ゼミ生が語る「私の好きな京都」(2019年春学期)
京都の特別な時間と場所「三条大橋と鴨川」
中村文人
(2017年度入学 鈴木ゼミ一期生)

 私の好きな京都は、京都市を縦断する一級河川の鴨川とその川に架かる三条大橋である。鴨川は、昔から京都の地に流れ、人々に愛されてきた。私の出身地では、鴨川のように地域のシンボル的な川はない。私は、鴨川の中でも人で賑わっている三条大橋が好きだ。私は、京都を訪れるたび、「ここは素敵な場所だな」と感じていた。

 鴨川は、京都市の北西部の桟敷ケ岳に源流があり、鞍馬川を南に流れ、大原・八瀬から流れる高野川と出町柳で合流する。そのあと、京都の中心部を流れ桂川に注いでいる。鴨川は、京都の夏の風物詩である祇園祭とも深い関係がある。祇園祭がおこなわれる一か月の中に「神輿洗」という行事がある。7月10日と28日に、中御座が四条大橋の上で、鴨川から汲まれた水がかけられて清められる。祇園祭の起源は、もともと鴨川が氾濫することで発生する疫病を鎮めるために始まった祭りともいう。鴨川と祇園祭、さらには京都の神事との関係に私は興味がそそられる。

 私が好きな鴨川は、昼から夕方の時間帯である。ランニングに励む人や、川岸に腰かけて談笑するカップル、様々な人たちが周辺で各々の時間を過ごしている。川のせせらぎの音と人々の声が聞こえる特別な場所である。この時間の散歩は、にぎやかで、それでいて自然と共存している。考え事があるときは、出町柳駅から京阪三条駅に向かって南へ散歩する。距離にして約2キロメートル。その時の自分の気分に合わせた曲を外の音が少し聞こえる音量で聴きながら歩く。30分程度であるが、私にとってこの時間は頭をリセットする大切な時である。
 散歩しているといくつかの橋の下をくぐる。その中でも、私は三条大橋が好きである。三条大橋は、古くに三条通りに架けられた橋である。現存する資料では、天正18(1590)年に豊臣秀吉の命により、石柱の橋に改修されたという。

また、幕末の元治元(1864)年7月8日に起こった池田屋事件の際に、新撰組がつけたと言われる刀傷が、三条大橋の南北それぞれの擬宝珠に残っている。このように、三条大橋は京都の歴史的場所であり、時代の一ページを担う場なのである。しかしながら、橋が架けられた年は明らかではない。三条大橋は、非常にミステリアスな含みを持った橋である。  私たちのゼミ活動では、三条大橋の広報活動をおこなうプログラムがある。活動を行う中で、私は、鴨川に架かる橋の一つである三条大橋の魅力に徐々に惹かれていった。三条大橋周辺は、三条通りを通る観光客が多く、とても賑わっている。河岸では、ストリートライブや等間隔で座り語り合うカップルを、橋の上から眺めることができる。演奏ならもっと人通りの多い路上の方が、多くの人に見てもらえていい。談笑なら屋根がついた喫茶店の方が、天気を気にせず話ができていい。しかし、彼らにとっては、そんな言葉は無用である。鴨川のせせらぎの音を聴きながら鴨川の河岸で過ごすということは、利便性ではない特別な価値のある時間なのである。私は、そのような人々を見ながら散歩することが好きである。色々な人が大切な時間を過ごす場所である鴨川と三条大橋を見ていると、自分もまた頑張ろうと頭を切り替えることができる。

 私が、京都産業大学に通い始めて、3年が経とうとしている。その中で、私にとって、鴨川は大きな意味のある場所である。何度訪れても、いつも違った顔を見せる。三条大橋もその魅力の一つである。しかしながら、京都の町にはまだ私が知らない様々な名所がある。私は、まだ京都の魅力のほんの一部しか知らない。
言い換えれば、私はこれからもっと京都の魅力を感じることができる。私は、次はどんな京都の魅力を知ることができるのか楽しみだ。

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