尊属殺重罰規定違憲判決
第一審判決

尊属殺人事件
宇都宮地方裁判所 昭和43年(わ)第278号
昭和44年5月29日 第1刑事部 判決

被告人 甲野乙子〔仮名〕 昭和14年1月31日生 旅館女中

■ 主 文
■ 理 由

■ 参照条文


 被告人に対し刑を免除する。

[1] 被告人は昭和14年1月31日、父幸雄(大正4年5月3日生)母サカ(同年2月28日生)の二女として肩書本籍地において出生し、昭和28年頃までは、長男康治外5名の弟妹らとともに同地において父母の膝下で養育された。
[2] 被告人の父幸雄は肩書本籍地において、農業を営む政一の長男として生育したが、農業を好まず、昭和12年1月26日右サカと婚姻したのち居町旧佐久山町役場に吏員として勤務し、間もなくサカを伴い、同女の兄伊藤市郎を頼つて北海道千島方面に出稼ぎしたりしたが、その後相携えて本籍地に帰来した。
[3] そして戦時中同人は2回にわたり召集を受けて陸軍の兵役に服し、終戦直前召集解除となつて帰郷し、一時農業などに従事していたが、昭和28年頃家業を弟源三に譲り、みずからは妻子とともに宇都宮市に出て、同市中河原町において食料品等の小売業を営むに至つた。
[4] ところが、幸雄が同市に移つて間もない同年3月頃、同人は、当時まだ満14才になつたばかりの被告人がひとり就寝中の隣室に忍び入り、非道にも母サカの目をぬすんで被告人を無理に姦淫し、以来、被告人が恐怖と羞恥のあまり声もたてられず、母サカに訴えることもためらつているのを奇貨として屡々これを反覆した。
[5] こうして約1年過ぎた頃、堪えきれなくなつた被告人がようやくサカに幸雄の右仕打ちを打明けたので、サカは驚いて幸雄を詰問し、同人に対しその不倫行為を強く諫止したが、同人は全くこれをききいれず、サカが強いてこれを阻止しようとすると、幸雄は逆上し、刃物を持ち出して「殺してやる」とサカを脅迫し、同女が被告人を伴ない他へ逃げると、幸雄は執拗に被告人の行方を捜し求めてつれ戻し、あくまで被告人に前記不倫行為を強要してやまず、サカに対しては「おまえなんか、どこの男とでも、どつかで住め、どんな亭主をもとうが勝手にしろ、俺は乙子とは離れないぞ」などと放言し、暴行まで加えるので、思い余つたサカは他の子供達をつれて家出をしたり、鉄道自殺を思いたつたことも屡々あつた。
[6] こうして幸雄の家庭には同人の前記不倫行為に基因する風波が絶えず、営業も不振に陥つたため、同人は店を人手に渡し、同市内に間借生活を始めたが、幸雄は相変らず右不倫行為を継続するので、サカはついに幸雄との同居に堪えなくなり、昭和30年頃、被告人とその妹弘子らを幸雄の許に残したまま、康治らをつれて、一時北海道の兄市郎の許に難を避けたが、翌31年前記佐久山町の実父の許に帰ると、このことを知つた幸雄は同地に赴いて同町内に小屋を建て、被告人らを伴つて同所において再びサカと同居し、食料品の行商などをしながら生活した。
[7] 同地においても幸雄はその非を改めないので、同人の醜行を知つた実父政一をはじめ周囲の親族らは幸雄に対し屡々忠告を繰り返したにもかかわらず、幸雄はさらに意に介せず、サカに対する暴状はむしろ募る有様だつた。
[8] そしてその間、被告人みずからも、当時たまたま知り合つた人見某と手を携えて出奔して行方をくらましたり、親戚へ手伝いに行つてそのまま帰宅しないなどの手段を講じて、極力幸雄の魔手からのがれようと努めたが、いずれもその都度捜し求める幸雄に発見されて同人の許につれ帰された。そして同年中に幸雄は被告人とその妹洋子をつれてサカの許を去り、矢板市内に転居し、植木職を営んで生計を立てるに至り、同地において被告人は同年11月24日幸雄の子恵子を出産した。
[9] ここに至つて被告人は右恵子のためやむなく幸雄の許から逃れ去ることを断念して同人の意に屈従し、父に犯される汚辱の身をはばかつて近隣親族らとの交際を避け、親族もまた幸雄の醜行を忌んで近づかないため、ひたすら家庭内にあつて恵子らの世話に明け暮れ、他方幸雄においても被告人を遇すること妻妾のごとく、一見夫婦と異なるところのない生活を営むうち、昭和34年3月22日幸雄の子民子、同35年11月7日同じく和枝、同37年7月8日同じく由子(同38年3月24日死亡)同39年2月2日同じく本子(同年6月27日死亡)を相ついで懐妊、出産した。
[10] こうして昭和39年に至ると、すでに妹洋子は中学を終えて千葉県下に住み込みで就職して被告人の許を離れ、恵子ら三人の子も被告人の手を煩わすことも少なくなつたため、被告人は生計の一助にと幸雄の紹介で同年8月頃から矢板市本町所在の福田印刷所に文選工として通勤するようになつた。
[11] 同印刷所では被告人は上役や同僚からの気受けもよく、職場の生活に欝屈する心の遣り場を見出しながら蔭日向なく働くうち、年若い同僚達が休憩時間などに何気なく取り交わす恋愛や結婚を話題とするありふれた雑談も、今更のように幸雄のため忌わしい父子相姦の生活を余儀なくされている暗澹たる自己の境遇に気付くとともに、同人のため自己の青春を奪われた苦痛を強く自覚し、その非運を悲しむ一方、久しく諦めていた正常な結婚相手を得て世間並みの家庭を持ちたいとの願望を抑えることができなかつた。
[12] こうして被告人が右福田印刷所に入所して2年余を経過した昭和42年4月同印刷所に丙山好照(同21年9月23日生)が印刷工として入所し、被告人と同じ職場で働くこととなつたが、同人は、被告人の誠実で明るく振舞う態度に並々ならぬ好意をもち、進んで被告人の仕事を手伝つたりしたことから、被告人もまた右丙山の人柄に愛情を覚えて、帰宅の途を共にするなどして語り合う機会を重ねた末、昭和43年8月下旬頃被告人よりその心中を打ち明けたことから忽ち相思の仲となり、被告人と父幸雄との前記不倫の関係を知らない丙山は真面目に被告人との結婚を望み、その決意を固めて、熱心に、反対する両親を説得してこれを動かそうと努めるとともに、被告人においても早急にその父親の承諾を得てくれるようにと催促した。
[13] このようにして丙山の真情を知るに至つた被告人は、ここに初めて暗澹たる生活に光明を見出し、内心父の子をなした身をためらいながらも、丙山の愛情を頼みとして、父幸雄のため一方的に強いられたことに始まつた同人との不倫の関係を断ち切つて、現在の忌むべき境遇から脱却するためにも、この際父幸雄に丙山との間柄を打ち明けて、その諒解のもとに円満に丙山との結婚を成就したいと熱望するに至つた。
[14] そこで同年9月25日意を決して同日中に右の意図を幸雄に打ち明けることとし、勤め先で丙山にその旨告げたうえ、同夜午後8時過ぎ頃、飲酒して寝床に入つていた父幸雄に対し、「今からでも私を嫁にもらつてくれるという人があつたら、やつてくれるかい」と婉曲に切り出したところ、同人は「お前が幸せになれるのなら行つてもよい」と答えて、はじめは被告人の結婚を承諾するかのような口吻を示しながら、被告人がすでに意中の結婚相手を有することを聞くや、にわかに態度を一変して怒り出し、種々口実を構え被告人の結婚の申出に難癖をつけるばかりか、寝床から起き出してさらに飲酒したうえ、「若い男ができたというので、出てゆくのなら、出てゆけ、お前らが幸せになれないようにしてやる。一生苦しめてやる」、「今から相手の家に行つて話をつけてくる、ぶつ殺してやる」などと怒鳴りだしたので被告人は怖れて同人をなだめて、就寝させたが、翌26日早朝幸雄は再び前夜同様に怒りだし暴力を振いかねない気勢を示したため、被告人は恐怖にかられて寝巻姿のまま家を逃げ出し一時近隣の家に避難した。このような幸雄の態度から、被告人は、幸雄の承諾はとうてい得られないことを知つて、同日午前8時半頃、ひそかに近隣の電話で前記印刷所に出勤していた丙山と面会の打ち合わせをしたうえ同人に右の顛末を告げたり、幸雄の父政一にも相談するため、ひそかに外出しようとして近隣の館脇営徳方で衣服を着替えていたところ、幸雄は忽ちこれを発見し、抵抗する被告人を暴力を用いて自宅に連れ戻してしまい、その後は近隣への用足し以外には被告人が外出することを許さず、勤め先へも出勤させず、みずから仕事も休んで昼夜の別なく被告人の行動を監視することが多かつた。そしてその間、幸雄は連日のように昼間から飲酒しては前記のような脅迫的言辞を弄して被告人を怯えさせ、夜は疲労に苦しむ被告人に仮借することなく性交を強要して安眠させなかつた。
[15] このようにして被告人は被告人との不倫の関係を執拗に継続しようとする幸雄により、同人の承諾を得て平穏に同人の許を去ることを許されず、同人から危害を加えられるのではないかとの懸念から、無断で同人方を脱出することはもちろんのこと、一時抜け出して丙山と面会し連絡をとりまたは他の援助や助言を求めることさえ思うに任せず、徒らに不安、懊悩の日を重ねたため、前記のような睡眠不足も加わつて心身ともに極度に疲労するに至つていた。被告人がこのような状態のままに約10日を過ごした同年10月5日、幸雄は朝一旦仕事に出かけたが、正午過ぎに帰宅し、被告人に布団を敷かせて寝たり起きたりしながら飲酒し被告人に対し、「俺から離れて、どこにでも行けるなら行け、どこまで逃げてもつかまえてやる、一生不幸にしてやる」などと繰り返し脅迫し、午後4時半頃、被告人に焼酎1升を買つてこさせてこれを飲み、夕食を終えると、六畳間の寝床に入つて就寝し、次いで被告人も子供達の夕食や入浴の世話をして就寝させたのち、午後8時頃幸雄の寝床に並んで就寝した。
[16] 被告人は昭和43年10月5日午後9時30分過ぎ頃、当時の居宅であつた矢板市中150番地の44所在市営住宅13号六畳の間において就寝中、被告人の傍に就寝していた幸雄が、突然目をさまして寝床から起き出し、茶箪笥にあつた焼酎をコツプに2、3杯たてつづけに飲んだうえ、寝床の上に仰向けになつたまま被告人に対し、大声で、「俺は赤ん坊のとき親に捨てられ、17才のとき上京して苦労した、そんな苦労をして育てたのに、お前は十何年間も、俺をもてあそんできて、このばいた女」といわれのない暴言を吐いて被告人をののしつた。被告人も目をさまして、「小さい時のことは私の責任ではないでしよう、佐久山(幸雄の父方の意)にでも行つて、そんなことは言つたらよいのに」と反駁した。すると、幸雄は、益々怒り出し、「男と出て行くのなら出て行け、どこまでものろつてやる」「ばいた女、出てくんだら出てけ、どこまでも追つてゆくからな、俺は頭にきているんだ、3人の子供位は始末してやるから、おめえはどこまでものろい殺してやる」などと怒号し、半身を起こして突然幸雄の左脇に座つている被告人の両肩を両手でつかもうとする体勢で被告人に襲いかかつてきた。被告人は、これを見てとつさに、前記9月25日以来被告人が甞めてきた幾多の苦悩を想起し、父幸雄がこのように、執拗に被告人を自己の支配下に留めてその獣欲の犠牲とし、あくまで被告人の幸福を踏み躪つて省みない態度に憤激し、同人の在る限り同人との忌わしい関係を断つことも世間並みの結婚をする自由を得ることもとうてい不可能であると思い、この窮境から脱出して父幸雄より前記の自由を得るためには、もはや、幸雄を殺害するよりほか、すべはないものと考え、とつさに、両手で被告人の両肩にしがみ付いてきた幸雄の同腕をほどいて同人の上半身を仰向けに押し倒したうえ、寝床の上に中腰で起き上つたまま左手で幸雄の左側からその上体を押さえ、枕元にあつた同人の股引きの紐を右手につかみ、これを同人の頭の下にまわしてその頸部にひと回わりするように紐を巻きつけたうえ、その両端を左右の手に別々に持つて同人の前頸部付近で左右に交差させ、自己の左足の膝で幸雄の左胸部付近を押さえて、紐の両端を持つた前記両手を強く引き絞つて同人の首を締めつけ、同人をしてその場で窒息死するに至らしめて、これを殺害したものであつて、被告人の右行為は被告人の自由に対する幸雄の急迫不正の侵害に対しなされた防衛行為であるが、防衛の程度を超えたものである。
[17] なお被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態に在つたものである。
[18] 弁護人は、被告人が、その父幸雄を殺害した所為は、正当防衛または緊急避難に該当し罪とならないものであり、かりにそうでないとしても、過剰防衛または過剰避難としてその刑を減軽または免除すべきであると主張する。
[19] よつて検討するに、判示第一および第二において認定したすべての事実を総合すると、被告人の本件所為は被告の自由(ひいては人間としての最小限の幸福を追求する自由)に対する判示のような父幸雄の急迫不正の侵害に対し、被告人においてこれを防衛するため已むことを得ざるに出でたものと解することができるが、前記事情のもとにおいて被告人が前記権利の防衛のため幸雄を殺害する手段に出たことは防衛行為としての相当性を欠くものであつて、防衛の程度を超えたものといわざるを得ない。
[20] そうすると弁護人の緊急避難または過剰避難の各主張についてもそれらがいずれも理由のないものであることは右説示によりおのずから明白である。
[21]、検察官は、本件公訴事実をもつて刑法第200条の尊属殺人罪に該当し罰条として同条を適用すべきものとし、これに対し、弁護人は、右刑法の規定は憲法第14条の規定する、法の下における平等の原則に抵触するから違憲無効である旨主張する。
[22] よつて検討するに、当裁判所は、右尊属殺人の加重処罰に関する刑法第200条は次の理由により右憲法の法条に違反する無効の規定であると考える。
 すなわち、
[23]、刑法第200条は、「自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は、死刑又は、無期懲役に処す」と定め、普通殺人罪の法定刑が死刑又は無期若しくは3年以上の懲役であるのに対比して著しくその法定刑の下限を重くしてこれを加重している。
[24] 右規定は、殺人の被害者が犯人の直系尊属である場合には、これを、他の者が被害者である場合に比し一層厚く保護する趣旨に出たものではないとしても、少なくとも右規定により、殺人の犯人が被害者の直系卑属である場合には、他の者が犯人である場合に比し重刑を科せられるから、殺人犯人として刑罰を科せられる関係において直系卑属は他の者に比し不利益な差別を付されていることは明白である。
[25]、ところで憲法第14条第1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種・信条・性別・社会的身分又は門地により、政治的・経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定め、個人の尊厳と人格の尊重を基調とする国民平等の原則を宣言し、憲法の基本原理に照らして合理性の認められない一切の差別的取扱いを禁止している。
[26]、そこで、前記のように刑法第200条が尊属殺人について、普通殺人の場合に比し一般的に法定刑を加重する合理的根拠を検討するに、親子等の直系親族は、生活を共同にすると否とにかかわらず、一般に互いに経済的精神的または肉体的各側面での協力扶助の関係と相互の情愛とに基づいて緊密に結合するのを常とし、このような直系親族の結合は、夫婦の結合と同じく、社会生活の基盤をなすものとして社会の維持発展に欠くことのできないものであることは述べるまでもない。故に、この結合を破る直系親族間の殺人は、その反倫理性反社会性において他人に対する殺人よりも一層強く、従つてその限りでは直系尊属を殺害した犯人に対する刑が一般に殺人犯人に対する刑より重くなければならないとすることは正義および合目的性の要求に合致する。そしてこの点を根拠として、刑法第200条は、前記のような正義と合目的性の要求に基づいて直系尊属を殺害した犯人に対する重刑を規定したものであると解するならば、その限りでは右規定の合理性を是認するに足り、その当否はむしろ刑罰の機能とその限界に関する立法政策の問題に属するものと考えられる。
[27] しかし、右規定の合理性をこのように理解する以上、前記見地からいつてその反倫理性反社会性において直系親族間の殺人に比し優るとも劣らない夫婦間の殺人についてはもちろん、直系尊属が卑属を殺害する場合についても同様の重罰規定がなければ首尾一貫しないはずである。
[28] けだし、親子等の直系親族間の生活関係は現在の社会的事実としても社会通念としても、尊属から卑属に対する保護慈愛の一方的関係ではなく、この関係と不可分に結合して、卑属から尊属に対する扶養敬愛の関係が併存する、相互的関係であつて、しかもそれは改正民法下の親族共同生活の基調である個人の尊厳と自由平等の原理に従つて、尊卑の身分的序列にかかわらない本質的平等の関係であると解さなければならない。
[29] そこでこのような直系親族相互間の関係の相互性と平等性とに基づいて考えると、その間の殺人について、犯人が卑属であるか尊属であるかによつて右行為の刑法的評価に本質的な差等を認めることは不可能である。
[30] そうだとすれば、刑法第200条が直系尊属を殺害した卑属に対してのみその法定刑を加重したことは、尊属殺人の反倫理性反社会性を重視する見地からもなお、前記卑属を、夫を殺害した妻、妻を殺害した夫または直系卑属を殺害した尊属に対する関係において不当に不利益に差別する不合理性が残るものと考えられる。
[31] この点より見ても、刑法第200条は、結局親族共同生活において夫婦関係より親子関係を優先させ、また親子関係においては前記相互平等関係より権威服従の関係と尊卑の身分的秩序を重視した親権優位の旧家族制度的思想に胚胎する差別規定であつて、現在ではすでにその合理的根拠を失つたものといわざるを得ない。
[32] よつて刑法第200条は憲法第14条に違反する無効の規定としてその適用を排除すべきものである。

[33]、被告人の判示殺人の所為は刑法第199条に該当するから、その所定刑中有期懲役刑を選択し、なお、右所為は前示のように、過剰防衛行為であるから、同法第36条第2項を適用し、その刑を減軽または免除すべきところ、本件の情状につき考えるに前掲各証拠によれば、本件犯行当時被告人は旬日に及び睡眠不足と心労のため心身ともに疲労の極に達し、心神耗弱の状態にあつたこと、被告人は本件犯行後直ちに付近の館脇営徳方に赴き、同人に対し本件犯行を告げて警察官にその申告することを依頼し、同人はこれに基づき直ちに所轄矢板警察署の警察官に電話でその旨届け出て、もつて被告人において本件犯行を自首したこと、被告人は性温順で、長らく前記のような類い稀な酷薄な境遇にありながら、その間よく隠忍に努めて、本件犯行まではその操行を乱した形跡のないこと、が窺われ、以上の事実に判示第一、第二の各事実等を考え合わせれば、被告人に対しては刑を免除するのが相当である。

[34] 訴訟費用については刑事訴訟法第181条第1項但書を適用し、その全部を被告人に負担させないこととし刑事訴訟法第334条により主文のとおり判決する。

  (須藤貢  藤本孝夫  武内大佳)
第199条 人ヲ殺シタル者ハ、死刑又ハ無期若クハ3年以上ノ懲役ニ処ス。
第200条 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ、死刑又ハ無期懲役ニ処ス。

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