各要件がいずれも明確性を欠くとはいえず、原告の右主張は採用しえない。

5 (憲法第31条違反の主張について)
[17] 憲法第31条の適正手続の保障は、直接的には刑事手続に関するものであるが、行政手続においてもできる限りその精神が尊重されるべきであり、単に行政手続であるとの理由のみで適正手続の保障原理が無視されてよいとすることはできない。しかしながら、行政手続といつても処分の目的、性格は多種多様であり、必ずしもすべての行政手続においてその行政処分によつて不利益を被る者に対し告知、弁解、防禦の機会を与えることを必要とするものではなく、行政処分によつて達しようとする公共の福祉の度合い、緊急性、行政処分によつて制約を受ける国民の権利の内容、制約の程度等を総合考慮して、行政処分の種類、内容に応じた必要かつ相当な手続によれば足り、常に必ずしもすべての行政手続につき適正手続の保障が絶対的に要請されるものではないというべきである。緊急措置法第3条第1項についていえば、その行政処分の結果としての被処分者に生ずる制約としては、前項で述べた3態様の財産権の行使が制限されるのみであるが、その行政処分によつて達しようとする公共の福祉の度合い、その達成には緊急性を要することを考え合わせるならば、右条項が、同項各号の用に供することを禁止する命令を発するにつき告知、弁解、防禦の機会を被処分者に与える手続をとらなかつたことについて、そのことが憲法第31条に違反するということはできないものと解すべきである。
[18] なお、本件第3条第1項の要件が不明確であるとはいえないことは、前項に判示したとおりである。

6 (憲法第35条違反の主張について)
[19] 憲法第35条の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、行政手続であるからといつてその手続における一切の強制が当然に憲法第35条の保障を全く受けないとすることは妥当でなく、行政手続の性質に応じてその精神は尊重されるべきである。緊急措置法第3条第1項は、同条第3項と相まつて、裁判官の令状によらない工作物への立入りを認める結果になるものであり、その意味で憲法第35条との関係が問題となるものである。
[20] しかしながら、刑事処分と行政処分との相違にかんがみれば、憲法上、行政手続における一切の立入りがすべて裁判官の令状を必要とすると解することは相当でなく、とくに立入り目的の重大性、緊急性によつては、令状を要求したのでは公共の福祉の維持という行政目的をとうてい達しえないこともあることは明らかである。本法第3条第3項の場合においても、同条第1項の供用禁止命令が既に発せられている工作物についてその命令の履行を確保するため必要な限度の立入りのみが認められる(同条第5項参照)ものであり、前記1で認定したところによるとその立入りの必要性及び緊急性は高いものであることが認められること、右立入りには職員の身分証明証の携帯、提示が要求されていること(同条第4項)等の諸点を総合して判断すると、右立入りは、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからといつて、これを憲法第35条の法意に反するものということはできないから、本法第3条第1項、第3項の規定を憲法第35条違反とする原告の主張は採用できない。
[21] 〈証拠略〉によるとき、本件工作物は昭和52年12月下旬から建築が開始され(この点は当事者間に争いがない。)、同53年3月にはほぼ現況の構造(ただし、検証の結果によると本件工作物の西壁面には現在、開口部分があるが、当時はなく、西壁面の全体がコンクリート壁面であつた。)の地上3階、地下1階の工作物が完成したこと、その通称を「横堀要塞」と呼ばれていること、建設の計画者及び所有者は原告であり(本件工作物の所有者が原告であることは当事者間に争いがない。)、原告の行動隊長である熱田一が本件工作物の建設委員長となつたものの、実際の設計、建築は原告の支援者である第4インターを中心とするいわゆる過激派諸党派によつて行われ、建築資金も右第4インターを中心とする支援者のカンパによつてまかなわれたことを認めることができ、原告代表者北原鉱治の尋問の結果中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

[22] 〈証拠略〉によると、本件工作物は、緊急措置法第2条第3項にいう規制区域内に所在し(このことは当事者間に争いがない。)、かつ、新空港飛行場敷地に隣接した航空保安施設用地内で着陸帯B(いわゆるB滑走路)進入区域内に位置していること、本件工作物は鉄骨鉄筋コンクリート地上3階、地下1階建の建物であり(このことは当事者間に争いがない。)、東西11.47メートル、南北11.5メートル、地上部分の高さ約10メートルの立方体に類似した形状をしていて、7か所の小さな換気口及び明り取りのほかには窓及び出入口は存在せず、四方がコンクリートづくめの異様な外観であり、また、内部への出入りは地上から梯子をかけて屋上に昇りその開口部分から行う等の特異な構造を有し、その内部構造も、1階から2階へ、地下部分から直接2階へ、3階から屋上への各昇降口には鉄パイプ梯子がかけられており、2階から3階への昇降口には木製の踏み台が置かれているほかは各階相互間に階段等の昇降手段がない特異な構造になつていること、そして地下部分から緊急時の出入り用のトンネルが左右に掘られていることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

[23] 〈証拠略〉によると、昭和53年2月4日までに本件工作物は地上2階までの部分が完成し、3、4階の鉄骨部分が組み上がつていたところ、原告の支援者らが原告の了解を得たうえで右鉄骨部分の上に昭和42年1月30日付け運輸省告示第30号によつて示された着陸帯Bの進入表面の上に出る高さの鉄塔を建設したことが原因となり、昭和53年2月6日から7日にかけて航空法第49条違反被疑事件の捜索、差押、検証の令状を得てこれらの公務の執行にあたった警察官に対し本件工作物内にいた原告の支援者らが本件工作物内に用意していた大量の火炎びん、石塊等を使用し激しい攻撃を加えた事件(いわゆる2月事件)が発生したこと、また、右事件の際、右鉄塔及び3、4階の鉄骨部分が撤去されたが、その後再び3階部分の建築が進められて、ほぼ現況の地上3階、地下1階建の建物に完成していた本件工作物上に原告の支援者らが前記進入表面の上に出る高さの鉄塔を再び建設したことから、同年3月25日から27日にかけて航空法違反、兇器準備集合被疑事件の現行犯逮捕及び同年2月6日の新空港第5検問所において発生した兇器準備集合、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反被疑事件についての捜索、差押令状の執行の公務に従事した警察官に対し原告の支援者らが本件工作物内及び右鉄塔上から本件工作物内に用意してあった大量の火炎びん、石塊、コンクリートブロック及び鉄もり等を大小のパチンコ、洋弓等を使つて投げつけ、あるいは鉄パイプ等を使用して殴りかかる等の激しい攻撃を加えた事件(いわゆる3月事件)が発生したことを認めることができ、原告代表者北原鉱治の尋問の結果中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

[24] 〈証拠略〉によると、昭和53年5月20日の新空港開港後も、原告を支援する中核派、革労協、第4インター等のいわゆる過激派諸党派が、事実第二の三被告らの主張1(一)(4)記載のとおり、新空港及びこれに関連する諸施設に対する違法な破壊活動を繰り返していたうえ、かかる破壊活動を継続する意思を表明していたこと、これらの破壊活動は緊急措置法第2条第1項にいう「暴力主義的破壊活動等」に当たることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

[25] 〈証拠略〉によると、昭和54年2月から同57年末にかけて、原告を支援する中核派、革労協、プロ青同等のいわゆる過激派諸党派は、事実第二の三被告らの主張1(二)ないし(五)の各(1)記載のとおり、新空港及びこれに関連する諸施設に対する違法な破壊活動を繰り返したこと、これらの破壊活動は緊急措置法第2条第1項にいう「暴力主義的破壊活動等」にあたること、また、右期間中及び昭和58年の年頭においても、右過激派諸党派は、右被告らの主張1(二)ないし(五)の各(1)記載のとおり、このような破壊活動を継続する意思を表明していることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

[26] 前掲〈証拠略〉によると、千葉県警察当局は、前記3月事件の直後の昭和53年4月7日から翌8日にかけて、兇器準備集合、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、公務執行妨害、殺人未遂被疑事件の証拠物件として本件工作物自体を差し押えたこと、しかしながら千葉地方裁判所は同年5月8日に右差押処分を刑事手続における証拠保全の必要性の枠を超えたものとして取り消したこと、そして右取消決定に対する特別抗告も同年7月26日に最高裁判所により棄却されたこと、このため警察当局は原告に対して本件工作物の還付手続をすべく来署方を連絡したが、原告が本件工作物の破損部分(西壁面に開口部を作るために穴を開けた部分)を現状回復するよう求めてこれを拒否したこと、そこで千葉県成東警察署長は昭和54年2月5日付け内容証明郵便の送達をもつて原告に対し本件工作物を還付する旨を通知したこと、本件工作物には右のような経緯があることと昭和54年度ないし58年度の本件各処分が発せられたため、昭和53年3月27日以降現在まで、原告又はその支援者らによる本件工作物の使用がなされていないことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

[27] 右1ないし5に各認定の事実及び前記二の1に認定の事実を合わせ考えるとき、被告運輸大臣が、昭和54年度ないし58年度各処分において、本件工作物が緊急措置法第3条第1項第1号又は第2号の用に供されるおそれがあると認定したことには合理性があり、右認定について裁量権の範囲を逸脱若しくは乱用したものということはできない。右6に認定の、本件工作物が昭和53年3月27日以来使用されていない事実も、この認定を左右するものではない。
[28] したがつて、被告運輸大臣が緊急措置法第3条第1項に基づき、本件工作物を同項第1号又は第2号の用に供することを禁止した昭和54年度ないし58年度各処分は(昭和55年度ないし57年度各処分については判断の限りではないが)いずれも右各号の要件を充足する適法なものといわねばならない。
[29] なお、原告は、原告が本件工作物を新空港建設反対運動の心の支えないしはシンボルとして、右運動に関して広報活動の手段及び場所並びに集会場とするために建築したものであるのに、本件各処分は、原告に対して本件工作物についての右建築目的に係る一般的使用をも禁止する内容のものであるとしか理解できないものであり、その内容において、憲法第13条の「幸福追求に対する国民の権利」、同法第21条第1項の「集会の自由」及び同法第22条第1項の「居住、移転の自由」等を侵害する違憲のものである旨主張するようであるが、本件各処分が原告に禁止を命ずる本件工作物使用の態様は前述のとおりであり、このことは本件各処分を緊急措置法の各規定に照らして理解すればおのずから明らかであるから、右主張はその前提を欠き失当である。
[30] 次に原告は、本件各処分が法秩序における衡平の原則から是認し得ない旨主張するようであるが、被告運輸大臣が、本件工作物が緊急措置法第3条第1項第1号又は第2号の用に供されるおそれがあると認定したことには合理性があり、その認定について裁量権の範囲を逸脱若しくは乱用したものということができないことは前述のとおりであるから、被告運輸大臣が、同条同項の恣意的運用によつて、本件各処分を行つたものではないといわねばならない。そうだとすると被告運輸大臣が、本件工作物類似の工作物について、緊急措置法第3条第1項に基づき禁止命令を発したか否かを問うまでもなく、右主張は採用できない。
[31] 以上によれば、その余の点を判断するまでもなく、原告の被告運輸大臣に対する昭和58年度処分の取消しを求める請求及び被告国に対する各損害賠償請求はいずれも理由がない。
[32] よつて原告の右各請求を棄却し、また、一に判示したとおり、原告の被告運輸大臣に対する昭和54年度ないし57年度各処分の取消しを求める訴えは不適法として却下し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条を適用して、主文のとおり判決する。

  (裁判官 丹野益男 菅原雄二 伝田喜久)

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