ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2019年春学期)
縁切り神社「安井金比羅宮」
太田 玲音
(2017年度入学 鈴木ゼミ一期生)

<安井金比羅宮>
 京都の四条東大路を南に数分下った場所に安井金比羅宮は位置している。飛鳥時代に藤原鎌足が一族の繁栄を願って創建した「藤寺」が起源とされるこの神社は崇徳天皇をはじめとする三柱の御祭神が祀られている。また、「縁切り神社」の別称で広く知られており、連日多くの観光客や参拝客が訪れている。縁切り社寺は全国各地に広がっているが、そのなかでも安井金比羅宮の知名度が高いのは何故なのか。その要因として、境内にはおびただしい数の縁切り絵馬が奉納され、約600点の貴重な奉納絵馬や史料を展示する「金比羅絵馬館」も併設されていることが挙げられる。


 加えて、この神社ならではの特徴として、「縁切り縁結び碑」と呼ばれる巨石がある。願いを書いた形代を握りしめ、中央の穴をくぐって往復しながら、縁切りと縁結びを願うご利益スポットである。表から裏にくぐる時は悪縁切りを、裏から表にくぐる時は縁結びを願い、碑に形代(おふだ)を貼り付けることによって、晴れて縁切り祈願が成就するという。参拝者の様々な願いが込められた形代が碑を覆い隠すほど貼り付けられ、碑本来の形が見えないほどとなっている。一部では不気味ささえ感じられると言われている。安井金比羅宮が行ってはいけない怖い場所と噂されるようになったこともこれがきっかけの一つである。なお、志をお賽銭箱に入れることで御利益授与していただけるため、終日24時間祈願が可能となっている。

<「縁切り」の聖地>
 「縁切り」とどう向き合うかは、社寺にとって難しい課題である。若者離れにつながりかねない「縁切り」の風評を嫌い、あえて「縁結び」のご利益を強調する社寺も少なくない。
 しかしながら、名神大社がひしめく京都にあって、参拝者を誘致するためには、他の神社にない魅力を打ち出す必要がある。安井金比羅宮は、「縁切り神社」としての輪郭をくっきりと浮かび上がらせることによって、人間関係や男女関係に苦しむ女性たちの心を鷲づかみにした。
 「悪縁を断ち、良縁を結ぶ」祈りの場にふさわしいのは、絶大な縁切りパワーを持つ崇徳上皇が、生涯変わらぬ愛を育んだ場所をおいて他にはない。安井金比羅宮は、いわば由緒を活かした方法によって希少価値を獲得し、「縁切りの聖地」として名を馳せることとなる。
 (Lifull Home’s Press 京都の神社の差別化戦略https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00810/)

<縁切りにご利益がある理由>
 そもそもなぜ縁切りの御利益として名が広まっているのか。それはこの神社に祀られている主祭神である崇徳天皇(のちの崇徳上皇)によるものである。
 院政期第75代崇徳天皇は、父であった鳥羽法皇から疎まれ、20代の若さで譲位させられた。同母弟である後白河天皇が即位したことで、わが子を皇位につけて院政をとる道も断たれ、さらに鳥羽法皇が崩御するに及んで事態は急展開を迎えた。1156年、保元の乱が勃発。朝廷は、崇徳上皇方と後白河天皇方に分かれ、血で血を洗う争いを繰り広げた。
 しかしその後、上皇方は敗れ崇徳上皇は讃岐に配流されることとなった。そこで上皇は深く悔い、戦死者の供養のために五部大乗経を写経して朝廷に送った。だが、呪詛を疑った朝廷は受け取りを拒否。崇徳上皇はこの世のすべてに絶望し、全ての欲を断ち切って金刀比羅宮に籠もったとされている。そのため、誰も自分自身と同じような境遇にあうことがないように、幸せな縁を妨げるすべての悪縁を切ってくれるとされ、断ち物の御利益に対する信仰が生まれたとされる。
 また、境内の一角には道開きの神である大物主神も祀られており、海上安全や交通安全、開運や商売繁盛にも御利益があるとされる。



<誤解されがちな縁切り>
 この安井金比羅宮は「縁切り神社」として有名となっているため、「縁を『切る』」ことにだけが注目され、話題にされることが多い。それらが原因で「カップルで訪れると必ず別れる」といった噂が立てられ、信じる人が少なくない。
 しかし実際にはただ縁を切るだけではなく、「悪縁」を切った上で「良縁を『結ぶ』」場である。そのため、良縁に結ばれたご夫婦やカップルが参拝をされても縁が切れることはなく、一層二人がより深くより強く結ばれる御利益をいただくことができる。

<願いごとから見ることができる男女の違い>
 学問の神である菅原道真を祀る北野天満宮と同じようにこの安井金比羅宮にも大量の絵馬が掛けられている。中でもこれらの絵馬に書かれた願いには男性と女性との間で少し雰囲気が異なっている。縁切りということで、病気から解放されたいという願い、酒断ち、禁煙、それに加えて賭け事、盗みなどの悪癖から切れたいという願いは主に男性によるものである。一方女性による絵馬で大半を占めているのは夫を愛人と別れさせたいという妻の願いを筆頭に人間関係における悪縁を断ち切りたいとする祈りであり、両者ともに同じ縁切りの願いでありつつも対象とするものについて違いが見られる。
 「禁煙とか禁酒なんてつまんないことを願うのはほんとうは本気で願っていない証拠。その点、女のひとの呪いは本気だ。信じよう、信じようと思っているうちに、ほんとにそのことが起こってしまうという恐ろしさを信じている、というのだ。願いが届くことをほんとうに願っているのか否か、この差は、彼のいうとおり絶対だろう」(鷲田清一「京都の平熱」安井より)

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