早稲田大学江沢民講演会事件
控訴審判決

損害賠償等請求控訴事件
東京高等裁判所 平成13年(ネ)第5999号
平成14年7月17日 第9民事部 判決

控訴人 (原告) A 外2名
被控訴人(被告) 学校法人早稲田大学

■ 主 文
■ 事 実 及び 理 由


1 原判決主文第1項(被控訴人が控訴人らにした譴責処分の無効を求める確認の訴えをいずれも却下する部分)を取り消す。
2 控訴人らの上記譴責処分無効確認請求をいずれも棄却する。
3 控訴人らのその余の本件控訴をいずれも棄却する。
4 控訴費用は,控訴人らの負担とする。

1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人らに対し,それぞれ金110万円及びこれに対する平成11年4月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人が,平成11年1月23日付けで控訴人Aに対してした,同月21日付けで同Bに対してした,同年2月24日付けで同Cに対してした各譴責処分は,いずれも無効であることを確認する。
4 被控訴人は,控訴人らに対し,それぞれ,原判決別紙記載のとおりの謝罪文を交付するとともに,その内容を縦45cm,横60cm以上の紙等に記載したものを,本判決確定の日から1か月間,控訴人らに関して早稲田大学本部掲示板に,控訴人Aに関して早稲田大学商学部掲示板に,控訴人Bに関して早稲田大学第一文学部掲示板に,控訴人Cに関して早稲田大学政治経済学部掲示板に,それぞれ掲示せよ。
5 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
6 2項につき仮執行宣言
[1] 被控訴人は,早稲田大学(以下「被控訴人大学」という。)などを設置する学校法人であり,被控訴人大学の学生に対する教育活動の一環として,かねてより諸外国の要人が来日した際に,被控訴人大学に招へいし,講演会を開催してきたところ,平成10年11月28日に被控訴人大学大隈講堂において中華人民共和国(以下「中国」という。)の江沢民国家主席(以下「江主席」という。)による講演会(以下「本件講演会」という。)を開催することを計画し,被控訴人大学の学生に対し参加を募り,参加希望の学生に対し,被控訴人大学の用意した参加者名簿(以下「本件名簿」という。)に氏名,学籍番号,住所及び電話番号を記載させた。控訴人らは,当時被控訴人大学の学生であったが,本件講演会への参加を申込み,本件名簿にその氏名等を記載した。被控訴人大学は,本件講演会の開催前に,本件講演会の警備に当たる警視庁の警備活動に協力するため,控訴人らの同意を得ることなく,本件名簿を警視庁に提出した。そして,控訴人らは,本件講演会に参加した際に,建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑により警備に当たっていた警視庁の警察官に現行犯逮捕され(以下「本件逮捕」という。),その後本件講演会を妨害したことを理由に,被控訴人大学からそれぞれ譴責処分に付された(以下「本件処分」という。)。
[2] 本件は,控訴人らが,建造物侵入に問われるものではなかったし,何ら業務を妨害するものではなかったから,本件逮捕は逮捕権の濫用で違法であり,被控訴人大学は控訴人らの逮捕,身柄拘束に積極的に協力、加担しその身体の自由を侵害し,また,控訴人らの行為が何らの懲戒処分事由に該当しないにもかかわらず,被控訴人大学は,その懲戒処分権限を逸脱,濫用して本件処分をしたものであるから,本件処分は無効であり,これにより控訴人らは名誉を毀損され,良心を侵害された上,本件処分の告示により,名誉,信用を毀損された旨主張し,さらに,被控訴人大学が上記のように本件名簿を警視庁等に提出したことは,本件名簿に記載された控訴人らの氏名,学籍番号,住所及び電話番号並びに控訴人らが本件講演会の参加申込者であるといった個人情報を本人の同意なく目的外に利用し,これにより控訴人らのプライバシーの権利等を侵害したと主張して,被控訴人を被告として,不法行為に基づき,それぞれ慰謝料100万円及び弁護士費用10万円の損害賠償,本件処分の無効確認並びに謝罪文の交付とその掲示を求めた事案である。
[3] これに対し,被控訴人は,本案前の申立てとして,控訴人らの本件請求は,いずれも裁判所の司法審査の対象とはならないと主張して,本件訴えの却下を求め,本案に対する主張として,本件逮捕は違法ではなく,被控訴人大学が本件逮捕に協力,加担したことはないし,また,本件処分は手続的に適正であり,かつ,実体的にも正当であって,無効となるものではないし,さらに,本件名簿の提出は,正当な理由に基づくものであり,プライバシーの権利等を侵害するものではないなどと述べて,控訴人らの請求を争っている。
[4] 原判決は,控訴人らの本件請求のうち本件処分の無効確認請求については,その当否は純然たる被控訴人大学内部の問題として,同大学の自主的,自律的な判断に委ねられるべきものであって,裁判所の司法審査の対象とはならないことを理由に,当該無効確認を求める訴えを不適法として却下したほか,本件逮捕の違法,被控訴人大学による本件逮捕に対する協力,加担,被控訴人大学の懲戒処分権限の濫用,本件処分の無効,これによる控訴人らの名誉の毀損,被控訴人大学の本件名簿の提出による控訴人らのプライバシーの権利等の侵害等をいう控訴人らの主張をいずれも排斥し,本件逮捕は違法ではなく,また,本件処分も明白な事実上の根拠を有し,社会通念上著しく妥当を欠くようなところは認められないし,さらに,本件名簿の提出行為も,正当な理由があり,社会通念上許容されるものであり,控訴人らのプライバシーの権利等を侵害するものではないなどと認定して,その余の請求をいずれも棄却したので,控訴人らが控訴をした。

[5] 上記以外の本件事案における前提事実(当事者間に争いがない事実を含む。)並びに当事者の主張及び争点は,下記3及び4記載のとおり当事者の当審における主張を付加するほか,原判決「事実及び理由」欄第2の1ないし4に記載のとおりであるから,これを引用する。
[6] 本件の主要な争点をここに改めて掲げると,それは,
(a) 本件訴えが裁判所の司法審査の対象となるか否か,
(b) 本件逮捕が違法であり,被控訴人大学がこれに協力,加担したか否か,
(c) 本件処分が無効であるか否か,
(d) 被控訴人大学による本件名簿の提出行為が,控訴人らのプライバシーの権利等を侵害し,被控訴人が控訴人らに対し不法行為責任を負うか否か
である。 (1) 被控訴人大学による本件名簿提出行為の違法性について(争点(d)関係)
ア 本件名簿による情報の性質
[7] 本件名簿による情報が,開示されたくない,すなわち知られたくないと感ずる程度,度合いは,情報の主体及び情報の利用者との相関関係によってその程度,度合いが左右される。情報の提供を受けた者がどのような者であり,この情報をどのように使うかによって,当該情報の性質や質は規定されるのである。すなわち,情報を受けた者,そしてその者の利用目的によって,その情報は,本来の情報の性質を超え,別な情報としての性質へと,いわば質が転換されるのである。
[8] 被控訴人大学は,本件名簿の作成の際,すなわち本件情報収集の際,その収集の具体的目的を格別には明示しているわけではないが,本件名簿の性格からして,情報を提供する者=名簿に記入をする者にとって,情報収集の目的は,第一義的には,本件講演会の参加者を特定,確定することにあると解される。しかし,本件名簿が警視庁等へ提供されることによって,本件情報の利用目的が一変し,その情報の性質,質も一変するのである。すなわち,警視庁は,本件名簿上の氏名,住所,電話番号等の個人を識別する情報を基に,警視庁の保管する他の警備情報とも併せて,本件講演会参加希望者中に講演会を妨害するおそれのある不審人物がいないかどうかをチェックするという具体的目的に利用したと考えざるを得ないのである。
[9] その際,例えば,ある名簿記入者が不審人物としてピックアップされている者とみなされたりするような場合には,更に身辺調査などがされることが容易に想定される。警視庁等は,本件情報を一定の思想性や組織への属性等をチェックするリストとして利用するのである。これは,本件情報が,単に他からの識別という作用を持つにすぎない,いわば単純な情報であるとか,講演会参加希望者を表示するものという情報主体たる学生らが被控訴人大学に情報を提供した際に存した本来の情報としての性質を超え,いわば不穏分子候補者のチェックリストとしての性格を帯有することになるものである。本件情報は,警察の手に渡ることによって思想信条,結社の自由に関わる情報に転化するものであり,まさに「他人に知られたくない情報」になるのである。
[10] 現に本件講演会当日に警視庁による被控訴人大学の学生自治会の活動家等の住居に対して行われた家宅捜索の際に,警察官らは,自治会活動家の名簿を持参してきていたが,これは被控訴人大学が警視庁に提出した本件名簿に基づいて作成されたものと推察される。
[11] そして,このように一旦警察の保管する情報となってしまった後では,情報を保管された名簿記入者にとっては,その個人情報をその閲覧や廃棄を要求する法的権利も事実上の方法も存しないのであるから,将来にわたって,この個人情報がどのように利用されるかが全く不明なまま置かれる危険がある。
イ 開示の目的等
[12] 収集された個人のプライバシーに関する情報が目的外に利用されることが許容されるのは,本人の同意がある場合か,法令に定めのある場合に限られることは異論の余地がない。本人の同意もなく,法令に定めがないにもかかわらず,収集された情報が目的外に利用された場合には,まず,その情報開示行為は原則としてプライバシーの権利を侵害するものであり,違法性が阻却されない限り,そうした開示行為は不法行為に該当すると解するべきである。
[13] ところで,違法性が阻却されるためには,目的外利用の高度の必要性すなわち目的外利用の目的の正当性,手段の相当性とともに,同意を得ることができなかったことがやむを得なかったと認められる特段の事情の存在(緊急性)が絶対的な必要要件であるというべきである。
[14] しかし,本件においては,承諾を得ようとしなかったことがやむを得なかったとする事情は毫も窺えない。すなわち,本件においては,本件講演会参加希望者募集より2か月以上も前である平成10年7月30日ころの警備当局との打合せ会議の場において,本件名簿を警視庁等へ提出することが決定されていたというのである。このように,名簿を警察機関等に堤出することは,本件名簿の作成のはるか以前から予定されていたのであり,少なくとも警視庁からは名簿作成後に提供を要請されたものでもなく,また,提出を行うことについて参加者に予告しないよう求められたものでもない。参加者を募集する際の掲示等の片隅にただの一行,あるいは,記入させようとする名簿の欄外に一言,「警視庁に提供する予定である」と記載すれば済むことである。
[15] 以上のとおり,参加希望者が本件名簿に氏名等を記入する前に,その具体的な収集目的,少なくとも警視庁に名簿若しくはそのコピーがそのまま渡されることを告知することは容易であったし,その事実を告知することにつき障害となる事情は何一つ存しなかったのである。
ウ 開示の目的の正当性
[16] 原判決は,本件名簿提出の目的の正当性,必要性を抽象的に述べるのみで,本件名簿が警備のために警視庁等において具体的にどのように利用されるのかについて全く触れていない。しかし,警備警護の目的といっても,極めて抽象的であり,本件名簿がそれ自体でどのように警備警護に利用されるのか全く不明である。具体的な利用方法の検討抜きに,本件名簿の提出目的を,単純に外国要人の警備のために有用であるとして,正当と評価することはできない。そればかりでなく,前記のとおり,本件情報は,警視庁等へ提出されることにより,「江沢民主席の講演会の妨害分子のチェックリスト」としての情報,さらには,情報主体の思想信条や組織性に関わる情報としての性質を帯有することになるのであって,単純に,要人警備の必要性,正当性との観点から,本件情報の警視庁等への提出が違法性を阻却するような正当な目的と評することはできない。
[17] プライバシー権は,「自己に関連する情報の伝播を一定限度にコントロールすることを保障することも,その一つの内容とするもの」と解されるから,あたかも,提出された情報=名簿がどのように扱われるかは問題にする必要はないかのような原判決の論法は,プライバシー権の内容を無視するものであって不当である。
[18] さらに,被控訴人大学は,警視庁等へ本件名簿を提出するに際し,何らの条件も付しておらず,また,講演会終了後その返還も求めていない。情報の目的外利用,名簿の作成=情報収集目的の変更がされているのに,開示した情報の行方すら何らの関心も抱かず,具体的な措置も講じようとしない被控訴人大学には,自己に関連する情報の伝播を一定限度にコントロールすることを保障する精神も,配慮も窺えないものであって,このような者に,目的の正当性など主張する資格はない。
エ 手段の正当性
[19] 被控訴人大学の本件名簿の警視庁等への提出行為は,控訴人ら学生に対する欺罔行為というべきである。すなわち,被控訴人大学は,当初から名簿を警視庁等へ提出することを決めておきながら,これを秘匿して,学生らに個人情報を記入させ,これを無断で警視庁等へ提出したものである。名簿記入者=個人情報の収集を承諾した学生らは,大学の自治との観点から,大学によって,みだりに国家権力に情報が提供されないことを期待している。しかるに,被控訴人大学は,学生らに秘匿して無断で個人情報を警視庁等へ提供したのであり,このような欺罔的な行為をもって手段が正当であるなどと到底いえないことは論をまたないところである。
[20] 本件は,正規の手続を経ることなく,捜査機関に個人情報を得さしめたものであり,憲法で要請するデュー・プロセスに違反する結果を招来させるものである。このような手法に手段が相当であるとの評価を与えることはできない。
オ 本件規則について
[21] 被控訴人大学は,本件規則を制定し,自ら収集した個人情報を一定の除外条件を充足しない限り,目的外に利用してはならない旨の義務を定めながら,この義務に反して本件情報を目的外に利用したのであるから,その所為は,直ちに不法行為責任を成立させるものであることは明らかである。また,被控訴人大学に在籍する学生は,本件規則によって,大学に提供した個人情報が,被控訴人大学が本人の同意なくしてみだりに他へ提供することなどないものと信じ,本件名簿に被控訴人大学が要請する情報を記入し,被控訴人大学に提供したものである。

(2) 控訴人らの損害について
[22] 被控訴人大学による本件情報の警視庁への提供によって,控訴人らは,次のとおり重大な精神的損害を被っている。
[23] すなわち,他者へ知られたくない個人情報を無断で目的外に利用されたこと自体によって,計り知れない衝撃を受けたこと,とりわけ本件情報の提供先は,警察,それも公安警察であるが,控訴人らは,学生自治活動や反戦平和の運動に取り組んでいることから,日常的な公安警察による情報収集の対象であり,公安警察は控訴人らにとっては,警戒,敵対の関係にあるのであり,そのような公安警察に自己の個人情報が提供されたことは,それ自体言い知れぬ衝撃と嫌悪感を受けるとともに,ぬぐい難い不安感を抱かざるを得なかったこと,控訴人らは,今後も公安警察によって本件情報が公安情報として利用されていくという強い懸念を抱かざるを得ないこと,本件情報の警視庁への提供という事実を,被控訴人大学は,提供後も当該本人に秘匿し続け,このことは,本件訴訟の中で偶然発覚したものであり,そうでない限り被控訴人大学は提供の事実を秘匿し続けたものと考えられること,被控訴人大学は,発覚後もその非を全く認めないばかりか,自己の正当性を喧伝し続け,他方,個人情報の目的外利用について抗議をする控訴人らに対して口を窮めて非難罵倒し続けていること,このような被控訴人大学の態度によって,控訴人らは耐え難い思いでいること,控訴人ら学生にとって,被控訴人大学が,よもや行政機関,とりわけ警察へ学生に関する情報を法令上の根拠もなく,また本人の同意も得ずに提供するなどということは予想だにしていなかったことであって,この期待を裏切った被控訴人大学の違法性は著しいものであり,控訴人ら学生の受けた衝撃も甚大なものであること等からすると,控訴人らが被った精神的損害は著しいというべきであり,これを慰謝するには,控訴人一人当たりの慰謝料額は,少なくとも30万円(及び弁護士費用3万円の合計33万円)をもって相当というべきである。
(1) 本件名簿提出行為の違法性について
ア 本件情報の性質
[24] 本件情報は,氏名,学籍番号,住所,電話番号及びその者が本件講演会の参加申込者であることであるが,氏名,学籍番号,住所及び電話番号は,いずれも社会生活上一定範囲の者に知られ,利用されることによって意味のある情報であり,公表されるか,あるいは悪用しようとする第三者に開示されるのでない限り,私生活の領域や環境に対する侵害又は脅威とはならない情報である。
[25] また,本件講演会の参加申込者であることは,本件講演会に参加すれば当然に他の参加者に判明するものであり,また,本件講演会の参加申込者であるということからその者の思想信条等が推知できるものではないから,いかなる利用をしたとしても,私生活の領域や環境に対する侵害又は脅威とはならない情報である。
[26] 控訴人らは,ある情報の性質は,その情報の提供を受ける者がどのような者であり,その情報をどのように使うかによって規定され,あるいは別な情報としての性質に転換され,他人に知られたくないと感ずる度合いが高まると主張する。しかし,本件情報の性質が問題とされるのは,本件名簿提出行為の違法性判断のためにする総合考慮の一要素としてである。情報提供の相手方の性質や利用目的などは,その情報の開示行為がもたらす情報主体の私生活の領域や環境に対する脅威を大きくも小さくもするものであるが,それだからこそ,開示行為の違法性を判断する際の総合考慮の要素とされるのである。したがって,総合考慮による違法性判断の枠組みにおいては,情報提供の相手方やその者の利用目的などは情報の性質とは別の要素として検討するべきものであり,換言すれば,開示された情報の性質,他人に知られたくないと感ずる度合いは,他の要素とは切り離して一般抽象的に判断されなければならないものである。
[27] よって,控訴人らが,情報提供の相手方やその者の利用目的などを他人に知られたくないか否かを判断する際に検討するべきであると主張するのは,明らかに的外れである。
[28] また,控訴人らは,警察機関が本件名簿ないし本件情報を本件講演会参加希望者中に講演会を妨害するおそれのある不審人物がいないかどうかをチェックするという目的で利用するものと憶測した上で,本件情報は,このような目的で利用されることにより,識別作用を持つにすぎない単純な情報あるいは講演会参加希望の表示という本来の性質を超え,思想信条,結社の自由に関わる情報に転化すると主張する。
[29] しかし,仮に警察機関が本件名簿をそのような目的で利用するのだとしても,警察機関がチェックするのは,江沢民国家主席に対し非礼な言動に及び,あるいは同国家主席のみならず本件講演会参加者に対し危険な行動に及ぶ可能性がある者の存否であって,本件講演会参加希望者の思想信条等をチェックするわけではない。また,非礼あるいは危険な言動に及ぶ可能性の有無は,本件名簿の記載情報から読み取れるものではなく,前科・前歴等の警察機関が保有する既存情報あるいは警察機関が他から正当に取得した情報によって判断されるのであって,かかる判断と本件情報とは無関係である。そして,そもそも,本来的に思想信条と無関係な情報は,いかなる方法で利用されようとも,それ自体は思想信条を示す情報にはなり得ないのである。
[30] このように,本件情報は,公表されるか,あるいは悪用しようとする第三者に開示されるのでない限り,私生活の領域や環境に対する侵害又は脅威とはならない情報であるか,全く私生活の領域や環境に対する脅威とはなり得ない情報である。そして,警察機関は本件情報を公表したり,悪用したりするものではないから,本件情報を警察機関に開示したとしても,控訴人らに対し,何らの不利益も及ぼすことはない。
イ 同意を得ることができなかったことがやむを得なかったと認められる事情
[31] 控訴人らは,プライバシー開示行為の違法性が阻却されるためには,同意を得ることができなかったことがやむを得なかったと認められる事情が存在することが絶対的に必要であると主張する。
[32] しかし,本件情報のように一定範囲の者に知られ,日常的に利用されている情報が正当な目的で利用された場合であって,人間にとって最も基本的な関係に不可欠の環境が侵害されない場合には,情報主体の同意を得なかった事情について,格別問題にすることはない。したがって,プライバシー開示行為の違法性が阻却されるについては,同意を得ることができなかったことがやむを得なかったと認められる事情が存在することが絶対的に必要であるとの控訴人らの主張も失当である。
ウ 同意を必要としない事情
[33] 本件名簿の提出は,本件講演会の警備を目的とし,江沢民国家主席に危害を加え,あるいは非礼な態度に出ようとする者などの侵入を防ぐ手段であり,私生活の領域や環境に対する侵害又は脅威を与えるものではない。
[34] 本件講演会の講演者は,中華人民共和国の政治指導者であり,国賓として来日した江沢民国家主席である。日中両国の歴史的背景などを考えれば,本件講演会においては極めて厳重な警備態勢が敷かれることとなり,本件講演会の参加予定者が警備関係機関においても特定されていなければならないことは容易に想像できるところである。控訴人らは,日ごろから被控訴人大学と警察との関係について事実無根の主張を展開していた者であるから,警察機関が本件講演会においてどのような警備態勢を敷くのかについて,一般学生よりも強い関心を持っていたはずであり,警察機関が参加予定者を事前に特定しなければならないことを当然認識していたはずである。
[35] 本件名簿の提出の目的は,本件講演会の警備の万全を図ることにあるが,その警備態勢が不十分である場合には,江沢民国家主席のみならず,本件講演会参加者全員にいかなる危害が加えられるかも知れないのであって,本件名簿の提出は控訴人らを含む講演会参加者全員の利益のためでもある。
[36] 以上のような事情を考慮すれば,本件においては,あえて講演会参加者の,とりわけ控訴人らの明示の同意を得る必要はなかったものといえる。
エ 本件名簿提出の目的の正当性
[37] 控訴人らは,本件名簿は江主席の講演会の妨害分子の候補者のリストとして警察機関に提出されたと推定されるものであり,正当な目的と評することはできないと主張する。
[38] しかし,本件名簿は,本件講演会に参加を申し込んだ学生等全員の名簿であって,妨害分子の候補者をリストアップしたものではない。また,その記載情報は,氏名,学籍番号,住所,電話番号であり,これによって妨害分子の候補者を絞り込めるようなものではないから,江主席の講演会の妨害分子の候補者のリストと称されるようなものではない。さらに,警察機関が,その正当に保有している情報から,江沢民国家主席に危害を加える可能性があると判断する者が,本件講演会の参加予定者のリストに入っていないかをチェックすることは,万全な警備・警護のために有用である一方で,控訴人らに何らの不利益をも及ぼすものではない。
オ 手段の相当性
[39] 控訴人らは,被控訴人大学は,当初から名簿を警視庁等へ提出することを決めておきながら,これを秘匿して,学生らに個人情報を記入させ,無断で警視庁等へ提供したものであり,このような行為は控訴人らに対する欺罔行為であり,憲法が要請するデュー・プロセスに違反する結果を招来させたものであると主張する。
[40] 被控訴人大学は,本件名簿の提出を明示的に予告したわけではないが,しかし,殊更に秘匿したものでは全くない。また,本件名簿の提出は,要人警護のための警備態勢の一環としての情報収集活動に協力するものであり,捜査機関に個人情報を得さしめるという関係にはない。そして,本件情報はいずれも刑事責任追及のための資料とはなり得ないものであって,刑事手続において求められるデュー・プロセスの適用(準用)が問題となる局面ではない。本件のような情報収集活動が適正な手続の下に行われたか否かは,結局のところ,情報提供行為が適法か否かの問題である。したがって,そもそも情報提供行為が適法か否かが問題となっている本件において,警察機関の行為が適正手続を経たものかを問題とすることは論理的な誤りを犯すものである。
カ 本件規則について
[41] 本件名簿の提出は,一時的・一回的利用であり,体系的処理を施されて蓄積・保存された個人情報の管理ではないから,本件規則の規制対象とはならないものと解される。したがって,本件名簿の提出に当たって,被控訴人大学は本件規則に違反したことはない。原判決のいうように,あるゆる個人識別情報の収集,保存,利用等が本件規則の規制対象になると解し,収集段階での個人情報の収集制限(5条),個人情報保護委員会への届出(9条)を厳格に適用することになれば,学生等の氏名の記載を求めるあらゆる局面で箇所長(学部でいえば学部長に当たる。)による個人情報保護委員会への届出が必要になる。このような煩瑣かつ合理性を欠く大量の事務を処理することは不可能を強いるものであり,大学運営の現場の認識にも合致しない。したがって,被控訴人大学が本件規則の制定に当たって,あらゆる個人識別情報の収集,保存,利用等を規制対象とすることなどあり得ないことである。
[42] よって,本件名簿の提出が本件規則7条1項に違反するとした原判決の判断は,煩瑣かつ合理性を欠く大量の事務処理を大学に強いるものであって,到底正当とはいえない。
[43] また,被控訴人が本件規則に違反したか否かは,本件名簿提出が違法か否かとは関連性がない。本件規則は,プライバシーの最大限の保護を目指し,また手続的適正を求める事務処理規定であり,その性質上,現になされた情報収集・開示行為が違法か否かを評価する際の基準にはなり得ない。
[44] 原判決は,
「本件名簿の提出は,本件規則に違反し,学生らの期待に反するものとして,その違法性を強める事情となるということができる。」
とする。しかし,本件規則の存在を知る学生等が期待するところは,本件規則が遵守される結果,自己のプライバシーが違法に侵害されないことであって,自己の利益と無関係なところで,抽象的に本件規則が遵守されることではない。したがって,学生等の期待に反したか否かは、形式的に規則に違反するか否かではなく,結局のところ,開示された情報の性質,開示行為の目的,態様等を総合し,実質的に判断されるべき事柄である。
[45] よって,本件名簿提出が違法か否かの判断に,形式的に本件規則に違反するか否かの判断は無関係である。したがって,本件規則違反を前提に,本件名簿の提出は違法であるとする控訴人らの主張も失当である。

(2) 名目的損害賠償について
[46] いわゆる名目的損害賠償(nominal damages)とは,違法な侵害があっても,現実損害がない場合に,制裁の意味でわずかな金額の賠償を命ずる場合をいう。しかし,わが国では,近代大陸法の影響を受け,民事責任と刑事責任が峻別され,民事責任は損害の公平な分担の観点から,もっぱら損害の填補を目的とするものとされており,民法は,不法行為者の責任を加害行為によって生じた損害の賠償に限定し,形式的に違法性を確認する名目的損害賠償を否定している。
[47] よって,名目的な損害賠償を命じた別件(東京高等裁判所平成13年(ネ)第2434号損害賠償請求控訴事件)の控訴審判決は,民法709条,710条の解釈を誤ったものである。
[48] 本件名簿が警視庁に提出されるに至る経緯,本件講演会当日の状況,本件処分に至る経緯,その後の経緯等については,原判決「事実及び理由」欄第3の1(1)ないし(3)記載のとおりである(原判決17頁23行目から27頁12行目まで。ただし,同20頁14行目の「早稲田際」を「早稲田祭」に改める。)から,これを引用する。
[49](1) 被控訴人は,本件請求のうち本件処分の無効確認を求める訴え及びその無効を前提とする損害賠償等を求める訴え並びに本件処分の無効を前提としないその余の請求は,いずれも裁判所の司法審査の対象とならないものであるから,これらの訴えは不適法なものとして却下されるべきであると主張する。
[50] そこで,本件請求のうち,a本件処分の無効確認を求める訴え及びその無効を前提とする損害賠償等を求める訴え並びにb本件処分の無効を前提としないその余の請求,すなわち,本件逮捕が違法であり,被控訴人大学がこれに協力し,加担したこと及び本件名簿提出行為により控訴人らの名誉等を侵害したことを理由とする損害賠償等を求める訴えについて,それぞれ個別に検討することとする。
[51] まず,本件処分の無効確認を求める訴えについては,確かに,大学は,国公立であると私立であるとを問わず,学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であるから,その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により制定し,これにより在学する学生を規律する包括的権能を有しているのであって,被控訴人大学では,学校教育法11条,同法施行規則13条2項を受けて,本件学則46条は,被控訴人大学の学生が被控訴人大学の規則若しくは命令に背き又は学生の本分に反する行為があったときは,懲戒処分に付することができ,懲戒は,譴責,停学,退学の3種とすると定め,また,本件学則48条は,懲戒は,当該学部の教授会の議を経てこれを行うと定めているのであるから,被控訴人大学が本件学則46条に該当するような学生の行為に対し,本件学則48条の教授会の議を経る限り,懲戒処分に付するかどうか,同処分のうちいかなる処分に付するかを決定するについては,その判断が社会通念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除き,原則として懲戒権者たる学長の裁量に委ねられていると認められるのであるが,本件処分は,前示のような,本件名簿が警視庁に提出されるに至る経緯,本件講演会当日の状況,本件処分に至る経緯,その後の経緯等にも明らかなとおり,控訴人らが相談の上,被控訴人大学主催の本件講演会において主催者の意思に反して江主席に抗議する目的で被控訴人大学総長看守の大隈講堂に入場し,かつ,本件講演会において江主席が講演中にそれぞれ着席していた聴講席から立ち上がり声を発するなどして被控訴人大学の業務たる本件講演会を妨害した行為が「被控訴人大学の規則若しくは命令に背き又は学生の本分に反する行為」に該当する旨の判断に基づく懲戒処分であると認められるのであり,被控訴人大学が本件講演会を開催する社会的意義,被控訴人大学の目的(真理の探究,学理の応用,専門の学芸の教授と普及,個性ゆたかにして教養高い有能な人材の育成等。乙4)からみた本件講演会の被控訴人大学の業務としての適合性,他方における控訴人らの上記行為の目的,表現の自由として許される表現行動の範囲,限界等に徴すると,本件処分が最も軽い譴責処分にとどまるものであっても,本件処分の法律的有効性に係る避けられない問題すなわち控訴人らの各行為が本件学則46条に規定する懲戒事由に該当するか否か,該当するとして控訴人らを懲戒処分に付する判断が社会通念上著しく妥当を欠くところはないかなどの問題は,例えば学生に対する授業科目についての所定数の単位の授与(認定)又は不授与(不認定)の問題などと同様のような,一般市民社会とは異なる特殊な部分社会である大学における一般市民法秩序と直接の関係を有しない純然たる内部的な問題にとどまるものとは到底認めることはできず,かえって,被控訴人大学の学生としてのみならず,一般市民としても,控訴人らの抱いた目的の下に本件講演会が開催される大隈講堂に小さく折り畳んだ横断幕を衣服の中に隠し持つなどの態様で入場着席することが適法かどうか,かつ,江主席の講演中に静かに着席して聴講すべき席から突然立ち上がって声を発するなどの行動をすることが被控訴人大学の本件講演会開催という業務を妨害する行為に当たるかどうかなどの正しく一般市民法秩序に属する問題を必須の問題として含むものであるといわざるを得ない。
[52] そうしてみると,本件処分の無効確認を求める訴えは,法律上の争訟として裁判所の司法審査の対象となるというべきである。
 次に,本件処分が無効であることを前提に,これにより,名誉を毀損され,良心を侵害され,また,本件処分の告示により,名誉,信用を毀損されたことを理由とする慰謝料請求並びに謝罪文の交付及びその掲示を求める請求については,本件処分の無効確認の問題が上記のとおり司法審査の対象となると認められるところであり,これらの請求自体が,被控訴人大学に対し,本件処分又はその告示により名誉を毀損されたなどと主張して,慰謝料又は謝罪文の交付,その掲示を求めるものであって,控訴人らの一般市民としての権利義務に係わる事柄を対象とするものであることは明らかであるから,結局,これらの請求が裁判所の司法審査の対象となることに何ら疑いを容れる余地がないというべきである。
[53] さらに,本件処分の無効を前提としないその余の請求,すなわち,本件逮捕が違法であり,被控訴人大学がこれに協力し,加担したこと及び本件名簿提出行為により控訴人らの名誉等を侵害したことを理由とする損害賠償等を求める訴えについても,これらの請求が,その法律的性質上裁判所の司法審査の対象となるものであることは明らかというべきである。
[54] 以上によれば,本件処分の無効確認を求める訴え及びその無効を前提とする損害賠償等を求める訴え並びに本件処分の無効を前提としないその余の請求がいずれも司法審査の対象とはならないとする被控訴人の前記主張は,いずれも採用することができない。
[55] 当裁判所も,本件逮捕が逮捕権の濫用に当たり違法であるとか,その要件を欠き無効なものであるとかとまで認めることはできない。そのように判断する理由は,原判決「事実及び理由」欄第3の3に記載のとおりである(原判決31頁17行目から同34頁7行目まで)から,これを引用する。
[56] そうすると,本件逮捕が違法であることを前提に,被控訴人に対し,慰謝料等の損害賠償及び謝罪文の交付,その掲示を求める控訴人らの請求は,いずれも,その前提を欠き,理由がないことに帰するというほかはない。
[57](1) 前記2で認定説示したとおり,本件処分の無効確認を求める訴え等は,いずれも司法審査の対象となるというべきであるところ,大学の学生に対する懲戒処分は,教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し,教育目的を達成するために認められる自律的な懲戒作用であって,懲戒権者たる学長が学生の行為に対し懲戒処分を発動するに当たり,その行為が懲戒に値するものであるかどうか,また,懲戒処分のうちいかなる処分を選択すべきかを決するについては,当該行為の軽重のほか,本人の性格及び平素の行状,当該行為の他の学生に及ぼす影響,懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果,その他これを不問に付した場合の一般的影響等諸般の事情を考慮する必要があり,これらの判断は,学内の事情に通暁し直接教育の衝に当たる者の合理的な裁量に委ねるのでなければ,適切な結果を期し難いことは明らかである。したがって,学生の行為に対し,懲戒処分を発動するかどうか,発動するとして懲戒処分のうちいかなる処分を選択すべきかを決することは,その決定が全く事実上の根拠に基づくものではないと認められる場合,又は社会通念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を逸脱するものと認められる場合を除き,懲戒権者の裁量に委ねられているものと解するのが相当である。
[58] このような観点から,本件をみるに,前記原判決の認定事実によれば,控訴人らを含む本件講演会に参加を申し込んだ学生に対しては,事前に「江沢民中華人民共和国国家主席講演会における注意事項」と題する書面(乙1)が配布され,その書面には,
「プラカード,ビラ,カメラ,テープレコーダー等の持ち込みは厳禁です。静粛な態度で臨み,ヤジ,罵声等はさけてください。」
などと記載されており,また,本件講演会場である大隈講堂に入場した学生に対しては,入場に際し,「中華人民共和国主席江沢民閣下講演会参加者への遵守事項」と題する被控訴人大学名義の書面(乙2)が交付され,その書面には,
「場内では静粛に願います。ヤジ等大声を出したり,プラカード・掲示物等を出した場合は即刻退場となりますので,充分注意してください。」
などと記載されていた上,会場入口や大隈講堂内の目に付くところ数箇所に,参加者の注意を喚起すべく,A1判の大きさの書面(乙3)が掲示され,そこには,乙2の書面とほぼ同一内容の注意書きが記載されていたのであり,そして,あらかじめ相談の上作成した布製横断幕を小さく折り畳み衣服の中に隠し持って入場した控訴人らが上記のような看守状況下で江主席の講演が行われている最中に,控訴人Cは,突然,座席から立ち上がり,「中国の核軍拡反対」などと大声で叫び,隠し持っていた横断幕を取り出して,これを両手で広げて掲げ,その直後,控訴人Aが,座席から立ち上がり,同様に,「中国の核軍拡反対」などと大声で叫ぶなどして,会場内を一時騒然とさせ,さらに,控訴人Bにおいて,座席から立ち上がり,「核軍拡をやっているのは,どこの誰なんだ。」などと大声で叫んだというものであって,控訴人らのこれらの行動は,被控訴人大学の主催する本件講演会という業務を妨害するに足りるものであり,被控訴人大学の規則若しくは命令に背き又は学生の本分に反する行為であることは明らかといわなければならない。
[59] そうしてみると,被控訴人大学が,控訴人らに対し懲戒処分に付することとし,懲戒処分のうち最も軽い譴責という本件処分に付したことについては,明白な事実上の根拠に基づくものであると認められるとともに,他面においては,控訴人ら在学生に対し教育上の措置として社会通念上著しく妥当を欠くものであるとまで認めることはできないものというべきである。したがって,本件処分が,控訴人らに対する教育的措置としてされたものではなく,学生の自治活動等を嫌悪する被控訴人大学の現執行部がこうした活動等を壊滅する目的の下に懲戒作用に藉口してされたものとして,社会通念上著しく妥当を欠くものであるとする控訴人らの主張は,採用の限りでない。

[60](2) 以上によれば,本件処分の無効確認請求並びに本件処分の無効を前提とする損害賠償,謝罪文の交付及びその掲示を求める請求は,いずれも理由がないというべきである。
[61](1) 当裁判所も,被控訴人大学による警視庁に対する本件名簿の提出行為が,控訴人らのプライバシーの権利,学問の自由,思想及び良心の自由を侵害するものであるとまで認めることはできない。そのように判断する理由は,原判決「事実及び理由」欄第3の5(1)ないし(3)に記載のとおりである(原判決37頁6行目から同50頁12行目まで)から,これを引用する。

[62](2) 控訴人らは,当審において,被控訴人大学による本件名簿の警視庁等への提出行為の違法性について縷々主張するので,以下これらの点について判断する。
[63] 控訴人らは,本件名簿ないし本件情報が,講演会参加希望者を表示するものという情報主体たる学生らが被控訴人大学に情報を提供した際に存した本来の情報としての性質を超え,いわば不穏分子候補者のチェックリストとしての性格を帯有することになるものであり,警察の手に渡ることによって,警察機関が本件講演会参加希望者中に講演会を妨害するおそれのある不審人物がいないかどうかをチェックするという目的で利用することにより,識別作用を持つにすぎない単純な情報あるいは講演会参加希望の表示という本来の性質を超え,思想信条,結社の自由に関わる情報に転化するものであり,まさに「他人に知られたくない情報」になると主張する。
[64] しかしながら,本件名簿に記載された控訴人らの個人情報は,氏名,学籍番号,住所,電話番号及び控訴人らが本件講演会の参加申込者であることであるが,この個人情報は,基本的には個人の識別などのための単純な情報であって,思想信条,前科前歴,資産内容,病歴,学業成績等のプライバシー情報と比較し,他人に知られたくないと感ずる程度,度合いは相対的に低いものというべきであり,この情報が警察の手に渡ることによって,警察機関が本件講演会参加希望者中に講演会を妨害するおそれのある不審人物がいないかどうかをチェックするという目的で利用することがあったとしても,本件名簿に記載された情報のみから本件講演会参加希望者の思想信条等を読み取ることができる筋合いのものではなく,思想信条,結社の自由に関わる情報に転化することなど,およそ考え難いことであるといわざるを得ない。
[65] また,控訴人らは,本件講演会当日に警視庁による被控訴人大学の学生自治会の活動家等の住居に対して行われた家宅捜索の際に,警察官らは,自治会活動家の名簿を持参してきており,これは被控訴人大学が警視庁に提出した本件名簿に基づいて作成されたものと推察されると主張し,原審における控訴人C本人尋問の結果及び同控訴人作成の陳述書(甲112)中にはこれに沿う供述部分ないし記述部分があるが,いずれも憶測を陳述,記述するものにとどまり,上記自治会活動家の名簿が本件名簿に基づいて作成されたものであるとまでは,にわかに断定し難いといわざるを得ない。
[66] したがって,本件個人情報は,もとよりプライバシーの権利ないし利益として法的保護に値するものであるが,その個人情報がより高度に他者に開示されたくない性質の情報であるとまでは認められないから,控訴人らの上記主張は,採用することができない。
[67] 次に,控訴人らは,収集された個人のプライバシーに関する情報が目的外に利用されることが許容されるのは,本人の同意がある場合か,法令に定めのある場合に限られるのであって,本人の同意もなく,法令に定めがないにもかかわらず,収集された情報が目的外に利用された場合には,その情報開示行為は原則としてプライバシーの権利を侵害するものであり,違法性が阻却されない限り,そうした開示行為は不法行為に該当すると解するべきであるとし,違法性が阻却されるためには,目的外利用の高度の必要性すなわち目的外利用の目的の正当性,手段の相当性とともに,同意を得ることができなかったことがやむを得なかったと認められる特段の事情の存在(緊急性)が絶対的な必要要件であるところ,本件名簿提出行為には,同意や承諾を得ることができなかったことがやむを得なかったと認められる特段の事情も存在しないし,目的の正当性,手段の相当もなかったと主張する。
[68] そこで,検討するに,まず,本件名簿に記載された個人情報の開示行為について,その者の同意ないし承諾を得ることができなかったことがやむを得なかったと認められるような事情の有無についてであるが,被控訴人大学が本件名簿の提出による個人情報の開示について,事前に控訴人らを含む本件講演会参加希望者に対しその同意ないし承諾を得ていなかったのであり,かつ,そのことを告知するのに何らの支障もなく,これを行うことも容易であったのにもかかわらず,控訴人らにあらかじめ告知してその同意を得ようとはしなかったのであって,この点において,被控訴人大学には,学生らの心情等に対する配慮に欠ける面があったことは否定できないところといわざるを得ない。
[69] しかしながら,原判決が判示するように,個人情報開示行為の違法性が阻却されるか否かは,上記のような事情の有無のほか,(a)当該個人情報の内容,性質及びこれがプライバシーの権利ないし利益として保護されるべき程度,度合い,(b)開示行為によりその個人が被った具体的な不利益の内容,程度,(c)開示の目的並びにその目的の正当性,有用性及び必要性,(d)開示の方法及び態様,(e)当該個人情報の収集目的と開示の目的との間の関連性の有無,程度等の諸要素を総合考慮して,判断されるべきであり,そして,これらの諸要素は,もとより違法性阻却事由となるべき要件事実そのものではないのであるから,開示される個人情報がプライバシーの権利として保護されるべき程度,度合いが相対的に低いものであり,開示の必要性や有用性が高いような場合には,たとえ事前に本人の同意ないし承諾を得なかったとしても,一般人の感受性を基準として,当該個人情報の開示が社会通念上違法性を欠くものとして許容される場合があると解するのが相当である。
[70] 本件においては,前記のとおり,本件名簿に記載された控訴人らの個人情報は,氏名,学籍番号,住所,電話番号及び控訴人らが本件講演会の参加申込者であることであるが,この個人情報は,基本的には個人の識別などのための単純な情報であって,他人に知られたくないと感ずる程度,度合いは相対的に低いものというべきである。そして,原判決の認定した事実によれば,本件講演会は,被控訴人大学が国賓として我が国を訪問する江沢民国家主席に講演を依頼するものであり,被控訴人大学としては,教職員,学生等被控訴人大学に属する者一般の利益のためにも,本件講演会の開催の実現を求めたのであり,そのような期待を含め種々の期待や不安が存在するほどに江主席が我が国外交上最大級の配慮を要する人物であることから,被控訴人大学は,本件講演会において,万が一にも江主席に危害が及ぶようなことや,講演会の参加者が江主席に対し非礼な言動に及ぶようなことがあってはならないと考えたこと,そして,警視庁,外務省及び中国大使館からも,被控訴人大学に対し,本件講演会の警備態勢について万全を期する旨の要請がされ,外務省からは,中国から日本に亡命した「民陣」という活動家が学生らと結託して騒ぎを引き起し,江主席に危害を加えるおそれもあるから,江主席の身辺警護をより強固にしてほしいとの連絡もあったこと,そこで,被控訴人大学は,本件講演会の主催者として,その運営,警備について,外務省,警視庁及び中国大使館と密接に協議を重ね,最終的に警視庁等の警察機関に警備を委ねることにしたこと,この警備担当の警視庁から,本件講演会における江主席の警備,警護に万全を期するため,本件講演会の参加希望者の名簿を警視庁に提出するよう要請を受けたこと,そこで,被控訴人大学は,江主席の警備,警護の必要性等から,この要請を受入れ,本件名簿を警視庁に提出したことが認められるのであり,被控訴人大学が本件個人情報を警視庁に開示した目的は,専ら本件講演会において江主席の警備,警護に万全を期し,不測の事態の発生を未然に防止するとともに,その身辺の安全を確保することにあったといえるのであるから,この開示の目的が正当なものであったというべきである。
[71] また,被控訴人大学から,いわば任意に本件名簿の提出を受けた警視庁が本件名簿を具体的にどように使用したかは,本件全証拠によっても,これを明らかにすることができないけれども,少なくとも警察機関が保有する要注意人物のリストに載っている者が本件講演会の参加希望者の中にいるのかどうかを事前にチェックし,これに応じた警備活動を行おうとしたことはそれなりに推認し得るところである。したがって,本件個人情報を警視庁に開示したことは,本件講演会の講演者である江主席の警備,警護に万全を期し,不測の事態の発生を未然に防止するとともに,その身辺の安全を確保しようとする開示の目的に徴し,有用かつ必要であったものと認められ,他面,本件個人情報がこの開示の目的以外の目的に使用されたと認めるべき証拠はない。
[72] もっとも,本件名簿の作成による個人情報の収集の目的は,被控訴人大学が本件講演会の参加希望者を特定し,合計人数等を把握することにあったものと認められる反面、本件個人情報の開示の目的は,前記のとおり,警察機関による江主席の警備,警護に万全を期することにあったものであり,したがって,その収集の目的と開示の目的とは異なるものであったが,いずれも本件講演会に何らの混乱も生ぜしめないで滞りなくこれを実施するという趣旨目的において一致するところがあり,これらの間には広い意味での関連性があったものと評価することができる。
[73] 控訴人らは,本件名簿の提出目的を,単純に外国要人の警備のために有用であるとして,正当と評価することはできないし,本件個人情報は,警視庁等へ提出されることにより,「江沢民主席の講演会の妨害分子のチェックリスト」としての情報,さらには,情報主体の思想信条や組織性に関わる情報としての性質を帯有することになるのであって,単純に,要人警備の必要性,正当性との観点から,本件情報の警視庁等への提出が違法性を阻却するような正当な目的と評することはできないなどと主張する。
[74] しかしながら,前示のとおり,本件名簿を入手することによって,警察機関が保有する要注意人物のリストに載っている者が本件講演会の参加希望者の中にいるのかどうかを事前にチェックし,これに応じた警備活動を行おうとしたものであったとしても,そのこと自体は本件個人情報の開示行為の違法性阻却事由たる開示の目的の正当性を左右するものとまでは認めることができないし,情報主体の思想信条や組織性(結社の自由)に関わる情報を本件個人情報が含んでいると認めることはできないことは,前記説示のとおりであるから,控訴人らの上記主張は,採用できない。
[75] また,控訴人らは,被控訴人大学は,当初から名簿を警視庁等へ提出することを決めておきながら,これを秘匿して,学生らに個人情報を記入させ,これを無断で警視庁等へ提出したものであり,控訴人ら学生に対する欺罔行為というべきであると主張する(この主張は,要するに,情報収集の手段及びその開示の手段の相当性がないとの意味に理解される。)。
[76] しかしながら,被控訴人大学が,警視庁等に提出する目的で本件名簿に個人情報を記入させ,この事実を殊更秘匿していたことを認めるに足りる証拠はないから,控訴人らの上記主張は,採用できない。

(3) 本件規則について
[77] 被控訴人は,本件名簿の提出は,一時的・一回的利用であり,体系的処理を施されて蓄積・保存された個人情報の管理ではないから,本件規則の規制対象とはならないものであり,本件名簿の提出に当たって,被控訴人大学は本件規則に違反したことはなく,原判決のいうように,あるゆる個人識別情報の収集,保存,利用等が本件規則の規制対象になると解し,収集段階での個人情報の収集制限(5条),個人情報保護委員会への届出(9条)を厳格に適用することになれば,学生等の氏名の記載を求めるあらゆる局面で箇所長(学部でいえば学部長に当たる。)による個人情報保護委員会への届出が必要になり,このような煩瑣かつ合理性を欠く大量の事務を処理することは不可能を強いるものであり,大学運営の現場の認識にも合致しないなどと主張する。
[78] しかしながら,本件名簿の提出が一時的・一回的利用であるとしても,本件規則2条2項が機械処理以外のものも含むこととしていることからすれば,本件規則の規制対象となるといわざるを得ず,その結果,煩瑣かつ大量の事務を処理することになるとしても,そのことをもって,本件規則の適用が否定されるべき事情とはなり得ない。したがって,被控訴人の上記主張は,採用できない。
[79] 他方,控訴人らは,被控訴人大学は,本件規則を制定し,自ら収集した個人情報を一定の除外条件を充足しない限り,目的外に利用してはならない旨の義務を定めながら,この義務に反して本件情報を目的外に利用したのであるから,その所為は,直ちに不法行為責任を成立させるなどと主張する。
[80] しかし,本件規則には,被控訴人大学が本件規則の規定に違反した場合の責任について特に規定するところはないなど,本件規則の趣旨,規定内容等にかんがみると,原判決が説示するように,本件規則に違反して個人情報を目的外に利用したからといって,そのことから直ちに不法行為責任が成立するとまでは認めることができないから,控訴人らの主張は,採用できない。

[81](4) 以上検討したところによれば,本件名簿に記載された控訴人らの個人情報は,基本的には個人の識別などのための単純な情報にとどまるのであって,思想信条や結社等とは無関係のものである上,他人に知られたくないと感ずる程度,度合いの低い性質のものであること,しかも,控訴人らが本件個人情報の開示によって具体的な不利益を被ったとは認められないこと,被控訴人大学は,本件講演会の主催者として,講演者である国賓たる外国要人の警備,警護に万全を期し,不測の事態の発生を未然に防止するとともに,その身辺の安全を確保するという目的に資するため本件個人情報を開示する必要性があったこと,その他,開示の目的が正当であるほか,本件個人情報の収集の目的とその開示の目的との間に一応の関連性があること等の諸事情が認められ,これらの諸事情を総合考慮すると,被控訴人大学が本件個人情報を開示することについて,事前に控訴人らの同意ないし承諾を得ておらず,しかも,本件規則に違反した面があるとしても,被控訴人大学が本件個人情報を開示したことは,社会通念上許容される程度を逸脱した違法のものであるとまで認めることはできず,その開示が控訴人らに対し不法行為を構成するものと認めることはできない。

[82] 以上の認定及び判断によれば,控訴人らの本件請求は,いずれも理由がなく棄却を免れない。
[83] よって,以上のうち,前記第3の2(1)アの判断と異なり,本件処分の無効確認を求める訴えをいずれも却下することとした原判決は,その異なる限度において不当であり,本件控訴は,一部理由があるから,原判決主文第1項(本件処分の無効確認を求める訴えをいずれも却下する部分)を取消し,民事訴訟法307条ただし書の趣旨に則り,当該訴えに係る控訴人らの請求について当裁判所において自判するのを相当と認め,前記第3の4に判示したとおり,その請求は,理由がないから,いずれも棄却し,控訴人らのその余の本件控訴は,いずれも理由がないから棄却することとし,控訴費用の負担につき,民事訴訟法67条1項,65条1項本文,61条を適用し,主文のとおり判決する。

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