ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2019年春学期)
渡月橋の四季・天候での見え方の移り変わり
木嶋 大智
(2017年度入学 鈴木ゼミ一期生)

 京都嵯峨嵐山は京都の西側に広がり、国の史跡及び名勝に指定されている。嵐山は桜と紅葉の名所で知られており、日本さくら名所100選並びに日本紅葉の名所100に選定されているなど、四季折々の美しさを堪能できる京都の代表的な観光名所として賑わっている。

また、平安時代は貴族の別業の地であり当時の風情を感じるのも魅力の一つだ。世界遺産に登録されている天龍寺、かつては嵯峨天皇の離宮として知られる大覚寺など京都の歴史に触れられる寺院の他、竹林などの趣を感じながら散策できるスポットが数多く点在している。
 ここでは、嵯峨嵐山の象徴的である私の好きな渡月橋にスポットを当て、歴史や魅力を紐解きながら説明する。

<渡月橋の由来>
 平安時代からの歴史が多く残る嵯峨嵐山の渡月橋は、全長155mの大橋で渡月橋をはさんで上流が保津川、下流が桂川と呼称が変わる。承和年間(834年-848年)に僧、道昌が架橋したのが始まりであり、呼称の最初は「渡月橋」ではなく「法輪寺橋」と呼ばれていた。これは道昌が868年に自らが改めた法輪寺の名をとった。法輪寺橋に架けられた橋が、渡月橋と改称したのは鎌倉時代に亀山上皇が月を見て「くまなき月の渡るに似る」(月が橋を渡るさま)とたとえたことから渡月橋と名付けられたといわれている。
現存の先に述べた法輪寺橋(元の名)より約200m下流に架けられたと伝えられている。移説の理由は明らかではないが、江戸時代の豪商であった角倉了以が安全な周縁のために移設したと伝えられている。

<渡月橋の構造>
 現在の渡月橋は1934年に造られたものである。観光地としての景観や建造物としての安全性を考慮して、脚足は鉄筋コンクリート製で、欄干は国産ヒノキで作られている。また渡月橋は橋脚と橋脚との間にまっすぐな橋をかけ桁橋という方式を用いている。渡月橋では14の橋脚が使われており、10m間隔で設置、4本に1組の鉄筋コンクリート製。さらに鉄筋コンクリートの周辺に鉄を巻くことで補強している。さらに、橋脚と橋脚との間には、H形の鋼材でできた橋桁が置かれ、その上に木製の桁隠しが使われているため、渡月橋は一見して木製の橋のように感じるように様々な工夫がなされている。

 このように歴史の変化、人々の生活様式・用途に応じて渡月橋の役割も変化し進化を成し昔の人々の生活の助けとなり今の渡月橋が存在することがみえてくる。
 
<多彩な渡月橋が織りなす魅力>
 観光客は渡月橋に四季を通して足を運んでいる。平安時代の趣を感じると共に四季や天候での移り変わりで多彩な魅力を人々の五感や心に届けている。特に私が好きな渡月橋は紅葉の時期だ。紅葉の葉が天候の変化で多彩な魅力を感じさせ、ライトアップされた嵯峨嵐山は幻想的な空間を作り出し、人の声と川の音が共鳴し合いエモーショナルな雰囲気を作りだす。それは実家の温もりや地元の友達とはしゃいで遊んだ時の思い出を蘇させ、どこか懐かしい気持ちにさせる。寒い冬でも心が落ち着き、全体がぽかぽかした感覚になる。また、秋の風や冬の訪れを感じなら紅葉が散るのを見るのは、子が親のもとを離れ自立していくかのような切ない気持ちにもなる。大学一回生の秋、初めて嵯峨嵐山を訪れ渡月橋を見た時、実家を離れ一人暮らしを送っている私にはそう感じた。このように様々な人の心の気持ちを表しているかのように感じさせる。それは四季を通じて渡月橋が織りなす魅力であり渡月橋そのものの感情なのかもしれない。人によって感じさせるものは様々だ。私にとって渡月橋のがっしりと構えた佇まいは明日へのパワーとなる源であり、心が沈んだ時には足を運びたい場所である。桂川や渡月橋は平安時代から現在まで歴史に応じて変化し続けた。その辺りに咲く紅葉や桜だからこそ風情を感じ、また足を運びたいと思うのかもしれない。皆様にもせっかく行くなら嵯峨嵐山の歴史について触れて紅葉を見に行ってほしい。そうすれば、また色々な感性を見つけることができるかもしれない。渡月橋が今の姿を保ちこれからも人々に愛され魅力し、その姿を保ち続けることを心より願っている。

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